奴隷なんてクソ食らえ。
りん子的独り言(生意気)
「ご主人様と奴隷」「絶対服従」
いまの私はこんな言葉に酔えない。
SMに憧れを抱いていた頃、そんな単語を見てドキドキしていたことは確かだが。
でも、その頃でも、懐疑的だった。
演技みたいでいやだ。
そもそも、そんなに簡単に服従なんてできない。
心から従いたい、従うことが幸せだと思わせてくれる相手は「服従」なんて言葉を使って拘束はしないだろう。
奴隷とは、私有物として、労働させられ、まったく自由をもたない人だそうだ。
私は、那智さんのもの(時々お手伝いという労働もさせられている 笑)だと言えるけど、同時に私は自由だ、
自由に意見するし、立場も選べる。
世の中の奴隷ちゃんたち、そんなに簡単に奴隷になっちゃいけないよ。
その人が、従うに値する人かどうか、ちゃんと見極めて。
その人に関することで「あれ?なんかおかしい。」と思ったり、あなたを尊重してくれない言動があったら、試しに、意見や疑問をぶつけてごらん。
(私もかつては、できなかった。難しいですよね。)
本当に、あなたを自分の所有物にしたいと思う「ご主人様(これを名乗ること自体失笑)」なら、きちんと向き合って時間と質を傾けてくれるはずだ。
時には、自分の非を認め謝罪してくれるだろう。
「奴隷」に意見を言う資格はないというような人は、自分の意見を持っていない薄っぺらい人だ。
そういう人は、エッチな写真を撮りたいがために、無抵抗な関係性を作ろうとしているだけだ(経験談 詳しくは「二回目の旅」で)。
傷つくのは、弱い立場のほうだ。
だからこそ、いつも確認して。
「この人は、従うに値するか。」
ただセックスのスパイスとして、コンセンサスを得て「ご主人様と奴隷ごっこ」をしているならば、話は別ですけど。
若い女の子の「奴隷日記」みたいなのを見て、思わず熱くなってしまいました。
タイトルの「クソ食らえ」なんて、私としたことがはしたない。
「排泄物を召し上がれ」に変えようかしら・・・。
え?私のこと?(笑)
「ご主人様と奴隷」「絶対服従」
いまの私はこんな言葉に酔えない。
SMに憧れを抱いていた頃、そんな単語を見てドキドキしていたことは確かだが。
でも、その頃でも、懐疑的だった。
演技みたいでいやだ。
そもそも、そんなに簡単に服従なんてできない。
心から従いたい、従うことが幸せだと思わせてくれる相手は「服従」なんて言葉を使って拘束はしないだろう。
奴隷とは、私有物として、労働させられ、まったく自由をもたない人だそうだ。
私は、那智さんのもの(時々お手伝いという労働もさせられている 笑)だと言えるけど、同時に私は自由だ、
自由に意見するし、立場も選べる。
世の中の奴隷ちゃんたち、そんなに簡単に奴隷になっちゃいけないよ。
その人が、従うに値する人かどうか、ちゃんと見極めて。
その人に関することで「あれ?なんかおかしい。」と思ったり、あなたを尊重してくれない言動があったら、試しに、意見や疑問をぶつけてごらん。
(私もかつては、できなかった。難しいですよね。)
本当に、あなたを自分の所有物にしたいと思う「ご主人様(これを名乗ること自体失笑)」なら、きちんと向き合って時間と質を傾けてくれるはずだ。
時には、自分の非を認め謝罪してくれるだろう。
「奴隷」に意見を言う資格はないというような人は、自分の意見を持っていない薄っぺらい人だ。
そういう人は、エッチな写真を撮りたいがために、無抵抗な関係性を作ろうとしているだけだ(経験談 詳しくは「二回目の旅」で)。
傷つくのは、弱い立場のほうだ。
だからこそ、いつも確認して。
「この人は、従うに値するか。」
ただセックスのスパイスとして、コンセンサスを得て「ご主人様と奴隷ごっこ」をしているならば、話は別ですけど。
若い女の子の「奴隷日記」みたいなのを見て、思わず熱くなってしまいました。
タイトルの「クソ食らえ」なんて、私としたことがはしたない。
「排泄物を召し上がれ」に変えようかしら・・・。
え?私のこと?(笑)
滅私奉公
りん子的独り言(生意気)
「奉仕」、またまた辞書で引いてみる。
「社会、お客などのためにつくすこと。値段を安くすること」
SM用語のようなものには、「ご奉仕」や「全身奉仕」なんてものがある(ありますよね?)
ちゃんと知らないけど、「ご奉仕」はフェラチオで、「全身奉仕」はそれ以外のところもペロペロするってことのようだ。
私は、こういうSM用語は苦手。
「絶対服従」とか「ご主人様と奴隷」とか「調教」とかね。
絶対服従なんて言葉を使わなくても、言う通りにする幸せや、快感を与えられたいがために、舌を出して「わん」って言ってしまう瞬間はあるわけで、それをさせる技量を持った人はそんな言葉では縛らないと思うからだ。
様式美というのはあるかもしれないが、ひねくれた私は「そんな簡単に奴隷になるわけない」と思ってしまうのだ。
「ごっこ」や「プレイ」では、酔えないのだ。
で、すみません、その用語のひとつ「ご奉仕」ね。
辞書は面白い。
この辞書によれば、ご奉仕をさせるご主人様は「社会かお客」になるのか。
それとも「私の値段を下げます」ってこと?
行為や感覚的には「滅私奉公」のほうが近いような気もするけれど(自分の利益や都合を捨てて主人(国家!)につかえることですって)、SM中に「滅私奉公しなさい」なんていうのも、変だものね。
まあ、要するに「ご主人様のためにフェラチオをしなさい」ということなのだろう。
私は、ほとんど毎回那智さんに抱かれるときは、この「ご奉仕」や「全身奉仕」をする。(そういう言い方しないけどね)
那智さんが私にいろんなことをしたあと「はい〜交代〜」と言って、ごろんと横になるのが合図だ。
そのまま、フェラチオをして射精させるように言われる時もあるから、私はだいたい「どうしますか?」と聞く。
たいがいは「お好きに、どうぞ〜」と言われる。
実は、これはとても恥ずかしい。
ああしろ、こうしろと命令されるほうがずっと楽。
能動的になるということは、私の意志が入るから、私がそれを望んでいることになる。
ああしたり、こうしたりを私が望んでいることに。
出会ってしばらくは、技術もなく、能動にもなれていないから、通り一遍のことしかできなかった。
技術もなく、大胆にもなれず。
しかし、最近は、大胆になってしまう私に、那智さんが「嫌悪」しなくなってきたこともあって、能動が幸せになってきたのだ。
もともと、那智さんのためにフェラチオをしている感覚は少なく、したいからしていたのだけど、この「能動になってしまえ〜」って、ジャンプする瞬間がとても気持ち良いのだ。
そこからは、もうしたいようにする。
那智さんの耳を舐め、首筋に舌を這わせ、脇の下の匂いを嗅ぎ、大好きなおっぱいをこれでもかってほど舐める。
時々那智さんが気持ちよさそうな素振りを見せると、それに呼応するように私の快感も跳ね上がる。
この時、「気持ち良くなってくれて嬉しい」という、献身の気持ちはなくはないが、少ない。
「那智さんが気持ち良くなってくれると、私がもっと気持ち良くなれる」という、自分勝手な喜びのほうが、断然大きい。
そのまま、フェラチオをすることが多い(と言っても、おちんちん以外も舐めるけどね)が、私の興奮が高まると、いわゆる「全身奉仕」になる。(ここまでなら、「上半身奉仕」? 笑)
先日も、上半身から、足に移動した。
おっぱいから、おへそや腰骨あたりをペロペロ噛み噛みして、もう私は那智さんの足を舐めたくて舐めたくて、たまらなくなってしまったのだ。
お布団の中にもぐり込み、那智さんの足の甲に口づけをして、指を一本一本、指の間も舐める。
お口に指を含んで、快感に浸る。
どこが気持ち良いのだろう。
口の中?子宮?脳みそ?とにかく気持ち良い。
そこには、「献身」も「被虐」もない。
快感と幸福だけが私を支配して、動かすのだ。
この時は、そのあといっぱいフェラチオをして、そのまま私の意志で上に乗り(了承は得ましたけど)腰を振った。
いきにくい那智さんが(私では毎回いくけど)、私の動きでいくのはこれが2回目(か3回目)だ。
この日は、それでおしまい。
那智さんは、何もしないで射精に至った。
風俗みたいで、楽だっただろうな〜と、もしかしたら男の人にとって、これはとてもラッキーなことなのかもしれないと思ったけど、那智さんは違ったみたい。
私を揺さぶるのが大好きな那智さんは、客観的に見たら、逆に「揺さぶられてしまった」ような状況は不満足なのだそうだ。
翻弄させないとつまらないようだ。
「ご奉仕」が、自分を滅してならば、私の場合はまったく「ご奉仕」ではない。
自分がしたいから、している。
だって結果的に那智さんの不満足になってしまったくらいだもの。
だから、私には「ご奉仕」は存在しないのだ。
そういう用語は苦手というより、できないということなのかもしれない。
これって、ただの「淫乱な牝豚」ってことになってしまうのかしら♪
「奉仕」、またまた辞書で引いてみる。
「社会、お客などのためにつくすこと。値段を安くすること」
SM用語のようなものには、「ご奉仕」や「全身奉仕」なんてものがある(ありますよね?)
ちゃんと知らないけど、「ご奉仕」はフェラチオで、「全身奉仕」はそれ以外のところもペロペロするってことのようだ。
私は、こういうSM用語は苦手。
「絶対服従」とか「ご主人様と奴隷」とか「調教」とかね。
絶対服従なんて言葉を使わなくても、言う通りにする幸せや、快感を与えられたいがために、舌を出して「わん」って言ってしまう瞬間はあるわけで、それをさせる技量を持った人はそんな言葉では縛らないと思うからだ。
様式美というのはあるかもしれないが、ひねくれた私は「そんな簡単に奴隷になるわけない」と思ってしまうのだ。
「ごっこ」や「プレイ」では、酔えないのだ。
で、すみません、その用語のひとつ「ご奉仕」ね。
辞書は面白い。
この辞書によれば、ご奉仕をさせるご主人様は「社会かお客」になるのか。
それとも「私の値段を下げます」ってこと?
行為や感覚的には「滅私奉公」のほうが近いような気もするけれど(自分の利益や都合を捨てて主人(国家!)につかえることですって)、SM中に「滅私奉公しなさい」なんていうのも、変だものね。
まあ、要するに「ご主人様のためにフェラチオをしなさい」ということなのだろう。
私は、ほとんど毎回那智さんに抱かれるときは、この「ご奉仕」や「全身奉仕」をする。(そういう言い方しないけどね)
那智さんが私にいろんなことをしたあと「はい〜交代〜」と言って、ごろんと横になるのが合図だ。
そのまま、フェラチオをして射精させるように言われる時もあるから、私はだいたい「どうしますか?」と聞く。
たいがいは「お好きに、どうぞ〜」と言われる。
実は、これはとても恥ずかしい。
ああしろ、こうしろと命令されるほうがずっと楽。
能動的になるということは、私の意志が入るから、私がそれを望んでいることになる。
ああしたり、こうしたりを私が望んでいることに。
出会ってしばらくは、技術もなく、能動にもなれていないから、通り一遍のことしかできなかった。
技術もなく、大胆にもなれず。
しかし、最近は、大胆になってしまう私に、那智さんが「嫌悪」しなくなってきたこともあって、能動が幸せになってきたのだ。
もともと、那智さんのためにフェラチオをしている感覚は少なく、したいからしていたのだけど、この「能動になってしまえ〜」って、ジャンプする瞬間がとても気持ち良いのだ。
そこからは、もうしたいようにする。
那智さんの耳を舐め、首筋に舌を這わせ、脇の下の匂いを嗅ぎ、大好きなおっぱいをこれでもかってほど舐める。
時々那智さんが気持ちよさそうな素振りを見せると、それに呼応するように私の快感も跳ね上がる。
この時、「気持ち良くなってくれて嬉しい」という、献身の気持ちはなくはないが、少ない。
「那智さんが気持ち良くなってくれると、私がもっと気持ち良くなれる」という、自分勝手な喜びのほうが、断然大きい。
そのまま、フェラチオをすることが多い(と言っても、おちんちん以外も舐めるけどね)が、私の興奮が高まると、いわゆる「全身奉仕」になる。(ここまでなら、「上半身奉仕」? 笑)
先日も、上半身から、足に移動した。
おっぱいから、おへそや腰骨あたりをペロペロ噛み噛みして、もう私は那智さんの足を舐めたくて舐めたくて、たまらなくなってしまったのだ。
お布団の中にもぐり込み、那智さんの足の甲に口づけをして、指を一本一本、指の間も舐める。
お口に指を含んで、快感に浸る。
どこが気持ち良いのだろう。
口の中?子宮?脳みそ?とにかく気持ち良い。
そこには、「献身」も「被虐」もない。
快感と幸福だけが私を支配して、動かすのだ。
この時は、そのあといっぱいフェラチオをして、そのまま私の意志で上に乗り(了承は得ましたけど)腰を振った。
いきにくい那智さんが(私では毎回いくけど)、私の動きでいくのはこれが2回目(か3回目)だ。
この日は、それでおしまい。
那智さんは、何もしないで射精に至った。
風俗みたいで、楽だっただろうな〜と、もしかしたら男の人にとって、これはとてもラッキーなことなのかもしれないと思ったけど、那智さんは違ったみたい。
私を揺さぶるのが大好きな那智さんは、客観的に見たら、逆に「揺さぶられてしまった」ような状況は不満足なのだそうだ。
翻弄させないとつまらないようだ。
「ご奉仕」が、自分を滅してならば、私の場合はまったく「ご奉仕」ではない。
自分がしたいから、している。
だって結果的に那智さんの不満足になってしまったくらいだもの。
だから、私には「ご奉仕」は存在しないのだ。
そういう用語は苦手というより、できないということなのかもしれない。
これって、ただの「淫乱な牝豚」ってことになってしまうのかしら♪
感情移入
りん子的独り言(生意気)
お外でわんこのお話はお楽しみいただけましたか?
いただいたコメントや那智さんとも話題に出たのですが、その話を読んで皆さんはどこに目線を置いたのでしょう。
いままでの「痛い」話や「排泄」話とは違うし、裸を見せるような露出でもないから、感情移入しやすいのではないかなと思うのは、間違ってる!?
書きながら、そんなことないかな〜と、苦笑してます。
感情移入しやすいということで、話を進めてしまおう。
その感情はどこに投影されたのでしょう。
それによって、嗜好が見えてくるようで、興味深いと思いました。
女性またはM的嗜好のある人は、りん子?
その逆は、那智さん?
そして、りん子目線だとしても、りん子当事者なのか、りん子を見ている「あなた」なのか?
那智さん側でも、それをさせているあなたなのか?覗いているあなたなのか?
さらに、心の反応として、そんなの無理!と完全拒否になるのか、わずかでも「いいかも」と思うのか?
もしかして、したい!!もしくは、していますだったり(笑)
いろんなことをしている様子をブログに書いていますが、私も一応一般社会で生きていますし、「うんこの最中です」という那智さんの一言で赤面してしまう羞恥心を持ち合わせているので、そのいろいろをするのも「二つ返事でOK」というわけではないのです。
心の中に100人の私がいるとして、その100人は那智さんが提示することに大抵「無理」と拒否する。
でも、100人中、2、3人は「いいかも」と思って賛成の挙手をするの。
事によっては、100人中、100人反対して、その中の一人の小指くらいが「いいかも」賛成するなんてこともある。
毎回、その少数意見を自分の中に発見する度に、自分で自分に驚くのですが、その少数派の存在を那智さんも見逃さないの。
そして、たくさんお話ししたり、慣らしていったりして、気がつけば、それを望んでいる状態にさせられて(してもらって!?)いるのです。
物心ついたころから、自分の中に2、3人の少数意見が存在していたから、多かれ少なかれ人の心の中には少数派がいると思っています。
それに気付くか気付かないか。
そこから、それを行動に移すには、勇気や、パートナーの存在が重要になってしまうから、また別の話なのですが。
心の中の小さな種を持っていることは、特別なことじゃないのではないかなと思ったのです。
どこに自分を投影して、それで心にどんな波が立ったのか、100%拒否じゃなかった場合の少数意見を覗いてみるのも、悪くないんじゃないかなと、わんこを読み返して思うのでした。
お外でわんこのお話はお楽しみいただけましたか?
いただいたコメントや那智さんとも話題に出たのですが、その話を読んで皆さんはどこに目線を置いたのでしょう。
いままでの「痛い」話や「排泄」話とは違うし、裸を見せるような露出でもないから、感情移入しやすいのではないかなと思うのは、間違ってる!?
書きながら、そんなことないかな〜と、苦笑してます。
感情移入しやすいということで、話を進めてしまおう。
その感情はどこに投影されたのでしょう。
それによって、嗜好が見えてくるようで、興味深いと思いました。
女性またはM的嗜好のある人は、りん子?
その逆は、那智さん?
そして、りん子目線だとしても、りん子当事者なのか、りん子を見ている「あなた」なのか?
那智さん側でも、それをさせているあなたなのか?覗いているあなたなのか?
さらに、心の反応として、そんなの無理!と完全拒否になるのか、わずかでも「いいかも」と思うのか?
もしかして、したい!!もしくは、していますだったり(笑)
いろんなことをしている様子をブログに書いていますが、私も一応一般社会で生きていますし、「うんこの最中です」という那智さんの一言で赤面してしまう羞恥心を持ち合わせているので、そのいろいろをするのも「二つ返事でOK」というわけではないのです。
心の中に100人の私がいるとして、その100人は那智さんが提示することに大抵「無理」と拒否する。
でも、100人中、2、3人は「いいかも」と思って賛成の挙手をするの。
事によっては、100人中、100人反対して、その中の一人の小指くらいが「いいかも」賛成するなんてこともある。
毎回、その少数意見を自分の中に発見する度に、自分で自分に驚くのですが、その少数派の存在を那智さんも見逃さないの。
そして、たくさんお話ししたり、慣らしていったりして、気がつけば、それを望んでいる状態にさせられて(してもらって!?)いるのです。
物心ついたころから、自分の中に2、3人の少数意見が存在していたから、多かれ少なかれ人の心の中には少数派がいると思っています。
それに気付くか気付かないか。
そこから、それを行動に移すには、勇気や、パートナーの存在が重要になってしまうから、また別の話なのですが。
心の中の小さな種を持っていることは、特別なことじゃないのではないかなと思ったのです。
どこに自分を投影して、それで心にどんな波が立ったのか、100%拒否じゃなかった場合の少数意見を覗いてみるのも、悪くないんじゃないかなと、わんこを読み返して思うのでした。
奴隷誓約書
りん子的独り言(生意気)
宣誓書というものを書いたことがある。
付き合ってまだ間もないころ、那智さんがこんなのどう?と見せてくれた。
それは、「宣誓書」なるもので、「一、りん子は〜」で始まる宣言が何個も並んでいる。
もともとフォーマットがあって、名前の部分を「那智」と「りん子」に変えただけのものだった。
以前テレクラで相手を探していたころ、会うまでには至らなかったけど、何度か電話でやり取りをするくらいまでになった人がいた。
ある日その人が「奴隷誓約書」を書いて、と言ってきた。
「奴隷誓約書」という響きと、それにより抗えないという状況に淡い憧れを抱いたけど、なんだかピンとこないな〜と思っていた。
会う前から出来上がっている「奴隷」ってなんなんだろう?
そんなに簡単に奴隷になれるものなのかしら。
誓約書の意味がわからなかった。
必要性も感じられなかったの。
だって、誓約を破っても、罪に問われるわけでもない「誓約」って、そんなに大事な物?
それを書いたから自由にできるなんて、そんなに簡単じゃないでしょう。
となんだか嘘くさいと思ってしまった。
那智さんが見せてくれたそのフォーマットには「女の幸せを捨てご主人様の奴隷として〜」とか、「至らぬ点は厳しく正していただき、捨てられることも覚悟します。」そんなトーンの誓約がいくつか書いてあった。
それを読んだとき、その嘘くさい感じを思い出した。
だって、私、女の幸せ捨てたくないもの、那智さんに愛されて幸せになっていたいもの。
正してもらうのはいいとして、厳しくなんていやだもの。
そんなふうに思って、フォーマットに書かれている言葉に不満を申し出ると、じゃありん子の言葉に変えてみる?ということになって、その場の即興で変えてみた。
元の「奴隷として〜」というような重々しい骨組みに、ロマンティックなりん子言葉が加味されて、なんとも不思議な誓約書が出来上がった。
那智さんは、まあまあ気に入ってくれているみたいだけど、私は未だにちょっとピンときていないの。
だって、その誓約なんてほとんど忘れているし、そのころよりもっと今のほうが捕われていて離れられないんだもの。
そのころのほうが、「あなたのために」という勢いがあったかもしれないけど、実際は今のほうが、ずっと深くて慈しんでいるんだもの。
この数年間、誓約書があるから従ったわけでもないし、奴隷だから拒否権なしと思ったわけでもない。
そうしたいから、してきただけ。
どうしても既存のスタイルに抵抗を感じてしまう。
ブログ上のわかりやすい名称として那智さんを「ご主人様」と言っても差し支えないけど、できない。
自分を奴隷とも、ペットとも、思っていない。
はじめのころ私が恥ずかしがるから面白がって「ご主人様」と呼ばせていたことがあった。
ちょっと照れ臭いニックネームを呼んでいるみたいで、いつの間にか慣れてしまったら那智さんもつまらないから、ある時おしまいになった。
それから、自発的にご主人様なんて思いもしないし、呼んでもいない。
どうしても「奴隷誓約書」のように、嘘っぽく感じられてしまうからだ。
私はあなたのものというお伽噺を実感したいと、模索しているけれど、それはご主人様と奴隷でなく、愛する人との愛情表現というだけこと。
ブログを始めてネットの世界を覗いて初めて、たくさんの人がSMをしたり、主従関係を結んだり、性癖に向き合ったりしているのを知った。
皆さんそれぞれ幸せの形は違うから、いろんな方法で幸せを感じている。
その中で、なんてたくさんのご主人様がいて、たくさんの奴隷がいるんだろうと思った。
なかには全然会えなくて悲しんでいる人もいる。
その悲しみを「奴隷」だから、ご主人様にぶつけちゃいけないって押し殺している子もいる。
課せられた難題をクリアできずに、自分を責めている人もいる。
なんだか読んでいるこちらのほうが切なくなってしまう。
それこそ人それぞれなんだから、その関係を批判しているわけじゃない、皆さんそれぞれ幸せを感じているはず。
でも、私がそこから受ける印象だけで思ってしまったんだけど、私にとっては「寂しさをぶつけさせてくれる」関係のほうがいいと思ってしまう。
そんなに辛い(辛そう)思いをさせている人がご主人様なら、悲しみをぶつけさせてくれて、私の幸せを考えて、本当に幸せにしてくれている那智さんなんて、とっくの昔に私のご主人様だわと思ってしまった。
そう感じたら、なんだかくすぐったくって嬉しくて、那智さんにメールする。
「ね、ご主人様」って。
抵抗を感じていた嘘っぽさを感じずに、この感情が起きるのになんて時間が掛かって、そして、そう思って発するとなんて気持ち良いのでしょう。
誓約書を呼び方も、関係が深まれば自然に生まれるものなのかもしれない。
だから、はじめに誓約書ありきに、ちょっと疑問を持つのでした。
自然に「ご主人様」と思えたいま(でも、相変わらず呼んでないけど^^;)、誓約書も湧き上がる自然な感情で書き直しすとしたら、こう書こう。
「私は那智さんのもの!」
以上!!(笑)
だって、けっこう長々と面倒くさいだもん(笑)
追記:前の記事、一箇所直しました。うんこを水で流し込んで、吐いてもいいという那智さんに委ねられなかった所。その気持ちを「悲しい」から「残念」にしました。こちらが正確な気持ちでした。
宣誓書というものを書いたことがある。
付き合ってまだ間もないころ、那智さんがこんなのどう?と見せてくれた。
それは、「宣誓書」なるもので、「一、りん子は〜」で始まる宣言が何個も並んでいる。
もともとフォーマットがあって、名前の部分を「那智」と「りん子」に変えただけのものだった。
以前テレクラで相手を探していたころ、会うまでには至らなかったけど、何度か電話でやり取りをするくらいまでになった人がいた。
ある日その人が「奴隷誓約書」を書いて、と言ってきた。
「奴隷誓約書」という響きと、それにより抗えないという状況に淡い憧れを抱いたけど、なんだかピンとこないな〜と思っていた。
会う前から出来上がっている「奴隷」ってなんなんだろう?
そんなに簡単に奴隷になれるものなのかしら。
誓約書の意味がわからなかった。
必要性も感じられなかったの。
だって、誓約を破っても、罪に問われるわけでもない「誓約」って、そんなに大事な物?
それを書いたから自由にできるなんて、そんなに簡単じゃないでしょう。
となんだか嘘くさいと思ってしまった。
那智さんが見せてくれたそのフォーマットには「女の幸せを捨てご主人様の奴隷として〜」とか、「至らぬ点は厳しく正していただき、捨てられることも覚悟します。」そんなトーンの誓約がいくつか書いてあった。
それを読んだとき、その嘘くさい感じを思い出した。
だって、私、女の幸せ捨てたくないもの、那智さんに愛されて幸せになっていたいもの。
正してもらうのはいいとして、厳しくなんていやだもの。
そんなふうに思って、フォーマットに書かれている言葉に不満を申し出ると、じゃありん子の言葉に変えてみる?ということになって、その場の即興で変えてみた。
元の「奴隷として〜」というような重々しい骨組みに、ロマンティックなりん子言葉が加味されて、なんとも不思議な誓約書が出来上がった。
那智さんは、まあまあ気に入ってくれているみたいだけど、私は未だにちょっとピンときていないの。
だって、その誓約なんてほとんど忘れているし、そのころよりもっと今のほうが捕われていて離れられないんだもの。
そのころのほうが、「あなたのために」という勢いがあったかもしれないけど、実際は今のほうが、ずっと深くて慈しんでいるんだもの。
この数年間、誓約書があるから従ったわけでもないし、奴隷だから拒否権なしと思ったわけでもない。
そうしたいから、してきただけ。
どうしても既存のスタイルに抵抗を感じてしまう。
ブログ上のわかりやすい名称として那智さんを「ご主人様」と言っても差し支えないけど、できない。
自分を奴隷とも、ペットとも、思っていない。
はじめのころ私が恥ずかしがるから面白がって「ご主人様」と呼ばせていたことがあった。
ちょっと照れ臭いニックネームを呼んでいるみたいで、いつの間にか慣れてしまったら那智さんもつまらないから、ある時おしまいになった。
それから、自発的にご主人様なんて思いもしないし、呼んでもいない。
どうしても「奴隷誓約書」のように、嘘っぽく感じられてしまうからだ。
私はあなたのものというお伽噺を実感したいと、模索しているけれど、それはご主人様と奴隷でなく、愛する人との愛情表現というだけこと。
ブログを始めてネットの世界を覗いて初めて、たくさんの人がSMをしたり、主従関係を結んだり、性癖に向き合ったりしているのを知った。
皆さんそれぞれ幸せの形は違うから、いろんな方法で幸せを感じている。
その中で、なんてたくさんのご主人様がいて、たくさんの奴隷がいるんだろうと思った。
なかには全然会えなくて悲しんでいる人もいる。
その悲しみを「奴隷」だから、ご主人様にぶつけちゃいけないって押し殺している子もいる。
課せられた難題をクリアできずに、自分を責めている人もいる。
なんだか読んでいるこちらのほうが切なくなってしまう。
それこそ人それぞれなんだから、その関係を批判しているわけじゃない、皆さんそれぞれ幸せを感じているはず。
でも、私がそこから受ける印象だけで思ってしまったんだけど、私にとっては「寂しさをぶつけさせてくれる」関係のほうがいいと思ってしまう。
そんなに辛い(辛そう)思いをさせている人がご主人様なら、悲しみをぶつけさせてくれて、私の幸せを考えて、本当に幸せにしてくれている那智さんなんて、とっくの昔に私のご主人様だわと思ってしまった。
そう感じたら、なんだかくすぐったくって嬉しくて、那智さんにメールする。
「ね、ご主人様」って。
抵抗を感じていた嘘っぽさを感じずに、この感情が起きるのになんて時間が掛かって、そして、そう思って発するとなんて気持ち良いのでしょう。
誓約書を呼び方も、関係が深まれば自然に生まれるものなのかもしれない。
だから、はじめに誓約書ありきに、ちょっと疑問を持つのでした。
自然に「ご主人様」と思えたいま(でも、相変わらず呼んでないけど^^;)、誓約書も湧き上がる自然な感情で書き直しすとしたら、こう書こう。
「私は那智さんのもの!」
以上!!(笑)
だって、けっこう長々と面倒くさいだもん(笑)
追記:前の記事、一箇所直しました。うんこを水で流し込んで、吐いてもいいという那智さんに委ねられなかった所。その気持ちを「悲しい」から「残念」にしました。こちらが正確な気持ちでした。
肉体改造
りん子的独り言(生意気)
「肉体改造」
なんだかおどろどろしい、それでいてM的嗜好のある人には魅惑の言葉かもしれない。
○○ピアスや○○拡張(書いてて赤面)その肉体改造を様々なブログやサイトで見かけると、私はいつも頭が下がる。
いろんな精神構造がそれをさせていると思うので、一括りにしては言えないけど、ご主人様が喜んでくれる、ご主人様のものという証、というモチベーションでそれをされている方に、特に頭が下がる思いだ。
もともと凄い怖がりの私は、それらの画像やそれをしている様子を目にしただけで、背筋がぞぞぞ〜っとしてしまっうから、怖がりながら頭を下げる。
「へなちょこでごめんなさい」
特に、私にはごめんなさい無理!!と思うのが、それをご主人様に会っていない時に、ご主人様のために自ら改造や訓練をすること。
もちろん、その間にご主人様からパワーをもらってるから継続できるのでしょうけれど、表にはそれが見えないものもあって、額面通りに受け取らせてもらうと、ほんと偉い!!と思ってしまう。
そばにいない時もご主人様の存在を意識するという意味合いもあるのかもしれない。
私には無理と思う理由は、ひとつはとても怖がりだということ。
指に刺さった刺を抜くのも大騒ぎな私が、ピアスの穴を広げたり、お尻に大きなものが入るように広げたり、恐くてしかたがない。
もうひとつは、私は全然努力家じゃないから。
庭の草むしりも大嫌い、腹筋だって三日坊主、コツコツと積み重ねて何かを成し遂げるより、目先の楽しさに流れてしまう。
那智さんに関わることで続けられているのは、ブログと仕事と「ちゃんと伝える」だ。
どれも肉体改造でもなんでもない。(きっととても真面目な方がしているのだと思います。)
そして、最後の理由。
もちろん、那智さんがそういうことを望まないというのが最大の理由なんだけど、私は、特に取り返しのつかないような体の変化は、自分でしたくないのだ。
那智さんが準備して、那智さんに支えてもらって、那智さんの目の前で、那智さんの手で施してもらいたいのだ。
(専門的な技術が必要なものは専門家に任せるけど、象徴として「那智さんの手」ね)
薬指にほくろのような刺青を入れたときのように。
それが、一人の人間の体の一部を好みに変える責任だと思うのだ。
だから、相手の人を思って、それらを自ら行う方々に頭が下がる思いなのです。
那智さんが手を下すって言ったとしても、ピアスとか大騒ぎして大変そうなのだもの。
それらの条件を満たしても、もうひとつ足りなかったわ。
それは、それをしたら私が心が体が、気持ちが良くて幸せになるということを、知らしめてくれること。
それを知らしめることも、那智さんの責任!!(笑)
とりあえず、那智さんと連絡が取れない一日目が終了しました。
カウンターの数字やコメントが、私をかまってくれているので、無事終了です。
ありがとうございました^^
また明日も頑張ります〜。
「肉体改造」
なんだかおどろどろしい、それでいてM的嗜好のある人には魅惑の言葉かもしれない。
○○ピアスや○○拡張(書いてて赤面)その肉体改造を様々なブログやサイトで見かけると、私はいつも頭が下がる。
いろんな精神構造がそれをさせていると思うので、一括りにしては言えないけど、ご主人様が喜んでくれる、ご主人様のものという証、というモチベーションでそれをされている方に、特に頭が下がる思いだ。
もともと凄い怖がりの私は、それらの画像やそれをしている様子を目にしただけで、背筋がぞぞぞ〜っとしてしまっうから、怖がりながら頭を下げる。
「へなちょこでごめんなさい」
特に、私にはごめんなさい無理!!と思うのが、それをご主人様に会っていない時に、ご主人様のために自ら改造や訓練をすること。
もちろん、その間にご主人様からパワーをもらってるから継続できるのでしょうけれど、表にはそれが見えないものもあって、額面通りに受け取らせてもらうと、ほんと偉い!!と思ってしまう。
そばにいない時もご主人様の存在を意識するという意味合いもあるのかもしれない。
私には無理と思う理由は、ひとつはとても怖がりだということ。
指に刺さった刺を抜くのも大騒ぎな私が、ピアスの穴を広げたり、お尻に大きなものが入るように広げたり、恐くてしかたがない。
もうひとつは、私は全然努力家じゃないから。
庭の草むしりも大嫌い、腹筋だって三日坊主、コツコツと積み重ねて何かを成し遂げるより、目先の楽しさに流れてしまう。
那智さんに関わることで続けられているのは、ブログと仕事と「ちゃんと伝える」だ。
どれも肉体改造でもなんでもない。(きっととても真面目な方がしているのだと思います。)
そして、最後の理由。
もちろん、那智さんがそういうことを望まないというのが最大の理由なんだけど、私は、特に取り返しのつかないような体の変化は、自分でしたくないのだ。
那智さんが準備して、那智さんに支えてもらって、那智さんの目の前で、那智さんの手で施してもらいたいのだ。
(専門的な技術が必要なものは専門家に任せるけど、象徴として「那智さんの手」ね)
薬指にほくろのような刺青を入れたときのように。
それが、一人の人間の体の一部を好みに変える責任だと思うのだ。
だから、相手の人を思って、それらを自ら行う方々に頭が下がる思いなのです。
那智さんが手を下すって言ったとしても、ピアスとか大騒ぎして大変そうなのだもの。
それらの条件を満たしても、もうひとつ足りなかったわ。
それは、それをしたら私が心が体が、気持ちが良くて幸せになるということを、知らしめてくれること。
それを知らしめることも、那智さんの責任!!(笑)
とりあえず、那智さんと連絡が取れない一日目が終了しました。
カウンターの数字やコメントが、私をかまってくれているので、無事終了です。
ありがとうございました^^
また明日も頑張ります〜。