クリスマスに
独特な幸福感
那智さんは【わたしの周囲も幸せにする】と掲げてから、我が子のことにもずいぶん介入している。
我が子が一歩間違えば深刻ないじめの対象になりかねない出来事があったとき、ずいぶん時間を割いて相談に乗ってくれたし、さらに、その原因の子への接しまで教えてくれた。
ホテルで2時間我が子の進路で話し合ってくれたこともある。
【ちょっと変わった我が子】への不安や戸惑いを聞いてもらい、そこから起こる問題への対処方法を考えてくれた。
もちろん直接知っているわけではないので那智さん的な一般論とわたしから聞く我が子像をもとに考える対処方法なので完璧ではないかもしれないし、不倫という立場ゆえに倫理的には問題があるとしても、本当に助けてもらっていた。
俺は、俺の知っているりん子の全部に関わる
と言ってくれているので本当にいろいろなことに関わってくれている、我が子のこともそれにのっとって手助けしてくれている。
ただ母親というのは身勝手な生き物で自分で我が子の良くないところは自覚できているのに、他者からそこを指摘されると反発したくなるもの。
那智さんの『関わる』は我が子の良くないところにも踏み込んでくる。
ありがたい反面、「そこまでいう!?」と感じる種類のことも当然あるわけだ(笑)
相談したときだけではなく、話題提供程度のときにも「それはどうかと思う」と突っ込まれたりすると、どうしても反発してしまいたくなることも一度や二度じゃない。
(まあ、話題提供と言いつつ聞いてほしい何かがあったり、それによって『大丈夫』って言ってほしい気持ちもあるのはわかっているのですけどね、だから、指摘されると余計に反発したくなっちゃう)
できるだけ『聞いてもらっている、関わってくれている』と反発しないように努めるのだけど、いままでで一度だけその気持ちを露骨に表してしまったことがある。
あれはまだ出会ってそれほど経っていない頃だ。
肌寒かった記憶があるから、まだ1年経っていない頃かもしれない。
ホテルのチェックインの時間まで喫茶店でお茶をしていたんだ。
話の内容は忘れてしまったけど、どこの喫茶店でどの辺りの席だったかも憶えている^^;
相談するような深刻なことではなかったと思う、きっとわたしが我が子のことを話したんだ。
たぶん、上にも書いたような『話題提供を装って、肯定してほしい』ことだったんだと思う。
それに対して那智さんなりの答えか感想を言ってくれたのだ。
それが我が子の行く末を心配してくれてのことだったとしても、なんだかわたしと我が子丸ごと否定されているような気持ちになって『那智さんに何がわかるの!?』というような反発する態度を表してしまったのだ。
押し黙り、どんどん顔から表情がなくなっていって、不機嫌になる。
いまだって、気持ちが沈んで態度に表してしまうこともあるし、意見が食い違って反発してしまうことだってあるけれど、おそらく、ふたりの間で『わたしがもっとも怒りを表した』出来事だったと思う。
(【クマちゃんクッキー】のときも怒りを表したけど、あのときはそうしないと伝わらないと思って自覚的に怒ったから、例外^^)
あの頃のわたしはまだわかっていなかったんだよね。
『俺と付き合うことでりん子の周囲も幸せにする』と決め『俺の知っているりん子の全部に関わる』と宣言した那智さんの覚悟を。
関ってくれるということは、良いことばかりではない。
聞きたくないことだって聞かされるし、痛いところを突かれたりもする。
欲しい答えだけもらおうとすることは相談とは言わないし、関わってもらうとは違う。
あの不機嫌をあらわにした冬の日から何度となく相談して聞いてもらって、那智さんの関わり方を知っていき、こちら側の意識も変わっていった。
もちろん人によって関わり方はそれぞれ。
必要なときだけ手を差し伸べる人もいるだろうし、線引きもいろいろだ。
わたしは那智さんに関わってもらって生きていたい。
ならば、那智さんの関わり方を肯定する。
いつの頃からか、それを選んだ自分を自覚できて、それからは耳の痛いことも甘受できるようになった。
いまでも、保守的な那智さんとフェミなわたしの子育てでは相容れない部分はなきにしもあらずなんだけど(笑)
最近は『道しるべ』を指針にだいたいわたしだけで対処できるようになって来ているし、これは突っ込まれるな〜という話は話し方を選ぶようにしているし^^;、「この部分に関しては、もうアドバイスしないでください」とか「話を聞くだけでお願いします」とか事前に線を引いたりしているので、ずいぶん反発することはなくなった。
(それでも、先日、『この部分は』を宣言していたところで問題が生じたから、ごめんなさいして、また相談に乗ってもらったけど)
那智さんの関わるの覚悟。
関わってもらうこちら側の姿勢。
母親特有の思考。
『相談』ひとつ取っても、なかなか一筋縄ではいかないものだ。
とくに、全部関わる、全部知っていてほしい、と思っている上下関係の場合^^
まだ、付き合って間もない頃のいままででナンバー1の怒りモードの思い出^^
さて、今日はクリスマス。
巷では恋人や家族や仲間たちがにぎやかに過ごしている。
そんな中、たまには『りん子、不機嫌』の思い出話もおもしろいかと、今日はそんなエントリー。
皆さんも、大切な人との関わり合い方、プラスとマイナスを見据えて考えてみてはいかがでしょう^^
あ、せっかくのクリスマスなので楽しくね♪
<関連エントリー>
わたしの周囲も幸せにする
『はじめて会ってから』
ちょっと変わった我が子
『我が子』
クマちゃんクッキー
『夢見る頃をすぎても3 4』
「等式」感想です。クリスマス、普通ならばハッピィーな話題に終始する所をケンカの話題です。プチ那智が進んでいるような気がするのは私だけでしょうか。ともあれ、相手を信頼しつつ「1次的な感情」をぶつけるのは良いことだと思います。
那智さんは【わたしの周囲も幸せにする】と掲げてから、我が子のことにもずいぶん介入している。
我が子が一歩間違えば深刻ないじめの対象になりかねない出来事があったとき、ずいぶん時間を割いて相談に乗ってくれたし、さらに、その原因の子への接しまで教えてくれた。
ホテルで2時間我が子の進路で話し合ってくれたこともある。
【ちょっと変わった我が子】への不安や戸惑いを聞いてもらい、そこから起こる問題への対処方法を考えてくれた。
もちろん直接知っているわけではないので那智さん的な一般論とわたしから聞く我が子像をもとに考える対処方法なので完璧ではないかもしれないし、不倫という立場ゆえに倫理的には問題があるとしても、本当に助けてもらっていた。
俺は、俺の知っているりん子の全部に関わる
と言ってくれているので本当にいろいろなことに関わってくれている、我が子のこともそれにのっとって手助けしてくれている。
ただ母親というのは身勝手な生き物で自分で我が子の良くないところは自覚できているのに、他者からそこを指摘されると反発したくなるもの。
那智さんの『関わる』は我が子の良くないところにも踏み込んでくる。
ありがたい反面、「そこまでいう!?」と感じる種類のことも当然あるわけだ(笑)
相談したときだけではなく、話題提供程度のときにも「それはどうかと思う」と突っ込まれたりすると、どうしても反発してしまいたくなることも一度や二度じゃない。
(まあ、話題提供と言いつつ聞いてほしい何かがあったり、それによって『大丈夫』って言ってほしい気持ちもあるのはわかっているのですけどね、だから、指摘されると余計に反発したくなっちゃう)
できるだけ『聞いてもらっている、関わってくれている』と反発しないように努めるのだけど、いままでで一度だけその気持ちを露骨に表してしまったことがある。
あれはまだ出会ってそれほど経っていない頃だ。
肌寒かった記憶があるから、まだ1年経っていない頃かもしれない。
ホテルのチェックインの時間まで喫茶店でお茶をしていたんだ。
話の内容は忘れてしまったけど、どこの喫茶店でどの辺りの席だったかも憶えている^^;
相談するような深刻なことではなかったと思う、きっとわたしが我が子のことを話したんだ。
たぶん、上にも書いたような『話題提供を装って、肯定してほしい』ことだったんだと思う。
それに対して那智さんなりの答えか感想を言ってくれたのだ。
それが我が子の行く末を心配してくれてのことだったとしても、なんだかわたしと我が子丸ごと否定されているような気持ちになって『那智さんに何がわかるの!?』というような反発する態度を表してしまったのだ。
押し黙り、どんどん顔から表情がなくなっていって、不機嫌になる。
いまだって、気持ちが沈んで態度に表してしまうこともあるし、意見が食い違って反発してしまうことだってあるけれど、おそらく、ふたりの間で『わたしがもっとも怒りを表した』出来事だったと思う。
(【クマちゃんクッキー】のときも怒りを表したけど、あのときはそうしないと伝わらないと思って自覚的に怒ったから、例外^^)
あの頃のわたしはまだわかっていなかったんだよね。
『俺と付き合うことでりん子の周囲も幸せにする』と決め『俺の知っているりん子の全部に関わる』と宣言した那智さんの覚悟を。
関ってくれるということは、良いことばかりではない。
聞きたくないことだって聞かされるし、痛いところを突かれたりもする。
欲しい答えだけもらおうとすることは相談とは言わないし、関わってもらうとは違う。
あの不機嫌をあらわにした冬の日から何度となく相談して聞いてもらって、那智さんの関わり方を知っていき、こちら側の意識も変わっていった。
もちろん人によって関わり方はそれぞれ。
必要なときだけ手を差し伸べる人もいるだろうし、線引きもいろいろだ。
わたしは那智さんに関わってもらって生きていたい。
ならば、那智さんの関わり方を肯定する。
いつの頃からか、それを選んだ自分を自覚できて、それからは耳の痛いことも甘受できるようになった。
いまでも、保守的な那智さんとフェミなわたしの子育てでは相容れない部分はなきにしもあらずなんだけど(笑)
最近は『道しるべ』を指針にだいたいわたしだけで対処できるようになって来ているし、これは突っ込まれるな〜という話は話し方を選ぶようにしているし^^;、「この部分に関しては、もうアドバイスしないでください」とか「話を聞くだけでお願いします」とか事前に線を引いたりしているので、ずいぶん反発することはなくなった。
(それでも、先日、『この部分は』を宣言していたところで問題が生じたから、ごめんなさいして、また相談に乗ってもらったけど)
那智さんの関わるの覚悟。
関わってもらうこちら側の姿勢。
母親特有の思考。
『相談』ひとつ取っても、なかなか一筋縄ではいかないものだ。
とくに、全部関わる、全部知っていてほしい、と思っている上下関係の場合^^
まだ、付き合って間もない頃のいままででナンバー1の怒りモードの思い出^^
さて、今日はクリスマス。
巷では恋人や家族や仲間たちがにぎやかに過ごしている。
そんな中、たまには『りん子、不機嫌』の思い出話もおもしろいかと、今日はそんなエントリー。
皆さんも、大切な人との関わり合い方、プラスとマイナスを見据えて考えてみてはいかがでしょう^^
あ、せっかくのクリスマスなので楽しくね♪
<関連エントリー>
わたしの周囲も幸せにする
『はじめて会ってから』
ちょっと変わった我が子
『我が子』
クマちゃんクッキー
『夢見る頃をすぎても3 4』
「等式」感想です。クリスマス、普通ならばハッピィーな話題に終始する所をケンカの話題です。プチ那智が進んでいるような気がするのは私だけでしょうか。ともあれ、相手を信頼しつつ「1次的な感情」をぶつけるのは良いことだと思います。
COMMENT
このコメントは管理人のみ閲覧できます
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男の相談と女の相談の違いってありますよねぇ^^;(女は、ただ聞いて肯定してほしい場合が多いしw)
私も、まず前置きに答えを求めてるのか、聞いてほしいだけなのか言うようにしてます。
で…プチ那智さん化しているだなんて、嬉しい言葉じゃないですか?^^
私も、まず前置きに答えを求めてるのか、聞いてほしいだけなのか言うようにしてます。
で…プチ那智さん化しているだなんて、嬉しい言葉じゃないですか?^^
相談と肯定してほしいの違いはわたしも以前から理解していたつもりだったのだけど、その一歩進化(?)するとM&M。さんのおっしゃる前置きに発展しますよね。
これができると互いにずいぶんラクだと思う、わたしはここに至るのにちょっと時間かかった^^;
プチ那智化自体はうれしいんですけど、今回の場合は=へそ曲がり的な部分が似てきたなので、よろこんでいいものやら…(笑)
これができると互いにずいぶんラクだと思う、わたしはここに至るのにちょっと時間かかった^^;
プチ那智化自体はうれしいんですけど、今回の場合は=へそ曲がり的な部分が似てきたなので、よろこんでいいものやら…(笑)