ハプバーのあと
非日常的な日常
最後はセクシービームで!!って、今週はなぜ闘ってる?
ハプバーの帰り、もう終電間近の繁華街。(「ハプバーの正しい使い方1、2、3」の後のこと)
ホームに滑り込んできた電車に乗る。
最初は座れなかったけど、一駅ごとに乗客が減っていく。
しばらくしたら、座れた。
電車ってね、ひとつの車両に真ん中に長い座席があって、連結部分に近いところに短めの座席がありますよね。
那智さんとわたしはその短い座席に座った。
正面は誰もいない。
斜め向かいの長い座席にもいない。
ドアを挟んだ右隣の長い座席に女性が一人。
那智さんが、わたしの太腿に手を置いた。
手をワンピースに入れる。
わたしは少し那智さんのほうに体を向けて、女性には背中を見せるようにする。
これなら多分怪しい気配は消せる。
太腿を撫で、下着に手が届く。
うつむいているけど、わたし、足を少し広げて喜んでる。
恥ずかしいけど、怖いけど、お外が嬉しい。
これなら、女性からわからないから、不安を感じながらも安心する。
駅に着いた。
視界に女性が降りていったのが映った。
ああ、よかった、これで、この車両には、ずっと向こうに一人いるだけだ。
不安が少し減る。
那智さんにお外でかわいがってもらうことに、もうちょっとだけ没頭できる。
と思っていたら、さっきの女性がまた入ってきた。
どうやら、降りる駅を間違えたみたい。
だめ、入ってきちゃ!!
ああ、でも、心の片隅で、ほんの少し、この状況を歓迎してるわたしがいる。
いや、この1/100の変態りん子。
でも、すぐにそれは歓迎ではなくなってしまった。
その女性が今度は向かい側の長い座席に腰掛けたのだ。
さっきは並びだったから、背中を向ければごまかせたけど、斜め前だとごまかすのが難しくなる。
那智さんは「いいね〜」と言いながら、さっきよりも強引にわたしを弄びはじめた。
足を広げられているから体全部を那智さんに向けることができない。
辛うじて上半身を那智さんに向けて、うつむく。
それでも、足も大きく広げてるわけではないので、見えてはいないだろう。
でも、絶対「変」なことをしてることはわかってしまう。
恥ずかしさと申し訳なさでいっぱい、下を向いて小さく首を振ることしかできない。
「あ、気付いてるね、『気付いてない』のを装って意識して正面を向いてるよ」
女性の様子を小声でわたしに伝える。
声の小ささとは反比例するように、指はもっともっと強引になる。
もう、はっきりわかるくらい腕が前後に動いてる。
ごめんなさい、ごめんなさい、変なものを見せてしまって、気遣わせてしまってごめんなさい。
電車の揺れ。
車内アナウンス。
女性の気配。
どれも全部はっきりとわかる。
顔を上げる。
那智さんの目を見る。
窓の外、まっくらな景色が流れているのがわかる。
ああ、ここは、電車の中だ。
怖い、怖い、でも、嬉しい、たまらなく感じる。
物凄く冷めたわたしと、物凄く昂奮してるわたしが混在している。
氷の塊に焼けた鉄を押し当ててるよう。
熱くて冷たい。
特別な化学反応が起きたみたいだ。
電車の音を聞きながら、溶けきれない氷を残して、それでもわたしはこの快感を一粒たりとも零すまいと情けないくらい必死で貪る。
いきそうだ。
電車の中で、人に気付かれながら。
電車がわたしたちの降りる駅に到着した。
降りたくない。
このまま快感を貪っていたい。
恥も外聞も捨てて、このままいかせてくださいと、いまのわたしなら言ってしまいそうだ。
名残惜しむようにもたもたと降りる。
もう、わたし、いや、那智さんがどこかの物陰にわたしを連れてってくれることを望んでしまってる。
いつから、わたしは那智さんのくれる快感をこんなにも欲してしまうようになったの。
「どこかでいかせてください」とお願いしてしまいそうだ。
スタスタとエスカレーターに向かう。
終電だったようで、もう、誰もいない。
長いエスカレーター。
前に乗った那智さんが当然のように手を入れる。
もうワンピースはめくれて、下着があらわになってる。
もう、抵抗するふりさえできない。
嬉しくて嬉しくて、たまらない。
左側がガラスになっている。
別の電車のホームが見える。
人がいる。
あの人たちから、わたしは見えるかしら。
遠いから何をしてるかはわからないだろう。
でも、その人たちを見ながら、こうしてもらっていることが、気持ち良い。
一番感じるように体を傾けて、さっき味わえなかったものを手に入れるのだ。
終電だから、上ってくる人はいないはず。
でも、もしいま誰か上ってきても、わたしは「やめない」ほうを取ってしまいそうだ。
熱さが増していき、最後には那智さんと二人っきりでいるときの「手放し」に近い状態になる。
でも、これって、特別なの。
この冷えた部分を残しながらの、熱さの浸食。
数十分前。
ハプバーで男性たちに囲まれていた。(洋服も着ていたし、男性客のマナーもしっかりしてるから、直接体に触れることもないから、ある意味『おとなしい』かもしれないですけど)
なんていうのかな、認識された場所での「晒される」ことは、ぬるいのだ。
それが悪いというのではなくて、安心して温かい湯に浸かるような気持ち良さはある(ハプバーですけどね!!)
認識されて、歓迎された中での行為(那智さんのもの扱い)は安心するし、それがわたしの「憧れ」だと、思ってる。(「予定外不調和」とかで書いてます)
でも、こういうときに感じる「ヒリヒリ」した快感は、わたしに「深層の変態」を認識させる。
那智さんに髪を鷲掴みにされて、ほら見ろ!!これがいいんだろ!?って突きつけられているようだ。
そうです、いいのです。
安心とか憧れとかそんなものじゃない、快感があるんです。
だから、怖い、怖いしいつも見せつけられて驚愕するくせに、これがいいと思ってしまうのです。
那智さんが、鷲掴みにしてくれる、これがいいのです。
最後はセクシービームで!!って、今週はなぜ闘ってる?
ハプバーの帰り、もう終電間近の繁華街。(「ハプバーの正しい使い方1、2、3」の後のこと)
ホームに滑り込んできた電車に乗る。
最初は座れなかったけど、一駅ごとに乗客が減っていく。
しばらくしたら、座れた。
電車ってね、ひとつの車両に真ん中に長い座席があって、連結部分に近いところに短めの座席がありますよね。
那智さんとわたしはその短い座席に座った。
正面は誰もいない。
斜め向かいの長い座席にもいない。
ドアを挟んだ右隣の長い座席に女性が一人。
那智さんが、わたしの太腿に手を置いた。
手をワンピースに入れる。
わたしは少し那智さんのほうに体を向けて、女性には背中を見せるようにする。
これなら多分怪しい気配は消せる。
太腿を撫で、下着に手が届く。
うつむいているけど、わたし、足を少し広げて喜んでる。
恥ずかしいけど、怖いけど、お外が嬉しい。
これなら、女性からわからないから、不安を感じながらも安心する。
駅に着いた。
視界に女性が降りていったのが映った。
ああ、よかった、これで、この車両には、ずっと向こうに一人いるだけだ。
不安が少し減る。
那智さんにお外でかわいがってもらうことに、もうちょっとだけ没頭できる。
と思っていたら、さっきの女性がまた入ってきた。
どうやら、降りる駅を間違えたみたい。
だめ、入ってきちゃ!!
ああ、でも、心の片隅で、ほんの少し、この状況を歓迎してるわたしがいる。
いや、この1/100の変態りん子。
でも、すぐにそれは歓迎ではなくなってしまった。
その女性が今度は向かい側の長い座席に腰掛けたのだ。
さっきは並びだったから、背中を向ければごまかせたけど、斜め前だとごまかすのが難しくなる。
那智さんは「いいね〜」と言いながら、さっきよりも強引にわたしを弄びはじめた。
足を広げられているから体全部を那智さんに向けることができない。
辛うじて上半身を那智さんに向けて、うつむく。
それでも、足も大きく広げてるわけではないので、見えてはいないだろう。
でも、絶対「変」なことをしてることはわかってしまう。
恥ずかしさと申し訳なさでいっぱい、下を向いて小さく首を振ることしかできない。
「あ、気付いてるね、『気付いてない』のを装って意識して正面を向いてるよ」
女性の様子を小声でわたしに伝える。
声の小ささとは反比例するように、指はもっともっと強引になる。
もう、はっきりわかるくらい腕が前後に動いてる。
ごめんなさい、ごめんなさい、変なものを見せてしまって、気遣わせてしまってごめんなさい。
電車の揺れ。
車内アナウンス。
女性の気配。
どれも全部はっきりとわかる。
顔を上げる。
那智さんの目を見る。
窓の外、まっくらな景色が流れているのがわかる。
ああ、ここは、電車の中だ。
怖い、怖い、でも、嬉しい、たまらなく感じる。
物凄く冷めたわたしと、物凄く昂奮してるわたしが混在している。
氷の塊に焼けた鉄を押し当ててるよう。
熱くて冷たい。
特別な化学反応が起きたみたいだ。
電車の音を聞きながら、溶けきれない氷を残して、それでもわたしはこの快感を一粒たりとも零すまいと情けないくらい必死で貪る。
いきそうだ。
電車の中で、人に気付かれながら。
電車がわたしたちの降りる駅に到着した。
降りたくない。
このまま快感を貪っていたい。
恥も外聞も捨てて、このままいかせてくださいと、いまのわたしなら言ってしまいそうだ。
名残惜しむようにもたもたと降りる。
もう、わたし、いや、那智さんがどこかの物陰にわたしを連れてってくれることを望んでしまってる。
いつから、わたしは那智さんのくれる快感をこんなにも欲してしまうようになったの。
「どこかでいかせてください」とお願いしてしまいそうだ。
スタスタとエスカレーターに向かう。
終電だったようで、もう、誰もいない。
長いエスカレーター。
前に乗った那智さんが当然のように手を入れる。
もうワンピースはめくれて、下着があらわになってる。
もう、抵抗するふりさえできない。
嬉しくて嬉しくて、たまらない。
左側がガラスになっている。
別の電車のホームが見える。
人がいる。
あの人たちから、わたしは見えるかしら。
遠いから何をしてるかはわからないだろう。
でも、その人たちを見ながら、こうしてもらっていることが、気持ち良い。
一番感じるように体を傾けて、さっき味わえなかったものを手に入れるのだ。
終電だから、上ってくる人はいないはず。
でも、もしいま誰か上ってきても、わたしは「やめない」ほうを取ってしまいそうだ。
熱さが増していき、最後には那智さんと二人っきりでいるときの「手放し」に近い状態になる。
でも、これって、特別なの。
この冷えた部分を残しながらの、熱さの浸食。
数十分前。
ハプバーで男性たちに囲まれていた。(洋服も着ていたし、男性客のマナーもしっかりしてるから、直接体に触れることもないから、ある意味『おとなしい』かもしれないですけど)
なんていうのかな、認識された場所での「晒される」ことは、ぬるいのだ。
それが悪いというのではなくて、安心して温かい湯に浸かるような気持ち良さはある(ハプバーですけどね!!)
認識されて、歓迎された中での行為(那智さんのもの扱い)は安心するし、それがわたしの「憧れ」だと、思ってる。(「予定外不調和」とかで書いてます)
でも、こういうときに感じる「ヒリヒリ」した快感は、わたしに「深層の変態」を認識させる。
那智さんに髪を鷲掴みにされて、ほら見ろ!!これがいいんだろ!?って突きつけられているようだ。
そうです、いいのです。
安心とか憧れとかそんなものじゃない、快感があるんです。
だから、怖い、怖いしいつも見せつけられて驚愕するくせに、これがいいと思ってしまうのです。
那智さんが、鷲掴みにしてくれる、これがいいのです。
休憩中です
独り言
めずらしくリアルタイムで。
打ち合わせが終わって、次の仕事までちょっと時間が空いたのでお茶しにコーヒー屋さんに入ってます。
レジで注文するときに、店員の女の子が「お客様、肩の糸くずをお取りしても良いですか?」と両手を添えながら、糸くずを取ってくれました。
いまどきのメイクに茶色の髪の女の子。
わたし、こういう接客に出会うと嬉しくなっちゃう。
とても良い気分で、この後の本番に望めます。
女の子に感謝。
この小さな幸せを、わたしはいっぱいにふくらませて、女の子に負けないように、祝福してこようと、背筋がしゃんとしました。
さあ、頑張ってこよう。
いってきます!
めずらしくリアルタイムで。
打ち合わせが終わって、次の仕事までちょっと時間が空いたのでお茶しにコーヒー屋さんに入ってます。
レジで注文するときに、店員の女の子が「お客様、肩の糸くずをお取りしても良いですか?」と両手を添えながら、糸くずを取ってくれました。
いまどきのメイクに茶色の髪の女の子。
わたし、こういう接客に出会うと嬉しくなっちゃう。
とても良い気分で、この後の本番に望めます。
女の子に感謝。
この小さな幸せを、わたしはいっぱいにふくらませて、女の子に負けないように、祝福してこようと、背筋がしゃんとしました。
さあ、頑張ってこよう。
いってきます!
「奴隷願望」の矛盾
りん子的独り言(生意気)
「性癖M、性格M」という表現を使ったことがあります。
ひとくちに「M」といってもいろいろあって、わたしが勝手に区分したの。
性癖として「被虐願望」がある。酷いことや痛いことをされることを欲し、それが快感になる、それが性癖M。
誰かに従いたい、命令されその人の言う通りにしたい、従属願望を持っている人が性格M。
もちろん、これだけじゃないでしょうし、混ざってたり、いろいろでしょうけど。
でも、まあ、パートナーを探すときに、この組み合わせを間違うとうまくいかないのだろうなと思ったりします。
ちなみに、わたしは性格Mがちょっと多い両方?なんて思ってます。(んと、わたしの性格Mの部分は根底に父性を求めることが絡んでいるので、そこまで混ぜると、すごーい依存従属願望、もはや同化願望くらいになってしまうと思います^^;)
で、ここからお話しすることは、従属願望の多めのわたしが「一般的なSM」のイメージから想像したことです。
ですから、ほんとにSMをしたり主従関係を成立させている人からしたら、かたよったことかもしれません。
ふと湧いた考えなので、寛大なお心で読んでね。
それと、わたしが女なのでM=女、S=男という想像です。
そして、「女」「M女」はわたしだったらということで書いてます。
一般的に「SM」と聞いて、想像されることってなんでしょうね。
鞭やろうそく?縛ったり?
それで感じるそれを渇望する性癖の部分は、ちょっと置いといて^^
わたしは、自分が「従いたい、支配されたい」という願望が強かったから、どうしても「ご主人様と奴隷」「ご主人様とペット」というような関係を想像します。(昔のことですけど、)
「奴隷」って聞くとどんなことを想像します?
命令に従い何でも言うことをきく女。
あなたのよいように、と自分の感情を抑える女。
一見都合の良い女ですよね。
「奴隷」という言葉から想像して、「奴隷」をほしいと思う男性は、この「思い通りになる女」を作ろうとしているのでしょうか?(これもイメージからの想像です)
わたしも「性格M」なので、そんなふうに「盲目的」に従える魅力もあるよね、と思う。
でも、その反面、、従属したいといういわゆる「奴隷(従属)願望」のある女は、依存願望がとても強い。
従属したいと思う時点で、自分ひとりで立っていられないのだから、要するにどっぷりと浸かれる依存先を求めているのだともいえるのです。
あなたの言う通りにしたいという女を、何でも言うことをきく女にする。
自分の都合で「待ってろ」といえばずっと待ってる、「来い」といえば駆けつける。
でも、そういう女は、すごく依存したいから、ご主人様に絶大な支えを求めてしまう。
それって、とても面倒くさい、まして「思い通りになる女」を想像してる男性には、矛盾とも言える厄介なことですよね。
そう考えると、男性の求める「奴隷」と、M女の「奴隷願望」にずれが生じるのでは?と思うのです。
「待て」といわれるから待つ、待ちたい。
メールも電話も、ずっと待つ。
でも、本来依存したいのだから、ひとりの時間を支えなしに過ごすなんでできない。
不安でしょうがなくなる。
でも、奴隷だから、待つ、奴隷だから待たなきゃいけない。
不安で苦しくてメソメソする。
それを表す。
ちっとも思い通りじゃない。
でも、そういう女が「奴隷」になりたいと思うことが多いのではないかしら。
ひとりの時間を充実させて、その時間はご主人様は必要ない、でも、何でもいうことを聞く奴隷、そんなのはなかなかいないと思うのです。
だって、ひとりで立っていられる人は「従属」したいなんて願望持たないんじゃないかな。
従いたい(思い通り)、依存したい(面倒くさい)、この両方を持ってる「奴隷願望」は、矛盾してるなぁと感じたのでした。
うう、上手に説明できてないです。
でも、なんか、この矛盾感じませんか?
わたしのような「従属願望」の強い女は、「奴隷」になんてしなくても上手に上手に飼いならせばとってもいい子で「思い通りの女」になると思うのだけどな。
いろんなこと喜んでするんだけどな。
そのかわり「上手に飼いならす」のが大変なのね、飼いならす技量が必要ですね。
「従いたい」と思う女は、その人がその技量があるか見極めないといけない。
那智さんは「飼いならす」という感覚も持たずに、わたしの相手してるかもしれないけど。
「性癖M、性格M」という表現を使ったことがあります。
ひとくちに「M」といってもいろいろあって、わたしが勝手に区分したの。
性癖として「被虐願望」がある。酷いことや痛いことをされることを欲し、それが快感になる、それが性癖M。
誰かに従いたい、命令されその人の言う通りにしたい、従属願望を持っている人が性格M。
もちろん、これだけじゃないでしょうし、混ざってたり、いろいろでしょうけど。
でも、まあ、パートナーを探すときに、この組み合わせを間違うとうまくいかないのだろうなと思ったりします。
ちなみに、わたしは性格Mがちょっと多い両方?なんて思ってます。(んと、わたしの性格Mの部分は根底に父性を求めることが絡んでいるので、そこまで混ぜると、すごーい依存従属願望、もはや同化願望くらいになってしまうと思います^^;)
で、ここからお話しすることは、従属願望の多めのわたしが「一般的なSM」のイメージから想像したことです。
ですから、ほんとにSMをしたり主従関係を成立させている人からしたら、かたよったことかもしれません。
ふと湧いた考えなので、寛大なお心で読んでね。
それと、わたしが女なのでM=女、S=男という想像です。
そして、「女」「M女」はわたしだったらということで書いてます。
一般的に「SM」と聞いて、想像されることってなんでしょうね。
鞭やろうそく?縛ったり?
それで感じるそれを渇望する性癖の部分は、ちょっと置いといて^^
わたしは、自分が「従いたい、支配されたい」という願望が強かったから、どうしても「ご主人様と奴隷」「ご主人様とペット」というような関係を想像します。(昔のことですけど、)
「奴隷」って聞くとどんなことを想像します?
命令に従い何でも言うことをきく女。
あなたのよいように、と自分の感情を抑える女。
一見都合の良い女ですよね。
「奴隷」という言葉から想像して、「奴隷」をほしいと思う男性は、この「思い通りになる女」を作ろうとしているのでしょうか?(これもイメージからの想像です)
わたしも「性格M」なので、そんなふうに「盲目的」に従える魅力もあるよね、と思う。
でも、その反面、、従属したいといういわゆる「奴隷(従属)願望」のある女は、依存願望がとても強い。
従属したいと思う時点で、自分ひとりで立っていられないのだから、要するにどっぷりと浸かれる依存先を求めているのだともいえるのです。
あなたの言う通りにしたいという女を、何でも言うことをきく女にする。
自分の都合で「待ってろ」といえばずっと待ってる、「来い」といえば駆けつける。
でも、そういう女は、すごく依存したいから、ご主人様に絶大な支えを求めてしまう。
それって、とても面倒くさい、まして「思い通りになる女」を想像してる男性には、矛盾とも言える厄介なことですよね。
そう考えると、男性の求める「奴隷」と、M女の「奴隷願望」にずれが生じるのでは?と思うのです。
「待て」といわれるから待つ、待ちたい。
メールも電話も、ずっと待つ。
でも、本来依存したいのだから、ひとりの時間を支えなしに過ごすなんでできない。
不安でしょうがなくなる。
でも、奴隷だから、待つ、奴隷だから待たなきゃいけない。
不安で苦しくてメソメソする。
それを表す。
ちっとも思い通りじゃない。
でも、そういう女が「奴隷」になりたいと思うことが多いのではないかしら。
ひとりの時間を充実させて、その時間はご主人様は必要ない、でも、何でもいうことを聞く奴隷、そんなのはなかなかいないと思うのです。
だって、ひとりで立っていられる人は「従属」したいなんて願望持たないんじゃないかな。
従いたい(思い通り)、依存したい(面倒くさい)、この両方を持ってる「奴隷願望」は、矛盾してるなぁと感じたのでした。
うう、上手に説明できてないです。
でも、なんか、この矛盾感じませんか?
わたしのような「従属願望」の強い女は、「奴隷」になんてしなくても上手に上手に飼いならせばとってもいい子で「思い通りの女」になると思うのだけどな。
いろんなこと喜んでするんだけどな。
そのかわり「上手に飼いならす」のが大変なのね、飼いならす技量が必要ですね。
「従いたい」と思う女は、その人がその技量があるか見極めないといけない。
那智さんは「飼いならす」という感覚も持たずに、わたしの相手してるかもしれないけど。
意識するな
独特な幸福感
「SMを意識するな」
この言葉をわたしは那智さんから何回か言われたことがある。
まだ知り合って3ヶ月くらいのころが最初だったと思う。
電話でお話ししてるときに、あらたまった感じで言われたのが最初だった。
そのとき「ふたつ注意事項がある」と言って、「今後はなるべくSMを意識しないで、SMという言葉もあまり使わないように」と言われた。
あともうひとつの注意事項は覚えてないから、それはわたしにはそれほど衝撃ではなかったのだろう。
ということは、「SMを意識するな」ということは、わたしにはショックだったということ。
だって、SMがしたくて、わたしはさまよっていたんだよ。(「惹かれ合う理由」の「旅」」シリーズ)
やっと、尊敬できて愛してる人に出会えて、その人とSMができるようになったのに、意識も言葉にもするなって。
わたしは、その時、衝撃と悲しさで、受話器を持ちながら崖から突き落とされたような気分だった。(大げさだけど、ほんと)
わたしも、既製の「SM」に違和感を持っていたから、那智さんの「自然な感じのSM」はありがたかったのは確かんなだけど。
でも、それはまるでわたしが「マゾ」だということを受け入れてもらえていないようで、悲しかった。
もしかしたら、わたしが「マゾ」だということが、那智さんには負担なのかもしれないとさえ感じる言葉だった。
もう縛ってくれないの?痛いことしてくれないの?メチャクチャにしてくれないの?
そんなふうに不安に思った。
それからも、那智さんは時折「SMを意識するな」と言い。
那智さん自身が「SMを意識せず、自然にできるのが嬉しい」と言った。
あれから数年。
那智さんは、変わらずわたしを縛り、叩き、晒して可愛がってくれる。
その時々によって上下はあるけど、確実にエスカレートしている。
「SMを意識するな」ということは、SM的なことをしないのではないようだ。
ただ「特別」なことをしてるという感覚が那智さんにはないのだろう。
最近は「意識しないで自然にできる」ということさえも「意識しない」のだそうだ。
わたしは?
わたしは、いまでもはっきりと「マゾ」だと思ってる。(那智さんに言わせると『変態』^^;)
だから、意識しないとは言い切れない。
ただ、ひとついえるのは。
自分の性癖や性質は意識してるけど、わたしは他を意識しなくなった。
わたしの中で「SMを意識する」とき、どうしても他と比べてしまうところがあったのね。
より痛そうなことをしてるほうが偉い、とか。
より酷いことで感じるほうが優れてる、とか。
うんこ食べられるほうが絆は強い、とか(笑)。
意味のない比較。
なにかに属するということは安心する、でも、反面比較対象ができてしまう。
比較して悲しくなるなら、それこそ無意味だ。
この無意味な比較から解放してくれたひとつが「SMを意識するな」という言葉だったのだと思う。
このことに気付いてから、わたしはとても楽になった。
他者と比べることは無意味。
自分たち以外のなにかに捕われてしまうのは不幸だ。
那智さんの「意識するな」という言葉は、そういうこと意味していたかはわからないけど、わたしはまたひとつ「解放」されるという実を結ぶことができた。
目的ではなく手段。
可愛がられ、触れ合う喜び。
那智さんに同化していくような安堵と快感。
それを感じる手段のひとつ。
だから、他と比べる必要はない。
そう思えるようになった。
あ、でも、じゃあ一生縛らないっていわれたら、それは、ちょっと寂しい…です(笑)
「SMを意識するな」
この言葉をわたしは那智さんから何回か言われたことがある。
まだ知り合って3ヶ月くらいのころが最初だったと思う。
電話でお話ししてるときに、あらたまった感じで言われたのが最初だった。
そのとき「ふたつ注意事項がある」と言って、「今後はなるべくSMを意識しないで、SMという言葉もあまり使わないように」と言われた。
あともうひとつの注意事項は覚えてないから、それはわたしにはそれほど衝撃ではなかったのだろう。
ということは、「SMを意識するな」ということは、わたしにはショックだったということ。
だって、SMがしたくて、わたしはさまよっていたんだよ。(「惹かれ合う理由」の「旅」」シリーズ)
やっと、尊敬できて愛してる人に出会えて、その人とSMができるようになったのに、意識も言葉にもするなって。
わたしは、その時、衝撃と悲しさで、受話器を持ちながら崖から突き落とされたような気分だった。(大げさだけど、ほんと)
わたしも、既製の「SM」に違和感を持っていたから、那智さんの「自然な感じのSM」はありがたかったのは確かんなだけど。
でも、それはまるでわたしが「マゾ」だということを受け入れてもらえていないようで、悲しかった。
もしかしたら、わたしが「マゾ」だということが、那智さんには負担なのかもしれないとさえ感じる言葉だった。
もう縛ってくれないの?痛いことしてくれないの?メチャクチャにしてくれないの?
そんなふうに不安に思った。
それからも、那智さんは時折「SMを意識するな」と言い。
那智さん自身が「SMを意識せず、自然にできるのが嬉しい」と言った。
あれから数年。
那智さんは、変わらずわたしを縛り、叩き、晒して可愛がってくれる。
その時々によって上下はあるけど、確実にエスカレートしている。
「SMを意識するな」ということは、SM的なことをしないのではないようだ。
ただ「特別」なことをしてるという感覚が那智さんにはないのだろう。
最近は「意識しないで自然にできる」ということさえも「意識しない」のだそうだ。
わたしは?
わたしは、いまでもはっきりと「マゾ」だと思ってる。(那智さんに言わせると『変態』^^;)
だから、意識しないとは言い切れない。
ただ、ひとついえるのは。
自分の性癖や性質は意識してるけど、わたしは他を意識しなくなった。
わたしの中で「SMを意識する」とき、どうしても他と比べてしまうところがあったのね。
より痛そうなことをしてるほうが偉い、とか。
より酷いことで感じるほうが優れてる、とか。
うんこ食べられるほうが絆は強い、とか(笑)。
意味のない比較。
なにかに属するということは安心する、でも、反面比較対象ができてしまう。
比較して悲しくなるなら、それこそ無意味だ。
この無意味な比較から解放してくれたひとつが「SMを意識するな」という言葉だったのだと思う。
このことに気付いてから、わたしはとても楽になった。
他者と比べることは無意味。
自分たち以外のなにかに捕われてしまうのは不幸だ。
那智さんの「意識するな」という言葉は、そういうこと意味していたかはわからないけど、わたしはまたひとつ「解放」されるという実を結ぶことができた。
目的ではなく手段。
可愛がられ、触れ合う喜び。
那智さんに同化していくような安堵と快感。
それを感じる手段のひとつ。
だから、他と比べる必要はない。
そう思えるようになった。
あ、でも、じゃあ一生縛らないっていわれたら、それは、ちょっと寂しい…です(笑)
いつまでするの?
りん子的独り言(生意気)
「SMは意識するな」といいながら、那智さんはわたしと付き合いはじめた当初こんなことを考えたそうです。
「いつまでするか?」
愛し合うもの同士のスキンシップ、触れ合う快感、そんな意味合いで「抱き合う」ことは年を重ねてもありだろう。
でも、冷静に考えて、縛ったり叩いたり露出したり浣腸したり…、それって、何才までしていいものなのか?
いや、すべて二人の間の閉ざされた世界なのだから、どんな醜態をさらそうと、目の当たりにしようと、かまわないといえばかまわないのだけど。
客観視して、それでも、できるのは何才まで?
だって、おばあさん縛りたいと思う?
おばあさん露出させたいと思う?
そんなおばあさんとまでいかなくっても、衰えかけたものを、さらに「グチャグチャ」状態にして興奮する?
「○年たったらりん子が○才になる、そのときもいまと変わらず抱きたい(主にSM的な方法で)と思うか?」
そう考えたのだそうだ。
「○才なら、まだ大丈夫だろう」と結論は出たけど、1.2%くらいは「もしや、無理!?」という思いが過ったそうだ。
そして、○年経ち、その年齢に達したわたしを那智さんは抱いてる(SM的な方法で)。
きっと、その「欲」は衰えていないはず、もっと増してるかもしれないとさえ思う(あはは、なんだ、この自信、わたしったら^^;)
そして、また、考えた。
じゃあ、○年経っても変わらないなら、今後○年は大丈夫かもしれない。
それなら、その先は?
いつまで、縛り叩き晒そうと思うか。
実際に「衰えたりん子を見て萎えてしまうかも」という部分と、「この年でいいの?」と客観視してしまってためらういう部分。
両方想像できるけど、全部まとめて。
「いつまで、するの?していいの!?」
当人同士がいいならいつまでもという一般論も、SM意識してないって言ったじゃん、手を繋ぐことと同じなら関係ないじゃんというツッコミも、承知の上で。
那智さんの最近の「軽い苦悩」。
いつまで、縛ったり叩いたりするの!?
だって、おばあさん縛ったら老人虐待のようで、興奮どころか不憫になっちゃう(笑)
どう思われます?
「SMは意識するな」といいながら、那智さんはわたしと付き合いはじめた当初こんなことを考えたそうです。
「いつまでするか?」
愛し合うもの同士のスキンシップ、触れ合う快感、そんな意味合いで「抱き合う」ことは年を重ねてもありだろう。
でも、冷静に考えて、縛ったり叩いたり露出したり浣腸したり…、それって、何才までしていいものなのか?
いや、すべて二人の間の閉ざされた世界なのだから、どんな醜態をさらそうと、目の当たりにしようと、かまわないといえばかまわないのだけど。
客観視して、それでも、できるのは何才まで?
だって、おばあさん縛りたいと思う?
おばあさん露出させたいと思う?
そんなおばあさんとまでいかなくっても、衰えかけたものを、さらに「グチャグチャ」状態にして興奮する?
「○年たったらりん子が○才になる、そのときもいまと変わらず抱きたい(主にSM的な方法で)と思うか?」
そう考えたのだそうだ。
「○才なら、まだ大丈夫だろう」と結論は出たけど、1.2%くらいは「もしや、無理!?」という思いが過ったそうだ。
そして、○年経ち、その年齢に達したわたしを那智さんは抱いてる(SM的な方法で)。
きっと、その「欲」は衰えていないはず、もっと増してるかもしれないとさえ思う(あはは、なんだ、この自信、わたしったら^^;)
そして、また、考えた。
じゃあ、○年経っても変わらないなら、今後○年は大丈夫かもしれない。
それなら、その先は?
いつまで、縛り叩き晒そうと思うか。
実際に「衰えたりん子を見て萎えてしまうかも」という部分と、「この年でいいの?」と客観視してしまってためらういう部分。
両方想像できるけど、全部まとめて。
「いつまで、するの?していいの!?」
当人同士がいいならいつまでもという一般論も、SM意識してないって言ったじゃん、手を繋ぐことと同じなら関係ないじゃんというツッコミも、承知の上で。
那智さんの最近の「軽い苦悩」。
いつまで、縛ったり叩いたりするの!?
だって、おばあさん縛ったら老人虐待のようで、興奮どころか不憫になっちゃう(笑)
どう思われます?