雄叫び〜!!
独り言
那智さんの電話でわたしの『◎×▲#』や『$$$$〜〜〜』を聞いたりすると、ひねくれたわたしはこう思う。
その声、心底そう思って出してる?
って。
まったく可愛げないのだけど、わたしは自己陶酔を嫌ってるところがあって、ついそんなふうに思ってしまうのだ。
自分の、理性の箍を外してしまえることに疑いを持ってしまうのだ。
だって、人ってそんなに簡単に『◎×▲#』で『$$$$〜〜〜』になんてなる?
ちょっと喘ぐなんてどころじゃない、すでに雄叫びに近い声を上げるほどの快感なんて、そんな簡単に手に入るもの?
え〜、りん子、それって自己陶酔じゃないの〜。
気持ちを高揚させるために演技してない〜?
だって、雄叫びよ?
『あはん』とか『うふん』くらいなら、普通に出てしまうと思うけど、雄叫びよ?(あはは、気に入っちゃった>雄叫び*^^*)
作んないと出せないでしょ〜。
だって、似たようなことをカラオケでしても、とりあえず声抑えられるでしょ?
多少出てしまうかもしれないけど、雄叫びにはならないようにできてるもの。
ほら、やっぱり演技してる。
『◎×▲#』や『$$$$〜〜〜』を聞きながら。
那智さん、それ演技してるんじゃありません?わたし〜。
過去自分にヤキモチも相まって、ちょっと生意気なわたし。
でも、ふと、立ち止まる…。
んん?
演技なら、もっと可愛い声を出すはずだ…。
演技するなら、AVなどで見かけるような『あ』とか『う」とかの可愛い組み合わせにするはずだ。
なにも好きな人の前で好き好んで雄叫び上げないよね^^;
ということは、あれは演技じゃない。
そう思ってすぐこの考えを打ち消し、話題を変える。
このまりん子の話題を広げたら『じゃあ、カラオケでも路上でも雄叫び上げざるを得ないようにしてあげよう〜か〜』に発展してしまう!!
何度も墓穴を掘っているので、少しは学習できるようになっているのだ^^
ということで、『◎×▲#』や『$$$$〜〜〜』は演技じゃありません。
でも、理性の箍を外す快感を知ってしまったから、外すためのジャンプになり、またそれによって更に高揚してしまう効果はあると思う。
まあ、そんな自分の雄叫びを客観的に分析する必要もないのですけど。
最近、カラオケで、ちょっと箍を外しそうになっていて、あそこで『◎×▲#』や『$$$$〜〜〜』にならない自信がなくなってきているのです。
だからこその分析^^
分析して傾向と対策。
対策練っても無駄な抵抗なのはわかってますけど^^;
でもって、分析しちゃう可愛げないわたし^^;
那智さんの電話でわたしの『◎×▲#』や『$$$$〜〜〜』を聞いたりすると、ひねくれたわたしはこう思う。
その声、心底そう思って出してる?
って。
まったく可愛げないのだけど、わたしは自己陶酔を嫌ってるところがあって、ついそんなふうに思ってしまうのだ。
自分の、理性の箍を外してしまえることに疑いを持ってしまうのだ。
だって、人ってそんなに簡単に『◎×▲#』で『$$$$〜〜〜』になんてなる?
ちょっと喘ぐなんてどころじゃない、すでに雄叫びに近い声を上げるほどの快感なんて、そんな簡単に手に入るもの?
え〜、りん子、それって自己陶酔じゃないの〜。
気持ちを高揚させるために演技してない〜?
だって、雄叫びよ?
『あはん』とか『うふん』くらいなら、普通に出てしまうと思うけど、雄叫びよ?(あはは、気に入っちゃった>雄叫び*^^*)
作んないと出せないでしょ〜。
だって、似たようなことをカラオケでしても、とりあえず声抑えられるでしょ?
多少出てしまうかもしれないけど、雄叫びにはならないようにできてるもの。
ほら、やっぱり演技してる。
『◎×▲#』や『$$$$〜〜〜』を聞きながら。
那智さん、それ演技してるんじゃありません?わたし〜。
過去自分にヤキモチも相まって、ちょっと生意気なわたし。
でも、ふと、立ち止まる…。
んん?
演技なら、もっと可愛い声を出すはずだ…。
演技するなら、AVなどで見かけるような『あ』とか『う」とかの可愛い組み合わせにするはずだ。
なにも好きな人の前で好き好んで雄叫び上げないよね^^;
ということは、あれは演技じゃない。
そう思ってすぐこの考えを打ち消し、話題を変える。
このまりん子の話題を広げたら『じゃあ、カラオケでも路上でも雄叫び上げざるを得ないようにしてあげよう〜か〜』に発展してしまう!!
何度も墓穴を掘っているので、少しは学習できるようになっているのだ^^
ということで、『◎×▲#』や『$$$$〜〜〜』は演技じゃありません。
でも、理性の箍を外す快感を知ってしまったから、外すためのジャンプになり、またそれによって更に高揚してしまう効果はあると思う。
まあ、そんな自分の雄叫びを客観的に分析する必要もないのですけど。
最近、カラオケで、ちょっと箍を外しそうになっていて、あそこで『◎×▲#』や『$$$$〜〜〜』にならない自信がなくなってきているのです。
だからこその分析^^
分析して傾向と対策。
対策練っても無駄な抵抗なのはわかってますけど^^;
でもって、分析しちゃう可愛げないわたし^^;
『たまたま』
独り言
那智語録というか那智イズムというか、那智さんの言葉や考え方はずいぶんとわたしを助けてくれている。
成熟した人が聞いたら当たり前のことかもしれないけど、言葉にしてもらえるということは心に染みていきやすい。
まあ、これも相性があると思うので、すべてがすべてに当てはまるとは思っていませんが。
わたしには合っているようで比較的すんなりと受け入れることができているんだ。
たくさんあるうちのひとつを今日は披露します^^
付き合ってまだ間もない頃だったと思う。
那智さんのお仕事の都合でお休みが合わない時が続いたことがあった。
今週もダメ、来週も無理みたい、お仕事場にちょっと寄ることはできても、ゆっくり会える予定が立たない。
また、こんな時もあった。
たまたま予定が立て込んでいてお話しできない夜が連続した。
いまでも充分コミュニケーションは取ってくれているけど、付き合いはじめの頃はちょっと狂ったような繋がり方を欲していたので、お話しできない夜はかなりの痛手だったのだ。(『尊敬』の辺り^^)
こういうとき、少し、ううんいっぱい淋しいと思う。
次はいつ会えるの?
お話しできる夜は来るの?
そんなわたしに那智さんはこう言う。
たまたまだ。
長く続くりん子との付き合いの中で『たまたま』都合が悪いことが重なっているだけ。
それを抜け出せれば、また元の状態に戻る。
たまたま、いまはそういう時だと思えばいい。
じゃあ、それが何週間も続いても?
そう、たまたま何週間か続いているだけ。
俺もりん子も会いたいと思っているのだから、いつかは必ず来るよ。
永遠なんてないと思うけど。
那智さんの続けていくという意志が、長い『たまたま』も次のための時間と思えるようになっていった。
ブログでも何回か書いているけど。
那智さんとわたしはある時期まったくお休みが合わないことがあった。(『ノロケとトホホなお話』)
会える方法といえば、わたしが片道2時間かけてランチに行くということだけ。
お仕事場からファミレスまでの移動時間を考慮したら、一緒にいられるのはせいぜい50分間。
わたしは、那智さんに会いたい一心で、50分間のために往復4時間の道のりを通ったものだ。
その状況がいつまで続くのか、まったくわからなかった。
無期限の『たまたま』だったわけです。
それでも仕事帰りにすごい遠回りをしてわたしの家の近くまでこっそり来てくれる那智さんに、感謝の気持ちでその無期限の『たまたま』を過ごした。
結局一年と数ヶ月、それは続いた。
過ぎてしまえば、長いような短いような一年数ヶ月だったけど。
思い出しても、せつなく必死な一年数ヶ月だった。
いま、お休みを自分でコントロールできる立場になって、その頃からは想像できないくらい会えているけど、よく頑張ったな〜と那智さんに感謝で自分にエラい!!と言っちゃう^^
ただ、やはり那智さんのその考え方をずっと前から教わっていたから、せつないながらもなんとかやっていかれたのかなと思うのだ。
お互いに継続したいという思いがあれば、どんなに長くてもそれは『たまたま』で、いつかきっとそれは終わると信じていられたのですね。
こんなふうに、那智さんの言葉はわたしをたくさん助けてくれる。
何かうまくいかなかったとき。
うまくいくように努力することは必要だけど。
たまたまだと思う。
何回かの成功と何回かの失敗の、失敗がたまたまいまなんだ。
だから、必要以上に自分を責めることはせず、次に繋げようと思えるようになっている。(練習中^^)
那智さんとのこと以外でも、この思考は気持ちを楽にしてくれて一歩踏み出す力になっている。
大変なことがあっても、きっとそれは『たまたま』。
長い人生の、ほんの一時の『たまたま』なんだ。
この先も人生は続くと考えれば、それは取るに足らない出来事になる。
…、なぜ、こんな教訓めいたことを言っているかというと…。
いまわたし、子供や地域関係で役員というのをたまたま3つ引き受けている^^;
順番だったりやる人がいなかったりで、たまたま重なったのだ。
ちょっと大変なんだけど。
たまたま3つ重なっただけ。
長い人生のほんの一部の『たまたま』なんだ。
この先も人生は続くと思えば、たかが一年、それは取るに足らないものになる、はず(笑)
人生を、関係を、これからも継続させたいという気持ち、それがわかっていれば『たまたま』は取るに足らないものになる^^
そんなふうに那智さんの言葉を染み込ませて、3つ重なる役員をこなそうと思う、わたしでした^^
でもって、いまはGW。
『たまたま』那智さんに会えない期間、なだけ^^
大事なことは、人生も、関係も、これからも続けていくって思うこと、だよね^^
那智語録というか那智イズムというか、那智さんの言葉や考え方はずいぶんとわたしを助けてくれている。
成熟した人が聞いたら当たり前のことかもしれないけど、言葉にしてもらえるということは心に染みていきやすい。
まあ、これも相性があると思うので、すべてがすべてに当てはまるとは思っていませんが。
わたしには合っているようで比較的すんなりと受け入れることができているんだ。
たくさんあるうちのひとつを今日は披露します^^
付き合ってまだ間もない頃だったと思う。
那智さんのお仕事の都合でお休みが合わない時が続いたことがあった。
今週もダメ、来週も無理みたい、お仕事場にちょっと寄ることはできても、ゆっくり会える予定が立たない。
また、こんな時もあった。
たまたま予定が立て込んでいてお話しできない夜が連続した。
いまでも充分コミュニケーションは取ってくれているけど、付き合いはじめの頃はちょっと狂ったような繋がり方を欲していたので、お話しできない夜はかなりの痛手だったのだ。(『尊敬』の辺り^^)
こういうとき、少し、ううんいっぱい淋しいと思う。
次はいつ会えるの?
お話しできる夜は来るの?
そんなわたしに那智さんはこう言う。
たまたまだ。
長く続くりん子との付き合いの中で『たまたま』都合が悪いことが重なっているだけ。
それを抜け出せれば、また元の状態に戻る。
たまたま、いまはそういう時だと思えばいい。
じゃあ、それが何週間も続いても?
そう、たまたま何週間か続いているだけ。
俺もりん子も会いたいと思っているのだから、いつかは必ず来るよ。
永遠なんてないと思うけど。
那智さんの続けていくという意志が、長い『たまたま』も次のための時間と思えるようになっていった。
ブログでも何回か書いているけど。
那智さんとわたしはある時期まったくお休みが合わないことがあった。(『ノロケとトホホなお話』)
会える方法といえば、わたしが片道2時間かけてランチに行くということだけ。
お仕事場からファミレスまでの移動時間を考慮したら、一緒にいられるのはせいぜい50分間。
わたしは、那智さんに会いたい一心で、50分間のために往復4時間の道のりを通ったものだ。
その状況がいつまで続くのか、まったくわからなかった。
無期限の『たまたま』だったわけです。
それでも仕事帰りにすごい遠回りをしてわたしの家の近くまでこっそり来てくれる那智さんに、感謝の気持ちでその無期限の『たまたま』を過ごした。
結局一年と数ヶ月、それは続いた。
過ぎてしまえば、長いような短いような一年数ヶ月だったけど。
思い出しても、せつなく必死な一年数ヶ月だった。
いま、お休みを自分でコントロールできる立場になって、その頃からは想像できないくらい会えているけど、よく頑張ったな〜と那智さんに感謝で自分にエラい!!と言っちゃう^^
ただ、やはり那智さんのその考え方をずっと前から教わっていたから、せつないながらもなんとかやっていかれたのかなと思うのだ。
お互いに継続したいという思いがあれば、どんなに長くてもそれは『たまたま』で、いつかきっとそれは終わると信じていられたのですね。
こんなふうに、那智さんの言葉はわたしをたくさん助けてくれる。
何かうまくいかなかったとき。
うまくいくように努力することは必要だけど。
たまたまだと思う。
何回かの成功と何回かの失敗の、失敗がたまたまいまなんだ。
だから、必要以上に自分を責めることはせず、次に繋げようと思えるようになっている。(練習中^^)
那智さんとのこと以外でも、この思考は気持ちを楽にしてくれて一歩踏み出す力になっている。
大変なことがあっても、きっとそれは『たまたま』。
長い人生の、ほんの一時の『たまたま』なんだ。
この先も人生は続くと考えれば、それは取るに足らない出来事になる。
…、なぜ、こんな教訓めいたことを言っているかというと…。
いまわたし、子供や地域関係で役員というのをたまたま3つ引き受けている^^;
順番だったりやる人がいなかったりで、たまたま重なったのだ。
ちょっと大変なんだけど。
たまたま3つ重なっただけ。
長い人生のほんの一部の『たまたま』なんだ。
この先も人生は続くと思えば、たかが一年、それは取るに足らないものになる、はず(笑)
人生を、関係を、これからも継続させたいという気持ち、それがわかっていれば『たまたま』は取るに足らないものになる^^
そんなふうに那智さんの言葉を染み込ませて、3つ重なる役員をこなそうと思う、わたしでした^^
でもって、いまはGW。
『たまたま』那智さんに会えない期間、なだけ^^
大事なことは、人生も、関係も、これからも続けていくって思うこと、だよね^^
指
非日常的な日常
ここ2回、カラオケデートだった。
何回か通っているカラオケボックスなんだけど、はじめて通されるフロアで、部屋の感じが違っていた。
なんかキレイだった。
ソファも照明も小洒落てて、小さなラブホテルみたいだった。
なんで、いままでこのフロアに通してくれなかったんだろ?(笑)
その雰囲気の違いのせいだろうか、それとも別のなにかのせいだろうか、この日のわたしは少し違った。
カラオケデートは久しぶりだ。
何度同じことを繰り返しても、男女ふたりが昼間の一時間だけカラオケを利用する(ときには女性だけが先にチェックインしている)違和感に慣れることができない。
絶対、変だもの。
ランチ休憩で利用する人はいるかもしれないけど、いい年した男女ふたりっていうのがね、なんかしますと言わんばかりで^^;
いつまでたっても慣れない。
飲み物が来て、ランチをささっと食べて。
壁側に座っていた那智さんが立ち上がり、そこにわたしを移動させる。
壁ギリギリに腰掛けて、その壁沿いにあるガラスの扉から死角になるように精一杯の努力。
誰かに見られたら困る。
恥ずかしいことで感じるらしいわたしだけど、恥ずかしいことは決して歓迎しているわけじゃないのだもの。
(『羞恥系の葛藤』)
だけど。
那智さんの手がワンピースの裾に伸びると、それに応えるように体をずらしてしまう。
その状況も、そうする自分も恥ずかしいくせに。
下着に指が入る。
ああ、気持ちいい。
ソファに座るわたしの前に那智さんが立っているから、ドアの外からは那智さんの背中が見えるだけだよね。
よーく見たら開いた足が覗いているかもしれないけど、不自然ではあるけど大丈夫だよね。
そう思うと、少し気持ちが楽になる。
クリトリスを触られる、強く。
痛いくらいだ。
体がビクンッと跳ね上がる。
わたしがわたしを触るときとは全然違うやり方だ。
自分の気持ちいいやり方は自分が一番よく知っているはずで、こんな痛いやり方は気持ちよくないはずなんだ。
だけど、体が跳ね上がる。
ビクビクと痙攣しているようだ。
ああ、おまんこにほしいと思う。
わたしは元々クリトリスが気持ちいい人で、おまんこの中はそれほどでもなかった。
自慰をするときも中に指を入れるのが怖くてほとんどしたことがないくらい。
たまーに(いままで数回くらい)那智さんの指示で入れたことはあるけど、普通に気持ちいいだけで、次も自発的に入れたいとは思わなかった。
だけど那智さんの指だと気持ちいいの。
無遠慮に浸食するあの指にかき回してほしいと。
クリトリスよりも気持ちいいのではないかと思うくらい。
早く、早く、入れてほしい。
クリトリスの強い刺激に体を震わせながら、両方ほしいと思ってしまう。
声は、抑えられている。
時々大きな吐息が漏れるくらいで、あとは小さな声を漏らすくらいで治まっているはずだ。
指が。
乱暴に入ってきた。
かき回す。
「ああ!!」
ボリュームのレベルを一気に上げたみたいに、勝手に声を上げてしまった。
ダメ!!
カラオケの歌声じゃないそれは、外に響いたらバレちゃう。
理性で抑える。
だけど、気持ちいいことをやめられない。
かき回す那智さんの指に、もっともっとと腰を押し付けている自分がわかる。
だめだよ、りん子、そんなことしたら、もっと声が出ちゃうじゃない。
理性と気持ちいいが戦っているみたい。
那智さんの指は容赦ない。
かき回し、押し込み、突く。
他人の体にしているとは思えないほどの乱暴さだ。
普通もうちょっと遠慮するよね…^^;と思う。
「$$!!」
(『『◎×▲#』で『$$$$〜〜〜』『雄叫び〜』参照してね)
また。
カラオケで出したことのないような声が出てしまう。
抑える。
ああ、でも、抑えるの辛いです、那智さん。
こんなこと気にせずに声を出せるところに行きたい。
こんなところ、いや。
「誰か来るかもね」
だめ!!
誰か来たら、やめて!!
だから、やなの、ふたりきりがいいの。
だけど、その言葉は、わたしを落とす。
ああ、気持ちいい。
誰か来てもいいかも。
ううん、誰かに見てほしいのかもしれない。
誰かに見られることは怖いけど、誰かに見られるという想像は感じる。
で、きっと誰かが来たら那智さんがなんとかしてくれるはずだ。
那智さんの言葉は、理性の箍を外す。
指はスイッチだ。
「$$$!!」
声、出ちゃう。
指が抜かれた。
ああ、これで理性と本能の間で苦しまずにすむ。
だけど、とてもとても残念、悲しいくらい残念。
今度は胸に手が移動する。
おまんこと同様に、乳首もものすごく感じるようになってしまっている。
もしかしたら、クリトリスよりも気持ちいいかもしれないくらいだ。
で、これも、那智さんのやり方じゃないとだめなんだ。
試しに自分で触ってみたことはあるけど、全然違う。
あの指がいい。
「あ、ワンピースだね」
首とウエストが詰まったワンピだったので、指を侵入させることができないのだ。
だめ、触ってくれなきゃ。
気持ちよくて、理性の箍が外れかけたわたしは、気持ち良くなることを我慢できない。
「これならできます…」
いそいそとジャケットを脱ぎワンピースの横にファスナーを下ろす、自分で。
お願いします、ここを下ろせば触れますから、触ってください。
情けないその自分の姿に嫌悪感が湧く。
でも、それと同時に、そんなふうに那智さんの前で本能に身を任せることができるようになって、よかったねとも思うのだ。
強く愛撫され。
強く摘まれ。
強く握り潰される。
声を出さずに頑張っているつもりでいるけど、もう、ちょっと自信がない。
那智さんの指とやり方で、こんなにも感じるようになってしまった。
そして、気持ちいいことに理性が負けてしまうことを、那智さんの前で許せるようになってしまってきている。
とても、怖い。
わたしは、いつの日にか。
那智さんの指で那智さんのやり方で気持ちよくしてあげるよと言われたら、どこででも体を差し出すようになってしまうのではないかと、恐れている。
そんなことを想像させる2回のカラオケデートだった。
ここ2回、カラオケデートだった。
何回か通っているカラオケボックスなんだけど、はじめて通されるフロアで、部屋の感じが違っていた。
なんかキレイだった。
ソファも照明も小洒落てて、小さなラブホテルみたいだった。
なんで、いままでこのフロアに通してくれなかったんだろ?(笑)
その雰囲気の違いのせいだろうか、それとも別のなにかのせいだろうか、この日のわたしは少し違った。
カラオケデートは久しぶりだ。
何度同じことを繰り返しても、男女ふたりが昼間の一時間だけカラオケを利用する(ときには女性だけが先にチェックインしている)違和感に慣れることができない。
絶対、変だもの。
ランチ休憩で利用する人はいるかもしれないけど、いい年した男女ふたりっていうのがね、なんかしますと言わんばかりで^^;
いつまでたっても慣れない。
飲み物が来て、ランチをささっと食べて。
壁側に座っていた那智さんが立ち上がり、そこにわたしを移動させる。
壁ギリギリに腰掛けて、その壁沿いにあるガラスの扉から死角になるように精一杯の努力。
誰かに見られたら困る。
恥ずかしいことで感じるらしいわたしだけど、恥ずかしいことは決して歓迎しているわけじゃないのだもの。
(『羞恥系の葛藤』)
だけど。
那智さんの手がワンピースの裾に伸びると、それに応えるように体をずらしてしまう。
その状況も、そうする自分も恥ずかしいくせに。
下着に指が入る。
ああ、気持ちいい。
ソファに座るわたしの前に那智さんが立っているから、ドアの外からは那智さんの背中が見えるだけだよね。
よーく見たら開いた足が覗いているかもしれないけど、不自然ではあるけど大丈夫だよね。
そう思うと、少し気持ちが楽になる。
クリトリスを触られる、強く。
痛いくらいだ。
体がビクンッと跳ね上がる。
わたしがわたしを触るときとは全然違うやり方だ。
自分の気持ちいいやり方は自分が一番よく知っているはずで、こんな痛いやり方は気持ちよくないはずなんだ。
だけど、体が跳ね上がる。
ビクビクと痙攣しているようだ。
ああ、おまんこにほしいと思う。
わたしは元々クリトリスが気持ちいい人で、おまんこの中はそれほどでもなかった。
自慰をするときも中に指を入れるのが怖くてほとんどしたことがないくらい。
たまーに(いままで数回くらい)那智さんの指示で入れたことはあるけど、普通に気持ちいいだけで、次も自発的に入れたいとは思わなかった。
だけど那智さんの指だと気持ちいいの。
無遠慮に浸食するあの指にかき回してほしいと。
クリトリスよりも気持ちいいのではないかと思うくらい。
早く、早く、入れてほしい。
クリトリスの強い刺激に体を震わせながら、両方ほしいと思ってしまう。
声は、抑えられている。
時々大きな吐息が漏れるくらいで、あとは小さな声を漏らすくらいで治まっているはずだ。
指が。
乱暴に入ってきた。
かき回す。
「ああ!!」
ボリュームのレベルを一気に上げたみたいに、勝手に声を上げてしまった。
ダメ!!
カラオケの歌声じゃないそれは、外に響いたらバレちゃう。
理性で抑える。
だけど、気持ちいいことをやめられない。
かき回す那智さんの指に、もっともっとと腰を押し付けている自分がわかる。
だめだよ、りん子、そんなことしたら、もっと声が出ちゃうじゃない。
理性と気持ちいいが戦っているみたい。
那智さんの指は容赦ない。
かき回し、押し込み、突く。
他人の体にしているとは思えないほどの乱暴さだ。
普通もうちょっと遠慮するよね…^^;と思う。
「$$!!」
(『『◎×▲#』で『$$$$〜〜〜』『雄叫び〜』参照してね)
また。
カラオケで出したことのないような声が出てしまう。
抑える。
ああ、でも、抑えるの辛いです、那智さん。
こんなこと気にせずに声を出せるところに行きたい。
こんなところ、いや。
「誰か来るかもね」
だめ!!
誰か来たら、やめて!!
だから、やなの、ふたりきりがいいの。
だけど、その言葉は、わたしを落とす。
ああ、気持ちいい。
誰か来てもいいかも。
ううん、誰かに見てほしいのかもしれない。
誰かに見られることは怖いけど、誰かに見られるという想像は感じる。
で、きっと誰かが来たら那智さんがなんとかしてくれるはずだ。
那智さんの言葉は、理性の箍を外す。
指はスイッチだ。
「$$$!!」
声、出ちゃう。
指が抜かれた。
ああ、これで理性と本能の間で苦しまずにすむ。
だけど、とてもとても残念、悲しいくらい残念。
今度は胸に手が移動する。
おまんこと同様に、乳首もものすごく感じるようになってしまっている。
もしかしたら、クリトリスよりも気持ちいいかもしれないくらいだ。
で、これも、那智さんのやり方じゃないとだめなんだ。
試しに自分で触ってみたことはあるけど、全然違う。
あの指がいい。
「あ、ワンピースだね」
首とウエストが詰まったワンピだったので、指を侵入させることができないのだ。
だめ、触ってくれなきゃ。
気持ちよくて、理性の箍が外れかけたわたしは、気持ち良くなることを我慢できない。
「これならできます…」
いそいそとジャケットを脱ぎワンピースの横にファスナーを下ろす、自分で。
お願いします、ここを下ろせば触れますから、触ってください。
情けないその自分の姿に嫌悪感が湧く。
でも、それと同時に、そんなふうに那智さんの前で本能に身を任せることができるようになって、よかったねとも思うのだ。
強く愛撫され。
強く摘まれ。
強く握り潰される。
声を出さずに頑張っているつもりでいるけど、もう、ちょっと自信がない。
那智さんの指とやり方で、こんなにも感じるようになってしまった。
そして、気持ちいいことに理性が負けてしまうことを、那智さんの前で許せるようになってしまってきている。
とても、怖い。
わたしは、いつの日にか。
那智さんの指で那智さんのやり方で気持ちよくしてあげるよと言われたら、どこででも体を差し出すようになってしまうのではないかと、恐れている。
そんなことを想像させる2回のカラオケデートだった。
トランジスタ・ラジオ
独り言
私が中学生だったころは、多分いまの中学生よりもずっと『中学生がとても中学生らしい』時代だったはずだ。
指定の制服に指定のソックスを規定の範囲内で着崩す程度、おしゃれはジャージの裾を折るくらい^^;
ちょっとおしゃれな子は白の体操着の代わりにアディダスの白いTシャツなんかを着ていたけど、一部の不良の子以外は大きく規定から外れるような空気はほとんどなかった。
その不良も小学生の頃から知ってる子だったりするので、どんなに剃り込みを入れてても全然怖くない^^
だって、半ズボンにタイツ履いてた頃を知ってるんだもん。
でもって、むこうも小学校からのあだ名でわたしを呼んだりするから、なんとも和やかな時代だった。
インターネットも携帯もなく。
毎日学校と家の往復。
たまに出かけるのはひと駅先の大型スーパーか映画館。
数駅乗って繁華街に出かけるのは、もう大イベントだった。
友達と部活と金八先生とザ・ベストテンが日常のほとんどを締めているような時代。
世界はとても狭かった。
世界は広いことは知っている。
知らないことが溢れていることも知っている。
その広い世界に憧れを抱くことはあるけれど、それは憧れ止まり。
マンガや洋画や芸能界のような極端に遠い世界への憧れと、自分を取り巻く最狭の日常が、世界のすべてのような。
隣りにも、違う町にも、同じような日常が流れ、その中で生きている人がいることも常識としては知っていても、それにはまったく興味もなく、知らないものは知らないままでよかった。
だから、とても狭い世界だった。
人が成長することのひとつは、この自分を取り巻く世界の幅が一歩ずつ広がっていくことでもあると思う。
環境が広がれば、考え方や生きる選択肢も広がる。
ベビーベッドから公園、幼稚園から小学校。
小学校から中学校。
そして、中学校から高校。
メガネをコンタクトレンズに変えたのと同じように、また一歩世界の半径が広がったように感じたときだった。
アルバイトをはじめて、大学生という大人に触れた。
駅や地名は知っていたけど、そこから通う人というのを実際に知った。
当たり前のことだけど、常識として『存在している』と知っていることよりも、実際に触れるほうがずっと自分の世界になる。
学校帰りに友達のバイトしてるファーストフードに寄り道して夕方までおしゃべりしたり。
バイト代で流行の洋服を買いに繁華街まで出かけたり。
行動範囲が広がっただけじゃなくて、そこから生まれる新しい感情とともに、メキメキと自分を世界が広がっていくようだった。
高校に入ってはじめての夏。
クラスの『不良』の男の子と付き合った。
他の不良とは少し違う子だった。
髪を染めるわけでもなく、まわりを威嚇するようなこともなく、むしろ冗談を言ってクラスを笑わせるような子だった。
ただ、ときどき授業に来なくなることと、『あいつはケンカをしたら、とても強い』というウワサが、彼を『不良』っぽく感じさせていた。
はじめてお付き合いする男の子の部屋に入った。
そこではじめてタバコを吸う同学年の男の子を見た。
その子はウイスキーを飲んでいた。(まあ、今思えば可愛らしいけどね^^;)
不良のくせにキスをするのにすごーく時間がかかって、二度目のキスはわたしからした。
それ以上進むことはなく、ただじっと抱き合っていた。
その部屋ではじめて聴いた『トランジスタ・ラジオ』。
授業をサボって 陽のあたる場所にいたんだよ
寝ころんでたのさ 屋上で タバコのけむりとてもあおくて
内ポケットにいつもの トランジスタ・ラジオ
彼女 教科書ひろげてる時 ほっとナンバー 空に溶けてった
こんな気持ち Ah うまく言えたことがない NAI AI AI
○○くんみたいだね〜。
サボってタバコ吸って。
で、わたしは、ちゃんと教科書広げてて。
わたしが彼の部屋で聴いたときはこれが発売されてから数年経っていたはずなんだけど、どうして彼が好きだったのかは知らない。
当時、RCサクセションや忌野清志郎さんを知っていたのかはっきり覚えていないのだけど。
彼の部屋で聴いたこの『トランジスタ・ラジオ』が。
ああ、わたしの知らないことはたくさんあって、だけど、いま、ちょっとだけ自分の世界が広がってるところだな〜と、強く感じさせてくれたようだった。
こんなに明確に言語化できていたわけじゃないけどね、サビの『君の知らない メロディー きいたことのないヒット曲』という歌詞を聴いたとき、『わたしの知らないことはたくさんあるな』と感じた記憶はあるんだ。
それから、別段忌野清志郎さんのファンになるわけでもなく。
ライブはおろか、アルバムさえ手にしたことがないほどの無視っぷりだったんだけど(笑)
ときどき、ニュースで話題になったりCMで歌声が流れたりすると、あの『世界が広がる』感覚を思い出し、ワクワクするようなでも不安なような、青い気持ちが蘇ったりしていた。
(あの頃いやな思いもしたので、ワクワクばかりじゃなかったんだよね『職業選択(前振り1)』の頃)
なんとなく忌野清志郎さんは常にわたしの世界の外側にいて、視界のすみで捉えているような人だったかもしれない。
まだ、外側があるって。
ほんとに、まったくファンでもないし、ほとんどわたしの生活には無縁のアーチストだったけど(笑)
訃報を聞いて、『あ、淋しい』と思ってしまった。
それは、実はわたしの視界のすみに彼がいたということだったのだと思うのだ。
多分彼以外にもわたしの世界の外側を走ってて、『世界は広がる』ことを感じさせてくれる人や物はたくさんあると思うのだけど、彼はそのひとりだったんだよね。
それは、なくなってはじめて気づくものだったのです。
そうかぁ、そういう淋しさもあるんだな〜と、ちょっと身が引き締まる思いになった。
なくなったら困る人やものは自覚できている。
『那智さんがいなくなっちゃったら』なんて、何度もシミュレーションして覚悟を決めているもの^^;(『生きてる(笑)』)
そういう自覚できているものは、日々大切にしようと心がけることができるよね。
(失敗することもあるけど)
だけど、わたしには、視界のすみにいてなくなってはじめて『淋しい』と感じることが、あとどれくらいあるのかと思うと、どうしたもんかと思う。
わかっていれば大切にできるけど、わかっていなければ、大切にしようがないではないか。
そんなふうに、かるーく途方に暮れてしまった。
でも、気を取り直し^^それはイコール、『視界のすみにそういう存在もあるぞ』と教えてもらったと感謝して。
いままでファンでもなんでもなく無視してしまっていたことを詫びつつ。
忌野清志郎さんのご冥福をお祈りしようと思うのでした。
ということで。
わたしができることはいま目の前にある大切なものを後悔しないように大切にすること。
気持ちを新しく洗濯して。
みんな〜、愛し合ってるか〜い^^
那智さん、愛してま〜す^^
『たまたま』のGWも終了して、通常営業。
GW中もコメント・拍手・拍手コメントありがとうございました。
感謝の気持ちで、りん子らしい『長くて、熱ーい』エントリーでした^^
あとで
YouTubeで『トランジスタ・ラジオ』聴こ〜♪
私が中学生だったころは、多分いまの中学生よりもずっと『中学生がとても中学生らしい』時代だったはずだ。
指定の制服に指定のソックスを規定の範囲内で着崩す程度、おしゃれはジャージの裾を折るくらい^^;
ちょっとおしゃれな子は白の体操着の代わりにアディダスの白いTシャツなんかを着ていたけど、一部の不良の子以外は大きく規定から外れるような空気はほとんどなかった。
その不良も小学生の頃から知ってる子だったりするので、どんなに剃り込みを入れてても全然怖くない^^
だって、半ズボンにタイツ履いてた頃を知ってるんだもん。
でもって、むこうも小学校からのあだ名でわたしを呼んだりするから、なんとも和やかな時代だった。
インターネットも携帯もなく。
毎日学校と家の往復。
たまに出かけるのはひと駅先の大型スーパーか映画館。
数駅乗って繁華街に出かけるのは、もう大イベントだった。
友達と部活と金八先生とザ・ベストテンが日常のほとんどを締めているような時代。
世界はとても狭かった。
世界は広いことは知っている。
知らないことが溢れていることも知っている。
その広い世界に憧れを抱くことはあるけれど、それは憧れ止まり。
マンガや洋画や芸能界のような極端に遠い世界への憧れと、自分を取り巻く最狭の日常が、世界のすべてのような。
隣りにも、違う町にも、同じような日常が流れ、その中で生きている人がいることも常識としては知っていても、それにはまったく興味もなく、知らないものは知らないままでよかった。
だから、とても狭い世界だった。
人が成長することのひとつは、この自分を取り巻く世界の幅が一歩ずつ広がっていくことでもあると思う。
環境が広がれば、考え方や生きる選択肢も広がる。
ベビーベッドから公園、幼稚園から小学校。
小学校から中学校。
そして、中学校から高校。
メガネをコンタクトレンズに変えたのと同じように、また一歩世界の半径が広がったように感じたときだった。
アルバイトをはじめて、大学生という大人に触れた。
駅や地名は知っていたけど、そこから通う人というのを実際に知った。
当たり前のことだけど、常識として『存在している』と知っていることよりも、実際に触れるほうがずっと自分の世界になる。
学校帰りに友達のバイトしてるファーストフードに寄り道して夕方までおしゃべりしたり。
バイト代で流行の洋服を買いに繁華街まで出かけたり。
行動範囲が広がっただけじゃなくて、そこから生まれる新しい感情とともに、メキメキと自分を世界が広がっていくようだった。
高校に入ってはじめての夏。
クラスの『不良』の男の子と付き合った。
他の不良とは少し違う子だった。
髪を染めるわけでもなく、まわりを威嚇するようなこともなく、むしろ冗談を言ってクラスを笑わせるような子だった。
ただ、ときどき授業に来なくなることと、『あいつはケンカをしたら、とても強い』というウワサが、彼を『不良』っぽく感じさせていた。
はじめてお付き合いする男の子の部屋に入った。
そこではじめてタバコを吸う同学年の男の子を見た。
その子はウイスキーを飲んでいた。(まあ、今思えば可愛らしいけどね^^;)
不良のくせにキスをするのにすごーく時間がかかって、二度目のキスはわたしからした。
それ以上進むことはなく、ただじっと抱き合っていた。
その部屋ではじめて聴いた『トランジスタ・ラジオ』。
授業をサボって 陽のあたる場所にいたんだよ
寝ころんでたのさ 屋上で タバコのけむりとてもあおくて
内ポケットにいつもの トランジスタ・ラジオ
彼女 教科書ひろげてる時 ほっとナンバー 空に溶けてった
こんな気持ち Ah うまく言えたことがない NAI AI AI
○○くんみたいだね〜。
サボってタバコ吸って。
で、わたしは、ちゃんと教科書広げてて。
わたしが彼の部屋で聴いたときはこれが発売されてから数年経っていたはずなんだけど、どうして彼が好きだったのかは知らない。
当時、RCサクセションや忌野清志郎さんを知っていたのかはっきり覚えていないのだけど。
彼の部屋で聴いたこの『トランジスタ・ラジオ』が。
ああ、わたしの知らないことはたくさんあって、だけど、いま、ちょっとだけ自分の世界が広がってるところだな〜と、強く感じさせてくれたようだった。
こんなに明確に言語化できていたわけじゃないけどね、サビの『君の知らない メロディー きいたことのないヒット曲』という歌詞を聴いたとき、『わたしの知らないことはたくさんあるな』と感じた記憶はあるんだ。
それから、別段忌野清志郎さんのファンになるわけでもなく。
ライブはおろか、アルバムさえ手にしたことがないほどの無視っぷりだったんだけど(笑)
ときどき、ニュースで話題になったりCMで歌声が流れたりすると、あの『世界が広がる』感覚を思い出し、ワクワクするようなでも不安なような、青い気持ちが蘇ったりしていた。
(あの頃いやな思いもしたので、ワクワクばかりじゃなかったんだよね『職業選択(前振り1)』の頃)
なんとなく忌野清志郎さんは常にわたしの世界の外側にいて、視界のすみで捉えているような人だったかもしれない。
まだ、外側があるって。
ほんとに、まったくファンでもないし、ほとんどわたしの生活には無縁のアーチストだったけど(笑)
訃報を聞いて、『あ、淋しい』と思ってしまった。
それは、実はわたしの視界のすみに彼がいたということだったのだと思うのだ。
多分彼以外にもわたしの世界の外側を走ってて、『世界は広がる』ことを感じさせてくれる人や物はたくさんあると思うのだけど、彼はそのひとりだったんだよね。
それは、なくなってはじめて気づくものだったのです。
そうかぁ、そういう淋しさもあるんだな〜と、ちょっと身が引き締まる思いになった。
なくなったら困る人やものは自覚できている。
『那智さんがいなくなっちゃったら』なんて、何度もシミュレーションして覚悟を決めているもの^^;(『生きてる(笑)』)
そういう自覚できているものは、日々大切にしようと心がけることができるよね。
(失敗することもあるけど)
だけど、わたしには、視界のすみにいてなくなってはじめて『淋しい』と感じることが、あとどれくらいあるのかと思うと、どうしたもんかと思う。
わかっていれば大切にできるけど、わかっていなければ、大切にしようがないではないか。
そんなふうに、かるーく途方に暮れてしまった。
でも、気を取り直し^^それはイコール、『視界のすみにそういう存在もあるぞ』と教えてもらったと感謝して。
いままでファンでもなんでもなく無視してしまっていたことを詫びつつ。
忌野清志郎さんのご冥福をお祈りしようと思うのでした。
ということで。
わたしができることはいま目の前にある大切なものを後悔しないように大切にすること。
気持ちを新しく洗濯して。
みんな〜、愛し合ってるか〜い^^
那智さん、愛してま〜す^^
『たまたま』のGWも終了して、通常営業。
GW中もコメント・拍手・拍手コメントありがとうございました。
感謝の気持ちで、りん子らしい『長くて、熱ーい』エントリーでした^^
あとで
YouTubeで『トランジスタ・ラジオ』聴こ〜♪
だから私は嫌われる(笑)
独り言
多分男性には人気のないわたしのブログ^^;
ううん、いいの。
完全に女性目線で書いているし、それでも楽しいと思ってくださる男性がいてくれるだけでいいの。
たくさんの共感やご意見をくださる女性と希有な男性のバランスで成り立っているのは、わたしの書く内容からは必然なんだと思ってる。
書きたいことだけ書いているわたしにお付き合いくださる皆様に感謝しながら。
でも、ちょっと気になって男性からコメントがたくさんもらえてるM女さんブログをチェックしてみる^^;
と。
んんん?というコメントを時々見かけるのだ。
ああ、こんなこと書くとまた男性読者が減りそうな気がするけど…。
まあ、しょがない、気になってしまうので書いちゃお〜。
大半は良心的なコメントが占める中、時々『あれ?』と思うコメントに出くわす。
しかもそれは、書き手のM女さんの心のバランスが崩れたように見えるときに、特に現れる気がするのだ。
ご主人様にお叱りを受けたとかなかなかお会いできなくて淋しいとか、なんとなくそういう落ち込んでいるときにお見受けする印象。
えっと、いろんなところで目にしたものをごちゃ混ぜにしているので、具体的にどれ!!というのがあるわけじゃないのです。
イメージで言わせていただくことをお許しください。
『持論押しつけ』と『上から目線』
自身がポリシーがあるのはわかるのだけど、『奴隷とは』とか『主従とは』と持論を展開して、それ以外は邪道で認めないと言わんばかりの人。
最初は親切な感じだったとしても、M女さんが多少の反対意見を言おうものなら、彼女だけじゃなくご主人様まで非難する始末。
あなたの考えはわかるけど、それ以外も認める姿勢を持ちましょうよと思う。
イチ意見としてならいいけど、持論展開の押しつけは自分のブログですればいいよね。
(あはは、わたしなんてここで展開しまくり^^;)
あれはなんなんでしょうね、『おっしゃる通り』と言ってほしいのかな。
それともM女は反対意見を言わないものと思ってるのかな。
それとか、やたら『俺の物』扱いするコメントもある。
そのM女さんを呼び捨てにしたり、明らかに上から目線。
『○○(呼び捨て)、元気かな』なんて書き出しを見ると、あんたは何様だ〜と突っ込みたくなる。
例えば、公衆便所のようなことを名乗ってるM女さんだったとしても、呼び捨てにしていいのはその人のご主人様だけなんじゃないかな〜と思う。
もしかして、主宰しているご主人様とM女さんも『呼び捨てられる立場』を望んでいらっしゃったとしても、それに乗っかってしまうところに、わたしはセンスのなさを感じてしまうの。
仮に『呼び捨てられる立場』を望まれていたとしても、敢えて『さん付け』で呼ぶほうがカッコいい気がするのは、わたしだけ?
見ず知らずの人でも上から目線をされればM女は喜ぶと思っているのかしら?
でも、良くも悪くも男性に注目されているM女さんたちは皆さんとても可愛らしいのだ。
ご主人様のために、読者の方のために、とても心を砕いている。
だから、つい男性陣もひと言いいたくなっちゃうのかな。
それが時々こちらから見ると『?』と思ってしまうアプローチになっているのかもしれないね。
まあ、おおかたは良心的な人が集まっているわけで、一部の『持論押し付け』や『上から目線』は仕方がないのかな。
でも、
どんなに持論を展開していても。
どんなに俺の物呼ばわりしてても。
まあ基本的には『そういう人もいるよね』とスルーしてしまえるのだけど。
思わず腰砕けになってしまうのが。
心のバランスを崩しているように見えるM女さんに、親切を装って持論を展開したり、上から目線だったりのエラソーな感じの人が最後に。
『で、悲しいでしょうが、画像はまだですか?』
なーんて書いてあったりすると。
結局、画像かいっ!!
と、心の中で大きく突っ込んでしまう。
持論も上から目線も、一気に崩れ落ちる『画像催促』^^;
最初にエラそーだったり親切そうだったりするから、余計にトホホな感じがしてしまう。
だったらはじめから、画像が楽しみだからお願いねと言えばいいのにね。
そのほうがむしろ好感が持てる気がする。
画像だって当事者たちのためのものだと思うので、催促するのもねぇ。
まあ、リクエストくらいはありだとしてもねぇ。
(で、当のM女さんも『ごめんなさい』とか言っててね、あなたは謝る必要ないのよ〜と思っちゃう)
ああ、だけど、可愛らしいM女さんって、女のわたしから見てもいじらしいな〜と思ってしまうくらい可愛いのだ。
だから、可愛らしいところは男女関わらず人が集まるのですよね。
男女関わらず絶対数が多ければ、いろんなタイプの出現は避けられないのかな。
必要悪ってやつでしょうか。
で、わたしのところは男性に人気がないぶん、いろんな人出現を避けることができているのかもしれない。
だから、いいんだもん、少数精鋭の男性とたくさんの女性に楽しんでいただければ。
これだけノロケて画像もほとんどなしでも、楽しんでくださる人がいれば、それでいいんだもん^^
って、負け惜しみじゃないつもりです…^^
今日は、たくさんの女性のみなさんはもちろんだけど。
この女目線のブログの数少ない男性読者への感謝の気持ちを込めて^^
気になる男性コメントのエントリー。
って、こういうこと書いてるから余計に男性から嫌われちゃう^^;
多分男性には人気のないわたしのブログ^^;
ううん、いいの。
完全に女性目線で書いているし、それでも楽しいと思ってくださる男性がいてくれるだけでいいの。
たくさんの共感やご意見をくださる女性と希有な男性のバランスで成り立っているのは、わたしの書く内容からは必然なんだと思ってる。
書きたいことだけ書いているわたしにお付き合いくださる皆様に感謝しながら。
でも、ちょっと気になって男性からコメントがたくさんもらえてるM女さんブログをチェックしてみる^^;
と。
んんん?というコメントを時々見かけるのだ。
ああ、こんなこと書くとまた男性読者が減りそうな気がするけど…。
まあ、しょがない、気になってしまうので書いちゃお〜。
大半は良心的なコメントが占める中、時々『あれ?』と思うコメントに出くわす。
しかもそれは、書き手のM女さんの心のバランスが崩れたように見えるときに、特に現れる気がするのだ。
ご主人様にお叱りを受けたとかなかなかお会いできなくて淋しいとか、なんとなくそういう落ち込んでいるときにお見受けする印象。
えっと、いろんなところで目にしたものをごちゃ混ぜにしているので、具体的にどれ!!というのがあるわけじゃないのです。
イメージで言わせていただくことをお許しください。
『持論押しつけ』と『上から目線』
自身がポリシーがあるのはわかるのだけど、『奴隷とは』とか『主従とは』と持論を展開して、それ以外は邪道で認めないと言わんばかりの人。
最初は親切な感じだったとしても、M女さんが多少の反対意見を言おうものなら、彼女だけじゃなくご主人様まで非難する始末。
あなたの考えはわかるけど、それ以外も認める姿勢を持ちましょうよと思う。
イチ意見としてならいいけど、持論展開の押しつけは自分のブログですればいいよね。
(あはは、わたしなんてここで展開しまくり^^;)
あれはなんなんでしょうね、『おっしゃる通り』と言ってほしいのかな。
それともM女は反対意見を言わないものと思ってるのかな。
それとか、やたら『俺の物』扱いするコメントもある。
そのM女さんを呼び捨てにしたり、明らかに上から目線。
『○○(呼び捨て)、元気かな』なんて書き出しを見ると、あんたは何様だ〜と突っ込みたくなる。
例えば、公衆便所のようなことを名乗ってるM女さんだったとしても、呼び捨てにしていいのはその人のご主人様だけなんじゃないかな〜と思う。
もしかして、主宰しているご主人様とM女さんも『呼び捨てられる立場』を望んでいらっしゃったとしても、それに乗っかってしまうところに、わたしはセンスのなさを感じてしまうの。
仮に『呼び捨てられる立場』を望まれていたとしても、敢えて『さん付け』で呼ぶほうがカッコいい気がするのは、わたしだけ?
見ず知らずの人でも上から目線をされればM女は喜ぶと思っているのかしら?
でも、良くも悪くも男性に注目されているM女さんたちは皆さんとても可愛らしいのだ。
ご主人様のために、読者の方のために、とても心を砕いている。
だから、つい男性陣もひと言いいたくなっちゃうのかな。
それが時々こちらから見ると『?』と思ってしまうアプローチになっているのかもしれないね。
まあ、おおかたは良心的な人が集まっているわけで、一部の『持論押し付け』や『上から目線』は仕方がないのかな。
でも、
どんなに持論を展開していても。
どんなに俺の物呼ばわりしてても。
まあ基本的には『そういう人もいるよね』とスルーしてしまえるのだけど。
思わず腰砕けになってしまうのが。
心のバランスを崩しているように見えるM女さんに、親切を装って持論を展開したり、上から目線だったりのエラソーな感じの人が最後に。
『で、悲しいでしょうが、画像はまだですか?』
なーんて書いてあったりすると。
結局、画像かいっ!!
と、心の中で大きく突っ込んでしまう。
持論も上から目線も、一気に崩れ落ちる『画像催促』^^;
最初にエラそーだったり親切そうだったりするから、余計にトホホな感じがしてしまう。
だったらはじめから、画像が楽しみだからお願いねと言えばいいのにね。
そのほうがむしろ好感が持てる気がする。
画像だって当事者たちのためのものだと思うので、催促するのもねぇ。
まあ、リクエストくらいはありだとしてもねぇ。
(で、当のM女さんも『ごめんなさい』とか言っててね、あなたは謝る必要ないのよ〜と思っちゃう)
ああ、だけど、可愛らしいM女さんって、女のわたしから見てもいじらしいな〜と思ってしまうくらい可愛いのだ。
だから、可愛らしいところは男女関わらず人が集まるのですよね。
男女関わらず絶対数が多ければ、いろんなタイプの出現は避けられないのかな。
必要悪ってやつでしょうか。
で、わたしのところは男性に人気がないぶん、いろんな人出現を避けることができているのかもしれない。
だから、いいんだもん、少数精鋭の男性とたくさんの女性に楽しんでいただければ。
これだけノロケて画像もほとんどなしでも、楽しんでくださる人がいれば、それでいいんだもん^^
って、負け惜しみじゃないつもりです…^^
今日は、たくさんの女性のみなさんはもちろんだけど。
この女目線のブログの数少ない男性読者への感謝の気持ちを込めて^^
気になる男性コメントのエントリー。
って、こういうこと書いてるから余計に男性から嫌われちゃう^^;