参考書
独り言
何冊かの本と自分の経験と感性と想像をもとにいろいろ書いている。
きっと同じようなことはどこかの誰かがすでに書いていることだろうし、もっとわかりやすく書いていたりで広く知られている考察であるかもしれない。
専門知識もないから◯◯学なんていうのでもない。
極めて個人的な考察だからピンと来る人数はたいしていないだろう。
(少数なのは『かつてのわたしのような』ひとだけを対象としているし、なおかつ、そのひとにとって都合のいいことしか書いていないから 笑)
それでも、わたしは自分が辿り着いたこれらをけっこう気に入っている。
たとえば、『感情のスタートを見極めて相手に伝える』とか『心がほしい女と事実で満足する男のすれ違い』とか、手前味噌だけど、けっこう使える思考なんじゃないか。
その中でも、我ながら、よくこれに気づいたな〜と思うものがある。
それが『信じることに慣れるのだ』というエントリー。
愛される価値感を持てないわたしが、何度も那智さんに「大丈夫?」と確認してしまうのは、那智さんを疑っているのではなく『信じることに慣れていないから』だ。
だから、自分が慣れるために何度も聞いたいたのだろうと。
これは何度も愛情の確認をしてしまうことに申し訳ないような気持ちや、それでも確認したい気持ちとの葛藤に『慣れさせてもらっているんだ』と思えたら、ずいぶん気が楽になるだろうし、楽になった気持ちで「わたしのことすき?」と聞けるほうが自分にも相手にもよいことだろうと思って書いたものだ。
過去エントリーを遡ってくださってポツポツと拍手や鍵コメで感想をいただけるエントリーのひとつで、少数だったとしてもこの思考が役に立ってくれたことは、うれしい。
ただひとつ危惧していることもあって、お返事が出来るツールで感想をいただいたときに、こんなことをお話ししたことがある。
わたしがこの思考に辿り着いたのは、じつは渦中のことではなく、ずっとあとになってからだった。
ああ、あのときのわたしの行為は『慣れるための』ものだったんだよね。
那智さんは「できるときはできる、できないときはできない」のスタンスでずっと遠慮するなと言い続けてくれていたけど、それでも何度も確認することに申し訳ない思いをしていたから、あのときそう思えていたらずいぶんラクだっただろうなって。
わたしたちは、その答えのない状態だった。
那智さんはずっと変わらぬ態度で受け止め続けてくれて、わたしはできる限り素直でいることに集中して伝え続けた。
だから、自然に信じることに慣れていかれたし、結果的にあの思考に辿り着くことができた。
でも、あのエントリーを読んだ人にとっては、ある意味先に答えありきになってしまうのだよね。
これはちょっと危険でね。
わたし側は『信じることに慣れさせてもらっている』と思えていても、パートナー側はそれを知らないでいるのだから、わたし側が見ているゴールに辿り着けるとは限らないからだ。
わたし側が答えを見せずに、一緒に答えのあるゴールを目指すことはもどかしいかもしれないし、なかなかピッタリにはいかないと思う。
だって、同じ人間はふたりといないのだから、同じゴールになることもないのだもの。
これを意識していないと相手に対するマイナスのものが生まれてしまうかもしれないから、危険かなと思うのだ。
だから、その方にはパートナーさんにも「いまは信じることに慣れさせてください」と、この思考回路をお話ししてみるのもひとつの手かなとお伝えした。
(エントリーを読んでもらってもかまわないけど、男性には人気ないこと書いているから気をつけて!とも伝えた記憶がある^^;)
エントリーを読んで共感いただき大いに役立ててほしいと思うのだけど、結局は自分とパートナーの性格や環境やいろいろを踏まえて、ふたりだけのやり方で築いていくしかないのだよね。
その方がパートナーさんに伝えたかどうかはわからないけど、たとえば、主従経験の豊富なご主人様や、自分だけが奴隷さんに影響を与えたいご主人様タイプの場合は、よそのブログで得た思考回路を一緒にやってくださいと伝えと、もしかしたら、こころよく思っていただけないかもしれないしね。
(そういう場合は自分ひとりの『お守り』くらいにしておいたほうがいいかもね)
以前、那智さんが『等式』は参考書になれるといいと言っていた。
教科書はひとつの答えしか書いていないけど、参考書だったらそこから自分なりの答えに発展できるからって。
なるほどなと思って、それ以来、わたしもこの手のエントリーを書くときは『参考書』のひとつになれればいいなと思って書いている。
ということで、どうぞ大いに参考にしていただいて、パートナーさんをよく見て、ご自分とパートナーさんとふたりだけの関係を築いていってくださいませ。
<関連エントリー>
ピンポイントなのだ
『等式』のえこひいき
かつてのわたしに
感情のスタート
続・感情のスタート
心と事実
心と事実2
事実さんとのお付き合い
心ちゃんと事実さん
信じることに慣れるのだ
信じることに慣れさせてもらったら
信頼→対等→尊敬→好き
信頼は寛容を生む
「等式」「参考書」感想です。私も思い入れがあることばかりがエントリーされており、感想が難しく新しいエントリーが出て促されるように記します。思い合う二人が相手の参考書の好みを共感しあえ、時折でも同じ方向に向かうことが出来たら幸せかなと。
何冊かの本と自分の経験と感性と想像をもとにいろいろ書いている。
きっと同じようなことはどこかの誰かがすでに書いていることだろうし、もっとわかりやすく書いていたりで広く知られている考察であるかもしれない。
専門知識もないから◯◯学なんていうのでもない。
極めて個人的な考察だからピンと来る人数はたいしていないだろう。
(少数なのは『かつてのわたしのような』ひとだけを対象としているし、なおかつ、そのひとにとって都合のいいことしか書いていないから 笑)
それでも、わたしは自分が辿り着いたこれらをけっこう気に入っている。
たとえば、『感情のスタートを見極めて相手に伝える』とか『心がほしい女と事実で満足する男のすれ違い』とか、手前味噌だけど、けっこう使える思考なんじゃないか。
その中でも、我ながら、よくこれに気づいたな〜と思うものがある。
それが『信じることに慣れるのだ』というエントリー。
愛される価値感を持てないわたしが、何度も那智さんに「大丈夫?」と確認してしまうのは、那智さんを疑っているのではなく『信じることに慣れていないから』だ。
だから、自分が慣れるために何度も聞いたいたのだろうと。
これは何度も愛情の確認をしてしまうことに申し訳ないような気持ちや、それでも確認したい気持ちとの葛藤に『慣れさせてもらっているんだ』と思えたら、ずいぶん気が楽になるだろうし、楽になった気持ちで「わたしのことすき?」と聞けるほうが自分にも相手にもよいことだろうと思って書いたものだ。
過去エントリーを遡ってくださってポツポツと拍手や鍵コメで感想をいただけるエントリーのひとつで、少数だったとしてもこの思考が役に立ってくれたことは、うれしい。
ただひとつ危惧していることもあって、お返事が出来るツールで感想をいただいたときに、こんなことをお話ししたことがある。
わたしがこの思考に辿り着いたのは、じつは渦中のことではなく、ずっとあとになってからだった。
ああ、あのときのわたしの行為は『慣れるための』ものだったんだよね。
那智さんは「できるときはできる、できないときはできない」のスタンスでずっと遠慮するなと言い続けてくれていたけど、それでも何度も確認することに申し訳ない思いをしていたから、あのときそう思えていたらずいぶんラクだっただろうなって。
わたしたちは、その答えのない状態だった。
那智さんはずっと変わらぬ態度で受け止め続けてくれて、わたしはできる限り素直でいることに集中して伝え続けた。
だから、自然に信じることに慣れていかれたし、結果的にあの思考に辿り着くことができた。
でも、あのエントリーを読んだ人にとっては、ある意味先に答えありきになってしまうのだよね。
これはちょっと危険でね。
わたし側は『信じることに慣れさせてもらっている』と思えていても、パートナー側はそれを知らないでいるのだから、わたし側が見ているゴールに辿り着けるとは限らないからだ。
わたし側が答えを見せずに、一緒に答えのあるゴールを目指すことはもどかしいかもしれないし、なかなかピッタリにはいかないと思う。
だって、同じ人間はふたりといないのだから、同じゴールになることもないのだもの。
これを意識していないと相手に対するマイナスのものが生まれてしまうかもしれないから、危険かなと思うのだ。
だから、その方にはパートナーさんにも「いまは信じることに慣れさせてください」と、この思考回路をお話ししてみるのもひとつの手かなとお伝えした。
(エントリーを読んでもらってもかまわないけど、男性には人気ないこと書いているから気をつけて!とも伝えた記憶がある^^;)
エントリーを読んで共感いただき大いに役立ててほしいと思うのだけど、結局は自分とパートナーの性格や環境やいろいろを踏まえて、ふたりだけのやり方で築いていくしかないのだよね。
その方がパートナーさんに伝えたかどうかはわからないけど、たとえば、主従経験の豊富なご主人様や、自分だけが奴隷さんに影響を与えたいご主人様タイプの場合は、よそのブログで得た思考回路を一緒にやってくださいと伝えと、もしかしたら、こころよく思っていただけないかもしれないしね。
(そういう場合は自分ひとりの『お守り』くらいにしておいたほうがいいかもね)
以前、那智さんが『等式』は参考書になれるといいと言っていた。
教科書はひとつの答えしか書いていないけど、参考書だったらそこから自分なりの答えに発展できるからって。
なるほどなと思って、それ以来、わたしもこの手のエントリーを書くときは『参考書』のひとつになれればいいなと思って書いている。
ということで、どうぞ大いに参考にしていただいて、パートナーさんをよく見て、ご自分とパートナーさんとふたりだけの関係を築いていってくださいませ。
<関連エントリー>
ピンポイントなのだ
『等式』のえこひいき
かつてのわたしに
感情のスタート
続・感情のスタート
心と事実
心と事実2
事実さんとのお付き合い
心ちゃんと事実さん
信じることに慣れるのだ
信じることに慣れさせてもらったら
信頼→対等→尊敬→好き
信頼は寛容を生む
「等式」「参考書」感想です。私も思い入れがあることばかりがエントリーされており、感想が難しく新しいエントリーが出て促されるように記します。思い合う二人が相手の参考書の好みを共感しあえ、時折でも同じ方向に向かうことが出来たら幸せかなと。
とんこつ醤油
那智さんとその他友人とラーメン屋さんに入った。
ここは以前にも一度連れて来てもらっておいしかったからご満悦。
ラーメン、つけ麺(あれ?聞いたことある!?)に冷麺、おつまみ的なものまであるので、メニューを広げてうれしい迷い。
とはいいつつ、わたしは割りと定番ものをまず選ぶ。
ほら、定番ものにこそ、お店の力量が表れるなんていうじゃない!?
あ〜、それは体のいい理由付け(笑)
だって、わたしが選んだ『とんこつ醤油ラーメン』は、たしか前回来たときもいただいたのだもの。
お店の力量なんてすでに計れているはずだ(計れる力量があれば^^;)
それにも関わらず、また同じ定番ものを選ぶのは、そんなカッコいい理由なんかなじゃなくて、ようは冒険しないってだけのこと。
わかりやすく、リスクの少ないものを選ぶタイプなのだ。
ところで、最近、お仕事をいただいているホテルが新しいプランナー会社を参入させた。
そのことで、ずいぶんやり方が変わってきた。
もともとホテル業界は(たぶん)古い体質なところがあると思うのだけど、ホテルごとに徐々にシステムを変更したりして時代の波に取り残されないようにしているようで、このホテルも遅ればせながら、変革しているのだろう。
それにともない司会者の仕事が増えたり、減ったり、まあ、それはかまわないのだけど、別のところでもずいぶん変革?を要求されている。
それは服装や髪型の細かい指定。
色や形、アクセサリーの種類、髪の色や長さ、まるで校則みたい!
もちろん、常識の範囲内であることは当然のことだけど、常識のさらに内側に収まるような要求されているように感じるのだ。
そのホテルの求める常識やクオリティはそこなんだろうな思うけど、でも、それってどうなんだろう?と思ってしまう。
わたしなんて、かなり『普通』なので、普段からだいたい指定の範囲内だからいいのだけど、司会者って、ある意味個性も売り物だと思うんだよね。
華やかな雰囲気、クールなイメージ、柔らかい印象、どれも臨機応変に操れることがプロだと言われてしまえばそれまでだけど、それでもやっぱりその人が一番力を発揮できる形はあると思うのだ。
若くて、ちょっと派手めな(若干ヤンキー色が強い^^)お客様のお仕事の発注がいつもあるくりっとした猫目のキュートな司会者さんがおとなしめの服装とまとめ髪になっているのを見て、うーんと残念な気持ちになってしまったりもする。
平均的なもののほうが安心するのはわかる。
求められるものを提供するのがプロではあるけれど、お客様にとっては、どっちがいいんだろうね。
どの駅前にも同じカフェがあって、同じ居酒屋があって、同じ洋服屋がある景色を想像してしまった^^;
とはいえ、わたしだって、はじめて降り立つ駅に◯タバと個人経営の喫茶店があったら前者に入ってしまうだろうから、ちょっぴり反省。
常識の、さらに内側に収めているのは安心だけど、そればかりじゃ味気ない?
もうちょっとバラエティ豊かになるのもいいよねと、最近縛りがキツくなってちょっと窮屈な愚痴と、ラーメン選びを無理矢理結びつけてみました^^
そんなことを言いながらも、他の皆さんが『なんとか冷麺』や『ゆず味なんとか』や『激辛なんとか』とバラエティに富んだものを選ぶ中、ひとり前回と同じ『とんこつ醤油』を選ぶわたしだった。
で、同席して一同に『食はノーマルで性癖はアブノーマル』とツッコミを入れられながらおいしくおただきました^^
「等式」「とんこつ醤油」感想です。詳細を記すことが出来ないのが残念なのです。きっと、司会者を選ぶ時、没個性によるリスク回避を狙っているのだと思うが、外見の自己主張が無くなったら個性を見抜くのが大変になるだけだと思うのだけれどな?(笑)
すこし前のわたし
独り言
ある人がわたしのことを『生真面目』と表現した。
好意的に思ってくれているであろう人のこの言葉はマイナスの意味ではないことは充分すぎるほど理解している。
おそらく、そこも含めて『わたし』であることを良しとしてくれているだろうし、むしろ、そこがあるから他のプラス要素も生まれるのだろうと感じてくれての発言のはずだ。
那智さんもその生真面目さは必要悪で許容してくれているけど、一番近くの存在であるがゆえに、友人たちより被害は大きく、もしかしたら『緩和されてもいいかな〜』くらいには思っているかもしれない。
(それ『で』いいであって、それ『が』いいではないだろうなと)
わたしの生真面目さというものはすべてにおいてというものではない。
けっこう人には寛容であるほうだと思うし^^、筋トレも三日坊主だし、じつは他者にも自分にもかなり甘い人間だと思っている。
わたしのそれは主に『他者の感情』において、過剰に発揮してしまうようなのだ。
受取手によっては気遣いのできない人と取られることもあるので、どちらかというと、自分の中だけであれこれ考えてしまうだけなのだけど。
とにかく、先回りしてあれこれ考えて、いかに穏やかで円滑でいられるか考えすぎてしまうところがある。
昔より柔軟になれてきているし、友人たちはマイナス事象が起きても大丈夫だと信頼できているのだけど、あれほど信頼している那智さんにさえ『こうしたほうが快適なんじゃないか』『どちらを選んだら円滑か』と必要以上に考えてしまう。
仮にそれで要検討な事態になったとしても、誰も責めることもないし、むしろ、リカバリーが楽しいくらいに思ってもらえるであろうこともわかっているのに。
ひとり、あれこれ考えてしまうのだ。
なんだか、疲れる(笑)
出た結果を楽しむだけで、あれこれ考えないでいたい。
誰に頼まれたわけじゃないし、自分で勝手に考えているだけなので、やめればいいだけの話なんだけど、備わった資質はどうすることもできない。
そんなに簡単に変わらないものだ。
どうか、『生真面目なわたしがすき』とわたし自身が思えるようになりたい。
必要以上にあれこれ考えるわたしだからいいのだと思えるようになりたい。
生真面目が凹んだら、どこかイヤなところが出っ張ってしまうかもしれないから。
そのままのわたしがいいって、思いたい。
今日はそんな気分。
と、これはすこし前に書いたもの。
そうだなぁ、初夏くらいかな。
おもしろいもので、人は変わるんだよね。
それも、ときに短期間で。
まるっきり180度変わるなんてことはないけれど、意識するだけで気づけば無意識にそうなれていたりする。
だから、いまのわたしはこのときよりすこし生真面目じゃない^^
『真面目』くらい?(笑)
これは、きっともう変われる下地ができていたのだろう。
下地ができていれば、人は変わる、変われる。
生きやすいほうに。
以前『球体』というエントリーで危惧していたことはほとんど起こらず。
よかったところを大幅に減らさずに。
下地をどうやって作るか、これはすでにエントリーになっているかもしれないし、まとめていないかもしれないから、再検討します^^
ということで、ありきたりだけど。
『人は変われる』という〆でおしまい^^
<関連エントリー>
球体
「等式」「すこし前のわたし」感想です。少しずつ今でも成長りん子は偉いねー(笑)
ある人がわたしのことを『生真面目』と表現した。
好意的に思ってくれているであろう人のこの言葉はマイナスの意味ではないことは充分すぎるほど理解している。
おそらく、そこも含めて『わたし』であることを良しとしてくれているだろうし、むしろ、そこがあるから他のプラス要素も生まれるのだろうと感じてくれての発言のはずだ。
那智さんもその生真面目さは必要悪で許容してくれているけど、一番近くの存在であるがゆえに、友人たちより被害は大きく、もしかしたら『緩和されてもいいかな〜』くらいには思っているかもしれない。
(それ『で』いいであって、それ『が』いいではないだろうなと)
わたしの生真面目さというものはすべてにおいてというものではない。
けっこう人には寛容であるほうだと思うし^^、筋トレも三日坊主だし、じつは他者にも自分にもかなり甘い人間だと思っている。
わたしのそれは主に『他者の感情』において、過剰に発揮してしまうようなのだ。
受取手によっては気遣いのできない人と取られることもあるので、どちらかというと、自分の中だけであれこれ考えてしまうだけなのだけど。
とにかく、先回りしてあれこれ考えて、いかに穏やかで円滑でいられるか考えすぎてしまうところがある。
昔より柔軟になれてきているし、友人たちはマイナス事象が起きても大丈夫だと信頼できているのだけど、あれほど信頼している那智さんにさえ『こうしたほうが快適なんじゃないか』『どちらを選んだら円滑か』と必要以上に考えてしまう。
仮にそれで要検討な事態になったとしても、誰も責めることもないし、むしろ、リカバリーが楽しいくらいに思ってもらえるであろうこともわかっているのに。
ひとり、あれこれ考えてしまうのだ。
なんだか、疲れる(笑)
出た結果を楽しむだけで、あれこれ考えないでいたい。
誰に頼まれたわけじゃないし、自分で勝手に考えているだけなので、やめればいいだけの話なんだけど、備わった資質はどうすることもできない。
そんなに簡単に変わらないものだ。
どうか、『生真面目なわたしがすき』とわたし自身が思えるようになりたい。
必要以上にあれこれ考えるわたしだからいいのだと思えるようになりたい。
生真面目が凹んだら、どこかイヤなところが出っ張ってしまうかもしれないから。
そのままのわたしがいいって、思いたい。
今日はそんな気分。
と、これはすこし前に書いたもの。
そうだなぁ、初夏くらいかな。
おもしろいもので、人は変わるんだよね。
それも、ときに短期間で。
まるっきり180度変わるなんてことはないけれど、意識するだけで気づけば無意識にそうなれていたりする。
だから、いまのわたしはこのときよりすこし生真面目じゃない^^
『真面目』くらい?(笑)
これは、きっともう変われる下地ができていたのだろう。
下地ができていれば、人は変わる、変われる。
生きやすいほうに。
以前『球体』というエントリーで危惧していたことはほとんど起こらず。
よかったところを大幅に減らさずに。
下地をどうやって作るか、これはすでにエントリーになっているかもしれないし、まとめていないかもしれないから、再検討します^^
ということで、ありきたりだけど。
『人は変われる』という〆でおしまい^^
<関連エントリー>
球体
「等式」「すこし前のわたし」感想です。少しずつ今でも成長りん子は偉いねー(笑)
ハプバーを◯◯化する
独り言
以前にハプバーに行ったときのこと。
あれはたしかTちゃんに誘われてモカちゃんも一緒に行ったときだ。
隣りの個室の大騒ぎや男性陣の困惑や、いろいろあってお腹いっぱいな時間だったけど、ひそかに、一瞬の、思い出してニヤニヤしてしまうワンシーンがある。
なぜいままで書かなかったかというと、その面白さを描き切れる自信がなかったから^^
そのハプバーは入口で靴を脱ぐ。
全部が全部そうじゃないだろうけど、割りと土足厳禁なところは多いのではないかな。
入口で靴を預け、奥のロッカーに私物を入れる。
くつろげるようにするためや防犯の意味もあるのかな。
バーカウンターから一段下がったフロアまで全部絨毯が敷き詰められ、そこに靴下や素足や思い思いの足元で過ごす。
薄暗いフロアは毛足の長い絨毯の上にゆったりしたソファ、シャンデリア風の照明にレースやビロード風のカーテンが揺れて(どれも『風』笑)、さながら秘密のサロンのよう。
べつに自分を卑下するつもりはまったくないのだけど、絨毯も心地よいからソファに腰かける那智さんの足下の床に座る。
モカちゃんも一緒に座っておしゃべりしていた。
トイレに立つ那智さん。
戻ってきて、また会話が再開する。
ん?
ふと、視界に違和感が。
那智さん、靴下じゃない。
スリッパ履いてる。
スリッパなんて提供されてない、よね?
しかも、ピンクのもこもこした可愛いの。
なんか、見覚えある…
あああ、トイレのスリッパだ!!
そうそう、さっきトイレ入ったらあった。
店内もそうだけど、トイレも女性が好みそうな内装やアメニティで整っていて、スリッパももこもこキュートなものだった。
それを履いてきてしまったのだ!!
いや、ただこれだけなら「あ〜、履いてきちゃいましたね〜」でおしまいなのだけど。
ハプバーのサロン感に存在感のあるスリッパ、それを三つ揃いのスーツを纏った男性が履き、足を組む。
一気に応接間!!
一気に家主認定!!
なんて違和感のなさ!!
だかしかし、履いているものがピンクのふわもこだ。
いきなりのキュート。
サロン風にダークスーツ、浮かび上がるピンクのふわもこ。
この一致と不一致のせめぎ合い。
しかもそれを成しているのは、我らが那智さんである。
もうたまらなくおかしい。
そして愛おしい。
わっと気づいて、那智さんに「それ、トイレのじゃありませんか!?」と。
横にいたモカちゃんも気づいて、ふたりして大笑いした。
と、このシーン。
できるだけ、臨場感を持ってお伝えしてみたけれど、わたしが感じたおかしさがどれくらい伝わってくれたかな〜と思う。
残念ながら、わたしの筆力では『那智さん』であるゆえの上乗せを表現できる自信がない。
だから、書くの控えていたのです。
先日モカちゃんと食事をした。
そのとき、このお話しを思い出して、またふたりで大笑いした。
ふと、あのときのおかしさはモカちゃんが一緒にいて「お父さん、それ!!」と笑ってくれたからでもあるんだろうなと、あらためて思う。
「でも、このおかしさは文章では伝えにくいよね〜」とも話していたのだけど、こうやってモカちゃんと会話した話にすればいいかなと思えたのでエントリー。
モカちゃん、グッジョブ^^
さて、まだまだ準備も進んでおりませんが^^;
ご都合の良い方は、どうぞオフ会にいらしてくださいませ。
そして、生那智さんをご覧になってこのエントリーをよりおかしく読めるようにしていただきたいなと思うのです。
(ついでに生モカも!!←来てくれる前提)
<関連エントリー>
たしか、このとき
複数もしくは他者1 2
以前、こんな方もいらしたわ
ハプバーを茶の間化する
オフ会
すこし先の未来
定期更新(たぶん)終了のお知らせ
オフ会、ちらほら
おしるこ理論&オフ会、ちらほら2
「等式」「ハプバー」 感想です。あの状況は内装も私の服装もスリッパがふさわしかったにも関わらず、二重の意味でダメだったのがおもしろかった。解説する愚行お許し下さい!(笑)
以前にハプバーに行ったときのこと。
あれはたしかTちゃんに誘われてモカちゃんも一緒に行ったときだ。
隣りの個室の大騒ぎや男性陣の困惑や、いろいろあってお腹いっぱいな時間だったけど、ひそかに、一瞬の、思い出してニヤニヤしてしまうワンシーンがある。
なぜいままで書かなかったかというと、その面白さを描き切れる自信がなかったから^^
そのハプバーは入口で靴を脱ぐ。
全部が全部そうじゃないだろうけど、割りと土足厳禁なところは多いのではないかな。
入口で靴を預け、奥のロッカーに私物を入れる。
くつろげるようにするためや防犯の意味もあるのかな。
バーカウンターから一段下がったフロアまで全部絨毯が敷き詰められ、そこに靴下や素足や思い思いの足元で過ごす。
薄暗いフロアは毛足の長い絨毯の上にゆったりしたソファ、シャンデリア風の照明にレースやビロード風のカーテンが揺れて(どれも『風』笑)、さながら秘密のサロンのよう。
べつに自分を卑下するつもりはまったくないのだけど、絨毯も心地よいからソファに腰かける那智さんの足下の床に座る。
モカちゃんも一緒に座っておしゃべりしていた。
トイレに立つ那智さん。
戻ってきて、また会話が再開する。
ん?
ふと、視界に違和感が。
那智さん、靴下じゃない。
スリッパ履いてる。
スリッパなんて提供されてない、よね?
しかも、ピンクのもこもこした可愛いの。
なんか、見覚えある…
あああ、トイレのスリッパだ!!
そうそう、さっきトイレ入ったらあった。
店内もそうだけど、トイレも女性が好みそうな内装やアメニティで整っていて、スリッパももこもこキュートなものだった。
それを履いてきてしまったのだ!!
いや、ただこれだけなら「あ〜、履いてきちゃいましたね〜」でおしまいなのだけど。
ハプバーのサロン感に存在感のあるスリッパ、それを三つ揃いのスーツを纏った男性が履き、足を組む。
一気に応接間!!
一気に家主認定!!
なんて違和感のなさ!!
だかしかし、履いているものがピンクのふわもこだ。
いきなりのキュート。
サロン風にダークスーツ、浮かび上がるピンクのふわもこ。
この一致と不一致のせめぎ合い。
しかもそれを成しているのは、我らが那智さんである。
もうたまらなくおかしい。
そして愛おしい。
わっと気づいて、那智さんに「それ、トイレのじゃありませんか!?」と。
横にいたモカちゃんも気づいて、ふたりして大笑いした。
と、このシーン。
できるだけ、臨場感を持ってお伝えしてみたけれど、わたしが感じたおかしさがどれくらい伝わってくれたかな〜と思う。
残念ながら、わたしの筆力では『那智さん』であるゆえの上乗せを表現できる自信がない。
だから、書くの控えていたのです。
先日モカちゃんと食事をした。
そのとき、このお話しを思い出して、またふたりで大笑いした。
ふと、あのときのおかしさはモカちゃんが一緒にいて「お父さん、それ!!」と笑ってくれたからでもあるんだろうなと、あらためて思う。
「でも、このおかしさは文章では伝えにくいよね〜」とも話していたのだけど、こうやってモカちゃんと会話した話にすればいいかなと思えたのでエントリー。
モカちゃん、グッジョブ^^
さて、まだまだ準備も進んでおりませんが^^;
ご都合の良い方は、どうぞオフ会にいらしてくださいませ。
そして、生那智さんをご覧になってこのエントリーをよりおかしく読めるようにしていただきたいなと思うのです。
(ついでに生モカも!!←来てくれる前提)
<関連エントリー>
たしか、このとき
複数もしくは他者1 2
以前、こんな方もいらしたわ
ハプバーを茶の間化する
オフ会
すこし先の未来
定期更新(たぶん)終了のお知らせ
オフ会、ちらほら
おしるこ理論&オフ会、ちらほら2
「等式」「ハプバー」 感想です。あの状況は内装も私の服装もスリッパがふさわしかったにも関わらず、二重の意味でダメだったのがおもしろかった。解説する愚行お許し下さい!(笑)
水分
独特な幸福感
那智さんのあごの下に顔をうずめて「いいこいいこ」、さらさらと流れる涙。
感受性の感度があがる。
それから数時間後。
腕枕してもらってうつらうつらで涎が、たぶん、たれた。
すきな男の腕の中で涙も涎も流せるなんて、これをしあわせと言わずして、なんと言おう。
「等式」感想です。感情で色々な物が垂れます。(笑)
那智さんのあごの下に顔をうずめて「いいこいいこ」、さらさらと流れる涙。
感受性の感度があがる。
それから数時間後。
腕枕してもらってうつらうつらで涎が、たぶん、たれた。
すきな男の腕の中で涙も涎も流せるなんて、これをしあわせと言わずして、なんと言おう。
「等式」感想です。感情で色々な物が垂れます。(笑)