はじめて会ってから
惹かれ合う理由
那智さんに褒められました。
「りん子、強くなったね」って。
私は以前から、思ったことや那智さんとの出来事をお手紙にして送っていました。
このブログで書いているようなことね。
事務所の整理をしていたら、たまたま目に入ったから、久しぶりに読み返してみたそうです。
その頃の私は、良くも悪くもナイーブ。
本心で付き合いたいと言っていて、リップサービスをしない那智さん。
でも、いま思えば「ある程度言葉を選んで」いたなと、いまは随分強くなったから、それさえもせずに付き合えると感心してくれました。
「でも、弱虫のりん子ちゃんも可愛かったのではありませんか?」と聞いたら、「淋しい気持ちもなくはないけど、強くなったほうが嬉しい」ということでした。
でもね、那智さん、私はあなたがいてくれるから、自信を持っていられるのです。
まだまだ、1人で立つほどまでには至っていません。
どうか、ずっと私の道標でいてくださいね。
って、ことで!
そんな弱虫だった私のお話、続けますね。
はじめて電話で繋がって、9日後の雨の日、私は那智さんと会うことになる。
緊張のあまり顔がこわばる私に、那智さんは次から次へとSM的なことをしてくる。(内容はいつか「非日常的な日常」でお話しできると思います)
そのせいか、「尊敬」のお陰か、たくさん話してある意味リラックスしていたからか、このとき私は、セックスをしていままで演技で表していた「いく」感覚を本当に味わったのだ。
お尻を使ってセックスをすることも、おしっこを飲むのも、手枷を付けられるのも、何もかもはじめてだったが、やはり「いく」と自覚できたことは私には驚くべき出来事だった。
最後に抱かれているときに「もうこれがないと、生きていかれないだろう」と聞かれた。
「はい〜〜〜ご主人様ぁぁぁぁ」みたいに言えるわけない。
たくさん心を打ち明けた相手に演技はしたくなかった。
「はい」と言えば、予定調和の演技になってしまう。
那智さんがどこまで本気で言ったかのか、わからない。
まだこの時点では那智さんも「S」モード予定調和な台詞だったかもしれない。
もしいつもの「根拠ない確信」だったら、びっくりするけど(笑)
「それは、わかりません。」
抱かれながら本心を言う気持ちよさも味わっていた。
しかし、同時にいきないりそんなことを言い、おしっこを飲ませ、コンドームをしない那智さんを怖いとも感じてしまっていた。
更に、私が帰る時間を大幅に過ぎていて、私は子供の通う幼稚園にお迎えが遅れることを電話しなければいけなくなってしまった。(本来ならば、私自身の時間は私が管理するべきなのでしょうけれど、如何せんいろんなことがありすぎて、管理できなかったのです)
慌てて帰宅して、やはり、この人と付き合うのは怖いかもしれないと躊躇しだした。
「避妊をしてくれないから怖い、時間を管理できないことも怖い」
だから、会えないとまでは、言えないけど(遠回しに言ってみているつもり)こんなことを訴えてみた。
「避妊に関しては、いままで外に出して失敗したことがないから、多分大丈夫としか言えない。時間については、本当にごめんなさい、これからは気を付ける、俺を信用してもらうほかない。」
那智さんはリップサービスをしない人だ。
だから、これも本心だろう。
でも、なんだか冷たい感じ。
離婚のことは話していた。
だから、「私は、私のことで、もうまわりを傷つけたくない。あなたと付き合うことで誰かが不幸になるのは嫌だ。」と、試すように「付き合えない」と匂わしている私。
「二人が付き合うことで、二人が幸せになるようにしよう。俺はりん子が幸せになるように行動する。まわりを不幸にすることが、りん子の不幸に繋がるならば、周りを傷つけないようにしよう。そして、りん子の幸福のために、まわりも幸福になるようにしよう。」
付き合いはじめてから、一貫して那智さんが掲げていることだ。
これ以来、那智さんは私の家族についても言及するようになった。
人の家族に口出しすると、はじめのうちは抵抗を感じていたけれど、子供のことなど誰よりも時間をかけて真摯に向き合ってくれると、やはり頼もしくなっていく。
私は、いままで姉に相談していたことを、段々那智さんにお話しするようになっていった。
結局、相談相手を変えただけ、一見そうみえるが、那智さんは、その問題のアドバイスをするだけではなく、根本的な解決策や考え方まで話してくれる。
そして、那智さんのよくいう「感覚が合う」なのかもしれない。
だから、私は徐々に自分で考えられるようになっていく。
道標は那智さん。
何か問題が起きたとき「那智さんなら、どうするか。」で判断するようになれた。
これは、オリジナルの強さではないことは、わかっている。
でも、いままで自分の判断に自信がなく、おねえちゃんに決めてもらって(もちろん姉は一生懸命に答えてくれる)、でも、それで苦しくなっていた私が、辛くならずに判断できるということは、重要なことだ。
ただ、まだこの段階では、全然弱いから、いちいち何でも相談や報告をしていて、「強くなった」と言ってもらえるようになるまで随分時間がかかるのですが。
結局、「絶対」ではない、試すような会えないという訴えは、あっさりと却下され、私はこの人としばらく付き合っていくのかな、と他人事のように思っていた。
その反面、とにかく受け止めてほしくて、繋がっていたくて、電話もメールもいっぱいしていた。
躊躇う心と依存心。
矛盾している心を気にしながらも、支えられている心地よさは手放しがたく、私は那智さんにのめり込んでいくのだった。
この時点で、すでに「あなたなしでは生きられない」状態だったかもしれない、でも、心の時差がそれには気付かせてはくれなかった。
那智さんに褒められました。
「りん子、強くなったね」って。
私は以前から、思ったことや那智さんとの出来事をお手紙にして送っていました。
このブログで書いているようなことね。
事務所の整理をしていたら、たまたま目に入ったから、久しぶりに読み返してみたそうです。
その頃の私は、良くも悪くもナイーブ。
本心で付き合いたいと言っていて、リップサービスをしない那智さん。
でも、いま思えば「ある程度言葉を選んで」いたなと、いまは随分強くなったから、それさえもせずに付き合えると感心してくれました。
「でも、弱虫のりん子ちゃんも可愛かったのではありませんか?」と聞いたら、「淋しい気持ちもなくはないけど、強くなったほうが嬉しい」ということでした。
でもね、那智さん、私はあなたがいてくれるから、自信を持っていられるのです。
まだまだ、1人で立つほどまでには至っていません。
どうか、ずっと私の道標でいてくださいね。
って、ことで!
そんな弱虫だった私のお話、続けますね。
はじめて電話で繋がって、9日後の雨の日、私は那智さんと会うことになる。
緊張のあまり顔がこわばる私に、那智さんは次から次へとSM的なことをしてくる。(内容はいつか「非日常的な日常」でお話しできると思います)
そのせいか、「尊敬」のお陰か、たくさん話してある意味リラックスしていたからか、このとき私は、セックスをしていままで演技で表していた「いく」感覚を本当に味わったのだ。
お尻を使ってセックスをすることも、おしっこを飲むのも、手枷を付けられるのも、何もかもはじめてだったが、やはり「いく」と自覚できたことは私には驚くべき出来事だった。
最後に抱かれているときに「もうこれがないと、生きていかれないだろう」と聞かれた。
「はい〜〜〜ご主人様ぁぁぁぁ」みたいに言えるわけない。
たくさん心を打ち明けた相手に演技はしたくなかった。
「はい」と言えば、予定調和の演技になってしまう。
那智さんがどこまで本気で言ったかのか、わからない。
まだこの時点では那智さんも「S」モード予定調和な台詞だったかもしれない。
もしいつもの「根拠ない確信」だったら、びっくりするけど(笑)
「それは、わかりません。」
抱かれながら本心を言う気持ちよさも味わっていた。
しかし、同時にいきないりそんなことを言い、おしっこを飲ませ、コンドームをしない那智さんを怖いとも感じてしまっていた。
更に、私が帰る時間を大幅に過ぎていて、私は子供の通う幼稚園にお迎えが遅れることを電話しなければいけなくなってしまった。(本来ならば、私自身の時間は私が管理するべきなのでしょうけれど、如何せんいろんなことがありすぎて、管理できなかったのです)
慌てて帰宅して、やはり、この人と付き合うのは怖いかもしれないと躊躇しだした。
「避妊をしてくれないから怖い、時間を管理できないことも怖い」
だから、会えないとまでは、言えないけど(遠回しに言ってみているつもり)こんなことを訴えてみた。
「避妊に関しては、いままで外に出して失敗したことがないから、多分大丈夫としか言えない。時間については、本当にごめんなさい、これからは気を付ける、俺を信用してもらうほかない。」
那智さんはリップサービスをしない人だ。
だから、これも本心だろう。
でも、なんだか冷たい感じ。
離婚のことは話していた。
だから、「私は、私のことで、もうまわりを傷つけたくない。あなたと付き合うことで誰かが不幸になるのは嫌だ。」と、試すように「付き合えない」と匂わしている私。
「二人が付き合うことで、二人が幸せになるようにしよう。俺はりん子が幸せになるように行動する。まわりを不幸にすることが、りん子の不幸に繋がるならば、周りを傷つけないようにしよう。そして、りん子の幸福のために、まわりも幸福になるようにしよう。」
付き合いはじめてから、一貫して那智さんが掲げていることだ。
これ以来、那智さんは私の家族についても言及するようになった。
人の家族に口出しすると、はじめのうちは抵抗を感じていたけれど、子供のことなど誰よりも時間をかけて真摯に向き合ってくれると、やはり頼もしくなっていく。
私は、いままで姉に相談していたことを、段々那智さんにお話しするようになっていった。
結局、相談相手を変えただけ、一見そうみえるが、那智さんは、その問題のアドバイスをするだけではなく、根本的な解決策や考え方まで話してくれる。
そして、那智さんのよくいう「感覚が合う」なのかもしれない。
だから、私は徐々に自分で考えられるようになっていく。
道標は那智さん。
何か問題が起きたとき「那智さんなら、どうするか。」で判断するようになれた。
これは、オリジナルの強さではないことは、わかっている。
でも、いままで自分の判断に自信がなく、おねえちゃんに決めてもらって(もちろん姉は一生懸命に答えてくれる)、でも、それで苦しくなっていた私が、辛くならずに判断できるということは、重要なことだ。
ただ、まだこの段階では、全然弱いから、いちいち何でも相談や報告をしていて、「強くなった」と言ってもらえるようになるまで随分時間がかかるのですが。
結局、「絶対」ではない、試すような会えないという訴えは、あっさりと却下され、私はこの人としばらく付き合っていくのかな、と他人事のように思っていた。
その反面、とにかく受け止めてほしくて、繋がっていたくて、電話もメールもいっぱいしていた。
躊躇う心と依存心。
矛盾している心を気にしながらも、支えられている心地よさは手放しがたく、私は那智さんにのめり込んでいくのだった。
この時点で、すでに「あなたなしでは生きられない」状態だったかもしれない、でも、心の時差がそれには気付かせてはくれなかった。
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