わたしらしく^^
りん子的独り言(生意気)
「あれでおしまい?」って那智さんに言われてしまったけど、はい、あれでおしまいなんです^^;
「一緒にご飯」は半酔い状態で、しかも流れを練ることもなく(これはよくある 笑)書いたので、尻切れトンボになっちゃった?
うん、たしかに…、失礼しました!!
一緒ってことだけ書いたら満足しちゃった^^;
一応顛末をお話ししますと。
舌で掬って飲むのってとても時間がかかってね、ずいぶん体を折り曲げてお皿に顔を埋めていたな。(それでも2分くらいなのかな、必死なときってわからないよね)
最後にペロペロと2回くらい舐めてお皿をきれいにして、おしまい。
その後席を立ってフロアを出るときがとっても恥ずかしかった。(努めて平静を装うの^^)
こんな感じしか残ってないので、「一緒にご飯3」は書くことないかな〜と思ったので、尻切れのままおしまいにしました。
ああ、もしかしたら、わたしのことだから、これだけで長い1エントリー書けるかもしれない!?(笑)
フロアを出て階段を下るときに那智さんが下着に指を入れたら、濡れてた、とっても。
何にも性的なことしてなくて、こうなることに毎度驚いてしまう。
鞭で打っても、アスファルトの上を四つん這いで歩いても、それだけで濡れる。
「那智さんの足下の幸せ」なんて美しいこと言ってるけど、濡れるということは昂奮し性的な喜びを感じているのよね。(だから変態なのか!?)
松浦理英子さんの「犬身」はもう最後の数ページまできてます。
早く続きが読みたいと思いつつ、終わってしまうのがもったえなくてつい先延ばし(笑)
感想文苦手だから書けないけど、わたしがクローズアップしてる「犬になって可愛がられる」だけじゃないこといっぱいなので、そこだけ憧れて読むとつらいかもしれないです。
でも、どこか乾燥していていやな感じしないので、つらいといってもドロドロしたものじゃないけど。(ああ、やっぱり感想下手、しかも内容言わないほうがいいものね!?)
その中で、男女の間だけじゃなく、親子でも友達でも犬と人間でもすべての体の触れ合いには性的な萌芽が含まれているのではないか。
逆に、すべての性的快楽は親子の触れ合いに代表されるような原始的な快楽が基盤になっているのではないかというようなことが書かれていました。
柴門ふみさんも昔のエッセイで、ご自分のお子さん(赤ちゃん)との皮膚の接触は快感だとおっしゃってた。(これに気付くと子育てはちょっと楽になる!)
そうだよな〜と納得します。
性的なことで気持ちがいいということと、抱きしめられて気持ちいい、撫でられて気持ちいいということは根っこは同じ。
信頼し合う間での接触はどれも「快感」なのだろうな。
だから、足下で太腿に頭を寄せて、首筋を撫でられることは快楽なのだ。
ビンタだって、乳首をつねるのだって、信頼し合う接触!!
鞭もリードも間接的な接触にしちゃう。
濡れてもしかたない(笑)
それが、マ○○で人前だから良い?と言われると、もうそれは性癖です、すみませんとしか言えませんけど^^;
ということで、一緒にご飯はおしまいです。
いつも見切り発車、発車してからあわあわする。
いかにも、わたしらしい感じで…さあ、次何書こう^^
「あれでおしまい?」って那智さんに言われてしまったけど、はい、あれでおしまいなんです^^;
「一緒にご飯」は半酔い状態で、しかも流れを練ることもなく(これはよくある 笑)書いたので、尻切れトンボになっちゃった?
うん、たしかに…、失礼しました!!
一緒ってことだけ書いたら満足しちゃった^^;
一応顛末をお話ししますと。
舌で掬って飲むのってとても時間がかかってね、ずいぶん体を折り曲げてお皿に顔を埋めていたな。(それでも2分くらいなのかな、必死なときってわからないよね)
最後にペロペロと2回くらい舐めてお皿をきれいにして、おしまい。
その後席を立ってフロアを出るときがとっても恥ずかしかった。(努めて平静を装うの^^)
こんな感じしか残ってないので、「一緒にご飯3」は書くことないかな〜と思ったので、尻切れのままおしまいにしました。
ああ、もしかしたら、わたしのことだから、これだけで長い1エントリー書けるかもしれない!?(笑)
フロアを出て階段を下るときに那智さんが下着に指を入れたら、濡れてた、とっても。
何にも性的なことしてなくて、こうなることに毎度驚いてしまう。
鞭で打っても、アスファルトの上を四つん這いで歩いても、それだけで濡れる。
「那智さんの足下の幸せ」なんて美しいこと言ってるけど、濡れるということは昂奮し性的な喜びを感じているのよね。(だから変態なのか!?)
松浦理英子さんの「犬身」はもう最後の数ページまできてます。
早く続きが読みたいと思いつつ、終わってしまうのがもったえなくてつい先延ばし(笑)
感想文苦手だから書けないけど、わたしがクローズアップしてる「犬になって可愛がられる」だけじゃないこといっぱいなので、そこだけ憧れて読むとつらいかもしれないです。
でも、どこか乾燥していていやな感じしないので、つらいといってもドロドロしたものじゃないけど。(ああ、やっぱり感想下手、しかも内容言わないほうがいいものね!?)
その中で、男女の間だけじゃなく、親子でも友達でも犬と人間でもすべての体の触れ合いには性的な萌芽が含まれているのではないか。
逆に、すべての性的快楽は親子の触れ合いに代表されるような原始的な快楽が基盤になっているのではないかというようなことが書かれていました。
柴門ふみさんも昔のエッセイで、ご自分のお子さん(赤ちゃん)との皮膚の接触は快感だとおっしゃってた。(これに気付くと子育てはちょっと楽になる!)
そうだよな〜と納得します。
性的なことで気持ちがいいということと、抱きしめられて気持ちいい、撫でられて気持ちいいということは根っこは同じ。
信頼し合う間での接触はどれも「快感」なのだろうな。
だから、足下で太腿に頭を寄せて、首筋を撫でられることは快楽なのだ。
ビンタだって、乳首をつねるのだって、信頼し合う接触!!
鞭もリードも間接的な接触にしちゃう。
濡れてもしかたない(笑)
それが、マ○○で人前だから良い?と言われると、もうそれは性癖です、すみませんとしか言えませんけど^^;
ということで、一緒にご飯はおしまいです。
いつも見切り発車、発車してからあわあわする。
いかにも、わたしらしい感じで…さあ、次何書こう^^
『可愛い子』
独特な幸福感
ガーターベルトの一件で、わたしの中の「女」がむくむくと盛り上がってしまいました。
「可愛がられる心地良さ」それを女を意識することで実感する。
可愛らしいものを通して、少女もセクシャルも満たす。
ロリータはさすがに厳しいものがあるけど^^;、洋服の下で「可愛らしく」なら許されるだろう。
以前から、着けてみたいと思っていた通販の下着を思い切って購入してみました。
もう、止まらない。
自己陶酔の世界(笑)
届いたそれは白いふわふわのフリルが付いたベビードール。
きゃーーーーー、可愛いーーーーー!!
鏡に映して、うっとり。(この場合、自分の全身にうっとりというより、それを着ている様子にうっとりしてます。わかってます、全身舐めるように見てうっとりするほど冷静さは欠いていません 泣)
それをデートに着ていきました。
もう、可愛いのが嬉しくて、全体的に「ぷりっっぷりっ」って感じで鏡の前ではしゃぎまくるわたし。
「これ可愛いと思いません?」
「これ着ると、途端に可愛い子になる感じしませんか?」
わたしはそんなことばっかり言っていて、いつの間にかそのベビードールに「可愛い子」という名前を付けてしまった。
「この『可愛い子』、お気に入りなんです^^」
「ガーターベルトの幸せ」や「秘訣」に書いているから、「はいはい、可愛い女の子ね〜」とかなり呆れ気味に付き合ってくれる。
お布団に呼ばれる。
いつもなら着ているものをどうするのか聞くのだけど、この日は「まだこの『可愛い子』着ててもいいですか?」と半ば宣言して、那智さんの腕枕。
お気に入りのわたしで可愛がられて、ああ、幸せ。
でも、あれこれ触られてるうちに、声が漏れてくる。
「可愛い子は、そんな声出さないんじゃない?」
「あっ、はい…。」
また、触る。
声が出る。
「可愛い子は『んんっ』っていうくらいじゃいの?(笑)」
「…、んんっ^^;」
腕をぐっと上げられて脇の下を舐められる。(うう、書いてて恥ずかしい)
「可愛い子は、チクチクしてちゃいけないんじゃない?」
「してませんよねー!!」
「うん、してないけど(笑)」
今度は足を持ち上げられ。
「ここもチクチクしてないよね!?」
「してないですよね!?もうやめてください〜、那智さん〜。」
「あはは、してないけどね〜。」
また、体を触る。
ああ、声出そう^^;
なんだか気持ち散漫で、いや。
可愛い子って大変。
「もう、『可愛い子』脱ぎます。」
間髪入れず、さっさとベビードールを脱ぐ。
変わり身、はやっ!!!
まさか、自分でもこんなに早く可愛い子を放棄するとは思ってなかった。
あまりの切り返しの早さに、那智さん、大爆笑。
わたしも一緒に、照れ笑い。
可愛い子も楽じゃないわ。
ああ、わたしの「可愛い子」の道のりは、遠く険しいようです。
ガーターベルトの一件で、わたしの中の「女」がむくむくと盛り上がってしまいました。
「可愛がられる心地良さ」それを女を意識することで実感する。
可愛らしいものを通して、少女もセクシャルも満たす。
ロリータはさすがに厳しいものがあるけど^^;、洋服の下で「可愛らしく」なら許されるだろう。
以前から、着けてみたいと思っていた通販の下着を思い切って購入してみました。
もう、止まらない。
自己陶酔の世界(笑)
届いたそれは白いふわふわのフリルが付いたベビードール。
きゃーーーーー、可愛いーーーーー!!
鏡に映して、うっとり。(この場合、自分の全身にうっとりというより、それを着ている様子にうっとりしてます。わかってます、全身舐めるように見てうっとりするほど冷静さは欠いていません 泣)
それをデートに着ていきました。
もう、可愛いのが嬉しくて、全体的に「ぷりっっぷりっ」って感じで鏡の前ではしゃぎまくるわたし。
「これ可愛いと思いません?」
「これ着ると、途端に可愛い子になる感じしませんか?」
わたしはそんなことばっかり言っていて、いつの間にかそのベビードールに「可愛い子」という名前を付けてしまった。
「この『可愛い子』、お気に入りなんです^^」
「ガーターベルトの幸せ」や「秘訣」に書いているから、「はいはい、可愛い女の子ね〜」とかなり呆れ気味に付き合ってくれる。
お布団に呼ばれる。
いつもなら着ているものをどうするのか聞くのだけど、この日は「まだこの『可愛い子』着ててもいいですか?」と半ば宣言して、那智さんの腕枕。
お気に入りのわたしで可愛がられて、ああ、幸せ。
でも、あれこれ触られてるうちに、声が漏れてくる。
「可愛い子は、そんな声出さないんじゃない?」
「あっ、はい…。」
また、触る。
声が出る。
「可愛い子は『んんっ』っていうくらいじゃいの?(笑)」
「…、んんっ^^;」
腕をぐっと上げられて脇の下を舐められる。(うう、書いてて恥ずかしい)
「可愛い子は、チクチクしてちゃいけないんじゃない?」
「してませんよねー!!」
「うん、してないけど(笑)」
今度は足を持ち上げられ。
「ここもチクチクしてないよね!?」
「してないですよね!?もうやめてください〜、那智さん〜。」
「あはは、してないけどね〜。」
また、体を触る。
ああ、声出そう^^;
なんだか気持ち散漫で、いや。
可愛い子って大変。
「もう、『可愛い子』脱ぎます。」
間髪入れず、さっさとベビードールを脱ぐ。
変わり身、はやっ!!!
まさか、自分でもこんなに早く可愛い子を放棄するとは思ってなかった。
あまりの切り返しの早さに、那智さん、大爆笑。
わたしも一緒に、照れ笑い。
可愛い子も楽じゃないわ。
ああ、わたしの「可愛い子」の道のりは、遠く険しいようです。
秘訣の続き
りん子的独り言(生意気)
また男女のことを自分勝手に書いてます。
前回の「秘訣」で懲りた方は、スルーしてね^^
「心の交流のないセックスは女を傷付ける」というようなことを「秘訣」で書きました。
那智さんは「りん子の気合いが伝わるね〜」とは言ってくれたけど、どうもいまひとつピンと来ていない様子。
「傷付く」、その傷の深刻さが理解できないみたい。
わたしの説明下手もあるし、そもそも岩月謙司さんの著書にわたしの経験やいろんな人の話を上塗りして感じたことを書いているのだから、医学的にも統計的にもなんにも根拠のないもので、伝わりにくいことはしょうがないよね。
女性だって「よくわからない」と感じている人が多いんじゃないかな。
当のわたしだって、いまだからそう思えるのだもの。
男の那智さんがピンと来ないのも当たり前?
「そんなこと言ったって、合意の上だろ?」
そうですよ。
だから、セックスの場面以外では大人なんだから双方の責任だって言ってるでしょ。
でも、そこだけは、どうしても女は傷付くという性を持ってしまってるんです。
「男はどうなの?」
知りません、わたし男じゃないもの(笑)
「男だって、嫌な気分になるよ。」
知らないくせに言い切っちゃうけど、女のそれは「嫌な気分」なんてものじゃないのですよ。
死活問題くらいの傷。
「じゃあ、なんで出会い系とかなくならないの?」
だって、気付きにくいのですもん。
女はセックスがしたいんじゃなくて、心の交流がほしいのだもの、でも、本人もわかってないから不毛なセックスを求めちゃうの。(えと、女にも性欲があることは確かですよ、でも、それはまた別の話。)
ブログに書いたことを繰り返しても、なかなか納得してくれない。
昔テレビで「女性専用車両の是非」をやってて、街灯インタビューを受けてた男性が「男性専用も作ってほしい。女性の香水や化粧の匂いはなんとかしてもらいたい」とか言ってた場面を思い出した。
もう次元が違うよ〜。
女だって、おじさんの匂いが嫌だから専用車両が欲しいんじゃないのにな。
女性は常に「力の強い者」の恐怖を感じているの。
痴漢にしても酔っぱらいにしても、普通の男性に対しても(わたしだけかな)、実際に暴力を振るわれないとしても「力の強い者」からの恫喝を受けるかもしれないというだけでも、怖いのです。
お化粧の匂いじゃなくて、例えばそのインタビューに答えていた男性が毎日乗る通勤電車が「同性愛者の暴力団」ですし詰めだったり、「酔っぱらってナイフを ちらつかせた格闘家」が隣りでからんできたらどうだろう。(同性愛者や格闘家の方、例え話にしてごめんなさいね。わたしとしてはどちらも好きです^^)
力の強い者の中に、酔っていたり倒錯して常軌を逸脱してしまう人がいるという恐怖は「香水の匂い」とは次元が違うんだけどな、と思っていた。
話しが逸れましたね、そのときに感じたようなような噛み合なさを感じていた。
「俺だって、出会い系とかでやった直後に毎回『あ〜あ、またばかみたいなことやっちゃった〜』ってやな気分になるよ。」
そうそう、そこに違いがあるの、那智さん。
「俺何やってんだろ」とすぐに気付くこと、それはまっとうな「後悔」。
これが違うのですよ。
女のそれは「自分は傷付いてる」と自覚しづらいことと、嫌な気分が数日後に訪れるのです。
だから、とても深くて厄介。
また、岩月氏とわたしの経験を織り交ぜて書きます。
心の交流のない、大切にされないセックスをすると女性(わたし)はどう感じるか。
岩月氏の言うには、その「傷付き」は三日後にやってくる(これも根拠はわからないけど)。
その場で「嫌な気分」に気付かないから、なんで自分が「嫌な気分」になっているのか原因がわからないのだ。
いまの自分の気持ちの落ち込みは三日前のセックスだなんて結び付かないものね。
だから、原因不明で落ち込む、気分が暗くなる。
これはわたしの経験なんだけど、落ち込むとか気分が暗くなると同時に「また求めてしまう」というのがあるの。
これは出会い系のような相手じゃなくても、普通に付き合ってても感じてた。
会ってセックスをして、別れて、またすぐに会いたくなるの。
それは好きだからと解釈されやすいのだけど、違うんだ。
心の交流を持てる人(那智さん)と会ったあとは、満足するの。
もちろん毎日だって会いたいとは思うけど、満たされて「わたしはわたしの生活をきちんとしよう」というパワーが湧く。
会いたいと切なくなっても、それはただの慕情。
これがね、以前付き合っていた男性たちのときに感じていたものとの違いなんだ。
同じように会いたいと思う、でも、そこにあるのは「恋い慕う気持ち」ではなくて、なんていうのかな「執着」のような暗くドロッとした気持ち。
追い立てられるように求めてしまうのは、ほしいものをもらえなかったから。
好きかどうかなんて、実はわかってないの。
今度はもらえるかもと必死にすがるように執着してしまう。(ある意味、その男性に復讐しているかのよう)
寂しい、寂しい、この暗い気持ちを今度こそは埋めて焦り、執着する。
でも、結局、暗い気持ちはそのセックス(心の交流を持てない関係)が原因だから、悪循環なのだ。
だから、後から気分が落ち込む原因がわからず、傷付くことを繰り返し、どんどん相手に執着する。(で、あるとき突然嫌いになる)
男の人とセックスをしたあと、数日後に気分が暗くなったり、またすぐ会いたいとそれだけを思ってしまうのは、心が傷付いているのです。
愛されたあとは、会いたいと思うけど、他のことをするパワーも湧いてくるものなのです。
この違いがわかって、はじめて「わたしは傷付いていたんだ」って気が付いたの。
そんなことだから、男の那智さんには理解しにくいことなのでしょうね。
めずらしく平行線でした。
直接話せる那智さんにだって理解不能なんだもの、男女関わらず読んでる方は「?」なのだろうな。
りん子がわけわかんない生意気なこと言ってるって、特に男性からの好感度下がっちゃう^^;
わたしの経験だけを書いてどうなるってこともないのだけど、ハプバーなどでたくさんの男性の相手をしている人を見ると、なんだかわたしの方が心がチクってしてしまうので、ついね。
気付いてねって。
気付くだけでも違うから、問題はそこから解決に向かうはず。
気付いてからは、本読んでね^^
解決はできないかもしれないけど、ヒントくらいはあるでしょから、って出版社の回し者みたいになっちゃった。
また男女のことを自分勝手に書いてます。
前回の「秘訣」で懲りた方は、スルーしてね^^
「心の交流のないセックスは女を傷付ける」というようなことを「秘訣」で書きました。
那智さんは「りん子の気合いが伝わるね〜」とは言ってくれたけど、どうもいまひとつピンと来ていない様子。
「傷付く」、その傷の深刻さが理解できないみたい。
わたしの説明下手もあるし、そもそも岩月謙司さんの著書にわたしの経験やいろんな人の話を上塗りして感じたことを書いているのだから、医学的にも統計的にもなんにも根拠のないもので、伝わりにくいことはしょうがないよね。
女性だって「よくわからない」と感じている人が多いんじゃないかな。
当のわたしだって、いまだからそう思えるのだもの。
男の那智さんがピンと来ないのも当たり前?
「そんなこと言ったって、合意の上だろ?」
そうですよ。
だから、セックスの場面以外では大人なんだから双方の責任だって言ってるでしょ。
でも、そこだけは、どうしても女は傷付くという性を持ってしまってるんです。
「男はどうなの?」
知りません、わたし男じゃないもの(笑)
「男だって、嫌な気分になるよ。」
知らないくせに言い切っちゃうけど、女のそれは「嫌な気分」なんてものじゃないのですよ。
死活問題くらいの傷。
「じゃあ、なんで出会い系とかなくならないの?」
だって、気付きにくいのですもん。
女はセックスがしたいんじゃなくて、心の交流がほしいのだもの、でも、本人もわかってないから不毛なセックスを求めちゃうの。(えと、女にも性欲があることは確かですよ、でも、それはまた別の話。)
ブログに書いたことを繰り返しても、なかなか納得してくれない。
昔テレビで「女性専用車両の是非」をやってて、街灯インタビューを受けてた男性が「男性専用も作ってほしい。女性の香水や化粧の匂いはなんとかしてもらいたい」とか言ってた場面を思い出した。
もう次元が違うよ〜。
女だって、おじさんの匂いが嫌だから専用車両が欲しいんじゃないのにな。
女性は常に「力の強い者」の恐怖を感じているの。
痴漢にしても酔っぱらいにしても、普通の男性に対しても(わたしだけかな)、実際に暴力を振るわれないとしても「力の強い者」からの恫喝を受けるかもしれないというだけでも、怖いのです。
お化粧の匂いじゃなくて、例えばそのインタビューに答えていた男性が毎日乗る通勤電車が「同性愛者の暴力団」ですし詰めだったり、「酔っぱらってナイフを ちらつかせた格闘家」が隣りでからんできたらどうだろう。(同性愛者や格闘家の方、例え話にしてごめんなさいね。わたしとしてはどちらも好きです^^)
力の強い者の中に、酔っていたり倒錯して常軌を逸脱してしまう人がいるという恐怖は「香水の匂い」とは次元が違うんだけどな、と思っていた。
話しが逸れましたね、そのときに感じたようなような噛み合なさを感じていた。
「俺だって、出会い系とかでやった直後に毎回『あ〜あ、またばかみたいなことやっちゃった〜』ってやな気分になるよ。」
そうそう、そこに違いがあるの、那智さん。
「俺何やってんだろ」とすぐに気付くこと、それはまっとうな「後悔」。
これが違うのですよ。
女のそれは「自分は傷付いてる」と自覚しづらいことと、嫌な気分が数日後に訪れるのです。
だから、とても深くて厄介。
また、岩月氏とわたしの経験を織り交ぜて書きます。
心の交流のない、大切にされないセックスをすると女性(わたし)はどう感じるか。
岩月氏の言うには、その「傷付き」は三日後にやってくる(これも根拠はわからないけど)。
その場で「嫌な気分」に気付かないから、なんで自分が「嫌な気分」になっているのか原因がわからないのだ。
いまの自分の気持ちの落ち込みは三日前のセックスだなんて結び付かないものね。
だから、原因不明で落ち込む、気分が暗くなる。
これはわたしの経験なんだけど、落ち込むとか気分が暗くなると同時に「また求めてしまう」というのがあるの。
これは出会い系のような相手じゃなくても、普通に付き合ってても感じてた。
会ってセックスをして、別れて、またすぐに会いたくなるの。
それは好きだからと解釈されやすいのだけど、違うんだ。
心の交流を持てる人(那智さん)と会ったあとは、満足するの。
もちろん毎日だって会いたいとは思うけど、満たされて「わたしはわたしの生活をきちんとしよう」というパワーが湧く。
会いたいと切なくなっても、それはただの慕情。
これがね、以前付き合っていた男性たちのときに感じていたものとの違いなんだ。
同じように会いたいと思う、でも、そこにあるのは「恋い慕う気持ち」ではなくて、なんていうのかな「執着」のような暗くドロッとした気持ち。
追い立てられるように求めてしまうのは、ほしいものをもらえなかったから。
好きかどうかなんて、実はわかってないの。
今度はもらえるかもと必死にすがるように執着してしまう。(ある意味、その男性に復讐しているかのよう)
寂しい、寂しい、この暗い気持ちを今度こそは埋めて焦り、執着する。
でも、結局、暗い気持ちはそのセックス(心の交流を持てない関係)が原因だから、悪循環なのだ。
だから、後から気分が落ち込む原因がわからず、傷付くことを繰り返し、どんどん相手に執着する。(で、あるとき突然嫌いになる)
男の人とセックスをしたあと、数日後に気分が暗くなったり、またすぐ会いたいとそれだけを思ってしまうのは、心が傷付いているのです。
愛されたあとは、会いたいと思うけど、他のことをするパワーも湧いてくるものなのです。
この違いがわかって、はじめて「わたしは傷付いていたんだ」って気が付いたの。
そんなことだから、男の那智さんには理解しにくいことなのでしょうね。
めずらしく平行線でした。
直接話せる那智さんにだって理解不能なんだもの、男女関わらず読んでる方は「?」なのだろうな。
りん子がわけわかんない生意気なこと言ってるって、特に男性からの好感度下がっちゃう^^;
わたしの経験だけを書いてどうなるってこともないのだけど、ハプバーなどでたくさんの男性の相手をしている人を見ると、なんだかわたしの方が心がチクってしてしまうので、ついね。
気付いてねって。
気付くだけでも違うから、問題はそこから解決に向かうはず。
気付いてからは、本読んでね^^
解決はできないかもしれないけど、ヒントくらいはあるでしょから、って出版社の回し者みたいになっちゃった。
形勢逆転
独特な幸福感
久々にランチデート。
最近はちょこちょこと会えているから、ランチデートは久しぶりだ。
その前のデートのとき、別れ際にちょっと誤解めいたことが生じてしまって、別れてからメールや電話を使ってその日のうちになんとかお互い誤解を解いたのだけど、なんだか「ぎゅっ」として心を収めたかったので間を空けずにランチデートをした。
でも、女心は複雑で、カラオケで「ぎゅーーーー」っとしてほしいような気もするけど、心を収める「ぎゅう」はそんなに大げさにしないほうが良いような感じがして、カラオケじゃなくて普通にランチにしてもらった。
中途半端な濃さの「ぎゅー」をしてもらうと、もっと〜と歯止めをかけるのが切なくなりそうで。
だから、一緒にご飯を食べて、顔を見て安心するという方法で「心をぎゅっ」としてもらうのだ。
オフィス街のお食事処は12時になると一斉に込み出すので、わたしが一足さきに入って席を確保する。
11時55分。
このお店は入り口で注文してから店内に入る。
その入り口ですでにオーダーが通ってしまうから、1人で先にお店に入ると席は確保できるものの食事の出来上がりに時間差ができてしまう。
まあ、でも、わたし猫舌だし、ここは那智さんのお仕事場から比較的近いから、待ってもちょっとだけだろうと思って「あとから来るから、その時に一緒にオーダーさせて」とは言わずにいた。(こういう申し出苦手だし^^;)
ピーク前だからか、席に着いた途端にご飯が運ばれてきた。
わあ、ちょっと早いなあ。
時計を見ると、11時58分。
12時過ぎれば那智さんから連絡が入って、もう歩いてるからとかなんとか言ってきてくれるはず。
時計気にするけど、携帯は鳴らない。
「ごめん〜。迷子になった!!」
やっと連絡が来たと思ったら、迷子〜!?
このお店久しぶりだし、ちょっとわかりづらい、ああ、あらかじめ「○○の角を曲がる」と再確認をしていればよかったわ。
わあ、那智さんだ^^到着して、12時8分。
顔を見て、なんだかやっと心が落ち着いた。
いっぱいの抱擁じゃない方法でも、心穏やかになれるものね。
目の前にわたしのご飯。
だんだん混み合ってきたけど、きっとさっきと変わらない早さで運ばれてくるよね?
那智さんは食べるの早いから、いつも待たしてしまう。
ただ待たすだけでも申し訳ないのに、那智さん、待ってる間わたしをからかうんだ。
そうじゃなくても、面と向かってご飯食べてる姿を見せるの恥ずかしいと思ってるから、からかうまでしなくても「見られる」だけでダメ。
だから、フライングさせてもらえば、先に食べ終わって眺められることは避けられると思って、先にいただくことにした。(あ!!いま気付いたけど、先食べて も恥ずかしいよね!!なんでそれに気付かなかったんだろう!?ああ、気付いちゃったから、これから先に食べるのも恥ずかしい^^;)
「ごめん、ちょっと早く戻らないといけなくなった。」
お昼休みぎりぎりまで一緒にいられないそうだ。
ということは正味30分ちょっとのデート(笑)
残念だけど、不思議と悲しく思わないのはなんででしょう、きっと顔を見て心を収めることで満足できたのだろうな。
残念、悲しい、と悲劇のヒロインモードになるのは簡単だけど、ちょっと意識を上向きに。
それだけで、無理矢理前向きに捉える努力をしないでも、悲しくならずにすんだ。
それにしても、那智さんのご飯がなかなか来ない。
ちょっとフライングどころか、わたしのご飯は半分以上なくなってる。
「遅いですね、わたしだけ食べ終わっちゃう。」
「○○分になっても来なかったら言おう。」
時計を見て、時間を逆算してる。
やっと那智さんのが来たころ、ちょうどわたしは食べ終わってしまった。
すみません、ごちそうさまでした。
「10分だと厳しいけど、15分あるからいいや。」
そう言いながら食べはじめる。
「めずらしいな。りん子のほうが先に食べ終わるなんてね。」
がつがつと食事が進んでる。
この後のお仕事のことが頭にあるのか、時間に追われているからか、ほんのちょっと表情が硬い。
那智さん、お箸の持ち方、クセがあるんだ。
そんな姿をじっと眺める。
ああ、好きな人がご飯をがつがつと食べる様子はなんて魅力的なんだろう!!
眉間にうすい皺を寄せもくもくと口に運ぶ姿、急いでいる感じがなんだか胸をきゅっとさせる。
セクシーでさえある。(すみません、りん子フィルターです!!!)
那智さんを見つめるわたしの目、多分ハート型だ(笑)
嬉しくて幸せで、ニタニタしてしまう。
「那智さん。」
「ん?(モグモグ)」
「那智さん、40過ぎて、女性からハート型の瞳で見つめられるなんて思ってなかったでしょう!?わたし、いまきっとハート型の目してる。」
自分でもわかるくらいキラキラした目で見つめる。
「ああ。」
一瞬チラッと隣りの席の会社員に視線を向け、そう答えた那智さん。
見る見るうちに表情が変わった。
「こういうの恥ずかしいな。」
そう言って、眉間の皺は消えて、普段あまり見ない「照れてる」顔になった。
柔らない表情にもいたずら少年の瞳にも似てるけど、ちょっと違う「はにかんでる」!!
わたしが先に食べ終わって、いつもの仕返しに「からかう」ようなことをしたら、那智さんはちっとも恥ずかしいなんて感情湧かなかっただろう。
持ち前の「負けず嫌い」さんで、わたしが何を言おうがしれっとしていたはずだ。
だけど、「からかう」なんて策略とは無縁のストレートなわたしのラブラブ攻撃は那智さんの不意打ちを狙って、図らずも動揺させることに成功したのです。
わああ、食べてる姿もセクシーだけど、普段動揺を表に出さない男性のわずかに照れた表情もとっても色っぽい。(だから、りん子フィルターです^^;)
もう、たまらない。
もっと見せて。
わたしの目は更にハート度を増して、もう一瞬たりとも見逃すまいと、凝視する。(わたし、おかしい…)
「うん、もう平気。」
なんで平気になったのか、那智さんが心を切り替えてしまったようで、そんなこと言う。
もう平気になっちゃたの。
とっても魅力的な表情だったし、何より「恥ずかしがらせる」なんてこと滅多にないから楽しかったのに!!
つまらないな〜。
そう思って、再度追い打ちをかけてみる。
「わたし、いままでの人生で、こんなに長い時間1人の人を見つめたことないと思います。」
そう言って頬杖を付きキラキラとした目でもう一度見つめてみる。
さっきの表情もう一回見たい。
柔らかい雰囲気は変わらないけど、もうはにかむ部分は抜け落ちてしまってる、残念。
食べ終わってタバコに火を着けた。
ふっと、那智さんの口角が上がった感じがした。
テーブルの下、わたしの足を挟むようにして那智さんのほうに引き寄せられた。
「形勢逆転。」
うつむきながら、思わずそうつぶやく。
ただ引き寄せられただけで、もううつむくしかできなくなってしまう。
嬉しくて、これからはじまる何かを期待して、期待してしまう自分が恥ずかしくて。
那智さんのそばにあるわたしの足に、ドカンと足が載せられた。
そんままぎゅーっと踏まれる。
皮のブーツを履いてるから最初は衝撃が少なかったのだけど、皮の縫い目の分厚い部分が徐々に足の甲に食い込んできて、痛い。
耐えられない痛みではないけれど、周りにたくさんの人がお食事をしているなかで平静を装うのは難しい。
だって、わたし、喜んでるんだもの。
かまってもらえて嬉しい、痛くしてもらって嬉しい。
そして、そのふっと上がった口角のように、いつものわたしを可愛がるいじわるな目もたまらなく魅力的、それを感じられた、やっぱり嬉しい。
結局いつものポジションに収まって、残念なような、安心なような。
ほんの3、40分のデートだったけど、この日はなんだか感情がめまぐるしかった。
そして、それはとても楽しかった。
ランチの時間が短くなったことでいじけなくてよかった。
もちろん無理して我慢してるのではないけど、「この時間を心地良くしよう」という思考は那智さんとわたしの似てるところかもしれない。
自然にその思考が作用して、短いけど、満足のランチデートになった。
追伸。
このノロケに対して「強烈な正統派薬指の刺青」というコメントまでくれた那智さん、ご自身はとっても恥ずかしがってました。
メールだったので、表情が見られなくて残念です。
なんででしょうね、最後は必ずノロケで終わっちゃう^^;
それにしても、もしこれを那智さんを知ってる人が読んだら「ぷぷーーーーっ」ってなるんだろうな〜。
ある意味那智さんへの羞恥プレイは、すべてりん子フィルターのせいです。
久々にランチデート。
最近はちょこちょこと会えているから、ランチデートは久しぶりだ。
その前のデートのとき、別れ際にちょっと誤解めいたことが生じてしまって、別れてからメールや電話を使ってその日のうちになんとかお互い誤解を解いたのだけど、なんだか「ぎゅっ」として心を収めたかったので間を空けずにランチデートをした。
でも、女心は複雑で、カラオケで「ぎゅーーーー」っとしてほしいような気もするけど、心を収める「ぎゅう」はそんなに大げさにしないほうが良いような感じがして、カラオケじゃなくて普通にランチにしてもらった。
中途半端な濃さの「ぎゅー」をしてもらうと、もっと〜と歯止めをかけるのが切なくなりそうで。
だから、一緒にご飯を食べて、顔を見て安心するという方法で「心をぎゅっ」としてもらうのだ。
オフィス街のお食事処は12時になると一斉に込み出すので、わたしが一足さきに入って席を確保する。
11時55分。
このお店は入り口で注文してから店内に入る。
その入り口ですでにオーダーが通ってしまうから、1人で先にお店に入ると席は確保できるものの食事の出来上がりに時間差ができてしまう。
まあ、でも、わたし猫舌だし、ここは那智さんのお仕事場から比較的近いから、待ってもちょっとだけだろうと思って「あとから来るから、その時に一緒にオーダーさせて」とは言わずにいた。(こういう申し出苦手だし^^;)
ピーク前だからか、席に着いた途端にご飯が運ばれてきた。
わあ、ちょっと早いなあ。
時計を見ると、11時58分。
12時過ぎれば那智さんから連絡が入って、もう歩いてるからとかなんとか言ってきてくれるはず。
時計気にするけど、携帯は鳴らない。
「ごめん〜。迷子になった!!」
やっと連絡が来たと思ったら、迷子〜!?
このお店久しぶりだし、ちょっとわかりづらい、ああ、あらかじめ「○○の角を曲がる」と再確認をしていればよかったわ。
わあ、那智さんだ^^到着して、12時8分。
顔を見て、なんだかやっと心が落ち着いた。
いっぱいの抱擁じゃない方法でも、心穏やかになれるものね。
目の前にわたしのご飯。
だんだん混み合ってきたけど、きっとさっきと変わらない早さで運ばれてくるよね?
那智さんは食べるの早いから、いつも待たしてしまう。
ただ待たすだけでも申し訳ないのに、那智さん、待ってる間わたしをからかうんだ。
そうじゃなくても、面と向かってご飯食べてる姿を見せるの恥ずかしいと思ってるから、からかうまでしなくても「見られる」だけでダメ。
だから、フライングさせてもらえば、先に食べ終わって眺められることは避けられると思って、先にいただくことにした。(あ!!いま気付いたけど、先食べて も恥ずかしいよね!!なんでそれに気付かなかったんだろう!?ああ、気付いちゃったから、これから先に食べるのも恥ずかしい^^;)
「ごめん、ちょっと早く戻らないといけなくなった。」
お昼休みぎりぎりまで一緒にいられないそうだ。
ということは正味30分ちょっとのデート(笑)
残念だけど、不思議と悲しく思わないのはなんででしょう、きっと顔を見て心を収めることで満足できたのだろうな。
残念、悲しい、と悲劇のヒロインモードになるのは簡単だけど、ちょっと意識を上向きに。
それだけで、無理矢理前向きに捉える努力をしないでも、悲しくならずにすんだ。
それにしても、那智さんのご飯がなかなか来ない。
ちょっとフライングどころか、わたしのご飯は半分以上なくなってる。
「遅いですね、わたしだけ食べ終わっちゃう。」
「○○分になっても来なかったら言おう。」
時計を見て、時間を逆算してる。
やっと那智さんのが来たころ、ちょうどわたしは食べ終わってしまった。
すみません、ごちそうさまでした。
「10分だと厳しいけど、15分あるからいいや。」
そう言いながら食べはじめる。
「めずらしいな。りん子のほうが先に食べ終わるなんてね。」
がつがつと食事が進んでる。
この後のお仕事のことが頭にあるのか、時間に追われているからか、ほんのちょっと表情が硬い。
那智さん、お箸の持ち方、クセがあるんだ。
そんな姿をじっと眺める。
ああ、好きな人がご飯をがつがつと食べる様子はなんて魅力的なんだろう!!
眉間にうすい皺を寄せもくもくと口に運ぶ姿、急いでいる感じがなんだか胸をきゅっとさせる。
セクシーでさえある。(すみません、りん子フィルターです!!!)
那智さんを見つめるわたしの目、多分ハート型だ(笑)
嬉しくて幸せで、ニタニタしてしまう。
「那智さん。」
「ん?(モグモグ)」
「那智さん、40過ぎて、女性からハート型の瞳で見つめられるなんて思ってなかったでしょう!?わたし、いまきっとハート型の目してる。」
自分でもわかるくらいキラキラした目で見つめる。
「ああ。」
一瞬チラッと隣りの席の会社員に視線を向け、そう答えた那智さん。
見る見るうちに表情が変わった。
「こういうの恥ずかしいな。」
そう言って、眉間の皺は消えて、普段あまり見ない「照れてる」顔になった。
柔らない表情にもいたずら少年の瞳にも似てるけど、ちょっと違う「はにかんでる」!!
わたしが先に食べ終わって、いつもの仕返しに「からかう」ようなことをしたら、那智さんはちっとも恥ずかしいなんて感情湧かなかっただろう。
持ち前の「負けず嫌い」さんで、わたしが何を言おうがしれっとしていたはずだ。
だけど、「からかう」なんて策略とは無縁のストレートなわたしのラブラブ攻撃は那智さんの不意打ちを狙って、図らずも動揺させることに成功したのです。
わああ、食べてる姿もセクシーだけど、普段動揺を表に出さない男性のわずかに照れた表情もとっても色っぽい。(だから、りん子フィルターです^^;)
もう、たまらない。
もっと見せて。
わたしの目は更にハート度を増して、もう一瞬たりとも見逃すまいと、凝視する。(わたし、おかしい…)
「うん、もう平気。」
なんで平気になったのか、那智さんが心を切り替えてしまったようで、そんなこと言う。
もう平気になっちゃたの。
とっても魅力的な表情だったし、何より「恥ずかしがらせる」なんてこと滅多にないから楽しかったのに!!
つまらないな〜。
そう思って、再度追い打ちをかけてみる。
「わたし、いままでの人生で、こんなに長い時間1人の人を見つめたことないと思います。」
そう言って頬杖を付きキラキラとした目でもう一度見つめてみる。
さっきの表情もう一回見たい。
柔らかい雰囲気は変わらないけど、もうはにかむ部分は抜け落ちてしまってる、残念。
食べ終わってタバコに火を着けた。
ふっと、那智さんの口角が上がった感じがした。
テーブルの下、わたしの足を挟むようにして那智さんのほうに引き寄せられた。
「形勢逆転。」
うつむきながら、思わずそうつぶやく。
ただ引き寄せられただけで、もううつむくしかできなくなってしまう。
嬉しくて、これからはじまる何かを期待して、期待してしまう自分が恥ずかしくて。
那智さんのそばにあるわたしの足に、ドカンと足が載せられた。
そんままぎゅーっと踏まれる。
皮のブーツを履いてるから最初は衝撃が少なかったのだけど、皮の縫い目の分厚い部分が徐々に足の甲に食い込んできて、痛い。
耐えられない痛みではないけれど、周りにたくさんの人がお食事をしているなかで平静を装うのは難しい。
だって、わたし、喜んでるんだもの。
かまってもらえて嬉しい、痛くしてもらって嬉しい。
そして、そのふっと上がった口角のように、いつものわたしを可愛がるいじわるな目もたまらなく魅力的、それを感じられた、やっぱり嬉しい。
結局いつものポジションに収まって、残念なような、安心なような。
ほんの3、40分のデートだったけど、この日はなんだか感情がめまぐるしかった。
そして、それはとても楽しかった。
ランチの時間が短くなったことでいじけなくてよかった。
もちろん無理して我慢してるのではないけど、「この時間を心地良くしよう」という思考は那智さんとわたしの似てるところかもしれない。
自然にその思考が作用して、短いけど、満足のランチデートになった。
追伸。
このノロケに対して「強烈な正統派薬指の刺青」というコメントまでくれた那智さん、ご自身はとっても恥ずかしがってました。
メールだったので、表情が見られなくて残念です。
なんででしょうね、最後は必ずノロケで終わっちゃう^^;
それにしても、もしこれを那智さんを知ってる人が読んだら「ぷぷーーーーっ」ってなるんだろうな〜。
ある意味那智さんへの羞恥プレイは、すべてりん子フィルターのせいです。
女の子
独特な幸福感
那智さんの前で何回か「女の子」になってきた。
ちゃんと名前もあった。(仮に「まあちゃん」としますね。)
一番はじめに「女の子」になったのは知り合って比較的早い段階だった。(「惹かれ合う理由」の「毛布」)
「いいこいいこ」と撫でてもらい、「わたしのこと好き?」なんて甘えて、那智さんの前で小さな女の子になって、ほしかった「父性の海」にどっぷりと浸かる。
すごくためらいはあるものの「お父さん」と呼んでしまったときの、あの甘い喜び。
父性を求めていたわたしは、那智さんを「父性」の対象にすることで、おもしろいくらい涙が溢れて、ああ、わたしはいま確実に何かを埋められてると実感した。
いつしか名前も付き、端から見たら異様な「プレイ」のようなこと、でも、わたしにとっては心を解く貴重な出来事だった。
パソコンの前に向かってお仕事をしている那智さんを眺めているだけで、そこに「父性」を見つけて涙を流すようなこともあった。(「宝物」の「全肯定1、2」)
那智さんの腕に抱かれて乳首に吸い付くときなどは、全身で解放と許容を感じていた。
最初の何回かは号泣していた。
きっかけは那智さんの言葉。
「女の子になっちゃえ」とか「今日はりん子がいい?それともまあちゃん?」とか。
わたしはその時の気分で、りん子のままだったり、まあちゃんになったりする。
別に、急に「〜でちゅ〜」なんて赤ちゃん言葉を話し出すわけじゃないですよ(笑)
大人の「りん子」のまま甘えるか、女の子になって甘えるか、わたしの気持ちの置き場所の違いだけ。
号泣するほどの衝撃はしばらくすると落ち着いて、だんだん「甘えやすいツール」というような感じになっていった。
それでも、静かに涙を流すようなことはあったから、きっと女の子になることで必要なものを取り戻していたんだと思う。
ここ2回くらいかな(といっても数ヶ月くらいの期間)、「いまはどっちの気分?」と那智さんに促されても「りん子のまま」と答えることが続いた。
その前に1回「まあちゃん」になったときがあったのだけど、りん子のまま甘えるのと差を感じられなかったから、無理矢理まあちゃんになることもないかなと思ったのだ。
一段落して。
「那智さん、最近まあちゃんになる必要ないみたいです。」
心に浮かんだことを伝える。
「そうみたいだね。まあちゃん、卒業かもね。」
うん、そんな感じです。
那智さんはなぜわたしを「女の子」にさせたのか。
名前まで付けて(命名はわたしだったけど^^)、異様な状況を作ったのか。
それは「りん子がラクそうだったから」。
そうだったんだ、わたしまあちゃんになってるとき「ラク」だったんだね。
それが、いまは必要なくなっているみたいだ。
(慣れとか、そういうものもあるかもしれないけど、それはちょっとおいといて。)
女の子として十分に愛されて、もう「女の子」は卒業できたのだろうか。
それもあると思うけど、わたしの中で「女の子として可愛がられたい、父性に抱かれたい」という思いは消えてない。
だから、これを欲する気持ちは底がないように思うので、卒業という言葉はちょっと違うかな。
女の子になる必要がなくなったのかもしれない。
何かにならなくても、りん子のままでいいということ。
甘えるのも愛されるのも、父性の海に抱かれるのも、りん子のままでいい。
そう思えるようになれたから、まあちゃんに自分を変える必要がなくなったのだろう。
わたしはわたしのままで愛してもらう。
わたしのままで父性を受け取っていい。
そういう自信が持てるようになったのだろう。
これは、嬉しい変化。
泣きながら抱きしめてもらっていた「まあちゃん」。
きっともう登場することはないだろう。
あの号泣は、魂に触れるような、甘く苦しいものだった。
そのギリギリな感じが懐かしくもある。
一度手放すともう戻ることはないでしょうから、ちょっと寂しい気もしますね。
すこし感傷に浸るのも悪くないよね、と思いながら、今夜エントリーしてわたしは「まあちゃん」を抱きしめる。
今度、1回那智さんにも抱きしめてもらって、おしまいにしよう。
ちょっと感傷的な夜なのでした。
那智さんの前で何回か「女の子」になってきた。
ちゃんと名前もあった。(仮に「まあちゃん」としますね。)
一番はじめに「女の子」になったのは知り合って比較的早い段階だった。(「惹かれ合う理由」の「毛布」)
「いいこいいこ」と撫でてもらい、「わたしのこと好き?」なんて甘えて、那智さんの前で小さな女の子になって、ほしかった「父性の海」にどっぷりと浸かる。
すごくためらいはあるものの「お父さん」と呼んでしまったときの、あの甘い喜び。
父性を求めていたわたしは、那智さんを「父性」の対象にすることで、おもしろいくらい涙が溢れて、ああ、わたしはいま確実に何かを埋められてると実感した。
いつしか名前も付き、端から見たら異様な「プレイ」のようなこと、でも、わたしにとっては心を解く貴重な出来事だった。
パソコンの前に向かってお仕事をしている那智さんを眺めているだけで、そこに「父性」を見つけて涙を流すようなこともあった。(「宝物」の「全肯定1、2」)
那智さんの腕に抱かれて乳首に吸い付くときなどは、全身で解放と許容を感じていた。
最初の何回かは号泣していた。
きっかけは那智さんの言葉。
「女の子になっちゃえ」とか「今日はりん子がいい?それともまあちゃん?」とか。
わたしはその時の気分で、りん子のままだったり、まあちゃんになったりする。
別に、急に「〜でちゅ〜」なんて赤ちゃん言葉を話し出すわけじゃないですよ(笑)
大人の「りん子」のまま甘えるか、女の子になって甘えるか、わたしの気持ちの置き場所の違いだけ。
号泣するほどの衝撃はしばらくすると落ち着いて、だんだん「甘えやすいツール」というような感じになっていった。
それでも、静かに涙を流すようなことはあったから、きっと女の子になることで必要なものを取り戻していたんだと思う。
ここ2回くらいかな(といっても数ヶ月くらいの期間)、「いまはどっちの気分?」と那智さんに促されても「りん子のまま」と答えることが続いた。
その前に1回「まあちゃん」になったときがあったのだけど、りん子のまま甘えるのと差を感じられなかったから、無理矢理まあちゃんになることもないかなと思ったのだ。
一段落して。
「那智さん、最近まあちゃんになる必要ないみたいです。」
心に浮かんだことを伝える。
「そうみたいだね。まあちゃん、卒業かもね。」
うん、そんな感じです。
那智さんはなぜわたしを「女の子」にさせたのか。
名前まで付けて(命名はわたしだったけど^^)、異様な状況を作ったのか。
それは「りん子がラクそうだったから」。
そうだったんだ、わたしまあちゃんになってるとき「ラク」だったんだね。
それが、いまは必要なくなっているみたいだ。
(慣れとか、そういうものもあるかもしれないけど、それはちょっとおいといて。)
女の子として十分に愛されて、もう「女の子」は卒業できたのだろうか。
それもあると思うけど、わたしの中で「女の子として可愛がられたい、父性に抱かれたい」という思いは消えてない。
だから、これを欲する気持ちは底がないように思うので、卒業という言葉はちょっと違うかな。
女の子になる必要がなくなったのかもしれない。
何かにならなくても、りん子のままでいいということ。
甘えるのも愛されるのも、父性の海に抱かれるのも、りん子のままでいい。
そう思えるようになれたから、まあちゃんに自分を変える必要がなくなったのだろう。
わたしはわたしのままで愛してもらう。
わたしのままで父性を受け取っていい。
そういう自信が持てるようになったのだろう。
これは、嬉しい変化。
泣きながら抱きしめてもらっていた「まあちゃん」。
きっともう登場することはないだろう。
あの号泣は、魂に触れるような、甘く苦しいものだった。
そのギリギリな感じが懐かしくもある。
一度手放すともう戻ることはないでしょうから、ちょっと寂しい気もしますね。
すこし感傷に浸るのも悪くないよね、と思いながら、今夜エントリーしてわたしは「まあちゃん」を抱きしめる。
今度、1回那智さんにも抱きしめてもらって、おしまいにしよう。
ちょっと感傷的な夜なのでした。