領土争い4
独特な幸福感
夏の夜。
タワーを眺めることができるバーに連れていってもらった。
それはとても美しく、ビールの泡もキラキラ輝いていた。
わたしはこんなにもわたしを幸せにしてくれる人をもうこれ以上困らせたくない。
夜景を見ながらすこし意を決するように話しを切り出す。
どう頑張っても、どんなにお話ししてもわたしの中の悲しいが完全には消えてくれない。
那智さんを責めてしまいたくなる。
だから、わたしはもうこれを消すことは諦めます。
今後悲しい気持ちが再発したら、今度は『それはわたしのせいだ』と思うようにします。
こういうふうに宣言をすることは逆に那智さんを悲しませてしまうことはわかっているのですが、わたしは自分のせいにすることで那智さんを責めてしまう思考を回避しようと思っているということだけでも知っておいてほしかったのです。
極めて普通のテンションで話した。
相談ではなく、報告だった。
那智さんはすこし残念そうに話しを聞いてくれた。
そして、改めて領土争いを終えることができない理由のひとつのあの言葉を伝えた。
那智さんのあのひと言がわたしの領土争いを終えさせてくれないという視点でははじめてだったはずだ。
那智さんはすこし驚いたように、皆さんにとっては肩すかしな(笑)わたしにとっては衝撃的な話しをはじめた。
曰く
『ハマれば、ずっと3人』は、モカちゃんが卒業した後、ふたりに戻ってからたまにモカちゃんを呼んで3人で性的な遊びを含めた良い時間を作ることができるのではないか。
うまくハマれば、時々モカちゃんを呼んで遊ぶことはずっと続けることができるだろう。(もちろん、3人が望めば、だ)
という意味だったのだ。
??
ヘナヘナと全身の力が抜けると同時に涙が溢れる。
ああ、こんな初歩的なすれ違い。
あんなに死ぬほど話したのに。
『ハマれば、ずっと3人』は、時々遊ぶ関係としてのずっとだった。
(そういった意味では、性的なことを抜かしてはいまだってその状態ともいえる!!)
もちろん3人のとき那智さんはモカを空いている土地に招き入れた。
でも、それは卒業という最良のゴールかギブアップまでの期間限定だったのだ。
『ずっと3人』の衝撃が、那智さんの真意とわたしの認識を大きくズレさせたのだ。
那智さんはモカをおしまいにしたときに、おそらくモカちゃんを土地から出しわたしに預けた。(まあ、徐々に、だと思うけどね)
わたしは、最初モカを後生大事にポケットに入れ、よろこび、怯えていたのだ。
それは健全ではないとポケットから出し、いまはモカちゃんをひとりの大切な友人、不思議な共有ができる人として手を繋いで歩いている気分だ。
きっと、それを那智さんが俯瞰してみている。
本来ならすみやかにその形になるはずだったのにすれ違いのひと言が一因で長い時間かかってしまったのだ。
那智さんもわたしとふたりの時間を愛してくれている。
期間限定以外で『ずっと』もうひとりは想像上の選択肢にもない。
ずっと3人は、わたしの思う『ずっと』じゃなかった。
ある意味苦笑な勘違いにふたりして脱力。
わたしはキレイなタワーのライトアップを見ながら安堵の涙を流していた。
とはいえ、なんでも即オッケーなんてことはなくて、それからもときどきつまずくこともあったけど『ずっと』の恐怖がなくなり土台が安定していると、大きく揺らぐことはない。
こうやってエントリーにできているということはいまはもうほとんど大丈夫になっているということだ。
いまでも那智さんの土地から無理矢理モカちゃんを出したようで、わたしが望んだとはいえ那智さんのお好きな『教育』するチャンスを奪ってしまったようで、申し訳ない気持ちが0ではないけど、でも、いまわたしは以前のように安心していられるし、モカちゃんが大好きなままでいられている。
残暑の日差しがまだ厳しい9月。
モカちゃんが受ける検定の練習台になるためにサロンにお付き合いした。
施術している彼女に身を任せ、わたしはこの一連の心の動きをお話しする。
那智さんのひと言が終わってからもずっと苦しめたこと。
それによって、モカちゃんに対してわたしがしたふたつのこと。
どんなふうに感じて、どんなふうにしたら最善なのかずっと模索していたこと。
まだそんなこと言ってるの!?よく考えるねぇ(笑)
と笑って聞いてくれる彼女にわたしはずいぶん甘えているなぁと思う。
そして、改めて、過不足なしにモカちゃんの幸福を願うのだ。
死ぬほど話し倒してくれた那智さんへの感謝の気持ちと共に。
次回、まとめで一回分引っぱっておしまいです^^
<関連エントリー>
せっかくだからモカちゃんとの楽しい時間も^^
『I'll be back.』
『子猫』
『モカ再び(笑)』
『ふたつの影』
夏の夜。
タワーを眺めることができるバーに連れていってもらった。
それはとても美しく、ビールの泡もキラキラ輝いていた。
わたしはこんなにもわたしを幸せにしてくれる人をもうこれ以上困らせたくない。
夜景を見ながらすこし意を決するように話しを切り出す。
どう頑張っても、どんなにお話ししてもわたしの中の悲しいが完全には消えてくれない。
那智さんを責めてしまいたくなる。
だから、わたしはもうこれを消すことは諦めます。
今後悲しい気持ちが再発したら、今度は『それはわたしのせいだ』と思うようにします。
こういうふうに宣言をすることは逆に那智さんを悲しませてしまうことはわかっているのですが、わたしは自分のせいにすることで那智さんを責めてしまう思考を回避しようと思っているということだけでも知っておいてほしかったのです。
極めて普通のテンションで話した。
相談ではなく、報告だった。
那智さんはすこし残念そうに話しを聞いてくれた。
そして、改めて領土争いを終えることができない理由のひとつのあの言葉を伝えた。
那智さんのあのひと言がわたしの領土争いを終えさせてくれないという視点でははじめてだったはずだ。
那智さんはすこし驚いたように、皆さんにとっては肩すかしな(笑)わたしにとっては衝撃的な話しをはじめた。
曰く
『ハマれば、ずっと3人』は、モカちゃんが卒業した後、ふたりに戻ってからたまにモカちゃんを呼んで3人で性的な遊びを含めた良い時間を作ることができるのではないか。
うまくハマれば、時々モカちゃんを呼んで遊ぶことはずっと続けることができるだろう。(もちろん、3人が望めば、だ)
という意味だったのだ。
??
ヘナヘナと全身の力が抜けると同時に涙が溢れる。
ああ、こんな初歩的なすれ違い。
あんなに死ぬほど話したのに。
『ハマれば、ずっと3人』は、時々遊ぶ関係としてのずっとだった。
(そういった意味では、性的なことを抜かしてはいまだってその状態ともいえる!!)
もちろん3人のとき那智さんはモカを空いている土地に招き入れた。
でも、それは卒業という最良のゴールかギブアップまでの期間限定だったのだ。
『ずっと3人』の衝撃が、那智さんの真意とわたしの認識を大きくズレさせたのだ。
那智さんはモカをおしまいにしたときに、おそらくモカちゃんを土地から出しわたしに預けた。(まあ、徐々に、だと思うけどね)
わたしは、最初モカを後生大事にポケットに入れ、よろこび、怯えていたのだ。
それは健全ではないとポケットから出し、いまはモカちゃんをひとりの大切な友人、不思議な共有ができる人として手を繋いで歩いている気分だ。
きっと、それを那智さんが俯瞰してみている。
本来ならすみやかにその形になるはずだったのにすれ違いのひと言が一因で長い時間かかってしまったのだ。
那智さんもわたしとふたりの時間を愛してくれている。
期間限定以外で『ずっと』もうひとりは想像上の選択肢にもない。
ずっと3人は、わたしの思う『ずっと』じゃなかった。
ある意味苦笑な勘違いにふたりして脱力。
わたしはキレイなタワーのライトアップを見ながら安堵の涙を流していた。
とはいえ、なんでも即オッケーなんてことはなくて、それからもときどきつまずくこともあったけど『ずっと』の恐怖がなくなり土台が安定していると、大きく揺らぐことはない。
こうやってエントリーにできているということはいまはもうほとんど大丈夫になっているということだ。
いまでも那智さんの土地から無理矢理モカちゃんを出したようで、わたしが望んだとはいえ那智さんのお好きな『教育』するチャンスを奪ってしまったようで、申し訳ない気持ちが0ではないけど、でも、いまわたしは以前のように安心していられるし、モカちゃんが大好きなままでいられている。
残暑の日差しがまだ厳しい9月。
モカちゃんが受ける検定の練習台になるためにサロンにお付き合いした。
施術している彼女に身を任せ、わたしはこの一連の心の動きをお話しする。
那智さんのひと言が終わってからもずっと苦しめたこと。
それによって、モカちゃんに対してわたしがしたふたつのこと。
どんなふうに感じて、どんなふうにしたら最善なのかずっと模索していたこと。
まだそんなこと言ってるの!?よく考えるねぇ(笑)
と笑って聞いてくれる彼女にわたしはずいぶん甘えているなぁと思う。
そして、改めて、過不足なしにモカちゃんの幸福を願うのだ。
死ぬほど話し倒してくれた那智さんへの感謝の気持ちと共に。
次回、まとめで一回分引っぱっておしまいです^^
<関連エントリー>
せっかくだからモカちゃんとの楽しい時間も^^
『I'll be back.』
『子猫』
『モカ再び(笑)』
『ふたつの影』
領土争い5 まとめ
りん子的独り言(140字もどきバージョン 笑)
まとめと言いつつ、書きながらどんどん毒アリになってしまったから(140字もどきバージョン)にします(笑)
ですから、トゲトゲしていても、ツッコミどころ満載でも、ある程度大目に見てください!!
こんなふうに『領土争い』という状態になると那智さんが想定していたかどうか、たぶん、していないだろう。
そうならないために『お父さんとお姉ちゃんと妹』という本気の疑似関係を作り、姉と妹と立場を変え女同士の嫉妬を避けたつもりだったのだもの。
それでも、わたしにとって領土争いは存在してしまった。
理由はいろいろ書いているから、いいとして(笑)
とにかく、領土争いは本当に心を疲弊させるものだった。
いつ終わるかわからない、もしかしたらずっと続くのかと思ってしまうことは、恐怖だった。
そして、そういう状態のときの姑息な自分にも、ものすごい嫌悪感を抱いた。
今回なぜこの話を書こうと思った大きな理由のひとつは『領土争い』の恐怖と傷を伝えたかったからだ。
もしかしたら、いま現在を多頭をされている人の中で辛さを感じている人にはあえて傷に触れるようなことになってしまうかもしれない。(ごめんなさい)
まずね、『多頭』ってなんだろう?
ひとりの男性に複数のお付き合いしている女性がいる状態で、それを女性たちが知っていること。
だから、合同調教なんていう乱交で女性を並べて写真を撮るなんていうのは『多頭』とではないし、一度だけ3Pをしたからって『多頭』とは言わない。
いつ終わるかわからないけど、ひとつの土地に複数の女性が存在する状態が継続していること、だとわたしは思っている。
で、改めて思う。
わたしの思う『多頭』は女を苦しめる。
ひとつの領地にふたりないし複数いるというのは、本当に苦しいのだ。
奴隷とペットなんて立場を違えたとしても、誰が1番で誰は最下層だとランク付けしても、所詮はみんな『女』なんだ。
領土争いは常に心を疲弊させる。
恐怖に心が休まる間もない。
女は争いなんてしないでのびのびと好きな男の土地でふわふわな気持ちで生きていきたい。
いま『多頭』をしている女性がいるとしたら、幸せならいい、よかったねって思う。
中にはご主人様が望むからとか、それでもいいから一緒にいたいという気持ちで受け入れている人がいるかもしれない。
それもその女性の選択だから、わたしがとやかく言えるものではないことは承知の上で。
もし心が怯えるよう焦るようなな気持ちになったら、それは領土を奪われる恐怖だと思う。
(焦る気持ち、あるんだよ)
それはご主人様への愛が少ないからでも、忠誠心が足りないからでもない、正当な恐怖。
だから、どうか、喜べない自分を責めないで。
なぜかわからないけど、この手の関係は喜べない側が責任を感じる仕組みになっているから、よけいに苦しいのだ。
その恐怖は正当だと自覚しているだけでもきっと負担は軽くなるような気がします。
そして、いま『多頭』の選択で迷っている女性がいるなら、迷うくらいならやめてほしい。
望まないことを受け入れる、特に領土争いにつながるような『多頭』はあなたを傷つける。
それは結果的に『傷つけた』事実がいつまでも残りパートナー(ご主人様)への信頼を根底から揺るがすことになりかねない。
領土争いの恐怖と疲弊は信頼や愛情ではどうにもならないことなのだよ。
パートナーをいつまでも純粋に大好きでいたいなら、断る勇気を持ってほしい。
(なんなら、ご主人様にこのエントリーを読んでもらってもかまいません^^)
で、ここからはちょっと『140字もどきバージョン』(笑)
わたしがこれを書くまでに約3年かかった(途中下書きサボったりしたけど 笑)
死ぬほど事後フォローをしてもらって、3年。
多頭を考える男性がいるとしたら、それくらいの覚悟が必要だ。
女の嫉妬を甘くみないほうがいい。
たくさん女をはべらかすのは男のステイタスかもしれないけど、『調教歴』で書いたように女目線だとじつはマイナスのイメージも多かったりするんだよ、ホントはぜんぜんカッコよくない。
ハーレムは男の憧れかもしれない、本能なんて言い訳する男性もいるよね。
たしかに、自分の遺伝子を残したいとあなたの遺伝子はたくさんの女性を欲するかもしれない、だからたくさんは否定しない。
だったら『多頭』なんて言葉で正当化しないで、こっそりたくさんの女と付き合えばいいと思うのだけど、それじゃダメなのだろうか。
こっそりするの面倒だからって、いい気分味わいたいからって、女に、あなたの遺伝子や性欲や本能の負担を負わせないでくれませんか。
遺伝子や性欲や本能のせいなのはわかったから、でも、女同士に領土争いをさせないでください。
その女(たち)が大事なら、なおのこと。
あなたの遺伝子と性欲と本能の責任は自分ひとりでこっそり負ってください。
だから、わたしは『多頭』を公言する男性に肯定的な気持ちを持てません。
自分の遺伝子と性欲と本能の負担を自分で負えない人にしか映らないです。
唯一、受け入れられる形は女性がそれを望むことだ。
関連エントリーにあるような理由もあるだろうし、もしかしたら多頭なご主人様をカッコイイと思う女性もいるかもしれないものね。
どうか、『多頭』をしたい男性がいたら、そういう女性を見つける努力をしてください。
『ご主人様』とか『主従』とか『多頭』なんて言葉を使ってごまかさないで、公認で複数の女性と付き合いたいですと募っていただきたいです。
わたしの悪感情を披露することはあまり楽しいものではありませんでした
モカちゃんという相手がいるのだもの、彼女のことを思ったら、それも申し訳ないと思います。
それに那智さんを悪者にしているようで居心地悪いです。
だけど、期間の決まっていない領土争いの傷と恐怖を書くことは、経験したからこそ書けるもの。
だから、書きました。
でもって、「那智さん、大変だったんですよ〜;;」と泣きつきたい気持ちも大きな理由のひとつ(笑)
(俺のほうが泣きたいって思いますよね^^;)
そして、これも那智さんとわたしの歴史の1ページ、全部書いて老後の楽しみにするのです^^
<関連エントリー>
『調教歴』
こんな多頭ならアリ^^
『頑張れ、ご主人様!!』
「等式」感想です。1.「女の嫉妬を甘くみないほうがいい。」「女」かな~「りん子」じゃないの?(笑)2.以前、話題になっていたけれど、「一夫多妻制」はどう説明をつけるのかな、テレビ番組でしか知らないけれど、皆さん仲良くしているみたいだよね。あれは、結婚だから良いのかな?(笑)
3.読者の方、りん子、モカちゃん、そして俺も、本当にお疲れ様でした。(笑)
まとめと言いつつ、書きながらどんどん毒アリになってしまったから(140字もどきバージョン)にします(笑)
ですから、トゲトゲしていても、ツッコミどころ満載でも、ある程度大目に見てください!!
こんなふうに『領土争い』という状態になると那智さんが想定していたかどうか、たぶん、していないだろう。
そうならないために『お父さんとお姉ちゃんと妹』という本気の疑似関係を作り、姉と妹と立場を変え女同士の嫉妬を避けたつもりだったのだもの。
それでも、わたしにとって領土争いは存在してしまった。
理由はいろいろ書いているから、いいとして(笑)
とにかく、領土争いは本当に心を疲弊させるものだった。
いつ終わるかわからない、もしかしたらずっと続くのかと思ってしまうことは、恐怖だった。
そして、そういう状態のときの姑息な自分にも、ものすごい嫌悪感を抱いた。
今回なぜこの話を書こうと思った大きな理由のひとつは『領土争い』の恐怖と傷を伝えたかったからだ。
もしかしたら、いま現在を多頭をされている人の中で辛さを感じている人にはあえて傷に触れるようなことになってしまうかもしれない。(ごめんなさい)
まずね、『多頭』ってなんだろう?
ひとりの男性に複数のお付き合いしている女性がいる状態で、それを女性たちが知っていること。
だから、合同調教なんていう乱交で女性を並べて写真を撮るなんていうのは『多頭』とではないし、一度だけ3Pをしたからって『多頭』とは言わない。
いつ終わるかわからないけど、ひとつの土地に複数の女性が存在する状態が継続していること、だとわたしは思っている。
で、改めて思う。
わたしの思う『多頭』は女を苦しめる。
ひとつの領地にふたりないし複数いるというのは、本当に苦しいのだ。
奴隷とペットなんて立場を違えたとしても、誰が1番で誰は最下層だとランク付けしても、所詮はみんな『女』なんだ。
領土争いは常に心を疲弊させる。
恐怖に心が休まる間もない。
女は争いなんてしないでのびのびと好きな男の土地でふわふわな気持ちで生きていきたい。
いま『多頭』をしている女性がいるとしたら、幸せならいい、よかったねって思う。
中にはご主人様が望むからとか、それでもいいから一緒にいたいという気持ちで受け入れている人がいるかもしれない。
それもその女性の選択だから、わたしがとやかく言えるものではないことは承知の上で。
もし心が怯えるよう焦るようなな気持ちになったら、それは領土を奪われる恐怖だと思う。
(焦る気持ち、あるんだよ)
それはご主人様への愛が少ないからでも、忠誠心が足りないからでもない、正当な恐怖。
だから、どうか、喜べない自分を責めないで。
なぜかわからないけど、この手の関係は喜べない側が責任を感じる仕組みになっているから、よけいに苦しいのだ。
その恐怖は正当だと自覚しているだけでもきっと負担は軽くなるような気がします。
そして、いま『多頭』の選択で迷っている女性がいるなら、迷うくらいならやめてほしい。
望まないことを受け入れる、特に領土争いにつながるような『多頭』はあなたを傷つける。
それは結果的に『傷つけた』事実がいつまでも残りパートナー(ご主人様)への信頼を根底から揺るがすことになりかねない。
領土争いの恐怖と疲弊は信頼や愛情ではどうにもならないことなのだよ。
パートナーをいつまでも純粋に大好きでいたいなら、断る勇気を持ってほしい。
(なんなら、ご主人様にこのエントリーを読んでもらってもかまいません^^)
で、ここからはちょっと『140字もどきバージョン』(笑)
わたしがこれを書くまでに約3年かかった(途中下書きサボったりしたけど 笑)
死ぬほど事後フォローをしてもらって、3年。
多頭を考える男性がいるとしたら、それくらいの覚悟が必要だ。
女の嫉妬を甘くみないほうがいい。
たくさん女をはべらかすのは男のステイタスかもしれないけど、『調教歴』で書いたように女目線だとじつはマイナスのイメージも多かったりするんだよ、ホントはぜんぜんカッコよくない。
ハーレムは男の憧れかもしれない、本能なんて言い訳する男性もいるよね。
たしかに、自分の遺伝子を残したいとあなたの遺伝子はたくさんの女性を欲するかもしれない、だからたくさんは否定しない。
だったら『多頭』なんて言葉で正当化しないで、こっそりたくさんの女と付き合えばいいと思うのだけど、それじゃダメなのだろうか。
こっそりするの面倒だからって、いい気分味わいたいからって、女に、あなたの遺伝子や性欲や本能の負担を負わせないでくれませんか。
遺伝子や性欲や本能のせいなのはわかったから、でも、女同士に領土争いをさせないでください。
その女(たち)が大事なら、なおのこと。
あなたの遺伝子と性欲と本能の責任は自分ひとりでこっそり負ってください。
だから、わたしは『多頭』を公言する男性に肯定的な気持ちを持てません。
自分の遺伝子と性欲と本能の負担を自分で負えない人にしか映らないです。
唯一、受け入れられる形は女性がそれを望むことだ。
関連エントリーにあるような理由もあるだろうし、もしかしたら多頭なご主人様をカッコイイと思う女性もいるかもしれないものね。
どうか、『多頭』をしたい男性がいたら、そういう女性を見つける努力をしてください。
『ご主人様』とか『主従』とか『多頭』なんて言葉を使ってごまかさないで、公認で複数の女性と付き合いたいですと募っていただきたいです。
わたしの悪感情を披露することはあまり楽しいものではありませんでした
モカちゃんという相手がいるのだもの、彼女のことを思ったら、それも申し訳ないと思います。
それに那智さんを悪者にしているようで居心地悪いです。
だけど、期間の決まっていない領土争いの傷と恐怖を書くことは、経験したからこそ書けるもの。
だから、書きました。
でもって、「那智さん、大変だったんですよ〜;;」と泣きつきたい気持ちも大きな理由のひとつ(笑)
(俺のほうが泣きたいって思いますよね^^;)
そして、これも那智さんとわたしの歴史の1ページ、全部書いて老後の楽しみにするのです^^
<関連エントリー>
『調教歴』
こんな多頭ならアリ^^
『頑張れ、ご主人様!!』
「等式」感想です。1.「女の嫉妬を甘くみないほうがいい。」「女」かな~「りん子」じゃないの?(笑)2.以前、話題になっていたけれど、「一夫多妻制」はどう説明をつけるのかな、テレビ番組でしか知らないけれど、皆さん仲良くしているみたいだよね。あれは、結婚だから良いのかな?(笑)
3.読者の方、りん子、モカちゃん、そして俺も、本当にお疲れ様でした。(笑)
信じられる
独特な幸福感
ああ、もう一回だけ『領土争い』に関する補足をさせてください!!
みなさんも那智さんもお腹いっぱいだと思いますが、ここはわたし自身スッキリしておきたいのです。
鞭のお話のだった予約投稿を変更して^^;
あ〜あ、鞭エントリーを読んで、那智さんの『りん子可愛がりたい』テンション上げられると思っていたのだけど、それは我慢です(笑)
鍵コメや拍手コメントには基本的にお返事しない決まりにしているので、その代わりというか、いただいたコメントを引用したり「こんなのいただいて」とネタ振りにするのも避けるようにしている。
もちろんそういうときはあるし、感謝の気持ちをエントリーにすることなどはまったく良しとしているのだけど、できるだけその方とわたしだけのやり取りで完結しておくほうが筋だと思っている。
だけど、今回は、そのゆるやかな私的ルールを解除します。
それは、その方だけが感じたことではないだろうなと想像できること、そして、補足説明してもう少しわたしたちのことを伝えたかったからです。
あと、那智さんフォロー(笑)
これを説明する機会を作ってくれたあなたに感謝して、エントリーのきっかけにすることをお許しくださいませ。
もしかしたら、拍手コメントの真意とは違う話になってしまったかもしれませんので、どうか、切り離して読んでいただけるとうれしいです。
『領土争い5 まとめ』に拍手コメントいただきました。
そこには、それほど苦しい思いをしたにも関わらず、那智さんの言葉を信じることがすごいというようなことが書かれていました。
好意的な気持ちで書いてくださっていること充分伝わってきます。
だけど、本当はね、ちょっと違うのです。
わたしはあんなに苦しんだから、那智さんの言葉を信じることができるのです。
まず、大前提として、あれはわたしの妄想、わたしが「叶えてくれない」と那智さんに泣いて訴えたことからスタートしたこと。
「怖い話を聞かせて」とせがんで、そのお話があまりに怖すぎて「トイレに行かれなくなったからなんとかして!!」と訴えている。
だから、方法の善し悪しは別で(笑)発端はわたしであるということを頭の片隅に置いていてください。
いままでも何回かエントリーにしていますけど。
那智さんは優しい人なのでわたしが悲しくなるようなことは基本的にはしない人です。
だけど、とても大事なことや、こちらが欲しい答えをチラつかせて誘導することに対しては『プラスとマイナスの答えが浮かんだら、マイナスのほうをあえて選ぶ』人でもあります。
天の邪鬼さんであることは5%くらいはあるけれど(笑)
それが那智さんにとって誠意あること思っているからです。
大事な局面であればあるほど、思いついた答えの中からマイナス側を選ぶことが、わたしにウソをついていないと思わせることができるし、那智さん自身もやましい気持ちなくいられるのだそうです。
たとえ、これを言ったらりん子が悲しくなって、その後の話し合い大変になるぞとわかっていてもです。
わたしが悲しい気持ちを解消したくて
もう一度さんにんをしようとしたらどうします?
と誘導質問してみる。
ほしい答えは「もうしないよ」だ。
もちろん、那智さんの中で「もうしないよ」という答えも浮かずはずだけど、一方で、その質問を投げかけられて否応なしに瞬時に想像が巡り、「もしするとしたら、は俺の快感を優先する形にするだろうな〜」ともうひとつりん子にとってマイナスの答えが浮かぶとする。
その場合、それを答えに選ぶ。
那智さんはいまでもモカちゃんに会いたいはずだ!!
と不安を口にして同情と「NO」と引き出そうとすれば
ふたりでは会わないよ
と答える。
いまでも3人で会うのは楽しい、それはわたしも同じだ、だから「会いたくない」はウソになる。
今後、りん子とモカちゃん、そして、ときどき自分を含めた良い関係を続けるには「会いたくない」のウソは『楽しい関係』に水を差すことにもなる。
(わかります?俺は会いたくない人には会わないし、仮に俺がモカちゃんに会いたくないと認識して、3人で会うのりん子楽しくないだろ?という側面)
多少、色をつけてプラスに転じさせることだってできるはずなのだけど、わたしが悲しむことがわかっていても、ウソをつかず、マイナスよりの答えをいう。
この繰り返しが、さんにんを終えたあと新たな傷を増やしてしまったわけです。
那智さんはいいます。
りん子がほしい答えをいうことなんて簡単。
それをしたほうが、意見の相違なんてなくなって、話し合いもなくなって、ずっとラクにしていられる。
だけど、それじゃ、りん子、俺を信じられないだろ?
俺もだましているみたいでやましい気持ちが積もるし、だまされているりん子をバカにしてしまいかねない。
わかっていてもマイナスのほうを選んで言っているんだよ。
ウソをついてなんて言っていないのです。
プラスもマイナスも両方本当ならプラスを言ってくれたらいいじゃないですか。
それでわたしの気持ちが安心するのだもの、お安い御用でしょ?
そう思うけど、それはしてくれない。
おそらく、わたしが一点の曇りもなく那智さんを信じ好きでいたいと思う気持ちと同じように、那智さんも一点の曇りもなくわたしに誠実でありたいと思っているのだ。
その場しのぎのこと、わたしがほしい答え、面倒を回避する答え、それらを言うことは簡単だけど、わたしの那智さんへの信頼はもちろん、那智さん自身の大事な『何か』を失いながらわたしと付き合うことになるのだと思う。
那智さんは耳障りのいい言葉を言ったほうが簡単なはずだった、でも、それはしないでヘトヘトになるまで言葉の真意を探り、わたし悲しい気持ちのもとを見つけ、どういう思考回路にしたらそれがなくなるかを話し合う。
それは、那智さん自身『一点の曇りもなく』付き合っていたかったからだ。
かなしいぶつけ玉砕され、那智さんの誠実を教えられる、この修羅場(笑)を繰り返してきたから、ふと零れた『ずっと』の認識の違いなどという、拍子抜けとも都合いいとも思えるプラスの言葉をそのまま信じることができたのです。
だって、都合よく収めようと思えば、3年間のうちに何度もそのチャンスはあったし、わたしの心理状態がもっとぐちゃぐちゃでどん底のときに都合よい言葉を吐いたほうがラクだったはずなのにしなかったから。
大変な道を通ったから、信じることができたのです。
えっと、これは苦しむことを推奨しているものではないですし、『相手のためにあえて、厳しいことをいう』というスポ根的根性論を言っているわけではありません。
わたしが那智さんに誘導質問を繰り返さなければ、この傷は最小限に抑えることができて、那智さんもヘトヘトにならず、わたしも苦しまずに済んだはずですから苦しんだのの大半はわたしのせい。
とにかく、那智さんのいうことはプラスもマイナスも含めて本当だと信じさせてくれる経験を積み重ねたから、信じることができたのです。(だから、わたしはすごくないのです^^;)
『一点の曇りもなく』、人と人の付き合いでそんなキレイな状態なんて本当にむずかしい。
だけど、互いに相手を疑うことなく信じていたいと願い、そのために疲れ果てるほど話し合いを重ねる作業は苦しいけど、とても大事なところをいつも白くすることができる。
今回のことで、那智さんの誠実の表し方、誘導質問の無意味さなんかを知り、那智さんとの付き合いに有効な知識は増えた、その分、昔より『大人』になったかもしれない。
(まだ上手に対応できないことあるけど)
でも、『信じる』という点においては、より一点の曇りもない状態でいられていることは確かです。
だから、一連のエントリーで那智さんひどいなって思う人がいたら、それはちょっと違います^^
那智さんは、「怖い話を聞かせて」とせがまれて、そのお話があまりに怖すぎて「トイレに行かれなくなったからなんとかして!!」と何百回となく訴えられた被害者なのです(笑)
きっと、ここでプラスのほうを選んだらりん子を悲しませずにすんで、自分もラクだろうなと思うことは何度もあったはずなのです、それを踏みとどまり、マイナスをいい、その後のわたしの悲しいに付き合う苦労は相当のものだったと思います。
でも、すごーーーく怖かったのだもの;;
もしかしたら、初期の段階でわたしの訴え方が違っていたら『よしよし、怖かったね〜』と甘えられる道筋を作ることができたかもしれないけど、それは後の祭り、残念ながら正解はわからないです。
とにかく、大事なことほど誘導には応じずマイナスの答えをいう、そして、そこから発生する面倒も引き受ける、これが那智さんの誠実な付き合い方で、わたしはそれにのっとって生きていく、その結果だったということでした^^
(もちろん、我慢はしません。場合によってはプラスの答えを選んでもらえるようにわたしの希望は伝え続けますよ〜)
だから、あの言葉も信じることができたのです^^
で、那智さんは被害者なのでどちらかというと同情していただくほうが正解です^^
緊急の補足にお付き合いくださってありがとうございます。
鞭エントリーは後回しにしちゃったけど、次からはまたいつもの感じでいきますよ〜^^
<関連エントリー>
『誠実な天の邪鬼』
『心ちゃんと事実さん』
思えば、この発言もわたしの誘導ゆえ、かもね^^;
『20%嫌悪する』
「等式」感想です。これを読んで理解してくれる人が多くなることを期待します。基本、このエントリーの一部は私がツイートで説明したかったこと、しかし私の筆力では難しいのでりん子に依頼したのです。最終的には「すべての責任はおれにある、道義的責任はりん子にある」の言葉に象徴されるのですが。
ああ、もう一回だけ『領土争い』に関する補足をさせてください!!
みなさんも那智さんもお腹いっぱいだと思いますが、ここはわたし自身スッキリしておきたいのです。
鞭のお話のだった予約投稿を変更して^^;
あ〜あ、鞭エントリーを読んで、那智さんの『りん子可愛がりたい』テンション上げられると思っていたのだけど、それは我慢です(笑)
鍵コメや拍手コメントには基本的にお返事しない決まりにしているので、その代わりというか、いただいたコメントを引用したり「こんなのいただいて」とネタ振りにするのも避けるようにしている。
もちろんそういうときはあるし、感謝の気持ちをエントリーにすることなどはまったく良しとしているのだけど、できるだけその方とわたしだけのやり取りで完結しておくほうが筋だと思っている。
だけど、今回は、そのゆるやかな私的ルールを解除します。
それは、その方だけが感じたことではないだろうなと想像できること、そして、補足説明してもう少しわたしたちのことを伝えたかったからです。
あと、那智さんフォロー(笑)
これを説明する機会を作ってくれたあなたに感謝して、エントリーのきっかけにすることをお許しくださいませ。
もしかしたら、拍手コメントの真意とは違う話になってしまったかもしれませんので、どうか、切り離して読んでいただけるとうれしいです。
『領土争い5 まとめ』に拍手コメントいただきました。
そこには、それほど苦しい思いをしたにも関わらず、那智さんの言葉を信じることがすごいというようなことが書かれていました。
好意的な気持ちで書いてくださっていること充分伝わってきます。
だけど、本当はね、ちょっと違うのです。
わたしはあんなに苦しんだから、那智さんの言葉を信じることができるのです。
まず、大前提として、あれはわたしの妄想、わたしが「叶えてくれない」と那智さんに泣いて訴えたことからスタートしたこと。
「怖い話を聞かせて」とせがんで、そのお話があまりに怖すぎて「トイレに行かれなくなったからなんとかして!!」と訴えている。
だから、方法の善し悪しは別で(笑)発端はわたしであるということを頭の片隅に置いていてください。
いままでも何回かエントリーにしていますけど。
那智さんは優しい人なのでわたしが悲しくなるようなことは基本的にはしない人です。
だけど、とても大事なことや、こちらが欲しい答えをチラつかせて誘導することに対しては『プラスとマイナスの答えが浮かんだら、マイナスのほうをあえて選ぶ』人でもあります。
天の邪鬼さんであることは5%くらいはあるけれど(笑)
それが那智さんにとって誠意あること思っているからです。
大事な局面であればあるほど、思いついた答えの中からマイナス側を選ぶことが、わたしにウソをついていないと思わせることができるし、那智さん自身もやましい気持ちなくいられるのだそうです。
たとえ、これを言ったらりん子が悲しくなって、その後の話し合い大変になるぞとわかっていてもです。
わたしが悲しい気持ちを解消したくて
もう一度さんにんをしようとしたらどうします?
と誘導質問してみる。
ほしい答えは「もうしないよ」だ。
もちろん、那智さんの中で「もうしないよ」という答えも浮かずはずだけど、一方で、その質問を投げかけられて否応なしに瞬時に想像が巡り、「もしするとしたら、は俺の快感を優先する形にするだろうな〜」ともうひとつりん子にとってマイナスの答えが浮かぶとする。
その場合、それを答えに選ぶ。
那智さんはいまでもモカちゃんに会いたいはずだ!!
と不安を口にして同情と「NO」と引き出そうとすれば
ふたりでは会わないよ
と答える。
いまでも3人で会うのは楽しい、それはわたしも同じだ、だから「会いたくない」はウソになる。
今後、りん子とモカちゃん、そして、ときどき自分を含めた良い関係を続けるには「会いたくない」のウソは『楽しい関係』に水を差すことにもなる。
(わかります?俺は会いたくない人には会わないし、仮に俺がモカちゃんに会いたくないと認識して、3人で会うのりん子楽しくないだろ?という側面)
多少、色をつけてプラスに転じさせることだってできるはずなのだけど、わたしが悲しむことがわかっていても、ウソをつかず、マイナスよりの答えをいう。
この繰り返しが、さんにんを終えたあと新たな傷を増やしてしまったわけです。
那智さんはいいます。
りん子がほしい答えをいうことなんて簡単。
それをしたほうが、意見の相違なんてなくなって、話し合いもなくなって、ずっとラクにしていられる。
だけど、それじゃ、りん子、俺を信じられないだろ?
俺もだましているみたいでやましい気持ちが積もるし、だまされているりん子をバカにしてしまいかねない。
わかっていてもマイナスのほうを選んで言っているんだよ。
ウソをついてなんて言っていないのです。
プラスもマイナスも両方本当ならプラスを言ってくれたらいいじゃないですか。
それでわたしの気持ちが安心するのだもの、お安い御用でしょ?
そう思うけど、それはしてくれない。
おそらく、わたしが一点の曇りもなく那智さんを信じ好きでいたいと思う気持ちと同じように、那智さんも一点の曇りもなくわたしに誠実でありたいと思っているのだ。
その場しのぎのこと、わたしがほしい答え、面倒を回避する答え、それらを言うことは簡単だけど、わたしの那智さんへの信頼はもちろん、那智さん自身の大事な『何か』を失いながらわたしと付き合うことになるのだと思う。
那智さんは耳障りのいい言葉を言ったほうが簡単なはずだった、でも、それはしないでヘトヘトになるまで言葉の真意を探り、わたし悲しい気持ちのもとを見つけ、どういう思考回路にしたらそれがなくなるかを話し合う。
それは、那智さん自身『一点の曇りもなく』付き合っていたかったからだ。
かなしいぶつけ玉砕され、那智さんの誠実を教えられる、この修羅場(笑)を繰り返してきたから、ふと零れた『ずっと』の認識の違いなどという、拍子抜けとも都合いいとも思えるプラスの言葉をそのまま信じることができたのです。
だって、都合よく収めようと思えば、3年間のうちに何度もそのチャンスはあったし、わたしの心理状態がもっとぐちゃぐちゃでどん底のときに都合よい言葉を吐いたほうがラクだったはずなのにしなかったから。
大変な道を通ったから、信じることができたのです。
えっと、これは苦しむことを推奨しているものではないですし、『相手のためにあえて、厳しいことをいう』というスポ根的根性論を言っているわけではありません。
わたしが那智さんに誘導質問を繰り返さなければ、この傷は最小限に抑えることができて、那智さんもヘトヘトにならず、わたしも苦しまずに済んだはずですから苦しんだのの大半はわたしのせい。
とにかく、那智さんのいうことはプラスもマイナスも含めて本当だと信じさせてくれる経験を積み重ねたから、信じることができたのです。(だから、わたしはすごくないのです^^;)
『一点の曇りもなく』、人と人の付き合いでそんなキレイな状態なんて本当にむずかしい。
だけど、互いに相手を疑うことなく信じていたいと願い、そのために疲れ果てるほど話し合いを重ねる作業は苦しいけど、とても大事なところをいつも白くすることができる。
今回のことで、那智さんの誠実の表し方、誘導質問の無意味さなんかを知り、那智さんとの付き合いに有効な知識は増えた、その分、昔より『大人』になったかもしれない。
(まだ上手に対応できないことあるけど)
でも、『信じる』という点においては、より一点の曇りもない状態でいられていることは確かです。
だから、一連のエントリーで那智さんひどいなって思う人がいたら、それはちょっと違います^^
那智さんは、「怖い話を聞かせて」とせがまれて、そのお話があまりに怖すぎて「トイレに行かれなくなったからなんとかして!!」と何百回となく訴えられた被害者なのです(笑)
きっと、ここでプラスのほうを選んだらりん子を悲しませずにすんで、自分もラクだろうなと思うことは何度もあったはずなのです、それを踏みとどまり、マイナスをいい、その後のわたしの悲しいに付き合う苦労は相当のものだったと思います。
でも、すごーーーく怖かったのだもの;;
もしかしたら、初期の段階でわたしの訴え方が違っていたら『よしよし、怖かったね〜』と甘えられる道筋を作ることができたかもしれないけど、それは後の祭り、残念ながら正解はわからないです。
とにかく、大事なことほど誘導には応じずマイナスの答えをいう、そして、そこから発生する面倒も引き受ける、これが那智さんの誠実な付き合い方で、わたしはそれにのっとって生きていく、その結果だったということでした^^
(もちろん、我慢はしません。場合によってはプラスの答えを選んでもらえるようにわたしの希望は伝え続けますよ〜)
だから、あの言葉も信じることができたのです^^
で、那智さんは被害者なのでどちらかというと同情していただくほうが正解です^^
緊急の補足にお付き合いくださってありがとうございます。
鞭エントリーは後回しにしちゃったけど、次からはまたいつもの感じでいきますよ〜^^
<関連エントリー>
『誠実な天の邪鬼』
『心ちゃんと事実さん』
思えば、この発言もわたしの誘導ゆえ、かもね^^;
『20%嫌悪する』
「等式」感想です。これを読んで理解してくれる人が多くなることを期待します。基本、このエントリーの一部は私がツイートで説明したかったこと、しかし私の筆力では難しいのでりん子に依頼したのです。最終的には「すべての責任はおれにある、道義的責任はりん子にある」の言葉に象徴されるのですが。
苦労話(笑)
独り言
『昔はよかった』とか『いまどきの若い人は』とか、時代によって善し悪しを語るのは本当はあまり好きじゃない。
『昔は』という人の昔は、もっと昔の人からしたら『いまどき』だったわけだし、いまも昔も良いことと悪いことの両方とも存在しているものね。
でも、今日はする(笑)
ということで、昔は大変だった懐古エントリー。
『那智さんのSM』や『奴隷の起源』で触れているけれど、小学生の頃から『好きな子にうんこを食べさせたい』と思っていた那智さん。
すこしずつ知識を増やしSMというものがあることを知るのだけど、思春期の頃から『いったいどうやって叶えるんだろう』と途方に暮れていたようだ。
当時のSMなんて一部の変質者のするようなことを思われていた時代。
恋人に縛らせてなんて言おうものなら変質者扱いされて嫌われてしまいかねない。
そんな那智少年の苦労をエントリーにしてきた^^
多少の差はあれ、ほとんど同時代にSMに触れるようになるわたしも当然、いろいろ苦労した。
いまではネットで検索すればイヤというほどSM関連の情報や画像や動画を見ることができるし、SMや主従もずいぶん市民権を得ていて出会い系にも当たり前のようにそのカテゴリが存在しているので、SMに触れることや相手を探すことはすごく簡単だ。(探すことは簡単だけど、そこから先に進めるのはどちらにしても大変だけどね)
わたしがその手のことを考えるようになった35年くらい前小学生の頃、当然『SM』の存在は知らなかった。
それでも内からわき上がる何かを治めるために、わたしが取った手段は絵を描くことだった。
小学生の絵なんてたかが知れているので、まったく妄想を形にすることはできなかったけど、それでも一生懸命『そんなような女の人』を書いてなんとか治めていた。
まあ、そんなに絵の才能があるわけではなかったので、妄想に絵が追いついていないと自覚し出すとその方法は衰退していったけど…。
10代の終わり頃はじめてSMの存在を知るのだけど、その頃からやっとレディスコミックが手に入るようになる。
その頃だって、そういうものは小説の中か男性がお金を払ってするもので、一般の女性の自分とは縁のない世界だと思っていたのだもの。
SM雑誌の存在も知らなかったし、もし知っていても書店で手に取る勇気はなかっただろうわたしが唯一SMに触れられるものがレディコミだった。
そのレディコミだって、いまほどポピュラー(いまポピュラーなの?)なものではなかったし、書店やコンビニで手に取りレジに持っていくことはものすごく勇気のいることだった。
でも、すごくためらうのだけど、どうしても『触れたい』という欲求が溢れるとき意を決してコンビニに向かうのだった。
わざわざ自宅からすこし離れたコンビニを選び、まず、レジの店員さんを見て買えそうな人かチェックする。
どんな人選だったらオッケーにしていたかもう忘れちゃったけど、わたしの中で年齢や性別で線引きしていたはずなんだ。
それで、大丈夫だったら次は書籍コーナーの前をさりげなく何往復かして目星をつける。
周囲に人がいないか確認してさりげなくでも確実に『すっ』と一気に取り、何食わぬ顔で『すっ』とレジに行き、平静を装って『すっ』と会計を済ませる。
店員さん、こっち見ないで!!誰もそばに来ないで!!
と内心ヒヤヒヤしながら『すっ』と受け取り、ミッションコンプリート。
すっと取ってすっとレジに行ってすっと帰る。
この一連の作業を澱みなく行うシミュレーションを何度もして挑んだものだ。
たかが一冊雑誌を買うだけなのに、ものすごい大罪を犯しているような気分だった。
でも、それほど、欲しかったのだ(笑)
ところがいまほどSMがポピュラーではない分、レディコミでさえあまりSM的なものは少なかったからなかなか妄想にピッタリというのがないこともよくあった。
立ち見して中身を確認すればいいのだけど、大罪を犯しているのだ、そんな余裕はない。
だから、せっかく買ってきても残念な結果になることもあった。
そんな具合だから気に入るような漫画や短編小説が載っている号に当たるとスーパーラッキー!!
後生大事に引き出しの一番下にしまい、どうしても『触れたい』ときにはそれがあるから大丈夫と、まるでお守りのようにしていたのだった。
同じページばかり開くもんだから、開くやすくなったりしてしまっていた(トホホ)
でも、なぜかずっと引き出しにしまっておくことは悪いことのような気がして、一定時間したらせっかくのお守りも捨てていた。
で、また溢れる時期が来てしまうので、大罪を犯しにコンビニに向かうのだ^^;
25年から20年くらい前になると、そのレディコミの広告でダイヤルQ2というところでS男性希望やM女募集を見つけて、SMが小説や映画の世界ではなく現実のものだと知り、もしかしたら叶うかもしれないと色めき立った。
でも、それですぐ相手を見つけるなんてことは、あまりに恐ろしいことでできなかった。
しばらくはS男性の伝言メッセージを聞き、『麻縄で縛って』とか『下着を着けずに待ち合わせして』とか、そこで語られるSM行為を自分に置き換えて頭の中で想像していた、これがわたしのSM情報源だった。
あるとき、わたしは自分の傾向を知る。
男性が語るSM行為を聞くものもちろんしていたけど、女性の声を聞きたいと思うようになるのだ。
女性が感じている声を聞きたい。
いまなら、ね、たくさん無料動画があるから『感じている女性』なんてたくさん見ることはできるけど、当時は映画館やレンタルビデオくらいしかお目にかかることができないから、どうやったら叶うのか、ちょっと困ってしまった。
思えば、それは、そこに自分を投影してみたかったのだと思うのだけど、とにかく『感じている女性』に触れたかったのだ。
で、見つけたのが、同じダイヤルQ2のサービス。
なんていうかエッチな何かを聞けるサービスがあったのです。
『いけない人妻の一人遊び』とか『ラブホテル中継』とか『OLゆみこ、南の島の初体験』とか(笑)
それらしいタイトルが書いてあって、ラジオドラマになっているのか、ただ喘ぎ声が流れているのか、わからないのだけど、エッチな何かを聞くことができたらしいのだ。
なぜ、『らしい』かというと、それは聞いていないから。
だって、それは有料サービスで30秒で何円かかったり、そうそう国際電話料金がかかるところもあったっけ!!とにかく、お金がかかるし、携帯のない時代、それを自分の家の固定電話料金で請求されるわけ。
一体どこの国の誰にかけたの!?ってことになりかねないのだから、かけるわけにはいかない。
だから『らしい』なんだけど。
これ、最初有料になる手前で、たしか説明みたいな音声が流れるの。
ちょっと淫靡な声でシステムの説明をしていたんだよね。
その説明の後ろでBGMみたいに女性の喘ぎ声が流れているの!!
それを耳を澄まして聞くのだ!!
ああ、いま、書いていても情けない。
当時も受話器に耳を押当てながら「わたしったら何やってるんだろう…」と自嘲していた。
わたしのSM(音声はSMじゃないけど)に触れる経験は必死と自嘲の二重奏^^;
とにかく、とっても大変だった〜。
いまはネットがあるから、SMに触れることもすぐできるし、女性の感じる声聞きたいなんて動画サイト見れば声だけじゃないものまでたーっぷり見られるから、その手のことは苦労しないよね。
やっぱり人は『どうしてもしたいこと』はする。
大罪を犯しているような気持ちになり自分をバカにしてしまうほど情けなく求めたSM的行為は、わたしのどうしてもしたいことだったと、いまでも胸を張って言える(いや、胸張れるものじゃないけど^^;)。
いまのほうが情報がたくさんあって、いろいろなものに触れる機会もあると選択肢が増えるように思うけど、もしかしたら『どうしてもしたいこと』を見極めるのは、無からのほうがやりやすいのかもしれないなって思ったりもする。
それでも、わたしはSM行為はわかっていたけど父性的なものはわからず仕舞いだったので、結局は模索しながら見つけていくのかな。
どうしてもしたいことがわかっていると、それを選んだことを後悔しないでいられると思うからいまある状況の中で最善の方法を見つけて『どうしてもしたいこと』を見つけられるといいよね。
そのヒントとして、あえて情報から離れてみるのも、ひとつの手かもしれないって思いました^^
「等式」感想です。何で苦労して手に入れたお気に入りを一定期間で手放すのだろう。高校生の時はベストおかずをファイルにコレクションしていたな。(笑)
那智さんのコレクション、こっそりのぞいてみたかったです^^
『昔はよかった』とか『いまどきの若い人は』とか、時代によって善し悪しを語るのは本当はあまり好きじゃない。
『昔は』という人の昔は、もっと昔の人からしたら『いまどき』だったわけだし、いまも昔も良いことと悪いことの両方とも存在しているものね。
でも、今日はする(笑)
ということで、昔は大変だった懐古エントリー。
『那智さんのSM』や『奴隷の起源』で触れているけれど、小学生の頃から『好きな子にうんこを食べさせたい』と思っていた那智さん。
すこしずつ知識を増やしSMというものがあることを知るのだけど、思春期の頃から『いったいどうやって叶えるんだろう』と途方に暮れていたようだ。
当時のSMなんて一部の変質者のするようなことを思われていた時代。
恋人に縛らせてなんて言おうものなら変質者扱いされて嫌われてしまいかねない。
そんな那智少年の苦労をエントリーにしてきた^^
多少の差はあれ、ほとんど同時代にSMに触れるようになるわたしも当然、いろいろ苦労した。
いまではネットで検索すればイヤというほどSM関連の情報や画像や動画を見ることができるし、SMや主従もずいぶん市民権を得ていて出会い系にも当たり前のようにそのカテゴリが存在しているので、SMに触れることや相手を探すことはすごく簡単だ。(探すことは簡単だけど、そこから先に進めるのはどちらにしても大変だけどね)
わたしがその手のことを考えるようになった35年くらい前小学生の頃、当然『SM』の存在は知らなかった。
それでも内からわき上がる何かを治めるために、わたしが取った手段は絵を描くことだった。
小学生の絵なんてたかが知れているので、まったく妄想を形にすることはできなかったけど、それでも一生懸命『そんなような女の人』を書いてなんとか治めていた。
まあ、そんなに絵の才能があるわけではなかったので、妄想に絵が追いついていないと自覚し出すとその方法は衰退していったけど…。
10代の終わり頃はじめてSMの存在を知るのだけど、その頃からやっとレディスコミックが手に入るようになる。
その頃だって、そういうものは小説の中か男性がお金を払ってするもので、一般の女性の自分とは縁のない世界だと思っていたのだもの。
SM雑誌の存在も知らなかったし、もし知っていても書店で手に取る勇気はなかっただろうわたしが唯一SMに触れられるものがレディコミだった。
そのレディコミだって、いまほどポピュラー(いまポピュラーなの?)なものではなかったし、書店やコンビニで手に取りレジに持っていくことはものすごく勇気のいることだった。
でも、すごくためらうのだけど、どうしても『触れたい』という欲求が溢れるとき意を決してコンビニに向かうのだった。
わざわざ自宅からすこし離れたコンビニを選び、まず、レジの店員さんを見て買えそうな人かチェックする。
どんな人選だったらオッケーにしていたかもう忘れちゃったけど、わたしの中で年齢や性別で線引きしていたはずなんだ。
それで、大丈夫だったら次は書籍コーナーの前をさりげなく何往復かして目星をつける。
周囲に人がいないか確認してさりげなくでも確実に『すっ』と一気に取り、何食わぬ顔で『すっ』とレジに行き、平静を装って『すっ』と会計を済ませる。
店員さん、こっち見ないで!!誰もそばに来ないで!!
と内心ヒヤヒヤしながら『すっ』と受け取り、ミッションコンプリート。
すっと取ってすっとレジに行ってすっと帰る。
この一連の作業を澱みなく行うシミュレーションを何度もして挑んだものだ。
たかが一冊雑誌を買うだけなのに、ものすごい大罪を犯しているような気分だった。
でも、それほど、欲しかったのだ(笑)
ところがいまほどSMがポピュラーではない分、レディコミでさえあまりSM的なものは少なかったからなかなか妄想にピッタリというのがないこともよくあった。
立ち見して中身を確認すればいいのだけど、大罪を犯しているのだ、そんな余裕はない。
だから、せっかく買ってきても残念な結果になることもあった。
そんな具合だから気に入るような漫画や短編小説が載っている号に当たるとスーパーラッキー!!
後生大事に引き出しの一番下にしまい、どうしても『触れたい』ときにはそれがあるから大丈夫と、まるでお守りのようにしていたのだった。
同じページばかり開くもんだから、開くやすくなったりしてしまっていた(トホホ)
でも、なぜかずっと引き出しにしまっておくことは悪いことのような気がして、一定時間したらせっかくのお守りも捨てていた。
で、また溢れる時期が来てしまうので、大罪を犯しにコンビニに向かうのだ^^;
25年から20年くらい前になると、そのレディコミの広告でダイヤルQ2というところでS男性希望やM女募集を見つけて、SMが小説や映画の世界ではなく現実のものだと知り、もしかしたら叶うかもしれないと色めき立った。
でも、それですぐ相手を見つけるなんてことは、あまりに恐ろしいことでできなかった。
しばらくはS男性の伝言メッセージを聞き、『麻縄で縛って』とか『下着を着けずに待ち合わせして』とか、そこで語られるSM行為を自分に置き換えて頭の中で想像していた、これがわたしのSM情報源だった。
あるとき、わたしは自分の傾向を知る。
男性が語るSM行為を聞くものもちろんしていたけど、女性の声を聞きたいと思うようになるのだ。
女性が感じている声を聞きたい。
いまなら、ね、たくさん無料動画があるから『感じている女性』なんてたくさん見ることはできるけど、当時は映画館やレンタルビデオくらいしかお目にかかることができないから、どうやったら叶うのか、ちょっと困ってしまった。
思えば、それは、そこに自分を投影してみたかったのだと思うのだけど、とにかく『感じている女性』に触れたかったのだ。
で、見つけたのが、同じダイヤルQ2のサービス。
なんていうかエッチな何かを聞けるサービスがあったのです。
『いけない人妻の一人遊び』とか『ラブホテル中継』とか『OLゆみこ、南の島の初体験』とか(笑)
それらしいタイトルが書いてあって、ラジオドラマになっているのか、ただ喘ぎ声が流れているのか、わからないのだけど、エッチな何かを聞くことができたらしいのだ。
なぜ、『らしい』かというと、それは聞いていないから。
だって、それは有料サービスで30秒で何円かかったり、そうそう国際電話料金がかかるところもあったっけ!!とにかく、お金がかかるし、携帯のない時代、それを自分の家の固定電話料金で請求されるわけ。
一体どこの国の誰にかけたの!?ってことになりかねないのだから、かけるわけにはいかない。
だから『らしい』なんだけど。
これ、最初有料になる手前で、たしか説明みたいな音声が流れるの。
ちょっと淫靡な声でシステムの説明をしていたんだよね。
その説明の後ろでBGMみたいに女性の喘ぎ声が流れているの!!
それを耳を澄まして聞くのだ!!
ああ、いま、書いていても情けない。
当時も受話器に耳を押当てながら「わたしったら何やってるんだろう…」と自嘲していた。
わたしのSM(音声はSMじゃないけど)に触れる経験は必死と自嘲の二重奏^^;
とにかく、とっても大変だった〜。
いまはネットがあるから、SMに触れることもすぐできるし、女性の感じる声聞きたいなんて動画サイト見れば声だけじゃないものまでたーっぷり見られるから、その手のことは苦労しないよね。
やっぱり人は『どうしてもしたいこと』はする。
大罪を犯しているような気持ちになり自分をバカにしてしまうほど情けなく求めたSM的行為は、わたしのどうしてもしたいことだったと、いまでも胸を張って言える(いや、胸張れるものじゃないけど^^;)。
いまのほうが情報がたくさんあって、いろいろなものに触れる機会もあると選択肢が増えるように思うけど、もしかしたら『どうしてもしたいこと』を見極めるのは、無からのほうがやりやすいのかもしれないなって思ったりもする。
それでも、わたしはSM行為はわかっていたけど父性的なものはわからず仕舞いだったので、結局は模索しながら見つけていくのかな。
どうしてもしたいことがわかっていると、それを選んだことを後悔しないでいられると思うからいまある状況の中で最善の方法を見つけて『どうしてもしたいこと』を見つけられるといいよね。
そのヒントとして、あえて情報から離れてみるのも、ひとつの手かもしれないって思いました^^
「等式」感想です。何で苦労して手に入れたお気に入りを一定期間で手放すのだろう。高校生の時はベストおかずをファイルにコレクションしていたな。(笑)
那智さんのコレクション、こっそりのぞいてみたかったです^^
ディナーの前に
非日常的な日常
雨の降る夕方、お仕事場にお邪魔した。
今日は夜、中華をご一緒するのだ。
那智さんひとりの日だったので早めにお邪魔して可愛がっていただく。
中華ディナーは本当は違う日の予定だったのだけど、たまたま今日はひとりになることが決まったので急遽変更になった。
その前から欲情していた。
先週抱いていただいたにも関わらず、最近のわたしはいつも欲情と平常の淵をゆらゆら歩んでいるようで、ちょんと押せば簡単に欲情状態になってしまう。
ただ、会う予定は明後日だったし、それだってもしかしたら中華ディナーだけでおしまいかもしれないから、できるだけ欲情しないように、してしまってもどっぷり浸からないように、ほんの少し自制していたのだろう。
深層では欲情しているクセに自制している力が強すぎると、無意識に自制したままを保とうとしてしまうのだ。
来る?
のお誘いにあまり積極的なお返事ができないでいた。
那智さんは、それも想像できていたのだろう。
今日はおいで
と引っぱり出してくれた。
そこから抑えが効かなくなっていた。
お仕事場に到着して会議室に通される。
立て続けに電話が鳴り、那智さんはデスクに貼りついたまま。
最初はいつも通り椅子に座ったけど、なんだか落ち着かなくてて立ち上がり那智さんを待っていた。
電話が終わりこちらに来てくれた。
嬉しくて欲情して、触れてほしくてわたしの中身は大暴れ。
立ってるなんていじらしいね〜
そういってトイレに向かう。
トイレの手前のところで一度抱き合う。
もう、それだけでなり振りかまわなくなってしまいそうだ。
キスをしながら首に回していた手が肩を抱くように移動する。
腹筋に力を入れて
優しく甘く囁くそれはお腹を殴るつもりだ。
はあと、また欲情が溢れる。
左腕が肩を抱き、グーにした右手が『この辺だよ』と優しくトントンとお腹を叩く。
それほど自信のない腹筋に力を入れる。
ボスッ。
ボクシングやケンカのような殴打ではないから、お腹は痛いほどにはならない、ただ一瞬『苦しく』なる。
だから競り上がるのは胃液ではなく、欲情。
溢れて崩れ落ちてしまいそうな欲情だ。
興奮してたまらない。
力入れて、いいね?
愛の言葉か子守唄か。
もう一度。
抱きしめられるように殴られた。
殴ってもらった。
肩を支えていた手が首筋に移った。
この位置はビンタの予感。
欲情で震えているのか、怖くてなのか、わからないけどワナワナと震える。
お腹の腕が頬に触れた。
いいこ、いいこ
包み込むように頬を撫でる。
ビンタではなかった。
お腹を殴るのも頬を撫でるのも同じ空気。
きっと、ほんのすこし気が変われば同じ空気のままビンタになっていたはずだ。
トイレに入ってからは、もうひたすら欲情した淫乱女。
触ってと腰を擦り付け、腰を振る。
触ってもらいやすいようにワンピースのファスナーを自分から下ろす。
便座に腰かけた那智さんの指がスカートの中に入るともっとくださいと懇願の瞳で誘う。
立ち上がった那智さんのおちんぽ様がほしくてほしくて体を揺らす。
我慢できず手を伸ばしスーツ越しに触れる。
便器に腰かけた那智さんの足の間でおちんぽ様をしゃぶる。
ズボンが邪魔でもどかしい。
壁に手をつけさせ後ろから抱いてもらう。
乱暴に髪を引っぱられ否応なく顔を正面に向けさせられる。
思わず大きな声をあげてしまい、片手で口を塞がれた。
声を上げられないもどかしさとされるがままの口元はよけいに欲情を溢れさせた。
「等式」感想です。昔、りん子が欲情した時の表現は無きに等しかった。それは、そこまで差し迫った欲情では無かったか、凛としたプライドが許さないか、恥じらいを重んじる私の好みではないと思ったからでしょう。今の溢れる欲情とその表現はそれらの壁をクリアした賜物、成果です。(笑)
解放出来る欲情が、生きやすいことにつながるかは、別物だとは思いますが幸福であることは間違いないと思う。
りん子(^-^)たしかに、毎週那智さんに抱いてもらわないと情緒が安定しない人になることは生きやすいとは言い難いけれど、とてもしあわせな女ではある。
りん子(^-^)でも、『那智さんしか』なので、それはある意味不幸でもある。
雨の降る夕方、お仕事場にお邪魔した。
今日は夜、中華をご一緒するのだ。
那智さんひとりの日だったので早めにお邪魔して可愛がっていただく。
中華ディナーは本当は違う日の予定だったのだけど、たまたま今日はひとりになることが決まったので急遽変更になった。
その前から欲情していた。
先週抱いていただいたにも関わらず、最近のわたしはいつも欲情と平常の淵をゆらゆら歩んでいるようで、ちょんと押せば簡単に欲情状態になってしまう。
ただ、会う予定は明後日だったし、それだってもしかしたら中華ディナーだけでおしまいかもしれないから、できるだけ欲情しないように、してしまってもどっぷり浸からないように、ほんの少し自制していたのだろう。
深層では欲情しているクセに自制している力が強すぎると、無意識に自制したままを保とうとしてしまうのだ。
来る?
のお誘いにあまり積極的なお返事ができないでいた。
那智さんは、それも想像できていたのだろう。
今日はおいで
と引っぱり出してくれた。
そこから抑えが効かなくなっていた。
お仕事場に到着して会議室に通される。
立て続けに電話が鳴り、那智さんはデスクに貼りついたまま。
最初はいつも通り椅子に座ったけど、なんだか落ち着かなくてて立ち上がり那智さんを待っていた。
電話が終わりこちらに来てくれた。
嬉しくて欲情して、触れてほしくてわたしの中身は大暴れ。
立ってるなんていじらしいね〜
そういってトイレに向かう。
トイレの手前のところで一度抱き合う。
もう、それだけでなり振りかまわなくなってしまいそうだ。
キスをしながら首に回していた手が肩を抱くように移動する。
腹筋に力を入れて
優しく甘く囁くそれはお腹を殴るつもりだ。
はあと、また欲情が溢れる。
左腕が肩を抱き、グーにした右手が『この辺だよ』と優しくトントンとお腹を叩く。
それほど自信のない腹筋に力を入れる。
ボスッ。
ボクシングやケンカのような殴打ではないから、お腹は痛いほどにはならない、ただ一瞬『苦しく』なる。
だから競り上がるのは胃液ではなく、欲情。
溢れて崩れ落ちてしまいそうな欲情だ。
興奮してたまらない。
力入れて、いいね?
愛の言葉か子守唄か。
もう一度。
抱きしめられるように殴られた。
殴ってもらった。
肩を支えていた手が首筋に移った。
この位置はビンタの予感。
欲情で震えているのか、怖くてなのか、わからないけどワナワナと震える。
お腹の腕が頬に触れた。
いいこ、いいこ
包み込むように頬を撫でる。
ビンタではなかった。
お腹を殴るのも頬を撫でるのも同じ空気。
きっと、ほんのすこし気が変われば同じ空気のままビンタになっていたはずだ。
トイレに入ってからは、もうひたすら欲情した淫乱女。
触ってと腰を擦り付け、腰を振る。
触ってもらいやすいようにワンピースのファスナーを自分から下ろす。
便座に腰かけた那智さんの指がスカートの中に入るともっとくださいと懇願の瞳で誘う。
立ち上がった那智さんのおちんぽ様がほしくてほしくて体を揺らす。
我慢できず手を伸ばしスーツ越しに触れる。
便器に腰かけた那智さんの足の間でおちんぽ様をしゃぶる。
ズボンが邪魔でもどかしい。
壁に手をつけさせ後ろから抱いてもらう。
乱暴に髪を引っぱられ否応なく顔を正面に向けさせられる。
思わず大きな声をあげてしまい、片手で口を塞がれた。
声を上げられないもどかしさとされるがままの口元はよけいに欲情を溢れさせた。
「等式」感想です。昔、りん子が欲情した時の表現は無きに等しかった。それは、そこまで差し迫った欲情では無かったか、凛としたプライドが許さないか、恥じらいを重んじる私の好みではないと思ったからでしょう。今の溢れる欲情とその表現はそれらの壁をクリアした賜物、成果です。(笑)
解放出来る欲情が、生きやすいことにつながるかは、別物だとは思いますが幸福であることは間違いないと思う。
りん子(^-^)たしかに、毎週那智さんに抱いてもらわないと情緒が安定しない人になることは生きやすいとは言い難いけれど、とてもしあわせな女ではある。
りん子(^-^)でも、『那智さんしか』なので、それはある意味不幸でもある。