妄想のうちの一部
独特な幸福感
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
年末に載せるつもりだったものを、新年早々アップします。
とてもとても勇気のいる内容で、ためらうのですが。
きちんと更新は九日からなんていっていたけど、予定は未定でお許しください。
しかも、多分暗くて重くて、続き物、一体何が言いたいのか那智さんしか(でも?)わからない内容かもしれないです。
全然年明けの清々しい気分とはかけ離れていることも、許してね。
数年前香港に行った。
主人の両親が仕事の関係で香港に住んでいるので会いにいったのだ。
ブランド品にも興味がなく、グルメでもない私には、香港の街は退屈な思い出が多い。
高層のマンションがすし詰めに立ち並ぶ景色と、移動中にチラリと目に入る猥雑とした路地には心惹かれる物はあったけど、旅行ではない子供を連れて主人の両親に会いにいくという状況では、好き勝手に行動もできず、その惹かれるものは一瞬だけ覗く楽しみになっていた。
そんな中、私は自分の心の底の恐ろしい妄想の存在を再認識してしまう光景に出会ってしまったのだ。
飲食店やブランド品を扱ったビルから隣の同じようなビルに繋がる渡り廊下のような橋を歩いているときだった。
前を見ると床に何か黒い固まりが置いてある。
よく見ると僅かに動いている。
数歩進むとその動きに合わせて、ハーモニカの音も聞こえてくる。
更に近づいて、初めて事態を把握することができた。
人だ。
細部まで観察したわけではないけれど、恐らく両手足がない人だ。
その人が寝そべり床にハーモニカを置いて、それを口にくわえるようにして演奏しているのだ。
演奏なんてものじゃない、ほとんど適当に吹いているから、幼い子が戯れているような音だ。
床に置いたハーモニカが口から離れないように必死にくわえながら、ほとんど床に顔を付けるようにして頭を動かしている。
それで、その人は物乞いをしているのだ。
そこは観光客も多い、商業地域だ。
華やかなショップが立ち並ぶビル街の片隅で、手足のない人が床に寝そべって物乞いをしている。
通り過ぎる人々はまったく気にしていない様子だ。
気づいているはずだけど、見て見ぬ振りをしている。
道ばたに落ちているゴミのようだ。
どうやってここまで来たのだろう。
あれしか彼の生きていく方法はないのだろうか。
同情や哀れみで心が苦しくなる。
あまりジロジロ見てはいけないだろう、でも、私はその人が気になってしまってしかたがない。
さりげなく何度か振り返ってしまった。
それは、同情で振り返っているのではないことを自覚してしまう時、私はとても途方に暮れる。
どういう経緯であの姿になったのか、わからない。
彼には心から同情と無事を祈りたい。
私はとても優しいはずだ。
お年寄りには席を譲る、ベビーカーと大荷物を抱えたママには手助けを申し出る。
人の悪口には加わらないし、ユニセフのクリスマスカードも買う。
そんな私が不憫な境遇の人を見て、同情以外の感情を持ってしまうことは、とても苦しい。
怖いもの見たさではない、この気になって気になってしかたがない間に感じているのは、興奮だ、
性的興奮。
それに気づくのは、恐ろしい私に直面してしまうから、苦しいのだ。
手足がなく床に這いつくばり演奏とはほど遠いハーモニカを必死に吹く、その姿。
あれしか生きていく術がないのか、わからない、でも、あれをしてしまう精神状態。
それらに、私は自分を当てはめてしまうのだ。
そして、妄想して興奮する。
人なのに人じゃない私。
そして、もうひとつ、とても口に出しづらいことだけど、その私(この場合、その人じゃなく私にします)を思い切り蹴り上げ踏みつけ虫けらを扱うように酷い目にあわせる、サディスティックな気持ちも持ってしまう。
でも、それは、対象がその人であって私であるような、ちょっと歪んだ感覚だ。
まだ幼稚園に上がるかその前かのころ、駅に続く地下の通路に物乞いがいた。
戦争で不自由な体になった男性二人、軍服を着ている。
一人は両手がないキャプテンクックのような義手を体の前に付き正座をしてお願いをするようお辞儀をしている。
もう一人は足がない、どうやって座っていたかは思い出せないが、残された腕でアコーデオンで演奏をしている。
その悲しげな音色が地下通路に響き、哀れを誘い、子供心に哀れみと同時に恐怖を感じてしまっていた。
何度も何度も振り返り、気になってしかたがないそれは、もしかしたら興奮を味わっていたのかもしれない。
(いま思えば私が生まれたのは戦後20年以上経っているから、事実は違ったかもしれない)
これも子供の頃のことだ。
漫画を読んだ。
ストーリーはまったく覚えていない。
覚えているのは、一場面(この一場面の設定もあやふや)。
若い女性が大金持ちの家にお手伝いさんとして雇われる。
その家の主に挨拶に行き、その姿に女性はたじろぐ。
両手足がないだるまのようなおじいさんなのだ。
その格好でお布団に横になっている。
女性が正座して「お世話になります」と挨拶をすると、しばらくじっと見つめていた男性がズリズリと動きゆっくりと女性ににじり寄ってくるのだ。
女性は恐怖で怯えるが、雇い主を怖がるわけにはいかず、その場に正座したままおとなしく震えている。
そして、ゆっくりと近づいた男性が女性のスカートに口を寄せ、それに噛み付くのだ。
それを読んで私は明らかに興奮していたことを覚えている。
これらはすべて私が目にしただけのものだ。
そこに「興奮」が湧き上がってしまうことを自覚しているだけだ。
だから、どうしたいという明確な妄想があるわけではない。
でも、その身体的精神的状態に興奮してしまうことは、事実だ。
前の記事のコメント言葉を借りるとするならば。
私が共感できると言った「ドロドロの精神状態」とは、その妄想で性的興奮を感じる私の精神状態だと思っている。(するしないではなくて、それを考えているだけでも、そう思うのです)
だから、私も那智さんにこれをひっくるめて愛してほしいと思う気持ちがあるので、共感できると言ったのです。
ただ、なぜ「うんこ」を食べるときに、おえっとなる私も愛して楽しんでと思えなかったのかというと、那智さんはやはり「うんこを受け入れる」ことに価値を見いだしている人なのです。
遡れば小学生のころから漠然と「好きな子に食べさせる」という願望を持っていたそうです。
だから、これは私の勝手な想像ですが、この部分はデリケートな部分だと思っています。(那智さんはそこまで繊細には思っていないかもしれないですけど)
苦しむ私を楽しむこともあるけれど、うんこを食べることに関してはやはり美味しそうに食べるが喜び。
それを知っているから、おえってなりたくない。
そして、それ以外の時、先に書いた妄想(ドロドロの精神状態)に蓋をして那智さんの意に添いたいといつも言っているのは、それではない「ドロドロ」に付き合ってもらっているからなの。
「女の子になる」とか「めちゃくちゃ依存」のように心の欠損を埋めるような「ドロドロ」が、いまの私にはこちらの方が重要なの。
だから、そこから生まれた「那智さんの意に添うことが幸せ」というほうが優先されるのです。
那智さんは「恥ずかしい私、みっともない私」は大好きでも、「人なのに人じゃない私」「醜い私」は大好きではないだろうと、いままでの会話から推測できたいた。
この妄想を口にしたり、それを想像させるような行為を望み従うには「その妄想をするりん子が大好き、むしろその方が好き」くらいに思ってもらえないとできない。
だから、蓋をしていた。
「心の欠損」を埋める関係がとてもとても重要だったから。
ここにコメントをくれる八竈さんのブログに那智さんは遊びに行っている。
私ははじめお邪魔したけれどそれ以来行っていない。
悲しくなってしまうからだ。
その悲しい理由がやっとわかった。
そこに登場しているパートナーの方の妄想を書いた記事があったそうで、那智さんはそれを読んで「引いていた」(後にその記事に引くのではなく、それを表に出すことに対して引いていたことがわかったのだけど)
「りん子も読んでみる?」と言われたけど、断った。
悲しくなるのがわかるからだ。
人の妄想だから、どんなことが書かれているのかわからないけど、あちらのブログの輪郭を抜粋して聞かせてもらっているところから推測すると、恐らく八竃さんはそのパートナーの「ドロドロ部分」を肯定してむしろ好んでいると感じられるから、那智さんが引くようなことでも肯定的に思われている彼女の状態が羨ましいと思ってしまうのだ。
私の那智さんに話していない最初に書いたような「性的興奮の種類」を、それでいいって丸抱えにしてもらえないであろうことが、いままでの付き合いで感じ取れているから、悲しくなってしまうのだ。
そこまで那智さんに話した。
「私の妄想を那智さんが好ましく思わないだろうから、悲しい」と。
「でも、俺はそれを聞いたことがない。聞いたことがないものを肯定も否定もできない、多分否定しないと思うけど、話してごらん。」
口にするのはためらう。
誰も知らないことだ、そして、恐らく那智さんが大歓迎しない(小歓迎くらいはしても!?)感情だ。
できれば話したくない、でも、もしかしたらと喜んでくれるかもと一縷の望みも捨てられず、ざっと話すことにした。
それでも、詳しく話せないでいる私に、じゃあ、書くように言う。
そして、いま詳しく書いている。
那智さんにも同じような「性的興奮」はあったそうだ。
だけど、それには蓋をしていた。
それに気づくのは厄介だからだ。
今回自分の心と向き合っての感想は「やる側としては、その妄想をしたくなってしまうのは犯罪になりかねないから、歯止めをかけるのが面倒くさいしつまらない。される側は任せているしかないけれど、するほうはね〜制御が大変」ということだ。
ざっと話した私の心の「ドロドロ」に対しては「あっても、なくても、どちらでもかまわない」だそうだ。
那智さんにもある「ドロドロ」だけど、現段階では「なきゃ、ダメ」ってほどではない。
この部分に於いて、「これを丸抱えにして引き受ける」ほどの積極的な肯定には至らない。
それはやっぱり悲しいな。
でも、しかたがない、無理して付き合ってもらっても、まったく嬉しくない。
この記事を全部読んでどう思うかは、まだわからない。
ほかのかなりの部分を丸抱えにしてもらっているので、贅沢は言えないですよね。
私は、心の奥底を話した、それで、一番欲しい答えが返ってこなくて悲しいと訴えることもできた。
那智さんも嘘偽りなく答えてくれたはずだ。
それが、那智さんの望む付き合い方だ。
素直に心を伝える。
それができただけでも、この厳しい作業の成果はあったはずだ。
これ以降は、やっぱり那智さんの意に添えばいいのだ。
私には「父性の毛布に包んでもらう」という大切な作業があるから。
このお話、まだ続きます。
年始の大騒ぎの後で、モチベーションが保たれれば^^
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
年末に載せるつもりだったものを、新年早々アップします。
とてもとても勇気のいる内容で、ためらうのですが。
きちんと更新は九日からなんていっていたけど、予定は未定でお許しください。
しかも、多分暗くて重くて、続き物、一体何が言いたいのか那智さんしか(でも?)わからない内容かもしれないです。
全然年明けの清々しい気分とはかけ離れていることも、許してね。
数年前香港に行った。
主人の両親が仕事の関係で香港に住んでいるので会いにいったのだ。
ブランド品にも興味がなく、グルメでもない私には、香港の街は退屈な思い出が多い。
高層のマンションがすし詰めに立ち並ぶ景色と、移動中にチラリと目に入る猥雑とした路地には心惹かれる物はあったけど、旅行ではない子供を連れて主人の両親に会いにいくという状況では、好き勝手に行動もできず、その惹かれるものは一瞬だけ覗く楽しみになっていた。
そんな中、私は自分の心の底の恐ろしい妄想の存在を再認識してしまう光景に出会ってしまったのだ。
飲食店やブランド品を扱ったビルから隣の同じようなビルに繋がる渡り廊下のような橋を歩いているときだった。
前を見ると床に何か黒い固まりが置いてある。
よく見ると僅かに動いている。
数歩進むとその動きに合わせて、ハーモニカの音も聞こえてくる。
更に近づいて、初めて事態を把握することができた。
人だ。
細部まで観察したわけではないけれど、恐らく両手足がない人だ。
その人が寝そべり床にハーモニカを置いて、それを口にくわえるようにして演奏しているのだ。
演奏なんてものじゃない、ほとんど適当に吹いているから、幼い子が戯れているような音だ。
床に置いたハーモニカが口から離れないように必死にくわえながら、ほとんど床に顔を付けるようにして頭を動かしている。
それで、その人は物乞いをしているのだ。
そこは観光客も多い、商業地域だ。
華やかなショップが立ち並ぶビル街の片隅で、手足のない人が床に寝そべって物乞いをしている。
通り過ぎる人々はまったく気にしていない様子だ。
気づいているはずだけど、見て見ぬ振りをしている。
道ばたに落ちているゴミのようだ。
どうやってここまで来たのだろう。
あれしか彼の生きていく方法はないのだろうか。
同情や哀れみで心が苦しくなる。
あまりジロジロ見てはいけないだろう、でも、私はその人が気になってしまってしかたがない。
さりげなく何度か振り返ってしまった。
それは、同情で振り返っているのではないことを自覚してしまう時、私はとても途方に暮れる。
どういう経緯であの姿になったのか、わからない。
彼には心から同情と無事を祈りたい。
私はとても優しいはずだ。
お年寄りには席を譲る、ベビーカーと大荷物を抱えたママには手助けを申し出る。
人の悪口には加わらないし、ユニセフのクリスマスカードも買う。
そんな私が不憫な境遇の人を見て、同情以外の感情を持ってしまうことは、とても苦しい。
怖いもの見たさではない、この気になって気になってしかたがない間に感じているのは、興奮だ、
性的興奮。
それに気づくのは、恐ろしい私に直面してしまうから、苦しいのだ。
手足がなく床に這いつくばり演奏とはほど遠いハーモニカを必死に吹く、その姿。
あれしか生きていく術がないのか、わからない、でも、あれをしてしまう精神状態。
それらに、私は自分を当てはめてしまうのだ。
そして、妄想して興奮する。
人なのに人じゃない私。
そして、もうひとつ、とても口に出しづらいことだけど、その私(この場合、その人じゃなく私にします)を思い切り蹴り上げ踏みつけ虫けらを扱うように酷い目にあわせる、サディスティックな気持ちも持ってしまう。
でも、それは、対象がその人であって私であるような、ちょっと歪んだ感覚だ。
まだ幼稚園に上がるかその前かのころ、駅に続く地下の通路に物乞いがいた。
戦争で不自由な体になった男性二人、軍服を着ている。
一人は両手がないキャプテンクックのような義手を体の前に付き正座をしてお願いをするようお辞儀をしている。
もう一人は足がない、どうやって座っていたかは思い出せないが、残された腕でアコーデオンで演奏をしている。
その悲しげな音色が地下通路に響き、哀れを誘い、子供心に哀れみと同時に恐怖を感じてしまっていた。
何度も何度も振り返り、気になってしかたがないそれは、もしかしたら興奮を味わっていたのかもしれない。
(いま思えば私が生まれたのは戦後20年以上経っているから、事実は違ったかもしれない)
これも子供の頃のことだ。
漫画を読んだ。
ストーリーはまったく覚えていない。
覚えているのは、一場面(この一場面の設定もあやふや)。
若い女性が大金持ちの家にお手伝いさんとして雇われる。
その家の主に挨拶に行き、その姿に女性はたじろぐ。
両手足がないだるまのようなおじいさんなのだ。
その格好でお布団に横になっている。
女性が正座して「お世話になります」と挨拶をすると、しばらくじっと見つめていた男性がズリズリと動きゆっくりと女性ににじり寄ってくるのだ。
女性は恐怖で怯えるが、雇い主を怖がるわけにはいかず、その場に正座したままおとなしく震えている。
そして、ゆっくりと近づいた男性が女性のスカートに口を寄せ、それに噛み付くのだ。
それを読んで私は明らかに興奮していたことを覚えている。
これらはすべて私が目にしただけのものだ。
そこに「興奮」が湧き上がってしまうことを自覚しているだけだ。
だから、どうしたいという明確な妄想があるわけではない。
でも、その身体的精神的状態に興奮してしまうことは、事実だ。
前の記事のコメント言葉を借りるとするならば。
私が共感できると言った「ドロドロの精神状態」とは、その妄想で性的興奮を感じる私の精神状態だと思っている。(するしないではなくて、それを考えているだけでも、そう思うのです)
だから、私も那智さんにこれをひっくるめて愛してほしいと思う気持ちがあるので、共感できると言ったのです。
ただ、なぜ「うんこ」を食べるときに、おえっとなる私も愛して楽しんでと思えなかったのかというと、那智さんはやはり「うんこを受け入れる」ことに価値を見いだしている人なのです。
遡れば小学生のころから漠然と「好きな子に食べさせる」という願望を持っていたそうです。
だから、これは私の勝手な想像ですが、この部分はデリケートな部分だと思っています。(那智さんはそこまで繊細には思っていないかもしれないですけど)
苦しむ私を楽しむこともあるけれど、うんこを食べることに関してはやはり美味しそうに食べるが喜び。
それを知っているから、おえってなりたくない。
そして、それ以外の時、先に書いた妄想(ドロドロの精神状態)に蓋をして那智さんの意に添いたいといつも言っているのは、それではない「ドロドロ」に付き合ってもらっているからなの。
「女の子になる」とか「めちゃくちゃ依存」のように心の欠損を埋めるような「ドロドロ」が、いまの私にはこちらの方が重要なの。
だから、そこから生まれた「那智さんの意に添うことが幸せ」というほうが優先されるのです。
那智さんは「恥ずかしい私、みっともない私」は大好きでも、「人なのに人じゃない私」「醜い私」は大好きではないだろうと、いままでの会話から推測できたいた。
この妄想を口にしたり、それを想像させるような行為を望み従うには「その妄想をするりん子が大好き、むしろその方が好き」くらいに思ってもらえないとできない。
だから、蓋をしていた。
「心の欠損」を埋める関係がとてもとても重要だったから。
ここにコメントをくれる八竈さんのブログに那智さんは遊びに行っている。
私ははじめお邪魔したけれどそれ以来行っていない。
悲しくなってしまうからだ。
その悲しい理由がやっとわかった。
そこに登場しているパートナーの方の妄想を書いた記事があったそうで、那智さんはそれを読んで「引いていた」(後にその記事に引くのではなく、それを表に出すことに対して引いていたことがわかったのだけど)
「りん子も読んでみる?」と言われたけど、断った。
悲しくなるのがわかるからだ。
人の妄想だから、どんなことが書かれているのかわからないけど、あちらのブログの輪郭を抜粋して聞かせてもらっているところから推測すると、恐らく八竃さんはそのパートナーの「ドロドロ部分」を肯定してむしろ好んでいると感じられるから、那智さんが引くようなことでも肯定的に思われている彼女の状態が羨ましいと思ってしまうのだ。
私の那智さんに話していない最初に書いたような「性的興奮の種類」を、それでいいって丸抱えにしてもらえないであろうことが、いままでの付き合いで感じ取れているから、悲しくなってしまうのだ。
そこまで那智さんに話した。
「私の妄想を那智さんが好ましく思わないだろうから、悲しい」と。
「でも、俺はそれを聞いたことがない。聞いたことがないものを肯定も否定もできない、多分否定しないと思うけど、話してごらん。」
口にするのはためらう。
誰も知らないことだ、そして、恐らく那智さんが大歓迎しない(小歓迎くらいはしても!?)感情だ。
できれば話したくない、でも、もしかしたらと喜んでくれるかもと一縷の望みも捨てられず、ざっと話すことにした。
それでも、詳しく話せないでいる私に、じゃあ、書くように言う。
そして、いま詳しく書いている。
那智さんにも同じような「性的興奮」はあったそうだ。
だけど、それには蓋をしていた。
それに気づくのは厄介だからだ。
今回自分の心と向き合っての感想は「やる側としては、その妄想をしたくなってしまうのは犯罪になりかねないから、歯止めをかけるのが面倒くさいしつまらない。される側は任せているしかないけれど、するほうはね〜制御が大変」ということだ。
ざっと話した私の心の「ドロドロ」に対しては「あっても、なくても、どちらでもかまわない」だそうだ。
那智さんにもある「ドロドロ」だけど、現段階では「なきゃ、ダメ」ってほどではない。
この部分に於いて、「これを丸抱えにして引き受ける」ほどの積極的な肯定には至らない。
それはやっぱり悲しいな。
でも、しかたがない、無理して付き合ってもらっても、まったく嬉しくない。
この記事を全部読んでどう思うかは、まだわからない。
ほかのかなりの部分を丸抱えにしてもらっているので、贅沢は言えないですよね。
私は、心の奥底を話した、それで、一番欲しい答えが返ってこなくて悲しいと訴えることもできた。
那智さんも嘘偽りなく答えてくれたはずだ。
それが、那智さんの望む付き合い方だ。
素直に心を伝える。
それができただけでも、この厳しい作業の成果はあったはずだ。
これ以降は、やっぱり那智さんの意に添えばいいのだ。
私には「父性の毛布に包んでもらう」という大切な作業があるから。
このお話、まだ続きます。
年始の大騒ぎの後で、モチベーションが保たれれば^^
心の声
独特な幸福感
ひとつ前のエントリーを読んで…心の声。(ひとつ前を読んでいただいたほうが良いと思います。)
心の少数意見。
「那智さ〜ん、りん子ったら制服気に入ってるみたいですよ〜!!」
大多数の声。
「違うんです!!なんでもいいからかまってほしいだけなの〜!!」
なんかね、書いててね、「やだ、わたし制服にこだわってる!!」って思ったの。
那智さんに困らされてあわあわしてるときに「嬉しそうだよ」と指摘されるんだけど、当人はほんと困ってるわけ。
だから、なんで嬉しそうなのかわからなかったんだけど、妙にこだわってる自分を見てもしかして「これ?」って思ったの。
無意識になにかしらの信号を発してるの!?少数意見のやつが!!
そう気付くと、情けない…。
私の節操ない少数派…。
ひとつ前のエントリーを読んで…心の声。(ひとつ前を読んでいただいたほうが良いと思います。)
心の少数意見。
「那智さ〜ん、りん子ったら制服気に入ってるみたいですよ〜!!」
大多数の声。
「違うんです!!なんでもいいからかまってほしいだけなの〜!!」
なんかね、書いててね、「やだ、わたし制服にこだわってる!!」って思ったの。
那智さんに困らされてあわあわしてるときに「嬉しそうだよ」と指摘されるんだけど、当人はほんと困ってるわけ。
だから、なんで嬉しそうなのかわからなかったんだけど、妙にこだわってる自分を見てもしかして「これ?」って思ったの。
無意識になにかしらの信号を発してるの!?少数意見のやつが!!
そう気付くと、情けない…。
私の節操ない少数派…。
妄想のうちの一部(具体的に!)
独特な幸福感
「何がしたいと言うより、相手の方のしたいと思うことを私を使って叶えてもらいたいと思っています。」
SM関係のテレクラにはまっていたころよく使っていた言葉。
会話のはじめの方で多くの男の人は「何に興味があるのか?」「どんなことをしたいのか?」と聞いてくるから、こう答えていた。
それを聞いた自称S男性は一様に感心する。
「本当にMなんだね〜」「あなたは真性のMだ」
そうなのかな、わからない。
SMに興味は持っていて、それを叶えるために何度か経験しているけれど、なんだか夢中になれずに満たされないから、Mなのかわからない。
でも、その言葉は嘘ではない。
男の人に抱かれているときに、どうしようもなく湧き上がってしまう「いま縛ってもらえたら、どんなに嬉しいか」というような感情。
でも、もともと何かを人に要求するのが苦手な私(そのくせにいきなり離婚したり、ギリギリになっていままで要求しなかったぶん問題を起こしたりしてしまうのにね)、ましてそんな性的な要求を口に出せずずっと心の中で訴えていた。
「どうか拘束してください」
それでも、それぞれ別な相手だけど、二度ほどそれとなく提案をしたことがある。
「縛ってほしい」
一度目は、そばにあったネクタイで手首を拘束された。
嬉しい願いが叶ったと一時は心が舞い上がったけど、そこから先何も発展していかないことに、寂しさと虚しさを感じてしまった。
数年後の二度目は、「縛って」なんて直接的な言い方ではなく、セックスのバリエーションを増やしてみるみたいな話題で提案してみた。
それまで、そんな想像をしていなかったらしいその人は、応じてはくれたものの途中で思考と動きが連動せずに、それ以上思いつかなくなってしまって終わってしまった。
このときに、好みでないことを付き合って、もしくはアイデアを絞り出しながらしてもらっても、苦しいだけだと感じたのだ。
だから、何度かのSM体験のあとあんな台詞が出来上がったのだ。
もちろん誰でもいいわけではないし、何をしてもいいわけではない、そういったことを大前提でその言葉を口にしていた。
那智さんとの付き合いにおいても同じで、「こういうことに憧れている」というようなお話しはするけれど、「こうしてほしい」という要求はしたことはない。
お願いしてしてもらっても嬉しくない(そういう遊びもあるでしょうけどね、それじゃなくてね)。
那智さんは、自分のしたいことはする。
いましていなくても、話題に出す。
もちろん頭の中を全部見るわけにはいかないから、話題に出していないこともあるでしょう、でも、したいことの傾向はわかる。
那智さんがしていないこと、もしくは傾向として現れていないことは、いまの所好みではないということは推測できる。
だから、もうそれから先は任せるしかないのだ。
私がしてほしいことと同じ傾向のものをいままでしていないのだから、私の憧れは那智さんのしたいことではない、それをわかっていて口にする勇気はない。
蓋をして、それ以外に埋めてほしい重要なことを、那智さんに叶えてもらっていた。
本当はそれでよかったはず。
お願いしてしてもらっても嬉しくない、那智さんのしたいことをして、私は心を揺さぶってもらえばそれがいい。
でも、やっぱり悲しくなってしまって、それを解決するために、今回私の妄想をお話しすることになってしまった。
成り行き上しょうがないという思いと、もう言ってしまえ〜みたいな吐露する開放感のようなものも感じてはいたけど、基本的には苦しい作業。
(長い前置き、ここから、本題 笑)
私の妄想の一部をこのブログに載せて那智さんにも読んでもらった。
私としては、清水の舞台から「えいっ」って飛び降りるような勇気のいることだったけど、那智さんはどう思っただろうか。
読んだあと電話でやり取りをした。
それは那智さんの性格だからか、する側の立場や都合からか、漠然とした妄想では満足してくれなかった。
「りん子は、具体的にどうしてほしいの?実際に四肢を切断するわけにはいかないよね。じゃあ、その妄想を叶えるにはりん子はどうすれば叶うの?芋虫みたいに拘束すればいいの?でも、それならいままでだって拘束しているよね。教えて。」
実は、私もその時まで具体的にどうしてほしいのか、妄想と現実を繋ぐ線ができていなかった。
でも、その言葉で、即座に具体性のあるしたいことが思い描けてしまった。
瞬間だからひとつの情景、でも、言えない。
黙っていると、もう一度那智さんが聞く。
「具体的なことがあるの?ないの?」
嘘はつけない。
「いま、そう言われてひとつ思い描いたことはあります。」
「じゃあ、教えて。」
「言えません。」
「教えて。」
押し問答。
「私は『その妄想は嬉しい、大歓迎、それを考えるりん子の脳みそが大好きでいとおしい、だから、どうか話して』くらいに思ってもらえないと願望を口にすることはできません。きっと那智さんはそう思わない、だから言いません!!」
なぜだか、静かに涙を流してしまっている。
叶えられなくて悲しむくせに、願望を口にすることはできないと言い張る。
申し訳ないやら、情けないやら、もどかしいやら、訳のわからない涙。
那智さんはめずらしく強い口調で訴える私に「強いね」とだけ言って、一瞬引き下がろうとするけれど、考え直して言う。
「やっぱりダメだ、俺はそれが俺の好みだろうとそうじゃなかろうと、りん子の心の中を知っていたい。俺が知らないことがあるとわかっていて、そのままにはできない、だから、教えて。」
泣いていることに気づいているだろうか、深く息を吐き観念して話す。
できるだけ、淡々と、少し投げやりに、これが重大な告白にならないように、無駄な努力。
「芋虫のように動けなくされるだけじゃないんです。動けないようにして寝転ぶ私の目の前に食べ物を置いてください。なんでもいい、でも、できれば柔らかいもの、プリンとかそういう物。そして、それを私が手を使わずに食べるのです。這いつくばってプリンを頬張る私の頭を掴んでプリンにグシャッと押し付けてください。それで、ぐりぐりして私の顔をプリンでグチャグチャにしてください。」
そこまで一気に伝える。
もう、前に進むしかない。
ここまで話して、妄想と具体的なことが繋がった。
私は、四肢を切断するような残虐なことや拷問のようなことを想像して叶えたいのではないらしい(もちろんそれに反応する本能はあるでしょうけれど)。
這いつくばってハーモニカをくわえて旋律にならない音を必死に出す、そんな状態。
手足を拘束されて、それでも口だけでプリンを頬張り、それで顔を汚される、そんな状態。
妄想と現実が繋がりはしたけれど、上手に説明できているだろうか。
那智さんは、芋虫にして食べさせるまでは、すんなりと自分の嗜好に収まったようだ。
でも、そこに顔を押し付けるのは、好みではないという。
「それは蔑んでいるようで、いやだ。」
だから、言いたくなかったの、そこで拒否されることが苦しいから、言いたくなかったの!!
心の中で地団駄を踏む。
まだ、涙が溢れている。
「俺は、基本可愛がりたい、蔑みたくない。」
わかる、那智さんの言いたいことはわかっている。
でも、ここまできたら私も踏ん張ってこれを乗り越えたい。
もう悲しくなりたくないから、諦めずに食い下がる。
那智さんのまだ繋がっていない回路が繋がってくれることを祈って。
「私だって、ただ蔑まされたいわけじゃないです。可愛がる方法として蔑むようなことをしてほしいんです。」
「那智さんは、私にビンタをするでしょ?あれだって那智さんは可愛がっているのでしょうけれど、端から見たら立派に蔑む行為ではないですか?唾を飲ませることだって、わんこのときにお皿に出したおしっこを飲ませるなんて、蔑むような行為でも那智さんにとっては可愛がっていることなのでしょ?」
ああ、もうなんで私はこんなことまで説明しれいるんだろう。
情けない。
あんなに、お願いして叶えてほしいなんて思わないなんて言いながら、那智さんの回路を繋ぐお手伝いをしている。
でも、あなたに叶えてもらうしかないんだ。
もしかして、私とぴったり同じ嗜好のS男性がいたとしても、その人に叶えてもらってもダメなんだ。
那智さんに可愛がる方法として、醜くしてほしい。
そして、その私を見て喜んでほしい。
「確かに、そうだな。俺が可愛がっているつもりでしていることも、行為だけみたら蔑んでいるな。」
少し繋がってくれたかもしれない。
本当は、そんなお手伝いしなくても、湧き上がる欲求としてぶつけてほしいけど、背に腹は代えられない(笑)
言葉遊びのようだけど、蔑むという言葉はどうしても嫌いのようだ。
違う言葉で、イメージしてもらおう。
「惨めにしてほしいのです。」
「うん、それならわかる。でも、惨めというと俺が想像するのは、『他人に貸す』みたいなことだよね。待ち合わせにりん子の知らない男を連れてきて『今日はこの人の相手をするんだよ』みたいに言って貸す。その方がプリンなんかよりもっと惨めに思うんだけど。」
確かに、それは酷い話。
でも、なんか違うの、私の願望ではない。
では、また別の言葉でイメージ。
これがきっと私の願望に最も近い言葉だ(それならそれをすぐ言えばいいのでしょけれど、整理しながら会話しているので、すぐ出てこないのです)
「違うんです、確かにプリンより貸すほうが酷いけど、酷いから良い(良いって言ってる 笑)のではなくて、その状況が惨めというのではなく、姿を惨めにしてほしいのです。…、醜くしてほしいのです!」
ここで、はじめて自分でもわかった。
私は醜くしてほしいんだ。
不細工に醜くなりたいんだ。
その姿は可愛くないだろう、でも、そうされたいんだ。
そして、その方法で楽しんで、可愛がってほしいの。
言いながらまた涙が出てきている。
これを聞いて那智さんがどう思うか、わからない。
喜ぶか、受け入れるか、引くか、無視するか。
結局は、那智さんのしたいようにしてもらわないと、私は嬉しくないからどう転んでも、それを事実として付いていくしかない。
この「醜い」という言葉で、那智さんの回路は那智さんなりに繋がったようだ。
繋がったというのかわからないけど、那智さん自身納得したみたい。
「醜くするというのなら、わかる。」
本当は「わかる」じゃなくて「その想像大好き」って言ってほしいけど、いまのところは無理のよう。
「わかるとだけは言える。それを聞いて、咀嚼して、俺が楽しいと思うことをする。だから、心配しないで。無理には付き合わない。」
それを聞いて、更に涙が溢れてしまった。
お付き合いはしないと言ってくれたことで、この日の私の告白は救われた。
大喜びとはいかないけれど、心の底を吐露した快感を味わっている。
しょうがない、この人に受け止めてもらう以外に道はないのだもの。
この日の那智さんの感想は、「蔑んでいると思える行為と、自分が可愛がっている行為に差がなかったという発見(これ目から鱗が落ちてました 笑)と、いままで凄いことをたくさんしているのに(針や鞭や露出や排泄や!!)、ぜんぜん酷くないこと(プリンでグシャグシャ)を言うのにあんなに躊躇するりん子が可愛らしかった(*^^*)」だそうです。
結局、その願望を楽しむのか、どうかはわからないまま、大歓迎もなく話は終わった。
あとは那智さんのみぞ知る。
でも、ここまでたくさん話して、もう「醜く」されている他者に触れても悲しくならないかもしれないと、少し身軽になった気分だった。
次は、「醜いりん子 お試し版」です。
続きものにするかしないか、決めていないけど♪(引っ張ることになっちゃうし 笑)
「何がしたいと言うより、相手の方のしたいと思うことを私を使って叶えてもらいたいと思っています。」
SM関係のテレクラにはまっていたころよく使っていた言葉。
会話のはじめの方で多くの男の人は「何に興味があるのか?」「どんなことをしたいのか?」と聞いてくるから、こう答えていた。
それを聞いた自称S男性は一様に感心する。
「本当にMなんだね〜」「あなたは真性のMだ」
そうなのかな、わからない。
SMに興味は持っていて、それを叶えるために何度か経験しているけれど、なんだか夢中になれずに満たされないから、Mなのかわからない。
でも、その言葉は嘘ではない。
男の人に抱かれているときに、どうしようもなく湧き上がってしまう「いま縛ってもらえたら、どんなに嬉しいか」というような感情。
でも、もともと何かを人に要求するのが苦手な私(そのくせにいきなり離婚したり、ギリギリになっていままで要求しなかったぶん問題を起こしたりしてしまうのにね)、ましてそんな性的な要求を口に出せずずっと心の中で訴えていた。
「どうか拘束してください」
それでも、それぞれ別な相手だけど、二度ほどそれとなく提案をしたことがある。
「縛ってほしい」
一度目は、そばにあったネクタイで手首を拘束された。
嬉しい願いが叶ったと一時は心が舞い上がったけど、そこから先何も発展していかないことに、寂しさと虚しさを感じてしまった。
数年後の二度目は、「縛って」なんて直接的な言い方ではなく、セックスのバリエーションを増やしてみるみたいな話題で提案してみた。
それまで、そんな想像をしていなかったらしいその人は、応じてはくれたものの途中で思考と動きが連動せずに、それ以上思いつかなくなってしまって終わってしまった。
このときに、好みでないことを付き合って、もしくはアイデアを絞り出しながらしてもらっても、苦しいだけだと感じたのだ。
だから、何度かのSM体験のあとあんな台詞が出来上がったのだ。
もちろん誰でもいいわけではないし、何をしてもいいわけではない、そういったことを大前提でその言葉を口にしていた。
那智さんとの付き合いにおいても同じで、「こういうことに憧れている」というようなお話しはするけれど、「こうしてほしい」という要求はしたことはない。
お願いしてしてもらっても嬉しくない(そういう遊びもあるでしょうけどね、それじゃなくてね)。
那智さんは、自分のしたいことはする。
いましていなくても、話題に出す。
もちろん頭の中を全部見るわけにはいかないから、話題に出していないこともあるでしょう、でも、したいことの傾向はわかる。
那智さんがしていないこと、もしくは傾向として現れていないことは、いまの所好みではないということは推測できる。
だから、もうそれから先は任せるしかないのだ。
私がしてほしいことと同じ傾向のものをいままでしていないのだから、私の憧れは那智さんのしたいことではない、それをわかっていて口にする勇気はない。
蓋をして、それ以外に埋めてほしい重要なことを、那智さんに叶えてもらっていた。
本当はそれでよかったはず。
お願いしてしてもらっても嬉しくない、那智さんのしたいことをして、私は心を揺さぶってもらえばそれがいい。
でも、やっぱり悲しくなってしまって、それを解決するために、今回私の妄想をお話しすることになってしまった。
成り行き上しょうがないという思いと、もう言ってしまえ〜みたいな吐露する開放感のようなものも感じてはいたけど、基本的には苦しい作業。
(長い前置き、ここから、本題 笑)
私の妄想の一部をこのブログに載せて那智さんにも読んでもらった。
私としては、清水の舞台から「えいっ」って飛び降りるような勇気のいることだったけど、那智さんはどう思っただろうか。
読んだあと電話でやり取りをした。
それは那智さんの性格だからか、する側の立場や都合からか、漠然とした妄想では満足してくれなかった。
「りん子は、具体的にどうしてほしいの?実際に四肢を切断するわけにはいかないよね。じゃあ、その妄想を叶えるにはりん子はどうすれば叶うの?芋虫みたいに拘束すればいいの?でも、それならいままでだって拘束しているよね。教えて。」
実は、私もその時まで具体的にどうしてほしいのか、妄想と現実を繋ぐ線ができていなかった。
でも、その言葉で、即座に具体性のあるしたいことが思い描けてしまった。
瞬間だからひとつの情景、でも、言えない。
黙っていると、もう一度那智さんが聞く。
「具体的なことがあるの?ないの?」
嘘はつけない。
「いま、そう言われてひとつ思い描いたことはあります。」
「じゃあ、教えて。」
「言えません。」
「教えて。」
押し問答。
「私は『その妄想は嬉しい、大歓迎、それを考えるりん子の脳みそが大好きでいとおしい、だから、どうか話して』くらいに思ってもらえないと願望を口にすることはできません。きっと那智さんはそう思わない、だから言いません!!」
なぜだか、静かに涙を流してしまっている。
叶えられなくて悲しむくせに、願望を口にすることはできないと言い張る。
申し訳ないやら、情けないやら、もどかしいやら、訳のわからない涙。
那智さんはめずらしく強い口調で訴える私に「強いね」とだけ言って、一瞬引き下がろうとするけれど、考え直して言う。
「やっぱりダメだ、俺はそれが俺の好みだろうとそうじゃなかろうと、りん子の心の中を知っていたい。俺が知らないことがあるとわかっていて、そのままにはできない、だから、教えて。」
泣いていることに気づいているだろうか、深く息を吐き観念して話す。
できるだけ、淡々と、少し投げやりに、これが重大な告白にならないように、無駄な努力。
「芋虫のように動けなくされるだけじゃないんです。動けないようにして寝転ぶ私の目の前に食べ物を置いてください。なんでもいい、でも、できれば柔らかいもの、プリンとかそういう物。そして、それを私が手を使わずに食べるのです。這いつくばってプリンを頬張る私の頭を掴んでプリンにグシャッと押し付けてください。それで、ぐりぐりして私の顔をプリンでグチャグチャにしてください。」
そこまで一気に伝える。
もう、前に進むしかない。
ここまで話して、妄想と具体的なことが繋がった。
私は、四肢を切断するような残虐なことや拷問のようなことを想像して叶えたいのではないらしい(もちろんそれに反応する本能はあるでしょうけれど)。
這いつくばってハーモニカをくわえて旋律にならない音を必死に出す、そんな状態。
手足を拘束されて、それでも口だけでプリンを頬張り、それで顔を汚される、そんな状態。
妄想と現実が繋がりはしたけれど、上手に説明できているだろうか。
那智さんは、芋虫にして食べさせるまでは、すんなりと自分の嗜好に収まったようだ。
でも、そこに顔を押し付けるのは、好みではないという。
「それは蔑んでいるようで、いやだ。」
だから、言いたくなかったの、そこで拒否されることが苦しいから、言いたくなかったの!!
心の中で地団駄を踏む。
まだ、涙が溢れている。
「俺は、基本可愛がりたい、蔑みたくない。」
わかる、那智さんの言いたいことはわかっている。
でも、ここまできたら私も踏ん張ってこれを乗り越えたい。
もう悲しくなりたくないから、諦めずに食い下がる。
那智さんのまだ繋がっていない回路が繋がってくれることを祈って。
「私だって、ただ蔑まされたいわけじゃないです。可愛がる方法として蔑むようなことをしてほしいんです。」
「那智さんは、私にビンタをするでしょ?あれだって那智さんは可愛がっているのでしょうけれど、端から見たら立派に蔑む行為ではないですか?唾を飲ませることだって、わんこのときにお皿に出したおしっこを飲ませるなんて、蔑むような行為でも那智さんにとっては可愛がっていることなのでしょ?」
ああ、もうなんで私はこんなことまで説明しれいるんだろう。
情けない。
あんなに、お願いして叶えてほしいなんて思わないなんて言いながら、那智さんの回路を繋ぐお手伝いをしている。
でも、あなたに叶えてもらうしかないんだ。
もしかして、私とぴったり同じ嗜好のS男性がいたとしても、その人に叶えてもらってもダメなんだ。
那智さんに可愛がる方法として、醜くしてほしい。
そして、その私を見て喜んでほしい。
「確かに、そうだな。俺が可愛がっているつもりでしていることも、行為だけみたら蔑んでいるな。」
少し繋がってくれたかもしれない。
本当は、そんなお手伝いしなくても、湧き上がる欲求としてぶつけてほしいけど、背に腹は代えられない(笑)
言葉遊びのようだけど、蔑むという言葉はどうしても嫌いのようだ。
違う言葉で、イメージしてもらおう。
「惨めにしてほしいのです。」
「うん、それならわかる。でも、惨めというと俺が想像するのは、『他人に貸す』みたいなことだよね。待ち合わせにりん子の知らない男を連れてきて『今日はこの人の相手をするんだよ』みたいに言って貸す。その方がプリンなんかよりもっと惨めに思うんだけど。」
確かに、それは酷い話。
でも、なんか違うの、私の願望ではない。
では、また別の言葉でイメージ。
これがきっと私の願望に最も近い言葉だ(それならそれをすぐ言えばいいのでしょけれど、整理しながら会話しているので、すぐ出てこないのです)
「違うんです、確かにプリンより貸すほうが酷いけど、酷いから良い(良いって言ってる 笑)のではなくて、その状況が惨めというのではなく、姿を惨めにしてほしいのです。…、醜くしてほしいのです!」
ここで、はじめて自分でもわかった。
私は醜くしてほしいんだ。
不細工に醜くなりたいんだ。
その姿は可愛くないだろう、でも、そうされたいんだ。
そして、その方法で楽しんで、可愛がってほしいの。
言いながらまた涙が出てきている。
これを聞いて那智さんがどう思うか、わからない。
喜ぶか、受け入れるか、引くか、無視するか。
結局は、那智さんのしたいようにしてもらわないと、私は嬉しくないからどう転んでも、それを事実として付いていくしかない。
この「醜い」という言葉で、那智さんの回路は那智さんなりに繋がったようだ。
繋がったというのかわからないけど、那智さん自身納得したみたい。
「醜くするというのなら、わかる。」
本当は「わかる」じゃなくて「その想像大好き」って言ってほしいけど、いまのところは無理のよう。
「わかるとだけは言える。それを聞いて、咀嚼して、俺が楽しいと思うことをする。だから、心配しないで。無理には付き合わない。」
それを聞いて、更に涙が溢れてしまった。
お付き合いはしないと言ってくれたことで、この日の私の告白は救われた。
大喜びとはいかないけれど、心の底を吐露した快感を味わっている。
しょうがない、この人に受け止めてもらう以外に道はないのだもの。
この日の那智さんの感想は、「蔑んでいると思える行為と、自分が可愛がっている行為に差がなかったという発見(これ目から鱗が落ちてました 笑)と、いままで凄いことをたくさんしているのに(針や鞭や露出や排泄や!!)、ぜんぜん酷くないこと(プリンでグシャグシャ)を言うのにあんなに躊躇するりん子が可愛らしかった(*^^*)」だそうです。
結局、その願望を楽しむのか、どうかはわからないまま、大歓迎もなく話は終わった。
あとは那智さんのみぞ知る。
でも、ここまでたくさん話して、もう「醜く」されている他者に触れても悲しくならないかもしれないと、少し身軽になった気分だった。
次は、「醜いりん子 お試し版」です。
続きものにするかしないか、決めていないけど♪(引っ張ることになっちゃうし 笑)
「畜生、覚えていやがれ〜」
独特な幸福感
気のせいかな、今日の那智さんのおちんちんは大きい気がする。
お仕事場のデスクに腰掛けた那智さんの足の間に収まるように、床に座る私のお口に含んだそれが気のせいか大きいと感じている。
あまりまじまじと見たことはないけど、口から出して珍しく眺めてしまう。
う〜ん、今日が特別大きいってわけじゃないけど、比較的大きいほうかな。
また口に含んで、やっぱりいつもと違う感じがして、眺める、そんなことを2、3回繰り返してしまった。
「これを入れてもらえたら、きっと気持ち良いだろうな、幸せだろうな〜」
大きさが決定的に快感を左右するとは言えないけれど、大は小を兼ねる!?いっぱいになっているということは、いっぱい私を欲してくれているとも解釈できるから、喜びのひとつにもなる。
その欲してくれているものを私に差し込んでくれたら、幸せだろうなと思って眺める。
最近那智さんは私でよくいく。
もともと射精しにくいほうのようだったのだけど、最近の私はよく締まるらしく、よくいく。
更に、那智さん好みのフェラチオを習得たから、手を使わずに口だけでいく時もできてきた。
これは那智さんにとっては、信じられないことのようで、私は嬉しい。
過去に一度だけ、スーパーテクニックの風俗嬢が口だけでいかせたことがあるだけで、いきにくい那智さんにはあり得ないことだったのだ。
手を使うのとどちらが気持ち良いかというと、それほど違いはないけれど、何事も希少なほうが価値があるから、口でいければそれにこしたことはない。
その大きいのをお口に含み、今日もお口だけでいってもらおうと、せっせと励む。
だけど、なんだか今日は顎が痛い、やっぱり大きいからかな、体勢が悪いのかな。
「なんか顎が痛いです。」
正直に伝える。
「大丈夫?」
耐えられないほどではないから、また続ける。
でも、やっぱり痛い、痛いというか顎の疲労感が大きい。
手も使って良いか、伝えてみる。
「やっぱり痛いです、お口だけじゃダメみたい。」
「……もしかして入れてほしいの?なんだかんだ文句言って入れてほしいんだろ!?」
違います、違います、確かに入れてもらえたら幸せだろうな〜と想像はしていたけれど、今は違う気持ちで訴えたのです。
でも、那智さんがそう言葉にしてしまうと、私のスイッチがパチンと入ってしまう。
そうね〜、入れてもらいたいな、快感と愛情をごっちゃにして差し込んでほしいな〜、でも、そんなことはなかなか口には出せない。
「入れたければ言いな、入れてもいいよ。」
入れてもいいよで、はいお願いしますとは言いづらい(そうしてしまう時もあるけど)。
意地悪な那智さん。
困って困って、足下でもじもじしている。
でも、なんだか今日はこのまま入れてもらえないのは、とても寂しいと思ってしまっているのだ。
弁解しているみたいだけど、この日に限って(正直に『限って』と言います!)気持ち良くなりたいというのではなく、それが父性の愛情みたいに感じられてしまって、もらえないことがとても寂しいと感じていたのだ。
そこで、こんな提案をしてみる。
「一回だけ、入れてくれませんか?」
「はあ?いいよ。」
恥ずかしいけど、これで寂しくならないで済む。
下着を脱いで、椅子に腰掛ける那智さんに跨がる。
ああ、嬉しい、入っているのがわかって嬉しい。
悲しいかな、自然と腰が動き、寂しくならない為に跨がったことが気持ち良くなってしまって、止められない。
恥ずかしいから、うつむいていたいけど、那智さんがキスをするから正面を向いているしかない。
とりあえず(?)一回いって、不意の来客が心配だから那智さんから降りようとしたら、「一回入れるんじゃなくて、一回いきたかったの!?」と笑われる。
まったく不利な状況で、一発逆転は難しい。
だけど、おとなしく「はい」と肯定するのは認めているようで恥ずかしいし、なんだか悔しいから、まったく意味のない言葉を吐いてしまった。
「本当に降りていいんですか?後で後悔してもしりませんよ。」
ただのチンピラの捨て台詞みたいになってしまった。
気のせいかな、今日の那智さんのおちんちんは大きい気がする。
お仕事場のデスクに腰掛けた那智さんの足の間に収まるように、床に座る私のお口に含んだそれが気のせいか大きいと感じている。
あまりまじまじと見たことはないけど、口から出して珍しく眺めてしまう。
う〜ん、今日が特別大きいってわけじゃないけど、比較的大きいほうかな。
また口に含んで、やっぱりいつもと違う感じがして、眺める、そんなことを2、3回繰り返してしまった。
「これを入れてもらえたら、きっと気持ち良いだろうな、幸せだろうな〜」
大きさが決定的に快感を左右するとは言えないけれど、大は小を兼ねる!?いっぱいになっているということは、いっぱい私を欲してくれているとも解釈できるから、喜びのひとつにもなる。
その欲してくれているものを私に差し込んでくれたら、幸せだろうなと思って眺める。
最近那智さんは私でよくいく。
もともと射精しにくいほうのようだったのだけど、最近の私はよく締まるらしく、よくいく。
更に、那智さん好みのフェラチオを習得たから、手を使わずに口だけでいく時もできてきた。
これは那智さんにとっては、信じられないことのようで、私は嬉しい。
過去に一度だけ、スーパーテクニックの風俗嬢が口だけでいかせたことがあるだけで、いきにくい那智さんにはあり得ないことだったのだ。
手を使うのとどちらが気持ち良いかというと、それほど違いはないけれど、何事も希少なほうが価値があるから、口でいければそれにこしたことはない。
その大きいのをお口に含み、今日もお口だけでいってもらおうと、せっせと励む。
だけど、なんだか今日は顎が痛い、やっぱり大きいからかな、体勢が悪いのかな。
「なんか顎が痛いです。」
正直に伝える。
「大丈夫?」
耐えられないほどではないから、また続ける。
でも、やっぱり痛い、痛いというか顎の疲労感が大きい。
手も使って良いか、伝えてみる。
「やっぱり痛いです、お口だけじゃダメみたい。」
「……もしかして入れてほしいの?なんだかんだ文句言って入れてほしいんだろ!?」
違います、違います、確かに入れてもらえたら幸せだろうな〜と想像はしていたけれど、今は違う気持ちで訴えたのです。
でも、那智さんがそう言葉にしてしまうと、私のスイッチがパチンと入ってしまう。
そうね〜、入れてもらいたいな、快感と愛情をごっちゃにして差し込んでほしいな〜、でも、そんなことはなかなか口には出せない。
「入れたければ言いな、入れてもいいよ。」
入れてもいいよで、はいお願いしますとは言いづらい(そうしてしまう時もあるけど)。
意地悪な那智さん。
困って困って、足下でもじもじしている。
でも、なんだか今日はこのまま入れてもらえないのは、とても寂しいと思ってしまっているのだ。
弁解しているみたいだけど、この日に限って(正直に『限って』と言います!)気持ち良くなりたいというのではなく、それが父性の愛情みたいに感じられてしまって、もらえないことがとても寂しいと感じていたのだ。
そこで、こんな提案をしてみる。
「一回だけ、入れてくれませんか?」
「はあ?いいよ。」
恥ずかしいけど、これで寂しくならないで済む。
下着を脱いで、椅子に腰掛ける那智さんに跨がる。
ああ、嬉しい、入っているのがわかって嬉しい。
悲しいかな、自然と腰が動き、寂しくならない為に跨がったことが気持ち良くなってしまって、止められない。
恥ずかしいから、うつむいていたいけど、那智さんがキスをするから正面を向いているしかない。
とりあえず(?)一回いって、不意の来客が心配だから那智さんから降りようとしたら、「一回入れるんじゃなくて、一回いきたかったの!?」と笑われる。
まったく不利な状況で、一発逆転は難しい。
だけど、おとなしく「はい」と肯定するのは認めているようで恥ずかしいし、なんだか悔しいから、まったく意味のない言葉を吐いてしまった。
「本当に降りていいんですか?後で後悔してもしりませんよ。」
ただのチンピラの捨て台詞みたいになってしまった。
コンプレックス
独特な幸福感
アトピー性皮膚炎というほど深刻なものではないけれど、那智さんの肌は少しアトピー気味だった。
体調や季節で、カサカサと乾燥して痒くなっていたみたい。
私と知り合う前辺りから体質改善させていて、知り合うころにはほとんど出なくなっていたらしい。
付き合いはじめのころ、裸の那智さんの背中に手を回すと、カサカサとしていた。
時々痒いらしく、ガリガリと背中をかいていた。
恐らく掻きむしった痕だろう、これも時々背中や脇腹に細い引っ掻き傷がかさぶたになって残っていた。
いまはほとんど完治して、そのカサカサもかさぶたもないけれど、私はあの那智さんの背中も好きだった。
引っ掻き傷を見つけると、なんだか私の心の柔らかいところをキュッと摘まれたような切ない気持ちになっていた。
お仕事場などでセックスをして側にティッシュがなくて、私で濡れたおちんちんをきれいにするように舐めさせられるとき、大嫌いな味だけど私は一生懸命に舐めた。
敏感な肌の那智さんが痒くなってしまわないように、「まずいよ〜」と思いながら、一生懸命きれいにした。
実は、那智さんは背が低い。
私よりも低い。
私は女性の中では大きいほうだから、私より背が低い男性はたくさんいるから、めずらしいことではないけれど。
それでも、思春期の男の人にとっては、身長は軽く流せることではないだろう。
いくつかのことを諦めざるを得ないことだって、あったはずだ。
だからある年齢までは、それがコンプレックスだったそうだ。
待ち合わせの場所に先に着いて煙草を吸っている那智さんを遠くから見つける。
周囲にいる男性の中では、背が低いほうだ。
「いい男だな〜」
私は眺めていたい気持ちを抑えて駆け寄る。
待たせちゃいけない、一秒でも早く側に行きたい。
私をこんなに幸せにできるこの男の人。
男の人は、弱みやコンプレックスを潜めているくらいが魅力的だ。
それをはね除けて、美味しそうに煙草を吸って私を待っているその男がとてもいとおしい。
駆け寄って、できるだけ可愛く「おはようございます」を言おう。
そして、腕を組み幸せそうに歩くのだ。
コンプレックスを魅力に感じさせてくれるこの人の、好きなように扱われる。
その時間を味わうように、腕を組む。
だからかな〜、那智さんがお外が好きなのは。
好きなように扱えると自慢したいのかしら。
最近は拍車が掛かっている!
テーマは「法に触れないけど、酷い露出」…コンプレックス解消も限度ってものがあると思うのですが(泣)
アトピー性皮膚炎というほど深刻なものではないけれど、那智さんの肌は少しアトピー気味だった。
体調や季節で、カサカサと乾燥して痒くなっていたみたい。
私と知り合う前辺りから体質改善させていて、知り合うころにはほとんど出なくなっていたらしい。
付き合いはじめのころ、裸の那智さんの背中に手を回すと、カサカサとしていた。
時々痒いらしく、ガリガリと背中をかいていた。
恐らく掻きむしった痕だろう、これも時々背中や脇腹に細い引っ掻き傷がかさぶたになって残っていた。
いまはほとんど完治して、そのカサカサもかさぶたもないけれど、私はあの那智さんの背中も好きだった。
引っ掻き傷を見つけると、なんだか私の心の柔らかいところをキュッと摘まれたような切ない気持ちになっていた。
お仕事場などでセックスをして側にティッシュがなくて、私で濡れたおちんちんをきれいにするように舐めさせられるとき、大嫌いな味だけど私は一生懸命に舐めた。
敏感な肌の那智さんが痒くなってしまわないように、「まずいよ〜」と思いながら、一生懸命きれいにした。
実は、那智さんは背が低い。
私よりも低い。
私は女性の中では大きいほうだから、私より背が低い男性はたくさんいるから、めずらしいことではないけれど。
それでも、思春期の男の人にとっては、身長は軽く流せることではないだろう。
いくつかのことを諦めざるを得ないことだって、あったはずだ。
だからある年齢までは、それがコンプレックスだったそうだ。
待ち合わせの場所に先に着いて煙草を吸っている那智さんを遠くから見つける。
周囲にいる男性の中では、背が低いほうだ。
「いい男だな〜」
私は眺めていたい気持ちを抑えて駆け寄る。
待たせちゃいけない、一秒でも早く側に行きたい。
私をこんなに幸せにできるこの男の人。
男の人は、弱みやコンプレックスを潜めているくらいが魅力的だ。
それをはね除けて、美味しそうに煙草を吸って私を待っているその男がとてもいとおしい。
駆け寄って、できるだけ可愛く「おはようございます」を言おう。
そして、腕を組み幸せそうに歩くのだ。
コンプレックスを魅力に感じさせてくれるこの人の、好きなように扱われる。
その時間を味わうように、腕を組む。
だからかな〜、那智さんがお外が好きなのは。
好きなように扱えると自慢したいのかしら。
最近は拍車が掛かっている!
テーマは「法に触れないけど、酷い露出」…コンプレックス解消も限度ってものがあると思うのですが(泣)