今年も^^
独り言
年末の大掃除、お仕事関係の机も整理した。
いままでお仕事した披露宴の発注書と進行表だけは全部とっておいてあるのだけど、それがずいぶんたまったので別の場所に移動させようと新しく箱詰めをする。
古い順から重ねていった。
はじめて披露宴の司会をした発注書。
レストランウェディングで落ち着いた感じのふたりがごく親しい人を集めたパーティーだった。
新郎新婦の雰囲気だけで顔をハッキリ思い出せないけど、あの日の緊張感と充実感はいま思い出しても胸がいっぱいになる。
それが2004年10月だった。
那智さんと出会ったのが2003年6月だったから、那智さんは出会って1年にも満たない女の職業の後押しをしたことになる。
(本番をもらえるまで半年くらいかかったからね)
そう考えると、やっぱり那智さんの『覚悟』と関わり方は当時からすごいと改めて思う。
まあ、わたしもよくついて行ったものです(笑)
次はヤクルトの容器で席札作ったヤンキーカップルだ。
残念だけど、ほとんど顔も雰囲気も思い出せない。
この会場はどちらかというと大都市ではない古いホテルだった。
そこから徐々に都市に近いホテルや結婚式場の発注書が増えていき、いま主にお仕事をしている大手ホテルのものが大半を占めるようになっていった。
掃除しなきゃいけないんだけど、つい見入ってしまう。
名前に記憶がある人。
顔をぼんやり覚えている新郎新婦。
この人は後日一緒に撮った写真をくださったから顔わかる^^
そうそう、ここは余興の人の顔は思い出せる。
印象に残るカップルが必ずしも波長が合ったと感じていたカップルじゃなかったり、すごーくいい人たちだったけどどうしても顔を思い出せなかったり、わたしの記憶の基準が不思議。
総数284組(数え間違ってなければ^^)
家庭と両立させるために本数を制限しているから年数に比べたら本数は少ないほうだろう。
それでも、そんなにたくさんの人たちに『おめでとう』を言うことができたのは我ながら圧巻。
そして、そんなわたしはとても幸せ者。
那智さん、あなたのおかげでこんなにたくさんの祝福をすることができました^^
今年もどんなカップルに会えるか、楽しみです。
思い出せない人たちも多くて残念だけど、毎回ウルウルする感性が色褪せないように今年もアンテナ磨きます^^
『等式』でも今年はどんな人に会えるかな。
いつもの人もひさしぶりの人も新しい人もたくさん会いに来てくださいね。
ということで、今年もよろしくお願いいたします。
皆さんも一緒にご自分だけのアンテナ磨きましょ〜♪
<関連エントリー>
『ヤンキー万歳^^』
お仕事の話まとめてみました^^
『限りなく素人に近い…』
『司会者に必要なものは』
『覚悟を決める時間』
『普段通り』
『鳥肌』
『心を動かす力』
おめでとうございます。りん子、年頭から、上手くまとめますね。(笑)でも、人の人生を彩る、1ページを担当するのは相当な苦労もあるはず、やりがいだけでは無いはずなのに、殆ど、泣き言が無いのは、天職なのか、掛ける言葉は「お疲れ様」そして良かったね、「これから、どうする」?(笑)
年末の大掃除、お仕事関係の机も整理した。
いままでお仕事した披露宴の発注書と進行表だけは全部とっておいてあるのだけど、それがずいぶんたまったので別の場所に移動させようと新しく箱詰めをする。
古い順から重ねていった。
はじめて披露宴の司会をした発注書。
レストランウェディングで落ち着いた感じのふたりがごく親しい人を集めたパーティーだった。
新郎新婦の雰囲気だけで顔をハッキリ思い出せないけど、あの日の緊張感と充実感はいま思い出しても胸がいっぱいになる。
それが2004年10月だった。
那智さんと出会ったのが2003年6月だったから、那智さんは出会って1年にも満たない女の職業の後押しをしたことになる。
(本番をもらえるまで半年くらいかかったからね)
そう考えると、やっぱり那智さんの『覚悟』と関わり方は当時からすごいと改めて思う。
まあ、わたしもよくついて行ったものです(笑)
次はヤクルトの容器で席札作ったヤンキーカップルだ。
残念だけど、ほとんど顔も雰囲気も思い出せない。
この会場はどちらかというと大都市ではない古いホテルだった。
そこから徐々に都市に近いホテルや結婚式場の発注書が増えていき、いま主にお仕事をしている大手ホテルのものが大半を占めるようになっていった。
掃除しなきゃいけないんだけど、つい見入ってしまう。
名前に記憶がある人。
顔をぼんやり覚えている新郎新婦。
この人は後日一緒に撮った写真をくださったから顔わかる^^
そうそう、ここは余興の人の顔は思い出せる。
印象に残るカップルが必ずしも波長が合ったと感じていたカップルじゃなかったり、すごーくいい人たちだったけどどうしても顔を思い出せなかったり、わたしの記憶の基準が不思議。
総数284組(数え間違ってなければ^^)
家庭と両立させるために本数を制限しているから年数に比べたら本数は少ないほうだろう。
それでも、そんなにたくさんの人たちに『おめでとう』を言うことができたのは我ながら圧巻。
そして、そんなわたしはとても幸せ者。
那智さん、あなたのおかげでこんなにたくさんの祝福をすることができました^^
今年もどんなカップルに会えるか、楽しみです。
思い出せない人たちも多くて残念だけど、毎回ウルウルする感性が色褪せないように今年もアンテナ磨きます^^
『等式』でも今年はどんな人に会えるかな。
いつもの人もひさしぶりの人も新しい人もたくさん会いに来てくださいね。
ということで、今年もよろしくお願いいたします。
皆さんも一緒にご自分だけのアンテナ磨きましょ〜♪
<関連エントリー>
『ヤンキー万歳^^』
お仕事の話まとめてみました^^
『限りなく素人に近い…』
『司会者に必要なものは』
『覚悟を決める時間』
『普段通り』
『鳥肌』
『心を動かす力』
おめでとうございます。りん子、年頭から、上手くまとめますね。(笑)でも、人の人生を彩る、1ページを担当するのは相当な苦労もあるはず、やりがいだけでは無いはずなのに、殆ど、泣き言が無いのは、天職なのか、掛ける言葉は「お疲れ様」そして良かったね、「これから、どうする」?(笑)
溺愛1
非日常的な日常
昨年の冬の終わりくらいから秋口まで、気がつけば半年以上鞭をしていなかった。
乳首を潰したりビンタをしたりはあったので痛いことをしていなかったのではなく、時間と体力を使った本格的な打撃系をしていなかったというのが正解。
だから、ちょうど3月のエントリーを最後に鞭の話が更新されることはなかった(これだって時差があるからね)
何度も書いているけど、ゴムのバラ鞭は本当に痛い。
わたしはマゾかもしれないけど痛いことが即大歓迎というわけではないので、痛いことはいつもいつも怖い。
だから、那智さんがカバンから鞭を取り出す気配のない日はほんのちょっと安堵する。
だけど、だけど、じゃあ、金輪際やらないと言われたら、それは淋しいと思ってしまうだろう。
痛いことがいいのだろうか、痛いことでたどり着く世界がいいのか、わからない。
ただ、それを那智さんがしてくれるからいいのだということだけはハッキリ言える。
とにかく鞭にはいつも複雑な気分にさせられている。
ところで、那智さんは、なぜ鞭をしなかったのだろう。
もちろん流行や気分でなんとなくという部分もあるけど(夏、暑かったしね^^)、那智さんとしては性的にもう1歩踏み込もうという目的があったようなのだ。
たしかに、長い時間かけてわたしは性的にとても変化させてもらった。
体と心はリンクしているから、その両方。
乳首に触れるだけで全身が震えるような、腰を振り求め、気持ちいいと表現することと、それを許す快感。
快感と制御しない精神。
その両方を変化させてもらった。
これももう一歩、さらに深くしようと思ったようなのだ。
ちょうど『20%嫌悪』からの解放のあたりだ。
那智さんはひたすらわたしにセックスの快感を与え続ける時間が増えていった。
その間は細々とSM的行為はしていたけど、多くの時間はおちんぽ様で指で道具でとにかくおまんこを突いた。
否応なく襲う快感に自分でも驚くような声を上げ、快感とは言い難いほどの快感の恐怖には逃げるように腰を振ってしまう。
そんな時間を毎回積み重ねていた。
SM的行為はちょこちょこしているものの主にセックスだけの描写は変化がないし恥ずかしくてできなかったから、しばらく『非日常的な日常』は若干おとなしめだったような気がします(笑)
そんな数ヶ月。
もしかしたら、この先、もう鞭はしないのかもしれない。
あの濃厚で痴人状態になれるのはいまのところ鞭だけだから、わたしはこの先一生あの世界に行くことはないのかもしれない。
幸い(?)わたしは痛みを欲してやまないという心と体には育てられていなかったから、この先ないかもしれないと思うことを静かに受け入れていた。
若い頃徹夜で遊んだ思い出を懐かしみ、老いを受け入れるような気持ちで。
秋も深まり。
那智さんの大きなイベントがひとつ終わろうとしていた頃。
お休みを前に「テンション高いよ〜、今度は鞭をしようね〜」とメールが届いた。
ああああ、鞭をするのですね。
とても怖い。
とても痛いことがわかっているから。
そして、あの痛さの先の痴人の恍惚は必ず感じられるという保証がないから。
人は慣れるもの。
コンスタントに鞭をしていたら快感回路も繋がりやすいかもしれないけど、ずっと間が空いてしまうとせっかく繋がった回路がリセットされてしまうような気がする。
もしかしたら、ただの物凄く痛いだけになってしまう可能性だって充分あるからだ。
だから、とても怖い。
わたしはひとり鞭に対して郷愁の思いを持っていたので、驚きと恐怖と、映画の予告を観てわくわくするようなすこし他人事のプラス感情で那智さんのメールを読んでいた。
宣言を聞いてから諸事情で一度鞭ができる状況にならずにいて、次の会う日。
改めて宣言はされていなかったけど、今日は鞭は決まっているはずだ。
折りに触れて「怖いです」というわたしに
痛いけど、怖くはないだろ?
という。
そう、ものすごく痛いとしても、怖くはないのだ。
なぜなら、那智さんは可愛がろうとしているのだから、もし快感に変換できずにただ痛いだけに終わったとしても、それは那智さんの可愛がりなのだから、怖くはない。
だからね、りん子はどうなってもいいの(笑)
気持ちよくなってもいいし、ならなくてもいいの
この自由はわたしに痛みを受け入れる心構えをさせてくれるし、じつは『那智さん次第』という上下の下の立場の自由でもあるのだ。
わたしはわたしの感覚の変化を那智さんにお預けする、わたしの感覚は那智さんが握っているのだから自由に気持ちよくなっても痛がってもいいのだ、これが下の立場の自由。
この思考回路をつなげてもらってずいぶん気持ちがラクになり鞭の日を迎えるのだった。
<関連エントリー>
性的に一歩踏み込んでいた時期
『苦節』
『20%嫌悪』
「等式」感想です。感じる・感じない・眠れる・眠れないのような、自分で制御でき難い事は開き直る事にしています。眠れないとイライラするなら眠くなるまで起きている、意識しないことにしています。意識するから、思い通りにならない、意識しなければストレスにならない。
精力の減退はこの限りにあらず。(笑)根本的な原因を解決しないと回復しませんね~
昨年の冬の終わりくらいから秋口まで、気がつけば半年以上鞭をしていなかった。
乳首を潰したりビンタをしたりはあったので痛いことをしていなかったのではなく、時間と体力を使った本格的な打撃系をしていなかったというのが正解。
だから、ちょうど3月のエントリーを最後に鞭の話が更新されることはなかった(これだって時差があるからね)
何度も書いているけど、ゴムのバラ鞭は本当に痛い。
わたしはマゾかもしれないけど痛いことが即大歓迎というわけではないので、痛いことはいつもいつも怖い。
だから、那智さんがカバンから鞭を取り出す気配のない日はほんのちょっと安堵する。
だけど、だけど、じゃあ、金輪際やらないと言われたら、それは淋しいと思ってしまうだろう。
痛いことがいいのだろうか、痛いことでたどり着く世界がいいのか、わからない。
ただ、それを那智さんがしてくれるからいいのだということだけはハッキリ言える。
とにかく鞭にはいつも複雑な気分にさせられている。
ところで、那智さんは、なぜ鞭をしなかったのだろう。
もちろん流行や気分でなんとなくという部分もあるけど(夏、暑かったしね^^)、那智さんとしては性的にもう1歩踏み込もうという目的があったようなのだ。
たしかに、長い時間かけてわたしは性的にとても変化させてもらった。
体と心はリンクしているから、その両方。
乳首に触れるだけで全身が震えるような、腰を振り求め、気持ちいいと表現することと、それを許す快感。
快感と制御しない精神。
その両方を変化させてもらった。
これももう一歩、さらに深くしようと思ったようなのだ。
ちょうど『20%嫌悪』からの解放のあたりだ。
那智さんはひたすらわたしにセックスの快感を与え続ける時間が増えていった。
その間は細々とSM的行為はしていたけど、多くの時間はおちんぽ様で指で道具でとにかくおまんこを突いた。
否応なく襲う快感に自分でも驚くような声を上げ、快感とは言い難いほどの快感の恐怖には逃げるように腰を振ってしまう。
そんな時間を毎回積み重ねていた。
SM的行為はちょこちょこしているものの主にセックスだけの描写は変化がないし恥ずかしくてできなかったから、しばらく『非日常的な日常』は若干おとなしめだったような気がします(笑)
そんな数ヶ月。
もしかしたら、この先、もう鞭はしないのかもしれない。
あの濃厚で痴人状態になれるのはいまのところ鞭だけだから、わたしはこの先一生あの世界に行くことはないのかもしれない。
幸い(?)わたしは痛みを欲してやまないという心と体には育てられていなかったから、この先ないかもしれないと思うことを静かに受け入れていた。
若い頃徹夜で遊んだ思い出を懐かしみ、老いを受け入れるような気持ちで。
秋も深まり。
那智さんの大きなイベントがひとつ終わろうとしていた頃。
お休みを前に「テンション高いよ〜、今度は鞭をしようね〜」とメールが届いた。
ああああ、鞭をするのですね。
とても怖い。
とても痛いことがわかっているから。
そして、あの痛さの先の痴人の恍惚は必ず感じられるという保証がないから。
人は慣れるもの。
コンスタントに鞭をしていたら快感回路も繋がりやすいかもしれないけど、ずっと間が空いてしまうとせっかく繋がった回路がリセットされてしまうような気がする。
もしかしたら、ただの物凄く痛いだけになってしまう可能性だって充分あるからだ。
だから、とても怖い。
わたしはひとり鞭に対して郷愁の思いを持っていたので、驚きと恐怖と、映画の予告を観てわくわくするようなすこし他人事のプラス感情で那智さんのメールを読んでいた。
宣言を聞いてから諸事情で一度鞭ができる状況にならずにいて、次の会う日。
改めて宣言はされていなかったけど、今日は鞭は決まっているはずだ。
折りに触れて「怖いです」というわたしに
痛いけど、怖くはないだろ?
という。
そう、ものすごく痛いとしても、怖くはないのだ。
なぜなら、那智さんは可愛がろうとしているのだから、もし快感に変換できずにただ痛いだけに終わったとしても、それは那智さんの可愛がりなのだから、怖くはない。
だからね、りん子はどうなってもいいの(笑)
気持ちよくなってもいいし、ならなくてもいいの
この自由はわたしに痛みを受け入れる心構えをさせてくれるし、じつは『那智さん次第』という上下の下の立場の自由でもあるのだ。
わたしはわたしの感覚の変化を那智さんにお預けする、わたしの感覚は那智さんが握っているのだから自由に気持ちよくなっても痛がってもいいのだ、これが下の立場の自由。
この思考回路をつなげてもらってずいぶん気持ちがラクになり鞭の日を迎えるのだった。
<関連エントリー>
性的に一歩踏み込んでいた時期
『苦節』
『20%嫌悪』
「等式」感想です。感じる・感じない・眠れる・眠れないのような、自分で制御でき難い事は開き直る事にしています。眠れないとイライラするなら眠くなるまで起きている、意識しないことにしています。意識するから、思い通りにならない、意識しなければストレスにならない。
精力の減退はこの限りにあらず。(笑)根本的な原因を解決しないと回復しませんね~
溺愛2
非日常的な日常
この日はお昼からの待ち合わせ。
人生初のつけ麺を食べさせてもらって満腹^^
部屋に入り、ほとんど間髪入れずに那智さん性的モード。
満腹感は性欲を減退させるのではないか!!
お腹いっぱいで鞭を受けるのは!!
なんて四の五の言うわたしなんておかまいなし。
ソファでさらっと胸を触る。
わたしのほうも、言葉とは裏腹にほんのすこし胸を触られただけで途端に欲情。
ああ、もう、すぐ、触ってください、いっぱいいっぱい。
直接的な愛撫はあっという間に終わってしまった。
今日はこれからしようと思っていたんだ^^
そういってベッドに腰かけわたしを膝に抱く。
ワンピースの裾をめくってパンツを下ろしてスパンキング。
すでに欲情しているわたしは最初の数発でもう喜んでしまっている。
手のひらの殴打に合わせてガクンと揺れるわたしの頭をもう片方の手のひらが優しく撫でる。
よしよし、いいこいいこ
また叩く。
撫でた手がワンピースの胸元に差し込まれ胸に触れる。
ああ、気持ち良くて腰がもっと揺れる。
片方のお尻ばかり執拗に叩かれる。
パチンとかバチンとは違う『ゴツン』という感じの叩き方、100発は簡単に超えているはず、300、もしかしたら500発くらいは叩いただろうか。(那智さん曰く)
那智さんの太ももに当たっているおまんこが気持ちいい。
もっと気持ちよくなりたくて体をすこしズラしおまんこが膝に当たるようにする。
自分で、なんてはしたないことをしているんだと思っているのだけど、止められない。
膝に移動してるし(笑)
わーーん、それ指摘しないでください!!
わたしだって恥ずかしいのだから!!
ときどきこうやってからかう。
那智さんに蔑む感覚はないということは信じられているし、こういうからかい方をするときは、むしろ、それが好きだからだったりする。
好きな女の子をかわかうのと大して変わらない小学生心理(笑)
それをちゃんと理解しているのだけど、やっぱりわたし自身が恥ずかしいと自覚していることを指摘されるのは、せっかく快感に夢中になれそうなときに水を差す行為とも言えなくないので、ちょっといじけそうになるのも事実。
こういうときいじけモードになってしまうこともあるんだけど、この日の那智さんはまったくおかまいなしだったし、那智さんに悪意がないことを最近はしっかり認識できているので、ちょっとだけ『しゅん』として問題なし^^
結局これが区切りになって、次は鞭になったのだ。
洋服を全部脱がせてもらって、キス。
すこし胸に触れるだけですぐ快感。
大きく抱擁しながら「いいこ、いいこ」と撫でてくれる。
鞭は怖い。
だけど、すでにふわふわしているわたしに包み込むような抱擁がさらに幸福な欲情を誘い、思いのほか身構えることはなかった。
那智さんが鞭を握る。
それが当然のように枕を抱えお尻を出す。
バシバシッ!!
ああ、最初から痛いやり方!!
痛さに一瞬我に返る。
でも、ふわんとすぐにさっきの欲情が戻る。
また数発。
ううう、那智さん、痛いです!!
身をよじり訴える。
ベッドに乗り、身悶えするわたしの横に添い寝するように寄り添い抱擁。
いいこ、いいこ
りん子はいいこだね
優しくキス。
また鞭。
かまえる仕草に連動するようにお尻を差し出す。
ほぼMAXの力。
痛い!!痛い!!痛い!!!
くう〜と体に力が入る。
ああ、でも、体が喜んでる。
痛いのに喜んでる。
りん子、その顔ひさしぶりに見たね
やっぱりりん子はこれがほしかったんだね
そうなの?
わたしほしかったの?
どんどんふわふわしてくる頭がぼんやり思う。
バンバンバンバン!!
連続。
仰向けになって地団駄。
足の揺れとは別に腰も揺れる。
りん子、かわいそうになっちゃったよ
そう言いながら、またわたしを包み込んでくれる。
何?
こんなに痛そうで、かわいそう?
回らない頭で、また思う。
こんな顔になるんだもんな
鞭、してあげなくてかわいそうだったね
いい顔
そう言いながら、またよしよしと髪を撫で慈しみのキスをしてくれる。
それでも那智さんの言葉や抱擁とは裏腹に、鞭の力は容赦ない。
激しく、何度も何度も打ち下ろされるゴムの鞭。
痛くて暴れ回り、そのたびにどんどん快感が増す。
打たれ、起き上がり、すり寄り、抱きしめられ、キスをして、快感に腰を振る。
腫れ上がったお尻を掴み、爪を立てる「いいこいいこ」と撫でられながら。
砂糖菓子のような甘い抱擁と凶器の鞭。
数発打ち、痛さに耐えられず体を起こす。
これがひと息入れる暗黙の合図。
くううと膝立ちで大きく息を吐いていると、その無防備なお尻に、また鞭。
驚きと予期せぬ痛みに戸惑う。
逃げていいのか、逃げたらもっと痛い場所に当たるのか。
わあわあと体を上下させ「那智さん、怖い!!」と振り返る。
大丈夫
左右から鞭を振り下ろす那智さんの穏やかな表情。
ああ、その遠慮ない様子に心を掴まれる。
もう気持ちいい。
我慢できない。
那智さん、お膝を貸してください
なんていうことを懇願しているのだ、わたしは。
裸の女がすり寄り、膝におまんこを押当てて自慰をする。
そんなことまで放出できてしまう快感。
うーうーと呻き半開きの目をしたわたし「入れてください、入れてください」とうわごとのように言うわたしは、那智さんの目にどんなふうに映っているだろうか。
バラけた鞭を捻りゴツゴツした太い一本に束ねて思い切り体重をかけて振り下ろされ、『どすん』という衝撃にたまらず起き上がる。
りん子、とってもかわいい
こんなにいやらしくてはしたなくて、マゾで、うれしいよ
そのまま体丸ごと抱きかかえられながら、那智さんの言葉が耳に届く。
手も足も小さく折り畳まれ覆い尽くすように極上のキス、髪を撫で体を愛撫される。
もうどれくらい続いているかわからない。
鞭と抱擁とキスと愛撫を延々繰り返す。
息もできないほど。
甘い甘い砂糖水に沈められていく。
頭が朦朧とする。
那智さんの目が、うれしそうな欲情と慈しみの目がたまらない。
深い愛情と欲情と支配欲の迫力に窒息しそうだ。
那智さんの胸に抱かれ、甘い奈落にずぶずぶと沈んでいく。
息苦しささえ感じるほどの濃密な交わりに、食べ尽してくれたら幸せだなと朦朧とした頭で思った。
次回、今回の鞭の〆です^^
「等式」感想です。あの時はかなり、甘い鞭でした。意識して甘い鞭にしたいとう欲求と、そうしたらりん子が楽しんでくれるかなと言う予想の基、鞭を振りました。あの雰囲気は今迄で一番大きく甘い雰囲気の中での「痛い」ことだったのだと思います。
この日はお昼からの待ち合わせ。
人生初のつけ麺を食べさせてもらって満腹^^
部屋に入り、ほとんど間髪入れずに那智さん性的モード。
満腹感は性欲を減退させるのではないか!!
お腹いっぱいで鞭を受けるのは!!
なんて四の五の言うわたしなんておかまいなし。
ソファでさらっと胸を触る。
わたしのほうも、言葉とは裏腹にほんのすこし胸を触られただけで途端に欲情。
ああ、もう、すぐ、触ってください、いっぱいいっぱい。
直接的な愛撫はあっという間に終わってしまった。
今日はこれからしようと思っていたんだ^^
そういってベッドに腰かけわたしを膝に抱く。
ワンピースの裾をめくってパンツを下ろしてスパンキング。
すでに欲情しているわたしは最初の数発でもう喜んでしまっている。
手のひらの殴打に合わせてガクンと揺れるわたしの頭をもう片方の手のひらが優しく撫でる。
よしよし、いいこいいこ
また叩く。
撫でた手がワンピースの胸元に差し込まれ胸に触れる。
ああ、気持ち良くて腰がもっと揺れる。
片方のお尻ばかり執拗に叩かれる。
パチンとかバチンとは違う『ゴツン』という感じの叩き方、100発は簡単に超えているはず、300、もしかしたら500発くらいは叩いただろうか。(那智さん曰く)
那智さんの太ももに当たっているおまんこが気持ちいい。
もっと気持ちよくなりたくて体をすこしズラしおまんこが膝に当たるようにする。
自分で、なんてはしたないことをしているんだと思っているのだけど、止められない。
膝に移動してるし(笑)
わーーん、それ指摘しないでください!!
わたしだって恥ずかしいのだから!!
ときどきこうやってからかう。
那智さんに蔑む感覚はないということは信じられているし、こういうからかい方をするときは、むしろ、それが好きだからだったりする。
好きな女の子をかわかうのと大して変わらない小学生心理(笑)
それをちゃんと理解しているのだけど、やっぱりわたし自身が恥ずかしいと自覚していることを指摘されるのは、せっかく快感に夢中になれそうなときに水を差す行為とも言えなくないので、ちょっといじけそうになるのも事実。
こういうときいじけモードになってしまうこともあるんだけど、この日の那智さんはまったくおかまいなしだったし、那智さんに悪意がないことを最近はしっかり認識できているので、ちょっとだけ『しゅん』として問題なし^^
結局これが区切りになって、次は鞭になったのだ。
洋服を全部脱がせてもらって、キス。
すこし胸に触れるだけですぐ快感。
大きく抱擁しながら「いいこ、いいこ」と撫でてくれる。
鞭は怖い。
だけど、すでにふわふわしているわたしに包み込むような抱擁がさらに幸福な欲情を誘い、思いのほか身構えることはなかった。
那智さんが鞭を握る。
それが当然のように枕を抱えお尻を出す。
バシバシッ!!
ああ、最初から痛いやり方!!
痛さに一瞬我に返る。
でも、ふわんとすぐにさっきの欲情が戻る。
また数発。
ううう、那智さん、痛いです!!
身をよじり訴える。
ベッドに乗り、身悶えするわたしの横に添い寝するように寄り添い抱擁。
いいこ、いいこ
りん子はいいこだね
優しくキス。
また鞭。
かまえる仕草に連動するようにお尻を差し出す。
ほぼMAXの力。
痛い!!痛い!!痛い!!!
くう〜と体に力が入る。
ああ、でも、体が喜んでる。
痛いのに喜んでる。
りん子、その顔ひさしぶりに見たね
やっぱりりん子はこれがほしかったんだね
そうなの?
わたしほしかったの?
どんどんふわふわしてくる頭がぼんやり思う。
バンバンバンバン!!
連続。
仰向けになって地団駄。
足の揺れとは別に腰も揺れる。
りん子、かわいそうになっちゃったよ
そう言いながら、またわたしを包み込んでくれる。
何?
こんなに痛そうで、かわいそう?
回らない頭で、また思う。
こんな顔になるんだもんな
鞭、してあげなくてかわいそうだったね
いい顔
そう言いながら、またよしよしと髪を撫で慈しみのキスをしてくれる。
それでも那智さんの言葉や抱擁とは裏腹に、鞭の力は容赦ない。
激しく、何度も何度も打ち下ろされるゴムの鞭。
痛くて暴れ回り、そのたびにどんどん快感が増す。
打たれ、起き上がり、すり寄り、抱きしめられ、キスをして、快感に腰を振る。
腫れ上がったお尻を掴み、爪を立てる「いいこいいこ」と撫でられながら。
砂糖菓子のような甘い抱擁と凶器の鞭。
数発打ち、痛さに耐えられず体を起こす。
これがひと息入れる暗黙の合図。
くううと膝立ちで大きく息を吐いていると、その無防備なお尻に、また鞭。
驚きと予期せぬ痛みに戸惑う。
逃げていいのか、逃げたらもっと痛い場所に当たるのか。
わあわあと体を上下させ「那智さん、怖い!!」と振り返る。
大丈夫
左右から鞭を振り下ろす那智さんの穏やかな表情。
ああ、その遠慮ない様子に心を掴まれる。
もう気持ちいい。
我慢できない。
那智さん、お膝を貸してください
なんていうことを懇願しているのだ、わたしは。
裸の女がすり寄り、膝におまんこを押当てて自慰をする。
そんなことまで放出できてしまう快感。
うーうーと呻き半開きの目をしたわたし「入れてください、入れてください」とうわごとのように言うわたしは、那智さんの目にどんなふうに映っているだろうか。
バラけた鞭を捻りゴツゴツした太い一本に束ねて思い切り体重をかけて振り下ろされ、『どすん』という衝撃にたまらず起き上がる。
りん子、とってもかわいい
こんなにいやらしくてはしたなくて、マゾで、うれしいよ
そのまま体丸ごと抱きかかえられながら、那智さんの言葉が耳に届く。
手も足も小さく折り畳まれ覆い尽くすように極上のキス、髪を撫で体を愛撫される。
もうどれくらい続いているかわからない。
鞭と抱擁とキスと愛撫を延々繰り返す。
息もできないほど。
甘い甘い砂糖水に沈められていく。
頭が朦朧とする。
那智さんの目が、うれしそうな欲情と慈しみの目がたまらない。
深い愛情と欲情と支配欲の迫力に窒息しそうだ。
那智さんの胸に抱かれ、甘い奈落にずぶずぶと沈んでいく。
息苦しささえ感じるほどの濃密な交わりに、食べ尽してくれたら幸せだなと朦朧とした頭で思った。
次回、今回の鞭の〆です^^
「等式」感想です。あの時はかなり、甘い鞭でした。意識して甘い鞭にしたいとう欲求と、そうしたらりん子が楽しんでくれるかなと言う予想の基、鞭を振りました。あの雰囲気は今迄で一番大きく甘い雰囲気の中での「痛い」ことだったのだと思います。
溺愛3(1/15おまけ追加^^)
非日常的な日常
ひさしぶりの鞭は、驚くほどあっさりと快感になった。
欲情している状態だったことや最初スパンキングがら入ってくれたことなどいろいろな要素があるだろうけど、半年以上ぶりという心配は杞憂に終わった。
今回の鞭は、もしかしたらいままでの中で一番気持ちよかったかもしれない。
というか、いままでとはまた違った感覚になっていた。
いままでは痛いことは快感や痴人状態への道筋、痛いことを受け入れた先に何かが待っているという状態だから、とにかくまず痛いことを甘受している感じだったのに対し、このときはほとんど最初から痛いことが気持ちよくて、痛み自体を喜んでいたようだった。
だから、高笑いする痴人状態の突き抜ける感じにはならなかったけど、その代わり、ずっと朦朧とした快感が溢れていた。
そして、その快感を決定付けたのが、淫乱な自分を許し放出する幸福感。
那智さんは終止そのわたしを愛で肯定し歓迎していた。
SMを意識するなと言っていた那智さんが「りん子がマゾでうれしい」とわたしの『マゾ』を名指しして褒めてくれたのは、おそらく、はじめてだ。
那智さんの膝で自慰をするわたしを愛してくれていると感じられると、わたしもそのわたしがとんでもなく愛おしく思えるのだ。
あの窒息しそうなほどの甘い肯定が淫乱なわたしを放出させることを許したのだろう。
このタガを外せてしまえる状態はかなりの快感だった。
痛いことの先の正気を失う時間。
痛いことも気持ちいいことも全部が快感になるほどの那智さんの愛情と欲情に溺れる時間。
どちらも快感だけど、新しい時間だったことはたしかだ。
そして、今回の鞭はじつは那智さんにとっても同じ、もっというと、わたしよりも大きな変換だったかもしれないそうです。
ひさしぶりということもあって、那智さんは最初から『甘い』モードで鞭をしようと思っていました。
だから、打っては抱きしめ、また打ってはキスをしてということを繰り返し可愛がることを表現したのです。
もともと那智さんにとって鞭は『可愛がる』ことだから、一般的な鞭のイメージ、厳しいや鬼畜や冷徹や、とにかくそんなもの?とは違う可愛がる手段としての鞭をしていました。(その他のやSM行為も)
『大切にされながら酷いこと』とか『キスをするように鞭を振るう』なんて表現していたりしていますよね。
だから、方向性としては変わりないのだけど、それを存分に表に出したというところが新しいのです。
いつもなら、わたしがすり寄っていって『いいこいいこ』だったり、キスをねだってしてくれたりと、どこか『可愛がる』を内に秘めているようだったのを、那智さんからキスをして抱きしめて甘々であることをためらわなかったのです。
那智さん自身『可愛がる』ことは自覚していたし、『SMとは』なんてことは排除していたかったはずなんですけど、心のどこかにわずかに『鞭を打つときの空気』に既成のサディスト像を意識してしまって、ちょっと怖い雰囲気だったり厳しい雰囲気だったりを無意識に作っていたんですね。
同じことをするとしても、どのようにやるか。
これは、もしかしたら大きなポイントかもしれません。
痛みと愛撫と愛情をためわらず与える積極的な甘々の鞭をしてみたら、これが思いのほか快適で楽しくて『キスをするように鞭を打つ』ことを心底できたと感じられたそうなのです。
那智さんの満足できる愛し方だったのですね。
で、これは、那智さん自身うれしい発見ではありますが、反面、危険な展開でもあります。
少し危ない世界に足を踏み入れたかもしれない。
あの愛し方は際限がない、過激になる可能性がある。頭を撫でるのと同じならもっとたくさんもっと強くしたくなるかもしれない。
昔から痛覚の分野はエスカレートするから危険だと、常に慎重に進めご自分とわたしの両方を見極めてきた那智さんが、あらためて、そう文字にするということは、おそらく、そうなるし、そうなることを自身に許したのだろう。
わたしはこのメールを震える気持ちで読みました。
それはもちろん怖い気持ちや静かな覚悟。
だけど、それだけじゃない。
もともと痛いことへの憧れはわたしのほうが強かったと思っている。
まあ、那智さんは実現担当なのでどうしても慎重にならざるを得ないのだけど、それ以外の嗜好の部分に於いても。
鞭は可愛がる手段のひとつで『りん子が喜ぶから』というモチベーションがすこし多めに含まれていると感じていたのだ。
那智さんの中の『どうしてもやりたいこと』とはすこし違うのだろうと。
だから、心のどこかで『してもらっている』という気持ちがわずかにあった。
それが、今回の濃密な時間とその後の話しで、あれは那智さんの『したいこと』にだったと感じられたのだ。
(繰り返すけど、那智さんは自分の中で確信が持てないと発言されないから、かなりの覚悟を持っての発言と感じられるのです)
だから、新しい世界を知り進んでいく怖さと覚悟の他に、理性ではないどこかが震える思いになった。
きっと、それはよろこびという震え。
SM行為の快感にひとつは『快感が拒否を上回る』ことだと書いたことがあるけど、大好きな人の『どうしてもしたいこと』をぶつけられ、それに自分の『どうしてもしたいこと』が絡み合う濃密な時間を共有することも大きなよろこびだと思う。
那智さんのやりたいことでわたしが翻弄され、わたしのしたいことを感じさせてもらう。
これは互いに自分の嗜好や感情と向き合って生まれ、育まれるものだ。
『やりたいことはやる』というエントリーを書いたけど、『やりたいことをやりたいようにやる』ことも、同じように大切なことだと思う。
那智さんは鞭を頭を撫でることと同じような表現方法ですることで、よりふたりのよろこびに繋げることができた。
それは自分の嗜好と感情に真摯に向き合った表れだ。
誰かが作ったSMやご主人様と奴隷像からでは作り出せない。
SMは笑っちゃいけないなんて
サディストは鬼畜じゃないといけないなんて
ご主人様は厳しくないといけないなんて
いったい誰が決めたのだろう。
それもひとつの形とは思うけど、やりたいことをやりたいようにやる、そこには『ご主人様とは』とか『M女とは』なんてなくていい。
最初は既成のものから入ったとしても自分の心に耳を傾け違和感や好みを見極めればいい、それを自分と相手と作っていけばいい。
そのほうが自分たちだけの快感や幸福が手に入るし、それはずーーーっと続けたいと思うのだ。
俺もカッコ悪いよな(笑)
と、SMを意識するなとわたしに言っていたにも関わらず、無意識の中でわずかにその雰囲気を意識していたご自分に照れていう那智さん^^
そう照れ笑いする那智さんをわたしはカッコいいと思うのだ。
それはあなたがどれだけ自分とわたしに向き合ってくれたかの表れだから。
甘々な可愛がるSM、鞭とキスを同時に味わえるSM、愛情と欲情で溺れそうな支配があったって、いいじゃない、ね^^
<関連エントリー>
『やりたいことはやる』
おまけ、ツイートより
りん子(^-^)今回の『溺愛』、タイトル悩んだんだ。最初は『甘い鞭』とか『溺れる』とか考えたけど、同タイトルの本やブログも知っていたからやめた。既知のものとあえて同じにすることもあるんだけど今回はしたくなかったんだ。『溺愛』もたくさんありそうだけどわたしが知らなければいいの(笑
次に考えたのは『溺死』もしくは『窒息』。あまりに濃厚な甘さに、大げさだけど『死』を連想してしまったんだ。そして、あれをする那智さんの甘えさせるという方法の支配欲にすこし畏怖も感じたから。でも、『死』という言葉を使うことには慎重になりたくてボツ。
で、『溺愛』にたどり着いた。『溺愛』というと那智さん側の盲目的な愛という意味になってしまうのだけど、それとは違っていてね、わたしが深く濃い愛情に溺れる雰囲気を伝えたかったんだ。那智さん、わたしのこと盲目的には愛していないはずだから、補足説明でした(笑)
「溺愛3」感想です。そうなんですよ、この格好悪い事この上なかったのです。SMを意識するなといいながら、自分が無意識で鞭を打つ時には「それっぽく」していたことが、どうにもこうにも恥ずかしい。(笑)あまい鞭の魅力は大きいです、お試しに皆さんもいかがですか?
ひさしぶりの鞭は、驚くほどあっさりと快感になった。
欲情している状態だったことや最初スパンキングがら入ってくれたことなどいろいろな要素があるだろうけど、半年以上ぶりという心配は杞憂に終わった。
今回の鞭は、もしかしたらいままでの中で一番気持ちよかったかもしれない。
というか、いままでとはまた違った感覚になっていた。
いままでは痛いことは快感や痴人状態への道筋、痛いことを受け入れた先に何かが待っているという状態だから、とにかくまず痛いことを甘受している感じだったのに対し、このときはほとんど最初から痛いことが気持ちよくて、痛み自体を喜んでいたようだった。
だから、高笑いする痴人状態の突き抜ける感じにはならなかったけど、その代わり、ずっと朦朧とした快感が溢れていた。
そして、その快感を決定付けたのが、淫乱な自分を許し放出する幸福感。
那智さんは終止そのわたしを愛で肯定し歓迎していた。
SMを意識するなと言っていた那智さんが「りん子がマゾでうれしい」とわたしの『マゾ』を名指しして褒めてくれたのは、おそらく、はじめてだ。
那智さんの膝で自慰をするわたしを愛してくれていると感じられると、わたしもそのわたしがとんでもなく愛おしく思えるのだ。
あの窒息しそうなほどの甘い肯定が淫乱なわたしを放出させることを許したのだろう。
このタガを外せてしまえる状態はかなりの快感だった。
痛いことの先の正気を失う時間。
痛いことも気持ちいいことも全部が快感になるほどの那智さんの愛情と欲情に溺れる時間。
どちらも快感だけど、新しい時間だったことはたしかだ。
そして、今回の鞭はじつは那智さんにとっても同じ、もっというと、わたしよりも大きな変換だったかもしれないそうです。
ひさしぶりということもあって、那智さんは最初から『甘い』モードで鞭をしようと思っていました。
だから、打っては抱きしめ、また打ってはキスをしてということを繰り返し可愛がることを表現したのです。
もともと那智さんにとって鞭は『可愛がる』ことだから、一般的な鞭のイメージ、厳しいや鬼畜や冷徹や、とにかくそんなもの?とは違う可愛がる手段としての鞭をしていました。(その他のやSM行為も)
『大切にされながら酷いこと』とか『キスをするように鞭を振るう』なんて表現していたりしていますよね。
だから、方向性としては変わりないのだけど、それを存分に表に出したというところが新しいのです。
いつもなら、わたしがすり寄っていって『いいこいいこ』だったり、キスをねだってしてくれたりと、どこか『可愛がる』を内に秘めているようだったのを、那智さんからキスをして抱きしめて甘々であることをためらわなかったのです。
那智さん自身『可愛がる』ことは自覚していたし、『SMとは』なんてことは排除していたかったはずなんですけど、心のどこかにわずかに『鞭を打つときの空気』に既成のサディスト像を意識してしまって、ちょっと怖い雰囲気だったり厳しい雰囲気だったりを無意識に作っていたんですね。
同じことをするとしても、どのようにやるか。
これは、もしかしたら大きなポイントかもしれません。
痛みと愛撫と愛情をためわらず与える積極的な甘々の鞭をしてみたら、これが思いのほか快適で楽しくて『キスをするように鞭を打つ』ことを心底できたと感じられたそうなのです。
那智さんの満足できる愛し方だったのですね。
で、これは、那智さん自身うれしい発見ではありますが、反面、危険な展開でもあります。
少し危ない世界に足を踏み入れたかもしれない。
あの愛し方は際限がない、過激になる可能性がある。頭を撫でるのと同じならもっとたくさんもっと強くしたくなるかもしれない。
昔から痛覚の分野はエスカレートするから危険だと、常に慎重に進めご自分とわたしの両方を見極めてきた那智さんが、あらためて、そう文字にするということは、おそらく、そうなるし、そうなることを自身に許したのだろう。
わたしはこのメールを震える気持ちで読みました。
それはもちろん怖い気持ちや静かな覚悟。
だけど、それだけじゃない。
もともと痛いことへの憧れはわたしのほうが強かったと思っている。
まあ、那智さんは実現担当なのでどうしても慎重にならざるを得ないのだけど、それ以外の嗜好の部分に於いても。
鞭は可愛がる手段のひとつで『りん子が喜ぶから』というモチベーションがすこし多めに含まれていると感じていたのだ。
那智さんの中の『どうしてもやりたいこと』とはすこし違うのだろうと。
だから、心のどこかで『してもらっている』という気持ちがわずかにあった。
それが、今回の濃密な時間とその後の話しで、あれは那智さんの『したいこと』にだったと感じられたのだ。
(繰り返すけど、那智さんは自分の中で確信が持てないと発言されないから、かなりの覚悟を持っての発言と感じられるのです)
だから、新しい世界を知り進んでいく怖さと覚悟の他に、理性ではないどこかが震える思いになった。
きっと、それはよろこびという震え。
SM行為の快感にひとつは『快感が拒否を上回る』ことだと書いたことがあるけど、大好きな人の『どうしてもしたいこと』をぶつけられ、それに自分の『どうしてもしたいこと』が絡み合う濃密な時間を共有することも大きなよろこびだと思う。
那智さんのやりたいことでわたしが翻弄され、わたしのしたいことを感じさせてもらう。
これは互いに自分の嗜好や感情と向き合って生まれ、育まれるものだ。
『やりたいことはやる』というエントリーを書いたけど、『やりたいことをやりたいようにやる』ことも、同じように大切なことだと思う。
那智さんは鞭を頭を撫でることと同じような表現方法ですることで、よりふたりのよろこびに繋げることができた。
それは自分の嗜好と感情に真摯に向き合った表れだ。
誰かが作ったSMやご主人様と奴隷像からでは作り出せない。
SMは笑っちゃいけないなんて
サディストは鬼畜じゃないといけないなんて
ご主人様は厳しくないといけないなんて
いったい誰が決めたのだろう。
それもひとつの形とは思うけど、やりたいことをやりたいようにやる、そこには『ご主人様とは』とか『M女とは』なんてなくていい。
最初は既成のものから入ったとしても自分の心に耳を傾け違和感や好みを見極めればいい、それを自分と相手と作っていけばいい。
そのほうが自分たちだけの快感や幸福が手に入るし、それはずーーーっと続けたいと思うのだ。
俺もカッコ悪いよな(笑)
と、SMを意識するなとわたしに言っていたにも関わらず、無意識の中でわずかにその雰囲気を意識していたご自分に照れていう那智さん^^
そう照れ笑いする那智さんをわたしはカッコいいと思うのだ。
それはあなたがどれだけ自分とわたしに向き合ってくれたかの表れだから。
甘々な可愛がるSM、鞭とキスを同時に味わえるSM、愛情と欲情で溺れそうな支配があったって、いいじゃない、ね^^
<関連エントリー>
『やりたいことはやる』
おまけ、ツイートより
りん子(^-^)今回の『溺愛』、タイトル悩んだんだ。最初は『甘い鞭』とか『溺れる』とか考えたけど、同タイトルの本やブログも知っていたからやめた。既知のものとあえて同じにすることもあるんだけど今回はしたくなかったんだ。『溺愛』もたくさんありそうだけどわたしが知らなければいいの(笑
次に考えたのは『溺死』もしくは『窒息』。あまりに濃厚な甘さに、大げさだけど『死』を連想してしまったんだ。そして、あれをする那智さんの甘えさせるという方法の支配欲にすこし畏怖も感じたから。でも、『死』という言葉を使うことには慎重になりたくてボツ。
で、『溺愛』にたどり着いた。『溺愛』というと那智さん側の盲目的な愛という意味になってしまうのだけど、それとは違っていてね、わたしが深く濃い愛情に溺れる雰囲気を伝えたかったんだ。那智さん、わたしのこと盲目的には愛していないはずだから、補足説明でした(笑)
「溺愛3」感想です。そうなんですよ、この格好悪い事この上なかったのです。SMを意識するなといいながら、自分が無意識で鞭を打つ時には「それっぽく」していたことが、どうにもこうにも恥ずかしい。(笑)あまい鞭の魅力は大きいです、お試しに皆さんもいかがですか?
鬼畜の所業
りん子的独り言(生意気)
昼間の公園でリードをつけてダッシュさせられる。
これって、かなりわたし側としては恥ずかしくて大変なことだと思う。
なかなかこれを『楽しい』と思う人もいないだろうし、快感になる人もいないだろう。
大変で快感にもならず、とてもとても恥ずかしいこと。
でも、あのエントリーを読んで誰も『鬼畜の所業』だとはいわない。
それは鞭もスカトロもどれもだけど。
いや、自分ならぜったい無理だけど、りん子さん、喜んでるものね〜^^;
ということだからだよね。
そうなると、鞭でお尻が痣だらけになっても、乳首に針を刺しても、うんこを体に塗られても、わたし側が喜べば『鬼畜』にはならないのだ。
じゃあ、冷徹な非情なサディストの鬼畜の所業は、その行為の酷さではなく、こちら側がどれほど苦痛を感じているかで計られるものなのだろうか。
たとえば、ペラペラのスリッパでお尻を叩いて泣かせたら鬼畜で、一本鞭で体中痣だらけにしても喜んでいれば鬼畜じゃないということになる。
ときどき見かける『鬼畜発言』は、そういうところで判断しているのかな。
ふむふむ。
と、納得しかけて(笑)
ここで、SM行為の矛盾にぶち当たるのだ。
SMは『酷いことをしたい』加虐嗜好と『酷いことをされたいM』被虐嗜好の組み合わせなのだから、Sがどんなに酷いことをしても、それはMにとっては嗜好を満たしていることになる。
もちろん犯罪にならない常識の範囲内の酷いことでなければならないし、こちらの許容範囲は広がっていくものだから、なんでも『苦痛が即快感』というものではないけれど、それでもMにとっては肉体的精神的に酷いことは最終的には望むところだ。
だから、こちら側の受け取り方で鬼畜かどうかを計るとしたら、基本的にどれも鬼畜にはならないよね。
仮に被虐嗜好はなくて、でも『ご主人様に喜んでいただきたい』などのSMとは違う主従や奴隷嗜好の女性で、痛いこと自体では快感を感じられない場合だったとしても、自らそこに出向き、関係を継続させているのだから、そこには何かしらの快感は存在しているはずなんだ。
脅されたりして強制的に連れて来られないかぎり、行為自体は苦痛でも、それによりやっぱり最終的には受ける側の喜びがあるわけだ。
わたしだって、鞭の一発目から快感になるわけではないし、リードでダッシュだけピックアップしたら『イヤだ!!』もの(笑)
というSMや奴隷嗜好への矛盾はいっぱい書いてきた。
ということは、その関係が継続している限りこちらは喜んでいる、だから、こちらが嫌がっていたら鬼畜だとするならばどれも『鬼畜の所業』にはならないのではないのだ。
じゃあ、何が鬼畜なんだろう?
ひとつ当てはまるとしたら。
やっている側(Sやご主人様)がどんな気持ちで行っているかが判断基準にあるのではないかな。
那智さんはわたしに痛いことをするとき、排泄関係をするとき、お店で四つん這いにするとき、ビンタも針も顔を踏むのも、どのときもわたしを酷いことをして傷つけてやろうとか悲しませてやろうとは思っていない。
一般的には酷いとされる行為で可愛がろうと思っている。
恋人同士、キスをするのと変わらないことだ。
他のSやご主人様がどんな気持ちで酷いことをしているのか知らないけど、違いがあるとしたらそこなんじゃないかな。
わたし側の女性を可愛がろうと思っていないこと。
もっというと傷つけたいとか苦しめたいとか思っていること。
さらにいうと、その女性の感情に興味がない鬼畜さんもいるかもしれないよね。
S側が、M側に対してどんな気持ちで酷いことをしているかで『鬼畜』かどうかが分かれるのかなと思う。
まあ、それでも、そこにいる時点でこちら側は最終的には快感を得ていることになるのだから、『酷いことしてやろう』という気持ちは鬼畜さんの独り相撲になっちゃうんだけどね。
<関連エントリー>
『奴隷願望の矛盾』
『アラシのりん子』
『那智さんのSM』
『奴隷の定義』
「鬼畜の所業」感想です。二人称では鬼畜はないですよね~他者から見たときにだけ、「鬼畜」が存在するのかもしれません。でも、私の行っている行為を、誰も「鬼畜の所業」とは思ってくれないでしょうけれど。(笑)
昼間の公園でリードをつけてダッシュさせられる。
これって、かなりわたし側としては恥ずかしくて大変なことだと思う。
なかなかこれを『楽しい』と思う人もいないだろうし、快感になる人もいないだろう。
大変で快感にもならず、とてもとても恥ずかしいこと。
でも、あのエントリーを読んで誰も『鬼畜の所業』だとはいわない。
それは鞭もスカトロもどれもだけど。
いや、自分ならぜったい無理だけど、りん子さん、喜んでるものね〜^^;
ということだからだよね。
そうなると、鞭でお尻が痣だらけになっても、乳首に針を刺しても、うんこを体に塗られても、わたし側が喜べば『鬼畜』にはならないのだ。
じゃあ、冷徹な非情なサディストの鬼畜の所業は、その行為の酷さではなく、こちら側がどれほど苦痛を感じているかで計られるものなのだろうか。
たとえば、ペラペラのスリッパでお尻を叩いて泣かせたら鬼畜で、一本鞭で体中痣だらけにしても喜んでいれば鬼畜じゃないということになる。
ときどき見かける『鬼畜発言』は、そういうところで判断しているのかな。
ふむふむ。
と、納得しかけて(笑)
ここで、SM行為の矛盾にぶち当たるのだ。
SMは『酷いことをしたい』加虐嗜好と『酷いことをされたいM』被虐嗜好の組み合わせなのだから、Sがどんなに酷いことをしても、それはMにとっては嗜好を満たしていることになる。
もちろん犯罪にならない常識の範囲内の酷いことでなければならないし、こちらの許容範囲は広がっていくものだから、なんでも『苦痛が即快感』というものではないけれど、それでもMにとっては肉体的精神的に酷いことは最終的には望むところだ。
だから、こちら側の受け取り方で鬼畜かどうかを計るとしたら、基本的にどれも鬼畜にはならないよね。
仮に被虐嗜好はなくて、でも『ご主人様に喜んでいただきたい』などのSMとは違う主従や奴隷嗜好の女性で、痛いこと自体では快感を感じられない場合だったとしても、自らそこに出向き、関係を継続させているのだから、そこには何かしらの快感は存在しているはずなんだ。
脅されたりして強制的に連れて来られないかぎり、行為自体は苦痛でも、それによりやっぱり最終的には受ける側の喜びがあるわけだ。
わたしだって、鞭の一発目から快感になるわけではないし、リードでダッシュだけピックアップしたら『イヤだ!!』もの(笑)
というSMや奴隷嗜好への矛盾はいっぱい書いてきた。
ということは、その関係が継続している限りこちらは喜んでいる、だから、こちらが嫌がっていたら鬼畜だとするならばどれも『鬼畜の所業』にはならないのではないのだ。
じゃあ、何が鬼畜なんだろう?
ひとつ当てはまるとしたら。
やっている側(Sやご主人様)がどんな気持ちで行っているかが判断基準にあるのではないかな。
那智さんはわたしに痛いことをするとき、排泄関係をするとき、お店で四つん這いにするとき、ビンタも針も顔を踏むのも、どのときもわたしを酷いことをして傷つけてやろうとか悲しませてやろうとは思っていない。
一般的には酷いとされる行為で可愛がろうと思っている。
恋人同士、キスをするのと変わらないことだ。
他のSやご主人様がどんな気持ちで酷いことをしているのか知らないけど、違いがあるとしたらそこなんじゃないかな。
わたし側の女性を可愛がろうと思っていないこと。
もっというと傷つけたいとか苦しめたいとか思っていること。
さらにいうと、その女性の感情に興味がない鬼畜さんもいるかもしれないよね。
S側が、M側に対してどんな気持ちで酷いことをしているかで『鬼畜』かどうかが分かれるのかなと思う。
まあ、それでも、そこにいる時点でこちら側は最終的には快感を得ていることになるのだから、『酷いことしてやろう』という気持ちは鬼畜さんの独り相撲になっちゃうんだけどね。
<関連エントリー>
『奴隷願望の矛盾』
『アラシのりん子』
『那智さんのSM』
『奴隷の定義』
「鬼畜の所業」感想です。二人称では鬼畜はないですよね~他者から見たときにだけ、「鬼畜」が存在するのかもしれません。でも、私の行っている行為を、誰も「鬼畜の所業」とは思ってくれないでしょうけれど。(笑)