こういうSMはどう?
非日常的な日常
和室しか空いていなかった。
通された部屋は、あまり広くなく畳に分厚いマットレスがじかに置かれていた。
お茶を入れ、一服。
前々回の一体感、前回の流れを止める、両方とも鞭をしたから今日はしないかなと漠然と思っていた。
那智さんはあまり同じことを続けない人だから。
裸になり、マットレスの上で次の展開をすこし不安気に待つ。
ホテルの玄関から靴べらを持ってきた。
靴べらか…。
靴べらは痛い。
でも、ゴムのバラ鞭の痛さに比べたら『痛くない』(笑)
わたしが痴人状態になるにはものすごく痛くないとなれないのだけど、靴べらの痛さでは『普通に痛いだけ』に終止してしまう。
さらに、痛さを種類分けするとしたら、靴べらは表面の痛さでゴムのバラ鞭は表面の痛さと重く肉に響く痛さの両方あるのだけど、わたしは表面の痛さだけは好きじゃないらしい。
うるさい小蝿がまとわりついているような、極々わずかに不快感さえ感じてしまいそうになるほどなのだ。
とにかく、夢中になりにくい。
それでもここのホテルの靴べらは分厚く硬いプラスチック。
バチン!!と太ももを打てば「痛い、痛い」と地団駄を踏む。
だけど、やっぱり痛みに夢中にはなれない、ただ普通に痛い状態、ただ「痛い、痛い」と笑いながら顔をしかめるわたしの反応は那智さんの思い通りではなかったのだろう。
やっぱり、これがいいね
そういって鞭を手にした。
3回連続で鞭。
どういう意味か自分でもわからないけど、ため息が出るような気分。
最初の1発、中くらい。
続けて同じくらいを2発。
靴べらで煮え切らない状態だった欲望は、もうこれだけで充分快感に火をつける。
ああ、簡単に気持ちよくなる。
強く、何度も何度も振り下ろされる。
ベッドより低い位置にあるマットレスは遠心力が増すのだ。
たぶん、より一層痛い。
あっという間に『とろん』とする。
数発打ち、那智さんにすり寄りキスをして乳首を触ってもらう。
もう、気持ちよくて気持ちよくてたまらない。
目の焦点が合わず、半開きの口には唾液が溜まる。
いい顔
うつ伏せのお尻。
上半身を起こした状態の腰。
太もも、背中。
最近は打つ場所が増えた。
強烈な数発をお尻、間髪入れずに太もも背中、新しい痛みにくぅとなっていると、また強烈なお尻への数発。
那智さん、これ、普通、無理ですよ。
人って、こんなに痛いことが平気になるんだぁ、普通、痛いよね?
己の異常な状態に、笑い出してしまう。
ああ、うれしい、痛くて痛くて、気持ちよくて、頭が狂いそうに気持ちいい。
痺れたお尻を那智さんがつかむ。
性感帯の全部を一度に刺激されたような気持ちよさ。
那智さん、気持ちいいです!!
しがみつきお尻を握りつぶされイク。
入れて入れてとせがんだら、「すこしだけね」おまんこに指を入れてくれた。
ぜんぜん美しくない声が響く。
ああ、わたし、いま可愛くない。
股を開き、指に合わせて腰をする可愛くないわたしに快感。
いいこ、いいこと可愛くないわたしを可愛がる那智さんに、たまらない幸福感。
もう、制御不能。
朦朧として、笑い、腰を振り、那智さんの体を舐める。
足を開いて
ああ、おまんこを打つんだ。
朦朧とした意識がわずかに覚醒する。
怖い、でも、わたしはこれをずっと待ち焦がれていたようにも思う。
うつ伏せのわたしの足を那智さんの手で開く。
わたしに跨がり、振り下ろす。
数発。
お尻に当たるほうが強くてちゃんとヒットしない。
ダメだね、反対
そういって、またわたしに手をかけ仰向けを促す。
また、すっと足に手を置き開く仕草し合わせておまんこを露わにする。
那智さんの意思で動くお人形みたいでうれしい。
恐怖に向かって動く人形だ。
怖い、怖い、ぜったい痛い。
1、2
怖い、怖いと叫ぶ。
3、4。
最後の1発はちゃんとはまった。
弱い力にしてくれたけど、きっちりはまるとナイフのように痛い。
痛いよーーー、那智さん!!
わーーーんと涙が溢れた。
那智さんにしがみつき「怖かった、怖かった」とえんえん泣く。
よかったね〜
うれしかったね〜
髪を撫で、キスをしてくれる。
そう、よかったのだ。
怖くて、痛くて、しょうがなかった。
きっとこの先もっと痛くされていくだろう、その予感も怖い。
だけど、わたしはこの恐怖と痛みがうれしくてしかたがない。
怖くて泣いたのは、際限なく恐怖と痛みを求めてしまう自分も怖かったからだ。
大きな声で痛がり、快感に溺れ、キスをする。
痛みに泣き、笑い、意識が朦朧とする。
那智さんの前でありとあらゆるわたしを見せ、それをすべて肯定し、慈しんでくれる。
そこには厳しい空気も蔑みの感情もない、ふわふわとした許容と快感と愛情の授受があるだけだ。
あまりに気持ちよくて幸福で、永遠に痛くしてとぼんやりと思っていた。
とろんとした痴人状態のわたしを撫でながら言った那智さんの言葉がこの時間を物語っていた。
みんな、こんなふうにSMすれば、楽しいのにね
こういうSM、どうでしょう^^
<関連エントリー>
『鞭の一体感』
『流れを止める』
「等式」感想です。あのさ~皆がみんな、りん子みたいに痛覚によって、快感を得ることが出来るわけではないので、私の発言と言えどももう少し補足説明があっても良いのでは?(笑)確かに素晴らしい時間だったとはおもうけれどね。
和室しか空いていなかった。
通された部屋は、あまり広くなく畳に分厚いマットレスがじかに置かれていた。
お茶を入れ、一服。
前々回の一体感、前回の流れを止める、両方とも鞭をしたから今日はしないかなと漠然と思っていた。
那智さんはあまり同じことを続けない人だから。
裸になり、マットレスの上で次の展開をすこし不安気に待つ。
ホテルの玄関から靴べらを持ってきた。
靴べらか…。
靴べらは痛い。
でも、ゴムのバラ鞭の痛さに比べたら『痛くない』(笑)
わたしが痴人状態になるにはものすごく痛くないとなれないのだけど、靴べらの痛さでは『普通に痛いだけ』に終止してしまう。
さらに、痛さを種類分けするとしたら、靴べらは表面の痛さでゴムのバラ鞭は表面の痛さと重く肉に響く痛さの両方あるのだけど、わたしは表面の痛さだけは好きじゃないらしい。
うるさい小蝿がまとわりついているような、極々わずかに不快感さえ感じてしまいそうになるほどなのだ。
とにかく、夢中になりにくい。
それでもここのホテルの靴べらは分厚く硬いプラスチック。
バチン!!と太ももを打てば「痛い、痛い」と地団駄を踏む。
だけど、やっぱり痛みに夢中にはなれない、ただ普通に痛い状態、ただ「痛い、痛い」と笑いながら顔をしかめるわたしの反応は那智さんの思い通りではなかったのだろう。
やっぱり、これがいいね
そういって鞭を手にした。
3回連続で鞭。
どういう意味か自分でもわからないけど、ため息が出るような気分。
最初の1発、中くらい。
続けて同じくらいを2発。
靴べらで煮え切らない状態だった欲望は、もうこれだけで充分快感に火をつける。
ああ、簡単に気持ちよくなる。
強く、何度も何度も振り下ろされる。
ベッドより低い位置にあるマットレスは遠心力が増すのだ。
たぶん、より一層痛い。
あっという間に『とろん』とする。
数発打ち、那智さんにすり寄りキスをして乳首を触ってもらう。
もう、気持ちよくて気持ちよくてたまらない。
目の焦点が合わず、半開きの口には唾液が溜まる。
いい顔
うつ伏せのお尻。
上半身を起こした状態の腰。
太もも、背中。
最近は打つ場所が増えた。
強烈な数発をお尻、間髪入れずに太もも背中、新しい痛みにくぅとなっていると、また強烈なお尻への数発。
那智さん、これ、普通、無理ですよ。
人って、こんなに痛いことが平気になるんだぁ、普通、痛いよね?
己の異常な状態に、笑い出してしまう。
ああ、うれしい、痛くて痛くて、気持ちよくて、頭が狂いそうに気持ちいい。
痺れたお尻を那智さんがつかむ。
性感帯の全部を一度に刺激されたような気持ちよさ。
那智さん、気持ちいいです!!
しがみつきお尻を握りつぶされイク。
入れて入れてとせがんだら、「すこしだけね」おまんこに指を入れてくれた。
ぜんぜん美しくない声が響く。
ああ、わたし、いま可愛くない。
股を開き、指に合わせて腰をする可愛くないわたしに快感。
いいこ、いいこと可愛くないわたしを可愛がる那智さんに、たまらない幸福感。
もう、制御不能。
朦朧として、笑い、腰を振り、那智さんの体を舐める。
足を開いて
ああ、おまんこを打つんだ。
朦朧とした意識がわずかに覚醒する。
怖い、でも、わたしはこれをずっと待ち焦がれていたようにも思う。
うつ伏せのわたしの足を那智さんの手で開く。
わたしに跨がり、振り下ろす。
数発。
お尻に当たるほうが強くてちゃんとヒットしない。
ダメだね、反対
そういって、またわたしに手をかけ仰向けを促す。
また、すっと足に手を置き開く仕草し合わせておまんこを露わにする。
那智さんの意思で動くお人形みたいでうれしい。
恐怖に向かって動く人形だ。
怖い、怖い、ぜったい痛い。
1、2
怖い、怖いと叫ぶ。
3、4。
最後の1発はちゃんとはまった。
弱い力にしてくれたけど、きっちりはまるとナイフのように痛い。
痛いよーーー、那智さん!!
わーーーんと涙が溢れた。
那智さんにしがみつき「怖かった、怖かった」とえんえん泣く。
よかったね〜
うれしかったね〜
髪を撫で、キスをしてくれる。
そう、よかったのだ。
怖くて、痛くて、しょうがなかった。
きっとこの先もっと痛くされていくだろう、その予感も怖い。
だけど、わたしはこの恐怖と痛みがうれしくてしかたがない。
怖くて泣いたのは、際限なく恐怖と痛みを求めてしまう自分も怖かったからだ。
大きな声で痛がり、快感に溺れ、キスをする。
痛みに泣き、笑い、意識が朦朧とする。
那智さんの前でありとあらゆるわたしを見せ、それをすべて肯定し、慈しんでくれる。
そこには厳しい空気も蔑みの感情もない、ふわふわとした許容と快感と愛情の授受があるだけだ。
あまりに気持ちよくて幸福で、永遠に痛くしてとぼんやりと思っていた。
とろんとした痴人状態のわたしを撫でながら言った那智さんの言葉がこの時間を物語っていた。
みんな、こんなふうにSMすれば、楽しいのにね
こういうSM、どうでしょう^^
<関連エントリー>
『鞭の一体感』
『流れを止める』
「等式」感想です。あのさ~皆がみんな、りん子みたいに痛覚によって、快感を得ることが出来るわけではないので、私の発言と言えどももう少し補足説明があっても良いのでは?(笑)確かに素晴らしい時間だったとはおもうけれどね。
罪悪感
りん子的独り言(エラそう)
不倫についてのエントリーです。
不倫を美化するつもりはありませんが、かといって負の扱いもしていません。
ですので、不快に思いそうな方はお気をつけくださいませ。
罪悪感。
『りん子さんは罪悪感を感じたことはありませんか』と聞かれたことがある。
家庭を持っているその方はご主人様の会いに行くことに罪悪感を感じ、せっかく会える機会をキャンセルしてしまったことがあるそうだ。
わたしは『罪悪感はあった』と過去形で答えた。
あえて、改めて触れるけど、わたしは結婚しているし子どももいる。
いわゆる不倫というヤツだ。
だから、家族にウソをついているし内緒事もあるのだ、罪悪感がないわけがない。
でも、じつはずいぶん初期の段階で、その罪悪感はなくした。
何度も書いているけど、那智さんは『わたしを幸せにする、そのためにわたしの周囲も幸せにする』と宣言してから、本当にわたしの家庭や、その周辺のことに関与している。
我が子が深刻ないじめに発展しそうな事態になったときには、何時間も時間を割いて対策を考えてくれたし、我が子の進路の相談にもずいぶん乗ってくれた(ラブホで^^)
それと同様にコンプレックスのもとだった父に対する姿勢やちょっと子どもな夫に対する対処なども話し合ってくれた。
具体的な対処方法はもちろんだけど、人と素直に付き合うことや自分にウソをつかない生き方という根本的なことも教えてもらい、その経験をたくさん積ませてもらった。
そのおかげで、わたしは本当に本当に本当に生きやすくなった。
だから、じつは那智さんと出会う前より夫との関係が良好になっている。
もちろん一番の大きなウソをついているのだから褒められたことではないけど、でも、男性の不機嫌が怖いわたしが素直に『快不快』を伝え、彼の気持ちも素直に聞き、那智さんのいう『互いに心地よくいられるように努力する』姿勢で日々を送ると、わたしも穏やかでいられるし、夫も変わっていった。
もちろん、年齢とともに彼自身成長した部分もあるけれど、やっぱり、わたしの姿勢が影響していることは実感できている。
(けっこうね、素直に『不快』を伝えることって大事だというのがわかる)
わたしが幸せになることで周囲も幸せになる。
わたしには那智さんがいてくれるという事実は背筋をまっすぐにし、我が子のいじめや夫への恐怖に立ち向かう勇気を与えてくれた。(わあ、夫の恐怖とか言ってるけど、別に暴力とかじゃないですよ、わたしが男性の不機嫌に対して過剰に恐がりなの)
常日頃からずーーっと一貫している那智さんのスタンス、それによる変化を目の当たりしているとわたしが罪悪感を持ってはいけないと思ったのだ。
罪の意識で周囲を幸せにするのとは違うんだ。
那智さんと会いたくさんたくさん生きる糧をもらい、そして、その力をわたしの周囲に向ける、とても自然な感情だった。
常識的には悪いことだろう。
でも、わたしの人生において、これがベストだった。
当然、不貞行為や反社会的行為をしているのだから、罪の意識を持つのは当たり前なのだけど、その罪悪感があるからと那智さんへの気持ちを抑えることはできない。
仮に抑える努力をしたとしたら良好な精神状態でいられる自信がない。
申し訳ないけれど、それがわたしの人生のベストだからだ。
すでに罪を犯し、そして、それをまっとうする人生を選んでいるのだ、それならば、わたしは全身全霊で那智さんを求め生きやすい人生をもらい、それと同じように全身全霊で周囲を幸せにするほうを選ぶ。
世間的には悪いことだと理解しつつも、わたしは家族にも那智さんにも、そして、わたし自身にも笑顔でいられるほうを選ぶ。
罪悪感という感情は厄介だ、じつは、純粋な罪の意識以外にもわずかに自己憐憫や罪悪感を持つことで免罪符代わりにしてしまっている場合もある。
わずかに感じる自己憐憫や免罪符の気持ちがあるとしたら、それは無駄な感情。
罪悪感でふさぎ込んでいる場合ではない。
そんなふうに思うから『罪悪感はあったけど、なくした』。
そして、もっと単純に、子どもの頃からずっと欲していたもの、性的な部分と精神的な部分と、わたしの場合は両方。
それを那智さんが埋めてくれている。
叶わないと思ったことがすっとずっと叶っている。
この人生を送ることができるなら、罪の意識の重さなんて自分の中だけで消化する。
那智さんにも周囲にも笑顔でいるよ。
それほどまでにきっとわたしは求めていたし、これからも求める。
那智さんと出会う人生と出会わない人生だったら圧倒的に出会うほうを選ぶ、だから、罪悪感なんて自分で消化する。
そして、笑顔でいる。
でね。
罪悪感を引き受けても、それでもどうしてもしたいのだと思えるならすればいい。
そこまで思えないのならしないほうが賢明だと思うのだ。
「等式」感想です。前にも書いたかもしれないが、私はりん子を通じ自己実現しているのだと思う。偉そうに達観していた人生がりん子の存在で豊かになった。
不倫についてのエントリーです。
不倫を美化するつもりはありませんが、かといって負の扱いもしていません。
ですので、不快に思いそうな方はお気をつけくださいませ。
罪悪感。
『りん子さんは罪悪感を感じたことはありませんか』と聞かれたことがある。
家庭を持っているその方はご主人様の会いに行くことに罪悪感を感じ、せっかく会える機会をキャンセルしてしまったことがあるそうだ。
わたしは『罪悪感はあった』と過去形で答えた。
あえて、改めて触れるけど、わたしは結婚しているし子どももいる。
いわゆる不倫というヤツだ。
だから、家族にウソをついているし内緒事もあるのだ、罪悪感がないわけがない。
でも、じつはずいぶん初期の段階で、その罪悪感はなくした。
何度も書いているけど、那智さんは『わたしを幸せにする、そのためにわたしの周囲も幸せにする』と宣言してから、本当にわたしの家庭や、その周辺のことに関与している。
我が子が深刻ないじめに発展しそうな事態になったときには、何時間も時間を割いて対策を考えてくれたし、我が子の進路の相談にもずいぶん乗ってくれた(ラブホで^^)
それと同様にコンプレックスのもとだった父に対する姿勢やちょっと子どもな夫に対する対処なども話し合ってくれた。
具体的な対処方法はもちろんだけど、人と素直に付き合うことや自分にウソをつかない生き方という根本的なことも教えてもらい、その経験をたくさん積ませてもらった。
そのおかげで、わたしは本当に本当に本当に生きやすくなった。
だから、じつは那智さんと出会う前より夫との関係が良好になっている。
もちろん一番の大きなウソをついているのだから褒められたことではないけど、でも、男性の不機嫌が怖いわたしが素直に『快不快』を伝え、彼の気持ちも素直に聞き、那智さんのいう『互いに心地よくいられるように努力する』姿勢で日々を送ると、わたしも穏やかでいられるし、夫も変わっていった。
もちろん、年齢とともに彼自身成長した部分もあるけれど、やっぱり、わたしの姿勢が影響していることは実感できている。
(けっこうね、素直に『不快』を伝えることって大事だというのがわかる)
わたしが幸せになることで周囲も幸せになる。
わたしには那智さんがいてくれるという事実は背筋をまっすぐにし、我が子のいじめや夫への恐怖に立ち向かう勇気を与えてくれた。(わあ、夫の恐怖とか言ってるけど、別に暴力とかじゃないですよ、わたしが男性の不機嫌に対して過剰に恐がりなの)
常日頃からずーーっと一貫している那智さんのスタンス、それによる変化を目の当たりしているとわたしが罪悪感を持ってはいけないと思ったのだ。
罪の意識で周囲を幸せにするのとは違うんだ。
那智さんと会いたくさんたくさん生きる糧をもらい、そして、その力をわたしの周囲に向ける、とても自然な感情だった。
常識的には悪いことだろう。
でも、わたしの人生において、これがベストだった。
当然、不貞行為や反社会的行為をしているのだから、罪の意識を持つのは当たり前なのだけど、その罪悪感があるからと那智さんへの気持ちを抑えることはできない。
仮に抑える努力をしたとしたら良好な精神状態でいられる自信がない。
申し訳ないけれど、それがわたしの人生のベストだからだ。
すでに罪を犯し、そして、それをまっとうする人生を選んでいるのだ、それならば、わたしは全身全霊で那智さんを求め生きやすい人生をもらい、それと同じように全身全霊で周囲を幸せにするほうを選ぶ。
世間的には悪いことだと理解しつつも、わたしは家族にも那智さんにも、そして、わたし自身にも笑顔でいられるほうを選ぶ。
罪悪感という感情は厄介だ、じつは、純粋な罪の意識以外にもわずかに自己憐憫や罪悪感を持つことで免罪符代わりにしてしまっている場合もある。
わずかに感じる自己憐憫や免罪符の気持ちがあるとしたら、それは無駄な感情。
罪悪感でふさぎ込んでいる場合ではない。
そんなふうに思うから『罪悪感はあったけど、なくした』。
そして、もっと単純に、子どもの頃からずっと欲していたもの、性的な部分と精神的な部分と、わたしの場合は両方。
それを那智さんが埋めてくれている。
叶わないと思ったことがすっとずっと叶っている。
この人生を送ることができるなら、罪の意識の重さなんて自分の中だけで消化する。
那智さんにも周囲にも笑顔でいるよ。
それほどまでにきっとわたしは求めていたし、これからも求める。
那智さんと出会う人生と出会わない人生だったら圧倒的に出会うほうを選ぶ、だから、罪悪感なんて自分で消化する。
そして、笑顔でいる。
でね。
罪悪感を引き受けても、それでもどうしてもしたいのだと思えるならすればいい。
そこまで思えないのならしないほうが賢明だと思うのだ。
「等式」感想です。前にも書いたかもしれないが、私はりん子を通じ自己実現しているのだと思う。偉そうに達観していた人生がりん子の存在で豊かになった。
万能
独特な幸福感
近所のスーパーに買い物にいった。
わたしの住んでいるところは比較的便利なところで、この近所のスーパーの他にも駅前と家を拠点に反対側にもスーパーがある。
それぞれ特色があるので目当てのものに応じて買い物場所を選んでいる。
この近所のスーパーはよそに比べると野菜が安いのだ。
地域の契約農家の野菜も豊富なので、野菜プラスαの場合はここにいくようにしている。
野菜いっぱいと、それとここのひじきは好みの大きさだから乾燥ひじき。
あ、菓子パンが安いから我が子のおやつにいくつか。
思いのほかカゴがいっぱいになった。
レジに並ぶと、隣りのレジが新規開店(?)したようで店員さんが「こちらへ、どうぞ」とわざわざ2番目に並んでいるわたしのカゴを持って自分のレジまで案内してくれた。
ああ、すみません。
でも、ラッキー♪
そう思って、隣りのレジに移動しながら、ふと、あれ?今日お財布をカバンに入れた記憶がないぞ?とぼやっと思った。
イヤな予感…。
レジの人がカゴをセットしている短い時間にカバンを漁る。
もし、ないなら、会計がはじまる前のほうが断然いいから!!
「あ、ちょっと待ってください」と言いながらあわあわ。
万事休す。
やっぱりお財布ない。
ああ、たしかに買い物に出る準備の流れの中で『お財布を入れる』ということがすっぽり抜け落ちていたみたい。
ほとんど流れ作業のように無意識で行える日常の行為。
同じことをしているはずなのに、ときどき不思議なほどあっさり飛ばしてしまうことがある。
あ、でもわたしけっこう多いかも^^;だから、お財布を忘れて家を出ることはまったくめずらしいことではないのだけど、それでも家を出たところで気づいたり最初の信号で気づいたりして引き返すことはあっても会計まで行ってから気づくことはかなり未経験だった。
ないものはない。
じゃあ、どうしよう。
全部もとに戻して今日は諦めるか。
ちょっとだけキープしておいてもらって、取りに戻るか。
往復で15分というところかな。
たかが15分のロスなんだけど、時間以上にちょっとだけ心が折れて今日は買い物諦めちゃおうかなぁと思いそうになる。
いや、でも、駅前まで買い物に出たと思えば、プラス15分くらいは許容範囲だよね。
瞬時にあれこれ考えて結局すぐ戻るから取り置きしてもらうようにお願いして、家まで戻ることにした。
生ものはなかったけど、まあ、スーパーとしてはお荷物だろうから、できるだけ早く取りにいこう。
はあ。
わたし、ホント忘れっぽいよなぁ。
ドジっこがかわいいのは、かわいい年齢だからだ。
この年になって抜けているのはあまりカッコよくない^^;
自分のアホさに若干凹む。
ちょっとだけ凹んだ気持ちをやわらげようと、那智さんにお知らせ、あはは、ちょっと甘えてる。
お財布忘れてとんぼ返りです〜^^;
文字を送りながら、那智さん、これにどんなお返事くれるかな〜って思っていた。
那智さんはあまりわたしをからかわない、たぶん、わたしって堅物(?)なところがあるからからかいを真に受けてしまうところがあるからだと思うのだけど、とにかくない。
那智さんの子供扱い好きだから「ドジ〜」とかそういうのちょっぴり憧れるのだけど、たぶんないなぁ、まあ、わたしの性格ゆえだからしかたない。
お仕事の最中だし、スルーされても当然な状況なので「は〜い」と反応してくれるだけでも御の字。
若干の凹みを緩和するには充分だよね。
そんなふうに思いながらせっせと歩いていると那智さんからの文字
よしよし
はうううう。
これだ!!正解は、これ!!!!
さすが、よくわかってらっしゃる!!
そのひと言がお財布を忘れて引き返す出来事を幸せなものに変えてくれる。
那智さんの『よしよし』はわたしにとって万能薬、だいたいのことは幸せにしてくれる(笑)
「等式」感想です。「よしよし」はごまかしと悪用には使わないと自戒してます。あくまで、りん子の愚痴の一部に対してと今回のようにかける言葉がない場合ですね。以前は忘れ物に対しても、対処方やからかいで答えていたが「よしよし、撫で撫で、トントン」を使えるようになったのは私の進化だ。
近所のスーパーに買い物にいった。
わたしの住んでいるところは比較的便利なところで、この近所のスーパーの他にも駅前と家を拠点に反対側にもスーパーがある。
それぞれ特色があるので目当てのものに応じて買い物場所を選んでいる。
この近所のスーパーはよそに比べると野菜が安いのだ。
地域の契約農家の野菜も豊富なので、野菜プラスαの場合はここにいくようにしている。
野菜いっぱいと、それとここのひじきは好みの大きさだから乾燥ひじき。
あ、菓子パンが安いから我が子のおやつにいくつか。
思いのほかカゴがいっぱいになった。
レジに並ぶと、隣りのレジが新規開店(?)したようで店員さんが「こちらへ、どうぞ」とわざわざ2番目に並んでいるわたしのカゴを持って自分のレジまで案内してくれた。
ああ、すみません。
でも、ラッキー♪
そう思って、隣りのレジに移動しながら、ふと、あれ?今日お財布をカバンに入れた記憶がないぞ?とぼやっと思った。
イヤな予感…。
レジの人がカゴをセットしている短い時間にカバンを漁る。
もし、ないなら、会計がはじまる前のほうが断然いいから!!
「あ、ちょっと待ってください」と言いながらあわあわ。
万事休す。
やっぱりお財布ない。
ああ、たしかに買い物に出る準備の流れの中で『お財布を入れる』ということがすっぽり抜け落ちていたみたい。
ほとんど流れ作業のように無意識で行える日常の行為。
同じことをしているはずなのに、ときどき不思議なほどあっさり飛ばしてしまうことがある。
あ、でもわたしけっこう多いかも^^;だから、お財布を忘れて家を出ることはまったくめずらしいことではないのだけど、それでも家を出たところで気づいたり最初の信号で気づいたりして引き返すことはあっても会計まで行ってから気づくことはかなり未経験だった。
ないものはない。
じゃあ、どうしよう。
全部もとに戻して今日は諦めるか。
ちょっとだけキープしておいてもらって、取りに戻るか。
往復で15分というところかな。
たかが15分のロスなんだけど、時間以上にちょっとだけ心が折れて今日は買い物諦めちゃおうかなぁと思いそうになる。
いや、でも、駅前まで買い物に出たと思えば、プラス15分くらいは許容範囲だよね。
瞬時にあれこれ考えて結局すぐ戻るから取り置きしてもらうようにお願いして、家まで戻ることにした。
生ものはなかったけど、まあ、スーパーとしてはお荷物だろうから、できるだけ早く取りにいこう。
はあ。
わたし、ホント忘れっぽいよなぁ。
ドジっこがかわいいのは、かわいい年齢だからだ。
この年になって抜けているのはあまりカッコよくない^^;
自分のアホさに若干凹む。
ちょっとだけ凹んだ気持ちをやわらげようと、那智さんにお知らせ、あはは、ちょっと甘えてる。
お財布忘れてとんぼ返りです〜^^;
文字を送りながら、那智さん、これにどんなお返事くれるかな〜って思っていた。
那智さんはあまりわたしをからかわない、たぶん、わたしって堅物(?)なところがあるからからかいを真に受けてしまうところがあるからだと思うのだけど、とにかくない。
那智さんの子供扱い好きだから「ドジ〜」とかそういうのちょっぴり憧れるのだけど、たぶんないなぁ、まあ、わたしの性格ゆえだからしかたない。
お仕事の最中だし、スルーされても当然な状況なので「は〜い」と反応してくれるだけでも御の字。
若干の凹みを緩和するには充分だよね。
そんなふうに思いながらせっせと歩いていると那智さんからの文字
よしよし
はうううう。
これだ!!正解は、これ!!!!
さすが、よくわかってらっしゃる!!
そのひと言がお財布を忘れて引き返す出来事を幸せなものに変えてくれる。
那智さんの『よしよし』はわたしにとって万能薬、だいたいのことは幸せにしてくれる(笑)
「等式」感想です。「よしよし」はごまかしと悪用には使わないと自戒してます。あくまで、りん子の愚痴の一部に対してと今回のようにかける言葉がない場合ですね。以前は忘れ物に対しても、対処方やからかいで答えていたが「よしよし、撫で撫で、トントン」を使えるようになったのは私の進化だ。
縞模様
非日常的な日常
似たような鞭のお話が続いてごめんね〜。
似ているけれど、わたしにとってはどれも全部違っていて、似てしまっているとしたらわたしの表現の限界ですのでお許しくださいませ(笑)
今週も鞭だった。
4週連続で鞭だ。
たぶん、いま那智さんとわたしは『溺愛』の頃以上に鞭に魅了されている。
那智さんは押し時だと判断している部分もあると思うけど、それでも、こんなに連続しているのは、鞭を事柄にしてコントロールすること自体をとても楽しんでいるのだろう。
毎回、鞭は怖い。
でも、ここまで連続すると快感の記憶がなくならないようで、回を重ねるごとに怖さより快感の記憶のほうが増えていくようだ。
ほとんど素直にベッドに横になりお尻を差し出す。
なんとなく1発目で那智さんの様子がわかるような気がして、最初の1振りは固唾を飲んで見つめる。
40%くらいの力かな、軽いのと中くらいの間くらいの力。
たぶん、慣れていなければ、これで充分痛いのだろうけど^^;いまのわたしのはこれくらいは『ちょうどいい』(遠い目 笑)
うつ伏せになったわたしのお尻に向けて、円を描くように鞭を振るう。
バシン、バシン、バシン、バシン
機械で動いているみたいに同じテンポで繰り返す。
鞭でも靴べらでも手のひらでも、ときどきこういう打ち方をすることがある、でも、そのときはもっと軽い力のことが多いから、いまひとつ夢中になれず、軽い痛みが息つく間もなく繰り返されることに困惑のほうが大きくなるのだけど、このときは、比較的強めの力だったから、思った以上に、その痛みに夢中になれた。
徐々に快感らしきものが近づいてきて、それでも『ぱーん』とはならず、ちょっぴりもどかしい。
100まではいかないとしても、すでに数十回は打ち込まれた。
そのままタバコに火をつけにいく。
浅瀬を漂うような感覚でゆらゆらをベッドに体を沈め那智さんの一挙手一投足を見つめる。
ベッドの脇に戻ってきた。
次はぜったい痛い。
恐怖と期待で見えない尻尾が揺れる。
強い力で数発。
もうぜんぜん躊躇なく。
わたしもほとんど抵抗なくぐいぐいと快感のほうへ引きずられる。
痛いことが気持ちいい。
十数発は打った。
我に返り、そこではじめて那智さんに甘えに行く。
それさえも忘れていたほどの陶酔だった。
キスと抱擁、乳首を触られるともうバカみたいに気持ちいい。
どうなっちゃっうんだろ、わたし。
すっと促され、またうつ伏せ。
何回か繰り返した後、鞭は背中に。
このところお尻以外を開拓していたのだけど、こんなに強くははじめてだ。
重く、鋭くナタを振り下ろされたような衝撃。
意識しないと呼吸さえままならないほど。
ああ、もう、那智さん、怖い、怖い、怖くてしかたないけど、うれしい!!
痛みに上半身を起こしても鞭は止まらない。
腰、脇腹、背中、太もも。
巻き込んで打ち続ける。
いつもかなり狙いを定めているはずだけど、このときはわざと狙いを定めていないような狙い方。
どこに飛ぶかわからない。
足首にまでヒットした。
怖くて痛くて気持ちいい。
この前、鞭の最中に指を入れてもらったことがとても気持ちよかった。
それを欲しているのだろうか、このときはずっと『入れてください』と繰り返していた気がする。
どれくらい時間が経っているだろう。
仰向けになった体勢でも打った。
胸、お腹とみるみるうちに赤い縞模様ができる様子を、恐怖とともにうっとりしながら眺めていた。
おまんこも打ってあげるね
また那智さんがわたしを跨いだ。
前回も打ったから、それより強くなるのは理解できる。
でも、もう、理性なんてなくなってる。
嬉々として股を開く、わたしのそこに鞭が振り下ろされる。
痛い、うれしい、痛いことが気持ちいい。
わたしったら、那智さんが打ちやすいように、たぶん、すこし腰を浮かしていた。
ほとんどためらいなくいろいろな方向から振り下ろす那智さんの楽しそうな瞳を遠い意識で見ているようだった。
打つ力や範囲が徐々に広がっている。
きっとお尻だけではわたしの耐性が勝り、限界になってきたのだろう。
痛いことで気持ちよくなり朦朧としてくると、恐がりながらもよろこんで腰を浮かせるようになってしまった。
頭は真っ白にはならない、でも、わたしの理性、那智さんの鞭の前ではどうにもならなくなってしまったようだ。
恐怖におののきながら、嬉々として腰を浮かせておまんこに鞭をもらう自分がどうしようもなく恐ろしく愛しく思えている。
<関連エントリー>
『溺愛1 2 3』
「等式」感想です。公の場所で地味に痛覚を与えて、うっとり、ガクガクなんて言うストーリーを描きたい。
似たような鞭のお話が続いてごめんね〜。
似ているけれど、わたしにとってはどれも全部違っていて、似てしまっているとしたらわたしの表現の限界ですのでお許しくださいませ(笑)
今週も鞭だった。
4週連続で鞭だ。
たぶん、いま那智さんとわたしは『溺愛』の頃以上に鞭に魅了されている。
那智さんは押し時だと判断している部分もあると思うけど、それでも、こんなに連続しているのは、鞭を事柄にしてコントロールすること自体をとても楽しんでいるのだろう。
毎回、鞭は怖い。
でも、ここまで連続すると快感の記憶がなくならないようで、回を重ねるごとに怖さより快感の記憶のほうが増えていくようだ。
ほとんど素直にベッドに横になりお尻を差し出す。
なんとなく1発目で那智さんの様子がわかるような気がして、最初の1振りは固唾を飲んで見つめる。
40%くらいの力かな、軽いのと中くらいの間くらいの力。
たぶん、慣れていなければ、これで充分痛いのだろうけど^^;いまのわたしのはこれくらいは『ちょうどいい』(遠い目 笑)
うつ伏せになったわたしのお尻に向けて、円を描くように鞭を振るう。
バシン、バシン、バシン、バシン
機械で動いているみたいに同じテンポで繰り返す。
鞭でも靴べらでも手のひらでも、ときどきこういう打ち方をすることがある、でも、そのときはもっと軽い力のことが多いから、いまひとつ夢中になれず、軽い痛みが息つく間もなく繰り返されることに困惑のほうが大きくなるのだけど、このときは、比較的強めの力だったから、思った以上に、その痛みに夢中になれた。
徐々に快感らしきものが近づいてきて、それでも『ぱーん』とはならず、ちょっぴりもどかしい。
100まではいかないとしても、すでに数十回は打ち込まれた。
そのままタバコに火をつけにいく。
浅瀬を漂うような感覚でゆらゆらをベッドに体を沈め那智さんの一挙手一投足を見つめる。
ベッドの脇に戻ってきた。
次はぜったい痛い。
恐怖と期待で見えない尻尾が揺れる。
強い力で数発。
もうぜんぜん躊躇なく。
わたしもほとんど抵抗なくぐいぐいと快感のほうへ引きずられる。
痛いことが気持ちいい。
十数発は打った。
我に返り、そこではじめて那智さんに甘えに行く。
それさえも忘れていたほどの陶酔だった。
キスと抱擁、乳首を触られるともうバカみたいに気持ちいい。
どうなっちゃっうんだろ、わたし。
すっと促され、またうつ伏せ。
何回か繰り返した後、鞭は背中に。
このところお尻以外を開拓していたのだけど、こんなに強くははじめてだ。
重く、鋭くナタを振り下ろされたような衝撃。
意識しないと呼吸さえままならないほど。
ああ、もう、那智さん、怖い、怖い、怖くてしかたないけど、うれしい!!
痛みに上半身を起こしても鞭は止まらない。
腰、脇腹、背中、太もも。
巻き込んで打ち続ける。
いつもかなり狙いを定めているはずだけど、このときはわざと狙いを定めていないような狙い方。
どこに飛ぶかわからない。
足首にまでヒットした。
怖くて痛くて気持ちいい。
この前、鞭の最中に指を入れてもらったことがとても気持ちよかった。
それを欲しているのだろうか、このときはずっと『入れてください』と繰り返していた気がする。
どれくらい時間が経っているだろう。
仰向けになった体勢でも打った。
胸、お腹とみるみるうちに赤い縞模様ができる様子を、恐怖とともにうっとりしながら眺めていた。
おまんこも打ってあげるね
また那智さんがわたしを跨いだ。
前回も打ったから、それより強くなるのは理解できる。
でも、もう、理性なんてなくなってる。
嬉々として股を開く、わたしのそこに鞭が振り下ろされる。
痛い、うれしい、痛いことが気持ちいい。
わたしったら、那智さんが打ちやすいように、たぶん、すこし腰を浮かしていた。
ほとんどためらいなくいろいろな方向から振り下ろす那智さんの楽しそうな瞳を遠い意識で見ているようだった。
打つ力や範囲が徐々に広がっている。
きっとお尻だけではわたしの耐性が勝り、限界になってきたのだろう。
痛いことで気持ちよくなり朦朧としてくると、恐がりながらもよろこんで腰を浮かせるようになってしまった。
頭は真っ白にはならない、でも、わたしの理性、那智さんの鞭の前ではどうにもならなくなってしまったようだ。
恐怖におののきながら、嬉々として腰を浮かせておまんこに鞭をもらう自分がどうしようもなく恐ろしく愛しく思えている。
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『溺愛1 2 3』
「等式」感想です。公の場所で地味に痛覚を与えて、うっとり、ガクガクなんて言うストーリーを描きたい。
プレゼント1
独特な幸福感
何度か書いているけれど、わたしはあまり物欲がない。
買うか買わないか迷ったら、買わない。
買うか買わないかの判断基準は『それがなくても生きていかれるか』。
まあ、それはちょっと極端だけれど、本当に必要に迫られる物以外はあまり買おうと思わないのだ。
とはいえ、雑貨や文房具は大好きで、それいつ使う!?みたいなカゴやノートを買ってしまったりするので、なんでもかんでも欲しくないのではないのだろう。
おそらく、洋服をはじめ化粧品やアクセサリー、時計やバッグなどの着飾る類いの物にあまり興味がないのだ。
物を増やすのも好きじゃないので、その手の物は本当に気に入った物しか選ばない。
しかも、気に入った物はとことん使い倒すので、なかなか新しい物に気持ちが向かなかったりもする。
那智さんもわたしに何度かアクセサリーや時計をプレゼントしてくれたけど、いままでその手の物をプレゼントした女性の喜び方の比べたら、イマイチの反応だったのだろう(いや、うれしくて泣いたことだってあるよ)、いつの間にか装飾品はあまりプレゼントしてくれなくなってしまった^^;
それでも一緒に旅行に行ったときに買ってもらったお箸や日傘は大切に大切に使っていますよ^^
まあ、とにかく、あまりプレゼントしがいのない女だろう。
美味しいものを食べさせて「いいこ、いいこ」していれば、そっちのほうがずっと喜ぶのだ。
那智さんはお誕生日やクリスマスや、とにかく女性が待ち焦がれるようなイベントのときにプレゼントはくれない。
というか、その日だということもほとんど忘れている。
たしか、出会って最初の誕生日には熱烈なメールをくれた記憶があるけれど、それ以降、基本的に忘れている。
当然、おめでとうもないし、プレゼントもない。
何年か前まではちょっと拗ねたりもしたけれど、ここ数年はわたしも気にならなくなっている。
それは、わたし自身もあまりイベントやプレゼントに興味がないというのも大きな理由だろうけど、那智さんはそれ以外に本当にたくさん与えてくれているから、それくらいは忘れても、なくても、ちょうどいい塩梅だろうと思えるからだと思う。
那智さんが人にプレゼントしたいと思うのは、誕生日などのイベントがあるからではないのだそうだ。
出張先のお土産屋さんで、仕事で立ち寄った百貨店で「あ、これりん子にあげたいな、食べさせたいな」という物に出会い、そういう気持ちになってプレゼントしたいのだそうだ。
イベントだから、じゃなくて、見つけたこれをあげたいからがモチベーションなのだろう。
だから、なんの脈絡もなくプレゼントしてくれることも、ときどきある。
そんなこともあるから、物品に限らずだけど、とにかく、那智さんは日々わたしにたくさん愛情をかけてくれているので忘れちゃってもかまわないという気持ちになれているのだ。
(ついでに、わたしも那智さんのお誕生日忘れてしまったこともあるし^^;)
誕生日だから記念日だからでプレゼントを選ぶより日々の生活の中で見つけてくれるほうが、もしかしたらうれしいかもしれない、だって、わたしのことがいつも頭の片隅にあるってことでもあるもんね^^
ポイントは『なにを中心に捉えるか』、わたしたちのそれは『相手に喜んで使ってほしい』という気持ち。
ジョークみたいな物はサプライズで楽しんでもいいけれど、自分の送った物を日々喜んで使ってほしいし、相手から送られた物を日々喜んでで使いたい。
日常の営みのお気に入りに大好きな人が関わっている喜びを味わっていたい。
そんな気持ちが柱になっている。
まあ、とにかく、なんていうか、ふたりしてあまりイベントやプレゼントに固執しない性格だということかな。
たぶん、もともとイベントより日常な那智さんと、あまりイベントに拘らなくて物欲ないわたしの組み合わせだったから、相乗効果でわたしたちの『プレゼント』はおそらく多くの恋人たちのそれとは異なる様相を呈している、はず^^
ということで、そんなわたしたちのプレゼント悲喜こもごも^^
今日は前振り。
次回からのシリーズをより楽しめるように、関連エントリーも併せてお楽しみくださいませ。
<関連エントリー>
『思いは通じる?』
『メリークリスマス♪』
『メリークリスマス』
『怨念^^』
『マグカップ』
『ゆるい女』
『これが私の愛し方^^』
「等式」感想です。このプレゼントはどの話にスポットが当たるのだろう。プレゼント関連の話題はありそうな、無さそうな。二人でデートしていて、気に入った物を見つけると、衝動的にプレゼントしたくなる事がある。しかし、それを断られると少し落ち込む。(笑)
何度か書いているけれど、わたしはあまり物欲がない。
買うか買わないか迷ったら、買わない。
買うか買わないかの判断基準は『それがなくても生きていかれるか』。
まあ、それはちょっと極端だけれど、本当に必要に迫られる物以外はあまり買おうと思わないのだ。
とはいえ、雑貨や文房具は大好きで、それいつ使う!?みたいなカゴやノートを買ってしまったりするので、なんでもかんでも欲しくないのではないのだろう。
おそらく、洋服をはじめ化粧品やアクセサリー、時計やバッグなどの着飾る類いの物にあまり興味がないのだ。
物を増やすのも好きじゃないので、その手の物は本当に気に入った物しか選ばない。
しかも、気に入った物はとことん使い倒すので、なかなか新しい物に気持ちが向かなかったりもする。
那智さんもわたしに何度かアクセサリーや時計をプレゼントしてくれたけど、いままでその手の物をプレゼントした女性の喜び方の比べたら、イマイチの反応だったのだろう(いや、うれしくて泣いたことだってあるよ)、いつの間にか装飾品はあまりプレゼントしてくれなくなってしまった^^;
それでも一緒に旅行に行ったときに買ってもらったお箸や日傘は大切に大切に使っていますよ^^
まあ、とにかく、あまりプレゼントしがいのない女だろう。
美味しいものを食べさせて「いいこ、いいこ」していれば、そっちのほうがずっと喜ぶのだ。
那智さんはお誕生日やクリスマスや、とにかく女性が待ち焦がれるようなイベントのときにプレゼントはくれない。
というか、その日だということもほとんど忘れている。
たしか、出会って最初の誕生日には熱烈なメールをくれた記憶があるけれど、それ以降、基本的に忘れている。
当然、おめでとうもないし、プレゼントもない。
何年か前まではちょっと拗ねたりもしたけれど、ここ数年はわたしも気にならなくなっている。
それは、わたし自身もあまりイベントやプレゼントに興味がないというのも大きな理由だろうけど、那智さんはそれ以外に本当にたくさん与えてくれているから、それくらいは忘れても、なくても、ちょうどいい塩梅だろうと思えるからだと思う。
那智さんが人にプレゼントしたいと思うのは、誕生日などのイベントがあるからではないのだそうだ。
出張先のお土産屋さんで、仕事で立ち寄った百貨店で「あ、これりん子にあげたいな、食べさせたいな」という物に出会い、そういう気持ちになってプレゼントしたいのだそうだ。
イベントだから、じゃなくて、見つけたこれをあげたいからがモチベーションなのだろう。
だから、なんの脈絡もなくプレゼントしてくれることも、ときどきある。
そんなこともあるから、物品に限らずだけど、とにかく、那智さんは日々わたしにたくさん愛情をかけてくれているので忘れちゃってもかまわないという気持ちになれているのだ。
(ついでに、わたしも那智さんのお誕生日忘れてしまったこともあるし^^;)
誕生日だから記念日だからでプレゼントを選ぶより日々の生活の中で見つけてくれるほうが、もしかしたらうれしいかもしれない、だって、わたしのことがいつも頭の片隅にあるってことでもあるもんね^^
ポイントは『なにを中心に捉えるか』、わたしたちのそれは『相手に喜んで使ってほしい』という気持ち。
ジョークみたいな物はサプライズで楽しんでもいいけれど、自分の送った物を日々喜んで使ってほしいし、相手から送られた物を日々喜んでで使いたい。
日常の営みのお気に入りに大好きな人が関わっている喜びを味わっていたい。
そんな気持ちが柱になっている。
まあ、とにかく、なんていうか、ふたりしてあまりイベントやプレゼントに固執しない性格だということかな。
たぶん、もともとイベントより日常な那智さんと、あまりイベントに拘らなくて物欲ないわたしの組み合わせだったから、相乗効果でわたしたちの『プレゼント』はおそらく多くの恋人たちのそれとは異なる様相を呈している、はず^^
ということで、そんなわたしたちのプレゼント悲喜こもごも^^
今日は前振り。
次回からのシリーズをより楽しめるように、関連エントリーも併せてお楽しみくださいませ。
<関連エントリー>
『思いは通じる?』
『メリークリスマス♪』
『メリークリスマス』
『怨念^^』
『マグカップ』
『ゆるい女』
『これが私の愛し方^^』
「等式」感想です。このプレゼントはどの話にスポットが当たるのだろう。プレゼント関連の話題はありそうな、無さそうな。二人でデートしていて、気に入った物を見つけると、衝動的にプレゼントしたくなる事がある。しかし、それを断られると少し落ち込む。(笑)