パワーワード
独り言
なにげなく、流れてきたニュースを流し読み。
(ソースは貼らずお許しを)
『マッサージ店で客として訪れた50代男性がマッサージ師の女性の胸を触り逮捕された』と。
逮捕されるのだから、胸を触ったらいけない純然たるマッサージ店なのだろう、だよね?
サービス内容わかってるよね、でも、触りたくなっちゃったのだろうか。
まったくな~と思っていたら、また続けて男性の供述が。
『男性は「胸は触ったけど、わいせつ行為のつもりはなかった」と供述している』と。
胸は触ったけど、わいせつ行為につもりはなかった??
なんじゃ、そりゃ。
ってことは、この男性にとって女性の胸は『手』みたいなものなのか?
挨拶の握手みたいな意味になるのか?握手ならぬ握胸??
挨拶の握手にはわいせつな気持ちはあまりないものね。
それにしても、仕事中に握手求められても迷惑な話。
そんなニュースを見た数日後、また似たようなニュースが。
『50代公務員男性が電車内で女性に抱きつき、取り押さえられた』と。
またか~!!
女性びっくりしただろうな、怖かっただろうなとか、周りの人は助けてくれたかなとか、男性我慢できなかったのかなとか、簡単な感想を持ちながら読み進めると、『調べに対し男性は』と男性の供述が続いていた。
『調べに対し男性は「抱きついたけど、体には触っていない」と供述している』と。
抱きついたけど、体には触っていない??
抱きついたけど、体には触っていない!?
抱きついたけど、体には触っていない!!!!
なんだ、このさらなるパワーワードは!!
どういうことだ?
男性は腕を大きく輪っかにして体に触らないようにして女性を囲んだのか?
それとも、超能力者の『体に触らず浮かせる』みたいな何か?
もしくは、男性にとっておっぱいやお尻以外は女性の『体』ではないのか??
まあ、記事を書く方がニュアンスを変えている可能性もあるかもしれないけど、突っ込まずにはいられないニュースふたつだった。
と、ちょっと真面目な話。
先日読んだ記事で、痴漢行為は依存性の高い快楽なんだって。
ギャンブルとかと同じで依存性があるから繰り返してしまう。
本人はあまり罪の意識を感じていなくて(おそらく無意識に罪の意識に蓋をしているんだと思う)、側から見たらこじつけみたいな理由で痴漢行為を繰り返す。
「今日は仕事頑張ったから触っていい」とか「◯日触らなかったから、今日はいい」とか、本人にしか通じない理屈で正当化させているんだって。
だから、繰り返すし、痛い目にあってもやめられないんだそうだ。
上の男性たちが同じかわからないけど、もしかしたら彼らは案外本気で供述しているのかもしれないね。
そう思うと、なんだか哀れな感じがしなくもない、な。
そうは言っても、犯罪は犯罪。
たしかに女性の体って、女のわたしから見ても柔らかくて気持ちよさそうだけど、女性の体はあなたのものじゃありませんからね。
依存性のある快楽は怖いので、信頼できるパートナーとのSM行為くらいにとどめておきましょう!!
でさ、たまたま偶然だと思うけど、両方とも50代男性ってところにも、何か深い闇があるような?なんて思ったり(笑)
なにげなく、流れてきたニュースを流し読み。
(ソースは貼らずお許しを)
『マッサージ店で客として訪れた50代男性がマッサージ師の女性の胸を触り逮捕された』と。
逮捕されるのだから、胸を触ったらいけない純然たるマッサージ店なのだろう、だよね?
サービス内容わかってるよね、でも、触りたくなっちゃったのだろうか。
まったくな~と思っていたら、また続けて男性の供述が。
『男性は「胸は触ったけど、わいせつ行為のつもりはなかった」と供述している』と。
胸は触ったけど、わいせつ行為につもりはなかった??
なんじゃ、そりゃ。
ってことは、この男性にとって女性の胸は『手』みたいなものなのか?
挨拶の握手みたいな意味になるのか?握手ならぬ握胸??
挨拶の握手にはわいせつな気持ちはあまりないものね。
それにしても、仕事中に握手求められても迷惑な話。
そんなニュースを見た数日後、また似たようなニュースが。
『50代公務員男性が電車内で女性に抱きつき、取り押さえられた』と。
またか~!!
女性びっくりしただろうな、怖かっただろうなとか、周りの人は助けてくれたかなとか、男性我慢できなかったのかなとか、簡単な感想を持ちながら読み進めると、『調べに対し男性は』と男性の供述が続いていた。
『調べに対し男性は「抱きついたけど、体には触っていない」と供述している』と。
抱きついたけど、体には触っていない??
抱きついたけど、体には触っていない!?
抱きついたけど、体には触っていない!!!!
なんだ、このさらなるパワーワードは!!
どういうことだ?
男性は腕を大きく輪っかにして体に触らないようにして女性を囲んだのか?
それとも、超能力者の『体に触らず浮かせる』みたいな何か?
もしくは、男性にとっておっぱいやお尻以外は女性の『体』ではないのか??
まあ、記事を書く方がニュアンスを変えている可能性もあるかもしれないけど、突っ込まずにはいられないニュースふたつだった。
と、ちょっと真面目な話。
先日読んだ記事で、痴漢行為は依存性の高い快楽なんだって。
ギャンブルとかと同じで依存性があるから繰り返してしまう。
本人はあまり罪の意識を感じていなくて(おそらく無意識に罪の意識に蓋をしているんだと思う)、側から見たらこじつけみたいな理由で痴漢行為を繰り返す。
「今日は仕事頑張ったから触っていい」とか「◯日触らなかったから、今日はいい」とか、本人にしか通じない理屈で正当化させているんだって。
だから、繰り返すし、痛い目にあってもやめられないんだそうだ。
上の男性たちが同じかわからないけど、もしかしたら彼らは案外本気で供述しているのかもしれないね。
そう思うと、なんだか哀れな感じがしなくもない、な。
そうは言っても、犯罪は犯罪。
たしかに女性の体って、女のわたしから見ても柔らかくて気持ちよさそうだけど、女性の体はあなたのものじゃありませんからね。
依存性のある快楽は怖いので、信頼できるパートナーとのSM行為くらいにとどめておきましょう!!
でさ、たまたま偶然だと思うけど、両方とも50代男性ってところにも、何か深い闇があるような?なんて思ったり(笑)
大人1
独り言
仕事用のカバンが壊れた。
正確にいうと、壊れかけた。
持ち手の付け根がグラグラして、もうあと少し力を加えたらちぎれる。
打ち合わせを終えて外に出て気がついた。
シーズン突入、来週末からもいっぱい入っているので気づいてその足でショップに向かった。
かなり『とりあえず』なものだけど適当なものを見つける、まあ、よしとしよう。
このショップは会員になっているから割引になるかもしれないので、ログインしてみると『40%OFF』の表記が!!
ラッキー♪
ご機嫌でレジに向かい、スマホを提示すると。
こちらはネットストア限定のなんです〜
と。
ああ、ショック。
それなら、ネットで買いたい…。
一瞬ためらう。
うう、「やっぱりネットで買います」っていいたい。
でも、なんだか悪い気がするし、図々しい感じるし。
あ、ショップでは通常の10%OFFになりますよ!
笑顔で対応する店員さん。
40%オフと、10%オフの差を頭の中で思い浮かべてみるけど、そんな瞬時に計算できない。
あはは、10%でも大きいですよねぇ…
ええかっこしいのわたしは「ネットで買うので、やめます…」とはいえず、そのまま購入したのだった。
そのことを出張帰りの新幹線に乗っている那智さんに報告する。
文字でエピソードを語り、こんなの買ったのですよとネットストアの情報も送った。
わたしのドジぶりやええかっこしい具合のとほほエピソードを共有することで、ちょっと残念な気持ちを払拭したかったし、情報を見て「いいじゃん」とお墨付きをもらって買ったことを『納得』したかったんだな。
すると
俺が買ってあげたかったな〜
と、ちょっぴり酔っ払いさんの優しいお言葉^^
で、実際、那智さん、買ってくれちゃった(笑)
酔っ払いさんはとにかくことの経緯より『買ってあげたい』気持ちとネットストアのリンクで先走り、後日「で、あれ、買っちゃったけどよかったんだよね?」と。
結局、キャンセルしたのだけど、手続き不具合で届いてからショップに持ち込み返品という流れになった。
ところが、デートの場所にあったショップは閉店になっていて、しょうがないからわたしが後日用事のついでに別のショップに持って行くことにして預かった。
このデートの日。
那智さんが物産展で買ってくれた鮭の切り身を持ってきてくれていた。
以前、お昼のお電話タイムで那智さんが購入している中継を聞いていたことがあったのだけど、わざわざ戻ってわたしの分も買ってくれたのだ。
で、それ、ホテルの冷蔵庫に忘れちゃった!!
夜に「明日はいただいた鮭焼こう…ああああああああ」ってなったわけ。
翌日、ごめんなさいする。
また、今度ね
と。
そして、その日のうちにもう一回物産展まで買いに行ってくれた。
このなんでもない話を延々と、なにがいいたいのかっていうと。
わたしたちって許し合っているなっていうこと。
那智さん、酔っ払いさんで、わたしの文字ちゃんと理解してくれないし(笑)
ショップ閉店だから、わたしが代わりに行くことになるし(笑)
わたしなんて、いただきものを忘れるし!!
お互い『まったくもう』という気持ちになりそうなことだけど、(もしかしたら、心の中で一瞬はなるかもしれないけど)ぜんぜんならないのだ。
多分、那智さんも同じはず、だって責める空気がないんだもの。
これって、どうしてなのだろう。
那智さんはずっと『悪意はない』と言い続けていた。
もし、俺がりん子が悲しくなるようなことを言ったとしても、そこに悪意はない。
傷つけてやろうとも傷ついてもいいとも思ってない。
たまたま、言葉選びを間違えただけ。
何度もつまずくたびにそう言い聞かせてくれたことが実っている。
『那智さんに悪意がないことはわかっていても、それでも悲しい』なんてこともよくあったけど、最近はほとんど、それも無くなっている。
那智さんは最初から『りん子に悪意はない』前提を通してくれていたけど、いまはわたしもだいたいのことは悲しくならずにいる。
こういう関係は本当に心地よく、得難いものだと思うのだ。
で、ここに至るにはずいぶん長い時間かかったな〜って話だけど、ちょっと引っ張って続きものにします(笑)
仕事用のカバンが壊れた。
正確にいうと、壊れかけた。
持ち手の付け根がグラグラして、もうあと少し力を加えたらちぎれる。
打ち合わせを終えて外に出て気がついた。
シーズン突入、来週末からもいっぱい入っているので気づいてその足でショップに向かった。
かなり『とりあえず』なものだけど適当なものを見つける、まあ、よしとしよう。
このショップは会員になっているから割引になるかもしれないので、ログインしてみると『40%OFF』の表記が!!
ラッキー♪
ご機嫌でレジに向かい、スマホを提示すると。
こちらはネットストア限定のなんです〜
と。
ああ、ショック。
それなら、ネットで買いたい…。
一瞬ためらう。
うう、「やっぱりネットで買います」っていいたい。
でも、なんだか悪い気がするし、図々しい感じるし。
あ、ショップでは通常の10%OFFになりますよ!
笑顔で対応する店員さん。
40%オフと、10%オフの差を頭の中で思い浮かべてみるけど、そんな瞬時に計算できない。
あはは、10%でも大きいですよねぇ…
ええかっこしいのわたしは「ネットで買うので、やめます…」とはいえず、そのまま購入したのだった。
そのことを出張帰りの新幹線に乗っている那智さんに報告する。
文字でエピソードを語り、こんなの買ったのですよとネットストアの情報も送った。
わたしのドジぶりやええかっこしい具合のとほほエピソードを共有することで、ちょっと残念な気持ちを払拭したかったし、情報を見て「いいじゃん」とお墨付きをもらって買ったことを『納得』したかったんだな。
すると
俺が買ってあげたかったな〜
と、ちょっぴり酔っ払いさんの優しいお言葉^^
で、実際、那智さん、買ってくれちゃった(笑)
酔っ払いさんはとにかくことの経緯より『買ってあげたい』気持ちとネットストアのリンクで先走り、後日「で、あれ、買っちゃったけどよかったんだよね?」と。
結局、キャンセルしたのだけど、手続き不具合で届いてからショップに持ち込み返品という流れになった。
ところが、デートの場所にあったショップは閉店になっていて、しょうがないからわたしが後日用事のついでに別のショップに持って行くことにして預かった。
このデートの日。
那智さんが物産展で買ってくれた鮭の切り身を持ってきてくれていた。
以前、お昼のお電話タイムで那智さんが購入している中継を聞いていたことがあったのだけど、わざわざ戻ってわたしの分も買ってくれたのだ。
で、それ、ホテルの冷蔵庫に忘れちゃった!!
夜に「明日はいただいた鮭焼こう…ああああああああ」ってなったわけ。
翌日、ごめんなさいする。
また、今度ね
と。
そして、その日のうちにもう一回物産展まで買いに行ってくれた。
このなんでもない話を延々と、なにがいいたいのかっていうと。
わたしたちって許し合っているなっていうこと。
那智さん、酔っ払いさんで、わたしの文字ちゃんと理解してくれないし(笑)
ショップ閉店だから、わたしが代わりに行くことになるし(笑)
わたしなんて、いただきものを忘れるし!!
お互い『まったくもう』という気持ちになりそうなことだけど、(もしかしたら、心の中で一瞬はなるかもしれないけど)ぜんぜんならないのだ。
多分、那智さんも同じはず、だって責める空気がないんだもの。
これって、どうしてなのだろう。
那智さんはずっと『悪意はない』と言い続けていた。
もし、俺がりん子が悲しくなるようなことを言ったとしても、そこに悪意はない。
傷つけてやろうとも傷ついてもいいとも思ってない。
たまたま、言葉選びを間違えただけ。
何度もつまずくたびにそう言い聞かせてくれたことが実っている。
『那智さんに悪意がないことはわかっていても、それでも悲しい』なんてこともよくあったけど、最近はほとんど、それも無くなっている。
那智さんは最初から『りん子に悪意はない』前提を通してくれていたけど、いまはわたしもだいたいのことは悲しくならずにいる。
こういう関係は本当に心地よく、得難いものだと思うのだ。
で、ここに至るにはずいぶん長い時間かかったな〜って話だけど、ちょっと引っ張って続きものにします(笑)
大人2
独特な幸福感
那智さんとわたしは許し合えているなってこと。
ちょっと歴史を紐解くと『距離』というエントリーの那智さんの感想が象徴するようにかなり時間がかかっている。
「等式」「演技?」感想です。これを言っても大丈夫になった関係を確立出来たのは前のエントリーとも関係するけれど、そんなに前のことではないと思う。かなり、きわどい案件でした。昔だったら、回復までに1週間はかかったのでは?(笑)
わたしたちは『対等で上下』なんて言っているけど(なんだか、これさえ当たり前すぎて懐かしい感じ^^;)、たしかに、お互い等価値であるけれど、ずいぶん長い間わたしは那智さんに甘えていたと思うのだ。
上記の感想で『これを言っても大丈夫な関係を確立できたのはそんなに前のことではない』と言っているけど、つい半年前くらいってほどの『そんなに前ではない(=つい最近)』感覚。
この感想を見た後で、わたしから『極端に言えば、半年前くらいまではダメでしたよね』と確認したら、那智さんも同じ感覚だった。
そうなの、14年の付き合いで、おそらく那智さんが目指す『わたし』になれたのは、13年と半年かかったってことなんだ。
もちろん、段階を踏んでいるので、その段階ごとに『許し合えて』いたはずなんだけど、那智さんの目指す最終形態になったのは、本当、最近のこと。
最初の、そうだな、2年くらいは『100、0』だったよな
そうそう、何が『100、0』なのか具体的に言いにくいけど、とにかく『100対0』だった。
『箸の上げ下ろしまで、全部俺に聞いていた』という比喩表現が比喩じゃないくらいの状態だった。
いや、いちおう年齢も大人のわたしなので、それまでの人生で箸の上げ下ろしができなかったわけじゃないのだけど、あの時は構築し直しの『赤ちゃん』だった。
ああ、懐かしい(笑)
その期間を経て、少しずつ自分の快不快がわかるようになって、それを伝えたり、そうなったときの対処方法を学んだりしていく時期が来る。
多分、この時期が長かったんだよね。
小学1年生から高校卒業みたいにどんどん高度になっていくけど、10年ちょっとはずっとわたしは那智さんに甘えていた。
で、ここ半年くらいでやっと大人になったのだ(那智さんのと関係においてね)
最初の2年はまだ赤ちゃんみたいだったけど、それ以降は少しずつ『那智さんに悪意はない』ということを理解して、実感して、即座にそう判断できるという段階を踏んでいった。
なんとなく、『那智さんに悪意はない』と即座に判断できることでゴールみたいに思うけど、もうひとステップあったわけ。
『那智さんに悪意はない』と判断できても、場合によってはちょっと悲しい気持ちになったりすることもあるので、その時は『那智さんに悪意はないのはわかっていますが、その言葉は少し悲しくなります』と伝えることもよくあった。
ときには、落ち込んでしまったり、なぜ、その言葉を使うのかと話し合いをしてもらったり。
でもね、これって、那智さんに甘えているんだよね。
『あなたに悪意はないのはわかるけど、わたしは悲しい』というのは、甘えなんだ。
なぜなら、悪意がないことがわかっていたら、そこから先の自分の気持ちは自分で対処するのが大人なのだよね。
那智さんに『悲しい』とかを伝えるのは、わたしの気持ちを那智さんに持ってもらおうとしている表れ。
悪意がないとわかっていたら、自分の気持ちは自分で対処すれば、相手に対する怒りも悲しいもスッと収められる。
大人は自分の機嫌は自分で取るものなんだ。
(逆に、それまでの間は、那智さんに甘えることも必要だったとも言える)
振り返れば、那智さんは14年、ほとんど(99% 当社比)『自分の機嫌は自分で取る』ひとだったもの。
なんとなく、許し合えているな~とか、わたしもだいぶ大人になって那智さんをサポートできてるかも!!なんて思っていたけど、13年と半年かけて、やっと那智さんの目指す関係が完成したような気がする。
思えば、最初の2年なんて、かなりいびつな『100、0』だった。
あの、赤ん坊が親なしでは生きられないような偏った関係も甘い蜜のような時期で懐かしい。
ふと、
なんでも那智さん頼りだっためそめそしてるりん子のほうが可愛くないですか?
と聞いてみる。
ううん、だって、これを目指していたんだから、いまのほうがいいに決まってるよ(笑)
いちおう(笑)
那智さん以外の場合は、わたしも自分の機嫌は自分で取れる人のつもりだけど^^
ひとりの人とこれだけ密着した関係において自分の機嫌は自分で取る。
そうなるように那智さんとふたりの空間で、わたしはもうひとつの別の人生を歩んできたみたいな不思議な感じだ。
ここで得られたものは、那智さん以外でもきっと発揮できていると思う。
人生って、面白いね^^
それでも、やっぱり、わたしは那智さんに『いいこいいこ』してもらうことが好きだし、那智さんが決めてもらうほうが好きだし、那智さんが土台であることには変わりない^^
と、ここまで書いておしまいだったのだけど、『大人1』を読んだ那智さんが、自分の考えを説明してくれたので、3までいきます(笑)
那智さんとわたしは許し合えているなってこと。
ちょっと歴史を紐解くと『距離』というエントリーの那智さんの感想が象徴するようにかなり時間がかかっている。
「等式」「演技?」感想です。これを言っても大丈夫になった関係を確立出来たのは前のエントリーとも関係するけれど、そんなに前のことではないと思う。かなり、きわどい案件でした。昔だったら、回復までに1週間はかかったのでは?(笑)
わたしたちは『対等で上下』なんて言っているけど(なんだか、これさえ当たり前すぎて懐かしい感じ^^;)、たしかに、お互い等価値であるけれど、ずいぶん長い間わたしは那智さんに甘えていたと思うのだ。
上記の感想で『これを言っても大丈夫な関係を確立できたのはそんなに前のことではない』と言っているけど、つい半年前くらいってほどの『そんなに前ではない(=つい最近)』感覚。
この感想を見た後で、わたしから『極端に言えば、半年前くらいまではダメでしたよね』と確認したら、那智さんも同じ感覚だった。
そうなの、14年の付き合いで、おそらく那智さんが目指す『わたし』になれたのは、13年と半年かかったってことなんだ。
もちろん、段階を踏んでいるので、その段階ごとに『許し合えて』いたはずなんだけど、那智さんの目指す最終形態になったのは、本当、最近のこと。
最初の、そうだな、2年くらいは『100、0』だったよな
そうそう、何が『100、0』なのか具体的に言いにくいけど、とにかく『100対0』だった。
『箸の上げ下ろしまで、全部俺に聞いていた』という比喩表現が比喩じゃないくらいの状態だった。
いや、いちおう年齢も大人のわたしなので、それまでの人生で箸の上げ下ろしができなかったわけじゃないのだけど、あの時は構築し直しの『赤ちゃん』だった。
ああ、懐かしい(笑)
その期間を経て、少しずつ自分の快不快がわかるようになって、それを伝えたり、そうなったときの対処方法を学んだりしていく時期が来る。
多分、この時期が長かったんだよね。
小学1年生から高校卒業みたいにどんどん高度になっていくけど、10年ちょっとはずっとわたしは那智さんに甘えていた。
で、ここ半年くらいでやっと大人になったのだ(那智さんのと関係においてね)
最初の2年はまだ赤ちゃんみたいだったけど、それ以降は少しずつ『那智さんに悪意はない』ということを理解して、実感して、即座にそう判断できるという段階を踏んでいった。
なんとなく、『那智さんに悪意はない』と即座に判断できることでゴールみたいに思うけど、もうひとステップあったわけ。
『那智さんに悪意はない』と判断できても、場合によってはちょっと悲しい気持ちになったりすることもあるので、その時は『那智さんに悪意はないのはわかっていますが、その言葉は少し悲しくなります』と伝えることもよくあった。
ときには、落ち込んでしまったり、なぜ、その言葉を使うのかと話し合いをしてもらったり。
でもね、これって、那智さんに甘えているんだよね。
『あなたに悪意はないのはわかるけど、わたしは悲しい』というのは、甘えなんだ。
なぜなら、悪意がないことがわかっていたら、そこから先の自分の気持ちは自分で対処するのが大人なのだよね。
那智さんに『悲しい』とかを伝えるのは、わたしの気持ちを那智さんに持ってもらおうとしている表れ。
悪意がないとわかっていたら、自分の気持ちは自分で対処すれば、相手に対する怒りも悲しいもスッと収められる。
大人は自分の機嫌は自分で取るものなんだ。
(逆に、それまでの間は、那智さんに甘えることも必要だったとも言える)
振り返れば、那智さんは14年、ほとんど(99% 当社比)『自分の機嫌は自分で取る』ひとだったもの。
なんとなく、許し合えているな~とか、わたしもだいぶ大人になって那智さんをサポートできてるかも!!なんて思っていたけど、13年と半年かけて、やっと那智さんの目指す関係が完成したような気がする。
思えば、最初の2年なんて、かなりいびつな『100、0』だった。
あの、赤ん坊が親なしでは生きられないような偏った関係も甘い蜜のような時期で懐かしい。
ふと、
なんでも那智さん頼りだっためそめそしてるりん子のほうが可愛くないですか?
と聞いてみる。
ううん、だって、これを目指していたんだから、いまのほうがいいに決まってるよ(笑)
いちおう(笑)
那智さん以外の場合は、わたしも自分の機嫌は自分で取れる人のつもりだけど^^
ひとりの人とこれだけ密着した関係において自分の機嫌は自分で取る。
そうなるように那智さんとふたりの空間で、わたしはもうひとつの別の人生を歩んできたみたいな不思議な感じだ。
ここで得られたものは、那智さん以外でもきっと発揮できていると思う。
人生って、面白いね^^
それでも、やっぱり、わたしは那智さんに『いいこいいこ』してもらうことが好きだし、那智さんが決めてもらうほうが好きだし、那智さんが土台であることには変わりない^^
と、ここまで書いておしまいだったのだけど、『大人1』を読んだ那智さんが、自分の考えを説明してくれたので、3までいきます(笑)
大人3
独特な幸福感
『大人1』をアップした日、那智さんの感想はなかった。
続きもののときはまとめてくれることもあるから、今回もそうなのだろうと思いつつ、もしかしたら更新をお知らせしたことを忘れちゃっている可能性もゼロじゃないので、いちおう朝のお電話タイムで再度お知らせをする。
お返事は『読んだ』そうなので、それは納得なんだけど。
書かなかった理由を話してくれた。
『許し合う』という言葉を使ったのははじめて(くらい)かもしれないと思って、『許し合う』って、ちょっと注意が必要な言葉だから、真意をちゃんと理解してから感想を書こうと思った
そうだ。
那智さん曰く。
『許し合う』『許す』という言葉は、『相手に悪意はない』という前提から一度許すか許さないかの判断を経由して『許し合う』の結論に至っているというイメージがする。
那智さんの『相手に悪意はない』というものは、許すか許さないかの判断のテーブルにあげるものではない。
相手を『裁判』にかけることはしない
のだそうだ。
なので、那智さんが『相手に悪意はない』前提ができたら、許すも許さないも存在しない。
相手に対する怒りも悲しみも湧かないそうだ。
ごく稀に、わたしの言葉選びに『あれ?』と思うことはあるけど、きっと何かの間違いだろうと収めることができるそうだ。
(で、時間が経ってから、つながるような話題が出たとき『あのときは何だったの?』と聞かれることがたまーにある)
昔、ご主人様の行動に怒りを覚えわたしにアドバイスを求めた方がいて、その話を那智さんにも聞いてもらったときに
怒るってことは相手を信用してないってことだよね
と言っていたことがあった。
『相手に悪意はない』と思って信頼していたら、怒りは湧かないものだというのだ。
『なぜ、そういう言葉を使うのだろう?』とか『なぜ、そういう行動になるのだろう?』という疑問は沸くけど怒りにはならない、と。
うーん、でも人間の感情なんて自然に湧くものだし、どんなに信用していても怒る場合もあるんじゃないかなぁと、そのときは思ったことがあったけど、どうやら、一連の話を聞く限りでは本当に怒りの感情は湧かないみたいなのだ。
だから、那智さんにとって『許し合う』という表現には違和感を感じていたらしい。
許す→『許すか許さないか判断のテーブルにあげる』ことになるからね。
那智さんとしては、たとえば、わたしが買ってもらった鮭を忘れたとして、『りん子はわざと忘れたわけじゃないし、俺が買ってあげたいという気持ちは満たされたし、ホテルに忘れ物しちゃうことはたまにあることだし、また今度買ってあげよう』という思考回路になって、マイナス感情にはならないのだそうだ。
(そもそも鮭を忘れて怒る人は少数かもしれないけど、多少がっかり感とか『ちぇっ』みたいな空気も出ないのよ)
だから、許し合うとは違う表現はないかな~ということだった。
でもさ、本当に、人って、そんなシンプルに思えて、マイナス感情は生まれないものなのだろうか。
那智さんだって、人の子、わたしにムカついたり、責めたくなるようなことだってあるんじゃない?
とは、思うけど、これが、本当にないんだよね(笑)
わたし、人の発する空気にかなり敏感な方だと思うのだけど、これだけ長く密着していても、ほとんどない。(14年で2回くらいは、マイナス空気出たことあったかもしれないな)
ちょっと、ノロケにしちゃあ壮大な表現になっちゃうけど(笑)
ここ、本当にすごいと思うんだ。
相手に悪意はないと信じたら、怒りなどのマイナス感情は湧かない、徹底して湧かない。
この徹底ぶりがすごい。
それも、『そのように努めている』のではなく『自然とそうなっている』のよ。
これは人間性のなせる技なのだ(壮大な表現のノロケ^^;)
疑問に思って聞いてみた。
那智さんは最初からわたしのこと信頼して、マイナス感情湧かなかったのですか?
だって、そんなにきちっと線引きできるものか疑問だし、根拠がないと信憑性がない。
最初からじゃないよ
前に言っただろ、『りん子は話せばわかる』って
そのときからだな
そうそう、それもかなり初期の頃だけど、言われたことがある。
いちいちつまずくわたしに『りん子は話せばわかるから、大変だけど苦労は感じない』と言われたことがあった。
那智さんが『話せばわかる』と思った女性はわたしが初めてだったらしいのだけど(うふふ)、それが那智さんが信頼する根拠になったらしい。
那智さんが最初から『合う』と言っていたのは、こういうことに表れているのだろう。
わたしは那智さんほどできた人間ではないので徹底ぶりは劣るけど、少しは那智さんと同じように『信頼している→マイナス感情に繋がらない』になれているはずだ。
だけど、やっぱり、最初に『合う』と見抜き、最初に『信頼している→マイナス感情に繋がらない』を実践してくれた(し続けてくれた)那智さんは本当に尊敬するし、やっぱり最初にそれをしてくれた人はいつまでも『上』だ。
怒りの感情が湧き、それを相手にぶつけ合うことでお互いが充実する付き合いもあるだろう。
何が正解かは、わからないけど、那智さんの思う良好な関係は、これで、わたしもそれがすごく心地良いと思うのです^^
ということで『許し合う』じゃない表現を考えなきゃ^^
「等式」「大人123」感想です。私の好きな友人もよく「どうしたの?」のフレーズを使います。私もある程度信用している人にはマイナスの感情を抱く前に事情を聞くような、余裕と自信がほしいですね。理想を言えばそんな心構えで仕事が出来たら嬉しいですが、それはなかなか難しいです。(笑)
『大人1』をアップした日、那智さんの感想はなかった。
続きもののときはまとめてくれることもあるから、今回もそうなのだろうと思いつつ、もしかしたら更新をお知らせしたことを忘れちゃっている可能性もゼロじゃないので、いちおう朝のお電話タイムで再度お知らせをする。
お返事は『読んだ』そうなので、それは納得なんだけど。
書かなかった理由を話してくれた。
『許し合う』という言葉を使ったのははじめて(くらい)かもしれないと思って、『許し合う』って、ちょっと注意が必要な言葉だから、真意をちゃんと理解してから感想を書こうと思った
そうだ。
那智さん曰く。
『許し合う』『許す』という言葉は、『相手に悪意はない』という前提から一度許すか許さないかの判断を経由して『許し合う』の結論に至っているというイメージがする。
那智さんの『相手に悪意はない』というものは、許すか許さないかの判断のテーブルにあげるものではない。
相手を『裁判』にかけることはしない
のだそうだ。
なので、那智さんが『相手に悪意はない』前提ができたら、許すも許さないも存在しない。
相手に対する怒りも悲しみも湧かないそうだ。
ごく稀に、わたしの言葉選びに『あれ?』と思うことはあるけど、きっと何かの間違いだろうと収めることができるそうだ。
(で、時間が経ってから、つながるような話題が出たとき『あのときは何だったの?』と聞かれることがたまーにある)
昔、ご主人様の行動に怒りを覚えわたしにアドバイスを求めた方がいて、その話を那智さんにも聞いてもらったときに
怒るってことは相手を信用してないってことだよね
と言っていたことがあった。
『相手に悪意はない』と思って信頼していたら、怒りは湧かないものだというのだ。
『なぜ、そういう言葉を使うのだろう?』とか『なぜ、そういう行動になるのだろう?』という疑問は沸くけど怒りにはならない、と。
うーん、でも人間の感情なんて自然に湧くものだし、どんなに信用していても怒る場合もあるんじゃないかなぁと、そのときは思ったことがあったけど、どうやら、一連の話を聞く限りでは本当に怒りの感情は湧かないみたいなのだ。
だから、那智さんにとって『許し合う』という表現には違和感を感じていたらしい。
許す→『許すか許さないか判断のテーブルにあげる』ことになるからね。
那智さんとしては、たとえば、わたしが買ってもらった鮭を忘れたとして、『りん子はわざと忘れたわけじゃないし、俺が買ってあげたいという気持ちは満たされたし、ホテルに忘れ物しちゃうことはたまにあることだし、また今度買ってあげよう』という思考回路になって、マイナス感情にはならないのだそうだ。
(そもそも鮭を忘れて怒る人は少数かもしれないけど、多少がっかり感とか『ちぇっ』みたいな空気も出ないのよ)
だから、許し合うとは違う表現はないかな~ということだった。
でもさ、本当に、人って、そんなシンプルに思えて、マイナス感情は生まれないものなのだろうか。
那智さんだって、人の子、わたしにムカついたり、責めたくなるようなことだってあるんじゃない?
とは、思うけど、これが、本当にないんだよね(笑)
わたし、人の発する空気にかなり敏感な方だと思うのだけど、これだけ長く密着していても、ほとんどない。(14年で2回くらいは、マイナス空気出たことあったかもしれないな)
ちょっと、ノロケにしちゃあ壮大な表現になっちゃうけど(笑)
ここ、本当にすごいと思うんだ。
相手に悪意はないと信じたら、怒りなどのマイナス感情は湧かない、徹底して湧かない。
この徹底ぶりがすごい。
それも、『そのように努めている』のではなく『自然とそうなっている』のよ。
これは人間性のなせる技なのだ(壮大な表現のノロケ^^;)
疑問に思って聞いてみた。
那智さんは最初からわたしのこと信頼して、マイナス感情湧かなかったのですか?
だって、そんなにきちっと線引きできるものか疑問だし、根拠がないと信憑性がない。
最初からじゃないよ
前に言っただろ、『りん子は話せばわかる』って
そのときからだな
そうそう、それもかなり初期の頃だけど、言われたことがある。
いちいちつまずくわたしに『りん子は話せばわかるから、大変だけど苦労は感じない』と言われたことがあった。
那智さんが『話せばわかる』と思った女性はわたしが初めてだったらしいのだけど(うふふ)、それが那智さんが信頼する根拠になったらしい。
那智さんが最初から『合う』と言っていたのは、こういうことに表れているのだろう。
わたしは那智さんほどできた人間ではないので徹底ぶりは劣るけど、少しは那智さんと同じように『信頼している→マイナス感情に繋がらない』になれているはずだ。
だけど、やっぱり、最初に『合う』と見抜き、最初に『信頼している→マイナス感情に繋がらない』を実践してくれた(し続けてくれた)那智さんは本当に尊敬するし、やっぱり最初にそれをしてくれた人はいつまでも『上』だ。
怒りの感情が湧き、それを相手にぶつけ合うことでお互いが充実する付き合いもあるだろう。
何が正解かは、わからないけど、那智さんの思う良好な関係は、これで、わたしもそれがすごく心地良いと思うのです^^
ということで『許し合う』じゃない表現を考えなきゃ^^
「等式」「大人123」感想です。私の好きな友人もよく「どうしたの?」のフレーズを使います。私もある程度信用している人にはマイナスの感情を抱く前に事情を聞くような、余裕と自信がほしいですね。理想を言えばそんな心構えで仕事が出来たら嬉しいですが、それはなかなか難しいです。(笑)
ヒロイン像
独り言
陸上をしていた新郎とフェスが好きだという新婦の披露宴は友達たくさん、ワイワイとしていた。
こういう友達大勢でノリの良い感じって、ともすれば内輪の悪ノリで一部だけ盛り上がるなんてこともあるんだけど、そうならずに済んでいて少しホッとしていた。
新郎中座でサプライズでおばあさまを指名してプレゼントを渡した時に新郎の友人男子数名が密かに泣いていたりなんていうのを見ると、なんとなく新郎新婦の人柄が反映されているのかなと思ったりする。
(正直にいうと、わたしが同じクラスだったら違うグループっぽいんだけどね^^;)
とにかく、ふたりがイメージする楽しい雰囲気を作るお手伝いはできたと思う。
花束贈呈の前の新婦の手紙。
サバサバした感じの新婦の声がうるむ。
泣きそうなのを吹き飛ばすように、すこしぶっきらぼうな朗読だ。
それでも、家族に対する思い出を語る。
○家は本当に仲良くて、よく家族で出かけましたね!
お父さんはいつも出かける計画を立てて、私たちを色々なところに連れて行ってくれました。
私はそんなお父さんが、本当に大好きです。
ほうほう、たしかに家族仲よさそうだ。
でも、私は『お父さんのような人と結婚したい』と思ったことはありません。
ええ?
会場、爆笑!!
ど、どうした??
新郎を立てるためのフリか??
一瞬、どうなるかと見守る。
でも、私は『お父さんのような人と結婚したい』と思ったことはありません。
私がお父さんみたいになって、家族を色々なところに連れて行きます!!
おお、なるほど、そうきたか~。
かっこいいねぇ。
連れて行ってもらう人になるのではなく、連れて行く人になるんだ。
お父さんにしてもらって幸せだったことを自分の好きな人にする、そこに父母、男女の刷り込みはない。
わたしなんてフェミとかなんとかいってるけど、ぜんぜん『那智さんに連れて行ってもらう』気満々だし(笑)
男女の性差を軽々と乗り越える人は、あっさりするほど『それが普通』なんだよね。
白馬の王子様を待つよりも、自分が馬に跨り自由に走り回る。
最近のデ○ズニー映画のヒロインみたいでなかなか気持ちのいいお手紙だった。
「等式」「ヒロイン像」感想です。「男女の刷り込みがない」がポイントであろうけれど旦那はどう思っているのかな。旦那が了解していて、新婦が渋滞の中、車を運転してくれたら頼もしいな。新婦は計画立案だけ連発し後は旦那にお任せなんて、新しいタイプかも。夫婦間の家族を先に成熟させたらと思う。
陸上をしていた新郎とフェスが好きだという新婦の披露宴は友達たくさん、ワイワイとしていた。
こういう友達大勢でノリの良い感じって、ともすれば内輪の悪ノリで一部だけ盛り上がるなんてこともあるんだけど、そうならずに済んでいて少しホッとしていた。
新郎中座でサプライズでおばあさまを指名してプレゼントを渡した時に新郎の友人男子数名が密かに泣いていたりなんていうのを見ると、なんとなく新郎新婦の人柄が反映されているのかなと思ったりする。
(正直にいうと、わたしが同じクラスだったら違うグループっぽいんだけどね^^;)
とにかく、ふたりがイメージする楽しい雰囲気を作るお手伝いはできたと思う。
花束贈呈の前の新婦の手紙。
サバサバした感じの新婦の声がうるむ。
泣きそうなのを吹き飛ばすように、すこしぶっきらぼうな朗読だ。
それでも、家族に対する思い出を語る。
○家は本当に仲良くて、よく家族で出かけましたね!
お父さんはいつも出かける計画を立てて、私たちを色々なところに連れて行ってくれました。
私はそんなお父さんが、本当に大好きです。
ほうほう、たしかに家族仲よさそうだ。
でも、私は『お父さんのような人と結婚したい』と思ったことはありません。
ええ?
会場、爆笑!!
ど、どうした??
新郎を立てるためのフリか??
一瞬、どうなるかと見守る。
でも、私は『お父さんのような人と結婚したい』と思ったことはありません。
私がお父さんみたいになって、家族を色々なところに連れて行きます!!
おお、なるほど、そうきたか~。
かっこいいねぇ。
連れて行ってもらう人になるのではなく、連れて行く人になるんだ。
お父さんにしてもらって幸せだったことを自分の好きな人にする、そこに父母、男女の刷り込みはない。
わたしなんてフェミとかなんとかいってるけど、ぜんぜん『那智さんに連れて行ってもらう』気満々だし(笑)
男女の性差を軽々と乗り越える人は、あっさりするほど『それが普通』なんだよね。
白馬の王子様を待つよりも、自分が馬に跨り自由に走り回る。
最近のデ○ズニー映画のヒロインみたいでなかなか気持ちのいいお手紙だった。
「等式」「ヒロイン像」感想です。「男女の刷り込みがない」がポイントであろうけれど旦那はどう思っているのかな。旦那が了解していて、新婦が渋滞の中、車を運転してくれたら頼もしいな。新婦は計画立案だけ連発し後は旦那にお任せなんて、新しいタイプかも。夫婦間の家族を先に成熟させたらと思う。