我が子は勉強ができない
独り言
我が子はあまり学校の成績がよくなかった。
加えて『無理強い』が好きではないわたしが母親なので、叱咤激励して勉強させることもしなかった。
さらに、高校を卒業してすぐ働きはじめ、いまに至るまったく学歴重視ではない母親なので、やっぱり勉強させなかった。
もともとの資質と育成の賜物で、我が子は学校の成績がよくなかった(笑)
どうしたものかなーと思って、それなりに宿題などはサボらないように促しつつ、静観していたら、中学のあるとき、ある教科で最低の成績を取ったことがあった。
5段階なら『1』、ABCなら『C×』だ。
わたしが子どもの頃の経験から『1』を取るのは、まったく出席数が足りないとか、テストの回答がほぼ白紙とかの明らかに問題ありの場合にだけ発動するもので、真面目に受けていれば情状酌量もありせいぜい『2』止まりだと思っていた。
現に、中学時代に理数系のテストで一桁の点数を叩き出したことがあるわたしだったが(しれっと暴露 笑)、『1』ではなかったもの。
それなのに、無遅刻無欠席で一桁なんて点数は取ってきていない我が子が最低の成績って、とういうこと!?と面食らった。
さすがに、これは事態を把握しなければと、担任に会いに行った。
クレームではない。
なぜ、最低の成績なのか、そして、今後の対策を考えたいと思ったのだ。
(いい大学、なんてまったく望んでいなかったので、我が子が学校に行くのが苦痛になるほどついて行かれなくなるのを避けるのと、どこかしらの高校に行かれるようにはしたいという対策ね)
で、担任の話を聞くと。
いまの成績のつけ方って、かなり『数字』できっちり線を引いているらしい。
何点から何点までがA、何点から何点までがB、何点から何点までがC
それらを項目ごとに採点して、その合計が成績になるのだ。
例えば、国語なら『意欲・話す聞く・読む・書く』などの数項目にそれぞれ点数に応じて『A⚪︎ A△ A×・B⚪︎ B△ B×・C⚪︎ C△ C×』と三段階に評価して、その合計が『5~1』に振り分けられるという。
で、我が子はこのとき、どれも1点とか2点とか足りなかったらしい。
どの項目もあと一点あればC⚪︎からB×になるようなケースばかりで、実はその1点ずつが取れていたら各項目が上がって『1』から一気に『3』になっていたそうだのだ。
まあ、もちろん、そんなギリギリのラインじゃなくてちゃんと点を取っていたらこんなことにならずに済むのだけど^^;
ただ、高校進学を考えたら、3学期の成績の合計点で志望校を決めるから、この最低の成績は痛いのは痛い。
この数字はどうにもならないことと「2学期はもっと頑張ろうな」と素直そうな担任の先生がいう。
たしかに、頑張ってもらおう我が子には。
でも、同時になんとなく腑に落ちない気持ちにもなる。
その1点にそんなに簡単に左右されていいんだろうか。
当然、先生は尊重しなければならない。
わたしより若く初々しくわたしより専門時術を学んでいる、目の前の青年を。
だけど、彼が作ったテストは、他の先生が作ったものとは違う。
もしかしたら、違う先生が作ったテストだったら我が子に数点上乗せできる問題が『たまたま』あったかもしれない(逆もあり)。
個々の教師の裁量で作られるテストの点数が全員一律に課せられる一点で左右する成績に反映されること。
これは、かつてわたしが経験してきた相対評価や受験戦争などを経た教育委員会やら文科省やらの(現段階の)ベストだと承知しているので反対したいのではない。
与えられた条件の中でベストを尽くしことは大事だ。
だけど、あの青年の作ったテストに、その1点に、一人の我が子という人の人生を左右されてたまるか。
ちょっと大げさだけど、そんなふうに思って腑に落ちないのだ。
ともすれば、『ダメな子』というレッテルを貼ってしまいそうなシチュエーションだけど、わたしは全然そういう気持ちにならなかった。
ベストは尽くそう。
だけど、あなたの人生はこれくらいのことで何も左右されないよ。
あなたの人生を左右するのはあなただけだ。
そんなふうに思って、特に叱ることも責めることも脅すこともせず、学校を後にした。
もちろん『先生のテストを軽んじる』ようなことも言わないよ。
きっと良い母親ではないかもしれないけど、わたしは我が子にレッテルを貼りたくないし、劣等感も持って欲しくないし、わたしはわたしの価値観で我が子に接していたいんだな。
我が子は、結局全然頭のよくな学校に行き、さらに勉強しない進路を選んでいる。
果たして、この先どうなるか『良い成績、良い学校、普通の企業』ではない人生をどうやって歩むかわからないけども^^;
きっと、わたしのこの気持ちが我が子の幸福につながっていると信じている(無理矢理でも!!)
「等式」感想です。うーん難しいな。子供に教育するのにどんな立場で優秀にそだてようとするのか「子供」「人間」「息子」なのかな。
我が子はあまり学校の成績がよくなかった。
加えて『無理強い』が好きではないわたしが母親なので、叱咤激励して勉強させることもしなかった。
さらに、高校を卒業してすぐ働きはじめ、いまに至るまったく学歴重視ではない母親なので、やっぱり勉強させなかった。
もともとの資質と育成の賜物で、我が子は学校の成績がよくなかった(笑)
どうしたものかなーと思って、それなりに宿題などはサボらないように促しつつ、静観していたら、中学のあるとき、ある教科で最低の成績を取ったことがあった。
5段階なら『1』、ABCなら『C×』だ。
わたしが子どもの頃の経験から『1』を取るのは、まったく出席数が足りないとか、テストの回答がほぼ白紙とかの明らかに問題ありの場合にだけ発動するもので、真面目に受けていれば情状酌量もありせいぜい『2』止まりだと思っていた。
現に、中学時代に理数系のテストで一桁の点数を叩き出したことがあるわたしだったが(しれっと暴露 笑)、『1』ではなかったもの。
それなのに、無遅刻無欠席で一桁なんて点数は取ってきていない我が子が最低の成績って、とういうこと!?と面食らった。
さすがに、これは事態を把握しなければと、担任に会いに行った。
クレームではない。
なぜ、最低の成績なのか、そして、今後の対策を考えたいと思ったのだ。
(いい大学、なんてまったく望んでいなかったので、我が子が学校に行くのが苦痛になるほどついて行かれなくなるのを避けるのと、どこかしらの高校に行かれるようにはしたいという対策ね)
で、担任の話を聞くと。
いまの成績のつけ方って、かなり『数字』できっちり線を引いているらしい。
何点から何点までがA、何点から何点までがB、何点から何点までがC
それらを項目ごとに採点して、その合計が成績になるのだ。
例えば、国語なら『意欲・話す聞く・読む・書く』などの数項目にそれぞれ点数に応じて『A⚪︎ A△ A×・B⚪︎ B△ B×・C⚪︎ C△ C×』と三段階に評価して、その合計が『5~1』に振り分けられるという。
で、我が子はこのとき、どれも1点とか2点とか足りなかったらしい。
どの項目もあと一点あればC⚪︎からB×になるようなケースばかりで、実はその1点ずつが取れていたら各項目が上がって『1』から一気に『3』になっていたそうだのだ。
まあ、もちろん、そんなギリギリのラインじゃなくてちゃんと点を取っていたらこんなことにならずに済むのだけど^^;
ただ、高校進学を考えたら、3学期の成績の合計点で志望校を決めるから、この最低の成績は痛いのは痛い。
この数字はどうにもならないことと「2学期はもっと頑張ろうな」と素直そうな担任の先生がいう。
たしかに、頑張ってもらおう我が子には。
でも、同時になんとなく腑に落ちない気持ちにもなる。
その1点にそんなに簡単に左右されていいんだろうか。
当然、先生は尊重しなければならない。
わたしより若く初々しくわたしより専門時術を学んでいる、目の前の青年を。
だけど、彼が作ったテストは、他の先生が作ったものとは違う。
もしかしたら、違う先生が作ったテストだったら我が子に数点上乗せできる問題が『たまたま』あったかもしれない(逆もあり)。
個々の教師の裁量で作られるテストの点数が全員一律に課せられる一点で左右する成績に反映されること。
これは、かつてわたしが経験してきた相対評価や受験戦争などを経た教育委員会やら文科省やらの(現段階の)ベストだと承知しているので反対したいのではない。
与えられた条件の中でベストを尽くしことは大事だ。
だけど、あの青年の作ったテストに、その1点に、一人の我が子という人の人生を左右されてたまるか。
ちょっと大げさだけど、そんなふうに思って腑に落ちないのだ。
ともすれば、『ダメな子』というレッテルを貼ってしまいそうなシチュエーションだけど、わたしは全然そういう気持ちにならなかった。
ベストは尽くそう。
だけど、あなたの人生はこれくらいのことで何も左右されないよ。
あなたの人生を左右するのはあなただけだ。
そんなふうに思って、特に叱ることも責めることも脅すこともせず、学校を後にした。
もちろん『先生のテストを軽んじる』ようなことも言わないよ。
きっと良い母親ではないかもしれないけど、わたしは我が子にレッテルを貼りたくないし、劣等感も持って欲しくないし、わたしはわたしの価値観で我が子に接していたいんだな。
我が子は、結局全然頭のよくな学校に行き、さらに勉強しない進路を選んでいる。
果たして、この先どうなるか『良い成績、良い学校、普通の企業』ではない人生をどうやって歩むかわからないけども^^;
きっと、わたしのこの気持ちが我が子の幸福につながっていると信じている(無理矢理でも!!)
「等式」感想です。うーん難しいな。子供に教育するのにどんな立場で優秀にそだてようとするのか「子供」「人間」「息子」なのかな。
ラブホ鍋(笑)
独特な幸福感
13年も、ほぼ毎週会い続けているとひと通りのことはやってきている。
お花見だって紅葉狩りだってもう何周目だって感じだし、バーベキューなんて慣れたものだ。
もちろん、まだ行ったことのない場所やお店のほうが多いし、やっていない行事もたくさんあるけれど、わたしたちの行動範囲や金銭感覚を基準にしたらもう相当いろいろやってきている。
それでも、セックスを含め飽きることなく続けていられるのはひとえに那智さんの裁量とわたしの『慣れない』性格の賜物かと思うのだ(笑)
まあ、大好きな人と食べるご飯はなんでも美味しいし、大好きな人とするセックスはいつも幸福であることは揺るぎないのだけど、間隔をあけたり、時々新しいものを取り入れたり、那智さんの裁量に頼るところが大きいのは周知の事実である。
で、もうけっこうやり尽くした感のあるイベントに新しいものが加わった!!
わたしたちはホテル飲みも楽しむ。
お店よりリラックスできるし早めに飲み始められるから、わたしは好き^^
適当なおつまみを用意してYouTube大会をしたりフェミ話をしたりして過ごすの。
おつまみは、わたしはコンビニのお総菜でも満足してしまえるのだけど、那智さんは『考えたい』ので(あれこれ考えた結果、今回はコンビニねってなるのはOKなの)、ファミレスのテイクアウトだったり、パンとパテを持ち込んだり、いろいろしている。
このホテル飲みのレパートリーがもう一巡してしまった感があったのだ。
コンビニのお総菜もだいたい想像できるし、テイクアウトできるファミレスもだいぶ制覇した。
さて、2巡目に突入かってところで、わたしが行きにスーパーに寄って買い出しするパターンをやってみようか提案すると(お刺身とかサラダとか)
鍋するか!?
って!!
鍋ですか~?
那智さんの『一見非常識』な提案には、まず『無理!?』という条件反射。
いやいや、それは無理でしょ~!?となった後、その感情がただの漠然とした気分のものだと理解する。
気分だけで反対するのは最後の手段だ(どうしても気持ちとしてイヤも最終的にはありだと思うけど、あくまで最終手段)し、そんな気分のだけの拒否に那智さんが納得するはずもない。
なので、ひとつひとつクリアにしていく。
火災報知器は大丈夫?
焼くんじゃないから大丈夫
心配なら窓を開けておこう
心配事はホテルに迷惑がかからないかと、ホテルから注意されないかと、準備。
ホテルのほうはきっと大丈夫そうで『無理』は引っ込めるしかない。
次、準備。
鍋とコンロは俺が持って行くよ
ガラガラで行くから、皿とかも持って行く
どんどん引き受けてくれるから、頷くより他ない。
でも、今日はもうわたしお買い物に出ないから、わざわざそのためにお買い物には出たくないな~と思って
うちに◯と◯はあるから持って行きますね
牡蠣とか魚は?
うーん、そこまで凝ると、やっぱり準備するの気持ち的に負担だな~。
那智さん、◯と◯以外買ってくれます?
お任せしますから
ビールは買っていきますから
全部お願いばかりしても申し訳ないので少し申し出る。
いいよ
じゃあ、持って行くもの、おさらいね!
こんな風にサクサクと決まっていき、わたしたちはラブホで鍋をすることになった。
まあ、蓋を開けてみれば、冬場にリラックスしたラブホの中で鍋ができるなんて、美味しいし楽しいし、贅沢な気分!!
最初は無理!!と思っても那智さんに乗っかるとやっぱり正解^^
乗っかるしかないのだ。
だってね、あれこれの懸念をクリアしてくれて、事前準備もほとんどして荷物も用意してくれるのだもの、「よろしくお願いします」としかならないよね。
13年も会い続けているとひと通りのことはやってしまう。
それでも、いまでも変わらず楽しいのは、那智さんの裁量のおかげ。
新しい楽しみが増えたのでした^^
「等式」「ラブホ鍋」感想です。デートする場所で、いかにしてより楽しめるかなのかな、鍋は一人で食べるのは量の関係から大変だし外食ではコスト高いし、当然ながら入れる具の自由度も少ない。何より、自分の部屋のようにリラックスして食べられるのが良い、好きな人と食べる出汁も効いている。(笑)
13年も、ほぼ毎週会い続けているとひと通りのことはやってきている。
お花見だって紅葉狩りだってもう何周目だって感じだし、バーベキューなんて慣れたものだ。
もちろん、まだ行ったことのない場所やお店のほうが多いし、やっていない行事もたくさんあるけれど、わたしたちの行動範囲や金銭感覚を基準にしたらもう相当いろいろやってきている。
それでも、セックスを含め飽きることなく続けていられるのはひとえに那智さんの裁量とわたしの『慣れない』性格の賜物かと思うのだ(笑)
まあ、大好きな人と食べるご飯はなんでも美味しいし、大好きな人とするセックスはいつも幸福であることは揺るぎないのだけど、間隔をあけたり、時々新しいものを取り入れたり、那智さんの裁量に頼るところが大きいのは周知の事実である。
で、もうけっこうやり尽くした感のあるイベントに新しいものが加わった!!
わたしたちはホテル飲みも楽しむ。
お店よりリラックスできるし早めに飲み始められるから、わたしは好き^^
適当なおつまみを用意してYouTube大会をしたりフェミ話をしたりして過ごすの。
おつまみは、わたしはコンビニのお総菜でも満足してしまえるのだけど、那智さんは『考えたい』ので(あれこれ考えた結果、今回はコンビニねってなるのはOKなの)、ファミレスのテイクアウトだったり、パンとパテを持ち込んだり、いろいろしている。
このホテル飲みのレパートリーがもう一巡してしまった感があったのだ。
コンビニのお総菜もだいたい想像できるし、テイクアウトできるファミレスもだいぶ制覇した。
さて、2巡目に突入かってところで、わたしが行きにスーパーに寄って買い出しするパターンをやってみようか提案すると(お刺身とかサラダとか)
鍋するか!?
って!!
鍋ですか~?
那智さんの『一見非常識』な提案には、まず『無理!?』という条件反射。
いやいや、それは無理でしょ~!?となった後、その感情がただの漠然とした気分のものだと理解する。
気分だけで反対するのは最後の手段だ(どうしても気持ちとしてイヤも最終的にはありだと思うけど、あくまで最終手段)し、そんな気分のだけの拒否に那智さんが納得するはずもない。
なので、ひとつひとつクリアにしていく。
火災報知器は大丈夫?
焼くんじゃないから大丈夫
心配なら窓を開けておこう
心配事はホテルに迷惑がかからないかと、ホテルから注意されないかと、準備。
ホテルのほうはきっと大丈夫そうで『無理』は引っ込めるしかない。
次、準備。
鍋とコンロは俺が持って行くよ
ガラガラで行くから、皿とかも持って行く
どんどん引き受けてくれるから、頷くより他ない。
でも、今日はもうわたしお買い物に出ないから、わざわざそのためにお買い物には出たくないな~と思って
うちに◯と◯はあるから持って行きますね
牡蠣とか魚は?
うーん、そこまで凝ると、やっぱり準備するの気持ち的に負担だな~。
那智さん、◯と◯以外買ってくれます?
お任せしますから
ビールは買っていきますから
全部お願いばかりしても申し訳ないので少し申し出る。
いいよ
じゃあ、持って行くもの、おさらいね!
こんな風にサクサクと決まっていき、わたしたちはラブホで鍋をすることになった。
まあ、蓋を開けてみれば、冬場にリラックスしたラブホの中で鍋ができるなんて、美味しいし楽しいし、贅沢な気分!!
最初は無理!!と思っても那智さんに乗っかるとやっぱり正解^^
乗っかるしかないのだ。
だってね、あれこれの懸念をクリアしてくれて、事前準備もほとんどして荷物も用意してくれるのだもの、「よろしくお願いします」としかならないよね。
13年も会い続けているとひと通りのことはやってしまう。
それでも、いまでも変わらず楽しいのは、那智さんの裁量のおかげ。
新しい楽しみが増えたのでした^^
「等式」「ラブホ鍋」感想です。デートする場所で、いかにしてより楽しめるかなのかな、鍋は一人で食べるのは量の関係から大変だし外食ではコスト高いし、当然ながら入れる具の自由度も少ない。何より、自分の部屋のようにリラックスして食べられるのが良い、好きな人と食べる出汁も効いている。(笑)