ダイエット
独り言
那智さん、何回目かのダイエットをはじめた。
2、3年前からさすがにね〜という感じになってきているのでダイエットをはじめるのだけど、結局続かずはじめては頓挫してをくり返しいた。
何度もいうが、わたしは那智さんが太っていてもぜんぜんかまわない。
ただスーツ苦しそう^^;って思ったり、いっぱい動けるほうが^^;と思ったりしているので止めはしない。
ただ、やりはじめて頓挫をくり返すのはダイエット的にもよろしくないっていうし、じつは、那智さんには『有言実行』でいてほしいという思いのあって、今回は成功してほしいなと思っていた。
(那智さん的には30年計画くらいの有言実行かもしれないですけどね^^)
そんな折り、これならできそうと那智さんが見つけてきたのが『一週間のうち2日だけプチ断食する』というダイエット。
それで検索されないほうがいいかなと思うのでぼんやりな名前にしておきますが、一週間のうち2日間だけ、男性600kcal、女性500kcalで抑える、それ以外は普通に食べてよいというものだそうだ。
たしかに、これなら毎日カロリーを気にしながらじゃなくていいので精神衛生上いいし、むしろ他の日心置きなく食べられる。
急激な減量にはならないけど、継続できるほうがいいものね。
最近、わたしも年齢と運動不足がたたり去年着られていたお洋服がちょっといい感じにならなくなってきたので、それならとわたしもご一緒することにした。
同じ曜日にすれ頑張れそうだし空腹も笑いになりそうで、これなら悪くないということになり◯曜日と△曜日に決める。
◯と△の間の日は那智さんの平日休みになりやすい日なのだ、だから、◯曜日は『明日は那智さんとたっぷり食べる』△曜日が『昨日たくさん楽しかったから』というモチベーションにもなるのだった。
500kcalかぁ。
ネット情報だとなるべくたんぱく質や野菜は取るほうがよくて、炭水化物は控え目にということだった。
まあ、ダイエット的には正解だよね。
納豆、豆腐、卵、鶏ささみ。
キャベツ、レタス、トマト、白菜、きのこ、にんじん、ごぼう。
思いつく食材のカロリーを調べて、500kcalの献立を想像する。
野菜大目で出汁を入れてクタクタに煮ればけっこう満腹感もある。
納豆や豆腐もうまく使って。
たっぷりの生野菜にはドレッシングではなくて黒酢醤油。
やってみるとそれなりに楽しめた。
ただそうはいっても500kca、それなりに大変。
明日は何を食べようと、それを励みに空腹を感じたらひたすらお茶を飲んで紛らわす。
最初の1、2週は、『明日何食べよ』な反動が、那智さんもわたしもおもしろかった。
那智さんは禁断の酢豚弁当に手を出し(那智さんのお仕事場の中華屋さんの酢豚弁当はものすごい量があって、お仕事場にお邪魔したときは半分こするの)、わたしにいたっては昼メンチカツ、夜餃子と育ち盛りの男子並みの献立にしてしまったり(もちろん、ご飯おかわり自由だ)
もうやりたい放題。
はたして、プチ断食の意味があるのか。
もうなんか合い言葉のように『はんどー、はんどー』とお互いの反動行動をおもしろがっていた。
それも、まあ2週間くらい過ぎたらころには落ち着き、お昼のメンチカツを2枚から1枚に抑える理性は取り戻せるようになっている(あはは^^;)
それでも、なかなか大変な日もあるのだ。
この日は朝コーヒー、昼春雨スープ、合間にお茶いっぱい、夜はお豆腐納豆キムチと白菜やニンジンやキノコを蒸し煮。
豆腐は半丁、納豆と刻んだキムチを乗せてお醤油を回しかけ、たーーぷりの白菜の蒸し煮はポン酢でいただいた。
じつは、このプチ断食日には大好きな白米は口にしないように決めている。
これだってちゃんとカロリー計算して食べれば問題ないのだけど、無類の白米好きのわたしは、ひと口だけで己の欲望を抑える自信がない。
ゼロと割り切っていれば諦めもつくけれど、ひと口食べたら、ああ、あとひと口、このおかずに合わせてもうひと口とズルズル引きずってしまうことは容易に想像できる。
それを自制する苦労をするくらいなら、最初からゼロにしておいたほうが気楽だし、翌日の『はんどー』が思い切れる^^
この日も白米なし、でも、蒸し煮は量があるのでそれなりに満腹感もあって、その日の夕飯は終了した。
ところが、時間が経つにつれ、いつもに増して空腹感を感じるようになってくる。
この日はいつも帰りが遅い夫の帰りがさらに遅かった。
わたしは夫が帰宅するまで起きていて、帰宅してからご飯を作って提供しているので、寝るわけにもいかないし、いつまで経ってもキッチンに『食事の準備』が待機しているのだ。
温められるのを待っている肉じゃが。
冷蔵庫にはお友達からお土産でいただいた漬け物。
そして、保温は切っているけれど、まだほのかに温かいであろう白米は炊飯器に。
ああ、これらを目の前にしてあとどれくらい、この空腹と食欲と戦わなければならないのだ。
お茶を飲み紛らわしても梅干しを齧り凌いでみても、食べたい気持ちは治まってくれない。
いや、計算上では今日は500kcalに達していないのだ、もうちょっとなにか口にしても問題ない。
でも、わたしが食べたいものは白米やマヨネーズやバターや脂身や、とにかく、それひと口で水の泡な食材ばかり。
サラダにしたってマヨネーズドボドボにして食べたい。
蒸し煮だって、ゴマドレ味で食べたい。
ささみ肉より鶏皮がいいーーーー!!
はうう。
落ち着け、わたし。
大丈夫、今日はまだ500じゃない。
保存食用にこしらえた野菜(だけ)スープを冷蔵庫から出し、温め、ほんのひと口いただくことにしよう。
温めたスープはとてもおいしい、でも、でも、でも、もー、クタクタにした野菜、いやだーー!!!
これ以上クタクタに煮た野菜なんて一切れたりとも食べたくない!!
スープのおいしさとクタクタに煮た野菜への拒否反応がわたしの理性をどこかにすっ飛ばしてしまった。
もう、耐えられん!!
食器棚から小鉢を取り炊飯器の白米をひと口分だけよそる。
これくらい、500以内だ、なにも問題ない。
衝動に負け、大きめのひと口分を口の中に放り込んだ。
ああ、ほのかに温かく、懐かしいこの感触。
慣れ親しんだ動きで一回咀嚼すると、唾液とともに甘味がじゅわーーーーっと広がる。
お米って、こんなに甘いんだぁ〜〜。
このまま昇天しても悔いはないかと思うほどの至福。
はっ!!!と我に返る。
りん子、なにやってるの!!
いままであんなに頑張ったのに!!
思わず口の中のものを手のひらに吐き出す。
わたしは、力石徹か。
深夜のキッチンで七転八倒。
お行儀悪いこととご飯さんごめんなさいと思いながら、呼吸を整え後片付けをした。
自分でもなにをそんな頑なにと思うんだけど^^;
それは決めたことをやり通そうという思いと、ひと口咀嚼したときの白米があまりにおいしくて、いまこれを味わってしまうより、明日晴れ晴れとした気持ちで思いっきりたくさん食べたほうがおいしいと思ったから、押しとどまったところも大きい。
より大きな満足を得るために小さな満足は我慢する。
なんだか、那智さん的な思考回路だと思わなくないけれど、とにかく、人はその先に大きなよろこびが待っていると思うとけっこうがんばれるものだということだね^^
翌日、心おきなく堂々とメンチカツ2枚とお漬け物と白米を堪能したのでした^^
プチ断食ダイエット続行中。
反動もあってなかなか牛歩の歩みですがたのしんでます^^
<関連エントリー>
ダイエットとご飯が大好きなんだよーー
おいしいもの
ご飯好き
全日本満腹協会
いまのあなたが好き
「等式」感想です。まあ、力石徹の下りはお決まりとは思いつつおもしろかったです。(笑)このダイエットは比較的楽しく、継続出来ています。徐々に成果がでているのは頼もしくもあり大丈夫なのか少し不安でもあり。
那智さん、何回目かのダイエットをはじめた。
2、3年前からさすがにね〜という感じになってきているのでダイエットをはじめるのだけど、結局続かずはじめては頓挫してをくり返しいた。
何度もいうが、わたしは那智さんが太っていてもぜんぜんかまわない。
ただスーツ苦しそう^^;って思ったり、いっぱい動けるほうが^^;と思ったりしているので止めはしない。
ただ、やりはじめて頓挫をくり返すのはダイエット的にもよろしくないっていうし、じつは、那智さんには『有言実行』でいてほしいという思いのあって、今回は成功してほしいなと思っていた。
(那智さん的には30年計画くらいの有言実行かもしれないですけどね^^)
そんな折り、これならできそうと那智さんが見つけてきたのが『一週間のうち2日だけプチ断食する』というダイエット。
それで検索されないほうがいいかなと思うのでぼんやりな名前にしておきますが、一週間のうち2日間だけ、男性600kcal、女性500kcalで抑える、それ以外は普通に食べてよいというものだそうだ。
たしかに、これなら毎日カロリーを気にしながらじゃなくていいので精神衛生上いいし、むしろ他の日心置きなく食べられる。
急激な減量にはならないけど、継続できるほうがいいものね。
最近、わたしも年齢と運動不足がたたり去年着られていたお洋服がちょっといい感じにならなくなってきたので、それならとわたしもご一緒することにした。
同じ曜日にすれ頑張れそうだし空腹も笑いになりそうで、これなら悪くないということになり◯曜日と△曜日に決める。
◯と△の間の日は那智さんの平日休みになりやすい日なのだ、だから、◯曜日は『明日は那智さんとたっぷり食べる』△曜日が『昨日たくさん楽しかったから』というモチベーションにもなるのだった。
500kcalかぁ。
ネット情報だとなるべくたんぱく質や野菜は取るほうがよくて、炭水化物は控え目にということだった。
まあ、ダイエット的には正解だよね。
納豆、豆腐、卵、鶏ささみ。
キャベツ、レタス、トマト、白菜、きのこ、にんじん、ごぼう。
思いつく食材のカロリーを調べて、500kcalの献立を想像する。
野菜大目で出汁を入れてクタクタに煮ればけっこう満腹感もある。
納豆や豆腐もうまく使って。
たっぷりの生野菜にはドレッシングではなくて黒酢醤油。
やってみるとそれなりに楽しめた。
ただそうはいっても500kca、それなりに大変。
明日は何を食べようと、それを励みに空腹を感じたらひたすらお茶を飲んで紛らわす。
最初の1、2週は、『明日何食べよ』な反動が、那智さんもわたしもおもしろかった。
那智さんは禁断の酢豚弁当に手を出し(那智さんのお仕事場の中華屋さんの酢豚弁当はものすごい量があって、お仕事場にお邪魔したときは半分こするの)、わたしにいたっては昼メンチカツ、夜餃子と育ち盛りの男子並みの献立にしてしまったり(もちろん、ご飯おかわり自由だ)
もうやりたい放題。
はたして、プチ断食の意味があるのか。
もうなんか合い言葉のように『はんどー、はんどー』とお互いの反動行動をおもしろがっていた。
それも、まあ2週間くらい過ぎたらころには落ち着き、お昼のメンチカツを2枚から1枚に抑える理性は取り戻せるようになっている(あはは^^;)
それでも、なかなか大変な日もあるのだ。
この日は朝コーヒー、昼春雨スープ、合間にお茶いっぱい、夜はお豆腐納豆キムチと白菜やニンジンやキノコを蒸し煮。
豆腐は半丁、納豆と刻んだキムチを乗せてお醤油を回しかけ、たーーぷりの白菜の蒸し煮はポン酢でいただいた。
じつは、このプチ断食日には大好きな白米は口にしないように決めている。
これだってちゃんとカロリー計算して食べれば問題ないのだけど、無類の白米好きのわたしは、ひと口だけで己の欲望を抑える自信がない。
ゼロと割り切っていれば諦めもつくけれど、ひと口食べたら、ああ、あとひと口、このおかずに合わせてもうひと口とズルズル引きずってしまうことは容易に想像できる。
それを自制する苦労をするくらいなら、最初からゼロにしておいたほうが気楽だし、翌日の『はんどー』が思い切れる^^
この日も白米なし、でも、蒸し煮は量があるのでそれなりに満腹感もあって、その日の夕飯は終了した。
ところが、時間が経つにつれ、いつもに増して空腹感を感じるようになってくる。
この日はいつも帰りが遅い夫の帰りがさらに遅かった。
わたしは夫が帰宅するまで起きていて、帰宅してからご飯を作って提供しているので、寝るわけにもいかないし、いつまで経ってもキッチンに『食事の準備』が待機しているのだ。
温められるのを待っている肉じゃが。
冷蔵庫にはお友達からお土産でいただいた漬け物。
そして、保温は切っているけれど、まだほのかに温かいであろう白米は炊飯器に。
ああ、これらを目の前にしてあとどれくらい、この空腹と食欲と戦わなければならないのだ。
お茶を飲み紛らわしても梅干しを齧り凌いでみても、食べたい気持ちは治まってくれない。
いや、計算上では今日は500kcalに達していないのだ、もうちょっとなにか口にしても問題ない。
でも、わたしが食べたいものは白米やマヨネーズやバターや脂身や、とにかく、それひと口で水の泡な食材ばかり。
サラダにしたってマヨネーズドボドボにして食べたい。
蒸し煮だって、ゴマドレ味で食べたい。
ささみ肉より鶏皮がいいーーーー!!
はうう。
落ち着け、わたし。
大丈夫、今日はまだ500じゃない。
保存食用にこしらえた野菜(だけ)スープを冷蔵庫から出し、温め、ほんのひと口いただくことにしよう。
温めたスープはとてもおいしい、でも、でも、でも、もー、クタクタにした野菜、いやだーー!!!
これ以上クタクタに煮た野菜なんて一切れたりとも食べたくない!!
スープのおいしさとクタクタに煮た野菜への拒否反応がわたしの理性をどこかにすっ飛ばしてしまった。
もう、耐えられん!!
食器棚から小鉢を取り炊飯器の白米をひと口分だけよそる。
これくらい、500以内だ、なにも問題ない。
衝動に負け、大きめのひと口分を口の中に放り込んだ。
ああ、ほのかに温かく、懐かしいこの感触。
慣れ親しんだ動きで一回咀嚼すると、唾液とともに甘味がじゅわーーーーっと広がる。
お米って、こんなに甘いんだぁ〜〜。
このまま昇天しても悔いはないかと思うほどの至福。
はっ!!!と我に返る。
りん子、なにやってるの!!
いままであんなに頑張ったのに!!
思わず口の中のものを手のひらに吐き出す。
わたしは、力石徹か。
深夜のキッチンで七転八倒。
お行儀悪いこととご飯さんごめんなさいと思いながら、呼吸を整え後片付けをした。
自分でもなにをそんな頑なにと思うんだけど^^;
それは決めたことをやり通そうという思いと、ひと口咀嚼したときの白米があまりにおいしくて、いまこれを味わってしまうより、明日晴れ晴れとした気持ちで思いっきりたくさん食べたほうがおいしいと思ったから、押しとどまったところも大きい。
より大きな満足を得るために小さな満足は我慢する。
なんだか、那智さん的な思考回路だと思わなくないけれど、とにかく、人はその先に大きなよろこびが待っていると思うとけっこうがんばれるものだということだね^^
翌日、心おきなく堂々とメンチカツ2枚とお漬け物と白米を堪能したのでした^^
プチ断食ダイエット続行中。
反動もあってなかなか牛歩の歩みですがたのしんでます^^
<関連エントリー>
ダイエットとご飯が大好きなんだよーー
おいしいもの
ご飯好き
全日本満腹協会
いまのあなたが好き
「等式」感想です。まあ、力石徹の下りはお決まりとは思いつつおもしろかったです。(笑)このダイエットは比較的楽しく、継続出来ています。徐々に成果がでているのは頼もしくもあり大丈夫なのか少し不安でもあり。
信頼は寛容を生む
りん子的独り言(エラそう)
年末年始。
那智さんが忙しく、わたしはしっかり者になれていて落ち着けてしまっていたとき、このまま落ち着けてしまっていて、那智さんにわたしの『さみしい』とか『かなしい』とかを伝えずにいたら、伝えずに、そして、那智さんが気づかずに見過ごしていたら、わたしの微量のヘルプに気づかず『大丈夫』の演技にだまされたことになってしまわないか。
わたしの演技にだまされるなんて、過去の男性たちと同じ、わたしがあっかんべーと舌を出してしまわないか。
ちょっと、ううん、かなり危惧していた。
おそらく、今年はピアスのこともあったし、例年よりわたしは『いいこ』でいられたはずだ。
いつもだったら、もう少しさみしいを表現して、那智さんの手を止めさせていたはずだもの。
その差に気づいてほしいな。
忙しいのが終わったら、いい子にしてたねってほめてほしいな。
那智さんが気づかないままだったら、わたし舌を出してしまわないか、心配だもの。
だから、気づいてほしい。
イベントが終わって、やっとゆっくりお休みが取れた日。
居酒屋でひさしぶりのお酒を楽しみながら、この話題を出した。
那智さんがお忙しい間、わたし、今年はけっこうおとなしくしていられたと思うんですけど、それは多少なりさみしいに蓋をしていたとして、その蓋をしていることに那智さんが気づかず、そのままだったら、那智さんはわたしの演技にだまされたことになりませんか?
そういうときは、後になってからでも、話したければ話せばいいよ
はい、もちろん、蓋をしても治めきれなかったらお話しします
でも、たとえば話さなかったとして、そしたら、気づかない那智さんに対してあっかんべーしてしまわないか心配です
そんなの簡単だよ(笑)
いま(忙しい時期)はそういう時期だと思っておけばいい
いつもならアンテナ張り巡らせてりん子の変化に気づけるかもしれないけど、忙しいときはアンテナの感度が鈍っているから、いまはそういうものだと思っておけばいいだけのこと(笑)
忙しいのが終わったら、またもとの感度に戻るんだからね
ああ、なるほどね〜。
全部を我慢するのではなく、無理矢理蓋をするのでもなく、でも『いまはそういうとき』と心を着地させる。
日頃、那智さんが最大限の力を使って(まあ、最近はわたしもしっかりしてきているので緩急あると思うけど)張ってくれているアンテナを緩める時期であると理解する。
それは裏を返せばいつも張ってくれているからこその存在する緩みだと理解する。
そう思うと、那智さんに対して演技してだまそうという気持ちも起きないし、あっかんべーもしないでいられる。
なかなか那智さんらしい思考回路で、最近のわたしはすんなり納得できた。
ここに着地できたのは長年の信頼の積み重ねの成果だと思うけど、その『信頼』って突き詰めるとひとつのことに集約されている。
それはね
那智さんに悪感情はない。
ということ。
那智さんはわたしを大切に思っている。
那智さんがわたしに対して、意地悪や八つ当たりや軽んじるなどのおおよそ想像する悪感情は持っていない。
那智さんの言動は基本的にすべて『りん子を大切にしたい』に基づいている。
こう思えることを『信頼』というのだ。
とうぜん、言っていることとやっていることが伴っていることや好きな女に対して『優しさ』を持てる男であることは大前提だけども。
長年『悪感情はない』と思わせてくれると、その『信頼』は培われる。
信じることに慣れさせてもらって、こちらも信じるに値する人だと思えるような思考回路を作ったら、突き詰めると『信頼』とは『わたしに対して悪感情はない』と思えることだと思う。
人だからね、ミスはあるのよ(笑)
那智さんだって、言葉のあやで悲しくなるようなことを言ってしまうことだってあるし、一日のおしまいの『おやすみ』メールを忘れてしまうこともある。
誕生日だって忘れてしまうこともある(笑)
でも、それは意地悪でとか傷つけてもいいやと思っているわけではないし、わたしを軽んじているわけでもない、たまたまのミス。
もちろん、忘れられて悲しいよ〜というのは言っていいのだけど、それでも『悪感情からではない』『悲しませたくないと思っている』と思えることが大事で、それが『信頼』なのだ。
以前は重箱の隅をつつくように『信頼』の根拠を見つけていた。
メールちゃんとくれるか、本当に迷惑じゃないか、様々なチェック項目を作りそれに気を張っていた。
そして、何かあったらドーンと落ち込み、ぐるぐる(笑)
その都度、話しをしてもらって解決して、やっぱり悪気はないねということをくり返した。
だけど、最近はもう重箱の隅をつつく行為はしなくなっている。
『信頼』というものは大きなブランケットだ。
それは『相手に悪意はない』というもの。
これだけちゃんと敷いていれば、細かいことで信頼を揺るがすことはない。
悪意はないと思い合えることは、人を寛容にしてくれる。
信じることに慣れさせてもらえたら、次は自分は信頼に値する人だと思えるようになろう、そして、その後に手に入れるアイテムは『寛容』だ。
『相手に悪意はない』という信頼さえ見失わなければ、人は寛容になれる。
『相手に悪意はない』とだけ思えれば充分、それが『信頼』=『寛容』はリバーシブルのブランケット、きっととっても温かい。
重箱の隅を突くより寛容でいられるのは、相手はもちろん自分も快適なんだ^^
そして、たぶん、これが那智さんの人付き合いの極意。
長い時間かけてわたしに教え続けてくれたことが最近本当に無理なく身につけられている。
だから、那智さん、いまわたしと付き合っているのけっこうラクだと思うのです(笑)
<関連エントリー>
信じることに慣れるのだ
信じることに慣れさせてもらったら
「等式」感想です。つい最近、りん子がメールの文字をうち間違え意味が変わり、その指示で私がある行動をしました。微妙な違和感がありましたが、従いました、「信頼による思考停止」です。これには当然良し悪しがありますが誤解が解けた時、ある種の危うさを感じました。
重大な問題での話では無いので、大袈裟なのですがね。
年末年始。
那智さんが忙しく、わたしはしっかり者になれていて落ち着けてしまっていたとき、このまま落ち着けてしまっていて、那智さんにわたしの『さみしい』とか『かなしい』とかを伝えずにいたら、伝えずに、そして、那智さんが気づかずに見過ごしていたら、わたしの微量のヘルプに気づかず『大丈夫』の演技にだまされたことになってしまわないか。
わたしの演技にだまされるなんて、過去の男性たちと同じ、わたしがあっかんべーと舌を出してしまわないか。
ちょっと、ううん、かなり危惧していた。
おそらく、今年はピアスのこともあったし、例年よりわたしは『いいこ』でいられたはずだ。
いつもだったら、もう少しさみしいを表現して、那智さんの手を止めさせていたはずだもの。
その差に気づいてほしいな。
忙しいのが終わったら、いい子にしてたねってほめてほしいな。
那智さんが気づかないままだったら、わたし舌を出してしまわないか、心配だもの。
だから、気づいてほしい。
イベントが終わって、やっとゆっくりお休みが取れた日。
居酒屋でひさしぶりのお酒を楽しみながら、この話題を出した。
那智さんがお忙しい間、わたし、今年はけっこうおとなしくしていられたと思うんですけど、それは多少なりさみしいに蓋をしていたとして、その蓋をしていることに那智さんが気づかず、そのままだったら、那智さんはわたしの演技にだまされたことになりませんか?
そういうときは、後になってからでも、話したければ話せばいいよ
はい、もちろん、蓋をしても治めきれなかったらお話しします
でも、たとえば話さなかったとして、そしたら、気づかない那智さんに対してあっかんべーしてしまわないか心配です
そんなの簡単だよ(笑)
いま(忙しい時期)はそういう時期だと思っておけばいい
いつもならアンテナ張り巡らせてりん子の変化に気づけるかもしれないけど、忙しいときはアンテナの感度が鈍っているから、いまはそういうものだと思っておけばいいだけのこと(笑)
忙しいのが終わったら、またもとの感度に戻るんだからね
ああ、なるほどね〜。
全部を我慢するのではなく、無理矢理蓋をするのでもなく、でも『いまはそういうとき』と心を着地させる。
日頃、那智さんが最大限の力を使って(まあ、最近はわたしもしっかりしてきているので緩急あると思うけど)張ってくれているアンテナを緩める時期であると理解する。
それは裏を返せばいつも張ってくれているからこその存在する緩みだと理解する。
そう思うと、那智さんに対して演技してだまそうという気持ちも起きないし、あっかんべーもしないでいられる。
なかなか那智さんらしい思考回路で、最近のわたしはすんなり納得できた。
ここに着地できたのは長年の信頼の積み重ねの成果だと思うけど、その『信頼』って突き詰めるとひとつのことに集約されている。
それはね
那智さんに悪感情はない。
ということ。
那智さんはわたしを大切に思っている。
那智さんがわたしに対して、意地悪や八つ当たりや軽んじるなどのおおよそ想像する悪感情は持っていない。
那智さんの言動は基本的にすべて『りん子を大切にしたい』に基づいている。
こう思えることを『信頼』というのだ。
とうぜん、言っていることとやっていることが伴っていることや好きな女に対して『優しさ』を持てる男であることは大前提だけども。
長年『悪感情はない』と思わせてくれると、その『信頼』は培われる。
信じることに慣れさせてもらって、こちらも信じるに値する人だと思えるような思考回路を作ったら、突き詰めると『信頼』とは『わたしに対して悪感情はない』と思えることだと思う。
人だからね、ミスはあるのよ(笑)
那智さんだって、言葉のあやで悲しくなるようなことを言ってしまうことだってあるし、一日のおしまいの『おやすみ』メールを忘れてしまうこともある。
誕生日だって忘れてしまうこともある(笑)
でも、それは意地悪でとか傷つけてもいいやと思っているわけではないし、わたしを軽んじているわけでもない、たまたまのミス。
もちろん、忘れられて悲しいよ〜というのは言っていいのだけど、それでも『悪感情からではない』『悲しませたくないと思っている』と思えることが大事で、それが『信頼』なのだ。
以前は重箱の隅をつつくように『信頼』の根拠を見つけていた。
メールちゃんとくれるか、本当に迷惑じゃないか、様々なチェック項目を作りそれに気を張っていた。
そして、何かあったらドーンと落ち込み、ぐるぐる(笑)
その都度、話しをしてもらって解決して、やっぱり悪気はないねということをくり返した。
だけど、最近はもう重箱の隅をつつく行為はしなくなっている。
『信頼』というものは大きなブランケットだ。
それは『相手に悪意はない』というもの。
これだけちゃんと敷いていれば、細かいことで信頼を揺るがすことはない。
悪意はないと思い合えることは、人を寛容にしてくれる。
信じることに慣れさせてもらえたら、次は自分は信頼に値する人だと思えるようになろう、そして、その後に手に入れるアイテムは『寛容』だ。
『相手に悪意はない』という信頼さえ見失わなければ、人は寛容になれる。
『相手に悪意はない』とだけ思えれば充分、それが『信頼』=『寛容』はリバーシブルのブランケット、きっととっても温かい。
重箱の隅を突くより寛容でいられるのは、相手はもちろん自分も快適なんだ^^
そして、たぶん、これが那智さんの人付き合いの極意。
長い時間かけてわたしに教え続けてくれたことが最近本当に無理なく身につけられている。
だから、那智さん、いまわたしと付き合っているのけっこうラクだと思うのです(笑)
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信じることに慣れるのだ
信じることに慣れさせてもらったら
「等式」感想です。つい最近、りん子がメールの文字をうち間違え意味が変わり、その指示で私がある行動をしました。微妙な違和感がありましたが、従いました、「信頼による思考停止」です。これには当然良し悪しがありますが誤解が解けた時、ある種の危うさを感じました。
重大な問題での話では無いので、大袈裟なのですがね。
ピアスの快感
非日常的な日常
ピアスをあけて3週間。
トラブルもなく過ぎている。
最初の頃よりずいぶん怖さも軽減してきて、まだ怖々ではあるけど洗うときなども徐々に『ちゃんと』そのその存在を意識できるようになってきた。
(あけるときの痛さの怖さやあけた後のトラブルへの懸念ではない『体に穴があいていて、それが安定していない』状態に対する怖さが、どうもわたしには相当大きな恐怖のようなのです)
だいぶピアスの存在や構造(洗いながら恐る恐る確認するの^^;)に慣れてきたこともあり。
ずっと『怖さ』のほうが勝っていて影を潜めていた欲情も、さすがに3週間、那智さんに抱いていただかずにいるとわき上がってきてしまう。
しかも会える日が翌日に迫ってきたのだ、競り合う怖さと欲情のバランスがどんどん変化していっていた。
ひとりでしてしまいたい。
でも、怖い。
那智さんに見てもらって、そっと触れてもらって大丈夫と確認してからじゃないと怖い。
そんなふうにせめぎ合う。
いっそのこと命令してくれないだろうか。
『しなさい』でも禁止でも、どちらでもいい。
那智さんに決めてもらったほうが、ずっとずっと気が楽だ。
でも、那智さんに訴えても「好きにしな〜」と言われて、取りつく島もない。
結局、怖さのほうが勝りその日はおとなしく過ごした。
(ピアスのおかげで『一切れのパン』に余裕が持てている!?)
ホントはちょっとそのほうがいいとも思っていたところもあるんだ。
いまひとりでしてしまうより欲情を抱えるもどかしさと会った後の放出のほうが気持ちいいし、怖さを払拭できるとも思っていたから。
和室だった。
お湯の支度をしたりして、那智さん、さっそくスーツを脱ぎお布団へ。
年明けの大きなイベントが終わり今日はきっと解放感なんだよね^^
わたしはどうしますか?
お布団の横に正座をしてお聞きする。
下着になりお布団に来るように指示を受け、そのようにした。
那智さんの腕枕。
温かくて幸福。
リラックスしている那智さんに寄り添えるのは、わたしの心もほぐしてくれる。
ああ、もう欲情している。
早く触れてもらいたい。
腕に抱かれているだけでふつふつと湧く欲情を抑えることができない。
でも、怖い。
早く確認してほしい、安心したい。
それなのに那智さんは優しく体を撫でるだけで、それ以上先に進んでくれない。
キスをして乳首を触ってくれてるけど、それ以外はしてくれない。
ああ、おまんこを触ってほしい、中に入れてほしい。
でも、怖い。
下着を取り、もっと直に皮膚を撫でてくれる。
一度、足を開き確認してくれたけど、またすぐ抱擁と愛撫に戻ってしまう。
那智さんの太ももにおまんこが当たる。
怖い、でも、気持ちいい。
痛みなんてない。
基本、埋もれているのだろう、金属の硬さを感じることもない。
ただ、ほんの少し『押される』感じが強まっているように感じる。
これがピアスの影響だとしたら、ああ、もしかしたら『快感』に繋がりそうに思いはじめる。
ねえ、那智さん、ここは触ってくれないのですか?
うん
怖いけど、そっとなら…
乳首が気持ちよくて喘ぎながら、すこし促す。
怖いんだろ?
怖いうちはやめておこうね(笑)
ああ、焦らされた。
キスと乳首への愛撫。
そして、わたし自ら那智さんの太ももに押当てて快感をたぐり寄せる。
腫れ物に触るように当てていたおまんこだったけど、すこしずつ大丈夫かも?と感じはじめ、それと同時に快感を求める気持ちが膨れ上がる。
触ってほしい、でも、怖い。
この振り子が大きく揺れる。
那智さんに触ってほしくて、だけど、昨日のオナニーのように那智さんに主導してほしくて、何とか触ってもらえるようにする。
主導してもらえるほうが怖さをごまかせるように思うのだ。
那智さんが入れたくなるようにって、おちんぽさまに触り、さらにお口をする。
(ああ、書いていて恥ずかしい)
那智さん、どうして触ってくれないのですか?
たしかに、焦らすのはわかる。
そのほうが怖さを紛らわすことができる。
それにしても焦らし過ぎ(笑)
というか、今日は確認してもらい、そっと触ったりちょっと引っぱってみたりして「大丈夫だね〜」と優しくOKをもらって安心で、快感、のような日だと思っていたので、なかなかそうなってくれないことに焦れてくる。
これじゃあ、怖さなくならないです。
怖いんだろ?
今日は触ってくれないのですか?
そんなことないよ
必ずぜったい触ってあげる(笑)
何時になるかわからないけど(笑)
そう笑いながら言って、それ以上してくれない。
丁寧に丁寧におまんこ以外を可愛がってくれる。
だんだん我慢できなくなってくる。
太ももに押当てた腰の動きも強くなる。
怖さは相変わらずあるけれど、それよりも気持ちよくなりたい欲望と気持ちよくなりそうな予感のほうが増してくる。
くるんとひっくり返された。
うつ伏せの状態で後ろから抱きかかえるように乳首を気持ちよくしてくれる。
そして、わたしの足の間に片足を差し込む。
ああ、ちょうど当たる。
そっと押当てる。
痛くない。
ピアスの硬さがちょうど良い力で刺激を増してくれている。
自分で一番気持ちがいい力と速度と距離(ん?算数みたい 笑)を計ることができるから、それはそれは『いい』^^;
もう我慢できない。
怖さと欲情の間でゆらゆら揺れていた振り子が一気に欲情に振れる。
一番気持ちいいように、自らおまんこを押し当て腰を振る。
想像を遥かに越える快感が押し寄せた。
指よりも深く、電マよりも柔らかく、イク状態が継続する。
うつ伏せだから那智さんの姿は見えない。
胸を包む手とおまんこを擦り付ける太ももが那智さんとの接点の中、ピアスの怖さを快感が凌駕していた。
それから仰向けに戻されても、まだずっとクリトリスがイキ続けているようだ。
おまんこの中がぎゅーーっと収縮しているのがわかるほど。
那智さん、いま入れたらきっと気持ちいいですよ
高揚しながら、そんなことを告げる自分がおかしい。
すこし焦らすくらいじゃダメだったんだよ
今日は確認して優しく「大丈夫だね」と安心させてもらえるものだと思っていた、と快感がすこし落ち着いたときに話した。
大丈夫だねって安心させて、じゃあ、触るよってしても、怖いままなんだよ
それより、怖さより欲情が勝るまで待って待って、りん子から欲して、それで気持ちよくなることが必要なの
自分が欲して気持ちよくなることがわかれば、怖さはなくなるんだよ
だから、ずっと待ってたの(笑)
『SMの快感は拒否を快感が上回ること』これはわたしの言葉だけど、この思考に至ったのは那智さんの考えを聞いたことがあったからだ。
スカトロの話をしたとき、
『無理』はなくならなくても、『したい』が勝れば、それはするんだよ
というお話。
『無理』が100のまま残っていても『したい』が120になれば、『無理』の100は関係なくなるというのだ。
この思考が『SMの快感は拒否を快感が上回ること』という快感の説明につながった。
那智さんは常にこのスタンスだ。
命令より許可。
『俺のもの、あなたのもの』はわたし側から発してはじめて成立する。
なんでも、わたし側が求めることに価値があり、わたし側から求めることこそ真実だと思っている。
命令してやっても、それは結局『やってもらった』ことだと感じてしまうのだ。
だから、そうなるように長い時間をかけて仕込んでいき、最後の一歩をわたし自ら踏み出すようにしている。
(もちろん、要所要所で那智さんが押すこともあるけどね)
このこともこれと同じように思う。
おそらく、いろいろ調べたことと常識と今日確認して、大丈夫と判断したのだろう。
だから、この後は『りん子を安心させる』のではなく『りん子に求めさせる』方法を取った。
安心させて怖さをなくすのではなくて、快感を上回ることを体験させて怖さをないものにする。
甘えさせるより、まず自ら求めることのほうが本当の快感や安心につながると思ったのかもしれない。
たぶんね、甘えや安心で得られたものって、なにか起こったときに結局甘えや安心の温床に逃げてしまって、その先に行かれなくなるんだろうな。
だから、逃げ道をなくし怖さをなくすように求めさせる方法を選んだのだろう。
(甘えることは次に進む大事なことなんだけどね、わたしたちの場合は『もう充分甘えさせてるだろ?』という自負があるから、違う方法を選べるのでしょう^^)
とにかく、那智さんのやり方が功を奏して、怖さなんて払拭するほどの快感を得てしまえた。
ただ、そのあとのセックスでは、やはり押し当てる行為にためらいが生じて、わたしの中では気持ちいいけど、ちょっとブレーキだった。
那智さんはね、締まりがよくてよかったらしいです^^
この日の快感がピアスの効果だと言い切るにはまだ材料不足。
ひさしぶりだったから、たまたま快感が大きかったのかもしれないしね。
那智さんはピアスを入れるにあたり、『俺の物45%』『かわいい45%』『感度よくなる期待10%』くらいのモチベーションだったんじゃないかなと思っている(完全推測!後日確認してみるけど、これはこのままにしよう^^)
もし3番目の理由『感度』がよくなるのであれば、これはずいぶん大きな副産物になるかもしれないです。
あれから数日、あの快感をまた味わいたくて欲情が増している。
次抱いていただけるときには怖さより快感をあっさり選んでしまうと思う。
那智さんが那智さんのやり方で『わたし本位』にしてくれたのだ。
追伸
この感度に関しては個人差があるはずです。
わたしたちは長年、この部分を開発してきたから快感になりやすかったかもしれないし、また同じわたしでも日によって感じ方も違うでしょう。
ですから、男性の方は短絡的な期待でパートナーにピアスを強いることなどありませんように。
「等式」感想です。りん子の解説が完璧で特に無いのですよね。まあ、この時位からりん子の快感が羨ましく思うようになってきたかな~あれだけの多幸感を与えられたら嬉しいだろうなと。
ピアスをあけて3週間。
トラブルもなく過ぎている。
最初の頃よりずいぶん怖さも軽減してきて、まだ怖々ではあるけど洗うときなども徐々に『ちゃんと』そのその存在を意識できるようになってきた。
(あけるときの痛さの怖さやあけた後のトラブルへの懸念ではない『体に穴があいていて、それが安定していない』状態に対する怖さが、どうもわたしには相当大きな恐怖のようなのです)
だいぶピアスの存在や構造(洗いながら恐る恐る確認するの^^;)に慣れてきたこともあり。
ずっと『怖さ』のほうが勝っていて影を潜めていた欲情も、さすがに3週間、那智さんに抱いていただかずにいるとわき上がってきてしまう。
しかも会える日が翌日に迫ってきたのだ、競り合う怖さと欲情のバランスがどんどん変化していっていた。
ひとりでしてしまいたい。
でも、怖い。
那智さんに見てもらって、そっと触れてもらって大丈夫と確認してからじゃないと怖い。
そんなふうにせめぎ合う。
いっそのこと命令してくれないだろうか。
『しなさい』でも禁止でも、どちらでもいい。
那智さんに決めてもらったほうが、ずっとずっと気が楽だ。
でも、那智さんに訴えても「好きにしな〜」と言われて、取りつく島もない。
結局、怖さのほうが勝りその日はおとなしく過ごした。
(ピアスのおかげで『一切れのパン』に余裕が持てている!?)
ホントはちょっとそのほうがいいとも思っていたところもあるんだ。
いまひとりでしてしまうより欲情を抱えるもどかしさと会った後の放出のほうが気持ちいいし、怖さを払拭できるとも思っていたから。
和室だった。
お湯の支度をしたりして、那智さん、さっそくスーツを脱ぎお布団へ。
年明けの大きなイベントが終わり今日はきっと解放感なんだよね^^
わたしはどうしますか?
お布団の横に正座をしてお聞きする。
下着になりお布団に来るように指示を受け、そのようにした。
那智さんの腕枕。
温かくて幸福。
リラックスしている那智さんに寄り添えるのは、わたしの心もほぐしてくれる。
ああ、もう欲情している。
早く触れてもらいたい。
腕に抱かれているだけでふつふつと湧く欲情を抑えることができない。
でも、怖い。
早く確認してほしい、安心したい。
それなのに那智さんは優しく体を撫でるだけで、それ以上先に進んでくれない。
キスをして乳首を触ってくれてるけど、それ以外はしてくれない。
ああ、おまんこを触ってほしい、中に入れてほしい。
でも、怖い。
下着を取り、もっと直に皮膚を撫でてくれる。
一度、足を開き確認してくれたけど、またすぐ抱擁と愛撫に戻ってしまう。
那智さんの太ももにおまんこが当たる。
怖い、でも、気持ちいい。
痛みなんてない。
基本、埋もれているのだろう、金属の硬さを感じることもない。
ただ、ほんの少し『押される』感じが強まっているように感じる。
これがピアスの影響だとしたら、ああ、もしかしたら『快感』に繋がりそうに思いはじめる。
ねえ、那智さん、ここは触ってくれないのですか?
うん
怖いけど、そっとなら…
乳首が気持ちよくて喘ぎながら、すこし促す。
怖いんだろ?
怖いうちはやめておこうね(笑)
ああ、焦らされた。
キスと乳首への愛撫。
そして、わたし自ら那智さんの太ももに押当てて快感をたぐり寄せる。
腫れ物に触るように当てていたおまんこだったけど、すこしずつ大丈夫かも?と感じはじめ、それと同時に快感を求める気持ちが膨れ上がる。
触ってほしい、でも、怖い。
この振り子が大きく揺れる。
那智さんに触ってほしくて、だけど、昨日のオナニーのように那智さんに主導してほしくて、何とか触ってもらえるようにする。
主導してもらえるほうが怖さをごまかせるように思うのだ。
那智さんが入れたくなるようにって、おちんぽさまに触り、さらにお口をする。
(ああ、書いていて恥ずかしい)
那智さん、どうして触ってくれないのですか?
たしかに、焦らすのはわかる。
そのほうが怖さを紛らわすことができる。
それにしても焦らし過ぎ(笑)
というか、今日は確認してもらい、そっと触ったりちょっと引っぱってみたりして「大丈夫だね〜」と優しくOKをもらって安心で、快感、のような日だと思っていたので、なかなかそうなってくれないことに焦れてくる。
これじゃあ、怖さなくならないです。
怖いんだろ?
今日は触ってくれないのですか?
そんなことないよ
必ずぜったい触ってあげる(笑)
何時になるかわからないけど(笑)
そう笑いながら言って、それ以上してくれない。
丁寧に丁寧におまんこ以外を可愛がってくれる。
だんだん我慢できなくなってくる。
太ももに押当てた腰の動きも強くなる。
怖さは相変わらずあるけれど、それよりも気持ちよくなりたい欲望と気持ちよくなりそうな予感のほうが増してくる。
くるんとひっくり返された。
うつ伏せの状態で後ろから抱きかかえるように乳首を気持ちよくしてくれる。
そして、わたしの足の間に片足を差し込む。
ああ、ちょうど当たる。
そっと押当てる。
痛くない。
ピアスの硬さがちょうど良い力で刺激を増してくれている。
自分で一番気持ちがいい力と速度と距離(ん?算数みたい 笑)を計ることができるから、それはそれは『いい』^^;
もう我慢できない。
怖さと欲情の間でゆらゆら揺れていた振り子が一気に欲情に振れる。
一番気持ちいいように、自らおまんこを押し当て腰を振る。
想像を遥かに越える快感が押し寄せた。
指よりも深く、電マよりも柔らかく、イク状態が継続する。
うつ伏せだから那智さんの姿は見えない。
胸を包む手とおまんこを擦り付ける太ももが那智さんとの接点の中、ピアスの怖さを快感が凌駕していた。
それから仰向けに戻されても、まだずっとクリトリスがイキ続けているようだ。
おまんこの中がぎゅーーっと収縮しているのがわかるほど。
那智さん、いま入れたらきっと気持ちいいですよ
高揚しながら、そんなことを告げる自分がおかしい。
すこし焦らすくらいじゃダメだったんだよ
今日は確認して優しく「大丈夫だね」と安心させてもらえるものだと思っていた、と快感がすこし落ち着いたときに話した。
大丈夫だねって安心させて、じゃあ、触るよってしても、怖いままなんだよ
それより、怖さより欲情が勝るまで待って待って、りん子から欲して、それで気持ちよくなることが必要なの
自分が欲して気持ちよくなることがわかれば、怖さはなくなるんだよ
だから、ずっと待ってたの(笑)
『SMの快感は拒否を快感が上回ること』これはわたしの言葉だけど、この思考に至ったのは那智さんの考えを聞いたことがあったからだ。
スカトロの話をしたとき、
『無理』はなくならなくても、『したい』が勝れば、それはするんだよ
というお話。
『無理』が100のまま残っていても『したい』が120になれば、『無理』の100は関係なくなるというのだ。
この思考が『SMの快感は拒否を快感が上回ること』という快感の説明につながった。
那智さんは常にこのスタンスだ。
命令より許可。
『俺のもの、あなたのもの』はわたし側から発してはじめて成立する。
なんでも、わたし側が求めることに価値があり、わたし側から求めることこそ真実だと思っている。
命令してやっても、それは結局『やってもらった』ことだと感じてしまうのだ。
だから、そうなるように長い時間をかけて仕込んでいき、最後の一歩をわたし自ら踏み出すようにしている。
(もちろん、要所要所で那智さんが押すこともあるけどね)
このこともこれと同じように思う。
おそらく、いろいろ調べたことと常識と今日確認して、大丈夫と判断したのだろう。
だから、この後は『りん子を安心させる』のではなく『りん子に求めさせる』方法を取った。
安心させて怖さをなくすのではなくて、快感を上回ることを体験させて怖さをないものにする。
甘えさせるより、まず自ら求めることのほうが本当の快感や安心につながると思ったのかもしれない。
たぶんね、甘えや安心で得られたものって、なにか起こったときに結局甘えや安心の温床に逃げてしまって、その先に行かれなくなるんだろうな。
だから、逃げ道をなくし怖さをなくすように求めさせる方法を選んだのだろう。
(甘えることは次に進む大事なことなんだけどね、わたしたちの場合は『もう充分甘えさせてるだろ?』という自負があるから、違う方法を選べるのでしょう^^)
とにかく、那智さんのやり方が功を奏して、怖さなんて払拭するほどの快感を得てしまえた。
ただ、そのあとのセックスでは、やはり押し当てる行為にためらいが生じて、わたしの中では気持ちいいけど、ちょっとブレーキだった。
那智さんはね、締まりがよくてよかったらしいです^^
この日の快感がピアスの効果だと言い切るにはまだ材料不足。
ひさしぶりだったから、たまたま快感が大きかったのかもしれないしね。
那智さんはピアスを入れるにあたり、『俺の物45%』『かわいい45%』『感度よくなる期待10%』くらいのモチベーションだったんじゃないかなと思っている(完全推測!後日確認してみるけど、これはこのままにしよう^^)
もし3番目の理由『感度』がよくなるのであれば、これはずいぶん大きな副産物になるかもしれないです。
あれから数日、あの快感をまた味わいたくて欲情が増している。
次抱いていただけるときには怖さより快感をあっさり選んでしまうと思う。
那智さんが那智さんのやり方で『わたし本位』にしてくれたのだ。
追伸
この感度に関しては個人差があるはずです。
わたしたちは長年、この部分を開発してきたから快感になりやすかったかもしれないし、また同じわたしでも日によって感じ方も違うでしょう。
ですから、男性の方は短絡的な期待でパートナーにピアスを強いることなどありませんように。
「等式」感想です。りん子の解説が完璧で特に無いのですよね。まあ、この時位からりん子の快感が羨ましく思うようになってきたかな~あれだけの多幸感を与えられたら嬉しいだろうなと。
SMをしなくなったら
140字もどき
もしもの話として(笑)おとーさんが万が一、億に一だと思うけど「SMはやめる!興味なくなった」と言ったら、おねーちゃんどうする?
『今年もよろしくお願いいたします』にモカちゃんから疑問をいただいた。
『SMも主従も関係ない、大事なのはその人とするセックス』 、普遍的に大切な人を思う気持ちやその人と育む性行為に名前は関係ないよねというメッセージに対して湧いたタラレバの素朴な疑問だったのだと思う。
おそらく、彼女は刺激やスパイスではない部分でわたしがSM的行為を欲してしまっていることを肌で感じているからこそ、「おねーちゃん、それなくなってもいいの?」とより感じたのかもしれない。
たしかに、わたしはいまはその性癖の部分も目一杯叶っている。
いまは叶っていて、きっとこれからも何かしらの形で叶え続けてくれるだろうという安心感もある。
だから、そんな立派なことを言えるのかと思わなくもない。
ある日、那智さんが「もう鞭もしたくないし、拘束もしたくない」と宣言したらどうだろう。
ということで、その疑問を那智さんにも投げかけてみた^^
返ってきた言葉は
その質問が『なし』(笑)
だった。
なぜかというと。
那智さんにとってSM行為はその他の愛情からの行為とまったく同じことなので、SM行為だけしなくなることは考えられないのだそうだ。
手をつなぐこと、キスをすること、腕枕をすること、鞭を打つこと、おしっこを飲ませること、どれも等しく『可愛がること』と自然に思えているので、そこからSM要素のある行為だけをすっぽりなくすことはあり得ないのだ。
大好きな人とキスやセックスはするけど、手をつなぐことだけはしないなんてあまり考えられないでしょ^^ということかな。
でも、せっかく疑問をもらったのだから、ちょっと食い下がってみる。
モカちゃんだって、それをわかっててあえて聞いているのではないですか?(笑)
あえて、あえて、その部分(SM)だけなくなると無理矢理想像してみたらって
だって、俺はSMをしているという意識がないんだよ
意識してやっていないことを、その部分だけすっぽりなくすって考えに無理があるんだから、その質問には無理があるの(笑)
流行があってしばらく鞭はやってないとかならわかるけどね
『SMをしなくなる』ではなくて『可愛がらなくなる』『抱きたくなくなる』なら質問として成立するけど、この質問はなし(笑)
ということだ。
まあ、たしかに、ご自身が『SMを意識しないで自然にできることがうれしい』と思っていて、わたしに『意識するな』といっているくらいなのだから、あえて意識するのは無理が生じるのだろう。
那智さんに答えを求めたとき、わたしなりの答えはすでに心の中にまとまってはいた。
那智さんがSM行為をしないと言ったらどうだろう。
きっと、とてもさみしい。
性的なことを意識したときからずっとその手の願望を持っていて、それがやっと叶ったのだ、二度とできないと思ったらぜったいさみしいと思うだろう。
だけど、わたしには、ひとつの、これも普遍的な結論がある。
性癖としてマゾかもしれないけど、でも、それとは別で『尊敬する相手』とするセックスは何を差し置いても、いい、のだ。
これを育み続け、味わえることが叶っていれば、性癖とは違う部分、しかもほとんど網羅できるほど満たされる。
SMとは?ということに線引きは難しいので、じゃあ、わんこは?とか乳首を潰すのは?とかの詰めはひとまず置いておいて。
いま、わたしは那智さんとそのセックスを得られるならばSM行為がなくなったとしても、さみしいけど、さみしいというだけでそれ以上何も変わらないのです。
那智さんに抱いてもらえれば、それが満足なのです^^
で、もうちょっと掘り下げると。
那智さんとわたしの間で、わたしが那智さんを『尊敬する相手』と思えることのひとつに、常に変わらず上下の上でいてくれることがある。
那智さんが主導して、わたしはついて行き、最終的な責任を那智さんが取ってくれる関係を維持し続けてくれることが、いつまでも那智さんを尊敬する気持ちを持たせてくれている。
まあ、酔っ払いさんのときなどはわたしがしっかりしちゃうけど、それはお遊びであって、やっぱりギリギリの場面で踏みとどまってくれるのは那智さんだからね。
その『尊敬する相手』が主導してくれるセックスであれば充分いいわけで、たとえ行為がノーマルだったとしてもいまの精神構造は何も変わらず、わたしのもうひとつの核である従属嗜好も満たされる。
で、たとえば、那智さんはこれから老いていき頭の回転や肉体的や、とにかく衰えてきたとして、それも大丈夫。
そこに『恩義』が存在しているから、那智さんの核さえ変わらなければおそらくわたしはずっと那智さんの下という関係性でいられる。
もし一番問題が起こるとすれば、那智さんとわたしの関係性が変わることだと思う。
核の部分、那智さんがブレブレにブレる人になって、ぜんぜん主導してくれなくなって、なにかあったらわたしに責任転嫁するような人になったら『尊敬する相手』とのセックスは難しくなるから、それは大問題(笑)
でも、まあ、そもそもそういう人であれば、お付き合い自体考えたほうがいいよね^^;
だから、SM行為はないとさみしいけど、さみしいだけ。
この関係性で得られるセックスがあれば、わたしが女として欲する普遍的なほとんどのことは叶う。
というのが答えです^^
だからね、付き合った当初に言われ、わたしたちのスタイルになっている『SMを意識するな』や自分たちは主従じゃないというものは、いろいろ有効なのだ(笑)
なぜならば、看板をかけないことは変化に対して柔軟でいられるから。
SMの看板を掲げていたらSMしなくなったら『やらなくなった』ってなっちゃうし、主従の看板を掲げていたらご主人様然としていないと看板に偽りありと思われてしまいかねない。
看板を掲げないことは自由なの^^
自由は気楽でいいってことで、モカちゃんからの質問は『なし』ってことで〜^^
<関連エントリー>
意識するな
恩義
「等式」感想です。この手の主張エントリーは楽しいですね~ 最近のりん子は、キッパリ言いきるのが清々しい。文中「恩義」と言う言葉が出てきましたが、少し違うニュアンスかなと思うのですが代わりの言葉が出ないので困りました。近いのは、先生と生徒のような立場の違いと考えて下さい。
もしもの話として(笑)おとーさんが万が一、億に一だと思うけど「SMはやめる!興味なくなった」と言ったら、おねーちゃんどうする?
『今年もよろしくお願いいたします』にモカちゃんから疑問をいただいた。
『SMも主従も関係ない、大事なのはその人とするセックス』 、普遍的に大切な人を思う気持ちやその人と育む性行為に名前は関係ないよねというメッセージに対して湧いたタラレバの素朴な疑問だったのだと思う。
おそらく、彼女は刺激やスパイスではない部分でわたしがSM的行為を欲してしまっていることを肌で感じているからこそ、「おねーちゃん、それなくなってもいいの?」とより感じたのかもしれない。
たしかに、わたしはいまはその性癖の部分も目一杯叶っている。
いまは叶っていて、きっとこれからも何かしらの形で叶え続けてくれるだろうという安心感もある。
だから、そんな立派なことを言えるのかと思わなくもない。
ある日、那智さんが「もう鞭もしたくないし、拘束もしたくない」と宣言したらどうだろう。
ということで、その疑問を那智さんにも投げかけてみた^^
返ってきた言葉は
その質問が『なし』(笑)
だった。
なぜかというと。
那智さんにとってSM行為はその他の愛情からの行為とまったく同じことなので、SM行為だけしなくなることは考えられないのだそうだ。
手をつなぐこと、キスをすること、腕枕をすること、鞭を打つこと、おしっこを飲ませること、どれも等しく『可愛がること』と自然に思えているので、そこからSM要素のある行為だけをすっぽりなくすことはあり得ないのだ。
大好きな人とキスやセックスはするけど、手をつなぐことだけはしないなんてあまり考えられないでしょ^^ということかな。
でも、せっかく疑問をもらったのだから、ちょっと食い下がってみる。
モカちゃんだって、それをわかっててあえて聞いているのではないですか?(笑)
あえて、あえて、その部分(SM)だけなくなると無理矢理想像してみたらって
だって、俺はSMをしているという意識がないんだよ
意識してやっていないことを、その部分だけすっぽりなくすって考えに無理があるんだから、その質問には無理があるの(笑)
流行があってしばらく鞭はやってないとかならわかるけどね
『SMをしなくなる』ではなくて『可愛がらなくなる』『抱きたくなくなる』なら質問として成立するけど、この質問はなし(笑)
ということだ。
まあ、たしかに、ご自身が『SMを意識しないで自然にできることがうれしい』と思っていて、わたしに『意識するな』といっているくらいなのだから、あえて意識するのは無理が生じるのだろう。
那智さんに答えを求めたとき、わたしなりの答えはすでに心の中にまとまってはいた。
那智さんがSM行為をしないと言ったらどうだろう。
きっと、とてもさみしい。
性的なことを意識したときからずっとその手の願望を持っていて、それがやっと叶ったのだ、二度とできないと思ったらぜったいさみしいと思うだろう。
だけど、わたしには、ひとつの、これも普遍的な結論がある。
性癖としてマゾかもしれないけど、でも、それとは別で『尊敬する相手』とするセックスは何を差し置いても、いい、のだ。
これを育み続け、味わえることが叶っていれば、性癖とは違う部分、しかもほとんど網羅できるほど満たされる。
SMとは?ということに線引きは難しいので、じゃあ、わんこは?とか乳首を潰すのは?とかの詰めはひとまず置いておいて。
いま、わたしは那智さんとそのセックスを得られるならばSM行為がなくなったとしても、さみしいけど、さみしいというだけでそれ以上何も変わらないのです。
那智さんに抱いてもらえれば、それが満足なのです^^
で、もうちょっと掘り下げると。
那智さんとわたしの間で、わたしが那智さんを『尊敬する相手』と思えることのひとつに、常に変わらず上下の上でいてくれることがある。
那智さんが主導して、わたしはついて行き、最終的な責任を那智さんが取ってくれる関係を維持し続けてくれることが、いつまでも那智さんを尊敬する気持ちを持たせてくれている。
まあ、酔っ払いさんのときなどはわたしがしっかりしちゃうけど、それはお遊びであって、やっぱりギリギリの場面で踏みとどまってくれるのは那智さんだからね。
その『尊敬する相手』が主導してくれるセックスであれば充分いいわけで、たとえ行為がノーマルだったとしてもいまの精神構造は何も変わらず、わたしのもうひとつの核である従属嗜好も満たされる。
で、たとえば、那智さんはこれから老いていき頭の回転や肉体的や、とにかく衰えてきたとして、それも大丈夫。
そこに『恩義』が存在しているから、那智さんの核さえ変わらなければおそらくわたしはずっと那智さんの下という関係性でいられる。
もし一番問題が起こるとすれば、那智さんとわたしの関係性が変わることだと思う。
核の部分、那智さんがブレブレにブレる人になって、ぜんぜん主導してくれなくなって、なにかあったらわたしに責任転嫁するような人になったら『尊敬する相手』とのセックスは難しくなるから、それは大問題(笑)
でも、まあ、そもそもそういう人であれば、お付き合い自体考えたほうがいいよね^^;
だから、SM行為はないとさみしいけど、さみしいだけ。
この関係性で得られるセックスがあれば、わたしが女として欲する普遍的なほとんどのことは叶う。
というのが答えです^^
だからね、付き合った当初に言われ、わたしたちのスタイルになっている『SMを意識するな』や自分たちは主従じゃないというものは、いろいろ有効なのだ(笑)
なぜならば、看板をかけないことは変化に対して柔軟でいられるから。
SMの看板を掲げていたらSMしなくなったら『やらなくなった』ってなっちゃうし、主従の看板を掲げていたらご主人様然としていないと看板に偽りありと思われてしまいかねない。
看板を掲げないことは自由なの^^
自由は気楽でいいってことで、モカちゃんからの質問は『なし』ってことで〜^^
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意識するな
恩義
「等式」感想です。この手の主張エントリーは楽しいですね~ 最近のりん子は、キッパリ言いきるのが清々しい。文中「恩義」と言う言葉が出てきましたが、少し違うニュアンスかなと思うのですが代わりの言葉が出ないので困りました。近いのは、先生と生徒のような立場の違いと考えて下さい。
確認作業
独特な幸福感
はじめて入る居酒屋。
チェーン展開している別店舗には何度か行っているけど、ここははじめてだった。
地下に降りて店内に入ると、前に入った別店舗とはフロアのイメージが違うものだった。
別店舗はフロアも広く、テーブルごとに仕切りがあり半個室とまでいかなくてもどことなく複雑な迷路のように個の空間がつらなっている感じだったのに比べて、こちらは壁沿いにはボックスシートになったテーブルがぐるっと囲んでいるけれど、それ以外は仕切りもなく明るめの照明でフロア全体が見渡せるような作りだった。
まあ、いまでこそ『個室』が多いけど、昔の居酒屋なんかはこんな感じだったよね。
早めの時間に入ったのだけどタイミング悪く壁沿いのボックスシートが全部埋まっていて開けたフロアのテーブルに通されてしまった。
2人かけのテーブルがふたつくっついているような作りになっていて、真ん中にメニューを立てるつい立てのような物がある変則的な4人かけの席だった。
どこでもいいと言えば、どこでもうれしいのだけど、やっぱり多少個室っぽいほうが密な時間を過ごすことができそうだから、ちょっと残念。
席について、那智さん焼酎ボトル、わたし生ビール^^
乾杯して、うん、やっぱりどの席でもしあわせ^^
今月のオススメを那智さんが見て、その中の何を選んだか当てるごっこをしたり、メニューから那智さんが3つ選び、その中からわたしが好きなものを選んだり、わりといつもこんなふうに基本那智さんの食べたいものを選ぶ。
当てるごっこはね、わたし、いつも必死なの。
那智さんの意思はわたしの意志で同化していたいから(笑)
そういうやり取りも楽しい^^
おつまみも頼み、いつもの楽しい気分にリラックスしてきた頃、隣りに他のお客さんが通された。
向かい合うわたしたちのそれぞれの隣りに中年男性ふたりが座り、メニュー分ほどのつい立てはあれどまるで4人で1組のよう。
話しが丸聞こえなほどの至近距離。
まあ、ベストではないけど、これはこれを楽しもう^^
週末でプチ断食の翌日ということもあって、那智さんなかなか飲むペースが早い。
2杯まではわたしが作って差し上げていた焼酎お湯割も気がつけば手酌でどんどん進んでいる。
(いや、最終的にわたしも楽しくなってしまって那智さん手酌っていうのはいつものパターンなんだけどね)
春野菜の天ぷらがおいしくて、わたしは日本酒もオーダー^^
生ビールと日本酒の二本立てでいい気分。
今週はタイミングが合わずお休みがなしだったのでちょっと那智さん恋しい。
テーブルを挟みお話しするだけで充分幸せなのだけど、やっぱり好きな男には触れたくなってしまうもの。
テーブルに置いている那智さんの手にふっと触れてみる。
不思議だよね、好きな相手だと『手』でもうれしい^^
きっと那智さんも同じ気持ちだったのだろう。
指の腹で撫で撫でし返してくれる。
あうう、幸せ〜、だけど、すぐ隣りに他の人がいるのに、このイチャイチャつきは許されるんだろうか^^;
ちゃんと確認していないけど、申し訳程度のつい立てが功を奏してわたしから彼らの手元が見えないようにあちらからも見えていないと思うけど、さすがにためらうのでマッサージをすることに切り替える。
なんとなく、指を絡めてイチャイチャよりマッサージのほうがまだマシかなって思って、手のひらもみもみ。
そうこうしているうちに、那智さん、どんどん酔っ払いさんの目。
この日はお好みの服装だったこともあり、「かわいいね〜」を連発してくれる。
テレくさいけど、そりゃあ、うれしい。
なんだか細胞まで喜んで生き生きしてくるようにさえ思う。
手が頬に触れ、その手が頭に移動して『いいこいいこ』。
どうやら今日はどうやら『甘々モード』のよう^^
何度も指絡めイチャイチャからのマッサージ、しまいには薬指の刺青にキスをしてくれたりまで!!
はうう、さすがに恥ずかしいです^^;
ハチャメチャなかまい方は大変だけど、この甘々なかまいも恥ずかしい。
だけど、さらに那智さんのお酒は進み、あっという間に焼酎のボトル2/3はなくなっている。
居酒屋の雰囲気やすぐ隣りに他のお客がいるせいもあり、今日は酔っ払いさんでも大暴走にはならず甘々モードになっていたけど、いよいよ酔いも回ってつまらなくなってしまったのだろう。
那智さん、席を立ちわたしの隣りに移動してきた!!
いや、那智さん、4人がけの両方座っていますから、椅子ありません。
いらしても立ち飲みになります。
あわあわしているとテーブルの脇にしゃがみ込んでしまった。
わかります、那智さん、好きなもの同士ちょっとでも近くにいたいですよね。
那智さんが触れてわたしを喜ばせたいですよね。
それよりなにより『いいこいいこ』と撫でるだけじゃ、退屈しちゃいましたね!!
だとしても、普通の居酒屋でしゃがみ飲みはいけません^^;
ニコニコと向かいの席に促し、ここは大事に至らなかった。
続いて、運ばれてきた『焼き鳥盛り合わせ』。
一本手に取っては『あーん』と食べさせてくれる。
わたしが何を食べたいかなんておかまいなしだ。
あ、でも、プチトマトのベーコン巻き、おいしい^^
次はアスパラ肉巻き。
はふはふとこれもおいしい^^
咀嚼していたら付け合わせのレモンを持ち、わたしの口にぎゅーーっとくっつける。
な、なにですか!!
口あけて〜♪
どうやら、アスパラ肉巻きにはレモンが合うと思ったのだろう。
わたしの口の中に直接絞ってくれたのだ。
はうう、酔っ払いさんです^^;
那智さんが絞るレモンをちゅーちゅーといただいた。
その後も鯖棒寿司をわさびを乗せて食べさせてくれるし、人目をはばからずかまい続けてくれる。
ふいに
俺ってさ、しあわせ、なんだな
酔っ払いさんの眼差しで、急にそんなことをいう。
はい^^
わたしは究極のかまってちゃんだけど、じつは、それに負けず劣らず那智さんはかまいたがりだ。
『等式』はわたしが書いているから那智さんが一方的に与えているみたいでカッコよくなっちゃってますけど、本当はお互い同じだけ与え合っているんですよね^^
わたしはスーパーかまってちゃんで、那智さんはスーパーかまいたがりクン(笑)
そうだな〜、俺はスーパー肯定(してほしい)クンかな
好きな男のことを書いているから、『等式』ではそれを『父性』や『愛情を注ぐ』なんて表現をしてちょっとカッコいい感じに書いているけど、『フォアグラ生産者』の那智さんは、ホントはとってもかまいたい人なのだ。
しかも、ただかまいたいのではなくて、それを受け入れ喜びする様子を見て『肯定』されたいのだ。
こんなにやってもこんなにやっても、喜んでいる、その姿を見ることで肯定を感じたい。
ちょっとやそっとの肯定じゃない『全肯定』を、じつは狂おしいほど欲しているのだと思う。
でも、男の子はあんまり感情をだだ漏れさせるのはカッコ悪いと自制しているから、こういうときに溢れちゃうんだ(笑)
わかっています^^
那智さんは優しい人だから、ちょっと困ることもあるけど基本はわたしが幸福になるようなかまい方をしてくれる。
だから、わたしはどんな変化球も暴投も受ける。
居酒屋で口にレモンを押し当てられても喜んでいただく(笑)
かなりの酔っ払いさんのぽろっとこぼれた本音が、今日はちょっとうれしい。
そんな話ししながら、チラチラと腕時計を見る那智さん。
わたしのタイムリミットを気にしてくれているんだ。
そういうふうにすごーーく酔っぱらってもちゃんと時間を気にしてくれる姿を見ると、やっぱりどんな球も受け取る気持ちになるのですね^^
それでも、居酒屋を出たあともキスはするは、スカートに手を入れられるは、まだまだ『肯定確認作業』は続くのでした(笑)
「等式」感想です。う~(笑)私にとって、かなりの羞恥エントリー。とても、分かりやすく自分の心情が吐露されています。何時ものように、りん子が恥ずかしがると余計にあまあまで責めたくなるのもあるかな。
はじめて入る居酒屋。
チェーン展開している別店舗には何度か行っているけど、ここははじめてだった。
地下に降りて店内に入ると、前に入った別店舗とはフロアのイメージが違うものだった。
別店舗はフロアも広く、テーブルごとに仕切りがあり半個室とまでいかなくてもどことなく複雑な迷路のように個の空間がつらなっている感じだったのに比べて、こちらは壁沿いにはボックスシートになったテーブルがぐるっと囲んでいるけれど、それ以外は仕切りもなく明るめの照明でフロア全体が見渡せるような作りだった。
まあ、いまでこそ『個室』が多いけど、昔の居酒屋なんかはこんな感じだったよね。
早めの時間に入ったのだけどタイミング悪く壁沿いのボックスシートが全部埋まっていて開けたフロアのテーブルに通されてしまった。
2人かけのテーブルがふたつくっついているような作りになっていて、真ん中にメニューを立てるつい立てのような物がある変則的な4人かけの席だった。
どこでもいいと言えば、どこでもうれしいのだけど、やっぱり多少個室っぽいほうが密な時間を過ごすことができそうだから、ちょっと残念。
席について、那智さん焼酎ボトル、わたし生ビール^^
乾杯して、うん、やっぱりどの席でもしあわせ^^
今月のオススメを那智さんが見て、その中の何を選んだか当てるごっこをしたり、メニューから那智さんが3つ選び、その中からわたしが好きなものを選んだり、わりといつもこんなふうに基本那智さんの食べたいものを選ぶ。
当てるごっこはね、わたし、いつも必死なの。
那智さんの意思はわたしの意志で同化していたいから(笑)
そういうやり取りも楽しい^^
おつまみも頼み、いつもの楽しい気分にリラックスしてきた頃、隣りに他のお客さんが通された。
向かい合うわたしたちのそれぞれの隣りに中年男性ふたりが座り、メニュー分ほどのつい立てはあれどまるで4人で1組のよう。
話しが丸聞こえなほどの至近距離。
まあ、ベストではないけど、これはこれを楽しもう^^
週末でプチ断食の翌日ということもあって、那智さんなかなか飲むペースが早い。
2杯まではわたしが作って差し上げていた焼酎お湯割も気がつけば手酌でどんどん進んでいる。
(いや、最終的にわたしも楽しくなってしまって那智さん手酌っていうのはいつものパターンなんだけどね)
春野菜の天ぷらがおいしくて、わたしは日本酒もオーダー^^
生ビールと日本酒の二本立てでいい気分。
今週はタイミングが合わずお休みがなしだったのでちょっと那智さん恋しい。
テーブルを挟みお話しするだけで充分幸せなのだけど、やっぱり好きな男には触れたくなってしまうもの。
テーブルに置いている那智さんの手にふっと触れてみる。
不思議だよね、好きな相手だと『手』でもうれしい^^
きっと那智さんも同じ気持ちだったのだろう。
指の腹で撫で撫でし返してくれる。
あうう、幸せ〜、だけど、すぐ隣りに他の人がいるのに、このイチャイチャつきは許されるんだろうか^^;
ちゃんと確認していないけど、申し訳程度のつい立てが功を奏してわたしから彼らの手元が見えないようにあちらからも見えていないと思うけど、さすがにためらうのでマッサージをすることに切り替える。
なんとなく、指を絡めてイチャイチャよりマッサージのほうがまだマシかなって思って、手のひらもみもみ。
そうこうしているうちに、那智さん、どんどん酔っ払いさんの目。
この日はお好みの服装だったこともあり、「かわいいね〜」を連発してくれる。
テレくさいけど、そりゃあ、うれしい。
なんだか細胞まで喜んで生き生きしてくるようにさえ思う。
手が頬に触れ、その手が頭に移動して『いいこいいこ』。
どうやら今日はどうやら『甘々モード』のよう^^
何度も指絡めイチャイチャからのマッサージ、しまいには薬指の刺青にキスをしてくれたりまで!!
はうう、さすがに恥ずかしいです^^;
ハチャメチャなかまい方は大変だけど、この甘々なかまいも恥ずかしい。
だけど、さらに那智さんのお酒は進み、あっという間に焼酎のボトル2/3はなくなっている。
居酒屋の雰囲気やすぐ隣りに他のお客がいるせいもあり、今日は酔っ払いさんでも大暴走にはならず甘々モードになっていたけど、いよいよ酔いも回ってつまらなくなってしまったのだろう。
那智さん、席を立ちわたしの隣りに移動してきた!!
いや、那智さん、4人がけの両方座っていますから、椅子ありません。
いらしても立ち飲みになります。
あわあわしているとテーブルの脇にしゃがみ込んでしまった。
わかります、那智さん、好きなもの同士ちょっとでも近くにいたいですよね。
那智さんが触れてわたしを喜ばせたいですよね。
それよりなにより『いいこいいこ』と撫でるだけじゃ、退屈しちゃいましたね!!
だとしても、普通の居酒屋でしゃがみ飲みはいけません^^;
ニコニコと向かいの席に促し、ここは大事に至らなかった。
続いて、運ばれてきた『焼き鳥盛り合わせ』。
一本手に取っては『あーん』と食べさせてくれる。
わたしが何を食べたいかなんておかまいなしだ。
あ、でも、プチトマトのベーコン巻き、おいしい^^
次はアスパラ肉巻き。
はふはふとこれもおいしい^^
咀嚼していたら付け合わせのレモンを持ち、わたしの口にぎゅーーっとくっつける。
な、なにですか!!
口あけて〜♪
どうやら、アスパラ肉巻きにはレモンが合うと思ったのだろう。
わたしの口の中に直接絞ってくれたのだ。
はうう、酔っ払いさんです^^;
那智さんが絞るレモンをちゅーちゅーといただいた。
その後も鯖棒寿司をわさびを乗せて食べさせてくれるし、人目をはばからずかまい続けてくれる。
ふいに
俺ってさ、しあわせ、なんだな
酔っ払いさんの眼差しで、急にそんなことをいう。
はい^^
わたしは究極のかまってちゃんだけど、じつは、それに負けず劣らず那智さんはかまいたがりだ。
『等式』はわたしが書いているから那智さんが一方的に与えているみたいでカッコよくなっちゃってますけど、本当はお互い同じだけ与え合っているんですよね^^
わたしはスーパーかまってちゃんで、那智さんはスーパーかまいたがりクン(笑)
そうだな〜、俺はスーパー肯定(してほしい)クンかな
好きな男のことを書いているから、『等式』ではそれを『父性』や『愛情を注ぐ』なんて表現をしてちょっとカッコいい感じに書いているけど、『フォアグラ生産者』の那智さんは、ホントはとってもかまいたい人なのだ。
しかも、ただかまいたいのではなくて、それを受け入れ喜びする様子を見て『肯定』されたいのだ。
こんなにやってもこんなにやっても、喜んでいる、その姿を見ることで肯定を感じたい。
ちょっとやそっとの肯定じゃない『全肯定』を、じつは狂おしいほど欲しているのだと思う。
でも、男の子はあんまり感情をだだ漏れさせるのはカッコ悪いと自制しているから、こういうときに溢れちゃうんだ(笑)
わかっています^^
那智さんは優しい人だから、ちょっと困ることもあるけど基本はわたしが幸福になるようなかまい方をしてくれる。
だから、わたしはどんな変化球も暴投も受ける。
居酒屋で口にレモンを押し当てられても喜んでいただく(笑)
かなりの酔っ払いさんのぽろっとこぼれた本音が、今日はちょっとうれしい。
そんな話ししながら、チラチラと腕時計を見る那智さん。
わたしのタイムリミットを気にしてくれているんだ。
そういうふうにすごーーく酔っぱらってもちゃんと時間を気にしてくれる姿を見ると、やっぱりどんな球も受け取る気持ちになるのですね^^
それでも、居酒屋を出たあともキスはするは、スカートに手を入れられるは、まだまだ『肯定確認作業』は続くのでした(笑)
「等式」感想です。う~(笑)私にとって、かなりの羞恥エントリー。とても、分かりやすく自分の心情が吐露されています。何時ものように、りん子が恥ずかしがると余計にあまあまで責めたくなるのもあるかな。