3回目の旅4
惹かれ合う理由
七夕の今日、何かお願い事はしましたか?
私の今年のお願い事は「那智さんと一緒に死ねますように。」にしよう。
私の好きな中山可穂さんの本の台詞で「ゆきちゃんの心臓が止まったら、私の心臓も止まるの。」というのがある。
自殺するわけじゃない。
それほど一心同体でいたい、と願うこと。
私もそうなりたいと、心から願おう。
で、3回目の旅4です。
そんな具合に付き合って一年ほど経った。
いままでは、1人でクライアントを相手にしていたから、平日もある程度時間が取れていたけれど、そのころから、チームで仕事をするようになり、以前より格段に不自由になってしまったのだ。
会える時間は元々少ないのだけれども、電話の時間が減ってしまって私は淋しい思いをした。
そのころから、また暇つぶしにツーショットダイヤルで遊ぶことを再開していた。
そこで、SMについて自分の考えと向き合ってみると、気付いてしまったのだ。
あの人は「S」ではない。
私は、浮気相手や恋人がほしいのではない。
「みんなが働いている時間に、かわいい女性とお酒を飲む」贅沢のために存在しているのではない。
支配してほしいのだ。
支配されていないから、SM的なことをされても満たされないのだ。
抱かれた途端に冷めるのだ。
以前ほんの少し父や姉に関するコンプレックスの話を振ってみたことがあるが、やんわりとかわされたことがあった。
そうだ、この人は深い繋がりを求めているわけではないのだ。
私だって、はじめはその程度だと思っていた。
でもどうやら違ったようだ。
私はラブアフェアを求めていたわけではないらしいと、気付いた。
急速に冷めていく。
かなり好きな人と思っていたから、またいつもの「冷める心」を悲しく見つめる。
そうなると続けていく意味がなくなってしまう。
好きな人とデートする関係だけで維持できなくはないが、前戯としてのSMをされても苦しいだけなのは、目に見えていた。
私は、お別れを決意する。
「Mの感覚がなくなりました。」
あなたは支配できていないとはさすがに言えず、こんな理由を言ってみた。
ホテルに呼ばれて説得される。
なかなか時間がとれないことに、私がすねていると思っているらしい。
SMをしなくてもかまわない、お食事をするだけでもいい。
このまま付き合ってはいかれないか。
また、その気持ちが蘇ったら始めればいい。
心の中で「あなたではだめ。あなたではだめ。」と絶望しながら、繰り返す。
涙を流す私の頬に優しくキスをして、優しく抱く。
痴話喧嘩の後の甘美なセックス。
そんなことをイメージしていたかもしれない。
でも、私の心は冷めていた。
演技をしない私のいつもと違う反応に、取り返しがつかないことを悟ってはくれないか。
それでも嫌いになったわけではない、ずいぶんと助けられたところもある人に「さようなら」を言うには、悲しいことだ。
でも、私は恋人がほしいわけではない。
まして、セックスフレンドなんていらない。
たくさん泣いた。
でもお別れの悲しさだけではない。
私は、絶望の涙を流していたのだ。
恋が必要だ。
でも、それだけではだめだった。
そして行為としてのSMもだめだった。
とても大人な人で好きだった。
その人に縛られるだけでは、満たされないことを知ってしまった。
もう、どうすることもできない。
この人さえ尊敬できない私が、恋をして尊敬して、尚かつその人の欲望をぶつけてもらうなんて、奇跡だ。
諦め。
私は、いくことも、支配されることも、愛されることも、愛することも、尊敬することも、翻弄されることも、無我夢中になることも、我を忘れることも、演技をしないことも、安心も、性癖も、すべて諦めなければならないのか。
しかたがない、元々その能力を持っていなかったのだから。
ただ、それだけのことだ。
性癖としての「S」と、「支配」と、まだ気付いていない「父性」。
これらを満たすことは、不可能だろう。
それからの私は舵の取れない船だ。
操縦不能。
依存症のように電話をかけた。
たくさんの男性の賞賛を浴びながら、心はどんどん麻痺していく。
だれかと話しながら、孤独に涙を流す。
七夕の今日、何かお願い事はしましたか?
私の今年のお願い事は「那智さんと一緒に死ねますように。」にしよう。
私の好きな中山可穂さんの本の台詞で「ゆきちゃんの心臓が止まったら、私の心臓も止まるの。」というのがある。
自殺するわけじゃない。
それほど一心同体でいたい、と願うこと。
私もそうなりたいと、心から願おう。
で、3回目の旅4です。
そんな具合に付き合って一年ほど経った。
いままでは、1人でクライアントを相手にしていたから、平日もある程度時間が取れていたけれど、そのころから、チームで仕事をするようになり、以前より格段に不自由になってしまったのだ。
会える時間は元々少ないのだけれども、電話の時間が減ってしまって私は淋しい思いをした。
そのころから、また暇つぶしにツーショットダイヤルで遊ぶことを再開していた。
そこで、SMについて自分の考えと向き合ってみると、気付いてしまったのだ。
あの人は「S」ではない。
私は、浮気相手や恋人がほしいのではない。
「みんなが働いている時間に、かわいい女性とお酒を飲む」贅沢のために存在しているのではない。
支配してほしいのだ。
支配されていないから、SM的なことをされても満たされないのだ。
抱かれた途端に冷めるのだ。
以前ほんの少し父や姉に関するコンプレックスの話を振ってみたことがあるが、やんわりとかわされたことがあった。
そうだ、この人は深い繋がりを求めているわけではないのだ。
私だって、はじめはその程度だと思っていた。
でもどうやら違ったようだ。
私はラブアフェアを求めていたわけではないらしいと、気付いた。
急速に冷めていく。
かなり好きな人と思っていたから、またいつもの「冷める心」を悲しく見つめる。
そうなると続けていく意味がなくなってしまう。
好きな人とデートする関係だけで維持できなくはないが、前戯としてのSMをされても苦しいだけなのは、目に見えていた。
私は、お別れを決意する。
「Mの感覚がなくなりました。」
あなたは支配できていないとはさすがに言えず、こんな理由を言ってみた。
ホテルに呼ばれて説得される。
なかなか時間がとれないことに、私がすねていると思っているらしい。
SMをしなくてもかまわない、お食事をするだけでもいい。
このまま付き合ってはいかれないか。
また、その気持ちが蘇ったら始めればいい。
心の中で「あなたではだめ。あなたではだめ。」と絶望しながら、繰り返す。
涙を流す私の頬に優しくキスをして、優しく抱く。
痴話喧嘩の後の甘美なセックス。
そんなことをイメージしていたかもしれない。
でも、私の心は冷めていた。
演技をしない私のいつもと違う反応に、取り返しがつかないことを悟ってはくれないか。
それでも嫌いになったわけではない、ずいぶんと助けられたところもある人に「さようなら」を言うには、悲しいことだ。
でも、私は恋人がほしいわけではない。
まして、セックスフレンドなんていらない。
たくさん泣いた。
でもお別れの悲しさだけではない。
私は、絶望の涙を流していたのだ。
恋が必要だ。
でも、それだけではだめだった。
そして行為としてのSMもだめだった。
とても大人な人で好きだった。
その人に縛られるだけでは、満たされないことを知ってしまった。
もう、どうすることもできない。
この人さえ尊敬できない私が、恋をして尊敬して、尚かつその人の欲望をぶつけてもらうなんて、奇跡だ。
諦め。
私は、いくことも、支配されることも、愛されることも、愛することも、尊敬することも、翻弄されることも、無我夢中になることも、我を忘れることも、演技をしないことも、安心も、性癖も、すべて諦めなければならないのか。
しかたがない、元々その能力を持っていなかったのだから。
ただ、それだけのことだ。
性癖としての「S」と、「支配」と、まだ気付いていない「父性」。
これらを満たすことは、不可能だろう。
それからの私は舵の取れない船だ。
操縦不能。
依存症のように電話をかけた。
たくさんの男性の賞賛を浴びながら、心はどんどん麻痺していく。
だれかと話しながら、孤独に涙を流す。
COMMENT
ブログを伝って、訪問させていただきました。
古いエントリーへのコメントをお許しください。
思わず、同じだと思ったので…
「しかたがない、元々その能力を持っていなかったのだから。
ただ、それだけのことだ。」
私は若くないのと、実行に移せないので、本当に諦めになっていますが…
りん子さんは素敵な方に出逢うことが出来て、よかったですね。
古いエントリーへのコメントをお許しください。
思わず、同じだと思ったので…
「しかたがない、元々その能力を持っていなかったのだから。
ただ、それだけのことだ。」
私は若くないのと、実行に移せないので、本当に諦めになっていますが…
りん子さんは素敵な方に出逢うことが出来て、よかったですね。
じゅんこさん
はじめまして、ようこそおいでくださいました♪
過去エントリーにコメントいただくことはとてもうれしいことなのです、ありがとうございます^^
わたしは『相手』がどうこうよりも自分に、人を敬い愛する能力がないのだと諦めていました。
もし、じゅんこさんもそのような気持ちをお持ちでしたら、じつは、それは『相手』ありきじゃないかもしれないとも思っています。
わたしは那智さんに出会いたくさん変化したので説得力ないかもしれないけど、『相手』がいなくても自分が自分を大切にしてあげることを意識できれば、すこしずつ人は愛する能力を身につけることができて、それが他者に向かうようになり、逆に自分を大切にしてると他者からも大切にされる循環ができるのではないかと思っています。
なかなか一筋縄ではいかないかもしれないけど、まず自分を大切にするってだけでもやって損はないかなと思うのです^^
そんなエントリーもちょこちょこありますので、よかったら、またいろいろ読んでみてください^^
あ、それとね、わたしの好きなドラマのセリフがあるんです^^
「たとえ明日死ぬとしても、やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか?」ってセリフ。
何かをはじめるのに、遅すぎることはないと、わたしは信じていますよ^^
年末の勢いで語ってしまったです、失礼しました^^;
はじめまして、ようこそおいでくださいました♪
過去エントリーにコメントいただくことはとてもうれしいことなのです、ありがとうございます^^
わたしは『相手』がどうこうよりも自分に、人を敬い愛する能力がないのだと諦めていました。
もし、じゅんこさんもそのような気持ちをお持ちでしたら、じつは、それは『相手』ありきじゃないかもしれないとも思っています。
わたしは那智さんに出会いたくさん変化したので説得力ないかもしれないけど、『相手』がいなくても自分が自分を大切にしてあげることを意識できれば、すこしずつ人は愛する能力を身につけることができて、それが他者に向かうようになり、逆に自分を大切にしてると他者からも大切にされる循環ができるのではないかと思っています。
なかなか一筋縄ではいかないかもしれないけど、まず自分を大切にするってだけでもやって損はないかなと思うのです^^
そんなエントリーもちょこちょこありますので、よかったら、またいろいろ読んでみてください^^
あ、それとね、わたしの好きなドラマのセリフがあるんです^^
「たとえ明日死ぬとしても、やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか?」ってセリフ。
何かをはじめるのに、遅すぎることはないと、わたしは信じていますよ^^
年末の勢いで語ってしまったです、失礼しました^^;