真のSMって!?
独り言
『決めるのは、どっち?』というエントリーで、那智さんは「よく頑張ったね」とは言わないと書いた。
特に性的な場面においてはほとんどないんじゃないかな。
わんこになっているとき首筋を撫でたり、鞭でふにゃふにゃなときくっつきたがるわたしの頭を抱えてくれたりするけれど、それは愛撫に等しいと思う。
それは決して『頑張ったご褒美』じゃない。
泣いたり怖がったりしても、結局わたしが快感を得ているのだから、頑張ったねじゃないよね。
いつも『気持ち良くてよかったね〜』と言われておしまい。
むしろ那智さんのほうが頑張ってますねという勢いだ(笑)
M女さんのブログを徘徊していると時々その『よく頑張ったね』シーンを見かけるので、それを出して話を進めさせていただいて『決めるのは、どっち?』を書いたのです。
エントリーのその台詞を読んだ那智さんがそれに対して浮かんだ疑問を投げかけてきた。
「頑張らないといけないようなことをさせているの?」
特定のどなたかを指してその台詞を書いたわけではなくて、ブログ内でそういうやり取りをなさっている方々の記憶が残っているだけなので、個別のシチュエーションはわからない。
それをそのまま伝えると。
「そのSの人は、どうしたいんだろ?」
性的なことで『頑張らせる』という発想が那智さんにはないようで、また素朴な疑問が続いた。
S側からみて、頑張らせるということは。
辛いけど頑張って堪え忍ぶ姿がいいのか?
辛くて頑張っているけれど、それでも辛くて苦しむ姿が見たいのか?
頑張って辛さを乗り越え、快感に変えさせたいから、頑張れ?
でも、これは那智さんからしたら『頑張ったね』ではなくて『よかったね』になるようで、当てはまらないらしい。
ということは、那智さんの認識では、その台詞は『辛いものは辛いまま』を好む方が発するのだということらしい。
で、那智さんには、その嗜好はないなということなのだ。
わたしも、当然S側の心理はわからないから、疑問のまま。
一般的にSって、加虐嗜好のことをいうとしたら、相手に苦痛を与えて喜びを覚えるとこになるのだから『辛いものは辛いまま』というのが正解?
それがSの定義とするなら、那智さんはSじゃない。
一方で、被虐願望を持っている人がMだとすると、苦痛は快感になる。
例えば肉体的に苦痛のままだとしても、脳みそで快感を覚えれば、その苦痛は快感になるわけで、Mにとって苦痛=快感ですよね。
苦痛を与えることが喜びの加虐嗜好がS。
苦痛が快感になる被虐嗜好がM。
だとしたら。
んんん?
SはM相手では、SMは成立しないんじゃない?
だって、いつのまにか、苦痛が苦痛じゃなくなってしまうのだもの!!
SがいくらMに苦痛を与えても、加虐嗜好は永遠に満たされないのではありませんか!?
まあ、SMといってもいろんな要素が絡んでいて、『苦痛』だけで一括りにはできないのでしょうけど。
こういうの好きで、つい正解のない言葉遊びを楽しんでしまうわたし。
ついでに。
じゃあ、苦痛が快感に変わるマゾに対して、サディストはどうしたら加虐嗜好を満足させることができるのか!?
怖がりのわたしがMを代表していうのも、申し訳ない気もしますが。
自称(へなちょこ)Mのわたしを相手に『辛いものは辛いまま』の苦痛を与えるには、どうしたらよいか!?
う〜ん。
こんなのどうでしょう?
『数学の問題集を延々とさせる』
これ、かなり苦痛です!!
お勉強が苦手だったわたしには、これいつまでたっても『辛いまま』になると思います(笑)
真のSMは数学の問題集だった!!
なんてこと、ないか^^;
『決めるのは、どっち?』というエントリーで、那智さんは「よく頑張ったね」とは言わないと書いた。
特に性的な場面においてはほとんどないんじゃないかな。
わんこになっているとき首筋を撫でたり、鞭でふにゃふにゃなときくっつきたがるわたしの頭を抱えてくれたりするけれど、それは愛撫に等しいと思う。
それは決して『頑張ったご褒美』じゃない。
泣いたり怖がったりしても、結局わたしが快感を得ているのだから、頑張ったねじゃないよね。
いつも『気持ち良くてよかったね〜』と言われておしまい。
むしろ那智さんのほうが頑張ってますねという勢いだ(笑)
M女さんのブログを徘徊していると時々その『よく頑張ったね』シーンを見かけるので、それを出して話を進めさせていただいて『決めるのは、どっち?』を書いたのです。
エントリーのその台詞を読んだ那智さんがそれに対して浮かんだ疑問を投げかけてきた。
「頑張らないといけないようなことをさせているの?」
特定のどなたかを指してその台詞を書いたわけではなくて、ブログ内でそういうやり取りをなさっている方々の記憶が残っているだけなので、個別のシチュエーションはわからない。
それをそのまま伝えると。
「そのSの人は、どうしたいんだろ?」
性的なことで『頑張らせる』という発想が那智さんにはないようで、また素朴な疑問が続いた。
S側からみて、頑張らせるということは。
辛いけど頑張って堪え忍ぶ姿がいいのか?
辛くて頑張っているけれど、それでも辛くて苦しむ姿が見たいのか?
頑張って辛さを乗り越え、快感に変えさせたいから、頑張れ?
でも、これは那智さんからしたら『頑張ったね』ではなくて『よかったね』になるようで、当てはまらないらしい。
ということは、那智さんの認識では、その台詞は『辛いものは辛いまま』を好む方が発するのだということらしい。
で、那智さんには、その嗜好はないなということなのだ。
わたしも、当然S側の心理はわからないから、疑問のまま。
一般的にSって、加虐嗜好のことをいうとしたら、相手に苦痛を与えて喜びを覚えるとこになるのだから『辛いものは辛いまま』というのが正解?
それがSの定義とするなら、那智さんはSじゃない。
一方で、被虐願望を持っている人がMだとすると、苦痛は快感になる。
例えば肉体的に苦痛のままだとしても、脳みそで快感を覚えれば、その苦痛は快感になるわけで、Mにとって苦痛=快感ですよね。
苦痛を与えることが喜びの加虐嗜好がS。
苦痛が快感になる被虐嗜好がM。
だとしたら。
んんん?
SはM相手では、SMは成立しないんじゃない?
だって、いつのまにか、苦痛が苦痛じゃなくなってしまうのだもの!!
SがいくらMに苦痛を与えても、加虐嗜好は永遠に満たされないのではありませんか!?
まあ、SMといってもいろんな要素が絡んでいて、『苦痛』だけで一括りにはできないのでしょうけど。
こういうの好きで、つい正解のない言葉遊びを楽しんでしまうわたし。
ついでに。
じゃあ、苦痛が快感に変わるマゾに対して、サディストはどうしたら加虐嗜好を満足させることができるのか!?
怖がりのわたしがMを代表していうのも、申し訳ない気もしますが。
自称(へなちょこ)Mのわたしを相手に『辛いものは辛いまま』の苦痛を与えるには、どうしたらよいか!?
う〜ん。
こんなのどうでしょう?
『数学の問題集を延々とさせる』
これ、かなり苦痛です!!
お勉強が苦手だったわたしには、これいつまでたっても『辛いまま』になると思います(笑)
真のSMは数学の問題集だった!!
なんてこと、ないか^^;
那智さんより
独特な幸福感
めずらしく、那智さんのエントリー(?)です。
たまには趣向を変えて^^(文中リンク作業はりん子^^;)
いつも薬指の刺青に訪問いただきありがとうございます。
パイパン大好きさんのコメントを拝見して、私がなぜ頑張ったねと言わないのかを考えてみました。
パイパン大好きさんは、女性が恥ずかしがりながらもそれに耐える姿がお好きで 、それにより心の繋がりを感じるとおっしゃています。
それはよくわかります。
でも、私が好み、より深く心の繋がりを感じる方法は違います。
違うというより、好みが変わったというほうが正しいかもしれません。
りん子はブログの中で恥ずかしいことや痛いことを書いています。
彼女は、主にその結果を書いていますが、そこに至るまでにはたくさんの葛藤や 恐怖心との闘いがあります。
ジーンズにチェーンを付けるだけでも恥ずかしがるくらいですから、面白いくらいの羞恥心の持ち主です。
でも、そのりん子が、恐らく私が命じれば、どんなに恥ずかしくても耐えて頑張って従うでしょう。
そして、それに喜びも見いだせるはずです。
そういう心の繋りや性的な成熟はもうできています。
だから、命令してそれに頑張って従うというのは、できてしまうのがわかってるから面白くない(笑)
それに、私は彼女が大切なので、彼女にその種の我慢を強いることをしたいとも思いません。
では、どうすれば、より深く心の繋がりを感じられ、私も満足できるかというと 。
それは 私の意図することを望ませることでした。
元々強い羞恥心を持っているりん子ですが、それに耐え私の命令に従うことが幸せだという関係はもうできている。
だから、そうではなく、恥ずかしさを上回るほど、それをしたいと望ませるよう に仕込むことのほうが、耐え従うよりも私としてはやり甲斐がありますし、より深い繋がりを感じるので、私が好みの方法なのです。
りん子もそのほうが楽でしょう?(笑)
りん子が、それを望むまで、それをネタに煽り餌をまき、快感を植え付け、時には一緒になって葛藤や闘いに付き合い、充分こちらから愛情や手をかけ、機が熟したときに実行に移すわけです。
羞恥心や嫌悪感を捨てることができない彼女が、それを上回るほど望んでしまう状況まで持っていきたいのです。
それがりん子のいう「預ける」という状況だと思います。
ですから、私は命令をしません。
機が熟すまで作り上げているわけですがら、それは「実行」や「決定」という感じです。
もしかしたらきっかけを作ってあげているということかもしれません。
ということは、私たちの間に「頑張ったね」はないわけです。
頑張らずにできる、したいと思うようになるまで仕込んだのですから。
たくさん荷物を抱えているりん子がそれを上回るほど望み荷物を預けたときの姿は 、私が言うのも照れますがとても美しく、満足に繋がります。
もし堪え忍ぶことがSMや主従関係ならば、私たちは主流から外れているでしょう 。
そもそも私はその土俵に上がるつもりもありませんし、りん子にも話しています。
ただ、どちらが好みかというと、私はこちらを選びますね。
目下のところ、百貨店で四つん這いになって買い物をすることを、りん子が切望し私が許可するという状況を作ろうとしているところです。
「那智さん、お願いします。ここでわんこにしてください!!」
「まあまあ、いま、人がいっぱいいるから、もう少し待ってからね。」
なんていう会話、いいと思うのです(笑)
今度はそれを切望させておいて我慢させるのも面白そうです。
那智
パイパン大好きさん、お名前を出させていただきまして、ありがとうございました。
いつも率直な感想、しかもわたし自身が勇気を出して書いたことに何かしらのコメントをくださって、それにはわたしも那智さんも感謝しています^^
今回も那智さんエントリーなんて、わたしには豪華おまけ付き♪
辛いけど頑張るよりは、辛いことを望めることのほうが、たしかに『楽』ですね。
でも、それを望んでしまっているという事実が、もうすでにわたしにとっては、辛かったり恥ずかしかったりで。
なーんか、どう転んでも恥ずかしいじゃん!!
だけど、『わたしが我慢する』より『那智さんが仕込んでくれる』という、那智さん主体那智さん能動のほうが、わたしは嬉しいな〜と思うのです。
する側、される側。
好みはそれぞれあると思います。
那智さんも、好みが変わってきたと言ってるし。
みなさんの好みはどういうものなのかなって、思いました^^
めずらしく、那智さんのエントリー(?)です。
たまには趣向を変えて^^(文中リンク作業はりん子^^;)
いつも薬指の刺青に訪問いただきありがとうございます。
パイパン大好きさんのコメントを拝見して、私がなぜ頑張ったねと言わないのかを考えてみました。
パイパン大好きさんは、女性が恥ずかしがりながらもそれに耐える姿がお好きで 、それにより心の繋がりを感じるとおっしゃています。
それはよくわかります。
でも、私が好み、より深く心の繋がりを感じる方法は違います。
違うというより、好みが変わったというほうが正しいかもしれません。
りん子はブログの中で恥ずかしいことや痛いことを書いています。
彼女は、主にその結果を書いていますが、そこに至るまでにはたくさんの葛藤や 恐怖心との闘いがあります。
ジーンズにチェーンを付けるだけでも恥ずかしがるくらいですから、面白いくらいの羞恥心の持ち主です。
でも、そのりん子が、恐らく私が命じれば、どんなに恥ずかしくても耐えて頑張って従うでしょう。
そして、それに喜びも見いだせるはずです。
そういう心の繋りや性的な成熟はもうできています。
だから、命令してそれに頑張って従うというのは、できてしまうのがわかってるから面白くない(笑)
それに、私は彼女が大切なので、彼女にその種の我慢を強いることをしたいとも思いません。
では、どうすれば、より深く心の繋がりを感じられ、私も満足できるかというと 。
それは 私の意図することを望ませることでした。
元々強い羞恥心を持っているりん子ですが、それに耐え私の命令に従うことが幸せだという関係はもうできている。
だから、そうではなく、恥ずかしさを上回るほど、それをしたいと望ませるよう に仕込むことのほうが、耐え従うよりも私としてはやり甲斐がありますし、より深い繋がりを感じるので、私が好みの方法なのです。
りん子もそのほうが楽でしょう?(笑)
りん子が、それを望むまで、それをネタに煽り餌をまき、快感を植え付け、時には一緒になって葛藤や闘いに付き合い、充分こちらから愛情や手をかけ、機が熟したときに実行に移すわけです。
羞恥心や嫌悪感を捨てることができない彼女が、それを上回るほど望んでしまう状況まで持っていきたいのです。
それがりん子のいう「預ける」という状況だと思います。
ですから、私は命令をしません。
機が熟すまで作り上げているわけですがら、それは「実行」や「決定」という感じです。
もしかしたらきっかけを作ってあげているということかもしれません。
ということは、私たちの間に「頑張ったね」はないわけです。
頑張らずにできる、したいと思うようになるまで仕込んだのですから。
たくさん荷物を抱えているりん子がそれを上回るほど望み荷物を預けたときの姿は 、私が言うのも照れますがとても美しく、満足に繋がります。
もし堪え忍ぶことがSMや主従関係ならば、私たちは主流から外れているでしょう 。
そもそも私はその土俵に上がるつもりもありませんし、りん子にも話しています。
ただ、どちらが好みかというと、私はこちらを選びますね。
目下のところ、百貨店で四つん這いになって買い物をすることを、りん子が切望し私が許可するという状況を作ろうとしているところです。
「那智さん、お願いします。ここでわんこにしてください!!」
「まあまあ、いま、人がいっぱいいるから、もう少し待ってからね。」
なんていう会話、いいと思うのです(笑)
今度はそれを切望させておいて我慢させるのも面白そうです。
那智
パイパン大好きさん、お名前を出させていただきまして、ありがとうございました。
いつも率直な感想、しかもわたし自身が勇気を出して書いたことに何かしらのコメントをくださって、それにはわたしも那智さんも感謝しています^^
今回も那智さんエントリーなんて、わたしには豪華おまけ付き♪
辛いけど頑張るよりは、辛いことを望めることのほうが、たしかに『楽』ですね。
でも、それを望んでしまっているという事実が、もうすでにわたしにとっては、辛かったり恥ずかしかったりで。
なーんか、どう転んでも恥ずかしいじゃん!!
だけど、『わたしが我慢する』より『那智さんが仕込んでくれる』という、那智さん主体那智さん能動のほうが、わたしは嬉しいな〜と思うのです。
する側、される側。
好みはそれぞれあると思います。
那智さんも、好みが変わってきたと言ってるし。
みなさんの好みはどういうものなのかなって、思いました^^
那智さん仕様
独特な幸福感
『100%那智さん仕様』こんな言葉を使ったことがある。
使い方は正しくないかな?
『那智さんじゃなきゃダメ〜』ってことを言いたかっただけなんだけど。
なんとなく語呂が気に入って、そんな言葉を使ったんだ。
あれ?『那智さんじゃなきゃダメ』だったら、『100%りん子仕様』のほうが、まだ正しい?
まあ、苦手なお勉強は置いといて^^;
那智さんはずっと『那智さんじゃなきゃダメ』というりん子にしたいと思っている。
那智さんに出会う前。
いまよりもずっといろんな人に抱かれていた。
どこか回路を遮断して。
なぜ、そこまでして抱かれていたかというと、求められたから。
求められることで自尊心を満足させて、夢中になる男性をコントロールしているような快感を味わっていた。
でも、回路を遮断して、見下しているようなセックスは後味が悪く、結局は快感にはならなかった。
そのわたしが、那智さんに出会い、心の欠損も性癖も満たすような『セックス』をするわけだもの。
『那智さんじゃなきゃダメ』になるのは、あっという間だった。
那智さんじゃなきゃ、あんなふうになれない。
那智さんじゃなきゃ、痛いことも排泄関係も受け入れられないし、快感にならない。
それだけじゃない。
(男性の方、ごめんなさい)那智さん以外の男性の体に触れることさえ、いや。
(男性の方、ごめんなさい 笑)那智さん以外の男性のおちんちんなんて、見たくもない。
あの乳首を捻る力加減も。
唾液を注ぐタイミングも。
無遠慮にかき回す指も。
心の交流はもちろん、こんなことももう那智さんじゃなきゃダメ。
多分、那智さんが望んでいたことはこういうことだと思う。
だから、那智さんの望むようなわたしになっているはずだ。
そうすると、それに反するように、別な感情も那智さんに生まれる。
他の男に抱かせたら、りん子はどうなるんだろうって。
それは、わたしには『絶対無理!!』なことだった。
一方で、わたしの中には、ある妄想がずっとある。(あはは、妄想だらけのわたし^^;)
いわゆる『公衆便所』。
一度に大勢の男性の欲望の的になるということ。
(この妄想をブログの中では、ほとんど書いていないと思う。女性が虐げられているようなこの妄想は、湧き上がるくせに悲しい気持ちも比例して生まれるから、書かなかったの)
だけど、これは、わたしには無理なことだと思っていた。
まあ、現実問題、ものすごい怖がりなのでただの妄想だけなのだけど。
それでも、怖がりとかいうことを抜きにしても無理だと思っていた。
那智さんに出会う前から、自分には被虐願望があるくせに、女性が虐げられていることに傷付くという矛盾を抱えていたので、この『公衆便所』扱いは傷付く感情のほうが大きく、自分には快感にならないだろうと思っていたから。(「被虐の種類」あたりに書いてあるかな)
最終的には『大切にされながら、酷いことをしてもらう』ことで落ち着いたわけなんだけど。
だから、那智さんに出会う前から無理。
それで、那智さんに出会ってからは、みるみるうちに『那智さん仕様』になっているわけだから、傷付く以前に、無理。
ということで、那智さんに出会う前からいまに至まで、形は違うけど『無理』な妄想のままだった。
だから、那智さんが『他の男性に抱かせたら』と投げかけられても、妄想は棚に置いといて、無理という答えを出していた。
だけど、ハプバーに時々行くようになり、那智さんのそばで自分を少しだけ解放する瞬間を何度か経験するうちに、変化が起きたように思う。
男性がわたしの胸に触れるとき、見知らぬ男性にフェラチオをするとき、那智さんがそばにいて、そこに那智さんの意志が介在していると、いままで無理だと思っていたことが、受け入れられるような気がしてくるのだ。
那智さんの意志で、大勢の男性の欲望の的になるなら、それは間接的に那智さんが手を下していることになるかもしれない。
わたしは傷付かずに、快感を味わうかもしれない。
『那智さんバリア』が存在するのではと最近思う。
相変わらず、怖いし傷付きそうだし、『厳しいな〜』とは思うけど。
そうすれば、誰かに抱かせるが『絶対無理!!』事項ではなくなる日が来るかもしれないと、ちょっと思うのだ。
で、那智さんは、どうでしょう。
『100%那智さん仕様』にしたい。
それは。
『那智さんじゃなきゃダメ』と他の男性が触れてもびくともしないわたしで実感できるのか。
それとも。
那智さんの意志が介在することで受け入れられるりん子で実感できるのか。
どちらが、より『100%那智さん仕様』を満足させることができるのでしょう、ね、那智さん。
いや、結局りん子の願望を叶えてあげようとしてるだけなんですけど…と那智さんに苦笑されてしまいそうですね^^;
『100%那智さん仕様』こんな言葉を使ったことがある。
使い方は正しくないかな?
『那智さんじゃなきゃダメ〜』ってことを言いたかっただけなんだけど。
なんとなく語呂が気に入って、そんな言葉を使ったんだ。
あれ?『那智さんじゃなきゃダメ』だったら、『100%りん子仕様』のほうが、まだ正しい?
まあ、苦手なお勉強は置いといて^^;
那智さんはずっと『那智さんじゃなきゃダメ』というりん子にしたいと思っている。
那智さんに出会う前。
いまよりもずっといろんな人に抱かれていた。
どこか回路を遮断して。
なぜ、そこまでして抱かれていたかというと、求められたから。
求められることで自尊心を満足させて、夢中になる男性をコントロールしているような快感を味わっていた。
でも、回路を遮断して、見下しているようなセックスは後味が悪く、結局は快感にはならなかった。
そのわたしが、那智さんに出会い、心の欠損も性癖も満たすような『セックス』をするわけだもの。
『那智さんじゃなきゃダメ』になるのは、あっという間だった。
那智さんじゃなきゃ、あんなふうになれない。
那智さんじゃなきゃ、痛いことも排泄関係も受け入れられないし、快感にならない。
それだけじゃない。
(男性の方、ごめんなさい)那智さん以外の男性の体に触れることさえ、いや。
(男性の方、ごめんなさい 笑)那智さん以外の男性のおちんちんなんて、見たくもない。
あの乳首を捻る力加減も。
唾液を注ぐタイミングも。
無遠慮にかき回す指も。
心の交流はもちろん、こんなことももう那智さんじゃなきゃダメ。
多分、那智さんが望んでいたことはこういうことだと思う。
だから、那智さんの望むようなわたしになっているはずだ。
そうすると、それに反するように、別な感情も那智さんに生まれる。
他の男に抱かせたら、りん子はどうなるんだろうって。
それは、わたしには『絶対無理!!』なことだった。
一方で、わたしの中には、ある妄想がずっとある。(あはは、妄想だらけのわたし^^;)
いわゆる『公衆便所』。
一度に大勢の男性の欲望の的になるということ。
(この妄想をブログの中では、ほとんど書いていないと思う。女性が虐げられているようなこの妄想は、湧き上がるくせに悲しい気持ちも比例して生まれるから、書かなかったの)
だけど、これは、わたしには無理なことだと思っていた。
まあ、現実問題、ものすごい怖がりなのでただの妄想だけなのだけど。
それでも、怖がりとかいうことを抜きにしても無理だと思っていた。
那智さんに出会う前から、自分には被虐願望があるくせに、女性が虐げられていることに傷付くという矛盾を抱えていたので、この『公衆便所』扱いは傷付く感情のほうが大きく、自分には快感にならないだろうと思っていたから。(「被虐の種類」あたりに書いてあるかな)
最終的には『大切にされながら、酷いことをしてもらう』ことで落ち着いたわけなんだけど。
だから、那智さんに出会う前から無理。
それで、那智さんに出会ってからは、みるみるうちに『那智さん仕様』になっているわけだから、傷付く以前に、無理。
ということで、那智さんに出会う前からいまに至まで、形は違うけど『無理』な妄想のままだった。
だから、那智さんが『他の男性に抱かせたら』と投げかけられても、妄想は棚に置いといて、無理という答えを出していた。
だけど、ハプバーに時々行くようになり、那智さんのそばで自分を少しだけ解放する瞬間を何度か経験するうちに、変化が起きたように思う。
男性がわたしの胸に触れるとき、見知らぬ男性にフェラチオをするとき、那智さんがそばにいて、そこに那智さんの意志が介在していると、いままで無理だと思っていたことが、受け入れられるような気がしてくるのだ。
那智さんの意志で、大勢の男性の欲望の的になるなら、それは間接的に那智さんが手を下していることになるかもしれない。
わたしは傷付かずに、快感を味わうかもしれない。
『那智さんバリア』が存在するのではと最近思う。
相変わらず、怖いし傷付きそうだし、『厳しいな〜』とは思うけど。
そうすれば、誰かに抱かせるが『絶対無理!!』事項ではなくなる日が来るかもしれないと、ちょっと思うのだ。
で、那智さんは、どうでしょう。
『100%那智さん仕様』にしたい。
それは。
『那智さんじゃなきゃダメ』と他の男性が触れてもびくともしないわたしで実感できるのか。
それとも。
那智さんの意志が介在することで受け入れられるりん子で実感できるのか。
どちらが、より『100%那智さん仕様』を満足させることができるのでしょう、ね、那智さん。
いや、結局りん子の願望を叶えてあげようとしてるだけなんですけど…と那智さんに苦笑されてしまいそうですね^^;
那智さん仕様(思い通りになる)
独特な幸福感
前エントリーでは、わたしの密かな妄想を披露してしまうことになってしまったけど、ほんとに書きたかったのは、違うことだったのです。
もう、だいたいが見切り発車の人間なので、書いているうちに話が脱線してしまう^^;
で、本当に書きたかったには、ああ、わたしは『100%那智さん仕様』だなぁと感じたことだったので、今日はそのお話。
『荷物を預ける』というエントリーで書いた靴べら。
あの靴べらのあと、もう一度お道具なしで会う機会があった。
そのときも、那智さんはホテルの靴べらを使ったんだ。
だいたいいつも同じホテルを利用するのだけど、ここの靴べらは分厚くて湾曲が少なく、どちらかといえば平べったい形をしているの。
だから、皮膚が感じる痛さが、細く鋭いものではなくて、強い衝撃。
バラ鞭の一本が皮膚を刺す痛さではなく、バラ鞭を束ねたときの衝撃に似ている、わたしの好きな種類の痛さなんだ。
ベッドに上半身を預けて剥き出しになったお尻を、その靴べらで打つ。
前回、『くすくす』と笑ってしまい、涎を垂らしフェラチオをしたいとゼスチャーで伝える子供のようにふわふわしたわたしになれたので、それを少し期待して。
でも、そのことをブログに書いたすぐあとだったので、変に構えてしまいそうで、気持ちの持ちように少しためらう感じもあった。
そんな、ちょっとフラットじゃない心で差し出したお尻に最初の一発。
これが、予想を上回る強さだった。
それでも、MAXよりは随分手前だと思うけど、『くすくす』とさせてもらえるときの様子を見ながらという感じではない打ち方にちょっと戸惑う。
続いた2発目も、同じように強かった。
体勢を変え、痛い所に手を当てて、痛みをやり過ごす。
同じ場所。
新しい場所。
打つ場所を変えても力は強いまま、同じ場所は痛さの上塗りに体を反らし、新しい場所は慣れない痛さに声を上げる。
特に、太腿や内股に飛んでくるそれは、とても痛い。
思わず振り返り「那智さん、今日痛くしてます!?」と確認してしまうほどだった。
『くすくす』と笑う痴人状態にさせてくれるようなじんわりとした打ち方じゃなくて、次から次へと強く打たれた。
『くすくす』をなるような余裕はなく、ただ痛いだけの状態。
でも、打たれ、身を捩り、構える那智さんの動きに合わせるように、体勢を整える。
もう、条件反射のように体が動き、次の痛さを待つわたし。
痛い。
逃げたい。
一瞬逃げるけど、もう次の瞬間には、また欲しくなる。
こういう追い立てられるような痛さを与えられると、最後には痛いことから逃げるのをやめてしまうみたい。
意識が遠のくというのかな、う〜んと、痛さが遠のくという感じかな。
こうなると、どんどん無反応になっていく。
いつの間にか、枕を抱えてただお尻を出しているだけ。
靴べらの衝撃に体が少し揺れる、それだけの状態になる。
鞭で壊れるほどの痛さではないけど、痛さの種類によって、自分の反応が違うことを改めて感じたのです。
後日、このときのことが話題になって。
これは那智さんから言い出したのだけど。
このときは、『強く打とう』と思って打ったのですって。
その前に『くすくす』したエントリーがあったから、じゃあ、変えてみようって。
強く打てば『くすくす』にならないだろうから、違うりん子にしようと思って、打ち方を変えてみたのだそうです。
これを聞いて。
那智さんがそうしようと思っていたんだと、だから、ああいう反応になったんだと妙に納得がいった。
那智さんが思ったようになるわたし。
『那智さんじゃなきゃダメ』というのを『那智さん仕様』と言っているけれど。
那智さんの思い通りになるわたしも、『那智さん仕様』と言えるなぁと思ったのです。
わたしは、SM的なことを施すことをなんでもかんでも『調教』と称することに抵抗がある。
しかも、わたし、馬でもライオンでもないし。
なんてひねくれたこと思ってるんだけど。
気が付けば立派に『那智さん仕様』に調教されてるの!?と、ちょっと悔しくて、でも、基本わんこのわたしは嬉しくもある。
那智さんのしようと思っていることとわたしの反応がリンクしていることがわかって、面白いなぁと思ったの。
いつの間にか自然に『那智さん仕様』になっている。
それが、無理矢理合わせているわけではなく、いつの間にか自然にというのが那智さんの好みで力量かな〜と、ちょっと嬉しく思うのです。
意識せずに、快感の違いとして表れたので『100%那智さん仕様』のエントリーでした。
昨日はチャット最終回にお越しくださいまして、ありがとうございました。
こちらの事情とはいえ、なんだか名残惜しかったです。
また再開できるときがきたら、遊びにいらしてくださいね♪
前エントリーでは、わたしの密かな妄想を披露してしまうことになってしまったけど、ほんとに書きたかったのは、違うことだったのです。
もう、だいたいが見切り発車の人間なので、書いているうちに話が脱線してしまう^^;
で、本当に書きたかったには、ああ、わたしは『100%那智さん仕様』だなぁと感じたことだったので、今日はそのお話。
『荷物を預ける』というエントリーで書いた靴べら。
あの靴べらのあと、もう一度お道具なしで会う機会があった。
そのときも、那智さんはホテルの靴べらを使ったんだ。
だいたいいつも同じホテルを利用するのだけど、ここの靴べらは分厚くて湾曲が少なく、どちらかといえば平べったい形をしているの。
だから、皮膚が感じる痛さが、細く鋭いものではなくて、強い衝撃。
バラ鞭の一本が皮膚を刺す痛さではなく、バラ鞭を束ねたときの衝撃に似ている、わたしの好きな種類の痛さなんだ。
ベッドに上半身を預けて剥き出しになったお尻を、その靴べらで打つ。
前回、『くすくす』と笑ってしまい、涎を垂らしフェラチオをしたいとゼスチャーで伝える子供のようにふわふわしたわたしになれたので、それを少し期待して。
でも、そのことをブログに書いたすぐあとだったので、変に構えてしまいそうで、気持ちの持ちように少しためらう感じもあった。
そんな、ちょっとフラットじゃない心で差し出したお尻に最初の一発。
これが、予想を上回る強さだった。
それでも、MAXよりは随分手前だと思うけど、『くすくす』とさせてもらえるときの様子を見ながらという感じではない打ち方にちょっと戸惑う。
続いた2発目も、同じように強かった。
体勢を変え、痛い所に手を当てて、痛みをやり過ごす。
同じ場所。
新しい場所。
打つ場所を変えても力は強いまま、同じ場所は痛さの上塗りに体を反らし、新しい場所は慣れない痛さに声を上げる。
特に、太腿や内股に飛んでくるそれは、とても痛い。
思わず振り返り「那智さん、今日痛くしてます!?」と確認してしまうほどだった。
『くすくす』と笑う痴人状態にさせてくれるようなじんわりとした打ち方じゃなくて、次から次へと強く打たれた。
『くすくす』をなるような余裕はなく、ただ痛いだけの状態。
でも、打たれ、身を捩り、構える那智さんの動きに合わせるように、体勢を整える。
もう、条件反射のように体が動き、次の痛さを待つわたし。
痛い。
逃げたい。
一瞬逃げるけど、もう次の瞬間には、また欲しくなる。
こういう追い立てられるような痛さを与えられると、最後には痛いことから逃げるのをやめてしまうみたい。
意識が遠のくというのかな、う〜んと、痛さが遠のくという感じかな。
こうなると、どんどん無反応になっていく。
いつの間にか、枕を抱えてただお尻を出しているだけ。
靴べらの衝撃に体が少し揺れる、それだけの状態になる。
鞭で壊れるほどの痛さではないけど、痛さの種類によって、自分の反応が違うことを改めて感じたのです。
後日、このときのことが話題になって。
これは那智さんから言い出したのだけど。
このときは、『強く打とう』と思って打ったのですって。
その前に『くすくす』したエントリーがあったから、じゃあ、変えてみようって。
強く打てば『くすくす』にならないだろうから、違うりん子にしようと思って、打ち方を変えてみたのだそうです。
これを聞いて。
那智さんがそうしようと思っていたんだと、だから、ああいう反応になったんだと妙に納得がいった。
那智さんが思ったようになるわたし。
『那智さんじゃなきゃダメ』というのを『那智さん仕様』と言っているけれど。
那智さんの思い通りになるわたしも、『那智さん仕様』と言えるなぁと思ったのです。
わたしは、SM的なことを施すことをなんでもかんでも『調教』と称することに抵抗がある。
しかも、わたし、馬でもライオンでもないし。
なんてひねくれたこと思ってるんだけど。
気が付けば立派に『那智さん仕様』に調教されてるの!?と、ちょっと悔しくて、でも、基本わんこのわたしは嬉しくもある。
那智さんのしようと思っていることとわたしの反応がリンクしていることがわかって、面白いなぁと思ったの。
いつの間にか自然に『那智さん仕様』になっている。
それが、無理矢理合わせているわけではなく、いつの間にか自然にというのが那智さんの好みで力量かな〜と、ちょっと嬉しく思うのです。
意識せずに、快感の違いとして表れたので『100%那智さん仕様』のエントリーでした。
昨日はチャット最終回にお越しくださいまして、ありがとうございました。
こちらの事情とはいえ、なんだか名残惜しかったです。
また再開できるときがきたら、遊びにいらしてくださいね♪
朗読奴隷1
独特な幸福感
普段感情に上下がない那智さん。
感情に上下がないというか、感情表現に上下がないというか。
とにかく、だいたいいつも変わらない。
かなり頻繁にコミュニケーションを取っているわたしでもそう感じるのだから、まあ『上下がない』というのは、それほど外れていないと思う。
その那智さんにも例外はある。
それは、お酒が入ったとき。
いきなり饒舌。
ちょっとハイテンションで。
『りんっ子ちゃ〜ん♪』
普段、話題提供の9割はわたしがして、会話の8割がわたしがするのに、その割合が一気に崩れて、わたしが相づち担当に変わるのです。(あ、それでも、自分のことを話しまくるという感じでもないな、相変わらず自分のことはあまり話さない人)
はじめのうちは、ちょっと戸惑いましたけど、最近は慣れたもので。
『那智さん、お酒飲んでます?』
『あったり〜♪』
『はいはい、酔っぱらいさんですね』
と、上手にあしらえるようになってきた。
ハイテンションと同時に、あまあまモードにもなる。
普段、わたしを褒めるときでも、『ここが、こう良かったから、偉かったね』みたいに冷静な解説のもとに褒めてくれるのだけど。
酔っぱらいさんのときは、違う。
例えば、何か那智さんを気遣う行為をしたとして。
しらふのときだったら。
『ありがとう』のひと言なのに。
お酒が入っていると。
『ありがとう。りん子は偉いね〜。気が利くし、優しいし、素直だし。俺が喜べば一緒に喜んでくれるし、俺のことをよく考えてくれるよね。その共感ということでは、俺のほうがりん子に負けているね。』
なんて、いっぱいおまけを付けてくれるのだ。
こんなとき『お酒飲んでます?』と聞く。
そうすると『あったり〜♪』と必ず返ってくるのです。
那智さん自身も、この自分の変化が面白いらしく、最近では開き直っているところもあるみたい^^;
ハイテンションもあまあまモードも、楽しいにおまけ付きなのでたまには嬉しい。
ところが困ってしまうことがふたつあって。
ひとつは、突然無理なことを言い出すのだ。
『いまから、来いよ〜』とか『早く来てマッサージしろよ〜』などなど。
無理を承知で、それを口にしてしまうこと自体を楽しんでいる感じだ。
だから、わたしも笑って『無理ですよ』と返す。
まあ、そこから『なぜ無理か』とか、話は枝葉が分かれ、そのやり取りを楽しんでいるところもあるので、苦笑しながら困ったな〜という感じ。
もうひとつ、困ることは。
電車で寝ちゃうの。
で、ほぼ寝過ごすの。
すごいときなどは、行ったり来たり^^;
だから、わたしは頼まれもしないのに、那智さんが電車を降りる時間を見計らって、電話やメールで『起きてコール』を入れるのだ。
もう一度言うけど、頼まれていない、那智さん自身は寝過ごしても『まあ、しょうがないな〜』程度にしか思っていないので、わたしが勝手にヤキモキしているだけなんだけど。
那智さんと同化願望があるわたしは『いつでも那智さん快適』でいてほしいと、ヤキモキしてしまうのだ。
頼まれもしないのに、ひとりで困ってるわけです。
ちなみに、『起きてコール』の効果はほとんどなく、ただ山のような着信履歴と受信履歴が残るだけ^^;
ある日のこと。
このふたつの困ることが同時に起きたことがあった。
ああ、くだらないお話なんだけど、なんだか長くなっちゃった。
ふたつの困ることのお話は続きにさせてくださいませ!!
普段感情に上下がない那智さん。
感情に上下がないというか、感情表現に上下がないというか。
とにかく、だいたいいつも変わらない。
かなり頻繁にコミュニケーションを取っているわたしでもそう感じるのだから、まあ『上下がない』というのは、それほど外れていないと思う。
その那智さんにも例外はある。
それは、お酒が入ったとき。
いきなり饒舌。
ちょっとハイテンションで。
『りんっ子ちゃ〜ん♪』
普段、話題提供の9割はわたしがして、会話の8割がわたしがするのに、その割合が一気に崩れて、わたしが相づち担当に変わるのです。(あ、それでも、自分のことを話しまくるという感じでもないな、相変わらず自分のことはあまり話さない人)
はじめのうちは、ちょっと戸惑いましたけど、最近は慣れたもので。
『那智さん、お酒飲んでます?』
『あったり〜♪』
『はいはい、酔っぱらいさんですね』
と、上手にあしらえるようになってきた。
ハイテンションと同時に、あまあまモードにもなる。
普段、わたしを褒めるときでも、『ここが、こう良かったから、偉かったね』みたいに冷静な解説のもとに褒めてくれるのだけど。
酔っぱらいさんのときは、違う。
例えば、何か那智さんを気遣う行為をしたとして。
しらふのときだったら。
『ありがとう』のひと言なのに。
お酒が入っていると。
『ありがとう。りん子は偉いね〜。気が利くし、優しいし、素直だし。俺が喜べば一緒に喜んでくれるし、俺のことをよく考えてくれるよね。その共感ということでは、俺のほうがりん子に負けているね。』
なんて、いっぱいおまけを付けてくれるのだ。
こんなとき『お酒飲んでます?』と聞く。
そうすると『あったり〜♪』と必ず返ってくるのです。
那智さん自身も、この自分の変化が面白いらしく、最近では開き直っているところもあるみたい^^;
ハイテンションもあまあまモードも、楽しいにおまけ付きなのでたまには嬉しい。
ところが困ってしまうことがふたつあって。
ひとつは、突然無理なことを言い出すのだ。
『いまから、来いよ〜』とか『早く来てマッサージしろよ〜』などなど。
無理を承知で、それを口にしてしまうこと自体を楽しんでいる感じだ。
だから、わたしも笑って『無理ですよ』と返す。
まあ、そこから『なぜ無理か』とか、話は枝葉が分かれ、そのやり取りを楽しんでいるところもあるので、苦笑しながら困ったな〜という感じ。
もうひとつ、困ることは。
電車で寝ちゃうの。
で、ほぼ寝過ごすの。
すごいときなどは、行ったり来たり^^;
だから、わたしは頼まれもしないのに、那智さんが電車を降りる時間を見計らって、電話やメールで『起きてコール』を入れるのだ。
もう一度言うけど、頼まれていない、那智さん自身は寝過ごしても『まあ、しょうがないな〜』程度にしか思っていないので、わたしが勝手にヤキモキしているだけなんだけど。
那智さんと同化願望があるわたしは『いつでも那智さん快適』でいてほしいと、ヤキモキしてしまうのだ。
頼まれもしないのに、ひとりで困ってるわけです。
ちなみに、『起きてコール』の効果はほとんどなく、ただ山のような着信履歴と受信履歴が残るだけ^^;
ある日のこと。
このふたつの困ることが同時に起きたことがあった。
ああ、くだらないお話なんだけど、なんだか長くなっちゃった。
ふたつの困ることのお話は続きにさせてくださいませ!!