徒然に『怖がる』の補足
独特な幸福感
ふと浮かんだ考えをメモに残しておく。
何かネタになるかな〜と思って。
まるでお散歩の途中で面白い看板を見つけてちょこっとスマホで写真を撮るようなもの、かな。
そこから何かに発展するかもしれないし、無理矢理別なことにつげて使うこともあるし、『140字もどき』行きや【冷蔵庫の大掃除】で日の目を見ることになったりもする。
そのメモの中に、こんなことが書かれている。
頭や体で感じたことを言葉にすると、感じたことそのままにはならないよね。
りんごを表すのに『丸い』か『赤い』によって伝わるものは違ってくる。
赤くて丸くて甘酸っぱくて齧るとしゃくっとする、と一生懸命言葉を足しても100%実際のりんごにはならない。
いろいろなことは言葉にした時点で、そのものではなくなってしまうのだ。
乏しい語彙で伝えたいと言葉を尽くせば尽くすほど、実際にわたしが感じたものから離れていってしまうのではないか。
本当の意味での共感というものは言葉にした時点で得られないものなんじゃないか。
あらゆるところで起きている『共感』と、わたし自身の伝えることのもどかしさに、言葉にすることへのためらいが湧く。
たしかにそうかもしれない、でも、そうだったとしても、できるだけ伝えたいと思う気持ちは無駄ではないはず。
たかがブログの中のことだったとしても、ちょっぴり湧いたためらいと、奮い立たせる気持ちを忘れないようにメモに残したのだ。
伝える努力は惜しまない。
『徒然に「怖がる」』で那智さんがくれた感想とそれに応えたわたしのツイート。
一見するとちゃんとキャッチボールできているように見えるけど、後で会話をしてみたらふたりとも本当に言いたかったことを書いていないことが発覚した。
それは那智さんが「本当は『りん子に何をしても怖がらない』ってことが言いたかったんだよね〜」と話しはじめたことからわかっていった。
きっと、かみ合っているように見えるけど、互いに『?』な感覚があったからもう一度おさらいをするような会話に発展していったのだろう。
まず那智さんが早朝に書いてくれた感想。
「等式」感想です。基本は痛覚でもりん子に快感を与えたい。恐怖でも快感を与えることが出来るのならば、与えたい。が、しかし、私がりん子に恐怖を与えることが出来るのだろうか。お化け屋敷に連れて行きは簡単ですが。(笑)
これにはわたし、ちょっと『?』になった。
問題は怖いを快感に変えることであって、那智さんがわたしを怖がらせるなんてものすごーーく簡単なことなのに。
鞭のような行為は当然いつもいつも怖いし、ときどき後ろから「わ!!」って脅かされても怖い(笑)
那智さんの本当は深く濃い【独占欲】のようなものの迫力に触れるとき、その見えない底にほんの少し震える。
そして、那智さんにはウソをつけない、裏切りたくないという気持ちを起こさせる圧倒的な存在感に【畏怖の念】も抱く。
他の誰もわたしに与えることができない様々な『怖い』を与えることができる那智さんなのに、何をそんな当たり前のことをおっしゃっているのだろう?と思ったのだ。
それで
りん子(^-^)那智さんがわたしを怖がらせるなんて簡単です。しかも、他の誰よりもいろんな種類の怖いを与えられるはずです。ただし、それでわたしが快感を得られるかは、また別のお話です。試しにもう一回お化け屋敷連れて行きます?(笑)
とお応えした。
那智さんは『恐怖を与えられるか』と思い、わたしは『当然与えられる』と思っていた。
至極わかりきった疑問に当然の答えを提示した形になっているけど、那智さんのおっしゃる『恐怖』の意味が、そもそもわたしのそれとは違っていたのだった。
那智さんは
怖い→痛い・熱いなど→快感
と、まず行為に対して怖いという感情が湧いて、その次その行為で感じた感情、最後に快感(や幸せ)という行程で、最後に『快感』を得られれば、その前がどんなに怖くても痛くても辛くても、それは『快感』であって『怖い』とはいわないと思っている。
そして、那智さんはわたしに快感や幸福を与えたいと思っているのだから、わたしに何かを施すときは最後まで『怖い』で終わる行為はしたくない。
ということは、最初どんなに怖がっても、途中ものすごく痛くても、『俺はりん子を幸せにすることしかしないよ』と思っている。
だから、『私がりん子に恐怖を与えることが出来るのだろうか』という、わたしからしたらすごく簡単なことを疑問に思っているように見えたというわけ。
でも、そこまで書くとノロケみたいになっちゃうからな〜
おそらく『どんなことでも快感や幸福にする』ということを言っているようでためらったのでしょう^^;(SMをされている人の中には純粋に恐怖を欲しい人もいるかもしれないけど…、まあ、それだって、欲しいもの=快感になると言えなくもないけどね)
りん子、俺がすることは何でも(最終的に)怖くないだろ?
というつもりだったようだ。
それなのにわたしが『何でも簡単にいろんな種類の怖いを与えられますよ』というお返事をしてしまったものだから、お互い『?』な感じになっていたのだ。
で、話題に出してくれて、お互いの本当に言いたかったことを知ることができたわけです。
(『何をしてもりん子を幸せにできる』という那智さんと『畏怖の念を抱いていますよ』というわたしの双方若干照れくさいノロケが真意だったけど^^;)
なかなか140字でお互いの真意を完璧に読み取ることは難しい。
ここまで話しても、もしかしたら、100%自分の心を伝えられている保証はどこにもない。
だけど、互いに知りたい、知ってもらいたいと思って努力をすればこんなふうに一歩歩みよることができる。
その努力を惜しまないでいたいなと思うのでした。
ついでにメモをエントリーにつなげるこものできた^^
ところで、那智さんの感想を読んで真意を読み取ることができていた人がいたら、それはすごい!!
『那智さん翻訳機2号』の称号を差し上げたいと思います。(え?いらない?笑)
<関連エントリー>
『冷蔵庫の大掃除』
『独占欲』
『徒然に「独占欲」のこと』
『畏怖の念』
翻訳機
『等式流コミュニケーション術』
『マイフェアレディ「心を開く2」』
おもしろいですね。私は惚気になるから少しセーブした書き方をしてもりん子に理解してもらえるかと望みを託して書く、それがスルーされてまともな「返信」を貰う。
まあ、冷静に考えるとあれだけじゃ、通じないのも当然なのですが・・・どなたか、『那智さん翻訳機2号』の資格を得た方はいらっしゃいますか?(笑)
ふと浮かんだ考えをメモに残しておく。
何かネタになるかな〜と思って。
まるでお散歩の途中で面白い看板を見つけてちょこっとスマホで写真を撮るようなもの、かな。
そこから何かに発展するかもしれないし、無理矢理別なことにつげて使うこともあるし、『140字もどき』行きや【冷蔵庫の大掃除】で日の目を見ることになったりもする。
そのメモの中に、こんなことが書かれている。
頭や体で感じたことを言葉にすると、感じたことそのままにはならないよね。
りんごを表すのに『丸い』か『赤い』によって伝わるものは違ってくる。
赤くて丸くて甘酸っぱくて齧るとしゃくっとする、と一生懸命言葉を足しても100%実際のりんごにはならない。
いろいろなことは言葉にした時点で、そのものではなくなってしまうのだ。
乏しい語彙で伝えたいと言葉を尽くせば尽くすほど、実際にわたしが感じたものから離れていってしまうのではないか。
本当の意味での共感というものは言葉にした時点で得られないものなんじゃないか。
あらゆるところで起きている『共感』と、わたし自身の伝えることのもどかしさに、言葉にすることへのためらいが湧く。
たしかにそうかもしれない、でも、そうだったとしても、できるだけ伝えたいと思う気持ちは無駄ではないはず。
たかがブログの中のことだったとしても、ちょっぴり湧いたためらいと、奮い立たせる気持ちを忘れないようにメモに残したのだ。
伝える努力は惜しまない。
『徒然に「怖がる」』で那智さんがくれた感想とそれに応えたわたしのツイート。
一見するとちゃんとキャッチボールできているように見えるけど、後で会話をしてみたらふたりとも本当に言いたかったことを書いていないことが発覚した。
それは那智さんが「本当は『りん子に何をしても怖がらない』ってことが言いたかったんだよね〜」と話しはじめたことからわかっていった。
きっと、かみ合っているように見えるけど、互いに『?』な感覚があったからもう一度おさらいをするような会話に発展していったのだろう。
まず那智さんが早朝に書いてくれた感想。
「等式」感想です。基本は痛覚でもりん子に快感を与えたい。恐怖でも快感を与えることが出来るのならば、与えたい。が、しかし、私がりん子に恐怖を与えることが出来るのだろうか。お化け屋敷に連れて行きは簡単ですが。(笑)
これにはわたし、ちょっと『?』になった。
問題は怖いを快感に変えることであって、那智さんがわたしを怖がらせるなんてものすごーーく簡単なことなのに。
鞭のような行為は当然いつもいつも怖いし、ときどき後ろから「わ!!」って脅かされても怖い(笑)
那智さんの本当は深く濃い【独占欲】のようなものの迫力に触れるとき、その見えない底にほんの少し震える。
そして、那智さんにはウソをつけない、裏切りたくないという気持ちを起こさせる圧倒的な存在感に【畏怖の念】も抱く。
他の誰もわたしに与えることができない様々な『怖い』を与えることができる那智さんなのに、何をそんな当たり前のことをおっしゃっているのだろう?と思ったのだ。
それで
りん子(^-^)那智さんがわたしを怖がらせるなんて簡単です。しかも、他の誰よりもいろんな種類の怖いを与えられるはずです。ただし、それでわたしが快感を得られるかは、また別のお話です。試しにもう一回お化け屋敷連れて行きます?(笑)
とお応えした。
那智さんは『恐怖を与えられるか』と思い、わたしは『当然与えられる』と思っていた。
至極わかりきった疑問に当然の答えを提示した形になっているけど、那智さんのおっしゃる『恐怖』の意味が、そもそもわたしのそれとは違っていたのだった。
那智さんは
怖い→痛い・熱いなど→快感
と、まず行為に対して怖いという感情が湧いて、その次その行為で感じた感情、最後に快感(や幸せ)という行程で、最後に『快感』を得られれば、その前がどんなに怖くても痛くても辛くても、それは『快感』であって『怖い』とはいわないと思っている。
そして、那智さんはわたしに快感や幸福を与えたいと思っているのだから、わたしに何かを施すときは最後まで『怖い』で終わる行為はしたくない。
ということは、最初どんなに怖がっても、途中ものすごく痛くても、『俺はりん子を幸せにすることしかしないよ』と思っている。
だから、『私がりん子に恐怖を与えることが出来るのだろうか』という、わたしからしたらすごく簡単なことを疑問に思っているように見えたというわけ。
でも、そこまで書くとノロケみたいになっちゃうからな〜
おそらく『どんなことでも快感や幸福にする』ということを言っているようでためらったのでしょう^^;(SMをされている人の中には純粋に恐怖を欲しい人もいるかもしれないけど…、まあ、それだって、欲しいもの=快感になると言えなくもないけどね)
りん子、俺がすることは何でも(最終的に)怖くないだろ?
というつもりだったようだ。
それなのにわたしが『何でも簡単にいろんな種類の怖いを与えられますよ』というお返事をしてしまったものだから、お互い『?』な感じになっていたのだ。
で、話題に出してくれて、お互いの本当に言いたかったことを知ることができたわけです。
(『何をしてもりん子を幸せにできる』という那智さんと『畏怖の念を抱いていますよ』というわたしの双方若干照れくさいノロケが真意だったけど^^;)
なかなか140字でお互いの真意を完璧に読み取ることは難しい。
ここまで話しても、もしかしたら、100%自分の心を伝えられている保証はどこにもない。
だけど、互いに知りたい、知ってもらいたいと思って努力をすればこんなふうに一歩歩みよることができる。
その努力を惜しまないでいたいなと思うのでした。
ついでにメモをエントリーにつなげるこものできた^^
ところで、那智さんの感想を読んで真意を読み取ることができていた人がいたら、それはすごい!!
『那智さん翻訳機2号』の称号を差し上げたいと思います。(え?いらない?笑)
<関連エントリー>
『冷蔵庫の大掃除』
『独占欲』
『徒然に「独占欲」のこと』
『畏怖の念』
翻訳機
『等式流コミュニケーション術』
『マイフェアレディ「心を開く2」』
おもしろいですね。私は惚気になるから少しセーブした書き方をしてもりん子に理解してもらえるかと望みを託して書く、それがスルーされてまともな「返信」を貰う。
まあ、冷静に考えるとあれだけじゃ、通じないのも当然なのですが・・・どなたか、『那智さん翻訳機2号』の資格を得た方はいらっしゃいますか?(笑)
タバコタイム
独特な幸福感
今日は断言します!!
いつもに増して、くだらない内容なクセに自己満足なプチ自慢しています!!
覚悟してね^^
先日、ちょっとおもしろいことがあった。
おもしろいというかトホホというか。
普段、那智さんはお仕事場でタバコを吸うとき、状況が許せば喫煙所のベランダから電話をかけてくれる。
一服ぶんだから、ほんのわずかな時間。
最近はノートパソコンを使っているから大丈夫なんだけど、その昔、わたしのパソコン部屋は電波が悪いからリビングに携帯を置きっぱなしにしていて、タバコタイムの着信音にパソコン部屋からダッシュして数分から数十秒の『つながる』ことを喜んでいたりしていた。
なんだか犬のようで、そんな自分がちょっと好きだったり。
そのタバコタイムのお電話のことで、この前ショックなことが発覚した。
那智さんは、実は毎回タバコのときに電話をくれているわけではなかったのだ。
いまのお仕事環境になった最初の頃はほんとど毎回電話くれていたみたいなんだけど、どうやら最近はトイレに立ったときに用を足しながらぱぱっと吸ってしまうようで、わざわざ電話をかけることが減ったのだそうだ。
これにわたしは軽くショックを受けた。
それはね、なんでお電話くれないの!!というショックではなくて。
うまく伝わるといいのだけど。
わたしは、那智さんが電話をくれない=電話ができる状況ではない=タバコの回数だと信じて疑わなかったみたいなんだ。
冷静に考えれば、タバコの本数は著しく減っているわけではないのだから、電話の回数が減っているのはタバコの度に電話をくれなくなっているとわかるのだけど、ほとんど無意識にタバコを吸っていないと思い込んでいたのです。
できるときはできるし、できないときはできない
付き合った当初から言われていた言葉が年月を重ね、おそらくわたしの脳にしみ込んでいて、電話をくれない=電話ができる状況ではないときちんと理解したのだ。
そこまでは正解なんだけど、その次に勝手に『タバコの回数』に変換しちゃっていたもんだから、タバコは減っていなかった事実にびっくり。
厳密に把握していたわけではないのだけど、漠然と那智さんのタバコについて知っているような安心感を持っていたの。
那智さんのことは何でも知っていたい同化願望なわたしは、タバコの回数まで知っていたいほどなんです^^;
で、認識が違っていたことに軽くショックを受けていたわけです。
那智さん、意外とタバコ吸っていたんですね(がーーん)
という感じ^^;
わたしは那智さんの禁煙を推奨しているわけではないし、タバコのたびにお電話くださらなくてもかまわない(いただけたらうれしいけど)、だけど、那智さんのタバコを吸う事実を知っていたいし、感じていたい(笑)
同じ人間じゃないのだから全部知っているなんて不可能なのはわかっているけど、タバコの事実を知っているつもりになっていて、そうじゃなかったことに軽くショックを受けている自分がトホホなのだった。
トホホではあるけれど、那智さんの言っている『できるときはできるし、できないときはできない』をまったく疑うことなくごく自然に思えた事実に、大きな声ではいえないけれど、じつはちょっと誇らしい^^
でもって、お父さんのいうことを何でも信じちゃう娘みたいで、ちょっとホクホク^^
この那智さんのことは信じて疑わない回路。
今回もかなりトホホだけど、那智さんに「それだけは書かないでくれ」と言われているもっと史上最強のトホホ話もある。
本来なら、トホホ本人のわたしが恥ずかしいはずなんだけど、じつは大元は那智さんのトホホでもあるのだ。
だから、止められているの。
うふふ、でも、お父さんを信じる娘がホクホクだから、10周年記念のときとかに公表しちゃおうかな〜^^
今日の「等式」言い訳です。だ・か・ら、左手でちんちん掴んで右手でタバコを吸うと電話を持つ手がありませんし、トイレで話すと響き渡ります。その行為自体が今は反社会的行為になっているので・・・・全部書けはつらい。(笑)
種明かし(笑)
『トイレでタバコを吸う』ことが反社会的行為だとわかって、やっている、書いているという前提をわたしが書かなかったから、感想で触れることでご理解いただこうという意図が含まれての感想でした。
そう読まないと、あれだけ「電話がないことは責めていない」と書いているのに、那智さんはそれを弁明をしているように読めて、読みの浅い人になっちゃいますよね。
ということで、あれは那智さんのフォローの感想でした^^
って、深読みりん子を披露すると、ちょっと無粋かな(笑)
今日は断言します!!
いつもに増して、くだらない内容なクセに自己満足なプチ自慢しています!!
覚悟してね^^
先日、ちょっとおもしろいことがあった。
おもしろいというかトホホというか。
普段、那智さんはお仕事場でタバコを吸うとき、状況が許せば喫煙所のベランダから電話をかけてくれる。
一服ぶんだから、ほんのわずかな時間。
最近はノートパソコンを使っているから大丈夫なんだけど、その昔、わたしのパソコン部屋は電波が悪いからリビングに携帯を置きっぱなしにしていて、タバコタイムの着信音にパソコン部屋からダッシュして数分から数十秒の『つながる』ことを喜んでいたりしていた。
なんだか犬のようで、そんな自分がちょっと好きだったり。
そのタバコタイムのお電話のことで、この前ショックなことが発覚した。
那智さんは、実は毎回タバコのときに電話をくれているわけではなかったのだ。
いまのお仕事環境になった最初の頃はほんとど毎回電話くれていたみたいなんだけど、どうやら最近はトイレに立ったときに用を足しながらぱぱっと吸ってしまうようで、わざわざ電話をかけることが減ったのだそうだ。
これにわたしは軽くショックを受けた。
それはね、なんでお電話くれないの!!というショックではなくて。
うまく伝わるといいのだけど。
わたしは、那智さんが電話をくれない=電話ができる状況ではない=タバコの回数だと信じて疑わなかったみたいなんだ。
冷静に考えれば、タバコの本数は著しく減っているわけではないのだから、電話の回数が減っているのはタバコの度に電話をくれなくなっているとわかるのだけど、ほとんど無意識にタバコを吸っていないと思い込んでいたのです。
できるときはできるし、できないときはできない
付き合った当初から言われていた言葉が年月を重ね、おそらくわたしの脳にしみ込んでいて、電話をくれない=電話ができる状況ではないときちんと理解したのだ。
そこまでは正解なんだけど、その次に勝手に『タバコの回数』に変換しちゃっていたもんだから、タバコは減っていなかった事実にびっくり。
厳密に把握していたわけではないのだけど、漠然と那智さんのタバコについて知っているような安心感を持っていたの。
那智さんのことは何でも知っていたい同化願望なわたしは、タバコの回数まで知っていたいほどなんです^^;
で、認識が違っていたことに軽くショックを受けていたわけです。
那智さん、意外とタバコ吸っていたんですね(がーーん)
という感じ^^;
わたしは那智さんの禁煙を推奨しているわけではないし、タバコのたびにお電話くださらなくてもかまわない(いただけたらうれしいけど)、だけど、那智さんのタバコを吸う事実を知っていたいし、感じていたい(笑)
同じ人間じゃないのだから全部知っているなんて不可能なのはわかっているけど、タバコの事実を知っているつもりになっていて、そうじゃなかったことに軽くショックを受けている自分がトホホなのだった。
トホホではあるけれど、那智さんの言っている『できるときはできるし、できないときはできない』をまったく疑うことなくごく自然に思えた事実に、大きな声ではいえないけれど、じつはちょっと誇らしい^^
でもって、お父さんのいうことを何でも信じちゃう娘みたいで、ちょっとホクホク^^
この那智さんのことは信じて疑わない回路。
今回もかなりトホホだけど、那智さんに「それだけは書かないでくれ」と言われているもっと史上最強のトホホ話もある。
本来なら、トホホ本人のわたしが恥ずかしいはずなんだけど、じつは大元は那智さんのトホホでもあるのだ。
だから、止められているの。
うふふ、でも、お父さんを信じる娘がホクホクだから、10周年記念のときとかに公表しちゃおうかな〜^^
今日の「等式」言い訳です。だ・か・ら、左手でちんちん掴んで右手でタバコを吸うと電話を持つ手がありませんし、トイレで話すと響き渡ります。その行為自体が今は反社会的行為になっているので・・・・全部書けはつらい。(笑)
種明かし(笑)
『トイレでタバコを吸う』ことが反社会的行為だとわかって、やっている、書いているという前提をわたしが書かなかったから、感想で触れることでご理解いただこうという意図が含まれての感想でした。
そう読まないと、あれだけ「電話がないことは責めていない」と書いているのに、那智さんはそれを弁明をしているように読めて、読みの浅い人になっちゃいますよね。
ということで、あれは那智さんのフォローの感想でした^^
って、深読みりん子を披露すると、ちょっと無粋かな(笑)
そうありたい
りん子的独り言(生意気)
主従関係ってなんだろう。
今日は主従とか奴隷とかM女とか定義付けをしないで書きます、一括りに『主従』ね。
『需要と供給』というエントリーのときのような言葉遊びの域から出ない程度の話。
でも、日頃わたしが感じている違和感。
ほんの少し、それに縛られている人がいたら、のお話です。
主従ってなんだと思います?
わたしなりの定義は『奴隷の定義』の中で書きました。
だから、そうではなくて、いろいろなところで見聞きする『主従』と呼ばれている関係のスタンダード(?)のひとつに対する疑問というか違和感なんだけど。
『ご主人様に喜んでいただくために』
『ご主人様の喜びが自分の喜び』
『ご主人様を信じて、従う』
こんなふうに忠誠を誓い奉仕する決意。
でもね、同じくらい、そうなれない気持ちも綴られているよね。
つい自分の我が出てしまってご主人様を優先できないとか、ご主人様の喜びを我がことにできないとか、ご主人様の言葉の通りになれないとか。
主従から連想する忠誠や奉仕の状態になれないことに悲しくなったり、自分を責めてしまったりしている様子も、本当にたくさん見かける。
じゃあ、いったい、こんなにたくさんの従う側が悲しく自責してしまう主従ってなんなのだろう?
自責萌えなM女がいるなら、それはそれで楽しんでいただければいいのだけど(笑)
もし、それで苦しいなら、こう思うのはどうだろう。
主従とは
『ご主人様に喜んでもらいたい』
『ご主人様の喜びが自分の喜びでありたい』
『ご主人様を信じて、従うようになりたい』
そうなりたいとか、そのような状態に憧れている人同士の関係。
こんなふうに思ったらどうだろう。
もちろん本当にそうなれるに越したことはないだろうけど、人はそんなに簡単に人を全面的に信頼することなんてできないし、我欲を捨てることなんてできっこない。
実際、みんなそんなにできてないよね?
悲しくなったり、悩んだりしちゃっているよね?
ご主人様のいう通りになれない自分に苦しんでいる。
ただ、とてもとても『そうありたい』と思っているよね。
ならば、『ご主人様のいう通りでありたい』と思うことが主従関係だということのほうが正解なんじゃないだろうか。
実際できないことを悪いことだと言っていると取らないでほしいのです。
『◯◯になりたい』と思うことからすべてはスタートするのだから、『そう思うこと』だって充分なモチベーションだし、本人が望むならステキな状態だと思っています。
ただ、一般的な(?)主従のイメージやご主人様の要求通りになれなくて自責している人がいるならば、主従って『そうありたい』と思う同士の関係だと思えたら、ずっと辛くないのではないかな。
『そうありたい』と思う関係だから、そうなれなくてもいいの。
年月や経験を重ねて、本当に我欲を捨てご主人様に尽くすことができる日が来るかもしれない、でも、なれなくてもかまわないの『そうありたい』と思うことが好きなもの同士の関係なんだから。
すべてご主人様のために、そうありたいのだと言葉にして、努力したり、味わったり、楽しんだり、それで充分なのではないだろうか。
わたしたちは主従ではない。
だけど、那智さんをとても信頼しているし、那智さんのいう通りが幸福だ。
前エントリーのようにかなり全面的に那智さんを信頼して、彼のいうことを疑わないことが身に付いているけど、これだって、一朝一夕でなれたわけではなくて時間をかけてそう思わせてくれた結果に過ぎない。
人はそんなに簡単に変われないし、無償の愛なんて親子でだって難しいのだから、『ご主人様のために』なれないことはしかたないのではないだろうか。
ただ、『そうありたい』という形が好きで目指している。
それだけでいいじゃない。
そしたら、なれない自分を責めなくてもいい。
どんな形も否定はしたくない。
だけど、誰かが作ったはっきりしない言葉の力で束縛されてしまっている人がいるなら、その矛盾や無理に気づけたほうが辛くないと思ってしまうのです。
だから、わたしの主従の定義とは違うけど、こんなふうに定義したらずいぶん苦しくなくなる主従さんが増えるんじゃないかなって思うのです。
(自責萌えさんは、そのままでね^^)
だから、ご主人様という人も『ご主人様の喜びは奴隷の喜びと言ってほしい』くらいの嗜好だって定義したらいいのにね。
だって、じっさい何を差し置いても自分を優先されるのって、けっこう優先され続けるほうも負担だと思うしね。
<関連エントリー>
信じるって簡単じゃないよね
『信じることに慣れるのだ』
私の立場の男性から考えると。1.行為をして頂いている。2.行為をして貰っている。3,行為をさせている。4.行為をさせてあげてる。以上の事が考えられますが、「命令という名のおねだり」はしていないつもりです。
それは、行為をする立場の人間がやりたいと思えないのはさせる方の責任と考えているからです。だから、りん子の嫌なことをしたことは彼女の望み以外はないと思います。ある行為についてのりん子の思考は①出来るかな。②できたらいいな。③やってみよう。④もっとやりたい。⑤させて頂きたい。と変化できるように調教しました。(笑・調教は冗談です)行為を一緒に楽しめるように、練習?洗脳?してきました。
主従関係ってなんだろう。
今日は主従とか奴隷とかM女とか定義付けをしないで書きます、一括りに『主従』ね。
『需要と供給』というエントリーのときのような言葉遊びの域から出ない程度の話。
でも、日頃わたしが感じている違和感。
ほんの少し、それに縛られている人がいたら、のお話です。
主従ってなんだと思います?
わたしなりの定義は『奴隷の定義』の中で書きました。
だから、そうではなくて、いろいろなところで見聞きする『主従』と呼ばれている関係のスタンダード(?)のひとつに対する疑問というか違和感なんだけど。
『ご主人様に喜んでいただくために』
『ご主人様の喜びが自分の喜び』
『ご主人様を信じて、従う』
こんなふうに忠誠を誓い奉仕する決意。
でもね、同じくらい、そうなれない気持ちも綴られているよね。
つい自分の我が出てしまってご主人様を優先できないとか、ご主人様の喜びを我がことにできないとか、ご主人様の言葉の通りになれないとか。
主従から連想する忠誠や奉仕の状態になれないことに悲しくなったり、自分を責めてしまったりしている様子も、本当にたくさん見かける。
じゃあ、いったい、こんなにたくさんの従う側が悲しく自責してしまう主従ってなんなのだろう?
自責萌えなM女がいるなら、それはそれで楽しんでいただければいいのだけど(笑)
もし、それで苦しいなら、こう思うのはどうだろう。
主従とは
『ご主人様に喜んでもらいたい』
『ご主人様の喜びが自分の喜びでありたい』
『ご主人様を信じて、従うようになりたい』
そうなりたいとか、そのような状態に憧れている人同士の関係。
こんなふうに思ったらどうだろう。
もちろん本当にそうなれるに越したことはないだろうけど、人はそんなに簡単に人を全面的に信頼することなんてできないし、我欲を捨てることなんてできっこない。
実際、みんなそんなにできてないよね?
悲しくなったり、悩んだりしちゃっているよね?
ご主人様のいう通りになれない自分に苦しんでいる。
ただ、とてもとても『そうありたい』と思っているよね。
ならば、『ご主人様のいう通りでありたい』と思うことが主従関係だということのほうが正解なんじゃないだろうか。
実際できないことを悪いことだと言っていると取らないでほしいのです。
『◯◯になりたい』と思うことからすべてはスタートするのだから、『そう思うこと』だって充分なモチベーションだし、本人が望むならステキな状態だと思っています。
ただ、一般的な(?)主従のイメージやご主人様の要求通りになれなくて自責している人がいるならば、主従って『そうありたい』と思う同士の関係だと思えたら、ずっと辛くないのではないかな。
『そうありたい』と思う関係だから、そうなれなくてもいいの。
年月や経験を重ねて、本当に我欲を捨てご主人様に尽くすことができる日が来るかもしれない、でも、なれなくてもかまわないの『そうありたい』と思うことが好きなもの同士の関係なんだから。
すべてご主人様のために、そうありたいのだと言葉にして、努力したり、味わったり、楽しんだり、それで充分なのではないだろうか。
わたしたちは主従ではない。
だけど、那智さんをとても信頼しているし、那智さんのいう通りが幸福だ。
前エントリーのようにかなり全面的に那智さんを信頼して、彼のいうことを疑わないことが身に付いているけど、これだって、一朝一夕でなれたわけではなくて時間をかけてそう思わせてくれた結果に過ぎない。
人はそんなに簡単に変われないし、無償の愛なんて親子でだって難しいのだから、『ご主人様のために』なれないことはしかたないのではないだろうか。
ただ、『そうありたい』という形が好きで目指している。
それだけでいいじゃない。
そしたら、なれない自分を責めなくてもいい。
どんな形も否定はしたくない。
だけど、誰かが作ったはっきりしない言葉の力で束縛されてしまっている人がいるなら、その矛盾や無理に気づけたほうが辛くないと思ってしまうのです。
だから、わたしの主従の定義とは違うけど、こんなふうに定義したらずいぶん苦しくなくなる主従さんが増えるんじゃないかなって思うのです。
(自責萌えさんは、そのままでね^^)
だから、ご主人様という人も『ご主人様の喜びは奴隷の喜びと言ってほしい』くらいの嗜好だって定義したらいいのにね。
だって、じっさい何を差し置いても自分を優先されるのって、けっこう優先され続けるほうも負担だと思うしね。
<関連エントリー>
信じるって簡単じゃないよね
『信じることに慣れるのだ』
私の立場の男性から考えると。1.行為をして頂いている。2.行為をして貰っている。3,行為をさせている。4.行為をさせてあげてる。以上の事が考えられますが、「命令という名のおねだり」はしていないつもりです。
それは、行為をする立場の人間がやりたいと思えないのはさせる方の責任と考えているからです。だから、りん子の嫌なことをしたことは彼女の望み以外はないと思います。ある行為についてのりん子の思考は①出来るかな。②できたらいいな。③やってみよう。④もっとやりたい。⑤させて頂きたい。と変化できるように調教しました。(笑・調教は冗談です)行為を一緒に楽しめるように、練習?洗脳?してきました。
俺の物
独特な幸福感
那智さんは『俺の物』と思いたい人。
おそらく、平均的な男性からしたら支配欲はとても強いと思う。
ほら、よく『俺の色に染めたい』なんてセリフ聞くでしょ、それくらいは多くの男性が思うことかもしれないけど、那智さんのそれはもう少し偏っている。
『独占欲』というエントリーに書いたように極端なたとえだけど那智さんの排泄物がわたしの栄養で、それがないと生きていかれないというような、すこし歪んだ支配欲を持っていると思う。
排泄物は極端だとしても、那智さんが与える愛情や快感や安心をひとりの女の生きる術にしたいと思っているのだろう。
ただ、そうはいっても、それだけでは人は生きていかれないから、その支配欲をわたしにかける愛情や生きやすくさせるための知恵や味わったことのない快感を授けることで満たしているのだろう。
わたしを通して自己実現していると言ってくれたことがあるけど、きっと那智さんの考え方や生き方をしみ込ませることで、それで幸せにすることが支配欲の変換なのだと思う。
だから、とてもとても『俺の物』と思いたい人。
だけど、『俺の物』だなんてあり得ないということも理解している。
現代社会で誰かが誰かを所有するなんてことは基本的にはあり得ない。
あり得ないことなんだから、所有者側が『俺の物』ということは那智さんとしては言えないそうだ。
唯一、所有される(ことを望む)側が『わたしはあなたのもの』だと思うことが、あり得ないことをあり得ることに変えるものだという。
だから、那智さんから『りん子は俺の物』という言葉は滅多に聞いたことがない、酔っぱらいさんのとき以外は(笑)
ただ、「わたしは那智さんのもの」と言えば肯定してくれるし、「わたしはだれのもの?」と聞けば「俺の物」と答えてくれる。
『あなたのもの』というエントリーを書いたあたり。
わたしの所有されたい欲のようなものが爆発寸前な時期があった。
(定期的に来るんです^^;)
壊れるほど『俺の物』ってしてほしい。
どうしてひと言『俺の物』って言ってくれないの!!
わたしからばっかり言うのがなんだかズルいような情けないような、毎度答えてもらうのが申し訳ないような気がして、ジタバタ。
なあ、りん子、俺は「りん子は俺の物」って思いたいんだよ
でも、りん子が「那智さんのもの」と思うことではじめて成立するわけだ
ということは、りん子が「誰のもの?」と聞いてきたときだけ、俺は俺の物だって思えるんだよ
そんな話をポツポツしてくれた。
…
那智さんは「りん子は俺のものだといいな」と思っている
→わたしが那智さんのものと思えば『俺の物』だと思える
→わたしが「誰のもの?」と聞くのは『りん子は那智さんのもの』と思って聞いてきているわけだから、そのときは『俺の物』だと実感できる
→ということは、わたしが「誰のもの?」と聞いてくるのは、那智さんはうれしいこと!!
そうか!!
那智さんは『俺の物』でいたいけど、わたし発信以外では成立しないということだから、わたしが「那智さんのもの」といい「誰のもの?」と聞くことは迷惑じゃなくて、うれしいことなんだ!!
迷惑は、さすがにないと思うけど。
わたしからばかりというのはなんだかアンバランスで窮屈だったのだけど、それしか所有したいされたい欲を満たす方法がないわけで、那智さんとしては迷惑どころか所有したい欲を満たすことができる喜ばしいことなのだと、とても簡単な答えにたどり着けた(やっと^^)。
だから、わたしは『あなたのもの』を簡単には口にしたくないと思っているけど、そう思ったときやそう感じたいときは、ことさら頑なにならずに那智さんに向けて言葉にしたほうがいいんだ。
この簡単なロジックに気がついたら、『あなたのもの』を言葉にすることがすこし快適で心地よいことになった。
洗いたてのシーツみたいにカリッと乾いている。
あえてハードルを上げることも逆に情緒的になることもなく、まっすぐな気持ちで言葉にできる。
すごく気持ちがいい『わたしは那智さんのもの』^^
でもね。
そう考えると、自分から発信することでは成立しないと考えている那智さん。
『俺の物』だと思いたい欲望がある(それもけっこう強く)にも関わらず、でも、わたしからの発信からでしか実感できないのだとしたら、なんだか、ほんのすこし切ない。
那智さんなりの美意識と納得のいく『俺の物』を得るために、上の立場の切なさみたいなもの、きっとあるなって思ってしまった。
だからこそ、わたしが本当にそう感じたときは惜しみなく言葉にしよう^^
<関連エントリー>
『独占欲』
『徒然に「独占欲」のこと』
自己実現
『等式の意味』
「等式」感想です。出来る限り、確実でありたい、確かな事が好きだ。このことで、確かな事はりん子の言葉でしか実現できない。バ~~~カ、あんな簡単な方程式を殊更、難しく考えるなんて。(笑)
那智さんは『俺の物』と思いたい人。
おそらく、平均的な男性からしたら支配欲はとても強いと思う。
ほら、よく『俺の色に染めたい』なんてセリフ聞くでしょ、それくらいは多くの男性が思うことかもしれないけど、那智さんのそれはもう少し偏っている。
『独占欲』というエントリーに書いたように極端なたとえだけど那智さんの排泄物がわたしの栄養で、それがないと生きていかれないというような、すこし歪んだ支配欲を持っていると思う。
排泄物は極端だとしても、那智さんが与える愛情や快感や安心をひとりの女の生きる術にしたいと思っているのだろう。
ただ、そうはいっても、それだけでは人は生きていかれないから、その支配欲をわたしにかける愛情や生きやすくさせるための知恵や味わったことのない快感を授けることで満たしているのだろう。
わたしを通して自己実現していると言ってくれたことがあるけど、きっと那智さんの考え方や生き方をしみ込ませることで、それで幸せにすることが支配欲の変換なのだと思う。
だから、とてもとても『俺の物』と思いたい人。
だけど、『俺の物』だなんてあり得ないということも理解している。
現代社会で誰かが誰かを所有するなんてことは基本的にはあり得ない。
あり得ないことなんだから、所有者側が『俺の物』ということは那智さんとしては言えないそうだ。
唯一、所有される(ことを望む)側が『わたしはあなたのもの』だと思うことが、あり得ないことをあり得ることに変えるものだという。
だから、那智さんから『りん子は俺の物』という言葉は滅多に聞いたことがない、酔っぱらいさんのとき以外は(笑)
ただ、「わたしは那智さんのもの」と言えば肯定してくれるし、「わたしはだれのもの?」と聞けば「俺の物」と答えてくれる。
『あなたのもの』というエントリーを書いたあたり。
わたしの所有されたい欲のようなものが爆発寸前な時期があった。
(定期的に来るんです^^;)
壊れるほど『俺の物』ってしてほしい。
どうしてひと言『俺の物』って言ってくれないの!!
わたしからばっかり言うのがなんだかズルいような情けないような、毎度答えてもらうのが申し訳ないような気がして、ジタバタ。
なあ、りん子、俺は「りん子は俺の物」って思いたいんだよ
でも、りん子が「那智さんのもの」と思うことではじめて成立するわけだ
ということは、りん子が「誰のもの?」と聞いてきたときだけ、俺は俺の物だって思えるんだよ
そんな話をポツポツしてくれた。
…
那智さんは「りん子は俺のものだといいな」と思っている
→わたしが那智さんのものと思えば『俺の物』だと思える
→わたしが「誰のもの?」と聞くのは『りん子は那智さんのもの』と思って聞いてきているわけだから、そのときは『俺の物』だと実感できる
→ということは、わたしが「誰のもの?」と聞いてくるのは、那智さんはうれしいこと!!
そうか!!
那智さんは『俺の物』でいたいけど、わたし発信以外では成立しないということだから、わたしが「那智さんのもの」といい「誰のもの?」と聞くことは迷惑じゃなくて、うれしいことなんだ!!
迷惑は、さすがにないと思うけど。
わたしからばかりというのはなんだかアンバランスで窮屈だったのだけど、それしか所有したいされたい欲を満たす方法がないわけで、那智さんとしては迷惑どころか所有したい欲を満たすことができる喜ばしいことなのだと、とても簡単な答えにたどり着けた(やっと^^)。
だから、わたしは『あなたのもの』を簡単には口にしたくないと思っているけど、そう思ったときやそう感じたいときは、ことさら頑なにならずに那智さんに向けて言葉にしたほうがいいんだ。
この簡単なロジックに気がついたら、『あなたのもの』を言葉にすることがすこし快適で心地よいことになった。
洗いたてのシーツみたいにカリッと乾いている。
あえてハードルを上げることも逆に情緒的になることもなく、まっすぐな気持ちで言葉にできる。
すごく気持ちがいい『わたしは那智さんのもの』^^
でもね。
そう考えると、自分から発信することでは成立しないと考えている那智さん。
『俺の物』だと思いたい欲望がある(それもけっこう強く)にも関わらず、でも、わたしからの発信からでしか実感できないのだとしたら、なんだか、ほんのすこし切ない。
那智さんなりの美意識と納得のいく『俺の物』を得るために、上の立場の切なさみたいなもの、きっとあるなって思ってしまった。
だからこそ、わたしが本当にそう感じたときは惜しみなく言葉にしよう^^
<関連エントリー>
『独占欲』
『徒然に「独占欲」のこと』
自己実現
『等式の意味』
「等式」感想です。出来る限り、確実でありたい、確かな事が好きだ。このことで、確かな事はりん子の言葉でしか実現できない。バ~~~カ、あんな簡単な方程式を殊更、難しく考えるなんて。(笑)
Sとかご主人様とか3本立て
140字もどき
『鬼畜合戦』
S男性、とくにご主人様って、どうして、上からの物言いの人が多いんだろう。
普通に、ボクはそういう性癖ですってしているほうが、ずっとカッコいいのに。
あ、でも、上から目線もイヤだけど、ご主人様同士の謙遜のし合いも苦手。
『ずいぶん鬼畜ですね』
『いえいえ、私なんて、そういうあなたのほうが鬼畜じゃないですか』
なんて、妙なへりくだりで謙遜しあい。
上から目線のご主人様って、じつは、真ん中の目線ができない人なのかな。
で、その鬼畜の鞭の痕がいうほど鬼畜じゃないよういに見えたりするから、ちょっと残念だったりもする。
『リア王』
小学生の教科書で読んだだけだから的外れかもしれないけど、『ご主人様のため』を求めるご主人様を見るとね、『リア王』を思い出しちゃうんだ。
『ご主人様のためにどれほど尽くすか』を言動で感じたいように見えてしまって。
じっさい、本質より、その言葉に安心する。
リア王みたいだなって思う。
『マニア』
鉄道好きの人たちを『鉄ちゃん』とか『鉄マニ』とかいうけど、いろいろ細分化もされていますよね。
写真を撮るのが好きな人は『撮り鉄』。
発車メロディなどが好きで録音していう人も『録り鉄』。
電車に乗るのが好きな人は『乗り鉄』。
すこし前からは女性の鉄道ファンを『鉄子』なんて呼んでいたりするよね。
時刻表マニアな人もいたりする。
深夜のタモリさんの番組では、ときどきその系統のお話をやっていたりして、なんでも深く追求している人は純粋に興味深い。
ふと。
SMの世界でも、好みは細分化されているよねって思う。
まあ、周知の事実なんでしょうけど^^
緊縛に拘りを持っていたり、苦痛系がお好きだったり。
写真を撮ることが好きな人もいる。
ブログなどを見ていると、まあ、携帯でちゃちゃっと撮ったな〜^^;というものから、芸術的なものまで様々だけど…。
となると、写真を撮るのが好きな人は『撮りS』?なんてくだらないことを想像してしまった^^
ということで、那智さんは『乗りS』?
いや、なんか、オヤジギャグ見たいなこと言ってしまった^^;
ほら、SMにセックスはナンセンスと思ってらっしゃるSの方もおいでのようですから、セックス重視のSさんは『乗りS』!!
今日の「等式」感想です。一瞬焦った、このエントリーにどんな感想を書けばよいのか。分類が「140」もどきだったので他意はないのねと思い安心しました。SEX重視は私の欲求なのか、りん子の欲求なのかが自分自身解らなくなっています。色々な性的行為のカテゴリーは別腹なのですがね。
『鬼畜合戦』
S男性、とくにご主人様って、どうして、上からの物言いの人が多いんだろう。
普通に、ボクはそういう性癖ですってしているほうが、ずっとカッコいいのに。
あ、でも、上から目線もイヤだけど、ご主人様同士の謙遜のし合いも苦手。
『ずいぶん鬼畜ですね』
『いえいえ、私なんて、そういうあなたのほうが鬼畜じゃないですか』
なんて、妙なへりくだりで謙遜しあい。
上から目線のご主人様って、じつは、真ん中の目線ができない人なのかな。
で、その鬼畜の鞭の痕がいうほど鬼畜じゃないよういに見えたりするから、ちょっと残念だったりもする。
『リア王』
小学生の教科書で読んだだけだから的外れかもしれないけど、『ご主人様のため』を求めるご主人様を見るとね、『リア王』を思い出しちゃうんだ。
『ご主人様のためにどれほど尽くすか』を言動で感じたいように見えてしまって。
じっさい、本質より、その言葉に安心する。
リア王みたいだなって思う。
『マニア』
鉄道好きの人たちを『鉄ちゃん』とか『鉄マニ』とかいうけど、いろいろ細分化もされていますよね。
写真を撮るのが好きな人は『撮り鉄』。
発車メロディなどが好きで録音していう人も『録り鉄』。
電車に乗るのが好きな人は『乗り鉄』。
すこし前からは女性の鉄道ファンを『鉄子』なんて呼んでいたりするよね。
時刻表マニアな人もいたりする。
深夜のタモリさんの番組では、ときどきその系統のお話をやっていたりして、なんでも深く追求している人は純粋に興味深い。
ふと。
SMの世界でも、好みは細分化されているよねって思う。
まあ、周知の事実なんでしょうけど^^
緊縛に拘りを持っていたり、苦痛系がお好きだったり。
写真を撮ることが好きな人もいる。
ブログなどを見ていると、まあ、携帯でちゃちゃっと撮ったな〜^^;というものから、芸術的なものまで様々だけど…。
となると、写真を撮るのが好きな人は『撮りS』?なんてくだらないことを想像してしまった^^
ということで、那智さんは『乗りS』?
いや、なんか、オヤジギャグ見たいなこと言ってしまった^^;
ほら、SMにセックスはナンセンスと思ってらっしゃるSの方もおいでのようですから、セックス重視のSさんは『乗りS』!!
今日の「等式」感想です。一瞬焦った、このエントリーにどんな感想を書けばよいのか。分類が「140」もどきだったので他意はないのねと思い安心しました。SEX重視は私の欲求なのか、りん子の欲求なのかが自分自身解らなくなっています。色々な性的行為のカテゴリーは別腹なのですがね。