徒然に『根性棒』
独特な幸福感
結局、根性棒初日はちゃんと打つという段階にはならなかった。
きっと那智さんとしては最初は様子見のつもりだったはずなので予定通りだったと思うのだけど、思いのほか簡単に流血してしまったことは多少予想とは違ったのだと思う。
だから様子見プラス課題を残すようなおしまいの形になった。
(切れる可能性は考えていたと思うんだけど、『思いのほか簡単に』というのが予想外だったはず)
想定より簡単に流血したから終了になるのは当然の流れなんだけど、ここにも那智さんなりの筋のようなものはある。
それは、那智さんが上下の上としての主導権を握ることとそこから発生する責任ゆえのこと。
いずれ『切れてもかまわない』と判断するかもしれないけれど、現時点で『想定外』の流血は避けたいと那智さんも思ったはずなんだ。
那智さんは肌に消えない傷を残すことが好きではないらしい。
できるだけ元の状態に戻ることが前提にあるようだ。
だから元に戻らないもの(刺青やピアスや火傷、その他深い傷)を残すときには、それを敢えて選ぶ覚悟をしているのだと思う。
だからいまの段階ではなしなわけですね。
いつもわたしとの間で起こることは基本的に『想定内』にしておきたい人なのだ。
那智さん主導で想定内にしておくことで、何か起こったときに責任を負うことができるものね。
(ついでにいうと、できればわたしの想定外であるほうがいい^^)
どうやったら切れないか試行錯誤してくれる、そして、仮に切れることを避ける術が見つからなかったとしたら、それでも打ちたいと思う気持ちと計りにかけて、那智さんの判断と責任において行われる。
想定外の傷はNGだけどわかった上で残す傷はOKということなのですね。
わたしはただそれを待つだけ、ということ。
那智さんの意思でこの日はおしまいになったけど、『まあ、流血してもいいか』と笑う那智さんがちょっぴり残念そうに見えてわたしまで切なくなってしまった。
あんなにうれしそうにされているのだもの、切れても痕が残っても那智さんに満足いくまで打たせて差し上げたい、そんな献身的な気持ちになる。
でも、献身的な気持ちはふたりの間ではあまりよくない思考回路なんだよね。
那智さんはわたしを様々な方法で可愛がりたいと思い、わたしはそれで喜び感じることが大事なのであって、道具を使いたいためにわたしを打つとなると那智さんと道具のための行為になっちゃう。
いや、『道具のためのわたし』っていうのもマゾ的嗜好としては若干萌えではあるけれど、やはり現実問題としてそれでとても痛いことを受けるのはむずかしい。
もしかしたら、献身している喜びは味わえるかもしれないけど、やはり快感に繋げることがむずかしいだろう。
ここはちょっと重要、それは、関係を継続させたいと思うことから発生しているわたしたちには大事な思考回路なんだ。
那智さんがわたしにする痛いことはとても痛い。
とても痛いことでも快感に変えることではじめて、『もっと』や『次も』と思えるもの。
献身の気持ちで苦痛に耐えることを主眼においてしまうと、わたしの場合快感には変わってくれないのだ。
ただ苦痛に耐えているものは長い年月は続けられない。
『もっと』や『次も』と思えるからこそ、長く継続できる。
だから打たせて差し上げたいという献身的な気持ちはわたしたちにはよくない思考回路なわけです。
根性棒終了後にそんな気持ちもお話しした。
もちろん、りん子はそんなことは考えなくていい。
俺の判断でやるときはやるから。
とあくまでも那智さん主導でいてくれた。
それにしても、その後もホテルにいる間。
お風呂やマッサージなどなどしているとき以外は、けっこうな時間根性棒を愛でていた那智さん^^;
お気に入りのおもちゃをずっとこめくりまわすようにずっと。
なぜ切れてしまったか。
どうしたら大丈夫になるか。
根性棒を眺めて撫でていろいろ検討していた。
もともと割ってあった部分が切りっぱなしになっているので、そこが皮膚を刺して切れたようなんだけど、どうやら最初の加工の段階で?噛み合わせがよくなかったらしくふたつを合わせるとすこしズレるのだ。
そのズレてはみ出たところで切れてしまうらしい。
ということは、そのエッジを紙ヤスリで丸くすれば切れないのではないかということになった。
じゃあ、何箇所か割れたところ全部ヤスリをかけることになるのですね。
なんだか面倒な作業になりそうなんだけど、それでも使いたいと思う情熱がうれしいし、それがする側のモチベーションなんだな〜とちょっと不思議な気持ちになる。
それをご自分が納得する形にもっていこうとしてくれることもありがたい。
年明けのある日。
お電話でつながりながら、エッジを取る作業をしてくれていた。
ときどき、途切れる会話の合間に『シャッシャ』と紙ヤスリのこすれる音が聞こえてくる。
きっと、これで切れないとわかったら限界の片鱗を見極めながらいつかとてもとても痛く叩かれるだろう。
わたしを可愛がるための凶器を大好きな人にメンテナンスしてもらっている様子を聞く。
それは、とても恐ろしくて、とろけるような幸福な時間だった。
ところで。
じつは、この日の根性棒。
ホテルのある街でなくしてしまっていた。
小振りのキャリーバッグの取っ手を収納する隙間にさしていたらしいのだけど、どうやらスルッと落ちてしまったみたいなんだよね(バッグには収まりきれないからやむを得ずさしていたらしいです)
電車で気づいたそうなんだけど、どこで落としたかわからないしわざわざ探しに戻るわけにもいかず、残念ながら初代根性棒さんとは一日限りのお付き合いとなってしまった。
後日2本、追加購入されたそうでヤスリの音は2代目3代目の音だったのだ。
初代の何箇所か割れていった感じはなかなか拷問シーンを思い起こさせる音やしなり方だったので惜しい気もするけれど、まあ、これも縁。
○○の街で悪用されていないことを(ちょっと真剣に)祈るばかりです。
もし、繁華街で割れた竹を茶色に塗装した『根性棒』が落ちていたら、お手数ですが速やかに処分していただくか、わたしまでご連絡をくださいませ^^
<関連エントリー>
『『あなたのために』はしない』
『暗闇にならない『あなたのため』』
今朝の「等式」感想です。
「道具のための私」なんて良いことりん子も言いますね。道具は使う対象があって存在価値がある、でも、その道具を使いたいが為にその対象を探す行為は理解できるよな~。根性棒についてはその後も色々あり、今は竹刀の二刀流、小刀を研究中。(笑)
結局、根性棒初日はちゃんと打つという段階にはならなかった。
きっと那智さんとしては最初は様子見のつもりだったはずなので予定通りだったと思うのだけど、思いのほか簡単に流血してしまったことは多少予想とは違ったのだと思う。
だから様子見プラス課題を残すようなおしまいの形になった。
(切れる可能性は考えていたと思うんだけど、『思いのほか簡単に』というのが予想外だったはず)
想定より簡単に流血したから終了になるのは当然の流れなんだけど、ここにも那智さんなりの筋のようなものはある。
それは、那智さんが上下の上としての主導権を握ることとそこから発生する責任ゆえのこと。
いずれ『切れてもかまわない』と判断するかもしれないけれど、現時点で『想定外』の流血は避けたいと那智さんも思ったはずなんだ。
那智さんは肌に消えない傷を残すことが好きではないらしい。
できるだけ元の状態に戻ることが前提にあるようだ。
だから元に戻らないもの(刺青やピアスや火傷、その他深い傷)を残すときには、それを敢えて選ぶ覚悟をしているのだと思う。
だからいまの段階ではなしなわけですね。
いつもわたしとの間で起こることは基本的に『想定内』にしておきたい人なのだ。
那智さん主導で想定内にしておくことで、何か起こったときに責任を負うことができるものね。
(ついでにいうと、できればわたしの想定外であるほうがいい^^)
どうやったら切れないか試行錯誤してくれる、そして、仮に切れることを避ける術が見つからなかったとしたら、それでも打ちたいと思う気持ちと計りにかけて、那智さんの判断と責任において行われる。
想定外の傷はNGだけどわかった上で残す傷はOKということなのですね。
わたしはただそれを待つだけ、ということ。
那智さんの意思でこの日はおしまいになったけど、『まあ、流血してもいいか』と笑う那智さんがちょっぴり残念そうに見えてわたしまで切なくなってしまった。
あんなにうれしそうにされているのだもの、切れても痕が残っても那智さんに満足いくまで打たせて差し上げたい、そんな献身的な気持ちになる。
でも、献身的な気持ちはふたりの間ではあまりよくない思考回路なんだよね。
那智さんはわたしを様々な方法で可愛がりたいと思い、わたしはそれで喜び感じることが大事なのであって、道具を使いたいためにわたしを打つとなると那智さんと道具のための行為になっちゃう。
いや、『道具のためのわたし』っていうのもマゾ的嗜好としては若干萌えではあるけれど、やはり現実問題としてそれでとても痛いことを受けるのはむずかしい。
もしかしたら、献身している喜びは味わえるかもしれないけど、やはり快感に繋げることがむずかしいだろう。
ここはちょっと重要、それは、関係を継続させたいと思うことから発生しているわたしたちには大事な思考回路なんだ。
那智さんがわたしにする痛いことはとても痛い。
とても痛いことでも快感に変えることではじめて、『もっと』や『次も』と思えるもの。
献身の気持ちで苦痛に耐えることを主眼においてしまうと、わたしの場合快感には変わってくれないのだ。
ただ苦痛に耐えているものは長い年月は続けられない。
『もっと』や『次も』と思えるからこそ、長く継続できる。
だから打たせて差し上げたいという献身的な気持ちはわたしたちにはよくない思考回路なわけです。
根性棒終了後にそんな気持ちもお話しした。
もちろん、りん子はそんなことは考えなくていい。
俺の判断でやるときはやるから。
とあくまでも那智さん主導でいてくれた。
それにしても、その後もホテルにいる間。
お風呂やマッサージなどなどしているとき以外は、けっこうな時間根性棒を愛でていた那智さん^^;
お気に入りのおもちゃをずっとこめくりまわすようにずっと。
なぜ切れてしまったか。
どうしたら大丈夫になるか。
根性棒を眺めて撫でていろいろ検討していた。
もともと割ってあった部分が切りっぱなしになっているので、そこが皮膚を刺して切れたようなんだけど、どうやら最初の加工の段階で?噛み合わせがよくなかったらしくふたつを合わせるとすこしズレるのだ。
そのズレてはみ出たところで切れてしまうらしい。
ということは、そのエッジを紙ヤスリで丸くすれば切れないのではないかということになった。
じゃあ、何箇所か割れたところ全部ヤスリをかけることになるのですね。
なんだか面倒な作業になりそうなんだけど、それでも使いたいと思う情熱がうれしいし、それがする側のモチベーションなんだな〜とちょっと不思議な気持ちになる。
それをご自分が納得する形にもっていこうとしてくれることもありがたい。
年明けのある日。
お電話でつながりながら、エッジを取る作業をしてくれていた。
ときどき、途切れる会話の合間に『シャッシャ』と紙ヤスリのこすれる音が聞こえてくる。
きっと、これで切れないとわかったら限界の片鱗を見極めながらいつかとてもとても痛く叩かれるだろう。
わたしを可愛がるための凶器を大好きな人にメンテナンスしてもらっている様子を聞く。
それは、とても恐ろしくて、とろけるような幸福な時間だった。
ところで。
じつは、この日の根性棒。
ホテルのある街でなくしてしまっていた。
小振りのキャリーバッグの取っ手を収納する隙間にさしていたらしいのだけど、どうやらスルッと落ちてしまったみたいなんだよね(バッグには収まりきれないからやむを得ずさしていたらしいです)
電車で気づいたそうなんだけど、どこで落としたかわからないしわざわざ探しに戻るわけにもいかず、残念ながら初代根性棒さんとは一日限りのお付き合いとなってしまった。
後日2本、追加購入されたそうでヤスリの音は2代目3代目の音だったのだ。
初代の何箇所か割れていった感じはなかなか拷問シーンを思い起こさせる音やしなり方だったので惜しい気もするけれど、まあ、これも縁。
○○の街で悪用されていないことを(ちょっと真剣に)祈るばかりです。
もし、繁華街で割れた竹を茶色に塗装した『根性棒』が落ちていたら、お手数ですが速やかに処分していただくか、わたしまでご連絡をくださいませ^^
<関連エントリー>
『『あなたのために』はしない』
『暗闇にならない『あなたのため』』
今朝の「等式」感想です。
「道具のための私」なんて良いことりん子も言いますね。道具は使う対象があって存在価値がある、でも、その道具を使いたいが為にその対象を探す行為は理解できるよな~。根性棒についてはその後も色々あり、今は竹刀の二刀流、小刀を研究中。(笑)
果実
非日常的な日常
被虐の先の『快』。
これがわたしのマゾの根っこだと書いた。
(『マゾの根っこ』)
わたしは一般的には『負』とされていることで感じてしまうということに憧れを抱いだき、そうなる自分を予感していたのだと思う。
浮浪者に股を開き。
看守のおもちゃになり。
よろこんでそれを受け入れ快感を憶える。
もし、わたしがその女を見たら眉をひそめてしまうような、そんな女の自分を思い描いていたのだ。
『蔑まれる』女。
ただ『蔑まれる』というのはキーワードではあるけれど、それはわたしの核ではないことは那智さんとお付き合いをするようになって知っていく。
ひとつは。
実際SM行為を経験してみて、わたしは、わたしもしくは女性が蔑まれることに対して傷つき嫌悪感を抱いてしまうことを知る。
『2回目の旅』のとき、撮影ばかりするご主人様に「おまえは穴だ」と言われてはじめてマゾ心は湧いたけど、基本的にわたしを尊重してくれない姿勢に怒りを感じていたし、ハプバーなどですこしでも男性が女性を大切にしていないと感じられる様子に触れると傷ついてしまっていたから。(『傷つ性癖』)
『蔑まれる』ことはわたしには合わないのだと思った。
そして、もうひとつ。
『歪んだ自己愛』と表現して何度も登場しているけど、わたしは『蔑まれる』ような状態のわたしに自己愛を感じている。
みじめな異質な自分を蔑んで感じるのではなくて、その自分をいとしく思って感じている。
だから、どんなに蔑まれるようなことをしても、自己愛を感じているのだから蔑まれはしないのだ。
もともと持っていたもの。
経験して知ったこと。
くわえて、当然、那智さんと出会って作り上げたもの。
性的嗜好と一口に言っても、いろいろな要素が混ざっていて年月と共に形を変えていっていると思う。
根っこに水を与え、光を注ぎ、いまのわたしなりの実がなっている。
その実は。
痛いことも恥ずかしいことも汚いことも、多くの人(わたしを含む)が驚き眉をひそめるような行為をされたい。
そして、それを施す那智さんだけが、そのわたしを愛おしいと思っていてもらえることが幸福。
那智さんのうんこにまみれて、街中で四つん這いになって、ドレッサーの角におまんこを押当ててオナにーをする。
可愛がってもらう行為として。
那智さんの手で、那智さんに慈しまれながら、ひとりのわたしがわたしを蔑み、もうひとりのわたしが自己愛で感じている。
わたしのマゾの根っこから育った実は、『自己愛』と『可愛がられる』が核をなし表皮を『蔑む』が覆っているというイメージ。
この核は那智さんが手をかけることではじめてできたものだから、小さい頃から感じていた根っこからは想像しえなかった実がなっているのかもしれない。
わたしが蔑むような自分に自己愛を感じられるのは、那智さんがそのわたしを愛おしいと思ってくれるからだ。
そしてその感情を持ち続けてくれるのは、その実を那智さんの手で実らせたからだよね。
じつは一番の幸福は、実らせるための那智さんとの年月を重ねた交流だったのかなと当たり前のことを思う。
人(わたし)から見たら引いてしまうようなわたしを、それを作り上げた那智さんだけがいとおしく思ってくれる。
表皮と実の落差が大きいほど、この果実はたまらなくおいしい。
今日の「等式」感想です。
今日のエントリーが理解出来る方は読み込んで頂いている証だと、思います。(笑)りん子の変態を愛でる事が出来るのは時間と手間をかけ自分が育てたと自負できるから。その事を嬉しく思うと共に二人とも多分、何が普通で何が普通でないのか理解が怪しくなって来ていると思う。
被虐の先の『快』。
これがわたしのマゾの根っこだと書いた。
(『マゾの根っこ』)
わたしは一般的には『負』とされていることで感じてしまうということに憧れを抱いだき、そうなる自分を予感していたのだと思う。
浮浪者に股を開き。
看守のおもちゃになり。
よろこんでそれを受け入れ快感を憶える。
もし、わたしがその女を見たら眉をひそめてしまうような、そんな女の自分を思い描いていたのだ。
『蔑まれる』女。
ただ『蔑まれる』というのはキーワードではあるけれど、それはわたしの核ではないことは那智さんとお付き合いをするようになって知っていく。
ひとつは。
実際SM行為を経験してみて、わたしは、わたしもしくは女性が蔑まれることに対して傷つき嫌悪感を抱いてしまうことを知る。
『2回目の旅』のとき、撮影ばかりするご主人様に「おまえは穴だ」と言われてはじめてマゾ心は湧いたけど、基本的にわたしを尊重してくれない姿勢に怒りを感じていたし、ハプバーなどですこしでも男性が女性を大切にしていないと感じられる様子に触れると傷ついてしまっていたから。(『傷つ性癖』)
『蔑まれる』ことはわたしには合わないのだと思った。
そして、もうひとつ。
『歪んだ自己愛』と表現して何度も登場しているけど、わたしは『蔑まれる』ような状態のわたしに自己愛を感じている。
みじめな異質な自分を蔑んで感じるのではなくて、その自分をいとしく思って感じている。
だから、どんなに蔑まれるようなことをしても、自己愛を感じているのだから蔑まれはしないのだ。
もともと持っていたもの。
経験して知ったこと。
くわえて、当然、那智さんと出会って作り上げたもの。
性的嗜好と一口に言っても、いろいろな要素が混ざっていて年月と共に形を変えていっていると思う。
根っこに水を与え、光を注ぎ、いまのわたしなりの実がなっている。
その実は。
痛いことも恥ずかしいことも汚いことも、多くの人(わたしを含む)が驚き眉をひそめるような行為をされたい。
そして、それを施す那智さんだけが、そのわたしを愛おしいと思っていてもらえることが幸福。
那智さんのうんこにまみれて、街中で四つん這いになって、ドレッサーの角におまんこを押当ててオナにーをする。
可愛がってもらう行為として。
那智さんの手で、那智さんに慈しまれながら、ひとりのわたしがわたしを蔑み、もうひとりのわたしが自己愛で感じている。
わたしのマゾの根っこから育った実は、『自己愛』と『可愛がられる』が核をなし表皮を『蔑む』が覆っているというイメージ。
この核は那智さんが手をかけることではじめてできたものだから、小さい頃から感じていた根っこからは想像しえなかった実がなっているのかもしれない。
わたしが蔑むような自分に自己愛を感じられるのは、那智さんがそのわたしを愛おしいと思ってくれるからだ。
そしてその感情を持ち続けてくれるのは、その実を那智さんの手で実らせたからだよね。
じつは一番の幸福は、実らせるための那智さんとの年月を重ねた交流だったのかなと当たり前のことを思う。
人(わたし)から見たら引いてしまうようなわたしを、それを作り上げた那智さんだけがいとおしく思ってくれる。
表皮と実の落差が大きいほど、この果実はたまらなくおいしい。
今日の「等式」感想です。
今日のエントリーが理解出来る方は読み込んで頂いている証だと、思います。(笑)りん子の変態を愛でる事が出来るのは時間と手間をかけ自分が育てたと自負できるから。その事を嬉しく思うと共に二人とも多分、何が普通で何が普通でないのか理解が怪しくなって来ていると思う。
終電
独特な幸福感
終電間近のホーム。
自分の電車を一本スルーして見送ってくれた。
滑り込んできた電車に乗り込みホームを向いて座る。
正面に座る人とガラス窓をへだてて那智さんがいる。
座ったままぺこりとお辞儀をする。
『気をつけて』
口が、たぶん、そう動いた。
電車が動き出す。
小さな手振りをして、もう一回なにか口が動いた。
読み取れなかった。
なにをいってくれたのだろう。
きっと『あたたかい』なにかだ。
その『あたたかい』感触と感じ取れなかったちょっとのさみしいさ、それを楽しい時間だったという気持ちがやさしく包んでくれる。
ひと駅、またひと駅、すこしずつお別れした駅から離れていく。
わたしの皮膚を覆っていた那智さんの体温をひとカケラずつ置いていくようなすこしなごりおしい気持ちになる。
窓の外を眺めながら、体温を剥がしていって、わたしのまんなかの那智さんの『存在』をしっかり感じ取ることができる。
那智さんの不在が、那智さんの存在を感じさせてくれるのだ。
楽しかったカケラを置いていきながら、今度はわたしが那智さんの存在をぎゅっと抱きしめる。
それにしても、最後、なんて言ってくれたのだろう。
ちょっと残念だけど、謎解きは次回お楽しみみたいで、それもまたすき。
今朝の「等式」感想です。
見送りなんてめったにしません。
見送りが発生する要件
①私が酔っていること。
②別れるのが寂しくなるようなムードがあること。
③長期(さほどでもないですが)会えないこと
④デートの後にも関わらず、りん子が精神的にダウン気味なこと。
⑤遅い時間の別れであること。
まあ、大酔っぱらいの時ほど、送る確立が高いような気がするのは間違いかな~
終電間近のホーム。
自分の電車を一本スルーして見送ってくれた。
滑り込んできた電車に乗り込みホームを向いて座る。
正面に座る人とガラス窓をへだてて那智さんがいる。
座ったままぺこりとお辞儀をする。
『気をつけて』
口が、たぶん、そう動いた。
電車が動き出す。
小さな手振りをして、もう一回なにか口が動いた。
読み取れなかった。
なにをいってくれたのだろう。
きっと『あたたかい』なにかだ。
その『あたたかい』感触と感じ取れなかったちょっとのさみしいさ、それを楽しい時間だったという気持ちがやさしく包んでくれる。
ひと駅、またひと駅、すこしずつお別れした駅から離れていく。
わたしの皮膚を覆っていた那智さんの体温をひとカケラずつ置いていくようなすこしなごりおしい気持ちになる。
窓の外を眺めながら、体温を剥がしていって、わたしのまんなかの那智さんの『存在』をしっかり感じ取ることができる。
那智さんの不在が、那智さんの存在を感じさせてくれるのだ。
楽しかったカケラを置いていきながら、今度はわたしが那智さんの存在をぎゅっと抱きしめる。
それにしても、最後、なんて言ってくれたのだろう。
ちょっと残念だけど、謎解きは次回お楽しみみたいで、それもまたすき。
今朝の「等式」感想です。
見送りなんてめったにしません。
見送りが発生する要件
①私が酔っていること。
②別れるのが寂しくなるようなムードがあること。
③長期(さほどでもないですが)会えないこと
④デートの後にも関わらず、りん子が精神的にダウン気味なこと。
⑤遅い時間の別れであること。
まあ、大酔っぱらいの時ほど、送る確立が高いような気がするのは間違いかな~
精神の露出
非日常的な日常
SM界隈においての『露出』ってなに?
きっと露出というくらいだから、普通は出さないところを露出させることを指していうものなのかな。
わたしは、『外で下着姿』も『電車で可愛がってもらう』も『コンビニ前で四つん這い』も『山奥で全裸』もいろいろな行為をしているけど、そうなるとお洋服を着てコンビニ前で四つん這いなどのわんこは露出とはいわないのだろうか。
わんこは。
外?
店内という公共の場も外というなら、いろいろな外。
人目?
人がいるところでも、いないところでも、いても死角になっているところでもしている。
胸や性器や下着を代表とする普通は出さない部分を出している?
それはない、洋服を着ているもの。
じゃあ、性的なことを連想させる?
う〜ん、首輪にリードをつけていたらわかる人はわかるかもしれないけど、四つん這いだけだったら連想しないかも。
主たる目的は?従属感?
ある。とても大きな目的。
羞恥心をあおる?
うう、あおられまくってます(笑)
背徳感?
もちろん。
スリル?
それはわたしは楽しんでない。もしかしたら那智さんはすこしあるかも。
誇示?
周囲の数人に対して、その人たちはわからないかもしれないけど、ある。
忠誠心を計る?
結果的に忠誠を誓う形になっていたとしても、それを計る意味合いはまったくない。
だって、拒否権ないのだもの(笑)
性的興奮?
当然、ある。
思いついた露出の定義をあげてわんこに照らし合わせてみた。
当てはまるものもそうでないものもあるけれど、わたしたちは街中で四つん這いになってリードをつけて散歩する行為の『わんこ』を、一種の露出行為だと思っている。
わたしたちは普通隠しておく胸や下着などを露出させることなく、性的なものを連想させず、性的刺激を加えず、それで幸福と性的欲求を満たしている。
従わせている、従っているという支配被支配欲を満たす幸福は比較的理解していただきやすいかもしれないけど、わたしは『わんこ』で濡れるし快感を憶えている。
着衣で四つん這いで首筋をなでられることで性的欲求を満たす不思議。
わたしは思う。
『わんこ』は存在自体が露出行為だよね。
そして、那智さんはいう。
肌を出さずに性的欲求を満たしていることを表しているのだから、『わんこ』は精神の露出行為だね、って。
次回から6話、わたしたちの精神の露出行為『わんこ』話がずーーーっと続きます(笑)
<関連エントリー>
『わんこ』
今朝の「等式」感想です。
名物のわんこですね、興味の深い人と薄い人と極端に別れるエントリーかなと思いますが、6話もあるのならきっと我々の心情が理解できると信じてお付き合い下さい。私は私の心情を大きく吐露するようなエントリー以外は下書き等を読んでいないので軽くハードル上げておきます。
SM界隈においての『露出』ってなに?
きっと露出というくらいだから、普通は出さないところを露出させることを指していうものなのかな。
わたしは、『外で下着姿』も『電車で可愛がってもらう』も『コンビニ前で四つん這い』も『山奥で全裸』もいろいろな行為をしているけど、そうなるとお洋服を着てコンビニ前で四つん這いなどのわんこは露出とはいわないのだろうか。
わんこは。
外?
店内という公共の場も外というなら、いろいろな外。
人目?
人がいるところでも、いないところでも、いても死角になっているところでもしている。
胸や性器や下着を代表とする普通は出さない部分を出している?
それはない、洋服を着ているもの。
じゃあ、性的なことを連想させる?
う〜ん、首輪にリードをつけていたらわかる人はわかるかもしれないけど、四つん這いだけだったら連想しないかも。
主たる目的は?従属感?
ある。とても大きな目的。
羞恥心をあおる?
うう、あおられまくってます(笑)
背徳感?
もちろん。
スリル?
それはわたしは楽しんでない。もしかしたら那智さんはすこしあるかも。
誇示?
周囲の数人に対して、その人たちはわからないかもしれないけど、ある。
忠誠心を計る?
結果的に忠誠を誓う形になっていたとしても、それを計る意味合いはまったくない。
だって、拒否権ないのだもの(笑)
性的興奮?
当然、ある。
思いついた露出の定義をあげてわんこに照らし合わせてみた。
当てはまるものもそうでないものもあるけれど、わたしたちは街中で四つん這いになってリードをつけて散歩する行為の『わんこ』を、一種の露出行為だと思っている。
わたしたちは普通隠しておく胸や下着などを露出させることなく、性的なものを連想させず、性的刺激を加えず、それで幸福と性的欲求を満たしている。
従わせている、従っているという支配被支配欲を満たす幸福は比較的理解していただきやすいかもしれないけど、わたしは『わんこ』で濡れるし快感を憶えている。
着衣で四つん這いで首筋をなでられることで性的欲求を満たす不思議。
わたしは思う。
『わんこ』は存在自体が露出行為だよね。
そして、那智さんはいう。
肌を出さずに性的欲求を満たしていることを表しているのだから、『わんこ』は精神の露出行為だね、って。
次回から6話、わたしたちの精神の露出行為『わんこ』話がずーーーっと続きます(笑)
<関連エントリー>
『わんこ』
今朝の「等式」感想です。
名物のわんこですね、興味の深い人と薄い人と極端に別れるエントリーかなと思いますが、6話もあるのならきっと我々の心情が理解できると信じてお付き合い下さい。私は私の心情を大きく吐露するようなエントリー以外は下書き等を読んでいないので軽くハードル上げておきます。
精神の露出1『那智さんのわんこ考』
非日常的な日常
那智さんはときどきこんなことをいう。
山奥みたいに人が来ない場所でする露出ってホテルの部屋と何が違うの。
人が来ない(であろう)山道でいくら全裸に四つん這いで歩かせて『露出調教』なんていっても、那智さんにとってそれは二人きりの密室と変わりないと思っている。
わたしたちの『露出』をしたいという欲望には『従わせている、従っている』という従属感を満たすことが含まれているので、それをより満たせるには人の目があるほうがいい。
しかもハプバーなどの予定調和じゃない一般道でするほうが、より『従わせている、従っている』感は満足する。
だって、そんな条件でも『させたいし、したい』ということになるからね。
で、法に触れず通行人に『性的な露出』していると気づかれない(ひいては不快にさせない)ように、なおかつ『従わせている、従っている』欲を満たす露出にするために、一般道に着衣のままで四つん這いという形ができたのですね。
これは最悪『なに、あれ!?』とはなっても、全裸や半裸で目のやり場に困るようなものにはならないでしょうし、基本的に子供が視界にいたらしないというわたしのこだわりも守ってくれているから、社会的に良ではないとしてもわたしたちなりに誠意は尽くしているつもり。
だから那智さんとしては山奥での露出行為はホテルとほとんど差がないと思っているのだ。
(これに関しては続きものの最後にもう一度補足します)
で、そんな中で行う那智さんの露出を考えたとき、またこんなこともいう。
街中をリードを引いて歩く方とリードを引かれて四つん這いで歩くほうと、どちらが恥ずかしいと思う?
これは長い時間かけてふたりの間でも話題になっていたけど、皆さんもちょっと具体的に想像してみてくださいませ。
那智さんいわく。
カメラをかまえるわけでもなく、隣りもしくは向かいにいて肌を露出させているのを眺めているわけでもなく、那智さんはリードを持って引く。
リードを引くという時点で自分もこのおかしな行為に積極的に参加している、さらにはリードを引くことで主導権は引く側にあると一般的には映るよね。
ということは、いま行っているおかしな行為は主導権を握るほうの嗜好ということになる。
アブノーマルな性癖を人様により公言することになるのはリードを引く側。
那智さんとしてもいちおう大人で一般社会に生きているので『女を四つん這いで連れてるんだぜ!!』と胸を張れるほど簡単に破天荒になれるわけでもないよね。
しかも、リードを引かれるほうは下を向いていることもできるけど、引くほうが堂々を連れ歩かないといけないのだ。
以前、ハプバーの仲良しスタッフだったYちゃんが、イベントか何かで夜の繁華街を全頭マスクをしてボンデージファッションをした女性を集団で連れ歩いたと言っていたけど、それは人様には『なんかお遊び』と映る気楽さがある。
それとこれは経験してすごく感じることなのだけど『カメラ』をかまえているだけでも、十分『言い訳』になるんだよね。
それと比べると、昼間の街中で衣装をまとうわけでもなくカメラや撮影隊もなくて、ふたりきりでそれを行うのでは引く側の恥ずかしさはかなりなものだろう。
当然、トラブルが起きた場合の覚悟も必要。
そのあたりを考えると引くほうが恥ずかしいし根性いるだろ?
自分の変な趣味を披露して堂々と歩く、しかもトラブルがあったら対処するわけで、総じて引く側のほうが大変というのが那智さんのご意見。
だから、俺がしたいことはもちろんだけど、りん子を四つん這いにしてあげてるとも言えるんだよ(笑)
ということだ。
長いことわんこをしてきて、最近はたしかにそれも一理あるようにも感じている。
わたしはわんこにしてもらっているんだ。
もともと従属願望はあったとはいえ、街中で四つん這いになるなんてとんでもないと激しく首を振って拒否したわたしに『わんこにしてもらっている』と思わせるようにさせた。
『従わせたい、従っていたい』という上下の互いの求めてやまないものを、長い時間かけて幸福に従えるように作ってくれた。
あなたの足下にいる幸福。
足下で幸せそうについてくる女を連れている満足。
そこに性的満足も感じている。
そんなわたしたちの精神の露出行為。
人が来ない場所はホテルと同じだと思っている那智さんが、あえて街中を選び、リードを引いて四つん這いの女を連れ歩く。
命令でも忠誠でも調教でもなく、『わんこにしてもらっている』と感じた片鱗、那智さんが作り上げたお話。
<関連エントリー>
『お散歩の裏話1 2』
今朝の「等式」感想です。
わんこ関連では、迷惑防止条例があるのですよね~その中に「人が不快に・・・・・」あるのですが、まあ、おまわりさんの注意も聞かないでリードを引けば捕まる可能性はゼロではないですが。嬉しいコメントがつきました、りん子に対して「してあげる」はこの1年位で私が得ることができた感覚です。切望する欲求や気持ちがあっての「してあげる」、私がしてあてると思っても受けるりん子の「思い」がなければしてあげるにはならないと思います。長い間、色々な事に対して「一緒に」が部分的に「してあげる」に進化したのは嬉しく思います。当然、「対等で上下で」です。
那智さんはときどきこんなことをいう。
山奥みたいに人が来ない場所でする露出ってホテルの部屋と何が違うの。
人が来ない(であろう)山道でいくら全裸に四つん這いで歩かせて『露出調教』なんていっても、那智さんにとってそれは二人きりの密室と変わりないと思っている。
わたしたちの『露出』をしたいという欲望には『従わせている、従っている』という従属感を満たすことが含まれているので、それをより満たせるには人の目があるほうがいい。
しかもハプバーなどの予定調和じゃない一般道でするほうが、より『従わせている、従っている』感は満足する。
だって、そんな条件でも『させたいし、したい』ということになるからね。
で、法に触れず通行人に『性的な露出』していると気づかれない(ひいては不快にさせない)ように、なおかつ『従わせている、従っている』欲を満たす露出にするために、一般道に着衣のままで四つん這いという形ができたのですね。
これは最悪『なに、あれ!?』とはなっても、全裸や半裸で目のやり場に困るようなものにはならないでしょうし、基本的に子供が視界にいたらしないというわたしのこだわりも守ってくれているから、社会的に良ではないとしてもわたしたちなりに誠意は尽くしているつもり。
だから那智さんとしては山奥での露出行為はホテルとほとんど差がないと思っているのだ。
(これに関しては続きものの最後にもう一度補足します)
で、そんな中で行う那智さんの露出を考えたとき、またこんなこともいう。
街中をリードを引いて歩く方とリードを引かれて四つん這いで歩くほうと、どちらが恥ずかしいと思う?
これは長い時間かけてふたりの間でも話題になっていたけど、皆さんもちょっと具体的に想像してみてくださいませ。
那智さんいわく。
カメラをかまえるわけでもなく、隣りもしくは向かいにいて肌を露出させているのを眺めているわけでもなく、那智さんはリードを持って引く。
リードを引くという時点で自分もこのおかしな行為に積極的に参加している、さらにはリードを引くことで主導権は引く側にあると一般的には映るよね。
ということは、いま行っているおかしな行為は主導権を握るほうの嗜好ということになる。
アブノーマルな性癖を人様により公言することになるのはリードを引く側。
那智さんとしてもいちおう大人で一般社会に生きているので『女を四つん這いで連れてるんだぜ!!』と胸を張れるほど簡単に破天荒になれるわけでもないよね。
しかも、リードを引かれるほうは下を向いていることもできるけど、引くほうが堂々を連れ歩かないといけないのだ。
以前、ハプバーの仲良しスタッフだったYちゃんが、イベントか何かで夜の繁華街を全頭マスクをしてボンデージファッションをした女性を集団で連れ歩いたと言っていたけど、それは人様には『なんかお遊び』と映る気楽さがある。
それとこれは経験してすごく感じることなのだけど『カメラ』をかまえているだけでも、十分『言い訳』になるんだよね。
それと比べると、昼間の街中で衣装をまとうわけでもなくカメラや撮影隊もなくて、ふたりきりでそれを行うのでは引く側の恥ずかしさはかなりなものだろう。
当然、トラブルが起きた場合の覚悟も必要。
そのあたりを考えると引くほうが恥ずかしいし根性いるだろ?
自分の変な趣味を披露して堂々と歩く、しかもトラブルがあったら対処するわけで、総じて引く側のほうが大変というのが那智さんのご意見。
だから、俺がしたいことはもちろんだけど、りん子を四つん這いにしてあげてるとも言えるんだよ(笑)
ということだ。
長いことわんこをしてきて、最近はたしかにそれも一理あるようにも感じている。
わたしはわんこにしてもらっているんだ。
もともと従属願望はあったとはいえ、街中で四つん這いになるなんてとんでもないと激しく首を振って拒否したわたしに『わんこにしてもらっている』と思わせるようにさせた。
『従わせたい、従っていたい』という上下の互いの求めてやまないものを、長い時間かけて幸福に従えるように作ってくれた。
あなたの足下にいる幸福。
足下で幸せそうについてくる女を連れている満足。
そこに性的満足も感じている。
そんなわたしたちの精神の露出行為。
人が来ない場所はホテルと同じだと思っている那智さんが、あえて街中を選び、リードを引いて四つん這いの女を連れ歩く。
命令でも忠誠でも調教でもなく、『わんこにしてもらっている』と感じた片鱗、那智さんが作り上げたお話。
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今朝の「等式」感想です。
わんこ関連では、迷惑防止条例があるのですよね~その中に「人が不快に・・・・・」あるのですが、まあ、おまわりさんの注意も聞かないでリードを引けば捕まる可能性はゼロではないですが。嬉しいコメントがつきました、りん子に対して「してあげる」はこの1年位で私が得ることができた感覚です。切望する欲求や気持ちがあっての「してあげる」、私がしてあてると思っても受けるりん子の「思い」がなければしてあげるにはならないと思います。長い間、色々な事に対して「一緒に」が部分的に「してあげる」に進化したのは嬉しく思います。当然、「対等で上下で」です。