鞭2
足跡
ひさしぶりのカテゴリ『足跡』。
前エントリーに続いて痛いことの、ダメ押し(?)の徒然をと書いていたら、『足跡』になれそうだったから。
『足跡』の『鞭』ははじめのころのパニックから笑い出しちゃうおかしな状態になる辺りまで収めていたので、その続きを。
では、ひとまず、『足跡』にしちゃおうと思った徒然から、どうぞ~^^
わたしにとって『痛いこと』は心と体の両方に作用して快感を形作っている。
心とは『痛いことをされているわたし』や『那智さんがしてくれている』や針山で感じていたような漠然とした酷いことへのモヤモヤの答えのような安堵感や、自分の意思でおしまいにならない絶望感(セーフワードがあるから、そうはいっても甘い絶望感だけどね)やパニック状態や、被虐欲と歪んだ自己愛を那智さんで満たしてもらうことや終わったあとの『ほめてもらう』や(うちはこれはないけど→気持ちよくてよかったね、だから^^;)。
これらは心に作用して快感になる。
で、体のほうは、そのままで『痛いこと=快感』。
とはいえ、何度も書いているけど痛いことは、普通に痛いので(しかも、相当痛くされるから、相当痛い^^;)、痛いことが気持ちいいとは言い難くて、『痛いことをすると体が快感の反応をする』ことを『快感』といっているのだけどね。
とにかく、痛いことが直接体の快感として存在する。
この両方。
これらはハッキリと区別ができるものではなくて、グラデーションのように存在していて、その時々によって、どの色が濃いかはわかる。
今日は自己憐憫の気持ちよさだったな~とか、なんだかわからないけど一発目から体が快感の反応をしていたな~とか。
前エントリーの『スパンキングって気持ちいいの?』は、いろいろモヤモヤしたから『200発くらい打てば』と体の快感として書いたけど、その男性が『スパンキングをするシチュエーションに興奮する?』とか『スパイスとして刺激的?』という意味であれば、まあ、気持ちいいともいえるよね。
(那智さんの感想は、それを指していると思う)
だから、どちらだけが『ある』ってことでもないよね。
ただ、那智さんは最初から『体』に作用させようと思っていたそうだ。
これも何回か似たようなことは書いてきたと思うけど。
那智さんは『心は一定ではない』と思っているのだ。
そのときの感情や気分によって心の感じ方は違ってくるから、確実に快感として与えるには体であるほうがいいと思っている。
たしかに、こちら側からもいわせてもらえば、心はいかようにも表現できてしまうよね。
女性なら、一度くらいは『演技』したことあると思うし^^;
まあ、それも含めて、この男のセックスに酔いたいと思えることはいいことだし、演技することで高揚することもあるから、否定はしないけど。
心の快感はこちら側の裁量でどうにでもやりようがあることは否めないわけで、那智さんの裁量で与えるとしたら『体』のほうが一定で確実だと思っているのだろう。
寒ければ鳥肌が立つくらいはなかなか難しいかもしれないけど、きっとそれに近い感じかな。
そうそう、『溺愛』のころは、そこに『心』を入れ込んで楽しんでいたようにも思うから、那智さんとしても少しくらいはグラデーションを面白がっているかもしれないけどね。
痛いこと=鞭ではないけれど、わたしたちの鞭の形も変化しているってことで^^
出会ったころから何事も『一定』でありたいと思う那智さんだったけど、すこしずつ『心』も楽しみはじめているよう。
鞭で可愛がるようになってきたかな。
意思を持つ鞭1 2 3
鞭の時間
溺愛1 2 3
それとだんだん打つ場所も広がってきている
繰り返し
鞭の一体感
自己憐憫と安堵と肯定、ひと口に快感といってもすくなくともこれだけの快感はある
ひさしぶりの鞭
このころから、痛いことが体の快感に直結してきている
浴衣緊縛1 2 3 4 5
脳を変える1 2 3 4
泣くための
諦念1 2 3
『脳を変える』あたりが一番痛いこと=体の快感だったと思うけど、そんな簡単に脳は変えられるものではないので、それからも那智さんの心や意思、わたしの精神状態によって心が作用していろいろな感情を引き起こし最終的に快感になっている。
痛いこと=気持ちいいの道のりは長いのだ(笑)
ひさしぶりのカテゴリ『足跡』。
前エントリーに続いて痛いことの、ダメ押し(?)の徒然をと書いていたら、『足跡』になれそうだったから。
『足跡』の『鞭』ははじめのころのパニックから笑い出しちゃうおかしな状態になる辺りまで収めていたので、その続きを。
では、ひとまず、『足跡』にしちゃおうと思った徒然から、どうぞ~^^
わたしにとって『痛いこと』は心と体の両方に作用して快感を形作っている。
心とは『痛いことをされているわたし』や『那智さんがしてくれている』や針山で感じていたような漠然とした酷いことへのモヤモヤの答えのような安堵感や、自分の意思でおしまいにならない絶望感(セーフワードがあるから、そうはいっても甘い絶望感だけどね)やパニック状態や、被虐欲と歪んだ自己愛を那智さんで満たしてもらうことや終わったあとの『ほめてもらう』や(うちはこれはないけど→気持ちよくてよかったね、だから^^;)。
これらは心に作用して快感になる。
で、体のほうは、そのままで『痛いこと=快感』。
とはいえ、何度も書いているけど痛いことは、普通に痛いので(しかも、相当痛くされるから、相当痛い^^;)、痛いことが気持ちいいとは言い難くて、『痛いことをすると体が快感の反応をする』ことを『快感』といっているのだけどね。
とにかく、痛いことが直接体の快感として存在する。
この両方。
これらはハッキリと区別ができるものではなくて、グラデーションのように存在していて、その時々によって、どの色が濃いかはわかる。
今日は自己憐憫の気持ちよさだったな~とか、なんだかわからないけど一発目から体が快感の反応をしていたな~とか。
前エントリーの『スパンキングって気持ちいいの?』は、いろいろモヤモヤしたから『200発くらい打てば』と体の快感として書いたけど、その男性が『スパンキングをするシチュエーションに興奮する?』とか『スパイスとして刺激的?』という意味であれば、まあ、気持ちいいともいえるよね。
(那智さんの感想は、それを指していると思う)
だから、どちらだけが『ある』ってことでもないよね。
ただ、那智さんは最初から『体』に作用させようと思っていたそうだ。
これも何回か似たようなことは書いてきたと思うけど。
那智さんは『心は一定ではない』と思っているのだ。
そのときの感情や気分によって心の感じ方は違ってくるから、確実に快感として与えるには体であるほうがいいと思っている。
たしかに、こちら側からもいわせてもらえば、心はいかようにも表現できてしまうよね。
女性なら、一度くらいは『演技』したことあると思うし^^;
まあ、それも含めて、この男のセックスに酔いたいと思えることはいいことだし、演技することで高揚することもあるから、否定はしないけど。
心の快感はこちら側の裁量でどうにでもやりようがあることは否めないわけで、那智さんの裁量で与えるとしたら『体』のほうが一定で確実だと思っているのだろう。
寒ければ鳥肌が立つくらいはなかなか難しいかもしれないけど、きっとそれに近い感じかな。
そうそう、『溺愛』のころは、そこに『心』を入れ込んで楽しんでいたようにも思うから、那智さんとしても少しくらいはグラデーションを面白がっているかもしれないけどね。
痛いこと=鞭ではないけれど、わたしたちの鞭の形も変化しているってことで^^
出会ったころから何事も『一定』でありたいと思う那智さんだったけど、すこしずつ『心』も楽しみはじめているよう。
鞭で可愛がるようになってきたかな。
意思を持つ鞭1 2 3
鞭の時間
溺愛1 2 3
それとだんだん打つ場所も広がってきている
繰り返し
鞭の一体感
自己憐憫と安堵と肯定、ひと口に快感といってもすくなくともこれだけの快感はある
ひさしぶりの鞭
このころから、痛いことが体の快感に直結してきている
浴衣緊縛1 2 3 4 5
脳を変える1 2 3 4
泣くための
諦念1 2 3
『脳を変える』あたりが一番痛いこと=体の快感だったと思うけど、そんな簡単に脳は変えられるものではないので、それからも那智さんの心や意思、わたしの精神状態によって心が作用していろいろな感情を引き起こし最終的に快感になっている。
痛いこと=気持ちいいの道のりは長いのだ(笑)
弱さに気づかせてもらえるしあわせ
独特な幸福感
わたしが週末は仕事があるから地元まで来てくれた金曜日の夜。
那智さんは風邪が治ったばかりの病み上がりだったけど。
明日は仕事だから大変と夜のお出かけにぐずぐずしていたクセに、那智さんに会えばやっぱり楽しい。
混むお店だったから、先に並んでおく。
並んでいるときにちょっとすったもんだがあって、それを冗談っぽく文字で伝えると
心細いね〜
よしよし
とお返事。
ああ、那智さんのやさしさはわたしを弱い人にしてしまう。
わたしひとりでもがんばれるけど、そんなふうにいわれたら、とたんにがんばれなくなっちゃう。
そうだよね、わたし、心細いんだよね。
じつはがんばれているほうがラクなんだ。
弱っていることを認めることは、痛みを感じることだからしんどいといえばしんどい。
でも、やさしさで弱さに気づけることはしあわせ、でもある。
那智さんのやさしさに弱っていたことこを認め、幸福を感じるけど、そこで止めておくほうが賢明。
あまり甘えすぎちゃうと、自分で掘った甘えの落とし穴に落ちて抜け出せなくなっちゃう(笑)
心細かったんだと気づいてくれて、気づかせてくれただけで充分。
格安焼き鳥居酒屋は、格安なりにおいしくて楽しい。
なんのお話しをしたっけ、仕事のことニュースのこと『子どもが居酒屋にいる』ことについての考察(笑)
なんともないお話も楽しい。
明日の仕事に支障を来さないようにさくっとおしまい。
今日も楽しかったです。
改札でお見送りをする。
なんだかんだぐずぐずしてても、那智さんと一緒は楽しい。
結局、いつもしあわせにしてくれる。
改札で手を振ると『うん』とうなずく。
改札を抜けたら、もう一度振り返ってくれるから、ペコリとおじぎと一緒に小さく手を振る。
そうするとまた『うん』として、今度は手を上から下に一度大きく振り下ろす、これは『もう行きな』の合図。
うなずいて、1歩2歩、今日はそんなに人がいない。
人の波の隙間から那智さんを確認することができる。
見失わないように目で追う。
このまま人波に飲まれて見えなくなるまで、今日はお見送りしよう。
今日もやさしくしてくれてありがとうございます。
わたしの弱さに気づいてくれてありがとうございます。
ちらりと振り返った。
大きく手を振る。
わたし、背が高いから、きっと見つけてもらえる。
いつもわたしは那智さんの手のひらの上。
那智さんが疲れていても、病み上がりでも、わたしがしっかりがんばってても、やっぱり那智さんがやさしさのスタートでわたしがお返しする関係はやっぱり那智さんの手のひらの上なのだ。
今日の那智さんのやさしさにお返しする気持ちでいっぱいいっぱい手を振った。
<関連エントリー>
やさしさは先に与えたほうが上なの^^
恩義
卵が先か、鶏が先か
わたしが週末は仕事があるから地元まで来てくれた金曜日の夜。
那智さんは風邪が治ったばかりの病み上がりだったけど。
明日は仕事だから大変と夜のお出かけにぐずぐずしていたクセに、那智さんに会えばやっぱり楽しい。
混むお店だったから、先に並んでおく。
並んでいるときにちょっとすったもんだがあって、それを冗談っぽく文字で伝えると
心細いね〜
よしよし
とお返事。
ああ、那智さんのやさしさはわたしを弱い人にしてしまう。
わたしひとりでもがんばれるけど、そんなふうにいわれたら、とたんにがんばれなくなっちゃう。
そうだよね、わたし、心細いんだよね。
じつはがんばれているほうがラクなんだ。
弱っていることを認めることは、痛みを感じることだからしんどいといえばしんどい。
でも、やさしさで弱さに気づけることはしあわせ、でもある。
那智さんのやさしさに弱っていたことこを認め、幸福を感じるけど、そこで止めておくほうが賢明。
あまり甘えすぎちゃうと、自分で掘った甘えの落とし穴に落ちて抜け出せなくなっちゃう(笑)
心細かったんだと気づいてくれて、気づかせてくれただけで充分。
格安焼き鳥居酒屋は、格安なりにおいしくて楽しい。
なんのお話しをしたっけ、仕事のことニュースのこと『子どもが居酒屋にいる』ことについての考察(笑)
なんともないお話も楽しい。
明日の仕事に支障を来さないようにさくっとおしまい。
今日も楽しかったです。
改札でお見送りをする。
なんだかんだぐずぐずしてても、那智さんと一緒は楽しい。
結局、いつもしあわせにしてくれる。
改札で手を振ると『うん』とうなずく。
改札を抜けたら、もう一度振り返ってくれるから、ペコリとおじぎと一緒に小さく手を振る。
そうするとまた『うん』として、今度は手を上から下に一度大きく振り下ろす、これは『もう行きな』の合図。
うなずいて、1歩2歩、今日はそんなに人がいない。
人の波の隙間から那智さんを確認することができる。
見失わないように目で追う。
このまま人波に飲まれて見えなくなるまで、今日はお見送りしよう。
今日もやさしくしてくれてありがとうございます。
わたしの弱さに気づいてくれてありがとうございます。
ちらりと振り返った。
大きく手を振る。
わたし、背が高いから、きっと見つけてもらえる。
いつもわたしは那智さんの手のひらの上。
那智さんが疲れていても、病み上がりでも、わたしがしっかりがんばってても、やっぱり那智さんがやさしさのスタートでわたしがお返しする関係はやっぱり那智さんの手のひらの上なのだ。
今日の那智さんのやさしさにお返しする気持ちでいっぱいいっぱい手を振った。
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やさしさは先に与えたほうが上なの^^
恩義
卵が先か、鶏が先か
『よしよし』
独特な幸福感
最近、那智さんにお願いしているのは『よしよし』。
わたし、ちょっといろいろできるようになっている。
土台はいつでも那智さんだけど、表面上はかなり自分ひとりで立てている。
そうすると薄い戦闘服を着ている状態だったりする。
感受性のボリュームが全開ではないのだ。
そのままセックスをはじめると淫乱なわたしを受け入れるのにひと苦労する(笑)
腕枕で包んでもらって『よしよし』をされると、ふうと力が抜けて、どんどん那智さんの可愛く淫乱なりん子になっていく。
けっこうしっかり者のわたしになれていても、ううん、そうだからこそ『よしよし』が必要なのかもしれない。
前エントリーで幸せを作るツールとして『主従』を使えばいいんじゃない?と書いたけど、いまのわたしにとって『よしよし』は感受性のボリュームを上げて那智さんの淫乱なりん子になるための呼び水みたいなものかもしれない。
幸福な時間を作るためのツールとしての『よしよし』である。
一見性的なものとは無関係な『よしよし』が快感に繋がるのは、ちょっとおもしろいけど、性も父性も日常もどれも地続きだからと納得する。
たぶん、昔より面倒がかからなくなった分、那智さんも思い切り『よしよし』できるんじゃないかと思う。
前エントリーで弱さに気づかせてもらうと、甘えの落とし穴にはまってしまいそうになると書いたけど、最近は適度なところで留まることができるようになったから、那智さんも以前より慎重にならなくて大丈夫になっているのではないだろうか。
幸福な時間を作るためのツールとしての『よしよし』。
那智さんは思い切り放出できるようになって、わたしはそのツールの役割を理解して享受する。
そして、互いにとってよい時間を作ることができる。
それが互いにとってどんな効果があるか、理解していることはよいことだよね。
ということで、那智さん、どうぞ思い切り『よしよし』してくださってかまいません、です^^
<関連エントリー>
幸福を作るツールとしての主従
「等式」感想です。現在の結果としては良い状態なのですが、「薄い戦闘服」を着せたのは私なので少しの後ろめたさがあります。お互いにとって良い状況であるとは確信しているのですがね。
最近、那智さんにお願いしているのは『よしよし』。
わたし、ちょっといろいろできるようになっている。
土台はいつでも那智さんだけど、表面上はかなり自分ひとりで立てている。
そうすると薄い戦闘服を着ている状態だったりする。
感受性のボリュームが全開ではないのだ。
そのままセックスをはじめると淫乱なわたしを受け入れるのにひと苦労する(笑)
腕枕で包んでもらって『よしよし』をされると、ふうと力が抜けて、どんどん那智さんの可愛く淫乱なりん子になっていく。
けっこうしっかり者のわたしになれていても、ううん、そうだからこそ『よしよし』が必要なのかもしれない。
前エントリーで幸せを作るツールとして『主従』を使えばいいんじゃない?と書いたけど、いまのわたしにとって『よしよし』は感受性のボリュームを上げて那智さんの淫乱なりん子になるための呼び水みたいなものかもしれない。
幸福な時間を作るためのツールとしての『よしよし』である。
一見性的なものとは無関係な『よしよし』が快感に繋がるのは、ちょっとおもしろいけど、性も父性も日常もどれも地続きだからと納得する。
たぶん、昔より面倒がかからなくなった分、那智さんも思い切り『よしよし』できるんじゃないかと思う。
前エントリーで弱さに気づかせてもらうと、甘えの落とし穴にはまってしまいそうになると書いたけど、最近は適度なところで留まることができるようになったから、那智さんも以前より慎重にならなくて大丈夫になっているのではないだろうか。
幸福な時間を作るためのツールとしての『よしよし』。
那智さんは思い切り放出できるようになって、わたしはそのツールの役割を理解して享受する。
そして、互いにとってよい時間を作ることができる。
それが互いにとってどんな効果があるか、理解していることはよいことだよね。
ということで、那智さん、どうぞ思い切り『よしよし』してくださってかまいません、です^^
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幸福を作るツールとしての主従
「等式」感想です。現在の結果としては良い状態なのですが、「薄い戦闘服」を着せたのは私なので少しの後ろめたさがあります。お互いにとって良い状況であるとは確信しているのですがね。
幹事さん
独り言
どうでもいいといえば、どうでもいいことなんだけど、最近妙に納得したことがある。
わたし、昔から『幹事』になることがじつは多い。
まあ、飲むのも楽しいことも好きってことは間違いないので、当然といえば当然かというツッコミはなきにしもあらずだけど(笑)
そのうちの何割かは、言い出しっぺじゃなかったりの自分の意思とは裏腹な場合もあると思うので、そのカラクリとしての納得。
20代の働いていたころのこと。
休憩時間に同期の数人と雑談していたら、話しの流れで「ここにいるみんなでグアムに行こう!!」となった。
いいね、いいね!!と盛り上がる。
わたしも『ここにいるみんな』のひとりだったけど、この職場はシフト制の勤務だからこんな数人まとまって休むことはかなり無理があるし、そもそも『ここにいるみんな』のうち親しい人とそうでもない人といろいろだし、わたし、次のまとまっった休みは彼と旅行行こうと思っているしと、いろいろ考えてしまって一緒に盛り上がれなかった。
盛り上がれなくて申し訳ない感じでいたけど、結局そのグアム旅行は実現しなかった。
数年前、ひさしぶりに元職場のメンバーで会いたいねとメールが来た。
もちろん了解の返事はした。
「◯ちゃんと話ししてた」って言っていたけど、それからしばらく音沙汰なし。
結局、どうなったかメールしたら、話しが進んでいなかったので、全員にメールして日程調整してお店も候補をあげて予約してランチ会をした。
その席でも、ひとりが今度泊まりで遊ぼうと言い出して盛り上がった。
みんな「いいね、いいね」と。
「◯月くらいがいい?」「場所はいいホテル知ってるから」と言い出しっぺの子がホテルの説明なんかをはじめた。
土日だと仕事あるな。
子どもいる人とか、大丈夫なのかな。
ぶっちゃけてしまうと、貴重なお泊まりチャンスは別の機会に取っておきたい^^;
またいろいろ考えちゃって「土日だと仕事が入っちゃうかもしれないから、そしたら途中参加かも」なんて、真面目に答えたりして。
じゃあね、◯月ね!!
と盛り上がった感じで別れてから数ヶ月。
◯月の2か月前、1か月前、徐々に仕事が入り出し、そろそろ日程を決めないとダメそうだよなと気になりはじめる。
◯月、どうする?と先手を打ったほうがいいかな。
言い出しっぺのあの子、誰か声をかけてくれるの待ってたりして?
またまたあれこれ考えてしまうけど、ふと、何もしないでおこうと思った。
申し訳ないけど、どうしても行きたい行事でもなかったし。
そして、◯月は過ぎていった。
先日、また別の元職場メンバーがいまどきのSNSでつながりはじめた。
「なつかし〜」と盛り上がり「忘年会やろう!!」「旅行も行きたい!!」といろいろ話題が出る。
で、そのSNSは3日で誰も投稿しなくなった。
あ〜、昔のわたしだったら、ここで何かしらの話題提供で投稿しただろうし、忘年会の話しのきっかけ作りとかしちゃっただろうな。
本当に行きたかったら話しを進めればいいだけのことだけど、昔のわたしはここで、その場にいたものの義務感や、期待に応えようとして動いてしまっていただろうな。
きっと幹事が多かったのは、こういう場面で率先してしまうからなんだよね。
でね、責任感が強い人=立派という話しじゃなくてね。
ここにはわたしのふたつの特性が表れている。
ひとつは『生真面目』。
あれこれ考えてしまって気軽に「いいね、いいね」っていえない。
いったとしたら、いった手前無視できない。
いえなかったとしても、期日が近づいてくると「いいのかな」と気にしてしまう。
自分の発言に責任を持つと表現してしまえば立派そうなんだけど、わたしだって人の子前言撤回なんて当然あるのだけど、こういうことに関しては生真面目を発揮してしまうようだ。
それともうひとつ。
人の期待に応えようとすることや人の評価が自分の行動指針になっているということなんだよね。
昔から、自分の快不快がわかりにくてからいろいろ生きにくかったけど、自分がその行事に参加したければ幹事をやればいいし、そうじゃないならやらなきゃいいというごく普通の感覚が備わってなかったんだと思う。
だから、みんながやりたがってるしとか誰もやり出さないからと率先してしまうところがあった。
これも責任感というより役割期待に捉われていたのだよね。
このふたつが『幹事役』が多かった理由なのだろうな。
いまのわたしは、そのころよりずいぶん自分の快不快がわかるようになってきたから、自分の人生に何を選ぶかができている。
そして、いい意味で気を抜くこともできている。
だから、自分のやりたいことだけを選び、行動できるようになれてきていると思うのだ。
どんなに気をつけても取りこぼしはあるし、どんなに役割期待に応えていても誰かの期待には沿えないことだってある。
だったら、肩の力を抜き自分の快にアンテナを張っていれば、幸福な少数精鋭になるし、そこにいる人たちは、抜け気味のわたしも良しとしてくれるはずなんだ。
本当にやりたいことや一緒にいたい人たちを選べるようになれてきていますよね、那智さん^^
ということで、来年のオフ会は本当にやりたいこと!!なので、よろこんで幹事を引き受けます(笑)
気がつけば『あと半年』ももうすぐ^^
準備はよろしいですか〜?(笑)
人数によっては会場の都合でたとえば『15:00から』なんてことになる可能性もちょっと出てきていますので、ゆるく視野に入れておいてくださいね!!
それにしても『女は共感したい生き物である』なんて書いておきながら、わたしこそ共感下手だなぁ(笑)
<関連エントリー>
女は共感したい生き物である
那智さんに足りないもの
オフ会のこと
すこし先の未来
ランデブー
オフ会、ちらほら
おしるこ理論&オフ会、ちらほら2
「等式」感想です。今のりん子なら「3日で誰も投稿しなくなる」ことも予想出来るだろうし。それを想定しての会話になるのかな、それともノリが良いふりをするのかな(笑)
どうでもいいといえば、どうでもいいことなんだけど、最近妙に納得したことがある。
わたし、昔から『幹事』になることがじつは多い。
まあ、飲むのも楽しいことも好きってことは間違いないので、当然といえば当然かというツッコミはなきにしもあらずだけど(笑)
そのうちの何割かは、言い出しっぺじゃなかったりの自分の意思とは裏腹な場合もあると思うので、そのカラクリとしての納得。
20代の働いていたころのこと。
休憩時間に同期の数人と雑談していたら、話しの流れで「ここにいるみんなでグアムに行こう!!」となった。
いいね、いいね!!と盛り上がる。
わたしも『ここにいるみんな』のひとりだったけど、この職場はシフト制の勤務だからこんな数人まとまって休むことはかなり無理があるし、そもそも『ここにいるみんな』のうち親しい人とそうでもない人といろいろだし、わたし、次のまとまっった休みは彼と旅行行こうと思っているしと、いろいろ考えてしまって一緒に盛り上がれなかった。
盛り上がれなくて申し訳ない感じでいたけど、結局そのグアム旅行は実現しなかった。
数年前、ひさしぶりに元職場のメンバーで会いたいねとメールが来た。
もちろん了解の返事はした。
「◯ちゃんと話ししてた」って言っていたけど、それからしばらく音沙汰なし。
結局、どうなったかメールしたら、話しが進んでいなかったので、全員にメールして日程調整してお店も候補をあげて予約してランチ会をした。
その席でも、ひとりが今度泊まりで遊ぼうと言い出して盛り上がった。
みんな「いいね、いいね」と。
「◯月くらいがいい?」「場所はいいホテル知ってるから」と言い出しっぺの子がホテルの説明なんかをはじめた。
土日だと仕事あるな。
子どもいる人とか、大丈夫なのかな。
ぶっちゃけてしまうと、貴重なお泊まりチャンスは別の機会に取っておきたい^^;
またいろいろ考えちゃって「土日だと仕事が入っちゃうかもしれないから、そしたら途中参加かも」なんて、真面目に答えたりして。
じゃあね、◯月ね!!
と盛り上がった感じで別れてから数ヶ月。
◯月の2か月前、1か月前、徐々に仕事が入り出し、そろそろ日程を決めないとダメそうだよなと気になりはじめる。
◯月、どうする?と先手を打ったほうがいいかな。
言い出しっぺのあの子、誰か声をかけてくれるの待ってたりして?
またまたあれこれ考えてしまうけど、ふと、何もしないでおこうと思った。
申し訳ないけど、どうしても行きたい行事でもなかったし。
そして、◯月は過ぎていった。
先日、また別の元職場メンバーがいまどきのSNSでつながりはじめた。
「なつかし〜」と盛り上がり「忘年会やろう!!」「旅行も行きたい!!」といろいろ話題が出る。
で、そのSNSは3日で誰も投稿しなくなった。
あ〜、昔のわたしだったら、ここで何かしらの話題提供で投稿しただろうし、忘年会の話しのきっかけ作りとかしちゃっただろうな。
本当に行きたかったら話しを進めればいいだけのことだけど、昔のわたしはここで、その場にいたものの義務感や、期待に応えようとして動いてしまっていただろうな。
きっと幹事が多かったのは、こういう場面で率先してしまうからなんだよね。
でね、責任感が強い人=立派という話しじゃなくてね。
ここにはわたしのふたつの特性が表れている。
ひとつは『生真面目』。
あれこれ考えてしまって気軽に「いいね、いいね」っていえない。
いったとしたら、いった手前無視できない。
いえなかったとしても、期日が近づいてくると「いいのかな」と気にしてしまう。
自分の発言に責任を持つと表現してしまえば立派そうなんだけど、わたしだって人の子前言撤回なんて当然あるのだけど、こういうことに関しては生真面目を発揮してしまうようだ。
それともうひとつ。
人の期待に応えようとすることや人の評価が自分の行動指針になっているということなんだよね。
昔から、自分の快不快がわかりにくてからいろいろ生きにくかったけど、自分がその行事に参加したければ幹事をやればいいし、そうじゃないならやらなきゃいいというごく普通の感覚が備わってなかったんだと思う。
だから、みんながやりたがってるしとか誰もやり出さないからと率先してしまうところがあった。
これも責任感というより役割期待に捉われていたのだよね。
このふたつが『幹事役』が多かった理由なのだろうな。
いまのわたしは、そのころよりずいぶん自分の快不快がわかるようになってきたから、自分の人生に何を選ぶかができている。
そして、いい意味で気を抜くこともできている。
だから、自分のやりたいことだけを選び、行動できるようになれてきていると思うのだ。
どんなに気をつけても取りこぼしはあるし、どんなに役割期待に応えていても誰かの期待には沿えないことだってある。
だったら、肩の力を抜き自分の快にアンテナを張っていれば、幸福な少数精鋭になるし、そこにいる人たちは、抜け気味のわたしも良しとしてくれるはずなんだ。
本当にやりたいことや一緒にいたい人たちを選べるようになれてきていますよね、那智さん^^
ということで、来年のオフ会は本当にやりたいこと!!なので、よろこんで幹事を引き受けます(笑)
気がつけば『あと半年』ももうすぐ^^
準備はよろしいですか〜?(笑)
人数によっては会場の都合でたとえば『15:00から』なんてことになる可能性もちょっと出てきていますので、ゆるく視野に入れておいてくださいね!!
それにしても『女は共感したい生き物である』なんて書いておきながら、わたしこそ共感下手だなぁ(笑)
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ランデブー
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「等式」感想です。今のりん子なら「3日で誰も投稿しなくなる」ことも予想出来るだろうし。それを想定しての会話になるのかな、それともノリが良いふりをするのかな(笑)
かわいくないされる側(笑)
140字もどき
SM行為で事故というものはあり得る話だけど。
とくに縛る行為で起こりやすいと思うのだけど。
「すべてS(する側)の責任ではなく、そのSを選んだM(される側)の責任もある」というのは、大人同士が合意のもとの行うのだから、その通りだろうとは思う。
だけど、それを『する側』が言っちゃうと、単純にカッコよくないなぁと思ってしまうわたしはかわいくない『される側』(笑)
まあ、危険が潜んでいるということさえ想像しないで他人任せなMさんに辟易しているのも想像できなくはないですけど、ね^^;
<関連エントリー>
本当のわたしはもっとえこひいき(笑)
『等式』のえこひいき
「等式」感想です。初心者でいたす時、相手を安心させるために堂々とハッタリをかましてました。前日、熊のぬいぐるみ相手に練習して!(笑)
SM行為で事故というものはあり得る話だけど。
とくに縛る行為で起こりやすいと思うのだけど。
「すべてS(する側)の責任ではなく、そのSを選んだM(される側)の責任もある」というのは、大人同士が合意のもとの行うのだから、その通りだろうとは思う。
だけど、それを『する側』が言っちゃうと、単純にカッコよくないなぁと思ってしまうわたしはかわいくない『される側』(笑)
まあ、危険が潜んでいるということさえ想像しないで他人任せなMさんに辟易しているのも想像できなくはないですけど、ね^^;
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本当のわたしはもっとえこひいき(笑)
『等式』のえこひいき
「等式」感想です。初心者でいたす時、相手を安心させるために堂々とハッタリをかましてました。前日、熊のぬいぐるみ相手に練習して!(笑)