バカ^^2
独り言
自分でいうのもなんだけどさ、俺の読みことごとく当たってない?
詳細は置いといて、たしかに那智さんが読んだ通りにことが運んだ。
わりと先を読むのがお得意なのかときどきこういうことはある、わたしの心なんて読まれ過ぎだったりするし^^;(わたしが見え過ぎなのかもしれないけど)
だから、那智さんの口からこんなセリフは、それほど大げさなものではない。
まあ、たしかにね。
普段なら「そうですね〜」とか「でも○○とも言ってましたよね」とか普通の会話としてお返事するところなんだけど、この日のわたしのテンションがちょっといつもと違っていた。
すご〜いで〜すね〜〜〜♪
これは那智さんのパクリ。
那智さんは、ときどきわざと大仰に「えら〜いね〜」とか「すご〜いね〜」とか言ってわたしを喜ばせる。
長い年月をかけて『女は共感する喜びを味わいたい』と伝え続けた甲斐あって、きっと『りん子ならできて当然だろ?』と思うところでも、ちょっとハードルを下げて褒めて遊んでくれることがあるのだ。
娘扱いが嬉しいわたしは、それがわざと大仰に言って遊んでいるとわかっていても、ホクホク喜びを噛み締める。
(まあ、これも那智さんはウソをつかないと思えているからだよね、ウソじゃなくて『ちょっと』を『大きく』言ってくれているだけって思えるから、一緒に遊べるんだよね)
その「えら〜いね〜」とか「すご〜いね〜」の口ぶりをマネしてみたのだ。
だって、わたしはうれしいですし〜、というお遊び返し(笑)
え〜、りん子、下手だよ(笑)
どうやらしっくりいってないらしい。
そうですか〜?
じゃあ、『那智さん、すご〜いですね〜♪』
精一杯、普段那智さんが言ってくれるイントネーションをマネしてみる。
なんか、違うんだよな〜
気持ちが伝わってこないよな〜
もっとかわいいがってる感じを出すんだよ
その感じわかりますけど、わたしのそれもかなり近いイントネーションになっているはずなんだけどなぁ。
あ、わかった。
じゃあ、これでどうだ!!
わあ、那智さん、さすがっ、すごーいっ!!!
これで、いかがですか?(笑)
??
わたしが『かわいがる』感じで喜ぶのだから、那智さんが喜びそうな感じにしてみました。
『すご〜いね〜』がかわいがるなら、那智さんがお気に召しそうな『頼れる』バージョンですごいを表現してみた。
ああ、ほんとだ、俺、喜べてる、わかってるけど、バカだよな〜(笑)
そういうことなんですね〜。
『褒められる』なんていうことは、どんなことでも嬉しいように思うけど、本当は嬉しい褒められ方があるのだ。
で、じつは、たとえ、それがお遊びの大仰なものだったわかっていても嬉しい褒められ方だと喜べちゃうらしい。
ということは、その人のタイプを把握していれば、より効果的な褒めるができるのではないでしょうか!!
と、なにか人付き合いのヒントになりそうな結論で、相変わらずのトホホな会話をごまかそうとしているのでした。
<関連エントリー>
女は共感!?
『女は共感したい生き物である』
『取り扱い方法』
『バカ^^』
自分でいうのもなんだけどさ、俺の読みことごとく当たってない?
詳細は置いといて、たしかに那智さんが読んだ通りにことが運んだ。
わりと先を読むのがお得意なのかときどきこういうことはある、わたしの心なんて読まれ過ぎだったりするし^^;(わたしが見え過ぎなのかもしれないけど)
だから、那智さんの口からこんなセリフは、それほど大げさなものではない。
まあ、たしかにね。
普段なら「そうですね〜」とか「でも○○とも言ってましたよね」とか普通の会話としてお返事するところなんだけど、この日のわたしのテンションがちょっといつもと違っていた。
すご〜いで〜すね〜〜〜♪
これは那智さんのパクリ。
那智さんは、ときどきわざと大仰に「えら〜いね〜」とか「すご〜いね〜」とか言ってわたしを喜ばせる。
長い年月をかけて『女は共感する喜びを味わいたい』と伝え続けた甲斐あって、きっと『りん子ならできて当然だろ?』と思うところでも、ちょっとハードルを下げて褒めて遊んでくれることがあるのだ。
娘扱いが嬉しいわたしは、それがわざと大仰に言って遊んでいるとわかっていても、ホクホク喜びを噛み締める。
(まあ、これも那智さんはウソをつかないと思えているからだよね、ウソじゃなくて『ちょっと』を『大きく』言ってくれているだけって思えるから、一緒に遊べるんだよね)
その「えら〜いね〜」とか「すご〜いね〜」の口ぶりをマネしてみたのだ。
だって、わたしはうれしいですし〜、というお遊び返し(笑)
え〜、りん子、下手だよ(笑)
どうやらしっくりいってないらしい。
そうですか〜?
じゃあ、『那智さん、すご〜いですね〜♪』
精一杯、普段那智さんが言ってくれるイントネーションをマネしてみる。
なんか、違うんだよな〜
気持ちが伝わってこないよな〜
もっとかわいいがってる感じを出すんだよ
その感じわかりますけど、わたしのそれもかなり近いイントネーションになっているはずなんだけどなぁ。
あ、わかった。
じゃあ、これでどうだ!!
わあ、那智さん、さすがっ、すごーいっ!!!
これで、いかがですか?(笑)
??
わたしが『かわいがる』感じで喜ぶのだから、那智さんが喜びそうな感じにしてみました。
『すご〜いね〜』がかわいがるなら、那智さんがお気に召しそうな『頼れる』バージョンですごいを表現してみた。
ああ、ほんとだ、俺、喜べてる、わかってるけど、バカだよな〜(笑)
そういうことなんですね〜。
『褒められる』なんていうことは、どんなことでも嬉しいように思うけど、本当は嬉しい褒められ方があるのだ。
で、じつは、たとえ、それがお遊びの大仰なものだったわかっていても嬉しい褒められ方だと喜べちゃうらしい。
ということは、その人のタイプを把握していれば、より効果的な褒めるができるのではないでしょうか!!
と、なにか人付き合いのヒントになりそうな結論で、相変わらずのトホホな会話をごまかそうとしているのでした。
<関連エントリー>
女は共感!?
『女は共感したい生き物である』
『取り扱い方法』
『バカ^^』
乳首の潰し方
非日常的な日常
乳首をつまむのはどの指だろう。
ううん、指のどこで潰すのだろう。
那智さんは最初親指と人差し指の腹でつまむ。
指が疲れたら人差し指をグリッとずらして、違う場所で潰し直す。
親指の腹と人差し指の第一関節と第二関節の間の側面、子供の頃、強くつねるとき、こうやったよね。
指でつまむというより握力で潰すやり方。
肌を触れ合わせ、那智さんの胸に顔を埋める。
すっぽり収まるように。
甘いくちづけ。
温かくとろけそうなとき。
ただ、那智さんの左指だけが強い意思を持って、わたしの右の乳首をぎゅうっとつまむ。
これが今日最初の愛撫。
この強さは、この先もっと強くなることが想像できるものだ。
一定の強い力が加えられていると、はじめは小さな痛みが徐々に痺れるようなものになっていく。
その間もずっとキスをして、那智さん首筋に鼻先を押当てて匂いをかぎ、赤ん坊のように乳首を吸う。
静かでいやらしく無邪気。
同じトーンの痺れが、ときおり、キンと刺すような痛みになる。
目をぎゅっと閉じやり過ごすと、また同じトーンの痺れに戻る、ううん、戻るのではない、痺れに一段慣れるんだ。
小さく安堵の息を吐く。
でも、この愛撫の結末は見えているから、安堵のため息は諦めのため息でもある。
結末、それはこの痺れる痛さが限界まできたら、ずるっとひねるように親指の腹を人差し指の外側にズラして潰し、そこから2本の指でできるあらゆる痛いことをする。
そして、わたしは強烈な痛みに快感の腰を振るのだ。
これが結末。
恐ろしくて、待ち遠しい。
また、キンと刺す。
痛いです
痛いね〜
怖いです
怖くはないだろ?
結末を想像して「怖い」と言ったけど、そう、怖くはない。
だって、那智さんはわたしに快感をくれようとしているのだもの。
痛いことは怖いけど、それはホントの怖いではない。
怖くはないだろ?
はい、怖くないです
痛いです
甘えて那智さんの鎖骨に頬をこすりつける。
そうだね、痛いね〜
よしよし
優しい声と強い指の力。
同じ空間に存在しているとは思えない。
隣りのわたしは、すこしずつ痛みに陶酔しはじめている。
ちぐはぐな現象が混じり合う。
10分、もしかしたらそれ以上。
何度か、キンと刺す痛みを通り過ぎ、いよいよ痺れて痛みに対してマヒしているような感覚になりはじめたころ。
ずるっ
指がズレた。
すでに痺れて感覚がおかしくなっている乳首をぐりぐりとしごき、潰し、ねじり、親指で押し込める。
ぎゃーーーと声をあげる。
何かから身を守るように両腕をぎゅっと体にくっつける。
地団駄を踏み、地団駄のように腰を揺らす。
痛いのに、痛いのに、こんなに痛いのに!!!
なんで、これがいいの!?
痛くてやめてほしいのに、太ももまで濡れるの!?
混乱はいつしか快感になる。
ふっ、ふっ、と痺れが緩和されていくと、痛みもほんのすこしずつ和らいでいく。
わたしの反応で、那智さんもおしまいが見えてきたのだろう
じゃあ、反対もやってあげるね
うれしい?
痛いです
痛いね、いいこいいこ
でも、うれしいね
はい
そして、那智さんの右の指がわたしの左の乳首を潰した。
乳首を潰す行為をSMというのか、それはわからないけど。
こんなふうに優しく甘く、でも容赦ない迫力ととても痛いというものがわたしたちの間ではよくあること。
これが『大切にされながら酷いこと』。
今朝の等式感想です。この会話は少し気恥ずかしいですね。そして、りん子には悪いことをしてしまいました、片方10分以上も望んでいるなんて思いもよりませんでした。今まで長くても5分ぐらいだったと思うので、今度きっちり10分行きましょうか。笑
乳首をつまむのはどの指だろう。
ううん、指のどこで潰すのだろう。
那智さんは最初親指と人差し指の腹でつまむ。
指が疲れたら人差し指をグリッとずらして、違う場所で潰し直す。
親指の腹と人差し指の第一関節と第二関節の間の側面、子供の頃、強くつねるとき、こうやったよね。
指でつまむというより握力で潰すやり方。
肌を触れ合わせ、那智さんの胸に顔を埋める。
すっぽり収まるように。
甘いくちづけ。
温かくとろけそうなとき。
ただ、那智さんの左指だけが強い意思を持って、わたしの右の乳首をぎゅうっとつまむ。
これが今日最初の愛撫。
この強さは、この先もっと強くなることが想像できるものだ。
一定の強い力が加えられていると、はじめは小さな痛みが徐々に痺れるようなものになっていく。
その間もずっとキスをして、那智さん首筋に鼻先を押当てて匂いをかぎ、赤ん坊のように乳首を吸う。
静かでいやらしく無邪気。
同じトーンの痺れが、ときおり、キンと刺すような痛みになる。
目をぎゅっと閉じやり過ごすと、また同じトーンの痺れに戻る、ううん、戻るのではない、痺れに一段慣れるんだ。
小さく安堵の息を吐く。
でも、この愛撫の結末は見えているから、安堵のため息は諦めのため息でもある。
結末、それはこの痺れる痛さが限界まできたら、ずるっとひねるように親指の腹を人差し指の外側にズラして潰し、そこから2本の指でできるあらゆる痛いことをする。
そして、わたしは強烈な痛みに快感の腰を振るのだ。
これが結末。
恐ろしくて、待ち遠しい。
また、キンと刺す。
痛いです
痛いね〜
怖いです
怖くはないだろ?
結末を想像して「怖い」と言ったけど、そう、怖くはない。
だって、那智さんはわたしに快感をくれようとしているのだもの。
痛いことは怖いけど、それはホントの怖いではない。
怖くはないだろ?
はい、怖くないです
痛いです
甘えて那智さんの鎖骨に頬をこすりつける。
そうだね、痛いね〜
よしよし
優しい声と強い指の力。
同じ空間に存在しているとは思えない。
隣りのわたしは、すこしずつ痛みに陶酔しはじめている。
ちぐはぐな現象が混じり合う。
10分、もしかしたらそれ以上。
何度か、キンと刺す痛みを通り過ぎ、いよいよ痺れて痛みに対してマヒしているような感覚になりはじめたころ。
ずるっ
指がズレた。
すでに痺れて感覚がおかしくなっている乳首をぐりぐりとしごき、潰し、ねじり、親指で押し込める。
ぎゃーーーと声をあげる。
何かから身を守るように両腕をぎゅっと体にくっつける。
地団駄を踏み、地団駄のように腰を揺らす。
痛いのに、痛いのに、こんなに痛いのに!!!
なんで、これがいいの!?
痛くてやめてほしいのに、太ももまで濡れるの!?
混乱はいつしか快感になる。
ふっ、ふっ、と痺れが緩和されていくと、痛みもほんのすこしずつ和らいでいく。
わたしの反応で、那智さんもおしまいが見えてきたのだろう
じゃあ、反対もやってあげるね
うれしい?
痛いです
痛いね、いいこいいこ
でも、うれしいね
はい
そして、那智さんの右の指がわたしの左の乳首を潰した。
乳首を潰す行為をSMというのか、それはわからないけど。
こんなふうに優しく甘く、でも容赦ない迫力ととても痛いというものがわたしたちの間ではよくあること。
これが『大切にされながら酷いこと』。
今朝の等式感想です。この会話は少し気恥ずかしいですね。そして、りん子には悪いことをしてしまいました、片方10分以上も望んでいるなんて思いもよりませんでした。今まで長くても5分ぐらいだったと思うので、今度きっちり10分行きましょうか。笑
男を立てる
りん子的独り言(生意気)
M女のカテゴリを良妻賢母にしちゃいませんか!?と大真面目にふざけてみましたが(でもじつはけっこう真剣『新カテゴリ』)、リンクに貼ってあった『良妻賢母の心得 本文』には、わたしの提案以上にかなりの衝撃を受けました(笑)
ただ、Wikipedia内の検証にも書いてあるように、どうやら1955年のものではなくここ2、30年に作られた悪戯なのではないかという説もあるらしい。
たしかに本文にあるようなストレスやプレッシャー、リフレッシュなどの言葉がいまから60年前から一般的に使われていたとは思えないので、近年誰かの手によって作られたものだという説もうなずける。
でも、きっとこれは当時の文化では比較的当たり前のことだったのではないかと思うし、たとえば、農村で育った女性が会社務めの男性と結婚して専業主婦なんていうものになる人口が増える中『15分体を休め』なんていうちょっとトンチンカンな指針があってもおかしくないだろうなとは思います。
だから、これ自体は悪戯でも、けっこう事実に近いのではないかな。
さて、これが存在していたかどうか実際の日本はどうだったかは、この際置いておいて^^
この『良妻賢母の心得』はなかなか那智さんとのよい話題提供になった。
那智さんとわたしの唯一相容れない事柄が『フェミニズム』。
ただ、結局突き詰めていくと『弱者や少数が生きやすい社会』ということになるので、本当は相容れているのかもしれない。
ただ那智さんの好む男女の関係や女性像が、かつて女性に不自由な時代だった文化に近いもののようなので、まあ、わたしのフェミ心をチクチクさせながら楽しい話題提供になったのだ。
エントリーがアップされる前に、エントリーの内容には触れずにこんなのありますよ〜と『良妻賢母の心得本文』だけお見せしてみた。
まず、ざっと目を通した、第一声が『いいね〜(笑)』。
那智さんは『男を立てる』文化が好きで、そのほうがうまくいくという考えを持っている人だから、ね^^
さらにしっかり読んでから、ちょっと最初とは違う具体的な感想を聞かせてもらえた。
ざっくり分けると、行動に関しては概ね好みで精神に関しては否定的、というのが那智さんの感想だった。
たとえば、部屋を片付けるとか部屋を温かくするとか、ご主人が快適に過ごす体勢を整えることは好ましいけど、不平を言わないとか幸せな気持ちで迎えるなどの精神が必要になるものは、それはそういう精神状態になれるように双方努力ものだろ?ということ。
まあ、よく考えたら、旦那さんが稼いでいるのなら家で待っているほうがハウスキープは役割分担として当たり前だと思うけど^^;
結局のところ、それを義務ではなくて、そうしたいと思える関係が望ましいという当たり前の結論になりそうです(笑)
那智さんは『男を立てる文化』が好きだ。
那智さんのいう文化は様式のことだと思う。
だから、『男を立てる』様式が好きということなのだろう。
ただそれは強制するものではなくて、そうしたいと思わせる男側の力量が大事なことを知っている。
その力量とはどういうものだろう。
おそらく、那智さんが『良妻賢母の心得 本文』を読んで感じた『行動は好ましいけど、精神は違う』に当てはまると思う。
それは『男を立てる』けど、男を支えるものではないということではないだろうか。
じつは、あまり信じてもらえないかもしれないが(笑)わたしはかなり男を立てる女だ。
那智さん同様『男を立てる様式』が心地よくて好き。
基本那智さんの前は歩かないし、乾杯のグラスを合わせるときも極力わたしのグラスが少し下になるようにするし、那智さんの首から上を触ることには未だに抵抗がる。
お会いしたことがある方から『さりげなく、でもほぼ徹底している敬語』と評していただいたことがあるくらいに、けっこうしっかり『那智さんを立てるりん子』なのだ。
だから、元来それが好きなわたしは那智さん以前の男性にも同じように『男を立てて』きた。
でも、長続きしなかったのは、『男を立てる』様式ではなく精神的に支える関係になってしまったからだと思う。
那智さんが好む『男を立てる』も、わたしが心地よい『那智さんを立てる』もどちらも様式。
でも、これって、そもそも『立っている』ことが前提ではないだろうか。
自分の足で立っている男性を立てる様式美。
ここに精神的に立てる要素を加えるというのは、結局のところ倒れそうな男を支えることになってしまうのではないだろうか。
『立てる』に値する男性像からは遠く離れているよね。
こうなると、様式として立てることもしたくなくなっちゃう。
様式として男を立てることと精神的に男を立てることはじつは大きく違うのかもしれない。
そして、女側の男を立てる様式が好きだということと、男を支えたいと思うことは一致しているわけではないのだろう。
で、自立している男性は尊敬できるので、『男を立てる』様式好きのわたしのような女はきっと精神的にも立てたいと自然に思えるようになるのだ。
(それでも滅多なことでは寄りかかって来ないのだけどね)
ただ世の中には最初から精神的にも立ててほしい男と立てたい女もいると思うので、それは需要と供給、好みで選べばいいと思います。
わたしのような女は所詮様式で喜んでいる程度(笑)
ただ、どうか、様式ではなく精神的にも立ててほしいなら『男を立てろ』じゃなくて『男を支えろ』とおっしゃっていただければ、間違いなくそういう支えるのは好きな女性が見つかるのではないかと思います^^
『良妻賢母の心得 本文』で那智さんが大まかにわけた『行動は良し、精神的なものは違う』という感想はきっとわたしのこの考察と同じことのようです。
那智さんが『男を立てる』文化が好きだと言えるのは、精神的には自分で立ち、もっというとわたし側をしっかり支えている自負があるからこそなのでしょう。
でもって、スタイルとして『男を立たせる』ことを成立させ続けてくれるような人だったら、いつか本当に支えないといけない場面に見舞われたら、こちらは微力ながら全力で支えたと思うものなのだ^^
等式感想です。「良夫賢父」の勧めもないと不公平ですよね~女性側の話が出ていませんがお互いに尊敬しあい、尊重する。その結果、様式美(文化)として男性が前に出た方が良いと思う。男が偉いのではなく、お床が前に出る文化が好き。それに見合うような普段の行いが必要なのでしょうね。
現在の家庭の文化なんて存在するのかな~。前に書いたようにTVのヒーロー戦隊物が全員女隊員だとすると、時代はちびまるこちゃんやさざえさんを理解出来なくなる日も近いのではないかと思う。
M女のカテゴリを良妻賢母にしちゃいませんか!?と大真面目にふざけてみましたが(でもじつはけっこう真剣『新カテゴリ』)、リンクに貼ってあった『良妻賢母の心得 本文』には、わたしの提案以上にかなりの衝撃を受けました(笑)
ただ、Wikipedia内の検証にも書いてあるように、どうやら1955年のものではなくここ2、30年に作られた悪戯なのではないかという説もあるらしい。
たしかに本文にあるようなストレスやプレッシャー、リフレッシュなどの言葉がいまから60年前から一般的に使われていたとは思えないので、近年誰かの手によって作られたものだという説もうなずける。
でも、きっとこれは当時の文化では比較的当たり前のことだったのではないかと思うし、たとえば、農村で育った女性が会社務めの男性と結婚して専業主婦なんていうものになる人口が増える中『15分体を休め』なんていうちょっとトンチンカンな指針があってもおかしくないだろうなとは思います。
だから、これ自体は悪戯でも、けっこう事実に近いのではないかな。
さて、これが存在していたかどうか実際の日本はどうだったかは、この際置いておいて^^
この『良妻賢母の心得』はなかなか那智さんとのよい話題提供になった。
那智さんとわたしの唯一相容れない事柄が『フェミニズム』。
ただ、結局突き詰めていくと『弱者や少数が生きやすい社会』ということになるので、本当は相容れているのかもしれない。
ただ那智さんの好む男女の関係や女性像が、かつて女性に不自由な時代だった文化に近いもののようなので、まあ、わたしのフェミ心をチクチクさせながら楽しい話題提供になったのだ。
エントリーがアップされる前に、エントリーの内容には触れずにこんなのありますよ〜と『良妻賢母の心得本文』だけお見せしてみた。
まず、ざっと目を通した、第一声が『いいね〜(笑)』。
那智さんは『男を立てる』文化が好きで、そのほうがうまくいくという考えを持っている人だから、ね^^
さらにしっかり読んでから、ちょっと最初とは違う具体的な感想を聞かせてもらえた。
ざっくり分けると、行動に関しては概ね好みで精神に関しては否定的、というのが那智さんの感想だった。
たとえば、部屋を片付けるとか部屋を温かくするとか、ご主人が快適に過ごす体勢を整えることは好ましいけど、不平を言わないとか幸せな気持ちで迎えるなどの精神が必要になるものは、それはそういう精神状態になれるように双方努力ものだろ?ということ。
まあ、よく考えたら、旦那さんが稼いでいるのなら家で待っているほうがハウスキープは役割分担として当たり前だと思うけど^^;
結局のところ、それを義務ではなくて、そうしたいと思える関係が望ましいという当たり前の結論になりそうです(笑)
那智さんは『男を立てる文化』が好きだ。
那智さんのいう文化は様式のことだと思う。
だから、『男を立てる』様式が好きということなのだろう。
ただそれは強制するものではなくて、そうしたいと思わせる男側の力量が大事なことを知っている。
その力量とはどういうものだろう。
おそらく、那智さんが『良妻賢母の心得 本文』を読んで感じた『行動は好ましいけど、精神は違う』に当てはまると思う。
それは『男を立てる』けど、男を支えるものではないということではないだろうか。
じつは、あまり信じてもらえないかもしれないが(笑)わたしはかなり男を立てる女だ。
那智さん同様『男を立てる様式』が心地よくて好き。
基本那智さんの前は歩かないし、乾杯のグラスを合わせるときも極力わたしのグラスが少し下になるようにするし、那智さんの首から上を触ることには未だに抵抗がる。
お会いしたことがある方から『さりげなく、でもほぼ徹底している敬語』と評していただいたことがあるくらいに、けっこうしっかり『那智さんを立てるりん子』なのだ。
だから、元来それが好きなわたしは那智さん以前の男性にも同じように『男を立てて』きた。
でも、長続きしなかったのは、『男を立てる』様式ではなく精神的に支える関係になってしまったからだと思う。
那智さんが好む『男を立てる』も、わたしが心地よい『那智さんを立てる』もどちらも様式。
でも、これって、そもそも『立っている』ことが前提ではないだろうか。
自分の足で立っている男性を立てる様式美。
ここに精神的に立てる要素を加えるというのは、結局のところ倒れそうな男を支えることになってしまうのではないだろうか。
『立てる』に値する男性像からは遠く離れているよね。
こうなると、様式として立てることもしたくなくなっちゃう。
様式として男を立てることと精神的に男を立てることはじつは大きく違うのかもしれない。
そして、女側の男を立てる様式が好きだということと、男を支えたいと思うことは一致しているわけではないのだろう。
で、自立している男性は尊敬できるので、『男を立てる』様式好きのわたしのような女はきっと精神的にも立てたいと自然に思えるようになるのだ。
(それでも滅多なことでは寄りかかって来ないのだけどね)
ただ世の中には最初から精神的にも立ててほしい男と立てたい女もいると思うので、それは需要と供給、好みで選べばいいと思います。
わたしのような女は所詮様式で喜んでいる程度(笑)
ただ、どうか、様式ではなく精神的にも立ててほしいなら『男を立てろ』じゃなくて『男を支えろ』とおっしゃっていただければ、間違いなくそういう支えるのは好きな女性が見つかるのではないかと思います^^
『良妻賢母の心得 本文』で那智さんが大まかにわけた『行動は良し、精神的なものは違う』という感想はきっとわたしのこの考察と同じことのようです。
那智さんが『男を立てる』文化が好きだと言えるのは、精神的には自分で立ち、もっというとわたし側をしっかり支えている自負があるからこそなのでしょう。
でもって、スタイルとして『男を立たせる』ことを成立させ続けてくれるような人だったら、いつか本当に支えないといけない場面に見舞われたら、こちらは微力ながら全力で支えたと思うものなのだ^^
等式感想です。「良夫賢父」の勧めもないと不公平ですよね~女性側の話が出ていませんがお互いに尊敬しあい、尊重する。その結果、様式美(文化)として男性が前に出た方が良いと思う。男が偉いのではなく、お床が前に出る文化が好き。それに見合うような普段の行いが必要なのでしょうね。
現在の家庭の文化なんて存在するのかな~。前に書いたようにTVのヒーロー戦隊物が全員女隊員だとすると、時代はちびまるこちゃんやさざえさんを理解出来なくなる日も近いのではないかと思う。
需要と供給
140字もどき
先日ふと浮かんだ考え。
『従いたい』者と『従わせたい』者の需要と供給は必ずしも一致しないのではないだろうか。
感覚的なことだし言葉遊びの域を出ない話。
わたしのような『従いたい(従属、依存体質)』な人間に必要なのは『従わせたい』人間だとうまくいかないような気がする。
完全にわたしの側から目線の言い方をしてしまうと、『従いたい』人間に必要なのは『従わせたい』ではなく『従わせられる』人間なんじゃないだろうか。
那智さんの数少ない決まり事はオナニーの宣言と報告だ。
わたしは自慰をする自分があまり好きではない、いつもしたいと思う自分としたことに対してかすかに自嘲してしまうのだ。
那智さんがその決まり事をわたしに課している背景には、知ってもらうことでわたしの免罪符になるという側面も多いにある。
ついでにわたしのバイオリズムを知るということもあるし、『面白いから』ももちろんあるけども^^;
那智さんが管理したいとか管理することで何かしらを満たしているという側面はほとんどないはずだ。
(もし、何かしらを満たしているとしたら、かなり遠回りして結果的に『管理している』になってはじめて満たされているかもしれない)
先日、こんな文字の会話をした。
いつものように宣言をした後、パソコンの画面に『がんばれ〜』とか『おかずはなに〜』とか面白がっている文字が出てきた。
からかって遊んでいるんだ;;
ときどきこんなふうにして遊ぶ;;
無視しちゃうときもあるんだけど(笑)
この日はスルーできなかった、スルーできないし一緒に楽しめなかった。
だから、醒めてしまったから中止します、わたしはこんなことをする自分がキライだと、ちょっといじけて返事をする。
俺が認めているから大丈夫。
良いことなの。
俺が許可しているの。
こんなお返事がきた。
自慰をするわたしを那智さんが認めている。
上下の上が認めているのだから、下も自嘲することなく認めればいい。
認め、許可しているのは那智さんでわたしではないのだから大丈夫なのだよということだ。
これって
自慰はわたしの欲求だけど、わたしの管轄ではない!!
ということだよね。
那智さんの管轄なのだから管轄している人が良しとしているのだから、『良し』なのだ。
わたしの欲求なのにわたしの管轄ではない!!
なんて幸福な責任転嫁!!
さらに続けて。
それを証拠にダメという時があるでしょ。
稀に、明日会うことが決まっているときなどわたしの欲情度合いによっては禁止したほうが良いと判断したときに禁止されることもある。
たしかに、それは那智さんの管轄内だからすることだ
その発端が那智さんの欲求ではなく『ふたりにとってより良い時間を迎えるため』だからこその禁止なのだ。
こんなふうにわたしが悲しくならないために、ふたりにとって良いからという理由で許可し禁止する。
こんなことを聞かせてもらうとわたしのような『従いたい』女は、幸福に従える。
もっともっと従っていたいと思う。
那智さん、あなたはわたしに『従いたい』と思わせてくれますね!!
もっともっと管理してほしくなります!!
那智さんの根本的な願望の中に『従わせたい欲』はあるでしょう。
だけど、そこに直接『従わせる』につながるようなことはほとんどない。
あるのは従うことで幸福になれるという事実。
そうすれば、こうやって特別命令など下さなくても喜んで従う女ができあがる。
せっせとオナニーの宣言と報告をする女ができあがるのだ。
言葉遊びかもしれないけど、『従いたい』女を従わせるには『従わせられる』男であるほうが適しているんじゃないかなって思うのです。
ということは反対側から見たら『従わせたい』人間には『従いたい』人間ではなくて『従える』人間が適しているのかもしれないね。
「等式」感想です。誰も聞きたくない一般論です。(笑)物の見方考え方は多種多様にある、それを駆使してりん子が生きやすくなれば良いと思う。しかし、ある時は私「○○に考えたら納得出来るだろ~」りん子「そう思えません」私「そう思えるように努力してみな」何て言う会話もある。
責任転嫁しても、最終的に従えば幸せになると、互いに思いあえる関係を築きあいたい。
先日ふと浮かんだ考え。
『従いたい』者と『従わせたい』者の需要と供給は必ずしも一致しないのではないだろうか。
感覚的なことだし言葉遊びの域を出ない話。
わたしのような『従いたい(従属、依存体質)』な人間に必要なのは『従わせたい』人間だとうまくいかないような気がする。
完全にわたしの側から目線の言い方をしてしまうと、『従いたい』人間に必要なのは『従わせたい』ではなく『従わせられる』人間なんじゃないだろうか。
那智さんの数少ない決まり事はオナニーの宣言と報告だ。
わたしは自慰をする自分があまり好きではない、いつもしたいと思う自分としたことに対してかすかに自嘲してしまうのだ。
那智さんがその決まり事をわたしに課している背景には、知ってもらうことでわたしの免罪符になるという側面も多いにある。
ついでにわたしのバイオリズムを知るということもあるし、『面白いから』ももちろんあるけども^^;
那智さんが管理したいとか管理することで何かしらを満たしているという側面はほとんどないはずだ。
(もし、何かしらを満たしているとしたら、かなり遠回りして結果的に『管理している』になってはじめて満たされているかもしれない)
先日、こんな文字の会話をした。
いつものように宣言をした後、パソコンの画面に『がんばれ〜』とか『おかずはなに〜』とか面白がっている文字が出てきた。
からかって遊んでいるんだ;;
ときどきこんなふうにして遊ぶ;;
無視しちゃうときもあるんだけど(笑)
この日はスルーできなかった、スルーできないし一緒に楽しめなかった。
だから、醒めてしまったから中止します、わたしはこんなことをする自分がキライだと、ちょっといじけて返事をする。
俺が認めているから大丈夫。
良いことなの。
俺が許可しているの。
こんなお返事がきた。
自慰をするわたしを那智さんが認めている。
上下の上が認めているのだから、下も自嘲することなく認めればいい。
認め、許可しているのは那智さんでわたしではないのだから大丈夫なのだよということだ。
これって
自慰はわたしの欲求だけど、わたしの管轄ではない!!
ということだよね。
那智さんの管轄なのだから管轄している人が良しとしているのだから、『良し』なのだ。
わたしの欲求なのにわたしの管轄ではない!!
なんて幸福な責任転嫁!!
さらに続けて。
それを証拠にダメという時があるでしょ。
稀に、明日会うことが決まっているときなどわたしの欲情度合いによっては禁止したほうが良いと判断したときに禁止されることもある。
たしかに、それは那智さんの管轄内だからすることだ
その発端が那智さんの欲求ではなく『ふたりにとってより良い時間を迎えるため』だからこその禁止なのだ。
こんなふうにわたしが悲しくならないために、ふたりにとって良いからという理由で許可し禁止する。
こんなことを聞かせてもらうとわたしのような『従いたい』女は、幸福に従える。
もっともっと従っていたいと思う。
那智さん、あなたはわたしに『従いたい』と思わせてくれますね!!
もっともっと管理してほしくなります!!
那智さんの根本的な願望の中に『従わせたい欲』はあるでしょう。
だけど、そこに直接『従わせる』につながるようなことはほとんどない。
あるのは従うことで幸福になれるという事実。
そうすれば、こうやって特別命令など下さなくても喜んで従う女ができあがる。
せっせとオナニーの宣言と報告をする女ができあがるのだ。
言葉遊びかもしれないけど、『従いたい』女を従わせるには『従わせられる』男であるほうが適しているんじゃないかなって思うのです。
ということは反対側から見たら『従わせたい』人間には『従いたい』人間ではなくて『従える』人間が適しているのかもしれないね。
「等式」感想です。誰も聞きたくない一般論です。(笑)物の見方考え方は多種多様にある、それを駆使してりん子が生きやすくなれば良いと思う。しかし、ある時は私「○○に考えたら納得出来るだろ~」りん子「そう思えません」私「そう思えるように努力してみな」何て言う会話もある。
責任転嫁しても、最終的に従えば幸せになると、互いに思いあえる関係を築きあいたい。
あめ玉
独特な幸福感
那智さんと連絡が取れない日が2日。
連絡が取れないといっても、送るだけは送ってもいいアドレスもあるし(意外と送らないけど^^;)、事前に連絡取れないことを知らせてもらっているので、なにか不安に駆られる必要もないし、なんといってもたかだか2日、『だからどうした?』なことなのでしょうけれど。
そこは、あなたと繋がっていられることはわたしの至上のよろこび、あなたからの『おはよう』のメールは失禁してしまいそうなほどうれしい(結果しないけど^^;)なわたし2日間の心は仮死状態か冬眠状態、ちょっぴり切実な問題だったりする。
まあ、それでもさすがにそろそろ丸9年を迎えるわけで、そういう場合の心の持ちようみたいなノウハウも学ぶもの、なにより『またつながれる』という単純な安心感を刷り込ませることができてきたから以前より穏やかに過ごせるようになれていると思う。
(単純な安心感って意外と持つの難しいよね、わたしのような依存体質さん^^)
ただ、このときはわたしの体調不良でその前に会えていなかったりで、まったく連絡が取れない2日間を前にほんのちょっと甘えたい気持ちになっていたのだと思う。
いままでも、わたしがすこし頑張らないといけないときには前もって心構えを話してくれたり、そんな大げさなことじゃなくても、しばらく連絡取れないときやわたしの心が弱っているときなどは『いいこでね』とか『お利口さんでね』とか甘い気持ちで待っていられる言葉をくれていたから、本当に耐えられないゆえのヘルプじゃなくて、お口の中でコロコロしながら2日間を甘く過ごせるあめ玉を一粒いただけたらいいなぁという感じだった。
(いや、いい年して『いいこ』も『お利口さん』もないけど、いいの、そういう関係だから!!←開き直り)
そろそろお電話も終了。
明々後日までもうお話しはできない。
そんな状況になって。
那智さん、この2日間のわたしの過ごし方、心の持ち方を教えてくださいませんか?
『いいこでね』とか『お利口さんでね』とか、そういうのです、と答えを見込んだ投げかけ。
はあはあ、飢え飢えでいてください
ああ、甘いキャンディが…飢え飢えなんてオヤジ語みたいな言葉に交換されてしまった;;
食い下がる。
そうじゃなくて、なんか、ほら、そういう言い方じゃなくて、2日間を幸せな気持ちで過ごせるような言葉です…
じゃあ、この2日間『日常生活に支障のない範囲で欲情』していてください
はあ、自分の書いた『言葉』を引用されちゃあ、拒否するわけにはいかないです。(『欲情』)
甘いキャンディはいただけず、淡々と丁寧な欲情のリクエストをいただいてしまった。
そして、2日間が過ぎ。
ちょっとこの2日間に私事でいろいろあって、いつもに増して2日ぶりの連絡が感涙ものになってしまっていた。
ひさしぶり(といっても2日…)に聞く那智さんの声にマジで涙が出る。
尻尾ぶんぶん。
那智さん、お久しぶりです、お元気でしたか?(泣)
はいはい、お元気でしたよ(笑)
たくさん聞いてほしいことはあるけれど、短い時間で何から話したらいいかじゃっかん慌てる、金魚がぱくぱくしているよう。
とうぜん、話題提供係のわたしから話題を振らないと、この状態から活発な会話は望めない(笑)
このときは、ほとんど時間がなくてあわあわしておしまいになってしまった。
かろうじて
那智さん、わたしの名前はなんでしょう?
という質問だけはした。
これは名前を呼んでほしいときの常套手段。
『呼んでください』とお願いするとお願いして言ってもらった感があるので、こういうふうに質問するのだ。
そうすると『りん子』と答えてくれるから、結果的に名前を呼んでもらったことになる。(いや、正確には名前を口にしてもらった、だけど^^;)
そんなあわあわな状態のまま電話を切り、用事を済ませて帰り道にも連絡をくれた。
もう、うれしくて飛びつきそうな勢いだ。
声を聞いてきゃあきゃあ。
あんまりうれしくて、ちょっといま思い出して自分でも苦笑してしまうんだけど、これ以上ない猫なで声で、この溢れんばかりの『那智さ〜ん』な気持ちを言葉にしてしまった。
溢れちゃう
お、いいね〜。
溢れるとどうなるの?
那智さん、すきすきってなります
あ、そっちね
以上、終了。
ばっさり切り捨て。
そっちは興味ないようです;;
じゃあ、どっちなら興味あるかということだけど、3日前にリクエストされた『生活に支障のない範囲の欲情』のほうらしいです。
よく『等式』では、わたしが女の子とか書いているから、那智さん甘々な人のように見えるかもしれませんが、じつは意外と甘くない。
無条件で甘くなるのは酔っぱらいさんの時くらいで、それ意外は8割方こんな具合です^^
「等式」感想です。 だって、りん子が溢れるものは「愛情」と「欲情」の2種類があり(この分け方もいかがかとおもいますが)その見分けをつけるのが難しいのです。私が甘くなる、飲酒している夜の確率は80%を超えるので比較的多く出会えているはずなのです。
が、しかし、私の酔っぱらい甘々モードはりん子はあまり嬉しがってくれないような気がします。相手にしていないのか~(笑)残念。
那智さんと連絡が取れない日が2日。
連絡が取れないといっても、送るだけは送ってもいいアドレスもあるし(意外と送らないけど^^;)、事前に連絡取れないことを知らせてもらっているので、なにか不安に駆られる必要もないし、なんといってもたかだか2日、『だからどうした?』なことなのでしょうけれど。
そこは、あなたと繋がっていられることはわたしの至上のよろこび、あなたからの『おはよう』のメールは失禁してしまいそうなほどうれしい(結果しないけど^^;)なわたし2日間の心は仮死状態か冬眠状態、ちょっぴり切実な問題だったりする。
まあ、それでもさすがにそろそろ丸9年を迎えるわけで、そういう場合の心の持ちようみたいなノウハウも学ぶもの、なにより『またつながれる』という単純な安心感を刷り込ませることができてきたから以前より穏やかに過ごせるようになれていると思う。
(単純な安心感って意外と持つの難しいよね、わたしのような依存体質さん^^)
ただ、このときはわたしの体調不良でその前に会えていなかったりで、まったく連絡が取れない2日間を前にほんのちょっと甘えたい気持ちになっていたのだと思う。
いままでも、わたしがすこし頑張らないといけないときには前もって心構えを話してくれたり、そんな大げさなことじゃなくても、しばらく連絡取れないときやわたしの心が弱っているときなどは『いいこでね』とか『お利口さんでね』とか甘い気持ちで待っていられる言葉をくれていたから、本当に耐えられないゆえのヘルプじゃなくて、お口の中でコロコロしながら2日間を甘く過ごせるあめ玉を一粒いただけたらいいなぁという感じだった。
(いや、いい年して『いいこ』も『お利口さん』もないけど、いいの、そういう関係だから!!←開き直り)
そろそろお電話も終了。
明々後日までもうお話しはできない。
そんな状況になって。
那智さん、この2日間のわたしの過ごし方、心の持ち方を教えてくださいませんか?
『いいこでね』とか『お利口さんでね』とか、そういうのです、と答えを見込んだ投げかけ。
はあはあ、飢え飢えでいてください
ああ、甘いキャンディが…飢え飢えなんてオヤジ語みたいな言葉に交換されてしまった;;
食い下がる。
そうじゃなくて、なんか、ほら、そういう言い方じゃなくて、2日間を幸せな気持ちで過ごせるような言葉です…
じゃあ、この2日間『日常生活に支障のない範囲で欲情』していてください
はあ、自分の書いた『言葉』を引用されちゃあ、拒否するわけにはいかないです。(『欲情』)
甘いキャンディはいただけず、淡々と丁寧な欲情のリクエストをいただいてしまった。
そして、2日間が過ぎ。
ちょっとこの2日間に私事でいろいろあって、いつもに増して2日ぶりの連絡が感涙ものになってしまっていた。
ひさしぶり(といっても2日…)に聞く那智さんの声にマジで涙が出る。
尻尾ぶんぶん。
那智さん、お久しぶりです、お元気でしたか?(泣)
はいはい、お元気でしたよ(笑)
たくさん聞いてほしいことはあるけれど、短い時間で何から話したらいいかじゃっかん慌てる、金魚がぱくぱくしているよう。
とうぜん、話題提供係のわたしから話題を振らないと、この状態から活発な会話は望めない(笑)
このときは、ほとんど時間がなくてあわあわしておしまいになってしまった。
かろうじて
那智さん、わたしの名前はなんでしょう?
という質問だけはした。
これは名前を呼んでほしいときの常套手段。
『呼んでください』とお願いするとお願いして言ってもらった感があるので、こういうふうに質問するのだ。
そうすると『りん子』と答えてくれるから、結果的に名前を呼んでもらったことになる。(いや、正確には名前を口にしてもらった、だけど^^;)
そんなあわあわな状態のまま電話を切り、用事を済ませて帰り道にも連絡をくれた。
もう、うれしくて飛びつきそうな勢いだ。
声を聞いてきゃあきゃあ。
あんまりうれしくて、ちょっといま思い出して自分でも苦笑してしまうんだけど、これ以上ない猫なで声で、この溢れんばかりの『那智さ〜ん』な気持ちを言葉にしてしまった。
溢れちゃう
お、いいね〜。
溢れるとどうなるの?
那智さん、すきすきってなります
あ、そっちね
以上、終了。
ばっさり切り捨て。
そっちは興味ないようです;;
じゃあ、どっちなら興味あるかということだけど、3日前にリクエストされた『生活に支障のない範囲の欲情』のほうらしいです。
よく『等式』では、わたしが女の子とか書いているから、那智さん甘々な人のように見えるかもしれませんが、じつは意外と甘くない。
無条件で甘くなるのは酔っぱらいさんの時くらいで、それ意外は8割方こんな具合です^^
「等式」感想です。 だって、りん子が溢れるものは「愛情」と「欲情」の2種類があり(この分け方もいかがかとおもいますが)その見分けをつけるのが難しいのです。私が甘くなる、飲酒している夜の確率は80%を超えるので比較的多く出会えているはずなのです。
が、しかし、私の酔っぱらい甘々モードはりん子はあまり嬉しがってくれないような気がします。相手にしていないのか~(笑)残念。