SMのスイッチ
りん子的独り言(生意気)
今日と次回、SM行為における『スイッチ』のお話をふたつ書きます。
でも、じつはスイッチのはっきりした定義は示せていないので、書き終わってからちょっと整理できていないな〜と反省しております。
スイッチを意識して入れる人もいるでしょうし、スイッチが入ることが自然な人もいるでしょう。
とにかく、いつもの自分からSっぽくMっぽく切り替えるものみたいな感じと思っていただければいいかなと思います^^
スイッチ。
日常と非日常。
表と裏。
SモードやMスイッチ。
SMの場面でスイッチの存在、ある人多いんじゃないかな。
そりゃあ、そうだよね。
SMというものは非常識の連続。
女性の顔を踏むし、男性におしっこしている姿を見せなければならない。
よろこんで鞭で打たれるなんて、頭おかしいんじゃないか?(笑)
会社ではときどきドジする課長さんもSモードになったら鬼畜のサディストになるし、家族サービスするお父さんもご主人様スイッチが入れば自分がルールの主になる。
ドジな課長さんのまま命令してもいまいち照れくさい、家族サービスお父さんが女性の顔を踏む非常識に挑むにも、やはりスイッチは必要だ。
これはM側も同じ。
バリバリのキャリアウーマンが男性にひざまずくには、子供を叱りつけているママが自分の放尿姿を見せるにはスイッチがあったほうがいい。
抵抗感をなくし、その世界に入りやすくするためにSMにはスイッチが必要だ。
今回はそのスイッチのお話。
まずは、那智さんにとってのスイッチとは。
このスイッチはわたしと付き合う前に存在していたものなので、かれこれ25年前から10年前にかけてのもの。
当時主流だった団鬼六的世界(?)のSMプレイのスイッチ。
(なんだろ、縄を持つと目つきが変わるとか?笑顔なしの厳しい世界とか?)
いまでこそSMを意識せずわたしとSM行為をして自然と上下でいられているけれど、もともとあまり芝居がかるというか型にはまったというか、そういうことに抵抗があったので性的な場面以外で普通の人同士として付き合っていたかった那智さん。
でも、どうしてもSMの場面では理不尽な要求はするし根拠のない命令をしないといけない、団鬼六的SM世界を成立させるために、Sっぽく切り替えるスイッチを存在させていた。
そして、いつの間にかSM的演出のスイッチを入れることが自然になっていた。
痛いことや恥ずかしいことを根拠なくさせる。
本当は快感に結びつける行為なのにマイナスを与える雰囲気。
ちょっぴりアングラな空気。
それまで普通の男女でいた二人から、非情なサディストといやがりながらも感じる可憐なマゾヒストに変身。
日常と非日常のように区別をつけるスイッチが存在しパートナーの女性とも共有していたことが多かったそうだ。
だから、『常套句 那智さん編』で書いたようなリトマス試験紙を使い、相手の認識などを見極め、どこからどこまでをスイッチの範囲にします?と話を詰めていったわけです。
だから、那智さんにはスイッチが存在していた。
ただ大事なことは、それをパートナーと共有することだったそうです。
行為や付き合い方の希望、それらを確認し合うこの時点までは対等な人同士のやり取りが最初に必要だったのです(だから『常套句』が必要だったわけ)
ホテルにいる間は拒否権なしね。
性的な場面では理不尽な命令をするよ。
おそらく、こんなふうにスイッチの存在を示しスタートを切ったと思う。
でも、そういうコンセンサスって、ちょっと興醒めしません?
こちらとしては本気で怖がりたいし追いつめられたいのにロールプレイしましょうねって言っているようなものだもの。
でも、なぜわざわざ一見興ざめするようなスイッチの確認をするかというと、確認せずはじめることは相手をだましていると感じるからだそうです。
数回喰っておしまいの遊びの女性ならいいのかもしれないけど、出会い系とはいえ性癖を満たすために長くきちんと付き合いたいと思っていたので、確認し『いまからスタートしましょうね』と共有できるようにしていたかったそうです。
昔、お話ししたS男性は「舞台演出を手がけるようなものだ、自分の演出にいかにM女性が酔えるかが大事」と話してくれたけど、SMの醍醐味のひとつは、その『世界を演出』することで、こちら側は『それに乗っかって真剣に反応する』ことだと思うので、演出やスイッチを否定しているのではないのですが。
そのスイッチを内緒にしていることが相手をだましていると感じるのだそうです。
で、何が問題かというと、だましていることは最終的に相手を見下してしまうことになるのですね。
だから、『スイッチ』の確認をしてスタートするか、しないかが問題で、那智さんは公言していたかったのです。
だましている相手に尊敬を抱けないのは当然のことですよね。
SMのスイッチは存在する。
でも、それを付き合う初期の段階でパートナーとコンセンサスを取り共有しないと、スイッチを理解しているほうが理解していない相手を対等と思えなくなっていってしまう。
だから、存在を明らかにしていることが重要。
これが那智さんのスイッチのお話。
そのスイッチがいまはない、そのお話を次回。
だから、那智さんからしたら最初から命令口調のご主人様なんかはあり得ないのだ。
いきなりの命令口調ができてしまうということは、那智さんからしたらM女さんのM女スイッチ(演出)にだまされていることになると理解するわけです。
だとしたら、M女さんからの尊敬は得られないと思いますよね。
で、この思考から考えると、互いにコンセンサスなしでいきなり命令口調と服従口調の組み合わせが成立しているとしたら、それはただのマスターベーションってことになりそう?とわたしは思ったりしています^^
「等式」感想です。りん子の言う通りですね。しかし、時代背景の問題かなぁ、ネットが無い時代にsmについての知識や情報なんて、希にある 興味本意の雑誌の特集か専門誌しかなかったと思う。だから、女性は基本的には今より純粋だったでしょ。殆ど入る情報が無いのに自分の欲望を膨らましイメージしたのですから。ですので、経験者は別にして女性も未経験が多かったと思うし、具体的にどうしたいかなんて断片的にしかイメージできなかったと思う。それを男が色々な意味で補完していた気がする。
続く!(笑)
今は、情報が多く、色々な形のつき合いや行動が模範となりSM的行為ができるのは羨ましいし、良かったねと言う気持ちとフォーマットに近い物があるのでそれに乗るとお互いのコンセンサスの取り方が弱くならないかと少し心配です。
りん子(^-^)昔は女性を縛るなんてとんでもないことだったから思い切りスイッチが必要だった。いまはSMが多少市民権を得て情報もあるから、実はそれほど明確なスイッチは必要ないのかもしれない。
力をこめてスイッチを入れる必要がないのは楽だし願いを形にしやすいけど、反面、コンセンサスを取らず漠然としたままスタートを切ってしまって結局本当にしたいことにたどり着けないという危険性もある。
今日と次回、SM行為における『スイッチ』のお話をふたつ書きます。
でも、じつはスイッチのはっきりした定義は示せていないので、書き終わってからちょっと整理できていないな〜と反省しております。
スイッチを意識して入れる人もいるでしょうし、スイッチが入ることが自然な人もいるでしょう。
とにかく、いつもの自分からSっぽくMっぽく切り替えるものみたいな感じと思っていただければいいかなと思います^^
スイッチ。
日常と非日常。
表と裏。
SモードやMスイッチ。
SMの場面でスイッチの存在、ある人多いんじゃないかな。
そりゃあ、そうだよね。
SMというものは非常識の連続。
女性の顔を踏むし、男性におしっこしている姿を見せなければならない。
よろこんで鞭で打たれるなんて、頭おかしいんじゃないか?(笑)
会社ではときどきドジする課長さんもSモードになったら鬼畜のサディストになるし、家族サービスするお父さんもご主人様スイッチが入れば自分がルールの主になる。
ドジな課長さんのまま命令してもいまいち照れくさい、家族サービスお父さんが女性の顔を踏む非常識に挑むにも、やはりスイッチは必要だ。
これはM側も同じ。
バリバリのキャリアウーマンが男性にひざまずくには、子供を叱りつけているママが自分の放尿姿を見せるにはスイッチがあったほうがいい。
抵抗感をなくし、その世界に入りやすくするためにSMにはスイッチが必要だ。
今回はそのスイッチのお話。
まずは、那智さんにとってのスイッチとは。
このスイッチはわたしと付き合う前に存在していたものなので、かれこれ25年前から10年前にかけてのもの。
当時主流だった団鬼六的世界(?)のSMプレイのスイッチ。
(なんだろ、縄を持つと目つきが変わるとか?笑顔なしの厳しい世界とか?)
いまでこそSMを意識せずわたしとSM行為をして自然と上下でいられているけれど、もともとあまり芝居がかるというか型にはまったというか、そういうことに抵抗があったので性的な場面以外で普通の人同士として付き合っていたかった那智さん。
でも、どうしてもSMの場面では理不尽な要求はするし根拠のない命令をしないといけない、団鬼六的SM世界を成立させるために、Sっぽく切り替えるスイッチを存在させていた。
そして、いつの間にかSM的演出のスイッチを入れることが自然になっていた。
痛いことや恥ずかしいことを根拠なくさせる。
本当は快感に結びつける行為なのにマイナスを与える雰囲気。
ちょっぴりアングラな空気。
それまで普通の男女でいた二人から、非情なサディストといやがりながらも感じる可憐なマゾヒストに変身。
日常と非日常のように区別をつけるスイッチが存在しパートナーの女性とも共有していたことが多かったそうだ。
だから、『常套句 那智さん編』で書いたようなリトマス試験紙を使い、相手の認識などを見極め、どこからどこまでをスイッチの範囲にします?と話を詰めていったわけです。
だから、那智さんにはスイッチが存在していた。
ただ大事なことは、それをパートナーと共有することだったそうです。
行為や付き合い方の希望、それらを確認し合うこの時点までは対等な人同士のやり取りが最初に必要だったのです(だから『常套句』が必要だったわけ)
ホテルにいる間は拒否権なしね。
性的な場面では理不尽な命令をするよ。
おそらく、こんなふうにスイッチの存在を示しスタートを切ったと思う。
でも、そういうコンセンサスって、ちょっと興醒めしません?
こちらとしては本気で怖がりたいし追いつめられたいのにロールプレイしましょうねって言っているようなものだもの。
でも、なぜわざわざ一見興ざめするようなスイッチの確認をするかというと、確認せずはじめることは相手をだましていると感じるからだそうです。
数回喰っておしまいの遊びの女性ならいいのかもしれないけど、出会い系とはいえ性癖を満たすために長くきちんと付き合いたいと思っていたので、確認し『いまからスタートしましょうね』と共有できるようにしていたかったそうです。
昔、お話ししたS男性は「舞台演出を手がけるようなものだ、自分の演出にいかにM女性が酔えるかが大事」と話してくれたけど、SMの醍醐味のひとつは、その『世界を演出』することで、こちら側は『それに乗っかって真剣に反応する』ことだと思うので、演出やスイッチを否定しているのではないのですが。
そのスイッチを内緒にしていることが相手をだましていると感じるのだそうです。
で、何が問題かというと、だましていることは最終的に相手を見下してしまうことになるのですね。
だから、『スイッチ』の確認をしてスタートするか、しないかが問題で、那智さんは公言していたかったのです。
だましている相手に尊敬を抱けないのは当然のことですよね。
SMのスイッチは存在する。
でも、それを付き合う初期の段階でパートナーとコンセンサスを取り共有しないと、スイッチを理解しているほうが理解していない相手を対等と思えなくなっていってしまう。
だから、存在を明らかにしていることが重要。
これが那智さんのスイッチのお話。
そのスイッチがいまはない、そのお話を次回。
だから、那智さんからしたら最初から命令口調のご主人様なんかはあり得ないのだ。
いきなりの命令口調ができてしまうということは、那智さんからしたらM女さんのM女スイッチ(演出)にだまされていることになると理解するわけです。
だとしたら、M女さんからの尊敬は得られないと思いますよね。
で、この思考から考えると、互いにコンセンサスなしでいきなり命令口調と服従口調の組み合わせが成立しているとしたら、それはただのマスターベーションってことになりそう?とわたしは思ったりしています^^
「等式」感想です。りん子の言う通りですね。しかし、時代背景の問題かなぁ、ネットが無い時代にsmについての知識や情報なんて、希にある 興味本意の雑誌の特集か専門誌しかなかったと思う。だから、女性は基本的には今より純粋だったでしょ。殆ど入る情報が無いのに自分の欲望を膨らましイメージしたのですから。ですので、経験者は別にして女性も未経験が多かったと思うし、具体的にどうしたいかなんて断片的にしかイメージできなかったと思う。それを男が色々な意味で補完していた気がする。
続く!(笑)
今は、情報が多く、色々な形のつき合いや行動が模範となりSM的行為ができるのは羨ましいし、良かったねと言う気持ちとフォーマットに近い物があるのでそれに乗るとお互いのコンセンサスの取り方が弱くならないかと少し心配です。
りん子(^-^)昔は女性を縛るなんてとんでもないことだったから思い切りスイッチが必要だった。いまはSMが多少市民権を得て情報もあるから、実はそれほど明確なスイッチは必要ないのかもしれない。
力をこめてスイッチを入れる必要がないのは楽だし願いを形にしやすいけど、反面、コンセンサスを取らず漠然としたままスタートを切ってしまって結局本当にしたいことにたどり着けないという危険性もある。
スイッチのないSM
りん子的独り言(生意気)
那智さんにもスイッチは存在していた。
たしか3回目に会ったとき、ロウソクをしたんだ。
このとき両手を拘束して床に転がしたわたしに「見えたら怖いね」と新聞紙をかけて目隠しをした那智さんの表情はいま思い出しても『Sモード』顔だった!!(笑)
そして、きっとわたしもMスイッチを入れていた。
なぜなら、それ以前に和ろうそくを経験していたわたしは赤い低温ロウソクが本当はそれほど怖くなかった、でも、震えたから。
演技をしたつもりはないのでわざと怖がったわけではないけれど、こういう場面では怖がるほうが互いに良い、怖がること真剣に味わうるというMスイッチが入っていたもの。
ところが、いまわたしとの間にはそれは存在していない、というか、那智さんがなくした。
那智さんはもともと演技や型にはまるみたいなことは窮屈だと感じていたので、SMを意識せずわたしとより自然にSM行為ができたほうがラクだと思ったのだ。
ラクなものは楽しいし自由度も増す、そのほうが飽きないから長く楽しむことができる。
那智さんはわたしとの付き合いを長く継続させたい(というか、付き合うならきちんとという考えは元々あった人だけどね)という気持ちがそういう方向に進めたのかもしれない。
たしか4回目にホテルに行ったとき「りん子といると自然でいられてうれしい」故に「自然にSMがしたい」と那智さん宣言したんだ、そして、その後『意識するな』の忠告があって、いまのわたしたちが作られた。
それからSMの最中にわたしはベタベタに甘えるし、那智さんはオナラするし、わたしたちは笑い合う。
厳しい空気にしなくても笑っちゃっても醒めることもなく、SM行為を続け、そして快感を味わっている。
だから、どんな状況でもふたりで満足できて幸福を感じ続けられている。
これは那智さんがスイッチをなくすと宣言して実行した賜物だ。
じゃあ、なぜ、わたしたちはスイッチがなくても醒めることがないのだろう。
手を繋ぐように鞭を打ち、排泄物を手に乗せ、ごく自然にSM行為ができるのだろう。
もちろん、人として尊敬できるということと好意(わたしの場合は強烈な恋愛感情だけど)を持てていることは大前提で。
それはひとつはやはり『SMを意識するな』という意識付けが大きい。
なんでも名前を付けると、どうしても定義のようなものがついて回り『◯◯でなければならない』という縛りが生まれる。
だから、那智さんは自分たちのしていることはSM的行為ではあるけれどSMをしている意識は待たせず、SMから連想させる『◯◯でなければならない』という固定観念を排除した。
Sが最中に笑ってもいいよね。
Mも甘えてもいいよね。
そこに屈辱感なんかなくても、キスをするのと変わらない気持ちで顔を踏まれてもいいよね。
こんなふうに『◯◯とは』を排除していくこと。
そして、もうひとつは。
その行為の根底にあるものが『可愛がる』ことだと明確にしたことも重要だと思う。
何度も書いているけどSM(『奴隷』的なこともね)は矛盾を孕んでいる。
Mにとって被虐は快感なわけだからSがする加虐行為は望むところなのだ、だから、一見酷いことだったとしても、Mにとっては酷いことにならない。
いくら『奴隷に快楽はない』と言っても、その場所に奴隷さんが通うのだから何かしらの快はあるわけで、ご主人様は『快楽を与えている』存在になる。
だから『奴隷に快楽はない』は成立しないのだ。
(本当は喜ばしいことなのに)痛くて泣く、恥ずかしくて抵抗する。
(本当は喜ばしているのに)命令として強制する。
これらの矛盾や無理をオブラートに包み、場合によってはその世界観に酔うようにすることがスイッチだと思う。
でも、那智さんはSMの矛盾を解消するため、また非常識と思われる行為をわたしに自然にするために、それは『可愛がっている』ということにしたのだ。
厳しい雰囲気を作らなくても、何かしらお仕置きの理由付けをしなくても、可愛がっているのだから「痛くてもよかったね〜」になるし、ふたりの間では非常識が非常識ではなくなる。
SMを意識しないこと、『可愛がる』行為にすること、このふたつがスイッチを存在させなくてもSM行為を幸福に継続できる方法なのです。
そして、こんなふうに先を見据えて早い段階から方針を打ち出し、結果を残す、それにより深い幸福と快感をくれ続ける那智さんに対する尊敬と愛情も継続して、上下を保つこともできるのです。
スイッチのないSMの結果はスイッチのない上下関係も作るのですね^^
スイッチのないSM、けっこう幸福ですけど、いかがでしょう^^
<関連エントリー>
ロウソクの思い出
『not favorite』
『3回目の旅2』
毎度おなじみ
『意識するな』
SMの最中にいっぱい笑ってます^^
『笑うSM』
『SMに音楽は必要か』
『スパンキングとイラマチオもどきの間に^^』
「等式」感想です。エントリ―に関しては完璧で捕捉することすらありません。なので昨日のテレビの感想でも、バツイチ女性の10数人がsかmかを問う質問があった。夜中の番組でもないのに最近のsmイメージとして具体的な行為でなく責める人と責められる人、位の感覚で話が進んでいると思うけれど私はネット以外の交友関係でsmの具体的行為をしている人を知りません。(笑)
電車の下げビラに「長澤まさみと熱愛伊勢谷はサディスト」とある、エロでない比較的まじめな週刊誌、そんなにsmは一般的になっているのですかね。(笑)
那智さんにもスイッチは存在していた。
たしか3回目に会ったとき、ロウソクをしたんだ。
このとき両手を拘束して床に転がしたわたしに「見えたら怖いね」と新聞紙をかけて目隠しをした那智さんの表情はいま思い出しても『Sモード』顔だった!!(笑)
そして、きっとわたしもMスイッチを入れていた。
なぜなら、それ以前に和ろうそくを経験していたわたしは赤い低温ロウソクが本当はそれほど怖くなかった、でも、震えたから。
演技をしたつもりはないのでわざと怖がったわけではないけれど、こういう場面では怖がるほうが互いに良い、怖がること真剣に味わうるというMスイッチが入っていたもの。
ところが、いまわたしとの間にはそれは存在していない、というか、那智さんがなくした。
那智さんはもともと演技や型にはまるみたいなことは窮屈だと感じていたので、SMを意識せずわたしとより自然にSM行為ができたほうがラクだと思ったのだ。
ラクなものは楽しいし自由度も増す、そのほうが飽きないから長く楽しむことができる。
那智さんはわたしとの付き合いを長く継続させたい(というか、付き合うならきちんとという考えは元々あった人だけどね)という気持ちがそういう方向に進めたのかもしれない。
たしか4回目にホテルに行ったとき「りん子といると自然でいられてうれしい」故に「自然にSMがしたい」と那智さん宣言したんだ、そして、その後『意識するな』の忠告があって、いまのわたしたちが作られた。
それからSMの最中にわたしはベタベタに甘えるし、那智さんはオナラするし、わたしたちは笑い合う。
厳しい空気にしなくても笑っちゃっても醒めることもなく、SM行為を続け、そして快感を味わっている。
だから、どんな状況でもふたりで満足できて幸福を感じ続けられている。
これは那智さんがスイッチをなくすと宣言して実行した賜物だ。
じゃあ、なぜ、わたしたちはスイッチがなくても醒めることがないのだろう。
手を繋ぐように鞭を打ち、排泄物を手に乗せ、ごく自然にSM行為ができるのだろう。
もちろん、人として尊敬できるということと好意(わたしの場合は強烈な恋愛感情だけど)を持てていることは大前提で。
それはひとつはやはり『SMを意識するな』という意識付けが大きい。
なんでも名前を付けると、どうしても定義のようなものがついて回り『◯◯でなければならない』という縛りが生まれる。
だから、那智さんは自分たちのしていることはSM的行為ではあるけれどSMをしている意識は待たせず、SMから連想させる『◯◯でなければならない』という固定観念を排除した。
Sが最中に笑ってもいいよね。
Mも甘えてもいいよね。
そこに屈辱感なんかなくても、キスをするのと変わらない気持ちで顔を踏まれてもいいよね。
こんなふうに『◯◯とは』を排除していくこと。
そして、もうひとつは。
その行為の根底にあるものが『可愛がる』ことだと明確にしたことも重要だと思う。
何度も書いているけどSM(『奴隷』的なこともね)は矛盾を孕んでいる。
Mにとって被虐は快感なわけだからSがする加虐行為は望むところなのだ、だから、一見酷いことだったとしても、Mにとっては酷いことにならない。
いくら『奴隷に快楽はない』と言っても、その場所に奴隷さんが通うのだから何かしらの快はあるわけで、ご主人様は『快楽を与えている』存在になる。
だから『奴隷に快楽はない』は成立しないのだ。
(本当は喜ばしいことなのに)痛くて泣く、恥ずかしくて抵抗する。
(本当は喜ばしているのに)命令として強制する。
これらの矛盾や無理をオブラートに包み、場合によってはその世界観に酔うようにすることがスイッチだと思う。
でも、那智さんはSMの矛盾を解消するため、また非常識と思われる行為をわたしに自然にするために、それは『可愛がっている』ということにしたのだ。
厳しい雰囲気を作らなくても、何かしらお仕置きの理由付けをしなくても、可愛がっているのだから「痛くてもよかったね〜」になるし、ふたりの間では非常識が非常識ではなくなる。
SMを意識しないこと、『可愛がる』行為にすること、このふたつがスイッチを存在させなくてもSM行為を幸福に継続できる方法なのです。
そして、こんなふうに先を見据えて早い段階から方針を打ち出し、結果を残す、それにより深い幸福と快感をくれ続ける那智さんに対する尊敬と愛情も継続して、上下を保つこともできるのです。
スイッチのないSMの結果はスイッチのない上下関係も作るのですね^^
スイッチのないSM、けっこう幸福ですけど、いかがでしょう^^
<関連エントリー>
ロウソクの思い出
『not favorite』
『3回目の旅2』
毎度おなじみ
『意識するな』
SMの最中にいっぱい笑ってます^^
『笑うSM』
『SMに音楽は必要か』
『スパンキングとイラマチオもどきの間に^^』
「等式」感想です。エントリ―に関しては完璧で捕捉することすらありません。なので昨日のテレビの感想でも、バツイチ女性の10数人がsかmかを問う質問があった。夜中の番組でもないのに最近のsmイメージとして具体的な行為でなく責める人と責められる人、位の感覚で話が進んでいると思うけれど私はネット以外の交友関係でsmの具体的行為をしている人を知りません。(笑)
電車の下げビラに「長澤まさみと熱愛伊勢谷はサディスト」とある、エロでない比較的まじめな週刊誌、そんなにsmは一般的になっているのですかね。(笑)
一切れのパン
非日常的な日常
めずらしくほぼリアルタイムの更新です〜。
いまわたしはとても欲情しています。
昨日お仕事場で抱いていただいたけど、やっぱり足りない。
足りないというと不満のように聞こえるけれど、けして不満に思っているわけではないの。
那智さんと付き合い中で、その時々の満足度を教えてもらってきた。
ゆっくりのときの満足とランチタイムの満足は分量だけを比べたら圧倒的にゆっくりのほうが多いけど、それぞれ質が違うもので、その質の中での最良を味わわせてくれていると知っておけば足りないことはあっても不満に思うことはないんだ。
だから、純粋に足りない。
昨夜の段階で那智さんはわたしがまたすぐ欲情することは想像できていたようで帰り際「禁止にしようか(笑)」と楽しそうに自慰禁止を話題にしていた。
案の定、今朝、やっぱり足りない。
ただ、まだ大丈夫な状態。
でも、きっとこのままだとそのうち絶対いっぱい欲情してしまう。
とにかくガス抜きでもいいからひとりでしてしまいたいという状態になってしまう。
そう思いながら昨夜の宙ぶらりんの禁止令が頭をよぎる。
あれは決定だったのかな、それとも話題提供だったのかな。
たぶん、いつも通りに宣言したらなんの問題もなく普通にできるはずなんだけど、いますぐしてしまいたいわけではない。
だから、どちらかというとしたくなってしまった場合の心構えというか保険というか、がほしかった。
ああ、それとも、わざわざぶり返して那智さんに禁止してもらいたいのかな、わたし。
甘美な禁欲とコントロールに酔いたいのかな。
いやいや、翌日会えることがわかっていての禁止ならまだしも、次会える日が確定していない禁止は困る。
禁止されたいのか、禁止してほしくないのか、自分の気持ちがわからないまま、それでも習い性のように禁止を回避するような思考になる。
こういうときは「禁止ですか?」とか「してもいいですか?」なんて率直に聞いたら割りと即決されてしまうの(笑)
すこし回りくどく聞くほうが意外となんともなく回避できたりする。
チャットでのやり取り。
那智さん、仮にの話しですけど、ひとりでするのはいいんですよね?
これくらいまわりくどく、でもって「はーい」で済む質問にするのがいいというのは長年の付き合いで習得している。
もちろん100%当たるわけではないけど、経験上高打率なの^^
返ってきた文字は『(笑)』のマークのみ。
続けて
考え中、ダメの方がしあわせじゃない?
はう、そうなの!?
考え中の戸惑いの長い長い数分後。
いいアイデアを考えました。
じゃあ、今度会うときまで、一回だけね(笑)
あああああ。
い っ か い だ け??
一回だけーーーーー!?
いつやってもOKです。
今度会うというのは、お休みで会うということとは違いますよね?
(ここでも「はーい」で済む質問 笑 会う=お仕事場が含まれれば、そんなに大変ではないからね)
お休みです(笑)
ここで確認したら一週間後にはお休みを取る予定らしい。
ということは一週間の中で一回ということだ。
ああ、これを書きながら、一週間に一回なんてそんなに禁欲しなくても大丈夫な数字なんだけど『一回』と言われてしまうと、それが途方もない条件のように感じるものだ。
今日したら、次どんなに欲情してもしちゃいけない。
明日してしまったら、六日間できない。
してもいいけどしないのと、できなくてしないことは大違い!!
どうしよう、大変だとあわあわするわたしに那智さんの文字
一切れのパン?
知ってる?
そういって物語を貼ってくれる。
『一切れのパン』、ご存知ですか?
パンを一切れ持っているという事実が主人公に生き延びる力を与える。
そして、パンをナフキンにくるんでおくことで衝動的な感情を抑えてくれる。
読めば読むほど、『一回』がとんでもなく貴重な命綱に感じられてとっておかないと後で自分を苦しめることになりそうだと焦るような気持ちになる。
ついでに、ナフキンのように下着2重に履いておこうか!!(笑)
悶絶しているわたしに
どうしてもしたくなったらやれば?
と悪魔のささやきの追い打ち。
しちゃう?
ううん、いましたらあと絶対辛くなるよ。
でも、一回したら普通そんなに頻繁にしないんじゃない?
でも、もうできないと思うとしたくなるのが人ってものだよ!!
できるけど、できないもどかしさは不思議な感覚でいつもとは違う欲情を生む。
『一回』がものすごい高価なものに思えてくる。
ああ、もう明日くらいにしちゃおうか。
明日したら落ち着くかもしれないし。
焦る気持ちが欲情になり、クリトリスがトクトクと脈を打つ。
基本的にこういうことに関してはまったく我慢強くないし、先を見据えるなんてことのできないわたし、自然とする方向に心は動いてしまう。
まるで、それを見透かしたように
基本的には会う日まで待ったほうがいいと思う(笑)
なんて、目先の欲望に左右されない那智さん的意見をアドバイス。
あああ、もう、わたし、どうしたらいいんですかーーー!!
ずっと待ったほうが気持ちいいよ〜(笑)
ううう、煽られているのか、抑えられているのか、もう、混乱。
一切れのパン。
わたしはたまらず口にしちゃうのか!!
それとも、その先の苦しさを見据えて理性を保っていられるの?
もし、保っていられるなら、いつすればいいの!?
『一回』と限定することで、ただ『禁止』よりずっとずっと複雑な感覚。
モヤモヤともどかしくて、でも、そればっかり考えちゃう。
自由という拘束。
『一回』の魔力に取憑かれたわたし。
あんまり途方に暮れるから、滅多にないリアルタイムの更新^^
ああ、どーしたらいいのー!?
2日間の禁止令と一週間の一切れのパン命令、どっちがつらいのかなぁ。
(いや、どっちも甘いと鬼畜のサディストさんには言われちゃいそうだけど…^^;)
「等式」感想です。後日談が当然あると思うので邪魔にならない感想にします。甘いなりん子。私も残念ながら年には勝てず、この1年くらいはデート前4日間は自らオナ禁をしているのだから、これは受け入れる側の女には分からないだろう。「いざ、鎌倉」で元気が無いのは男の沽券に関わるから。(笑)
めずらしくほぼリアルタイムの更新です〜。
いまわたしはとても欲情しています。
昨日お仕事場で抱いていただいたけど、やっぱり足りない。
足りないというと不満のように聞こえるけれど、けして不満に思っているわけではないの。
那智さんと付き合い中で、その時々の満足度を教えてもらってきた。
ゆっくりのときの満足とランチタイムの満足は分量だけを比べたら圧倒的にゆっくりのほうが多いけど、それぞれ質が違うもので、その質の中での最良を味わわせてくれていると知っておけば足りないことはあっても不満に思うことはないんだ。
だから、純粋に足りない。
昨夜の段階で那智さんはわたしがまたすぐ欲情することは想像できていたようで帰り際「禁止にしようか(笑)」と楽しそうに自慰禁止を話題にしていた。
案の定、今朝、やっぱり足りない。
ただ、まだ大丈夫な状態。
でも、きっとこのままだとそのうち絶対いっぱい欲情してしまう。
とにかくガス抜きでもいいからひとりでしてしまいたいという状態になってしまう。
そう思いながら昨夜の宙ぶらりんの禁止令が頭をよぎる。
あれは決定だったのかな、それとも話題提供だったのかな。
たぶん、いつも通りに宣言したらなんの問題もなく普通にできるはずなんだけど、いますぐしてしまいたいわけではない。
だから、どちらかというとしたくなってしまった場合の心構えというか保険というか、がほしかった。
ああ、それとも、わざわざぶり返して那智さんに禁止してもらいたいのかな、わたし。
甘美な禁欲とコントロールに酔いたいのかな。
いやいや、翌日会えることがわかっていての禁止ならまだしも、次会える日が確定していない禁止は困る。
禁止されたいのか、禁止してほしくないのか、自分の気持ちがわからないまま、それでも習い性のように禁止を回避するような思考になる。
こういうときは「禁止ですか?」とか「してもいいですか?」なんて率直に聞いたら割りと即決されてしまうの(笑)
すこし回りくどく聞くほうが意外となんともなく回避できたりする。
チャットでのやり取り。
那智さん、仮にの話しですけど、ひとりでするのはいいんですよね?
これくらいまわりくどく、でもって「はーい」で済む質問にするのがいいというのは長年の付き合いで習得している。
もちろん100%当たるわけではないけど、経験上高打率なの^^
返ってきた文字は『(笑)』のマークのみ。
続けて
考え中、ダメの方がしあわせじゃない?
はう、そうなの!?
考え中の戸惑いの長い長い数分後。
いいアイデアを考えました。
じゃあ、今度会うときまで、一回だけね(笑)
あああああ。
い っ か い だ け??
一回だけーーーーー!?
いつやってもOKです。
今度会うというのは、お休みで会うということとは違いますよね?
(ここでも「はーい」で済む質問 笑 会う=お仕事場が含まれれば、そんなに大変ではないからね)
お休みです(笑)
ここで確認したら一週間後にはお休みを取る予定らしい。
ということは一週間の中で一回ということだ。
ああ、これを書きながら、一週間に一回なんてそんなに禁欲しなくても大丈夫な数字なんだけど『一回』と言われてしまうと、それが途方もない条件のように感じるものだ。
今日したら、次どんなに欲情してもしちゃいけない。
明日してしまったら、六日間できない。
してもいいけどしないのと、できなくてしないことは大違い!!
どうしよう、大変だとあわあわするわたしに那智さんの文字
一切れのパン?
知ってる?
そういって物語を貼ってくれる。
『一切れのパン』、ご存知ですか?
パンを一切れ持っているという事実が主人公に生き延びる力を与える。
そして、パンをナフキンにくるんでおくことで衝動的な感情を抑えてくれる。
読めば読むほど、『一回』がとんでもなく貴重な命綱に感じられてとっておかないと後で自分を苦しめることになりそうだと焦るような気持ちになる。
ついでに、ナフキンのように下着2重に履いておこうか!!(笑)
悶絶しているわたしに
どうしてもしたくなったらやれば?
と悪魔のささやきの追い打ち。
しちゃう?
ううん、いましたらあと絶対辛くなるよ。
でも、一回したら普通そんなに頻繁にしないんじゃない?
でも、もうできないと思うとしたくなるのが人ってものだよ!!
できるけど、できないもどかしさは不思議な感覚でいつもとは違う欲情を生む。
『一回』がものすごい高価なものに思えてくる。
ああ、もう明日くらいにしちゃおうか。
明日したら落ち着くかもしれないし。
焦る気持ちが欲情になり、クリトリスがトクトクと脈を打つ。
基本的にこういうことに関してはまったく我慢強くないし、先を見据えるなんてことのできないわたし、自然とする方向に心は動いてしまう。
まるで、それを見透かしたように
基本的には会う日まで待ったほうがいいと思う(笑)
なんて、目先の欲望に左右されない那智さん的意見をアドバイス。
あああ、もう、わたし、どうしたらいいんですかーーー!!
ずっと待ったほうが気持ちいいよ〜(笑)
ううう、煽られているのか、抑えられているのか、もう、混乱。
一切れのパン。
わたしはたまらず口にしちゃうのか!!
それとも、その先の苦しさを見据えて理性を保っていられるの?
もし、保っていられるなら、いつすればいいの!?
『一回』と限定することで、ただ『禁止』よりずっとずっと複雑な感覚。
モヤモヤともどかしくて、でも、そればっかり考えちゃう。
自由という拘束。
『一回』の魔力に取憑かれたわたし。
あんまり途方に暮れるから、滅多にないリアルタイムの更新^^
ああ、どーしたらいいのー!?
2日間の禁止令と一週間の一切れのパン命令、どっちがつらいのかなぁ。
(いや、どっちも甘いと鬼畜のサディストさんには言われちゃいそうだけど…^^;)
「等式」感想です。後日談が当然あると思うので邪魔にならない感想にします。甘いなりん子。私も残念ながら年には勝てず、この1年くらいはデート前4日間は自らオナ禁をしているのだから、これは受け入れる側の女には分からないだろう。「いざ、鎌倉」で元気が無いのは男の沽券に関わるから。(笑)
手間ひまかけて
独特な幸福感
クンニというヤツが苦手だった。
あれはそんなに刺激強くないし、だから、指やオモチャのような強いとか早い刺激でイカせようしてもかなり難しい。
じつは、繊細な力や動きのほうが気持ちがいいしイキやすかったりするのだけど、AVの影響かほとんどの男性は強さや早さや、いやらしい音などで強いてくる。
ついでに、これは女性全部がそうかはわからないけど、クリトリスでイクのって足を大開きにしているとイキにくくありません?
だからAVみたいにして大股広げられるのは、本当は気持ちよくなれないんだよね。
まあ、そんな感じでたくさんの誤解のもとにクンニをしてもらってもうれしくないし、そもそもそんなところに顔を!!なんて思うわけだから、精神的にも体にとっても、できればご遠慮願いたいことだったのだ。
でも、それでイクのはすごく気持ちがいいし、なおかつ『許容』を感じさせてもらえるから、長い時間かけてわたしにとっては好ましいものになっていったのは、しばらく前に書いた。
ところが、最近は、じつはもうすこし進んでしまって『密かにしてほしい』段階から、『してもらえそうになると嬉しそうにしてしまう』とか『してくださいと口走りそうになる』、そして、那智さんの舌に合わせて腰を振ってしまう!!とこまで来てしまった(遠い目)
出会った頃には信じられない変化だ。
これはひとつの例に過ぎないけど、那智さんはたくさんの行為に対して目的と意思を持っている。
おそらく、ものすごく大きな意思としては『りん子を支配する』なんだろうけど、その状態にするための個々のこと。
鞭もスカトロもわんこも、普通のセックスさえも。
最初は拒否するようなことで、感じられて、求めてしまうように目的と意思を持って行っている。
もちろん、その場その場で、ただ楽しんだり可愛がったりしていることもあるのでいつもいつも計画立ててなんてことではないけどね。
ただ、概ね、そうということ。
いまはAだとして、目指す形がDだとする。
AからDには一気に行かれないけど、A→B→C→Dと段階を踏んでいけば最終的にはDに到達できると考えているので、まず最初はAで、その次、すこし無理してB、Bで感じられるようになったら、もうすこし強く踏み込んでCというようにしていき、いつの間にか最初は絶対無理だと思っていたDが喜びになり、しまいには『Dをしてください』という気持ちにまでさせるのだ。
ついでに、Cまで行ってからまたしばらくAやBをウロウロするというのもある。
飽きないためとCを求めさせるためだと思う。
しかも、これを『赤A→B→C→D』『青A→B→C→D』『白A→B→C→D』といろいろな項目があって、一時赤を集中したら、次は青でしばらく赤はお休みなんて同時進行させたりもするので、それはそれは長い時間かかけてくれる。
でもって、それをわたしには基本的に伝えないのだ。
話題として「今後、こんなことをしようと思う」なんてこともあるし、流行みたいなものがあるから、そうしようとしているんだろうなと想像できることもあるのだけど、『◯◯調教』などと言ってゴールを示すことはしない。
これは、ゴールに到達することが最終目的ではないし、ゴールを示してしまうとわたしがそれを意識して自然でいられなくなることを避けるためだけど、おそらく、意識させずに仕向けて自然に変えていき、結果的に『求める』状態にしたいのだろう。
言って、命令して、そこに向かわせることより、意識しないで向かわせるほうが困難だし、困難なほうがおもしろく、飽きないと思っているのだと思う。
那智さんは『飽きない』ことをとても大事にしている。
大げさにいうと自分が飽きてしまうことを畏れていると言ってもいい。
もともとの育て好きや支配欲などの性質とこの飽きないための意識が長い時間かけてわたしを変える要因になっているのだろう。
わたしはもう何年も『まな板の上の鯉』を楽しませていただいているのだ^^
<関連エントリー>
クンニ苦手
『昇格』
支配
『独占欲』
『徒然に「独占欲」のこと』
『ゴールを決めない』
『ゴールを決めない理由』
「等式」感想です。強調すれば行為に慣れすぎたり、飽きることはお互いにとって不幸だと思う。だから、それを回避する為にりん子から私に対しての要求を出し続けられるように様々な快感を教え、それを言葉に出来るよう、心の解放もしくはh度をアップしてあげている。
欲しい物を手にする方法として口を開けて待っているのか、自分から口の中に入れてとお願いするのか、自分がとってきて口の中に入れるのか。相手から貰う物は比較的に飽きやすいのではないかと思う。自分が欲しいと思わないと。欲しい物をコントロールするのは、上の立場の人のお仕事だと思いますが。
りん子(^-^)関係において貰う側でいることはいつか欲が底をつく、だから、欲しいと思うものを作り増やしていけば底つくことなく、いつまでも関係は乾くことはない。関係を良いものにし続けるために欲しいものを作り増やし欲望をコントロールするのが上の役割りというのが那智さんの考えです。
下の立場のわたしは欲しいものを増やしてもらって底をつくことなく、「もっとください」と言い続けるのだ。
ん?ということは、那智さんの考えをもとにすると、「俺を楽しませろ」というご主人さまは『下』になるの?(笑)
と、那智さんの感想を補足しながら、与える側と貰う側がいつまでも新鮮でいられるようコントロールが必要なことは理解するし、上の立場には感謝するけれど、反面、本当に欲しい核のようなものは何度もらっても、何度味わっても、いつまでも欲しいし、飽きないものだよね、とも思う。
クンニというヤツが苦手だった。
あれはそんなに刺激強くないし、だから、指やオモチャのような強いとか早い刺激でイカせようしてもかなり難しい。
じつは、繊細な力や動きのほうが気持ちがいいしイキやすかったりするのだけど、AVの影響かほとんどの男性は強さや早さや、いやらしい音などで強いてくる。
ついでに、これは女性全部がそうかはわからないけど、クリトリスでイクのって足を大開きにしているとイキにくくありません?
だからAVみたいにして大股広げられるのは、本当は気持ちよくなれないんだよね。
まあ、そんな感じでたくさんの誤解のもとにクンニをしてもらってもうれしくないし、そもそもそんなところに顔を!!なんて思うわけだから、精神的にも体にとっても、できればご遠慮願いたいことだったのだ。
でも、それでイクのはすごく気持ちがいいし、なおかつ『許容』を感じさせてもらえるから、長い時間かけてわたしにとっては好ましいものになっていったのは、しばらく前に書いた。
ところが、最近は、じつはもうすこし進んでしまって『密かにしてほしい』段階から、『してもらえそうになると嬉しそうにしてしまう』とか『してくださいと口走りそうになる』、そして、那智さんの舌に合わせて腰を振ってしまう!!とこまで来てしまった(遠い目)
出会った頃には信じられない変化だ。
これはひとつの例に過ぎないけど、那智さんはたくさんの行為に対して目的と意思を持っている。
おそらく、ものすごく大きな意思としては『りん子を支配する』なんだろうけど、その状態にするための個々のこと。
鞭もスカトロもわんこも、普通のセックスさえも。
最初は拒否するようなことで、感じられて、求めてしまうように目的と意思を持って行っている。
もちろん、その場その場で、ただ楽しんだり可愛がったりしていることもあるのでいつもいつも計画立ててなんてことではないけどね。
ただ、概ね、そうということ。
いまはAだとして、目指す形がDだとする。
AからDには一気に行かれないけど、A→B→C→Dと段階を踏んでいけば最終的にはDに到達できると考えているので、まず最初はAで、その次、すこし無理してB、Bで感じられるようになったら、もうすこし強く踏み込んでCというようにしていき、いつの間にか最初は絶対無理だと思っていたDが喜びになり、しまいには『Dをしてください』という気持ちにまでさせるのだ。
ついでに、Cまで行ってからまたしばらくAやBをウロウロするというのもある。
飽きないためとCを求めさせるためだと思う。
しかも、これを『赤A→B→C→D』『青A→B→C→D』『白A→B→C→D』といろいろな項目があって、一時赤を集中したら、次は青でしばらく赤はお休みなんて同時進行させたりもするので、それはそれは長い時間かかけてくれる。
でもって、それをわたしには基本的に伝えないのだ。
話題として「今後、こんなことをしようと思う」なんてこともあるし、流行みたいなものがあるから、そうしようとしているんだろうなと想像できることもあるのだけど、『◯◯調教』などと言ってゴールを示すことはしない。
これは、ゴールに到達することが最終目的ではないし、ゴールを示してしまうとわたしがそれを意識して自然でいられなくなることを避けるためだけど、おそらく、意識させずに仕向けて自然に変えていき、結果的に『求める』状態にしたいのだろう。
言って、命令して、そこに向かわせることより、意識しないで向かわせるほうが困難だし、困難なほうがおもしろく、飽きないと思っているのだと思う。
那智さんは『飽きない』ことをとても大事にしている。
大げさにいうと自分が飽きてしまうことを畏れていると言ってもいい。
もともとの育て好きや支配欲などの性質とこの飽きないための意識が長い時間かけてわたしを変える要因になっているのだろう。
わたしはもう何年も『まな板の上の鯉』を楽しませていただいているのだ^^
<関連エントリー>
クンニ苦手
『昇格』
支配
『独占欲』
『徒然に「独占欲」のこと』
『ゴールを決めない』
『ゴールを決めない理由』
「等式」感想です。強調すれば行為に慣れすぎたり、飽きることはお互いにとって不幸だと思う。だから、それを回避する為にりん子から私に対しての要求を出し続けられるように様々な快感を教え、それを言葉に出来るよう、心の解放もしくはh度をアップしてあげている。
欲しい物を手にする方法として口を開けて待っているのか、自分から口の中に入れてとお願いするのか、自分がとってきて口の中に入れるのか。相手から貰う物は比較的に飽きやすいのではないかと思う。自分が欲しいと思わないと。欲しい物をコントロールするのは、上の立場の人のお仕事だと思いますが。
りん子(^-^)関係において貰う側でいることはいつか欲が底をつく、だから、欲しいと思うものを作り増やしていけば底つくことなく、いつまでも関係は乾くことはない。関係を良いものにし続けるために欲しいものを作り増やし欲望をコントロールするのが上の役割りというのが那智さんの考えです。
下の立場のわたしは欲しいものを増やしてもらって底をつくことなく、「もっとください」と言い続けるのだ。
ん?ということは、那智さんの考えをもとにすると、「俺を楽しませろ」というご主人さまは『下』になるの?(笑)
と、那智さんの感想を補足しながら、与える側と貰う側がいつまでも新鮮でいられるようコントロールが必要なことは理解するし、上の立場には感謝するけれど、反面、本当に欲しい核のようなものは何度もらっても、何度味わっても、いつまでも欲しいし、飽きないものだよね、とも思う。
意思表示可絶対服従
独特な幸福感
たまに書いているけれど、性的な場面においてわたしには『拒否権』がない。
那智さんが『やる』と言えば、それはもう『やる』なのだ。
「やりなさい」でも『やる』し、「やろうね〜」でも『やる』。
那智さんには『やらせる目』があって、そのときはどんなテンションや言葉で指示が出てもわたしには選択肢はない、『やる』のだ。
ちょっと極端にいうと『やらなきゃ』とか『やるの!?』なんていう逡巡さえも存在しないほど、選択肢なく『やる』。
もちろん、たくさんためらうけれど那智さんが『やらせる目』になったときは『やる』と決まっているので、強いていえば、ためらいはわたし自身の勢いつけ程度くらいの意味しかない。
まさに絶対服従(笑)
今日はその『拒否権なし』のお話。
それは知り合って会うまでの9日間か、もしくは会ってからすぐ、とにかくかなり初期の段階で提示された。
今後、性的な場面でりん子には拒否権はなしね
絶対服従を連想させるこの言葉に被虐嗜好と従属嗜好のあるわたしはずいぶんうっとりした記憶がある。
その宣言に続いて、こんなこともつけ加えられた。
ただし意思表明はしてもいいし、りん子の話しは聞く
でも、最終的に俺が決めたことに対しての拒否権はないことにするよ
そうなのだ。
那智さんはただ単に『拒否権なし』とは言わず、いくつかの条件も示してくれた。
性的な場面においてということとわたしは意思表明をしてもいいし、話しも聞くということ。
うっとりしていた最初はその条件をさほど注目していなかったけど、これはわたしたちにとってとても重要なことになる。
まず、性的な場面において。
これはハッキリした線引きはできないけど、外でも室内でもSM的なことでも一見性的なことに見えなくても、とにかくふたりにとって『性的』と認識する事柄という意味合い。
だから、普通エロなこととは結び付かない着衣のままお店で四つん這いになることも、咀嚼した食べ物を手のひらにのせて食べさせることも、わたしたちには性的な場面になる。
なぜ、性的な場面という限定をするのか。
それは那智さんがわたしと自然に付き合いたいという気持ちがあるから、絶対服従のような常識的には不自然な関係(それが悪いと言っていませんよ^^)にはしたくないということは当然あるけど
そのほうがりん子がラクだし、うれしいだろ?(笑)
という理由が一番大きいのではないかと思う。
那智さんはもともと忠誠心で愛情を計るようなことはしない人だったし、一般的には酷いとされる行為で感じ求めるようにさせたかったから、わたしに対して無理矢理我慢させるような命令は一切しなかった。
わたしは被虐や従属嗜好がある。
前エントリーの『A→B→C→D』を思い出してほしい。
わたしには被虐や従属嗜好があるのだから妄想の中ではDもXもZもあるんだけど、現実では最初のAでいっぱいいっぱいだったりする。
それを幸福のうちに叶えるには、すこしの『無理』が必要になるのだ。
そのすこしの『無理』を後押しするのが拒否権なし。
いきなりAからDでは我慢ばかりが先走って、その行為自体が苦手になってしまうかもしれない。
拒否権を使いたくなるほどのことをしていただけないとこちらも必死になれない、ゆえに物足りない^^;
だから、那智さんの判断で、すこし無理をすればできる、そして、快感に繋げられるようにしてくれるのだ。
その背中を押してくれるのが『拒否権なし』。
だから、「りん子がラク」でもって、コントロールされている感じや酷い行いをして被虐と従属嗜好を叶えるわけだから「うれしいだろ?」なのだ。
そして、条件付きの拒否権なしなので一見生温いと思われがちだけど、それがけっこう、ところがどっこいだったりする(笑)
最初に宣言されたように最終的には拒否はできないけど、意思表明もできるし話しも聞いてくれる。
だから、「無理です!!」「痛くてダメ!!」「できません;;」とわたしはたくさんたくさん意思表明してきた。
そして、なぜできないか、なぜ無理なのか、わたしの話しを聞いてくれて、不安を解消したりご自分の考えを教えてくれたりして、たくさんの安心をくれた。
あとは、わたしの気持ち次第という最後の1本道だけ残して、他の逃げ道は全部塞いで(笑)
(ついでにいうと、那智さんはこの逃げ道を塞ぐ攻防も楽しんでる)
たとえば、ホテル街で四つん這いで歩こうという話が出るとして(実際出たけど)
まず、そりゃあ、当然、それは無理!!ってなりますよね。
それはなぜ?と聞いてくれるから、不安材料を片っ端からいうわけですよ。
恥ずかしいです
パンツが見えない丈のスカート履いておいでね
りん子は下を向いていればいい
怖いです
何が怖い?
変な人に絡まれたりしません?
その可能性は低いと思うけど、もしそうなったら俺が対処するからりん子は心配しないでいい
膝をケガしそうです
ニーハイソックスを履く?
俺がサポーター用意しようか^^
などなど、わたしの出来ない理由を聞き、それをひとつひとつ解決してくれるのだ。
ついでに、
俺がリード引いてあげるんだよ
途中で頭を撫でてあげよう
なんて、うっとりするような話までしてくれちゃうのだ。
結局あとは、わたしの気持ちだけになる。
ここまで来てしまうと、もうわたしには那智さんに従う道しか残っていないのだ。
そして、けして無理難題を押し付けるわけではなく、わたしがぐっと力を入れればできる程度のことを命令する。
拒否権なしという後押しと、それをしたら幸福になれるという経験が後押しをして最後の勇気をくれるのだ。
那智さんはいう。
りん子は俺が決めたことには、もう大概のことは従うんだよ
刺青も入れようと言えば入れるし、スクランブル交差点で裸になれと言えば、なるんだ
あとは、俺がタイミングを見計らって、どれをするか決めるだけ
従う意外の逃げ道を全部塞いでくれて、責任を取ってもらう『拒否権なし』。
実は、那智さんの『拒否権なし』は、こちら側の幸福なのだ。
でもってね、ここまで責任を取る覚悟と逃げ道を塞ぐ行程を踏んだ那智さんの『やらせる目』は、本当に逆らえない迫力があるのよ^^;
<関連エントリー>
拒否権なし、やらせる目のいろいろ
『リードを付けて1 2 3』
『拒否権なし』
『委ねられるということ』
『委ねきれないと?』
『リードを付けて3』
『キーパーソンは清掃員1 2 3 4 5』
『拒否権なしの幸福』
「等式」感想です。正確なコミュニケーションは相手と会ってお話しないと難しいなと改めて思う、かなり厳しい性的な行為を昨日りん子に提案したが同意を得ることが出来なかった。電話やチャットを介してであったが顔が見えないので真意が完全には把握出来たか自信がないのが残念。かなり珍しい出来事でした。今日、会ってたしかめます。チャットで会話していると「これ以上はチャットでは無理」なんて言うことがあるけれど会わないと難しいは少し残念かな。
たまに書いているけれど、性的な場面においてわたしには『拒否権』がない。
那智さんが『やる』と言えば、それはもう『やる』なのだ。
「やりなさい」でも『やる』し、「やろうね〜」でも『やる』。
那智さんには『やらせる目』があって、そのときはどんなテンションや言葉で指示が出てもわたしには選択肢はない、『やる』のだ。
ちょっと極端にいうと『やらなきゃ』とか『やるの!?』なんていう逡巡さえも存在しないほど、選択肢なく『やる』。
もちろん、たくさんためらうけれど那智さんが『やらせる目』になったときは『やる』と決まっているので、強いていえば、ためらいはわたし自身の勢いつけ程度くらいの意味しかない。
まさに絶対服従(笑)
今日はその『拒否権なし』のお話。
それは知り合って会うまでの9日間か、もしくは会ってからすぐ、とにかくかなり初期の段階で提示された。
今後、性的な場面でりん子には拒否権はなしね
絶対服従を連想させるこの言葉に被虐嗜好と従属嗜好のあるわたしはずいぶんうっとりした記憶がある。
その宣言に続いて、こんなこともつけ加えられた。
ただし意思表明はしてもいいし、りん子の話しは聞く
でも、最終的に俺が決めたことに対しての拒否権はないことにするよ
そうなのだ。
那智さんはただ単に『拒否権なし』とは言わず、いくつかの条件も示してくれた。
性的な場面においてということとわたしは意思表明をしてもいいし、話しも聞くということ。
うっとりしていた最初はその条件をさほど注目していなかったけど、これはわたしたちにとってとても重要なことになる。
まず、性的な場面において。
これはハッキリした線引きはできないけど、外でも室内でもSM的なことでも一見性的なことに見えなくても、とにかくふたりにとって『性的』と認識する事柄という意味合い。
だから、普通エロなこととは結び付かない着衣のままお店で四つん這いになることも、咀嚼した食べ物を手のひらにのせて食べさせることも、わたしたちには性的な場面になる。
なぜ、性的な場面という限定をするのか。
それは那智さんがわたしと自然に付き合いたいという気持ちがあるから、絶対服従のような常識的には不自然な関係(それが悪いと言っていませんよ^^)にはしたくないということは当然あるけど
そのほうがりん子がラクだし、うれしいだろ?(笑)
という理由が一番大きいのではないかと思う。
那智さんはもともと忠誠心で愛情を計るようなことはしない人だったし、一般的には酷いとされる行為で感じ求めるようにさせたかったから、わたしに対して無理矢理我慢させるような命令は一切しなかった。
わたしは被虐や従属嗜好がある。
前エントリーの『A→B→C→D』を思い出してほしい。
わたしには被虐や従属嗜好があるのだから妄想の中ではDもXもZもあるんだけど、現実では最初のAでいっぱいいっぱいだったりする。
それを幸福のうちに叶えるには、すこしの『無理』が必要になるのだ。
そのすこしの『無理』を後押しするのが拒否権なし。
いきなりAからDでは我慢ばかりが先走って、その行為自体が苦手になってしまうかもしれない。
拒否権を使いたくなるほどのことをしていただけないとこちらも必死になれない、ゆえに物足りない^^;
だから、那智さんの判断で、すこし無理をすればできる、そして、快感に繋げられるようにしてくれるのだ。
その背中を押してくれるのが『拒否権なし』。
だから、「りん子がラク」でもって、コントロールされている感じや酷い行いをして被虐と従属嗜好を叶えるわけだから「うれしいだろ?」なのだ。
そして、条件付きの拒否権なしなので一見生温いと思われがちだけど、それがけっこう、ところがどっこいだったりする(笑)
最初に宣言されたように最終的には拒否はできないけど、意思表明もできるし話しも聞いてくれる。
だから、「無理です!!」「痛くてダメ!!」「できません;;」とわたしはたくさんたくさん意思表明してきた。
そして、なぜできないか、なぜ無理なのか、わたしの話しを聞いてくれて、不安を解消したりご自分の考えを教えてくれたりして、たくさんの安心をくれた。
あとは、わたしの気持ち次第という最後の1本道だけ残して、他の逃げ道は全部塞いで(笑)
(ついでにいうと、那智さんはこの逃げ道を塞ぐ攻防も楽しんでる)
たとえば、ホテル街で四つん這いで歩こうという話が出るとして(実際出たけど)
まず、そりゃあ、当然、それは無理!!ってなりますよね。
それはなぜ?と聞いてくれるから、不安材料を片っ端からいうわけですよ。
恥ずかしいです
パンツが見えない丈のスカート履いておいでね
りん子は下を向いていればいい
怖いです
何が怖い?
変な人に絡まれたりしません?
その可能性は低いと思うけど、もしそうなったら俺が対処するからりん子は心配しないでいい
膝をケガしそうです
ニーハイソックスを履く?
俺がサポーター用意しようか^^
などなど、わたしの出来ない理由を聞き、それをひとつひとつ解決してくれるのだ。
ついでに、
俺がリード引いてあげるんだよ
途中で頭を撫でてあげよう
なんて、うっとりするような話までしてくれちゃうのだ。
結局あとは、わたしの気持ちだけになる。
ここまで来てしまうと、もうわたしには那智さんに従う道しか残っていないのだ。
そして、けして無理難題を押し付けるわけではなく、わたしがぐっと力を入れればできる程度のことを命令する。
拒否権なしという後押しと、それをしたら幸福になれるという経験が後押しをして最後の勇気をくれるのだ。
那智さんはいう。
りん子は俺が決めたことには、もう大概のことは従うんだよ
刺青も入れようと言えば入れるし、スクランブル交差点で裸になれと言えば、なるんだ
あとは、俺がタイミングを見計らって、どれをするか決めるだけ
従う意外の逃げ道を全部塞いでくれて、責任を取ってもらう『拒否権なし』。
実は、那智さんの『拒否権なし』は、こちら側の幸福なのだ。
でもってね、ここまで責任を取る覚悟と逃げ道を塞ぐ行程を踏んだ那智さんの『やらせる目』は、本当に逆らえない迫力があるのよ^^;
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拒否権なし、やらせる目のいろいろ
『リードを付けて1 2 3』
『拒否権なし』
『委ねられるということ』
『委ねきれないと?』
『リードを付けて3』
『キーパーソンは清掃員1 2 3 4 5』
『拒否権なしの幸福』
「等式」感想です。正確なコミュニケーションは相手と会ってお話しないと難しいなと改めて思う、かなり厳しい性的な行為を昨日りん子に提案したが同意を得ることが出来なかった。電話やチャットを介してであったが顔が見えないので真意が完全には把握出来たか自信がないのが残念。かなり珍しい出来事でした。今日、会ってたしかめます。チャットで会話していると「これ以上はチャットでは無理」なんて言うことがあるけれど会わないと難しいは少し残念かな。