夢見る頃をすぎても4
独特な幸福感
人は怒りで震えるということがあるんだ。
夕方に届いたモカちゃんからのメールを那智さんに伝えた。
ちなみに、5%くらいの怒りはモカちゃんを悩ませた那智さんに対して。モカちゃんは、これを伝えるべきか、伝えるならどういうトーンならわたしが悲しくならないか、きっとたくさん考えてくれたはずだ(だから夕方までかかってしまったんだね)、だからそんな負担をかけさせた那智さんに対して。そして2%くらいの怒りは、避けられない事態だったことはわかるけどクッキーを受け取ったモカちゃんに対して。これに対しては彼女も『喜んじゃったしね』と認めてくれている。ここは敢えてモカちゃんのことも書きますね。それはわたしたちが対等な関係だという証拠^^
残りは、ただただ那智さんの行為に対する怒りだった。
酔っぱらっていれば何でも許されるわけない。
酔っていても犯罪は犯さないのだから、たとえ忘れていたとしても『判断』しているんだ。
まずその判断に対してきちんと謝罪をしてもらった。
その後も話し合いを繰り返す。
話し合ううちに怒りと失望の理由が感じられてくる。
どうやら、ふたりの間でこの行為の重大さに、どうしても埋められないギャップがあったこともわたしを釈然とさせてくれなかったのだ。
那智さんはモカちゃんじゃなくても手土産を渡すことはあるし、それとこれに差異はないつもりのようだ。
プレゼントしたい人にはする、そこに他意はないということらしい。
ましてブランド品や高価なものでもない駅の売店のクッキーだ、それにりん子が怒り震えることが理解できなかったのだ。
一方、わたしは、かつてわたしを苦しめた『娘扱い』の対象である彼女に、わたしのいないところでプレゼントしたことが、尚かつそれが『クマのクッキー』というお父さんが小さな女の子に買ってあげるようなわたしがほしくてももらえなかったものだということが許せなかった。
『ぬいぐるみ』というエントリーでクマのぬいぐるみを買ってもらって『わたしは女の子でいることが好きな女だ』思えたと書いた。
クマはある意味わたしの『女の子』の象徴でもあった。
あのぬいぐるみはわたしが選んだ。
クマのクッキーは那智さんが買ってあげようと思って買った。
『わたしのほしいもの』をわたしじゃない女性に自主的に買ってあげたのだ。
あれほど苦しいと訴えてもなお那智さんは『わたしのほしいもの』をあげていたのだ。
3人のとき苦しかったのは『基本3人と言われたこと』と『わたしのほしい娘をあげていること』と『わたしの悲しいをわかってくれないこと』だった。
この『クマのクッキー』を買ってあげるという行為は『わたしのほしいものをあげる』『悲しいをわかってくれていない』と思わせる行為だ。
怒りと失望。
謝罪をしてもらっても、この感情のギャップと悲しい気持ちをわかってくれないことが怒りと失望を鎮めてくれなかった。
『基本3人』のショックは和らいでいたものの、一生懸命塞ごうとしている残りのふたつの苦しいの傷口に再びナイフを突き立てるようなことだった。
傷口からダラダラと血が流れるような中でも、那智さんのスタンスはほとんど変わらなかった。
俺はりん子が大事。
だけどりん子の機嫌を伺って行動や言動を変えたくない。
それをしたらりん子が俺を信じられなくなるだろ。
いまは悲しいかもしれないし好きが減っているかもしれないけど、いつかもっと深くなれたねって思える日が来ることを楽しみにしている。
いまは俺とりん子ふたりだということ、それを信じてもらうしかない
このスタンスで、また積み上げる日々がはじまった。
言葉の通り那智さんはずっとわたしを大事にしてくれて、何も変わらず愛してくれていた。
ときどきほんの少しいたわってくれているな、上塗りをしてくれているなと感じさせてくれるけど、基本は変わらない。
淡々といつものように優しく真摯に積み上げる。
涙を流し、伝え、話をして安心する。
その都度いろいろな角度から本当にたくさんの話し合いをした。
『クマのクッキー』の衝撃を和らげるような対処療法のような日々。
時間かけて日中突然涙が溢れるようなことはなくなってきた。
那智さんに触れると幸せな気持ちになれる、ちょっと安堵する。
それでもやっぱり『女の子』の感覚はないままだ。
無邪気に無垢に疑うことなくあなたを信じて身を任せる、という気持ちになれない。
会って、触れると一瞬戻るような気がするけど、すぐいなくなる。
那智さんのことを無邪気に信じられないということは、とても苦しいことだった。
この苦しさは怒りや悲しみではなく、わたし自身の心に対してだった。
たとえば『ぬいぐるみ』を買ってくれたときのような、たとえば那智少年の家のカフェに出会ったときのような、首の長さを測ってもらったときのような、あの何の心配事もなく那智さんに寄りかかれていた、綿菓子みたいなふわふわしてキレイな気持ちにはもうなれないのだろうか。
それでも那智さんを愛しているということに価値があるのだろうか。
諦めるのか、それが正解なのか。
綿菓子のような気持ちになれないこと、それを諦めてしまいそうなこと。
それを諦めるのは那智さんとの付き合いにおいて決定的な損失になると感じていた。
苦しいのは、諦めそうな心と諦めたくない心の葛藤だった。
那智さんを疑うことなくまっすぐ信じられないということは『対等で上下』の関係に大きな影を落とす。
たとえばとても些細なこと、那智さんがモカちゃんのことを『アイツ』と呼ぶ、そんなようなことに過剰に反応するようになってしまう。
まるで一度傷を負わされたネコが近寄る人を威嚇するように。
那智さんは『アイツ』と呼んだことに、それ以外の感情や意図はないと言うけれどどうしてもいろいろ考えてしまう。
モカちゃんのことが可愛くて可愛くてしょうがないんじゃないか。
本当はおしまいにしたことを後悔しているんじゃないか。
深読みや裏読み。
長年かけて構築していた策略や打算のない中でまっすぐに信頼するという上下の下の感情が脆くも崩れていきそうになる。
そして、そうなると疑う泥沼から這い上がりたくて間違った方法をとってしまう。
『心ちゃんと事実さん』というエントリーで書いたようなことを戯れ言ではない場面でしてしまうのだ。
たとえば『アイツ』と聞いたあとに這い上がりたくてこんなことを切り出してみる。
「那智さん、わたしがもう一回モカちゃんを仲間に入れてってお願いしたらどうします?」
実際どう思うかではなく『もうしないよ』とだけ言ってくれればいいのだ。
(わたしだって3人のときの郷愁はあるのだから100%否定というわけじゃないのだしね)
でも那智さんはウソをついてくれない。
「もしもう一度ということなら、今度は違う付き合い方をするな」
「どんな付き合い方?(あー、そんなこと聞きたいんじゃないよ〜^^;)」
「たとえば、モカちゃんの教育というスタンスではなくて、もっと俺の快感を優先するとか」
こんなふうにその質問に対する答えを言ってくれちゃうのだ^^;
結局、傷口を広げるようなことになってしまう。
(この失敗があのエントリーを書かせた 笑)
疑うということは、更なる泥沼にわたしを突き落とす。
それでもスタンスは変わらない。
俺は、りん子に質問されたから考えて答えただけ。
その答えにウソをつきたくないだけだよ。
ちょっと気持ちをねじ曲げて『もうしないよ』なんて言ってくれればいいのに、そうしたほうが那智さんだってラクなはずなのに変えてくれない。
いまはこの姿勢が新しい思考回路を作ってくれたからいいのだけど(これは後日の予定^^)、それまではずっと『ウソをつきたくない那智さん』と『わたしの気持ちをわかってくれない』の失敗が何度かあって、そのたびにまた疑うことなく信じる『女の子』的な感情を諦めないといけないのかなと思っていた。
秋が過ぎ、コートが必要な季節になり。
『女の子』のような気持ちが戻らない苦しさが続く中それでも基本的には普通に愛し合う日々は送れるようになっていたのだけど、那智さんの些細なひと言に落ち込み、それをなんとか再生したいと同じようなことを繰り返してしまった。
わたしの投げかけに対して、それに対する答えを言ってくれちゃうのだ
やっぱり、那智さんはウソをついてくれない。
もう何回目だ。
大げさだけど死ぬほど自分の心を見つめて、話し合いを繰り返しても、様々な思考回路の那智正や確認を重ねても、なお積み上げては崩れる。
俺はりん子のことが大事だ。
いつかよかったと思える日が必ず来る。
それを楽しみにしよう。
でも俺はりん子に対して思ったことを口にしたい。
そうしないとりん子は俺を信じられなくなるだろ。
同じことを言い続けてくれる。
『いつか』と那智さんはいうけれど、その日が来る前にたくさんのものを諦めてしまいそうだ。
『夢見る頃を過ぎても』と。
わたしは大人だ、夢だけ見ているわけではない。
だけど那智さんに対して『女の子』でいることは『夢』だ。
夢見る頃を過ぎても、なお夢を見る『女の子』を持っていたい。
だって、あの綿菓子みたいな『女の子』は、疑うことなくまっすぐ信じていられる『下』は、わたしにとって何にも代え難い幸福なんだ。
どうしたらいいのだろう。
わたしとしては八方塞がりな週末だった。
ふと視線を落とす。
新聞にある地名が載っていた。
それは3人が会っていた街の名前。
これまでわたしはこの地名に触れるとドキドキしてしまっていた。
不思議なものでモカちゃんに会うことよりも『薬指』を読み返すよりも、あの地名に触れることが『苦しかった』ことを蘇らせていた。
不意に思いついた。
次のデートのときあの街に行こう。
モカちゃんに会うと『あの楽しいは本当だった』とせつなく思える。
過去エントリーを読むと胸が甘く高鳴る。
だったらあの街に行くことで、苦しかったことをおしまいにすることができるかもしれない。
那智さんとの新しい思い出を作れば、そこは3人の楽しい思い出の街になってくれるかもしれない。
もしかしたら、傷に塩を塗る行為になる可能性もある。
でもわたしは藁をも掴む思いだった。
明後日のデート○○に行ってくれませんか?
提案する。
那智さんはこの提案をわたしからすることに価値があり、それを待っていたのだそうだ。
逃げるのではなく前に進むための良い考えだと褒めてくれた。
ねえ、那智さん。
○○でわたしを手を繋いで。
3人のとき、那智さんはわたしとふたり手を繋いででモカちゃんを見ていたと言っていましたよね。
じゃあ、ホントに繋いで歩いてください。
そしてモカちゃんにしたことをわたしにもして。
同じオモチャがほしいとヤキモチを焼く子供のようなお願いをする。
もしダメだったら、また別な方法を一緒に考えてもらおう。
那智さんに対して『女の子』のようにまっすぐに疑わず信じる綿菓子のような心を取り戻すことを諦めたくはなかった。
雨が上がりの朝、もう一度あの街の駅に降りた。
<関連エントリー>
失敗しちゃう『心ちゃんと事実さん』
あの頃のようになれないかもしれないと思った、あの頃^^
『ぬいぐるみ』
『小さな奇跡』
『過去の私、未来の私』
ちょっといっぱいだけど『対等で上下』について
『ゴールを決めない』
『ゴールを決めない理由』
『疑うことなく身を任せ、素直に表現する』
『対等で上下』
人は怒りで震えるということがあるんだ。
夕方に届いたモカちゃんからのメールを那智さんに伝えた。
ちなみに、5%くらいの怒りはモカちゃんを悩ませた那智さんに対して。モカちゃんは、これを伝えるべきか、伝えるならどういうトーンならわたしが悲しくならないか、きっとたくさん考えてくれたはずだ(だから夕方までかかってしまったんだね)、だからそんな負担をかけさせた那智さんに対して。そして2%くらいの怒りは、避けられない事態だったことはわかるけどクッキーを受け取ったモカちゃんに対して。これに対しては彼女も『喜んじゃったしね』と認めてくれている。ここは敢えてモカちゃんのことも書きますね。それはわたしたちが対等な関係だという証拠^^
残りは、ただただ那智さんの行為に対する怒りだった。
酔っぱらっていれば何でも許されるわけない。
酔っていても犯罪は犯さないのだから、たとえ忘れていたとしても『判断』しているんだ。
まずその判断に対してきちんと謝罪をしてもらった。
その後も話し合いを繰り返す。
話し合ううちに怒りと失望の理由が感じられてくる。
どうやら、ふたりの間でこの行為の重大さに、どうしても埋められないギャップがあったこともわたしを釈然とさせてくれなかったのだ。
那智さんはモカちゃんじゃなくても手土産を渡すことはあるし、それとこれに差異はないつもりのようだ。
プレゼントしたい人にはする、そこに他意はないということらしい。
ましてブランド品や高価なものでもない駅の売店のクッキーだ、それにりん子が怒り震えることが理解できなかったのだ。
一方、わたしは、かつてわたしを苦しめた『娘扱い』の対象である彼女に、わたしのいないところでプレゼントしたことが、尚かつそれが『クマのクッキー』というお父さんが小さな女の子に買ってあげるようなわたしがほしくてももらえなかったものだということが許せなかった。
『ぬいぐるみ』というエントリーでクマのぬいぐるみを買ってもらって『わたしは女の子でいることが好きな女だ』思えたと書いた。
クマはある意味わたしの『女の子』の象徴でもあった。
あのぬいぐるみはわたしが選んだ。
クマのクッキーは那智さんが買ってあげようと思って買った。
『わたしのほしいもの』をわたしじゃない女性に自主的に買ってあげたのだ。
あれほど苦しいと訴えてもなお那智さんは『わたしのほしいもの』をあげていたのだ。
3人のとき苦しかったのは『基本3人と言われたこと』と『わたしのほしい娘をあげていること』と『わたしの悲しいをわかってくれないこと』だった。
この『クマのクッキー』を買ってあげるという行為は『わたしのほしいものをあげる』『悲しいをわかってくれていない』と思わせる行為だ。
怒りと失望。
謝罪をしてもらっても、この感情のギャップと悲しい気持ちをわかってくれないことが怒りと失望を鎮めてくれなかった。
『基本3人』のショックは和らいでいたものの、一生懸命塞ごうとしている残りのふたつの苦しいの傷口に再びナイフを突き立てるようなことだった。
傷口からダラダラと血が流れるような中でも、那智さんのスタンスはほとんど変わらなかった。
俺はりん子が大事。
だけどりん子の機嫌を伺って行動や言動を変えたくない。
それをしたらりん子が俺を信じられなくなるだろ。
いまは悲しいかもしれないし好きが減っているかもしれないけど、いつかもっと深くなれたねって思える日が来ることを楽しみにしている。
いまは俺とりん子ふたりだということ、それを信じてもらうしかない
このスタンスで、また積み上げる日々がはじまった。
言葉の通り那智さんはずっとわたしを大事にしてくれて、何も変わらず愛してくれていた。
ときどきほんの少しいたわってくれているな、上塗りをしてくれているなと感じさせてくれるけど、基本は変わらない。
淡々といつものように優しく真摯に積み上げる。
涙を流し、伝え、話をして安心する。
その都度いろいろな角度から本当にたくさんの話し合いをした。
『クマのクッキー』の衝撃を和らげるような対処療法のような日々。
時間かけて日中突然涙が溢れるようなことはなくなってきた。
那智さんに触れると幸せな気持ちになれる、ちょっと安堵する。
それでもやっぱり『女の子』の感覚はないままだ。
無邪気に無垢に疑うことなくあなたを信じて身を任せる、という気持ちになれない。
会って、触れると一瞬戻るような気がするけど、すぐいなくなる。
那智さんのことを無邪気に信じられないということは、とても苦しいことだった。
この苦しさは怒りや悲しみではなく、わたし自身の心に対してだった。
たとえば『ぬいぐるみ』を買ってくれたときのような、たとえば那智少年の家のカフェに出会ったときのような、首の長さを測ってもらったときのような、あの何の心配事もなく那智さんに寄りかかれていた、綿菓子みたいなふわふわしてキレイな気持ちにはもうなれないのだろうか。
それでも那智さんを愛しているということに価値があるのだろうか。
諦めるのか、それが正解なのか。
綿菓子のような気持ちになれないこと、それを諦めてしまいそうなこと。
それを諦めるのは那智さんとの付き合いにおいて決定的な損失になると感じていた。
苦しいのは、諦めそうな心と諦めたくない心の葛藤だった。
那智さんを疑うことなくまっすぐ信じられないということは『対等で上下』の関係に大きな影を落とす。
たとえばとても些細なこと、那智さんがモカちゃんのことを『アイツ』と呼ぶ、そんなようなことに過剰に反応するようになってしまう。
まるで一度傷を負わされたネコが近寄る人を威嚇するように。
那智さんは『アイツ』と呼んだことに、それ以外の感情や意図はないと言うけれどどうしてもいろいろ考えてしまう。
モカちゃんのことが可愛くて可愛くてしょうがないんじゃないか。
本当はおしまいにしたことを後悔しているんじゃないか。
深読みや裏読み。
長年かけて構築していた策略や打算のない中でまっすぐに信頼するという上下の下の感情が脆くも崩れていきそうになる。
そして、そうなると疑う泥沼から這い上がりたくて間違った方法をとってしまう。
『心ちゃんと事実さん』というエントリーで書いたようなことを戯れ言ではない場面でしてしまうのだ。
たとえば『アイツ』と聞いたあとに這い上がりたくてこんなことを切り出してみる。
「那智さん、わたしがもう一回モカちゃんを仲間に入れてってお願いしたらどうします?」
実際どう思うかではなく『もうしないよ』とだけ言ってくれればいいのだ。
(わたしだって3人のときの郷愁はあるのだから100%否定というわけじゃないのだしね)
でも那智さんはウソをついてくれない。
「もしもう一度ということなら、今度は違う付き合い方をするな」
「どんな付き合い方?(あー、そんなこと聞きたいんじゃないよ〜^^;)」
「たとえば、モカちゃんの教育というスタンスではなくて、もっと俺の快感を優先するとか」
こんなふうにその質問に対する答えを言ってくれちゃうのだ^^;
結局、傷口を広げるようなことになってしまう。
(この失敗があのエントリーを書かせた 笑)
疑うということは、更なる泥沼にわたしを突き落とす。
それでもスタンスは変わらない。
俺は、りん子に質問されたから考えて答えただけ。
その答えにウソをつきたくないだけだよ。
ちょっと気持ちをねじ曲げて『もうしないよ』なんて言ってくれればいいのに、そうしたほうが那智さんだってラクなはずなのに変えてくれない。
いまはこの姿勢が新しい思考回路を作ってくれたからいいのだけど(これは後日の予定^^)、それまではずっと『ウソをつきたくない那智さん』と『わたしの気持ちをわかってくれない』の失敗が何度かあって、そのたびにまた疑うことなく信じる『女の子』的な感情を諦めないといけないのかなと思っていた。
秋が過ぎ、コートが必要な季節になり。
『女の子』のような気持ちが戻らない苦しさが続く中それでも基本的には普通に愛し合う日々は送れるようになっていたのだけど、那智さんの些細なひと言に落ち込み、それをなんとか再生したいと同じようなことを繰り返してしまった。
わたしの投げかけに対して、それに対する答えを言ってくれちゃうのだ
やっぱり、那智さんはウソをついてくれない。
もう何回目だ。
大げさだけど死ぬほど自分の心を見つめて、話し合いを繰り返しても、様々な思考回路の那智正や確認を重ねても、なお積み上げては崩れる。
俺はりん子のことが大事だ。
いつかよかったと思える日が必ず来る。
それを楽しみにしよう。
でも俺はりん子に対して思ったことを口にしたい。
そうしないとりん子は俺を信じられなくなるだろ。
同じことを言い続けてくれる。
『いつか』と那智さんはいうけれど、その日が来る前にたくさんのものを諦めてしまいそうだ。
『夢見る頃を過ぎても』と。
わたしは大人だ、夢だけ見ているわけではない。
だけど那智さんに対して『女の子』でいることは『夢』だ。
夢見る頃を過ぎても、なお夢を見る『女の子』を持っていたい。
だって、あの綿菓子みたいな『女の子』は、疑うことなくまっすぐ信じていられる『下』は、わたしにとって何にも代え難い幸福なんだ。
どうしたらいいのだろう。
わたしとしては八方塞がりな週末だった。
ふと視線を落とす。
新聞にある地名が載っていた。
それは3人が会っていた街の名前。
これまでわたしはこの地名に触れるとドキドキしてしまっていた。
不思議なものでモカちゃんに会うことよりも『薬指』を読み返すよりも、あの地名に触れることが『苦しかった』ことを蘇らせていた。
不意に思いついた。
次のデートのときあの街に行こう。
モカちゃんに会うと『あの楽しいは本当だった』とせつなく思える。
過去エントリーを読むと胸が甘く高鳴る。
だったらあの街に行くことで、苦しかったことをおしまいにすることができるかもしれない。
那智さんとの新しい思い出を作れば、そこは3人の楽しい思い出の街になってくれるかもしれない。
もしかしたら、傷に塩を塗る行為になる可能性もある。
でもわたしは藁をも掴む思いだった。
明後日のデート○○に行ってくれませんか?
提案する。
那智さんはこの提案をわたしからすることに価値があり、それを待っていたのだそうだ。
逃げるのではなく前に進むための良い考えだと褒めてくれた。
ねえ、那智さん。
○○でわたしを手を繋いで。
3人のとき、那智さんはわたしとふたり手を繋いででモカちゃんを見ていたと言っていましたよね。
じゃあ、ホントに繋いで歩いてください。
そしてモカちゃんにしたことをわたしにもして。
同じオモチャがほしいとヤキモチを焼く子供のようなお願いをする。
もしダメだったら、また別な方法を一緒に考えてもらおう。
那智さんに対して『女の子』のようにまっすぐに疑わず信じる綿菓子のような心を取り戻すことを諦めたくはなかった。
雨が上がりの朝、もう一度あの街の駅に降りた。
<関連エントリー>
失敗しちゃう『心ちゃんと事実さん』
あの頃のようになれないかもしれないと思った、あの頃^^
『ぬいぐるみ』
『小さな奇跡』
『過去の私、未来の私』
ちょっといっぱいだけど『対等で上下』について
『ゴールを決めない』
『ゴールを決めない理由』
『疑うことなく身を任せ、素直に表現する』
『対等で上下』