有り余る…
独特な幸福感
そんなにSM色の濃い私たちではないけれど(?)、お道具はそれなりにありまして、それも少しずつではありますが増えてもいます。
麻縄、洗濯バサミ、鞭、靴べら、わんこの尻尾やお皿、などなど。
はじめの頃は那智さんがまとめて持っていたんだけど、なんだかんだでいつの間にか半分半分になっていました。
気付くと私は、麻縄とわんこセットとその他細々が担当になっていて、デートの度指示があれば持っていくという状態。
この指示があれば持っていくというのは、とてももどかしいものがある。
指示がなければ、持っていかない=それは使わないになるわけですよね。
麻縄とわんこは私としては、大好きアイテムなので、指示がない=しないということになるから、ちょっと寂しい。
会って、いろいろ始まってから「ああ、縄持って来させればよかった〜。」なんて言われると、もう切なくなっちゃう。
じゃあ、気を利かせて持ってきておけば?って思うけど、それはいかにも「して、して」って言っているみたいで、ためらわれる。
会う前に「縄持っていきますか?」と聞いてもいいけど、それも「して、して」で品がないしね。
結局、私は有り余る自意識と有り余る欲求と有り余る期待を押し込め、おとなしく指示を待っていたのでした。
これが、鞭とか針だったら、なんの躊躇もなく指示を待てるんだけど、麻縄とわんこだからね、舌出して指示を待つわけです。
それが、またいつの間にか、お道具大移動がありまして、私の手元には首輪と細々した物くらいしか残らないようになったのです。
これはとても気が楽。
この次会ったら「○○しようと思う」なんて予告をされると、もう私の頭の中はそのことでぐるぐる。
それをしても、問題ない服装とか荷物とか、その時々で自分にできる最善の対策を功じるのです。
例えば、コートの中裸なんて楽しそうだよね〜なんて話題になったら、コートのお尻まで切れているスリットを止める安全ピンを密かに持参してみたり、ローター入れてお散歩かな〜なんて雑談してたら、コードが出せるようにワンピースは避けようと思ったり…。
でも、前日の夜にお電話でお話ししてても、少し前に「この次は〜」って言っていたことについて指示がないときもある。
那智さんはけっこう忘れっぽいから、前の話題とか忘れてる場合があるの。
だから、ためらいつつも「○○するなら、首輪は持っていきますよね…?」などと聞く。
そういうと、まるで私がそうしてほしいみたいになってしまっているのですが、そうじゃなくて、あくまでも忘れっぽい那智さんが、後で残念な思いをしないようにと、奴隷として当然の気遣いなわけです(こんなときだけ奴隷^^)
一回、その確認アイテムが2つか3つあったときがあって、さすがに途中で私自身が情けなくなって、「やっぱり今の会話はなかったことにしてください。」と言ったことがある。
「自分で揃える感じが、嫌なんだろ!?」
そうです、してしては嫌。
那智さんは、あんまり予告をしない人。
びっくりさせるのが好きだし、もし予告していたことが何かの理由でしないなんてことになって「がっかり」させることも好きじゃないから。
だから、ほとんど指示がなければ、私は何が起こるかわからない。
ヒヤヒヤドキドキだ。
いま、ほとんどのお道具は那智さんの手元にあるから、有り余る自意識と戦う手間はないけれど、その分指示もないわけだから、ほんと開けてびっくり状態。
どちらが、「まし」なんだろう!?
そんなにSM色の濃い私たちではないけれど(?)、お道具はそれなりにありまして、それも少しずつではありますが増えてもいます。
麻縄、洗濯バサミ、鞭、靴べら、わんこの尻尾やお皿、などなど。
はじめの頃は那智さんがまとめて持っていたんだけど、なんだかんだでいつの間にか半分半分になっていました。
気付くと私は、麻縄とわんこセットとその他細々が担当になっていて、デートの度指示があれば持っていくという状態。
この指示があれば持っていくというのは、とてももどかしいものがある。
指示がなければ、持っていかない=それは使わないになるわけですよね。
麻縄とわんこは私としては、大好きアイテムなので、指示がない=しないということになるから、ちょっと寂しい。
会って、いろいろ始まってから「ああ、縄持って来させればよかった〜。」なんて言われると、もう切なくなっちゃう。
じゃあ、気を利かせて持ってきておけば?って思うけど、それはいかにも「して、して」って言っているみたいで、ためらわれる。
会う前に「縄持っていきますか?」と聞いてもいいけど、それも「して、して」で品がないしね。
結局、私は有り余る自意識と有り余る欲求と有り余る期待を押し込め、おとなしく指示を待っていたのでした。
これが、鞭とか針だったら、なんの躊躇もなく指示を待てるんだけど、麻縄とわんこだからね、舌出して指示を待つわけです。
それが、またいつの間にか、お道具大移動がありまして、私の手元には首輪と細々した物くらいしか残らないようになったのです。
これはとても気が楽。
この次会ったら「○○しようと思う」なんて予告をされると、もう私の頭の中はそのことでぐるぐる。
それをしても、問題ない服装とか荷物とか、その時々で自分にできる最善の対策を功じるのです。
例えば、コートの中裸なんて楽しそうだよね〜なんて話題になったら、コートのお尻まで切れているスリットを止める安全ピンを密かに持参してみたり、ローター入れてお散歩かな〜なんて雑談してたら、コードが出せるようにワンピースは避けようと思ったり…。
でも、前日の夜にお電話でお話ししてても、少し前に「この次は〜」って言っていたことについて指示がないときもある。
那智さんはけっこう忘れっぽいから、前の話題とか忘れてる場合があるの。
だから、ためらいつつも「○○するなら、首輪は持っていきますよね…?」などと聞く。
そういうと、まるで私がそうしてほしいみたいになってしまっているのですが、そうじゃなくて、あくまでも忘れっぽい那智さんが、後で残念な思いをしないようにと、奴隷として当然の気遣いなわけです(こんなときだけ奴隷^^)
一回、その確認アイテムが2つか3つあったときがあって、さすがに途中で私自身が情けなくなって、「やっぱり今の会話はなかったことにしてください。」と言ったことがある。
「自分で揃える感じが、嫌なんだろ!?」
そうです、してしては嫌。
那智さんは、あんまり予告をしない人。
びっくりさせるのが好きだし、もし予告していたことが何かの理由でしないなんてことになって「がっかり」させることも好きじゃないから。
だから、ほとんど指示がなければ、私は何が起こるかわからない。
ヒヤヒヤドキドキだ。
いま、ほとんどのお道具は那智さんの手元にあるから、有り余る自意識と戦う手間はないけれど、その分指示もないわけだから、ほんと開けてびっくり状態。
どちらが、「まし」なんだろう!?
お仕置きにならない
非日常的な日常
なんだか、いままでにないくらい朝のカウンターの伸びが良いのですが!?
9時の段階で50件。
いつも深夜から朝いちにかけて、それなりに見に来てくださるかたはいるんだけど、多分固定されていてあまり件数に上下がない気がしていたんだけど…。
こういう世界のルールとか知らなくて、よくわからないのだけど、もし、どなたか殊勝なかたがいて、このブログの話題をどこかでしたりしていたら、お知らせくださいませんか?
やっぱり自分のことは気になるから。
それともたまたまなのかな〜。
体調を崩してしまった。
数日前から喉が痛くて様子をみていた。
昔から、年に数回、喉が痛くなり、体がだるくなって微熱になって、最後喉が荒れて声が擦れるという同じような症状があった。
最近わかったのだけど、どうやらこれは風邪じゃなくて鼻炎の症状らしい、耳鼻科でアレルギー性鼻炎の薬をもらうと良くなる。
3、4日前から少し喉が痛くなりはじめて、残っていた薬を飲んでいた、少しずつだけど、痛みとだるさが引いてきているみたいで、週末の仕事には支障がないだろうと、安心していた。
明後日は那智さんに会える、喉が痛いことを話していたから「体調管理するんだよ」と釘を刺されていたけど、こちらもなんとか大丈夫そう。
いつもつも声が枯れるわけじゃなくて、喉の痛みだけで治まる時もあるから、今回はそれのよう。
このまま落ち着いてくれるといいな。
那智さんに会える前の晩、布団に入っていたら、どんどんと喉の調子が悪くなってきた。
あれ?おかしい、治まってきていたのに。
体調は問題ないけど、このまま明日那智さんに会って、大きな声を出したら(!)確実に声が枯れてしまって、週末の仕事に影響してしまう。
なにより、声を出すことをセーブする気持ちで那智さんに抱かれたくない。
那智さんに抱かれるときには、極力「懸念」を排除して、那智さんに抱かれることだけに集中したいもの。
うがいをして、マスクをして、なんとか悪化しないように、奮闘。
喉の枯れには特効薬があって、シュッと吸引すると、声帯の炎症を抑えてくれる。
でも、いまはそれがない。
それがあれば、安心して週末の仕事に臨めるし、大声も出せる^^;
明日の朝、病院でその特効薬をもらいに行こう。
朝一番に那智さんにメールして、状況を伝えて、待ち合わせ時間を遅らすことと、会う場所を私の病院の近くに変えてもらう。
そうすれば、移動時間がすくなくて、会っている時間はそれほど変わらないから。
一言「10:30に○○ね」と返信。
「ごめんなさい、いいですか?」一応念押し。
「あなたが10:30と言ったのだよね。」
ああ、怒ってる…。
普段「あなた」なんて言わないのに…。
電話で最終確認。
「体調管理しろって言ったよね。体調は悪くなってしまったのは仕方がない、でも、薬をもらうだけなら昨日でも一昨日でもできたよね?まして、あなたはしゃべる仕事なんだから、そんなの常備していないといけないよね?」
はい、おっしゃる通りでございます。
でも、あなたなんて、そんな突き放した他人行儀な言い方…、所有物に対して(笑)
薬をもらって、一安心。
待ち合わせに向かう途中で「ご迷惑をおかけして、すみませんでした。」と送ったら、「まだ、過去形じゃないよね」と、死刑宣告。
はい、ごめんなさい、制裁を加えて、どうか私を救ってください。
降っていた小雨は、ほとんどやんで、もう傘はいらないくらい。
ずんずんと歩く那智さんにちょっと下がって付いていく。
もちろん不機嫌なわけじゃない。
冷静にお仕置きを模索しているみたいな感じ。
わざわざ調べてきてくれたホテルが満室だったから、別の所を探していることもあるから、いろんな意味でずんずんと歩いている。
電車の高架下の僅かな空きスペース。
放置自転車がポツポツと止まっている、その隙間に立つ。
すぐ2m先は歩道で、その先は車道。
連続しているほどじゃないけれど、断続的に車が通る。
那智さんは、道路のほうを向いて私は歩道を背にして立つ。
スカートの中に手を入れてきた、下着に指を滑り込ませ、気持ちのよいところを刺激する。
もう、十分に濡れている。
お外なのに、お外だから。
道路に背を向けているから、どれだけの人が通っているかはわからない。
車の走る音で、ここが人気のない僻地ではないことを、いやでも確認する。
「いま、若い子が通るよ」
振り返れない私に意地悪を言う那智さん。
雑踏に紛れて、人の足音が近付いてくるのがわかった。
「人が来た」
那智さんが小声で言う。
チラッと見ると、私たちの立っている二つ横の自転車を取りに来た男性だった。
来たって、そばを通るとかじゃなくて、本当に至近距離だ。
もう、私は顔を伏せて、硬直するしかない。
それでも、那智さんは指の動きを止めない。
自転車のチェーンを外す音が、スローモーションのように感じられる。
お願い、早く、行って…。
抱き合うわけでもないのに、体を密着させて、人が来てもその姿勢のまま、とても不自然なカップル。
ただただ、その男性が早くチェーンを外して、どこかに行ってくれることを願う。
道路のほうを向かされた。
一気に視界が広がる。
今度は、同じ方向を少し重なり合って立つ、また不自然な光景。
コートとスカートをたくし上げられ、下着を下ろさされて、お尻を外気に晒す。
目の前の道路には、トラックが走っている。
年配の女性や、サラリーマンが歩いている。
背を向けていたからわからなかったけど、向かい側はマンションだ。
何戸もの窓が見える。
小雨だけど、洗濯をしたお宅の洗濯物が揺れている。
誰も気付かないでね。
角度が幸いして、マンションや通行人にはお尻は見えないはずだ。
状況が不自然なだけ、静かに目立たないように、やり過ごそう。
でも、それは叶わぬ願いだった。
左手でコートとスカートを押さえて、右手で思い切りお尻をスパンキングされた。
あきらかに、この男性は女性のお尻を叩いている。
衝撃で体がよろめく。
2回、3回、かなりの強さだ。
平手だけど、殴られているみたい。
その度に、体が揺れる。
私はいま、外でお尻を晒して、お尻を叩かれている、お尻を叩かれている、お尻を叩かれているの!!!
人が通っている。
ダメだ、保てない。
困ったとか、どうしようとか、恥ずかしいとかが保てない。
痛い、けど、嬉しい、気持ちいい。
大声を出してはいけない、それだけをなんとか手中に収めて、あとはもう保つのをやめてしまった。
人や車が視界に入っているのはわかる、でも、脳みそでそれを解析する能力はなくなっている。
口は半開きのはずだ。
もう知らない。
この状態が幸せで、もう、知らない。
制約が多いお外だけど、それさえも快感にできたら、お外はとても気持ち良い。
多分、お仕置きのスパンキングだったはずだけど…。
那智さんの思惑通りだったのだしょうか!?
なんだか、いままでにないくらい朝のカウンターの伸びが良いのですが!?
9時の段階で50件。
いつも深夜から朝いちにかけて、それなりに見に来てくださるかたはいるんだけど、多分固定されていてあまり件数に上下がない気がしていたんだけど…。
こういう世界のルールとか知らなくて、よくわからないのだけど、もし、どなたか殊勝なかたがいて、このブログの話題をどこかでしたりしていたら、お知らせくださいませんか?
やっぱり自分のことは気になるから。
それともたまたまなのかな〜。
体調を崩してしまった。
数日前から喉が痛くて様子をみていた。
昔から、年に数回、喉が痛くなり、体がだるくなって微熱になって、最後喉が荒れて声が擦れるという同じような症状があった。
最近わかったのだけど、どうやらこれは風邪じゃなくて鼻炎の症状らしい、耳鼻科でアレルギー性鼻炎の薬をもらうと良くなる。
3、4日前から少し喉が痛くなりはじめて、残っていた薬を飲んでいた、少しずつだけど、痛みとだるさが引いてきているみたいで、週末の仕事には支障がないだろうと、安心していた。
明後日は那智さんに会える、喉が痛いことを話していたから「体調管理するんだよ」と釘を刺されていたけど、こちらもなんとか大丈夫そう。
いつもつも声が枯れるわけじゃなくて、喉の痛みだけで治まる時もあるから、今回はそれのよう。
このまま落ち着いてくれるといいな。
那智さんに会える前の晩、布団に入っていたら、どんどんと喉の調子が悪くなってきた。
あれ?おかしい、治まってきていたのに。
体調は問題ないけど、このまま明日那智さんに会って、大きな声を出したら(!)確実に声が枯れてしまって、週末の仕事に影響してしまう。
なにより、声を出すことをセーブする気持ちで那智さんに抱かれたくない。
那智さんに抱かれるときには、極力「懸念」を排除して、那智さんに抱かれることだけに集中したいもの。
うがいをして、マスクをして、なんとか悪化しないように、奮闘。
喉の枯れには特効薬があって、シュッと吸引すると、声帯の炎症を抑えてくれる。
でも、いまはそれがない。
それがあれば、安心して週末の仕事に臨めるし、大声も出せる^^;
明日の朝、病院でその特効薬をもらいに行こう。
朝一番に那智さんにメールして、状況を伝えて、待ち合わせ時間を遅らすことと、会う場所を私の病院の近くに変えてもらう。
そうすれば、移動時間がすくなくて、会っている時間はそれほど変わらないから。
一言「10:30に○○ね」と返信。
「ごめんなさい、いいですか?」一応念押し。
「あなたが10:30と言ったのだよね。」
ああ、怒ってる…。
普段「あなた」なんて言わないのに…。
電話で最終確認。
「体調管理しろって言ったよね。体調は悪くなってしまったのは仕方がない、でも、薬をもらうだけなら昨日でも一昨日でもできたよね?まして、あなたはしゃべる仕事なんだから、そんなの常備していないといけないよね?」
はい、おっしゃる通りでございます。
でも、あなたなんて、そんな突き放した他人行儀な言い方…、所有物に対して(笑)
薬をもらって、一安心。
待ち合わせに向かう途中で「ご迷惑をおかけして、すみませんでした。」と送ったら、「まだ、過去形じゃないよね」と、死刑宣告。
はい、ごめんなさい、制裁を加えて、どうか私を救ってください。
降っていた小雨は、ほとんどやんで、もう傘はいらないくらい。
ずんずんと歩く那智さんにちょっと下がって付いていく。
もちろん不機嫌なわけじゃない。
冷静にお仕置きを模索しているみたいな感じ。
わざわざ調べてきてくれたホテルが満室だったから、別の所を探していることもあるから、いろんな意味でずんずんと歩いている。
電車の高架下の僅かな空きスペース。
放置自転車がポツポツと止まっている、その隙間に立つ。
すぐ2m先は歩道で、その先は車道。
連続しているほどじゃないけれど、断続的に車が通る。
那智さんは、道路のほうを向いて私は歩道を背にして立つ。
スカートの中に手を入れてきた、下着に指を滑り込ませ、気持ちのよいところを刺激する。
もう、十分に濡れている。
お外なのに、お外だから。
道路に背を向けているから、どれだけの人が通っているかはわからない。
車の走る音で、ここが人気のない僻地ではないことを、いやでも確認する。
「いま、若い子が通るよ」
振り返れない私に意地悪を言う那智さん。
雑踏に紛れて、人の足音が近付いてくるのがわかった。
「人が来た」
那智さんが小声で言う。
チラッと見ると、私たちの立っている二つ横の自転車を取りに来た男性だった。
来たって、そばを通るとかじゃなくて、本当に至近距離だ。
もう、私は顔を伏せて、硬直するしかない。
それでも、那智さんは指の動きを止めない。
自転車のチェーンを外す音が、スローモーションのように感じられる。
お願い、早く、行って…。
抱き合うわけでもないのに、体を密着させて、人が来てもその姿勢のまま、とても不自然なカップル。
ただただ、その男性が早くチェーンを外して、どこかに行ってくれることを願う。
道路のほうを向かされた。
一気に視界が広がる。
今度は、同じ方向を少し重なり合って立つ、また不自然な光景。
コートとスカートをたくし上げられ、下着を下ろさされて、お尻を外気に晒す。
目の前の道路には、トラックが走っている。
年配の女性や、サラリーマンが歩いている。
背を向けていたからわからなかったけど、向かい側はマンションだ。
何戸もの窓が見える。
小雨だけど、洗濯をしたお宅の洗濯物が揺れている。
誰も気付かないでね。
角度が幸いして、マンションや通行人にはお尻は見えないはずだ。
状況が不自然なだけ、静かに目立たないように、やり過ごそう。
でも、それは叶わぬ願いだった。
左手でコートとスカートを押さえて、右手で思い切りお尻をスパンキングされた。
あきらかに、この男性は女性のお尻を叩いている。
衝撃で体がよろめく。
2回、3回、かなりの強さだ。
平手だけど、殴られているみたい。
その度に、体が揺れる。
私はいま、外でお尻を晒して、お尻を叩かれている、お尻を叩かれている、お尻を叩かれているの!!!
人が通っている。
ダメだ、保てない。
困ったとか、どうしようとか、恥ずかしいとかが保てない。
痛い、けど、嬉しい、気持ちいい。
大声を出してはいけない、それだけをなんとか手中に収めて、あとはもう保つのをやめてしまった。
人や車が視界に入っているのはわかる、でも、脳みそでそれを解析する能力はなくなっている。
口は半開きのはずだ。
もう知らない。
この状態が幸せで、もう、知らない。
制約が多いお外だけど、それさえも快感にできたら、お外はとても気持ち良い。
多分、お仕置きのスパンキングだったはずだけど…。
那智さんの思惑通りだったのだしょうか!?
先生
独特な幸福感
わたしはあなたのもの、あなたのすることは何でも幸せ、と言って憚らない私ですが、人間同士の付き合いなので、ずっと舌出して「わん!」って言っているわけにもいかない。
最近はご指導の賜物で、随分と自分で判断ができるようになってきました。
以前は、何でもかまわず(家庭のことまで!)事細かくいちいち那智さんに聞いて、判断してもらってってしないと、不安でしょうがなかったのだけど、いまは深刻なこと以外は事後報告もしくは、まったく触れないなんてことも、しばしば。
それでも、基本は「那智さんなら、どうするか」という判断基準があるから、まだまだ自律にはほど遠い。
(余談ですが、自立と自律を辞書で引いてみたら、自立は「自分の力で生活できる」まあ、これは経済面も含めて自分で生きられることをいうみたいで、自律は「自分で決めた規則に従うこと」こちらは他人に左右されない心のことを言っているように思いました。「那智さんが判断基準」という規則で生きている私は、ある意味自律している!?)
愛している、とても大切ということが土台にあれば、二人の関係が変化していくことは悪いことじゃない。
むしろ、変化していることのほうが自然なはずだと思う。
那智さんは私の「感覚が合う」ところが好きだと言ってくれる。
たまには、違う言葉が聞きたくて、「合うところという言葉以外で、好きなところを表現して」なんてお願いすると、「話せばわかるところ」と言ってくれる(いったいいままでどんな女性たちと付き合ってきたの!?)。
何でも言うことを聞くとか、従順とかじゃないから、私も嬉しい。
特に、最近は多少は強くなってきているから、話し合いの中身も変化しているんじゃないかな。
基本的に私は「弱虫の平和主義」だから、相手を論破するなんてできない(実力もないしね)。
でも、ちょっと強くなれている気がして、こんなことを聞いてみた。
「私が那智さんを論破するような女になったら、どうですか?」
「ぐずりがなくならいいよ、ぐずりと論破両方は手に負えない。」
ごもっともなお返事でした。
ある日のこと。
畳の上に寝転がされて、那智さんは鞭を用意している。
ああ、ここで打たれるんだと覚悟をする。
うつ伏せに寝転んだまま。
「ドア閉めてください。」(ホテルの部屋の内側のドアが開いているんだもの、気になって大きな声出せない)
「枕を取ってもらえませんか?」(痛みに耐えるアイテムが欲しいもの)
別のシーンで。
マッサージ機で狂いながら。
「もっとここを濡らしてくれませんか?痛くなるの嫌だから。」
私は変化している(笑)
前はそんなこと言えなかった。
飛ぶ準備や快感優先の言動。
那智さんが私に課していることは多くない。
「嘘を付かないこと」と「素直に心を伝えること」
それに則って、それ以外で、変化している。
ああ、いけない、「羞恥心をなくさないで」もあったんだ!
でも、大丈夫、私があからさまな態度に出たら、あとでいっぱい意地悪言って私を困らせてくれるから。
私は素直にしていれば、大丈夫。
土台をしっかり据えて、あとは変化を受け入れる。
しなやかに、形を変えていけることが、ずっと一緒にいられるコツかもしれない、上手に実践したい。
受け入れてね、那智さん♪
だから、「ご主人様と奴隷」というような様式美には当てはまらないかもしれない。
もうひとつ聞いてみた。
「もし私が那智さんと同じくらい強くなって、あなたを尊敬できなくなったらどうします?」
「大丈夫、学生の頃にお世話になって尊敬している先生に、自分が大人になってえらくなって同窓会で会っても、やっぱり尊敬する先生には変わらないだろ?だから、先生は一生先生なの(笑)」
これも都合良く、ごもっともです。
わたしはあなたのもの、あなたのすることは何でも幸せ、と言って憚らない私ですが、人間同士の付き合いなので、ずっと舌出して「わん!」って言っているわけにもいかない。
最近はご指導の賜物で、随分と自分で判断ができるようになってきました。
以前は、何でもかまわず(家庭のことまで!)事細かくいちいち那智さんに聞いて、判断してもらってってしないと、不安でしょうがなかったのだけど、いまは深刻なこと以外は事後報告もしくは、まったく触れないなんてことも、しばしば。
それでも、基本は「那智さんなら、どうするか」という判断基準があるから、まだまだ自律にはほど遠い。
(余談ですが、自立と自律を辞書で引いてみたら、自立は「自分の力で生活できる」まあ、これは経済面も含めて自分で生きられることをいうみたいで、自律は「自分で決めた規則に従うこと」こちらは他人に左右されない心のことを言っているように思いました。「那智さんが判断基準」という規則で生きている私は、ある意味自律している!?)
愛している、とても大切ということが土台にあれば、二人の関係が変化していくことは悪いことじゃない。
むしろ、変化していることのほうが自然なはずだと思う。
那智さんは私の「感覚が合う」ところが好きだと言ってくれる。
たまには、違う言葉が聞きたくて、「合うところという言葉以外で、好きなところを表現して」なんてお願いすると、「話せばわかるところ」と言ってくれる(いったいいままでどんな女性たちと付き合ってきたの!?)。
何でも言うことを聞くとか、従順とかじゃないから、私も嬉しい。
特に、最近は多少は強くなってきているから、話し合いの中身も変化しているんじゃないかな。
基本的に私は「弱虫の平和主義」だから、相手を論破するなんてできない(実力もないしね)。
でも、ちょっと強くなれている気がして、こんなことを聞いてみた。
「私が那智さんを論破するような女になったら、どうですか?」
「ぐずりがなくならいいよ、ぐずりと論破両方は手に負えない。」
ごもっともなお返事でした。
ある日のこと。
畳の上に寝転がされて、那智さんは鞭を用意している。
ああ、ここで打たれるんだと覚悟をする。
うつ伏せに寝転んだまま。
「ドア閉めてください。」(ホテルの部屋の内側のドアが開いているんだもの、気になって大きな声出せない)
「枕を取ってもらえませんか?」(痛みに耐えるアイテムが欲しいもの)
別のシーンで。
マッサージ機で狂いながら。
「もっとここを濡らしてくれませんか?痛くなるの嫌だから。」
私は変化している(笑)
前はそんなこと言えなかった。
飛ぶ準備や快感優先の言動。
那智さんが私に課していることは多くない。
「嘘を付かないこと」と「素直に心を伝えること」
それに則って、それ以外で、変化している。
ああ、いけない、「羞恥心をなくさないで」もあったんだ!
でも、大丈夫、私があからさまな態度に出たら、あとでいっぱい意地悪言って私を困らせてくれるから。
私は素直にしていれば、大丈夫。
土台をしっかり据えて、あとは変化を受け入れる。
しなやかに、形を変えていけることが、ずっと一緒にいられるコツかもしれない、上手に実践したい。
受け入れてね、那智さん♪
だから、「ご主人様と奴隷」というような様式美には当てはまらないかもしれない。
もうひとつ聞いてみた。
「もし私が那智さんと同じくらい強くなって、あなたを尊敬できなくなったらどうします?」
「大丈夫、学生の頃にお世話になって尊敬している先生に、自分が大人になってえらくなって同窓会で会っても、やっぱり尊敬する先生には変わらないだろ?だから、先生は一生先生なの(笑)」
これも都合良く、ごもっともです。
ぐずりweek1
独特な幸福感
ちょっと困っちゃった。
今日はランチデート。(会えないからランチデートばっかりです;;)
最近の流行はお昼間のカラオケボックス。
ダイエット中の那智さんには定食は重いから、サンドイッチとかおにぎりを買って軽くすませられるし(本当はここからが重要)個室だからくっつける♪
それでも移動時間を考えたら、カラオケボックスにいるのは良くて40分ってところかな。
身も蓋もないほどせわしない(笑)
「はい、あなた。」
「はい、次私〜。」
みたいな感じ、千切っては投げ、千切っては投げ。
まだ誕生日には少しあるのだけど、那智さんがプレゼントを買ってくれた。
可愛くてエッチな下着と一体どこに着ていくのかしらって感じのドレス。
「俺に会えない時間の暇つぶしに」「家で退屈な時は着て遊べるでしょ」そんな仕様。
でも、せっかくだからとカラオケボックスで着替えてみる。
恥ずかしいからせっせと着替えて、那智さんに見せると、まあ満足していただけたようで、私も嬉しい。
きゃっきゃとはしゃいで、照れ臭いのを誤摩化していると、那智さんがズボンのファスナーを下ろした。
何も言わずにおちんちんを出している。
はしゃいでいた私は、まるで崩れ落ちるように床に座り、那智さんの足下にうずくまってお口を使う。
それからもずっと崩れ落ちるのは止まらない。
何かを崩壊させながら、無我夢中でお口を使う。
どうしよう、嬉しくてしかたない。
那智さんの手が伸びてきてドレスの大きく開いた胸元に押し込み、ブラジャーを着けていない胸を鷲掴みにする。
お口と那智さんの手、それだけでもう気持ち良い。
はしたなく体を揺らし、それと同じリズムで呻く。
「気持ちいいんだ。」
その様子を見て那智さんが聞く。
その問いかけは、むしゃぶりつく私への肯定と受け取って、私はもっと崩れていく。
こうしたかった。
こうしてほしかった。
体と呻き声と「気持ちいい」のお返事の頷きを、また同じリズムで繰り返すだけ。
ただただ夢中でお口を使う。
幸せ。
直接床に座るのが幸せ。
那智さんの足下でフェラチオをするためだけに存在しているようで、幸せ。
一心不乱にそれをする私を肯定してもらえて幸せ。
もしいりん子れを私から奪う何かが起こったら、私はそれに対して殺意を抱いてしまうかもしれないと思うほど、離れたくない。
たくさんメールできている、時間を見付けては声を聞かせてくれている。
私はたくさん愛されている。
でも、こうされて改めて、こんなにもこれを望んでいたのかと思い知らされる。
これとは…?
セックスをすること?
フェラチオ?
鞭?
露出?
全部そうだろうけど、違う。
あなたの足下に崩れ落ち跪き、無心でいる状態。
あなたのためだけに存在していると錯覚(錯覚としておきます)できる状態。
私にはこれがとても必要だと思い知らされたのです。
体をいかせるならば、オナニーでもできる。
縛られたいなら、誰かに縛ってもらえればできなくもない。
快感という体の状態や、SMという行為を望んでいるのではなく、跪く人で決まる精神状態を味わいたくてしょうがないのだと。
二人だけの濃密な空気は、二人にしか作れなくて、それは苦しいほど欲しくてたまらないものになってしまっていると、目の前に突きつけられた感じで、困ってしまった。
那智さんじゃなきゃ、ダメ。
無心で、あなたの為だけに存在していると思える充足感。
私は、那智さんに抱かれることで(いろんなこと全部含めてね)、愛も快感も、この充足感も満たしていたんだ。
だから、困っちゃったの。
電話やメールでたくさん愛をもらえても、オナニーしていっても、それだけじゃ満たしきれないと、気付いちゃったの。(前からわかっていたかな、再認識ですね)
その充足感は「愛してる」じゃない何かで示してもらえないと、満たされない。
会えばもらいやすいのだけど、いまなかなか会えなくて、会わずにもらおうとするならば、那智さんの「よいしょ」って意志が必要で、私ひとりでどうすることもできない。
愛情でも快感でもない、従属感が私にはとても必要なことなのだ。
でも、ストレス解消で私に鞭を振るう人じゃないから、この従属感を与えるには那智さん側の心の余裕が大切なのだ。
だから、忙しいいまは与えてもらえない。
そして、那智さんからじゃなきゃ得られない。
那智さんがいないと、全部が困ってしまうと、再確認して、困ってる。
「那智さんが、いないと困ります。」
漠然とした無意味な訴え。
「え?俺、いるよ。いるから困らないでしょ!?」
あっさりとしたお返事に、なんだかちょっと救われた想いです。
数週間前、ここまで一気に吐き出して、さあ、どうしたもんかと立ち止まる。
これは、カラオケでのエッチな話でもないし、ベタベタなノロケでもない。
更に書きながら、心の中にマグマを抱えているような状態に気付いてしまった。
これは、那智さんとなんとかしないといけない、那智さんになんとかしてもらわないといけないこと。
ブログに載せるものじゃない。
そう思って、書いたものを「下書き」状態にして、保存のスイッチを押した。
ぐずりが始まっちゃった。
ちょっと困っちゃった。
今日はランチデート。(会えないからランチデートばっかりです;;)
最近の流行はお昼間のカラオケボックス。
ダイエット中の那智さんには定食は重いから、サンドイッチとかおにぎりを買って軽くすませられるし(本当はここからが重要)個室だからくっつける♪
それでも移動時間を考えたら、カラオケボックスにいるのは良くて40分ってところかな。
身も蓋もないほどせわしない(笑)
「はい、あなた。」
「はい、次私〜。」
みたいな感じ、千切っては投げ、千切っては投げ。
まだ誕生日には少しあるのだけど、那智さんがプレゼントを買ってくれた。
可愛くてエッチな下着と一体どこに着ていくのかしらって感じのドレス。
「俺に会えない時間の暇つぶしに」「家で退屈な時は着て遊べるでしょ」そんな仕様。
でも、せっかくだからとカラオケボックスで着替えてみる。
恥ずかしいからせっせと着替えて、那智さんに見せると、まあ満足していただけたようで、私も嬉しい。
きゃっきゃとはしゃいで、照れ臭いのを誤摩化していると、那智さんがズボンのファスナーを下ろした。
何も言わずにおちんちんを出している。
はしゃいでいた私は、まるで崩れ落ちるように床に座り、那智さんの足下にうずくまってお口を使う。
それからもずっと崩れ落ちるのは止まらない。
何かを崩壊させながら、無我夢中でお口を使う。
どうしよう、嬉しくてしかたない。
那智さんの手が伸びてきてドレスの大きく開いた胸元に押し込み、ブラジャーを着けていない胸を鷲掴みにする。
お口と那智さんの手、それだけでもう気持ち良い。
はしたなく体を揺らし、それと同じリズムで呻く。
「気持ちいいんだ。」
その様子を見て那智さんが聞く。
その問いかけは、むしゃぶりつく私への肯定と受け取って、私はもっと崩れていく。
こうしたかった。
こうしてほしかった。
体と呻き声と「気持ちいい」のお返事の頷きを、また同じリズムで繰り返すだけ。
ただただ夢中でお口を使う。
幸せ。
直接床に座るのが幸せ。
那智さんの足下でフェラチオをするためだけに存在しているようで、幸せ。
一心不乱にそれをする私を肯定してもらえて幸せ。
もしいりん子れを私から奪う何かが起こったら、私はそれに対して殺意を抱いてしまうかもしれないと思うほど、離れたくない。
たくさんメールできている、時間を見付けては声を聞かせてくれている。
私はたくさん愛されている。
でも、こうされて改めて、こんなにもこれを望んでいたのかと思い知らされる。
これとは…?
セックスをすること?
フェラチオ?
鞭?
露出?
全部そうだろうけど、違う。
あなたの足下に崩れ落ち跪き、無心でいる状態。
あなたのためだけに存在していると錯覚(錯覚としておきます)できる状態。
私にはこれがとても必要だと思い知らされたのです。
体をいかせるならば、オナニーでもできる。
縛られたいなら、誰かに縛ってもらえればできなくもない。
快感という体の状態や、SMという行為を望んでいるのではなく、跪く人で決まる精神状態を味わいたくてしょうがないのだと。
二人だけの濃密な空気は、二人にしか作れなくて、それは苦しいほど欲しくてたまらないものになってしまっていると、目の前に突きつけられた感じで、困ってしまった。
那智さんじゃなきゃ、ダメ。
無心で、あなたの為だけに存在していると思える充足感。
私は、那智さんに抱かれることで(いろんなこと全部含めてね)、愛も快感も、この充足感も満たしていたんだ。
だから、困っちゃったの。
電話やメールでたくさん愛をもらえても、オナニーしていっても、それだけじゃ満たしきれないと、気付いちゃったの。(前からわかっていたかな、再認識ですね)
その充足感は「愛してる」じゃない何かで示してもらえないと、満たされない。
会えばもらいやすいのだけど、いまなかなか会えなくて、会わずにもらおうとするならば、那智さんの「よいしょ」って意志が必要で、私ひとりでどうすることもできない。
愛情でも快感でもない、従属感が私にはとても必要なことなのだ。
でも、ストレス解消で私に鞭を振るう人じゃないから、この従属感を与えるには那智さん側の心の余裕が大切なのだ。
だから、忙しいいまは与えてもらえない。
そして、那智さんからじゃなきゃ得られない。
那智さんがいないと、全部が困ってしまうと、再確認して、困ってる。
「那智さんが、いないと困ります。」
漠然とした無意味な訴え。
「え?俺、いるよ。いるから困らないでしょ!?」
あっさりとしたお返事に、なんだかちょっと救われた想いです。
数週間前、ここまで一気に吐き出して、さあ、どうしたもんかと立ち止まる。
これは、カラオケでのエッチな話でもないし、ベタベタなノロケでもない。
更に書きながら、心の中にマグマを抱えているような状態に気付いてしまった。
これは、那智さんとなんとかしないといけない、那智さんになんとかしてもらわないといけないこと。
ブログに載せるものじゃない。
そう思って、書いたものを「下書き」状態にして、保存のスイッチを押した。
ぐずりが始まっちゃった。
ぐずりweek2
独特な幸福感
カラオケボックスでフェラチオをして崩れ落ち、切実に「従属感」を必要としていると気付く。
そんなこといままでだって、当然のように思っていたことのはずなのに、突然目の前に大きな壁になってそそり立ち、私を途方に暮れさせる。
SMをしてほしいのか、ただの欲求不満なのか、わからない。
でも、お尻を叩けば、それでOKって思えそうもなくて、どう伝えたらよいか頭を抱える。
「私に集中してほしい」
その気持ちをこう表現して、那智さんに伝えた。
「悲しい、素直になれない。もっと私に集中してほしい。」
とても照れ臭い話だけど、那智さんは毎朝お仕事場の最寄り駅からお仕事場に向かって歩いている間電話をくれる、そして、お仕事の合間、煙草を吸う度に電話をくれる。
帰り道も同じように歩きながら電話をしてくれる。
もうひとつのお仕事場に戻って来て、また夜お話ししてくれる、この時は多いときで2時間くらい、少ないときは「おやすみ」だけ。(2時間なんてときはたまにね)
お仕事が変わって、ひとりの時間が減った那智さんの、これ以上どうすることもできないくらい私と繋がるようにしてくれている表れだ。
そして、いままでひとりでお仕事をしていたときには、いまよりも少したくさんお話しできていたとはいえ、仕事しながらとか、パソコンで遊びながらだったりしていたから、私の「もっと私に集中して」という言葉は、摩訶不思議な理解不能な言葉だったようだ。
これ以上どうしろと、それにいままでだってけっこう「ながら」だったから、集中している時間なんて、それほど変わっていないだろう?
その集中の意味がわからないから、整理して説明のメールを送りなさい。
そう言って、電話を切りフィットネスに行ってしまった。
涙を拭き、コーヒーを煎れ深呼吸して、パソコンへ向かう。
前の記事に書いたようなことを、ノロノロとキーボードを叩きながら進めていく。
本当はメールをそのまま載せようかと思ったのだけど、それこそ羞恥プレイになってしまうから、やめときます。
それに、私の支離滅裂を晒しているようで、これも恥ずかしい。
まとめてみるけど、上手にできるかな〜。
まず、電話やメールの頻度については、これ以上ないくらい与えてもらっているかな、本当に感謝していること。
そして、「愛」や「快感」とは別に「あなたのもの」と感じることが、私を幸福にさせとても必要だ。
SMをすれば感じられやすいのだけど、那智さんが「俺の物」と感じてそれを表してくれれば、それだけでも感じられる。
日々、電話や抱かれることで、愛と快感をもらいながら、アンテナを張り巡らし「あなたのもの」と思える瞬間を探している。
那智さんが「俺の物」と自然発生して表してくれている(と私が感じられる)ことは、酷いことじゃなくても、会話の端々ででも感じられるので、長い時間(パソコンや仕事しながらでも)お話ししていたり会っていたりすると、アンテナに引っ掛かりやすいのだ。
「私に集中してほしい」という言葉は、最近の多忙でそうなりにくい最近の状態を意味していたみたい、そしてそれが欲しいということ。(ああ、ここまで書いていて、ただ長話がしたいだけか!?と自分でツッコミ入れときます^^;)
「射精してすっきりみたいな感じになれないのは、女だからなのか、「従属感」が必要な女だからなのか、計りかねるのですが。
甘えさせてくださって、ありがとうございました。
そして、整理してメールするように、指示してくださってありがとうございました。
落ち着きました。」
最後はこんな言葉で、長いメールをおしまいにして送信する。
那智さんは「集中」の感覚が理解できて、そこは納得できたみたい。
「いま、できる限り最大限時間を使っているから、これ以上の頻度や時間は無理」
わかっています。
でも、何か救いはないものか、私のこの寂しさが治まる言葉は何なのか。
自分でも答えがわからず、いろんな餌を蒔き何か引っ掛からないかともがいてみる。
「那智さんが『俺の物』って、思える瞬間はどんなときですか?」
しばらく考えている、きっと那智さんにとって「そう思える」ことが重要で、どうしたらというような方法は考えたことがあまりないみたい。
「社会性かな。」
不倫の関係だから、二人と世間に社会性を持たせることは難しい。
ただ、広い意味で言えば、お外デートもハプニングバーも那智さんにとっては社会性のようだ。
実は、那智さんの信頼できる友人には私のことは話している、那智さんにとってはそれが「俺の物」と感じる一例。
私は、違う。
どちらかというと、二人だけの濃密な空気の中で、行われることで感じる。
ああ、とても残念なことに、ここに違いが生じている。
もう、違うの、私はあなたに翻弄されたいの、どうしてわかってくれないの!?
ただの欲求不満と言われてしまえば、それまでなんだけど、私には那智さんの波に揉まれることがとても必要なの、それが時間的にできないなら、せめて言葉で示して、りん子をどうしたいか聞かせて。
この違いに打ちのめされ、私は泣きながら訴える。
「那智さん、今度私を抱く時には、もう蹴っ飛ばして引きずり回して、髪を引っ張って、グチャグチャのボロボロにしてください。」
情けない、でも、那智さんにしれもらわないと、まったく意味がないんだもの。
那智さんも、それには「はい、はい」と答えてくれるけれど、まだ私の悲しさの原因が掴めていないようで釈然としていない様子。
だって、私自身も、何が何だかわかっていないのだもの。
それから、会える時間の話になる。
ランチデート以外で、おそらくひと月に一回くらいだろうということだ。
「じゃあ、一年間で12回しかきちんと抱いてもらえないの?10年間で120回しかきちんと抱いてもらえないの?20年間で…。」
馬鹿な話をしているのはわかっていても、涙が溢れて止まらない。(この時点で、20年…まだいけるのか?とか、20年で240回って数だけ見ればいっぱいね、なんて思ったりもしている 笑)
那智さんも、呆れてるだろう。
でも、こうやって感傷的な涙を流せたということは、私たちの間では「素直なりん子」ということになるだろうから、よしよしという気持ちにもなっているはずだ。
多分、寂しいの一部はこれだったみたい。
会えないのは、寂しい。
でも、進路を提示されれば、人は落ち着けるものだ。
お仕事が変わって、先の話をきちんとしたことがなかったから、その部分の不安は拭い去れた。
これで今日は大丈夫そうだ。
そして、これからも落ち着けるだろう。
この日は電話を切った。
一部が払拭されて、すっきりした。
でも、私の心の中には、二人の相違点が残り、これもいつか悲しい原因に成長しちゃうだろうなと想像ができていた。
大きな悲しみに育つ前に、那智さんに聞いてもらおう。
その日は、それで眠りに就いた。
結局、その話をする時間がなかなか取れず、気がつけば大きな「寂しい」に成長してしまっていた。
まだ、根本のくすぶりは解決できていなかった。
りん子(^-^)今日も過去エントリーに拍手たくさんいただけた。うれしいな。忘れているエントリーもあって新鮮です。
で、ひとつがこれ。7年前の2007年。当時のわたしはぐずぐず全開(笑)いまでもぐるぐるはあるけれど訓練のお陰でずいぶん感情を整理し心を言葉にできるようになったと思う。ずっと受け止めてくれた那智さんの力なんだけど、でも、人は変わりたいと思い続ければ変われるんだよね。
ぐずぐずのわたし恥ずかしいけど、人は変われるよって気持ちを込めて、今日の掘り出し(笑)
「等式」感想、番外編。わ~~懐かしい。俺もこの愚図愚図を良くフォローしていたと思います。(笑)う~ん、確かにりん子は俺が育てたかなと確信できるようなエントリーでした。今読んでも、どうしてくれようと思うようなりん子の話、そうです、人間は性も性格も成長できる生き物なのですね。(笑)
カラオケボックスでフェラチオをして崩れ落ち、切実に「従属感」を必要としていると気付く。
そんなこといままでだって、当然のように思っていたことのはずなのに、突然目の前に大きな壁になってそそり立ち、私を途方に暮れさせる。
SMをしてほしいのか、ただの欲求不満なのか、わからない。
でも、お尻を叩けば、それでOKって思えそうもなくて、どう伝えたらよいか頭を抱える。
「私に集中してほしい」
その気持ちをこう表現して、那智さんに伝えた。
「悲しい、素直になれない。もっと私に集中してほしい。」
とても照れ臭い話だけど、那智さんは毎朝お仕事場の最寄り駅からお仕事場に向かって歩いている間電話をくれる、そして、お仕事の合間、煙草を吸う度に電話をくれる。
帰り道も同じように歩きながら電話をしてくれる。
もうひとつのお仕事場に戻って来て、また夜お話ししてくれる、この時は多いときで2時間くらい、少ないときは「おやすみ」だけ。(2時間なんてときはたまにね)
お仕事が変わって、ひとりの時間が減った那智さんの、これ以上どうすることもできないくらい私と繋がるようにしてくれている表れだ。
そして、いままでひとりでお仕事をしていたときには、いまよりも少したくさんお話しできていたとはいえ、仕事しながらとか、パソコンで遊びながらだったりしていたから、私の「もっと私に集中して」という言葉は、摩訶不思議な理解不能な言葉だったようだ。
これ以上どうしろと、それにいままでだってけっこう「ながら」だったから、集中している時間なんて、それほど変わっていないだろう?
その集中の意味がわからないから、整理して説明のメールを送りなさい。
そう言って、電話を切りフィットネスに行ってしまった。
涙を拭き、コーヒーを煎れ深呼吸して、パソコンへ向かう。
前の記事に書いたようなことを、ノロノロとキーボードを叩きながら進めていく。
本当はメールをそのまま載せようかと思ったのだけど、それこそ羞恥プレイになってしまうから、やめときます。
それに、私の支離滅裂を晒しているようで、これも恥ずかしい。
まとめてみるけど、上手にできるかな〜。
まず、電話やメールの頻度については、これ以上ないくらい与えてもらっているかな、本当に感謝していること。
そして、「愛」や「快感」とは別に「あなたのもの」と感じることが、私を幸福にさせとても必要だ。
SMをすれば感じられやすいのだけど、那智さんが「俺の物」と感じてそれを表してくれれば、それだけでも感じられる。
日々、電話や抱かれることで、愛と快感をもらいながら、アンテナを張り巡らし「あなたのもの」と思える瞬間を探している。
那智さんが「俺の物」と自然発生して表してくれている(と私が感じられる)ことは、酷いことじゃなくても、会話の端々ででも感じられるので、長い時間(パソコンや仕事しながらでも)お話ししていたり会っていたりすると、アンテナに引っ掛かりやすいのだ。
「私に集中してほしい」という言葉は、最近の多忙でそうなりにくい最近の状態を意味していたみたい、そしてそれが欲しいということ。(ああ、ここまで書いていて、ただ長話がしたいだけか!?と自分でツッコミ入れときます^^;)
「射精してすっきりみたいな感じになれないのは、女だからなのか、「従属感」が必要な女だからなのか、計りかねるのですが。
甘えさせてくださって、ありがとうございました。
そして、整理してメールするように、指示してくださってありがとうございました。
落ち着きました。」
最後はこんな言葉で、長いメールをおしまいにして送信する。
那智さんは「集中」の感覚が理解できて、そこは納得できたみたい。
「いま、できる限り最大限時間を使っているから、これ以上の頻度や時間は無理」
わかっています。
でも、何か救いはないものか、私のこの寂しさが治まる言葉は何なのか。
自分でも答えがわからず、いろんな餌を蒔き何か引っ掛からないかともがいてみる。
「那智さんが『俺の物』って、思える瞬間はどんなときですか?」
しばらく考えている、きっと那智さんにとって「そう思える」ことが重要で、どうしたらというような方法は考えたことがあまりないみたい。
「社会性かな。」
不倫の関係だから、二人と世間に社会性を持たせることは難しい。
ただ、広い意味で言えば、お外デートもハプニングバーも那智さんにとっては社会性のようだ。
実は、那智さんの信頼できる友人には私のことは話している、那智さんにとってはそれが「俺の物」と感じる一例。
私は、違う。
どちらかというと、二人だけの濃密な空気の中で、行われることで感じる。
ああ、とても残念なことに、ここに違いが生じている。
もう、違うの、私はあなたに翻弄されたいの、どうしてわかってくれないの!?
ただの欲求不満と言われてしまえば、それまでなんだけど、私には那智さんの波に揉まれることがとても必要なの、それが時間的にできないなら、せめて言葉で示して、りん子をどうしたいか聞かせて。
この違いに打ちのめされ、私は泣きながら訴える。
「那智さん、今度私を抱く時には、もう蹴っ飛ばして引きずり回して、髪を引っ張って、グチャグチャのボロボロにしてください。」
情けない、でも、那智さんにしれもらわないと、まったく意味がないんだもの。
那智さんも、それには「はい、はい」と答えてくれるけれど、まだ私の悲しさの原因が掴めていないようで釈然としていない様子。
だって、私自身も、何が何だかわかっていないのだもの。
それから、会える時間の話になる。
ランチデート以外で、おそらくひと月に一回くらいだろうということだ。
「じゃあ、一年間で12回しかきちんと抱いてもらえないの?10年間で120回しかきちんと抱いてもらえないの?20年間で…。」
馬鹿な話をしているのはわかっていても、涙が溢れて止まらない。(この時点で、20年…まだいけるのか?とか、20年で240回って数だけ見ればいっぱいね、なんて思ったりもしている 笑)
那智さんも、呆れてるだろう。
でも、こうやって感傷的な涙を流せたということは、私たちの間では「素直なりん子」ということになるだろうから、よしよしという気持ちにもなっているはずだ。
多分、寂しいの一部はこれだったみたい。
会えないのは、寂しい。
でも、進路を提示されれば、人は落ち着けるものだ。
お仕事が変わって、先の話をきちんとしたことがなかったから、その部分の不安は拭い去れた。
これで今日は大丈夫そうだ。
そして、これからも落ち着けるだろう。
この日は電話を切った。
一部が払拭されて、すっきりした。
でも、私の心の中には、二人の相違点が残り、これもいつか悲しい原因に成長しちゃうだろうなと想像ができていた。
大きな悲しみに育つ前に、那智さんに聞いてもらおう。
その日は、それで眠りに就いた。
結局、その話をする時間がなかなか取れず、気がつけば大きな「寂しい」に成長してしまっていた。
まだ、根本のくすぶりは解決できていなかった。
りん子(^-^)今日も過去エントリーに拍手たくさんいただけた。うれしいな。忘れているエントリーもあって新鮮です。
で、ひとつがこれ。7年前の2007年。当時のわたしはぐずぐず全開(笑)いまでもぐるぐるはあるけれど訓練のお陰でずいぶん感情を整理し心を言葉にできるようになったと思う。ずっと受け止めてくれた那智さんの力なんだけど、でも、人は変わりたいと思い続ければ変われるんだよね。
ぐずぐずのわたし恥ずかしいけど、人は変われるよって気持ちを込めて、今日の掘り出し(笑)
「等式」感想、番外編。わ~~懐かしい。俺もこの愚図愚図を良くフォローしていたと思います。(笑)う~ん、確かにりん子は俺が育てたかなと確信できるようなエントリーでした。今読んでも、どうしてくれようと思うようなりん子の話、そうです、人間は性も性格も成長できる生き物なのですね。(笑)