恋
りん子的独り言(生意気)
以前交流があった女性。
遠距離で主従と呼ばれる関係の男性がいた。
遠くに離れていて家庭のある人同士だったようなので、会うことはそう簡単ではなかったし、日々の連絡さえもなかなか苦労されていた。
でも、なんとかやりくりして時間を捻出し、数ヶ月に一度会いに出かけて行っていたようだった。
『等式』を好きでいてくれた彼女は、わたしの那智さんへの尻尾を振るような愛情がとてもよくわかってくれていて、彼女からの共感にはいつもパワーをもらっていた。
まっすぐな人だったし、わたしの考え方にも共感を持ってくれていたのだと思う、主従とはいえ、彼女は彼との付き合いでできるだけ心を見て見ぬフリをしないように、ときには彼に食い下がるような場面もあったようだった。
主従という名前のついた関係だったけど、お話を聞かせていただく様子からあれはまぎれもない恋だったのだろうと思っている。
恋い慕う、そんな恋。
とにかく、時間も心も、必死で一生懸命な恋だったのだと思っている。
あるとき、その恋に終わりが訪れる。
詳細までは書かれていなかった(書かれていてもここで披露するつもりはないのだけど)のでわからないことは多いのだけど、お別れをしたことを多少なり関わりのあったわたしに後日お知らせしてくれたのだ。
死を含めて、関係に永遠はない。
だから、それはしかたのないこと。
彼女が自分の周囲の暮らしを充実させることを祈るしかわたしにはできないから、その気持ちをお返事した。
そこにもうひとつだけ、わたしの願いをつけ加えた。
普通の恋愛でも遠く離れているだけで、すぐに会える距離の恋人同士より一生懸命になる項目が増える。
(すぐ会える距離は距離なりにいろいろあるでしょうけどね)
そこに不倫や主従や、いろいろな一生懸命になる要素が加わるのだから、きっと彼女の恋愛は苦しく切なくもどかしく、でも、ある意味とても充実していたのではないだろうか。
わずかな時間で連絡を取り合い、必死に会いにいく時間を作る。
性癖や嗜好や恋心が交ざり合った、なかなか味わえない感情をもたらしてくれたはずだ。
それはいい。
だけど、ふと、いままでぎゅっと握っていた恋の残像を、もう一度追い求めてしまう危険性があると思って、そのことを余計なお世話かと思いながらもお伝えした。
不倫はほめられたことでないのは充分承知の上で、でも、その人が誇りを持ち、人生が色彩豊かになれるなら、その恋を否定したくはない。
だから、恋自体はいいのだ。
ただ、必死になった経験や一生懸命の恋愛は、もしかしたら、純粋な恋愛感情以外にすこし『麻薬』の要素もあるような気がする。
必死な恋をすると、その必死さがないと恋ではないような、そんな物足りなさを感じてしまいそうだ。
もしかしたら、その恋の残骸にその必死さの麻薬を求めて執着してしまうかもしれないし、その後も好きな男ではなく『必死の恋』を求めてしまいかもしれない。
それは、最初の一途な恋心とは違うものになっているはずで、いくら追い求めても違うものしか手に入らないのではないだろうか。
彼がいいのではなく『必死の恋』がいいと気づかぬうちに、その麻薬を求めてしまうのは危険だと思う。
主従や不倫などは、穏やかな恋とは違う一生懸命な要素がたくさんある。
それは否定しないけど、その彼がいいのか、必死な恋の魅力なのか、気づいていたらいいなと思う。
必死になれる恋愛もあるし、穏やかな恋愛もある。
どちらが本当の恋かなんて決まりはない。
きっと必死な恋には他では得難い充実感や陶酔があるだろう。
だけど、本当に大事なことは、どんな恋であれ『その人』が好きかどうかだよね。
一生懸命の恋が終わるときに、こんな考えがあったなって頭の片隅に思い出してくれたら、とてもうれしいです。
以前交流があった女性。
遠距離で主従と呼ばれる関係の男性がいた。
遠くに離れていて家庭のある人同士だったようなので、会うことはそう簡単ではなかったし、日々の連絡さえもなかなか苦労されていた。
でも、なんとかやりくりして時間を捻出し、数ヶ月に一度会いに出かけて行っていたようだった。
『等式』を好きでいてくれた彼女は、わたしの那智さんへの尻尾を振るような愛情がとてもよくわかってくれていて、彼女からの共感にはいつもパワーをもらっていた。
まっすぐな人だったし、わたしの考え方にも共感を持ってくれていたのだと思う、主従とはいえ、彼女は彼との付き合いでできるだけ心を見て見ぬフリをしないように、ときには彼に食い下がるような場面もあったようだった。
主従という名前のついた関係だったけど、お話を聞かせていただく様子からあれはまぎれもない恋だったのだろうと思っている。
恋い慕う、そんな恋。
とにかく、時間も心も、必死で一生懸命な恋だったのだと思っている。
あるとき、その恋に終わりが訪れる。
詳細までは書かれていなかった(書かれていてもここで披露するつもりはないのだけど)のでわからないことは多いのだけど、お別れをしたことを多少なり関わりのあったわたしに後日お知らせしてくれたのだ。
死を含めて、関係に永遠はない。
だから、それはしかたのないこと。
彼女が自分の周囲の暮らしを充実させることを祈るしかわたしにはできないから、その気持ちをお返事した。
そこにもうひとつだけ、わたしの願いをつけ加えた。
普通の恋愛でも遠く離れているだけで、すぐに会える距離の恋人同士より一生懸命になる項目が増える。
(すぐ会える距離は距離なりにいろいろあるでしょうけどね)
そこに不倫や主従や、いろいろな一生懸命になる要素が加わるのだから、きっと彼女の恋愛は苦しく切なくもどかしく、でも、ある意味とても充実していたのではないだろうか。
わずかな時間で連絡を取り合い、必死に会いにいく時間を作る。
性癖や嗜好や恋心が交ざり合った、なかなか味わえない感情をもたらしてくれたはずだ。
それはいい。
だけど、ふと、いままでぎゅっと握っていた恋の残像を、もう一度追い求めてしまう危険性があると思って、そのことを余計なお世話かと思いながらもお伝えした。
不倫はほめられたことでないのは充分承知の上で、でも、その人が誇りを持ち、人生が色彩豊かになれるなら、その恋を否定したくはない。
だから、恋自体はいいのだ。
ただ、必死になった経験や一生懸命の恋愛は、もしかしたら、純粋な恋愛感情以外にすこし『麻薬』の要素もあるような気がする。
必死な恋をすると、その必死さがないと恋ではないような、そんな物足りなさを感じてしまいそうだ。
もしかしたら、その恋の残骸にその必死さの麻薬を求めて執着してしまうかもしれないし、その後も好きな男ではなく『必死の恋』を求めてしまいかもしれない。
それは、最初の一途な恋心とは違うものになっているはずで、いくら追い求めても違うものしか手に入らないのではないだろうか。
彼がいいのではなく『必死の恋』がいいと気づかぬうちに、その麻薬を求めてしまうのは危険だと思う。
主従や不倫などは、穏やかな恋とは違う一生懸命な要素がたくさんある。
それは否定しないけど、その彼がいいのか、必死な恋の魅力なのか、気づいていたらいいなと思う。
必死になれる恋愛もあるし、穏やかな恋愛もある。
どちらが本当の恋かなんて決まりはない。
きっと必死な恋には他では得難い充実感や陶酔があるだろう。
だけど、本当に大事なことは、どんな恋であれ『その人』が好きかどうかだよね。
一生懸命の恋が終わるときに、こんな考えがあったなって頭の片隅に思い出してくれたら、とてもうれしいです。
ピンチヒッター
独り言
日曜日の朝の8時半に仕事用の携帯が鳴った。
事務所の社長からだ。
こんな時間に?
週末は仕事のことが多いからぜったい仕事のトラブルかなにか。
かなりドキドキしながら電話に出ると、どうやら今日本番のある司会者が入院をしてしまったと夜中の2時に連絡が入っていたそうだ。
このままだと穴をあけてしまいそうだということだ。
その日わたしは1本本番があるだけで残りのスケジュールはあいているから、急遽入ってくれないかということだった。
その会場は入ってことがない会場だし、いきなり打ち合わせもなく本番なんてとてもイレギュラーだし、前日の土曜日も本番や打ち合わせで立て込んでいたので、今日は朝イチの本番の後、すこしリラックスできるな〜なんて呑気に思っていたからすごーく乗り気になれなかったのだけど、この事務所にはいろいろお世話になっているし、何より新郎新婦の気持ちを考えたら少しでも力になるべきだと思い引き受けることにした。
引き受けはしたもののやっぱり気は重い、でも、まあ自分のできることを精一杯やろうと、とにかくまずは自分のお客様の披露宴を精一杯お勤めした。
本番の途中社長がやってきて、どうやら担当の司会者がなんとか退院して本番に臨めることになったことを伝えられた。
だけど、会場側が万が一に備えてもう一人司会者を会場に待機させるように言っているから、私にそれをやってほしいという。
担当司会者が具合が悪くなったらいつでも代わりに立てるようにということだ。
会場側の言い分もわかるけど、その分のギャラは当然事務所負担なわけで、なかなか下請けのツライところだろう。
そんなような内容とギリギリに連絡をよこした担当司会者の愚痴を散々垂れながら社長は帰っていった。
社長もお気の毒に^^;
かくして、わたしはいざというときの保険として、いまさっきもらったばかりの進行表や資料を手にはじめて入る会場に向かった。
たしかにしんどそうではあったけどなんとか大丈夫そうで、おそらくわたしの出番はなさそう。
わたしよりキャリアのある司会者さんだったから、ちょっと緊張の回路を切り替えて勉強させてもらおう。
チェペルでの人前式。
新郎新婦や親族には「だれ?この人」と思われているだろうな〜、片隅にそっと控えてた。
ふたりの誓約書を読み上げる場面では不覚にもウルッときてしまいながら担当司会者の進行や言い回しをメモする。
披露宴では、会場内にパーティションを立てて、その陰に椅子を用意してもらったので、今度はそこで息をひそめる。
新郎新婦が司会者が具合悪いなんて知ったら楽しめないから当然の如くわたしの存在もできるだけ隠しておかないといけないよね。
なるほど、こういう言い回しもいいな〜
こんなふうにふたりに語りかけるんだ
ほうほう、そういう情報も用意しておくといいよね
とても勉強になる。
歓談のときには担当司会者はバックスペースに椅子を用意してもらってそこで休息を取らせてもらっていた。
あまり長いこと下がっていたので、現場のキャプテンにわたしもそちらにいて様子を見ておいてほしいと言われたので一緒に控えていることになった。
そこではじめて、担当司会者はわたしがどんな経緯でここに来たのか知ったそうだ。
いわく。
昨日緊急入院して社長に夜中に連絡を入れたけど、今朝になってやっと連絡が来たそうだ。
そして人がいないからと言われて無理矢理退院してきたそうだ。
わたしがスケジュール空いているなんてひと言も言われていないそうで、そこから社長の悪口オンパレードになってしまった。
しまいにはこの会場のことも悪く言い出す始末。
たしかに無理を押して退院してきたのだから文句も言いたくなるだろうけど、わたしはどうもそれに賛同できないでいた。
(信頼していない人と共通の知り合いを悪くいうことで共感するのは苦手だ)
そして、まだこの時点でこの人はわたしに対して形式的にもお礼を言っていない。
もちろんわたしにもギャラは発生するからお礼を言ってもらう義理はないだろうけど、この人はわたしに最寄り駅を聞いて「(いまヘルプしてても)帰りそんなに大変じゃないね」と言っただけだ。
なんとなく、ちょっぴり残念な気持ちだった。
それでも披露宴後半には新婦の兄弟が替え歌を歌ったり(それがぜんぜん下手なのに、なんだか泣ける歌だったんだよね〜)、お昼食べる時間なかったからお腹鳴りそうになったり、睡魔が襲ってきたりで、なんだかんだ2時間半がすぎていった。
披露宴は滞りなくお開きになり、わたしは新郎新婦に挨拶できるわけでもないから、担当司会者に別れを告げて帰路についた。
(最後、駐車券をもらってきてと頼まれてお客様のフリしてもらってきたら、それを含めてはじめてお礼を言ってくれた)
仕事だと割り切り、でも、なにか自分に有意義なことはないかと過ごした時間だったけど、なんだかちょっと後味悪かったな。
社長もこの司会者もキャリアも実力もある司会者だ。
実際、朝まで点滴をしていたにも関わらず滑らかに進行する様子を目にするとプロだな〜と感心する。
何年経っても、けっこうドジするしあいかわらずよく噛むわたしよりずっと優れていると思う。
でも、一点だけ、わたしけっこうやるじゃんって思えた。
わたしの作る祝福の空気はきっといい。
キャリアのある人の言い回しを知ることができたし、座っているだけでギャラ入ったし、ヘタウマな味のある替え歌も聞けたし^^
自分の良いところと、まだまだなところと評価することもできたし。
やっぱりトータル良しとしよう^^
<関連エントリー>
お仕事いろいろ
『限りなく素人に近い…』
『司会者に必要なものは』
『ヤンキー万歳^^』
『普段通り』
『鳥肌』
『心を動かす力』
自分で誇れる物があるのは素晴らしい。そして、それが雰囲気という抽象画な実体はあるけれど目に見えないパワーだから尚更。私には無い誇らしい才能がりん子にはある、羨ましい。
日曜日の朝の8時半に仕事用の携帯が鳴った。
事務所の社長からだ。
こんな時間に?
週末は仕事のことが多いからぜったい仕事のトラブルかなにか。
かなりドキドキしながら電話に出ると、どうやら今日本番のある司会者が入院をしてしまったと夜中の2時に連絡が入っていたそうだ。
このままだと穴をあけてしまいそうだということだ。
その日わたしは1本本番があるだけで残りのスケジュールはあいているから、急遽入ってくれないかということだった。
その会場は入ってことがない会場だし、いきなり打ち合わせもなく本番なんてとてもイレギュラーだし、前日の土曜日も本番や打ち合わせで立て込んでいたので、今日は朝イチの本番の後、すこしリラックスできるな〜なんて呑気に思っていたからすごーく乗り気になれなかったのだけど、この事務所にはいろいろお世話になっているし、何より新郎新婦の気持ちを考えたら少しでも力になるべきだと思い引き受けることにした。
引き受けはしたもののやっぱり気は重い、でも、まあ自分のできることを精一杯やろうと、とにかくまずは自分のお客様の披露宴を精一杯お勤めした。
本番の途中社長がやってきて、どうやら担当の司会者がなんとか退院して本番に臨めることになったことを伝えられた。
だけど、会場側が万が一に備えてもう一人司会者を会場に待機させるように言っているから、私にそれをやってほしいという。
担当司会者が具合が悪くなったらいつでも代わりに立てるようにということだ。
会場側の言い分もわかるけど、その分のギャラは当然事務所負担なわけで、なかなか下請けのツライところだろう。
そんなような内容とギリギリに連絡をよこした担当司会者の愚痴を散々垂れながら社長は帰っていった。
社長もお気の毒に^^;
かくして、わたしはいざというときの保険として、いまさっきもらったばかりの進行表や資料を手にはじめて入る会場に向かった。
たしかにしんどそうではあったけどなんとか大丈夫そうで、おそらくわたしの出番はなさそう。
わたしよりキャリアのある司会者さんだったから、ちょっと緊張の回路を切り替えて勉強させてもらおう。
チェペルでの人前式。
新郎新婦や親族には「だれ?この人」と思われているだろうな〜、片隅にそっと控えてた。
ふたりの誓約書を読み上げる場面では不覚にもウルッときてしまいながら担当司会者の進行や言い回しをメモする。
披露宴では、会場内にパーティションを立てて、その陰に椅子を用意してもらったので、今度はそこで息をひそめる。
新郎新婦が司会者が具合悪いなんて知ったら楽しめないから当然の如くわたしの存在もできるだけ隠しておかないといけないよね。
なるほど、こういう言い回しもいいな〜
こんなふうにふたりに語りかけるんだ
ほうほう、そういう情報も用意しておくといいよね
とても勉強になる。
歓談のときには担当司会者はバックスペースに椅子を用意してもらってそこで休息を取らせてもらっていた。
あまり長いこと下がっていたので、現場のキャプテンにわたしもそちらにいて様子を見ておいてほしいと言われたので一緒に控えていることになった。
そこではじめて、担当司会者はわたしがどんな経緯でここに来たのか知ったそうだ。
いわく。
昨日緊急入院して社長に夜中に連絡を入れたけど、今朝になってやっと連絡が来たそうだ。
そして人がいないからと言われて無理矢理退院してきたそうだ。
わたしがスケジュール空いているなんてひと言も言われていないそうで、そこから社長の悪口オンパレードになってしまった。
しまいにはこの会場のことも悪く言い出す始末。
たしかに無理を押して退院してきたのだから文句も言いたくなるだろうけど、わたしはどうもそれに賛同できないでいた。
(信頼していない人と共通の知り合いを悪くいうことで共感するのは苦手だ)
そして、まだこの時点でこの人はわたしに対して形式的にもお礼を言っていない。
もちろんわたしにもギャラは発生するからお礼を言ってもらう義理はないだろうけど、この人はわたしに最寄り駅を聞いて「(いまヘルプしてても)帰りそんなに大変じゃないね」と言っただけだ。
なんとなく、ちょっぴり残念な気持ちだった。
それでも披露宴後半には新婦の兄弟が替え歌を歌ったり(それがぜんぜん下手なのに、なんだか泣ける歌だったんだよね〜)、お昼食べる時間なかったからお腹鳴りそうになったり、睡魔が襲ってきたりで、なんだかんだ2時間半がすぎていった。
披露宴は滞りなくお開きになり、わたしは新郎新婦に挨拶できるわけでもないから、担当司会者に別れを告げて帰路についた。
(最後、駐車券をもらってきてと頼まれてお客様のフリしてもらってきたら、それを含めてはじめてお礼を言ってくれた)
仕事だと割り切り、でも、なにか自分に有意義なことはないかと過ごした時間だったけど、なんだかちょっと後味悪かったな。
社長もこの司会者もキャリアも実力もある司会者だ。
実際、朝まで点滴をしていたにも関わらず滑らかに進行する様子を目にするとプロだな〜と感心する。
何年経っても、けっこうドジするしあいかわらずよく噛むわたしよりずっと優れていると思う。
でも、一点だけ、わたしけっこうやるじゃんって思えた。
わたしの作る祝福の空気はきっといい。
キャリアのある人の言い回しを知ることができたし、座っているだけでギャラ入ったし、ヘタウマな味のある替え歌も聞けたし^^
自分の良いところと、まだまだなところと評価することもできたし。
やっぱりトータル良しとしよう^^
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お仕事いろいろ
『限りなく素人に近い…』
『司会者に必要なものは』
『ヤンキー万歳^^』
『普段通り』
『鳥肌』
『心を動かす力』
自分で誇れる物があるのは素晴らしい。そして、それが雰囲気という抽象画な実体はあるけれど目に見えないパワーだから尚更。私には無い誇らしい才能がりん子にはある、羨ましい。
誠実な天の邪鬼
独特な幸福感
りん子にウソはつきたくない。
その質問にこう答えたら悲しむだろうな、もしかしたらヘソ曲げて面倒なことになるかもしれない、そうわかっていても自分の心に一番近い感情や湧いた気持ちを違うものにして言葉にしたくない。
たとえ、傷つけても面倒になっても、その場を取り繕うようなウソはふたりにとってマイナスになる。
普通は『相手を傷つけるようなことは言うのはやめましょう』というのが道徳かもしれないけど、那智さんにとってベストな人間関係は『ウソをつなかい』なのだそうだ。
(互いに『悪意はない』と思える前提が必要)
ときどき、那智さんの言葉でつまずいてしまうことはある。
『20%嫌悪』のときもそうだし、さんにんの頃の傷を癒す作業のときなどはけっこうこれで更に傷を広げてしまう事態に陥っていた。
そんなとき
俺は、りん子に『これを言ったら機嫌悪くなるから言うのやめとこ』ってしたくないんだよ
それで、いまりん子にそれができていることが、俺は嬉しいんだよ
那智さんはこんなふうにいう。
「そこ、もうちょっと甘く付き合って〜」と思ってしまうこともあるのだけど、おそらく、人に言葉を発するときに『いろいろ』考えるであろう那智さんがわたしにはそのハードルを下げて接しているということはわたし自身にとっても誇らしいものだったし、ウソをついたほうがラクなのにそうしない姿を長年見ているとたしかに『那智さんはウソは言わない』と信じられるもの。
ふたりにとって、『りん子には思ったことを言えること』と『那智さんはウソをつかないと信じられること』はとても大事なことなのだ。
この言葉は、ふたりの付き合いの象徴のよう。
俺に、その場しのぎのことを言ってほしい?
甘い言葉がほしくてなかなか引き下がれないとき、そんなふうに言われると、取り返しのつかないことをしてしまうようで、結局、ウソはつかないでいてほしいという結論になる。
でも、おおむね納得できるし、那智さんはウソをつなかいと信じられることは本当に幸せなことだけど、ごくたまに喉に骨が刺さっているような釈然としないこともあるのだ。
那智さんだって、頭に浮かんだすべてのことを口にしているわけではないだろう。
仮に『わたしからの質問』に限定しても、全部じゃないはずだ。
答えがひとつのこともあるかもしれないけど、いくつかぱぱぱっと脳裏に浮かんだとして、その中から選んでいることだってあるはず。
全部言葉にしていたら大変な会話量になってしまうし、常に答えがひとつしかないほど那智さんも単純な人でもないよね。
喉に骨が刺さっているように感じてしまうのは、そのぱぱぱっといくつか浮かんだ中から選んだとして、なぜ、わたしが悲しむと想像できるものを選ぶのだろうという気持ち。
一瞬考えればわかるはずなんだ、まして、那智さんはわたしを悲しませたいと思っていないことは痛いほどわかる、それなのになぜ『あえて』その答えを選ぶのだろうかという疑問が喉に刺さるのだ。
たとえば(もう、解決済みのことだけど、わかりやすい事例として登場させるよ〜)
さんにんの後。
那智さんがモカちゃんにわたしの領土をどんどんあげていくような錯覚の傷を癒したいがために、甘い言葉を誘うような質問をしてみる。
もう一回さんにんをしようということになったらどうします?
これは明らかにわたしの中で答えが用意されているものだ。
「もう、さんにんはやらないよ」これね^^;
そんなとき那智さんは
次するとしたら、モカちゃんの教育より俺の快感を優先させるかな〜
なんて答えてくれちゃうのだ。
たしかに、こう質問したら、あらためてそのシチュエーションを想像して、質問の答を見つけるのもわかる。
でも、諸々考えたら『もうしないよ』という答えだって間違いではないだろう。
なぜ、そこで、あえて、わたしが悲しくなる答えをいうのか、それがとても不思議だった。
でも、それがわたしたちにとって大事なことだから『那智さんはウソをつかない』ために、わずかに疑問は残りながらもその場しのぎのことを言わない方法を選んでいた。
先日もこんなことがあった。
はじめてのお店にわたしたちと知り合い2人ともう一人初対面の女性が同席することがあった。
知り合いの知り合いというだけでその女性に関してほとんど情報はなかったのだけど、那智さん、初対面の女性というだけで、ちょっぴり興味を持っていたようだ。
まあ、異性ではじめて会う人がいるとしたら『どんな人かな〜』くらいの興味は持つし、まして、こちらの世界の飲みの席なので保護者会で初対面とは興味の度合いも違うのもわかる。
だから、それだけなら「どんな人でしょうね〜」と笑って相づちも打てていた。
でも、それとは別件でつまずいてしまうことがあったので、チャットで会話を重ねていた。
そろそろおしまいにしないといけない時間だったし、翌日は週末でゆっくり連絡も取れなかったので、気持ちを上向きにしたくてちょっと甘えてみた。
このとき、わたしは一足先に失礼しなくてはいけなかったので
帰りは一緒に帰ってくれますか?
あまりに当たり前な質問。
もともとわたしが先に帰ることは他のみんなも知っていたことなので、那智さんも一緒に帰ることは当然だと思われているので、まったく当たり前な質問だった。
用意されている答えは『もちろん一緒に帰るよ』だ。
そうだね〜
でもな、その子が気になるんだよな〜(笑)
ああ、そのひと言、いまいります!?
初対面の異性が気になることもわかりますし、那智さんがわたしをひとりで帰らせることなんてないこともわかってます。
那智さんが心に浮かんだちょっとの感情も伝えたいこともわかります。
でも、気持ちを浮上させたいための質問で、それをいう必要性があるでしょうか!!
当然、りん子と一緒に帰るよ
でも、気になることも本当だし、それを隠したくないんだよ
その女性が好みだろうとなかろうと、わたしを送ることにかわりはないけど、心に浮かんだわずかな気持ちを口にすることのほうが誠実だと、那智さんはおっしゃる。
りん子、俺にウソをついてもらいたい?
場合によっては、わたしにわからないようにウソをついていただきたいことだってある。
優しいウソだって存在していいのではないか。
それをやると、俺はりん子を心の中でバカにしてしまうよ
かつて、わたしがいい子でいるとどんどん増長する男性に対して心の中で舌を出していたのと同じことだ。
互いにそれをしないでいられることが貴重なことも理解できる。
那智さんがウソをつくことは、この良好な関係のおしまいにさえ感じられてしまうので、わたしは甘いキャンディをもらうことを諦めるのだ。
すこしだけ、それを望む自分に非があるような感覚になりながら。
結局、この夜は同じやり取りを二度繰り返した。
おやすみなさい間際に『気持ちを上向きにしたいので、もう一度お聞きします』と前置きまでして!!
その返事も『もちろん一緒に帰る。けど、気になるんだよな〜(笑)』。
ホントに残念です!!
と、その日はおしまいになった。
その夜、布団の中で考える。
どうしてあのひと言を付け加えるのだろう。
たしかに、思ったことをいうのはわかる。
それがちょっとやましい気持ちから発しているから、なおさら口にしたほうがやましくなくなることもわかる。
でも、わたしが悲しくなるのは明白だし、那智さんはわたしを悲しませたくないはずなのに心に浮かんだ全部を口に出すなんて不可能な中、どうして、あえて付け加えるのだろう。
きっと、いままでの付き合いの中で無意識に選んで言わないことだってあったはずなのに。
あ!!
もしかし那智さん、これって天の邪鬼さん?(笑)
もちろんウソはつきたくないことも本当だけど、那智さんがこの手のことで『あえて言う』ときに、もしかしたらある法則があるのではないだろうか。
それはわたしが欲しい答えをチラつかせて、そちらに誘導しようとしているときに多く見られるような気がする。
目の前に『答え』を書いた紙を見せているのにその通りに読んでくれないのは、心の中で舌を出すような付き合いはしたくないという誠実さは当然だとしても、心のどこかに、見せられているものをそのまま口にすることに対する抵抗感、天の邪鬼な気持ちもあるのではないだろうか。
そうだとしたら、すごく納得できる。
なぜ、あんなに優しい那智さんがあえてそれらを口にするのか。
誠実さ、よい付き合いでいたい気持ち、それに加えて誘導されまいとする気持ちが作用しているとするならば、納得できる。
俺はりん子にウソをつきたくない。
思ったことを口にできるりん子との関係は理想だ。
俺にウソをついてほしい?
この那智さんの言葉を素直に受け取れず悲しくなってしまう自分に、ほんの少し非があるような気持ちになっていたけれど。
なーんだ、天の邪鬼さんなんじゃん(笑)
すべてにおいて万能な人間なんて、そう簡単には存在しない。
生身の人間同士の付き合いにどちらかが完璧なんてこともない。
那智さんの優しさも誠実さも全部本当だけど、それだけじゃない。
で、それだけじゃないほうが、全知全能の神じゃない那智さんのほうが『真実味』がある。
一方的に自分を責めてしまいがちなわたしだから、こんなふうに那智さんの思考回路を見極めることができると公平な判断ができて、心地よい。
翌日、この那智さんのカラクリをお話しして『たしかにそうかも(笑)』と理解してくれて、ほんのちょっぴり心が軽くなった。
これからも、答えをチラつかせてしまうことはあるだろうし、そこに誠実な天の邪鬼を発揮してくれて悲しくなることもあるだろう、でも、完璧じゃない那智さんがわたしに対して誠実でいたいと思ってくれるほうが、ずっと幸せだ。
一生懸命両目を見開いて耳をすませて相手を知りたいと願うと見えてくるものがあるんだね^^
<関連エントリー>
ちょっと関連していないのもあるけど、まとめて読んだらわかりやすかも?
『心と事実』
『心と事実2』
『事実さんとのお付き合い』
『心ちゃんと事実さん』
誘導して失敗^^;
『夢見る頃をすぎても4』
天の邪鬼さんいろいろ(笑)
『天の邪鬼でアブノーマルな那智さん』
『一番困ったこと2』
『対処方法』
『基本人格』
「等式」感想です。かなり、深く、濃いエントリーなので読んでいる方が理解できるか心配です。(笑)打ち合わせ無し、インタビュー無しで、この話を書くことが出来るりん子とのコミュニケーションの多さが嬉しいです。そして、この関係を何人の友人と出来ているのか思い返しています。
りん子にウソはつきたくない。
その質問にこう答えたら悲しむだろうな、もしかしたらヘソ曲げて面倒なことになるかもしれない、そうわかっていても自分の心に一番近い感情や湧いた気持ちを違うものにして言葉にしたくない。
たとえ、傷つけても面倒になっても、その場を取り繕うようなウソはふたりにとってマイナスになる。
普通は『相手を傷つけるようなことは言うのはやめましょう』というのが道徳かもしれないけど、那智さんにとってベストな人間関係は『ウソをつなかい』なのだそうだ。
(互いに『悪意はない』と思える前提が必要)
ときどき、那智さんの言葉でつまずいてしまうことはある。
『20%嫌悪』のときもそうだし、さんにんの頃の傷を癒す作業のときなどはけっこうこれで更に傷を広げてしまう事態に陥っていた。
そんなとき
俺は、りん子に『これを言ったら機嫌悪くなるから言うのやめとこ』ってしたくないんだよ
それで、いまりん子にそれができていることが、俺は嬉しいんだよ
那智さんはこんなふうにいう。
「そこ、もうちょっと甘く付き合って〜」と思ってしまうこともあるのだけど、おそらく、人に言葉を発するときに『いろいろ』考えるであろう那智さんがわたしにはそのハードルを下げて接しているということはわたし自身にとっても誇らしいものだったし、ウソをついたほうがラクなのにそうしない姿を長年見ているとたしかに『那智さんはウソは言わない』と信じられるもの。
ふたりにとって、『りん子には思ったことを言えること』と『那智さんはウソをつかないと信じられること』はとても大事なことなのだ。
この言葉は、ふたりの付き合いの象徴のよう。
俺に、その場しのぎのことを言ってほしい?
甘い言葉がほしくてなかなか引き下がれないとき、そんなふうに言われると、取り返しのつかないことをしてしまうようで、結局、ウソはつかないでいてほしいという結論になる。
でも、おおむね納得できるし、那智さんはウソをつなかいと信じられることは本当に幸せなことだけど、ごくたまに喉に骨が刺さっているような釈然としないこともあるのだ。
那智さんだって、頭に浮かんだすべてのことを口にしているわけではないだろう。
仮に『わたしからの質問』に限定しても、全部じゃないはずだ。
答えがひとつのこともあるかもしれないけど、いくつかぱぱぱっと脳裏に浮かんだとして、その中から選んでいることだってあるはず。
全部言葉にしていたら大変な会話量になってしまうし、常に答えがひとつしかないほど那智さんも単純な人でもないよね。
喉に骨が刺さっているように感じてしまうのは、そのぱぱぱっといくつか浮かんだ中から選んだとして、なぜ、わたしが悲しむと想像できるものを選ぶのだろうという気持ち。
一瞬考えればわかるはずなんだ、まして、那智さんはわたしを悲しませたいと思っていないことは痛いほどわかる、それなのになぜ『あえて』その答えを選ぶのだろうかという疑問が喉に刺さるのだ。
たとえば(もう、解決済みのことだけど、わかりやすい事例として登場させるよ〜)
さんにんの後。
那智さんがモカちゃんにわたしの領土をどんどんあげていくような錯覚の傷を癒したいがために、甘い言葉を誘うような質問をしてみる。
もう一回さんにんをしようということになったらどうします?
これは明らかにわたしの中で答えが用意されているものだ。
「もう、さんにんはやらないよ」これね^^;
そんなとき那智さんは
次するとしたら、モカちゃんの教育より俺の快感を優先させるかな〜
なんて答えてくれちゃうのだ。
たしかに、こう質問したら、あらためてそのシチュエーションを想像して、質問の答を見つけるのもわかる。
でも、諸々考えたら『もうしないよ』という答えだって間違いではないだろう。
なぜ、そこで、あえて、わたしが悲しくなる答えをいうのか、それがとても不思議だった。
でも、それがわたしたちにとって大事なことだから『那智さんはウソをつかない』ために、わずかに疑問は残りながらもその場しのぎのことを言わない方法を選んでいた。
先日もこんなことがあった。
はじめてのお店にわたしたちと知り合い2人ともう一人初対面の女性が同席することがあった。
知り合いの知り合いというだけでその女性に関してほとんど情報はなかったのだけど、那智さん、初対面の女性というだけで、ちょっぴり興味を持っていたようだ。
まあ、異性ではじめて会う人がいるとしたら『どんな人かな〜』くらいの興味は持つし、まして、こちらの世界の飲みの席なので保護者会で初対面とは興味の度合いも違うのもわかる。
だから、それだけなら「どんな人でしょうね〜」と笑って相づちも打てていた。
でも、それとは別件でつまずいてしまうことがあったので、チャットで会話を重ねていた。
そろそろおしまいにしないといけない時間だったし、翌日は週末でゆっくり連絡も取れなかったので、気持ちを上向きにしたくてちょっと甘えてみた。
このとき、わたしは一足先に失礼しなくてはいけなかったので
帰りは一緒に帰ってくれますか?
あまりに当たり前な質問。
もともとわたしが先に帰ることは他のみんなも知っていたことなので、那智さんも一緒に帰ることは当然だと思われているので、まったく当たり前な質問だった。
用意されている答えは『もちろん一緒に帰るよ』だ。
そうだね〜
でもな、その子が気になるんだよな〜(笑)
ああ、そのひと言、いまいります!?
初対面の異性が気になることもわかりますし、那智さんがわたしをひとりで帰らせることなんてないこともわかってます。
那智さんが心に浮かんだちょっとの感情も伝えたいこともわかります。
でも、気持ちを浮上させたいための質問で、それをいう必要性があるでしょうか!!
当然、りん子と一緒に帰るよ
でも、気になることも本当だし、それを隠したくないんだよ
その女性が好みだろうとなかろうと、わたしを送ることにかわりはないけど、心に浮かんだわずかな気持ちを口にすることのほうが誠実だと、那智さんはおっしゃる。
りん子、俺にウソをついてもらいたい?
場合によっては、わたしにわからないようにウソをついていただきたいことだってある。
優しいウソだって存在していいのではないか。
それをやると、俺はりん子を心の中でバカにしてしまうよ
かつて、わたしがいい子でいるとどんどん増長する男性に対して心の中で舌を出していたのと同じことだ。
互いにそれをしないでいられることが貴重なことも理解できる。
那智さんがウソをつくことは、この良好な関係のおしまいにさえ感じられてしまうので、わたしは甘いキャンディをもらうことを諦めるのだ。
すこしだけ、それを望む自分に非があるような感覚になりながら。
結局、この夜は同じやり取りを二度繰り返した。
おやすみなさい間際に『気持ちを上向きにしたいので、もう一度お聞きします』と前置きまでして!!
その返事も『もちろん一緒に帰る。けど、気になるんだよな〜(笑)』。
ホントに残念です!!
と、その日はおしまいになった。
その夜、布団の中で考える。
どうしてあのひと言を付け加えるのだろう。
たしかに、思ったことをいうのはわかる。
それがちょっとやましい気持ちから発しているから、なおさら口にしたほうがやましくなくなることもわかる。
でも、わたしが悲しくなるのは明白だし、那智さんはわたしを悲しませたくないはずなのに心に浮かんだ全部を口に出すなんて不可能な中、どうして、あえて付け加えるのだろう。
きっと、いままでの付き合いの中で無意識に選んで言わないことだってあったはずなのに。
あ!!
もしかし那智さん、これって天の邪鬼さん?(笑)
もちろんウソはつきたくないことも本当だけど、那智さんがこの手のことで『あえて言う』ときに、もしかしたらある法則があるのではないだろうか。
それはわたしが欲しい答えをチラつかせて、そちらに誘導しようとしているときに多く見られるような気がする。
目の前に『答え』を書いた紙を見せているのにその通りに読んでくれないのは、心の中で舌を出すような付き合いはしたくないという誠実さは当然だとしても、心のどこかに、見せられているものをそのまま口にすることに対する抵抗感、天の邪鬼な気持ちもあるのではないだろうか。
そうだとしたら、すごく納得できる。
なぜ、あんなに優しい那智さんがあえてそれらを口にするのか。
誠実さ、よい付き合いでいたい気持ち、それに加えて誘導されまいとする気持ちが作用しているとするならば、納得できる。
俺はりん子にウソをつきたくない。
思ったことを口にできるりん子との関係は理想だ。
俺にウソをついてほしい?
この那智さんの言葉を素直に受け取れず悲しくなってしまう自分に、ほんの少し非があるような気持ちになっていたけれど。
なーんだ、天の邪鬼さんなんじゃん(笑)
すべてにおいて万能な人間なんて、そう簡単には存在しない。
生身の人間同士の付き合いにどちらかが完璧なんてこともない。
那智さんの優しさも誠実さも全部本当だけど、それだけじゃない。
で、それだけじゃないほうが、全知全能の神じゃない那智さんのほうが『真実味』がある。
一方的に自分を責めてしまいがちなわたしだから、こんなふうに那智さんの思考回路を見極めることができると公平な判断ができて、心地よい。
翌日、この那智さんのカラクリをお話しして『たしかにそうかも(笑)』と理解してくれて、ほんのちょっぴり心が軽くなった。
これからも、答えをチラつかせてしまうことはあるだろうし、そこに誠実な天の邪鬼を発揮してくれて悲しくなることもあるだろう、でも、完璧じゃない那智さんがわたしに対して誠実でいたいと思ってくれるほうが、ずっと幸せだ。
一生懸命両目を見開いて耳をすませて相手を知りたいと願うと見えてくるものがあるんだね^^
<関連エントリー>
ちょっと関連していないのもあるけど、まとめて読んだらわかりやすかも?
『心と事実』
『心と事実2』
『事実さんとのお付き合い』
『心ちゃんと事実さん』
誘導して失敗^^;
『夢見る頃をすぎても4』
天の邪鬼さんいろいろ(笑)
『天の邪鬼でアブノーマルな那智さん』
『一番困ったこと2』
『対処方法』
『基本人格』
「等式」感想です。かなり、深く、濃いエントリーなので読んでいる方が理解できるか心配です。(笑)打ち合わせ無し、インタビュー無しで、この話を書くことが出来るりん子とのコミュニケーションの多さが嬉しいです。そして、この関係を何人の友人と出来ているのか思い返しています。
おもらし
非日常的な日常
足跡『女の子』をアップしたとき『最近大人の女を伸ばすことに力を注いでいたところにタイムリーなエントリー』というような感想をいただいた。
このところ、なんというか、わたしの成熟度合いに拍車がかかり那智さんもそこを伸ばすことに集中しているようだった。
たしかに、ふたりして、淫乱なわたしに夢中(というと少し大げさだけど、かなり近いニュアンス)だったと思う。
基本的に『飽きずに楽しみたい』と思う那智さんは手を替え品を替え、ひとつのことを繰り返し行うことは少ない。
ただ、ここというときには連続して押す、あと一歩押し込んで広がった快感をわたしの記憶に植え付ける。
鞭やわんこもそうだった。
だから、那智さんなりに行為の頻度や間隔は漠然と意識しながらわたしに施していると思う。
その那智さんが、大人の女のりん子作りに力を注いでいるな〜、『女の子』方面で遊んでいないな〜、りん子を遊ばせてあげられていないな〜と思っていたのだろう。
そこに足跡で『女の子』がアップされたものだから、那智さんの意識とわたしの予約投稿が偶然にもそこに注目させるようなものになったのだ。
ーーーーーーーーーー
明日はりん子を女の子にして可愛がってあげるね
外でおもらしができるような服装でおいで
おもらしをしたことは何度かある。
そこにはいくつかの要素があると思う。
一般道(もちろん道の端っこです)でおもらしをするのだから羞恥心と背徳感は当然のことながらあるけど、わたしたちの中では、これはもしかしたらそれほど大きくはないかもしれない。
外でおしっこをしてしまえるような人として不完全なりん子。
それを保護し許容し愛でる那智さん。
こういう要素が実は大きい。
おもらしをしてしまうのはいけないこと。
だけど、どうしても我慢できなくてしてしまうダメな状態やしてしまえる精神状態。
人として完成されていない、もしくは『人ではない』、子供や犬やわずかな狂気。
それを那智さんの許容のもとに行う幸せと快感。
これがお外おもらしの重要な要素なのだ。
だから『女の子』的なものを可愛がろうとすると、おもらしがバリエーションのひとつになる。
別な可愛がり方として大人の女としておもらしを楽しむこともある。
これも、おもらしができてしまう人として欠陥のあるわたしを許容するという感じ。
ついでに、これはわたしだけのポイントかもしれないけど、着衣で濡れる、いわゆるWAMの嗜好もあるのです。
小さい頃、【梅干し】をぐちゃぐちゃにして手に塗りたくっていたり、雨の中わざと傘をささずにびしょ濡れになって歩いたりしたし、もしかしたら【あの夢】も羞恥や支配以外にこの要素もあったかもしれない。
わー、横道に逸れた〜^^;
当日。
ひざ下数センチ、白くてふわっとしたスカート。
滴るものをすこしでも隠せるように。
それなのに、不完全なわたしを、那智さんの守られた中で誰かに蔑みや冷ややかな目で見られてしまいたいという気持ちもあるから困る。
いつもの街を歩く。
繁華街の路地を指し「ここにする?」
路地でも、目の前には大勢の人、ぶんぶんと首を振る。
ショップの前。
ここは?
歩道がすこし傾斜になっているから「おしっこが流れていいかもね」
目立ちます!!
わたしたちの露出は人がまったくいないところではほとんど意味がないのだ(人がいない場所は那智さんにとって『ホテルの部屋と同じ』だから『精神の露出』)、だけど、迷惑はかけたくないという気持ちもある。
その狭間で揺れる。
ホテル街に近づいた。
りん子、出そう?
以前、尿意は精神が大きく作用すると書いた。
そのときはためらう気持ちがおしっこしたい気持ちを制御して『出ない』ようにしていた。
何度か、お外でおもらしをするようになって、それがわたしにとって幸福で気持ちいい出来事だと脳と体に植え付けられると『出す』ように精神を傾けることができるようになる。
ちょっとだけ時間がかかってもよければ、出せます
いつも曲がるホテル街への坂を通過して、以前【お水をかけられた】駐車場へ向かうけど、そこにはビルが建っていた。
残念。
ここなら人通りも少ないし、ほんのちょっと奥まっていて自動販売機が角度によっては死角を作ってくれるから、使えなくなっていて残念。
もと来た道を戻りホテル街の角を曲がる。
ここの凹みでジーンズを脱いで【ダッシュ】させられた^^;
その先にも駐車場があって、ここでもおもらしをしたことがある。
その駐車場も建物が建つのだ工事中。
パイプが組立てられていて、それに建設現場を覆うシートが張られている。
隣りの建物と微妙に位置がずれていて、人ひとり分ほど奥まっていた。
これなら、この坂を通る人にはわたしたちの姿は丸見えだけどいま来た人通りの多い道からはずいぶん見えにくいはずだ。
すこし安心。
じゃあ、ここでしな
那智さんの合図で神経を『出す』ほうに集中させる。
視線を落とし、那智さんと自分だけの世界を作る。
車の音、遠くの雑踏、建設現場で金属がぶつかり合う音。
おしっこが出そうになると、そのあたりがプクッと膨らむ感覚になるの。
那智さん、出そうです
そう、いいこだね
頭を撫でられた。
ああ、幸せ。
顔をすこし上げ、那智さんを見る(見たように記憶している)。
出たかも。
そう感じた、次に出たと実感したのは『音』だった。
建設現場の音や雑踏がうるさいはずなのに液体がアスファルトを打つ音が際立って耳に入ってきた。
不思議、そんなに勢いなかったから本当なら聞こえにくいはずなんだけど。
おしっこがアスファルトを打つごくわずかな振動や空気の揺れが『音』を増幅させたのかと思うほど、不思議な感覚だった。
『音』の後は、おしっこが出ている感覚と下着を濡らしていく感触。
恥ずかしい、でも、うれしい。
那智さんはずっと撫でてくれている。
わたしったら、幸せで、これが幸せなことが恥ずかしくて、初な少女のようにはにかんでいる。
わたしは何か言葉を発しただろうか、感覚がぼやけている。
すぐ後ろで男の人の声がした。
シートを挟んで、建設作業をしている人の声だ。
言葉は脳に伝わらない、ただ、声が聞こえただけだ。
ごめんなさいと思いながら、でも、人の気配がよりいっそうわたしを那智さんの懐に収まっているような錯覚を作る。
すこし開いた足の間をおしっこが滴り落ちていた。
那智さんに守られて許容してもらって、はにかんで、わたしは幸せな未完成の女の子になる。
<関連エントリー>
おもらしいろいろ。
『制服とおもらし3 4』
『選ばせてあげる5』
WAMの片鱗
梅干しとあの夢と水をかけられたこと
『変態ご飯』
『夢が叶うとき1 2 3』
パンツでダッシュさせられた!!
『みっともない私1 2』
「等式」感想です。大きな意味ではおもらしは「女の子」ごっこなのだろう。今、りん子との間でHOTな話題のごっこ遊びなのだと思う。おもらしパンツを洗うのは私の役目、なぜか楽しいのですがね。ごっこ遊びの詳細は数か月後のエントリーをお楽しみにしてください。
大きな意味での「女の子」に関してはごっこ遊びは訂正です。それは、りん子の姿を見て「女の子」を見たから。でも、そこから発展する、りん子の中の女の子でごっこ遊びをすることはあります。(誰も解らないですよね~(笑))「わんこ」はまだ現状ごっこ遊びです。
足跡『女の子』をアップしたとき『最近大人の女を伸ばすことに力を注いでいたところにタイムリーなエントリー』というような感想をいただいた。
このところ、なんというか、わたしの成熟度合いに拍車がかかり那智さんもそこを伸ばすことに集中しているようだった。
たしかに、ふたりして、淫乱なわたしに夢中(というと少し大げさだけど、かなり近いニュアンス)だったと思う。
基本的に『飽きずに楽しみたい』と思う那智さんは手を替え品を替え、ひとつのことを繰り返し行うことは少ない。
ただ、ここというときには連続して押す、あと一歩押し込んで広がった快感をわたしの記憶に植え付ける。
鞭やわんこもそうだった。
だから、那智さんなりに行為の頻度や間隔は漠然と意識しながらわたしに施していると思う。
その那智さんが、大人の女のりん子作りに力を注いでいるな〜、『女の子』方面で遊んでいないな〜、りん子を遊ばせてあげられていないな〜と思っていたのだろう。
そこに足跡で『女の子』がアップされたものだから、那智さんの意識とわたしの予約投稿が偶然にもそこに注目させるようなものになったのだ。
ーーーーーーーーーー
明日はりん子を女の子にして可愛がってあげるね
外でおもらしができるような服装でおいで
おもらしをしたことは何度かある。
そこにはいくつかの要素があると思う。
一般道(もちろん道の端っこです)でおもらしをするのだから羞恥心と背徳感は当然のことながらあるけど、わたしたちの中では、これはもしかしたらそれほど大きくはないかもしれない。
外でおしっこをしてしまえるような人として不完全なりん子。
それを保護し許容し愛でる那智さん。
こういう要素が実は大きい。
おもらしをしてしまうのはいけないこと。
だけど、どうしても我慢できなくてしてしまうダメな状態やしてしまえる精神状態。
人として完成されていない、もしくは『人ではない』、子供や犬やわずかな狂気。
それを那智さんの許容のもとに行う幸せと快感。
これがお外おもらしの重要な要素なのだ。
だから『女の子』的なものを可愛がろうとすると、おもらしがバリエーションのひとつになる。
別な可愛がり方として大人の女としておもらしを楽しむこともある。
これも、おもらしができてしまう人として欠陥のあるわたしを許容するという感じ。
ついでに、これはわたしだけのポイントかもしれないけど、着衣で濡れる、いわゆるWAMの嗜好もあるのです。
小さい頃、【梅干し】をぐちゃぐちゃにして手に塗りたくっていたり、雨の中わざと傘をささずにびしょ濡れになって歩いたりしたし、もしかしたら【あの夢】も羞恥や支配以外にこの要素もあったかもしれない。
わー、横道に逸れた〜^^;
当日。
ひざ下数センチ、白くてふわっとしたスカート。
滴るものをすこしでも隠せるように。
それなのに、不完全なわたしを、那智さんの守られた中で誰かに蔑みや冷ややかな目で見られてしまいたいという気持ちもあるから困る。
いつもの街を歩く。
繁華街の路地を指し「ここにする?」
路地でも、目の前には大勢の人、ぶんぶんと首を振る。
ショップの前。
ここは?
歩道がすこし傾斜になっているから「おしっこが流れていいかもね」
目立ちます!!
わたしたちの露出は人がまったくいないところではほとんど意味がないのだ(人がいない場所は那智さんにとって『ホテルの部屋と同じ』だから『精神の露出』)、だけど、迷惑はかけたくないという気持ちもある。
その狭間で揺れる。
ホテル街に近づいた。
りん子、出そう?
以前、尿意は精神が大きく作用すると書いた。
そのときはためらう気持ちがおしっこしたい気持ちを制御して『出ない』ようにしていた。
何度か、お外でおもらしをするようになって、それがわたしにとって幸福で気持ちいい出来事だと脳と体に植え付けられると『出す』ように精神を傾けることができるようになる。
ちょっとだけ時間がかかってもよければ、出せます
いつも曲がるホテル街への坂を通過して、以前【お水をかけられた】駐車場へ向かうけど、そこにはビルが建っていた。
残念。
ここなら人通りも少ないし、ほんのちょっと奥まっていて自動販売機が角度によっては死角を作ってくれるから、使えなくなっていて残念。
もと来た道を戻りホテル街の角を曲がる。
ここの凹みでジーンズを脱いで【ダッシュ】させられた^^;
その先にも駐車場があって、ここでもおもらしをしたことがある。
その駐車場も建物が建つのだ工事中。
パイプが組立てられていて、それに建設現場を覆うシートが張られている。
隣りの建物と微妙に位置がずれていて、人ひとり分ほど奥まっていた。
これなら、この坂を通る人にはわたしたちの姿は丸見えだけどいま来た人通りの多い道からはずいぶん見えにくいはずだ。
すこし安心。
じゃあ、ここでしな
那智さんの合図で神経を『出す』ほうに集中させる。
視線を落とし、那智さんと自分だけの世界を作る。
車の音、遠くの雑踏、建設現場で金属がぶつかり合う音。
おしっこが出そうになると、そのあたりがプクッと膨らむ感覚になるの。
那智さん、出そうです
そう、いいこだね
頭を撫でられた。
ああ、幸せ。
顔をすこし上げ、那智さんを見る(見たように記憶している)。
出たかも。
そう感じた、次に出たと実感したのは『音』だった。
建設現場の音や雑踏がうるさいはずなのに液体がアスファルトを打つ音が際立って耳に入ってきた。
不思議、そんなに勢いなかったから本当なら聞こえにくいはずなんだけど。
おしっこがアスファルトを打つごくわずかな振動や空気の揺れが『音』を増幅させたのかと思うほど、不思議な感覚だった。
『音』の後は、おしっこが出ている感覚と下着を濡らしていく感触。
恥ずかしい、でも、うれしい。
那智さんはずっと撫でてくれている。
わたしったら、幸せで、これが幸せなことが恥ずかしくて、初な少女のようにはにかんでいる。
わたしは何か言葉を発しただろうか、感覚がぼやけている。
すぐ後ろで男の人の声がした。
シートを挟んで、建設作業をしている人の声だ。
言葉は脳に伝わらない、ただ、声が聞こえただけだ。
ごめんなさいと思いながら、でも、人の気配がよりいっそうわたしを那智さんの懐に収まっているような錯覚を作る。
すこし開いた足の間をおしっこが滴り落ちていた。
那智さんに守られて許容してもらって、はにかんで、わたしは幸せな未完成の女の子になる。
<関連エントリー>
おもらしいろいろ。
『制服とおもらし3 4』
『選ばせてあげる5』
WAMの片鱗
梅干しとあの夢と水をかけられたこと
『変態ご飯』
『夢が叶うとき1 2 3』
パンツでダッシュさせられた!!
『みっともない私1 2』
「等式」感想です。大きな意味ではおもらしは「女の子」ごっこなのだろう。今、りん子との間でHOTな話題のごっこ遊びなのだと思う。おもらしパンツを洗うのは私の役目、なぜか楽しいのですがね。ごっこ遊びの詳細は数か月後のエントリーをお楽しみにしてください。
大きな意味での「女の子」に関してはごっこ遊びは訂正です。それは、りん子の姿を見て「女の子」を見たから。でも、そこから発展する、りん子の中の女の子でごっこ遊びをすることはあります。(誰も解らないですよね~(笑))「わんこ」はまだ現状ごっこ遊びです。
やりたいからやる
140字もどき
そうそう、いまふと思い出したけど。
『旅』をしていた頃。
声がなかなかステキな男性とけっこう長い時間会話したことがあった。
落ち着いていて経験も豊富そうで、とても自分に自信を持っている感じの人だった。
恋愛して尊敬して、その人に翻弄され支配されたいと彷徨っていたときだったから、こんなふうに経験も自信もありそうな人なら叶えられるかもしれないと、期待してしまいそうになりながら長い時間の会話だった。
なぜ、その先に進まなかったのだろう。
この男性はこんなことを言っていた。
やめてと言ってもやめない
まあ、これはマゾヒストとしてはありがたい側面もある^^
でも、その後の言葉にすこし驚いた。
最近は女も強気になっているから、そういうときに簡単にいうことを聞いてやめたらダメなんだ
あれ?S男性、そういうモチベーションでSM行為や支配をするの?
最近のわたしはにわかフェミなのでいま聞いたら引っかかりまくりだけど、その当時も腑に落ちなかった記憶がある。
それが原因で先に進まなかったのかわからない。
かけ直してと電話番号を教えてもらったけど、かけなかったんだよね。
(メモしているフリしてメモしなかった←当時よくやってた^^;)
女が強気だからやめないのではなくて。
続けたいからやめない、であってほしいよね。
ぎゃふんといわせるためにSM行為をされてもご主人様になられても、こちらはまったくうれしくないのです。
ところで、このお話はいまから約15年ほど前のこと。
当時はネットの出会いはまだ出始めくらいだったはずで、主流は電話を通した『ツーショットダイヤル』とか『伝言ダイヤル』とか直接声でやり取りをするものだった。
いまでいえば、直接話す『ツーショットダイヤル』はチャット?で、録音したメッセージにメッセージを返す『伝言ダイヤル』は掲示板?といったところだろうか。
ここを読んでくれている人の中には、このシステムがピンと来ない人も多いかもしれないですね。
いまではネットで文字の出会いがほとんどだろうけど、わたしは携帯もパソコンもデビューが遅かったので、これ以外の文字での出会いというものを知らないのだ。
この男性とは『ツーショットダイヤル』で会話した。
女性が無料で男性は有料だから、ある程度話したら男性は固定電話の番号を教えてかけ直してもらうというのが無駄にお金を使わない手段だったのだ。
(『会話』とか『かけ直して』なんていう言葉は、そこからきている)
それが当時の出会い方だった。
まあ、なんていうか、いきなり肉声を聞かれることも抵抗あるし、男性なんて固定電話の番号を教える場合もあるわけだから、それなりに勇気のいることだよね。
生身の声って、まるで顔写真を見せるくらい『自分』を出しているようだし、じつは、『M女』だと公言している出会いの中でいきなり肉声を聞かせるのって、けっこう神経すり減らすんだよね。
きっと文字でメッセージのやり取りをするより男女ともハードルは高かったと思うんだ。
ただ、声や話し方というのはとても重要な好みではあるし、いろんな情報を手に入れることができるので、その点では文字よりよいと思う。
那智さんは文字より肉声派だし、ハードルが高いぶんより真剣な人が集まるのではないかと、いまの(どちらかというと手軽に見える)ネットの出会いより、すこしハードルが高かった出会いのほうがお好みだ。
昔は良かったという懐古はあまり好きじゃないし、肉声で神経をすり減らす経験もあるから、わたしはどちらにも良い点と悪い点があると思うけど。
人は、『どうしても、本当にやりたいこと』は多少困難が伴ってもやるもの。
ハードルが高いほうが『本当にそれがしたいのか』と自問自答する。
ツーショットの番号を眺めて、何度もためらい、それでも『叶えたい』とプッシュしたように。
そういった意味では、自分の中で振るいにかける作用もあったのではないか。
手軽な出会いは否定しないけど、『どうしてもしたいこと』がわかっているほうが無用な傷は負わないでいいなと思うので、手軽なぶん、自覚的に自問自答が必要かもしれませんね。
あれ?『140字もどき』のつもりがけっこうしっかり書いちゃった^^
<関連エントリー>
旅、ね^^
長いからページで^^
『はじめての旅〜3回目の旅まで』
電話の出会い、いろいろ
『思い出話』
『思い出話(声は重要♪)』
『思い出話(ああ、勘違い編)』
『思い出話(わがままM女)』
電話の出会いのイヤなところ(特に後半に書いてます)
『執着』
「等式」感想です。今はパートナーを募集する時には、作文の品評会になっているのではないかと思う。そして、会話にくらべイマジネーションが強い分、ミスマッチになる可能性が強いのではないかな~。文章が下手な私の負け惜しみだったら良いのですが。
現在は無きに等しい電話での出会いシステムを名残惜しんでも、意味はないでしょうが。
そうそう、いまふと思い出したけど。
『旅』をしていた頃。
声がなかなかステキな男性とけっこう長い時間会話したことがあった。
落ち着いていて経験も豊富そうで、とても自分に自信を持っている感じの人だった。
恋愛して尊敬して、その人に翻弄され支配されたいと彷徨っていたときだったから、こんなふうに経験も自信もありそうな人なら叶えられるかもしれないと、期待してしまいそうになりながら長い時間の会話だった。
なぜ、その先に進まなかったのだろう。
この男性はこんなことを言っていた。
やめてと言ってもやめない
まあ、これはマゾヒストとしてはありがたい側面もある^^
でも、その後の言葉にすこし驚いた。
最近は女も強気になっているから、そういうときに簡単にいうことを聞いてやめたらダメなんだ
あれ?S男性、そういうモチベーションでSM行為や支配をするの?
最近のわたしはにわかフェミなのでいま聞いたら引っかかりまくりだけど、その当時も腑に落ちなかった記憶がある。
それが原因で先に進まなかったのかわからない。
かけ直してと電話番号を教えてもらったけど、かけなかったんだよね。
(メモしているフリしてメモしなかった←当時よくやってた^^;)
女が強気だからやめないのではなくて。
続けたいからやめない、であってほしいよね。
ぎゃふんといわせるためにSM行為をされてもご主人様になられても、こちらはまったくうれしくないのです。
ところで、このお話はいまから約15年ほど前のこと。
当時はネットの出会いはまだ出始めくらいだったはずで、主流は電話を通した『ツーショットダイヤル』とか『伝言ダイヤル』とか直接声でやり取りをするものだった。
いまでいえば、直接話す『ツーショットダイヤル』はチャット?で、録音したメッセージにメッセージを返す『伝言ダイヤル』は掲示板?といったところだろうか。
ここを読んでくれている人の中には、このシステムがピンと来ない人も多いかもしれないですね。
いまではネットで文字の出会いがほとんどだろうけど、わたしは携帯もパソコンもデビューが遅かったので、これ以外の文字での出会いというものを知らないのだ。
この男性とは『ツーショットダイヤル』で会話した。
女性が無料で男性は有料だから、ある程度話したら男性は固定電話の番号を教えてかけ直してもらうというのが無駄にお金を使わない手段だったのだ。
(『会話』とか『かけ直して』なんていう言葉は、そこからきている)
それが当時の出会い方だった。
まあ、なんていうか、いきなり肉声を聞かれることも抵抗あるし、男性なんて固定電話の番号を教える場合もあるわけだから、それなりに勇気のいることだよね。
生身の声って、まるで顔写真を見せるくらい『自分』を出しているようだし、じつは、『M女』だと公言している出会いの中でいきなり肉声を聞かせるのって、けっこう神経すり減らすんだよね。
きっと文字でメッセージのやり取りをするより男女ともハードルは高かったと思うんだ。
ただ、声や話し方というのはとても重要な好みではあるし、いろんな情報を手に入れることができるので、その点では文字よりよいと思う。
那智さんは文字より肉声派だし、ハードルが高いぶんより真剣な人が集まるのではないかと、いまの(どちらかというと手軽に見える)ネットの出会いより、すこしハードルが高かった出会いのほうがお好みだ。
昔は良かったという懐古はあまり好きじゃないし、肉声で神経をすり減らす経験もあるから、わたしはどちらにも良い点と悪い点があると思うけど。
人は、『どうしても、本当にやりたいこと』は多少困難が伴ってもやるもの。
ハードルが高いほうが『本当にそれがしたいのか』と自問自答する。
ツーショットの番号を眺めて、何度もためらい、それでも『叶えたい』とプッシュしたように。
そういった意味では、自分の中で振るいにかける作用もあったのではないか。
手軽な出会いは否定しないけど、『どうしてもしたいこと』がわかっているほうが無用な傷は負わないでいいなと思うので、手軽なぶん、自覚的に自問自答が必要かもしれませんね。
あれ?『140字もどき』のつもりがけっこうしっかり書いちゃった^^
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旅、ね^^
長いからページで^^
『はじめての旅〜3回目の旅まで』
電話の出会い、いろいろ
『思い出話』
『思い出話(声は重要♪)』
『思い出話(ああ、勘違い編)』
『思い出話(わがままM女)』
電話の出会いのイヤなところ(特に後半に書いてます)
『執着』
「等式」感想です。今はパートナーを募集する時には、作文の品評会になっているのではないかと思う。そして、会話にくらべイマジネーションが強い分、ミスマッチになる可能性が強いのではないかな~。文章が下手な私の負け惜しみだったら良いのですが。
現在は無きに等しい電話での出会いシステムを名残惜しんでも、意味はないでしょうが。