畏怖の念
独特な幸福感
わたしは那智さんを少し怖いと思う。
とてもとても優しい人だ。
感情的になることも声を荒げることもない。
『不機嫌』というのをほとんど見たこともない。
ある一定の良好なテンションを7年間保ったままだ。
当然、『捨てる』をチラつかせるようなことなんて皆無。
だけど、怖い。
わたしたちの間ではオナニーのときに宣言と報告をすることが約束になっている。
でも何十回に一回(うわ、何十回っていうと年がら年中してるみたい!!)くらい、恥ずかしいとか自己嫌悪とかで約束を破ってしまうことがあるのだけど。
そのときも『それは悲しいな。どうして破ったの?』と変わらぬテンションで聞く。
何が原因でわたしがそうしたかを知り、これからは約束を守れるように解決してくれるのだ。
恐らく、那智さんは、約束を守れないとりん子が悲しいだろうということが重要なんだと思う。
約束を守らなくても、叱られることもないし厳しいお仕置きもない。
だけど、わたしは約束を破ったことを後悔する。
そして、少しだけ那智さんを怖いと思う。
たまに悲しくなる。
その時の那智さんの状況によるけど、基本的にこちらが『悲しいことを訴えている』と自覚していれば、かなりとことん付き合ってくれる。
どこにわたしの悲しいがあって、それを払拭するにはどうすればいいか。
お仕事の合間を縫って、ランチに誘ってくれて、解決することを付き合ってくれる。
そして、それが解決した後、改まって聞いてくる。
『りん子は、どの話で浮上できた?』
『その話は前もしたよね?じゃあ、他には?』
『この数時間のお話しで新しい発見はあった?』
『うん、それなら納得』
わたしの悲しいの原因や解決方法を探り、いつか同じようなことが起きたときのサンプルにしようとしているのだ。
そして、それは、この悲しいとぐずったことが、正当な理由があるのかただのぐずりなのか判断しようとしている。
もしただのぐずりなら、それを自覚できているかどうか、自覚できていなければ気をつけることと注意はされる。(わたしたちの間でぐずることはいいの^^;自覚できていないことが問題なのだ)
こちらは頭フル回転だ。
心を振り返り、言葉を尽くし伝え、もし間違っていたらごめんなさいをする。
誤摩化せない真摯な鋭い観察に、こんな時も、怖いと思う。
多分、那智さんはわたしを信頼していたいのだ。
だから『あれ?』と思ったことをスルーせず、誤解を解き、また信頼する。
わたしは那智さんを信頼している。
1人の人を心から信頼することは安心できて心強い。
この人は、わたしを傷つけようと思うことはないと信じて付き合うことはとても心地よいものだ。
それと、同じように。
うまく言えないけど。
信頼されることも、とてもとても気持ちがいいのだ。
りん子のいうことにウソはない、那智さんを傷つけようとは思っていないと信じられていることは、きちんとしなくてはと襟を正す気持ちになると同時に、ものすごく気持ちがいい。
自分の『魂(大げさだけど^^;)』が、信頼されているということでどんどん真っ白な美しいものになっていくように感じる。
誰も歩いていない雪のように、ふわふわの綿菓子のように。
その感覚は気持ちがいいのだ。
このわたしを信頼してくれる、信頼される気持ち良さをくれる那智さんを裏切ってはいけないと思う。
裏切ってはいけないというと良心や責任感のように思われるかもしれなけど、違うの。
那智さんにウソをついたり裏切ったりするのは、あの真っ白なふわふわな気持ちよくしてもらった魂に土足で踏み込むような行為に思える。
それはわたし自身の魂を汚すような怖さなのだ。
だからわたしは、わたしのためにウソをつきたくないし、裏切りたくないと思う。
わたしに信頼される心地よさを教えてくれて。
ウソをつかない清々しさを味わわせ続けてくれる。
そのためのその真摯な目や姿勢を持ち続けてくれる那智さんをとても尊敬している。
その尊敬が、圧倒的なものを前にして感じる『怖い』という感情をも引き出しているんだ。
言葉が正しいかわからないけど、これは畏怖の念。
那智さんは、とても優しい。
厳しい躾もお仕置きも、捨てるなんてこともない。
だけど、そんなことがなくても裏切りたくないと思わせ、従いたいと思わせる。
あなたのものでいさせてほしいと思わせてくれる。
背の高いわたしは並ぶと目線は少し下を向く、ヒールなんて履いたら尚更だ。
だけどいつもいつも見上げている、まぶしいものを見るように少し目を細めて。
尊敬と安心と、ちょっと圧倒されるような気持ちで。
そんな那智さんを、ほんの少し怖いを思う。
わたしは那智さんを少し怖いと思う。
とてもとても優しい人だ。
感情的になることも声を荒げることもない。
『不機嫌』というのをほとんど見たこともない。
ある一定の良好なテンションを7年間保ったままだ。
当然、『捨てる』をチラつかせるようなことなんて皆無。
だけど、怖い。
わたしたちの間ではオナニーのときに宣言と報告をすることが約束になっている。
でも何十回に一回(うわ、何十回っていうと年がら年中してるみたい!!)くらい、恥ずかしいとか自己嫌悪とかで約束を破ってしまうことがあるのだけど。
そのときも『それは悲しいな。どうして破ったの?』と変わらぬテンションで聞く。
何が原因でわたしがそうしたかを知り、これからは約束を守れるように解決してくれるのだ。
恐らく、那智さんは、約束を守れないとりん子が悲しいだろうということが重要なんだと思う。
約束を守らなくても、叱られることもないし厳しいお仕置きもない。
だけど、わたしは約束を破ったことを後悔する。
そして、少しだけ那智さんを怖いと思う。
たまに悲しくなる。
その時の那智さんの状況によるけど、基本的にこちらが『悲しいことを訴えている』と自覚していれば、かなりとことん付き合ってくれる。
どこにわたしの悲しいがあって、それを払拭するにはどうすればいいか。
お仕事の合間を縫って、ランチに誘ってくれて、解決することを付き合ってくれる。
そして、それが解決した後、改まって聞いてくる。
『りん子は、どの話で浮上できた?』
『その話は前もしたよね?じゃあ、他には?』
『この数時間のお話しで新しい発見はあった?』
『うん、それなら納得』
わたしの悲しいの原因や解決方法を探り、いつか同じようなことが起きたときのサンプルにしようとしているのだ。
そして、それは、この悲しいとぐずったことが、正当な理由があるのかただのぐずりなのか判断しようとしている。
もしただのぐずりなら、それを自覚できているかどうか、自覚できていなければ気をつけることと注意はされる。(わたしたちの間でぐずることはいいの^^;自覚できていないことが問題なのだ)
こちらは頭フル回転だ。
心を振り返り、言葉を尽くし伝え、もし間違っていたらごめんなさいをする。
誤摩化せない真摯な鋭い観察に、こんな時も、怖いと思う。
多分、那智さんはわたしを信頼していたいのだ。
だから『あれ?』と思ったことをスルーせず、誤解を解き、また信頼する。
わたしは那智さんを信頼している。
1人の人を心から信頼することは安心できて心強い。
この人は、わたしを傷つけようと思うことはないと信じて付き合うことはとても心地よいものだ。
それと、同じように。
うまく言えないけど。
信頼されることも、とてもとても気持ちがいいのだ。
りん子のいうことにウソはない、那智さんを傷つけようとは思っていないと信じられていることは、きちんとしなくてはと襟を正す気持ちになると同時に、ものすごく気持ちがいい。
自分の『魂(大げさだけど^^;)』が、信頼されているということでどんどん真っ白な美しいものになっていくように感じる。
誰も歩いていない雪のように、ふわふわの綿菓子のように。
その感覚は気持ちがいいのだ。
このわたしを信頼してくれる、信頼される気持ち良さをくれる那智さんを裏切ってはいけないと思う。
裏切ってはいけないというと良心や責任感のように思われるかもしれなけど、違うの。
那智さんにウソをついたり裏切ったりするのは、あの真っ白なふわふわな気持ちよくしてもらった魂に土足で踏み込むような行為に思える。
それはわたし自身の魂を汚すような怖さなのだ。
だからわたしは、わたしのためにウソをつきたくないし、裏切りたくないと思う。
わたしに信頼される心地よさを教えてくれて。
ウソをつかない清々しさを味わわせ続けてくれる。
そのためのその真摯な目や姿勢を持ち続けてくれる那智さんをとても尊敬している。
その尊敬が、圧倒的なものを前にして感じる『怖い』という感情をも引き出しているんだ。
言葉が正しいかわからないけど、これは畏怖の念。
那智さんは、とても優しい。
厳しい躾もお仕置きも、捨てるなんてこともない。
だけど、そんなことがなくても裏切りたくないと思わせ、従いたいと思わせる。
あなたのものでいさせてほしいと思わせてくれる。
背の高いわたしは並ぶと目線は少し下を向く、ヒールなんて履いたら尚更だ。
だけどいつもいつも見上げている、まぶしいものを見るように少し目を細めて。
尊敬と安心と、ちょっと圧倒されるような気持ちで。
そんな那智さんを、ほんの少し怖いを思う。
やった〜♪
那智さんから本文の文字が大きいほうがいいとリクエストがありまして^^
文字大きめのテンプレートを探してみたのですが、なかなかピンと来ない。
それにやっと新しい雰囲気にも慣れてきて、お気に入りになってきているのでこのままがいいな〜と変更するのをためらっていました。
で!!
ちょっと、いや、かなり頑張ってテンプレート編集なるものに挑戦してみたのです〜。
ホント、こういうの苦手なんだけど、説明を読みながら四苦八苦すること数十分(でも数十分でできた!!)
そしたら大きくなってるでしょ〜♪
うれし〜。
前の小さめの文字のほうが洗練されているとも思うけど、まあ洗練とはほど遠いてんこ盛りの薬指の刺青には、これくらい読みやすいほうがいいですよね^^
て〜ことで。
読みやすくなった薬指をこれからも、どうぞよろしくお願いします〜。
詳細は内緒ですが、実はここ数日間わたしはあることでとても欲情しています、那智さんに焦がれています。
かなり、日常の端々で手に付かない状態です。
ふう、でも編集作業のときは、ちょっと普通の人でいられました^^;
ということで、しばし普通の人になれた安堵も併せて。
今日は予定外のエントリーでした^^
文字大きめのテンプレートを探してみたのですが、なかなかピンと来ない。
それにやっと新しい雰囲気にも慣れてきて、お気に入りになってきているのでこのままがいいな〜と変更するのをためらっていました。
で!!
ちょっと、いや、かなり頑張ってテンプレート編集なるものに挑戦してみたのです〜。
ホント、こういうの苦手なんだけど、説明を読みながら四苦八苦すること数十分(でも数十分でできた!!)
そしたら大きくなってるでしょ〜♪
うれし〜。
前の小さめの文字のほうが洗練されているとも思うけど、まあ洗練とはほど遠いてんこ盛りの薬指の刺青には、これくらい読みやすいほうがいいですよね^^
て〜ことで。
読みやすくなった薬指をこれからも、どうぞよろしくお願いします〜。
詳細は内緒ですが、実はここ数日間わたしはあることでとても欲情しています、那智さんに焦がれています。
かなり、日常の端々で手に付かない状態です。
ふう、でも編集作業のときは、ちょっと普通の人でいられました^^;
ということで、しばし普通の人になれた安堵も併せて。
今日は予定外のエントリーでした^^
わたしの『従う』
独特な幸福感
いつも誰も否定したくないという気持ちで書いています。
違うことは否定することではないと。
あなたと私は違うところがある。
でも、それは否定しないし、違う幸福を祝福している。
今日は対等で上下の下の私の『従う』を書きたい。
もしかしたら違う人にはいやな気持ちにさせてしまうかもしれません。
できる限り誰も否定していないと伝わるように努めてみるけど、私の力では上手にできないかもしれないと今日は思うのです。
そして、今日は、配慮するあまり書きたいことからズレてしまいたくないとも思っているのです。
だから、主従さんやM女さんにはいやな思いをさせてしまうかもしれません。
その可能性があるかたは、どうか私の気持ちが伝わるようにと願います。
わたしの、わたしだけの『従う』お話です。
了解いただいてお読みいただけたら嬉しいです。
追記
今朝までここから先は『続きを読む』にしてありましたが外しました。
誰も否定しなくないと言いつつ『続きを読む』にするのは、かえって失礼なんじゃないかと思ったからです。
わたしの気持ちを信じてと思うのと同じように、伝わっているよねと読んでくださる方を信じて。
性癖として被虐願望があると同じように、被支配願望があることも自覚していた。
いつのころからか、圧倒的な力に支配されたい、自分は自分のものではなくて誰かの所有物になりたい、そんな願望を抱くようになっていた。
思春期のころ、『奴隷』とか『拘束』とか『支配』とか辞書で引いて、その文字だけでうっとりしていた。
数年過ぎ、テレクラという所でパートナーを探せばそれが現実のものになるかもしれないと知ったのが27才のとき。
その頃は、マゾも奴隷も従者も娘(娘なんて後付けだね)なんでも一括りに思っていたから、パートナーさえ見つかれば、この得体の知れない願望の塊が叶うものだと思っていた。
はじめて縛られた相手は、会ったその日になにもする前から私を『愛奴』と呼んだ。
愛される奴隷だよって。
え?私はもうあなたの奴隷なの?
『愛奴』という言葉が魔法のようで被虐願望も被支配願望もこれで鎮められるとホッとしながら、一方で、会って間もない女を奴隷と決められることになんだか心から喜べない私もいた。
そんなに簡単なの?って。
はじめて縛られたときは、自分でもわかるほど濡れた。
夢が叶ったって思った。
ただただその姿を眺めたい、この男性なんていなくてもいいと思った。
テレビの黒い画面にかすかに映る自分のシルエットを必死で覗き込んでいた。
濡れたのはそれがピークだった。
あとはただされるがままで醒めていくだけだった。
いろいろ縛られて痛くない洗濯バサミをされて、おまんこはどんどん乾いていった。
その男性は『今日はお互いの魂を見せ合った』と終わってから満足げだった。
カラカラに乾いたいたことを気にせず満足げにいう男性を見ている私は全然『お尻の穴は見せたけど魂なんか見せていない』と心の中で舌を出していた。
おかしい、奴隷になっても支配される喜びは味わえないの?
役割として奴隷役ならできるけど、それは私の望む支配じゃない。
心の中であっかんべーをした支配は、私には支配じゃない。
二度目の人は、私をまったく尊重しなかった。
遅刻の謝罪もなく、『奴隷は知る必要はない』とこちらの質問に答えてもくれない。
でも『奴隷』なんだから、その扱いも不当ではないと思い込んでいた。
その男性は、私をよく『バカ』といった。
おまえはバカだからって。
最初のうちは、ご主人様はスゴいんだって思って聞いていたけど、しばらくするとそれはただ単に私の位置を下げて、自分を高く見せているだけだと気付いてしまった。
『それはいやだ』と言えない頃の私も正解ではないけど、尊重もしてくれず、こちらを低くすることでしか君臨できない人が、ただご主人様というだけで偉くなるなんて、おかしい。
なんだか、私の『従いたい』は行き場を見失っていた。
テレクラに依存していた頃、たくさんの男性が『心も体も支配する』といっていた。
その言葉に被支配欲はうずうずするものの、反面『そんなに簡単に支配できるもんか』とそれまでの経験がシビアにさせていた。
尊重されず、自分を低くすることで、心の中であっかんべーをしながらでしか私の被虐願望や被支配願望は叶うことはないのだろうか。
那智さんに出会った。
すぐ『SMは意識するな』と言われた。
言われ続けた。
つい自分を低くしてしまう私に対等であることを教えてくれ続けた。
那智さんは『りん子は俺のもの』とほとんど言わない。
わたし側から言うことではじめて成立すると思っている。
ご主人様と呼べなんていわれたことは一度もない。(最初のころ、恥ずかしがる私を面白がって言わせていたときはあったけど、私が少し慣れたらすぐやめた)
心の中であっかんべーをするような『従う』はいやだ。
自分を低くして相手を持ち上げるような『従う』はいやだ。
自然に心から思えてはじめて『従う』だ。
私は『自然に心から』のハードルを物凄く上げていた。
那智さんも、従う側からのそれを望んでいたから、より高くなっていた。
そのハードルが高いことは時々息切れしそうになるけど、それが私にはありがたかった。
二度と舌を出さずにすんでいたから。
そのハードルは、例えば言葉使いにも表れている。
いま、どの言葉を選ぶことが相応しいか。
闇雲に『従う』を表していないか、考える。
付き合い出した当初からいままでずっと。
いつもいつも意識しているわけではないけど、ほとんど全部、那智さんに使う言葉を選んでいる。
年上の人に対する丁寧語。
尊敬する人に対する尊敬語。
とてもとても仲良しのちょっとだけ敬語を使わない言葉(タメ口とは違う^^)
ほとんど無意識に、でもときどき意識して、瞬時に使い分けている。
中でも、一瞬立ち止まり選ぶのが謙譲語だ。
相手を立てる意味もあるだろうけれど、私の中で謙譲語はへりくだりを連想させる。
基本使わない、でも、どうしても謙譲語に相応しい感情のときだけ使う。
『○○って言ってましたよね』
『○○っておっしゃってませんでした?』
場面や感情で瞬時に分けている。
『那智さんに抱いてほしいです』
『那智さんに抱いていただきたいです』
量や質で選んでいる。
ブログでもそうだ。
すべて精査しているかといわれれば自信ないけど、でもかなりちゃんと選んでいる。
でも、よく迷う。
闇雲に『従う』を表さない文章や言葉使いや行いが、那智さんや読んでくれる人にとって尊敬していることを伝えらているだろうか、全部謙譲語にすればもっと確実に『那智さんのものだ』と伝えることができるんじゃないか。
歯がゆい。
だけど、できない。
私は感情のある人間だ。
尊敬していることに変わりはなくても、対等な立場からの感情もあるし、上下の下として発したいときもある。
時には淫乱な娘としての言葉を使いたいことだってある。
それを無視する方法を選ぶと、恐らくずっと前のあっかんべーをしていた頃に逆戻りしてしまうのではないか。
だからできない。
力を入れてぐっとハードルを上げる。
感情を無視せず高いハードルを設ける方法でしか、わたしの被支配欲は満たされなくなっていた。
そのわたしに『オチンポ様』は、大きな影響を与えた。(『オチンポ様』ありがとうございます^^)
おちんちんに『様』をつけることで、それならよっぽど那智さんのほうが『様』だとはっきりと自覚したのだ。
ずっとずっと前から、優劣のない対等な立場でそれでも上下の上の那智さんは自然に心から『様』だ。
ずっとハードルを上げていた被支配欲が、もういいんじゃない?と悲鳴をあげているように感じたのだ。
自分を低くしないように。
心から自然に思えるまで。
低く低くへりくだろうとするいままでのわたしを、体を縮めて腕に力を入れて『行っちゃダメ』とぎゅーっと抱きしめて動かないように頑張っていた。
いりん子こで手を離したら、せっかく作った『対等で上下』が壊れてしまうと、恐れているといってもいいくらいだった。
そのぎゅーっと力を入れているわたしが悲鳴を上げているみたいだった。
だって、わたし、従いたいんだよ。
なんで首根っこ掴んで引き下げてくれないの!?と那智さんに喰ってかかるほどだった。
もう充分じゃない?
そっと力を抜いてごらん。
自分にいってみる。
恐る恐る手を離す。
怖いよ、また一気にへりくだるわたしになる?
それとも、役割分担みたいであっかんべーしてしまう?
抱きしめていた手を解いたわたしは、そこにいた。
低くへりくだることもなく、舌を出すこともなく。
わたしはもう自分を低くすることはないんだ。
那智さんが、ずっとずっと育ててくれた『りん子はそのままで充分愛される価値がある』って。
だからぎゅっと押さえていなくてもわたしは、そこにいられていた。
そして、その場所で心から那智さんを『様』だと思えている。
那智さん。
あなたとわたしは対等ですよね。
優劣は、そこにはないですよね。
だけど、圧倒的に上下はある。
慈しみ包むように見下ろし、尊敬し畏怖するように見上げる。
庇護し従う上下。
ずっとずっと前から那智さんはわたしの『様』だ。
力を抜き、安心して、やっとそう言える。
それでも何も変わらない。
自分を低くすることもなく、あっかんべーもしたくないから。
これからも、メールを打つとき、ブログに書くとき、『おしっこほしい』とお願いするとき、いつもいつもそのときの感情でどんな言葉でどんな行いをするか選ぶでしょう。
那智さんがわたしを信頼していたいために真摯に観察するように。
わたしも、わたしなりのハードルを高くして、立ち止まりその都度選ぶ。
これがわたしの『従う』。
もうぎゅーっと力を入れなくても低くならないんだ。
もっと那智さんも自分も信頼できるようになった。
だから安心して自信を持って選べる。
胸を張っていえる。
わたしは那智さんのもの。
那智さんはとっくにわたしの『飢餓状態の白米』だ^^
関連エントリー
お馴染みのもありますが、お読みいただくとよりわかりやすいかもしれません^^
『はじめての旅12』
『2回目の旅12』
『意識するな』
『ながーい独り言』
『暗闇の安息』
『対等で上下』
いつも誰も否定したくないという気持ちで書いています。
違うことは否定することではないと。
あなたと私は違うところがある。
でも、それは否定しないし、違う幸福を祝福している。
今日は対等で上下の下の私の『従う』を書きたい。
もしかしたら違う人にはいやな気持ちにさせてしまうかもしれません。
できる限り誰も否定していないと伝わるように努めてみるけど、私の力では上手にできないかもしれないと今日は思うのです。
そして、今日は、配慮するあまり書きたいことからズレてしまいたくないとも思っているのです。
だから、主従さんやM女さんにはいやな思いをさせてしまうかもしれません。
その可能性があるかたは、どうか私の気持ちが伝わるようにと願います。
わたしの、わたしだけの『従う』お話です。
了解いただいてお読みいただけたら嬉しいです。
追記
今朝までここから先は『続きを読む』にしてありましたが外しました。
誰も否定しなくないと言いつつ『続きを読む』にするのは、かえって失礼なんじゃないかと思ったからです。
わたしの気持ちを信じてと思うのと同じように、伝わっているよねと読んでくださる方を信じて。
性癖として被虐願望があると同じように、被支配願望があることも自覚していた。
いつのころからか、圧倒的な力に支配されたい、自分は自分のものではなくて誰かの所有物になりたい、そんな願望を抱くようになっていた。
思春期のころ、『奴隷』とか『拘束』とか『支配』とか辞書で引いて、その文字だけでうっとりしていた。
数年過ぎ、テレクラという所でパートナーを探せばそれが現実のものになるかもしれないと知ったのが27才のとき。
その頃は、マゾも奴隷も従者も娘(娘なんて後付けだね)なんでも一括りに思っていたから、パートナーさえ見つかれば、この得体の知れない願望の塊が叶うものだと思っていた。
はじめて縛られた相手は、会ったその日になにもする前から私を『愛奴』と呼んだ。
愛される奴隷だよって。
え?私はもうあなたの奴隷なの?
『愛奴』という言葉が魔法のようで被虐願望も被支配願望もこれで鎮められるとホッとしながら、一方で、会って間もない女を奴隷と決められることになんだか心から喜べない私もいた。
そんなに簡単なの?って。
はじめて縛られたときは、自分でもわかるほど濡れた。
夢が叶ったって思った。
ただただその姿を眺めたい、この男性なんていなくてもいいと思った。
テレビの黒い画面にかすかに映る自分のシルエットを必死で覗き込んでいた。
濡れたのはそれがピークだった。
あとはただされるがままで醒めていくだけだった。
いろいろ縛られて痛くない洗濯バサミをされて、おまんこはどんどん乾いていった。
その男性は『今日はお互いの魂を見せ合った』と終わってから満足げだった。
カラカラに乾いたいたことを気にせず満足げにいう男性を見ている私は全然『お尻の穴は見せたけど魂なんか見せていない』と心の中で舌を出していた。
おかしい、奴隷になっても支配される喜びは味わえないの?
役割として奴隷役ならできるけど、それは私の望む支配じゃない。
心の中であっかんべーをした支配は、私には支配じゃない。
二度目の人は、私をまったく尊重しなかった。
遅刻の謝罪もなく、『奴隷は知る必要はない』とこちらの質問に答えてもくれない。
でも『奴隷』なんだから、その扱いも不当ではないと思い込んでいた。
その男性は、私をよく『バカ』といった。
おまえはバカだからって。
最初のうちは、ご主人様はスゴいんだって思って聞いていたけど、しばらくするとそれはただ単に私の位置を下げて、自分を高く見せているだけだと気付いてしまった。
『それはいやだ』と言えない頃の私も正解ではないけど、尊重もしてくれず、こちらを低くすることでしか君臨できない人が、ただご主人様というだけで偉くなるなんて、おかしい。
なんだか、私の『従いたい』は行き場を見失っていた。
テレクラに依存していた頃、たくさんの男性が『心も体も支配する』といっていた。
その言葉に被支配欲はうずうずするものの、反面『そんなに簡単に支配できるもんか』とそれまでの経験がシビアにさせていた。
尊重されず、自分を低くすることで、心の中であっかんべーをしながらでしか私の被虐願望や被支配願望は叶うことはないのだろうか。
那智さんに出会った。
すぐ『SMは意識するな』と言われた。
言われ続けた。
つい自分を低くしてしまう私に対等であることを教えてくれ続けた。
那智さんは『りん子は俺のもの』とほとんど言わない。
わたし側から言うことではじめて成立すると思っている。
ご主人様と呼べなんていわれたことは一度もない。(最初のころ、恥ずかしがる私を面白がって言わせていたときはあったけど、私が少し慣れたらすぐやめた)
心の中であっかんべーをするような『従う』はいやだ。
自分を低くして相手を持ち上げるような『従う』はいやだ。
自然に心から思えてはじめて『従う』だ。
私は『自然に心から』のハードルを物凄く上げていた。
那智さんも、従う側からのそれを望んでいたから、より高くなっていた。
そのハードルが高いことは時々息切れしそうになるけど、それが私にはありがたかった。
二度と舌を出さずにすんでいたから。
そのハードルは、例えば言葉使いにも表れている。
いま、どの言葉を選ぶことが相応しいか。
闇雲に『従う』を表していないか、考える。
付き合い出した当初からいままでずっと。
いつもいつも意識しているわけではないけど、ほとんど全部、那智さんに使う言葉を選んでいる。
年上の人に対する丁寧語。
尊敬する人に対する尊敬語。
とてもとても仲良しのちょっとだけ敬語を使わない言葉(タメ口とは違う^^)
ほとんど無意識に、でもときどき意識して、瞬時に使い分けている。
中でも、一瞬立ち止まり選ぶのが謙譲語だ。
相手を立てる意味もあるだろうけれど、私の中で謙譲語はへりくだりを連想させる。
基本使わない、でも、どうしても謙譲語に相応しい感情のときだけ使う。
『○○って言ってましたよね』
『○○っておっしゃってませんでした?』
場面や感情で瞬時に分けている。
『那智さんに抱いてほしいです』
『那智さんに抱いていただきたいです』
量や質で選んでいる。
ブログでもそうだ。
すべて精査しているかといわれれば自信ないけど、でもかなりちゃんと選んでいる。
でも、よく迷う。
闇雲に『従う』を表さない文章や言葉使いや行いが、那智さんや読んでくれる人にとって尊敬していることを伝えらているだろうか、全部謙譲語にすればもっと確実に『那智さんのものだ』と伝えることができるんじゃないか。
歯がゆい。
だけど、できない。
私は感情のある人間だ。
尊敬していることに変わりはなくても、対等な立場からの感情もあるし、上下の下として発したいときもある。
時には淫乱な娘としての言葉を使いたいことだってある。
それを無視する方法を選ぶと、恐らくずっと前のあっかんべーをしていた頃に逆戻りしてしまうのではないか。
だからできない。
力を入れてぐっとハードルを上げる。
感情を無視せず高いハードルを設ける方法でしか、わたしの被支配欲は満たされなくなっていた。
そのわたしに『オチンポ様』は、大きな影響を与えた。(『オチンポ様』ありがとうございます^^)
おちんちんに『様』をつけることで、それならよっぽど那智さんのほうが『様』だとはっきりと自覚したのだ。
ずっとずっと前から、優劣のない対等な立場でそれでも上下の上の那智さんは自然に心から『様』だ。
ずっとハードルを上げていた被支配欲が、もういいんじゃない?と悲鳴をあげているように感じたのだ。
自分を低くしないように。
心から自然に思えるまで。
低く低くへりくだろうとするいままでのわたしを、体を縮めて腕に力を入れて『行っちゃダメ』とぎゅーっと抱きしめて動かないように頑張っていた。
いりん子こで手を離したら、せっかく作った『対等で上下』が壊れてしまうと、恐れているといってもいいくらいだった。
そのぎゅーっと力を入れているわたしが悲鳴を上げているみたいだった。
だって、わたし、従いたいんだよ。
なんで首根っこ掴んで引き下げてくれないの!?と那智さんに喰ってかかるほどだった。
もう充分じゃない?
そっと力を抜いてごらん。
自分にいってみる。
恐る恐る手を離す。
怖いよ、また一気にへりくだるわたしになる?
それとも、役割分担みたいであっかんべーしてしまう?
抱きしめていた手を解いたわたしは、そこにいた。
低くへりくだることもなく、舌を出すこともなく。
わたしはもう自分を低くすることはないんだ。
那智さんが、ずっとずっと育ててくれた『りん子はそのままで充分愛される価値がある』って。
だからぎゅっと押さえていなくてもわたしは、そこにいられていた。
そして、その場所で心から那智さんを『様』だと思えている。
那智さん。
あなたとわたしは対等ですよね。
優劣は、そこにはないですよね。
だけど、圧倒的に上下はある。
慈しみ包むように見下ろし、尊敬し畏怖するように見上げる。
庇護し従う上下。
ずっとずっと前から那智さんはわたしの『様』だ。
力を抜き、安心して、やっとそう言える。
それでも何も変わらない。
自分を低くすることもなく、あっかんべーもしたくないから。
これからも、メールを打つとき、ブログに書くとき、『おしっこほしい』とお願いするとき、いつもいつもそのときの感情でどんな言葉でどんな行いをするか選ぶでしょう。
那智さんがわたしを信頼していたいために真摯に観察するように。
わたしも、わたしなりのハードルを高くして、立ち止まりその都度選ぶ。
これがわたしの『従う』。
もうぎゅーっと力を入れなくても低くならないんだ。
もっと那智さんも自分も信頼できるようになった。
だから安心して自信を持って選べる。
胸を張っていえる。
わたしは那智さんのもの。
那智さんはとっくにわたしの『飢餓状態の白米』だ^^
関連エントリー
お馴染みのもありますが、お読みいただくとよりわかりやすいかもしれません^^
『はじめての旅12』
『2回目の旅12』
『意識するな』
『ながーい独り言』
『暗闇の安息』
『対等で上下』
525円(税込)
独特な幸福感
この時期、那智さんに可愛がってもらいたいものとしては悩みの種がある。
それは、寒い!!
日頃、常にノーパンなんて決まり事はないので、指示がない限り下着は着けている。
でもどこでもすぐに触ってもらえるように、ガーターストッキングだったり、ニーハイだったり、太ももまでのストッキングだったりで、できるだけそこは布1枚にしておきます*^^*
それに、その姿に自分自身も酔えるのだ^^
でも、この時期のそれは寒い!!
なので何回かに一度はタイツで防寒^^
で、最近、那智さんの好きな足元はなに?という話題が出まして、網タイツを筆頭に柄入りのストッキングが好みだということが付き合って数年たったこの時期に発覚したので、この冬は柄入りのタイツを使うことが増えた。
柄といっても、アーガイルやストライプとかじゃなくて網目やチェックがお好みなので、まあ、網タイツを連想させるというのがよいみたいです。
先日のデートの日。
黒のニットミニワンピにチェック柄のタイツを履いて出かけたのだけど、駅に向かう途中で今日は比較的暖かいし、最近この手が多いからちょっとお楽しみいただこうとコンビニ寄ってみました。
ストッキングコーナーにある網タイツを選び、駅のトイレで履き替え^^
普段ガーターや太ももまでの網タイツは履くけど、全部を覆うのははじめてで、それはそれで気恥ずかしい*^^*(この感覚、履いたことのある人はわかってくれるかな?)
しかも、やっぱりタイツより寒い(笑)
軽い朝食を取りにお店に入ってコートを脱いでミニワンピにロングブーツに網タイツをご披露。
めずらしくテンションアップで喜んでくれました!!
ホテルに入ってからも『いいね〜』と眺めてくれて、わたしもホクホク。
少し寒い思いをした甲斐がありました。
コーヒーを煎れてソファでくつろぐ那智さんにくっついて甘えん坊タイム。
なんのお話しをしてましたっけ。
たぶん、ちょっと那智さんにベタついてたと思う^^;
ソファに腰掛ける那智さんのほうを正座して体ごと向けて、密着するようにくっついていたとき。
プチっと膝のあたりに違和感?
あーーーーーー、網タイツーーーー!!
那智さんが腰につけてる鍵のジャラジャラに網タイツが引っかかっていて動いたときに『プチッ』。
膝の横に10円玉大の大きな立派な穴が!!
うわぁ、こうなると使い物にならないよ〜。
コンビニで買ってからまだ2時間も経ってない。
「あ〜、525円(税込)が〜〜〜」
あまりの短い命に思わず『値段』のことを言ってしまった^^;
「あはは、りん子がお金のこというのめずらしいね〜」
だって〜、さっき買ったばっかりなんですもん〜。
まあ、しょうがないと思いつつも、那智さん気に入ってくれていたから残念だなぁと思っていると。
わたしの体をど〜んと押し、よろけたところで両足を引っぱり、お尻がずりずり〜となりながら、あっという間にソファに仰向け。
那智さんのほうに投げ出された足。
穴の空いたあたりをぐいっと引く。
引きちぎるんだ!!
きゃー、やめてくださ〜い。
じたばたしているけど、ああ、わたし、『ワクワク』とか『ウキウキ』が顔に出てる。
多分、すっごく嬉しそうだ^^;
フリスビーを持つ飼い主の手元を尻尾を振って見上げる犬。
お父さんにヒゲをジョリジョリされて、きゃっきゃと喜ぶ娘。
ビリビリと引き裂かれる網タイツはところどころ大きな穴になり、ほつれた糸が穴の中でいやらしく踊る。
穴から手を入れ指を下着に押し当て、腰を振る網目はどんどんはしたなく歪む。
ああ、なんて官能〜〜〜〜。
気持ちいい。
ワクワクウキウキで官能、成立しました(笑)
気持ちよくってうっとりしていると。
「お客さん、満足しました?(笑)」
「はい?」
「うちは、このサービス原価なんですよね、お客さん」
「あ〜、じゃあ525円(税込)だったのですね」
「そうなんですよ〜、うちは儲けないんですよ〜、ま、サービスですね」
「あはは、オプションですか〜^^525円(税込)で楽しめました♪」
「そうオプション。ストッキングに525円は高いか安いか相場はわからないけど、まあそれくらいは楽しめたでしょ^^」
ちょっと残念なこともプラスに変えてくれる那智さんは、う〜ん、やっぱり、ううんかなり『父性』だ。
この父性を余す事なく受け取らせてもらうには、こちらはきゃっきゃと楽しむ『娘回路?犬回路?』をちゃんと繋げておくのも大切だのだ。
あ、あと『変態?官能?回路』も^^;
それにしても男の人って網タイツ好きな人多いですよね^^
なんででしょう。
もしかして男の人っていうか、女自身もそうだけど『無意味』とか『非実用的』にセクシーを感じるのでしょうか。
意味のない行いなのにしたいというモチベーションに興奮する?
だって網タイツなんて寒いしすぐ穴開くし、ほんと無意味で実用的じゃないんだもの。
でも喜んでいただけて、わたしもワクワク官能できたから、また『無意味(税込525円)』を密かに用意しようと思うのでした♪
寒いけど^^
この時期、那智さんに可愛がってもらいたいものとしては悩みの種がある。
それは、寒い!!
日頃、常にノーパンなんて決まり事はないので、指示がない限り下着は着けている。
でもどこでもすぐに触ってもらえるように、ガーターストッキングだったり、ニーハイだったり、太ももまでのストッキングだったりで、できるだけそこは布1枚にしておきます*^^*
それに、その姿に自分自身も酔えるのだ^^
でも、この時期のそれは寒い!!
なので何回かに一度はタイツで防寒^^
で、最近、那智さんの好きな足元はなに?という話題が出まして、網タイツを筆頭に柄入りのストッキングが好みだということが付き合って数年たったこの時期に発覚したので、この冬は柄入りのタイツを使うことが増えた。
柄といっても、アーガイルやストライプとかじゃなくて網目やチェックがお好みなので、まあ、網タイツを連想させるというのがよいみたいです。
先日のデートの日。
黒のニットミニワンピにチェック柄のタイツを履いて出かけたのだけど、駅に向かう途中で今日は比較的暖かいし、最近この手が多いからちょっとお楽しみいただこうとコンビニ寄ってみました。
ストッキングコーナーにある網タイツを選び、駅のトイレで履き替え^^
普段ガーターや太ももまでの網タイツは履くけど、全部を覆うのははじめてで、それはそれで気恥ずかしい*^^*(この感覚、履いたことのある人はわかってくれるかな?)
しかも、やっぱりタイツより寒い(笑)
軽い朝食を取りにお店に入ってコートを脱いでミニワンピにロングブーツに網タイツをご披露。
めずらしくテンションアップで喜んでくれました!!
ホテルに入ってからも『いいね〜』と眺めてくれて、わたしもホクホク。
少し寒い思いをした甲斐がありました。
コーヒーを煎れてソファでくつろぐ那智さんにくっついて甘えん坊タイム。
なんのお話しをしてましたっけ。
たぶん、ちょっと那智さんにベタついてたと思う^^;
ソファに腰掛ける那智さんのほうを正座して体ごと向けて、密着するようにくっついていたとき。
プチっと膝のあたりに違和感?
あーーーーーー、網タイツーーーー!!
那智さんが腰につけてる鍵のジャラジャラに網タイツが引っかかっていて動いたときに『プチッ』。
膝の横に10円玉大の大きな立派な穴が!!
うわぁ、こうなると使い物にならないよ〜。
コンビニで買ってからまだ2時間も経ってない。
「あ〜、525円(税込)が〜〜〜」
あまりの短い命に思わず『値段』のことを言ってしまった^^;
「あはは、りん子がお金のこというのめずらしいね〜」
だって〜、さっき買ったばっかりなんですもん〜。
まあ、しょうがないと思いつつも、那智さん気に入ってくれていたから残念だなぁと思っていると。
わたしの体をど〜んと押し、よろけたところで両足を引っぱり、お尻がずりずり〜となりながら、あっという間にソファに仰向け。
那智さんのほうに投げ出された足。
穴の空いたあたりをぐいっと引く。
引きちぎるんだ!!
きゃー、やめてくださ〜い。
じたばたしているけど、ああ、わたし、『ワクワク』とか『ウキウキ』が顔に出てる。
多分、すっごく嬉しそうだ^^;
フリスビーを持つ飼い主の手元を尻尾を振って見上げる犬。
お父さんにヒゲをジョリジョリされて、きゃっきゃと喜ぶ娘。
ビリビリと引き裂かれる網タイツはところどころ大きな穴になり、ほつれた糸が穴の中でいやらしく踊る。
穴から手を入れ指を下着に押し当て、腰を振る網目はどんどんはしたなく歪む。
ああ、なんて官能〜〜〜〜。
気持ちいい。
ワクワクウキウキで官能、成立しました(笑)
気持ちよくってうっとりしていると。
「お客さん、満足しました?(笑)」
「はい?」
「うちは、このサービス原価なんですよね、お客さん」
「あ〜、じゃあ525円(税込)だったのですね」
「そうなんですよ〜、うちは儲けないんですよ〜、ま、サービスですね」
「あはは、オプションですか〜^^525円(税込)で楽しめました♪」
「そうオプション。ストッキングに525円は高いか安いか相場はわからないけど、まあそれくらいは楽しめたでしょ^^」
ちょっと残念なこともプラスに変えてくれる那智さんは、う〜ん、やっぱり、ううんかなり『父性』だ。
この父性を余す事なく受け取らせてもらうには、こちらはきゃっきゃと楽しむ『娘回路?犬回路?』をちゃんと繋げておくのも大切だのだ。
あ、あと『変態?官能?回路』も^^;
それにしても男の人って網タイツ好きな人多いですよね^^
なんででしょう。
もしかして男の人っていうか、女自身もそうだけど『無意味』とか『非実用的』にセクシーを感じるのでしょうか。
意味のない行いなのにしたいというモチベーションに興奮する?
だって網タイツなんて寒いしすぐ穴開くし、ほんと無意味で実用的じゃないんだもの。
でも喜んでいただけて、わたしもワクワク官能できたから、また『無意味(税込525円)』を密かに用意しようと思うのでした♪
寒いけど^^
『心と事実』2
りん子的独り言(生意気)
*『りん子的独り言(エラそう)』では主従やSMに対して批判とも取れる書き方をしますが、すべて『満たされず、なにか苦しい思いをしている人』がいるならヒントにしていただきたいと思って書いています。
同じ関係でも『それで満たされている人』には祝福の気持ちです。どうかご了承くださいませ。
『心と事実』はたくさんの反響をいただきました^^
漠然としたことを言語化できるのってすごくすっきりして、わたし自身気持ちよかったです^^
男女の話として
男は事実でもらい与えた気持ちになり、女は心でもらい与えた気持ちになる。
だから、片方は与えたつもりになっていても片方はもらえていないと思い、なんで〜!!ってことになるのでは?
お互い違いを認識すると解決の糸口が見つかるかもね。
というようなことを書きました。
すべての男女に当てはまるわけではないのですけど、そんな傾向があるよねと楽しんでいただけたら嬉しいなと思います。
で、引き続きかなりかたよった大胆な想像をさせていただきたいのですが。
これは『心と事実』のコメント欄でもすこし話題になったけど、りん子的想像として書いてみたいと思います。
もしかして『ご主人様と奴隷』って、男性側の事実で成立せようとしている関係なのかなって思う。
男性(ご主人様)は女性(奴隷さん)に対して『飼っている』という事実のもと『調教』という事実を与え、奴隷さんからは『奉仕』や『性処理』という事実を受け取り『課題クリア』という事実で忠誠を計る。
奴隷に人格はないとか、恋愛感情は持つなとか、奴隷さんの心を制御するようなことも目にするし、それよりも『何をしたか』でデキの良い悪いを感じているご主人様が多いように思います。
忠誠心を求めるから『ご主人様のために』という心を欲しがっているようにも見えるけど、実は奴隷さん側が辛くても喜んでてもあんまり関係ない気がしません?
『ご主人様のために』というラッピングはさせているけど、中身は事実でもらった気持ちになるのがご主人様?
当然ご主人様が主導の関係でしょうから、だとすると事実を与え、事実でもらった気持ちになることで成立させるのが『ご主人様と奴隷』なんじゃないかと想像したのでした。
で、これもすべてに当てはまるわけではないのでうが、この『心と事実』が『ご主人様と奴隷さん』の間で起こると、奴隷さん自身が負のスパイラルに巻き込まれてしまう?と、また頼まれもしないのに想像してしまったので、ご披露させてください。
事実であげたと思っている男性とと心じゃないともらった気がしない女性がご主人様と奴隷さんになったら、普通の恋人同士はつまずく『心と事実』よりも、解決の糸口が見えないような気がします。
もちろんコミュニケーションが上手に取れているカップルもいるのですから、あくまでも『もしも』だと思ってくださいね。
ご主人様は事実を与えている。
もしかしたら、普通の恋人よりもその事実自体少ないかもしれない。
だって、一般的な主従の場合奴隷さんが与える側だものね。
少ない上に事実なのだから、恐らくその奴隷さんはかなり不安になると思うのです。
飼うといってくれているけど、なんだか実感がわかない。
ときどきもらえるメールも、なんだか寂しい。
で、これが普通の恋人なら『寂しいよ〜』と訴えることができて解決に進むかもしれないし、訴えられるだけでも心の負担は違うだろう。
でも、基本『わがままを言っちゃいけない』とされている奴隷さんだったら。
この寂しいをいってはいけないのではないと、まず我慢するよね。
それでも、人間だもの寂しいと我慢が積もれば、どうしたって表に出る。
寂しい理由もわからないまま、意を決して寂しいを伝える。
もしくは、落ち込む態度に出てしまう。
だけど、それはご主人様と奴隷の間では『わがまま』になるのだよね。
だってご主人様からしたら事実をあげているのだもの。
そして『わがままをいうデキの悪い奴隷』という烙印を押される。
奴隷さんは問題解決もできないまま、ただごめんなさいをするしかない。
だって、事実じゃもらえていないことをわからないのだからね、謝るしかない。
一度『ごめんなさい』をした奴隷さんは、それ以降さらに寂しいを伝えることもできず、また我慢する。
そしてまた我慢が積もって、寂しいと思う自分を責め、表に出すことで『ごめんなさい』を増やす。
こんな負のスパイラルを想像してしまったのです。
その『寂しい』は、事実しか(しかも多分少ない)もらえていないから正当だと思えたら、奴隷さん自身どんなにラクでしょう。
そこから、解決のスタートを切れると思いません?
心がないともらえた気がしないと訴えてもいいし。
もしかしたら、恋人とは違うのだから事実で満足するような関係を作ることになるかもしれない。
それだとしても、それがわかっているのといないのでは奴隷さんの負担が全然違うよね。
いずれにしても、その訴えに耳を貸さない人をご主人様にするのはおススメしないけど。
ただでさえ『優劣』らしきものがある主従が多いのだから、奴隷さんが不当な『ごめんなさい』ばかり増やす付き合いはやめたほうがいいよね。(『不当な』ですよ)
『心と事実』のご主人様と奴隷さんヴァージョンは一歩間違うと奴隷さんが負のスパイラルに陥る可能性があるかもしれないですよね。
そうじゃないカップルはたくさんいます。
むしろわたしが直接知っている方々などは心も通わせている方ばかりです。
もっというと、心のほうが立派で事実は劣ってるともいいません^^(わたしは心がいいけれどね)
ただ、時々表面上『事実による負のスパイラル』みたいに見えるブログなどを読んで、主従でも『心と事実』の認識があればラクだろうな〜と思ったのでした。
問題の本質がわかると解決に繋がりますものね。
不当な『ごめんなさい』はいらないよね^^
*『りん子的独り言(エラそう)』では主従やSMに対して批判とも取れる書き方をしますが、すべて『満たされず、なにか苦しい思いをしている人』がいるならヒントにしていただきたいと思って書いています。
同じ関係でも『それで満たされている人』には祝福の気持ちです。どうかご了承くださいませ。
『心と事実』はたくさんの反響をいただきました^^
漠然としたことを言語化できるのってすごくすっきりして、わたし自身気持ちよかったです^^
男女の話として
男は事実でもらい与えた気持ちになり、女は心でもらい与えた気持ちになる。
だから、片方は与えたつもりになっていても片方はもらえていないと思い、なんで〜!!ってことになるのでは?
お互い違いを認識すると解決の糸口が見つかるかもね。
というようなことを書きました。
すべての男女に当てはまるわけではないのですけど、そんな傾向があるよねと楽しんでいただけたら嬉しいなと思います。
で、引き続きかなりかたよった大胆な想像をさせていただきたいのですが。
これは『心と事実』のコメント欄でもすこし話題になったけど、りん子的想像として書いてみたいと思います。
もしかして『ご主人様と奴隷』って、男性側の事実で成立せようとしている関係なのかなって思う。
男性(ご主人様)は女性(奴隷さん)に対して『飼っている』という事実のもと『調教』という事実を与え、奴隷さんからは『奉仕』や『性処理』という事実を受け取り『課題クリア』という事実で忠誠を計る。
奴隷に人格はないとか、恋愛感情は持つなとか、奴隷さんの心を制御するようなことも目にするし、それよりも『何をしたか』でデキの良い悪いを感じているご主人様が多いように思います。
忠誠心を求めるから『ご主人様のために』という心を欲しがっているようにも見えるけど、実は奴隷さん側が辛くても喜んでてもあんまり関係ない気がしません?
『ご主人様のために』というラッピングはさせているけど、中身は事実でもらった気持ちになるのがご主人様?
当然ご主人様が主導の関係でしょうから、だとすると事実を与え、事実でもらった気持ちになることで成立させるのが『ご主人様と奴隷』なんじゃないかと想像したのでした。
で、これもすべてに当てはまるわけではないのでうが、この『心と事実』が『ご主人様と奴隷さん』の間で起こると、奴隷さん自身が負のスパイラルに巻き込まれてしまう?と、また頼まれもしないのに想像してしまったので、ご披露させてください。
事実であげたと思っている男性とと心じゃないともらった気がしない女性がご主人様と奴隷さんになったら、普通の恋人同士はつまずく『心と事実』よりも、解決の糸口が見えないような気がします。
もちろんコミュニケーションが上手に取れているカップルもいるのですから、あくまでも『もしも』だと思ってくださいね。
ご主人様は事実を与えている。
もしかしたら、普通の恋人よりもその事実自体少ないかもしれない。
だって、一般的な主従の場合奴隷さんが与える側だものね。
少ない上に事実なのだから、恐らくその奴隷さんはかなり不安になると思うのです。
飼うといってくれているけど、なんだか実感がわかない。
ときどきもらえるメールも、なんだか寂しい。
で、これが普通の恋人なら『寂しいよ〜』と訴えることができて解決に進むかもしれないし、訴えられるだけでも心の負担は違うだろう。
でも、基本『わがままを言っちゃいけない』とされている奴隷さんだったら。
この寂しいをいってはいけないのではないと、まず我慢するよね。
それでも、人間だもの寂しいと我慢が積もれば、どうしたって表に出る。
寂しい理由もわからないまま、意を決して寂しいを伝える。
もしくは、落ち込む態度に出てしまう。
だけど、それはご主人様と奴隷の間では『わがまま』になるのだよね。
だってご主人様からしたら事実をあげているのだもの。
そして『わがままをいうデキの悪い奴隷』という烙印を押される。
奴隷さんは問題解決もできないまま、ただごめんなさいをするしかない。
だって、事実じゃもらえていないことをわからないのだからね、謝るしかない。
一度『ごめんなさい』をした奴隷さんは、それ以降さらに寂しいを伝えることもできず、また我慢する。
そしてまた我慢が積もって、寂しいと思う自分を責め、表に出すことで『ごめんなさい』を増やす。
こんな負のスパイラルを想像してしまったのです。
その『寂しい』は、事実しか(しかも多分少ない)もらえていないから正当だと思えたら、奴隷さん自身どんなにラクでしょう。
そこから、解決のスタートを切れると思いません?
心がないともらえた気がしないと訴えてもいいし。
もしかしたら、恋人とは違うのだから事実で満足するような関係を作ることになるかもしれない。
それだとしても、それがわかっているのといないのでは奴隷さんの負担が全然違うよね。
いずれにしても、その訴えに耳を貸さない人をご主人様にするのはおススメしないけど。
ただでさえ『優劣』らしきものがある主従が多いのだから、奴隷さんが不当な『ごめんなさい』ばかり増やす付き合いはやめたほうがいいよね。(『不当な』ですよ)
『心と事実』のご主人様と奴隷さんヴァージョンは一歩間違うと奴隷さんが負のスパイラルに陥る可能性があるかもしれないですよね。
そうじゃないカップルはたくさんいます。
むしろわたしが直接知っている方々などは心も通わせている方ばかりです。
もっというと、心のほうが立派で事実は劣ってるともいいません^^(わたしは心がいいけれどね)
ただ、時々表面上『事実による負のスパイラル』みたいに見えるブログなどを読んで、主従でも『心と事実』の認識があればラクだろうな〜と思ったのでした。
問題の本質がわかると解決に繋がりますものね。
不当な『ごめんなさい』はいらないよね^^