依存体質の落とし穴
りん子的独り言(生意気)
開き直るのもどうかと思うけど、わたしは『依存体質』だ。
生きていく指針のようなものから日々の『かまって、かまって』まで那智さんによりかかっていたいと思っている。
あまりほめられたものではないけれど、基本的に那智さんにだけ発動しているし、那智さんも『依存OK』でいてくれるので、まあ、互いに嗜好が一致しているということでここの範囲内で完結してる限りお許しいただければとも思っています。
この依存体質は、かなり底なしの『かまってちゃん』。
かまってくれることがうれしいのは当然なんだけど、ただうれしいだけじゃなくて、時にはかまってもらうことに必死になってしまうところもあったりする。
内容うんぬんではなくて、かまい続けてほしい、電話を1秒でも長引かせたいと、そこに重点をおいてしまうような気持ち。
いま通信を終了したらあとは絶望、なんてちょっと大げさだけど、でもそれくらいに必死になってしまうこともある。
誰かによりかかり、自分をすっぽり包んでいてほしいのだ。
でも人間不思議なもので、とことん依存させてもらうと次第にひとりで立っていられるようになるもので、最近のわたしは、『那智さんのよいように』してもらうと幸せだし、かまってもらえるとうれしいけど、あの必死な感じはなくなってきている。
かじりつくような必死な依存ではなく、こちらのほうが好きで快適という感じです。
先日那智さんからちょっと不道徳な話題を振られた。
『○○してみる?(笑)』と。
文字でのやり取りだった。
当然例外はあるけれど、メールやチャットなどの文字のやり取りの場合、キャッチボールのおしまいは基本的に那智さんに委ねている。
これは付き合い当初からずっと意識していることなんだけど『那智さんの投げかけには応える』従者的発想と『おしまい』を委ねる従者的幸福感と、依存体質からくるかまっていてほしい欲がそうさせている。
このときも、お仕事の合間のひと息入れているときだったのだよね。
他愛ない会話でわたしをかまってくれていたんだ。
そんな中の不道徳な話題だったから那智さんも楽しい話題提供以外の気持ちはなかったと思うので、わたしも『できませんよ〜』などと気軽に拒否すると、おもしろがって今度は別なアプローチでその提案をしてきたりする(『○○したら気持ちいいかもよ〜』とか^^;)
提案は不道徳なことだからやりたくないのだけど、このかまってもらっている時間にほんのすこし『必死』になりそうな自分に気づく。
そうそう、この『必死』な感じ。
一瞬、かまってくれる時間をすこしでも引き延ばすために不本意な提案を受け入れてしまう自分を想像してしまった。
那智さんに出会う前の根っこがないグラグラなときに、なにかにしがみつきたくてもがいていた感覚を思い出して、わずかに心がチクッとした。
ああ、危険だなって思う。
わたしのような『依存体質』はそれが本意かどうか関係なく、つながっていることに重点を置いてしまうところがある。
本当はそんなことしたくないのにおしまいになることが怖いから。
本当はぜんぜんうれしくないのに受け入れていれば、おしまいにならないから。
つながっていることに重点を置いて必死になってしまうと自分の『本心』が見えなくなってしまう。
この状態は危険だなと、あらためてかつてのわたしを思い出した。
たぶん。
危険なのは『不本意なこと受け入れる』のではなくて、自分の本心を見なくなることなんじゃないかなって思うのです。
たとえば、不本意なことを受け入れるときも『つながっていたいから、受け入れる』と自覚できていれば、その人の第一目的は『つながっている』ことになるよね。
それならば行為は不本意でも第一目的が叶っているわけだから、それがあなたの本意になるわけだ。
かつて、わたしが『ご主人様』に『お前はバカだ』といわれながらも必死に電話をかけ続けたのは、画像しか撮らない調教なのに必死に会いにいったのは、自分の本心が見えずに不本意なことを受け入れることで依存していられる(と思っている)状態を引き延ばせると思っていたから。
もしかして、これが不本意だと自覚していて、それでも依存っぽ状態を味わっているとわかってやっていたら、後々に残る傷や怒りが違っていたかもしれない。
わたしのような依存体質は、依存するためならけっこういろいろやっちゃえるのだ。
自分はそういう女だと自覚することがとても大事だよねって、那智さんとの会話を引き延ばそうと一瞬思ったことで、あらためて感じた。
<関連エントリー>
依存体質
『徒然に『M女の快感』』
不本意なくせに必死につながろうとしていたとき
『2回目の旅 1 2』
今朝の等式感想です。
私はりん子の言っている事を十分理解できるのですが「文字通り」その時のつながっている時間を長くしたいと思っている「部分」があるのです。(笑)
まあ、普通の話なのですが、1番好きな話題は付き合い最初、私がいかにりん子に夢中になっていたかの話。
第2位はりん子を「偉いね~」と褒める話。
第3位は「そうだね~」と共有、共感する話。だと思います。
でも、これらの言葉は基本的には本心からしか言いません。例外は私がご機嫌を良くしてあげたいなと気まぐれに思い、りん子のご機嫌が普通以上の時にやります。
テンションや機嫌がよくない時にそれをすると、「ご機嫌取り」になるのでしません。まあ、おふざけモード時の例外はありますが・・・・。(笑)
面白そうなので追記です。どなたか、りん子に初期の頃、私がいかにりん子に夢中になったかを何気なく聞いてみてください。すると、きっと、嬉しさと、恥ずかしさを隠す為に、表面上はまじめな顔で心の中は最大級ご機嫌と言う「顔」を見ることが出来るはずです。今日から3が月は禁忌ですけれども。(笑
りん子(^-^)那智さん、おはようございます(^-^)たしかに、出会った当初の那智さん話は何杯でもいけます(笑)でも、同じ振り方だと「つまらない」と付き合ってもらえないので、いろいろな切り口からアプローチしていきます。おいしい思いをするには、こちらの努力も必要なのです(笑)
りん子(^-^)ご機嫌取りになるからテンションが低いときには、あえてご機嫌になる話題はしないって、とても那智さんらしい(^-^)ということは、わたしはいつもご機嫌でいたほうが、うれしい話題になる可能性が高くなるわけだ。これは、良い循環が生まれますよね~。
開き直るのもどうかと思うけど、わたしは『依存体質』だ。
生きていく指針のようなものから日々の『かまって、かまって』まで那智さんによりかかっていたいと思っている。
あまりほめられたものではないけれど、基本的に那智さんにだけ発動しているし、那智さんも『依存OK』でいてくれるので、まあ、互いに嗜好が一致しているということでここの範囲内で完結してる限りお許しいただければとも思っています。
この依存体質は、かなり底なしの『かまってちゃん』。
かまってくれることがうれしいのは当然なんだけど、ただうれしいだけじゃなくて、時にはかまってもらうことに必死になってしまうところもあったりする。
内容うんぬんではなくて、かまい続けてほしい、電話を1秒でも長引かせたいと、そこに重点をおいてしまうような気持ち。
いま通信を終了したらあとは絶望、なんてちょっと大げさだけど、でもそれくらいに必死になってしまうこともある。
誰かによりかかり、自分をすっぽり包んでいてほしいのだ。
でも人間不思議なもので、とことん依存させてもらうと次第にひとりで立っていられるようになるもので、最近のわたしは、『那智さんのよいように』してもらうと幸せだし、かまってもらえるとうれしいけど、あの必死な感じはなくなってきている。
かじりつくような必死な依存ではなく、こちらのほうが好きで快適という感じです。
先日那智さんからちょっと不道徳な話題を振られた。
『○○してみる?(笑)』と。
文字でのやり取りだった。
当然例外はあるけれど、メールやチャットなどの文字のやり取りの場合、キャッチボールのおしまいは基本的に那智さんに委ねている。
これは付き合い当初からずっと意識していることなんだけど『那智さんの投げかけには応える』従者的発想と『おしまい』を委ねる従者的幸福感と、依存体質からくるかまっていてほしい欲がそうさせている。
このときも、お仕事の合間のひと息入れているときだったのだよね。
他愛ない会話でわたしをかまってくれていたんだ。
そんな中の不道徳な話題だったから那智さんも楽しい話題提供以外の気持ちはなかったと思うので、わたしも『できませんよ〜』などと気軽に拒否すると、おもしろがって今度は別なアプローチでその提案をしてきたりする(『○○したら気持ちいいかもよ〜』とか^^;)
提案は不道徳なことだからやりたくないのだけど、このかまってもらっている時間にほんのすこし『必死』になりそうな自分に気づく。
そうそう、この『必死』な感じ。
一瞬、かまってくれる時間をすこしでも引き延ばすために不本意な提案を受け入れてしまう自分を想像してしまった。
那智さんに出会う前の根っこがないグラグラなときに、なにかにしがみつきたくてもがいていた感覚を思い出して、わずかに心がチクッとした。
ああ、危険だなって思う。
わたしのような『依存体質』はそれが本意かどうか関係なく、つながっていることに重点を置いてしまうところがある。
本当はそんなことしたくないのにおしまいになることが怖いから。
本当はぜんぜんうれしくないのに受け入れていれば、おしまいにならないから。
つながっていることに重点を置いて必死になってしまうと自分の『本心』が見えなくなってしまう。
この状態は危険だなと、あらためてかつてのわたしを思い出した。
たぶん。
危険なのは『不本意なこと受け入れる』のではなくて、自分の本心を見なくなることなんじゃないかなって思うのです。
たとえば、不本意なことを受け入れるときも『つながっていたいから、受け入れる』と自覚できていれば、その人の第一目的は『つながっている』ことになるよね。
それならば行為は不本意でも第一目的が叶っているわけだから、それがあなたの本意になるわけだ。
かつて、わたしが『ご主人様』に『お前はバカだ』といわれながらも必死に電話をかけ続けたのは、画像しか撮らない調教なのに必死に会いにいったのは、自分の本心が見えずに不本意なことを受け入れることで依存していられる(と思っている)状態を引き延ばせると思っていたから。
もしかして、これが不本意だと自覚していて、それでも依存っぽ状態を味わっているとわかってやっていたら、後々に残る傷や怒りが違っていたかもしれない。
わたしのような依存体質は、依存するためならけっこういろいろやっちゃえるのだ。
自分はそういう女だと自覚することがとても大事だよねって、那智さんとの会話を引き延ばそうと一瞬思ったことで、あらためて感じた。
<関連エントリー>
依存体質
『徒然に『M女の快感』』
不本意なくせに必死につながろうとしていたとき
『2回目の旅 1 2』
今朝の等式感想です。
私はりん子の言っている事を十分理解できるのですが「文字通り」その時のつながっている時間を長くしたいと思っている「部分」があるのです。(笑)
まあ、普通の話なのですが、1番好きな話題は付き合い最初、私がいかにりん子に夢中になっていたかの話。
第2位はりん子を「偉いね~」と褒める話。
第3位は「そうだね~」と共有、共感する話。だと思います。
でも、これらの言葉は基本的には本心からしか言いません。例外は私がご機嫌を良くしてあげたいなと気まぐれに思い、りん子のご機嫌が普通以上の時にやります。
テンションや機嫌がよくない時にそれをすると、「ご機嫌取り」になるのでしません。まあ、おふざけモード時の例外はありますが・・・・。(笑)
面白そうなので追記です。どなたか、りん子に初期の頃、私がいかにりん子に夢中になったかを何気なく聞いてみてください。すると、きっと、嬉しさと、恥ずかしさを隠す為に、表面上はまじめな顔で心の中は最大級ご機嫌と言う「顔」を見ることが出来るはずです。今日から3が月は禁忌ですけれども。(笑
りん子(^-^)那智さん、おはようございます(^-^)たしかに、出会った当初の那智さん話は何杯でもいけます(笑)でも、同じ振り方だと「つまらない」と付き合ってもらえないので、いろいろな切り口からアプローチしていきます。おいしい思いをするには、こちらの努力も必要なのです(笑)
りん子(^-^)ご機嫌取りになるからテンションが低いときには、あえてご機嫌になる話題はしないって、とても那智さんらしい(^-^)ということは、わたしはいつもご機嫌でいたほうが、うれしい話題になる可能性が高くなるわけだ。これは、良い循環が生まれますよね~。
私的一般論『セックスレス』
りん子的独り言(生意気)
わたしという私的な経験と想像で一般論を書きます。
だから私的一般論。
偏った戯れ言と大きな心でお読みください〜^^
ちゃんと調べたわけじゃないけど、日本の夫婦におけるセックスレスの割合は多いのですよね。
そうだとして、今日はなぜセックスレスになるのかを考察してみます。
わたしはいままでセックスをする間柄の男性に対して、あるとき相手を好きなはずなのに急に『したくない』と拒否の気持ちが湧いてしまっていた。
一度その気持ちが湧いてしまうと、もう坂道を転げ落ちるようにあっという間にセックスすることが苦痛になり触れられることにさえ嫌悪感を抱くようになってしまう。
わたしの体に勝手に触るな。
俺がこの女を気持ちよくさせているなんて思うなと怒りに近い感情になる。
最初の結婚のときなどはハネムーンの途中ですでにそうなってしまっていた。
急激に冷めていくのはわたしの性格の問題点でもあるので、そこはちょっと横に置いておいて^^;
なぜ、それらの男性とはセックスをしたくなくのるのだろう。
そして、その当時の自分と比べて、なぜ那智さんとはほぼ9年経ってもそういう気持ちが微塵も起こらないのだろう。
そりゃあ、これだけ愛情をかけてもらって快感を与えてもらえば当然と言われてしまえばそれまでだけど^^;
那智さんと那智さん以前でハッキリと違うと言えることがあるんだ。
それは『尊敬』。
わたしは那智さんと出会うまで『尊敬』という感情を実感したことがなかった。
この人すごいな〜と思うことだってあったけど、どうしてもそれがイコール『尊敬』にはならなかったから、言葉の意味は理解しているけどその感情の体験をしたことがなかった。
人を見下していることを見抜かれ生きにくいわたしの手を引いてくれた、いつでも一定の機嫌を保ちどんなにぬるま湯に浸らせても増長することがない那智さんにはじめて『尊敬』という感情を持った。
これはかなり個人的な感覚なんだけど、この『尊敬』の有無はわたしにとって付き合いはもちろんセックスにも大きく関わっているようです。
もし仮に那智さんがSM欲がなくなったとしても『尊敬』している限りわたしは那智さんとセックスをしたいと思うでしょう。
那智さんと那智さん以前の違いから、セックスレスにならないためには『尊敬』する気持ちが重要だというのが、わたしの考え。
じゃあ、なぜセックスに『尊敬』が必要なんだろう?
それはセックスにおける男女の関係値が要因なんじゃないかと思う。
ここからが特に私事と一般論がごちゃまぜになってしまうのだけど。
セックスは基本的、特に現代日本におけるセックスは基本的に『男が能動、女は受動』ですよね。
行為の構図だけでなく、文化や風潮や認識や産業やもろもろ、どれも男が主体になって動き、男のためのもの。
もちろんずいぶん女性も主体になってきているとは思うけど、やっぱり女は男のセックスの付属品という立ち位置は根強く残っていると思う。
(わたしにとって)その立ち位置を成立させるためには『尊敬』が必要なのだと思うのです。
こちらの演技に気づかないような恋人や、マザコン気味の男に対して、ベッドインしたときだけ『受動で付属品』になることが難しいのではないかな。
大して尊敬していない男性にセックスのときだけ受け身にならざるを得ないこと、そして、そんな男に『俺が気持ちよくさせてやってる』なんて思われること、それらへの抵抗感がセックスを苦痛にしてしまう要因なのではないかなと思うのです。
バカにしている男の前で、たとえ演技だとしても『ああ〜ん』ってすることが苦痛なのですね。
尊敬している人だから受け身任せてしまえるし、あなたで気持ちよくなっていると素直にセックスを喜べるのではないだろうか。
ということで。
ものすごーーーく偏って乱暴な結論を言わせていただけきますよ!!
現代日本におけるセックスレスを回避したければ、男性の皆様には女に母性なんか求めず、尊敬に足る人であり続けていただくことが重要なのではないでしょうか。
それが無理なら、現代日本のセックスに対する文化や風潮や認識や産業を変えればいい。
先日読んだ本にはオーストラリアのアダルトビデオについて書いてあった。
10年前に発売された本なのでいまと事情は違うかもしれないけど。
オーストラリアのアダルトビデオには
女性がいやがっている描写はダメ
双方が楽しんでいないとダメ
(あともうひとつあったけど、忘れだ^^;)
という規制があるらしい、だからレイプシーンや痴漢物なんてないのだそうだ。
日本のセックスの文化や風潮や認識や産業が『男は能動、女は受動』『男が主体で女は付属品』ではなくなり新しいセックスの価値観ができれば『尊敬』うんぬんなんてこと気にしなくてもよくなるかもしれないね。
これがわたしのものすごく偏った私的一般論。
で、じゃあ、男ばっかり尊敬されなきゃいけなかったり文化を変えたり、男性ばかりに大変なことを押し付けてはいけませんよね。
女性にもするべきことはあるはずです。
それは、自分の尊敬ポイントを知っておくことだと思います。
例えば、男性が身だしなみを気にしたりしているけど誰もがそこがポイントではない場合もあるわけで、ポイントの多様性を世に知らせることじゃないかな。
わたしの場合は、それよりもっと『感情に上下がない』とか『先を見据えてくれている』とか『とことん話に付き合ってくれる』とかのほうがずっとずっと尊敬に値するのだから。
もっと自分の尊敬ポイントを知り、それをちゃんと声にすることで直接付き合っている男性に対しても、ひいては世間に対しても『尊敬ポイント』が多様化するわけで、その合致する率が高まると思うのです。
尊敬ポイントが合致していれば、体臭なんか大喜びのアイテムになるものね。
ということで、偏見たっぷりの私的一般論にお付き合いくださいましてありがとうございました〜^^
で、わたしは受動で主導権を握ってもらったセックスが好きなので那智さんにはこれからもずっとずっと尊敬させていただきたいなと思うのでした(笑)
今朝の「投資期」感想です。
私もレスなので興味深く読みました。言っていることは間違いないと思うのですが、多分もっと別の次元でも考えられるのだと思う。「行為」事態に価値を見いだせるか、抱いて・抱かれて気持ちよいかと抱きたい・抱かれたいを意思表示出来るかなのではないでしょうか。
りん子の言うのは理想でそうあればいいな~(笑)、私の言うのは自分の現実でこうあれば「頑張れる」ぞみたいな感じなのかな。本気で考えた事が無いのでまとまっていません、是非もう少し深めた考察をりん子にリクエストしたいと思います。(笑)おもしろかったです。
わたしという私的な経験と想像で一般論を書きます。
だから私的一般論。
偏った戯れ言と大きな心でお読みください〜^^
ちゃんと調べたわけじゃないけど、日本の夫婦におけるセックスレスの割合は多いのですよね。
そうだとして、今日はなぜセックスレスになるのかを考察してみます。
わたしはいままでセックスをする間柄の男性に対して、あるとき相手を好きなはずなのに急に『したくない』と拒否の気持ちが湧いてしまっていた。
一度その気持ちが湧いてしまうと、もう坂道を転げ落ちるようにあっという間にセックスすることが苦痛になり触れられることにさえ嫌悪感を抱くようになってしまう。
わたしの体に勝手に触るな。
俺がこの女を気持ちよくさせているなんて思うなと怒りに近い感情になる。
最初の結婚のときなどはハネムーンの途中ですでにそうなってしまっていた。
急激に冷めていくのはわたしの性格の問題点でもあるので、そこはちょっと横に置いておいて^^;
なぜ、それらの男性とはセックスをしたくなくのるのだろう。
そして、その当時の自分と比べて、なぜ那智さんとはほぼ9年経ってもそういう気持ちが微塵も起こらないのだろう。
そりゃあ、これだけ愛情をかけてもらって快感を与えてもらえば当然と言われてしまえばそれまでだけど^^;
那智さんと那智さん以前でハッキリと違うと言えることがあるんだ。
それは『尊敬』。
わたしは那智さんと出会うまで『尊敬』という感情を実感したことがなかった。
この人すごいな〜と思うことだってあったけど、どうしてもそれがイコール『尊敬』にはならなかったから、言葉の意味は理解しているけどその感情の体験をしたことがなかった。
人を見下していることを見抜かれ生きにくいわたしの手を引いてくれた、いつでも一定の機嫌を保ちどんなにぬるま湯に浸らせても増長することがない那智さんにはじめて『尊敬』という感情を持った。
これはかなり個人的な感覚なんだけど、この『尊敬』の有無はわたしにとって付き合いはもちろんセックスにも大きく関わっているようです。
もし仮に那智さんがSM欲がなくなったとしても『尊敬』している限りわたしは那智さんとセックスをしたいと思うでしょう。
那智さんと那智さん以前の違いから、セックスレスにならないためには『尊敬』する気持ちが重要だというのが、わたしの考え。
じゃあ、なぜセックスに『尊敬』が必要なんだろう?
それはセックスにおける男女の関係値が要因なんじゃないかと思う。
ここからが特に私事と一般論がごちゃまぜになってしまうのだけど。
セックスは基本的、特に現代日本におけるセックスは基本的に『男が能動、女は受動』ですよね。
行為の構図だけでなく、文化や風潮や認識や産業やもろもろ、どれも男が主体になって動き、男のためのもの。
もちろんずいぶん女性も主体になってきているとは思うけど、やっぱり女は男のセックスの付属品という立ち位置は根強く残っていると思う。
(わたしにとって)その立ち位置を成立させるためには『尊敬』が必要なのだと思うのです。
こちらの演技に気づかないような恋人や、マザコン気味の男に対して、ベッドインしたときだけ『受動で付属品』になることが難しいのではないかな。
大して尊敬していない男性にセックスのときだけ受け身にならざるを得ないこと、そして、そんな男に『俺が気持ちよくさせてやってる』なんて思われること、それらへの抵抗感がセックスを苦痛にしてしまう要因なのではないかなと思うのです。
バカにしている男の前で、たとえ演技だとしても『ああ〜ん』ってすることが苦痛なのですね。
尊敬している人だから受け身任せてしまえるし、あなたで気持ちよくなっていると素直にセックスを喜べるのではないだろうか。
ということで。
ものすごーーーく偏って乱暴な結論を言わせていただけきますよ!!
現代日本におけるセックスレスを回避したければ、男性の皆様には女に母性なんか求めず、尊敬に足る人であり続けていただくことが重要なのではないでしょうか。
それが無理なら、現代日本のセックスに対する文化や風潮や認識や産業を変えればいい。
先日読んだ本にはオーストラリアのアダルトビデオについて書いてあった。
10年前に発売された本なのでいまと事情は違うかもしれないけど。
オーストラリアのアダルトビデオには
女性がいやがっている描写はダメ
双方が楽しんでいないとダメ
(あともうひとつあったけど、忘れだ^^;)
という規制があるらしい、だからレイプシーンや痴漢物なんてないのだそうだ。
日本のセックスの文化や風潮や認識や産業が『男は能動、女は受動』『男が主体で女は付属品』ではなくなり新しいセックスの価値観ができれば『尊敬』うんぬんなんてこと気にしなくてもよくなるかもしれないね。
これがわたしのものすごく偏った私的一般論。
で、じゃあ、男ばっかり尊敬されなきゃいけなかったり文化を変えたり、男性ばかりに大変なことを押し付けてはいけませんよね。
女性にもするべきことはあるはずです。
それは、自分の尊敬ポイントを知っておくことだと思います。
例えば、男性が身だしなみを気にしたりしているけど誰もがそこがポイントではない場合もあるわけで、ポイントの多様性を世に知らせることじゃないかな。
わたしの場合は、それよりもっと『感情に上下がない』とか『先を見据えてくれている』とか『とことん話に付き合ってくれる』とかのほうがずっとずっと尊敬に値するのだから。
もっと自分の尊敬ポイントを知り、それをちゃんと声にすることで直接付き合っている男性に対しても、ひいては世間に対しても『尊敬ポイント』が多様化するわけで、その合致する率が高まると思うのです。
尊敬ポイントが合致していれば、体臭なんか大喜びのアイテムになるものね。
ということで、偏見たっぷりの私的一般論にお付き合いくださいましてありがとうございました〜^^
で、わたしは受動で主導権を握ってもらったセックスが好きなので那智さんにはこれからもずっとずっと尊敬させていただきたいなと思うのでした(笑)
今朝の「投資期」感想です。
私もレスなので興味深く読みました。言っていることは間違いないと思うのですが、多分もっと別の次元でも考えられるのだと思う。「行為」事態に価値を見いだせるか、抱いて・抱かれて気持ちよいかと抱きたい・抱かれたいを意思表示出来るかなのではないでしょうか。
りん子の言うのは理想でそうあればいいな~(笑)、私の言うのは自分の現実でこうあれば「頑張れる」ぞみたいな感じなのかな。本気で考えた事が無いのでまとまっていません、是非もう少し深めた考察をりん子にリクエストしたいと思います。(笑)おもしろかったです。
カッコいいのは?
独り言
年末恒例(?)のディナー。
オニオングラタンスープがおいしいレストラン。
メイクもお洋服もいつもよりちょっと気合いを入れる(笑)
今年はレストランが貸し切りで使えなかったから、隣りにあるバーでお食事とお酒を楽しむことに。
間接照明の仄かな灯りがちょっぴり贅沢な気分にさせてくれるバー、わたしは奥の壁にそったゆったりしたベンチシート、那智さんは入り口を背にしたさらにゆったりしたソファ。
ほとんど迷わずこの配置に腰かけ、最初の飲み物をオーダーしてからふと那智さんがいう。
こういう場合、どっちが上座だと思う?
ええっと、普通は入り口が見える奥が上座ですよね?
そうなんだけど、俺の席のほうが良いと思わない?(笑)
たしかに、那智さんのソファのほうが座り心地よさそうだし、那智さんの角度だと大きな窓から夜景も見える。
ビジネスマナーなんて考えなければ那智さんの位置のほうが良いかもしれない。
だから、那智さんとしてはレディファーストでわたしを奥に座らせるか、条件のよいほうにするか一瞬迷ったそうだ。
なるほど、なんでも決まり通りというものでもないのかもしれませんね。
乾杯をして、またすぐ、今度は那智さん『あれ〜?』とカバンを確認している。
火を忘れてしまったらしい。
わたし下のコンビにで買ってきましょうか?
なんといってもわたしは犬気質、那智さんのお役に立てることがうれしくてしょうがない。
ううん、いいよ、ライターかマッチあるか聞いてみる
まあ、バーだし、火くらいは置いてあるよね。
そういって気軽にスタッフにお願いしたら、どうやらバーとしては置いていないそうで『私物なので』と後で返却をお願いされて貸していただいた。
このホテルは、たしかに一流ホテルではなく上級のビジネスホテルといったランクのホテルなので火の用意がないのかなぁ、まあ、それでもなんとか用意してくれたことに恐縮しながら拝借した。
でも、私物だとわかったうえでずっと借りたままなのもちょっと気が引けるのは、なんとなくふたりして共通の感覚だったので、再度、買いに行くことを申し出る。
なんてったてわたしは犬気質、那智さんのお役に立ちたくてしょうがない。
わたしに用事を言いつけて〜とうずうずしているのだもの。
那智さん、わたし買ってきますよ?(うずうず)
いいよ、俺が行くよ
だって、わたし買いに行きたいんですよ(笑)
はいはい、わかってるけどね
…どっちがカッコいいと思う?(笑)
女に買いに行かせるのと、買いに行かせないのと、ですか?
そう
あはは、おもしろいことを話題になさる!!
ホテルのバーで着飾った女に買いに行かせるのと、着飾った女をきちんとエスコートする意味で自分が動く。
関白宣言とレディファーストだね^^
男性目線で想像すれば、女に買いに行かせるほうがカッコいいのではないかと思うのですが、那智さん曰く、それはTPOよるんじゃない?ということなのです。
たとえば、自宅に同僚を呼んで宴会をしているところでタバコを切らしてしまったから自分は残って女に買いに行かせるのとはシチュエーションが違うよね。
ホテルのバーでおしゃれした女と連れ立っているのだとしたら後者のほうがカッコいいんじゃないかなということだ。
でもって、若干天の邪鬼さんも入って、『後者がスマートなのはわかっているけど、あえて買いに行かせる』というのも面白い?とかなんとかも、きっと思っているはず。
そんないろいろを思いついての話題だったようだ。
結局、買いに行きたくてうずうずしているわたしは『じゃあ、先にトイレに立ったほうがついでに買いに行きませんか』と提案して、案の定、ビールを飲んでいるわたしが買いに行くことになって、那智さんにはエスコート役のカッコよさを味わわせてさしあげられませんでした。
でも、わたしの犬気質は満足^^
さて、結論として、どちらがカッコよかったのでしょうね。
今朝の「等式」感想です。
①些細な楽しい出来事を記してくれるのが楽しく、嬉しい。
②「先に立った方が・・」の提案が気が利いている。(りん子は割とその辺、上手)③長椅子とシングルソファー楽なのは後者だと思うのだけれど、マナーは長椅子が上座、偉くない私にとっては嬉しい決まり事です。(笑)
年末恒例(?)のディナー。
オニオングラタンスープがおいしいレストラン。
メイクもお洋服もいつもよりちょっと気合いを入れる(笑)
今年はレストランが貸し切りで使えなかったから、隣りにあるバーでお食事とお酒を楽しむことに。
間接照明の仄かな灯りがちょっぴり贅沢な気分にさせてくれるバー、わたしは奥の壁にそったゆったりしたベンチシート、那智さんは入り口を背にしたさらにゆったりしたソファ。
ほとんど迷わずこの配置に腰かけ、最初の飲み物をオーダーしてからふと那智さんがいう。
こういう場合、どっちが上座だと思う?
ええっと、普通は入り口が見える奥が上座ですよね?
そうなんだけど、俺の席のほうが良いと思わない?(笑)
たしかに、那智さんのソファのほうが座り心地よさそうだし、那智さんの角度だと大きな窓から夜景も見える。
ビジネスマナーなんて考えなければ那智さんの位置のほうが良いかもしれない。
だから、那智さんとしてはレディファーストでわたしを奥に座らせるか、条件のよいほうにするか一瞬迷ったそうだ。
なるほど、なんでも決まり通りというものでもないのかもしれませんね。
乾杯をして、またすぐ、今度は那智さん『あれ〜?』とカバンを確認している。
火を忘れてしまったらしい。
わたし下のコンビにで買ってきましょうか?
なんといってもわたしは犬気質、那智さんのお役に立てることがうれしくてしょうがない。
ううん、いいよ、ライターかマッチあるか聞いてみる
まあ、バーだし、火くらいは置いてあるよね。
そういって気軽にスタッフにお願いしたら、どうやらバーとしては置いていないそうで『私物なので』と後で返却をお願いされて貸していただいた。
このホテルは、たしかに一流ホテルではなく上級のビジネスホテルといったランクのホテルなので火の用意がないのかなぁ、まあ、それでもなんとか用意してくれたことに恐縮しながら拝借した。
でも、私物だとわかったうえでずっと借りたままなのもちょっと気が引けるのは、なんとなくふたりして共通の感覚だったので、再度、買いに行くことを申し出る。
なんてったてわたしは犬気質、那智さんのお役に立ちたくてしょうがない。
わたしに用事を言いつけて〜とうずうずしているのだもの。
那智さん、わたし買ってきますよ?(うずうず)
いいよ、俺が行くよ
だって、わたし買いに行きたいんですよ(笑)
はいはい、わかってるけどね
…どっちがカッコいいと思う?(笑)
女に買いに行かせるのと、買いに行かせないのと、ですか?
そう
あはは、おもしろいことを話題になさる!!
ホテルのバーで着飾った女に買いに行かせるのと、着飾った女をきちんとエスコートする意味で自分が動く。
関白宣言とレディファーストだね^^
男性目線で想像すれば、女に買いに行かせるほうがカッコいいのではないかと思うのですが、那智さん曰く、それはTPOよるんじゃない?ということなのです。
たとえば、自宅に同僚を呼んで宴会をしているところでタバコを切らしてしまったから自分は残って女に買いに行かせるのとはシチュエーションが違うよね。
ホテルのバーでおしゃれした女と連れ立っているのだとしたら後者のほうがカッコいいんじゃないかなということだ。
でもって、若干天の邪鬼さんも入って、『後者がスマートなのはわかっているけど、あえて買いに行かせる』というのも面白い?とかなんとかも、きっと思っているはず。
そんないろいろを思いついての話題だったようだ。
結局、買いに行きたくてうずうずしているわたしは『じゃあ、先にトイレに立ったほうがついでに買いに行きませんか』と提案して、案の定、ビールを飲んでいるわたしが買いに行くことになって、那智さんにはエスコート役のカッコよさを味わわせてさしあげられませんでした。
でも、わたしの犬気質は満足^^
さて、結論として、どちらがカッコよかったのでしょうね。
今朝の「等式」感想です。
①些細な楽しい出来事を記してくれるのが楽しく、嬉しい。
②「先に立った方が・・」の提案が気が利いている。(りん子は割とその辺、上手)③長椅子とシングルソファー楽なのは後者だと思うのだけれど、マナーは長椅子が上座、偉くない私にとっては嬉しい決まり事です。(笑)
私的一般論『セックスレス(男性バージョン)』
りん子的独り言(生意気)
女性側からのセックスレスのお話を書きました。
(『私的一般論『セックスレス』』)
相手の男性に対して『尊敬』があればしたいと思い続けるでしょうし、『尊敬』がなくても成立させたいならセックスは男性主体ではないという文化や産業になればいいのでは?
という、かなり極端な持論を私的一般論という都合の良い前提にして展開しました。
じゃあ、男性側からのセックスレスを回避するにはどうしたらいいのでしょう。
ということで、私的一般論『セックスレス(男性バージョン)』です^^
男性についてとなると、サンプルは那智さんひとり、しかも特別インタビューをしたわけではないので、もう想像でしかありません。
ついでに『私的一般論『セックスレス』』同様わたしのにわかフェミ目線の想像になりますので、またしても戯れ言程度にお読みくださいませ!!
那智さんはちょっぴり女性をバカだと思っているところがある。
もう少し軟化させると『バカな女が多い』ということだ。
さらに軟化させると『バカな女と付き合ってきた』になる(笑)
いやいや、男でもバカな人は山ほどいますよ、バカは男女関係ないでしょ?
那智さんの女選びが間違っているのではないですか?
この手の話題になると、わたしはいつもケンカ腰になってしまってなかなか議論が難しいのですが^^;
とにかく、那智さんの経験上、すぐ感情的になるのは女の方だし自分を客観視できないのも女らしい。
故に、話し合いにならないのだそうだ。
だから『バカな女が多い』ということらしい。
(しかし、共通の友達で「◯◯さんは?」と聞くと「頭いい」、「××さんは?」と聞けば、「話し通じる」というお答えをもらうので、やはり女選びが間違いなんだと思います^^)
その辺りの関連エントリーをおまけに^^
『素直に伝えるということ』
『白馬から降りた那智さん』
というと、とても酷いように聞こえるけど、おそらくある一定の年齢層の男性の多くは、この感情を持っていると思うのだ。
なぜなら、男は強く女はかわいく、『男の子は泣いちゃいけません』という価値観で育てられた男性の多くは、男が強で女は弱という刷り込みがされているはずで、これが強者が弱者を守り労るという理性を生むと同時に、弱い=劣っているという気持ちも生まれてしまうものだ。
那智さんなどは、むしろ『強者が弱者を守り労る』という感性のほうが強いはずなので、ただ単にエラそうにしている男性よりは、まだましなほうだと思うほどです^^
まあ、男の子は泣いちゃいけませんという十字架を『女は劣っている』という感覚を持つことでなんとか背負ってきたのだろうな〜とも思うので、男の子もよく頑張ったねとも思うけど。
ちょっと横道に逸れてしまった、戻そう(笑)
要は、実際付き合った女性のことを守らねばと思う一方で、なかなか話し合いにならない経験を繰り返しているゆえに『バカにしてしまっていた』のだそうだ。
その女性たちとのセックスに那智さんは飽きている。
自分の置かれた状況の中で全力で楽しむために最善を尽くす那智さんのことだから、いろいろ飽きないように試みていたと思うのだけど、それでも数ヶ月すると如何ともし難い飽きが来てしまうそうだ。
好ましいと思っている女性に対して、セックスする気持ちが萎えていくのはきっと那智さん自身も寂しいことだったんじゃないかな。
そんな那智さんがいまのところわたしでは飽きていない。
それにはいろいろな要因がある。
那智さんの年齢や体の相性や愛着、那智さんはわたしの所作や羞恥心をなくさないところなどを上げると思うけど、わたしはその中でも『わたしをバカだと思っていない』ということも大きな要素なのではないかと思っているのです。
きっとね、それは『尊敬』。
那智さんはわたしのダメなところも知っているし、頼りきっていることも知っている。
だから、わたしのすべてが尊敬に値するということではないのだけど、『りん子のここにはかなわない』とか『りん子のここはすごい』と思うところはあるはずなんだ。
ひとりの人間として尊敬に値する部分を感じられることが、那智さんが飽きない要因なのではないかと思うのです。
セックスアピールが優れているとか抜群のプロポーションなんているのは短絡的にはセックスしたい気持ちを湧かせるとしても、じつは、長期に渡ってセックスをしたいと思う関係を保つには、男女とも相手を尊敬しているということが重要なのではないでしょうか。
そして、おそらく、わたしにとって那智さんの尊敬するポイントがあるように、那智さんのわたしを『すごい』と思うポイントもあるはずで、ということは、他の男性にも自分独自の『相手をすごいと認めるとはまる』ポイントがあると思うのです。
基本的な人格だったり、仕事の仕方だったり、知識量だったり、もしかしたら変態度合いだったり?(笑)
だから、男性も女性のどこに尊敬ポイントを求めるか個々に見つめてみたらいいのではないかな。
(こんな作業している男性、そんなにいないよね?)
尊敬に値する部分を持っていて、それによりひとりの人間として尊重し合えているもの同士であれば、慈しむようなセックスを続けられるのかなと思います。
もし、仮に性的な欲求が緩やかに減退していって直接的なセックスの機会は減っても、触れ合う心地よさを求めていたいと思うんじゃないかな。
ということで、男性からのセックスレスを解消するには、男性は女性を性の付属品だなんて思わずにひとりの人として尊重していかれればいいのではないでしょうか。
ひとりの人として尊重し慈しまれていたら、女はいつまでもその男性にとってセックスしたい女でい続けるような気がします^^(そこに女性も気づけるといいよね)
ふたりの間に質の良いセックスを育むことができて、それは長く続けたいと思うものなのではないでしょうか^^
『長期に渡り』セックスをしたいと思う関係を作るには、双方の『尊敬』が必要。
これが私的一般論『セックスレス(男性バージョン)』でした^^
だからね。
若ければいいとか新しければいいとか手軽なほうがいいという理由で女を選ぶようだと、そのうち飽きるセックスになっちゃうと思うのです。
そう考えると、女性に対して、エラそうな男性の言動を見ると、この男はあまり上質のセックスをしていないんじゃないかなぁ、と思ってしまうのは、わたしだけ?
(あ、セックスレスの話から逸れちゃったです^^;)
ついでに、那智さん世代ではない、いまどきの若者が草食系男子なんて言われていることも、派生して考えられそうなので、これはまたの機会に^^
女性側からのセックスレスのお話を書きました。
(『私的一般論『セックスレス』』)
相手の男性に対して『尊敬』があればしたいと思い続けるでしょうし、『尊敬』がなくても成立させたいならセックスは男性主体ではないという文化や産業になればいいのでは?
という、かなり極端な持論を私的一般論という都合の良い前提にして展開しました。
じゃあ、男性側からのセックスレスを回避するにはどうしたらいいのでしょう。
ということで、私的一般論『セックスレス(男性バージョン)』です^^
男性についてとなると、サンプルは那智さんひとり、しかも特別インタビューをしたわけではないので、もう想像でしかありません。
ついでに『私的一般論『セックスレス』』同様わたしのにわかフェミ目線の想像になりますので、またしても戯れ言程度にお読みくださいませ!!
那智さんはちょっぴり女性をバカだと思っているところがある。
もう少し軟化させると『バカな女が多い』ということだ。
さらに軟化させると『バカな女と付き合ってきた』になる(笑)
いやいや、男でもバカな人は山ほどいますよ、バカは男女関係ないでしょ?
那智さんの女選びが間違っているのではないですか?
この手の話題になると、わたしはいつもケンカ腰になってしまってなかなか議論が難しいのですが^^;
とにかく、那智さんの経験上、すぐ感情的になるのは女の方だし自分を客観視できないのも女らしい。
故に、話し合いにならないのだそうだ。
だから『バカな女が多い』ということらしい。
(しかし、共通の友達で「◯◯さんは?」と聞くと「頭いい」、「××さんは?」と聞けば、「話し通じる」というお答えをもらうので、やはり女選びが間違いなんだと思います^^)
その辺りの関連エントリーをおまけに^^
『素直に伝えるということ』
『白馬から降りた那智さん』
というと、とても酷いように聞こえるけど、おそらくある一定の年齢層の男性の多くは、この感情を持っていると思うのだ。
なぜなら、男は強く女はかわいく、『男の子は泣いちゃいけません』という価値観で育てられた男性の多くは、男が強で女は弱という刷り込みがされているはずで、これが強者が弱者を守り労るという理性を生むと同時に、弱い=劣っているという気持ちも生まれてしまうものだ。
那智さんなどは、むしろ『強者が弱者を守り労る』という感性のほうが強いはずなので、ただ単にエラそうにしている男性よりは、まだましなほうだと思うほどです^^
まあ、男の子は泣いちゃいけませんという十字架を『女は劣っている』という感覚を持つことでなんとか背負ってきたのだろうな〜とも思うので、男の子もよく頑張ったねとも思うけど。
ちょっと横道に逸れてしまった、戻そう(笑)
要は、実際付き合った女性のことを守らねばと思う一方で、なかなか話し合いにならない経験を繰り返しているゆえに『バカにしてしまっていた』のだそうだ。
その女性たちとのセックスに那智さんは飽きている。
自分の置かれた状況の中で全力で楽しむために最善を尽くす那智さんのことだから、いろいろ飽きないように試みていたと思うのだけど、それでも数ヶ月すると如何ともし難い飽きが来てしまうそうだ。
好ましいと思っている女性に対して、セックスする気持ちが萎えていくのはきっと那智さん自身も寂しいことだったんじゃないかな。
そんな那智さんがいまのところわたしでは飽きていない。
それにはいろいろな要因がある。
那智さんの年齢や体の相性や愛着、那智さんはわたしの所作や羞恥心をなくさないところなどを上げると思うけど、わたしはその中でも『わたしをバカだと思っていない』ということも大きな要素なのではないかと思っているのです。
きっとね、それは『尊敬』。
那智さんはわたしのダメなところも知っているし、頼りきっていることも知っている。
だから、わたしのすべてが尊敬に値するということではないのだけど、『りん子のここにはかなわない』とか『りん子のここはすごい』と思うところはあるはずなんだ。
ひとりの人間として尊敬に値する部分を感じられることが、那智さんが飽きない要因なのではないかと思うのです。
セックスアピールが優れているとか抜群のプロポーションなんているのは短絡的にはセックスしたい気持ちを湧かせるとしても、じつは、長期に渡ってセックスをしたいと思う関係を保つには、男女とも相手を尊敬しているということが重要なのではないでしょうか。
そして、おそらく、わたしにとって那智さんの尊敬するポイントがあるように、那智さんのわたしを『すごい』と思うポイントもあるはずで、ということは、他の男性にも自分独自の『相手をすごいと認めるとはまる』ポイントがあると思うのです。
基本的な人格だったり、仕事の仕方だったり、知識量だったり、もしかしたら変態度合いだったり?(笑)
だから、男性も女性のどこに尊敬ポイントを求めるか個々に見つめてみたらいいのではないかな。
(こんな作業している男性、そんなにいないよね?)
尊敬に値する部分を持っていて、それによりひとりの人間として尊重し合えているもの同士であれば、慈しむようなセックスを続けられるのかなと思います。
もし、仮に性的な欲求が緩やかに減退していって直接的なセックスの機会は減っても、触れ合う心地よさを求めていたいと思うんじゃないかな。
ということで、男性からのセックスレスを解消するには、男性は女性を性の付属品だなんて思わずにひとりの人として尊重していかれればいいのではないでしょうか。
ひとりの人として尊重し慈しまれていたら、女はいつまでもその男性にとってセックスしたい女でい続けるような気がします^^(そこに女性も気づけるといいよね)
ふたりの間に質の良いセックスを育むことができて、それは長く続けたいと思うものなのではないでしょうか^^
『長期に渡り』セックスをしたいと思う関係を作るには、双方の『尊敬』が必要。
これが私的一般論『セックスレス(男性バージョン)』でした^^
だからね。
若ければいいとか新しければいいとか手軽なほうがいいという理由で女を選ぶようだと、そのうち飽きるセックスになっちゃうと思うのです。
そう考えると、女性に対して、エラそうな男性の言動を見ると、この男はあまり上質のセックスをしていないんじゃないかなぁ、と思ってしまうのは、わたしだけ?
(あ、セックスレスの話から逸れちゃったです^^;)
ついでに、那智さん世代ではない、いまどきの若者が草食系男子なんて言われていることも、派生して考えられそうなので、これはまたの機会に^^
心を動かす力
独り言
瞬時に空気が変わるというのを体験したことがある。
披露宴で演奏というのは、まあたまにある余興のひとつ。
中でもピアノ演奏は比較的多い。
ゲストが弾いたり、新郎と新婦がバイオリンとピアノでセッションしたり、いろいろだ。
小さい頃ピアノを習っていたとか幼稚園の先生とか、その日のために練習して、ちょっぴり緊張しながらも祝福や感謝の気持ちを表す様子にこちらまで応援したい気持ちになる。
中には新婦のために1から練習したなんてどこかで聞いたことがあるような新郎もいた。
ぎこちなくはあったけれど、それはそれでステキな時間で新婦は号泣、隣りでわたしまでうるうる。
人の心を動かすのは、『人の心』なんだなぁと思ったりする。
そんな微笑ましい余興で、一度だけ空気が変わることを体験したことがあった。
その新婦はピアノの講師をしていた。
真面目な雰囲気で、ともすれば堅物とも感じられるような女性だった。
自分はピアノでしか感謝の気持ちを伝えられないから、とほとんど余興のない穏やかな進行の披露宴のトリに自ら演奏することに決めていた。
同じように新郎も真面目そうな男性で、新婦のその気持ちを後押ししてくれるような感じの人。
ぜんぜんクラシックに触れたことがなかったけど、新婦の演奏会やオペラやコンサートなどに新婦に連れて行かれていたそうだ。
なんとなく、そんなエピソードもうなずける2人だった。
披露宴はごく穏やかに進み。
途中、新婦が講師をしているピアノ教室の生徒からのビデオメッセージの上映があった。
こんな感じの『お祝いメッセージ』はたまにある。
どれも微笑ましかったり趣向を凝らしていたり笑えてほろっとさせてくるものが多い中、このビデオメッセージはちょっとだけ雰囲気が違っていた。
「○○(新婦)先生のご指導いただきながら頑張ります」
「○○(新婦)先生に教えていただいて○○合格を目指します」
もちろんお祝いの言葉はあるのだけど、その後にやけに生真面目なひと言が多いのだ。
どうやら新婦が教えているピアノ教室は本格的なもの(?)で将来まで見据えた生徒さんが通うようなところだったらしい。
新婦の『堅物』な印象からも、ああ、けっこう厳しい教室で厳しい指導をしているのかなと推測できた。
こういう道もあるんだよねって、漠然と思っていた。
披露宴も終盤になり新婦の演奏になった。
「皆様に感謝の気持ちをお伝えしたく」新婦から託された気持ちを代弁しながら演奏の紹介をする。
水色のカラードレスを纏った新婦はわたしに背を向ける形で椅子に座る。
照明が一段落とされて、新婦にスポットが当たった。
ラヴェルの『水の戯れ』。
新婦が鍵盤を叩いた瞬間、一気に空気が変わった。
クラシックなんてまーーーーったく知らないわたしでもわかるほど、ガラリと。
ここは披露宴会場で、わたしは仕事中で、この人は新婦だというようないろいろな諸条件をいとも簡単に消し去る空気。
真面目な堅物な印象の新婦の背中は優雅に大きく揺れ、その揺れに同調するように会場の空気も揺れる。
いままでお仕事でピアノ演奏を何度も見てきた。
姪っ子のかわいらしい演奏。
新婦と妹さんの息の合った連弾。
音がはずれてもテンポがバラバラでも、どれもみんな温かく、それこそ世界にひとつだけの演奏。
人の心を動かすのは『人の心』だなぁと、いつもうるっとさせてもらっていた。
でも、空気を変えるほどの技量は、それで十分人の心を動かすのだとあらためて思う。(もちろん新婦の感謝の気持ちだって十分あるけどね)
わたし、お仕事なのにすごいもの見させてもらっているよ〜〜〜と普段感じたことのない感動を味わってしまっていた。
以前新聞でクラシックに疎い記者が辻井伸行さんの演奏を取材で聴いたら涙が溢れて止まらなかったという記事を読んだことがある。
きっとわたしが感じたものは、それに近いのかもしれない。
わたしはじつは全然芸術関係に疎くて、美術館に行ったり画集を見たりと美しいものに触れることを特別積極的にしない人でして^^;
それより家で本を読んだり更新作業したりして、那智さんからのご連絡を犬のように待っているほうが好きだったりする。
でも、本当は心を動かされる経験は好きだし、たぶん、あっさり感動する(笑)
昨年、幸運にも違うお友達から違うお芝居に誘ってもらう機会があって、二度も観劇することができた。
ひとつは途中から泣きっぱなしで、もうひとつはあまりに切実で見終わったあとぐったりしてしまったほど、心動かしてもらった。
自分から積極的に動かないくせに連れて行ったもらったら人一倍心を動かしますので、どうかお友達の皆様、遠慮なくわたしを連れ出してくださいませ、お願いします(笑)
と横道に逸れながら、大小さまざま、心を動かせることは幸せなことだよね。
そうそう、これを書きながら、その新婦のお母様という人もピアノの講師をされているそうで、そのお母様から披露宴内でわたしの声をほめていただいたことを思い出してしまったから、書いちゃう(笑)
NHKのアナウンサーみたいな声で心地よい声だってほめていただいたんだ〜^^
あまり高音ボイスではないので司会者っぽくないかなと思っていたけど、これはうれしい言葉だった。
それでもわたしの声だけで空気を変えるなんて大それたことは目論んではおりませんが、祝福の空気を作る一旦は担えるかなと、空気が変わる瞬間を思い出して、こんなエントリーでした。
今朝の「等式」感想です。
りん子には人の心のトゲトゲした部分を和ますオーラがあると思う。1回も披露宴をみたことがありませんがね。列席者りん子に対して協力してあげようと思う空気、私はその空気やオーラの存在が見えたので強くこの仕事の後押しをした。いつか、列席者として参加したいな。
瞬時に空気が変わるというのを体験したことがある。
披露宴で演奏というのは、まあたまにある余興のひとつ。
中でもピアノ演奏は比較的多い。
ゲストが弾いたり、新郎と新婦がバイオリンとピアノでセッションしたり、いろいろだ。
小さい頃ピアノを習っていたとか幼稚園の先生とか、その日のために練習して、ちょっぴり緊張しながらも祝福や感謝の気持ちを表す様子にこちらまで応援したい気持ちになる。
中には新婦のために1から練習したなんてどこかで聞いたことがあるような新郎もいた。
ぎこちなくはあったけれど、それはそれでステキな時間で新婦は号泣、隣りでわたしまでうるうる。
人の心を動かすのは、『人の心』なんだなぁと思ったりする。
そんな微笑ましい余興で、一度だけ空気が変わることを体験したことがあった。
その新婦はピアノの講師をしていた。
真面目な雰囲気で、ともすれば堅物とも感じられるような女性だった。
自分はピアノでしか感謝の気持ちを伝えられないから、とほとんど余興のない穏やかな進行の披露宴のトリに自ら演奏することに決めていた。
同じように新郎も真面目そうな男性で、新婦のその気持ちを後押ししてくれるような感じの人。
ぜんぜんクラシックに触れたことがなかったけど、新婦の演奏会やオペラやコンサートなどに新婦に連れて行かれていたそうだ。
なんとなく、そんなエピソードもうなずける2人だった。
披露宴はごく穏やかに進み。
途中、新婦が講師をしているピアノ教室の生徒からのビデオメッセージの上映があった。
こんな感じの『お祝いメッセージ』はたまにある。
どれも微笑ましかったり趣向を凝らしていたり笑えてほろっとさせてくるものが多い中、このビデオメッセージはちょっとだけ雰囲気が違っていた。
「○○(新婦)先生のご指導いただきながら頑張ります」
「○○(新婦)先生に教えていただいて○○合格を目指します」
もちろんお祝いの言葉はあるのだけど、その後にやけに生真面目なひと言が多いのだ。
どうやら新婦が教えているピアノ教室は本格的なもの(?)で将来まで見据えた生徒さんが通うようなところだったらしい。
新婦の『堅物』な印象からも、ああ、けっこう厳しい教室で厳しい指導をしているのかなと推測できた。
こういう道もあるんだよねって、漠然と思っていた。
披露宴も終盤になり新婦の演奏になった。
「皆様に感謝の気持ちをお伝えしたく」新婦から託された気持ちを代弁しながら演奏の紹介をする。
水色のカラードレスを纏った新婦はわたしに背を向ける形で椅子に座る。
照明が一段落とされて、新婦にスポットが当たった。
ラヴェルの『水の戯れ』。
新婦が鍵盤を叩いた瞬間、一気に空気が変わった。
クラシックなんてまーーーーったく知らないわたしでもわかるほど、ガラリと。
ここは披露宴会場で、わたしは仕事中で、この人は新婦だというようないろいろな諸条件をいとも簡単に消し去る空気。
真面目な堅物な印象の新婦の背中は優雅に大きく揺れ、その揺れに同調するように会場の空気も揺れる。
いままでお仕事でピアノ演奏を何度も見てきた。
姪っ子のかわいらしい演奏。
新婦と妹さんの息の合った連弾。
音がはずれてもテンポがバラバラでも、どれもみんな温かく、それこそ世界にひとつだけの演奏。
人の心を動かすのは『人の心』だなぁと、いつもうるっとさせてもらっていた。
でも、空気を変えるほどの技量は、それで十分人の心を動かすのだとあらためて思う。(もちろん新婦の感謝の気持ちだって十分あるけどね)
わたし、お仕事なのにすごいもの見させてもらっているよ〜〜〜と普段感じたことのない感動を味わってしまっていた。
以前新聞でクラシックに疎い記者が辻井伸行さんの演奏を取材で聴いたら涙が溢れて止まらなかったという記事を読んだことがある。
きっとわたしが感じたものは、それに近いのかもしれない。
わたしはじつは全然芸術関係に疎くて、美術館に行ったり画集を見たりと美しいものに触れることを特別積極的にしない人でして^^;
それより家で本を読んだり更新作業したりして、那智さんからのご連絡を犬のように待っているほうが好きだったりする。
でも、本当は心を動かされる経験は好きだし、たぶん、あっさり感動する(笑)
昨年、幸運にも違うお友達から違うお芝居に誘ってもらう機会があって、二度も観劇することができた。
ひとつは途中から泣きっぱなしで、もうひとつはあまりに切実で見終わったあとぐったりしてしまったほど、心動かしてもらった。
自分から積極的に動かないくせに連れて行ったもらったら人一倍心を動かしますので、どうかお友達の皆様、遠慮なくわたしを連れ出してくださいませ、お願いします(笑)
と横道に逸れながら、大小さまざま、心を動かせることは幸せなことだよね。
そうそう、これを書きながら、その新婦のお母様という人もピアノの講師をされているそうで、そのお母様から披露宴内でわたしの声をほめていただいたことを思い出してしまったから、書いちゃう(笑)
NHKのアナウンサーみたいな声で心地よい声だってほめていただいたんだ〜^^
あまり高音ボイスではないので司会者っぽくないかなと思っていたけど、これはうれしい言葉だった。
それでもわたしの声だけで空気を変えるなんて大それたことは目論んではおりませんが、祝福の空気を作る一旦は担えるかなと、空気が変わる瞬間を思い出して、こんなエントリーでした。
今朝の「等式」感想です。
りん子には人の心のトゲトゲした部分を和ますオーラがあると思う。1回も披露宴をみたことがありませんがね。列席者りん子に対して協力してあげようと思う空気、私はその空気やオーラの存在が見えたので強くこの仕事の後押しをした。いつか、列席者として参加したいな。