史上最強
140字もどき
那智さんにお孫さんが誕生した。
おめでたい、うん、命の誕生は掛け値なしに祝福である。
でも、はああ、でも、『孫』だ…。
犬やネコや文鳥じゃなくて、孫。
(犬たちが大事じゃないと言っているわけじゃないですよ、那智さんにとってです)
もー、これほどに強い存在はないだろう!!
犬やネコ、文鳥から明太子までライバルのわたしにとって『孫』は同じ人間なのだから、当然ライバルであるわけです。
どーするのよ、りん子。
あなたが束になってかかっても勝てる相手じゃない。
ああ、きっとわたしに見せたことのないような笑顔になっているに違いない。
くううう。
なんという強敵。
いや、そもそも孫と『女』は別カテゴリだ。
わかっている、そんなことわかっている。
でも、ご存知の通り、わたしは『そこ』も求めているのだもの。
ああ、ハイハイなんてしだしてペタペタ那智さんのもとに来たりしたらたまらないだろうな〜〜〜〜。
片言のおしゃべりで『じいじ』なんて言い出したら、もう打つ手なしよ。
はあ。
いや、おめでたいこと、おめでたいこと。
那智さん、おめでとうございます!!!
はあ、でも、孫、かあ…。
<関連エントリー>
ライバルはクラリス
続ライバルはクラリス
今日のクラリス
「多分…」
「等式」まご、感想です。最近、有線テレビに加入しました。昔見たテレビや映画をたくさん見ると、感動の大小と、感動のポイントが違うのです。子供、大人、親、祖父、それぞれの立場で同じ映画を見ると感慨深いと思いました。
那智さんにお孫さんが誕生した。
おめでたい、うん、命の誕生は掛け値なしに祝福である。
でも、はああ、でも、『孫』だ…。
犬やネコや文鳥じゃなくて、孫。
(犬たちが大事じゃないと言っているわけじゃないですよ、那智さんにとってです)
もー、これほどに強い存在はないだろう!!
犬やネコ、文鳥から明太子までライバルのわたしにとって『孫』は同じ人間なのだから、当然ライバルであるわけです。
どーするのよ、りん子。
あなたが束になってかかっても勝てる相手じゃない。
ああ、きっとわたしに見せたことのないような笑顔になっているに違いない。
くううう。
なんという強敵。
いや、そもそも孫と『女』は別カテゴリだ。
わかっている、そんなことわかっている。
でも、ご存知の通り、わたしは『そこ』も求めているのだもの。
ああ、ハイハイなんてしだしてペタペタ那智さんのもとに来たりしたらたまらないだろうな〜〜〜〜。
片言のおしゃべりで『じいじ』なんて言い出したら、もう打つ手なしよ。
はあ。
いや、おめでたいこと、おめでたいこと。
那智さん、おめでとうございます!!!
はあ、でも、孫、かあ…。
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今日のクラリス
「多分…」
「等式」まご、感想です。最近、有線テレビに加入しました。昔見たテレビや映画をたくさん見ると、感動の大小と、感動のポイントが違うのです。子供、大人、親、祖父、それぞれの立場で同じ映画を見ると感慨深いと思いました。
我が子2
独り言
気づけば、長々書いてます(閲覧注意 笑)
我が子は怖がりな子だ。
まあ、わたしが相当な怖がりなので当然といえば当然なんだけど。
赤ちゃんのころ、アンパンマンが電池でカッタンカッタン転がるオモチャの『びーーん』と作動する音に泣き。
魚屋さんの大きなかけ声に泣いていた。
いないいないばーや『待て待て〜』と追いかける遊びも怖がってやりたがらなかった。
だから、公園につれていっても同世代の子たちと追いかけっこなんてしないで、ひたすら流れる水を眺めていたり、ままごとセットで『お茶のみ屋さん』を開き静かにコーヒーを飲む(ふり)をして遊んでいた。
以前のエントリーで、それを『変わっている』という視点で書いたけど、別の視点から見たら、おそらく、我が子は怖かったのだろうとも思う。
それでも公園に行きたがらないわけではなかったので、気晴らしに出かけていっていたけど、やはり同じくらいか、ましてや、もっと小さい子でさえ追いかけっこしている中黙々と静かに遊んでいる我が子を見ると、ちょっとやるせないような不甲斐ないような気持ちになることもあった。
だけど、わたしはその我が子をずっと肯定した。
別に一緒に走り回らなくてもいい。
穏やかに遊んでいるんだもの。
ひとりの子が遊具の上から飛び降りると、次々みんなマネして飛び降りはじめる。
そのうちジャンプする列ができる。
我が子もつられて後ろに並び、いざ順番が来ると飛べずにわたしを呼ぶ。
そこにいた子全員飛べていても、それでもかまわなかった。
わたしが我が子のところまで行き、手を取って『せーの』でジャンプさせた。
いまできなくても、いつかできるようになる。
そう自分に言い聞かせてきた。
そりゃあ、大人になればこんな段差飛べるようになるのは当然のことだとわかっていても、目の前で次々同じくらいの子ができている中で『いつかできるようになる』と明確に思うことは、すこし気合いがいる。
でも、理性で言い聞かせた。
いまできなくても、来年できるかもしれない、もしかしたら一週間後にはできるようになっているかもしれない。
たとえ、それが隣りにいる子と数ヶ月違ったとして、なんの意味があるだろう。
我が子の人生の中でたった数ヶ月、その数ヶ月なんて微々たるものだ。
それより、わたしは我が子に劣等感を持ってほしくなかった。
だから、一度も『他の子はできるのに』と他者と比べるようなことはしなかった。
『できるようになろう』とできないことを『ダメなこと』にしないようにした。
(あ、でも自転車乗りたいとか本人ができるようになりたいと思ったことは『できるようになろう』って一緒に練習付き合ったよ)
それよりあなたが生まれてきただけで、世界は充分の『祝福』に包まれていると思ってほしかった(これはちょっと大げさだけど、まじめにそう思ってる)
さらに、言葉も遅かったし偏食もひどかった。
でも、どれも『いつか』と思って他者と比べたり、ダメだというレッテルを貼ることはしないようにした。
いつかしゃべれるようになるし、大人になればいろいろ食べられるようになる。
それよりコミュニケーションは楽しくて、ご飯はほがらかにいただくほうが美味しいことを知ってほしかった。
余談だけど、実家に連れていったとき、母はハイハイして動き回る我が子のあとを追いかけながら離乳食を食べさせていた。
これ、躾け的にはアウトなのだと思うけど、その様子を見て、わたしなりの『食事の大切なことの優先順位』を決めたんだ。
一番優先することは『生きるための栄養を摂ること』だよね。
そのためには食べてもらわないといけない、ゆえに、『食べることを嫌いにならないでほしい』。
マナーや躾けは、その次に来るものに位置付けしたの。
(もちろん、最低限のマナーは教えるよ!!)
でも、別に我が子はちゃんと座って食べる子に成長しているよ^^
とにかく、とくに小さいころは、我が子の弱いところ遅いところ他者と比べたとしたら劣るところを全部肯定していくように努めた。
「なんでできないの」「他の子はできるのに」って言いたくなる瞬間がないわけではなかったけど、こらえた。
相対ではなく絶対の価値基準で。
それが正しい子育てかどうかはわからない。
『ダメじゃん』ってお尻を叩いたほうが根性のある子になったかもしれない。
『大丈夫飛べるよ』と励まし、飛べるようにさせたほうが頑張り屋さんになったかもしれない。
でも、きっと人を最後に踏ん張らせるものは『自己肯定感』だと、わたしは信じている。
だから、我が子は根性はないかもしれないけど、たぶん自己肯定感の強味は持っているはずだ。
この思いを後押ししてくれたのが、ある先生の言葉だった。
我が子は小学生のとき、夜になると蕁麻疹が出ることが続いたので漢方の先生に診てもらったら「お子さんは虚弱体質だ」という。
虚弱体質というのは病気がちとか体が弱いという意味ではなく、年齢に対して体力が追いついていないことをいうらしい。
「だから、お子さん、怖がりでしょ?」と。
怖がりなことは、その体力が追いついていないことに対する自衛なんだそうだ。
自分の体力にそぐわない状況から身を守る術だったんだ。
はじめて会った先生に言い当てられ、それが我が子なりの自衛策だと聞き、なんだかわたしはうれしくなってしまった。
そうか、自分を守っていたんだね。
いまはたまたま学校などのことで体力を使ってしまっているから、疲れて蕁麻疹が出ているだけで、大丈夫、体力が追いついてきたら出なくなるから
たしかに、その時期学校で新しいことをはじめたり、環境が変わったりが重なっていた。
いままで漠然と『いつかできるようになる』と信じ肯定してきたことが間違いではなかったのだと思えて、安堵して記憶がある。
実際、蕁麻疹はほどなく出なくなった。
そして、いつの間にか、そんな段差は飛べるようになったし、それなりにいろいろ食べられるようになった。
(あ、でも、だからといってものすごくスポーツができるとか、そういう体力は相変わらずない^^;生きていく上で最低限な体力 笑)
さて、そんな我が子は自分で選んだ進路に進み出している。
それで食べていかれるかはわからないけど、制服姿最後の日に『ああ、この姿に「いってらっしゃい」するのは最後か〜』と思ったら、なかなか感慨深いものがあったな。
子育てに正解はひとつじゃないけど、こんな育て方もあるよっていうお話でした^^
<関連エントリー>
我が子
気づけば、長々書いてます(閲覧注意 笑)
我が子は怖がりな子だ。
まあ、わたしが相当な怖がりなので当然といえば当然なんだけど。
赤ちゃんのころ、アンパンマンが電池でカッタンカッタン転がるオモチャの『びーーん』と作動する音に泣き。
魚屋さんの大きなかけ声に泣いていた。
いないいないばーや『待て待て〜』と追いかける遊びも怖がってやりたがらなかった。
だから、公園につれていっても同世代の子たちと追いかけっこなんてしないで、ひたすら流れる水を眺めていたり、ままごとセットで『お茶のみ屋さん』を開き静かにコーヒーを飲む(ふり)をして遊んでいた。
以前のエントリーで、それを『変わっている』という視点で書いたけど、別の視点から見たら、おそらく、我が子は怖かったのだろうとも思う。
それでも公園に行きたがらないわけではなかったので、気晴らしに出かけていっていたけど、やはり同じくらいか、ましてや、もっと小さい子でさえ追いかけっこしている中黙々と静かに遊んでいる我が子を見ると、ちょっとやるせないような不甲斐ないような気持ちになることもあった。
だけど、わたしはその我が子をずっと肯定した。
別に一緒に走り回らなくてもいい。
穏やかに遊んでいるんだもの。
ひとりの子が遊具の上から飛び降りると、次々みんなマネして飛び降りはじめる。
そのうちジャンプする列ができる。
我が子もつられて後ろに並び、いざ順番が来ると飛べずにわたしを呼ぶ。
そこにいた子全員飛べていても、それでもかまわなかった。
わたしが我が子のところまで行き、手を取って『せーの』でジャンプさせた。
いまできなくても、いつかできるようになる。
そう自分に言い聞かせてきた。
そりゃあ、大人になればこんな段差飛べるようになるのは当然のことだとわかっていても、目の前で次々同じくらいの子ができている中で『いつかできるようになる』と明確に思うことは、すこし気合いがいる。
でも、理性で言い聞かせた。
いまできなくても、来年できるかもしれない、もしかしたら一週間後にはできるようになっているかもしれない。
たとえ、それが隣りにいる子と数ヶ月違ったとして、なんの意味があるだろう。
我が子の人生の中でたった数ヶ月、その数ヶ月なんて微々たるものだ。
それより、わたしは我が子に劣等感を持ってほしくなかった。
だから、一度も『他の子はできるのに』と他者と比べるようなことはしなかった。
『できるようになろう』とできないことを『ダメなこと』にしないようにした。
(あ、でも自転車乗りたいとか本人ができるようになりたいと思ったことは『できるようになろう』って一緒に練習付き合ったよ)
それよりあなたが生まれてきただけで、世界は充分の『祝福』に包まれていると思ってほしかった(これはちょっと大げさだけど、まじめにそう思ってる)
さらに、言葉も遅かったし偏食もひどかった。
でも、どれも『いつか』と思って他者と比べたり、ダメだというレッテルを貼ることはしないようにした。
いつかしゃべれるようになるし、大人になればいろいろ食べられるようになる。
それよりコミュニケーションは楽しくて、ご飯はほがらかにいただくほうが美味しいことを知ってほしかった。
余談だけど、実家に連れていったとき、母はハイハイして動き回る我が子のあとを追いかけながら離乳食を食べさせていた。
これ、躾け的にはアウトなのだと思うけど、その様子を見て、わたしなりの『食事の大切なことの優先順位』を決めたんだ。
一番優先することは『生きるための栄養を摂ること』だよね。
そのためには食べてもらわないといけない、ゆえに、『食べることを嫌いにならないでほしい』。
マナーや躾けは、その次に来るものに位置付けしたの。
(もちろん、最低限のマナーは教えるよ!!)
でも、別に我が子はちゃんと座って食べる子に成長しているよ^^
とにかく、とくに小さいころは、我が子の弱いところ遅いところ他者と比べたとしたら劣るところを全部肯定していくように努めた。
「なんでできないの」「他の子はできるのに」って言いたくなる瞬間がないわけではなかったけど、こらえた。
相対ではなく絶対の価値基準で。
それが正しい子育てかどうかはわからない。
『ダメじゃん』ってお尻を叩いたほうが根性のある子になったかもしれない。
『大丈夫飛べるよ』と励まし、飛べるようにさせたほうが頑張り屋さんになったかもしれない。
でも、きっと人を最後に踏ん張らせるものは『自己肯定感』だと、わたしは信じている。
だから、我が子は根性はないかもしれないけど、たぶん自己肯定感の強味は持っているはずだ。
この思いを後押ししてくれたのが、ある先生の言葉だった。
我が子は小学生のとき、夜になると蕁麻疹が出ることが続いたので漢方の先生に診てもらったら「お子さんは虚弱体質だ」という。
虚弱体質というのは病気がちとか体が弱いという意味ではなく、年齢に対して体力が追いついていないことをいうらしい。
「だから、お子さん、怖がりでしょ?」と。
怖がりなことは、その体力が追いついていないことに対する自衛なんだそうだ。
自分の体力にそぐわない状況から身を守る術だったんだ。
はじめて会った先生に言い当てられ、それが我が子なりの自衛策だと聞き、なんだかわたしはうれしくなってしまった。
そうか、自分を守っていたんだね。
いまはたまたま学校などのことで体力を使ってしまっているから、疲れて蕁麻疹が出ているだけで、大丈夫、体力が追いついてきたら出なくなるから
たしかに、その時期学校で新しいことをはじめたり、環境が変わったりが重なっていた。
いままで漠然と『いつかできるようになる』と信じ肯定してきたことが間違いではなかったのだと思えて、安堵して記憶がある。
実際、蕁麻疹はほどなく出なくなった。
そして、いつの間にか、そんな段差は飛べるようになったし、それなりにいろいろ食べられるようになった。
(あ、でも、だからといってものすごくスポーツができるとか、そういう体力は相変わらずない^^;生きていく上で最低限な体力 笑)
さて、そんな我が子は自分で選んだ進路に進み出している。
それで食べていかれるかはわからないけど、制服姿最後の日に『ああ、この姿に「いってらっしゃい」するのは最後か〜』と思ったら、なかなか感慨深いものがあったな。
子育てに正解はひとつじゃないけど、こんな育て方もあるよっていうお話でした^^
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我が子
やってみたいこと
140字もどき
はじめて会うS男性に「裸になりなさい」って命令されて、「はーい」とさくっと裸になってみたい。
さらに「身体検査をします」なんて言われて足を広げて、「あ、ちょっとくすぐったい(笑)」って普通の反応してみたい。
裸になる=恥じらうのお決まりを壊したい(笑)
でも、ちゃんと命令に従うのだから、ダメじゃないよね?
SMの空間で『普通』の反応をしてみたい^^
と、できるかどうか、やるかどうかは置いといて、時々そんなこと考えちゃう^^;
さて。
あなたのやりたいことはなんですか?
週末まとめ読みのみなさん。
まだ迷っているみなさん。
まだ後でいいや~と思っているみなさん。
あっというまに締め切り日がきてしまうなんてことになりかねません。
どうぞ、『オフ会募集』の申し込みフォームをクリックしてね。
まだ必須人数には達していませんが、ポツポツご応募いただいてきています。
モカちゃんなどお会いしたことがある方はもちろんですが、文字だけの『会うのはじめて』の方も徐々に手を挙げてくださってきています。
だから、はじめましての人も勇気を出そう!!
まだ少なめですが、男性もぽつりと^^
なので、男性も遠慮なく^^
どれだけ需要があるかわからないけど(笑)写真集も披露しますよ!!
オフ会参加がやってみたいことのひとつだったら、ぜひジャンプしてみてくださいね。
ということで、引き続き、お待ちしていま~す^^
申し込みしたけど現時点(3/4 21:00)でお返事がまだ来てない方、再送してみてね!
写真集『NUDE』より 客寄せ(笑)
<関連エントリー>
NUDE1 2 3 4 5 6 7 8 9
(衝撃の事実!!『NUDE』は9まであるかと思っていたら8がなかった!!連載で7までで、次が飛んで9だったみたい^^;)
(うそ、8ありました^^;)
「等式」感想です。参加申し込みしていただきました方、ありがとうございます。強調したいのは「最初で最後」のオフ会なります。今度の機会はありませんのでご理解下さいね。参加資格がある方、是非ご応募お待ちしております。
はじめて会うS男性に「裸になりなさい」って命令されて、「はーい」とさくっと裸になってみたい。
さらに「身体検査をします」なんて言われて足を広げて、「あ、ちょっとくすぐったい(笑)」って普通の反応してみたい。
裸になる=恥じらうのお決まりを壊したい(笑)
でも、ちゃんと命令に従うのだから、ダメじゃないよね?
SMの空間で『普通』の反応をしてみたい^^
と、できるかどうか、やるかどうかは置いといて、時々そんなこと考えちゃう^^;
さて。
あなたのやりたいことはなんですか?
週末まとめ読みのみなさん。
まだ迷っているみなさん。
まだ後でいいや~と思っているみなさん。
あっというまに締め切り日がきてしまうなんてことになりかねません。
どうぞ、『オフ会募集』の申し込みフォームをクリックしてね。
まだ必須人数には達していませんが、ポツポツご応募いただいてきています。
モカちゃんなどお会いしたことがある方はもちろんですが、文字だけの『会うのはじめて』の方も徐々に手を挙げてくださってきています。
だから、はじめましての人も勇気を出そう!!
まだ少なめですが、男性もぽつりと^^
なので、男性も遠慮なく^^
どれだけ需要があるかわからないけど(笑)写真集も披露しますよ!!
オフ会参加がやってみたいことのひとつだったら、ぜひジャンプしてみてくださいね。
ということで、引き続き、お待ちしていま~す^^
申し込みしたけど現時点(3/4 21:00)でお返事がまだ来てない方、再送してみてね!
写真集『NUDE』より 客寄せ(笑)
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NUDE1 2 3 4 5 6 7 8 9
(衝撃の事実!!『NUDE』は9まであるかと思っていたら8がなかった!!連載で7までで、次が飛んで9だったみたい^^;)
(うそ、8ありました^^;)
「等式」感想です。参加申し込みしていただきました方、ありがとうございます。強調したいのは「最初で最後」のオフ会なります。今度の機会はありませんのでご理解下さいね。参加資格がある方、是非ご応募お待ちしております。
我が子に対して心がけていたこと
りん子的独り言(エラそう)
我が子話が続いていますが…^^;
我が子を肯定していたいと努めていたわたしだけど、もうひとつ心がけていたことがあった。
それは我が子の前で悪口(のようなもの)いわないということ。
もともとあまり噂話で盛り上がったりが苦手なのでしないほうだけど、我が子の前では努めてしないようにしていた。
とくに夫と先生について。
誰でも夫や学校の先生に対して不満に思うことはあるよね。
それを吐き出すだけで気分が晴れたり、なんとか現状でやっていこうと思えたりするともあるだろう。
中には愚痴ることで連帯感を感じて安堵したり、ついついノッて面白おかしく旦那さんのことをいじってネタにしてしまうこともあるよね。
幼稚園や学校の情報通みたいなポジションの人があれこれ話題提供することもある。
公園や家に母子で集まると、幼稚園や先生の噂話や夫の愚痴やいじりで盛り上がる。
まだ小さいからわからないとか遊びに夢中で聞こえていないとか、そうも思わなかった。
案外、子どもはそういうの察知するものだと思う。
まあ、わたしだって愚痴ることはないことはないよ。
我が子が幼稚園のころ、お呼ばれしたお宅で我が子たちを遊ばせながら、ママたちの愚痴や噂話にニコニコ流して聞きながら、わたしもここに混ざってしまえたらラクだろうな~、空気読んで一回くらい愚痴いっておいたほうがいいかな~なんて思わなくもなかったけど、基本我慢した。
せめて、我が子の前では基本的にはしないようにしていた。
なぜなら。
小さい子どもにとって『母親(的立場)』の人のいうことは影響が絶大だから、母親が白といえば、白く見えてくるものだ。
だから、母親が夫のことを悪くいえば、自然と子どももお父さんが好きになりにくくなる、母親が夫をネタにいじれば、自然と子どもはお父さんをバカにするようになる。
先生にダメ出しの噂話をすれば、学校で『席に座りなさい』といわれても、座らなくていいような気がしてきてしまうだろう。
もちろん、夫との間で問題があれば解決しないといけないし、先生に改善してほしい点があれば要求するべきだけど、子どもにとってお父さんは好きで、先生はバカにしない対象であったほうが幸福だろう。
そして、母親にとっても、子どもがお父さんが好きなほうが育児の負担分散できるし、先生のいうことは(ある程度)聞いてくれるほうが安心なわけだから、得策なのだ。
子どもがお父さんを好きでいれば、安心して預けられるし(笑)
子どもとお父さんの関係が良好であることはは夫婦仲にも影響する。
夫婦仲が悪くないことは、子どもにとっても良好な環境である。
得策なのだ。
だから、わたしはどうしても愚痴りたいときは我が子が寝ているときに、信頼できる友人ひとりにサクッと電話で愚痴ってた(そして、那智さんに相談していた 笑)
くり返しますが、イヤな思いをさせられている身内や相手に対して我慢しろということではないですよ。
被害に遭っていたら、それは解決しないといけません。
子育て中に心がけていたことのひとつでした^^
我が子話が続いていますが…^^;
我が子を肯定していたいと努めていたわたしだけど、もうひとつ心がけていたことがあった。
それは我が子の前で悪口(のようなもの)いわないということ。
もともとあまり噂話で盛り上がったりが苦手なのでしないほうだけど、我が子の前では努めてしないようにしていた。
とくに夫と先生について。
誰でも夫や学校の先生に対して不満に思うことはあるよね。
それを吐き出すだけで気分が晴れたり、なんとか現状でやっていこうと思えたりするともあるだろう。
中には愚痴ることで連帯感を感じて安堵したり、ついついノッて面白おかしく旦那さんのことをいじってネタにしてしまうこともあるよね。
幼稚園や学校の情報通みたいなポジションの人があれこれ話題提供することもある。
公園や家に母子で集まると、幼稚園や先生の噂話や夫の愚痴やいじりで盛り上がる。
まだ小さいからわからないとか遊びに夢中で聞こえていないとか、そうも思わなかった。
案外、子どもはそういうの察知するものだと思う。
まあ、わたしだって愚痴ることはないことはないよ。
我が子が幼稚園のころ、お呼ばれしたお宅で我が子たちを遊ばせながら、ママたちの愚痴や噂話にニコニコ流して聞きながら、わたしもここに混ざってしまえたらラクだろうな~、空気読んで一回くらい愚痴いっておいたほうがいいかな~なんて思わなくもなかったけど、基本我慢した。
せめて、我が子の前では基本的にはしないようにしていた。
なぜなら。
小さい子どもにとって『母親(的立場)』の人のいうことは影響が絶大だから、母親が白といえば、白く見えてくるものだ。
だから、母親が夫のことを悪くいえば、自然と子どももお父さんが好きになりにくくなる、母親が夫をネタにいじれば、自然と子どもはお父さんをバカにするようになる。
先生にダメ出しの噂話をすれば、学校で『席に座りなさい』といわれても、座らなくていいような気がしてきてしまうだろう。
もちろん、夫との間で問題があれば解決しないといけないし、先生に改善してほしい点があれば要求するべきだけど、子どもにとってお父さんは好きで、先生はバカにしない対象であったほうが幸福だろう。
そして、母親にとっても、子どもがお父さんが好きなほうが育児の負担分散できるし、先生のいうことは(ある程度)聞いてくれるほうが安心なわけだから、得策なのだ。
子どもがお父さんを好きでいれば、安心して預けられるし(笑)
子どもとお父さんの関係が良好であることはは夫婦仲にも影響する。
夫婦仲が悪くないことは、子どもにとっても良好な環境である。
得策なのだ。
だから、わたしはどうしても愚痴りたいときは我が子が寝ているときに、信頼できる友人ひとりにサクッと電話で愚痴ってた(そして、那智さんに相談していた 笑)
くり返しますが、イヤな思いをさせられている身内や相手に対して我慢しろということではないですよ。
被害に遭っていたら、それは解決しないといけません。
子育て中に心がけていたことのひとつでした^^
葛藤
独特な幸福感
那智さんと音声でつながっていることはしあわせ。
話が盛り上がることもあるし、カチカチお仕事している中で上の空の合相づちだけもあるけど、どれもしあわせ。
でも、まあ、お仕事中なので、適切なタイミングでおしまいになる。
たいがい「じゃ〜ね〜」といって那智さんが切るのだ。
もうこれはずっと、これ。
那智さんの手が空かずに「切って」といわれる以外は、わたしからは切らない。
上下の礼儀という美しいものもあるけど、わたしの手で『切る』ことがイヤなのだ。
那智さんからのなんでもかんでも受け取っていたいわたしにとって自ら『切る』なんてもったいなさすぎるってこと。
で、余談なんだけど(笑)
「じゃ〜ね〜」で「はい」と返事をすると「ん」って小さくうなずく声を出してくれるの。
これ、那智さん、無意識。
好きなんだ〜^^
ある日のこと。
「じゃ〜ね〜」でおしまいになってから、しばらくそのままだった。
来客がありなにか話している。
時々、わざと切らないでわたしに聞かせてくれることがあるから、このときも来客があるからお話しはおしまいの『じゃ〜ね〜』だったのかしらと、聞かせてくれる気持ちに甘えておこうと思って、つながっているしあわせを感じていた。
来客はすぐ帰った。
まだなにかゴソゴソしている。
しばらくして
なに、ストーカーしてるんだよ(笑)
と。
ああ、わざと切らなかったわけではないのですね。
切れてなかっただけだったということだった。
聞かせてくれていたのかと思ってました^^;
とストーカー状態を弁解するけど、こういうときは、かなり無下に『ぶち』っと切られるのだ(ひそかに萌え 笑)
べつに切れていなかったものを聞き続けていたとしてもお咎めがあるわけではない。
むしろ、きっと心の中では『ストーカーできてよかったね』くらいに思ってくれているはずだ。
でも、なんとなく人として正しくないことのような気がしてしまう。
那智さんの意思で切らないでいてくれるならかまわないのだけど、こっそり聞いていることは、やっぱりすこしためらう。
だから、このときもぜんぜん問題ない感じではあったけど、ストーカーしようと思っていたわけではないと、必死になってしまった。
別の日。
同じように朝のお電話タイムも終了に近づく。
今日は忙しい
と宣言されていた。
今日は一緒に仕事している人がお休みということだから、つながっていやすいのだけど、忙しいらしいので、始業時間を目処に終了ということだった。
大事なことをいくつか相談して、なんともない話題で盛り上がってきたころ、始業時間になった。
名残惜しい感じもするけど、お忙しいのであればしかたない。
あとは那智さんのタイミングで「じゃ〜ね〜」を待つばかり。
始業時間を数分すぎたころ。
じゃあ、おしまいだな
はい〜
今日は◯◯だったよな
はい
いくつか業務確認をして
じゃ〜ね〜
はーい
…
切れるの待つ。
…(カチカチカチ)
あ、パソコンはじめた。
あれ?スマホの『切る』をするための沈黙ではなかったの?
しばらく待つ。
…(カチカチカチ)
やっぱりお仕事はじめてる。
もしかして、切ったつもり!?
はうう。
切れるはずが、ラッキーのつながり放題!?
いかん、これではストーカーになってしまう。
那智さ〜ん
いちおう呼んでみる。
…(カチカチカチ)
聞こえてない。
ってことはイヤフォンマイク外している。
ってことは、完全に『切った』ことになっている。
那智さん〜、切れていませんよ〜
…(カチカチカチ)
気づかない。
はああああ。
このままでいたい!!
きっとスマホは胸のポケットかパソコン横だ(気づいていないのでポケットが有力)
今日の『カチカチカチ』は静か。
穏やかに打っているみたい。
ああ、この静かな『カチカチカチ』が那智さん擬人化(笑)
『カチカチカチ』に包まれながら、つながっていたい!!
でも、ダメ。
盗み聞きは正しくない。
那智さんは許してくれるとしても、正しくない。
文字で『切れてませんよ』と伝えようか。
でも、それだとせっかくお仕事はじめたのに手を止めさせてしまう。
切る?
切るよね、りん子。
ああ、でも、この静かな『カチカチカチ』を自ら断つなんて、できない!!
でも、人として〜〜〜。
スマホの丸い受話器アイコンに指を近づけ、悶絶。
行ったり来たりを二往復ほど。
ええええ〜い!!
断腸の思いで切った。
3分間くらいのストーカーで済ませた(笑)
がんばった、わたし、エラい!!
那智さんは知らない、わたしの葛藤(笑)
「等式」「葛藤」感想です。ストーカー構わないのですけれどね。トイレの中でどんな状況でもりん子と会話を止めない私としては。聞いているりん子が恥ずかしがっていますが。(笑)
那智さんと音声でつながっていることはしあわせ。
話が盛り上がることもあるし、カチカチお仕事している中で上の空の合相づちだけもあるけど、どれもしあわせ。
でも、まあ、お仕事中なので、適切なタイミングでおしまいになる。
たいがい「じゃ〜ね〜」といって那智さんが切るのだ。
もうこれはずっと、これ。
那智さんの手が空かずに「切って」といわれる以外は、わたしからは切らない。
上下の礼儀という美しいものもあるけど、わたしの手で『切る』ことがイヤなのだ。
那智さんからのなんでもかんでも受け取っていたいわたしにとって自ら『切る』なんてもったいなさすぎるってこと。
で、余談なんだけど(笑)
「じゃ〜ね〜」で「はい」と返事をすると「ん」って小さくうなずく声を出してくれるの。
これ、那智さん、無意識。
好きなんだ〜^^
ある日のこと。
「じゃ〜ね〜」でおしまいになってから、しばらくそのままだった。
来客がありなにか話している。
時々、わざと切らないでわたしに聞かせてくれることがあるから、このときも来客があるからお話しはおしまいの『じゃ〜ね〜』だったのかしらと、聞かせてくれる気持ちに甘えておこうと思って、つながっているしあわせを感じていた。
来客はすぐ帰った。
まだなにかゴソゴソしている。
しばらくして
なに、ストーカーしてるんだよ(笑)
と。
ああ、わざと切らなかったわけではないのですね。
切れてなかっただけだったということだった。
聞かせてくれていたのかと思ってました^^;
とストーカー状態を弁解するけど、こういうときは、かなり無下に『ぶち』っと切られるのだ(ひそかに萌え 笑)
べつに切れていなかったものを聞き続けていたとしてもお咎めがあるわけではない。
むしろ、きっと心の中では『ストーカーできてよかったね』くらいに思ってくれているはずだ。
でも、なんとなく人として正しくないことのような気がしてしまう。
那智さんの意思で切らないでいてくれるならかまわないのだけど、こっそり聞いていることは、やっぱりすこしためらう。
だから、このときもぜんぜん問題ない感じではあったけど、ストーカーしようと思っていたわけではないと、必死になってしまった。
別の日。
同じように朝のお電話タイムも終了に近づく。
今日は忙しい
と宣言されていた。
今日は一緒に仕事している人がお休みということだから、つながっていやすいのだけど、忙しいらしいので、始業時間を目処に終了ということだった。
大事なことをいくつか相談して、なんともない話題で盛り上がってきたころ、始業時間になった。
名残惜しい感じもするけど、お忙しいのであればしかたない。
あとは那智さんのタイミングで「じゃ〜ね〜」を待つばかり。
始業時間を数分すぎたころ。
じゃあ、おしまいだな
はい〜
今日は◯◯だったよな
はい
いくつか業務確認をして
じゃ〜ね〜
はーい
…
切れるの待つ。
…(カチカチカチ)
あ、パソコンはじめた。
あれ?スマホの『切る』をするための沈黙ではなかったの?
しばらく待つ。
…(カチカチカチ)
やっぱりお仕事はじめてる。
もしかして、切ったつもり!?
はうう。
切れるはずが、ラッキーのつながり放題!?
いかん、これではストーカーになってしまう。
那智さ〜ん
いちおう呼んでみる。
…(カチカチカチ)
聞こえてない。
ってことはイヤフォンマイク外している。
ってことは、完全に『切った』ことになっている。
那智さん〜、切れていませんよ〜
…(カチカチカチ)
気づかない。
はああああ。
このままでいたい!!
きっとスマホは胸のポケットかパソコン横だ(気づいていないのでポケットが有力)
今日の『カチカチカチ』は静か。
穏やかに打っているみたい。
ああ、この静かな『カチカチカチ』が那智さん擬人化(笑)
『カチカチカチ』に包まれながら、つながっていたい!!
でも、ダメ。
盗み聞きは正しくない。
那智さんは許してくれるとしても、正しくない。
文字で『切れてませんよ』と伝えようか。
でも、それだとせっかくお仕事はじめたのに手を止めさせてしまう。
切る?
切るよね、りん子。
ああ、でも、この静かな『カチカチカチ』を自ら断つなんて、できない!!
でも、人として〜〜〜。
スマホの丸い受話器アイコンに指を近づけ、悶絶。
行ったり来たりを二往復ほど。
ええええ〜い!!
断腸の思いで切った。
3分間くらいのストーカーで済ませた(笑)
がんばった、わたし、エラい!!
那智さんは知らない、わたしの葛藤(笑)
「等式」「葛藤」感想です。ストーカー構わないのですけれどね。トイレの中でどんな状況でもりん子と会話を止めない私としては。聞いているりん子が恥ずかしがっていますが。(笑)