怒らない私
独特な幸福感
そんな小さなツッコミ満載だったk君。(前の記事に登場してるk君です、そちらからお読みいただいたら面白いかも)
でも、基本的に純粋な人だったので、それなりに仲良く続いていた。
ただ私はその当時から「負の感情」を伝えるのが苦手だったから、それらのツッコミも突っ込むことなくニコニコと過ごしていた。
良く言えば純粋、悪く言えば子供っぽいk君。
ニコニコだけしてる私に増長するのにそれほど時間はかからなかった。
最初は車で送り迎えしていたk君だけど(2回くらいかな?)「大変だから、いいよ」という私に、k君の最寄り駅までとなり、仕舞にはk君の家集合でk君の家でバイバイなんて状態に、すぐになった。
私が「いいよ」と言っているのだから、不平をいう筋合いではないけど、なんだか「大切にされていないな」と感じていた。(これも、今思えばかな、当時はそれでもいいと言い聞かせてたかも)
k君は、りん子は怒らないと無意識に思っていたのではないかしら。
小さなツッコミや私から申し出た「譲歩」を額面通り受け取ることは仕方ないとしても、そうじゃない場合でも私に傷つく感情があるということを考えなくなる「麻痺状態」になっていたと思う。
ある日、k君を含む数人で飲んだ。
その席で「明日、遊びにおいで」と言われた。
k君たち男性陣は梯子してたけど、私たち女性陣は先に帰った。
家の遠い友達を家に泊め、でも、翌日k君と待ち合わせをしてるからその子には朝早く帰ってもらった。
k君の家に行っても、鍵が掛かっていていない。
携帯のない時代。
そこで待つしかない。
家の前でただ待つのは不審者みたいでいたたまれないから、「公園にいます」とドアにメモを挟んで公園で待った。
昼間の公園は、赤ちゃんを連れたお母さんやお年寄りのかたで賑わっていて、若い女性がポツンとするのは似合わなくてそれも居心地悪い。
もしかして、もう帰っていてメモを見落としてるかもしれないと、公園とk君ちを何往復もした。
そんなことを6時間。
諦めて帰る。
きっと飲み過ぎて友達の家に泊まって二日酔いで死んでるのだろう。
ポカリと「体調は大丈夫?」とメモを残して帰った。
結局、やはり友達の家に泊まって、「りん子と約束してるからと言って帰るのは、情けない」からと約束を覚えていて帰らなかったそうだ。
k君から「ごめん」という言葉は最後まで聞けなかった。
男の沽券?
男の前に人でしょ?
私なら約束を破ってもかまわないの?
(それなら6時間も待つなと、ツッコミたくなりますよね!?すみません^^;)
でも、怒ることなく、なぜか私は笑って許した。
私は最近、私のある感情に気付いた。
それは「怒れない」じゃなくて「怒る感情が湧きにくい」のではないか。
なぜそう気付いたか、なぜそうなのか、それはもう少し先に書きます。
もうしばらく「怒らない私」の話にお付き合いくださいませ。
k君とは、一年半ほど付き合って別れた。
ある日突然私はk君が好きじゃなくなってしまったのだ。
なぜ好きだったのかもわからないくらいに。
それの後を追うように、私は一人の男性に恋をする。
そこでも私は「怒らない」のだった。
面白恋愛話を楽しみにしていらしたかた、ごめんなさい。
またまた「こってり話」に突入です^^
そんな小さなツッコミ満載だったk君。(前の記事に登場してるk君です、そちらからお読みいただいたら面白いかも)
でも、基本的に純粋な人だったので、それなりに仲良く続いていた。
ただ私はその当時から「負の感情」を伝えるのが苦手だったから、それらのツッコミも突っ込むことなくニコニコと過ごしていた。
良く言えば純粋、悪く言えば子供っぽいk君。
ニコニコだけしてる私に増長するのにそれほど時間はかからなかった。
最初は車で送り迎えしていたk君だけど(2回くらいかな?)「大変だから、いいよ」という私に、k君の最寄り駅までとなり、仕舞にはk君の家集合でk君の家でバイバイなんて状態に、すぐになった。
私が「いいよ」と言っているのだから、不平をいう筋合いではないけど、なんだか「大切にされていないな」と感じていた。(これも、今思えばかな、当時はそれでもいいと言い聞かせてたかも)
k君は、りん子は怒らないと無意識に思っていたのではないかしら。
小さなツッコミや私から申し出た「譲歩」を額面通り受け取ることは仕方ないとしても、そうじゃない場合でも私に傷つく感情があるということを考えなくなる「麻痺状態」になっていたと思う。
ある日、k君を含む数人で飲んだ。
その席で「明日、遊びにおいで」と言われた。
k君たち男性陣は梯子してたけど、私たち女性陣は先に帰った。
家の遠い友達を家に泊め、でも、翌日k君と待ち合わせをしてるからその子には朝早く帰ってもらった。
k君の家に行っても、鍵が掛かっていていない。
携帯のない時代。
そこで待つしかない。
家の前でただ待つのは不審者みたいでいたたまれないから、「公園にいます」とドアにメモを挟んで公園で待った。
昼間の公園は、赤ちゃんを連れたお母さんやお年寄りのかたで賑わっていて、若い女性がポツンとするのは似合わなくてそれも居心地悪い。
もしかして、もう帰っていてメモを見落としてるかもしれないと、公園とk君ちを何往復もした。
そんなことを6時間。
諦めて帰る。
きっと飲み過ぎて友達の家に泊まって二日酔いで死んでるのだろう。
ポカリと「体調は大丈夫?」とメモを残して帰った。
結局、やはり友達の家に泊まって、「りん子と約束してるからと言って帰るのは、情けない」からと約束を覚えていて帰らなかったそうだ。
k君から「ごめん」という言葉は最後まで聞けなかった。
男の沽券?
男の前に人でしょ?
私なら約束を破ってもかまわないの?
(それなら6時間も待つなと、ツッコミたくなりますよね!?すみません^^;)
でも、怒ることなく、なぜか私は笑って許した。
私は最近、私のある感情に気付いた。
それは「怒れない」じゃなくて「怒る感情が湧きにくい」のではないか。
なぜそう気付いたか、なぜそうなのか、それはもう少し先に書きます。
もうしばらく「怒らない私」の話にお付き合いくださいませ。
k君とは、一年半ほど付き合って別れた。
ある日突然私はk君が好きじゃなくなってしまったのだ。
なぜ好きだったのかもわからないくらいに。
それの後を追うように、私は一人の男性に恋をする。
そこでも私は「怒らない」のだった。
面白恋愛話を楽しみにしていらしたかた、ごめんなさい。
またまた「こってり話」に突入です^^
怒らない私2
りん子的独り言(生意気)
過去の恋愛話を書くのは、あんまり良い趣味じゃないかなって思ってます。(面白話は楽しいけどね)
でも、書かせてね、不快に思いそうな方はスルーしてくださいね。
誰にでもあるような恋愛中の不幸な出来事。
それを特別なこととは思わないけど、「怒らない私」をお伝えするのに必要だと思っているので、書きます。
その部分だけを書くから酷い人に映るかもしれないけど、私だって迷惑かけたりしたこともあるので、その相手の人たちを責めるつもりもないです。
そして、悲惨さをアピールしようとも思ってないのです。
むしろ彼らには、巻き込んじゃってごめんねという気持ちです。
「それは普通怒るものだよね!?」(笑)という判断基準にしてもらえればと思ってます。
k君と別れて(かなり一方的にふった、この時すっきりしてるのよね、私)私は恋をした。
同じ会社の別の部署の4歳年上の人。
私の部署の女性と彼の部署の男性数人づつで仲良しグループができたのだ。
飲みに行ったりバーベキューをしたり。
高校を卒業してすぐ働き始めた私には、大学でいろんな遊びをして社会人になった彼らが「大人」に見えて、その人たちと遊ぶことが楽しくてしかたなかった。
その中の中心的な人物、Yさんに恋をしたのだ。
Yさんには大学から付き合っている彼女がいた。
でも、社会人になってからほとんど連絡を取っていない(Yさん曰くね)らしく、自然消滅状態。
じゃあ、私を好きになってもらおうと、私は猛アタックした。
可愛く、いい子で、面白い、付き合ったらお得ですよ〜とアピールしまくった。
(怒らない話なので、この辺端折ります。それはそれで面白い話かもしれないけど^^)
どんだけいい子アピールしたかという結果だけ言わせて…、最終的にYさんは冗談混じりで「『Y教』とかなんとか宗教でも作れるな、俺」と言ってた。私がとにかくなんでも「うん、凄い凄い」って言うから。(ああ、Yさん、ごめん、私その時心で「あっかんべー」してた)
そして、ほぼ彼女状態にまでなったけど、Yさんはずるずると彼女と別れずにいた。
「情が移って切り出せない」と言って。
そんな状態が半年続いたクリスマス。
日頃ほとんど会ってないとはいえ、彼女とはクリスマスには会う約束をした、そこで別れることに決めたのだ。
私は「彼女のようで彼女じゃない」状態がやっと終わることが嬉しかった。
晴れて彼女になって年を越し、2月初めに私は会社のスキー旅行、Yさんは友人とハワイ旅行にそれぞれ行くことになった。
一緒に旅行に行けなくて残念だったけど、それらはクリスマス以前に決まっていたことだったから、お互い別々に連休を過ごした。
私より先に出発して、私より一日早く帰国するから、スキーから帰って来たら迎えに来てくれると約束していた。
帰国した日の夜、スキー場から電話をした。
明日の約束の確認と久しぶりに声が聞きたいから。
その時のYさんの手に取るようなよそよそしさ、何かあったとすぐに感じた。
そして、「明日帰国する先輩を空港まで迎えに行くことになってしまったから、明日は迎えに行かれない」と断られた。
落胆した。
せっかく会えると思ったのに、それにYさんの砂を噛むような会話にいいようのない不安を感じた。
YさんはハワイでS子さんという女性に出会ったのだ。
S子さんは私たちと同じ会社の別の部署に勤める派遣社員。
この時期は連休が取りやすいから、海外旅行に出かける人が多いのだ。
偶然たまたま、YさんたちとS子さんたちがハワイに行っていたのだ。
はじめてのハワイ、そこで出会った綺麗なS子さん(確かに美人さん、私と全然タイプの違う大人っぽい人だった)、Yさんは熱病に掛かったようにS子さんに恋をしてしまったのだ。
そして、先輩を迎えに行くのは嘘で、S子さんを迎えに行っていたのだ。
なぜそれを私が知ったかというと、S子さんと同じ部署に私の同僚のいて、S子さんからその話を聞いたのだ。
Yさんは「彼女はいない」とS子さんに言っていたから、彼女としては「○○部のYさんって人がね、私を気に入ってね、私もいいなって思った」と素直な感想を私の友人に話したのだった。
友人は私が半年間待ってやっと彼女になれたのを知っていたから、迷ったけど本当のことを伝えてくれたのだ。
そんな男やめなって。
恐らく、私に教えた以外でもS子さんの口からYさんとのことは聞かされたいたのだろう。
ああ、やっぱりそうだったのか。
迎えの一件から始まって、帰国してからのYさんの掌を返したような態度の違い。
よそよそしく冷たく、私を避けるような態度。
そして、ハワイの写真を見せて思い出話をする時の、嬉々とした様子。
それは旅行の楽しさのせいではなかったんだと、私は崩れそうになった。
とても悩んだ。
やっと彼女になれたのに、一ヶ月ほどでこんなことになるなんて。
でも、黙っているわけにもいかない、だって明らかにYさんの態度が変なんだもの。
「最近なにか変じゃない?」
「う〜ん、ハワイの熱病かな〜?」
そんな風にはぐらかすYさん。
「私知ってるんだよ。」
私はそれだけ言った。
迎えに行ったことも、彼女はいないと言ってることも、何も責めずに。
驚いたYさんは「なぜ知ってるの!?」と聞く。
人伝に聞いたことを話した。
「両方好きで、困ってる。」
「私だけを好きになってもらえるようにするね。」
それを言うだけで、精一杯だった。
いまでも思い出せる。
この話をした車の中のこと。
泣きもせず、待ってるという私。
ただ悲しい、そして、足下がグラグラするような不安。
嘘を付かれたこと、裏切られたこと、それら対する怒りがない。
「私も奪ったんだものね」とか「Yさんも苦しんでるよね」とか思って、怒りを抑えるというより、どこかで怒りを諦めているようにさえ思えるほど、怒りの感情がないのだ。(いまはこれ書いてて頭に来てるけど!)
結果的にまた宙ぶらりんな状態が始まった。
その間も、話題としては満載。
Yさんの好きな歌手のコンサートのチケットを買って「一緒に行こう」と誘ったけど(好きになってもらおうと必死)、仕事で遅れるから先にに会場に入っててということだったので、一人で座席で待っていた。
コンサートが始まり、アンコールも終わり、それでもYさんは来ない。
私は大して好きでもない歌手のコンサートを一人でポツンと聞いていたのだ。
約束をしていた花火大会も仕事で遅れて、私は待ち合わせた喫茶店で花火の音だけ聞きながら待った。
Yさんが来たのは2時間後、花火の音が聞こえなくなってからだった。
一事が万事そんな具合で、本当に仕事かもしれないことも含めて、私はよく待たされ、それほど謝られなくてもニコニコしている、そんな状態。
「仕事だからしかたないよね」と、責めもしないし、寂しかったとも言わない。
ただ、遅刻などの時には、少し怒りの感情があるのだ。
それは当時もいまも自覚できる。
チリチリと胸を刺すような小さな怒りは感じている。
ただ、それは「抑えている」のだとわかる。(S子さんに直接関わることのほうに怒りが湧かないのは、不思議ね。心のなぞ、誰か解いて^^;)
怒りだけじゃなく、ずっと悲しいも抑えている。
一度だけ泣いたことがあった。
いままで休日はほとんど遊んでいたのに、S子さんのことが発覚してから全然休みが合わなくて(合わせなくてだよね)一ヶ月以上過ぎていた。
仲良かった頃、午前中から待ち合わせて夜までデートしていたのに、そのやっと合ったお休みの日は午後に待ち合わせて、そのままホテルに直行して夕方にホテルを出た。
そして、そのまま私を帰そうとしたのだ。
「たまにはこういうのもいいよな、ひさしぶりにりん子を抱いて満足って気分で別れるのも。」
少々遠慮気味に、でも清々した感じでいうYさんの言葉を聞いたら、涙が溢れてきてしまった。
さすがにYさんも気付いて、そこで帰されることはなくファミレスでお茶をした。
でも、悲しくて悲しくてしょうがなかった。
そして、実は先輩(また先輩!!)たちに呼ばれてるからと、お茶だけでやはり早めに帰された。
(これはずっとあとでわかるけど、S子さんと会ってたらしい。)
Yさんに対してはっきりと悲しいと表現した数少ない出来事。
「負の感情」、悲しいを表に出せず怒りが湧きにくい(らしい)私は、この恋愛を通してそれに拍車を掛けた。
いい子でいるしかできない、自覚しながら、その方法しかできない。
まだ続きます。
過去の恋愛話を書くのは、あんまり良い趣味じゃないかなって思ってます。(面白話は楽しいけどね)
でも、書かせてね、不快に思いそうな方はスルーしてくださいね。
誰にでもあるような恋愛中の不幸な出来事。
それを特別なこととは思わないけど、「怒らない私」をお伝えするのに必要だと思っているので、書きます。
その部分だけを書くから酷い人に映るかもしれないけど、私だって迷惑かけたりしたこともあるので、その相手の人たちを責めるつもりもないです。
そして、悲惨さをアピールしようとも思ってないのです。
むしろ彼らには、巻き込んじゃってごめんねという気持ちです。
「それは普通怒るものだよね!?」(笑)という判断基準にしてもらえればと思ってます。
k君と別れて(かなり一方的にふった、この時すっきりしてるのよね、私)私は恋をした。
同じ会社の別の部署の4歳年上の人。
私の部署の女性と彼の部署の男性数人づつで仲良しグループができたのだ。
飲みに行ったりバーベキューをしたり。
高校を卒業してすぐ働き始めた私には、大学でいろんな遊びをして社会人になった彼らが「大人」に見えて、その人たちと遊ぶことが楽しくてしかたなかった。
その中の中心的な人物、Yさんに恋をしたのだ。
Yさんには大学から付き合っている彼女がいた。
でも、社会人になってからほとんど連絡を取っていない(Yさん曰くね)らしく、自然消滅状態。
じゃあ、私を好きになってもらおうと、私は猛アタックした。
可愛く、いい子で、面白い、付き合ったらお得ですよ〜とアピールしまくった。
(怒らない話なので、この辺端折ります。それはそれで面白い話かもしれないけど^^)
どんだけいい子アピールしたかという結果だけ言わせて…、最終的にYさんは冗談混じりで「『Y教』とかなんとか宗教でも作れるな、俺」と言ってた。私がとにかくなんでも「うん、凄い凄い」って言うから。(ああ、Yさん、ごめん、私その時心で「あっかんべー」してた)
そして、ほぼ彼女状態にまでなったけど、Yさんはずるずると彼女と別れずにいた。
「情が移って切り出せない」と言って。
そんな状態が半年続いたクリスマス。
日頃ほとんど会ってないとはいえ、彼女とはクリスマスには会う約束をした、そこで別れることに決めたのだ。
私は「彼女のようで彼女じゃない」状態がやっと終わることが嬉しかった。
晴れて彼女になって年を越し、2月初めに私は会社のスキー旅行、Yさんは友人とハワイ旅行にそれぞれ行くことになった。
一緒に旅行に行けなくて残念だったけど、それらはクリスマス以前に決まっていたことだったから、お互い別々に連休を過ごした。
私より先に出発して、私より一日早く帰国するから、スキーから帰って来たら迎えに来てくれると約束していた。
帰国した日の夜、スキー場から電話をした。
明日の約束の確認と久しぶりに声が聞きたいから。
その時のYさんの手に取るようなよそよそしさ、何かあったとすぐに感じた。
そして、「明日帰国する先輩を空港まで迎えに行くことになってしまったから、明日は迎えに行かれない」と断られた。
落胆した。
せっかく会えると思ったのに、それにYさんの砂を噛むような会話にいいようのない不安を感じた。
YさんはハワイでS子さんという女性に出会ったのだ。
S子さんは私たちと同じ会社の別の部署に勤める派遣社員。
この時期は連休が取りやすいから、海外旅行に出かける人が多いのだ。
偶然たまたま、YさんたちとS子さんたちがハワイに行っていたのだ。
はじめてのハワイ、そこで出会った綺麗なS子さん(確かに美人さん、私と全然タイプの違う大人っぽい人だった)、Yさんは熱病に掛かったようにS子さんに恋をしてしまったのだ。
そして、先輩を迎えに行くのは嘘で、S子さんを迎えに行っていたのだ。
なぜそれを私が知ったかというと、S子さんと同じ部署に私の同僚のいて、S子さんからその話を聞いたのだ。
Yさんは「彼女はいない」とS子さんに言っていたから、彼女としては「○○部のYさんって人がね、私を気に入ってね、私もいいなって思った」と素直な感想を私の友人に話したのだった。
友人は私が半年間待ってやっと彼女になれたのを知っていたから、迷ったけど本当のことを伝えてくれたのだ。
そんな男やめなって。
恐らく、私に教えた以外でもS子さんの口からYさんとのことは聞かされたいたのだろう。
ああ、やっぱりそうだったのか。
迎えの一件から始まって、帰国してからのYさんの掌を返したような態度の違い。
よそよそしく冷たく、私を避けるような態度。
そして、ハワイの写真を見せて思い出話をする時の、嬉々とした様子。
それは旅行の楽しさのせいではなかったんだと、私は崩れそうになった。
とても悩んだ。
やっと彼女になれたのに、一ヶ月ほどでこんなことになるなんて。
でも、黙っているわけにもいかない、だって明らかにYさんの態度が変なんだもの。
「最近なにか変じゃない?」
「う〜ん、ハワイの熱病かな〜?」
そんな風にはぐらかすYさん。
「私知ってるんだよ。」
私はそれだけ言った。
迎えに行ったことも、彼女はいないと言ってることも、何も責めずに。
驚いたYさんは「なぜ知ってるの!?」と聞く。
人伝に聞いたことを話した。
「両方好きで、困ってる。」
「私だけを好きになってもらえるようにするね。」
それを言うだけで、精一杯だった。
いまでも思い出せる。
この話をした車の中のこと。
泣きもせず、待ってるという私。
ただ悲しい、そして、足下がグラグラするような不安。
嘘を付かれたこと、裏切られたこと、それら対する怒りがない。
「私も奪ったんだものね」とか「Yさんも苦しんでるよね」とか思って、怒りを抑えるというより、どこかで怒りを諦めているようにさえ思えるほど、怒りの感情がないのだ。(いまはこれ書いてて頭に来てるけど!)
結果的にまた宙ぶらりんな状態が始まった。
その間も、話題としては満載。
Yさんの好きな歌手のコンサートのチケットを買って「一緒に行こう」と誘ったけど(好きになってもらおうと必死)、仕事で遅れるから先にに会場に入っててということだったので、一人で座席で待っていた。
コンサートが始まり、アンコールも終わり、それでもYさんは来ない。
私は大して好きでもない歌手のコンサートを一人でポツンと聞いていたのだ。
約束をしていた花火大会も仕事で遅れて、私は待ち合わせた喫茶店で花火の音だけ聞きながら待った。
Yさんが来たのは2時間後、花火の音が聞こえなくなってからだった。
一事が万事そんな具合で、本当に仕事かもしれないことも含めて、私はよく待たされ、それほど謝られなくてもニコニコしている、そんな状態。
「仕事だからしかたないよね」と、責めもしないし、寂しかったとも言わない。
ただ、遅刻などの時には、少し怒りの感情があるのだ。
それは当時もいまも自覚できる。
チリチリと胸を刺すような小さな怒りは感じている。
ただ、それは「抑えている」のだとわかる。(S子さんに直接関わることのほうに怒りが湧かないのは、不思議ね。心のなぞ、誰か解いて^^;)
怒りだけじゃなく、ずっと悲しいも抑えている。
一度だけ泣いたことがあった。
いままで休日はほとんど遊んでいたのに、S子さんのことが発覚してから全然休みが合わなくて(合わせなくてだよね)一ヶ月以上過ぎていた。
仲良かった頃、午前中から待ち合わせて夜までデートしていたのに、そのやっと合ったお休みの日は午後に待ち合わせて、そのままホテルに直行して夕方にホテルを出た。
そして、そのまま私を帰そうとしたのだ。
「たまにはこういうのもいいよな、ひさしぶりにりん子を抱いて満足って気分で別れるのも。」
少々遠慮気味に、でも清々した感じでいうYさんの言葉を聞いたら、涙が溢れてきてしまった。
さすがにYさんも気付いて、そこで帰されることはなくファミレスでお茶をした。
でも、悲しくて悲しくてしょうがなかった。
そして、実は先輩(また先輩!!)たちに呼ばれてるからと、お茶だけでやはり早めに帰された。
(これはずっとあとでわかるけど、S子さんと会ってたらしい。)
Yさんに対してはっきりと悲しいと表現した数少ない出来事。
「負の感情」、悲しいを表に出せず怒りが湧きにくい(らしい)私は、この恋愛を通してそれに拍車を掛けた。
いい子でいるしかできない、自覚しながら、その方法しかできない。
まだ続きます。
怒らない私3
りん子的独り言(生意気)
夏が終わる頃まで、ずっとYさんはS子さんと私の間を行ったり来たりの状態だった。
春頃に一度「あんまり辛いから別れて」と私はYさんに言った。
その時、Yさんは私を引き止めたのだ。
だから、行ったり来たりの状態。
それでも、Yさんの友達が「Yはりん子よりS子さんが好きだよ」と真摯に忠告してくれたことに象徴されるように、Yさんの心はS子さんを向いているのが、苦しいほど伝わっていた。
なぜ引き止めたのかしら。
都合良く「やらせて」くれるからかな。
それとも、まだS子さんとは「付き合う」まではいってなくて、私は保険だったのかな。
でも、好きな人の心が離れていくが手に取るようにわかるということは、風船が飛んで行ってしまうような、いいようのない不安を感じる。
たとえ、それが「保険」だったとしても、風船が手元に戻るという事実だけで受け入れてしまうのだ。
それをなくしてしまう不安と引き換えに、心を抑える。
名目上は彼女、でも、心はまったく離れている関係が続いた。
その間も、YさんとS子さんと数人で遊んでいるという噂を時々耳にしては、悲しく、不安な夜を過ごしていた。
多分、2人は「恋人同士」とお互いに宣言していなかったと思う。
なぜかというと、S子さんはとてもモテる人で、Yさんの他にも同じハワイに行ったメンバーからアピールされていたのだ。
そのハワイメンバーのアイドルみたいな状態だったから、誰とも付き合わず(多分)そのバランスを保っていたのではないかしら。
夏の終わりのある日。
Yさんは私を呼び出した。
決定的な何か言われるのかと出かけると、思いがけないことを言われた。
「やっぱりりん子がいい。りん子しかいない。」
態度の急変に、S子さんとの間に何かあったのだろうと簡単に想像できてしまう。
それでも、何があったのか何度聞いても教えてくれなかった。(恐らくふられたのよね)
それから、あの時期はなんだったの?と思うほど、Yさんは「私がいい」と言い続けた。
プレゼントをくれて、いろんなところに連れて行ってくれた。
ああ、やっと戻ってきてくれた。
でも、土台は不安なままだ。
もう二度と足下がグラつくような孤独は味わいたくない、不安を押し殺し私はいい子でいた。
りん子がいいと言われてから、3ヶ月くらい過ぎた頃。
ちょうどクリスマスの時期だった。
街のイルミネーションがきれいになる。
私たちはデートの締めくくりにお茶をしていた。
そこでYさんは、神妙な面持ちで、でも、言い訳がましくこんな話を切り出した。
S子さんが入院した。(何の病気か忘れたけど、そんな重病ではなかったはず)
テレビが付いてない病室らしいので、自分の部屋の小さなテレビを貸してあげた。(Yさんの部屋には確かに小さなテレビがあった)
この間、それを運んだ。
S子さんに会ったけど、何もないよ、心配しないで。
りん子には嘘は付きたくなかったから話した。
ということだった。
いまなら言える。
ふざけるな、私がどれだけS子さんのことで傷付いたと思う?
私を手に入れたいなら、あなたは全身全霊で失った信頼を回復しなければならないのだ。
例え何もなかったと言っても、あなたがS子さんに会うことで、また私がどれだけ傷付くと思うのか、私をばかにするにも程がある。
それに、いきなり数ヶ月ぶりに電話を寄越して「テレビ貸して」なんてあり得ない。
あなたとS子さんが、恋愛でなかったとしても何かしらの繋がりがあったことは明らかだ。
私はそれを知る権利があるし、やめてという権利もある。
なぜなら、あなたは私を傷付けて、私の信頼を失ったからだ。
山下達郎の歌が流れていた。
体が震えていた。
それなのに、私が言ったのは
「本当のことを言ってくれて、ありがとう」
だった。
だって、私は「傷付いてる」も「悲しい」もYさんに伝えていないのだもの。
私がそれを伝えていないから、YさんはS子さんと会っても平気だと思ったのでしょう。
下心がなかったから、私に話してくれたはず。
Yさんの親切心がしたこと。
だから、責めちゃいけない。
このときも、怒っていない。
悲しく、不安なだけ。
そして、やはり、何かを諦めている。
以上が、「こんなことでも怒らない私」のお話です。
これを書いていて、自分でも不思議に思ったことがある。(途中にも書いたけど)
もう十数年も前のことだから、感情の記憶を都合良く塗り替えてる可能性はあるけど、付き合っている男性に対して、怒りの感情はある。
例えば、遅刻しても謝らなかったり、心ない言動だったり、人間同士の付き合いにおいては、チクチクと小さな怒りは起こるのだ。
でも、それは抑えて黙っている。
だから、小さいながらも怒りの感情はある。
それが湧き上がらないのは、男女関係に関してなのだ。
S子さんの時もそう、Yさんがナンパしたとかいう話を聞いてもそう。(K君の時の6時間待たされの時は違うか、あれは人としてのことだけど、あんまり怒りの感情がなかったかな。その筋違いは許して^^総じて怒りにくいということで)
それはなぜかと、解明したい。
自分で自分をわかりたい。
先のふうさんのコメントレスでも書いたけど、結論が漠然としていて、実はちょっとまとまってないの(笑)
那智さんの考えも聞いたけど、納得するような、それだけじゃないような。
引っ張ってますが、とりあえずこれだけアップします。
アップしたあと、またゆっくり考えますね。
夏が終わる頃まで、ずっとYさんはS子さんと私の間を行ったり来たりの状態だった。
春頃に一度「あんまり辛いから別れて」と私はYさんに言った。
その時、Yさんは私を引き止めたのだ。
だから、行ったり来たりの状態。
それでも、Yさんの友達が「Yはりん子よりS子さんが好きだよ」と真摯に忠告してくれたことに象徴されるように、Yさんの心はS子さんを向いているのが、苦しいほど伝わっていた。
なぜ引き止めたのかしら。
都合良く「やらせて」くれるからかな。
それとも、まだS子さんとは「付き合う」まではいってなくて、私は保険だったのかな。
でも、好きな人の心が離れていくが手に取るようにわかるということは、風船が飛んで行ってしまうような、いいようのない不安を感じる。
たとえ、それが「保険」だったとしても、風船が手元に戻るという事実だけで受け入れてしまうのだ。
それをなくしてしまう不安と引き換えに、心を抑える。
名目上は彼女、でも、心はまったく離れている関係が続いた。
その間も、YさんとS子さんと数人で遊んでいるという噂を時々耳にしては、悲しく、不安な夜を過ごしていた。
多分、2人は「恋人同士」とお互いに宣言していなかったと思う。
なぜかというと、S子さんはとてもモテる人で、Yさんの他にも同じハワイに行ったメンバーからアピールされていたのだ。
そのハワイメンバーのアイドルみたいな状態だったから、誰とも付き合わず(多分)そのバランスを保っていたのではないかしら。
夏の終わりのある日。
Yさんは私を呼び出した。
決定的な何か言われるのかと出かけると、思いがけないことを言われた。
「やっぱりりん子がいい。りん子しかいない。」
態度の急変に、S子さんとの間に何かあったのだろうと簡単に想像できてしまう。
それでも、何があったのか何度聞いても教えてくれなかった。(恐らくふられたのよね)
それから、あの時期はなんだったの?と思うほど、Yさんは「私がいい」と言い続けた。
プレゼントをくれて、いろんなところに連れて行ってくれた。
ああ、やっと戻ってきてくれた。
でも、土台は不安なままだ。
もう二度と足下がグラつくような孤独は味わいたくない、不安を押し殺し私はいい子でいた。
りん子がいいと言われてから、3ヶ月くらい過ぎた頃。
ちょうどクリスマスの時期だった。
街のイルミネーションがきれいになる。
私たちはデートの締めくくりにお茶をしていた。
そこでYさんは、神妙な面持ちで、でも、言い訳がましくこんな話を切り出した。
S子さんが入院した。(何の病気か忘れたけど、そんな重病ではなかったはず)
テレビが付いてない病室らしいので、自分の部屋の小さなテレビを貸してあげた。(Yさんの部屋には確かに小さなテレビがあった)
この間、それを運んだ。
S子さんに会ったけど、何もないよ、心配しないで。
りん子には嘘は付きたくなかったから話した。
ということだった。
いまなら言える。
ふざけるな、私がどれだけS子さんのことで傷付いたと思う?
私を手に入れたいなら、あなたは全身全霊で失った信頼を回復しなければならないのだ。
例え何もなかったと言っても、あなたがS子さんに会うことで、また私がどれだけ傷付くと思うのか、私をばかにするにも程がある。
それに、いきなり数ヶ月ぶりに電話を寄越して「テレビ貸して」なんてあり得ない。
あなたとS子さんが、恋愛でなかったとしても何かしらの繋がりがあったことは明らかだ。
私はそれを知る権利があるし、やめてという権利もある。
なぜなら、あなたは私を傷付けて、私の信頼を失ったからだ。
山下達郎の歌が流れていた。
体が震えていた。
それなのに、私が言ったのは
「本当のことを言ってくれて、ありがとう」
だった。
だって、私は「傷付いてる」も「悲しい」もYさんに伝えていないのだもの。
私がそれを伝えていないから、YさんはS子さんと会っても平気だと思ったのでしょう。
下心がなかったから、私に話してくれたはず。
Yさんの親切心がしたこと。
だから、責めちゃいけない。
このときも、怒っていない。
悲しく、不安なだけ。
そして、やはり、何かを諦めている。
以上が、「こんなことでも怒らない私」のお話です。
これを書いていて、自分でも不思議に思ったことがある。(途中にも書いたけど)
もう十数年も前のことだから、感情の記憶を都合良く塗り替えてる可能性はあるけど、付き合っている男性に対して、怒りの感情はある。
例えば、遅刻しても謝らなかったり、心ない言動だったり、人間同士の付き合いにおいては、チクチクと小さな怒りは起こるのだ。
でも、それは抑えて黙っている。
だから、小さいながらも怒りの感情はある。
それが湧き上がらないのは、男女関係に関してなのだ。
S子さんの時もそう、Yさんがナンパしたとかいう話を聞いてもそう。(K君の時の6時間待たされの時は違うか、あれは人としてのことだけど、あんまり怒りの感情がなかったかな。その筋違いは許して^^総じて怒りにくいということで)
それはなぜかと、解明したい。
自分で自分をわかりたい。
先のふうさんのコメントレスでも書いたけど、結論が漠然としていて、実はちょっとまとまってないの(笑)
那智さんの考えも聞いたけど、納得するような、それだけじゃないような。
引っ張ってますが、とりあえずこれだけアップします。
アップしたあと、またゆっくり考えますね。
怒らない私4
りん子的独り言(生意気)
今回、なぜ「怒らない私」のお話になったかというと、すみれさんの一件で、すみさんとは全然違う次元で、「なぜ私は嫉妬しないのだろう」と思ったから。
すみれさんに対して、すみれさんに接する那智さんに対して、嫉妬の感情がわかないのは、すみれさんへの好意や那智さんへの信頼や願望を叶える目的があるからだと思うけど、それにしても湧かなすぎない?と自問自答してみたの。
過去を思い出し、そのときの感情を整理することで「私は嫉妬しにくい性格」なのではないかと思ったのです。
そして、書いているうちに、「怒れない」じゃなくて「怒る感情が湧きにくい」と思い、更に紐解いて「男女の関係において、もっとも怒らない」ということに気付いたのです。
なぜ?
那智さんの意見はこうです。
私は、その付き合っていた男性たちを見下しているから、怒る感情が湧かないのでは?(『惹かれ合う理由』の『私について(見下しと不安)』をご覧いただけるとわかりやすいです)
真剣に思っていない相手に怒りは湧かないだろうというのです。
「じゃあ、私が那智さんに対して、怒らないのは?」
それは、基本的に那智さんは私に対して「怒り」の感情を持ちたくないそうです。(りん子も同じだと思うけどと言ってました)
そうですね、2人とも基本的に感情的にならずに穏やかでいたいですよね。
そして、相手を信じているだろ?相手がそんなことしないだろうと。
だから、怒りに繋がるような心に引っ掛かる言動や出来事があったときには、まず聞くだろ?
そして、誤解を解いたり、歩み寄ったり、歩み寄れなくても理解し合えるだろ?
そうすれば怒りにならない。(いつかそれでも相容れなくて怒りになることはあるかもしれないけど、いまのところない)
というのが那智さんの見解だ。
だから、何ってことじゃなくて(笑)一見解として載せました。
確かに信頼してます。
私を尊重してくれているだろうと、だから「!?」と思った時は、必ず真意を聞きます。
それを繰り返して、数年。
でもね、私はこうも思うのです。
こう思うとしっくりするのです、人の心理の歪みを楽しむものとしては(笑)
なんでもかんでも父親のせいにするのはいけない?
世の中には、もっともっと悲惨な子供時代を過ごして生き延びてる人もいるから、私のことは「甘い愚痴」くらいのものです。
それでも、結び付けさせて、お父さん!!(ごめんね、お父さん、死人に口無しだとあの世からクレーム来そう、お父さんを批判してるわけじゃないからね。お父さんなりに私を好いていてくれたとも思ってるからね^^)
なぜ、特に「男女の関係」において怒りがわかないのでしょう?
もしかしたら、私は女性として「丁重に扱われる」ことに慣れていないのではないだろうか。
大切にされるべき女だという自尊心が低い。
「怒らない私」でも書いているけど、怒るという感情が湧きにくく、そして、どこかで諦めてる。
尊重されることを諦めてる。
人間、もらいたくてもらいたくてしかたのないものを、欲しい欲しいとあの手この手で訴え懇願して、それでももらえないと、もうそれを諦めてしまうのではないかしら。
欲してももらえないと。
もらえないと諦めたものに対して、それをもらえないと再確認させられても、もう怒りには繋がらないのではないかな。
女の子が幸せな女になるには、父親の「無償の愛」は必要不可欠だ。(『惹かれ合う理由』の『私について(父性とシスターコンプレックス)』や『毛布』などお読みくださいね)
小さな頃に、父親に愛された少女は「私は愛される価値がある」とプライドを持ち、伸び伸びと生きていける。
だから、自分を傷付けるものを判断し、それと戦う勇気を持てるのだ。(岩月謙司さんの本にそんな感じのこと書いてあります)
私は幼い頃その「プライド」をもらえなかった。(何度も言うけど、もっと大変な人はいます。)
だから、私はそれをもらえない女なのだと、諦めてしまっているのではないか。
「女性として尊重される」ことを諦めているから、男女の関係において怒りが湧かないと考えられないかしら。
母からはたくさん愛されてる、姉も私を愛してくれてる。
子供のような父親からもらえなくても、まっとうな人間でいられるほど家族から愛されてた。
だから、「人として」尊重されない事柄には、小さな怒りを持つことができるのだ。(それでも「小さい」なのよね)
総じて自信がないのと、特に男女において諦めているのは、幼い頃に必要だった父親との「疑似恋愛」からもらえる愛情の経験がないからだと思うのだ。
欲しい欲しいと赤ん坊の私は泣いたかもしれない。
でも、いつしか、それは手に入らない「諦めるもの」になった。
と、そんな風に考えると、男女の関係で怒りにくいことに合点がいきませんか。
じゃあ、いまの私はどうでしょう。
相変わらず「怒り」にくいはずだ。
でも、それは決して悪いことじゃない。
私はこの穏やかな自分の性格が好きだ。
よく口を開けば愚痴ばかりの人がいるけど、それより穏やかに暮らせるほうがずっと幸せだもの。
私は、いま、那智さんに対して、私史上一番泣いてる、私史上一番甘えてる、私史上一番生意気言ってる。
訓練して経験してる。
「尊重されること。大切にされること。」
もし那智さんが私を侮辱するようなことがあったら、私は、ちゃんと気付いて絶対諦めず、怒るんだ^^
だから、例え「疑似」とはいえ、「嫉妬の感情を露にできる」であろう、他の女性を交えることは、私にとって大切なことだと思うのだ。
その準備をしているから、すみれさんには嫉妬しないのかな…と思ってる。
はぁ〜、お疲れさまでした。
長々とお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
結論付いていないかもしれないですね〜。
まあ、いっか、許してね。
次またわんこにしようと思ってたけど、これ書いててひとつ思い付いてしまったから、明日は「怒らない私から思うこと」を書きますね。
特殊なエッチを期待されているかた、もう少々お持ちくださいませ^^
今回、なぜ「怒らない私」のお話になったかというと、すみれさんの一件で、すみさんとは全然違う次元で、「なぜ私は嫉妬しないのだろう」と思ったから。
すみれさんに対して、すみれさんに接する那智さんに対して、嫉妬の感情がわかないのは、すみれさんへの好意や那智さんへの信頼や願望を叶える目的があるからだと思うけど、それにしても湧かなすぎない?と自問自答してみたの。
過去を思い出し、そのときの感情を整理することで「私は嫉妬しにくい性格」なのではないかと思ったのです。
そして、書いているうちに、「怒れない」じゃなくて「怒る感情が湧きにくい」と思い、更に紐解いて「男女の関係において、もっとも怒らない」ということに気付いたのです。
なぜ?
那智さんの意見はこうです。
私は、その付き合っていた男性たちを見下しているから、怒る感情が湧かないのでは?(『惹かれ合う理由』の『私について(見下しと不安)』をご覧いただけるとわかりやすいです)
真剣に思っていない相手に怒りは湧かないだろうというのです。
「じゃあ、私が那智さんに対して、怒らないのは?」
それは、基本的に那智さんは私に対して「怒り」の感情を持ちたくないそうです。(りん子も同じだと思うけどと言ってました)
そうですね、2人とも基本的に感情的にならずに穏やかでいたいですよね。
そして、相手を信じているだろ?相手がそんなことしないだろうと。
だから、怒りに繋がるような心に引っ掛かる言動や出来事があったときには、まず聞くだろ?
そして、誤解を解いたり、歩み寄ったり、歩み寄れなくても理解し合えるだろ?
そうすれば怒りにならない。(いつかそれでも相容れなくて怒りになることはあるかもしれないけど、いまのところない)
というのが那智さんの見解だ。
だから、何ってことじゃなくて(笑)一見解として載せました。
確かに信頼してます。
私を尊重してくれているだろうと、だから「!?」と思った時は、必ず真意を聞きます。
それを繰り返して、数年。
でもね、私はこうも思うのです。
こう思うとしっくりするのです、人の心理の歪みを楽しむものとしては(笑)
なんでもかんでも父親のせいにするのはいけない?
世の中には、もっともっと悲惨な子供時代を過ごして生き延びてる人もいるから、私のことは「甘い愚痴」くらいのものです。
それでも、結び付けさせて、お父さん!!(ごめんね、お父さん、死人に口無しだとあの世からクレーム来そう、お父さんを批判してるわけじゃないからね。お父さんなりに私を好いていてくれたとも思ってるからね^^)
なぜ、特に「男女の関係」において怒りがわかないのでしょう?
もしかしたら、私は女性として「丁重に扱われる」ことに慣れていないのではないだろうか。
大切にされるべき女だという自尊心が低い。
「怒らない私」でも書いているけど、怒るという感情が湧きにくく、そして、どこかで諦めてる。
尊重されることを諦めてる。
人間、もらいたくてもらいたくてしかたのないものを、欲しい欲しいとあの手この手で訴え懇願して、それでももらえないと、もうそれを諦めてしまうのではないかしら。
欲してももらえないと。
もらえないと諦めたものに対して、それをもらえないと再確認させられても、もう怒りには繋がらないのではないかな。
女の子が幸せな女になるには、父親の「無償の愛」は必要不可欠だ。(『惹かれ合う理由』の『私について(父性とシスターコンプレックス)』や『毛布』などお読みくださいね)
小さな頃に、父親に愛された少女は「私は愛される価値がある」とプライドを持ち、伸び伸びと生きていける。
だから、自分を傷付けるものを判断し、それと戦う勇気を持てるのだ。(岩月謙司さんの本にそんな感じのこと書いてあります)
私は幼い頃その「プライド」をもらえなかった。(何度も言うけど、もっと大変な人はいます。)
だから、私はそれをもらえない女なのだと、諦めてしまっているのではないか。
「女性として尊重される」ことを諦めているから、男女の関係において怒りが湧かないと考えられないかしら。
母からはたくさん愛されてる、姉も私を愛してくれてる。
子供のような父親からもらえなくても、まっとうな人間でいられるほど家族から愛されてた。
だから、「人として」尊重されない事柄には、小さな怒りを持つことができるのだ。(それでも「小さい」なのよね)
総じて自信がないのと、特に男女において諦めているのは、幼い頃に必要だった父親との「疑似恋愛」からもらえる愛情の経験がないからだと思うのだ。
欲しい欲しいと赤ん坊の私は泣いたかもしれない。
でも、いつしか、それは手に入らない「諦めるもの」になった。
と、そんな風に考えると、男女の関係で怒りにくいことに合点がいきませんか。
じゃあ、いまの私はどうでしょう。
相変わらず「怒り」にくいはずだ。
でも、それは決して悪いことじゃない。
私はこの穏やかな自分の性格が好きだ。
よく口を開けば愚痴ばかりの人がいるけど、それより穏やかに暮らせるほうがずっと幸せだもの。
私は、いま、那智さんに対して、私史上一番泣いてる、私史上一番甘えてる、私史上一番生意気言ってる。
訓練して経験してる。
「尊重されること。大切にされること。」
もし那智さんが私を侮辱するようなことがあったら、私は、ちゃんと気付いて絶対諦めず、怒るんだ^^
だから、例え「疑似」とはいえ、「嫉妬の感情を露にできる」であろう、他の女性を交えることは、私にとって大切なことだと思うのだ。
その準備をしているから、すみれさんには嫉妬しないのかな…と思ってる。
はぁ〜、お疲れさまでした。
長々とお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
結論付いていないかもしれないですね〜。
まあ、いっか、許してね。
次またわんこにしようと思ってたけど、これ書いててひとつ思い付いてしまったから、明日は「怒らない私から思うこと」を書きますね。
特殊なエッチを期待されているかた、もう少々お持ちくださいませ^^
怒らない私で思ったこと
りん子的独り言(生意気)
マゾヒストとは何でしょうという定義はわからない。
被虐が快感になる性癖の人もいるでしょう。
そんな人もマゾ。
従いたいという願望の強い人も、マゾっていうのかな?
人それぞれ、方法は違えど、心地よい形を作っているはずだから、○○だからマゾなんて定義は必要ないですよね。
でも、もし私のように「被虐」で興奮して(性癖としてMとしよう)、「従いたい」という願望があって(これは性格としてM)、尚かつ「尊重されることを諦めてる」人がパートナーを見つけるとしたら、それはとても慎重にしないといけないなと思う。
尊重しないで酷いことができるのだもの、心ないパートナーだったら、その人の都合で如何ようにも好きにできるからね。
たくさんあるブログのうちのいくつかを楽しみに読んでいます。
ご自分の性癖に向き合って、皆さん幸せの形を作っていらっしゃいます。
似たよな行為や精神状態の中でも「尊重されていない」と感じてしまうものを目にすると、私は悲しくなってしまう。
それは私の勝手な想像で、実際は大切にされているのかもしれないけど。
そもそもSMなんて行為だけ取れば「尊重」からほど遠いことばかり。
おしっこかけられたり、頭踏まれたり(あ、これは私のことね^^)。
だから、書かれていることはどれも「酷いこと」ばかりなんだけど、そこから「幸せ」を感じるものもあるし、「つらそう」と感じてしまうものもあるんだ。(いや、実際つらいことしてるけど^^;)
いくら(笑)マークと一緒に冗談めかして書いてあっても、「幸せ」と書いてあっても、なんだか無理してる感じが伝わってしまうような。
そうすると「尊重されることを諦めてる」私の芯をグッと掴まれてしまう。
「被虐願望」も「従いたい願望」もセットになってると、その行為で感じてしまうから余計に表の文章には表れにくいのだけど、その「尊重されてない」空気に敏感に反応しちゃうのね。
それでも「幸せ」と書かれてるから、その方をどうこうは思わないし、幸せでよかった♪と思うのだけど、その人を透かして自分を見てしまって悲しくなるの。
私は、怒らない種類の人間で、一歩間違えれば性的願望を叶えるという大義のもと(大義か!?)「尊重されることを諦める」側に行ってたと思うから。
「被虐」で感じて「従いたい」と思い、「尊重されることを諦めてる」。
最初はきっと、「被虐」から入るでしょ?
「いじめられたい」とかね。
そのうち、褒められたりすると従う喜びも覚えてね、その人に心酔してしまう。
そして、丁重に扱われないことに傷付いているはずなのに、気付かずに離れられない。
そんな自分を思い描けてしまって、悲しくなってしまうのね。
一歩間違えればあちら側に行ってたと思う、そして、実はいまでも絶対の自信はない。
万が一、大好きな信頼する那智さんが私を侮辱したとしても、離れたくないという一心で、気付かないか無意識に気付かないふりをしてしまうかもしれないと、絶対大丈夫という自信がない。
だからかな、時々、「尊重されなかった」私を思い出して、繰り返し見る恐い夢を見たあとのように、足下がざわざわして落ち着かなくなってしまう。
「被虐」と「従いたい」と「諦めてる」の三位一体、危険な組み合わせ。
(ああ、でも、もしかしたら、それでも幸せな人、いるかもしれない…)
だから、私はずっと那智さんに言うの。
あなたを信頼してるから、ずっと手を離さないで。
尊重して、大切にして、そして、酷いことをして(ああ、これは「被虐」の方でしたね^^;)
自信を持つことを教えて、跪かせる。
一見正反対のことだよね、那智さん大変、でも、よろしくお願いしますね^^
あなたにしかできないのだから。
マゾヒストとは何でしょうという定義はわからない。
被虐が快感になる性癖の人もいるでしょう。
そんな人もマゾ。
従いたいという願望の強い人も、マゾっていうのかな?
人それぞれ、方法は違えど、心地よい形を作っているはずだから、○○だからマゾなんて定義は必要ないですよね。
でも、もし私のように「被虐」で興奮して(性癖としてMとしよう)、「従いたい」という願望があって(これは性格としてM)、尚かつ「尊重されることを諦めてる」人がパートナーを見つけるとしたら、それはとても慎重にしないといけないなと思う。
尊重しないで酷いことができるのだもの、心ないパートナーだったら、その人の都合で如何ようにも好きにできるからね。
たくさんあるブログのうちのいくつかを楽しみに読んでいます。
ご自分の性癖に向き合って、皆さん幸せの形を作っていらっしゃいます。
似たよな行為や精神状態の中でも「尊重されていない」と感じてしまうものを目にすると、私は悲しくなってしまう。
それは私の勝手な想像で、実際は大切にされているのかもしれないけど。
そもそもSMなんて行為だけ取れば「尊重」からほど遠いことばかり。
おしっこかけられたり、頭踏まれたり(あ、これは私のことね^^)。
だから、書かれていることはどれも「酷いこと」ばかりなんだけど、そこから「幸せ」を感じるものもあるし、「つらそう」と感じてしまうものもあるんだ。(いや、実際つらいことしてるけど^^;)
いくら(笑)マークと一緒に冗談めかして書いてあっても、「幸せ」と書いてあっても、なんだか無理してる感じが伝わってしまうような。
そうすると「尊重されることを諦めてる」私の芯をグッと掴まれてしまう。
「被虐願望」も「従いたい願望」もセットになってると、その行為で感じてしまうから余計に表の文章には表れにくいのだけど、その「尊重されてない」空気に敏感に反応しちゃうのね。
それでも「幸せ」と書かれてるから、その方をどうこうは思わないし、幸せでよかった♪と思うのだけど、その人を透かして自分を見てしまって悲しくなるの。
私は、怒らない種類の人間で、一歩間違えれば性的願望を叶えるという大義のもと(大義か!?)「尊重されることを諦める」側に行ってたと思うから。
「被虐」で感じて「従いたい」と思い、「尊重されることを諦めてる」。
最初はきっと、「被虐」から入るでしょ?
「いじめられたい」とかね。
そのうち、褒められたりすると従う喜びも覚えてね、その人に心酔してしまう。
そして、丁重に扱われないことに傷付いているはずなのに、気付かずに離れられない。
そんな自分を思い描けてしまって、悲しくなってしまうのね。
一歩間違えればあちら側に行ってたと思う、そして、実はいまでも絶対の自信はない。
万が一、大好きな信頼する那智さんが私を侮辱したとしても、離れたくないという一心で、気付かないか無意識に気付かないふりをしてしまうかもしれないと、絶対大丈夫という自信がない。
だからかな、時々、「尊重されなかった」私を思い出して、繰り返し見る恐い夢を見たあとのように、足下がざわざわして落ち着かなくなってしまう。
「被虐」と「従いたい」と「諦めてる」の三位一体、危険な組み合わせ。
(ああ、でも、もしかしたら、それでも幸せな人、いるかもしれない…)
だから、私はずっと那智さんに言うの。
あなたを信頼してるから、ずっと手を離さないで。
尊重して、大切にして、そして、酷いことをして(ああ、これは「被虐」の方でしたね^^;)
自信を持つことを教えて、跪かせる。
一見正反対のことだよね、那智さん大変、でも、よろしくお願いしますね^^
あなたにしかできないのだから。