那智さん、上書き
非日常的な日常
そのホテルには和室の部屋がある。
その部屋は、那智さんのお気に入りだ。
新しく機能満載でもないし、インテリアがお洒落なスタイリッシュな部屋でもない。
和室に座布団、隣接した部屋にはベッドが置いてある。
新しくないけど、贅沢な広さだ。
その和室には、梁がある。
麻縄で縛られる。
後ろに回した手もその位置で固定され、そこから縄を伸ばして梁にくくりつける。
もう私は不自由だ。
動かせる両足も、半径2、30センチをさまよえるだけだ。
この日は、ずいぶんと可愛がってもらった。
縛られ、柱にもたれ掛かれるように梁にくくりつけられたところで、那智さんがコーヒーを煎れる準備をはじめている。
テーブルには、あの痛いバラ鞭が置いてある。
縛られて、幸福に浸りながらも、那智さんの動向から目が離せない。
コーヒーを飲んでしばらく眺められるのか、それともバラ鞭で打つのが先か。
沸いたお湯(わかります?アルミ?の小さいポットで湧かすやつです)をカップに注いで、コーヒーを煎れている那智さんの動きが、コーヒーを煎れる流れからずれて、こちに向かう。
左手にはさっき湧いたお湯の入った小さなポット、右手にはティースプーン。
まだ、私は何が起こるかわかっていない。
そのお湯をスプーンですくったのを見た瞬間、次に何が起こるか悟って首を横に振って抵抗を試みる。
私に熱湯をかけるのだ。
素早く動いたスプーンから、熱湯が飛び散り私の太股を焼く。
「わあああああ。」
叫ばずにはいられないほど、熱い。
二回、同じようにした後、ポットを持つ自分の手にもお湯をかけた。
試しているんだ。
負けず嫌いで、痛がる表情をほとんど見せない那智さんの腕が、ぶるっと震えた。
ほら、熱いでしょ・・・。
でも、熱いけど、大丈夫と判断が下されてからは、もう容赦ない。
太股、お腹、とかける。
熱い、痛いというほうが近いくらいに熱い。
ロウソクの比ではないほどの熱さだ。
この慣れない苦痛をどう対処したら良いのだろう。
その都度、声を上げて、身をよじって、耐える。
それまで、少し離れてかけていた那智さんが、近寄ってきた。
那智さんが、そばにいることは、それだけで嬉しい、でも、恐い至近距離からの熱湯はもっと強く肌を痛めつけるだろう。
スプーンですくって、それを私の肩の上に持っていく。
ぽたぽたぽたと肩にお湯が垂れる。
多分、脂肪が少ない部分はより熱いはずだ。
肌に落ちた瞬間、垂れていく最中、温度は違えど熱さに震える。
次は、乳首だ。
もう恐くて恐くて仕方がない。
絶対に痛い。
垂らされた瞬間、熱さのあまりビクッと体を引いてしまった。
ダメだ、拒否反応はダメだ。
酷さに拍車がかかるし、垂らしたいという那智さんの意に添いたい。
その後は、体を硬直させて胸を差し出す。
痛みが乳首を刺す。
歯を食いしばり、苦悶の声を上げ、痛みが去るのを待つ。
少し痛みから逃れて、柱に体を預けて力を抜いて前屈みになって、ため息で心を落ち着かせる。
そんな平穏なため息がつけるのは一瞬だ。
今度は背中だ。
肩胛骨のくぼみにお湯が溜まって、熱さの持続だ。
少しずつ流れていく。
また、ため息。
安堵を表すように握った手をゆっくりと開くと、その掌に、また熱湯だ。
掌の硬直と叫び声で満足したのか、少し冷めてしまってるコーヒーを飲んで一息入れる那智さん。
息を整えながら、朦朧とした意識の中を漂う。
それにしても、もたれかかっている柱と太股や膝の裏がビショビショに濡れている。
これは、さっきかけたお湯のせいなのだろうか、多分それだけじゃないことも、わかっている。
コーヒーを飲んだ那智さんが、今度はバラ鞭を手に取った。
今日は、たくさん可愛がってくれるんだ。
バラ鞭の激痛と恐怖はいつまで経っても慣れることはない、それなのに、那智さんが私を見て、矢継ぎ早に可愛がろうと思ってくれることは、この上ない喜びだ。
いま、私は柱を背にして、那智さんの方を向いているから、このままだと正面から鞭を打たれることになる。
立っていてたり、ベッドに伏せていたりと体勢は様々だが、いままではずっと後ろを向いていた。
はじめての経験だ。
いつ飛んでくるかわからない恐怖もあるが、飛んでくる鞭が見えている恐怖は計り知れない、もしかしたら顔に当たるかもしれないという恐さも伴うのだ。
でも、「非日常的な日常」の「知らないこと」でも書いたが、私は鞭で打たれるときには、どんなに痛くても恐くても振り向けない(いまのところは)、だから、その時の那智さんの表情を見ることはないのだ。
恐らく表情を変えずに鞭を打つ那智さんは、痺れるくらいに私の心を鷲掴みにするだろうと思うけど、見ることはない。
正面から打たれたら、その表情を見ることができるのだ。
そう思ったら恐怖だけではなく、僅かな期待を持つことができた。
それでも、飛んでくる鞭の勢いは恐い。
脇腹に一撃。
はじめてのことだから、もう少し加減してくれるのではないかと思った私が甘かった。
お尻ほどではないが、強い一撃だ。
もう一度お腹、そして太股、定期的なリズムで振り下ろされる。
那智さんの表情を見たい。
見えているはずだ、でも、それが脳みそまで届いていないみたいだ。
見えているはずなのに、もう私の脳みそには、恐怖と苦痛しか伝達されていないようだ。
いや、違う、恐怖と苦痛のその後に、更なる鞭の苦痛を焦がれ、求める懇願が連続して襲って、私をノックアウトさせる。
太股から、徐々に上がってくるから、恐くて顔を背けてしまう。
脳に伝達する以前に、私の視界から那智さんの姿は消えた。
天井か壁を見ながら、体から汗が滴り落ちるのを感じながら、痛みを逃すためか、嬉しいから喜んでいるのか、わからない叫び声を上げている。
打たれたから叫んでいるだけではないようだ、打たれていない間も声を上げ続けている。
でも、もう、それが何の種類の叫び声か、わからなくてもいい。
前から打たれ、後ろを向かされて更に強く打たれ、もう一度前を向き胸を連打されて、感情をぐるぐると振り回されて気が付くと自分に感情があることを忘れてしまっているような、浮遊感。
それだから、もう叫び声の種類なんてどうでもいい。
那智さんが、ベッドに腰掛けて煙草を吸っている。
終わったみたいだ。
息が荒く、汗びっしょりだ、朦朧としながら那智さんを見ている。
煙草を消して、こちらに来てくれる。
今日は、まだ抱きしめてもらってもいないし、キスもしていない。
那智さんに触れたい一心で、歩み寄るけど縄で不自由な私は、もう少しのところでおあずけを食らって、切ない。
わざと、ギリギリのところで立ち止まっている意地悪な那智さん。
ふと一歩、近づいて持っていたライターを私の足の甲に乗せたのだ。
抱擁にライターが邪魔なら、床に置けばいいのに。
不思議に思った瞬間、那智さんが私を抱きしめた。
抱擁よりも強い力で、私の足を踏みつけながら。
ただ、踏まれるのではない、硬いライターを挟んで踏まれる痛さは、骨が折れそうなほど強烈だ。
足の甲というよりも、甲と指の間くらいに置かれていたライターで、このまま骨折してしまうかもしれないと思ってしまうほどだ。
それでも、那智さんの肩に顔をくっつけられて、痛いのに喜んでいる。
痛いから声を上げているけれど、そのうち涙が流れていることに気が付く。
これはどんな種類の涙か、わかる。
嬉しくて泣いているのだ。
たくさん可愛がってもらって、酷いことをされればされるほど那智さんに属している感じが味わえて安心できるから、これはその嬉し泣きだ。
痛くて叫びながら、嬉しくて泣いている。
この「熱湯」は、那智さんには楽しい出来事だったらしい。
まず、ロウソクと違って片づけが簡単♪(使った人ならわかりますよね)
そして、「非日常的な日常」の「not favorite」で書いたように、ロウソクではたいした反応をしなかった私に、「熱さで参らせる」楽しさがあったのだそうだ。
ブログに書いたから「された」のか、「してもらえた」のか、それは微妙なところです。
それにしても、ずいぶん前のことなのに、よく覚えているな〜と思う(私の誕生日なんて最近覚えたくらいなのに)。
「負けず嫌い」な那智さんに、もうひとつ「執念深い」という新しいプロフィールを足しましょう♪
そのホテルには和室の部屋がある。
その部屋は、那智さんのお気に入りだ。
新しく機能満載でもないし、インテリアがお洒落なスタイリッシュな部屋でもない。
和室に座布団、隣接した部屋にはベッドが置いてある。
新しくないけど、贅沢な広さだ。
その和室には、梁がある。
麻縄で縛られる。
後ろに回した手もその位置で固定され、そこから縄を伸ばして梁にくくりつける。
もう私は不自由だ。
動かせる両足も、半径2、30センチをさまよえるだけだ。
この日は、ずいぶんと可愛がってもらった。
縛られ、柱にもたれ掛かれるように梁にくくりつけられたところで、那智さんがコーヒーを煎れる準備をはじめている。
テーブルには、あの痛いバラ鞭が置いてある。
縛られて、幸福に浸りながらも、那智さんの動向から目が離せない。
コーヒーを飲んでしばらく眺められるのか、それともバラ鞭で打つのが先か。
沸いたお湯(わかります?アルミ?の小さいポットで湧かすやつです)をカップに注いで、コーヒーを煎れている那智さんの動きが、コーヒーを煎れる流れからずれて、こちに向かう。
左手にはさっき湧いたお湯の入った小さなポット、右手にはティースプーン。
まだ、私は何が起こるかわかっていない。
そのお湯をスプーンですくったのを見た瞬間、次に何が起こるか悟って首を横に振って抵抗を試みる。
私に熱湯をかけるのだ。
素早く動いたスプーンから、熱湯が飛び散り私の太股を焼く。
「わあああああ。」
叫ばずにはいられないほど、熱い。
二回、同じようにした後、ポットを持つ自分の手にもお湯をかけた。
試しているんだ。
負けず嫌いで、痛がる表情をほとんど見せない那智さんの腕が、ぶるっと震えた。
ほら、熱いでしょ・・・。
でも、熱いけど、大丈夫と判断が下されてからは、もう容赦ない。
太股、お腹、とかける。
熱い、痛いというほうが近いくらいに熱い。
ロウソクの比ではないほどの熱さだ。
この慣れない苦痛をどう対処したら良いのだろう。
その都度、声を上げて、身をよじって、耐える。
それまで、少し離れてかけていた那智さんが、近寄ってきた。
那智さんが、そばにいることは、それだけで嬉しい、でも、恐い至近距離からの熱湯はもっと強く肌を痛めつけるだろう。
スプーンですくって、それを私の肩の上に持っていく。
ぽたぽたぽたと肩にお湯が垂れる。
多分、脂肪が少ない部分はより熱いはずだ。
肌に落ちた瞬間、垂れていく最中、温度は違えど熱さに震える。
次は、乳首だ。
もう恐くて恐くて仕方がない。
絶対に痛い。
垂らされた瞬間、熱さのあまりビクッと体を引いてしまった。
ダメだ、拒否反応はダメだ。
酷さに拍車がかかるし、垂らしたいという那智さんの意に添いたい。
その後は、体を硬直させて胸を差し出す。
痛みが乳首を刺す。
歯を食いしばり、苦悶の声を上げ、痛みが去るのを待つ。
少し痛みから逃れて、柱に体を預けて力を抜いて前屈みになって、ため息で心を落ち着かせる。
そんな平穏なため息がつけるのは一瞬だ。
今度は背中だ。
肩胛骨のくぼみにお湯が溜まって、熱さの持続だ。
少しずつ流れていく。
また、ため息。
安堵を表すように握った手をゆっくりと開くと、その掌に、また熱湯だ。
掌の硬直と叫び声で満足したのか、少し冷めてしまってるコーヒーを飲んで一息入れる那智さん。
息を整えながら、朦朧とした意識の中を漂う。
それにしても、もたれかかっている柱と太股や膝の裏がビショビショに濡れている。
これは、さっきかけたお湯のせいなのだろうか、多分それだけじゃないことも、わかっている。
コーヒーを飲んだ那智さんが、今度はバラ鞭を手に取った。
今日は、たくさん可愛がってくれるんだ。
バラ鞭の激痛と恐怖はいつまで経っても慣れることはない、それなのに、那智さんが私を見て、矢継ぎ早に可愛がろうと思ってくれることは、この上ない喜びだ。
いま、私は柱を背にして、那智さんの方を向いているから、このままだと正面から鞭を打たれることになる。
立っていてたり、ベッドに伏せていたりと体勢は様々だが、いままではずっと後ろを向いていた。
はじめての経験だ。
いつ飛んでくるかわからない恐怖もあるが、飛んでくる鞭が見えている恐怖は計り知れない、もしかしたら顔に当たるかもしれないという恐さも伴うのだ。
でも、「非日常的な日常」の「知らないこと」でも書いたが、私は鞭で打たれるときには、どんなに痛くても恐くても振り向けない(いまのところは)、だから、その時の那智さんの表情を見ることはないのだ。
恐らく表情を変えずに鞭を打つ那智さんは、痺れるくらいに私の心を鷲掴みにするだろうと思うけど、見ることはない。
正面から打たれたら、その表情を見ることができるのだ。
そう思ったら恐怖だけではなく、僅かな期待を持つことができた。
それでも、飛んでくる鞭の勢いは恐い。
脇腹に一撃。
はじめてのことだから、もう少し加減してくれるのではないかと思った私が甘かった。
お尻ほどではないが、強い一撃だ。
もう一度お腹、そして太股、定期的なリズムで振り下ろされる。
那智さんの表情を見たい。
見えているはずだ、でも、それが脳みそまで届いていないみたいだ。
見えているはずなのに、もう私の脳みそには、恐怖と苦痛しか伝達されていないようだ。
いや、違う、恐怖と苦痛のその後に、更なる鞭の苦痛を焦がれ、求める懇願が連続して襲って、私をノックアウトさせる。
太股から、徐々に上がってくるから、恐くて顔を背けてしまう。
脳に伝達する以前に、私の視界から那智さんの姿は消えた。
天井か壁を見ながら、体から汗が滴り落ちるのを感じながら、痛みを逃すためか、嬉しいから喜んでいるのか、わからない叫び声を上げている。
打たれたから叫んでいるだけではないようだ、打たれていない間も声を上げ続けている。
でも、もう、それが何の種類の叫び声か、わからなくてもいい。
前から打たれ、後ろを向かされて更に強く打たれ、もう一度前を向き胸を連打されて、感情をぐるぐると振り回されて気が付くと自分に感情があることを忘れてしまっているような、浮遊感。
それだから、もう叫び声の種類なんてどうでもいい。
那智さんが、ベッドに腰掛けて煙草を吸っている。
終わったみたいだ。
息が荒く、汗びっしょりだ、朦朧としながら那智さんを見ている。
煙草を消して、こちらに来てくれる。
今日は、まだ抱きしめてもらってもいないし、キスもしていない。
那智さんに触れたい一心で、歩み寄るけど縄で不自由な私は、もう少しのところでおあずけを食らって、切ない。
わざと、ギリギリのところで立ち止まっている意地悪な那智さん。
ふと一歩、近づいて持っていたライターを私の足の甲に乗せたのだ。
抱擁にライターが邪魔なら、床に置けばいいのに。
不思議に思った瞬間、那智さんが私を抱きしめた。
抱擁よりも強い力で、私の足を踏みつけながら。
ただ、踏まれるのではない、硬いライターを挟んで踏まれる痛さは、骨が折れそうなほど強烈だ。
足の甲というよりも、甲と指の間くらいに置かれていたライターで、このまま骨折してしまうかもしれないと思ってしまうほどだ。
それでも、那智さんの肩に顔をくっつけられて、痛いのに喜んでいる。
痛いから声を上げているけれど、そのうち涙が流れていることに気が付く。
これはどんな種類の涙か、わかる。
嬉しくて泣いているのだ。
たくさん可愛がってもらって、酷いことをされればされるほど那智さんに属している感じが味わえて安心できるから、これはその嬉し泣きだ。
痛くて叫びながら、嬉しくて泣いている。
この「熱湯」は、那智さんには楽しい出来事だったらしい。
まず、ロウソクと違って片づけが簡単♪(使った人ならわかりますよね)
そして、「非日常的な日常」の「not favorite」で書いたように、ロウソクではたいした反応をしなかった私に、「熱さで参らせる」楽しさがあったのだそうだ。
ブログに書いたから「された」のか、「してもらえた」のか、それは微妙なところです。
それにしても、ずいぶん前のことなのに、よく覚えているな〜と思う(私の誕生日なんて最近覚えたくらいなのに)。
「負けず嫌い」な那智さんに、もうひとつ「執念深い」という新しいプロフィールを足しましょう♪
相違点
独特な幸福感
10/22の「王子様」で那智さんの「それはちょっと・・」を書きました。
実は、もうひとつあるんです。
それは、良くないところではないのですが、私と違うところ。
「那智さん大好き」「私はあなたのもの」なんて言っていますが、唯一「合わない」とお互いに認め合っていることがあるのです。
それは、「笑いのツボ」です。
私は、私の「おもしろい」と思うところは、人とちょっとだけずれていると思っている。
少し前、三谷幸喜さんの「THE有頂天ホテル」を観にいった。
このときは訳あって1人で観たのだが、会場が笑い声で包まれるシーンは「くすっ」くらいで、そうじゃないシーンでツボにはまり笑いが止まらなくなってしまった。
1人だから、みんなが笑っていないところで笑い声を上げてしまうのは避けたい。
ハンドタオルを口に押し当てて、体を震わせながらなんとか爆笑をこらえた記憶がある。
女の子同士の席でも、やっぱりおもしろいと思うことはずれている。
私の言うことにきょとんとする人が多くて、その子たちの話題は私にはおもしろくもなんともない。
ただ、サービス精神が旺盛な私は、ポイントが同じ人には喜ばれる。
数少ないその人たちからしてみたら、私とお酒を飲むを楽しんでくれているだろう。
那智さんは、はっきり言って、笑いの守備範囲が極端に狭い。
ちょっとずれている私と守備範囲の狭い那智さん、合うのは難しい。
2人でテレビを観たりする機会はあまりないので、断定はできないが、恐らくテレビを観て爆笑する場面が少ないだろう。
「おっかしい〜」みたいな感情はそう起こらないようだ。
どちらかと言えば「おもしろい」、例えば巧妙に仕組まれた笑いの伏線などに対して感心を込めた「おもしろい」ということが多いと思う。
おもしろいCMで私の笑いが止まらないでいると、首を傾げられたりしてしまう。
「くすっ」とするくらいなのだそうだ。
だから、那智さんが大爆笑しているところを、あまり見たことがない。
私の身に起こったことをお話ししても、「ふーん、バカな奴ーーー」くらいのリアクションだ。
笑いのポイントの合う友達に話したら、きっと楽しんでもらえる話なんだけどな〜とちょっと悔しく思う。
まあ、そもそも那智さんの前では「サービス精神旺盛なりん子」はお休みさせている部分もあるから、実際たいしておもしろく話せていないのかもしれないけど。
ひとつだけ、那智さんを笑わせられることがある。
これも推測だけど、多分、那智さんは那智さんの心の中を言い当てられると、笑う。
照れ隠しか、新しい発見に驚いてか、わからないけど多分これで笑ってくれる。
滅多に声を上げて笑わない那智さんの笑い声が聞けるのは、とても嬉しいこと。
だから、私は那智さんの心を探る。
那智さんは、「分かり合えているなんて幻想」と思っていた人だ。
その那智さんが「感覚が合う」と私に言う。
この感覚が合うは、「分かり合えているかもしれない」と那智さんの考えを変えた。
そして、このブログで「那智さんはこう思っているはずだ」と推測して書くことが、かなりの確率で当たっているらしく、那智さん自身も「分かり合えている」と確かめられるらしい。
きっと、上手に探れているのだろう。嬉しい。
あれだけ晒しているのだもの、多少はこちらも探らせてもらわないと、不公平ですのもね。
でも、これからも笑いのツボはずれたままだろう。
笑い転げる私に、苦笑する那智さん、それもきっと幸せだ。
10/22の「王子様」で那智さんの「それはちょっと・・」を書きました。
実は、もうひとつあるんです。
それは、良くないところではないのですが、私と違うところ。
「那智さん大好き」「私はあなたのもの」なんて言っていますが、唯一「合わない」とお互いに認め合っていることがあるのです。
それは、「笑いのツボ」です。
私は、私の「おもしろい」と思うところは、人とちょっとだけずれていると思っている。
少し前、三谷幸喜さんの「THE有頂天ホテル」を観にいった。
このときは訳あって1人で観たのだが、会場が笑い声で包まれるシーンは「くすっ」くらいで、そうじゃないシーンでツボにはまり笑いが止まらなくなってしまった。
1人だから、みんなが笑っていないところで笑い声を上げてしまうのは避けたい。
ハンドタオルを口に押し当てて、体を震わせながらなんとか爆笑をこらえた記憶がある。
女の子同士の席でも、やっぱりおもしろいと思うことはずれている。
私の言うことにきょとんとする人が多くて、その子たちの話題は私にはおもしろくもなんともない。
ただ、サービス精神が旺盛な私は、ポイントが同じ人には喜ばれる。
数少ないその人たちからしてみたら、私とお酒を飲むを楽しんでくれているだろう。
那智さんは、はっきり言って、笑いの守備範囲が極端に狭い。
ちょっとずれている私と守備範囲の狭い那智さん、合うのは難しい。
2人でテレビを観たりする機会はあまりないので、断定はできないが、恐らくテレビを観て爆笑する場面が少ないだろう。
「おっかしい〜」みたいな感情はそう起こらないようだ。
どちらかと言えば「おもしろい」、例えば巧妙に仕組まれた笑いの伏線などに対して感心を込めた「おもしろい」ということが多いと思う。
おもしろいCMで私の笑いが止まらないでいると、首を傾げられたりしてしまう。
「くすっ」とするくらいなのだそうだ。
だから、那智さんが大爆笑しているところを、あまり見たことがない。
私の身に起こったことをお話ししても、「ふーん、バカな奴ーーー」くらいのリアクションだ。
笑いのポイントの合う友達に話したら、きっと楽しんでもらえる話なんだけどな〜とちょっと悔しく思う。
まあ、そもそも那智さんの前では「サービス精神旺盛なりん子」はお休みさせている部分もあるから、実際たいしておもしろく話せていないのかもしれないけど。
ひとつだけ、那智さんを笑わせられることがある。
これも推測だけど、多分、那智さんは那智さんの心の中を言い当てられると、笑う。
照れ隠しか、新しい発見に驚いてか、わからないけど多分これで笑ってくれる。
滅多に声を上げて笑わない那智さんの笑い声が聞けるのは、とても嬉しいこと。
だから、私は那智さんの心を探る。
那智さんは、「分かり合えているなんて幻想」と思っていた人だ。
その那智さんが「感覚が合う」と私に言う。
この感覚が合うは、「分かり合えているかもしれない」と那智さんの考えを変えた。
そして、このブログで「那智さんはこう思っているはずだ」と推測して書くことが、かなりの確率で当たっているらしく、那智さん自身も「分かり合えている」と確かめられるらしい。
きっと、上手に探れているのだろう。嬉しい。
あれだけ晒しているのだもの、多少はこちらも探らせてもらわないと、不公平ですのもね。
でも、これからも笑いのツボはずれたままだろう。
笑い転げる私に、苦笑する那智さん、それもきっと幸せだ。
羞恥責め
独り言
「羞恥責め」こんな言葉はもうSM専門の言葉ではないだろう。
普通の恋人同士や、ちょっと刺激を求めてするセックスでも、こんな言葉を使うのではないでしょうか。
例えばこんな感じ?
四つん這いになって、後ろから眺められながら「こんなに濡れているんだ。」なんて言われて「いや、見ないで〜」とか、鏡の前に立たされて後ろから胸を触られて「ほら、よく見てごらん、恥ずかしいね〜」なんて囁れて「いや〜、恥ずかしい〜」みたいなこと?
確かに、こんなことも恥ずかしいけど、これは美しいスパイスだ(と思う)。
本当の「恥ずかしい」ということは、こんなことではないでしょうか!!!
その日、私は訳あってむだ毛の処理をできずにいた。(ああ、もうすでに羞恥責め?)
たくさん生えているわけじゃないけど、触るとチクチクしてしまう。
それくらい那智さんは気にしない人だと思うけど、気にしているかもしれないと心に引っかかりながら抱かれたくはない。
那智さんに集中して快感の海を漂うのに、気がかりは極力なくしたい。
だから、正直に伝えた。
「チクチクしているので、きれいにしてきてもいいですか?」
那智さんは、ホテルの案内を眺めながら「うん、いいよ。俺に見られてするのと、見ないでするのと、どっちがいい?」と、返答をくれる。
迷わず「見ないでください!!」と答える。
それにしても、この選択肢は優しい。
那智さんらしくない。
もしかしたら、おしっこの時みたいに「見てあげる」感覚から出た言葉なのかもしれない。
見てほしくない気持ちは間違いないけど、見てくれない事実(私をかまってくれない事実)は一抹の淋しさを覚えてしまう。
だから、このふたつの選択肢を与えて、かまうつもりもあると安心させてくれたのかもしれない。
これは那智さんの優しさ?
それでも、やっぱりすね毛を処理する姿は見られたいわけない。
「見ないでください。」断言する。
脱衣所でストッキングを脱いでいると、ソファに座る那智さんが声をかけてくる。
「あれ?俺、今なんて聞いた?」
素直に、ふたつの選択肢を伝える。
「ごめん、間違えた。見られながら処理するのと、処理しないのと、どっちがいい?だ。」
ああ、神様。(私がアメリカ人なら『oh! my god』!)
あの優しさは、単にホテルの案内に集中していたから、間違えて口にしただけのことだったのね。
どうせなら、集中していてほしかった(泣)
一時で大量の恥ずかしさと数時間持続のぼんやりとした恥ずかしさ・・私は一時をとった。
瞬時に、エレガントなすね毛処理の最善策を練る(無理!!)。
とりあえず、着ているワンピースは脱がない。
だって、裸で腰をかがめている姿はみっともないもの。
お風呂場に行って、蛇口をひねり、手を濡らしてボディーソープを足に塗る。
那智さんは、服を着たまま入り口に腰掛けて、こちらを見ている(はず、恥ずかしくて見られない)。
もう、急いでカミソリを動かして、とにかく早く終わるようにする。
エレガントに・・・。
足の外側は両膝を付けるように・・・多少エレガント?にできる。(エレガントなわけない!!)
でも、内側〜。
処理したことのある人は、わかりますよね・・・。
ちょっと、がに股ににないと剃れないのです(泣)
エレガントにがに股は、どう足掻いても無理。
とにかく、腰をひねって、足を反らせて、つらい体勢を続けてなんとかギリギリまで、外側から反る。
もう、限界、足がつりそうになって、しかたなくエレガントながに股になる(泣)
ああ、もう、なんでもいいから、早く終わって!!
時々、「こっち向いて」なんて言われたりして、もう泣きそうだ。
世界中で一番可愛いと思ってもらいたい人の前で、晒すこの身も蓋もない恥ずかしさ、これを「責め」と言わずしてなんと言おう。
急いだから、チクチクは残るわ、カミソリ負けして血はでるわ、散々な思いをした。
いかがでしょう?
この、恥ずかしさ。
これも羞恥責めに入るでしょうか?
女の人ならきっとわかってくれますよね。
ああ、私も鏡の前で「よく見てごらん」なんて囁いてもらいたいわ。
「羞恥責め」こんな言葉はもうSM専門の言葉ではないだろう。
普通の恋人同士や、ちょっと刺激を求めてするセックスでも、こんな言葉を使うのではないでしょうか。
例えばこんな感じ?
四つん這いになって、後ろから眺められながら「こんなに濡れているんだ。」なんて言われて「いや、見ないで〜」とか、鏡の前に立たされて後ろから胸を触られて「ほら、よく見てごらん、恥ずかしいね〜」なんて囁れて「いや〜、恥ずかしい〜」みたいなこと?
確かに、こんなことも恥ずかしいけど、これは美しいスパイスだ(と思う)。
本当の「恥ずかしい」ということは、こんなことではないでしょうか!!!
その日、私は訳あってむだ毛の処理をできずにいた。(ああ、もうすでに羞恥責め?)
たくさん生えているわけじゃないけど、触るとチクチクしてしまう。
それくらい那智さんは気にしない人だと思うけど、気にしているかもしれないと心に引っかかりながら抱かれたくはない。
那智さんに集中して快感の海を漂うのに、気がかりは極力なくしたい。
だから、正直に伝えた。
「チクチクしているので、きれいにしてきてもいいですか?」
那智さんは、ホテルの案内を眺めながら「うん、いいよ。俺に見られてするのと、見ないでするのと、どっちがいい?」と、返答をくれる。
迷わず「見ないでください!!」と答える。
それにしても、この選択肢は優しい。
那智さんらしくない。
もしかしたら、おしっこの時みたいに「見てあげる」感覚から出た言葉なのかもしれない。
見てほしくない気持ちは間違いないけど、見てくれない事実(私をかまってくれない事実)は一抹の淋しさを覚えてしまう。
だから、このふたつの選択肢を与えて、かまうつもりもあると安心させてくれたのかもしれない。
これは那智さんの優しさ?
それでも、やっぱりすね毛を処理する姿は見られたいわけない。
「見ないでください。」断言する。
脱衣所でストッキングを脱いでいると、ソファに座る那智さんが声をかけてくる。
「あれ?俺、今なんて聞いた?」
素直に、ふたつの選択肢を伝える。
「ごめん、間違えた。見られながら処理するのと、処理しないのと、どっちがいい?だ。」
ああ、神様。(私がアメリカ人なら『oh! my god』!)
あの優しさは、単にホテルの案内に集中していたから、間違えて口にしただけのことだったのね。
どうせなら、集中していてほしかった(泣)
一時で大量の恥ずかしさと数時間持続のぼんやりとした恥ずかしさ・・私は一時をとった。
瞬時に、エレガントなすね毛処理の最善策を練る(無理!!)。
とりあえず、着ているワンピースは脱がない。
だって、裸で腰をかがめている姿はみっともないもの。
お風呂場に行って、蛇口をひねり、手を濡らしてボディーソープを足に塗る。
那智さんは、服を着たまま入り口に腰掛けて、こちらを見ている(はず、恥ずかしくて見られない)。
もう、急いでカミソリを動かして、とにかく早く終わるようにする。
エレガントに・・・。
足の外側は両膝を付けるように・・・多少エレガント?にできる。(エレガントなわけない!!)
でも、内側〜。
処理したことのある人は、わかりますよね・・・。
ちょっと、がに股ににないと剃れないのです(泣)
エレガントにがに股は、どう足掻いても無理。
とにかく、腰をひねって、足を反らせて、つらい体勢を続けてなんとかギリギリまで、外側から反る。
もう、限界、足がつりそうになって、しかたなくエレガントながに股になる(泣)
ああ、もう、なんでもいいから、早く終わって!!
時々、「こっち向いて」なんて言われたりして、もう泣きそうだ。
世界中で一番可愛いと思ってもらいたい人の前で、晒すこの身も蓋もない恥ずかしさ、これを「責め」と言わずしてなんと言おう。
急いだから、チクチクは残るわ、カミソリ負けして血はでるわ、散々な思いをした。
いかがでしょう?
この、恥ずかしさ。
これも羞恥責めに入るでしょうか?
女の人ならきっとわかってくれますよね。
ああ、私も鏡の前で「よく見てごらん」なんて囁いてもらいたいわ。
味覚障害
独特な幸福感
いま私はやきもちを妬いている。
那智さんは私の口に射精をして、精液を飲ませたあとに時々「おいしい?」と聞く。
そんな時、私は曖昧に微笑んで恥ずかしそうに首を傾げる。
ある時、那智さんはこんなことを言った。
「看護婦さん(以前付き合っていた人)は『なんでこんなにおいしいんだろう』なんて言いながら喜んでいたよ♪」
いじわる。
おいしいわけないじゃない。
本当においしいと思ったのなら、それは味覚がおかしいんだ。
おいしく感じるならわかる。
決して美味ではないものでも、ほしいと思ってしまうから、ミルクをねだる赤ん坊のように喜んで貪るのだ。
だけど、精液を飲むことが嬉しいということを恥じらいなく表現できないのだ。
まして「おいしい」なんて味覚障害以外は陶酔としか思えない反応なんてできるわけがない。
私の過剰な自意識が、なりふり構わずにさせてくれないのだ。
どうしようもなく翻弄され自意識なんて剥ぎ取ってくれたあとじゃないと「お願いします。大好きな精液をお口にください」と言えないのだ。
羞恥心をなくすなと言いながら、私からみたら陶酔した下品な発言をする看護婦さんのことを、可愛らしい思い出として話す那智さんが、ちょっと憎い。
先日も同じようなことがあったから、まだ妬いている。
その出来事はまた別の機会にさせていただきます。(単に、これ携帯からで、長く書けないのです♪)
いつもの意味のないやきもちから抜け出せずに、携帯を握り締めなんとか浮上するように努力中です。
いま私はやきもちを妬いている。
那智さんは私の口に射精をして、精液を飲ませたあとに時々「おいしい?」と聞く。
そんな時、私は曖昧に微笑んで恥ずかしそうに首を傾げる。
ある時、那智さんはこんなことを言った。
「看護婦さん(以前付き合っていた人)は『なんでこんなにおいしいんだろう』なんて言いながら喜んでいたよ♪」
いじわる。
おいしいわけないじゃない。
本当においしいと思ったのなら、それは味覚がおかしいんだ。
おいしく感じるならわかる。
決して美味ではないものでも、ほしいと思ってしまうから、ミルクをねだる赤ん坊のように喜んで貪るのだ。
だけど、精液を飲むことが嬉しいということを恥じらいなく表現できないのだ。
まして「おいしい」なんて味覚障害以外は陶酔としか思えない反応なんてできるわけがない。
私の過剰な自意識が、なりふり構わずにさせてくれないのだ。
どうしようもなく翻弄され自意識なんて剥ぎ取ってくれたあとじゃないと「お願いします。大好きな精液をお口にください」と言えないのだ。
羞恥心をなくすなと言いながら、私からみたら陶酔した下品な発言をする看護婦さんのことを、可愛らしい思い出として話す那智さんが、ちょっと憎い。
先日も同じようなことがあったから、まだ妬いている。
その出来事はまた別の機会にさせていただきます。(単に、これ携帯からで、長く書けないのです♪)
いつもの意味のないやきもちから抜け出せずに、携帯を握り締めなんとか浮上するように努力中です。
ヒラヒラ計画 第3弾
独特な幸福感
今どきの、えびちゃんとかが着ていそうなワンピース。
胸のすぐ下に切り替えがあって、その切り替えからヒラ〜っとフレアが広がっているベビードールを思わせるワンピース。
切り替えのラインにリボンが付いていて、胸のすぐ下で大きく結ぶ。
店頭に飾ってあったその黒いワンピースは、ノースリーブの袖口とV字になった襟元にフリルがあしらってある。
「か、かわいい。」
一度手に取り、眺め、すぐに戻して、他のお洋服を見るふりをして、また取り、今度は体に当ててみる。
白もあるけど、さすがに白はね・・・。
着てみたい・・・。
試しに、着るだけだ。
似合うはずがない、でも、あのコルセットワンピースは悪くなかったし・・もしかしたら可愛いかもしれない。
いや、似合うはずない、でも、着てみたい物を着て、フィッティングルームの鏡にそっと映して「うふふ」と思えればいいんだ。
もし、万が一、あり得ないけど、すごーく似合っていたら、か、か、買ってしまおう!!!
まさか、似合うなずないけど、万が一ね。
前にもお話ししましたが、私は背が高くて、可愛らしい服より格好いい服の方が似合う。
可愛らしい服は自分のキャラじゃないから、着るのをためらってしまう。
でも、最近芽生えた「可愛らしい(もっというとロリータね)服が着たい」願望は抑えることができない。
このブログでの吐き出しや、那智さんの後押しもあって1人でも試着する勇気を持つことができたのだ。
ここで着てみないとあとで後悔しそうだ。
この日は仕事帰りだったから、文字通り「格好いい」スーツ姿。
ベビードールのようなワンピースを手に取り、今どきの若い女の子の店員さんに「試着してもいいですか?」と、なるべく普通に聞く。
心は、ドキドキだ。
試着室に案内されて、着ているスーツを脱ぐ。
期待と不安を胸に、ワンピースに袖を通す。
鏡に映った姿。
・・・・・チョゴリ・・・・・?
見事、玉砕。
あえなく、撃沈。
民族衣装としてのチョゴリは美しいかもしれないが、えびちゃんワンピースがチョゴリになってしまうのはいかがなものか。
休日で店内が混んでいて、店員さんに「いかがですか〜」と声を掛けられなかったのが不幸中の幸いだ。
もう赤面、急いでスーツに着替えて外に出る。
「ちょっと、イメージと違いました〜。」なんて、苦し紛れに言い訳して、足早に店を後にする。
ああ、めげそう。
でも、まだ、負けない。
私に似合う「可愛らしいフリフリ」探しは、まだ続けたいな〜と、弱気に思う。
今どきの、えびちゃんとかが着ていそうなワンピース。
胸のすぐ下に切り替えがあって、その切り替えからヒラ〜っとフレアが広がっているベビードールを思わせるワンピース。
切り替えのラインにリボンが付いていて、胸のすぐ下で大きく結ぶ。
店頭に飾ってあったその黒いワンピースは、ノースリーブの袖口とV字になった襟元にフリルがあしらってある。
「か、かわいい。」
一度手に取り、眺め、すぐに戻して、他のお洋服を見るふりをして、また取り、今度は体に当ててみる。
白もあるけど、さすがに白はね・・・。
着てみたい・・・。
試しに、着るだけだ。
似合うはずがない、でも、あのコルセットワンピースは悪くなかったし・・もしかしたら可愛いかもしれない。
いや、似合うはずない、でも、着てみたい物を着て、フィッティングルームの鏡にそっと映して「うふふ」と思えればいいんだ。
もし、万が一、あり得ないけど、すごーく似合っていたら、か、か、買ってしまおう!!!
まさか、似合うなずないけど、万が一ね。
前にもお話ししましたが、私は背が高くて、可愛らしい服より格好いい服の方が似合う。
可愛らしい服は自分のキャラじゃないから、着るのをためらってしまう。
でも、最近芽生えた「可愛らしい(もっというとロリータね)服が着たい」願望は抑えることができない。
このブログでの吐き出しや、那智さんの後押しもあって1人でも試着する勇気を持つことができたのだ。
ここで着てみないとあとで後悔しそうだ。
この日は仕事帰りだったから、文字通り「格好いい」スーツ姿。
ベビードールのようなワンピースを手に取り、今どきの若い女の子の店員さんに「試着してもいいですか?」と、なるべく普通に聞く。
心は、ドキドキだ。
試着室に案内されて、着ているスーツを脱ぐ。
期待と不安を胸に、ワンピースに袖を通す。
鏡に映った姿。
・・・・・チョゴリ・・・・・?
見事、玉砕。
あえなく、撃沈。
民族衣装としてのチョゴリは美しいかもしれないが、えびちゃんワンピースがチョゴリになってしまうのはいかがなものか。
休日で店内が混んでいて、店員さんに「いかがですか〜」と声を掛けられなかったのが不幸中の幸いだ。
もう赤面、急いでスーツに着替えて外に出る。
「ちょっと、イメージと違いました〜。」なんて、苦し紛れに言い訳して、足早に店を後にする。
ああ、めげそう。
でも、まだ、負けない。
私に似合う「可愛らしいフリフリ」探しは、まだ続けたいな〜と、弱気に思う。