選択肢
独り言
ああ、どうしよう、相変わらずの暴論を思いついてしまった;;
いまから書くことは偏った暴論です。
どうしても、わたしは『多くの人が正義だと思っていることで苦しい人がいる』と、そちら側に立ってしまう癖があるようです。
どんな命も一様に尊いものだし、生まれちゃいけない人なんていないということを理解した上で、卵の側から見てみた感情的なお話です。
また、ニュースやウィキペディア程度の知識しかないクセに書いているので知識不足はごめんなさい。
『新型出生前診断』という言葉を聞いたことはありますか。
専門的にはもっと難しい名前がついているようなのですが、妊娠中に血液検査をすることで赤ちゃんの染色体や遺伝子についてある程度知ることができるというヤツです。
残念ながら何かしらの異常を診断された親にその後の判断を委ねることになるのだけど、なんていうか、これに引っかかってしまったのです。
先日、ニュース番組で取り上げていて、ふたつのケースを紹介していました。
一人目は診断の結果異常がわかり堕胎を選んだ女性。
二組目は同じく異常が見つかっても生むことを選んだ夫婦。
異常が見つかっても生むことを選んだ夫婦には心から拍手を送りたいし、生まれてくる命を祝福したい気持ちはものすごくある。
でも、反面、違う感情も湧いてきてしまうのだ。
堕胎を選んだ女性は画像と音声を処理され誰だかわからないようにして、ひとり苦悩し贖罪の気持ちを話していた。
代わって、生むことを選んだご夫婦は顔を出し、とても良い雰囲気の中、たくさん話し合い苦悩を分かち合って判断した経緯を話していた。
なんだかちょっとひっかかる。
旦那さんが仕事が忙しく実家にも頼れずやむを得なかったと語る最初の女性。
まず、堕胎を選んだ女性がひとりではなく、そばに旦那さんがいて手を握り一緒にカメラの前に立ってくれたらどんなに心強かっただろう。
現代社会で堕胎は基本的に非道徳的なことをされている。
だから、彼女は我が子を堕ろしたこととそれを決断したことと、社会的倫理と自分と周囲と何重もの責めをひとりで背負う。
だから、一緒にカメラの前に立ってくれる、それだけでもひとりで背負う荷を軽減できたら、彼女の傷はほんのすこしだけでも軽くなってくれたのではないだろうか。
堕胎をするという決断を下した人を取材するなら、なぜ夫婦共にテレビ画面に出ないし、出さないのだろう。
出演する側の意向か、制作サイドの演出かはわからない。
でも、いずれにしても、堕胎=負という感情や、それを印象付ける演出があるように感じられてしまう。
ここから暴論ですよ〜。
あのね、医療技術として出生前診断ができて、お金を払えば診断する自由が与えられていて、その中で堕胎の自由が与えられているなら、堕胎を選ぶ精神的自由だってあってしかるべきじゃないかなと思ってしまうのです。
もちろん現代日本には堕胎の自由はある。
だけど、堕胎を母親に決断させる精神的自由はかなり、ないよね。
技術もあって診断する自由まで与えるなら、その先の自由もセットにならないだろうか。
そこから先だけ一個人(特に母親)にすべてを負わせることなく、普通に選択肢のひとつと思えたら、どんなに母親の負担は軽減されるだろう。
(もしかしたら、ご夫婦でたくさん話し合いをされたかもしれないけど、テレビ的には女性ひとりだけ出演している、そこに何かしら意図があるよね)
これは堕胎を推奨しているわけでもないし、画一的な子供ばかりの世の中になってほしいわけでもないのです。
だけど、これだけ選択肢が多そうな世の中になっているのに、精神的にはほとんど選択肢がないように感じる社会が好きじゃないの。
堕胎というだけで女性は傷つくのだ。
ならば、それ以外の倫理や世間体や当事者以外からの不自由な束縛や傷なんてなくなればいいと思う。
堕胎を選ぶ精神的自由。
『多くの人が正義だと思っていることで苦しい人がいる』という想像力を持てていたら、きっと精神的選択肢も増えるような気がする。
精神的選択肢が増えれば、きっと制度的選択肢を増やすことは案外簡単なんじゃないだろうか。
いろんな形の働き方があったり、いろんな形の結婚があったり、いろんな形の子育てがあったり。
クラスの半分くらいが夫婦別製や同性婚やシングルマザーやシングルファーザーだったり。
お隣はお母さんふたり、お向かいさんはお父さんひとり、上の階のご夫婦は里親。
こんなふうにいろいろな形があって、それが当たり前で、どれも選択できたらなんて自由なんだろう。
横道逸れるけど、そんな世の中になったら、政府が憂いでいる少子化に歯止めがかかるんじゃないかなって思うのです。
『多くの人が正義だと思っていることで苦しい人がいる』という想像力、こういうの好きなのです^^
<関連エントリー>
『hotに3周年御礼』
『善意』
『選択肢のひとつ』
『連れションはキライ』
「等式」感想です。?りん子の「暴論」に入る前の文書は理解出来ません。そもそも、出演する、しないも自由だし演出上の意図があっても引っかからなければ問題ない。TV局のその姿勢に問題があるのは十分理解できますがね。私の拙い文書でどこまで伝わるか解りませんが、女性だけに判断を委ねたら
それは一番辛いのではないでしょうか。自分だけで決めるのは。机上論ですがその検査を受けるなら生む、生まないの結果を決めてのぞんだ方が良いと思う。ここからは私の暴論です。
検査結果で生まないと決めているなら、そのまま堕胎、考え思い悩む暇を与えない。正解がないことで、思い悩むのを覚悟して検査を受けるのであればその先を決めておかないのはバカでしょ。最初から検査を受けない自由を選んだら良いと思う。
何か、今日は「感想」と言うよりわたしの意見になってしまいました。
ああ、どうしよう、相変わらずの暴論を思いついてしまった;;
いまから書くことは偏った暴論です。
どうしても、わたしは『多くの人が正義だと思っていることで苦しい人がいる』と、そちら側に立ってしまう癖があるようです。
どんな命も一様に尊いものだし、生まれちゃいけない人なんていないということを理解した上で、卵の側から見てみた感情的なお話です。
また、ニュースやウィキペディア程度の知識しかないクセに書いているので知識不足はごめんなさい。
『新型出生前診断』という言葉を聞いたことはありますか。
専門的にはもっと難しい名前がついているようなのですが、妊娠中に血液検査をすることで赤ちゃんの染色体や遺伝子についてある程度知ることができるというヤツです。
残念ながら何かしらの異常を診断された親にその後の判断を委ねることになるのだけど、なんていうか、これに引っかかってしまったのです。
先日、ニュース番組で取り上げていて、ふたつのケースを紹介していました。
一人目は診断の結果異常がわかり堕胎を選んだ女性。
二組目は同じく異常が見つかっても生むことを選んだ夫婦。
異常が見つかっても生むことを選んだ夫婦には心から拍手を送りたいし、生まれてくる命を祝福したい気持ちはものすごくある。
でも、反面、違う感情も湧いてきてしまうのだ。
堕胎を選んだ女性は画像と音声を処理され誰だかわからないようにして、ひとり苦悩し贖罪の気持ちを話していた。
代わって、生むことを選んだご夫婦は顔を出し、とても良い雰囲気の中、たくさん話し合い苦悩を分かち合って判断した経緯を話していた。
なんだかちょっとひっかかる。
旦那さんが仕事が忙しく実家にも頼れずやむを得なかったと語る最初の女性。
まず、堕胎を選んだ女性がひとりではなく、そばに旦那さんがいて手を握り一緒にカメラの前に立ってくれたらどんなに心強かっただろう。
現代社会で堕胎は基本的に非道徳的なことをされている。
だから、彼女は我が子を堕ろしたこととそれを決断したことと、社会的倫理と自分と周囲と何重もの責めをひとりで背負う。
だから、一緒にカメラの前に立ってくれる、それだけでもひとりで背負う荷を軽減できたら、彼女の傷はほんのすこしだけでも軽くなってくれたのではないだろうか。
堕胎をするという決断を下した人を取材するなら、なぜ夫婦共にテレビ画面に出ないし、出さないのだろう。
出演する側の意向か、制作サイドの演出かはわからない。
でも、いずれにしても、堕胎=負という感情や、それを印象付ける演出があるように感じられてしまう。
ここから暴論ですよ〜。
あのね、医療技術として出生前診断ができて、お金を払えば診断する自由が与えられていて、その中で堕胎の自由が与えられているなら、堕胎を選ぶ精神的自由だってあってしかるべきじゃないかなと思ってしまうのです。
もちろん現代日本には堕胎の自由はある。
だけど、堕胎を母親に決断させる精神的自由はかなり、ないよね。
技術もあって診断する自由まで与えるなら、その先の自由もセットにならないだろうか。
そこから先だけ一個人(特に母親)にすべてを負わせることなく、普通に選択肢のひとつと思えたら、どんなに母親の負担は軽減されるだろう。
(もしかしたら、ご夫婦でたくさん話し合いをされたかもしれないけど、テレビ的には女性ひとりだけ出演している、そこに何かしら意図があるよね)
これは堕胎を推奨しているわけでもないし、画一的な子供ばかりの世の中になってほしいわけでもないのです。
だけど、これだけ選択肢が多そうな世の中になっているのに、精神的にはほとんど選択肢がないように感じる社会が好きじゃないの。
堕胎というだけで女性は傷つくのだ。
ならば、それ以外の倫理や世間体や当事者以外からの不自由な束縛や傷なんてなくなればいいと思う。
堕胎を選ぶ精神的自由。
『多くの人が正義だと思っていることで苦しい人がいる』という想像力を持てていたら、きっと精神的選択肢も増えるような気がする。
精神的選択肢が増えれば、きっと制度的選択肢を増やすことは案外簡単なんじゃないだろうか。
いろんな形の働き方があったり、いろんな形の結婚があったり、いろんな形の子育てがあったり。
クラスの半分くらいが夫婦別製や同性婚やシングルマザーやシングルファーザーだったり。
お隣はお母さんふたり、お向かいさんはお父さんひとり、上の階のご夫婦は里親。
こんなふうにいろいろな形があって、それが当たり前で、どれも選択できたらなんて自由なんだろう。
横道逸れるけど、そんな世の中になったら、政府が憂いでいる少子化に歯止めがかかるんじゃないかなって思うのです。
『多くの人が正義だと思っていることで苦しい人がいる』という想像力、こういうの好きなのです^^
<関連エントリー>
『hotに3周年御礼』
『善意』
『選択肢のひとつ』
『連れションはキライ』
「等式」感想です。?りん子の「暴論」に入る前の文書は理解出来ません。そもそも、出演する、しないも自由だし演出上の意図があっても引っかからなければ問題ない。TV局のその姿勢に問題があるのは十分理解できますがね。私の拙い文書でどこまで伝わるか解りませんが、女性だけに判断を委ねたら
それは一番辛いのではないでしょうか。自分だけで決めるのは。机上論ですがその検査を受けるなら生む、生まないの結果を決めてのぞんだ方が良いと思う。ここからは私の暴論です。
検査結果で生まないと決めているなら、そのまま堕胎、考え思い悩む暇を与えない。正解がないことで、思い悩むのを覚悟して検査を受けるのであればその先を決めておかないのはバカでしょ。最初から検査を受けない自由を選んだら良いと思う。
何か、今日は「感想」と言うよりわたしの意見になってしまいました。
もしもわたしが先に死んだら
独特な幸福感
昔ほど登場しなくなったけど、いまでもわたしたちの間で盛り上がる話題のひとつ『どちらかが先に死んだら』話。
命に関わることをタラレバにしてしまう不謹慎はお許しいただけるとうれしいのですが、ピロートークでもあり、ひそかに覚悟を決める訓練だったりもしているので、わたしとしてはそれなりに必要な話題だったりする。
那智さんより長生きする。
いままでずーっとお世話になった恩返しにその喪失感をわたしが引き受ける。
寿命は操作できないことは百も承知で、この夢物語を思うのは、かなしいけれどキライじゃない。
そんなふうに言える自分がすこし誇らしく思うから。
だから、この話題は那智さんが先に死ぬというシミュレーションになるほうが確率は高いのだけど、たまに逆パターンもあるわけだ。
『りん子が先に死んだら』
まだ付き合いはじめの頃には、那智さんが女性を抱いている枕元に化けて出てきていいって言われた。
「わたしのほうがいいでしょ?」とウインクするのだ。
那智さんとお別れして先立ってもそれなら楽しいかも?と思える想像だった。
『等式』をはじめてからは、やはり『等式』は登場する。
りん子が先に死んだら、『等式』で新しい人募集しようかな(笑)
まあ、読者さんだったら、那智さん(わたしたち)に好意を持ってくれている人が多いでしょうし、那智さんの人柄や生き方もずいぶん説明不要、いろいろな意味で感性の相性の良い人に出会える確率は高く、なおかつ、出会いの何段階かはすっ飛ばせてラクだものね^^;
きっと那智さんの感性と合う人は高確率でいるはず。
でも、でも、これだけラブラブを綴っているのですよ。
それに、おそらく読んでくれている人の多くは『わたしたち』を好いてくれているはずで、那智さん単体のためにりん子の後釜でってなるとけっこうハードル高いんじゃないでしょうか!?
わたしだったら、お友達には立候補するけどりん子の次っていうのはためらいますよ。
そうかな〜(笑)
りん子のように、とか
さみしさを埋めてくれる人、とか
どう?
う〜ん、難しいですよね〜
那智さん、ひどい〜ってことになりますよ(笑)
まずは、わたしが突破口を開いておいたほうがいいんじゃないですか?
仮に那智さんとお付き合いしたい人がいたとしても、きっと『りん子さんに申し訳ない』という気持ちが働くでしょうから
居酒屋のほの暗い灯りの下で。
そこから、妄想スタート。
妄想ではすでに佳境(笑)
わたしの病をきっかけに闘病の様子も伝えるようになってきた『等式』。
すでに大きな手術を明日に控えたところから具体的な妄想がはじまる。
20**年*月**日
アダルトカテゴリにも関わらず、ずいぶん闘病日記となってきた『等式』(笑)
いよいよわたしは明日手術を迎えます。
もう何度目かの手術、おそらくこれが手を施せる最後のチャンスになるでしょう。
(なんの病気か、そういう細かいことは妄想には必要ないの 笑)
もう一度、『等式』を更新できるようになるかは、きっと五分五分。
もちろん術後すぐパソコンに向かえることはむずかしいでしょうから、日にちがすぎて無事更新できるようになれればいいのですが、もしかしたら、これが最後の更新になるかもしれません。
数日経っても更新されなかったら、わたしは天に召されたと思ってください。
無事生還したら、こんな大げさなエントリー書いてちょっと恥ずかしいけど、先にみなさんにお礼をお伝えしておきます。
いままで『等式』とわたしを愛してくれてありがとう。
(妄想の主旨は別にあるので、この感傷は端折る 笑)
…
そして、最後にみなさんにお願いがあります。
わたしは先に逝ってしまうから気楽だけど、那智さんはきっととてもかなしいはずです。
わたしが逆の立場だったら、さみしいかなしいとたくさん泣いて、たくさんお友達に頼って、『等式』に書いて、つらさを軽減することができますが、那智さんは『男の子』なのでメソメソ泣けないはずなのです。
だから、どうかみなさん、ここで那智さんにたくさん優しくしてあげてくださいませんか。
かなしいよね、さみしいよねって、那智さんに泣く機会を作って差し上げたいのです。
きっとほんの一瞬だけ、みなさんを頼ってしまう那智さんの手をわたしの代わりに握っていてほしい、泣けない那智さんのためにみなさんの温かい言葉で泣かせてあげてください。
よろしくお願いします。
そして、那智さんが幸せになれるような女性と出会える機会に恵まれるなら、わたしはそれを願います。
もし、那智さんが『等式』を理解してくれている方から一緒に幸せになりたいと思う女性を探すことがあったら、どうか遠慮せず、那智さんと幸福を築けそうな方、手を挙げてみてくださいね。
那智さんと『等式』の読者さんの幸福はわたしの望みでもありますから。
なーんていうのはどうでしょう!?
なにげに感動的にしておいて、わたしの推奨付きで、さりげなく、最後には募集を匂わす(笑)
これくらいしておけば、那智さんが『等式』で募集しようかな〜と思ってらっしゃることが遂行できそうではありませんか?
なんて、かなり不謹慎な妄想を展開したりしてみた。
ビールジョッキ片手に^^
で、笑いながら、ふたりして若干しんみり…。
不謹慎とはわかりながらも、酒の肴としては泣き笑いして楽しみました。
書きながら、ふたりの間の妄想話としては、まあ、いいけれど、『死』を甘い妄想としてここに書くのはかなり不謹慎だと反省してはおります。
が。
もうブログに書いちゃったからこの方法は通用しなくなってしまったことと、妄想話をしながらふたりしてしんみりしちゃったから、それでお許しいただけるとうれしいです。
もしもわたしが先に死んだら…。
でも、想像として、これで那智さんの希望、叶うと思います?(笑)
<関連エントリー>
『生きる』
『生きてる(笑)』
昔ほど登場しなくなったけど、いまでもわたしたちの間で盛り上がる話題のひとつ『どちらかが先に死んだら』話。
命に関わることをタラレバにしてしまう不謹慎はお許しいただけるとうれしいのですが、ピロートークでもあり、ひそかに覚悟を決める訓練だったりもしているので、わたしとしてはそれなりに必要な話題だったりする。
那智さんより長生きする。
いままでずーっとお世話になった恩返しにその喪失感をわたしが引き受ける。
寿命は操作できないことは百も承知で、この夢物語を思うのは、かなしいけれどキライじゃない。
そんなふうに言える自分がすこし誇らしく思うから。
だから、この話題は那智さんが先に死ぬというシミュレーションになるほうが確率は高いのだけど、たまに逆パターンもあるわけだ。
『りん子が先に死んだら』
まだ付き合いはじめの頃には、那智さんが女性を抱いている枕元に化けて出てきていいって言われた。
「わたしのほうがいいでしょ?」とウインクするのだ。
那智さんとお別れして先立ってもそれなら楽しいかも?と思える想像だった。
『等式』をはじめてからは、やはり『等式』は登場する。
りん子が先に死んだら、『等式』で新しい人募集しようかな(笑)
まあ、読者さんだったら、那智さん(わたしたち)に好意を持ってくれている人が多いでしょうし、那智さんの人柄や生き方もずいぶん説明不要、いろいろな意味で感性の相性の良い人に出会える確率は高く、なおかつ、出会いの何段階かはすっ飛ばせてラクだものね^^;
きっと那智さんの感性と合う人は高確率でいるはず。
でも、でも、これだけラブラブを綴っているのですよ。
それに、おそらく読んでくれている人の多くは『わたしたち』を好いてくれているはずで、那智さん単体のためにりん子の後釜でってなるとけっこうハードル高いんじゃないでしょうか!?
わたしだったら、お友達には立候補するけどりん子の次っていうのはためらいますよ。
そうかな〜(笑)
りん子のように、とか
さみしさを埋めてくれる人、とか
どう?
う〜ん、難しいですよね〜
那智さん、ひどい〜ってことになりますよ(笑)
まずは、わたしが突破口を開いておいたほうがいいんじゃないですか?
仮に那智さんとお付き合いしたい人がいたとしても、きっと『りん子さんに申し訳ない』という気持ちが働くでしょうから
居酒屋のほの暗い灯りの下で。
そこから、妄想スタート。
妄想ではすでに佳境(笑)
わたしの病をきっかけに闘病の様子も伝えるようになってきた『等式』。
すでに大きな手術を明日に控えたところから具体的な妄想がはじまる。
20**年*月**日
アダルトカテゴリにも関わらず、ずいぶん闘病日記となってきた『等式』(笑)
いよいよわたしは明日手術を迎えます。
もう何度目かの手術、おそらくこれが手を施せる最後のチャンスになるでしょう。
(なんの病気か、そういう細かいことは妄想には必要ないの 笑)
もう一度、『等式』を更新できるようになるかは、きっと五分五分。
もちろん術後すぐパソコンに向かえることはむずかしいでしょうから、日にちがすぎて無事更新できるようになれればいいのですが、もしかしたら、これが最後の更新になるかもしれません。
数日経っても更新されなかったら、わたしは天に召されたと思ってください。
無事生還したら、こんな大げさなエントリー書いてちょっと恥ずかしいけど、先にみなさんにお礼をお伝えしておきます。
いままで『等式』とわたしを愛してくれてありがとう。
(妄想の主旨は別にあるので、この感傷は端折る 笑)
…
そして、最後にみなさんにお願いがあります。
わたしは先に逝ってしまうから気楽だけど、那智さんはきっととてもかなしいはずです。
わたしが逆の立場だったら、さみしいかなしいとたくさん泣いて、たくさんお友達に頼って、『等式』に書いて、つらさを軽減することができますが、那智さんは『男の子』なのでメソメソ泣けないはずなのです。
だから、どうかみなさん、ここで那智さんにたくさん優しくしてあげてくださいませんか。
かなしいよね、さみしいよねって、那智さんに泣く機会を作って差し上げたいのです。
きっとほんの一瞬だけ、みなさんを頼ってしまう那智さんの手をわたしの代わりに握っていてほしい、泣けない那智さんのためにみなさんの温かい言葉で泣かせてあげてください。
よろしくお願いします。
そして、那智さんが幸せになれるような女性と出会える機会に恵まれるなら、わたしはそれを願います。
もし、那智さんが『等式』を理解してくれている方から一緒に幸せになりたいと思う女性を探すことがあったら、どうか遠慮せず、那智さんと幸福を築けそうな方、手を挙げてみてくださいね。
那智さんと『等式』の読者さんの幸福はわたしの望みでもありますから。
なーんていうのはどうでしょう!?
なにげに感動的にしておいて、わたしの推奨付きで、さりげなく、最後には募集を匂わす(笑)
これくらいしておけば、那智さんが『等式』で募集しようかな〜と思ってらっしゃることが遂行できそうではありませんか?
なんて、かなり不謹慎な妄想を展開したりしてみた。
ビールジョッキ片手に^^
で、笑いながら、ふたりして若干しんみり…。
不謹慎とはわかりながらも、酒の肴としては泣き笑いして楽しみました。
書きながら、ふたりの間の妄想話としては、まあ、いいけれど、『死』を甘い妄想としてここに書くのはかなり不謹慎だと反省してはおります。
が。
もうブログに書いちゃったからこの方法は通用しなくなってしまったことと、妄想話をしながらふたりしてしんみりしちゃったから、それでお許しいただけるとうれしいです。
もしもわたしが先に死んだら…。
でも、想像として、これで那智さんの希望、叶うと思います?(笑)
<関連エントリー>
『生きる』
『生きてる(笑)』
どうした?の補足
独特な幸福感
『どうした?』の那智さんの感想。
「等式」感想です。(笑) 私がりん子の不快を放置はしない。この場合、状態を理解すればりん子自身が恥ずかしさを感じるに決まっている。いくらりん子がその場にいなくて声だけであっても。とすれば、私がその状態を肯定すれば恥ずかしいのはりん子だけ。別件ですが他人の迷惑にならない範囲でですが、都心の街中で当人達 が恥ずかしがることなんて、他人から見ればとるに足らない事がほとんどではないか。基本的に気が付かない、危なさそうな気配には見て見ぬふり、多少変わっ ていることには関心ないふり、そんな中、稀に好意の言動を受けると限りなく申し訳なく平身低頭お礼する。(笑)
いまひとつ理解できなかった。
別件以降は理解できるので、前半部分。
モカちゃんから『お父さん翻訳機』という称号をいただいた(気に入ってる)わたしとしては理解できないのは許せない。
わからないものは聞く(笑)
するとひとつの感覚の違いとひとつの勘違いを見つけることができた。
聞くって大事^^
今日はその補足エントリー^^
まず。
ひとつは『恥ずかしい』に対する感覚の違い。
この場合の恥ずかしいには客観と主観の2種類あって、ひとつは周りから見て恥ずかしいと思われるかの客観ともうひとつは自分が恥ずかしいと感じるかの主観。
このバランスに違いがあったのです。
想像してみて。
那智のポケットから女の声が漏れてきて、それに向かって話しかけている場合、客観的に見たら那智と声のりん子、どちらを恥ずかしい人と周囲は思うだろうか。
わたしは見えない声の主よりも、見えている那智さんに対して『あの男恥ずかしいな』と思うと想像する。
だから、客観的にいえば、圧倒的に那智さん9、りん子1くらいの割合で那智さんが恥ずかしい。
だって、目の前で見えている人に対して恥ずかしいと思う感情が湧くと思うもん。
でも、わたしの主観でいうと、自分の声が周囲に聞かれていると実感すればするほど恥ずかしいと感じてしまう。
誰からもわたしの姿は見えていないのに!!
那智さんが切り替えちゃったから最終的には10、0でわたしなんだけど、もし切り替えていなくて状況判断だけで計っても、五分五分で恥ずかしいと感じると思う。
だから、トータルで7対3で那智さんのほうが恥ずかしいのだ。
ところが、那智さんは声が聞こえている状態に対して、わたしより多く恥ずかしいと感じるようで、客観的恥ずかしさがヘタすると那智さん4、声のりん子6くらいに、周囲から見えていないにも関わらず声の主であることのほうが恥ずかしいと思われると思っているそうなのです。
で、主観なんて簡単に左右できちゃう那智さんだから、0、10でわたしを恥ずかしくすることができるのですが、同じように切り替えないとしても、まあ、客観と同じ割合くらいの恥ずかしさと想像すると、トータル4、6、もしかしたら3、7くらいでりん子が恥ずかしいと判断するわけですね。
ということで、ポケットから声が漏れている場合、那智さんは『りん子のほうが恥ずかしい』、わたしは『那智さんのほうが恥ずかしい』(切り替えたらわたしが恥ずかしいのだけど)という感覚に違いがあったのです。
だから、感想の最初の部分で那智さんが『りん子のほうが恥ずかしい』というニュアンスが、わたしとしてはまずしっくりこなかったのだけど、これは感覚の違いだと理解しました。
そして、次。
『私がりん子の不快を放置はしない』の意味もいまひとつわからないなぁと思って聞いてみた。
那智さんにとって『恥ずかしい思いをする』=不快という感覚があるのね。
わたしをからかったり恥ずかしがらせたりするけど、それは基本的に『那智さんの手によって』だから楽しいわけで、不可抗力でりん子が『恥ずかしい』=不快な思いをするとわかっているなら、それは回避してあげようと思うのだそうです。
『俺はりん子が不快と思う状況にはしないよ』という気持ちが『私がりん子の不快を放置はしない。』という言葉になったわけです。
(う〜ん、文字制限あるにしても、なかなかこれは導き出せません 笑)
で、那智さんにとって『声の主』のほうが恥ずかしいと思っているのだから、わたしがポケットの中状態を要求しても、『それはりん子が恥ずかしい(不快)だろ?だから、拒否してあげているんだよ』という状況だったのだそうです。
もちろん那智さんも恥ずかしいけど、那智さんの中では『声の主』のほうが恥ずかしいと解釈しているから、どちらかというと『りん子の不快回避』のための優しさからくる拒否だったわけですね。
それなのに、わたしがポケットの中要求を楽しみだしちゃったから、じゃあ、俺切り替えるよ(笑)となったのでした^^;
ということで、あの那智さんの切り替え&わたし恥ずかしがらせ状態は、ただ単に負けず嫌いさんとか天の邪鬼さんとかの那智さんらしい一面と、わたしの不快を回避しようと努めてくれた優しい気持ちと、その優しい気持ちをないがしろにした大きな反動という、じつはちょっぴり複雑な感情が生みだしたものなのでした!
で、切り替えたあとは『那智さんの手によって』な状態なわけで、こうなったら那智さんはわたしを恥ずかしがらせる(=不快?)ことになんのためらいもなく、むしろ楽しんだのですね。
でもって、じゃっかん、わたしの性質として、恥ずかしい=不快=でも、ちょっと『はふはふ』な羞恥系だったりするので、那智さんが思うほど不快ってだけではなかったりする^^;
なかなか人の心は複雑です^^
と、ちょっとわたしがわかりにくい感想だったのでたまには補足エントリーでした。
わたしは那智さんと同化していたいという嗜好が強い。
那智さんがどう感じて、なぜそうしたか。
同化するほど寄り添って、那智さんの意に沿っていたい、意に沿えなくても知っていたい、それがしあわせ。
だから、わからないことは聞く。
相手の気持ちを聞いて理解して、自分の気持ちも伝える。
でもこれって、すきな人のことをすこしでも知りたいと思う、ごく普通の感情と大差ないことだよねとも思う。
とてもシンプルなことだけど、とても大事なこと。
ところで、皆さん、ここまで読めていました?
ツイートにもしたけど、ここまで読めていたらものすごい読解力か、ものすごい那智さんマニア(笑)
<関連エントリー>
『どうした?』
同化していたい
(昔っから、こんなだったなぁ)
『ノロケですよ、覚悟して!』
『あなたの一部』
『決められない女』
『大人だからね』
『外側』
『どうした?』の那智さんの感想。
「等式」感想です。(笑) 私がりん子の不快を放置はしない。この場合、状態を理解すればりん子自身が恥ずかしさを感じるに決まっている。いくらりん子がその場にいなくて声だけであっても。とすれば、私がその状態を肯定すれば恥ずかしいのはりん子だけ。別件ですが他人の迷惑にならない範囲でですが、都心の街中で当人達 が恥ずかしがることなんて、他人から見ればとるに足らない事がほとんどではないか。基本的に気が付かない、危なさそうな気配には見て見ぬふり、多少変わっ ていることには関心ないふり、そんな中、稀に好意の言動を受けると限りなく申し訳なく平身低頭お礼する。(笑)
いまひとつ理解できなかった。
別件以降は理解できるので、前半部分。
モカちゃんから『お父さん翻訳機』という称号をいただいた(気に入ってる)わたしとしては理解できないのは許せない。
わからないものは聞く(笑)
するとひとつの感覚の違いとひとつの勘違いを見つけることができた。
聞くって大事^^
今日はその補足エントリー^^
まず。
ひとつは『恥ずかしい』に対する感覚の違い。
この場合の恥ずかしいには客観と主観の2種類あって、ひとつは周りから見て恥ずかしいと思われるかの客観ともうひとつは自分が恥ずかしいと感じるかの主観。
このバランスに違いがあったのです。
想像してみて。
那智のポケットから女の声が漏れてきて、それに向かって話しかけている場合、客観的に見たら那智と声のりん子、どちらを恥ずかしい人と周囲は思うだろうか。
わたしは見えない声の主よりも、見えている那智さんに対して『あの男恥ずかしいな』と思うと想像する。
だから、客観的にいえば、圧倒的に那智さん9、りん子1くらいの割合で那智さんが恥ずかしい。
だって、目の前で見えている人に対して恥ずかしいと思う感情が湧くと思うもん。
でも、わたしの主観でいうと、自分の声が周囲に聞かれていると実感すればするほど恥ずかしいと感じてしまう。
誰からもわたしの姿は見えていないのに!!
那智さんが切り替えちゃったから最終的には10、0でわたしなんだけど、もし切り替えていなくて状況判断だけで計っても、五分五分で恥ずかしいと感じると思う。
だから、トータルで7対3で那智さんのほうが恥ずかしいのだ。
ところが、那智さんは声が聞こえている状態に対して、わたしより多く恥ずかしいと感じるようで、客観的恥ずかしさがヘタすると那智さん4、声のりん子6くらいに、周囲から見えていないにも関わらず声の主であることのほうが恥ずかしいと思われると思っているそうなのです。
で、主観なんて簡単に左右できちゃう那智さんだから、0、10でわたしを恥ずかしくすることができるのですが、同じように切り替えないとしても、まあ、客観と同じ割合くらいの恥ずかしさと想像すると、トータル4、6、もしかしたら3、7くらいでりん子が恥ずかしいと判断するわけですね。
ということで、ポケットから声が漏れている場合、那智さんは『りん子のほうが恥ずかしい』、わたしは『那智さんのほうが恥ずかしい』(切り替えたらわたしが恥ずかしいのだけど)という感覚に違いがあったのです。
だから、感想の最初の部分で那智さんが『りん子のほうが恥ずかしい』というニュアンスが、わたしとしてはまずしっくりこなかったのだけど、これは感覚の違いだと理解しました。
そして、次。
『私がりん子の不快を放置はしない』の意味もいまひとつわからないなぁと思って聞いてみた。
那智さんにとって『恥ずかしい思いをする』=不快という感覚があるのね。
わたしをからかったり恥ずかしがらせたりするけど、それは基本的に『那智さんの手によって』だから楽しいわけで、不可抗力でりん子が『恥ずかしい』=不快な思いをするとわかっているなら、それは回避してあげようと思うのだそうです。
『俺はりん子が不快と思う状況にはしないよ』という気持ちが『私がりん子の不快を放置はしない。』という言葉になったわけです。
(う〜ん、文字制限あるにしても、なかなかこれは導き出せません 笑)
で、那智さんにとって『声の主』のほうが恥ずかしいと思っているのだから、わたしがポケットの中状態を要求しても、『それはりん子が恥ずかしい(不快)だろ?だから、拒否してあげているんだよ』という状況だったのだそうです。
もちろん那智さんも恥ずかしいけど、那智さんの中では『声の主』のほうが恥ずかしいと解釈しているから、どちらかというと『りん子の不快回避』のための優しさからくる拒否だったわけですね。
それなのに、わたしがポケットの中要求を楽しみだしちゃったから、じゃあ、俺切り替えるよ(笑)となったのでした^^;
ということで、あの那智さんの切り替え&わたし恥ずかしがらせ状態は、ただ単に負けず嫌いさんとか天の邪鬼さんとかの那智さんらしい一面と、わたしの不快を回避しようと努めてくれた優しい気持ちと、その優しい気持ちをないがしろにした大きな反動という、じつはちょっぴり複雑な感情が生みだしたものなのでした!
で、切り替えたあとは『那智さんの手によって』な状態なわけで、こうなったら那智さんはわたしを恥ずかしがらせる(=不快?)ことになんのためらいもなく、むしろ楽しんだのですね。
でもって、じゃっかん、わたしの性質として、恥ずかしい=不快=でも、ちょっと『はふはふ』な羞恥系だったりするので、那智さんが思うほど不快ってだけではなかったりする^^;
なかなか人の心は複雑です^^
と、ちょっとわたしがわかりにくい感想だったのでたまには補足エントリーでした。
わたしは那智さんと同化していたいという嗜好が強い。
那智さんがどう感じて、なぜそうしたか。
同化するほど寄り添って、那智さんの意に沿っていたい、意に沿えなくても知っていたい、それがしあわせ。
だから、わからないことは聞く。
相手の気持ちを聞いて理解して、自分の気持ちも伝える。
でもこれって、すきな人のことをすこしでも知りたいと思う、ごく普通の感情と大差ないことだよねとも思う。
とてもシンプルなことだけど、とても大事なこと。
ところで、皆さん、ここまで読めていました?
ツイートにもしたけど、ここまで読めていたらものすごい読解力か、ものすごい那智さんマニア(笑)
<関連エントリー>
『どうした?』
同化していたい
(昔っから、こんなだったなぁ)
『ノロケですよ、覚悟して!』
『あなたの一部』
『決められない女』
『大人だからね』
『外側』
キャッチボール
140字もどき
那智さんがすき、だいすき。
たくさんたくさん、そういう気持ちを伝える。
犬が尻尾を振ってまとわりつくように。
「はーい」とか「はい」とか「そうだね〜」とかお返事をくれる。
だけど、忙しいとき、その数はやっぱりすこし減る、声のトーンもどこか上の空になる。
しゅーん、しぼんでいく感じ。
当たり前のことだけど、人の気持ちってキャッチボールだなぁって思う。
心からそう思ったから溢れる気持ちを言葉にしただけ。
べつに見返りを求めて「すき」と伝えたわけではない。
本当の気持ち、なんだけど。
やっぱり返ってこないと、溢れる気持ちがしぼんでいく。
那智さんはずいぶん返してくれるほうだ、だから、すきな気持ちにはまったく変わりはない。
でも、溢れるような高いテンションを保つには、その気持ちにキャッチボールのように応えてくれることが必要なんだよね。
これはほんの2、3日の中の数回だけの出来事だ。
それでも全身全霊ですきと溢れる気持ちがしゅんとしぼんでしまうようなさみしさに気づく。
やっぱり人ってキャッチボールだよね。
<関連エントリー>
『さみしいは誰のもの?』
よろこべちゃうこともあるんだけどね^^;
『片手間』
『片手間のわけ』
那智さんがすき、だいすき。
たくさんたくさん、そういう気持ちを伝える。
犬が尻尾を振ってまとわりつくように。
「はーい」とか「はい」とか「そうだね〜」とかお返事をくれる。
だけど、忙しいとき、その数はやっぱりすこし減る、声のトーンもどこか上の空になる。
しゅーん、しぼんでいく感じ。
当たり前のことだけど、人の気持ちってキャッチボールだなぁって思う。
心からそう思ったから溢れる気持ちを言葉にしただけ。
べつに見返りを求めて「すき」と伝えたわけではない。
本当の気持ち、なんだけど。
やっぱり返ってこないと、溢れる気持ちがしぼんでいく。
那智さんはずいぶん返してくれるほうだ、だから、すきな気持ちにはまったく変わりはない。
でも、溢れるような高いテンションを保つには、その気持ちにキャッチボールのように応えてくれることが必要なんだよね。
これはほんの2、3日の中の数回だけの出来事だ。
それでも全身全霊ですきと溢れる気持ちがしゅんとしぼんでしまうようなさみしさに気づく。
やっぱり人ってキャッチボールだよね。
<関連エントリー>
『さみしいは誰のもの?』
よろこべちゃうこともあるんだけどね^^;
『片手間』
『片手間のわけ』
半分多頭
140字もどき
今日は最期のほうに大事な訂正を入れてあります。
特に『多頭』の男性の方、訂正部分要チェックでお願いすます!^^
今日は文末の那智さんの感想とわたしの反応ツイートも併せてお楽しみくださいませ^^
多頭のご主人様が、不倫をしている人から多頭についてとやかく言われたくないというようなことを言っているのを見たことがある。
おそらく独身で奴隷さんが何人かいる彼からしたら、既婚者のSMや主従をしている人から苦言を呈されることに辟易していたのだろう。
奴隷さんひとりだったとしても妻帯者のご主人様と付き合っている時点で広義では『多頭』といえるし、既婚の奴隷さんは『多頭飼われ』ともいえなくもないわけで、結局、不倫をしている時点で『多頭』について文句の言える立場ではないだろうということだ。
妻は夫に飼われているわけではないので表現自体は疑問に思うけど、筋は通っていると思うので彼のいうことに反論するつもりはない。
(まあ、厳密にいうと主従だって本当のペットのように衣食住面倒みているわけではないので『飼う』というよりわたしとしては『飼いならす』くらいが好きけど)
改めてあえて触れるなら、那智さんは結婚している。
ゆえに、そのご主人様の考えをもとにするならば、那智さんだって『多頭』になる、よね。
もう一度整理するね。
わたしの思う『多頭』とは、ひとりの男が複数の女性と付き合っていて、それを公言している状態を主従言葉にしたのが『多頭』だと思っています。
だから、わたしの定義でいうと、妻帯者のご主人様と付き合っていたら、その時点で『多頭』というのは一理あるけど、ピッタリ当てはまるでもないと思う。
奴隷さん側からしたら奥さんがいることを知っているから『多頭』だとしても、奥さんは自分の旦那さんに付き合っている女性がいることを知らないのであれば、奥さ側からは『多頭』ではないからだ。
わたし自身は『多頭』という言葉好きじゃないけど、あえてその定義に当てはめるなら、わたしたちは、わたし側からしたら那智さんは『多頭』ということになるのかもしれないね。
半分『多頭』だね。
だから、もし仮に件のご主人様が『領土争い』を読んだとしたなら広義ではあなたたちも『多頭』でしょ?とわたしたちに対して思うだろうし、とやかく言われる筋合いはないと思うだろう。
ただ、わたしは『多頭』はカッコ悪いとは言ったけど、ダメとは言っていないし(同じ?違うよね?^^;)
わたしが言いたかったのは、女性側に「『領土争い』きついよ、だから、それを知っておいたほうがいいよね」ということだったので、別にクレームつけられたわけではないけど、万が一そのご主人様が読んでいたら真意が伝わるといいなと思ったりする。(読んでないか^^;)
不倫も『多頭』も同じ穴のムジナというそのご主人様は否定しないし、わたしは自分たちの不倫を正当化しようとも思わない。(卑下もしないし、開き直りもしない)
で、極論を言ってしまうと。
『領土争い自体が女性を苦しめる』と思うので、基本的に不倫を含めた複数的状況はどれも女を苦しませる
と思う。
奴隷とか『多頭』とか名前を変えても、不倫を切ないラブソングに変えても、領土争いは女を苦しめるものだ。
(自ら、パートタイムを選ぶ人もいるので、すべてとは言わないけど)
じゃあ、不倫相手に既婚を内緒にするほうがいいのかといわれたら、それはケースによっていろいろだろうけど概ね不誠実だと思うから、単に内緒にすればいいというものではないけどね。
どちらがいいとか悪いとかって一概には決められないよね。
『多頭』がダメとは言っていないし、不倫は崇高なんても微塵も思っていない。
ただ、ひたすら『領土争い』の危険性を伝えたかったわけなのです。
ということで。
不倫も『多頭』だということにするなら、那智さんは奥さんが知らないぶんを差し引いて半分くらいカッコ悪いになります(笑)
【大事な訂正】
予約投稿した6月初旬から、7月10日現在、下記に訂正いたします。
『多頭』はカッコ悪い→『多頭』で女性を悲しませているのはカッコ悪い、に訂正します。
だから、『多頭』をしていて、その奴隷さんたちがみんな等しく幸福であればカッコ悪くありません^^
その結果、那智さんはわたしに悲しい思いをさせていないので、カッコ悪くないになりますね。
と、ちょっぴり毒気味のエントリーをぶん投げて、『等式』夏休みをちょうだいいたします。
次の更新は8/17の予定です。
書き溜めてるから休まなくてもいいんだけど、こう暑いと下書き作業も進みません(笑)
ですので、夏休み〜^^
コメントレス、メールのお返事などはお待ちいただいても必ずいたしますので、遠慮なくどうぞ^^
では、みなさま、猛暑ですがご自愛くださいませ〜。
<関連エントリー>
『領土争い1 2 3 4 5まとめ』
『多頭』でいろいろ
『説得力』
『変換したら』
『相対と絶対』
『正当な怒り』
『頑張れ、ご主人様!!』
「等式」感想です。多頭ですか、(笑)私が精力に自信が持てなくなって2年くらい、現実感が無いので興味が失せている。私とりん子の環境が整ったと仮定した時、りん子一人を満足させることさえ 自信が無いのに複数なんて考えられない。抜かずの2発が普通に出来た頃が懐かしい。りん子がんばれー!
りん子(^-^)いわゆる「ご主人様」を書いたときの那智さんの感想は根本に違いがある。与えられる側か与える側か。わたしが書くご主人様は与えられる視点だけど、那智さんは与える側、だから今日は「りん子を満足させられるか」になる。わたしの想像するご主人様と那智さんの上の立場の違いなのだ。
りん子(^-^)あくまで、わたしの想像するご主人様、です(笑)
「感想」続きです。因みに「りん子1人を満足させる」ハードルの高さについては言及していませんよね、完璧を期すなら私が30代の体力、精力でないと持ちこたえられないと思います。(笑)朝から失礼致しました。
りん子(^-^)あうー、せっかく那智さんの感想にリボンをかけて差し上げたのに!!まるでわたしが性欲魔人みたいじゃないですかー!!
りん子(^-^)裏話。那智さんの「感想続き」は、あえてワンクッション置いたのだそうだ。最初の感想にりん子なら何かしら反応ツイートすると読み、ワンクッション置いてからツイートすることで、よりわたしの性欲魔人具合を強調させたかったそうなのです!!那智さんのいじわる!!(笑)
今日は最期のほうに大事な訂正を入れてあります。
特に『多頭』の男性の方、訂正部分要チェックでお願いすます!^^
今日は文末の那智さんの感想とわたしの反応ツイートも併せてお楽しみくださいませ^^
多頭のご主人様が、不倫をしている人から多頭についてとやかく言われたくないというようなことを言っているのを見たことがある。
おそらく独身で奴隷さんが何人かいる彼からしたら、既婚者のSMや主従をしている人から苦言を呈されることに辟易していたのだろう。
奴隷さんひとりだったとしても妻帯者のご主人様と付き合っている時点で広義では『多頭』といえるし、既婚の奴隷さんは『多頭飼われ』ともいえなくもないわけで、結局、不倫をしている時点で『多頭』について文句の言える立場ではないだろうということだ。
妻は夫に飼われているわけではないので表現自体は疑問に思うけど、筋は通っていると思うので彼のいうことに反論するつもりはない。
(まあ、厳密にいうと主従だって本当のペットのように衣食住面倒みているわけではないので『飼う』というよりわたしとしては『飼いならす』くらいが好きけど)
改めてあえて触れるなら、那智さんは結婚している。
ゆえに、そのご主人様の考えをもとにするならば、那智さんだって『多頭』になる、よね。
もう一度整理するね。
わたしの思う『多頭』とは、ひとりの男が複数の女性と付き合っていて、それを公言している状態を主従言葉にしたのが『多頭』だと思っています。
だから、わたしの定義でいうと、妻帯者のご主人様と付き合っていたら、その時点で『多頭』というのは一理あるけど、ピッタリ当てはまるでもないと思う。
奴隷さん側からしたら奥さんがいることを知っているから『多頭』だとしても、奥さんは自分の旦那さんに付き合っている女性がいることを知らないのであれば、奥さ側からは『多頭』ではないからだ。
わたし自身は『多頭』という言葉好きじゃないけど、あえてその定義に当てはめるなら、わたしたちは、わたし側からしたら那智さんは『多頭』ということになるのかもしれないね。
半分『多頭』だね。
だから、もし仮に件のご主人様が『領土争い』を読んだとしたなら広義ではあなたたちも『多頭』でしょ?とわたしたちに対して思うだろうし、とやかく言われる筋合いはないと思うだろう。
ただ、わたしは『多頭』はカッコ悪いとは言ったけど、ダメとは言っていないし(同じ?違うよね?^^;)
わたしが言いたかったのは、女性側に「『領土争い』きついよ、だから、それを知っておいたほうがいいよね」ということだったので、別にクレームつけられたわけではないけど、万が一そのご主人様が読んでいたら真意が伝わるといいなと思ったりする。(読んでないか^^;)
不倫も『多頭』も同じ穴のムジナというそのご主人様は否定しないし、わたしは自分たちの不倫を正当化しようとも思わない。(卑下もしないし、開き直りもしない)
で、極論を言ってしまうと。
『領土争い自体が女性を苦しめる』と思うので、基本的に不倫を含めた複数的状況はどれも女を苦しませる
と思う。
奴隷とか『多頭』とか名前を変えても、不倫を切ないラブソングに変えても、領土争いは女を苦しめるものだ。
(自ら、パートタイムを選ぶ人もいるので、すべてとは言わないけど)
じゃあ、不倫相手に既婚を内緒にするほうがいいのかといわれたら、それはケースによっていろいろだろうけど概ね不誠実だと思うから、単に内緒にすればいいというものではないけどね。
どちらがいいとか悪いとかって一概には決められないよね。
『多頭』がダメとは言っていないし、不倫は崇高なんても微塵も思っていない。
ただ、ひたすら『領土争い』の危険性を伝えたかったわけなのです。
ということで。
不倫も『多頭』だということにするなら、那智さんは奥さんが知らないぶんを差し引いて半分くらいカッコ悪いになります(笑)
【大事な訂正】
予約投稿した6月初旬から、7月10日現在、下記に訂正いたします。
『多頭』はカッコ悪い→『多頭』で女性を悲しませているのはカッコ悪い、に訂正します。
だから、『多頭』をしていて、その奴隷さんたちがみんな等しく幸福であればカッコ悪くありません^^
その結果、那智さんはわたしに悲しい思いをさせていないので、カッコ悪くないになりますね。
と、ちょっぴり毒気味のエントリーをぶん投げて、『等式』夏休みをちょうだいいたします。
次の更新は8/17の予定です。
書き溜めてるから休まなくてもいいんだけど、こう暑いと下書き作業も進みません(笑)
ですので、夏休み〜^^
コメントレス、メールのお返事などはお待ちいただいても必ずいたしますので、遠慮なくどうぞ^^
では、みなさま、猛暑ですがご自愛くださいませ〜。
<関連エントリー>
『領土争い1 2 3 4 5まとめ』
『多頭』でいろいろ
『説得力』
『変換したら』
『相対と絶対』
『正当な怒り』
『頑張れ、ご主人様!!』
「等式」感想です。多頭ですか、(笑)私が精力に自信が持てなくなって2年くらい、現実感が無いので興味が失せている。私とりん子の環境が整ったと仮定した時、りん子一人を満足させることさえ 自信が無いのに複数なんて考えられない。抜かずの2発が普通に出来た頃が懐かしい。りん子がんばれー!
りん子(^-^)いわゆる「ご主人様」を書いたときの那智さんの感想は根本に違いがある。与えられる側か与える側か。わたしが書くご主人様は与えられる視点だけど、那智さんは与える側、だから今日は「りん子を満足させられるか」になる。わたしの想像するご主人様と那智さんの上の立場の違いなのだ。
りん子(^-^)あくまで、わたしの想像するご主人様、です(笑)
「感想」続きです。因みに「りん子1人を満足させる」ハードルの高さについては言及していませんよね、完璧を期すなら私が30代の体力、精力でないと持ちこたえられないと思います。(笑)朝から失礼致しました。
りん子(^-^)あうー、せっかく那智さんの感想にリボンをかけて差し上げたのに!!まるでわたしが性欲魔人みたいじゃないですかー!!
りん子(^-^)裏話。那智さんの「感想続き」は、あえてワンクッション置いたのだそうだ。最初の感想にりん子なら何かしら反応ツイートすると読み、ワンクッション置いてからツイートすることで、よりわたしの性欲魔人具合を強調させたかったそうなのです!!那智さんのいじわる!!(笑)