不適切な想像力
独り言
常々、S(する側)の想像力は凄いな〜と思っている。
想像力というとMの方が豊かなイメージがあるけれど、それは「妄想」でして、Sの方の凄いと思うのは、自身の妄想を如何に現実のことにするかという「実現化」に向けるための想像力が豊富と思うのです。
発想の力というほうが正解かな。
よくそんなこと思い付きますね〜とか、たまには、そうそうそういう感じ憧れてたの〜などなど、あの手この手で想像してくれるのです。
その想像の波に揉まれることが、される側の至福の時。
そして、それを聞かせてくれている時間も、なかなか幸せ。
「きゃーきゃー」なって疲労してしまうけどね。
喉を突いて吐くという話を那智さんがしてくれた。
いつもお世話になっているマロニエさんの所で話題になったらしいのです。
それぞれ嗜好はありますが、那智さんは「りん子の喉を突いて吐いた物をまたりん子に食べさせる」という想像をしたそうです(えっと、まだ経験ありません^^;)
それを考えながら、更に「俺の吐いた物をりん子に食べさせる」ほうが面白いと思ったそう。
「食べさせ好き」の那智さん的発想。
またまた凄いことをご想像なさっていて、それを聞いた私は、あまりの厳しい状態に黙ってしまうしかありませんでした。
だって、自分のだって厳しいのに、いくら那智さんのと言ってもゲロはゲロ、黙るしかありません。
それでも、うんこだって最初に聞いた時には「う〜ん、厳しい」だったけど、いつの間にか「ほしい」ものになってしまっているのだから、那智さんの情熱如何では、どうとでもなるかも(!)しれないですけどね。
でも、ここでMの甘美な妄想ではなく、りん子の面白想像が発動してしまったの。
ゲロを吐くご主人様。
りん子にゲロを食べさせるために、自らの喉に指を突っ込み「おえっ」とさせてる。
那智さんは、私の口に直接注ぎ込むことがお好きだから、ゲロもそうしてみるけれど、せり上がった吐瀉物は注ぎ込むなんて悠長なこと言ってられないほどの勢いで、私の顔に「ぶわ!!」っと飛び散ってしまう。
それはそれで汚し嗜好には面白いかもしれないけれど、食べさせ好きとしては不満足だろう。
じゃあ、洗面器か何かに一度吐いた物を食べさせるのか。
バスルームで裸になり、私は次に起こることを知らされず身を固くして待っている。
那智さんも裸になってバスルームの片隅でこちらに背を向けてしゃがんでいる。
手には洗面器を持っている。
何をするの?
そこにうんこをするの?
それともお湯を溜めて、私の顔を沈めるの?
不安と、ほんの少しの期待で胸は張り裂けそう。
「おうぇ」
え!?何?那智さんが「おえっ」てしてる。
背中を丸めて、自分の口に指を入れて、吐こうとしている。
でも、なかなか出なくて苦しそう。
どうしたの?
思わず背中をさする。
ああ、もしかしてそれを私に食べさせようとしているのね。
でも、辛そうだよ那智さん。
責めを待つ甘美な気持ちはどっかに行ってしまって、若い頃酔っぱらった友人にしたように背中をさすって介抱モード。
見ると目に涙を溜めてゲロを吐き出している。
那智さん、これじゃどっちが責められているかわかりませんよ。
段々不憫になってきてしまう。
やっと吐き終わったのか、こちらを振り返る。
涙目で口の周りを汚しながら、洗面器を手に「さあ、食べなさい」
って、言われてもね〜〜〜。
だめです、那智さん、こんな想像しちゃったから、那智さんのゲロを私に食べさせるは、いろんな意味で厳しいのではないでしょうか!?
SMに於いてあんまり、この手の想像力はあってもしかたないかもしれないですね^^;
常々、S(する側)の想像力は凄いな〜と思っている。
想像力というとMの方が豊かなイメージがあるけれど、それは「妄想」でして、Sの方の凄いと思うのは、自身の妄想を如何に現実のことにするかという「実現化」に向けるための想像力が豊富と思うのです。
発想の力というほうが正解かな。
よくそんなこと思い付きますね〜とか、たまには、そうそうそういう感じ憧れてたの〜などなど、あの手この手で想像してくれるのです。
その想像の波に揉まれることが、される側の至福の時。
そして、それを聞かせてくれている時間も、なかなか幸せ。
「きゃーきゃー」なって疲労してしまうけどね。
喉を突いて吐くという話を那智さんがしてくれた。
いつもお世話になっているマロニエさんの所で話題になったらしいのです。
それぞれ嗜好はありますが、那智さんは「りん子の喉を突いて吐いた物をまたりん子に食べさせる」という想像をしたそうです(えっと、まだ経験ありません^^;)
それを考えながら、更に「俺の吐いた物をりん子に食べさせる」ほうが面白いと思ったそう。
「食べさせ好き」の那智さん的発想。
またまた凄いことをご想像なさっていて、それを聞いた私は、あまりの厳しい状態に黙ってしまうしかありませんでした。
だって、自分のだって厳しいのに、いくら那智さんのと言ってもゲロはゲロ、黙るしかありません。
それでも、うんこだって最初に聞いた時には「う〜ん、厳しい」だったけど、いつの間にか「ほしい」ものになってしまっているのだから、那智さんの情熱如何では、どうとでもなるかも(!)しれないですけどね。
でも、ここでMの甘美な妄想ではなく、りん子の面白想像が発動してしまったの。
ゲロを吐くご主人様。
りん子にゲロを食べさせるために、自らの喉に指を突っ込み「おえっ」とさせてる。
那智さんは、私の口に直接注ぎ込むことがお好きだから、ゲロもそうしてみるけれど、せり上がった吐瀉物は注ぎ込むなんて悠長なこと言ってられないほどの勢いで、私の顔に「ぶわ!!」っと飛び散ってしまう。
それはそれで汚し嗜好には面白いかもしれないけれど、食べさせ好きとしては不満足だろう。
じゃあ、洗面器か何かに一度吐いた物を食べさせるのか。
バスルームで裸になり、私は次に起こることを知らされず身を固くして待っている。
那智さんも裸になってバスルームの片隅でこちらに背を向けてしゃがんでいる。
手には洗面器を持っている。
何をするの?
そこにうんこをするの?
それともお湯を溜めて、私の顔を沈めるの?
不安と、ほんの少しの期待で胸は張り裂けそう。
「おうぇ」
え!?何?那智さんが「おえっ」てしてる。
背中を丸めて、自分の口に指を入れて、吐こうとしている。
でも、なかなか出なくて苦しそう。
どうしたの?
思わず背中をさする。
ああ、もしかしてそれを私に食べさせようとしているのね。
でも、辛そうだよ那智さん。
責めを待つ甘美な気持ちはどっかに行ってしまって、若い頃酔っぱらった友人にしたように背中をさすって介抱モード。
見ると目に涙を溜めてゲロを吐き出している。
那智さん、これじゃどっちが責められているかわかりませんよ。
段々不憫になってきてしまう。
やっと吐き終わったのか、こちらを振り返る。
涙目で口の周りを汚しながら、洗面器を手に「さあ、食べなさい」
って、言われてもね〜〜〜。
だめです、那智さん、こんな想像しちゃったから、那智さんのゲロを私に食べさせるは、いろんな意味で厳しいのではないでしょうか!?
SMに於いてあんまり、この手の想像力はあってもしかたないかもしれないですね^^;
不適切な想像力その2
独り言
食べさせ好きな那智さん(いままでの傾向で勝手に推測してます)、咀嚼した食べ物、うんこ、妄想段階ですが吐いた物まで、私に食べさせる。
おしっこに至っては、もうほどんと飲み物だ。
一方の私は、なぜ食べるのか。
もともと私には「スカトロ」の嗜好はなかったはず。
まして、おしっこを飲むとか、咀嚼したピザを口移しで食べるとか、そんなバリエーションは思いつきもしなかった。
那智さんに出会う前に読んだM女さんの日記(まだブログなんてものが流行るずっと前)には、ご主人様の便器になるということで、お口でおしっこを受ける描写が何度か出て来ていて、それを読んでいる時の私はそれを「飲む」行為よりも、ご主人様の「物」になるという状態に心は傾いていた記憶がある。
そして、勢い良く排泄されて、飲みきれず口から溢れて体を濡らすような状態にアンテナは振れていた(?と思う)
だから、飲んだり食べたり自体には、ファンタジーは描かなかったはずなんだけどね。
むしろ、それは醒めてしまいそうだな〜って思っていた。
醒めた状態でSMしてもね…。
那智さんがそれが好きだと聞いた時、嫌がったりするならまだ面白いでしょうけれど、醒めたら那智さんもつまらないだろうな〜と思ってた。
それがいつの間にか、それらは「もらう物」になっていて、「ください」と思うようになっていた。
(実は、これ前振りです、だからなぜ食べるのかって答えは今日の記事では用意してない!!)
ゲロを食べさせると平行して、スカトロの話も発展した。
こういう話題は、まだ、遠い先の話だととっても楽しい。
それでも、他人のうんこを食することは危険が伴う行為だからという話になって、じゃあ他に何か「代替え」の行為は?という方向に話は進んだ。
「食べさせるとか、塗るとか、それ以外で何かないかな〜。」
そう言われても、立案担当は那智さんですよ。
しかも排泄物は那智さんの専門分野、私は口を出せるわけないでしょ!?
「ああ、あれがいいかもね!!」
何!?何か思い付いたの!!
「な、なんですか!?」
その聞き方で教えてくれるわけないから、なんだかはぐらかされてしまう。
聞きたいよ〜、う〜んなんだろう。
食べる、塗る以外…、持ち歩く!?混ぜる!?(笑)
ここでまた、面白発想発動。
以前旅行した時、一泊した朝、那智さんがわんこのお皿に大量のうんこをして、それを見せられた記憶が蘇る。
前の晩のお酒が祟ってか、たぷたぷとお皿の中で微妙に揺れる柔らかめのうんこちゃんを思い出して、一言。
「…鼻ですする?」
「ぎゃはははは、そんな話は聞いたことないな〜、それやったら一躍有名になれるんじゃない!?」
ここまできたら、もう曲芸の域に達している!?
SMで曲芸してもね〜、ちっとも色っぽくないですよね。
ということで、私が提案したのですが、この提案も却下していただけると、ありがたいなと思うのです。
食べさせ好きな那智さん(いままでの傾向で勝手に推測してます)、咀嚼した食べ物、うんこ、妄想段階ですが吐いた物まで、私に食べさせる。
おしっこに至っては、もうほどんと飲み物だ。
一方の私は、なぜ食べるのか。
もともと私には「スカトロ」の嗜好はなかったはず。
まして、おしっこを飲むとか、咀嚼したピザを口移しで食べるとか、そんなバリエーションは思いつきもしなかった。
那智さんに出会う前に読んだM女さんの日記(まだブログなんてものが流行るずっと前)には、ご主人様の便器になるということで、お口でおしっこを受ける描写が何度か出て来ていて、それを読んでいる時の私はそれを「飲む」行為よりも、ご主人様の「物」になるという状態に心は傾いていた記憶がある。
そして、勢い良く排泄されて、飲みきれず口から溢れて体を濡らすような状態にアンテナは振れていた(?と思う)
だから、飲んだり食べたり自体には、ファンタジーは描かなかったはずなんだけどね。
むしろ、それは醒めてしまいそうだな〜って思っていた。
醒めた状態でSMしてもね…。
那智さんがそれが好きだと聞いた時、嫌がったりするならまだ面白いでしょうけれど、醒めたら那智さんもつまらないだろうな〜と思ってた。
それがいつの間にか、それらは「もらう物」になっていて、「ください」と思うようになっていた。
(実は、これ前振りです、だからなぜ食べるのかって答えは今日の記事では用意してない!!)
ゲロを食べさせると平行して、スカトロの話も発展した。
こういう話題は、まだ、遠い先の話だととっても楽しい。
それでも、他人のうんこを食することは危険が伴う行為だからという話になって、じゃあ他に何か「代替え」の行為は?という方向に話は進んだ。
「食べさせるとか、塗るとか、それ以外で何かないかな〜。」
そう言われても、立案担当は那智さんですよ。
しかも排泄物は那智さんの専門分野、私は口を出せるわけないでしょ!?
「ああ、あれがいいかもね!!」
何!?何か思い付いたの!!
「な、なんですか!?」
その聞き方で教えてくれるわけないから、なんだかはぐらかされてしまう。
聞きたいよ〜、う〜んなんだろう。
食べる、塗る以外…、持ち歩く!?混ぜる!?(笑)
ここでまた、面白発想発動。
以前旅行した時、一泊した朝、那智さんがわんこのお皿に大量のうんこをして、それを見せられた記憶が蘇る。
前の晩のお酒が祟ってか、たぷたぷとお皿の中で微妙に揺れる柔らかめのうんこちゃんを思い出して、一言。
「…鼻ですする?」
「ぎゃはははは、そんな話は聞いたことないな〜、それやったら一躍有名になれるんじゃない!?」
ここまできたら、もう曲芸の域に達している!?
SMで曲芸してもね〜、ちっとも色っぽくないですよね。
ということで、私が提案したのですが、この提案も却下していただけると、ありがたいなと思うのです。
やきもち
独特な幸福感
私はとってもやきもち焼き。
那智さんにとって私が一番(頑張って唯一と言い張ってしまおう!)って思っているくせに、本当にくだらないことでやきもちを焼いてしまう。
とてもくだらないことなので、嫉妬深いなんて大人っぽい(?)ものではなくて、ほんと「やきもち」。
過去の付き合っていた女性はもちろん、飲み屋のお姉さん、韓国式マッサージの女性などなど、果ては白人お姉ちゃんのヌード写真にまで!
「いいな〜、那智さんのそばにいられて」とか「いいな〜、私の知らない那智さんを知っていて」「私だけを見て!」というような、とっても子供じみたやきもち。
くだらないと思いつつも、そう思ってしまうのだからしょうがない、いちいちそれを伝えて苦笑されてます。
ゲストを招くお話で、那智さんがもうひとつ興味があるのが「他の女性を抱いたら、りん子はどうなるか」なのです。
那智さんが他の女性を抱くという想像をするとき、私はどんな気持ちになってどんな態度に出るか、実はちょっとわからないの。
そこで、いろいろ想像してみました。
(実際にゲストを招いたことがあるのだから、ここから先の想像の話もまったく未知の世界の妄想ではない、想像話にしてはリアル過ぎてしまうかもしれないですが、まだ具体的な何かがあるわけではないので、そこは前回とは切り離して「りん子の妄想」と思って読んでいただけると嬉しいです)
生意気な言い方になってしまうけど、那智さんは私以外の人を抱いても楽しめないだろうと思っている。
些細なことでやきもちを焼く私と、この高飛車な自負の両方があるから、どちらの心が顔を出すかわからないのです。
その反面、我を忘れるほどの嫉妬に狂ってみたいと思う気持ちもある。
動けないように拘束されて、声を上げられないように猿轡をされて、目の前で那智さんが他の女性を抱く。
泣き叫んで声にならない声を上げ、鎖で繋がれた拘束がガチャガチャと千切れんばかりに暴れる。
それでも、見せつけられるように那智さんは、その女性の髪を撫で、お尻をスパンキングして、喜ばせている。
「やめて、那智さん、それは私のものだ!!」
何をどう訴えてもおしまいにならない。
そのうち疲れ果てて、すすり泣くしかできない。
そんな想像。
でもね、自負が邪魔して、そうなるにはかなりハードルが高いと思うのです。
加えて自尊心なんていうのもあるので、そう簡単に心から嫉妬に狂えないと思ってしまう。
自負があるなら、それでいいじゃない、嫉妬しないほうが幸せでしょ!?
そうなんですけど、そこはMの被虐願望が素直にそうさせてくれないのです。
じゃあ、どうしたら、身を焦がすような嫉妬に溺れられるのか。
いくつか考えてみました^^;
近道はね、以前付き合っていた看護婦さん。
那智さんはその人とは、お仕事の関係でいまでも年に1、2回は連絡を取っている。
MからいまはSに転身したらしいけど、両方持ち合わせているし、ある程度那智さんも真面目にお付き合いしていたことを知っているから、私はすごーく嫉妬するでしょう。
ただ、私のプライドが邪魔してしまいそうで、その時は狂わなくても後から沸々と那智さんに向けて嫉妬心が湧いてきそうで、那智さん的に面倒かもしれない(笑)
次は、真っ当(?)な方法。
それは、ある程度人間関係を築けている女性。
ハプニングバーなどで、那智さんが他の女性のエッチな姿を見てもちっともやきもち焼かないのは、その人をなんとも思ってないとわかるから。
前の看護婦さんもそうだけど、人間関係を築くにはそれなりにその女性に心を傾けないといけないわけで、そのプロセス自体が嫉妬の対象になるのです。
更に、その女性と私も心を通わせていられれば、尚好しです。
なぜかというと、「そうだよね、その子なら那智さんも手を掛けたくなるよね」というような妙な納得感が生まれるから、まったく知らない女性よりも嫉妬心が増すと思うのです。
そして、私の嫉妬はあなたに向けているのではなく、那智さんに向かうという感覚も理解してもらいたいと欲張って思う。
だから、私がどんなに泣き叫ぼうと遠慮しないでという合意さえも得ていたいのです。
いらぬ気遣い女の私には、その辺りの懸念を排除できるくらいの、交流を持ちたい。
更に欲を言えば、その女性にも感じてほしい。
その状態を味わい尽くしてくれていれば、私はもっといらぬ気遣いから解放されるのですね。
そうなるには、那智さんと私両方と人間関係を築いてほしいと思うのです。
なんだか、コンセンサスが見え隠れする妄想になってしまったかしら。
でも、ひょいと拾ってできることじゃないから、実現は難しいですね。
あっ、もうひとつ近道があった!
それは、いまの私がどんなに頑張っても手に入らない「若さ」を持っている女性!!
(えっとね、年齢を重ねた女性の良さは重々承知しているのですよ。ただ、手っ取り早くわかりやすい嫉妬につながるという意味ですので…)
つやのある肌や、胸の張りなどは、それだけで「羨まし〜」ことですものね。
おかげさまで、もうすぐ3万件になります。
今度の感謝記念がどうなるかわからないのだけど、なんとなく予防線張ってみました^^
私はとってもやきもち焼き。
那智さんにとって私が一番(頑張って唯一と言い張ってしまおう!)って思っているくせに、本当にくだらないことでやきもちを焼いてしまう。
とてもくだらないことなので、嫉妬深いなんて大人っぽい(?)ものではなくて、ほんと「やきもち」。
過去の付き合っていた女性はもちろん、飲み屋のお姉さん、韓国式マッサージの女性などなど、果ては白人お姉ちゃんのヌード写真にまで!
「いいな〜、那智さんのそばにいられて」とか「いいな〜、私の知らない那智さんを知っていて」「私だけを見て!」というような、とっても子供じみたやきもち。
くだらないと思いつつも、そう思ってしまうのだからしょうがない、いちいちそれを伝えて苦笑されてます。
ゲストを招くお話で、那智さんがもうひとつ興味があるのが「他の女性を抱いたら、りん子はどうなるか」なのです。
那智さんが他の女性を抱くという想像をするとき、私はどんな気持ちになってどんな態度に出るか、実はちょっとわからないの。
そこで、いろいろ想像してみました。
(実際にゲストを招いたことがあるのだから、ここから先の想像の話もまったく未知の世界の妄想ではない、想像話にしてはリアル過ぎてしまうかもしれないですが、まだ具体的な何かがあるわけではないので、そこは前回とは切り離して「りん子の妄想」と思って読んでいただけると嬉しいです)
生意気な言い方になってしまうけど、那智さんは私以外の人を抱いても楽しめないだろうと思っている。
些細なことでやきもちを焼く私と、この高飛車な自負の両方があるから、どちらの心が顔を出すかわからないのです。
その反面、我を忘れるほどの嫉妬に狂ってみたいと思う気持ちもある。
動けないように拘束されて、声を上げられないように猿轡をされて、目の前で那智さんが他の女性を抱く。
泣き叫んで声にならない声を上げ、鎖で繋がれた拘束がガチャガチャと千切れんばかりに暴れる。
それでも、見せつけられるように那智さんは、その女性の髪を撫で、お尻をスパンキングして、喜ばせている。
「やめて、那智さん、それは私のものだ!!」
何をどう訴えてもおしまいにならない。
そのうち疲れ果てて、すすり泣くしかできない。
そんな想像。
でもね、自負が邪魔して、そうなるにはかなりハードルが高いと思うのです。
加えて自尊心なんていうのもあるので、そう簡単に心から嫉妬に狂えないと思ってしまう。
自負があるなら、それでいいじゃない、嫉妬しないほうが幸せでしょ!?
そうなんですけど、そこはMの被虐願望が素直にそうさせてくれないのです。
じゃあ、どうしたら、身を焦がすような嫉妬に溺れられるのか。
いくつか考えてみました^^;
近道はね、以前付き合っていた看護婦さん。
那智さんはその人とは、お仕事の関係でいまでも年に1、2回は連絡を取っている。
MからいまはSに転身したらしいけど、両方持ち合わせているし、ある程度那智さんも真面目にお付き合いしていたことを知っているから、私はすごーく嫉妬するでしょう。
ただ、私のプライドが邪魔してしまいそうで、その時は狂わなくても後から沸々と那智さんに向けて嫉妬心が湧いてきそうで、那智さん的に面倒かもしれない(笑)
次は、真っ当(?)な方法。
それは、ある程度人間関係を築けている女性。
ハプニングバーなどで、那智さんが他の女性のエッチな姿を見てもちっともやきもち焼かないのは、その人をなんとも思ってないとわかるから。
前の看護婦さんもそうだけど、人間関係を築くにはそれなりにその女性に心を傾けないといけないわけで、そのプロセス自体が嫉妬の対象になるのです。
更に、その女性と私も心を通わせていられれば、尚好しです。
なぜかというと、「そうだよね、その子なら那智さんも手を掛けたくなるよね」というような妙な納得感が生まれるから、まったく知らない女性よりも嫉妬心が増すと思うのです。
そして、私の嫉妬はあなたに向けているのではなく、那智さんに向かうという感覚も理解してもらいたいと欲張って思う。
だから、私がどんなに泣き叫ぼうと遠慮しないでという合意さえも得ていたいのです。
いらぬ気遣い女の私には、その辺りの懸念を排除できるくらいの、交流を持ちたい。
更に欲を言えば、その女性にも感じてほしい。
その状態を味わい尽くしてくれていれば、私はもっといらぬ気遣いから解放されるのですね。
そうなるには、那智さんと私両方と人間関係を築いてほしいと思うのです。
なんだか、コンセンサスが見え隠れする妄想になってしまったかしら。
でも、ひょいと拾ってできることじゃないから、実現は難しいですね。
あっ、もうひとつ近道があった!
それは、いまの私がどんなに頑張っても手に入らない「若さ」を持っている女性!!
(えっとね、年齢を重ねた女性の良さは重々承知しているのですよ。ただ、手っ取り早くわかりやすい嫉妬につながるという意味ですので…)
つやのある肌や、胸の張りなどは、それだけで「羨まし〜」ことですものね。
おかげさまで、もうすぐ3万件になります。
今度の感謝記念がどうなるかわからないのだけど、なんとなく予防線張ってみました^^
ハート型でピンク色♪
独特な幸福感
いまさら何を言っても信じてもらえないかもしれないけど、普段の私は「ゲロ」とか「うんこ」とかさらっと言える人じゃないの。
まして性器の名称なんて、とてもじゃないけど口にできない。
サービス精神旺盛だから、お酒の席では下ネタに乗ったりするし、ブログ上でははっきり書いてしまったりしてるけど、それは「えいっ」って、放り投げちゃってるからできるのです。
普段は、ちょっと恥ずかしがり屋な普通の女だと思ってます。
以前那智さんとお酒を飲みにいって、オーダーで「地豚の○○焼き」と口にするだけで、恥ずかしくなってるくらいだから(なんでしょう、豚って言葉で反応*^^*)、ポイントはどうあれ普通の恥ずかしがりと思ってるんだけどな〜。
ただ、だからって潔癖なわけでも全然なくて、「エッチな話なんて不潔」とか思ったりもしません。
どちらかというとそういうことには寛大だと思ってるの。
「変態に対して、寛大」(笑)
自分がそうだから!なんて突っ込まないでね。
人には様々な嗜好や性癖があるわけで、周囲に迷惑を掛けない限りは、それに向き合いそれを叶えている人には「叶えられて良かったですね。」と祝福したくなるし、叶えられずにいる人には「頑張って」と切なくなったりするのです(ちょっと大げさ 笑)
このブログも変態だけじゃなくて、金太郎飴状態で変態もノロケも妄想も、好き勝手に書いているので、読んでくださっている方々も寛大な気持ちでいてくれるといいな〜と、軽く祈るような気持ちです^^
なぜ今更こんな話かというと、また「うんこ」の話題だからなのです^^;
少し前の自己紹介画像でカルトクイズを出したのですが、その正解者の賞品を「りん子のおっぱい写真」にしたのを憶えているかたはいらっしゃるかしら。
その賞品の写真を何にしようかって話をしたとき、ちょうど那智さんの事務所に遊びに行っていて、2人でたくさんの画像を見ながら選ぶことができたのです。
「おっぱいの写真にしようか!?」
という那智さんの提案に、首を振る私。
那智さんは、胸とか性器とか、そういう直接的なものを選びたがるの。
私は、どうも直接的なものには、奥ゆかしさ(?)が感じられなくていやなのね。
変態的な話をばんばん書いているわりには、普通にエッチなことに抵抗を感じる私。
「じゃあ、これにする?」
と、次に那智さんが示した写真は、ビニール袋を被せた洗面器に排泄した物のドアップ写真!!
「賞品は、りん子のうんこ写真♪」
いやぁぁぁぁぁぁぁ、なぜ?わからないけど、とんでもなく恥ずかしい。
排泄物以外には、端っこにちょっとお尻らしき皮膚が写ってるだけなのに。
別に名前や顔写真付きでもないし、排泄している姿でもないのに、なぜ自分のうんこだと思うと、こんなにも恥ずかしいのでしょう!?
更に、そんなもの誰も欲しくないでしょうと思うと、例えうんことはいえ自分を否定されたような感じで、穴があったら入りたい心境と共に、微妙に落ち込む。
「それは、やめてください〜(泣)」
でも、こういうときの那智さんは、ほんと楽しそう。
いじめっこ全開。
「どう?欲しがる人いるかな??」
なんて意地悪言う。
ぎゃあぎゃあ言って心が大暴れしてヘトヘトになってもまだ意地悪をやめてくれないとき、私はちょっと反撃に出る。
「いいですよ、じゃあ、写真にコメント付けちゃうもの。『那智さんのかもしれません…』って!!」
どうでしょう?
別に私のが綺麗なんて思ってないけど、私のと思うのと、那智さんのだと思ってみるのと……差ありますよね…。
書いてて不安になってきた、こういうの「どんぐりの背比べ」って言うの?違う?「50歩100歩」?
ああ、そうか「味噌もクソも一緒」!?
日本語って難しい^^;
そんなことで、賞品はおっぱい写真になったのです。
もしかして、今後「うんこ写真」が流出してしまうかもしれないけれど、それは、私のかどうか…(笑)
私のうんこは「ハート型でピンク色で、ラベンダーの香り」なので、そうじゃないのは那智さんのかも!?
いまさら何を言っても信じてもらえないかもしれないけど、普段の私は「ゲロ」とか「うんこ」とかさらっと言える人じゃないの。
まして性器の名称なんて、とてもじゃないけど口にできない。
サービス精神旺盛だから、お酒の席では下ネタに乗ったりするし、ブログ上でははっきり書いてしまったりしてるけど、それは「えいっ」って、放り投げちゃってるからできるのです。
普段は、ちょっと恥ずかしがり屋な普通の女だと思ってます。
以前那智さんとお酒を飲みにいって、オーダーで「地豚の○○焼き」と口にするだけで、恥ずかしくなってるくらいだから(なんでしょう、豚って言葉で反応*^^*)、ポイントはどうあれ普通の恥ずかしがりと思ってるんだけどな〜。
ただ、だからって潔癖なわけでも全然なくて、「エッチな話なんて不潔」とか思ったりもしません。
どちらかというとそういうことには寛大だと思ってるの。
「変態に対して、寛大」(笑)
自分がそうだから!なんて突っ込まないでね。
人には様々な嗜好や性癖があるわけで、周囲に迷惑を掛けない限りは、それに向き合いそれを叶えている人には「叶えられて良かったですね。」と祝福したくなるし、叶えられずにいる人には「頑張って」と切なくなったりするのです(ちょっと大げさ 笑)
このブログも変態だけじゃなくて、金太郎飴状態で変態もノロケも妄想も、好き勝手に書いているので、読んでくださっている方々も寛大な気持ちでいてくれるといいな〜と、軽く祈るような気持ちです^^
なぜ今更こんな話かというと、また「うんこ」の話題だからなのです^^;
少し前の自己紹介画像でカルトクイズを出したのですが、その正解者の賞品を「りん子のおっぱい写真」にしたのを憶えているかたはいらっしゃるかしら。
その賞品の写真を何にしようかって話をしたとき、ちょうど那智さんの事務所に遊びに行っていて、2人でたくさんの画像を見ながら選ぶことができたのです。
「おっぱいの写真にしようか!?」
という那智さんの提案に、首を振る私。
那智さんは、胸とか性器とか、そういう直接的なものを選びたがるの。
私は、どうも直接的なものには、奥ゆかしさ(?)が感じられなくていやなのね。
変態的な話をばんばん書いているわりには、普通にエッチなことに抵抗を感じる私。
「じゃあ、これにする?」
と、次に那智さんが示した写真は、ビニール袋を被せた洗面器に排泄した物のドアップ写真!!
「賞品は、りん子のうんこ写真♪」
いやぁぁぁぁぁぁぁ、なぜ?わからないけど、とんでもなく恥ずかしい。
排泄物以外には、端っこにちょっとお尻らしき皮膚が写ってるだけなのに。
別に名前や顔写真付きでもないし、排泄している姿でもないのに、なぜ自分のうんこだと思うと、こんなにも恥ずかしいのでしょう!?
更に、そんなもの誰も欲しくないでしょうと思うと、例えうんことはいえ自分を否定されたような感じで、穴があったら入りたい心境と共に、微妙に落ち込む。
「それは、やめてください〜(泣)」
でも、こういうときの那智さんは、ほんと楽しそう。
いじめっこ全開。
「どう?欲しがる人いるかな??」
なんて意地悪言う。
ぎゃあぎゃあ言って心が大暴れしてヘトヘトになってもまだ意地悪をやめてくれないとき、私はちょっと反撃に出る。
「いいですよ、じゃあ、写真にコメント付けちゃうもの。『那智さんのかもしれません…』って!!」
どうでしょう?
別に私のが綺麗なんて思ってないけど、私のと思うのと、那智さんのだと思ってみるのと……差ありますよね…。
書いてて不安になってきた、こういうの「どんぐりの背比べ」って言うの?違う?「50歩100歩」?
ああ、そうか「味噌もクソも一緒」!?
日本語って難しい^^;
そんなことで、賞品はおっぱい写真になったのです。
もしかして、今後「うんこ写真」が流出してしまうかもしれないけれど、それは、私のかどうか…(笑)
私のうんこは「ハート型でピンク色で、ラベンダーの香り」なので、そうじゃないのは那智さんのかも!?
食べる
非日常的な日常
「覚悟してね、今度は必ず食べさせるから。」
もう、止まらない、どんどんいっちゃえ〜。
最後は「うんこを食べる」だ〜。
苦手な方はスルーしてね。
「覚悟してね、今度は必ず食べさせるから。むしゃむしゃと食べるんだよ。」
電話でそう聞かされたとき、私の心はどう動いただろう。
とうとう来てしまったなのか、やっと来たなのか、とても複雑な長いため息を付く。
知り合って数年。
はじめの頃からそれは、那智さんの望みだった。
「那智さんのうんこを美味しそうに食べるりん子」
手で受け、舌で掬い、体に塗られ、口で受け、舌で舐めてきれいにした。
那智さんが大好きで、那智さんのしてくれることが嬉しくて、那智さんがしたいと思ってくれることが嬉しくて、それらは私の快感になっていた。
手で受けるとき那智さんの足下に座ることが嬉しい。
舌で掬って「べー」ってしたまま見せることは、誇らしい。
胸の辺りが茶色く染まって、那智さんのうんこにまみれる姿はもっと誇らしい。
口を開け、困惑と期待を交錯させて待つことは、それだけで快感だ。
いつの間にかここまできたんだな〜と、心の片隅が冷静に思う。
でも、それ以外は嬉しいやら困るやら、ジタバタとしている。
「食べるって、どれくらいを考えてますか?」
大多数のジタバタをそっちのけで、一部の冷静な私が聞く。
でも、うわずった声が、その冷静さの気弱な感じを物語っている。
「そうだな、長さで言えば、最低でも煙草一本分くらいかな。」
「むしゃむしゃと食べるのですよね。」
「そうだね。」
声はうわずっているけれど、業務連絡のように会話は進んで、ここでまた長いため息を吐く。
生理現象なので、それがいつ訪れるのか私にはわからない。
宣告したのだから、次の機会には必ず食べることになるだろう。
困惑と期待で、待つ。
その宣告をされてから、どれくらいの時間が過ぎたのかはっきりとわからない。
数週間だったか、数ヶ月だったか。
でも、その日はやってきた。
「りん子、アナル舐めて」
いわゆる「ご奉仕」(全身ペロペロね)をするときも私のしたいようにさせるから、こういう具体的な指示は滅多にない。
まして、流れの中ではない唐突なこの指示は、何か特別な意味を感じてしまう。
腕枕からずるずると足下に動いて、那智さんの足の間に顔を埋める。
ペロペロと舐めていると、おならが出た(だから、スルーしてね!!)
そこで、はじめて気が付いた。
ああ、うんこするんだ。
ということは、食べるんだ。
「おいで」
言われるままに付いて行く。
バスルームに先に入った那智さんが、熱いシャワーを床に置き温めて準備してくれている。
私は髪を束ね、ドアの所でそれを見ている。
「シャワーキャップにすればいいのに。」
「いいんです、シャワーキャップ可愛くないから…。」
いつも思う、凄いことをする前って、なんでこんなに淡々とした空気になるんだろう。
那智さんはいつでもどこでも淡々としてるんだけど、私まで静かにこんな会話をしている。
「寝て」
温められた固い床に仰向けに寝転ぶ。
那智さんが一瞬迷って、私の胸の上に跨がった。
お口じゃないんだ。
寂しいような、安堵のような。
那智さんが私の胸の上に排泄をしはじめた。
温かいものが、ごろり、ごろり、と落ちてくる。
このあたりから、はっきりとそれが嬉しくて感じてしまっていることとを自覚している。
嬉しい、那智さんのうんこ。
私の胸の上にある。
ふと、見るとおちんちんが顔の間近にある。
いつも体に出されるときは、お腹の辺りのほうが多いから、こんなに近くにあることははじめてかもしれない。
それをお口に入れたい。
胸にうんこを出してもらっているときに、目の前のおちんちんをくわえたい。
だって、大好きなんだもの、もっと感じたいのだもの。
「那智さん、お口に入れてもいいですか?」
そう言って、目の前のものをくわえる。
ああ、幸せ。
那智さんの体が反応してくれて、嬉しい。
私に排泄することを喜んでくれていることが、更に私を幸せにさせる。
気持ち良く感じながらお口にふくんでいると、あっけなく抜かれてしまった。
おしまいになったのね。
食べるんだ。
胸の上にあるいくつかの固まりのうちのひとつを指でつまんで、私の口元に持ってくる。
お口をあーんと開けて、それをふくむ。
ほんとだ、煙草くらいの長さはある。
太さはウインナーくらいかな。
その状態で那智さんは私を抱いた。
口を半開きにしてうんこをふくみ、胸にはうんこを乗せた私を抱く。
気持ちがいい。
胸と一緒にうんこが揺さぶられて、それに合わせるように半開きの口から喘ぎ声が漏れる。
気持ち良くて、嬉しくて、我を忘れてしまいそう。
ひとしきり抱いて、那智さんが離れた。
次は、これを食べる番だ。
でも、これを一度に食べる勇気はない。
「吐いてもいいからね。」
私が拒絶反応して悲しくなってしまう気持ちを緩和してくれているんだ。
でも、一度には無理。
そう思って、舌で転がし、歯に挟み噛んだ。
噛み千切って、半分を持ち、口を閉じた。
残った口の中のうんこを舌で探って、噛む。
むしゃむしゃとしてみるけど、やっぱりおえってなってしまう。
「吐いてもいいからね。」
那智さんは、吐かせたいのかしら。
おえってなる私を見たいのかしら。
でも、やっぱりだめ。
吐き出したくない。
でも、飲み込めない。
涙目になっていると、那智さんがコップに水を汲んでくれた。
それを口に持ってきてくれたから、水と一緒に流し込む。
私の意気地なし。
吐いていいっていってもらっているのに、吐けないじゃない。
拒否したくないという思い。
それと、「嘔吐」するということに対する、本能的な理性(そんな言葉ない!?無意識の理性かな)が邪魔をしてしまう。
普通は、誰だって嘔吐したくないもの。
苦しいし、みっともないし、汚いし、人に迷惑が掛かる。
幼いころから、自然に植え付けられた理性が邪魔をするんだ。
意気地なし、その理性を那智さんが取り払おうとしてくれているのに、できない。
手に残った半分も口に入れて、水で流し込んでしまった。
委ねられていないなと、少し残念になる。
そんな気持ちをよそに、那智さんは胸の上にあるものを塗り広げている。
ああ、嬉しい。
那智さんのうんこが体にいっぱいになってる。
少しの残念な気持ちはどこかへ消え、うんこにまみれて幸せを取り戻した。
いつの間にか、那智さんがカメラを持って来ていた。
手を洗ったのですか?
私もすこし正気に戻る。
「あれ?電池切れだ。」
え?そうなの?残念。
そう思って素直に口にした、残念そうに、不満そうに。
「なんで電池ないのですか。撮ってほしかったのに。」
いつも写真を撮られるのは恥ずかしいくせに、なんだかこの写真だけは撮りたくなってしまう。
というよりか、その私を私が見たいんだ。
うんこにまみれて、汚いはずなのに、誇らしい女の姿を見たいんだ。
トイレットペーパーで丁寧に体を拭いて、泡立てたスポンジで体を洗ってもらう。
相変わらず、言葉少なく淡々と流れているけど、体を洗ってもらうもは保護されているみたいで大好きなこと。
「はい、あとは好きなように。」
スポンジを私に預けて、さっさとバスルームを後にする。
そっけない那智さん、だから、いつも大好きなこの時間はちょっとだけ。
それでも、その余韻を味わうように、きれいにしてしまうのを惜しむように、ゆっくりと体を流す。
舌で掬う程度ではなくて、はじめて「食べた」。
むしゃむしゃと美味しそうにとはいかなかった。
何より、「吐いていい」という那智さんに委ねることができなくて、ちょっと残念だった。
その常識を取っ払いたい。
それを取り払って、その先にあるものを那智さんと見てみたい。
欲望は底なしだ。
委ねる踏み絵は、繰り返す。
「覚悟してね、今度は必ず食べさせるから。」
もう、止まらない、どんどんいっちゃえ〜。
最後は「うんこを食べる」だ〜。
苦手な方はスルーしてね。
「覚悟してね、今度は必ず食べさせるから。むしゃむしゃと食べるんだよ。」
電話でそう聞かされたとき、私の心はどう動いただろう。
とうとう来てしまったなのか、やっと来たなのか、とても複雑な長いため息を付く。
知り合って数年。
はじめの頃からそれは、那智さんの望みだった。
「那智さんのうんこを美味しそうに食べるりん子」
手で受け、舌で掬い、体に塗られ、口で受け、舌で舐めてきれいにした。
那智さんが大好きで、那智さんのしてくれることが嬉しくて、那智さんがしたいと思ってくれることが嬉しくて、それらは私の快感になっていた。
手で受けるとき那智さんの足下に座ることが嬉しい。
舌で掬って「べー」ってしたまま見せることは、誇らしい。
胸の辺りが茶色く染まって、那智さんのうんこにまみれる姿はもっと誇らしい。
口を開け、困惑と期待を交錯させて待つことは、それだけで快感だ。
いつの間にかここまできたんだな〜と、心の片隅が冷静に思う。
でも、それ以外は嬉しいやら困るやら、ジタバタとしている。
「食べるって、どれくらいを考えてますか?」
大多数のジタバタをそっちのけで、一部の冷静な私が聞く。
でも、うわずった声が、その冷静さの気弱な感じを物語っている。
「そうだな、長さで言えば、最低でも煙草一本分くらいかな。」
「むしゃむしゃと食べるのですよね。」
「そうだね。」
声はうわずっているけれど、業務連絡のように会話は進んで、ここでまた長いため息を吐く。
生理現象なので、それがいつ訪れるのか私にはわからない。
宣告したのだから、次の機会には必ず食べることになるだろう。
困惑と期待で、待つ。
その宣告をされてから、どれくらいの時間が過ぎたのかはっきりとわからない。
数週間だったか、数ヶ月だったか。
でも、その日はやってきた。
「りん子、アナル舐めて」
いわゆる「ご奉仕」(全身ペロペロね)をするときも私のしたいようにさせるから、こういう具体的な指示は滅多にない。
まして、流れの中ではない唐突なこの指示は、何か特別な意味を感じてしまう。
腕枕からずるずると足下に動いて、那智さんの足の間に顔を埋める。
ペロペロと舐めていると、おならが出た(だから、スルーしてね!!)
そこで、はじめて気が付いた。
ああ、うんこするんだ。
ということは、食べるんだ。
「おいで」
言われるままに付いて行く。
バスルームに先に入った那智さんが、熱いシャワーを床に置き温めて準備してくれている。
私は髪を束ね、ドアの所でそれを見ている。
「シャワーキャップにすればいいのに。」
「いいんです、シャワーキャップ可愛くないから…。」
いつも思う、凄いことをする前って、なんでこんなに淡々とした空気になるんだろう。
那智さんはいつでもどこでも淡々としてるんだけど、私まで静かにこんな会話をしている。
「寝て」
温められた固い床に仰向けに寝転ぶ。
那智さんが一瞬迷って、私の胸の上に跨がった。
お口じゃないんだ。
寂しいような、安堵のような。
那智さんが私の胸の上に排泄をしはじめた。
温かいものが、ごろり、ごろり、と落ちてくる。
このあたりから、はっきりとそれが嬉しくて感じてしまっていることとを自覚している。
嬉しい、那智さんのうんこ。
私の胸の上にある。
ふと、見るとおちんちんが顔の間近にある。
いつも体に出されるときは、お腹の辺りのほうが多いから、こんなに近くにあることははじめてかもしれない。
それをお口に入れたい。
胸にうんこを出してもらっているときに、目の前のおちんちんをくわえたい。
だって、大好きなんだもの、もっと感じたいのだもの。
「那智さん、お口に入れてもいいですか?」
そう言って、目の前のものをくわえる。
ああ、幸せ。
那智さんの体が反応してくれて、嬉しい。
私に排泄することを喜んでくれていることが、更に私を幸せにさせる。
気持ち良く感じながらお口にふくんでいると、あっけなく抜かれてしまった。
おしまいになったのね。
食べるんだ。
胸の上にあるいくつかの固まりのうちのひとつを指でつまんで、私の口元に持ってくる。
お口をあーんと開けて、それをふくむ。
ほんとだ、煙草くらいの長さはある。
太さはウインナーくらいかな。
その状態で那智さんは私を抱いた。
口を半開きにしてうんこをふくみ、胸にはうんこを乗せた私を抱く。
気持ちがいい。
胸と一緒にうんこが揺さぶられて、それに合わせるように半開きの口から喘ぎ声が漏れる。
気持ち良くて、嬉しくて、我を忘れてしまいそう。
ひとしきり抱いて、那智さんが離れた。
次は、これを食べる番だ。
でも、これを一度に食べる勇気はない。
「吐いてもいいからね。」
私が拒絶反応して悲しくなってしまう気持ちを緩和してくれているんだ。
でも、一度には無理。
そう思って、舌で転がし、歯に挟み噛んだ。
噛み千切って、半分を持ち、口を閉じた。
残った口の中のうんこを舌で探って、噛む。
むしゃむしゃとしてみるけど、やっぱりおえってなってしまう。
「吐いてもいいからね。」
那智さんは、吐かせたいのかしら。
おえってなる私を見たいのかしら。
でも、やっぱりだめ。
吐き出したくない。
でも、飲み込めない。
涙目になっていると、那智さんがコップに水を汲んでくれた。
それを口に持ってきてくれたから、水と一緒に流し込む。
私の意気地なし。
吐いていいっていってもらっているのに、吐けないじゃない。
拒否したくないという思い。
それと、「嘔吐」するということに対する、本能的な理性(そんな言葉ない!?無意識の理性かな)が邪魔をしてしまう。
普通は、誰だって嘔吐したくないもの。
苦しいし、みっともないし、汚いし、人に迷惑が掛かる。
幼いころから、自然に植え付けられた理性が邪魔をするんだ。
意気地なし、その理性を那智さんが取り払おうとしてくれているのに、できない。
手に残った半分も口に入れて、水で流し込んでしまった。
委ねられていないなと、少し残念になる。
そんな気持ちをよそに、那智さんは胸の上にあるものを塗り広げている。
ああ、嬉しい。
那智さんのうんこが体にいっぱいになってる。
少しの残念な気持ちはどこかへ消え、うんこにまみれて幸せを取り戻した。
いつの間にか、那智さんがカメラを持って来ていた。
手を洗ったのですか?
私もすこし正気に戻る。
「あれ?電池切れだ。」
え?そうなの?残念。
そう思って素直に口にした、残念そうに、不満そうに。
「なんで電池ないのですか。撮ってほしかったのに。」
いつも写真を撮られるのは恥ずかしいくせに、なんだかこの写真だけは撮りたくなってしまう。
というよりか、その私を私が見たいんだ。
うんこにまみれて、汚いはずなのに、誇らしい女の姿を見たいんだ。
トイレットペーパーで丁寧に体を拭いて、泡立てたスポンジで体を洗ってもらう。
相変わらず、言葉少なく淡々と流れているけど、体を洗ってもらうもは保護されているみたいで大好きなこと。
「はい、あとは好きなように。」
スポンジを私に預けて、さっさとバスルームを後にする。
そっけない那智さん、だから、いつも大好きなこの時間はちょっとだけ。
それでも、その余韻を味わうように、きれいにしてしまうのを惜しむように、ゆっくりと体を流す。
舌で掬う程度ではなくて、はじめて「食べた」。
むしゃむしゃと美味しそうにとはいかなかった。
何より、「吐いていい」という那智さんに委ねることができなくて、ちょっと残念だった。
その常識を取っ払いたい。
それを取り払って、その先にあるものを那智さんと見てみたい。
欲望は底なしだ。
委ねる踏み絵は、繰り返す。