夏の旅行5(アップ後数時間後追記あり)
独特な幸福感
ラッキーな夕立ショーのおかげで、思いのほかゆっくりお風呂に浸かり、待ち合わせよりも早過ぎることはなかった。
先にわたしが出たけれど、ほとんど同じくらいに那智さんも来た。
浴衣姿で一緒に歩くのってなんだかウキウキするな。
お部屋に戻ろうとしたときに、大浴場の入り口になるマッサージルームが目に入った。
いまどきのちょっとおしゃれな感じのね。
足とフェイシャルマッサージだったかな。
それを横目に見ながらエレベーターを待ちお部屋へ。
「今日はいっぱい歩いたから足が疲れただろ?あのマッサージをしよう。」
「う〜ん、わたしはいいです。那智さんだけ、どうぞ。」
那智さんに誘われたけど、断った。
「なんで?」
理由を聞く那智さんに話す。
わたしは、ああいうマッサージの類で気持ちいいと思ったことないんだ。
凝っていないのではなくて。
大げさにいうと緊張してしまうの。
なんていうのかな、サービスを受け慣れていないというか。
気持ちよくならないといけないんじゃないかと焦ってしまうというか。
ああ、この変で「いい気持ち〜」とか言ったほうがいいんじゃないか、とか。
相手に対して気を使ってしまって全然気持ちよくならない。
こちらがお金を払っているにも関わらず、いつもの過剰な気遣いでまったくリラックスできないのだ。
「だからね、那智さん、わたしがするとお金の無駄なのですよ^^;だから、お一人でどうぞ。」
「ううん、俺はりん子とふたりでしたい。」
那智さんははじめてわたしとお話ししたとき「感性が合う」と言った。
それから幾日も幾晩も会話を交わすことになるのだけど。
なぜだか、その感性が合うという言葉はピタリと当てはまって感じられて、どうしてわたしのその気持ちわかるの?ということがたくさんあった。
その中でも、わたしの「過剰な気遣い」に代表される、「悪いところじゃないのだけど改善させたほうが暮らしやすい」というようなことなどは、的確な指摘と対処方法をレクチャーしてくれる。
で、またそのレクチャーがすんなりと受け入れられるものだったりするので、こういうところも感性が合うのだな〜と思っていた。
実はね、那智さんもそういう人だったんだ。
わたしほどの過剰さはないとしても、おそらく一般的に図太い人から比べたら気遣いや不必要に自分が責任を感じてしまう人だったらしいのです。
だから、わたしの気持ちがわかるし、対処方法もわかる。
そして、つい自分を責めてしまうわたしを理解し、感性が合うと好感を持ってくれたんだ。
余談ですが。
バリウム検査のときの「Tシャツを着るか否か」はよくわかるのだそうです。
若かりしころ、風俗に行き「脱いで待っていてください」と言われ、「こういうときはどこまで脱ぐのだろうか」と悩んだそうです。
「全部脱いだら、やる気満々みたいだし、でも、あまり脱いでいないと慣れていないみたいだし…」ってね。
那智青年の苦悩です(笑)
多分、いろいろ経験し対処方法や心持ちを模索して、いまの那智さんがいるんだ。
わたしとしてはその生まれながらのスーパーマンというわけじゃない、那智さんが好き。
そして、いまその「過剰な」気遣いをせずにいられるようになった那智さんの経験をわたしの教えて、わたしを生きやすくする手助けをしてくれているというわけだ。
長い時間付き合うことで、こういうピンポイントな出来事に出くわす度に、具体的な対処方法や心構えを植え付けてくれるの。
で、この時は「サービスを受ける側の心構え」というわけです。
マッサージの技術だけじゃなくて、客をリラックスさせるのも彼らの仕事。
気持ちよくないなら気持ちよくないままでいいの、こちらはお金を払っているのだから気持ちよくなれないのはあちらのせいと思うんだよ、りん子は責任を感じちゃいけない。
残念、今日は下手な人だったと思えばいい。
その代わり、俺たちみたいな気を使ってしまう客を気持ちよくさせられたら、それは賞賛に値するから伝えてあげるの。
やはり若かりし頃、接客する側に気遣いしすぎて、リラックスしてサービスを受けられなかった那智青年。
ある日、そのサービスをきちんと受け取れることがあったのだそうです。
それは、エッチなマッサージじゃなくてね^^;
技術も接客態度も、那智さんをリラックスさせる力を持った人に出会ったわけです。
それで、リッラクスできず気持ちよくなれないのは、こちらの責任じゃないと割り切れるようになったのだそう。
そんな経験談を交えながら、責任の所在や、サービスを受ける側の適切な尊大さを教えてくれる。
これは、過剰に気遣い、過剰に人の機嫌が気になり、不必要のへりくだってしまう、わたしの「悪いところじゃないけど、改善させたほうが生きやすい」すべての事柄に通じるのだ。
「俺はりん子と一緒にマッサージを受けて一緒に気持ちよくなりたい。いいね、りん子は練習だと思えばいい。俺と一緒なら大丈夫だろ。」
実は、わたしはマッサージしてくれる人ももちろんなんだけど、一緒に受ける那智さんにも気を使ってしまうなと思っていた。
隣にいるわたしが気持ちよくなれないのは、申し訳ない気がして。
でも、那智さんはそれもわかって一緒にと言ってくれているのだから、きっとわたしがどう感じても大丈夫なんだろう。
そう思えたら、じゃあ、一緒にしようかなと思えた。
ほんっっと世話の焼ける女です^^;
狭いスペースにふたり並んでリクライニングチェアに体を預け、若いお姉さんにマッサージをしてもらう。
リラックス、リラックスと言い聞かせ。
気持ちよくなくても、それはそれでいいの、わたしのせいじゃないと念じ。
まあ、那智さんに言われたからって、一発オッケイというわけにはいかないけど。
それでも、自分を責めるような気持ちを持たないでいいと思える(努力をする)と、ずいぶんとリラックスでした。
いままでで一番『楽』に感じられたマッサージだった(笑)
なにより那智さんが隣にいるということで、ずいぶんと安心するな〜と改めて感じていた。
いちいち未熟で面倒なわたしですが、こうやって具体的な事例を用いて成功の経験を積ませてくれる那智さん。
この手間ひまをかけてくれるところに那智さんの父性を感じる出来事だったのです。
それはきっと感性が合うと那智さんが感じてくれているから、手助けもできるのかもしれない。
もしかしたら、わたしたちは似た者同士なんじゃないかとも思った出来事でした。
どどどうしよう、まだ続く…。
追記
これを読んで那智さんが「それって父性なのかな?」と自分のことを振り返った。
たしかに『父性』という言葉をわたしはよく出しているけれど、明確な定義があるわけじゃない。
辞書を調べても、ピンとくる答えは見つかっていないし。
でも、なんとなく、『そういうこと』を総称して『父性』と書いている。
で、那智さんなりの答え。
とくに今回のような事柄は、『父性』と書いてはいるけれど。
『こういうことは本来父親から教えてもらえたら幸せなこと』
うん。
そういうことを、いまわたしは那智さんから教えてもらっているのだ。
それで『父性』と呼んでいるのだなって、ちょっと腑に落ちました。
漠然としたわたしたちの感じている『父性』にちょっとだけ説明がついたので追記しました。
ラッキーな夕立ショーのおかげで、思いのほかゆっくりお風呂に浸かり、待ち合わせよりも早過ぎることはなかった。
先にわたしが出たけれど、ほとんど同じくらいに那智さんも来た。
浴衣姿で一緒に歩くのってなんだかウキウキするな。
お部屋に戻ろうとしたときに、大浴場の入り口になるマッサージルームが目に入った。
いまどきのちょっとおしゃれな感じのね。
足とフェイシャルマッサージだったかな。
それを横目に見ながらエレベーターを待ちお部屋へ。
「今日はいっぱい歩いたから足が疲れただろ?あのマッサージをしよう。」
「う〜ん、わたしはいいです。那智さんだけ、どうぞ。」
那智さんに誘われたけど、断った。
「なんで?」
理由を聞く那智さんに話す。
わたしは、ああいうマッサージの類で気持ちいいと思ったことないんだ。
凝っていないのではなくて。
大げさにいうと緊張してしまうの。
なんていうのかな、サービスを受け慣れていないというか。
気持ちよくならないといけないんじゃないかと焦ってしまうというか。
ああ、この変で「いい気持ち〜」とか言ったほうがいいんじゃないか、とか。
相手に対して気を使ってしまって全然気持ちよくならない。
こちらがお金を払っているにも関わらず、いつもの過剰な気遣いでまったくリラックスできないのだ。
「だからね、那智さん、わたしがするとお金の無駄なのですよ^^;だから、お一人でどうぞ。」
「ううん、俺はりん子とふたりでしたい。」
那智さんははじめてわたしとお話ししたとき「感性が合う」と言った。
それから幾日も幾晩も会話を交わすことになるのだけど。
なぜだか、その感性が合うという言葉はピタリと当てはまって感じられて、どうしてわたしのその気持ちわかるの?ということがたくさんあった。
その中でも、わたしの「過剰な気遣い」に代表される、「悪いところじゃないのだけど改善させたほうが暮らしやすい」というようなことなどは、的確な指摘と対処方法をレクチャーしてくれる。
で、またそのレクチャーがすんなりと受け入れられるものだったりするので、こういうところも感性が合うのだな〜と思っていた。
実はね、那智さんもそういう人だったんだ。
わたしほどの過剰さはないとしても、おそらく一般的に図太い人から比べたら気遣いや不必要に自分が責任を感じてしまう人だったらしいのです。
だから、わたしの気持ちがわかるし、対処方法もわかる。
そして、つい自分を責めてしまうわたしを理解し、感性が合うと好感を持ってくれたんだ。
余談ですが。
バリウム検査のときの「Tシャツを着るか否か」はよくわかるのだそうです。
若かりしころ、風俗に行き「脱いで待っていてください」と言われ、「こういうときはどこまで脱ぐのだろうか」と悩んだそうです。
「全部脱いだら、やる気満々みたいだし、でも、あまり脱いでいないと慣れていないみたいだし…」ってね。
那智青年の苦悩です(笑)
多分、いろいろ経験し対処方法や心持ちを模索して、いまの那智さんがいるんだ。
わたしとしてはその生まれながらのスーパーマンというわけじゃない、那智さんが好き。
そして、いまその「過剰な」気遣いをせずにいられるようになった那智さんの経験をわたしの教えて、わたしを生きやすくする手助けをしてくれているというわけだ。
長い時間付き合うことで、こういうピンポイントな出来事に出くわす度に、具体的な対処方法や心構えを植え付けてくれるの。
で、この時は「サービスを受ける側の心構え」というわけです。
マッサージの技術だけじゃなくて、客をリラックスさせるのも彼らの仕事。
気持ちよくないなら気持ちよくないままでいいの、こちらはお金を払っているのだから気持ちよくなれないのはあちらのせいと思うんだよ、りん子は責任を感じちゃいけない。
残念、今日は下手な人だったと思えばいい。
その代わり、俺たちみたいな気を使ってしまう客を気持ちよくさせられたら、それは賞賛に値するから伝えてあげるの。
やはり若かりし頃、接客する側に気遣いしすぎて、リラックスしてサービスを受けられなかった那智青年。
ある日、そのサービスをきちんと受け取れることがあったのだそうです。
それは、エッチなマッサージじゃなくてね^^;
技術も接客態度も、那智さんをリラックスさせる力を持った人に出会ったわけです。
それで、リッラクスできず気持ちよくなれないのは、こちらの責任じゃないと割り切れるようになったのだそう。
そんな経験談を交えながら、責任の所在や、サービスを受ける側の適切な尊大さを教えてくれる。
これは、過剰に気遣い、過剰に人の機嫌が気になり、不必要のへりくだってしまう、わたしの「悪いところじゃないけど、改善させたほうが生きやすい」すべての事柄に通じるのだ。
「俺はりん子と一緒にマッサージを受けて一緒に気持ちよくなりたい。いいね、りん子は練習だと思えばいい。俺と一緒なら大丈夫だろ。」
実は、わたしはマッサージしてくれる人ももちろんなんだけど、一緒に受ける那智さんにも気を使ってしまうなと思っていた。
隣にいるわたしが気持ちよくなれないのは、申し訳ない気がして。
でも、那智さんはそれもわかって一緒にと言ってくれているのだから、きっとわたしがどう感じても大丈夫なんだろう。
そう思えたら、じゃあ、一緒にしようかなと思えた。
ほんっっと世話の焼ける女です^^;
狭いスペースにふたり並んでリクライニングチェアに体を預け、若いお姉さんにマッサージをしてもらう。
リラックス、リラックスと言い聞かせ。
気持ちよくなくても、それはそれでいいの、わたしのせいじゃないと念じ。
まあ、那智さんに言われたからって、一発オッケイというわけにはいかないけど。
それでも、自分を責めるような気持ちを持たないでいいと思える(努力をする)と、ずいぶんとリラックスでした。
いままでで一番『楽』に感じられたマッサージだった(笑)
なにより那智さんが隣にいるということで、ずいぶんと安心するな〜と改めて感じていた。
いちいち未熟で面倒なわたしですが、こうやって具体的な事例を用いて成功の経験を積ませてくれる那智さん。
この手間ひまをかけてくれるところに那智さんの父性を感じる出来事だったのです。
それはきっと感性が合うと那智さんが感じてくれているから、手助けもできるのかもしれない。
もしかしたら、わたしたちは似た者同士なんじゃないかとも思った出来事でした。
どどどうしよう、まだ続く…。
追記
これを読んで那智さんが「それって父性なのかな?」と自分のことを振り返った。
たしかに『父性』という言葉をわたしはよく出しているけれど、明確な定義があるわけじゃない。
辞書を調べても、ピンとくる答えは見つかっていないし。
でも、なんとなく、『そういうこと』を総称して『父性』と書いている。
で、那智さんなりの答え。
とくに今回のような事柄は、『父性』と書いてはいるけれど。
『こういうことは本来父親から教えてもらえたら幸せなこと』
うん。
そういうことを、いまわたしは那智さんから教えてもらっているのだ。
それで『父性』と呼んでいるのだなって、ちょっと腑に落ちました。
漠然としたわたしたちの感じている『父性』にちょっとだけ説明がついたので追記しました。
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