海の街5
独特な幸福感
旅行の最後は覚え書き程度です。
まだ6時台。
早朝のお散歩に誘ってくれた。
昨日は海で、今日は山を通って朝市へ。
ほとんど人はいないけど、きっとこの山道はウォーキングコースなんだろう、忘れた頃にポツポツとすれ違う。
ざっくりした部屋着のワンピースのまま出てきたわたしは那智さんのたのしいおもちゃ。
チラッと裾をめくる。
(あれ、なぜノーパンだったのだろう?)
きゃあとうつむくけれど、もういい加減わたしは自分のことがわかっている。
恥ずかしいのは恥ずかしいけど、露出行為に感じてしまうのは否定できない。
人がほとんどいない、でも、いる瞬間がある場面は陶酔するには好条件になってしまう。
那智さんもわたしが感じていることがわかるから、きっとたのしいのだろう、どんどん大胆になっていく。
前だけ胸のあたりまでめくったまま、今度は裾を全部持ち上げて下半身を丸出しにしたまま、歩く。
恥ずかしくて下を向きながら、裾を握られていて、わたしはヨチヨチ歩く。
下半身を丸出しにしてヨチヨチ歩く自分に、なんともいえない羞恥心と自己愛と解放感。
眼下に民家が見える。
ずいぶん遠いからわからないとは思うけど、わたしはあえてそちらに見て、ここが外だと子宮に焼き付けた。
さて、お散歩も終わって、昨日買ったグレープフルーツをいただく。
那智さんが剥いて房からも出してくれて、ひとつずつ口に運んでくれる、とーーーーってもおいしい^^
お借りしたマンションなのでふたりでせっせとお掃除。
昨日のお寿司屋さんにテイクアウトの予約を入れて、タクシーを呼んで、帰りは指定券を買っておいた特急列車。
さすが特急の指定席、ちゃんとたくさん乗客はいるので、行きのようなことになならず(でも、ちょっとだけ露出はした^^;)
残った焼酎とお寿司を堪能してターミナル駅に到着。
ここから別々の路線に乗り換える。
まだすこし時間があったから、駅構内で那智さんが変わったあんぱんを買ってくれた。
あんぱんといいつつ、あん以外にも抹茶やクリームのもあるのだ。
ひとりずつ味を選んで、半分こ。
駅の片隅で、どっちがおいしいか比べながらいただいた。
こんなふうに那智さんは最後の最後までたのしい時間にしようとしてくれる。
わたしはもともと特別旅行好きというわけではなかった。
独身の頃にはハワイが好きで定期的に訪れていたけど、それ以外は積極的に行きたいと思っていなかった。
なんていうか、キレイな景色や知らないことを知りたいという探究心があまりないみたいなんだ。
それは普段の生活でもそうで、お気に入りお店のお気に入りのメニューさえあればまったく不自由ないというタイプ。
だから、わたしは国内でも行ったことがないところが山ほどある^^;
那智さんは反対に旅行が好きな人。
一人旅で離島に行ったり、山登ったり、わたしの知らない景色をたくさん知っている。
那智さんに連れて行ってもらうようになってから、キレイな景色を見ることや知らない土地に行くことが好きになった。
最近では出かけた先にお城を探して観光するほどだ(こんなこともしない人だった)
わたしは那智さんとふたりで旅行することが大好き。
一緒に電車に乗って、キレイな景色をみて、おいしいお料理をいただく。
ハプニングもたのしんで、小さなで出来事も心に刻みたい。
好きな人といろいろなことを共有することは幸せだ。
でも、わたしが那智さんと行く旅行が好きになったのは、それだけじゃないと思う。
きっと、那智さんが最後の最後までたのしいにしようとしてくれる人だからだ。
だから、わたしは那智さんとふたりで行く旅行が、特別大好き^^
「等式」感想です。みなさん旅行の最後は、良い印象ありますか?私は旅行の最後までテンションや、その思いを共に遊んだ人と楽しい思いを共有したいと思う。まあ、それなりの人は、旅行の最後は、疲労と、気力の低下の為、それなりの最後になる。
私の信ずる友人たちは、最後の最後まで楽しく終わることを共有してくれる。楽しいし、誇りに思う友人たちです。だから、私は旅行の最後を一番大事にしたいと思っています。りん子はそれを体験で感じてくれている。俺を信じて、乗れば楽しい旅の終わりになると、そんなりん子が愛しいです。
りん子(^-^) り「那智さん、お酒飲んでました?」那「ピンポーン、素面であんなこと書くわけないじゃーん(笑)」 ということで、アルコール入り那智さんのツイートでした(笑)
旅行の最後は覚え書き程度です。
まだ6時台。
早朝のお散歩に誘ってくれた。
昨日は海で、今日は山を通って朝市へ。
ほとんど人はいないけど、きっとこの山道はウォーキングコースなんだろう、忘れた頃にポツポツとすれ違う。
ざっくりした部屋着のワンピースのまま出てきたわたしは那智さんのたのしいおもちゃ。
チラッと裾をめくる。
(あれ、なぜノーパンだったのだろう?)
きゃあとうつむくけれど、もういい加減わたしは自分のことがわかっている。
恥ずかしいのは恥ずかしいけど、露出行為に感じてしまうのは否定できない。
人がほとんどいない、でも、いる瞬間がある場面は陶酔するには好条件になってしまう。
那智さんもわたしが感じていることがわかるから、きっとたのしいのだろう、どんどん大胆になっていく。
前だけ胸のあたりまでめくったまま、今度は裾を全部持ち上げて下半身を丸出しにしたまま、歩く。
恥ずかしくて下を向きながら、裾を握られていて、わたしはヨチヨチ歩く。
下半身を丸出しにしてヨチヨチ歩く自分に、なんともいえない羞恥心と自己愛と解放感。
眼下に民家が見える。
ずいぶん遠いからわからないとは思うけど、わたしはあえてそちらに見て、ここが外だと子宮に焼き付けた。
さて、お散歩も終わって、昨日買ったグレープフルーツをいただく。
那智さんが剥いて房からも出してくれて、ひとつずつ口に運んでくれる、とーーーーってもおいしい^^
お借りしたマンションなのでふたりでせっせとお掃除。
昨日のお寿司屋さんにテイクアウトの予約を入れて、タクシーを呼んで、帰りは指定券を買っておいた特急列車。
さすが特急の指定席、ちゃんとたくさん乗客はいるので、行きのようなことになならず(でも、ちょっとだけ露出はした^^;)
残った焼酎とお寿司を堪能してターミナル駅に到着。
ここから別々の路線に乗り換える。
まだすこし時間があったから、駅構内で那智さんが変わったあんぱんを買ってくれた。
あんぱんといいつつ、あん以外にも抹茶やクリームのもあるのだ。
ひとりずつ味を選んで、半分こ。
駅の片隅で、どっちがおいしいか比べながらいただいた。
こんなふうに那智さんは最後の最後までたのしい時間にしようとしてくれる。
わたしはもともと特別旅行好きというわけではなかった。
独身の頃にはハワイが好きで定期的に訪れていたけど、それ以外は積極的に行きたいと思っていなかった。
なんていうか、キレイな景色や知らないことを知りたいという探究心があまりないみたいなんだ。
それは普段の生活でもそうで、お気に入りお店のお気に入りのメニューさえあればまったく不自由ないというタイプ。
だから、わたしは国内でも行ったことがないところが山ほどある^^;
那智さんは反対に旅行が好きな人。
一人旅で離島に行ったり、山登ったり、わたしの知らない景色をたくさん知っている。
那智さんに連れて行ってもらうようになってから、キレイな景色を見ることや知らない土地に行くことが好きになった。
最近では出かけた先にお城を探して観光するほどだ(こんなこともしない人だった)
わたしは那智さんとふたりで旅行することが大好き。
一緒に電車に乗って、キレイな景色をみて、おいしいお料理をいただく。
ハプニングもたのしんで、小さなで出来事も心に刻みたい。
好きな人といろいろなことを共有することは幸せだ。
でも、わたしが那智さんと行く旅行が好きになったのは、それだけじゃないと思う。
きっと、那智さんが最後の最後までたのしいにしようとしてくれる人だからだ。
だから、わたしは那智さんとふたりで行く旅行が、特別大好き^^
「等式」感想です。みなさん旅行の最後は、良い印象ありますか?私は旅行の最後までテンションや、その思いを共に遊んだ人と楽しい思いを共有したいと思う。まあ、それなりの人は、旅行の最後は、疲労と、気力の低下の為、それなりの最後になる。
私の信ずる友人たちは、最後の最後まで楽しく終わることを共有してくれる。楽しいし、誇りに思う友人たちです。だから、私は旅行の最後を一番大事にしたいと思っています。りん子はそれを体験で感じてくれている。俺を信じて、乗れば楽しい旅の終わりになると、そんなりん子が愛しいです。
りん子(^-^) り「那智さん、お酒飲んでました?」那「ピンポーン、素面であんなこと書くわけないじゃーん(笑)」 ということで、アルコール入り那智さんのツイートでした(笑)
NUDE9
独特な幸福感
一大イベントのヌード撮影を終了したけれど、もうひとつ大事な作業が残っていた。
その写真を本にするのだ。
そこまでする?とツッコミたくなるけれど、これはどちらかというと那智さんのほうが積極的だったような感じがする(どうですか?那智さん)
というか、目先のことですぐfullになってしまうわたしは撮影したこととデータがあることでもう充分満足な気持ちになっていて、やるなら最後まできっちりの那智さんが引っぱってくれたということも否定できない(笑)
撮影のプランにも写真集もセットになっているものもあったけど、お値段やページ数などを考えると自分たちで作ったほうが良いと判断、わたしがその編集作業を任されたのだ。
「そんな技術ない」「更新作業の合間に大変」としのごのいうわたしに適当なフォトブックを作ってくれるサービスを見つけ、作業開始までは一緒に立ち上げてくれて、あとは編集を楽しめばいいと、(強制的)スタートを切ってくれた(笑)
基本、構成はわたしの任せるけど、位置づけとしては『写真を残す』こと、だからあまり技術的に凝ったものではないほうがいいという那智さんの希望を聞いて、写真集作りがはじまった。
いまは便利なサービスがあるのよね。
ソフトをダウンロードして、そのソフト内で編集作業ができるの。
わたしのような素人でも簡単にできるように、枠組みや背景などある程度出来上がったものの中から選べたりするのもありがたい。
モノクロなどの画像編集もわかりやすくできていて、いろいろ楽しめる。
まず、サンプルとして何ページか作ってみた。
大きな枠組みや漫画のコマのうようなものいろいろな大きさや形に写真を収めてみる。
同じ写真をモノクロやセピアにしてみたり、色彩を極端に変えてみたり。
このソフトではこんなことができますよ、というサンプルを作ってイメージを広げてみた。
そして、会う日にパソコンを持参して見てもらい、できるだけ那智さんの好みやイメージにわたしの好みを近づけようとした。
やはり、あえて色彩を変えてポップアートみたいにしたものは却下されて、そのほかは概ね問題なかったので、わたしなりの指針はできた。
また、那智さんに「これだけは絶対入れて」という写真を数枚選んでもらい、「俺が写っているのは1枚あればいい」という希望も聞き(笑)いざ本番用の編集開始。
この「絶対入れて」がわたしの好みと違うもの不思議だった。
あまり編集に凝らず、大きめの枠組みの中で飽きない程度に変化をつける。
同じポーズで違う表情を並べたり、笑顔の次のページはちょっと真面目な表情にしたり、バランスを考えながら時折、見開きの大きな写真や小さな写真をたくさん、モノクロなのど変化もつける。
なかなか楽しい作業だった。
かなりナルな作業を楽しんでいた中^^;
それ以外にも楽しみにしていることがあった。
それは那智さんに喜んでもらいたいということ、もっというと喜ぶ那智さんの隣りにいたいということ。
那智さんは日頃感情を露わにすることが少ない人だ。
一定の良好な機嫌をいつも保ってくれている。
酔っ払いさんのときははちゃめちゃするけど、それも『感情的』とか『感情に流されて』ということとは違っている。
だから、わたしは那智さんの『感情がたまらず溢れて』みたいな状態に飢えている(笑)
ただ、基本、感情的じゃない那智さんが好きなわけだし、上下の立場としてはあまり那智さんが溢れる過ぎるのも、わたしが仕掛け過ぎるのも適切ではないと思っているので、9年の付き合いでせいぜい【浴衣】を着てびっくりさせることが精一杯。
包みを開いて「おお!!」という那智さん。
ページをめくり「いいね〜〜♪」と思わずいう那智さん。
だから、写真集作りはその『たまらず溢れる』那智さんを味わえる滅多にない機会だと思って、楽しみにしていたのだ。
なんでも那智さんの良いようにが安心なわたしだから、本来なら発注をかける前に見てもらうほうが断然いいのだけど、そんな気持ちから我慢^^
那智さんも「俺が見たほうがよければ見るけど、見なくていいなら見ないよ」と思うようにしてくれた。
ところが、この溢れる那智さんの隣りにいたい作戦が、読者の方々にはどーーーでもいいことな、でも、わたしらしい出来事に発展していくのだった。
タイトル、ふたりの名前、その他文字も入れ完成。
発注をかけて、あとは到着を待つばかり。
告知してある発送日を見ると月曜日、大手宅配便で送られてくるのでトラブルさえなければ翌日到着(便利な世の中です)、那智さんのお仕事場に届くことにしてあるから水曜日に会う約束のときに間に合う算段だった。
火曜日に届いたら水曜日に持ってきてくださいね!!
那智さん、火曜日に見ちゃいます?
うん、見るよ
わたしったら、これに軽くショックを受けてしまった。
特に約束していたわけではないけれど、『那智さんは見ないでおいて、水曜日に一緒に見てくれる』と勝手に想像していたのだ。
那智さんが喜んでくれたり驚いてくれたり、感情が溢れる滅多にない機会を一緒にいたいと思って、ひとり作業を進めてきた。
だから、てっきりその意図が伝わっていると思ってしまっていたのだ。
事情を説明すると。
俺は『りん子と一緒に見る』ことには価値を見いだすけど、誰が最初に見るかは拘らない
俺と一緒に最初に見たければ、りん子のところに届くように変更してもいいし、見ないでほしいと言われれば見ないようにするよ
だけど、俺が最初に見ておいて、水曜日に焦らしながら見るほうがりん子楽しくない?
最初に一緒に見る楽しみを、わたしが楽しみにしていることを、叶えてくれるものだと勝手に思っていた、この気持ちはすこし『娘』だ。
お父さんは、わたしがびっくりさせようと準備したことで驚いてくれて喜んでくれて、褒めてくれる、そして、その機会を当たり前に作ってくれるという『娘』的無邪気な驕りだった。
困った。
我が家に送ってもらうか、それも若干危険だし、もし危険がなかったとしてもわたしひとりで見てもさほどうれしくない。
見ないでと頼もうか、それもまったく那智さんのことを考えていないかなり自己中心的な発想で、それを口にする自分は楽しくない。
たかが写真集をいつ誰が見るかということだけなのに、自分の理想と現実的な諸事情や那智さんの気持ちなどが絡み合って、ひとりぐるぐる、なかなか答えが出せない。
しばらく考えて、これはわたしたちの関係でふさわしいやり方にしようと答えを出した。
わたしたちに於いてどちらが主導してどちらがそれについていくか、どちらが楽しませてどちらが楽しむか。
那智さんの主導で那智さんが作った時間にわたしはついていき素直に楽しんだり心を動かす。
上下や父性と娘の関係がそれだ。
それに従えば、那智さんが最初に見て中身を把握してからわたしに見せて焦らしたり褒めたり感想を言い合うほうが正解なのだ。
それに、那智さんはウソやお世辞を言いたくない人。
仮に、イマイチな写真や構成があったとして、一緒にはじめて見たらきっとそれを正直に表してしまうだろう。
これが、もし先にひとりで見ていたら、イマイチなことを違う角度から評価したり、別の言葉で表現したり、わたしが悲しくならないようにしてくれるワンクッションの余裕が生まれるはずなんだ。
ウソやお世辞がないことは本当のことを言ってくれていると信頼できる良さはあるけど、場合によっては悲しくなってしまうことも必要悪としてついて回る。
わたしは、これに散々やられたので(笑)悲しくなって迷惑をかけるくらいなら先に見てもらうほうがいい。
那智さんからしたら、先に見ておいたほうがラクなはず。
那智さんを驚かせて感情が溢れるところが見たいという希望より、お任せして主導してもらうほうが、わたしには合っているし、ふたりにとっても楽しいはずだ。
那智さんは信じて委ねれば悪いようにはしないでいてくれる。
万が一イマイチなものがあったとして、那智さんが先に見ておいたほうが那智さんもラクですよね
わたしも不必要に悲しくならずにすみます
だから、先にご覧ください、で、水曜日、一緒に見てください
こんなふうにお願いして、結局配送先は変えずにおいた。
高速で事故があったりで火曜日に届くか危ぶまれるハプニングなどもありながら、無事那智さんのもとに届き、開封して見てもらった。
ちょうどお電話できる時間帯だったので、電話越しに喜んでもらっている様子を感じられてホクホク、翌日、一緒に見られることを楽しみに。
タイトルは『薬指の刺青』
タイトルの下には名前と付き合いはじめの西暦を入れて。
写真集自体が思った以上に大きくて、タイトルのフォントサイズをもうすこし小さくすればよかったと反省点もあるけど、でも、やはりパソコンの画面で編集しながら見ていたものより、紙に載るということは迫力が違って、とてもとてもうれしくて気持ちがいい。
カバンからなかなか出してくれなかったり、那智さんのペースでページをめくられたり、焦らされきゃあきゃあ言いながら、那智さんの手のひらでコロコロはしゃいでいた。
やっぱり、わたしたち関係は那智さんが主導してわたしが乗っかるほうがいい。
わたしが那智さんを楽しませたり驚かせたり、心を大きく揺さぶることは基本はなくていいのだ。
那智さんがうれしいとわたしは幸せでわたしがうれしいと那智さんもうれしい。
わたしの幸せも那智さんの幸せも那智さん次第の『対等で上下』はこういうこと^^
撮影から写真集作り、なかなか壮大な(!)イベントはふたりの関係を再認識する良い機会にもなりました^^
ところで。
面白いことに「那智さんが絶対入れて」という写真たちは、わたしだったら選ばないだろうなというものが多く含まれていた。
もっとキレイに撮れているものもあるのにそうじゃないのだったり、やけに生々しい体つきに写っているものだったり、男女の目なのか、それとも那智さんとわたしの『写真に対する目的』が違うのかわからない。
不思議に思いイマイチな1枚を指して、なぜそれを選んだのか聞いてみると「優しそうだから」ということだった。
写真集ができあがってあらためてお互いのNo.1ショットをあげてみたら、やはりその中の一枚を那智さんは選んだ。
(わたしは『これわたし!?』の奇跡の1枚^^)
理由は「りん子だから」。
わたしが選んだような奇跡の1枚ももちろん『りん子』という人間に間違いはないのだけど、それはキレイに写ったりん子であって、日頃那智さんは見ている、好きでいてくれる『りん子』ではないという。
それより奇跡の美人さんではないけれど、普通のわたしにより近い『りん子』のほうを好きな1枚に選んでくれたのだ。
わたしだったら写真集に入れる候補にもならないような写真。
かなり素のわたしに近い写真。
せっかくメイクして照明当てて撮影したのに、より素に近いものが選ばれたことに肩すかしを食らったような、でも一方で、ものすごい安堵を感じた。
那智さんは作り物よりもわたしでいるほうを選んでくれたから、『キレイ』だからじゃなくて『りん子』らしいほうが好きと言ってくれたから。
女だものキレイでいたい。
男だったらキレイなほうがいいだろう。
でも、どうしたって美(主に若さ)は時間の経過とともに衰えるものだ。
だから『あなただから』で選んでくれることは、安堵の幸福になる。
那智さんが選んだNo.1ショットは『優しそうだから』と選んでくれた1枚だった。
わたしはいつまでも那智さんにとって『りん子らしい』写真写りができるようでありたいと思うのでした^^
<関連エントリー>
『NUDE12345678』
『浴衣大作戦12』
NUDE9の感想です。充実した写真集が出来ました。普段見ているけれど、その1コマは写真に撮ることは出来ないだろうなと思うような、部分を写真に残せることは嬉しく思いました。先日、出張先で知人のM女さんにお見せできることが出来ました。喜んで頂き光栄でした、ありがとうございました。
一大イベントのヌード撮影を終了したけれど、もうひとつ大事な作業が残っていた。
その写真を本にするのだ。
そこまでする?とツッコミたくなるけれど、これはどちらかというと那智さんのほうが積極的だったような感じがする(どうですか?那智さん)
というか、目先のことですぐfullになってしまうわたしは撮影したこととデータがあることでもう充分満足な気持ちになっていて、やるなら最後まできっちりの那智さんが引っぱってくれたということも否定できない(笑)
撮影のプランにも写真集もセットになっているものもあったけど、お値段やページ数などを考えると自分たちで作ったほうが良いと判断、わたしがその編集作業を任されたのだ。
「そんな技術ない」「更新作業の合間に大変」としのごのいうわたしに適当なフォトブックを作ってくれるサービスを見つけ、作業開始までは一緒に立ち上げてくれて、あとは編集を楽しめばいいと、(強制的)スタートを切ってくれた(笑)
基本、構成はわたしの任せるけど、位置づけとしては『写真を残す』こと、だからあまり技術的に凝ったものではないほうがいいという那智さんの希望を聞いて、写真集作りがはじまった。
いまは便利なサービスがあるのよね。
ソフトをダウンロードして、そのソフト内で編集作業ができるの。
わたしのような素人でも簡単にできるように、枠組みや背景などある程度出来上がったものの中から選べたりするのもありがたい。
モノクロなどの画像編集もわかりやすくできていて、いろいろ楽しめる。
まず、サンプルとして何ページか作ってみた。
大きな枠組みや漫画のコマのうようなものいろいろな大きさや形に写真を収めてみる。
同じ写真をモノクロやセピアにしてみたり、色彩を極端に変えてみたり。
このソフトではこんなことができますよ、というサンプルを作ってイメージを広げてみた。
そして、会う日にパソコンを持参して見てもらい、できるだけ那智さんの好みやイメージにわたしの好みを近づけようとした。
やはり、あえて色彩を変えてポップアートみたいにしたものは却下されて、そのほかは概ね問題なかったので、わたしなりの指針はできた。
また、那智さんに「これだけは絶対入れて」という写真を数枚選んでもらい、「俺が写っているのは1枚あればいい」という希望も聞き(笑)いざ本番用の編集開始。
この「絶対入れて」がわたしの好みと違うもの不思議だった。
あまり編集に凝らず、大きめの枠組みの中で飽きない程度に変化をつける。
同じポーズで違う表情を並べたり、笑顔の次のページはちょっと真面目な表情にしたり、バランスを考えながら時折、見開きの大きな写真や小さな写真をたくさん、モノクロなのど変化もつける。
なかなか楽しい作業だった。
かなりナルな作業を楽しんでいた中^^;
それ以外にも楽しみにしていることがあった。
それは那智さんに喜んでもらいたいということ、もっというと喜ぶ那智さんの隣りにいたいということ。
那智さんは日頃感情を露わにすることが少ない人だ。
一定の良好な機嫌をいつも保ってくれている。
酔っ払いさんのときははちゃめちゃするけど、それも『感情的』とか『感情に流されて』ということとは違っている。
だから、わたしは那智さんの『感情がたまらず溢れて』みたいな状態に飢えている(笑)
ただ、基本、感情的じゃない那智さんが好きなわけだし、上下の立場としてはあまり那智さんが溢れる過ぎるのも、わたしが仕掛け過ぎるのも適切ではないと思っているので、9年の付き合いでせいぜい【浴衣】を着てびっくりさせることが精一杯。
包みを開いて「おお!!」という那智さん。
ページをめくり「いいね〜〜♪」と思わずいう那智さん。
だから、写真集作りはその『たまらず溢れる』那智さんを味わえる滅多にない機会だと思って、楽しみにしていたのだ。
なんでも那智さんの良いようにが安心なわたしだから、本来なら発注をかける前に見てもらうほうが断然いいのだけど、そんな気持ちから我慢^^
那智さんも「俺が見たほうがよければ見るけど、見なくていいなら見ないよ」と思うようにしてくれた。
ところが、この溢れる那智さんの隣りにいたい作戦が、読者の方々にはどーーーでもいいことな、でも、わたしらしい出来事に発展していくのだった。
タイトル、ふたりの名前、その他文字も入れ完成。
発注をかけて、あとは到着を待つばかり。
告知してある発送日を見ると月曜日、大手宅配便で送られてくるのでトラブルさえなければ翌日到着(便利な世の中です)、那智さんのお仕事場に届くことにしてあるから水曜日に会う約束のときに間に合う算段だった。
火曜日に届いたら水曜日に持ってきてくださいね!!
那智さん、火曜日に見ちゃいます?
うん、見るよ
わたしったら、これに軽くショックを受けてしまった。
特に約束していたわけではないけれど、『那智さんは見ないでおいて、水曜日に一緒に見てくれる』と勝手に想像していたのだ。
那智さんが喜んでくれたり驚いてくれたり、感情が溢れる滅多にない機会を一緒にいたいと思って、ひとり作業を進めてきた。
だから、てっきりその意図が伝わっていると思ってしまっていたのだ。
事情を説明すると。
俺は『りん子と一緒に見る』ことには価値を見いだすけど、誰が最初に見るかは拘らない
俺と一緒に最初に見たければ、りん子のところに届くように変更してもいいし、見ないでほしいと言われれば見ないようにするよ
だけど、俺が最初に見ておいて、水曜日に焦らしながら見るほうがりん子楽しくない?
最初に一緒に見る楽しみを、わたしが楽しみにしていることを、叶えてくれるものだと勝手に思っていた、この気持ちはすこし『娘』だ。
お父さんは、わたしがびっくりさせようと準備したことで驚いてくれて喜んでくれて、褒めてくれる、そして、その機会を当たり前に作ってくれるという『娘』的無邪気な驕りだった。
困った。
我が家に送ってもらうか、それも若干危険だし、もし危険がなかったとしてもわたしひとりで見てもさほどうれしくない。
見ないでと頼もうか、それもまったく那智さんのことを考えていないかなり自己中心的な発想で、それを口にする自分は楽しくない。
たかが写真集をいつ誰が見るかということだけなのに、自分の理想と現実的な諸事情や那智さんの気持ちなどが絡み合って、ひとりぐるぐる、なかなか答えが出せない。
しばらく考えて、これはわたしたちの関係でふさわしいやり方にしようと答えを出した。
わたしたちに於いてどちらが主導してどちらがそれについていくか、どちらが楽しませてどちらが楽しむか。
那智さんの主導で那智さんが作った時間にわたしはついていき素直に楽しんだり心を動かす。
上下や父性と娘の関係がそれだ。
それに従えば、那智さんが最初に見て中身を把握してからわたしに見せて焦らしたり褒めたり感想を言い合うほうが正解なのだ。
それに、那智さんはウソやお世辞を言いたくない人。
仮に、イマイチな写真や構成があったとして、一緒にはじめて見たらきっとそれを正直に表してしまうだろう。
これが、もし先にひとりで見ていたら、イマイチなことを違う角度から評価したり、別の言葉で表現したり、わたしが悲しくならないようにしてくれるワンクッションの余裕が生まれるはずなんだ。
ウソやお世辞がないことは本当のことを言ってくれていると信頼できる良さはあるけど、場合によっては悲しくなってしまうことも必要悪としてついて回る。
わたしは、これに散々やられたので(笑)悲しくなって迷惑をかけるくらいなら先に見てもらうほうがいい。
那智さんからしたら、先に見ておいたほうがラクなはず。
那智さんを驚かせて感情が溢れるところが見たいという希望より、お任せして主導してもらうほうが、わたしには合っているし、ふたりにとっても楽しいはずだ。
那智さんは信じて委ねれば悪いようにはしないでいてくれる。
万が一イマイチなものがあったとして、那智さんが先に見ておいたほうが那智さんもラクですよね
わたしも不必要に悲しくならずにすみます
だから、先にご覧ください、で、水曜日、一緒に見てください
こんなふうにお願いして、結局配送先は変えずにおいた。
高速で事故があったりで火曜日に届くか危ぶまれるハプニングなどもありながら、無事那智さんのもとに届き、開封して見てもらった。
ちょうどお電話できる時間帯だったので、電話越しに喜んでもらっている様子を感じられてホクホク、翌日、一緒に見られることを楽しみに。
タイトルは『薬指の刺青』
タイトルの下には名前と付き合いはじめの西暦を入れて。
写真集自体が思った以上に大きくて、タイトルのフォントサイズをもうすこし小さくすればよかったと反省点もあるけど、でも、やはりパソコンの画面で編集しながら見ていたものより、紙に載るということは迫力が違って、とてもとてもうれしくて気持ちがいい。
カバンからなかなか出してくれなかったり、那智さんのペースでページをめくられたり、焦らされきゃあきゃあ言いながら、那智さんの手のひらでコロコロはしゃいでいた。
やっぱり、わたしたち関係は那智さんが主導してわたしが乗っかるほうがいい。
わたしが那智さんを楽しませたり驚かせたり、心を大きく揺さぶることは基本はなくていいのだ。
那智さんがうれしいとわたしは幸せでわたしがうれしいと那智さんもうれしい。
わたしの幸せも那智さんの幸せも那智さん次第の『対等で上下』はこういうこと^^
撮影から写真集作り、なかなか壮大な(!)イベントはふたりの関係を再認識する良い機会にもなりました^^
ところで。
面白いことに「那智さんが絶対入れて」という写真たちは、わたしだったら選ばないだろうなというものが多く含まれていた。
もっとキレイに撮れているものもあるのにそうじゃないのだったり、やけに生々しい体つきに写っているものだったり、男女の目なのか、それとも那智さんとわたしの『写真に対する目的』が違うのかわからない。
不思議に思いイマイチな1枚を指して、なぜそれを選んだのか聞いてみると「優しそうだから」ということだった。
写真集ができあがってあらためてお互いのNo.1ショットをあげてみたら、やはりその中の一枚を那智さんは選んだ。
(わたしは『これわたし!?』の奇跡の1枚^^)
理由は「りん子だから」。
わたしが選んだような奇跡の1枚ももちろん『りん子』という人間に間違いはないのだけど、それはキレイに写ったりん子であって、日頃那智さんは見ている、好きでいてくれる『りん子』ではないという。
それより奇跡の美人さんではないけれど、普通のわたしにより近い『りん子』のほうを好きな1枚に選んでくれたのだ。
わたしだったら写真集に入れる候補にもならないような写真。
かなり素のわたしに近い写真。
せっかくメイクして照明当てて撮影したのに、より素に近いものが選ばれたことに肩すかしを食らったような、でも一方で、ものすごい安堵を感じた。
那智さんは作り物よりもわたしでいるほうを選んでくれたから、『キレイ』だからじゃなくて『りん子』らしいほうが好きと言ってくれたから。
女だものキレイでいたい。
男だったらキレイなほうがいいだろう。
でも、どうしたって美(主に若さ)は時間の経過とともに衰えるものだ。
だから『あなただから』で選んでくれることは、安堵の幸福になる。
那智さんが選んだNo.1ショットは『優しそうだから』と選んでくれた1枚だった。
わたしはいつまでも那智さんにとって『りん子らしい』写真写りができるようでありたいと思うのでした^^
<関連エントリー>
『NUDE12345678』
『浴衣大作戦12』
NUDE9の感想です。充実した写真集が出来ました。普段見ているけれど、その1コマは写真に撮ることは出来ないだろうなと思うような、部分を写真に残せることは嬉しく思いました。先日、出張先で知人のM女さんにお見せできることが出来ました。喜んで頂き光栄でした、ありがとうございました。
クリスマスに
独特な幸福感
那智さんは【わたしの周囲も幸せにする】と掲げてから、我が子のことにもずいぶん介入している。
我が子が一歩間違えば深刻ないじめの対象になりかねない出来事があったとき、ずいぶん時間を割いて相談に乗ってくれたし、さらに、その原因の子への接しまで教えてくれた。
ホテルで2時間我が子の進路で話し合ってくれたこともある。
【ちょっと変わった我が子】への不安や戸惑いを聞いてもらい、そこから起こる問題への対処方法を考えてくれた。
もちろん直接知っているわけではないので那智さん的な一般論とわたしから聞く我が子像をもとに考える対処方法なので完璧ではないかもしれないし、不倫という立場ゆえに倫理的には問題があるとしても、本当に助けてもらっていた。
俺は、俺の知っているりん子の全部に関わる
と言ってくれているので本当にいろいろなことに関わってくれている、我が子のこともそれにのっとって手助けしてくれている。
ただ母親というのは身勝手な生き物で自分で我が子の良くないところは自覚できているのに、他者からそこを指摘されると反発したくなるもの。
那智さんの『関わる』は我が子の良くないところにも踏み込んでくる。
ありがたい反面、「そこまでいう!?」と感じる種類のことも当然あるわけだ(笑)
相談したときだけではなく、話題提供程度のときにも「それはどうかと思う」と突っ込まれたりすると、どうしても反発してしまいたくなることも一度や二度じゃない。
(まあ、話題提供と言いつつ聞いてほしい何かがあったり、それによって『大丈夫』って言ってほしい気持ちもあるのはわかっているのですけどね、だから、指摘されると余計に反発したくなっちゃう)
できるだけ『聞いてもらっている、関わってくれている』と反発しないように努めるのだけど、いままでで一度だけその気持ちを露骨に表してしまったことがある。
あれはまだ出会ってそれほど経っていない頃だ。
肌寒かった記憶があるから、まだ1年経っていない頃かもしれない。
ホテルのチェックインの時間まで喫茶店でお茶をしていたんだ。
話の内容は忘れてしまったけど、どこの喫茶店でどの辺りの席だったかも憶えている^^;
相談するような深刻なことではなかったと思う、きっとわたしが我が子のことを話したんだ。
たぶん、上にも書いたような『話題提供を装って、肯定してほしい』ことだったんだと思う。
それに対して那智さんなりの答えか感想を言ってくれたのだ。
それが我が子の行く末を心配してくれてのことだったとしても、なんだかわたしと我が子丸ごと否定されているような気持ちになって『那智さんに何がわかるの!?』というような反発する態度を表してしまったのだ。
押し黙り、どんどん顔から表情がなくなっていって、不機嫌になる。
いまだって、気持ちが沈んで態度に表してしまうこともあるし、意見が食い違って反発してしまうことだってあるけれど、おそらく、ふたりの間で『わたしがもっとも怒りを表した』出来事だったと思う。
(【クマちゃんクッキー】のときも怒りを表したけど、あのときはそうしないと伝わらないと思って自覚的に怒ったから、例外^^)
あの頃のわたしはまだわかっていなかったんだよね。
『俺と付き合うことでりん子の周囲も幸せにする』と決め『俺の知っているりん子の全部に関わる』と宣言した那智さんの覚悟を。
関ってくれるということは、良いことばかりではない。
聞きたくないことだって聞かされるし、痛いところを突かれたりもする。
欲しい答えだけもらおうとすることは相談とは言わないし、関わってもらうとは違う。
あの不機嫌をあらわにした冬の日から何度となく相談して聞いてもらって、那智さんの関わり方を知っていき、こちら側の意識も変わっていった。
もちろん人によって関わり方はそれぞれ。
必要なときだけ手を差し伸べる人もいるだろうし、線引きもいろいろだ。
わたしは那智さんに関わってもらって生きていたい。
ならば、那智さんの関わり方を肯定する。
いつの頃からか、それを選んだ自分を自覚できて、それからは耳の痛いことも甘受できるようになった。
いまでも、保守的な那智さんとフェミなわたしの子育てでは相容れない部分はなきにしもあらずなんだけど(笑)
最近は『道しるべ』を指針にだいたいわたしだけで対処できるようになって来ているし、これは突っ込まれるな〜という話は話し方を選ぶようにしているし^^;、「この部分に関しては、もうアドバイスしないでください」とか「話を聞くだけでお願いします」とか事前に線を引いたりしているので、ずいぶん反発することはなくなった。
(それでも、先日、『この部分は』を宣言していたところで問題が生じたから、ごめんなさいして、また相談に乗ってもらったけど)
那智さんの関わるの覚悟。
関わってもらうこちら側の姿勢。
母親特有の思考。
『相談』ひとつ取っても、なかなか一筋縄ではいかないものだ。
とくに、全部関わる、全部知っていてほしい、と思っている上下関係の場合^^
まだ、付き合って間もない頃のいままででナンバー1の怒りモードの思い出^^
さて、今日はクリスマス。
巷では恋人や家族や仲間たちがにぎやかに過ごしている。
そんな中、たまには『りん子、不機嫌』の思い出話もおもしろいかと、今日はそんなエントリー。
皆さんも、大切な人との関わり合い方、プラスとマイナスを見据えて考えてみてはいかがでしょう^^
あ、せっかくのクリスマスなので楽しくね♪
<関連エントリー>
わたしの周囲も幸せにする
『はじめて会ってから』
ちょっと変わった我が子
『我が子』
クマちゃんクッキー
『夢見る頃をすぎても3 4』
「等式」感想です。クリスマス、普通ならばハッピィーな話題に終始する所をケンカの話題です。プチ那智が進んでいるような気がするのは私だけでしょうか。ともあれ、相手を信頼しつつ「1次的な感情」をぶつけるのは良いことだと思います。
那智さんは【わたしの周囲も幸せにする】と掲げてから、我が子のことにもずいぶん介入している。
我が子が一歩間違えば深刻ないじめの対象になりかねない出来事があったとき、ずいぶん時間を割いて相談に乗ってくれたし、さらに、その原因の子への接しまで教えてくれた。
ホテルで2時間我が子の進路で話し合ってくれたこともある。
【ちょっと変わった我が子】への不安や戸惑いを聞いてもらい、そこから起こる問題への対処方法を考えてくれた。
もちろん直接知っているわけではないので那智さん的な一般論とわたしから聞く我が子像をもとに考える対処方法なので完璧ではないかもしれないし、不倫という立場ゆえに倫理的には問題があるとしても、本当に助けてもらっていた。
俺は、俺の知っているりん子の全部に関わる
と言ってくれているので本当にいろいろなことに関わってくれている、我が子のこともそれにのっとって手助けしてくれている。
ただ母親というのは身勝手な生き物で自分で我が子の良くないところは自覚できているのに、他者からそこを指摘されると反発したくなるもの。
那智さんの『関わる』は我が子の良くないところにも踏み込んでくる。
ありがたい反面、「そこまでいう!?」と感じる種類のことも当然あるわけだ(笑)
相談したときだけではなく、話題提供程度のときにも「それはどうかと思う」と突っ込まれたりすると、どうしても反発してしまいたくなることも一度や二度じゃない。
(まあ、話題提供と言いつつ聞いてほしい何かがあったり、それによって『大丈夫』って言ってほしい気持ちもあるのはわかっているのですけどね、だから、指摘されると余計に反発したくなっちゃう)
できるだけ『聞いてもらっている、関わってくれている』と反発しないように努めるのだけど、いままでで一度だけその気持ちを露骨に表してしまったことがある。
あれはまだ出会ってそれほど経っていない頃だ。
肌寒かった記憶があるから、まだ1年経っていない頃かもしれない。
ホテルのチェックインの時間まで喫茶店でお茶をしていたんだ。
話の内容は忘れてしまったけど、どこの喫茶店でどの辺りの席だったかも憶えている^^;
相談するような深刻なことではなかったと思う、きっとわたしが我が子のことを話したんだ。
たぶん、上にも書いたような『話題提供を装って、肯定してほしい』ことだったんだと思う。
それに対して那智さんなりの答えか感想を言ってくれたのだ。
それが我が子の行く末を心配してくれてのことだったとしても、なんだかわたしと我が子丸ごと否定されているような気持ちになって『那智さんに何がわかるの!?』というような反発する態度を表してしまったのだ。
押し黙り、どんどん顔から表情がなくなっていって、不機嫌になる。
いまだって、気持ちが沈んで態度に表してしまうこともあるし、意見が食い違って反発してしまうことだってあるけれど、おそらく、ふたりの間で『わたしがもっとも怒りを表した』出来事だったと思う。
(【クマちゃんクッキー】のときも怒りを表したけど、あのときはそうしないと伝わらないと思って自覚的に怒ったから、例外^^)
あの頃のわたしはまだわかっていなかったんだよね。
『俺と付き合うことでりん子の周囲も幸せにする』と決め『俺の知っているりん子の全部に関わる』と宣言した那智さんの覚悟を。
関ってくれるということは、良いことばかりではない。
聞きたくないことだって聞かされるし、痛いところを突かれたりもする。
欲しい答えだけもらおうとすることは相談とは言わないし、関わってもらうとは違う。
あの不機嫌をあらわにした冬の日から何度となく相談して聞いてもらって、那智さんの関わり方を知っていき、こちら側の意識も変わっていった。
もちろん人によって関わり方はそれぞれ。
必要なときだけ手を差し伸べる人もいるだろうし、線引きもいろいろだ。
わたしは那智さんに関わってもらって生きていたい。
ならば、那智さんの関わり方を肯定する。
いつの頃からか、それを選んだ自分を自覚できて、それからは耳の痛いことも甘受できるようになった。
いまでも、保守的な那智さんとフェミなわたしの子育てでは相容れない部分はなきにしもあらずなんだけど(笑)
最近は『道しるべ』を指針にだいたいわたしだけで対処できるようになって来ているし、これは突っ込まれるな〜という話は話し方を選ぶようにしているし^^;、「この部分に関しては、もうアドバイスしないでください」とか「話を聞くだけでお願いします」とか事前に線を引いたりしているので、ずいぶん反発することはなくなった。
(それでも、先日、『この部分は』を宣言していたところで問題が生じたから、ごめんなさいして、また相談に乗ってもらったけど)
那智さんの関わるの覚悟。
関わってもらうこちら側の姿勢。
母親特有の思考。
『相談』ひとつ取っても、なかなか一筋縄ではいかないものだ。
とくに、全部関わる、全部知っていてほしい、と思っている上下関係の場合^^
まだ、付き合って間もない頃のいままででナンバー1の怒りモードの思い出^^
さて、今日はクリスマス。
巷では恋人や家族や仲間たちがにぎやかに過ごしている。
そんな中、たまには『りん子、不機嫌』の思い出話もおもしろいかと、今日はそんなエントリー。
皆さんも、大切な人との関わり合い方、プラスとマイナスを見据えて考えてみてはいかがでしょう^^
あ、せっかくのクリスマスなので楽しくね♪
<関連エントリー>
わたしの周囲も幸せにする
『はじめて会ってから』
ちょっと変わった我が子
『我が子』
クマちゃんクッキー
『夢見る頃をすぎても3 4』
「等式」感想です。クリスマス、普通ならばハッピィーな話題に終始する所をケンカの話題です。プチ那智が進んでいるような気がするのは私だけでしょうか。ともあれ、相手を信頼しつつ「1次的な感情」をぶつけるのは良いことだと思います。
性交と花弁と肉棒(笑)
独特な幸福感
那智さんはお下品な言葉を使う。
セックスやSM行為などの性的行いを総称して『おまんこ』だし。
性的な雰囲気を含めたいちゃいちゃすることなんて『こちょこちょっとやって』なんていう。
出し入れすることを、ああ、もう打つのもイヤなくらいな擬音で表現したりする。
職場で女性にそれらのことを言ったらセクハラで訴えられてしまいそうだ。
だけど、じつは、ひそかにわたしはその那智さんがキライじゃなかったりする。
もちろんTPOによっては「やめてください〜」となることもあるけれど、ほとんどの場合わたしとふたりっきりの会話でなのでたいがいは問題ないから、キライじゃないと言えるのだけどね。
(他の女性にするところはあまり見たくないなぁ、だって、それだけ心を許している証拠だもん)
なぜだろう。
那智さんは、それをことさら普通のことのようにいうのだ。
ときどきわざとふざけるトーンのときもあるけど、ほとんどは普通。
多少はわたしをからかう気持ちはあれど、どちらかというと『カッコつけるほうがカッコ悪い』という気持ちから発せられていると感じられるからじゃないかな。
濡れそぼった花弁じゃなくておまんこ。
そそり立つ肉棒じゃなくてちんちん。
だって、やることは同じだろ?
ということだと思う。
まあ、お下品はお下品だけど、どちらかというとええかっこしいのわたしにはこれくらいでいてくれたほうが、こちらがテレちゃうくらいにしておいてくれたほうが息が詰まらないのだよね。
だから、キライじゃない。
ついでに、大きな声では言えないけれど。
那智さんに『ちょこちょこっと』してほしい。
いやん、ズ◯、◯コって、していただいてるのね、わたし!?
なんでしょう、若干マゾ心を刺激するような。
那智さんの口にするお下品な言葉がちょっぴりこそばゆくて変態回路につながりそうで、クセになっているところはあるのだ。
つい、次を待ってしまう自分もいてトホホ。
居酒屋でパソコンを前に写真の仕分け作業。
壁を向いてTバックのお尻がカメラに写っている。
ここさ、ケツをもっとぐーっとあげたらいいのに〜(笑)
とカーソルでお尻をくるくるっとなぞる。
那智さん、わたしのそこは『ケツ』じゃありません、『お尻』っていうんです
大きな声では言えないけれど、那智さんのお下品な言葉はキライじゃない。
でも、面と向かって言われたら否定するのは女心なのだ。
「等式」感想です。性的な言葉を通常名詞や医学用語で呼ぶ方が卑猥でしょ。(笑)勿論、医療関係などの職業の人は除きますが。でも、風俗関係の人は1本2本とカウントしていると聞いたことがあります。言い難い言葉や話ほど、さらっと口に出すのが正解と自戒を込めて感じました。
那智さんはお下品な言葉を使う。
セックスやSM行為などの性的行いを総称して『おまんこ』だし。
性的な雰囲気を含めたいちゃいちゃすることなんて『こちょこちょっとやって』なんていう。
出し入れすることを、ああ、もう打つのもイヤなくらいな擬音で表現したりする。
職場で女性にそれらのことを言ったらセクハラで訴えられてしまいそうだ。
だけど、じつは、ひそかにわたしはその那智さんがキライじゃなかったりする。
もちろんTPOによっては「やめてください〜」となることもあるけれど、ほとんどの場合わたしとふたりっきりの会話でなのでたいがいは問題ないから、キライじゃないと言えるのだけどね。
(他の女性にするところはあまり見たくないなぁ、だって、それだけ心を許している証拠だもん)
なぜだろう。
那智さんは、それをことさら普通のことのようにいうのだ。
ときどきわざとふざけるトーンのときもあるけど、ほとんどは普通。
多少はわたしをからかう気持ちはあれど、どちらかというと『カッコつけるほうがカッコ悪い』という気持ちから発せられていると感じられるからじゃないかな。
濡れそぼった花弁じゃなくておまんこ。
そそり立つ肉棒じゃなくてちんちん。
だって、やることは同じだろ?
ということだと思う。
まあ、お下品はお下品だけど、どちらかというとええかっこしいのわたしにはこれくらいでいてくれたほうが、こちらがテレちゃうくらいにしておいてくれたほうが息が詰まらないのだよね。
だから、キライじゃない。
ついでに、大きな声では言えないけれど。
那智さんに『ちょこちょこっと』してほしい。
いやん、ズ◯、◯コって、していただいてるのね、わたし!?
なんでしょう、若干マゾ心を刺激するような。
那智さんの口にするお下品な言葉がちょっぴりこそばゆくて変態回路につながりそうで、クセになっているところはあるのだ。
つい、次を待ってしまう自分もいてトホホ。
居酒屋でパソコンを前に写真の仕分け作業。
壁を向いてTバックのお尻がカメラに写っている。
ここさ、ケツをもっとぐーっとあげたらいいのに〜(笑)
とカーソルでお尻をくるくるっとなぞる。
那智さん、わたしのそこは『ケツ』じゃありません、『お尻』っていうんです
大きな声では言えないけれど、那智さんのお下品な言葉はキライじゃない。
でも、面と向かって言われたら否定するのは女心なのだ。
「等式」感想です。性的な言葉を通常名詞や医学用語で呼ぶ方が卑猥でしょ。(笑)勿論、医療関係などの職業の人は除きますが。でも、風俗関係の人は1本2本とカウントしていると聞いたことがあります。言い難い言葉や話ほど、さらっと口に出すのが正解と自戒を込めて感じました。
あなたの心に^^
独り言
今年最後の更新です。
ヌード撮影の体験談『NUDE』は全部で8エントリー。
『惹かれ合う理由』の『旅』シリーズや『職業選択』の前振りの前振りなどのように大きく括るとシリーズ物なのは別にして、8話は過去最多なはず(調べてない^^;)
たとえば、いままでで長かった『那智さんの嫉妬』では嫉妬という事件や『夏の旅行』のように出来事盛りだくさんなどは、それなりに読む人も退屈しなかったかもしれないけど、ヌード撮影というかなり個人的な体験談を延々8話に渡って更新していたわけです。
作家やエッセイストの読み応えのある体験談や芸能人などのようにその人物自体に興味がそそられるものでもない、見ず知らずの一般人のブログ、エロもないし、ものすごい事件が起こるわけでもない、でもって続き物、基本退屈なはずなんです。
当然のように、あのシリーズの最初はカウンターが低かった(笑)
(画像を貼るようになって徐々に見に来てくれる回数が増えました^^)
当然だよね〜と二桁から増えないカウンターをチェックしながら、でも、わたし、うれしかった。
退屈なこと理解できますから(笑)
好意というキレイな感情だけじゃないものもあるでしょうし、単に習慣になってポチッとクリックしている人もいるでしょうから、全部をプラスと思っているわけではありませんが。
それでも来てくれる人っていうのは、何が書いてあるかだけではなく『りん子』を読みにいく対象にしてくれているんじゃないか。
二桁のカウンターの何割かの人にとって『等式』は見ず知らずの匿名のブログではなくて『那智とりん子』のブログになっているんじゃないか。
もしかしたら、いつの間にかちょっとだけその数人の心に『りん子』居座ってる!?
そんなふうに思えて。
平凡な体験談だったとしても、わたしだから来てくれる人が何人かいてくれるということは、とーっても幸せなこと。
そう思ったら、シリーズ中の低い数字がうれしかった^^
SMブログで数千件なんていうところだってある。
コミュニティが楽しそうなところもある。
『等式』はアダルトでもコミュニティでもなくて、『那智とりん子』ブログ^^
なんとなく、そのままでいいよって思えたので、うれしかったのです。
今年はこれが最後の更新になります。
明日から冬休みをいただきます。
新年の通常営業は1月6日(日)の予定です。
(ときどき『140字もどき』で登場するかも?)
いただいたコメントやメールへのお返事は遅くなってしまうかもしれませんが、必ずいたしますので、遠慮なく^^
今年も1年、お世話になりました。
いつも読んでくれてありがとう。
来年も『等式』が『あなた〜の心に〜、し の び こ む♪』になれたらいいな〜(これを知っている人は同世代 笑)
最後に那智さん。
今年もたくさんありがとうございます。
シウマイとビールリベンジたのしかったです、潮騒、あんまり聞こえなかったけど(笑)
雪の梅も夜のタワーもキレイでした。
サムギョプサルも中華ランチも、外国人シェフの揚げ出し豆腐もおいしかったです。
来年もたくさん一緒にいてくださいね。
では、では、皆さん、良いお年をお迎えくださいませ〜^^
<関連エントリー>
続き物集めてみました、目が眩む(笑)
年末年始の暇つぶしにいかがでしょう、那智さん^^
『はじめての旅1 2』
『2回目の旅1 2』
『3回目の旅1 2 3 4』
『職業選択(前振り1 2 3)』
『職業選択1 2 3 4 5 6』
『那智さんの嫉妬1 2 3 4 5 6 7』
『夏の旅行1 2 3 4 5 6 7』
今年最後の「等式」感想です。
いつもの感想なのですが、何か自分でハードル上げてどうするみたいな感じです。りん子も大分大人になったと言うか、物分りが良くなったと言うか。苦節、もうすぐ10年、色々な場面で成長を見ることが出来て、嬉しく思います。しかし、多少の違和感を感じるのです。
「等式」のりん子と現実のりん子は相違は無いのですが、外面が良すぎると言うか、普段だって、私の手に余るようなグズグズなどは昔から比べたら激減はしているのですが、そんなに手の掛からない女でもない気がする。(笑)別に、りん子に対しての不満は何も無いのですがこの違和感の正体が何なのかは、書きながら考えているのですがわかりません。もしかしたら、手を掛けたいと思っている「私」がいて、手が掛からなくなった「りん子」に対して不満があるのかもと、思ったら妙に納得してしまい、変な結論なってしまいました。事務所の大掃除で疲れ、訳の解らないツイートご容赦下さい。(笑)
りん子(^-^)那智さんの違和感は正しいです。おっしゃる通り、わたしは外面がいいのです(笑)実際のわたしは『等式』のりん子よりぐずぐずです。ただ、手のかかり方の質が変わってきたから、那智さんの好みではなくなったのかも?
今年最後の更新です。
ヌード撮影の体験談『NUDE』は全部で8エントリー。
『惹かれ合う理由』の『旅』シリーズや『職業選択』の前振りの前振りなどのように大きく括るとシリーズ物なのは別にして、8話は過去最多なはず(調べてない^^;)
たとえば、いままでで長かった『那智さんの嫉妬』では嫉妬という事件や『夏の旅行』のように出来事盛りだくさんなどは、それなりに読む人も退屈しなかったかもしれないけど、ヌード撮影というかなり個人的な体験談を延々8話に渡って更新していたわけです。
作家やエッセイストの読み応えのある体験談や芸能人などのようにその人物自体に興味がそそられるものでもない、見ず知らずの一般人のブログ、エロもないし、ものすごい事件が起こるわけでもない、でもって続き物、基本退屈なはずなんです。
当然のように、あのシリーズの最初はカウンターが低かった(笑)
(画像を貼るようになって徐々に見に来てくれる回数が増えました^^)
当然だよね〜と二桁から増えないカウンターをチェックしながら、でも、わたし、うれしかった。
退屈なこと理解できますから(笑)
好意というキレイな感情だけじゃないものもあるでしょうし、単に習慣になってポチッとクリックしている人もいるでしょうから、全部をプラスと思っているわけではありませんが。
それでも来てくれる人っていうのは、何が書いてあるかだけではなく『りん子』を読みにいく対象にしてくれているんじゃないか。
二桁のカウンターの何割かの人にとって『等式』は見ず知らずの匿名のブログではなくて『那智とりん子』のブログになっているんじゃないか。
もしかしたら、いつの間にかちょっとだけその数人の心に『りん子』居座ってる!?
そんなふうに思えて。
平凡な体験談だったとしても、わたしだから来てくれる人が何人かいてくれるということは、とーっても幸せなこと。
そう思ったら、シリーズ中の低い数字がうれしかった^^
SMブログで数千件なんていうところだってある。
コミュニティが楽しそうなところもある。
『等式』はアダルトでもコミュニティでもなくて、『那智とりん子』ブログ^^
なんとなく、そのままでいいよって思えたので、うれしかったのです。
今年はこれが最後の更新になります。
明日から冬休みをいただきます。
新年の通常営業は1月6日(日)の予定です。
(ときどき『140字もどき』で登場するかも?)
いただいたコメントやメールへのお返事は遅くなってしまうかもしれませんが、必ずいたしますので、遠慮なく^^
今年も1年、お世話になりました。
いつも読んでくれてありがとう。
来年も『等式』が『あなた〜の心に〜、し の び こ む♪』になれたらいいな〜(これを知っている人は同世代 笑)
最後に那智さん。
今年もたくさんありがとうございます。
シウマイとビールリベンジたのしかったです、潮騒、あんまり聞こえなかったけど(笑)
雪の梅も夜のタワーもキレイでした。
サムギョプサルも中華ランチも、外国人シェフの揚げ出し豆腐もおいしかったです。
来年もたくさん一緒にいてくださいね。
では、では、皆さん、良いお年をお迎えくださいませ〜^^
<関連エントリー>
続き物集めてみました、目が眩む(笑)
年末年始の暇つぶしにいかがでしょう、那智さん^^
『はじめての旅1 2』
『2回目の旅1 2』
『3回目の旅1 2 3 4』
『職業選択(前振り1 2 3)』
『職業選択1 2 3 4 5 6』
『那智さんの嫉妬1 2 3 4 5 6 7』
『夏の旅行1 2 3 4 5 6 7』
今年最後の「等式」感想です。
いつもの感想なのですが、何か自分でハードル上げてどうするみたいな感じです。りん子も大分大人になったと言うか、物分りが良くなったと言うか。苦節、もうすぐ10年、色々な場面で成長を見ることが出来て、嬉しく思います。しかし、多少の違和感を感じるのです。
「等式」のりん子と現実のりん子は相違は無いのですが、外面が良すぎると言うか、普段だって、私の手に余るようなグズグズなどは昔から比べたら激減はしているのですが、そんなに手の掛からない女でもない気がする。(笑)別に、りん子に対しての不満は何も無いのですがこの違和感の正体が何なのかは、書きながら考えているのですがわかりません。もしかしたら、手を掛けたいと思っている「私」がいて、手が掛からなくなった「りん子」に対して不満があるのかもと、思ったら妙に納得してしまい、変な結論なってしまいました。事務所の大掃除で疲れ、訳の解らないツイートご容赦下さい。(笑)
りん子(^-^)那智さんの違和感は正しいです。おっしゃる通り、わたしは外面がいいのです(笑)実際のわたしは『等式』のりん子よりぐずぐずです。ただ、手のかかり方の質が変わってきたから、那智さんの好みではなくなったのかも?