取るに足りないこと
非日常的な日常
今日もバタバタと大変な一日でした。
時間的な拘束とかやらなきゃいけないことが多いとか、そんな忙しさもあるのだけど、それだけじゃなくて今日はひとつ解決しなければならない大事なことがあったのです。
大事なものを守るために、全力で取り組んだ一日でした。
忙しいと大変が重なって、支えてくれていた那智さんにもいつものように優しいりん子でいられないほどでした。
夜、お電話でお話しして「疲れているだろ?声に余裕がない。」と気遣ってくれる。
今夜は電話を切って更新もしないで、もう寝なと言ってくれるけど、まだお話していたい。
那智さんとお話ししていると、どんどん体の力が抜けてくるのがわかる。
絡まった心が解けて、凝り固まった心が溶けていく。
睡魔に襲われているのではないのに、眠りに落ちそうだ。
お酒を飲んでいないのに、ほろ酔い気分だ。
那智さんという安定剤を投与してもらった。
だから、電話を切るころには、柔らかくいつもの私に戻れていたはずだ。
柔らかくなりすぎて、なんだかフワフワしていて、キーボードを打つ指がフニャフニャしているけれど、更新しよう。
愛もブログも継続は力なり!
前置き長いけど、お約束した「工場で露出」です~。
その工場は、いわゆる町工場。
道路に面したスペースは、車を停めたり機材を置いたりできるように開いている。
その奥にシャッターがあって、基本的にそのシャッターは常に開けられている。
そこから先が工場内となる。
機械に囲まれた、僅かに開いた隙間に置いてある椅子に腰掛ける。
那智さんは私の前にしゃがみ込んでいる。
そして、両手で、私の膝を割って足を開かせる。
工場のシャッターは開いているから、万が一誰かが来てしまうかもしれない。
それでも、私の足は石膏で固められたように大きく開いたまま動けない。
さらに那智さんは、私のワンピースのボタンに指をかけはずしてしまう。
恥ずかしくて、嬉しくて、嬉しいと思うことが恥ずかしくて、那智さんの胸に顔をうずめようと、いやいやをするように顔を近づけるけれど、ボタンをはずす腕が邪魔をして希望は叶わない。
はだけたワンピースの胸元からブラが露わになる。
その上から胸を触られて、私はもっといやいやと首を振る。
すっと、手が服の中から背中にまわり、器用にホックをはずしてしまった。
あっという間の出来事。
そして、下着を少し上にずらされた。
開いたワンピースの胸元と、ずらした下着の僅かな間とはいえ、胸が露わになった。
全部が露出しているわけではない、でも、確実に胸は見えている。
工場内とはいえ、地続きに「外」だ。
数メートル先には道路がある。
現に、外を走る車の音や歩いている人の話し声が間近に聞こえていたではないか。
よく見れば、機械の隙間から、私たちが見えているかもしれない。
これは露出だ。
エレベーターの中でスカートをめくる電車の中でお尻を触るというような一瞬の驚きを楽しむ行為とは違う感じがしている。
普段直接外気にさらされることのない部分を継続してさらす、これは露出だと思った。
それにしても、この感覚はなんと説明したら良いのだろう。
開放感。
胸が外気に触れた瞬間に感じた、背中に羽根は付いたような、ふわっと体が浮くような感覚。
でも、ただの開放感だけではない。
頼りないというか、心許ないというか、不安げな開放感だ。
誰かがくるかもしれないというような、スリルを味わい楽しむ感覚はまったくない。
あり得ないことをしているという、背徳感も楽しんでいない。
不思議なほど、ふんわりと気持ち良い。
それでも、この心許ない気持ちが不安で、とにかく那智さんに聞いてみる。
「那智さん、これは露出ですか?」
「そうだね。」
まるで、今日の予定を聞かれてする返事のように、そっけない。
もう一度聞く。
「これは、露出ですか?」
「そうだね。」
それが、まったく重大なことではないと思わせるようなお返事だ。
これが嬉しい、安心する。
とても大それたことかもしれないけれど、那智さんが取るに足りないことと表してくれたら、不安は解消される。
いつものように那智さんがしたいと思うことをしてくれることで、私は幸せになる。
そして、冷静でいてくれると、安心してもっともっと解放できる。
私は、安心して、たんぽぽの綿毛のように、ふんわりと舞い上がる。
ネットやAVにあるような「露出」のほうが、もっとすごいですよね?(あんまり知らないけれど)
それをしている人たちは、あの開放感と同じ種類の快感を味わっているのかしら・・。
同じだとするならば、「露出」が凄い分快感も大きいのかな。
それはわからない。
でも、那智さんにとって「取るに足りない」ことであるのは確かだ。
それでも、あとで「こんなことで感じるなんて~。」って意地悪言われたりするんです。
「だって、こんなことをしたのはあなたです~!そして、大したことないように振る舞ったのも那智さん、あなたですよ!!」って、地団駄を踏む。
私はそれに乗っかっただけです♪
今日もバタバタと大変な一日でした。
時間的な拘束とかやらなきゃいけないことが多いとか、そんな忙しさもあるのだけど、それだけじゃなくて今日はひとつ解決しなければならない大事なことがあったのです。
大事なものを守るために、全力で取り組んだ一日でした。
忙しいと大変が重なって、支えてくれていた那智さんにもいつものように優しいりん子でいられないほどでした。
夜、お電話でお話しして「疲れているだろ?声に余裕がない。」と気遣ってくれる。
今夜は電話を切って更新もしないで、もう寝なと言ってくれるけど、まだお話していたい。
那智さんとお話ししていると、どんどん体の力が抜けてくるのがわかる。
絡まった心が解けて、凝り固まった心が溶けていく。
睡魔に襲われているのではないのに、眠りに落ちそうだ。
お酒を飲んでいないのに、ほろ酔い気分だ。
那智さんという安定剤を投与してもらった。
だから、電話を切るころには、柔らかくいつもの私に戻れていたはずだ。
柔らかくなりすぎて、なんだかフワフワしていて、キーボードを打つ指がフニャフニャしているけれど、更新しよう。
愛もブログも継続は力なり!
前置き長いけど、お約束した「工場で露出」です~。
その工場は、いわゆる町工場。
道路に面したスペースは、車を停めたり機材を置いたりできるように開いている。
その奥にシャッターがあって、基本的にそのシャッターは常に開けられている。
そこから先が工場内となる。
機械に囲まれた、僅かに開いた隙間に置いてある椅子に腰掛ける。
那智さんは私の前にしゃがみ込んでいる。
そして、両手で、私の膝を割って足を開かせる。
工場のシャッターは開いているから、万が一誰かが来てしまうかもしれない。
それでも、私の足は石膏で固められたように大きく開いたまま動けない。
さらに那智さんは、私のワンピースのボタンに指をかけはずしてしまう。
恥ずかしくて、嬉しくて、嬉しいと思うことが恥ずかしくて、那智さんの胸に顔をうずめようと、いやいやをするように顔を近づけるけれど、ボタンをはずす腕が邪魔をして希望は叶わない。
はだけたワンピースの胸元からブラが露わになる。
その上から胸を触られて、私はもっといやいやと首を振る。
すっと、手が服の中から背中にまわり、器用にホックをはずしてしまった。
あっという間の出来事。
そして、下着を少し上にずらされた。
開いたワンピースの胸元と、ずらした下着の僅かな間とはいえ、胸が露わになった。
全部が露出しているわけではない、でも、確実に胸は見えている。
工場内とはいえ、地続きに「外」だ。
数メートル先には道路がある。
現に、外を走る車の音や歩いている人の話し声が間近に聞こえていたではないか。
よく見れば、機械の隙間から、私たちが見えているかもしれない。
これは露出だ。
エレベーターの中でスカートをめくる電車の中でお尻を触るというような一瞬の驚きを楽しむ行為とは違う感じがしている。
普段直接外気にさらされることのない部分を継続してさらす、これは露出だと思った。
それにしても、この感覚はなんと説明したら良いのだろう。
開放感。
胸が外気に触れた瞬間に感じた、背中に羽根は付いたような、ふわっと体が浮くような感覚。
でも、ただの開放感だけではない。
頼りないというか、心許ないというか、不安げな開放感だ。
誰かがくるかもしれないというような、スリルを味わい楽しむ感覚はまったくない。
あり得ないことをしているという、背徳感も楽しんでいない。
不思議なほど、ふんわりと気持ち良い。
それでも、この心許ない気持ちが不安で、とにかく那智さんに聞いてみる。
「那智さん、これは露出ですか?」
「そうだね。」
まるで、今日の予定を聞かれてする返事のように、そっけない。
もう一度聞く。
「これは、露出ですか?」
「そうだね。」
それが、まったく重大なことではないと思わせるようなお返事だ。
これが嬉しい、安心する。
とても大それたことかもしれないけれど、那智さんが取るに足りないことと表してくれたら、不安は解消される。
いつものように那智さんがしたいと思うことをしてくれることで、私は幸せになる。
そして、冷静でいてくれると、安心してもっともっと解放できる。
私は、安心して、たんぽぽの綿毛のように、ふんわりと舞い上がる。
ネットやAVにあるような「露出」のほうが、もっとすごいですよね?(あんまり知らないけれど)
それをしている人たちは、あの開放感と同じ種類の快感を味わっているのかしら・・。
同じだとするならば、「露出」が凄い分快感も大きいのかな。
それはわからない。
でも、那智さんにとって「取るに足りない」ことであるのは確かだ。
それでも、あとで「こんなことで感じるなんて~。」って意地悪言われたりするんです。
「だって、こんなことをしたのはあなたです~!そして、大したことないように振る舞ったのも那智さん、あなたですよ!!」って、地団駄を踏む。
私はそれに乗っかっただけです♪
ためらいと幸福
非日常的な日常
わんこの尻尾を付けた私は言いたくない言葉(なんて言葉かは内緒にさせてね)を口にしなければならない状況に追い込まれ、それでも、数パーセント残っている理性でなんとか抵抗を試みる。
しかしどうすることもできず、それを口にすることと引き替えにいくことを許してもらう。
そして口にしてもなお、感じ続けてしまう自分に驚き、傷付き、不安になる。
こんな時は「そんなはしたないりん子も好きだ」と示していただいて、自分を許したい。
でも那智さんは抜き取った尻尾に結びつけてあるアナルパール(ちょっと露骨な名称だから、以下「パール」にさせてくださいね)を自分の鼻先に持っていき、もっと私をつらくさせる。
「臭いはずだ!どうしよう。」
そして、さらに、追い打ちをかける。
体と心を翻弄されて、朦朧としている私にそのパールを近づける。
私にも匂いを嗅がせるのかと身構えると同時に、あなたの動きが一瞬の逡巡を見せる、そして、瞳が輝いて楽しい思いつきを実行に移すために動作は流れていく。
パールを持っていないほうの手で私のあごに掴んで口を開けるように促している。
私の口に入れるのだ。
さっきまで、私のお尻の中にあったそれを、私の口に入れようとしているのだ。
近づいたそれを見ると、所々に茶色いかすが付いている。
ためらう。
那智さん、私に向けてくださるすべてのことが、私の幸福だ。
「愛している」も唾液も意地悪も。
不思議なことに、一瞬躊躇してしまうようなことを向けられると、「私はあなたのものだ」とより実感できて、一層の幸福を味わってしまう。
そして、酷いことをさせようとしている時の、那智さんのなんと魅力的なことか。
私は、蛇に睨まれた蛙のようだ。
蛙は恐怖で身を堅くするらしいけれど、私は幸福の余り動けなくなる。
口を開けることも、閉じることも、すべて那智さんの指先からの指示だ。
言葉はなく、淡々と流れていく。
那智さんの逡巡も思いつきも私へも指示も、そして、私のためらいも遂行も。
私に意志はない。
いや、正確には、ある。
那智さんの意志が私の意志だ。
口から出したパールを確かめて、はじめて那智さんは言葉を発する。
「まだ、きれいになっていないよ」
あなたの意志は私の意志だ。
「口の中にパールを入れる」から、さらに、きれいにするということが加わったのだ。
だから、今度は私は、もう一度口に入ったパールをきれいにしようと、舌を使ってなめる。
ためらいを幸福が凌駕する。
「いい顔だ」
那智さんの満足げな表情に、この上ない喜びを感じる。
この瞬間、私は修さんの満足のためだけに存在していたいと、心から願うのだ。
那智さんの足下に犬のようにしゃがみこむ。
でも、私は犬ではない。
1人の大人の女だ。
それを自覚しながらも、那智さんのものだと感じるこの瞬間の積み重ね。
このためだけに生きていたいと、祈るように願うのだ。
はしたない私をはしたないままにして、許しの言葉をかけるどころか、もっと堕ちるようなことをさせる那智さん。
那智さんの意志でさらにひどいことをさせるということと、那智さんの満足げな表情を免罪符として受け取り、はしたない私を許してしまいたいとも、願う。
わんこの尻尾を付けた私は言いたくない言葉(なんて言葉かは内緒にさせてね)を口にしなければならない状況に追い込まれ、それでも、数パーセント残っている理性でなんとか抵抗を試みる。
しかしどうすることもできず、それを口にすることと引き替えにいくことを許してもらう。
そして口にしてもなお、感じ続けてしまう自分に驚き、傷付き、不安になる。
こんな時は「そんなはしたないりん子も好きだ」と示していただいて、自分を許したい。
でも那智さんは抜き取った尻尾に結びつけてあるアナルパール(ちょっと露骨な名称だから、以下「パール」にさせてくださいね)を自分の鼻先に持っていき、もっと私をつらくさせる。
「臭いはずだ!どうしよう。」
そして、さらに、追い打ちをかける。
体と心を翻弄されて、朦朧としている私にそのパールを近づける。
私にも匂いを嗅がせるのかと身構えると同時に、あなたの動きが一瞬の逡巡を見せる、そして、瞳が輝いて楽しい思いつきを実行に移すために動作は流れていく。
パールを持っていないほうの手で私のあごに掴んで口を開けるように促している。
私の口に入れるのだ。
さっきまで、私のお尻の中にあったそれを、私の口に入れようとしているのだ。
近づいたそれを見ると、所々に茶色いかすが付いている。
ためらう。
那智さん、私に向けてくださるすべてのことが、私の幸福だ。
「愛している」も唾液も意地悪も。
不思議なことに、一瞬躊躇してしまうようなことを向けられると、「私はあなたのものだ」とより実感できて、一層の幸福を味わってしまう。
そして、酷いことをさせようとしている時の、那智さんのなんと魅力的なことか。
私は、蛇に睨まれた蛙のようだ。
蛙は恐怖で身を堅くするらしいけれど、私は幸福の余り動けなくなる。
口を開けることも、閉じることも、すべて那智さんの指先からの指示だ。
言葉はなく、淡々と流れていく。
那智さんの逡巡も思いつきも私へも指示も、そして、私のためらいも遂行も。
私に意志はない。
いや、正確には、ある。
那智さんの意志が私の意志だ。
口から出したパールを確かめて、はじめて那智さんは言葉を発する。
「まだ、きれいになっていないよ」
あなたの意志は私の意志だ。
「口の中にパールを入れる」から、さらに、きれいにするということが加わったのだ。
だから、今度は私は、もう一度口に入ったパールをきれいにしようと、舌を使ってなめる。
ためらいを幸福が凌駕する。
「いい顔だ」
那智さんの満足げな表情に、この上ない喜びを感じる。
この瞬間、私は修さんの満足のためだけに存在していたいと、心から願うのだ。
那智さんの足下に犬のようにしゃがみこむ。
でも、私は犬ではない。
1人の大人の女だ。
それを自覚しながらも、那智さんのものだと感じるこの瞬間の積み重ね。
このためだけに生きていたいと、祈るように願うのだ。
はしたない私をはしたないままにして、許しの言葉をかけるどころか、もっと堕ちるようなことをさせる那智さん。
那智さんの意志でさらにひどいことをさせるということと、那智さんの満足げな表情を免罪符として受け取り、はしたない私を許してしまいたいとも、願う。
全肯定1
独特な幸福感
30女が「女の子」になる。
「惹かれ合う理由」の「毛布」でお話ししたようなこと。
「毛布」の時以来、そうだな~半年に一回くらいの感覚で「女の子」になっていた。
きっかけは、ほとんどが那智さんに抱きしめられながらおっぱいを吸っていたり体臭をクンクン嗅いでいたりしてあまえているときに始まる。(それにしても、これで甘える私って・・・ある意味赤裸々な告白)
ほぼ毎回抱かれるときは、吸ったり嗅いだりの甘えはしているので、「女の子」になるのは那智さんの気分次第ということになる。
そして、半年に一回だから、そんなに頻繁ではない。
半年に一回くらいだから、トータルでも数回だ。
一番はじめ「毛布」のときから、2回目をするまでは、もしかしたら一年間くらいは空いていたかもしれない。
那智さん自身も、その行為の正当性を見極める時間がほしかったようだ。
まこにとって悪いことではないだろう、しかし正しいのか、問題ないのか、確固たる自信を持つにはもう少しお互いの関係に深度が必要だったのだ。
はじめて「女の子」になってから2、3回(これだけで1年半から2年は経過していますよ)は、毎回大号泣で「私のこと一番好き?」というようなことを繰り返していた。
「大好きだよ。いいこいいこ。」ってしてもらって、女の子(推定6歳)になって、もらえなかった父性の揺るぎない愛情で心の穴を埋めていた。
私の父の代わりではない。
私は「近親相姦」には、まったく興味がない。
この背徳は冷める。
もらえなかったものの、代わりだ。
「再生や再構築」といった感じだろうか。
そのうち、「一番好き?」と聞かなくても大丈夫なほど、「私は、那智さん(父性)から愛情をもらうに値する価値がある」と自信が持てるようになってきてからは、号泣はしなくなった。
これは「解放や癒し」だろうか。
それでも、静かに涙を流しながら、髪を撫でてもらう心地よさは代え難い。
このあたりでも、(那智さんは知らないけれど)これはどんな種類の感情で、どんな意味のある行為なのか、不安ではあった。(だって、「変態」っぽいでしょ?)
父の代わりではなく、性的興奮のスパイスでもない(幼児プレイみたいなね!)
この説明がつかないまま、それでも代え難い幸福を半年に一回くらい味わっていた。
あるとき、自分でも不思議なことが起こった。
外は雨が降っていて、薄暗い。
那智さんの事務所に遊びに来ていたときのこと。
パソコンに向かってお仕事をはじめる那智さんの横に椅子を並べて横顔を眺めている。
「最近、字が読みづらくって。」
那智さんは老眼鏡(っていうとおじいさんみたいですけど、まだ40半ばですよ~)をかけて、電気スタンドの明かりをつける。
普段かけない眼鏡をかけて、オレンジ色の温かい灯りに包まれながら、静かにキーボードを打つ那智さんを見ていたら、なんだか急に不思議な気持ちに襲われたのだ。
私のほしかった父性を具現化したものが目の前にある。
ばかみたい、私の心は一気に6歳児だ。
さしずめ、おとうさんのお仕事場に入ってきた女の子という感じ。
本当は、忙しいのだけど、嫌な顔せず隣にいさせてくれるお父さん。
そして、その好意を当然のように受け取る私。
そんな、世界が広がってしまった。
私は大人の女だから、椅子に座れば当然足が床につくけど、そのときの心は6歳。
6歳だから床に足は届かない。
届かない心の足をぶらぶらさせながら「お父さん、お仕事ばかりで、つまんない~。」と言う幸福を味わっていた(ああ、おかしいですよね・・)
その一方で、「そうそう、これがほしかったんだよね。」と、ほしがっていた私もいる。
胸が苦しいほど、切なく、切望していた記憶が蘇り、奇妙なノスタルジーに浸る。
そんな倒錯が沸き上がって止まらない。
それと同時に、涙が流れて、それを抑えることができない。
お仕事をする那智さんを見ながら、泣く私。
かなり「痛い」、歪んでいる!?
それでも、幸せで仕方がない。
見ては泣き、あり得ない状況の涙に恥ずかしくなって目を逸らし、我慢できずにまた見ては泣き。
ひとりで、変な女になっていた。
那智さんは、気にせず仕事を続けている。
恥ずかしいから「泣いてもいいですか?」と、聞いてみると、「どうぞ」と答えてくれる。
しばらくして、思い切って聞いてみる、久しぶりだ。
おかしいとわかっていても、我慢できない。
「お父さんって、呼んでもいいですか?」
沈黙。
ああ、やっぱり、さすがにそれは厳しかったかな~~。
変なお願いをしてしまったと、慌てて「そ、そうですよね、それは無理ですよね・・。」取り繕うと、「いや、黙ってたらどんな反応するか試しただけ、いいよ。」ですって、意地悪(泣)
「・・・お父さん。」
「はあい。」(キーボードカチカチ)
おかしな世界、でも、幸せ。
そのあと、那智さんは、私を机の下にもぐり込ませ、お口を使わせた。
カチカチとキーボードを叩く音だけが、静かに響く部屋で那智さんの足の間に収まって、無心でお口を使う。
もう、6歳でもない、「私」だ。
もっというと、何歳でもない、そして、すべての年齢の「私」になっていた。
無垢な「私」。
すべてを受け入れてほしい。
そう願った私は、こんなお願いもしてみる。
「自分で触ってもいいですか?」(結局欲情ねって、思わないでね)
下着に手を入れて、自分で触る。
こんな私も、肯定してください、そんな願いを込めて。
途中で、くわえるのはやめて、机の下でオナニーをする。
最後のいく瞬間まで、那智さんはずっと仕事を続けている。
最後の瞬間だけ見てもらって、それが、この私への肯定と解釈する。
このときを境に、この行為が、(他者から見たら変態かもしれないけれど)私たちの愛情確認の大事なひとつとして、罪の意識を感じることなく認識されるようになったのだと思う。
「近親相姦願望」でもなく「幼児プレイ」でもない。
この感覚をお伝えしたいので、この話、もう少し続けます。
今日は、疲れたからおしまいです。
今日はまとまってないな~、ごめんなさい。
30女が「女の子」になる。
「惹かれ合う理由」の「毛布」でお話ししたようなこと。
「毛布」の時以来、そうだな~半年に一回くらいの感覚で「女の子」になっていた。
きっかけは、ほとんどが那智さんに抱きしめられながらおっぱいを吸っていたり体臭をクンクン嗅いでいたりしてあまえているときに始まる。(それにしても、これで甘える私って・・・ある意味赤裸々な告白)
ほぼ毎回抱かれるときは、吸ったり嗅いだりの甘えはしているので、「女の子」になるのは那智さんの気分次第ということになる。
そして、半年に一回だから、そんなに頻繁ではない。
半年に一回くらいだから、トータルでも数回だ。
一番はじめ「毛布」のときから、2回目をするまでは、もしかしたら一年間くらいは空いていたかもしれない。
那智さん自身も、その行為の正当性を見極める時間がほしかったようだ。
まこにとって悪いことではないだろう、しかし正しいのか、問題ないのか、確固たる自信を持つにはもう少しお互いの関係に深度が必要だったのだ。
はじめて「女の子」になってから2、3回(これだけで1年半から2年は経過していますよ)は、毎回大号泣で「私のこと一番好き?」というようなことを繰り返していた。
「大好きだよ。いいこいいこ。」ってしてもらって、女の子(推定6歳)になって、もらえなかった父性の揺るぎない愛情で心の穴を埋めていた。
私の父の代わりではない。
私は「近親相姦」には、まったく興味がない。
この背徳は冷める。
もらえなかったものの、代わりだ。
「再生や再構築」といった感じだろうか。
そのうち、「一番好き?」と聞かなくても大丈夫なほど、「私は、那智さん(父性)から愛情をもらうに値する価値がある」と自信が持てるようになってきてからは、号泣はしなくなった。
これは「解放や癒し」だろうか。
それでも、静かに涙を流しながら、髪を撫でてもらう心地よさは代え難い。
このあたりでも、(那智さんは知らないけれど)これはどんな種類の感情で、どんな意味のある行為なのか、不安ではあった。(だって、「変態」っぽいでしょ?)
父の代わりではなく、性的興奮のスパイスでもない(幼児プレイみたいなね!)
この説明がつかないまま、それでも代え難い幸福を半年に一回くらい味わっていた。
あるとき、自分でも不思議なことが起こった。
外は雨が降っていて、薄暗い。
那智さんの事務所に遊びに来ていたときのこと。
パソコンに向かってお仕事をはじめる那智さんの横に椅子を並べて横顔を眺めている。
「最近、字が読みづらくって。」
那智さんは老眼鏡(っていうとおじいさんみたいですけど、まだ40半ばですよ~)をかけて、電気スタンドの明かりをつける。
普段かけない眼鏡をかけて、オレンジ色の温かい灯りに包まれながら、静かにキーボードを打つ那智さんを見ていたら、なんだか急に不思議な気持ちに襲われたのだ。
私のほしかった父性を具現化したものが目の前にある。
ばかみたい、私の心は一気に6歳児だ。
さしずめ、おとうさんのお仕事場に入ってきた女の子という感じ。
本当は、忙しいのだけど、嫌な顔せず隣にいさせてくれるお父さん。
そして、その好意を当然のように受け取る私。
そんな、世界が広がってしまった。
私は大人の女だから、椅子に座れば当然足が床につくけど、そのときの心は6歳。
6歳だから床に足は届かない。
届かない心の足をぶらぶらさせながら「お父さん、お仕事ばかりで、つまんない~。」と言う幸福を味わっていた(ああ、おかしいですよね・・)
その一方で、「そうそう、これがほしかったんだよね。」と、ほしがっていた私もいる。
胸が苦しいほど、切なく、切望していた記憶が蘇り、奇妙なノスタルジーに浸る。
そんな倒錯が沸き上がって止まらない。
それと同時に、涙が流れて、それを抑えることができない。
お仕事をする那智さんを見ながら、泣く私。
かなり「痛い」、歪んでいる!?
それでも、幸せで仕方がない。
見ては泣き、あり得ない状況の涙に恥ずかしくなって目を逸らし、我慢できずにまた見ては泣き。
ひとりで、変な女になっていた。
那智さんは、気にせず仕事を続けている。
恥ずかしいから「泣いてもいいですか?」と、聞いてみると、「どうぞ」と答えてくれる。
しばらくして、思い切って聞いてみる、久しぶりだ。
おかしいとわかっていても、我慢できない。
「お父さんって、呼んでもいいですか?」
沈黙。
ああ、やっぱり、さすがにそれは厳しかったかな~~。
変なお願いをしてしまったと、慌てて「そ、そうですよね、それは無理ですよね・・。」取り繕うと、「いや、黙ってたらどんな反応するか試しただけ、いいよ。」ですって、意地悪(泣)
「・・・お父さん。」
「はあい。」(キーボードカチカチ)
おかしな世界、でも、幸せ。
そのあと、那智さんは、私を机の下にもぐり込ませ、お口を使わせた。
カチカチとキーボードを叩く音だけが、静かに響く部屋で那智さんの足の間に収まって、無心でお口を使う。
もう、6歳でもない、「私」だ。
もっというと、何歳でもない、そして、すべての年齢の「私」になっていた。
無垢な「私」。
すべてを受け入れてほしい。
そう願った私は、こんなお願いもしてみる。
「自分で触ってもいいですか?」(結局欲情ねって、思わないでね)
下着に手を入れて、自分で触る。
こんな私も、肯定してください、そんな願いを込めて。
途中で、くわえるのはやめて、机の下でオナニーをする。
最後のいく瞬間まで、那智さんはずっと仕事を続けている。
最後の瞬間だけ見てもらって、それが、この私への肯定と解釈する。
このときを境に、この行為が、(他者から見たら変態かもしれないけれど)私たちの愛情確認の大事なひとつとして、罪の意識を感じることなく認識されるようになったのだと思う。
「近親相姦願望」でもなく「幼児プレイ」でもない。
この感覚をお伝えしたいので、この話、もう少し続けます。
今日は、疲れたからおしまいです。
今日はまとまってないな~、ごめんなさい。
全肯定2
独特な幸福感
眼鏡を掛けて温かい灯りの下、お仕事をしている那智さんを見て、涙を流すという奇妙な(病んでいる?)私を見せたあと、2回ほど立て続けに私を「女の子」にさせた。
那智さんの中で、「2人の間では正当なこと」と解釈できたから、連続したのか。
それとも、単に「おもしろい、興味深い」からなのか。
とにかく、おそらく私が解放されていく姿を見るのが好きなのだろう。
そして、解放されて幸せそうな私を見るのも。
やはりはじまりは私の甘える行為からだ。
この日は、その「お父さんと女の子」のよしよしいいこいいこの状態から、めずらしく私を抱く方向へ発展していった。
いつもは、甘えて泣いて、よしよししてという感じなのだが。
いきそうになるから、いつものように「那智さん、いってもいいですか?」と聞いてみるけど、お返事してくれない。
無視されている。
セックスをしている状態で「お父さん」は、さすがに厳しい(笑)
でも、このままではどうしようもないから、すごーくためらった後に口にする。
「お父さん、いってもいいですか?」
「いいよ」
やっぱり、「お父さん」のままじゃなきゃダメみたいだ。
何回もいきたくなるから、何回もお父さんにお願いする。
もう一度言うが、これは、口にしていて厳しい。
冷めるほどではないけれど(普通は冷める?)、どこか熱中しきれない部分がある。
二度ほどこんなことがあって、やはり私は自分の心を探る。
そして那智さんの考えも聞いてみる。
まず私。
やはり、抱かれながらの「お父さん」で、無我夢中になれないから、「近親相姦願望」ではないだろう。
ちょっと胸を撫でおろす。
そして、甘えているときも抱かれているときも「女の子」と称しているが、これは象徴として言っているようで、実際はほとんど具体的に「女の子」は描いていない。
だから、犬でも男の子でもいいのかもしれない。
全面的に甘えられる関係のわかりやすいツールとして「お父さんと娘」にしているようだ。
何者でもない真っ白な私だ。
解放されてさらけ出し、それを受け入れてもらっているという状態にしたいだけのツール。
ただ、「毛布」からはじまって、しばらくの間はもう少し具体的に「女の子」だったと思う。
那智さん曰く、はじめのうちは欲しかったものを埋める作業がメインで、やはり「父性」が顕著に必要だったのかもしれない。
だから、「父性と女の子」が重要だったのだろう。
でも、徐々に私が自信を持てるようになってきたから、埋める作業は減ってきて、「甘える、愛される、受け入れてもらう」行為に変わってきている。
そうなると、具体的な想像は必要なくなって、わかりやすいスイッチくらいになっているのかもしれない。
何にしても、全面的に肯定されている状態と感じることは、この上ない幸せだ。
そして那智さんにも聞いてみる。
だって、もしかしたら那智さんは「お父さん、いってもいい?」が好きなのかもしれない。
まあ、それはそれで受け入れますが(笑)
お父さんと呼ばせることに、性的興奮はほとんど皆無らしい。
なぜ、何度も呼ばせたかというと「都合の良いときだけお父さんにして、自分の都合で那智さんに戻そうとするのはずるいから。」だそうです。
単に意地悪をして遊んだだけ、「癒し(願望を叶える)」でも「興奮(プレイ・・って言葉好きじゃないけど)」でもなんでもない。
うーん、意地悪(泣)。
そして、そのときの感想は「血の繋がり」。
近親相姦嗜好じゃなですよ、誤解しないでくださいね!!
「血縁」ではない、繋がり。
(ここから先は私の解釈です)
2人の血管が繋がっていて、同じ血が流れているような感覚だろうか。
2人は他人だけど、何かが繋がっていて他人ではないような、1人の人間のような、分身のような。
同じ血が流れているのだから、目の前の「りん子」を全部受け入れる。
だって、自分の分身なんだもの、どんな姿でも肯定するはずだ。
そんな感覚なのだろうと思った。
私は、さらけ出す私を受け入れてもらうことで、全面的に肯定されている感じと幸福になる。
そして、逆もあるはずだ。
那智さんは、「あなたに全幅の信頼を寄せていて、すべてをさらけ出して幸福になっています」ということで、もしかしたら、全肯定されていると幸福を感じているのではないだろうか。
一見、私が与えられてばかりに見えるけど、きっと私も与えてる。
同等の価値が存在している。
だから、幸福でやめられない。
「女の子になる」は、はじまりから、徐々に形を変えてきているかもしれない。
でも、「近親相姦願望」でも「幼児プレイ」でもないことには、変わりないと説明になったかしら。
まあ、いずれにしても特殊なのでしょうか。
それと、これだけ読むとまるでいつもいつも「女の子」になっているみたいですが、たまーにですのでお間違いのないようにお願いします。
だって、これと排泄だけみたいに思われると困りますものね。
眼鏡を掛けて温かい灯りの下、お仕事をしている那智さんを見て、涙を流すという奇妙な(病んでいる?)私を見せたあと、2回ほど立て続けに私を「女の子」にさせた。
那智さんの中で、「2人の間では正当なこと」と解釈できたから、連続したのか。
それとも、単に「おもしろい、興味深い」からなのか。
とにかく、おそらく私が解放されていく姿を見るのが好きなのだろう。
そして、解放されて幸せそうな私を見るのも。
やはりはじまりは私の甘える行為からだ。
この日は、その「お父さんと女の子」のよしよしいいこいいこの状態から、めずらしく私を抱く方向へ発展していった。
いつもは、甘えて泣いて、よしよししてという感じなのだが。
いきそうになるから、いつものように「那智さん、いってもいいですか?」と聞いてみるけど、お返事してくれない。
無視されている。
セックスをしている状態で「お父さん」は、さすがに厳しい(笑)
でも、このままではどうしようもないから、すごーくためらった後に口にする。
「お父さん、いってもいいですか?」
「いいよ」
やっぱり、「お父さん」のままじゃなきゃダメみたいだ。
何回もいきたくなるから、何回もお父さんにお願いする。
もう一度言うが、これは、口にしていて厳しい。
冷めるほどではないけれど(普通は冷める?)、どこか熱中しきれない部分がある。
二度ほどこんなことがあって、やはり私は自分の心を探る。
そして那智さんの考えも聞いてみる。
まず私。
やはり、抱かれながらの「お父さん」で、無我夢中になれないから、「近親相姦願望」ではないだろう。
ちょっと胸を撫でおろす。
そして、甘えているときも抱かれているときも「女の子」と称しているが、これは象徴として言っているようで、実際はほとんど具体的に「女の子」は描いていない。
だから、犬でも男の子でもいいのかもしれない。
全面的に甘えられる関係のわかりやすいツールとして「お父さんと娘」にしているようだ。
何者でもない真っ白な私だ。
解放されてさらけ出し、それを受け入れてもらっているという状態にしたいだけのツール。
ただ、「毛布」からはじまって、しばらくの間はもう少し具体的に「女の子」だったと思う。
那智さん曰く、はじめのうちは欲しかったものを埋める作業がメインで、やはり「父性」が顕著に必要だったのかもしれない。
だから、「父性と女の子」が重要だったのだろう。
でも、徐々に私が自信を持てるようになってきたから、埋める作業は減ってきて、「甘える、愛される、受け入れてもらう」行為に変わってきている。
そうなると、具体的な想像は必要なくなって、わかりやすいスイッチくらいになっているのかもしれない。
何にしても、全面的に肯定されている状態と感じることは、この上ない幸せだ。
そして那智さんにも聞いてみる。
だって、もしかしたら那智さんは「お父さん、いってもいい?」が好きなのかもしれない。
まあ、それはそれで受け入れますが(笑)
お父さんと呼ばせることに、性的興奮はほとんど皆無らしい。
なぜ、何度も呼ばせたかというと「都合の良いときだけお父さんにして、自分の都合で那智さんに戻そうとするのはずるいから。」だそうです。
単に意地悪をして遊んだだけ、「癒し(願望を叶える)」でも「興奮(プレイ・・って言葉好きじゃないけど)」でもなんでもない。
うーん、意地悪(泣)。
そして、そのときの感想は「血の繋がり」。
近親相姦嗜好じゃなですよ、誤解しないでくださいね!!
「血縁」ではない、繋がり。
(ここから先は私の解釈です)
2人の血管が繋がっていて、同じ血が流れているような感覚だろうか。
2人は他人だけど、何かが繋がっていて他人ではないような、1人の人間のような、分身のような。
同じ血が流れているのだから、目の前の「りん子」を全部受け入れる。
だって、自分の分身なんだもの、どんな姿でも肯定するはずだ。
そんな感覚なのだろうと思った。
私は、さらけ出す私を受け入れてもらうことで、全面的に肯定されている感じと幸福になる。
そして、逆もあるはずだ。
那智さんは、「あなたに全幅の信頼を寄せていて、すべてをさらけ出して幸福になっています」ということで、もしかしたら、全肯定されていると幸福を感じているのではないだろうか。
一見、私が与えられてばかりに見えるけど、きっと私も与えてる。
同等の価値が存在している。
だから、幸福でやめられない。
「女の子になる」は、はじまりから、徐々に形を変えてきているかもしれない。
でも、「近親相姦願望」でも「幼児プレイ」でもないことには、変わりないと説明になったかしら。
まあ、いずれにしても特殊なのでしょうか。
それと、これだけ読むとまるでいつもいつも「女の子」になっているみたいですが、たまーにですのでお間違いのないようにお願いします。
だって、これと排泄だけみたいに思われると困りますものね。
生々しく
独特な幸福感
ブログをはじめたのは、私と那智さんの間に起こる様々な出来事や感情を残しておきたいと思ったことと、ノロケ欲を満足させたかったことがきっかけでした。
はじめ何回か出来事をノロケていましたが、そのうち那智さんが「どうせなら、わかってもらおう。」と運営方針や方法を模索しはじめて、いまのような形になりました。
書くことは任されているけど「わかってもらおう」というような方針は示される。
わかってもらうには私自身を伝えないといけない。
まさか生い立ちの一部まで書くことになろうとは思ってもいませんでした。
これをしないと、「妙なエロブログ」になって勘違いされかねない。
そうなったら、私が悲しむのは目に見えているから防衛策でしょうか。
だから、単に上澄みだけ書くのではなく、沈殿した重い部分も書いてきた。
理解してほしくて、わかりにくいことをたくさん書いてきた。
「気持ちいい~」を書くだけではないから、難しいこと書くことを要求されてきた。(難解な話題じゃなくて、理解されにくいという意味で難しいです)
当事者の私たちならわかることを、一生懸命ない脳みそをフル回転させて、私が使おうと思っている言葉の意味が間違っていないか辞書を引きながら、お話ししてきた。
当然那智さんは、私の言わんとしていることは理解してくれていた。
でも、前回の「全肯定2」の「血管が繋がっていて、同じ血が流れている」という表現にはじめて那智さんの足が止まったのだ。
ほとんど全部、私の言葉は那智さんの心や脳みそにスルスルと入ってきていたのに、その表現だけは一回咀嚼が必要だったらしい。
「生々しすぎて、素直に理解しづらい」そうだ。
もう少し易しいソフトな表現もありそうなのに、と思ったのだ。
確かに、あんまり美しい例えではないかもしれない。
「私はあなたの一部」くらいのほうが、わかりやすい?
でも、いいの。
私たちの関係は、生々しいんだ。
夢物語でも、おとぎ話でもなんでもない。
生々しくて、美しくない現実だ。
たくさんの涙を流し果てしない時間語り合い、生まれたものは何にも代え難い生々しくみっともない現実。
はじめはわかりにくいものを書かないと伝わらないと言われ、今度は、それをわかりやすく書いたらと那智さんは言う。
でも、才能のない私は「無理」と諦めながらわかってほしいなと思い、それとと同時に「簡単にわかってたまるもんか。」と生意気にもほんの僅かに鼻息を荒くしている。
遅ればせながら山田詠美さんの「風味絶佳」を読んだ。
上手だな~と思う。
心の柔らかいところを、ちょんちょん突いて、涙になりそうでならない絶妙なバランスを書いている。
号泣するような事件を書くのは簡単だろう(プロのかたならね)、そのあやふやな切なさが書ける人が良い作家さんなのだろうな~と思った。
そんな芸当到底無理だから「わかってたまるか!」で、虚勢を張ってごまかしちゃっているんです♪
ブログをはじめたのは、私と那智さんの間に起こる様々な出来事や感情を残しておきたいと思ったことと、ノロケ欲を満足させたかったことがきっかけでした。
はじめ何回か出来事をノロケていましたが、そのうち那智さんが「どうせなら、わかってもらおう。」と運営方針や方法を模索しはじめて、いまのような形になりました。
書くことは任されているけど「わかってもらおう」というような方針は示される。
わかってもらうには私自身を伝えないといけない。
まさか生い立ちの一部まで書くことになろうとは思ってもいませんでした。
これをしないと、「妙なエロブログ」になって勘違いされかねない。
そうなったら、私が悲しむのは目に見えているから防衛策でしょうか。
だから、単に上澄みだけ書くのではなく、沈殿した重い部分も書いてきた。
理解してほしくて、わかりにくいことをたくさん書いてきた。
「気持ちいい~」を書くだけではないから、難しいこと書くことを要求されてきた。(難解な話題じゃなくて、理解されにくいという意味で難しいです)
当事者の私たちならわかることを、一生懸命ない脳みそをフル回転させて、私が使おうと思っている言葉の意味が間違っていないか辞書を引きながら、お話ししてきた。
当然那智さんは、私の言わんとしていることは理解してくれていた。
でも、前回の「全肯定2」の「血管が繋がっていて、同じ血が流れている」という表現にはじめて那智さんの足が止まったのだ。
ほとんど全部、私の言葉は那智さんの心や脳みそにスルスルと入ってきていたのに、その表現だけは一回咀嚼が必要だったらしい。
「生々しすぎて、素直に理解しづらい」そうだ。
もう少し易しいソフトな表現もありそうなのに、と思ったのだ。
確かに、あんまり美しい例えではないかもしれない。
「私はあなたの一部」くらいのほうが、わかりやすい?
でも、いいの。
私たちの関係は、生々しいんだ。
夢物語でも、おとぎ話でもなんでもない。
生々しくて、美しくない現実だ。
たくさんの涙を流し果てしない時間語り合い、生まれたものは何にも代え難い生々しくみっともない現実。
はじめはわかりにくいものを書かないと伝わらないと言われ、今度は、それをわかりやすく書いたらと那智さんは言う。
でも、才能のない私は「無理」と諦めながらわかってほしいなと思い、それとと同時に「簡単にわかってたまるもんか。」と生意気にもほんの僅かに鼻息を荒くしている。
遅ればせながら山田詠美さんの「風味絶佳」を読んだ。
上手だな~と思う。
心の柔らかいところを、ちょんちょん突いて、涙になりそうでならない絶妙なバランスを書いている。
号泣するような事件を書くのは簡単だろう(プロのかたならね)、そのあやふやな切なさが書ける人が良い作家さんなのだろうな~と思った。
そんな芸当到底無理だから「わかってたまるか!」で、虚勢を張ってごまかしちゃっているんです♪