職業選択(前振り2)
惹かれ合う理由
女の集団が苦手な私が選んだ職場は、女の集団の百貨店だ。
しかも、さらに恐いイメージの「受付嬢」に配属された。
私の勤めた百貨店は規模が大きく受付嬢だけでも十数人いた。
でも、この百貨店の人選はちょっと変わっていた。
受付嬢というと、綺麗な派手なお化粧ばっちりの高飛車な集まりみたいなイメージがあるけど、この部署は、身長と愛嬌で選んだのではないかというくらい「つんつん」したイメージはなかった。
小さないさかいやわがままはあるけれど、同期が多かったせいもあり、学校の延長のような日々だった。
お酒や夜遊びも覚え華やかな注目される職場だから自然と洗練されていく。
入社数年目にイベントが開催された。
私が勤めていた百貨店もイベントに出店したので、私たちの部署から有志を募りコンパニオンとして働いた。
マイクを持ち二百人くらいを誘導して、その人たちの前で話す。
なんとも言えない気持ちよさだった。
もちろん合宿をして発声や滑舌いろいろ訓練をして(入社時にも厳しく指導されたが、この時も)そこに至るのだが。
そのイベントを含む百貨店時代は、苦い恋愛を繰り返してはいたものの、華やかで楽しい時だった。
でも女の集団が苦手なことには変わりなく、仲良しグループに入るのを避けていたところはあった。
どのグループの子とも、ある程度仲が良い。
もちろん仲の良さに差はあるが、だれかとべったりにならなかった、なれなかった。
例えば、Rちゃんと親密になりそうになると、元々仲良くしていたYちゃんに悪いかな、トラブルにならないように歯止めをかけるようなところがあった。
仕切役をかってでるので(まわりを心地よくするの上手)、飲み友達はたくさんいた。
飲み会といえば、りん子みたいな感じ。
ただ、これも楽しいからそうしているのか、ニーズがあるからそうしているのか、見て見ぬふりはしていたと思う。
そんな具合だから、私の1度目の結婚の二次会は元夫も同じ職場だったこともあり150人くらい集まった。
一番の親友はいないけど、お友達たくさんと勘違いをしていた。
しかし離婚したときに露呈した。
元夫とは同じ職場だったから、私の友達も元夫と仲良かったりしていた。
その輪から、逃げてしまいたくなって、仕切屋の楽しいりん子を返上して、一変付き合いの悪いりん子になった。(まあ、離婚騒動の前後だもの、そうなるのは不自然ではないですよね)
この時、ほとんどの人は私に付き合うことを諦めてしまったのだ。
私も過去の私を一掃したい気持ちもあったから、尚更だ。
離婚して、再就職した職場で現夫と出会う。
そのあたりから、私は友達付き合いというのを、極力増やさないようにしていた。
現夫、幼馴染みの1人、職場の同期の男女ひとりずつ、姉、そして、その後出産したときに知り合った子1人。
私の人生にはこれくらいの人数でいいだろうと思っていった。
たくさんいても、所詮は浅い。
集団によるトラブルが苦手で、結局誰とも深く付き合えない。
どこかで、見下してもいる。
普通に生活していれば、知り合いは増えるだろう。
誰とも付き合わないわけではない。
でも、私は心を開くのはやめた。
これ以上、深い友達を増やすのをやめにした。
また、こちらから心を開きたいと思える人もいなかった。
子供を産んで、母親同士の付き合いもしないといけないんだろうな。
それでも、多分これ以上増やさず、深入りする付き合いは避けたいなと思っていた。
「公園デビュー」私の大嫌いな言葉だ。
そんなものとは無縁の世界にいたい。
私は、子供のためには公園に行く。
もちろん世間話だってする。
でも、私の友達を作るために行くのではない。
知り合いは作るけど、友達なんて、そう簡単にはできないものではないか。
そんなことで一喜一憂したくない。
お昼に家に帰らず、お弁当を買ってまで公園で食べるようなべったり付き合う人たちを横目に、笑顔で「バイバイ」して帰る。
不安や孤独感は付きまとう、でも、集団の付き合いが苦手なことを自覚しているから、適度に距離を置く。
そこにいても酸素不足の金魚のように苦しくなるのは、わかっているからだ。
まだ、前振りは続きます。
全然色っぽくないですね~。
女の集団が苦手な私が選んだ職場は、女の集団の百貨店だ。
しかも、さらに恐いイメージの「受付嬢」に配属された。
私の勤めた百貨店は規模が大きく受付嬢だけでも十数人いた。
でも、この百貨店の人選はちょっと変わっていた。
受付嬢というと、綺麗な派手なお化粧ばっちりの高飛車な集まりみたいなイメージがあるけど、この部署は、身長と愛嬌で選んだのではないかというくらい「つんつん」したイメージはなかった。
小さないさかいやわがままはあるけれど、同期が多かったせいもあり、学校の延長のような日々だった。
お酒や夜遊びも覚え華やかな注目される職場だから自然と洗練されていく。
入社数年目にイベントが開催された。
私が勤めていた百貨店もイベントに出店したので、私たちの部署から有志を募りコンパニオンとして働いた。
マイクを持ち二百人くらいを誘導して、その人たちの前で話す。
なんとも言えない気持ちよさだった。
もちろん合宿をして発声や滑舌いろいろ訓練をして(入社時にも厳しく指導されたが、この時も)そこに至るのだが。
そのイベントを含む百貨店時代は、苦い恋愛を繰り返してはいたものの、華やかで楽しい時だった。
でも女の集団が苦手なことには変わりなく、仲良しグループに入るのを避けていたところはあった。
どのグループの子とも、ある程度仲が良い。
もちろん仲の良さに差はあるが、だれかとべったりにならなかった、なれなかった。
例えば、Rちゃんと親密になりそうになると、元々仲良くしていたYちゃんに悪いかな、トラブルにならないように歯止めをかけるようなところがあった。
仕切役をかってでるので(まわりを心地よくするの上手)、飲み友達はたくさんいた。
飲み会といえば、りん子みたいな感じ。
ただ、これも楽しいからそうしているのか、ニーズがあるからそうしているのか、見て見ぬふりはしていたと思う。
そんな具合だから、私の1度目の結婚の二次会は元夫も同じ職場だったこともあり150人くらい集まった。
一番の親友はいないけど、お友達たくさんと勘違いをしていた。
しかし離婚したときに露呈した。
元夫とは同じ職場だったから、私の友達も元夫と仲良かったりしていた。
その輪から、逃げてしまいたくなって、仕切屋の楽しいりん子を返上して、一変付き合いの悪いりん子になった。(まあ、離婚騒動の前後だもの、そうなるのは不自然ではないですよね)
この時、ほとんどの人は私に付き合うことを諦めてしまったのだ。
私も過去の私を一掃したい気持ちもあったから、尚更だ。
離婚して、再就職した職場で現夫と出会う。
そのあたりから、私は友達付き合いというのを、極力増やさないようにしていた。
現夫、幼馴染みの1人、職場の同期の男女ひとりずつ、姉、そして、その後出産したときに知り合った子1人。
私の人生にはこれくらいの人数でいいだろうと思っていった。
たくさんいても、所詮は浅い。
集団によるトラブルが苦手で、結局誰とも深く付き合えない。
どこかで、見下してもいる。
普通に生活していれば、知り合いは増えるだろう。
誰とも付き合わないわけではない。
でも、私は心を開くのはやめた。
これ以上、深い友達を増やすのをやめにした。
また、こちらから心を開きたいと思える人もいなかった。
子供を産んで、母親同士の付き合いもしないといけないんだろうな。
それでも、多分これ以上増やさず、深入りする付き合いは避けたいなと思っていた。
「公園デビュー」私の大嫌いな言葉だ。
そんなものとは無縁の世界にいたい。
私は、子供のためには公園に行く。
もちろん世間話だってする。
でも、私の友達を作るために行くのではない。
知り合いは作るけど、友達なんて、そう簡単にはできないものではないか。
そんなことで一喜一憂したくない。
お昼に家に帰らず、お弁当を買ってまで公園で食べるようなべったり付き合う人たちを横目に、笑顔で「バイバイ」して帰る。
不安や孤独感は付きまとう、でも、集団の付き合いが苦手なことを自覚しているから、適度に距離を置く。
そこにいても酸素不足の金魚のように苦しくなるのは、わかっているからだ。
まだ、前振りは続きます。
全然色っぽくないですね~。
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