M女ブログを信じるな
りん子的独り言(生意気)
と、角の立つようなタイトルからはじめてしまいました。
またまた『りん子的独り言』を展開しますけど、いつものようにM女さんや奴隷さんや主従関係などなどを批判するつもりはありません。
わたしだって、M女の端くれで、ブログやっているんだもの、今回もそれに対して言っているのではないことをご理解くださいませ。
わたしがいつも一貫して伝えたいのは。
わたしのように、自己肯定感が持てず、何かに依存していないと不安を感じ、その依存願望を奴隷願望と混同させてしまって、依存先を失う不安から理不尽な関係を受け入れてしまって苦しんでいる女性に(すごい限定!!)。
その関係はおかしい、そして、断ち切れるというエール。
ですから、その関係で満たされている方々に対して言っているものではありません。
不快に感じそうな方はスルーしていただけるとありがたいです。
一日100件前後の細々としたブログで、いったいどれくらいの方がこれに共感をいただけるのでしょう。
こんな毒を吐かずに、ノロケだけ書いているほうがずっと『大人』かもしれない。
毒を吐く不安は付きまとう。
でも、わたしは、また書かずにはいられない。
なぜなら、ひとりの女性にエールを贈りたいから。
わたしにメールをくれた女性、仮に『可穂さん』とします。(わたしの大好きな作家 中山可穂さんから^^)
わたしが『奴隷願望の矛盾』というエントリーを書いたあたりからやり取りがはじまりました。
可穂さんはコメントではなくメールでわたしにコンタクトを取ってきた。
『一年くらい前から読んでいる』と嬉しい言葉ではじまったメールは、いまお付き合いをしているご主人様との関係の悩みが綴られていた.
可穂さんは、SMも主従もまったく興味を持ったことがなく、性癖としてはいたってノーマルだった。
ただ、『強い存在に組敷かれたい』という漠然とした憧れは持っている人だった。
可穂さんは、ある男性に出会う。
他の人には薄皮を纏ったような態度の彼が可穂さんには心の奥を見せるように感じ取れた。
深い所で繋がれると、可穂さんは恋に落ちる。
その彼が、『奴隷を持ちたい』という願望を持った男性だったのだ。
『俺の奴隷になれ』という強引な彼の態度に面食らいながらも、強い力への憧れと、求められることで愛情を感じ、可穂さんは『奴隷』になる。
可穂さん曰く。
『やっと手に入れた玩具で遊ぶのに彼が夢中になった』らしく、彼は可穂さんに酷いことをする。
でも、それはわたしが聞くと疑問と腹立たしさだけが湧くようなことだった。(ごめん、可穂さん、ここからは辛辣になります)
もともとマゾヒストではない可穂さんには、彼がするセックスは苦痛を伴うもの。(マゾだとしても、段階を踏んでいただかないと…)
でも、恋心と求められる喜びからか、彼女はそれに従う。
彼との不確定な待ち合わせのため数時間時間を潰し、やっと会えてもお茶も食事もなくホテルへ。
苦痛を伴うセックスや『奴隷』が故の理不尽な扱いを自分自身納得させたくて、彼に対話を申し出てもいつも却下される。
そんな時間は奴隷にはいらないのか、対話はせずに、彼は時間が余ればゲームをしていたそうだ。
異議申し立てをすれば『そんな普通の女のようなことをいうなら、いらない』と言われる。
彼が使う道具の支払いはいつの間にか彼女が負担するようになり、結局それはいまだにそのままだ。
強い者に従いたい、深い所で繋がれると思っていた可穂さん。
わずかな愛情の言葉や抱擁や、普通の思い出があれば、がんばれたと言っている。
でも、それさえも『奴隷』なんだからと与えられはしなかった。
彼は可穂さんと付き合い出した当初にこんなことを言った。
『○○さんのブログを読め』と。
そこには彼の理想とする『奴隷』さんがいたからだ。
それはいまは閉鎖されているけど、わたしも知っているブログだ。
確かに、ご主人様の命令に一所懸命に従う奴隷さんの姿は、健気で女性のわたしから見ても可愛らしいものだった。
このブログ、ふたりがとても仲が良いという側面も書かれていて、安心して見られる奴隷さんブログだった。
ただ、だんだん行為がエスカレートしていき、ご主人様のいないところで奴隷さんひとりで命令に応える場面が増えていろように感じられて、ちょっと心配になったころ、気が付けば閉鎖になっていたのだ。
SMも主従も知らない可穂さんに、彼は『それを見て勉強しろ』と言いたかったようなのだ。
可穂さんは必死になった。
彼のする行為や扱いを喜びに変えられない可穂さん、どうしたら受け入れられるようになるのか、そこだけじゃなくいろんなM女さんのブログを読みあさった。
そこで、わたしのブログを見つけてくれたのだ。
たしか『奴隷誓約書』で検索してヒットしたらしい。
そのエントリーが可穂さんの心に刺さった小さな棘を言い当てたようで、そこからずっと読んでくれたのだ。
彼の読めという『奴隷さんブログ』とまったく別のわたしのブログ。
心の奥底ではわたしの書いていることにうなずきながら、でも、彼に従いたい気持ちを強く可穂さんは『奴隷になりきれない』自分を責めた。
一年間。
なぜ受け入れられないと自問し、もっと自分ががんばればと自責し、ひとりではどうすることもできず対話を望んでも拒否され続ける。
行き詰まったころに『奴隷願望の矛盾』を読んでメールをくれたのだ。
余談ですが。
可穂さんのような人を知ると。
性癖Mと性格Mってあるよねと思う。
被虐願望と従属願望の違いとも言えるけど、SM的なことで性的興奮する性癖と、誰かに従いたいという性格(性質かな?)。
わたしなどは、両方混ざっているけどね。
それで、『従属願望』にも、『奴隷願望』と『依存願望』の違いもあると思ってる、わたしの持論。
圧倒的な力にリードを引いてほしいと思う『依存願望』と、一人の女性としてではなく理不尽な扱いを受け入れたいという『奴隷願望』、多分このふたつは違うと思うのだ。
わたしは、ずっと『奴隷願望』があると思っていたけど、蔑むような扱いをされると傷付いていた。
どうやら、それはリードを引いてくれる存在を求める『依存願望』だったんだと気付いたのです。
性癖Mで性格M『依存願望』タイプのわたしは『大切にされながら酷いことをしてほしい』という状態で収まりよいんだ^^
可穂さんも『奴隷願望』と『依存願望』がごちゃ混ぜになっていたのだと思う。
彼女は、性癖ノーマルで性格M『依存願望』タイプって感じかな?
ここが混同していると、理不尽な扱いに萌えない自分を『なぜ?』と思うのでしょう。
話戻します。
『奴隷願望の矛盾』を読んで可穂さんは、自分が求めているものは『奴隷』じゃなくて『依存』のようなものだと気付く。
彼の求めるものと自分のそれが違うことに気付き、別れるか関係那智復か、とにかく背中を押してほしいとわたしにメールをくれたのだ。
それから数ヶ月。
可穂さんは、恋や依存先を失う恐怖と闘いながら、彼と別れた。
一方的な可穂さんの言い分で書いたけどそれでも彼の言動や行動は、わたしとしては腹立たしい(これで全部じゃないけれど)。
特に驚くのは。
他のM女さんのブログを読んで勉強しろと言ったことだ。
ブログなんて、その人のほんの一部に過ぎない。
わたしだって、生い立ちからいっぱい書いているけれど、それでも、全然全部じゃない。
書いていることはウソではないけれど、リンゴを『丸い』と表現する人もいれば『赤い』という人がいるように、『りん子フィルター』を通しているのだから、書く人によって表現なんて如何様にも変えられる。
一部でフィルターを通しているんだ、それがすべてだなんてことあり得ない。
でも、それでも、書くことは個人の自由。
そして、それを読み、共感したり仲間を増やしたり興奮したり、プラスに働くならば、それは一部だろうが全部だろうがかまわないと思う。
わたしだって、そのひとりだもの。
ただ、可穂さんのように、それになれない自分を責めてしまうよう人がいるならば。
M女ブログなんて信じないで!!と伝えたい。
そうなれないのは、それがすべてじゃなくて、そして、あなたと彼女は違う人だから、あなたは自分を責める必要はまったくないの。
あなたとパートナーとのオリジナルの関係を作ればいいだけのこと。
それを作ろうとしてくれる人に『依存』すればいい。
そして、都合のいいところだけを読み取って、自分で手間暇かけずに『それを見て○○さんのようになれ』と言ってしまう人、M女ブログを鵜呑みにして『奴隷』という名前を与え、お手本を見せれば同じようになると信じている時点で、想像力欠如の子供だと思うのだ。
横暴な君主にならなれるかもしれないけど。
そういう人は依存先には値しない。
だから、自分が求めているものが、暴君なのか依存先なのか、単にサディストなのか、何かを知ることが大切。
それに気付き、そして、苦しいなら断ち切るの。
でも、わたしのような自己肯定感を持ちにくい依存体質は、依存先を失うのが怖いから、わかっちゃいるけど断ち切るの難しいよね。
それでも、自分を責めそうになりながらも、彼女は断ち切れた。
だから、どこかにきっかけはある。
そう信じて、今日もドキドキしながら、りん子節炸裂^^;
M女さんのブログに疑問を持ち、客観視できた可穂さんはとても賢く自分に正直な人だと思う。
いまは、まだ少し不安定かもしれないけど、あなたの正直な瞳は、これからもっといっぱい自分の本質を見ることができるはず。
だから、わたしはエールを贈ります。
M女ブログを信じちゃいけない。
誰かのマネじゃない可穂さんでいてください。
これもすべてじゃない、わたしを通した可穂さん物語。
メールのやり取りを含め、この物語を書くことを許してくれた可穂さんに感謝します。
理解しにくい内容に最後までお付き合いくださって、ありがとうございました。
こんなことを書いているわたしのブログは、M女ブログと言えるのかしら^^;
ちょっと不安になってきました(笑)
と、角の立つようなタイトルからはじめてしまいました。
またまた『りん子的独り言』を展開しますけど、いつものようにM女さんや奴隷さんや主従関係などなどを批判するつもりはありません。
わたしだって、M女の端くれで、ブログやっているんだもの、今回もそれに対して言っているのではないことをご理解くださいませ。
わたしがいつも一貫して伝えたいのは。
わたしのように、自己肯定感が持てず、何かに依存していないと不安を感じ、その依存願望を奴隷願望と混同させてしまって、依存先を失う不安から理不尽な関係を受け入れてしまって苦しんでいる女性に(すごい限定!!)。
その関係はおかしい、そして、断ち切れるというエール。
ですから、その関係で満たされている方々に対して言っているものではありません。
不快に感じそうな方はスルーしていただけるとありがたいです。
一日100件前後の細々としたブログで、いったいどれくらいの方がこれに共感をいただけるのでしょう。
こんな毒を吐かずに、ノロケだけ書いているほうがずっと『大人』かもしれない。
毒を吐く不安は付きまとう。
でも、わたしは、また書かずにはいられない。
なぜなら、ひとりの女性にエールを贈りたいから。
わたしにメールをくれた女性、仮に『可穂さん』とします。(わたしの大好きな作家 中山可穂さんから^^)
わたしが『奴隷願望の矛盾』というエントリーを書いたあたりからやり取りがはじまりました。
可穂さんはコメントではなくメールでわたしにコンタクトを取ってきた。
『一年くらい前から読んでいる』と嬉しい言葉ではじまったメールは、いまお付き合いをしているご主人様との関係の悩みが綴られていた.
可穂さんは、SMも主従もまったく興味を持ったことがなく、性癖としてはいたってノーマルだった。
ただ、『強い存在に組敷かれたい』という漠然とした憧れは持っている人だった。
可穂さんは、ある男性に出会う。
他の人には薄皮を纏ったような態度の彼が可穂さんには心の奥を見せるように感じ取れた。
深い所で繋がれると、可穂さんは恋に落ちる。
その彼が、『奴隷を持ちたい』という願望を持った男性だったのだ。
『俺の奴隷になれ』という強引な彼の態度に面食らいながらも、強い力への憧れと、求められることで愛情を感じ、可穂さんは『奴隷』になる。
可穂さん曰く。
『やっと手に入れた玩具で遊ぶのに彼が夢中になった』らしく、彼は可穂さんに酷いことをする。
でも、それはわたしが聞くと疑問と腹立たしさだけが湧くようなことだった。(ごめん、可穂さん、ここからは辛辣になります)
もともとマゾヒストではない可穂さんには、彼がするセックスは苦痛を伴うもの。(マゾだとしても、段階を踏んでいただかないと…)
でも、恋心と求められる喜びからか、彼女はそれに従う。
彼との不確定な待ち合わせのため数時間時間を潰し、やっと会えてもお茶も食事もなくホテルへ。
苦痛を伴うセックスや『奴隷』が故の理不尽な扱いを自分自身納得させたくて、彼に対話を申し出てもいつも却下される。
そんな時間は奴隷にはいらないのか、対話はせずに、彼は時間が余ればゲームをしていたそうだ。
異議申し立てをすれば『そんな普通の女のようなことをいうなら、いらない』と言われる。
彼が使う道具の支払いはいつの間にか彼女が負担するようになり、結局それはいまだにそのままだ。
強い者に従いたい、深い所で繋がれると思っていた可穂さん。
わずかな愛情の言葉や抱擁や、普通の思い出があれば、がんばれたと言っている。
でも、それさえも『奴隷』なんだからと与えられはしなかった。
彼は可穂さんと付き合い出した当初にこんなことを言った。
『○○さんのブログを読め』と。
そこには彼の理想とする『奴隷』さんがいたからだ。
それはいまは閉鎖されているけど、わたしも知っているブログだ。
確かに、ご主人様の命令に一所懸命に従う奴隷さんの姿は、健気で女性のわたしから見ても可愛らしいものだった。
このブログ、ふたりがとても仲が良いという側面も書かれていて、安心して見られる奴隷さんブログだった。
ただ、だんだん行為がエスカレートしていき、ご主人様のいないところで奴隷さんひとりで命令に応える場面が増えていろように感じられて、ちょっと心配になったころ、気が付けば閉鎖になっていたのだ。
SMも主従も知らない可穂さんに、彼は『それを見て勉強しろ』と言いたかったようなのだ。
可穂さんは必死になった。
彼のする行為や扱いを喜びに変えられない可穂さん、どうしたら受け入れられるようになるのか、そこだけじゃなくいろんなM女さんのブログを読みあさった。
そこで、わたしのブログを見つけてくれたのだ。
たしか『奴隷誓約書』で検索してヒットしたらしい。
そのエントリーが可穂さんの心に刺さった小さな棘を言い当てたようで、そこからずっと読んでくれたのだ。
彼の読めという『奴隷さんブログ』とまったく別のわたしのブログ。
心の奥底ではわたしの書いていることにうなずきながら、でも、彼に従いたい気持ちを強く可穂さんは『奴隷になりきれない』自分を責めた。
一年間。
なぜ受け入れられないと自問し、もっと自分ががんばればと自責し、ひとりではどうすることもできず対話を望んでも拒否され続ける。
行き詰まったころに『奴隷願望の矛盾』を読んでメールをくれたのだ。
余談ですが。
可穂さんのような人を知ると。
性癖Mと性格Mってあるよねと思う。
被虐願望と従属願望の違いとも言えるけど、SM的なことで性的興奮する性癖と、誰かに従いたいという性格(性質かな?)。
わたしなどは、両方混ざっているけどね。
それで、『従属願望』にも、『奴隷願望』と『依存願望』の違いもあると思ってる、わたしの持論。
圧倒的な力にリードを引いてほしいと思う『依存願望』と、一人の女性としてではなく理不尽な扱いを受け入れたいという『奴隷願望』、多分このふたつは違うと思うのだ。
わたしは、ずっと『奴隷願望』があると思っていたけど、蔑むような扱いをされると傷付いていた。
どうやら、それはリードを引いてくれる存在を求める『依存願望』だったんだと気付いたのです。
性癖Mで性格M『依存願望』タイプのわたしは『大切にされながら酷いことをしてほしい』という状態で収まりよいんだ^^
可穂さんも『奴隷願望』と『依存願望』がごちゃ混ぜになっていたのだと思う。
彼女は、性癖ノーマルで性格M『依存願望』タイプって感じかな?
ここが混同していると、理不尽な扱いに萌えない自分を『なぜ?』と思うのでしょう。
話戻します。
『奴隷願望の矛盾』を読んで可穂さんは、自分が求めているものは『奴隷』じゃなくて『依存』のようなものだと気付く。
彼の求めるものと自分のそれが違うことに気付き、別れるか関係那智復か、とにかく背中を押してほしいとわたしにメールをくれたのだ。
それから数ヶ月。
可穂さんは、恋や依存先を失う恐怖と闘いながら、彼と別れた。
一方的な可穂さんの言い分で書いたけどそれでも彼の言動や行動は、わたしとしては腹立たしい(これで全部じゃないけれど)。
特に驚くのは。
他のM女さんのブログを読んで勉強しろと言ったことだ。
ブログなんて、その人のほんの一部に過ぎない。
わたしだって、生い立ちからいっぱい書いているけれど、それでも、全然全部じゃない。
書いていることはウソではないけれど、リンゴを『丸い』と表現する人もいれば『赤い』という人がいるように、『りん子フィルター』を通しているのだから、書く人によって表現なんて如何様にも変えられる。
一部でフィルターを通しているんだ、それがすべてだなんてことあり得ない。
でも、それでも、書くことは個人の自由。
そして、それを読み、共感したり仲間を増やしたり興奮したり、プラスに働くならば、それは一部だろうが全部だろうがかまわないと思う。
わたしだって、そのひとりだもの。
ただ、可穂さんのように、それになれない自分を責めてしまうよう人がいるならば。
M女ブログなんて信じないで!!と伝えたい。
そうなれないのは、それがすべてじゃなくて、そして、あなたと彼女は違う人だから、あなたは自分を責める必要はまったくないの。
あなたとパートナーとのオリジナルの関係を作ればいいだけのこと。
それを作ろうとしてくれる人に『依存』すればいい。
そして、都合のいいところだけを読み取って、自分で手間暇かけずに『それを見て○○さんのようになれ』と言ってしまう人、M女ブログを鵜呑みにして『奴隷』という名前を与え、お手本を見せれば同じようになると信じている時点で、想像力欠如の子供だと思うのだ。
横暴な君主にならなれるかもしれないけど。
そういう人は依存先には値しない。
だから、自分が求めているものが、暴君なのか依存先なのか、単にサディストなのか、何かを知ることが大切。
それに気付き、そして、苦しいなら断ち切るの。
でも、わたしのような自己肯定感を持ちにくい依存体質は、依存先を失うのが怖いから、わかっちゃいるけど断ち切るの難しいよね。
それでも、自分を責めそうになりながらも、彼女は断ち切れた。
だから、どこかにきっかけはある。
そう信じて、今日もドキドキしながら、りん子節炸裂^^;
M女さんのブログに疑問を持ち、客観視できた可穂さんはとても賢く自分に正直な人だと思う。
いまは、まだ少し不安定かもしれないけど、あなたの正直な瞳は、これからもっといっぱい自分の本質を見ることができるはず。
だから、わたしはエールを贈ります。
M女ブログを信じちゃいけない。
誰かのマネじゃない可穂さんでいてください。
これもすべてじゃない、わたしを通した可穂さん物語。
メールのやり取りを含め、この物語を書くことを許してくれた可穂さんに感謝します。
理解しにくい内容に最後までお付き合いくださって、ありがとうございました。
こんなことを書いているわたしのブログは、M女ブログと言えるのかしら^^;
ちょっと不安になってきました(笑)
危機管理能力part2
独特な幸福感
那智さんと海に行くんだ^^
一番の目的があって、それはちょっと内緒なんですが。
その目的が海方面なので、終わったら海デート。
那智さんは山派で、わたしは海派。
旅行のときに山は一緒に行ったけど、海に行くのははじめて。
真夏じゃない海はわたしの好きな景色のひとつで、お気に入りの海スポットやレストランに那智さんと行かれるのが嬉しいな。
楽しみに計画を立てると、そこは那智さん、ただでは済ませてくれません。
「海岸に行ったら遊ぼうか?」
「はい?何をして」
「ボール投げて、りん子が拾ってくるの。」
「??」
「わんこになって」
昔見ていたサイトで、ご主人様が投げた靴をわんこになってくわえて拾ってくるという画像を見たことがある。(とっても可愛かった)
靴をくわえて両手を『わん』ってしている姿に、淡ーーーーーい憧れを抱いていたことを思い出し、ちょっと『うっとりめ』に心が傾く。
いや、待て、りん子。
たしか、そのサイトのシーンは深夜の人気のないパーキングだったと記憶している。
那智さんが提案しているのは、昼間の浜辺。
オフシーズンとはいえ、カップルや地元の人が遊びに来ているはず。
本家犬のお散歩だっているはず。
「いいよな〜、横に本物の犬の散歩がいたりして^^」
やっぱり、同じこと考えてる、那智さん^^;
冷静に考えて、それは無理。
即座に首を横に振りたいけれど、ここで即否定をしてしまうのは危険なんだ。
『無理です!!』なんて言ってしまえば。
『りん子には手と足はないの?くわえる口はないの?(あります)じゃあ、無理じゃないよね?無理かどうかやってみようか?』
なんて展開になるのだ。
物理的に無理なことや危険性を伴うこと以外を『無理』と言って拒否すれば、それはかなりの確率で『じゃあ、試してみよう』になっちゃうんだ。
だから、即拒否は抑える。
「口に砂が入ります;;」
「それは我慢だね〜」
「遠足の子とかいるかもしれないです」
(わたしの中で、子供に不可解なものを見せるのは絶対避けたいの)
「それだとやめたほうがいいね」
(ここは那智さんも理解してくれている)
「じゃ、いなきゃできるね〜」
うう、まずい。
作戦変更。
「那智さん、犬にボールを投げて、それを拾ってくるのをイメージしていると思いますけど、実際人が浜 辺で四つん這いになったら駆けるなんて無理だし、歩くこともままならないんじゃないですか?だからね、拾うのに時間がかかって、那智さんの思ったような楽し さにはならないと思います!!」
こうやって、そこはかとなくやる気を鎮火させるような、それでいていかにも那智さんの楽しみを考えて言及していますっぽく、グダグダともっともらしい理由作戦。
これは、割と効く(笑)
那智さんも、こうやってわたしがいろんな言い訳を持ち出して、それで自分の気分が変わっていくのを楽しんでいるから、意地でもやるとか命令にしちゃうなんてことはないんだ。
(このやり取りをよくブログに載せてますね^^;)
それは那智さんの楽しみに繋がりませんよ〜と、『じゃあ、やめるか』という言葉が出るように遠隔操作してみると。
「う〜ん、たしかにそうだな〜。走るの無理だしな〜。」
「そうですよ!!」
「じゃあそこは我慢して、あんまり遠くに投げないようにするよ、5mくらい?」
5m…?
5mって、わたしの身長の3倍くらいよね。
けっこう、あるよ、距離。
砂浜でわたしの身長の3倍の距離を犬っぽく『ばうばう』と四つん這いの自分を想像してしまう。
5m、それは長過ぎる…。
足疲れそう…。
「5m!?それはけっこう距離あって大変です!!できて2、3mです。」
りん子!!!
こんなところで危機管理能力を発揮しちゃだめ!!!
いつも那智さんは投げかけたことより、少し酷いことをする。
その経験から、投げかけられたことから想像できる最悪を想定して、わたしは危機管理に頭を働かせるんだ。
それなのに、どこをどう間違ったのか。
このときは危機管理が『砂浜を四つん這いで歩くのに適した距離』に働いてしまったのです^^;
2、3mならできるんかい!?と思わず心の中でつっこみ、爆笑してしまうわたし。
那智さんは聞き取れなかったようで、きょとん。
真剣なお話じゃなかったから、那智さんもそれ以上追求することはなくて、それ以上傷口を広げることはなくて、ホッ。
ああ、でも、想像しちゃう。
那智さんが投げたボールをくわえて戻ってきて『よーしよし』と撫でてくれたら。
楽しそうに何度も何度も遊んでくれたら。
わたし、とっても幸せだろうなぁ。
と、どうしても、淡ーーーーーい憧れを抱いてしまうから、『砂浜を四つん這いで歩くのに適した距離』方面に危機管理が働いちゃうんだな^^;
那智さんと海に行くんだ^^
一番の目的があって、それはちょっと内緒なんですが。
その目的が海方面なので、終わったら海デート。
那智さんは山派で、わたしは海派。
旅行のときに山は一緒に行ったけど、海に行くのははじめて。
真夏じゃない海はわたしの好きな景色のひとつで、お気に入りの海スポットやレストランに那智さんと行かれるのが嬉しいな。
楽しみに計画を立てると、そこは那智さん、ただでは済ませてくれません。
「海岸に行ったら遊ぼうか?」
「はい?何をして」
「ボール投げて、りん子が拾ってくるの。」
「??」
「わんこになって」
昔見ていたサイトで、ご主人様が投げた靴をわんこになってくわえて拾ってくるという画像を見たことがある。(とっても可愛かった)
靴をくわえて両手を『わん』ってしている姿に、淡ーーーーーい憧れを抱いていたことを思い出し、ちょっと『うっとりめ』に心が傾く。
いや、待て、りん子。
たしか、そのサイトのシーンは深夜の人気のないパーキングだったと記憶している。
那智さんが提案しているのは、昼間の浜辺。
オフシーズンとはいえ、カップルや地元の人が遊びに来ているはず。
本家犬のお散歩だっているはず。
「いいよな〜、横に本物の犬の散歩がいたりして^^」
やっぱり、同じこと考えてる、那智さん^^;
冷静に考えて、それは無理。
即座に首を横に振りたいけれど、ここで即否定をしてしまうのは危険なんだ。
『無理です!!』なんて言ってしまえば。
『りん子には手と足はないの?くわえる口はないの?(あります)じゃあ、無理じゃないよね?無理かどうかやってみようか?』
なんて展開になるのだ。
物理的に無理なことや危険性を伴うこと以外を『無理』と言って拒否すれば、それはかなりの確率で『じゃあ、試してみよう』になっちゃうんだ。
だから、即拒否は抑える。
「口に砂が入ります;;」
「それは我慢だね〜」
「遠足の子とかいるかもしれないです」
(わたしの中で、子供に不可解なものを見せるのは絶対避けたいの)
「それだとやめたほうがいいね」
(ここは那智さんも理解してくれている)
「じゃ、いなきゃできるね〜」
うう、まずい。
作戦変更。
「那智さん、犬にボールを投げて、それを拾ってくるのをイメージしていると思いますけど、実際人が浜 辺で四つん這いになったら駆けるなんて無理だし、歩くこともままならないんじゃないですか?だからね、拾うのに時間がかかって、那智さんの思ったような楽し さにはならないと思います!!」
こうやって、そこはかとなくやる気を鎮火させるような、それでいていかにも那智さんの楽しみを考えて言及していますっぽく、グダグダともっともらしい理由作戦。
これは、割と効く(笑)
那智さんも、こうやってわたしがいろんな言い訳を持ち出して、それで自分の気分が変わっていくのを楽しんでいるから、意地でもやるとか命令にしちゃうなんてことはないんだ。
(このやり取りをよくブログに載せてますね^^;)
それは那智さんの楽しみに繋がりませんよ〜と、『じゃあ、やめるか』という言葉が出るように遠隔操作してみると。
「う〜ん、たしかにそうだな〜。走るの無理だしな〜。」
「そうですよ!!」
「じゃあそこは我慢して、あんまり遠くに投げないようにするよ、5mくらい?」
5m…?
5mって、わたしの身長の3倍くらいよね。
けっこう、あるよ、距離。
砂浜でわたしの身長の3倍の距離を犬っぽく『ばうばう』と四つん這いの自分を想像してしまう。
5m、それは長過ぎる…。
足疲れそう…。
「5m!?それはけっこう距離あって大変です!!できて2、3mです。」
りん子!!!
こんなところで危機管理能力を発揮しちゃだめ!!!
いつも那智さんは投げかけたことより、少し酷いことをする。
その経験から、投げかけられたことから想像できる最悪を想定して、わたしは危機管理に頭を働かせるんだ。
それなのに、どこをどう間違ったのか。
このときは危機管理が『砂浜を四つん這いで歩くのに適した距離』に働いてしまったのです^^;
2、3mならできるんかい!?と思わず心の中でつっこみ、爆笑してしまうわたし。
那智さんは聞き取れなかったようで、きょとん。
真剣なお話じゃなかったから、那智さんもそれ以上追求することはなくて、それ以上傷口を広げることはなくて、ホッ。
ああ、でも、想像しちゃう。
那智さんが投げたボールをくわえて戻ってきて『よーしよし』と撫でてくれたら。
楽しそうに何度も何度も遊んでくれたら。
わたし、とっても幸せだろうなぁ。
と、どうしても、淡ーーーーーい憧れを抱いてしまうから、『砂浜を四つん這いで歩くのに適した距離』方面に危機管理が働いちゃうんだな^^;
薬指に刺青
独り言
今回は答えのない独り言。
何度も書いているわたしはとても怖がり。
指に棘が刺さったら、この世の終わりのように絶望するし。
ドラマの手術シーンでも悶絶してしまう。
先日、ミニミニ電マの当てかたがよくなかったのか、柔らかい場所が少しだけ擦り剥けてほんの少しだけ血が滲んだ。
それだけで、もうパニックになってしまって怖い怖いと大騒ぎだった。
じゃあ、なんで鞭や洗濯バサミは平気なの?って思いますよね、わたしも思います(笑)
多分、痛がりじゃないんだと思う。
怖がりだから、怖さを払拭してもらえれば、大丈夫なんだよね、きっと。
そんなもんだから、刺青やボディピアスをされているM女さんのことを無条件で尊敬します(笑)
耳のピアスでさえ開けられないのだもの、尊敬です。
体の一部に金属を通していると想像しただけでぞわっっとしちゃう、なんていうのかな、『痛そう』という怖さだけじゃなくて、ぞわっと鳥肌が立つような恐ろしさ。(って、あなた乳首に針貫通させてるじゃんという突っ込みは甘んじてお受け致します^^;)
でも、気持ちはわからないでもない。
これは従属願望から来るのだと思うけど、印を残したいという思いはわかるような気がする。
ただ、肉体改造くらいの域まで行くと、条件が整っていたとしてもやっぱり怖くて無理と思う。
いま、思ったけど、肉体改造方面に心が動くのって、マゾ度が高い?なんて思っちゃった。
わたしは、性癖と性格両方マゾだと自認しているけど、純粋なマゾ度は高くないかも。(これは、思いつきの仮説でした^^;)
いろんなM女さんのピアスや刺青を見て、M女側の気持ちは多少理解できるけど、それをする側の気持ちが、どうも理解できないと思ってしまったの。
自分以外の人間の体に印を入れるという心理。
ピアスは外せば塞がる(のよね?)とはいえ、様々なリスクを背負うし、いまは刺青も消せるの?それでもどの程度消えるのかもわからないし、やはりリスクは付きまとうもの。
物凄く重大責任だと思う。
その責任を負ってでも、したいと思う心理がいまひとつわからないんだ。
わたしは左手の薬指に刺青を入れている。
小さなホクロのような刺青。
付き合いだして一年経たないころに那智さんの指示で入れた。
とてもとても怖かったけど、でも、印入れるの嬉しかった。
これが、名前やなにかホクロじゃないものだとしたら、怖いしリスクが大きいからできない。
できない要求をしない人で、ほんとに良かったと思ってる。
しかも、那智さんも同じ場所に入っているし^^しかも、那智さんのホクロのほうがちょっと大きいし^^;
気が付けば全然『俺の物』の印じゃないぞ。
那智さんは、同じ場所に入れたことを『ちょっとロマンチック過ぎた』と苦笑しているけれど、一緒に痛い思いをして同じ場所に入れようという気持ちを持ってくれる那智さんが好きだし、感謝している。
女性の体に印を残すという責任重大なことをする心理。
わからないから、那智さんに聞いてみた『なぜ、刺青を入れようとしたのですか?』。
『なにか形にしたかった』のだそう。
大きな声では言えませんけど、出会ってしばらく那智さんはわたしに夢中だった(笑)
目の前に現れた、この感性の会う女性と繋がっているという証がほしくてしょうがなかったのだ。
余談ですが、『誓約書』もこのころ書いたかな?
那智さんは、いま思うとこの『誓約書』は若気の至りだったと恥ずかしいそうです。
だって、ずっと『SMを意識するな』と言い続けている本人が、主従の定番『誓約書』を書かせたのですもの、『俺ったら、やっちまったなぁ』という気恥ずかしさがあるようです。
何か形に残したい。
それが那智さんが刺青を入れた理由。
そこから、想像するに。
刺青やピアスを入れさせる男性の心理は、独占欲や所有感を満たすためのものなのかもしれない。
これは、ちょっとサディストとは違う気がする。(さっきのマゾ度と同じでね、強引な仮説2^^)
サドは改造方面に傾くのかな〜。
あれから数年。
切羽詰まるように夢中になったあの那智さんのテンションは形を潜めている。(いまでも、静かに夢中なはず!!)
でも、あのころよりも、ずっとずっと深く繋がっている。
だからだろうか、那智さんの口から『形に残したい』というようなことは、まったく出なくなった。
もちろん、条件が整えば、またどこかに刺青をと考えているようだけど(今度はわたしだけね^^;)、落ち着いてゆっくり歩んでいるという感じだろう。
要するに、印は必要ないと思えてるのですよね。
独占欲や所有感。
それを満たすために、重大な責任を負う。
そこまで考えてでもしたいと思う心理。
ほんとのこというと。
そこまで考えてくれて印を入れさせるS男性はどれくらいいるのだろうって、S男性から総スカンくらいそうだけど…、もっと簡単に考えているんじゃない?穿った見方しちゃう。
深く考えていてもそうじゃなくてもどちらにしてもその心理が、やっぱりわからないのだ。
わたしの指にある小さなホクロのような刺青。
ちょっと寂しいとき、右手の親指でぐっと撫でる。
頑張れと思うとき、唇に押し当てる。
そうすると勇気は湧いてくるんだ。
こういう印なら、怖いけど、嬉しい。
もうちょっとほしいとさえ思ってしまう。
棘抜くの怖いくせに^^;
だから、入れたいと思う気持ちは理解できるけど。
入れさせたいと思う心理がわからないの。
ううん、入れたいと思うのは、想像できるな。
うんと怖がりなわたしは、実際に入れさせる心理がわからないんだな。
今日は、わからないまま。
ただ、大事にしてねとだけ、思う。
今回は答えのない独り言。
何度も書いているわたしはとても怖がり。
指に棘が刺さったら、この世の終わりのように絶望するし。
ドラマの手術シーンでも悶絶してしまう。
先日、ミニミニ電マの当てかたがよくなかったのか、柔らかい場所が少しだけ擦り剥けてほんの少しだけ血が滲んだ。
それだけで、もうパニックになってしまって怖い怖いと大騒ぎだった。
じゃあ、なんで鞭や洗濯バサミは平気なの?って思いますよね、わたしも思います(笑)
多分、痛がりじゃないんだと思う。
怖がりだから、怖さを払拭してもらえれば、大丈夫なんだよね、きっと。
そんなもんだから、刺青やボディピアスをされているM女さんのことを無条件で尊敬します(笑)
耳のピアスでさえ開けられないのだもの、尊敬です。
体の一部に金属を通していると想像しただけでぞわっっとしちゃう、なんていうのかな、『痛そう』という怖さだけじゃなくて、ぞわっと鳥肌が立つような恐ろしさ。(って、あなた乳首に針貫通させてるじゃんという突っ込みは甘んじてお受け致します^^;)
でも、気持ちはわからないでもない。
これは従属願望から来るのだと思うけど、印を残したいという思いはわかるような気がする。
ただ、肉体改造くらいの域まで行くと、条件が整っていたとしてもやっぱり怖くて無理と思う。
いま、思ったけど、肉体改造方面に心が動くのって、マゾ度が高い?なんて思っちゃった。
わたしは、性癖と性格両方マゾだと自認しているけど、純粋なマゾ度は高くないかも。(これは、思いつきの仮説でした^^;)
いろんなM女さんのピアスや刺青を見て、M女側の気持ちは多少理解できるけど、それをする側の気持ちが、どうも理解できないと思ってしまったの。
自分以外の人間の体に印を入れるという心理。
ピアスは外せば塞がる(のよね?)とはいえ、様々なリスクを背負うし、いまは刺青も消せるの?それでもどの程度消えるのかもわからないし、やはりリスクは付きまとうもの。
物凄く重大責任だと思う。
その責任を負ってでも、したいと思う心理がいまひとつわからないんだ。
わたしは左手の薬指に刺青を入れている。
小さなホクロのような刺青。
付き合いだして一年経たないころに那智さんの指示で入れた。
とてもとても怖かったけど、でも、印入れるの嬉しかった。
これが、名前やなにかホクロじゃないものだとしたら、怖いしリスクが大きいからできない。
できない要求をしない人で、ほんとに良かったと思ってる。
しかも、那智さんも同じ場所に入っているし^^しかも、那智さんのホクロのほうがちょっと大きいし^^;
気が付けば全然『俺の物』の印じゃないぞ。
那智さんは、同じ場所に入れたことを『ちょっとロマンチック過ぎた』と苦笑しているけれど、一緒に痛い思いをして同じ場所に入れようという気持ちを持ってくれる那智さんが好きだし、感謝している。
女性の体に印を残すという責任重大なことをする心理。
わからないから、那智さんに聞いてみた『なぜ、刺青を入れようとしたのですか?』。
『なにか形にしたかった』のだそう。
大きな声では言えませんけど、出会ってしばらく那智さんはわたしに夢中だった(笑)
目の前に現れた、この感性の会う女性と繋がっているという証がほしくてしょうがなかったのだ。
余談ですが、『誓約書』もこのころ書いたかな?
那智さんは、いま思うとこの『誓約書』は若気の至りだったと恥ずかしいそうです。
だって、ずっと『SMを意識するな』と言い続けている本人が、主従の定番『誓約書』を書かせたのですもの、『俺ったら、やっちまったなぁ』という気恥ずかしさがあるようです。
何か形に残したい。
それが那智さんが刺青を入れた理由。
そこから、想像するに。
刺青やピアスを入れさせる男性の心理は、独占欲や所有感を満たすためのものなのかもしれない。
これは、ちょっとサディストとは違う気がする。(さっきのマゾ度と同じでね、強引な仮説2^^)
サドは改造方面に傾くのかな〜。
あれから数年。
切羽詰まるように夢中になったあの那智さんのテンションは形を潜めている。(いまでも、静かに夢中なはず!!)
でも、あのころよりも、ずっとずっと深く繋がっている。
だからだろうか、那智さんの口から『形に残したい』というようなことは、まったく出なくなった。
もちろん、条件が整えば、またどこかに刺青をと考えているようだけど(今度はわたしだけね^^;)、落ち着いてゆっくり歩んでいるという感じだろう。
要するに、印は必要ないと思えてるのですよね。
独占欲や所有感。
それを満たすために、重大な責任を負う。
そこまで考えてでもしたいと思う心理。
ほんとのこというと。
そこまで考えてくれて印を入れさせるS男性はどれくらいいるのだろうって、S男性から総スカンくらいそうだけど…、もっと簡単に考えているんじゃない?穿った見方しちゃう。
深く考えていてもそうじゃなくてもどちらにしてもその心理が、やっぱりわからないのだ。
わたしの指にある小さなホクロのような刺青。
ちょっと寂しいとき、右手の親指でぐっと撫でる。
頑張れと思うとき、唇に押し当てる。
そうすると勇気は湧いてくるんだ。
こういう印なら、怖いけど、嬉しい。
もうちょっとほしいとさえ思ってしまう。
棘抜くの怖いくせに^^;
だから、入れたいと思う気持ちは理解できるけど。
入れさせたいと思う心理がわからないの。
ううん、入れたいと思うのは、想像できるな。
うんと怖がりなわたしは、実際に入れさせる心理がわからないんだな。
今日は、わからないまま。
ただ、大事にしてねとだけ、思う。
想像力
りん子的独り言(生意気)
前エントリーに対するパイパン大好きさんのコメントとにこねこさんの『とげぬきブログ』の『Sの覚悟』を拝見して、また考えてみました。
いつものことですが。
わたしはどうしても客観的な意見が言えないと思います。
『依存故に不幸な関係から逃れられない女性』寄りの意見になってしまうことをお許しください。
その関係で幸福を感じている方を指しているものではありません。
>特に刺青については抵抗があります。
>若い張りのある綺麗な女性の肌であれば映えて綺麗だと思います。
>しかし 何時までも若いわけではないし、そのうちに体(肌)は衰えることは避けられないし・・・、
パイパン大好きさんがコメントの中でおっしゃっていました。
パイパン大好きさんは、後々のことを想像されていますよね。
わたしがこれが大切だと思うことのです。
想像力です。
これをしたら相手の女性の今後の人生にどれほどの支障をきたすことになるのかという、とても単純な想像。
また、その時点では『一生飼う』と思っているかもしれないけど、『一生』とか『絶対』なんてそうそう口にできるものじゃない、人生は何が起こるかわからないという普通の想像力。
想像力の欠如。
単純に想像したら、責任重大で自分以外の女性の生活に支障をきたすような痕を簡単には残せないんじゃないかと思うのです。
だから、できてしまうのは想像力が欠けているのだろうと思うのです。
そう思っていたら、にこねこさんがとても興味深い見解を示されていて、目から鱗でした。
にこねこさんは。
別れても、捨てても、する側自身は忘れてしまうかもしれないけど、その消えない痕によっていやが上にも後々まで影響していたい。
そういう嗜好があるんじゃないかとおっしゃっていました。
その客観的なご意見に、目から鱗だったのです。
もしそれが嗜好としてあるなら、痕を残すことになんのためらいもないでしょう。
これは、ある意味立派な想像力ですよね。
後々の影響力まで想像していることになる。
ただ、その想像は、わたしが思う想像とベクトルが違う。
このベクトルには驚きました。
ということは、される側はこの人は、どういう想像をしているのか、どの程度想像しているのかを見極めないといけないと思って、にこねこさんの記事にコメントを残しました。
で、ここからは、『わたしのような女性』をえこひいきしたお話です。
わたしのような女性って、定義があるわけじゃないけど。
自己肯定感が持てず、なにかに依存していないと不安な女性。
依存先を失う不安から理不尽な関係を断ち切れない女性。
依存体質とでもいいましょうか。
そんな女性にえこひいき(笑)
『SM』と『ご主人様と奴隷』は違うと思っています。
SM=加虐嗜好と被虐嗜好。
ご主人様と奴隷は、架空の上下関係かな。
で、奴隷願望も、奴隷嗜好と依存願望と区別できると思ってます。
誰かに従いたいと思う気持ちの根っこが。
理不尽な関係がいいと思う奴隷嗜好と、『わたしのような女』の依存願望故の従いたいという気持ち。
まあ、これらは、複雑に絡まりあったり、どれかが強かったり、単独で存在したりといろいろで、どれ!!とはっきり分けられるものではないでしょけど。
ということは、する側も分けられる。
Sは加虐嗜好。(だから、上下関係ないよね)
ご主人様にも、理不尽な要求をしたい主と、依存先になって掌に乗せていたいような嗜好(ああ、那智さんこれタイプなので、ちょっと美化した表現になっちゃう^^;)。
わたしが『薬指に刺青』で取り上げたのは。
厳密にいうと『S』に対してじゃなくて、『ご主人様』にあたる人への疑問だったのだ。
わたしは、ずっと被虐嗜好と奴隷願望(依存願望)があった。
それを一括りにして『M』だと思っていた。
嗜好と願望を叶えたくて、S男性を探した。
はじめてSMをしたとき。
拘束された手が痺れて、どんどん感覚が麻痺していき、怖くてしかたなかったけど(その後一週間痺れていた)、どうしても『やめて』と言えなかった。
奴隷は拒否してはいけないというあり得ない上下関係が存在しているようで、依存願望と混同していた奴隷願望が『やめて』と言わせてくれなかったのです。
加えて、自己肯定できないわたしには、その人を拒否することはわたしも受け入れてもらえないのではないかと恐れていたのですね。
そして、こういう女性は、望まれるのが嬉しいのですよね。
だから、手が麻痺してきても、なにも言えなかった。
漫然とした『拒否しちゃいけない』という空気が、依存が故に拒否できない状況に拍車をかけていたと思う。
でも、拒否しないといけないときもある。
本当のことを言えば、わたしは刺青に淡い憧れを抱いている。
それは、従属願望と被虐嗜好から来るものだろうと想像している。
だから、強い吸引力で依存先が望めば、消えない痕を入れてしまいそうな危うさも感じている。
だからこそ、冷静でいたい。
自分には、『奴隷』?『依存』?『従属』?どんな願望があるのか理解して、そして、できるだけそれに蓋をして、フラットな目で判断するのだ。
それを判断する基準は『わたしを大事にできているか』だと、わたしは思う。
そして、その目をする側にも向けるの。
後の人生に支障をきたすようななにかをしようとしたとき(刺青やピアスや拡張など?)。
その人が。
単に想像力が欠如した人だとしたら、こちらから願い下げ。
別れた後まで影響していたいという嗜好の持ち主なのか。
そういう嗜好の人に、痕を残されてもかまわないのか。
わたしなら、いやだ。
それとも、『わたしを大事にしたい』という基本に立って考えてくれている人なのか。
わたし自身も想像力をフル回転させて、依存先を失うことを恐れずに、これからの自分を思い描きたい。
にこねこさんが記事内で『ナインハーフ』のセリフを使って影響力について書かれていた。(すみません、引用させてください)
『私の大好きな「ナインハーフ(原作)」の最後で、女が「自分の(快楽の)サーモスタットは沸点を越えて壊れてしまい、もう(他の相手とのセックスでは) ぬるま湯以上の温度を感じられない」というような独白をしているのだけど、そういう「影響力」をSは楽しむんじゃないかと。
女は別に「彼」のところに戻りたいと思っているわけではないのに、体が「彼」から逃れられてはいない。私がS男だったら、別れた女がそんな風に感じてしまってるのってすごく楽しいだろうと思うなぁ。』
こういう感覚を、痕を残す行為で感じようとする側は思うのかもしれないと、おっしゃっていました。
同じ後々まで影響力を楽しむなら。
目に見えない『快感』という痕を残してほしいと思う。
目に見えないものでいつまでも影響力を保たせるには、相当な手間と力量が必要だから、そして、快感には心の交流が必要なのは大前提だから。
そちらのほうが、ずっとかっこいい。
その手間と力のある人なら、そこではじめて目に見えるものへの憧れを抱いてもいいのかなとも思う。
わたしは、刺青に淡い憧れをいだいている。
那智さんもそれを知っている。
だけど、薬指に入れた以降は、ゆっくりと歩んでいる感じだ。
わたしのような女には、そのほうがありがたいと思うのです。
怖がりのわたしも、淡い憧れからなかなか発展しないしね^^;
結局いつもの理解が難しい『りん子的独り言』になっちゃった!!
まとまった文章が書ける人がうらやましい。
ほんと考えたことを文章にするのって、難しいです;;
学生時代よりもずっと脳みそを使っている気がします。
次回はくだらないので息抜きします(笑)
タイトルは『ライバルはクラリス(仮名)』♪
前エントリーに対するパイパン大好きさんのコメントとにこねこさんの『とげぬきブログ』の『Sの覚悟』を拝見して、また考えてみました。
いつものことですが。
わたしはどうしても客観的な意見が言えないと思います。
『依存故に不幸な関係から逃れられない女性』寄りの意見になってしまうことをお許しください。
その関係で幸福を感じている方を指しているものではありません。
>特に刺青については抵抗があります。
>若い張りのある綺麗な女性の肌であれば映えて綺麗だと思います。
>しかし 何時までも若いわけではないし、そのうちに体(肌)は衰えることは避けられないし・・・、
パイパン大好きさんがコメントの中でおっしゃっていました。
パイパン大好きさんは、後々のことを想像されていますよね。
わたしがこれが大切だと思うことのです。
想像力です。
これをしたら相手の女性の今後の人生にどれほどの支障をきたすことになるのかという、とても単純な想像。
また、その時点では『一生飼う』と思っているかもしれないけど、『一生』とか『絶対』なんてそうそう口にできるものじゃない、人生は何が起こるかわからないという普通の想像力。
想像力の欠如。
単純に想像したら、責任重大で自分以外の女性の生活に支障をきたすような痕を簡単には残せないんじゃないかと思うのです。
だから、できてしまうのは想像力が欠けているのだろうと思うのです。
そう思っていたら、にこねこさんがとても興味深い見解を示されていて、目から鱗でした。
にこねこさんは。
別れても、捨てても、する側自身は忘れてしまうかもしれないけど、その消えない痕によっていやが上にも後々まで影響していたい。
そういう嗜好があるんじゃないかとおっしゃっていました。
その客観的なご意見に、目から鱗だったのです。
もしそれが嗜好としてあるなら、痕を残すことになんのためらいもないでしょう。
これは、ある意味立派な想像力ですよね。
後々の影響力まで想像していることになる。
ただ、その想像は、わたしが思う想像とベクトルが違う。
このベクトルには驚きました。
ということは、される側はこの人は、どういう想像をしているのか、どの程度想像しているのかを見極めないといけないと思って、にこねこさんの記事にコメントを残しました。
で、ここからは、『わたしのような女性』をえこひいきしたお話です。
わたしのような女性って、定義があるわけじゃないけど。
自己肯定感が持てず、なにかに依存していないと不安な女性。
依存先を失う不安から理不尽な関係を断ち切れない女性。
依存体質とでもいいましょうか。
そんな女性にえこひいき(笑)
『SM』と『ご主人様と奴隷』は違うと思っています。
SM=加虐嗜好と被虐嗜好。
ご主人様と奴隷は、架空の上下関係かな。
で、奴隷願望も、奴隷嗜好と依存願望と区別できると思ってます。
誰かに従いたいと思う気持ちの根っこが。
理不尽な関係がいいと思う奴隷嗜好と、『わたしのような女』の依存願望故の従いたいという気持ち。
まあ、これらは、複雑に絡まりあったり、どれかが強かったり、単独で存在したりといろいろで、どれ!!とはっきり分けられるものではないでしょけど。
ということは、する側も分けられる。
Sは加虐嗜好。(だから、上下関係ないよね)
ご主人様にも、理不尽な要求をしたい主と、依存先になって掌に乗せていたいような嗜好(ああ、那智さんこれタイプなので、ちょっと美化した表現になっちゃう^^;)。
わたしが『薬指に刺青』で取り上げたのは。
厳密にいうと『S』に対してじゃなくて、『ご主人様』にあたる人への疑問だったのだ。
わたしは、ずっと被虐嗜好と奴隷願望(依存願望)があった。
それを一括りにして『M』だと思っていた。
嗜好と願望を叶えたくて、S男性を探した。
はじめてSMをしたとき。
拘束された手が痺れて、どんどん感覚が麻痺していき、怖くてしかたなかったけど(その後一週間痺れていた)、どうしても『やめて』と言えなかった。
奴隷は拒否してはいけないというあり得ない上下関係が存在しているようで、依存願望と混同していた奴隷願望が『やめて』と言わせてくれなかったのです。
加えて、自己肯定できないわたしには、その人を拒否することはわたしも受け入れてもらえないのではないかと恐れていたのですね。
そして、こういう女性は、望まれるのが嬉しいのですよね。
だから、手が麻痺してきても、なにも言えなかった。
漫然とした『拒否しちゃいけない』という空気が、依存が故に拒否できない状況に拍車をかけていたと思う。
でも、拒否しないといけないときもある。
本当のことを言えば、わたしは刺青に淡い憧れを抱いている。
それは、従属願望と被虐嗜好から来るものだろうと想像している。
だから、強い吸引力で依存先が望めば、消えない痕を入れてしまいそうな危うさも感じている。
だからこそ、冷静でいたい。
自分には、『奴隷』?『依存』?『従属』?どんな願望があるのか理解して、そして、できるだけそれに蓋をして、フラットな目で判断するのだ。
それを判断する基準は『わたしを大事にできているか』だと、わたしは思う。
そして、その目をする側にも向けるの。
後の人生に支障をきたすようななにかをしようとしたとき(刺青やピアスや拡張など?)。
その人が。
単に想像力が欠如した人だとしたら、こちらから願い下げ。
別れた後まで影響していたいという嗜好の持ち主なのか。
そういう嗜好の人に、痕を残されてもかまわないのか。
わたしなら、いやだ。
それとも、『わたしを大事にしたい』という基本に立って考えてくれている人なのか。
わたし自身も想像力をフル回転させて、依存先を失うことを恐れずに、これからの自分を思い描きたい。
にこねこさんが記事内で『ナインハーフ』のセリフを使って影響力について書かれていた。(すみません、引用させてください)
『私の大好きな「ナインハーフ(原作)」の最後で、女が「自分の(快楽の)サーモスタットは沸点を越えて壊れてしまい、もう(他の相手とのセックスでは) ぬるま湯以上の温度を感じられない」というような独白をしているのだけど、そういう「影響力」をSは楽しむんじゃないかと。
女は別に「彼」のところに戻りたいと思っているわけではないのに、体が「彼」から逃れられてはいない。私がS男だったら、別れた女がそんな風に感じてしまってるのってすごく楽しいだろうと思うなぁ。』
こういう感覚を、痕を残す行為で感じようとする側は思うのかもしれないと、おっしゃっていました。
同じ後々まで影響力を楽しむなら。
目に見えない『快感』という痕を残してほしいと思う。
目に見えないものでいつまでも影響力を保たせるには、相当な手間と力量が必要だから、そして、快感には心の交流が必要なのは大前提だから。
そちらのほうが、ずっとかっこいい。
その手間と力のある人なら、そこではじめて目に見えるものへの憧れを抱いてもいいのかなとも思う。
わたしは、刺青に淡い憧れをいだいている。
那智さんもそれを知っている。
だけど、薬指に入れた以降は、ゆっくりと歩んでいる感じだ。
わたしのような女には、そのほうがありがたいと思うのです。
怖がりのわたしも、淡い憧れからなかなか発展しないしね^^;
結局いつもの理解が難しい『りん子的独り言』になっちゃった!!
まとまった文章が書ける人がうらやましい。
ほんと考えたことを文章にするのって、難しいです;;
学生時代よりもずっと脳みそを使っている気がします。
次回はくだらないので息抜きします(笑)
タイトルは『ライバルはクラリス(仮名)』♪
まとまりました^^;
りん子的独り言(生意気)
2回連続で結論の出ないようなエントリーをぐるぐると書きました。
たくさんの方がコメントや記事やメールで応えてくださって、とても参考になりましたし、感謝の気持ちでいっぱいです。
普通の恋人同士が「記念に入れようね」とピアスやタトゥを入れるのならまったくかまわないし(わたし自身はためらうけど)。
奴隷という立場に身を置くことで性癖を満たし、心の平穏を得られている方が、双方納得の上で印を残されることも、あり得ることだと思っています。
わたしは。
恋心か依存心か自己肯定感のなさからか、奴隷という立場を与えられ、不本意ながら、不安を感じながら、それに従っているような女性に。
奴隷だから、拒否できないとか従わなきゃいけないなんて思うことない。
違う立場で依存させてもらえたり、自己肯定できる関係もあるはず。
だから、自分を大事にしてね、簡単に(これは主観でしか計れないけど)印を残そうとする人を疑うべきじゃないか。
というようなことが言いたかったのですね。
みなさんのご意見を聞かせていただいて、こういうことだなぁとまとめられました!!
と、たった数行で済むことでした^^;
たくさんお付き合いくださいまして、ありがとうございました〜。
と一応総括して(?)、『ライバルはクラリス』へ、今日は連続アップいたします♪
2回連続で結論の出ないようなエントリーをぐるぐると書きました。
たくさんの方がコメントや記事やメールで応えてくださって、とても参考になりましたし、感謝の気持ちでいっぱいです。
普通の恋人同士が「記念に入れようね」とピアスやタトゥを入れるのならまったくかまわないし(わたし自身はためらうけど)。
奴隷という立場に身を置くことで性癖を満たし、心の平穏を得られている方が、双方納得の上で印を残されることも、あり得ることだと思っています。
わたしは。
恋心か依存心か自己肯定感のなさからか、奴隷という立場を与えられ、不本意ながら、不安を感じながら、それに従っているような女性に。
奴隷だから、拒否できないとか従わなきゃいけないなんて思うことない。
違う立場で依存させてもらえたり、自己肯定できる関係もあるはず。
だから、自分を大事にしてね、簡単に(これは主観でしか計れないけど)印を残そうとする人を疑うべきじゃないか。
というようなことが言いたかったのですね。
みなさんのご意見を聞かせていただいて、こういうことだなぁとまとめられました!!
と、たった数行で済むことでした^^;
たくさんお付き合いくださいまして、ありがとうございました〜。
と一応総括して(?)、『ライバルはクラリス』へ、今日は連続アップいたします♪