私について(父性とシスターコンプレックス1)
惹かれ合う理由
私には、年の離れた姉がいる。
6つ離れたその姉は私に比べて頭が良く感受性豊かで、道徳的な人だ。
まして6つも離れているのだから、幼いころなんて、頭の良さや道徳などは、明らかな差があって当たり前。
いまなら、そう思える。(年の差を差し引いても、私のほうがバカなことには、かわらないのですけど♪)
でも、幼い私にとって、姉は憧れの人だった。
何をやってもかなわない。
たくさん遊んでくれるおねえちゃん、優しいおねえちゃん、いっつもおねえちゃんの後をついてまわっていた。
私が小学校一年生の時、姉は六年生。
一緒に登校して、昇降口で別の方向に分かれるときなどは、その場に立ち止まりずっと手を振っていた。
振り返って手を振り返してくれることが嬉しくて、1人になるのが淋しくて、姿が見えなくなるまでずっと手を振っていた。
私の父は子供のような人で(これは、後で詳しく書きます)、自営業をしていたから母はいつも忙しい(擁護するようですが、母も優しい人。感情的に怒ったりすることのない大人。でも、如何せん忙しかった)。
余計に、私は姉にべったりで。
遊んでもらうだけではなく、勉強を教えてもらったり、叱られたりもした。
私も、おねえちゃんのようになりたい。
おねえちゃんの言うことは正しい。
おねえちゃんの好きなものは、私も大好き。
おねえちゃんに好かれていたい。
この感情、幼いころだけなら、まあ、ありがちなことだったかもしれない。
でも、大人になっても姉妹に依存していることは、どこか歪んでいる。
歪みが生じて、問題となって表にでたのは、私が結婚生活を維持できなくなったことだ。
ある時を境に、その元夫が好きではないと気付いてしまったのだ。
そんな人と一緒に暮らせない。
わがままを押し通して、私は離婚した。(その元夫は、いまは再婚して幸せな家庭を築いているようです。よかった♪)
この時、逃げ出してしまいたい私に、姉は必死に向き合ってくれる。
なぜ、こうなったのか、どうしたらこれから私が幸せになれるのか(ひいては、私たち家族のため。余談ですが、父が子供だったせいもあり、姉は母の苦労を一緒に背負い込んでいました。姉はマザコンなのです。だから余計に一生懸命になったと本人も言っていました)。
何度も話した。
姉の旦那さんと同じようなスーツの似合う人と、姉の結婚した年齢と同じ23歳で結婚した。
でも、なぜだめだったのだろう。
いまならわかる、簡単なことだ。
私は、姉ではない。
姉と同じ、好みや人生になるはずがない。
姉と同じような、選択をしても、姉になれるわけがない。
「おねえちゃんのようになりたい。」
その時に、はじめて気が付いたのだ。
姉は頭も良い、本もたくさん読むし、悪いことはしない優等生。
この人に憧れを抱くことは、もちろん自然な感情だ。
でも、それだけではなかった。
大人になってもずっと、おねえちゃんのようになりたいと思うこの渇望は、「おねえちゃんのようになって、おとうさんに愛されたい。」だったのだ。
ちょっと、休憩させてくださいね。
私には、年の離れた姉がいる。
6つ離れたその姉は私に比べて頭が良く感受性豊かで、道徳的な人だ。
まして6つも離れているのだから、幼いころなんて、頭の良さや道徳などは、明らかな差があって当たり前。
いまなら、そう思える。(年の差を差し引いても、私のほうがバカなことには、かわらないのですけど♪)
でも、幼い私にとって、姉は憧れの人だった。
何をやってもかなわない。
たくさん遊んでくれるおねえちゃん、優しいおねえちゃん、いっつもおねえちゃんの後をついてまわっていた。
私が小学校一年生の時、姉は六年生。
一緒に登校して、昇降口で別の方向に分かれるときなどは、その場に立ち止まりずっと手を振っていた。
振り返って手を振り返してくれることが嬉しくて、1人になるのが淋しくて、姿が見えなくなるまでずっと手を振っていた。
私の父は子供のような人で(これは、後で詳しく書きます)、自営業をしていたから母はいつも忙しい(擁護するようですが、母も優しい人。感情的に怒ったりすることのない大人。でも、如何せん忙しかった)。
余計に、私は姉にべったりで。
遊んでもらうだけではなく、勉強を教えてもらったり、叱られたりもした。
私も、おねえちゃんのようになりたい。
おねえちゃんの言うことは正しい。
おねえちゃんの好きなものは、私も大好き。
おねえちゃんに好かれていたい。
この感情、幼いころだけなら、まあ、ありがちなことだったかもしれない。
でも、大人になっても姉妹に依存していることは、どこか歪んでいる。
歪みが生じて、問題となって表にでたのは、私が結婚生活を維持できなくなったことだ。
ある時を境に、その元夫が好きではないと気付いてしまったのだ。
そんな人と一緒に暮らせない。
わがままを押し通して、私は離婚した。(その元夫は、いまは再婚して幸せな家庭を築いているようです。よかった♪)
この時、逃げ出してしまいたい私に、姉は必死に向き合ってくれる。
なぜ、こうなったのか、どうしたらこれから私が幸せになれるのか(ひいては、私たち家族のため。余談ですが、父が子供だったせいもあり、姉は母の苦労を一緒に背負い込んでいました。姉はマザコンなのです。だから余計に一生懸命になったと本人も言っていました)。
何度も話した。
姉の旦那さんと同じようなスーツの似合う人と、姉の結婚した年齢と同じ23歳で結婚した。
でも、なぜだめだったのだろう。
いまならわかる、簡単なことだ。
私は、姉ではない。
姉と同じ、好みや人生になるはずがない。
姉と同じような、選択をしても、姉になれるわけがない。
「おねえちゃんのようになりたい。」
その時に、はじめて気が付いたのだ。
姉は頭も良い、本もたくさん読むし、悪いことはしない優等生。
この人に憧れを抱くことは、もちろん自然な感情だ。
でも、それだけではなかった。
大人になってもずっと、おねえちゃんのようになりたいと思うこの渇望は、「おねえちゃんのようになって、おとうさんに愛されたい。」だったのだ。
ちょっと、休憩させてくださいね。
私について(父性とシスターコンプレックス2)
惹かれ合う理由
私の父は子供のような人。
自分の感情のままに動く人。
これを言ったら相手がどう感じるかなんて、思いもよらない人。
だから、決して性格が意地悪とか陰湿とかではないのです。
だって意地悪って、相手がどう感じるか考えないとできないでしょ(笑)。
そんな謀略なんて遠い世界、だから、ただ単に「子供のような人」。
意地悪ではないとはいえ、そんな人を父に持つとやっぱり大変ではある。
子供のようだから、感情的だ。
気分で行動や言動が左右する。
駄々っ子に手を焼くように、日常的に小さな気苦労は絶えない。
でも、それくらいはまだましなほう。
そうはいっても大人の男だ。
些細なことで急に機嫌が悪くなりテーブルをひっくり返したり、感情を爆発させて暴力を振るうことも一度や二度ではない。
母に向けられる暴力や暴言を、少しでも回避しようと、幼い私は「やめて」と泣いて訴える。
少し大きくなってからは、わざと憎まれ口を叩いて怒りの矛先が私に向くように仕向ける。
ある時なんて、馬乗りになって殴られたこともあった。
世の中には、もっと酷い虐待が存在していることも知っている。
だから、自分だけが不幸だなんて思ってはいない。
むしろ、和やかなときは多く、悲惨な少女時代だったとも思っていない。
ただ、父の機嫌が気がかりで、いつも心の奥底は、ヒヤヒヤしていたことは事実だ。
その父にとって、姉は天使だった。
可愛い可愛い長女だった。
父は、姉を溺愛していた。
溺愛自体歪んだ愛情で、姉も被害者だと、いまなら思える。
幼いころから、父は私にいつも姉の自慢をする。
(可笑しいでしょ!娘に娘の自慢をするなんて!!)
「おまえは、おねえちゃんみたいな、優しいおねえさんがいて良かったな♪」
「おまえもおねえちゃんみたいに、髪を伸ばしたらいいのに。」
そばで、聞かされる姉も居心地悪いらしく、フォローしてくれて「私だって、りん子がいてよかったよ!」と、父に言ってくれる。
そんな時父は、理解不能な数学でも聞かされたように、きょとんとして首をかしげるのだ。
姉にとって、私がいる利点が想像できないらしい。(そもそも家族の愛情なんて利点で計るものではなけど)
時々、「安寿と厨子王」を幼い姉に読んであげたときの話を私にする。
安寿と厨子王が離ればなれになるシーンで、感情を込めて読み聞かせる父の話に姉は、涙を流して聞き入っていたらしい。
「あの時のおねえちゃんは、可愛かったな〜。」
と、恋人の自慢をするように。
「安寿と厨子王」を読んでもらったことがない私は、同じ年くらいで読んでもらった姉の泣き顔を想像をしながら、どう答えてよいか分からず、戸惑うだけだった。
私たちが大人になっても、変わらない。
社会人になって、仕事中に痴漢にあった話をすると(私はエレベーターガールだったのです。今は懐かしい!?)、母は激怒するけれど(自分のために、怒りを表してくれるのって嬉しいですよね)、父は突拍子もないことを言い出すのだ。
「若い男なんて、そんなもんだ。少しは触らせてやれ♪」
私は、一緒に怒ってほしかった。
自分の娘が痴漢に遭う、それも、お尻を触る程度ではなく、二人っきりのエレベーターの中で、後ろから胸を鷲掴みにされるという暴漢に近い酷い目に遭ったと言っているのだ。(酷いでしょ?もちろん警備員に通報しましたよ。怖かった〜。)
それなのに、怒ってくれない。
その淋しさをどう収めれば良いわからず、冗談まじりに聞いてみる。
「もしおねえちゃんが同じめにあったら、怒るでしょ?」
答えは、予想した通り「そうだな〜。」だった。
何かを期待した私が悪かったのだ。
欲しいものは、与えられない。
でも、諦められない。
お父さんに可愛がられたいと思ってしまうことは、父親の愛情が必要な女の子なら誰でも思う自然なことだ。
与えられないならば、与えられているおねえちゃんのようになりたいと思ってしまうことは、これも仕方がないことではないだろうか。
私は、姉のようになりたい。
でも、私は姉ではない。
姉がもらえていた愛を私は知らない。(姉ももらえていたとは言い難いけど)
父がくれないならば、似たようなものを他の誰かにもらうしかない。
私が、満たされ幸福になるには、それしか方法はない。
でも、知らないものは探しようがない。
遠い異国の見知らぬ料理の美味しさが、想像できないように。
知らないのもは、想像すらできない。
父性の海に抱かれる心地よさを、那智さんに感じさせてもらえるまで、この心地よさを自分が欲していたことさえも、私はわからずにいた。
ただ、何かを切望し、漂流しているだけだった。
私の父は子供のような人。
自分の感情のままに動く人。
これを言ったら相手がどう感じるかなんて、思いもよらない人。
だから、決して性格が意地悪とか陰湿とかではないのです。
だって意地悪って、相手がどう感じるか考えないとできないでしょ(笑)。
そんな謀略なんて遠い世界、だから、ただ単に「子供のような人」。
意地悪ではないとはいえ、そんな人を父に持つとやっぱり大変ではある。
子供のようだから、感情的だ。
気分で行動や言動が左右する。
駄々っ子に手を焼くように、日常的に小さな気苦労は絶えない。
でも、それくらいはまだましなほう。
そうはいっても大人の男だ。
些細なことで急に機嫌が悪くなりテーブルをひっくり返したり、感情を爆発させて暴力を振るうことも一度や二度ではない。
母に向けられる暴力や暴言を、少しでも回避しようと、幼い私は「やめて」と泣いて訴える。
少し大きくなってからは、わざと憎まれ口を叩いて怒りの矛先が私に向くように仕向ける。
ある時なんて、馬乗りになって殴られたこともあった。
世の中には、もっと酷い虐待が存在していることも知っている。
だから、自分だけが不幸だなんて思ってはいない。
むしろ、和やかなときは多く、悲惨な少女時代だったとも思っていない。
ただ、父の機嫌が気がかりで、いつも心の奥底は、ヒヤヒヤしていたことは事実だ。
その父にとって、姉は天使だった。
可愛い可愛い長女だった。
父は、姉を溺愛していた。
溺愛自体歪んだ愛情で、姉も被害者だと、いまなら思える。
幼いころから、父は私にいつも姉の自慢をする。
(可笑しいでしょ!娘に娘の自慢をするなんて!!)
「おまえは、おねえちゃんみたいな、優しいおねえさんがいて良かったな♪」
「おまえもおねえちゃんみたいに、髪を伸ばしたらいいのに。」
そばで、聞かされる姉も居心地悪いらしく、フォローしてくれて「私だって、りん子がいてよかったよ!」と、父に言ってくれる。
そんな時父は、理解不能な数学でも聞かされたように、きょとんとして首をかしげるのだ。
姉にとって、私がいる利点が想像できないらしい。(そもそも家族の愛情なんて利点で計るものではなけど)
時々、「安寿と厨子王」を幼い姉に読んであげたときの話を私にする。
安寿と厨子王が離ればなれになるシーンで、感情を込めて読み聞かせる父の話に姉は、涙を流して聞き入っていたらしい。
「あの時のおねえちゃんは、可愛かったな〜。」
と、恋人の自慢をするように。
「安寿と厨子王」を読んでもらったことがない私は、同じ年くらいで読んでもらった姉の泣き顔を想像をしながら、どう答えてよいか分からず、戸惑うだけだった。
私たちが大人になっても、変わらない。
社会人になって、仕事中に痴漢にあった話をすると(私はエレベーターガールだったのです。今は懐かしい!?)、母は激怒するけれど(自分のために、怒りを表してくれるのって嬉しいですよね)、父は突拍子もないことを言い出すのだ。
「若い男なんて、そんなもんだ。少しは触らせてやれ♪」
私は、一緒に怒ってほしかった。
自分の娘が痴漢に遭う、それも、お尻を触る程度ではなく、二人っきりのエレベーターの中で、後ろから胸を鷲掴みにされるという暴漢に近い酷い目に遭ったと言っているのだ。(酷いでしょ?もちろん警備員に通報しましたよ。怖かった〜。)
それなのに、怒ってくれない。
その淋しさをどう収めれば良いわからず、冗談まじりに聞いてみる。
「もしおねえちゃんが同じめにあったら、怒るでしょ?」
答えは、予想した通り「そうだな〜。」だった。
何かを期待した私が悪かったのだ。
欲しいものは、与えられない。
でも、諦められない。
お父さんに可愛がられたいと思ってしまうことは、父親の愛情が必要な女の子なら誰でも思う自然なことだ。
与えられないならば、与えられているおねえちゃんのようになりたいと思ってしまうことは、これも仕方がないことではないだろうか。
私は、姉のようになりたい。
でも、私は姉ではない。
姉がもらえていた愛を私は知らない。(姉ももらえていたとは言い難いけど)
父がくれないならば、似たようなものを他の誰かにもらうしかない。
私が、満たされ幸福になるには、それしか方法はない。
でも、知らないものは探しようがない。
遠い異国の見知らぬ料理の美味しさが、想像できないように。
知らないのもは、想像すらできない。
父性の海に抱かれる心地よさを、那智さんに感じさせてもらえるまで、この心地よさを自分が欲していたことさえも、私はわからずにいた。
ただ、何かを切望し、漂流しているだけだった。
私について(見下しと不安)
2006/6/20
惹かれ合う理由
ずっと違和感を感じていた。
他人のいう気遣いと、私のそれの感覚に違和感を感じていた。
たとえば、学生時代。
学校帰りにアイスクリームショップに数人で立ち寄る。
みんな、そろって二段重ねの「ダブル」を注文するけど、私はさほど甘い物が好きではないから「シングル」にする。
すると、1人の女の子がそれを見て「付き合いわるーい!」と言って周りの子と笑う。
こんな時、私は困ってしまうのだ。
この子は、私を責めているのか。
冗談のつもりなのか。
それが、いけないことで、忠告の意味を込めて責めているなら
、笑うのではなく、他人に悟られぬようにアドバイスするべき
ではないか。
冗談ならば、もう少し違う言い方ができないのか。
アイスクリームショップに行くのを断ったのならば「付き合い悪い」と言われてもしかたない(譲歩して、本当はそんなこと個人の自由のはずだ)。
たかが、アイスクリームが一段足りないだけで、そんなことを言われることに、困惑してしまうのだ。
アイスクリームの段数を揃える気遣いは、私にはない。
でも、周囲の空気を不穏にしない気遣いは、できる。
私の周りの人は、前者の気遣いを重要視するらしい。
私は、不穏な空気が苦手だ。
まして、私の言動でそうなってしまうなんて極力避けたい。
他人を傷つけるような言葉を発することのないように、気遣っている。
だから、無神経な言葉に驚き、言い返すこともできずに、少し傷つきながらも笑って流す。
それと、同時に、そういう言葉しか選べないその子を、心の中でばかにする。
見下しているのだもの。きちんとした人間関係なんて作れない。
まあ、今思えば、そういう集団行動の付き合いは苦手で、付いて行ってはいるものの、心は離れているのだから「付き合い悪い」と思われてもしかたないか。
そのうち、周りは、私に「怒り」や「傷つく」感情がないものと錯覚していく。
それは、男女の付き合いにおいても同じだ。
相変わらず、不穏な空気が苦手な私は、一見すれば、いつも機嫌の良い、素直な女だ。
男性を甘やかせる(ぬるま湯につからせると言っているの)のが、上手い。
些細なことからはじまって、かなりひどいこと(6時間待たされるとか)をしても、感情を爆発させない私に、男はどんどん増長してくる。
はじめは、私が傷ついているか気にしなくなる。
そのうち、私に、傷つくというような負の感情があるかどうかさえも気にしなくなってくる。
その心の動きを目の当たりにしながら、付き合うのは悲しいことだ。
そして、ある時突然私はその男が嫌いになってしまう。
そもそも、好きだったのかさえわからなくなるほどに。
相手にしてみれば、わかる訳ない。
だって、感情を爆発させていないから。
でも、ほんの少しは伝えているつもりだ、空気が不穏にならない程度に。
伝えない心を見抜けない男の人を、見下しているのだもの愛しているなんて感情を持てるはずない。
そして、それには厄介なことに、不安が付きまとう。
見下している相手に対して、私の「見下し」や「負の感情」を見せていないから、本当の私を見せていないから、目の前の男性がいくら私を好きだと言っても、自信が持てない。
この人は、本当の私を好きなのではないと、それを知っても好きでいてくれるはずないと、不安になる。
何度か同じような別れを繰り返して、私は諦める。
「愛してる」と歌を口ずさむ時、生まれ変わっても一緒になりたいと友達のノロケを耳にする時、私は諦めて心の中でため息をつく。
私には、そういう感情は備わっていないらしい。
誰も私をわかってくれないなんて、悲劇のヒロインを気取るつもりもない。
爆発させていなんのだもの、わかるはずもない。
伝えたいと思う感情の有無も含めて、是が非でもという感情が備わっていないらしい。
そう思える男性に出会えていないのではなく、そういう感情を私は持ち合わせていないのだ。
相手を見下し、自分は不安になる。
出口のない迷路に迷い込んでしまったように、悪循環を繰り返す。
「愛している」は諦めたけれど、もうひとつ叶えたいことが私にはあった。
次は、私の性癖についてお話ししますね。
惹かれ合う理由
ずっと違和感を感じていた。
他人のいう気遣いと、私のそれの感覚に違和感を感じていた。
たとえば、学生時代。
学校帰りにアイスクリームショップに数人で立ち寄る。
みんな、そろって二段重ねの「ダブル」を注文するけど、私はさほど甘い物が好きではないから「シングル」にする。
すると、1人の女の子がそれを見て「付き合いわるーい!」と言って周りの子と笑う。
こんな時、私は困ってしまうのだ。
この子は、私を責めているのか。
冗談のつもりなのか。
それが、いけないことで、忠告の意味を込めて責めているなら
、笑うのではなく、他人に悟られぬようにアドバイスするべき
ではないか。
冗談ならば、もう少し違う言い方ができないのか。
アイスクリームショップに行くのを断ったのならば「付き合い悪い」と言われてもしかたない(譲歩して、本当はそんなこと個人の自由のはずだ)。
たかが、アイスクリームが一段足りないだけで、そんなことを言われることに、困惑してしまうのだ。
アイスクリームの段数を揃える気遣いは、私にはない。
でも、周囲の空気を不穏にしない気遣いは、できる。
私の周りの人は、前者の気遣いを重要視するらしい。
私は、不穏な空気が苦手だ。
まして、私の言動でそうなってしまうなんて極力避けたい。
他人を傷つけるような言葉を発することのないように、気遣っている。
だから、無神経な言葉に驚き、言い返すこともできずに、少し傷つきながらも笑って流す。
それと、同時に、そういう言葉しか選べないその子を、心の中でばかにする。
見下しているのだもの。きちんとした人間関係なんて作れない。
まあ、今思えば、そういう集団行動の付き合いは苦手で、付いて行ってはいるものの、心は離れているのだから「付き合い悪い」と思われてもしかたないか。
そのうち、周りは、私に「怒り」や「傷つく」感情がないものと錯覚していく。
それは、男女の付き合いにおいても同じだ。
相変わらず、不穏な空気が苦手な私は、一見すれば、いつも機嫌の良い、素直な女だ。
男性を甘やかせる(ぬるま湯につからせると言っているの)のが、上手い。
些細なことからはじまって、かなりひどいこと(6時間待たされるとか)をしても、感情を爆発させない私に、男はどんどん増長してくる。
はじめは、私が傷ついているか気にしなくなる。
そのうち、私に、傷つくというような負の感情があるかどうかさえも気にしなくなってくる。
その心の動きを目の当たりにしながら、付き合うのは悲しいことだ。
そして、ある時突然私はその男が嫌いになってしまう。
そもそも、好きだったのかさえわからなくなるほどに。
相手にしてみれば、わかる訳ない。
だって、感情を爆発させていないから。
でも、ほんの少しは伝えているつもりだ、空気が不穏にならない程度に。
伝えない心を見抜けない男の人を、見下しているのだもの愛しているなんて感情を持てるはずない。
そして、それには厄介なことに、不安が付きまとう。
見下している相手に対して、私の「見下し」や「負の感情」を見せていないから、本当の私を見せていないから、目の前の男性がいくら私を好きだと言っても、自信が持てない。
この人は、本当の私を好きなのではないと、それを知っても好きでいてくれるはずないと、不安になる。
何度か同じような別れを繰り返して、私は諦める。
「愛してる」と歌を口ずさむ時、生まれ変わっても一緒になりたいと友達のノロケを耳にする時、私は諦めて心の中でため息をつく。
私には、そういう感情は備わっていないらしい。
誰も私をわかってくれないなんて、悲劇のヒロインを気取るつもりもない。
爆発させていなんのだもの、わかるはずもない。
伝えたいと思う感情の有無も含めて、是が非でもという感情が備わっていないらしい。
そう思える男性に出会えていないのではなく、そういう感情を私は持ち合わせていないのだ。
相手を見下し、自分は不安になる。
出口のない迷路に迷い込んでしまったように、悪循環を繰り返す。
「愛している」は諦めたけれど、もうひとつ叶えたいことが私にはあった。
次は、私の性癖についてお話ししますね。
私について(性癖1)
惹かれ合う理由
「あの胸のざわめきも、あの時のそれも、すべてここに繋がっていたのかもしれない。」
なかなか見つからないパズルのワンピースがすっとあるべき場所に収まりひとつの絵が完成したような、爽快な気分。
本来ならば、このざわめきは爽快な気分とは、ほど遠い。
しかし、ずっと解けずにいた謎が解決した瞬間は、答えがどうあれ一瞬の爽快感をもたらしてくれるものだ。
深夜の情報番組(確かトゥナイト・・年がばれる)。
両手足を手枷足枷と鎖で拘束された男性が、不自由そうに四つん這いで歩いている。
部屋の照明は落としてあるから、表情などは伺えない。
そばに「女王様」と呼ばれる女性がいて、インタビューを受けている。
この男性は「奴隷」で、お掃除担当の「お掃除奴隷(いまなら、ちょっと苦笑です)」だと言っている。
女王様は手に鞭を持っていて、ゆらゆらと弄ぶように揺らしている。
「SM」という世界なのか。
私は、いままで幾度となく感じていたざわめきが、いまテレビを見ながら感じているものと同じ種類だということに、気づいて身を固くする。
この感覚、はじめて覚えたのは小学校一年生の時だ。
お友達と二人で、たまたまエッチ漫画を見つけたことがある。
いろんなタイプの漫画があったはずだが、どうしても後々まで気になってしかたがないものがあった。
男女の絡んだものや、リアルな描写のものがある中で、私の心に引っかかったものは、数人の女性が1人の女性に拷問のような酷い仕打ちをするというお話だった。
絵の感じも、簡素なタッチで、むしろコメディタッチだったと記憶している。
裸にされた女性を担ぎ上げ、画びょうのばらまかれた台の上に置く。
棒を膝の裏側にはさんだまま正座をさせ、その棒の両端に乗り体重を掛ける。
話の経緯は覚えていない。
1人の女性が慌てたり苦悶する姿を見て、数人の女性が笑うのだ。
このシーンが、いつまでたっても忘れられず、思い出すたびに落ち着かない気分になるのだ。
これがはじめの記憶。
家族で見ていたテレビの時代劇で、町娘が牢獄に入れられて拘束され竹刀で叩かれ拷問を受ける。
借金の肩に身売りされる。
世界史の教科書に載っていた、(どんな罪を犯したのか覚えていないけど)非国民扱いされて、頭を丸刈りにして、首から「私は国を裏切った」というような内容のプレートを下げて晒し者にされている女性。
これらの境遇の女性たちに感じるシンパシーのようなものは、同情とか哀れみなのだと、幼いながらも納得させていた。
「私は、正義感が強い!?」なんて(笑)。
数え切れない粟立った心の記憶は、この世界で感じることだったのか。
十代の後半、たまたま見たテレビで、私ははじめて「SM」という世界があることを知ったのだった。
「あの胸のざわめきも、あの時のそれも、すべてここに繋がっていたのかもしれない。」
なかなか見つからないパズルのワンピースがすっとあるべき場所に収まりひとつの絵が完成したような、爽快な気分。
本来ならば、このざわめきは爽快な気分とは、ほど遠い。
しかし、ずっと解けずにいた謎が解決した瞬間は、答えがどうあれ一瞬の爽快感をもたらしてくれるものだ。
深夜の情報番組(確かトゥナイト・・年がばれる)。
両手足を手枷足枷と鎖で拘束された男性が、不自由そうに四つん這いで歩いている。
部屋の照明は落としてあるから、表情などは伺えない。
そばに「女王様」と呼ばれる女性がいて、インタビューを受けている。
この男性は「奴隷」で、お掃除担当の「お掃除奴隷(いまなら、ちょっと苦笑です)」だと言っている。
女王様は手に鞭を持っていて、ゆらゆらと弄ぶように揺らしている。
「SM」という世界なのか。
私は、いままで幾度となく感じていたざわめきが、いまテレビを見ながら感じているものと同じ種類だということに、気づいて身を固くする。
この感覚、はじめて覚えたのは小学校一年生の時だ。
お友達と二人で、たまたまエッチ漫画を見つけたことがある。
いろんなタイプの漫画があったはずだが、どうしても後々まで気になってしかたがないものがあった。
男女の絡んだものや、リアルな描写のものがある中で、私の心に引っかかったものは、数人の女性が1人の女性に拷問のような酷い仕打ちをするというお話だった。
絵の感じも、簡素なタッチで、むしろコメディタッチだったと記憶している。
裸にされた女性を担ぎ上げ、画びょうのばらまかれた台の上に置く。
棒を膝の裏側にはさんだまま正座をさせ、その棒の両端に乗り体重を掛ける。
話の経緯は覚えていない。
1人の女性が慌てたり苦悶する姿を見て、数人の女性が笑うのだ。
このシーンが、いつまでたっても忘れられず、思い出すたびに落ち着かない気分になるのだ。
これがはじめの記憶。
家族で見ていたテレビの時代劇で、町娘が牢獄に入れられて拘束され竹刀で叩かれ拷問を受ける。
借金の肩に身売りされる。
世界史の教科書に載っていた、(どんな罪を犯したのか覚えていないけど)非国民扱いされて、頭を丸刈りにして、首から「私は国を裏切った」というような内容のプレートを下げて晒し者にされている女性。
これらの境遇の女性たちに感じるシンパシーのようなものは、同情とか哀れみなのだと、幼いながらも納得させていた。
「私は、正義感が強い!?」なんて(笑)。
数え切れない粟立った心の記憶は、この世界で感じることだったのか。
十代の後半、たまたま見たテレビで、私ははじめて「SM」という世界があることを知ったのだった。
私について(性癖2)
惹かれ合う理由
胸のざわめきがわかったとはいえ明確な道筋ができるわけもなく。
まして、自分の「他者を見下し、自分が不安になる」心に向き合うことや、父性に抱かれる安心感を求めているなんて、子供の私には知るよしもない。
相変わらず、恋多き女ではあるが、いつも不安を抱えたままの恋愛を繰り返していた。
私は、相手が心地よくなることに心を砕く。
これでもかってくらい、良い子。
ケンカもしない、わがままも言わない、機嫌の悪いときもない。
それが当たり前になっていく男性を見下しながら演技をする。
そのくせに、不安だ。
たとえば、いつもだいたい夜10時くらいに電話があるのにある日は11時だったりすると「好きが減ってしまったのではないか」。
たとえば、いつもは、バイバイするとき2回振り返ってくれるのに、その日は1回だったりすると、「何か、いけないことしてしまったの?」。
不安でしかたがないのだ。
それは、抱かれているときも同じだ。
抱かれているときも私は演技をする。
相手が気分良くセックスできるようにと、心を砕く。
決して、気持ち良くないわけではない。
でもいくふりをする私に気付かず、それが自分の実力と思って男は射精する。
射精するときの男は、無防備だ。
かわいらしいくらい無防備。
さっきまで偉そうにしていたのに、私の上で無防備に果てる男を見て、私が欲しかったものはこれなのだろうかと、自分の心に問いかけているのだ。
オナニーは、早くから覚えていた。(小学校5年生。偶然ではなく意識して触った。多分、他の人と比べたことないから、わからないけど早い方?)
だから思春期を迎えても、そこでも惹かれるのは決まっている。
女の人が縛られている。
数人の男性に犯されている。
明らかに外で恥ずかしいことをしている。
あの胸のざわめきと同じものを感じながら、この種類のものだけに惹かれていた。
それらで得た知識といくつかの性体験の後、段々と願望が輪郭を帯びてくる。
「縛られたい」「困らせてほしい」「支配されたい」
普通に抱かれているときに、ここで縛ってくれたらと切望してしまうことが何度もあった。
もちろん、それは私にとって「負の感情」だ、相手に要求など、できるはずもない。
「どうか、誰でもいいから、手首だけでもいいから、拘束してくれないだろうか」
沸き上がる抑えられない感情に困惑して、どうすることもできず、自分のストッキングで、自分の両手首を縛ってみる。
しかし、上手に縛ることもできないし、残るのは虚しさだけだ。
もしかしたら、この欲求を埋めることができれば、私は男の人に抱かれていても、無我夢中になって、相手を見下さずに済むかもしれない。
「愛している」という感覚。
この人はずっと私を好きでいてくれるというような、安心感。
これらは、諦めてはいるけれど、性癖を満たすことができれば、この焦燥感を少しは癒すことができるかもしれない。
でも、その当時の私にとって「SM」というのは、特殊な世界の話だった。
小説だったり、アダルトビデオだったりのお話の中のこと、もしくは、男の人がお金を払って味わえる風俗の世界でのみ存在するもの、と思っていた。
付き合っている人にタオルで拘束されたことはあったけど、前戯のスパイスにしか感じられなかった。「SM」とは思えなかった。
だから、私には、繋がりようのないこと、妄想の海を漂うだけだった。
せめて、妄想の手助けに(おかずっていうの恥ずかしいから、違う言い方♪)と、実家にいたころ読んでいたレディスコミックを、久しぶりに買ってみる。
買うのに勇気がいるので、本当に久しぶりに。
内容は、さして変わりはない。
ただ、思わず手を止めてしまったページがあった。
テレクラの広告のページだ。
「S男性希望」「M女性募集」
私が読んでいた頃のテレクラは、ごく普通の出会いばかりだったはずだ。
「露出・野外プレイ希望」「命令されたい」
さまざまなカテゴリに分かれている。
軽い衝撃と共に、ほんの少し希望が湧いてしまった。
世の中に「サディスト」がいるのか、「O嬢の物語」のステファン卿のようなサディストが。
叶えられるかもしれない。
このとき私は27歳、二度目の結婚をしたすぐあとのことだった。
もちろん悩んだ。
浮気がしたいわけではない。
二度目の結婚生活の相手は、充分に私を「女」と思っている。
でも、幼いころから感じていたこの私の一部が、叶うかもしれない。
随分とためらったのち、私は、書かれているフリーダイヤルの番号をプッシュしていた。
引き返せないかもしれない恐怖と、渇きを潤せるかもしれない一縷の望みと共に。
胸のざわめきがわかったとはいえ明確な道筋ができるわけもなく。
まして、自分の「他者を見下し、自分が不安になる」心に向き合うことや、父性に抱かれる安心感を求めているなんて、子供の私には知るよしもない。
相変わらず、恋多き女ではあるが、いつも不安を抱えたままの恋愛を繰り返していた。
私は、相手が心地よくなることに心を砕く。
これでもかってくらい、良い子。
ケンカもしない、わがままも言わない、機嫌の悪いときもない。
それが当たり前になっていく男性を見下しながら演技をする。
そのくせに、不安だ。
たとえば、いつもだいたい夜10時くらいに電話があるのにある日は11時だったりすると「好きが減ってしまったのではないか」。
たとえば、いつもは、バイバイするとき2回振り返ってくれるのに、その日は1回だったりすると、「何か、いけないことしてしまったの?」。
不安でしかたがないのだ。
それは、抱かれているときも同じだ。
抱かれているときも私は演技をする。
相手が気分良くセックスできるようにと、心を砕く。
決して、気持ち良くないわけではない。
でもいくふりをする私に気付かず、それが自分の実力と思って男は射精する。
射精するときの男は、無防備だ。
かわいらしいくらい無防備。
さっきまで偉そうにしていたのに、私の上で無防備に果てる男を見て、私が欲しかったものはこれなのだろうかと、自分の心に問いかけているのだ。
オナニーは、早くから覚えていた。(小学校5年生。偶然ではなく意識して触った。多分、他の人と比べたことないから、わからないけど早い方?)
だから思春期を迎えても、そこでも惹かれるのは決まっている。
女の人が縛られている。
数人の男性に犯されている。
明らかに外で恥ずかしいことをしている。
あの胸のざわめきと同じものを感じながら、この種類のものだけに惹かれていた。
それらで得た知識といくつかの性体験の後、段々と願望が輪郭を帯びてくる。
「縛られたい」「困らせてほしい」「支配されたい」
普通に抱かれているときに、ここで縛ってくれたらと切望してしまうことが何度もあった。
もちろん、それは私にとって「負の感情」だ、相手に要求など、できるはずもない。
「どうか、誰でもいいから、手首だけでもいいから、拘束してくれないだろうか」
沸き上がる抑えられない感情に困惑して、どうすることもできず、自分のストッキングで、自分の両手首を縛ってみる。
しかし、上手に縛ることもできないし、残るのは虚しさだけだ。
もしかしたら、この欲求を埋めることができれば、私は男の人に抱かれていても、無我夢中になって、相手を見下さずに済むかもしれない。
「愛している」という感覚。
この人はずっと私を好きでいてくれるというような、安心感。
これらは、諦めてはいるけれど、性癖を満たすことができれば、この焦燥感を少しは癒すことができるかもしれない。
でも、その当時の私にとって「SM」というのは、特殊な世界の話だった。
小説だったり、アダルトビデオだったりのお話の中のこと、もしくは、男の人がお金を払って味わえる風俗の世界でのみ存在するもの、と思っていた。
付き合っている人にタオルで拘束されたことはあったけど、前戯のスパイスにしか感じられなかった。「SM」とは思えなかった。
だから、私には、繋がりようのないこと、妄想の海を漂うだけだった。
せめて、妄想の手助けに(おかずっていうの恥ずかしいから、違う言い方♪)と、実家にいたころ読んでいたレディスコミックを、久しぶりに買ってみる。
買うのに勇気がいるので、本当に久しぶりに。
内容は、さして変わりはない。
ただ、思わず手を止めてしまったページがあった。
テレクラの広告のページだ。
「S男性希望」「M女性募集」
私が読んでいた頃のテレクラは、ごく普通の出会いばかりだったはずだ。
「露出・野外プレイ希望」「命令されたい」
さまざまなカテゴリに分かれている。
軽い衝撃と共に、ほんの少し希望が湧いてしまった。
世の中に「サディスト」がいるのか、「O嬢の物語」のステファン卿のようなサディストが。
叶えられるかもしれない。
このとき私は27歳、二度目の結婚をしたすぐあとのことだった。
もちろん悩んだ。
浮気がしたいわけではない。
二度目の結婚生活の相手は、充分に私を「女」と思っている。
でも、幼いころから感じていたこの私の一部が、叶うかもしれない。
随分とためらったのち、私は、書かれているフリーダイヤルの番号をプッシュしていた。
引き返せないかもしれない恐怖と、渇きを潤せるかもしれない一縷の望みと共に。