那智さん語録
独特な幸福感
お電話。
歩いている。
お仕事場から何やら移動のよう。
周りの雑踏と那智さんの声の揺れでわかる。
○○までお遣い〜
『お遣い』は近くの取引先までの通称。
だからお話しできる時間も読める。
信号をふたつ渡るくらいの時間だ。
しばらくすると、雑踏が遠くになり靴音がはっきりする、ほんの少し吐息が反響するような感じがする。
到着したんだ。
オフィスビルのガラス扉を入ってエレベーターホールに向かう様子を想像してみる。
いつもこの雑踏が遠くなるのをきっかけに『それじゃ〜ね〜』と電話を切る。
(『ほんじゃ』とか『はい、到着〜』とか『ん』とかの場合もある)
だから雑踏が遠くになると、こちらもおしまいだなとなんとなく身構えるのだ(笑)
他愛ない会話が途切れ、雑踏が消え…
んじゃ〜、
ああ、おしまいね^^
…ポケットの中〜
すこし考えて、ガサゴソ。
きっとすぐ済む用事だったのだろう。
切らずにそのままポケットに入れてくれた。
はうう、ポケットの中ぁぁぁ。
その、一瞬考えてからの言葉が、考えてくれた気持が、うれしい^^
那智さん、○○の待ち合わせ場所どうしましょう。
そろそろ○○のこと決めた方がいいですよね。
那智さん、那智さん、○○やっておきました〜^^
○○さんが、○○って書いてありましたよ!!
那智さん、あのとき、わたし○○って思いましたよ。
日々溢れる報告や相談や感情を文字にして、ためらうことなく垂れ流す。
お返事があるかないかは関係ない。
あれば嬉しいけど、なくてもいい。
返事が必要だと那智さんが判断したら、必ずくれるはずだから。
わたしの目的は垂れ流させてもらうこと。
だから、その幸福を感じていればいいのだ。
わたしも成長したようで、昔に比べたらこんなふうに溢れるようにメールすることはずいぶん減った。
この溢れるのはちょっと久しぶりの感じ。
キャンキャンとまとわり付く犬か、帰ってきたお父さんの後ろをついて回って学校のことを話す娘の気分。
だだだっと一気に垂れ流して、しばーらくして来たメール。
『良きに計らえ(笑)』
途端に気分は、『はい、殿〜^^』
どんなお話だったか憶えていないのが残念なんだけど。
たしか、わたしを生きやすくするための思考回路修正のお手伝いをしてくれていたんだ。
一本筋の通った、でも、そこに通す!?みたいな那智さんらしい筋の通し方。
それって、なかなかできるものじゃないですよ。
他の人が聞いたら、驚きますよ!!
内容を憶えていないから、ホント残念なんだけど、とにかく、その筋を通すには過剰に人目を気にするわたしの常識からはかなりハードルの高いものだったから、やんややんや抵抗しまくっていた(笑)
まったく引く様子も見せず、推す那智さんに思わず聞いてしまう。
なんで、そう言い切れるんですか!?
『俺の価値観』
メールの文字で言い切った(笑)
はい〜、おっしゃる通りでございます〜。
わたしは、概ね那智さんの価値観を元に築いている。
わたしの思考回路を修正させるために、理由なんて簡単『俺の価値観』だ。
これがわたしの幸福のためだと伝わっているから、なんとも胸を掴む言い切りだった^^
まったくもう。
那智さんの言葉は、いとも簡単にわたしを幸福な気分にさせるアイテムだ^^
そんな那智さんのつぶやき。
http://twitter.com/#!/hosinohadou
那智さんの『等式』の感想のためのアカウントです。
わたしが登場するときは、那智さんに絡めたつぶやきとお声をかけていただいたときというルールは変わらずですが、どうやらわたしのつぶやき率のほうが高い?
こちらも併せてお楽しみくださいませ^^
今朝の「等式」感想です。前エントリーの感想が我ながらもしかしたら我を通すような感想なので少し凹みぎみなので(笑)何というタイミングでツイッター紹介をしてくれたのかと思いました。最近はりん子が多少つまずいても少しのアドバイスで大丈夫なのですけれども、物事に対しての出来ない言い訳をして遊んでいるので冒頭の発言になりました。
お電話。
歩いている。
お仕事場から何やら移動のよう。
周りの雑踏と那智さんの声の揺れでわかる。
○○までお遣い〜
『お遣い』は近くの取引先までの通称。
だからお話しできる時間も読める。
信号をふたつ渡るくらいの時間だ。
しばらくすると、雑踏が遠くになり靴音がはっきりする、ほんの少し吐息が反響するような感じがする。
到着したんだ。
オフィスビルのガラス扉を入ってエレベーターホールに向かう様子を想像してみる。
いつもこの雑踏が遠くなるのをきっかけに『それじゃ〜ね〜』と電話を切る。
(『ほんじゃ』とか『はい、到着〜』とか『ん』とかの場合もある)
だから雑踏が遠くになると、こちらもおしまいだなとなんとなく身構えるのだ(笑)
他愛ない会話が途切れ、雑踏が消え…
んじゃ〜、
ああ、おしまいね^^
…ポケットの中〜
すこし考えて、ガサゴソ。
きっとすぐ済む用事だったのだろう。
切らずにそのままポケットに入れてくれた。
はうう、ポケットの中ぁぁぁ。
その、一瞬考えてからの言葉が、考えてくれた気持が、うれしい^^
那智さん、○○の待ち合わせ場所どうしましょう。
そろそろ○○のこと決めた方がいいですよね。
那智さん、那智さん、○○やっておきました〜^^
○○さんが、○○って書いてありましたよ!!
那智さん、あのとき、わたし○○って思いましたよ。
日々溢れる報告や相談や感情を文字にして、ためらうことなく垂れ流す。
お返事があるかないかは関係ない。
あれば嬉しいけど、なくてもいい。
返事が必要だと那智さんが判断したら、必ずくれるはずだから。
わたしの目的は垂れ流させてもらうこと。
だから、その幸福を感じていればいいのだ。
わたしも成長したようで、昔に比べたらこんなふうに溢れるようにメールすることはずいぶん減った。
この溢れるのはちょっと久しぶりの感じ。
キャンキャンとまとわり付く犬か、帰ってきたお父さんの後ろをついて回って学校のことを話す娘の気分。
だだだっと一気に垂れ流して、しばーらくして来たメール。
『良きに計らえ(笑)』
途端に気分は、『はい、殿〜^^』
どんなお話だったか憶えていないのが残念なんだけど。
たしか、わたしを生きやすくするための思考回路修正のお手伝いをしてくれていたんだ。
一本筋の通った、でも、そこに通す!?みたいな那智さんらしい筋の通し方。
それって、なかなかできるものじゃないですよ。
他の人が聞いたら、驚きますよ!!
内容を憶えていないから、ホント残念なんだけど、とにかく、その筋を通すには過剰に人目を気にするわたしの常識からはかなりハードルの高いものだったから、やんややんや抵抗しまくっていた(笑)
まったく引く様子も見せず、推す那智さんに思わず聞いてしまう。
なんで、そう言い切れるんですか!?
『俺の価値観』
メールの文字で言い切った(笑)
はい〜、おっしゃる通りでございます〜。
わたしは、概ね那智さんの価値観を元に築いている。
わたしの思考回路を修正させるために、理由なんて簡単『俺の価値観』だ。
これがわたしの幸福のためだと伝わっているから、なんとも胸を掴む言い切りだった^^
まったくもう。
那智さんの言葉は、いとも簡単にわたしを幸福な気分にさせるアイテムだ^^
そんな那智さんのつぶやき。
http://twitter.com/#!/hosinohadou
那智さんの『等式』の感想のためのアカウントです。
わたしが登場するときは、那智さんに絡めたつぶやきとお声をかけていただいたときというルールは変わらずですが、どうやらわたしのつぶやき率のほうが高い?
こちらも併せてお楽しみくださいませ^^
今朝の「等式」感想です。前エントリーの感想が我ながらもしかしたら我を通すような感想なので少し凹みぎみなので(笑)何というタイミングでツイッター紹介をしてくれたのかと思いました。最近はりん子が多少つまずいても少しのアドバイスで大丈夫なのですけれども、物事に対しての出来ない言い訳をして遊んでいるので冒頭の発言になりました。
お風呂遊び
独特な幸福感
ちょっといいホテルのアメニティを持ち帰った。
バブルバスジェル^^
泡のお風呂にするヤツね。
那智さんが準備してくれて(あ、ここはラブホです*^^*)呼ばれてお風呂に行くと、あわあわ。
泡のお風呂、嬉しいよね。
そこに『お風呂に浮かべて、ふたりでいちゃいちゃして(笑)』とmineさんがくれた誕生日プレゼントのバラの石鹸を浮かべる。
石鹸の良い香りでバスルームがいっぱいになった。
急いで髪をまとめて再びバスルームに。
きゃあ、きゃあ、喜んで調子に乗ったわたしはそれを両手で掬ってみた。
バラを手の包んでうっとり、の予定。
ぐにゃ〜ん
紙石鹸でできていたバラは、わたしの想像を遥かに超えるほど柔らかくなっていたのだ。
「あ〜あ、せっかくりん子が来るまでそーっと浮かべてたのに(笑)」
「うう、ごめんなさい、フワッと持ちたかったのです;;」
手のひらでとろけたキャンディのようになってしまったバラの石鹸。
那智さんが受け取り、わたしの胸にでろーーーっとなすり付け、スポンジを使って体を洗い出してくれた。
泡風呂で、湯船に浸かりながらゴシゴシと。
あうん。
幸せ。
「mineさんのおかげで、洗えてもらえたね〜」
泡の楽しさと洗ってもらった甘い気持ちで、ちょっと気分は『女の子』。
那智さんはさっさと体を流して出ていってしまった。
出ていくときにジャグジーをオンしてくれたんだ。
だから、みるみるうちに増殖する!!
あれよあれよという間に膨れ上がる泡がキレイでうれしくてしかたがない、普段なら那智さんが上がったらわたしもすぐついていくのに名残惜しくてまだお風呂で楽しんでいた。
浴槽から洗い場まで溢れて、泡だらけ。
楽しくて那智さんを呼ぶ。
「那智さーん、すごいですよ〜」
「はいはい」
洗面所に用事で戻るタイミングときだけ相手してくれる。
ああ、その『はいはい』な感じもうれしい^^
泡はどんどん増えていく。
その膨れ上がる様子をじっと観察して、息を吹きかけて、ふるふる揺れるのを楽しんで。
どれくらい時間が経っただろう。
退屈になると那智さんを呼んで。
来てくれたり来てくれなかったりを繰り返す。
そろそろ上がったほうがいいかな。
もう少し泡を眺めていたな。
気持ちは、両方。
でも、娘気分には、あともう一押しほしいところだ(笑)
「那智さーーん」
「なぁんだよ〜」
「そろそろ出たほうがいいですか?」
「お好きにどうぞ〜」
「そうですか?でも出たほうがいいかな?」
「いいよ、好きなだけいれば?」
「そうですか〜?出ないといけないかもしれないですよね?」
「なんだよ、好きにすればいいだろ!?(笑)」
「いや、出たくなけど、出たほうがいい?」
…、わーかったよ!!
ほら、りん子ちゃん、もうそろそろ出ないさーい、のぼせちゃうからね〜(笑)
はーい♪
いっぱい遊んで楽しかったね〜、汗もたくさんかいてエラかったね〜(笑)
はーーーい♪♪
はい、お父さんに『出なさい』と言ってもらって『女の子気分』完成なのでした^^
プロフィールの画像はそのときの様子。
この画像、ある意味でかなり恥ずかしい。
さらにこんな恥ずかしい背景があっての、あの画像なのでした^^;
今朝の「等式」感想です。私にはあの時、先が見えていたお話しでした。(笑)りん子の思いはわかりませんが、予定調和だったかもしれないですね。すんなりお風呂場からりん子を呼ばなかったのは、じりじりした感じを楽しみたかったからです。今日のエントリーで、憧れを抱いた人は手を挙げて下さい!
ちょっといいホテルのアメニティを持ち帰った。
バブルバスジェル^^
泡のお風呂にするヤツね。
那智さんが準備してくれて(あ、ここはラブホです*^^*)呼ばれてお風呂に行くと、あわあわ。
泡のお風呂、嬉しいよね。
そこに『お風呂に浮かべて、ふたりでいちゃいちゃして(笑)』とmineさんがくれた誕生日プレゼントのバラの石鹸を浮かべる。
石鹸の良い香りでバスルームがいっぱいになった。
急いで髪をまとめて再びバスルームに。
きゃあ、きゃあ、喜んで調子に乗ったわたしはそれを両手で掬ってみた。
バラを手の包んでうっとり、の予定。
ぐにゃ〜ん
紙石鹸でできていたバラは、わたしの想像を遥かに超えるほど柔らかくなっていたのだ。
「あ〜あ、せっかくりん子が来るまでそーっと浮かべてたのに(笑)」
「うう、ごめんなさい、フワッと持ちたかったのです;;」
手のひらでとろけたキャンディのようになってしまったバラの石鹸。
那智さんが受け取り、わたしの胸にでろーーーっとなすり付け、スポンジを使って体を洗い出してくれた。
泡風呂で、湯船に浸かりながらゴシゴシと。
あうん。
幸せ。
「mineさんのおかげで、洗えてもらえたね〜」
泡の楽しさと洗ってもらった甘い気持ちで、ちょっと気分は『女の子』。
那智さんはさっさと体を流して出ていってしまった。
出ていくときにジャグジーをオンしてくれたんだ。
だから、みるみるうちに増殖する!!
あれよあれよという間に膨れ上がる泡がキレイでうれしくてしかたがない、普段なら那智さんが上がったらわたしもすぐついていくのに名残惜しくてまだお風呂で楽しんでいた。
浴槽から洗い場まで溢れて、泡だらけ。
楽しくて那智さんを呼ぶ。
「那智さーん、すごいですよ〜」
「はいはい」
洗面所に用事で戻るタイミングときだけ相手してくれる。
ああ、その『はいはい』な感じもうれしい^^
泡はどんどん増えていく。
その膨れ上がる様子をじっと観察して、息を吹きかけて、ふるふる揺れるのを楽しんで。
どれくらい時間が経っただろう。
退屈になると那智さんを呼んで。
来てくれたり来てくれなかったりを繰り返す。
そろそろ上がったほうがいいかな。
もう少し泡を眺めていたな。
気持ちは、両方。
でも、娘気分には、あともう一押しほしいところだ(笑)
「那智さーーん」
「なぁんだよ〜」
「そろそろ出たほうがいいですか?」
「お好きにどうぞ〜」
「そうですか?でも出たほうがいいかな?」
「いいよ、好きなだけいれば?」
「そうですか〜?出ないといけないかもしれないですよね?」
「なんだよ、好きにすればいいだろ!?(笑)」
「いや、出たくなけど、出たほうがいい?」
…、わーかったよ!!
ほら、りん子ちゃん、もうそろそろ出ないさーい、のぼせちゃうからね〜(笑)
はーい♪
いっぱい遊んで楽しかったね〜、汗もたくさんかいてエラかったね〜(笑)
はーーーい♪♪
はい、お父さんに『出なさい』と言ってもらって『女の子気分』完成なのでした^^
プロフィールの画像はそのときの様子。
この画像、ある意味でかなり恥ずかしい。
さらにこんな恥ずかしい背景があっての、あの画像なのでした^^;
今朝の「等式」感想です。私にはあの時、先が見えていたお話しでした。(笑)りん子の思いはわかりませんが、予定調和だったかもしれないですね。すんなりお風呂場からりん子を呼ばなかったのは、じりじりした感じを楽しみたかったからです。今日のエントリーで、憧れを抱いた人は手を挙げて下さい!
わたしの『女の子』
りん子的独り言(エラそう)
前エントリーで書いた泡遊びと『女の子』扱い。
プロフィール画像を含めて痛い感じがとっても恥ずかしいのだけど、会話でおわかりいただけるように特殊な倒錯の世界というわけでもないのです。
那智さんがわたしを『子供扱い』するとき、敬語を使わなくなることもあるけれどごく普通の敬語のままの場合のほうが多い、別に『ばぶー』や『〜でちゅ』なんて言っているわけではありません(笑)
今回、ブログを新しくするにあたって、はじめましての方には感想をお聞かせいただくというとても贅沢な思いをさせていただきましたが、その中でも『女の子』に関する感想が多かったのも新しい発見でした。
わたしの心の『痛い』部分を書いていたので、そこに興味や共感を持っている人がいるというのは、ホッとするような気持ちになりました。
『女の子』
『夢見る頃をすぎても』にも書いたけれど。
『等式』の中では比較的認知されている『女の子』(笑)
ただ、ひと口に『女の子』と言っても決まった定義があるわけではなくて、わたしと読んでくれる人、それぞれの『女の子』があるだろうと思っています。
ひとつの言葉から何かを感じ取り、それをブログの中の(なんとなくの^^)共通認識にできるだけでも、すごく貴重なこと。
解釈や定義が違っていたとしても、それを一致させることにあまり意味のないこと、『みんな、それぞれの女の子』であればいいな思っています。
幼い気持ち。
誰かに守られたい気持ち。
わがままを言えるツール。
欲情のスイッチ。
いろいろあるけど、わたしの『女の子』ってなんだろうって思う。
少し前、気持ちが沈んでしまって、どうしても那智さんに対していつものわたしでいられないときがあった。
生理のバイオリズムか欲情か、最近は原因も理解しているので『わかっているけど、どうすることもできない』という状態。(『徒然に「女の性」』)
可愛くない態度を取り、いちいち突っかかってしまう。
どうしたらいいのでしょうと、自分に辟易するわたしに
「女の子の部分が出ていると思えばいいんじゃない?」
と、自覚を促す提案をしてくれた。
確かに『いまは女の子の部分を出して甘えているんだ』とわたしが自覚すれば、那智さんは手を差し伸べることを厭わないし、わたし自身も必要以上に自分を責めないでいられる。
だけど、この提案を聞いたとき。
すこし悲しく、すこし申し訳なく、そしてとても違和感を憶えた。
わたしが求めている『女の子』はこういう状態のことじゃないって思った。
子供のようにわがままを言って甘える。
拗ねる少女の背中を優しくトントンと叩いてもらう。
これはこれでとても甘美な想像だけれども、わたしは那智さんにとって『子供』になることを求めているのではない。
わがままを言って甘えることを『女の子』だと定義付けることに、わたし自身が違和感を感じたのだ。
それはなぜだろう。
『女の子』と言っているから子供の幼さやわがままを言える状態を連想しがちだけど、恐らく、すこし違う。
たぶん。
とても内面のこと。
わたしの『女の子』は、心の在りようだ。
真綿のような心。
キレイなものを素直にキレイだと思い、小さなうれしいに気づく。
真っ白でふわふわで、とてもキレイな心。
些細なことで喜べるということは同じように些細なことで傷つくという側面もあるので、単にキレイとか無垢とかだけではない、その真綿はむき出しの柔らかい心。
よくも悪くも柔らかな心が『女の子』。
もちろんわたしだって極々普通の人。
鈍感なところだってあるし、腹黒い気持ちも意地悪な気持ちも持っているから(たーくさん^^;)、わたしがキレイな心の持ち主だと言っているのではなくてね。
もうすこし詳細にいうと、そういうキレイな心を意識してみることや少しでも持っていることの心地よさを知っていて、それが好きだという心が『女の子』だと思っている。
意地悪な気持ちが湧いたとき、ちょっと意識して優しいほうに心を傾ける。
そのほうが心地よい。
那智さんの前で涙が出そうなとき、人前で泣くのは照れくさいなと思うけど素直に泣いてしまう気持よさ。
ぬいぐるみを可愛いと喜ぶにはあまりにも大人の年齢の自分をほんの少し意識しながら、でも心の中で小さく『可愛い』と抱きしめられる幸福感。
炊きたての白米を前にして至上の喜びを感じる心(これは、単に食い意地 笑)
わたしはいちおう大人だけど、こういう心を持つことの心地よさが好き。
それが『女の子』。
那智さんに女の子扱いをしてもらうことは、大好きだ。
世話を焼いてもらったり『ばかだなぁ』って苦笑されたり、幼子を見るような視線を感じることが嬉しい瞬間ではある。
楽しいお遊びや大きな声では言えないけど欲情のポイントにもなったりもするし、ときには自分を解放する手助けをしてくれる。
特に初期の頃、この解放は重要な出来事だった。
ただこれらは二人にとって好きなことではあるけれど、核ではない。
(核って?『徒然に「求めるもの」』)
たぶんわたしの核になる『女の子』は、那智さんとの間で起こる現象ではなくて、わたしの心のことなんだ。
那智さんが関わっているとするならば、わたしが『女の子』の心を好きでいられる環境を作ってくれることなんだと思う。
『チューニング』というエントリーを書いたことがある(よくリンクしてます^^;)
些細なことでつまずいて、なんだか情けない人間だなと感じていた、その『アンテナ』が、実は『女の子』なのではないだろうか。
ずっと厄介だと思っていたものを、那智さんは『良いところ』だと見つけ、好きだと言ってくれる。
おかげで、わたしは伸び伸びと『アンテナ』を張ることができていて、その自分が好きになっている。
『女の子』扱いなどはオプションに過ぎなくて、『核』として那智さんが担ってくれているとしたらこの土台の部分だけなのだと思う。
甘えたり手をかけてもらったり、なんでも言えるなんていうのも『女の子』のひとつだろう。
だけどわたしが求める『女の子』は、那智さんにどうこうしてもらうものではなくて、わたし自身の中にあるものなんだと思う。
キレイなものを素直にキレイだと思い。
うれしいことに素直に喜べる。
もちろん鎧のないむき出しの心は、ダイレクトに悲しいも受け止めてしまう。
それでも柔らかいホクホク、ぬくぬく心の心地よさを知っていて、それを感じることが好きな心。
泡のお風呂で遊ぶのは楽しい。
それを子供を諭すように声をかけてもらうことも大好きだ。
でも、きっと、わたしが生きていくのに必要な『女の子』は、その行為ではなくて、その心地よさが好きな心。
那智さんに本当に叶えてもらっているのは『女の子扱い』ではなくて、その心を認め守ってもらうこと。
それがわたしの『女の子』です。
そして、本物の子供はいちいちこういう心を自覚しているものではないと思うので、おそらく、年齢を重ねたからこそ持つことのできるものではないかなとも思っている。
<関連エントリー>
『女の子』っぽいもの
『毛布』
『全肯定1 2』
『女の子』
『独特な幸福のススメ』
『ぬいぐるみ』
『娘デート1 2 3 4』
今朝の「等式」の感想です。久しぶりのりん子ワールド炸裂ですね~。長いし、りん子語たくさんなのですがリンクを遡れば何とか理解できると思うので最近読み始めた方もお付き合い頂ければ嬉しく思います。
要旨は「もうすこし詳細にいうと、そういうキレイな心を意識してみることや少しでも持っていることの心地よさを知っていて、それが好きだという心が『女の子』だと思っている。」これなのでしょうね、でも難解だろうな~
少し気合いがいるかもしれませんが女の子部分の「等式」を理解できる、エントリーだと思うのでよくわからない人は是非リンク遡りにチャレンジして欲しいと思います。
前エントリーで書いた泡遊びと『女の子』扱い。
プロフィール画像を含めて痛い感じがとっても恥ずかしいのだけど、会話でおわかりいただけるように特殊な倒錯の世界というわけでもないのです。
那智さんがわたしを『子供扱い』するとき、敬語を使わなくなることもあるけれどごく普通の敬語のままの場合のほうが多い、別に『ばぶー』や『〜でちゅ』なんて言っているわけではありません(笑)
今回、ブログを新しくするにあたって、はじめましての方には感想をお聞かせいただくというとても贅沢な思いをさせていただきましたが、その中でも『女の子』に関する感想が多かったのも新しい発見でした。
わたしの心の『痛い』部分を書いていたので、そこに興味や共感を持っている人がいるというのは、ホッとするような気持ちになりました。
『女の子』
『夢見る頃をすぎても』にも書いたけれど。
『等式』の中では比較的認知されている『女の子』(笑)
ただ、ひと口に『女の子』と言っても決まった定義があるわけではなくて、わたしと読んでくれる人、それぞれの『女の子』があるだろうと思っています。
ひとつの言葉から何かを感じ取り、それをブログの中の(なんとなくの^^)共通認識にできるだけでも、すごく貴重なこと。
解釈や定義が違っていたとしても、それを一致させることにあまり意味のないこと、『みんな、それぞれの女の子』であればいいな思っています。
幼い気持ち。
誰かに守られたい気持ち。
わがままを言えるツール。
欲情のスイッチ。
いろいろあるけど、わたしの『女の子』ってなんだろうって思う。
少し前、気持ちが沈んでしまって、どうしても那智さんに対していつものわたしでいられないときがあった。
生理のバイオリズムか欲情か、最近は原因も理解しているので『わかっているけど、どうすることもできない』という状態。(『徒然に「女の性」』)
可愛くない態度を取り、いちいち突っかかってしまう。
どうしたらいいのでしょうと、自分に辟易するわたしに
「女の子の部分が出ていると思えばいいんじゃない?」
と、自覚を促す提案をしてくれた。
確かに『いまは女の子の部分を出して甘えているんだ』とわたしが自覚すれば、那智さんは手を差し伸べることを厭わないし、わたし自身も必要以上に自分を責めないでいられる。
だけど、この提案を聞いたとき。
すこし悲しく、すこし申し訳なく、そしてとても違和感を憶えた。
わたしが求めている『女の子』はこういう状態のことじゃないって思った。
子供のようにわがままを言って甘える。
拗ねる少女の背中を優しくトントンと叩いてもらう。
これはこれでとても甘美な想像だけれども、わたしは那智さんにとって『子供』になることを求めているのではない。
わがままを言って甘えることを『女の子』だと定義付けることに、わたし自身が違和感を感じたのだ。
それはなぜだろう。
『女の子』と言っているから子供の幼さやわがままを言える状態を連想しがちだけど、恐らく、すこし違う。
たぶん。
とても内面のこと。
わたしの『女の子』は、心の在りようだ。
真綿のような心。
キレイなものを素直にキレイだと思い、小さなうれしいに気づく。
真っ白でふわふわで、とてもキレイな心。
些細なことで喜べるということは同じように些細なことで傷つくという側面もあるので、単にキレイとか無垢とかだけではない、その真綿はむき出しの柔らかい心。
よくも悪くも柔らかな心が『女の子』。
もちろんわたしだって極々普通の人。
鈍感なところだってあるし、腹黒い気持ちも意地悪な気持ちも持っているから(たーくさん^^;)、わたしがキレイな心の持ち主だと言っているのではなくてね。
もうすこし詳細にいうと、そういうキレイな心を意識してみることや少しでも持っていることの心地よさを知っていて、それが好きだという心が『女の子』だと思っている。
意地悪な気持ちが湧いたとき、ちょっと意識して優しいほうに心を傾ける。
そのほうが心地よい。
那智さんの前で涙が出そうなとき、人前で泣くのは照れくさいなと思うけど素直に泣いてしまう気持よさ。
ぬいぐるみを可愛いと喜ぶにはあまりにも大人の年齢の自分をほんの少し意識しながら、でも心の中で小さく『可愛い』と抱きしめられる幸福感。
炊きたての白米を前にして至上の喜びを感じる心(これは、単に食い意地 笑)
わたしはいちおう大人だけど、こういう心を持つことの心地よさが好き。
それが『女の子』。
那智さんに女の子扱いをしてもらうことは、大好きだ。
世話を焼いてもらったり『ばかだなぁ』って苦笑されたり、幼子を見るような視線を感じることが嬉しい瞬間ではある。
楽しいお遊びや大きな声では言えないけど欲情のポイントにもなったりもするし、ときには自分を解放する手助けをしてくれる。
特に初期の頃、この解放は重要な出来事だった。
ただこれらは二人にとって好きなことではあるけれど、核ではない。
(核って?『徒然に「求めるもの」』)
たぶんわたしの核になる『女の子』は、那智さんとの間で起こる現象ではなくて、わたしの心のことなんだ。
那智さんが関わっているとするならば、わたしが『女の子』の心を好きでいられる環境を作ってくれることなんだと思う。
『チューニング』というエントリーを書いたことがある(よくリンクしてます^^;)
些細なことでつまずいて、なんだか情けない人間だなと感じていた、その『アンテナ』が、実は『女の子』なのではないだろうか。
ずっと厄介だと思っていたものを、那智さんは『良いところ』だと見つけ、好きだと言ってくれる。
おかげで、わたしは伸び伸びと『アンテナ』を張ることができていて、その自分が好きになっている。
『女の子』扱いなどはオプションに過ぎなくて、『核』として那智さんが担ってくれているとしたらこの土台の部分だけなのだと思う。
甘えたり手をかけてもらったり、なんでも言えるなんていうのも『女の子』のひとつだろう。
だけどわたしが求める『女の子』は、那智さんにどうこうしてもらうものではなくて、わたし自身の中にあるものなんだと思う。
キレイなものを素直にキレイだと思い。
うれしいことに素直に喜べる。
もちろん鎧のないむき出しの心は、ダイレクトに悲しいも受け止めてしまう。
それでも柔らかいホクホク、ぬくぬく心の心地よさを知っていて、それを感じることが好きな心。
泡のお風呂で遊ぶのは楽しい。
それを子供を諭すように声をかけてもらうことも大好きだ。
でも、きっと、わたしが生きていくのに必要な『女の子』は、その行為ではなくて、その心地よさが好きな心。
那智さんに本当に叶えてもらっているのは『女の子扱い』ではなくて、その心を認め守ってもらうこと。
それがわたしの『女の子』です。
そして、本物の子供はいちいちこういう心を自覚しているものではないと思うので、おそらく、年齢を重ねたからこそ持つことのできるものではないかなとも思っている。
<関連エントリー>
『女の子』っぽいもの
『毛布』
『全肯定1 2』
『女の子』
『独特な幸福のススメ』
『ぬいぐるみ』
『娘デート1 2 3 4』
今朝の「等式」の感想です。久しぶりのりん子ワールド炸裂ですね~。長いし、りん子語たくさんなのですがリンクを遡れば何とか理解できると思うので最近読み始めた方もお付き合い頂ければ嬉しく思います。
要旨は「もうすこし詳細にいうと、そういうキレイな心を意識してみることや少しでも持っていることの心地よさを知っていて、それが好きだという心が『女の子』だと思っている。」これなのでしょうね、でも難解だろうな~
少し気合いがいるかもしれませんが女の子部分の「等式」を理解できる、エントリーだと思うのでよくわからない人は是非リンク遡りにチャレンジして欲しいと思います。
芋虫
非日常的な日常
どうやって縛ったのかわからない。
とにかく芋虫のようになってしまった。
首から膝までチャーシューのように縦の縄に横の縄が何重にも巻き付いている。
自由なのは首から上と膝から下、太ももと指先。
それほどきつく縛っていない太ももは1、2センチ開くことができる。
その代わり上半身はしっかり縛っている。
体にぴったり沿うように縛られた両腕は張り付いて指先だけしか動かせない。
最近のわたしとって縛られることは快感の邪魔になるから、あまり歓迎しないと思っている。
はじめてのこの縛り方も、この先どうなるかを考えたら不安だ。
だけど芋虫のように不自由な状態は歪んだ自己愛の喜びと諦めのような不思議な安心感をもたらしてくれた。
ベッドに腰掛けるように言われる。
体を支えてもらって腰掛ける。
「締め付けるところはない?」
こういう一言がうれしい。
ゴロンと優しく倒された。
自由な膝下をベッドの上に乗せる。
大きな芋虫が横たわる。
洗濯バサミは乳首を挟んだ。
痛い。
付けた途端に激痛。
いつもより痛いと感じるのは、その前にたくさん可愛がってもらったからか、それとも縄で捻り出されて敏感になっているからか。
とにかく、これは長い時間耐えられそうにないと思った。
正直に伝える。
「那智さん、今日はとても痛いです。」
離れたソファでタバコに火を付けながら
「セーフティワードは?」
と安心をくれる。
「痛すぎます、です。」
これは、りん子の意思で判断しなさいという意味だ。
ああ、どうして、こんなに痛いのだろう。
仰向けのまま視線を下にして、洗濯バサミの重みでひしゃげる乳首を見つめる。
ダメ、耐えられそうにない。
すこし計算してしまった。
痛い、とてもとても痛いけど、いまはまだ『痛すぎます』の一歩手前だ。
那智さんはこれを外したとき、絶対潰れた乳首をさらに潰し返すだろう。
そこをゴールに、一歩手前で口にしてしまった。
痛すぎます。
もちろん外してくれる。
恐い。
ぜったい潰す。
じんじんと千切れるように痛む乳首。
両方外して…思いっきり潰された。
潰してしごいて、押し付けて、またしごく。
ぎゃーーーーー。
たぶん、叫んだ。
無理!!
痛すぎる!!!!
芋虫がジタバタしている。
『ぅわん』
一個、超えた。
一段、堕ちた。
本当に『ぅわん』という音が聞こえたんじゃないかというくらい明確に、その先にいった。
もう恐くない。
痛いことは、たぶん痛い。
だけど『痛い』と脳に伝達されない、伝達されるものは『気持ちいい』だ。
そこから自分がどう反応したのか憶えていない。
痛がってジタバタしていた芋虫が気持ち良くて体をくねらせたことくらいは想像できる。
そこから先は何をしても気持ちいい。
靴べらで叩かれ、拘束されたままお尻とおまんこでセックスをした。
なんて気持ちのいい芋虫だ。
縛られることは快感の邪魔だ。
ほんの数ヶ月前にそんなことを口にしていたはずなのに。
(『徒然に「縛る」』)
いまのわたしはあの芋虫が恋しい。
またしてくださいと思っている。
那智さんに手をかけてもらえばあっけなく変わってしまう。
ああ、なんだか情けなくてちょっと悔しくて、誇らしい。
今朝の「等式」感想です。縛りが他の快感の邪魔をするのは現場の雰囲気と推測で理解できるような気がしていたので今朝のエントリーは笑いました。私の未熟さを痛感しました、りん子覚悟してね。(笑)
どうやって縛ったのかわからない。
とにかく芋虫のようになってしまった。
首から膝までチャーシューのように縦の縄に横の縄が何重にも巻き付いている。
自由なのは首から上と膝から下、太ももと指先。
それほどきつく縛っていない太ももは1、2センチ開くことができる。
その代わり上半身はしっかり縛っている。
体にぴったり沿うように縛られた両腕は張り付いて指先だけしか動かせない。
最近のわたしとって縛られることは快感の邪魔になるから、あまり歓迎しないと思っている。
はじめてのこの縛り方も、この先どうなるかを考えたら不安だ。
だけど芋虫のように不自由な状態は歪んだ自己愛の喜びと諦めのような不思議な安心感をもたらしてくれた。
ベッドに腰掛けるように言われる。
体を支えてもらって腰掛ける。
「締め付けるところはない?」
こういう一言がうれしい。
ゴロンと優しく倒された。
自由な膝下をベッドの上に乗せる。
大きな芋虫が横たわる。
洗濯バサミは乳首を挟んだ。
痛い。
付けた途端に激痛。
いつもより痛いと感じるのは、その前にたくさん可愛がってもらったからか、それとも縄で捻り出されて敏感になっているからか。
とにかく、これは長い時間耐えられそうにないと思った。
正直に伝える。
「那智さん、今日はとても痛いです。」
離れたソファでタバコに火を付けながら
「セーフティワードは?」
と安心をくれる。
「痛すぎます、です。」
これは、りん子の意思で判断しなさいという意味だ。
ああ、どうして、こんなに痛いのだろう。
仰向けのまま視線を下にして、洗濯バサミの重みでひしゃげる乳首を見つめる。
ダメ、耐えられそうにない。
すこし計算してしまった。
痛い、とてもとても痛いけど、いまはまだ『痛すぎます』の一歩手前だ。
那智さんはこれを外したとき、絶対潰れた乳首をさらに潰し返すだろう。
そこをゴールに、一歩手前で口にしてしまった。
痛すぎます。
もちろん外してくれる。
恐い。
ぜったい潰す。
じんじんと千切れるように痛む乳首。
両方外して…思いっきり潰された。
潰してしごいて、押し付けて、またしごく。
ぎゃーーーーー。
たぶん、叫んだ。
無理!!
痛すぎる!!!!
芋虫がジタバタしている。
『ぅわん』
一個、超えた。
一段、堕ちた。
本当に『ぅわん』という音が聞こえたんじゃないかというくらい明確に、その先にいった。
もう恐くない。
痛いことは、たぶん痛い。
だけど『痛い』と脳に伝達されない、伝達されるものは『気持ちいい』だ。
そこから自分がどう反応したのか憶えていない。
痛がってジタバタしていた芋虫が気持ち良くて体をくねらせたことくらいは想像できる。
そこから先は何をしても気持ちいい。
靴べらで叩かれ、拘束されたままお尻とおまんこでセックスをした。
なんて気持ちのいい芋虫だ。
縛られることは快感の邪魔だ。
ほんの数ヶ月前にそんなことを口にしていたはずなのに。
(『徒然に「縛る」』)
いまのわたしはあの芋虫が恋しい。
またしてくださいと思っている。
那智さんに手をかけてもらえばあっけなく変わってしまう。
ああ、なんだか情けなくてちょっと悔しくて、誇らしい。
今朝の「等式」感想です。縛りが他の快感の邪魔をするのは現場の雰囲気と推測で理解できるような気がしていたので今朝のエントリーは笑いました。私の未熟さを痛感しました、りん子覚悟してね。(笑)
未経験がいい?
りん子的独り言(生意気)
ここ二回ほど那智さんは『淫乱りん子』を想像させるエントリーに対して、それをフォローするような感想をツイッターで書いている。
普段のりん子はそういう女ではない。
りん子を淫乱に育てたのは私だ。
もともと淫乱になることに嫌悪感を抱いていたので、それを作ったのは那智さんだ、だからわたしのせいじゃないと思わせ続けてもらえることは自己嫌悪しないでいられるので、このフォローはありがたいと思っている。
でも、その感想から、フォローだけじゃない那智さんの心も見えてくる。
今朝の「等式」感想です。りん子は元々、はしたなくなかっ た。(もしくは恥ずかしくて表現できなかった・笑)→私がりん子の快感を育て、我慢できなくした。→だから、りん子がはしたなくしても仕方がない。→私の責任である。こんな根拠でりん子がこの手のエントリーを書くことが出来る。
でも、ここで私の身勝手な考えが・・・・。自分が女性に対してスケベにするのは嬉しいけれど、他の誰かによって成長・教育・仕込まれたのはネガティブになってしまう。
勿論、その女性が元々スケベな資質がある場合は除かれますが。1歩間違えば全女性から総攻撃を受けそうな発言ですが男はでなく「私は」女性はではなく「私の好みの女性は」で読んでください、それでも十分怒られそうです。
これが6/29『お願い』に対する感想。
那智さんは、りん子がはしたなくなるのは自分が作ったからだと言葉にすることで彼にとっても+のことにしているけど、これはイコール誰かに作られたものに対して大歓迎に思えないことに繋がっていることも自覚している。
過去の男性と比べられることを排除しようとする思考は自信がないみたいだし、また未熟なものを好むと思えてしまうことも、どちらもあまりカッコいいとは言い難い。
さらにこの思考だと、『経験済みのいい女』を抱くチャンスを自ら逃していることになる。
こんなふうに感想から自分の好ましくない精神状態を垣間見て、ちょっと残念な気持ちになってしまったようだ。
ということで、今日は那智さんのために送るエントリー!!
残念な気持ちを払拭すべく、経験済み仕込み済みを魅力だと思える思考回路を作って差し上げようと思うのだ!!
これから書くことはいくつかの条件があります。
ここに書かれる関係はS(する側)とM(される側)。
故に経験とはSM的行為を伴う性行為で、特にこの場合『何をやったか』ではなく『それにより快感を得たか』で経験値を計るものとします。
また那智さん自身、相手を選ぶときは人間性や相性のほうがずっと優先順位は高く、この『未経験』だということはひとつの要素に過ぎないこともわかっています。
(そんなこと大前提で、ちょっとだけ真剣なお遊びくらいに思ってください)
さて。
那智さんは仮に相手を選ぶ場合、SM行為で快感を得た経験がないM女がいいと思ってしまっている。
『縛られたことがある』だけではいいけれど、『縛られて感じた、喜んだ』経験があると聞くと候補から外してしまいそうになるのだ。
これがとても残念で情けないと思っている。
でも、こう考えるのはどうだろう。
SM行為といっても鞭や蝋燭だけじゃない、細かく挙げていけばいかようにも増やすことができるわけで那智さんが思う『経験済み』のM女だったとしても、やっていないことや快感を得ていないSM行為を探せばあるはず。
縛られたことはあるけど浣腸は未経験とか、鞭は経験したけど痛いだけでダメだった、などなどね。
世界中にあるSM行為を全部経験して、それで全部快感を得たM女なんて、いたとしてもきっと稀だよね。
ということは、那智さんが思う『経験済み』のM女でも視野を広く持てば『未経験』といえる。
『一部経験済みの広い意味では未経験』ということだ。
だから那智さんが気にする『経験の有無』は、実はあってないようなものだといえません?
性癖Mや性格Mや体質Mなんて言葉を使ったことがあるけど、Sが仕込んでいく喜びやMが行為で快感を得るためにM側に必要なのは、それで精神的肉体的に感じることができるというMとしての資質なのではないだろうか。
(良好な関係を作る人間性などが重要なことは大前提ですよ!!)
脈々と流れる地下水脈を想像してみて。
『変態』?『マゾ』?という地下水がある。
掘り起こし水を溢れさせ、豊かになった土壌には花が咲き果実が実る。
掘り起こしたものが『縛り』という穴だったとしたら、このM女は『縛り』の実はなっていることになるけど、まだは手つかずの土地もあるはず。
他の土地を掘り下げ、新しい『露出』という快感を咲かせる。
『地下水脈』があれば、それも可能だろう。
一方、まったく未開拓や掘り起こしたことはあるけど快感を得る事ができなかった人には、その『地下水脈』の有無がわからないわけだ。
掘り起こして何も出て来ない可能性だってある。
それでも地下水を注ぎ込むことからはじめるという方法も考えられなくないけど、性癖や性質というものは他者のの意志でどうにかなるものでもないと思うので、これはかなり非現実的な考え。
ないものを掘り起こす作業は、もしかしたら双方苦い思いをして終ることだってあり得る。
どちらがいいか、悪いかではないけれど。
もしSM行為を楽しむ相手を選ぶということに限定すれば、地下水脈の存在がわかるほうがいいのではないだろうか。
それが『一部経験済みの広い意味で未経験』。
那智さんが無意識に敬遠してしまっている経験済みのM女さん、地下水脈があるのはわかったから、次はどこを掘り起こそうかと考える、もっと掘ったら何が出るか?などなどと思えば、本当はSM行為を楽しみ互いに満足を得るにふさわしい相手ともいえなくない?
経験の有無は実はあまり意味がなく。
一部経験済みは、そこから他を探し掘り当てる人材として適している。
どうでしょう、那智さん、この思考回路^^
これで『未熟がいい』なんてあまりカッコよくない意識変えられないでしょうか^^
この話、まだ次も続きます^^
次は那智さんフォロー。
ここ二回ほど那智さんは『淫乱りん子』を想像させるエントリーに対して、それをフォローするような感想をツイッターで書いている。
普段のりん子はそういう女ではない。
りん子を淫乱に育てたのは私だ。
もともと淫乱になることに嫌悪感を抱いていたので、それを作ったのは那智さんだ、だからわたしのせいじゃないと思わせ続けてもらえることは自己嫌悪しないでいられるので、このフォローはありがたいと思っている。
でも、その感想から、フォローだけじゃない那智さんの心も見えてくる。
今朝の「等式」感想です。りん子は元々、はしたなくなかっ た。(もしくは恥ずかしくて表現できなかった・笑)→私がりん子の快感を育て、我慢できなくした。→だから、りん子がはしたなくしても仕方がない。→私の責任である。こんな根拠でりん子がこの手のエントリーを書くことが出来る。
でも、ここで私の身勝手な考えが・・・・。自分が女性に対してスケベにするのは嬉しいけれど、他の誰かによって成長・教育・仕込まれたのはネガティブになってしまう。
勿論、その女性が元々スケベな資質がある場合は除かれますが。1歩間違えば全女性から総攻撃を受けそうな発言ですが男はでなく「私は」女性はではなく「私の好みの女性は」で読んでください、それでも十分怒られそうです。
これが6/29『お願い』に対する感想。
那智さんは、りん子がはしたなくなるのは自分が作ったからだと言葉にすることで彼にとっても+のことにしているけど、これはイコール誰かに作られたものに対して大歓迎に思えないことに繋がっていることも自覚している。
過去の男性と比べられることを排除しようとする思考は自信がないみたいだし、また未熟なものを好むと思えてしまうことも、どちらもあまりカッコいいとは言い難い。
さらにこの思考だと、『経験済みのいい女』を抱くチャンスを自ら逃していることになる。
こんなふうに感想から自分の好ましくない精神状態を垣間見て、ちょっと残念な気持ちになってしまったようだ。
ということで、今日は那智さんのために送るエントリー!!
残念な気持ちを払拭すべく、経験済み仕込み済みを魅力だと思える思考回路を作って差し上げようと思うのだ!!
これから書くことはいくつかの条件があります。
ここに書かれる関係はS(する側)とM(される側)。
故に経験とはSM的行為を伴う性行為で、特にこの場合『何をやったか』ではなく『それにより快感を得たか』で経験値を計るものとします。
また那智さん自身、相手を選ぶときは人間性や相性のほうがずっと優先順位は高く、この『未経験』だということはひとつの要素に過ぎないこともわかっています。
(そんなこと大前提で、ちょっとだけ真剣なお遊びくらいに思ってください)
さて。
那智さんは仮に相手を選ぶ場合、SM行為で快感を得た経験がないM女がいいと思ってしまっている。
『縛られたことがある』だけではいいけれど、『縛られて感じた、喜んだ』経験があると聞くと候補から外してしまいそうになるのだ。
これがとても残念で情けないと思っている。
でも、こう考えるのはどうだろう。
SM行為といっても鞭や蝋燭だけじゃない、細かく挙げていけばいかようにも増やすことができるわけで那智さんが思う『経験済み』のM女だったとしても、やっていないことや快感を得ていないSM行為を探せばあるはず。
縛られたことはあるけど浣腸は未経験とか、鞭は経験したけど痛いだけでダメだった、などなどね。
世界中にあるSM行為を全部経験して、それで全部快感を得たM女なんて、いたとしてもきっと稀だよね。
ということは、那智さんが思う『経験済み』のM女でも視野を広く持てば『未経験』といえる。
『一部経験済みの広い意味では未経験』ということだ。
だから那智さんが気にする『経験の有無』は、実はあってないようなものだといえません?
性癖Mや性格Mや体質Mなんて言葉を使ったことがあるけど、Sが仕込んでいく喜びやMが行為で快感を得るためにM側に必要なのは、それで精神的肉体的に感じることができるというMとしての資質なのではないだろうか。
(良好な関係を作る人間性などが重要なことは大前提ですよ!!)
脈々と流れる地下水脈を想像してみて。
『変態』?『マゾ』?という地下水がある。
掘り起こし水を溢れさせ、豊かになった土壌には花が咲き果実が実る。
掘り起こしたものが『縛り』という穴だったとしたら、このM女は『縛り』の実はなっていることになるけど、まだは手つかずの土地もあるはず。
他の土地を掘り下げ、新しい『露出』という快感を咲かせる。
『地下水脈』があれば、それも可能だろう。
一方、まったく未開拓や掘り起こしたことはあるけど快感を得る事ができなかった人には、その『地下水脈』の有無がわからないわけだ。
掘り起こして何も出て来ない可能性だってある。
それでも地下水を注ぎ込むことからはじめるという方法も考えられなくないけど、性癖や性質というものは他者のの意志でどうにかなるものでもないと思うので、これはかなり非現実的な考え。
ないものを掘り起こす作業は、もしかしたら双方苦い思いをして終ることだってあり得る。
どちらがいいか、悪いかではないけれど。
もしSM行為を楽しむ相手を選ぶということに限定すれば、地下水脈の存在がわかるほうがいいのではないだろうか。
それが『一部経験済みの広い意味で未経験』。
那智さんが無意識に敬遠してしまっている経験済みのM女さん、地下水脈があるのはわかったから、次はどこを掘り起こそうかと考える、もっと掘ったら何が出るか?などなどと思えば、本当はSM行為を楽しみ互いに満足を得るにふさわしい相手ともいえなくない?
経験の有無は実はあまり意味がなく。
一部経験済みは、そこから他を探し掘り当てる人材として適している。
どうでしょう、那智さん、この思考回路^^
これで『未熟がいい』なんてあまりカッコよくない意識変えられないでしょうか^^
この話、まだ次も続きます^^
次は那智さんフォロー。