マリオネットツアー
独特な幸福感
『人として正しいか別で』シリーズの第二弾。
地図を眺めるわたしにバイクを運転しながら電話越しに道案内する那智さん、こんな普通大人なそんなことで喜ぶ?というようなふたりの付き合い方です^^
人として正しいかは別のお話として読んでね^^
新幹線で西の街へいった。
お昼から4、5時間、ぽっかりとひとりに時間ができてしまった。
さあ、どうしようかな。
こう見えてもわりとひとりで行き当たりばったりで行動するのキライじゃない。
ただ、わりと、本でも買って同じ場所にずっとじっとしていることもキライじゃなかったりもする。
さて、どうしようかな。
前に那智さんに、そこに行くなら○○城と○○くらいは見ておいたら?と言われていたし、お天気もいいし、ちょっと出かけてみるかぁと電車に乗る。
電車に乗ってから携帯片手に下車駅をちゃんと調べるような、下調べゼロの観光。
こういうこともけっこう好き^^
ただちょっと心配事があって、○○城までは行くとしてももう少し足を伸ばして○○まで行くかどうかまだ迷い中ではあった。
靴が壊れかけていたのだ^^;
とてもお気に入りの編み上げのショートブーツ。
もう15年くらい履いていた。
ところどころ革が剥げいいカンジのボロ感を醸し出しておりましたが、とうとうこの前の日に4センチほどある踵が半分から『モロッ』と取れてしまった。
ちょうどお世話になっていたお宅におじゃまするところだったから瞬間接着剤をお借りしてとりあえずくっつけたのだけど、どこでまた壊れるかわからない。
もし、また取れてしまったら、コンビニで接着剤を買って、それでもダメなら早めに繁華街に戻って新しく靴を買おうか、そんなこともあったので、どこまで遠出しようかなと迷い中だったのだ。
ひとまず○○城駅まで到着。
お城までしばらく公園内を歩く。
やっとお城の近くまできたとき。
急に片方の足が、スカッとした。
あ、やばい!!
最初に踵が取れたときと同じ感触だ!!
さりげなく立ち止まり、さりげなく振り返ると半歩後ろに半月型の踵の残骸。
まさか皆さん踵が落ちているとは思うまい。
でもかなり情けない状態なので、そそくさと拾う。
うぅわ、どうしよう。
周囲にコンビニなんてない。
売店はあるけど人だかりができていてそこで接着剤を借りるのは恥ずかしい、万が一なかったら恥をかきに行くようなものだ。(こういうとき異常に自意識過剰になっちゃうんだよね、とほほ)
と、カバンに踵の残骸を忍ばせて、とりあえず駅のほうまで戻ろう。
ほとんどお城は見ずに引き返す。
ここで気を付けないといけないのは、接着剤で付けることを考えてブーツのほうの踵をこれ以上モロモロにさせないことだ。
擦り減ってしまっては、くっつくものもくっつかない。
ちょうとブーツカットのジーンズを履いていたので、足元は隠せる。
『あれ?あの人、踵モロモロ?』なんて気づかれることはないはずだ。
だから、まるで何ごともないように、わたしはほんのちょっと左足だけ踵を浮かせてつま先立ちで歩いた。
それなのに道を間違えてしまって駅になかなか辿り着いてくれない。
左足のふくらはぎがぷるぷるしだしたころ、なんてラッキー、ホテルがあるではないか!!
さりげなくドアマンに目で会釈して、さりげなくフロントに近づく。
若い女性のフロントだ。
うう、恥ずかしい。
でもここはなり振りかまっていられない。
事情を説明して接着剤を貸してもらった。
大きなホテルのフロントで靴の踵に接着剤を塗る…情けない…^^;
見ると、昨日付けたところとは違うところから取れていた。
うう、どうやら、靴としての寿命が来たということなのかな。
やっぱり○○まで行くのはやめにして繁華街に戻って新しく靴を買おう。
そう思ってホテルを出たところで那智さんから電話がかかってきた。
「おざぶざ〜ん(笑)」
地獄に仏?
わたしは降り掛かった災難を泣き笑いで話す。
「バカじゃないの(笑)で、どうするの?」
ひと通り話し終わって聞かれたので、近くにコンビニも見当たらないから繁華街に戻って接着剤か靴を買おうと思うと答えると。
「まだ時間あるんだろ?それなら、○○まで行けよ〜(笑)」
あらら、いきなり指示ですか?
「え〜、わたし○○まで行くの?」
「そう、で、串あげ食べるんだよ〜」
「わあ、わたし、那智さんのいう通り?」
「そう、いう通り^^」
あらら、もう決定。
那智さんの意思で○○ゆきが決定してしまった。
うう、いう通り、うれしい^^
「いま○○城駅だろ…200m先に○○ストアがある。駅前の幹線道路を西に200m」
「ええ?那智さん調べてくれたのですか?」
パソコンの前に座っているんだ。
それで調べてくれたんだ。
「うん、ちょっと離れてるね。そこで接着剤買えば安心だろ?」
「う〜ん、でも、ちょっと200mも歩くなら、このまま電車に乗って○○のある駅まで行ってしまいたいです」
「…、じゃあ…、○○方面の電車、5分発があるからそれに乗って」
「はーい^^」
強制マリオネットツアーのはじまりだ^^
電車を待っている間。
「那智さんの入った串あげ屋さんに行きたーい」と話していたら、お店情報を添付したメールが届く。
次に『○○駅で乗り換え、20分発○○行き、○○駅下車』と乗り換え案内のメール。
わあ、すごいすごい、那智さん、楽しい^^
下車駅に到着。
さっそく電話をかける。
「南口から出て」
「あ〜、はいはい、ありました。○○方面って書いてあります」
改札を出る。
「じゃあ、いくよ^^駅を背にして左に進む。右手に○○スーパーがあるだろ?信号を渡って、そこを右に曲がる」
「はい、ありました〜。信号待ちしてます。渡りまーす。なんか楽しい^^」
「曲がったら、3つめの路地、そうだな30mくらいね、それを左」
「みっつ。みっつ。たぶん、ここかなぁ」
「曲がったら、左にロー○ンがあるよ。そこで買いな」
「ありました、ありました。買います〜」
いわれた通り右に曲がり、いわれた通り3つめを探す。
いわれたものが見つかったときのうれしさ、トランプを同時にめくって出たカードが同じだったようなありもしないテレパシーのうれしさだ。
ああ、たのしい。
遠隔操作、マリオネット状態^^
コンビニで接着剤を買い、そこから那智さんの入ったお店までまたマリオネット。
「その最初の角に元祖○○って店、あるだろ?」
あ〜、はい、あります、あります。
那智さんが行ったことのあるお店だ。
でも見ると長い行列ができている。
そこまで並びたくないな〜。
「すごく並んでます〜。那智さんが入ったお店に入りいけど、こんなに並ぶのはイヤですよ」
とクレーム。
「ったく、しょうがねぇなー…じゃあ、いま来た道を戻って」
「はーい^^」
口コミか何かを見てくれたのだろう。
第二、第三の候補をあげてくれて、また道案内。
わたしは那智さんの声を頼りに見知らぬ街をキョロキョロと宝探しのようにたのしむ。
携帯片手にひとり串あげ屋に並び、横は入りしそうなおにいちゃんに携帯片手に『並んでるよ』と文句いい、なんだかひとりなんだけどひとりじゃない、不思議なひとりだった。
その街はいまではずいぶん観光地化されているけど、ひと昔前はかなり危険な場所だったそうだ。
そんなこともあったし、きっと付き合ってくれたのだろう。
でも、ふと、思って聞いてみる。
「那智さん、これって良くないことですか?何でも那智さんのいう通り」
普段はここまでしないだろ?今日はたまたま遊んだだけ。
それに、りん子はこうされることがうれしいだろ?
そう。
あまりそう思われていないかもしれないけど^^;、わりとわたしはひとりでも平気。
行き当たりばったりで迷ったりすることも、キライじゃない。
だけど那智さんのいう通りになることが、好きなのだ。
クラリスが布をかけてもらって眠りに落ちるように。
那智さんの意思がわたしの意志と感じられることが幸せなのだ。
で、たぶん、那智さんは彼の思いつく方法でわたしを楽しませることが好きなのだ。
携帯でずっと道案内してもらいながら観光する。
行き先を決めてもらって、それに従う。
…人として正しいか、それは別の話で^^;
これは無理なことでいう通りにさせようと思っていないから、成立することは充分承知の上で。
わたしたちは、こういう関係が心地よい、ちょっと特殊な愛し合い方^^
あ、でも、『すごく並んでいる』とクレームをつけるあたり、意思のないマリオネットとは言い難いけど^^;
『人として正しいか別で』シリーズの第二弾。
地図を眺めるわたしにバイクを運転しながら電話越しに道案内する那智さん、こんな普通大人なそんなことで喜ぶ?というようなふたりの付き合い方です^^
人として正しいかは別のお話として読んでね^^
新幹線で西の街へいった。
お昼から4、5時間、ぽっかりとひとりに時間ができてしまった。
さあ、どうしようかな。
こう見えてもわりとひとりで行き当たりばったりで行動するのキライじゃない。
ただ、わりと、本でも買って同じ場所にずっとじっとしていることもキライじゃなかったりもする。
さて、どうしようかな。
前に那智さんに、そこに行くなら○○城と○○くらいは見ておいたら?と言われていたし、お天気もいいし、ちょっと出かけてみるかぁと電車に乗る。
電車に乗ってから携帯片手に下車駅をちゃんと調べるような、下調べゼロの観光。
こういうこともけっこう好き^^
ただちょっと心配事があって、○○城までは行くとしてももう少し足を伸ばして○○まで行くかどうかまだ迷い中ではあった。
靴が壊れかけていたのだ^^;
とてもお気に入りの編み上げのショートブーツ。
もう15年くらい履いていた。
ところどころ革が剥げいいカンジのボロ感を醸し出しておりましたが、とうとうこの前の日に4センチほどある踵が半分から『モロッ』と取れてしまった。
ちょうどお世話になっていたお宅におじゃまするところだったから瞬間接着剤をお借りしてとりあえずくっつけたのだけど、どこでまた壊れるかわからない。
もし、また取れてしまったら、コンビニで接着剤を買って、それでもダメなら早めに繁華街に戻って新しく靴を買おうか、そんなこともあったので、どこまで遠出しようかなと迷い中だったのだ。
ひとまず○○城駅まで到着。
お城までしばらく公園内を歩く。
やっとお城の近くまできたとき。
急に片方の足が、スカッとした。
あ、やばい!!
最初に踵が取れたときと同じ感触だ!!
さりげなく立ち止まり、さりげなく振り返ると半歩後ろに半月型の踵の残骸。
まさか皆さん踵が落ちているとは思うまい。
でもかなり情けない状態なので、そそくさと拾う。
うぅわ、どうしよう。
周囲にコンビニなんてない。
売店はあるけど人だかりができていてそこで接着剤を借りるのは恥ずかしい、万が一なかったら恥をかきに行くようなものだ。(こういうとき異常に自意識過剰になっちゃうんだよね、とほほ)
と、カバンに踵の残骸を忍ばせて、とりあえず駅のほうまで戻ろう。
ほとんどお城は見ずに引き返す。
ここで気を付けないといけないのは、接着剤で付けることを考えてブーツのほうの踵をこれ以上モロモロにさせないことだ。
擦り減ってしまっては、くっつくものもくっつかない。
ちょうとブーツカットのジーンズを履いていたので、足元は隠せる。
『あれ?あの人、踵モロモロ?』なんて気づかれることはないはずだ。
だから、まるで何ごともないように、わたしはほんのちょっと左足だけ踵を浮かせてつま先立ちで歩いた。
それなのに道を間違えてしまって駅になかなか辿り着いてくれない。
左足のふくらはぎがぷるぷるしだしたころ、なんてラッキー、ホテルがあるではないか!!
さりげなくドアマンに目で会釈して、さりげなくフロントに近づく。
若い女性のフロントだ。
うう、恥ずかしい。
でもここはなり振りかまっていられない。
事情を説明して接着剤を貸してもらった。
大きなホテルのフロントで靴の踵に接着剤を塗る…情けない…^^;
見ると、昨日付けたところとは違うところから取れていた。
うう、どうやら、靴としての寿命が来たということなのかな。
やっぱり○○まで行くのはやめにして繁華街に戻って新しく靴を買おう。
そう思ってホテルを出たところで那智さんから電話がかかってきた。
「おざぶざ〜ん(笑)」
地獄に仏?
わたしは降り掛かった災難を泣き笑いで話す。
「バカじゃないの(笑)で、どうするの?」
ひと通り話し終わって聞かれたので、近くにコンビニも見当たらないから繁華街に戻って接着剤か靴を買おうと思うと答えると。
「まだ時間あるんだろ?それなら、○○まで行けよ〜(笑)」
あらら、いきなり指示ですか?
「え〜、わたし○○まで行くの?」
「そう、で、串あげ食べるんだよ〜」
「わあ、わたし、那智さんのいう通り?」
「そう、いう通り^^」
あらら、もう決定。
那智さんの意思で○○ゆきが決定してしまった。
うう、いう通り、うれしい^^
「いま○○城駅だろ…200m先に○○ストアがある。駅前の幹線道路を西に200m」
「ええ?那智さん調べてくれたのですか?」
パソコンの前に座っているんだ。
それで調べてくれたんだ。
「うん、ちょっと離れてるね。そこで接着剤買えば安心だろ?」
「う〜ん、でも、ちょっと200mも歩くなら、このまま電車に乗って○○のある駅まで行ってしまいたいです」
「…、じゃあ…、○○方面の電車、5分発があるからそれに乗って」
「はーい^^」
強制マリオネットツアーのはじまりだ^^
電車を待っている間。
「那智さんの入った串あげ屋さんに行きたーい」と話していたら、お店情報を添付したメールが届く。
次に『○○駅で乗り換え、20分発○○行き、○○駅下車』と乗り換え案内のメール。
わあ、すごいすごい、那智さん、楽しい^^
下車駅に到着。
さっそく電話をかける。
「南口から出て」
「あ〜、はいはい、ありました。○○方面って書いてあります」
改札を出る。
「じゃあ、いくよ^^駅を背にして左に進む。右手に○○スーパーがあるだろ?信号を渡って、そこを右に曲がる」
「はい、ありました〜。信号待ちしてます。渡りまーす。なんか楽しい^^」
「曲がったら、3つめの路地、そうだな30mくらいね、それを左」
「みっつ。みっつ。たぶん、ここかなぁ」
「曲がったら、左にロー○ンがあるよ。そこで買いな」
「ありました、ありました。買います〜」
いわれた通り右に曲がり、いわれた通り3つめを探す。
いわれたものが見つかったときのうれしさ、トランプを同時にめくって出たカードが同じだったようなありもしないテレパシーのうれしさだ。
ああ、たのしい。
遠隔操作、マリオネット状態^^
コンビニで接着剤を買い、そこから那智さんの入ったお店までまたマリオネット。
「その最初の角に元祖○○って店、あるだろ?」
あ〜、はい、あります、あります。
那智さんが行ったことのあるお店だ。
でも見ると長い行列ができている。
そこまで並びたくないな〜。
「すごく並んでます〜。那智さんが入ったお店に入りいけど、こんなに並ぶのはイヤですよ」
とクレーム。
「ったく、しょうがねぇなー…じゃあ、いま来た道を戻って」
「はーい^^」
口コミか何かを見てくれたのだろう。
第二、第三の候補をあげてくれて、また道案内。
わたしは那智さんの声を頼りに見知らぬ街をキョロキョロと宝探しのようにたのしむ。
携帯片手にひとり串あげ屋に並び、横は入りしそうなおにいちゃんに携帯片手に『並んでるよ』と文句いい、なんだかひとりなんだけどひとりじゃない、不思議なひとりだった。
その街はいまではずいぶん観光地化されているけど、ひと昔前はかなり危険な場所だったそうだ。
そんなこともあったし、きっと付き合ってくれたのだろう。
でも、ふと、思って聞いてみる。
「那智さん、これって良くないことですか?何でも那智さんのいう通り」
普段はここまでしないだろ?今日はたまたま遊んだだけ。
それに、りん子はこうされることがうれしいだろ?
そう。
あまりそう思われていないかもしれないけど^^;、わりとわたしはひとりでも平気。
行き当たりばったりで迷ったりすることも、キライじゃない。
だけど那智さんのいう通りになることが、好きなのだ。
クラリスが布をかけてもらって眠りに落ちるように。
那智さんの意思がわたしの意志と感じられることが幸せなのだ。
で、たぶん、那智さんは彼の思いつく方法でわたしを楽しませることが好きなのだ。
携帯でずっと道案内してもらいながら観光する。
行き先を決めてもらって、それに従う。
…人として正しいか、それは別の話で^^;
これは無理なことでいう通りにさせようと思っていないから、成立することは充分承知の上で。
わたしたちは、こういう関係が心地よい、ちょっと特殊な愛し合い方^^
あ、でも、『すごく並んでいる』とクレームをつけるあたり、意思のないマリオネットとは言い難いけど^^;
せいしょり
非日常的な日常
先にカラオケボックスにチェックインしておく。
そのほうが早くドリンクがくるから、遅れてきた那智さんにすぐに可愛がってもらえる。
部屋からはなくチェックインのときにオーダーして、外から比較的死角の部屋番号を指定する。
灰皿も忘れない。
淡々とこなすけど気持ちは全然慣れてくれない。
先にひとりでカラオケボックスに入るという行為はいつまで経っても居心地悪い。
でも背に腹は変えられない。
とても切羽詰まっていたからだ。
部屋に入り無意味な宣伝のボリュームを下げる。
空調をチェックするころ、携帯が鳴る。
きゃあ、きゃあ、那智さん^^
もう数日前から欲情している。
『那智さん肌恋しい』状態だ。
「もうすぐ行くよ〜。そこで何をしてほしい?(笑)」
「なにって、くっつきたいです」
「くっつくだけでいいの?(笑)」
那智さん、からかってる。
普段ならかまってもらってうれしいことなのに、なんだか気持ちがちょっと沈む。
冗談いってる場合じゃないという感じだったからだ。
欲情しているからって、ヨダレ垂らしてはぁはぁしちゃってますということではないのだけど、冗談が通じないような静かに切羽詰まった状態だった。
部屋に入ってきた。
見えない尻尾も欲情も恋しいも一気に跳ねる。
我慢ができない。
いつもなら先に買ってきたお昼ご飯を食べるのだけど、そんなことどうでもよくなっている。
那智さん、会いたかった。
ねえ、那智さん、早く早く、くっつかせて、キスをして、体を小さく折りたたんで肩に顔をうずめさせて。
乳首を弾いて、その指でかき回して。
エサを前にした犬のようだ。
荒い息で小さく震える。
たいした会話もせずにスカートに手が伸び指で探る。
「あれ?あんまり濡れてないね」
わかってた。
さっきの電話でちょっと沈んだ気持ちになって心の欲情も沈んだこと。
まったく心は厄介だ。
ううん、厄介なのはおまんこかな。
そんなことは気にしないで無遠慮におまんこをかき回し出す。
やっとだ。
これでやっと切実な思いから解放してもらえる。
もっともっと。
指に押し付ける腰がどんどんソファから落ちていく。
徐々に、指の動きと腰が連動していく。
『那智さん肌恋しい』なんてキレイな言葉でくるんでいるけど、いまのわたしには情緒の欠片もない。
抜いた指、手の甲まで濡れていた。
ひとしきりイッて、やっと落ち着いておにぎりを頬張る。
「なんか、りん子、抜いてるって感じだよな」
うう、たしかに、そうです。
抜いてる。
抜いてもらってます。
だって自分じゃダメなんだもの。
例えば、鞭やわんこで得る快感とかキスやなでなでのように那智さんじゃないと成立しないものは『那智さんじゃなきゃダメ』なことはわかる。
だけど指でクリトリスを刺激しておまんこに入れてかき回すことで解消する体の欲求も、那智さんにしてもらわないと満足できなくなっている。
あなたに見下ろされながら、その指でおちんちんで舌でしてもらわないと解消できない。
(最近またちょっと『おちんぽさま』から遠ざかってます^^;)
だから、こうやって切羽詰まって抜いてもらいに会いに行く。
大好きなんだから会いたいのは大前提だけど、この日はちょっと切実だった。
これは那智さん自身が望んだこと。
オナニーではどうにもならない体に、那智さんが作ったのだ。
「なんか俺、性処理してない?性処理奴隷じゃなくて『性処理ご主人様』?(笑)」
わあ、ほんとですね!!
那智さんじゃなきゃ解決できない心と体ができあがってしまうと、那智さんは『抜き役』を引き受けないといけないのだ。
性処理だ^^;
といことは、ご主人様だけを思いご主人様の精液がほしくて、ご主人様だけに欲情する淫乱な性処理奴隷作りをしようと試みて、せっせと調教していたら、いつのまにか『性処理ご主人様』もできあがってしまうなんてことあるかも。
じゃあ、実は、この世界には意外にも『性処理ご主人様』は多いのかもしれない(笑)
いやいや、これはある意味調教の成果だよね。
ご主人様もお疲れさまです^^
ということで、那智さん『性処理ご主人様』になるのでした^^
先にカラオケボックスにチェックインしておく。
そのほうが早くドリンクがくるから、遅れてきた那智さんにすぐに可愛がってもらえる。
部屋からはなくチェックインのときにオーダーして、外から比較的死角の部屋番号を指定する。
灰皿も忘れない。
淡々とこなすけど気持ちは全然慣れてくれない。
先にひとりでカラオケボックスに入るという行為はいつまで経っても居心地悪い。
でも背に腹は変えられない。
とても切羽詰まっていたからだ。
部屋に入り無意味な宣伝のボリュームを下げる。
空調をチェックするころ、携帯が鳴る。
きゃあ、きゃあ、那智さん^^
もう数日前から欲情している。
『那智さん肌恋しい』状態だ。
「もうすぐ行くよ〜。そこで何をしてほしい?(笑)」
「なにって、くっつきたいです」
「くっつくだけでいいの?(笑)」
那智さん、からかってる。
普段ならかまってもらってうれしいことなのに、なんだか気持ちがちょっと沈む。
冗談いってる場合じゃないという感じだったからだ。
欲情しているからって、ヨダレ垂らしてはぁはぁしちゃってますということではないのだけど、冗談が通じないような静かに切羽詰まった状態だった。
部屋に入ってきた。
見えない尻尾も欲情も恋しいも一気に跳ねる。
我慢ができない。
いつもなら先に買ってきたお昼ご飯を食べるのだけど、そんなことどうでもよくなっている。
那智さん、会いたかった。
ねえ、那智さん、早く早く、くっつかせて、キスをして、体を小さく折りたたんで肩に顔をうずめさせて。
乳首を弾いて、その指でかき回して。
エサを前にした犬のようだ。
荒い息で小さく震える。
たいした会話もせずにスカートに手が伸び指で探る。
「あれ?あんまり濡れてないね」
わかってた。
さっきの電話でちょっと沈んだ気持ちになって心の欲情も沈んだこと。
まったく心は厄介だ。
ううん、厄介なのはおまんこかな。
そんなことは気にしないで無遠慮におまんこをかき回し出す。
やっとだ。
これでやっと切実な思いから解放してもらえる。
もっともっと。
指に押し付ける腰がどんどんソファから落ちていく。
徐々に、指の動きと腰が連動していく。
『那智さん肌恋しい』なんてキレイな言葉でくるんでいるけど、いまのわたしには情緒の欠片もない。
抜いた指、手の甲まで濡れていた。
ひとしきりイッて、やっと落ち着いておにぎりを頬張る。
「なんか、りん子、抜いてるって感じだよな」
うう、たしかに、そうです。
抜いてる。
抜いてもらってます。
だって自分じゃダメなんだもの。
例えば、鞭やわんこで得る快感とかキスやなでなでのように那智さんじゃないと成立しないものは『那智さんじゃなきゃダメ』なことはわかる。
だけど指でクリトリスを刺激しておまんこに入れてかき回すことで解消する体の欲求も、那智さんにしてもらわないと満足できなくなっている。
あなたに見下ろされながら、その指でおちんちんで舌でしてもらわないと解消できない。
(最近またちょっと『おちんぽさま』から遠ざかってます^^;)
だから、こうやって切羽詰まって抜いてもらいに会いに行く。
大好きなんだから会いたいのは大前提だけど、この日はちょっと切実だった。
これは那智さん自身が望んだこと。
オナニーではどうにもならない体に、那智さんが作ったのだ。
「なんか俺、性処理してない?性処理奴隷じゃなくて『性処理ご主人様』?(笑)」
わあ、ほんとですね!!
那智さんじゃなきゃ解決できない心と体ができあがってしまうと、那智さんは『抜き役』を引き受けないといけないのだ。
性処理だ^^;
といことは、ご主人様だけを思いご主人様の精液がほしくて、ご主人様だけに欲情する淫乱な性処理奴隷作りをしようと試みて、せっせと調教していたら、いつのまにか『性処理ご主人様』もできあがってしまうなんてことあるかも。
じゃあ、実は、この世界には意外にも『性処理ご主人様』は多いのかもしれない(笑)
いやいや、これはある意味調教の成果だよね。
ご主人様もお疲れさまです^^
ということで、那智さん『性処理ご主人様』になるのでした^^
ご主人様オフ
独り言
那智さんがツイッターでつぶやいた。
『女性のオフ会は聞くけど男性のはあまり聞かない』
以前パイパン大好きさんのブログでも『ご主人様のオフ会って聞かない』と似たようなことが書かれていたし、同じ男性からしてもなんとなくの素朴な疑問なのでしょうね。
その記事にコメントしたのだけど、それをここでも披露。
女は群れるのが好きで、男は群れないという定説から答えは簡単に想像できると思うけど。
以降『男は女は』と書きますが、概ねそういう傾向があると楽しい話題としてご覧くださいませ。
ついでに一昔前の傾向でもあると思います^^;
以前も書いたけど、女は『共感したい生き物』、もうちょっと詳しくいうと『共感する心地よさを知っている生き物』のだと思ってます。
おいしいよね〜。
うん、おいしいね〜。
小さい頃からおままごとやお人形ごっこで共感を育み、『お花、キレイだね〜』『ぬいぐるみ、かわいいね〜』と共感の心地よさを与えられたのだ。
本当においしいのかどうかよりも、こうやって共感しあうことが心地よいという感覚が強いのもわかる。
反対に男は戦闘ものやヒーローごっこ、一番になることや勝つことを好しとされて育てられたのだ。
共感する心地よさを知る機会を逃しているというところもあるだろう。
そりゃあ群れないわよね^^
そんな男性の集まり。
まして『ご主人様』という2人ないしは数人の小さな小さなコミュティの中でトップに君臨していたい人が、群れたいと思うわけないよね^^
というわけで、男性のオフ会、特にご主人様オフはあまり見かけないのではないでしょうか。
でも男性にも群れることはあると思う。
『女は人に属したくて、男は社会に属していたい』というのを聞いたことがある。
女は『誰かの奥さん』『誰かの女』というように人に属していると安心して、男は社会的な階級や序列に属することが安定するのかな。
会社の役付けや肩書き、暴走族の総長や副総長なんていうもので、集まることに抵抗はないのではないかしら。
強引な想像だけど相撲の番付なんかも、これに近い感覚かも?
それなら、もしかして。
『(株)ご主人様』なんてしたり、『御首仁沙魔連合』なんて作ったらどうたろう。
緊縛課長とか浣腸係長とか言葉責め隊長とか。
役付や階級が出来て役割り分担したら収まりよくなってうまくいくかもしれない?
とふざけたことを考えてしまいました^^;
いや、単に『御首仁沙魔連合』って書きたかっただけなので、大目に見てください。
夜露死苦お願いします(笑)
うう、なんか、わたしが恥ずかしくなってます^^;
<関連エントリー>
『女は共感したい生き物である』
那智さんがツイッターでつぶやいた。
『女性のオフ会は聞くけど男性のはあまり聞かない』
以前パイパン大好きさんのブログでも『ご主人様のオフ会って聞かない』と似たようなことが書かれていたし、同じ男性からしてもなんとなくの素朴な疑問なのでしょうね。
その記事にコメントしたのだけど、それをここでも披露。
女は群れるのが好きで、男は群れないという定説から答えは簡単に想像できると思うけど。
以降『男は女は』と書きますが、概ねそういう傾向があると楽しい話題としてご覧くださいませ。
ついでに一昔前の傾向でもあると思います^^;
以前も書いたけど、女は『共感したい生き物』、もうちょっと詳しくいうと『共感する心地よさを知っている生き物』のだと思ってます。
おいしいよね〜。
うん、おいしいね〜。
小さい頃からおままごとやお人形ごっこで共感を育み、『お花、キレイだね〜』『ぬいぐるみ、かわいいね〜』と共感の心地よさを与えられたのだ。
本当においしいのかどうかよりも、こうやって共感しあうことが心地よいという感覚が強いのもわかる。
反対に男は戦闘ものやヒーローごっこ、一番になることや勝つことを好しとされて育てられたのだ。
共感する心地よさを知る機会を逃しているというところもあるだろう。
そりゃあ群れないわよね^^
そんな男性の集まり。
まして『ご主人様』という2人ないしは数人の小さな小さなコミュティの中でトップに君臨していたい人が、群れたいと思うわけないよね^^
というわけで、男性のオフ会、特にご主人様オフはあまり見かけないのではないでしょうか。
でも男性にも群れることはあると思う。
『女は人に属したくて、男は社会に属していたい』というのを聞いたことがある。
女は『誰かの奥さん』『誰かの女』というように人に属していると安心して、男は社会的な階級や序列に属することが安定するのかな。
会社の役付けや肩書き、暴走族の総長や副総長なんていうもので、集まることに抵抗はないのではないかしら。
強引な想像だけど相撲の番付なんかも、これに近い感覚かも?
それなら、もしかして。
『(株)ご主人様』なんてしたり、『御首仁沙魔連合』なんて作ったらどうたろう。
緊縛課長とか浣腸係長とか言葉責め隊長とか。
役付や階級が出来て役割り分担したら収まりよくなってうまくいくかもしれない?
とふざけたことを考えてしまいました^^;
いや、単に『御首仁沙魔連合』って書きたかっただけなので、大目に見てください。
夜露死苦お願いします(笑)
うう、なんか、わたしが恥ずかしくなってます^^;
<関連エントリー>
『女は共感したい生き物である』
依存(12:45補足ありです)
りん子的独り言(エラそう)
今日のりん子的独り言は『依存体質』全面肯定です。
自傷行為についてもチラッとだけ触れます。
当事者ではないわたしの暴論も含まれていますので、ご了承ください。
ちょっとだけ補足しました。
那智さんからも『その先が書かれていない』と指摘されたので^^;
暴論にちょっぴり親切を足してみました。(太字部分が補足です)
これでも何書いてるんだかわからなかったら、ごめんなさい!!
えっと、『自分を好きになろう』というのがずっと根底に流れている〜と思って読み直してみてください。
(コメントをくださった皆様、親切不足のエントリーからいろいろ読み取ってくださってありがとうございます。わたしの伝えたいことはコメントをくださったときと何も変わっていないので、同じ気持ちでレスいたしますね^^)
『依存体質』『依存願望』と薬指の刺青には『依存』という言葉がたくさん出てきていますけど、実は、わたし、この『依存』という言葉のちゃんとした意味を知りません(ごめんなさい!!)
言葉の意味を知らないくらいだから、例えば医学的?心理学的?な『依存』についてもかなり漠然としたイメージで捉えているだけです。
いまさらながら無責任な感じで申し訳ないですけど、それでもいいかなと思っています。
なぜかというと依存という言葉をあまり悪い意味で使っていないから。
ほら、ネガティブなことをいうときには少し慎重に言葉を選んだほうがいいけど、そうでないなら、漠然としたイメージでもいいかなと。
そんなふうに、若干好意的な感じで使ってます。
国語的にも医学的にも知らないくせに依存という言葉を好意的に使うことには、ひとつの指針がありまして。
何年か前にリストカットやオーバードーズをくり返してしまう人のことを書いたルポを読んだことがある。
そこから抜け出せない人々を取材しているのだ。
著者は明るく彼らを語り、悲惨な話しのはずなのになんだか温かい空気さえ漂う本だったと記憶している。
その著者が作中で語っていた『依存症』の定義。
その本の中では、本人がこの状態は良くないと思っていて抜け出したいと思っているけど、どうしても抜け出さず苦しんでいる状態を『依存症』と定義しているのだ。
『本人が抜け出したいと思っているけど抜け出せない』ことがポイントで、例えば本人が自傷せずにはいられなくて、それをすることで落ち着くなら、それは単にその人の特徴ってことでいいんじゃないか。
まずその状態を全面的に受け入れませんか。
もし抜け出したくて抜け出せず苦しんでいるなら、そこではじめて『依存症』として治療なりアドバイスなりしませんか、ということなのです。
本当はやめたほうがいいことはわかっていてもやめられないことって、家族も友達も社会も本人さえもよってたかってそれを『悪』とする。
これは当人にとっては、行為以外の別の何重もの苦しみになるのだ。
『やめなきゃいけない』『みんなに迷惑かけてる』『みんなを悲しませている』と自責する何重もの苦しみがさらに自傷行為に拍車をかけてしまう。
それならばいっそのこと、依存していても本人がいいならいいじゃない。
やめられないと自責することで余計に苦しくなるなら、ひとまず、一旦、丸ごと受け止めちゃって『抜け出さなくていいじゃん』としてみないかという提案だった。
自分も周囲もリストカットしちゃっうのが、この人の特徴だ。
また傷増えちゃったねって笑い合えたら、何重もの苦しみが一重の苦しみで済むんじゃないか。
全面的に受け入れることからスタートしたらどうだろう。
医者でも学者でもないルポライターが取材して肌で感じたものをそんな内容で書いてあった(記憶曖昧です^^;)
もちろん現実問題としては暴論なことは承知の上で(承知の上ですよ〜)、わたしはこの『それで落ち着くならひとまず全面的に受け入れよう』という考え方が好きなんだ。
社会や自分に責められて『やめられない自分』と自ら負のレッテルを貼ってしまうより。
ひとまず、それを受け入れて、その自分をキライにならなければ(もっというと、好きになれば)、もしかしたら、それは逆に何かにすがらずに生きていかれる第一歩になるのではないかしら。
ちょっと急がば回れ的な暴論で、そう思うのです。
この考え方が根底にあってここでたくさん『依存』という言葉を使っている。(辞書さえ引かず。ごめんなさい)
わたしは依存体質だ。
多分人よりちょっとかまってほしい度合いが高くて、人よりちょっと自分以外の何かに寄りかかってしまう。
表向きは普通に生活できていたから、そんなの『依存体質』と呼ばないと思われる人もいるかもしれないけど、わたし自身はこれにずいぶん苦しまされたので、依存体質と言っちゃいます。
漫然と横たわる飢餓感のようなものが『わたしを』とせき立てる。
まるで何かに取り憑かれているかのようにテレクラに電話をして、飢餓感という泥沼に足を持っていかれまいと友人に電話をする。
テレクラなんて自分を消耗するだけだ。
友人に付き合わせることも申し訳ない。
いけないことだ、申し訳ないという思いが余計にわたしを責める。
わかっているのにやめられない。
気が急いて焦ってハツカネズミがぐるぐると走り続けるような気持ちになる。
那智さんと出会って。
思い切りよりかかっていいと言い続けてくれた。
ダメなときはダメというし、りん子が寄りかかっていると自覚していればいくらでも、と。
(まあ、この自覚がけっこう大変なんだけどね)
依存が悪ではないと教えてくれた。
不思議なもので、悪ではないと思えてそれにどっぷりと浸かり続けると、いつのまにか足元が安定してくる。
自分を責めてしまうようなものに依存しなくても焦燥感は減ってくる。
依存体質はおそらくわたしの特性。
ならばそれと上手に付き合っていこうと思えるようになる。
いまでも、たまーに、那智さん以外のものにずぶずぶとはまりそうになることがある。
そういうときは自分を責めないでいられる安心の依存先さんに頼るのだ。
一年ほど前、携帯をスマートフォンに変えた。
ネットにも繋がりやすいからどんどん携帯を眺める時間が増えてしまった。
特に夜中。
わたしは元々眠りの浅いほうなんだけど、携帯を変えてから浅い眠りのときに携帯をチェックする回数が増えてしまった。
タッチするだけでいいから操作は簡単だし、ネットにも繋がりやすい。
一日置きの深夜0時に更新した後、最初は眠りの浅い時間にコメント来てるかな〜と軽くチェックするだけだったのだけど、だんだん眠りを浅くしてチェックするようになってしまう。
だんだんコメントやメールチェックだけではなく、こんな深夜にそうそう更新されているわけではないのにリンク先や気になるブログをチェックしにいってしまう、何度も何度も。
次第に更新していない夜にも同じように眠りを浅くして携帯を触ってしまう。
いつの間にかコメントやメールが来ているとか来ていないとか関係なく、とにかく携帯を見ることが目的で意味のない行為を夜中に繰り返すようになってしまっていた。
ああ、携帯に依存している。
眠りの浅い夜を過ごすようになり、いよいよまずいなと思った。
見ないほうがいい。
そんな簡単なこと自分で判断すればいいのだけど、依存体質のわたしは依存先さんにお話する。
「那智さん、携帯チェックばかりしてしまって夜眠れなくなっています」
答えは当然。
「夜中に携帯を見なければいい。俺が決めたことを守ればいいでしょ?」
そう、那智さんに決めてもらうことがわたしは幸せだし安心するし、守れる。
那智さんの意思をわたしの意志にさせてもらうのだ。
夜中に眠りが浅くなっても那智さんの決めたことを守ればいいのだから見ない。
安心の毛布をかけてもらって、その日から夜ぐっすり眠れるようになった。
そして、わたしはわたしを好きでいられる。
依存はそんなに『悪』だろうか。
歌うことで気分が晴れる人もいるし本を読みあさる人もいるだろう、活字中毒なんていうしね。
これも見方を変えれば依存ではないだろうか。
でも、なんとなく健全で責められないよね。
それがたまたま一般的に不健全とされているもので落ち着くという人もいるだけのことなんじゃないだろうか。
それに頼ることでその人が穏やかに暮らせるなら、そして依存先(人でも物でも行為でも)が居場所を提供してくれるなら『悪』だけじゃないと思うのだ。
何かに寄りかかることで穏やかでいられる人もいてもいいよね。
誰かにすがらないといられなかったとき。
すがる相手に申し訳ないと思いそんな自分を『ダメな人間』と責めるより、わたしはそういう人^^依存させてくれてありがとう^^って思えたら、どんなに気持ちが軽くなるだろう。
そしてそんな自分を好きになれる。
『やめなきゃ』と自責するより、一旦軽くした心と自分が好きだという心になれるほうが、自分で立つ有効な手だてだと思うのです。
わたしは心穏やかに暮らすための依存を肯定したい。
そんな気持ちで辞書も引かずに『依存』という言葉をたーくさん使っている。
わたし自身
自分を好きでいるために
ちゃんと自分の足で立つために、
那智さんにどっぷり依存していることを肯定したいと思っている。
ちなみに、これを書くにあたってはじめて辞書を引いてみた。
『ほかのものごとにたよること ほかのものごとしだいであること』
ですって。
ふむふむ、なるほど〜。
これでもうひとつ書けそうなので、次回に^^
ちなみに、もうひとつ^^
最近更新時間が変わっていることにお気づきの人はいるかな。
いままで一日置きの深夜0時更新をしたていたのだけど、最近は早朝になっています。
これも深く眠れるように。
早朝にしてもいいか那智さんに聞いて『いいよ』と言ってもらったのだ。
別に、更新時間は自分で決めていたから勝手に変更しても問題ないのだけど『いいよ』でわたしが安心できるから聞いたの。
そんな経緯もあって更新時間が変わっています。
で、最近は4:45というなんとも半端な時間になっていますが、これにした理由はまたぜんぜん違う別のお話なのでどうか気になさいませんように^^
<関連エントリー>
ハツカネズミさんとかテレクラ依存とか
『わたしのこと2「自傷行為」』
自我が溢れそうになるとなにかにすがりたくなる
『「わたし」とお知らせ』
依存体質^^
『徒然に「M女の快感」』
今日のりん子的独り言は『依存体質』全面肯定です。
自傷行為についてもチラッとだけ触れます。
当事者ではないわたしの暴論も含まれていますので、ご了承ください。
ちょっとだけ補足しました。
那智さんからも『その先が書かれていない』と指摘されたので^^;
暴論にちょっぴり親切を足してみました。(太字部分が補足です)
これでも何書いてるんだかわからなかったら、ごめんなさい!!
えっと、『自分を好きになろう』というのがずっと根底に流れている〜と思って読み直してみてください。
(コメントをくださった皆様、親切不足のエントリーからいろいろ読み取ってくださってありがとうございます。わたしの伝えたいことはコメントをくださったときと何も変わっていないので、同じ気持ちでレスいたしますね^^)
『依存体質』『依存願望』と薬指の刺青には『依存』という言葉がたくさん出てきていますけど、実は、わたし、この『依存』という言葉のちゃんとした意味を知りません(ごめんなさい!!)
言葉の意味を知らないくらいだから、例えば医学的?心理学的?な『依存』についてもかなり漠然としたイメージで捉えているだけです。
いまさらながら無責任な感じで申し訳ないですけど、それでもいいかなと思っています。
なぜかというと依存という言葉をあまり悪い意味で使っていないから。
ほら、ネガティブなことをいうときには少し慎重に言葉を選んだほうがいいけど、そうでないなら、漠然としたイメージでもいいかなと。
そんなふうに、若干好意的な感じで使ってます。
国語的にも医学的にも知らないくせに依存という言葉を好意的に使うことには、ひとつの指針がありまして。
何年か前にリストカットやオーバードーズをくり返してしまう人のことを書いたルポを読んだことがある。
そこから抜け出せない人々を取材しているのだ。
著者は明るく彼らを語り、悲惨な話しのはずなのになんだか温かい空気さえ漂う本だったと記憶している。
その著者が作中で語っていた『依存症』の定義。
その本の中では、本人がこの状態は良くないと思っていて抜け出したいと思っているけど、どうしても抜け出さず苦しんでいる状態を『依存症』と定義しているのだ。
『本人が抜け出したいと思っているけど抜け出せない』ことがポイントで、例えば本人が自傷せずにはいられなくて、それをすることで落ち着くなら、それは単にその人の特徴ってことでいいんじゃないか。
まずその状態を全面的に受け入れませんか。
もし抜け出したくて抜け出せず苦しんでいるなら、そこではじめて『依存症』として治療なりアドバイスなりしませんか、ということなのです。
本当はやめたほうがいいことはわかっていてもやめられないことって、家族も友達も社会も本人さえもよってたかってそれを『悪』とする。
これは当人にとっては、行為以外の別の何重もの苦しみになるのだ。
『やめなきゃいけない』『みんなに迷惑かけてる』『みんなを悲しませている』と自責する何重もの苦しみがさらに自傷行為に拍車をかけてしまう。
それならばいっそのこと、依存していても本人がいいならいいじゃない。
やめられないと自責することで余計に苦しくなるなら、ひとまず、一旦、丸ごと受け止めちゃって『抜け出さなくていいじゃん』としてみないかという提案だった。
自分も周囲もリストカットしちゃっうのが、この人の特徴だ。
また傷増えちゃったねって笑い合えたら、何重もの苦しみが一重の苦しみで済むんじゃないか。
全面的に受け入れることからスタートしたらどうだろう。
医者でも学者でもないルポライターが取材して肌で感じたものをそんな内容で書いてあった(記憶曖昧です^^;)
もちろん現実問題としては暴論なことは承知の上で(承知の上ですよ〜)、わたしはこの『それで落ち着くならひとまず全面的に受け入れよう』という考え方が好きなんだ。
社会や自分に責められて『やめられない自分』と自ら負のレッテルを貼ってしまうより。
ひとまず、それを受け入れて、その自分をキライにならなければ(もっというと、好きになれば)、もしかしたら、それは逆に何かにすがらずに生きていかれる第一歩になるのではないかしら。
ちょっと急がば回れ的な暴論で、そう思うのです。
この考え方が根底にあってここでたくさん『依存』という言葉を使っている。(辞書さえ引かず。ごめんなさい)
わたしは依存体質だ。
多分人よりちょっとかまってほしい度合いが高くて、人よりちょっと自分以外の何かに寄りかかってしまう。
表向きは普通に生活できていたから、そんなの『依存体質』と呼ばないと思われる人もいるかもしれないけど、わたし自身はこれにずいぶん苦しまされたので、依存体質と言っちゃいます。
漫然と横たわる飢餓感のようなものが『わたしを』とせき立てる。
まるで何かに取り憑かれているかのようにテレクラに電話をして、飢餓感という泥沼に足を持っていかれまいと友人に電話をする。
テレクラなんて自分を消耗するだけだ。
友人に付き合わせることも申し訳ない。
いけないことだ、申し訳ないという思いが余計にわたしを責める。
わかっているのにやめられない。
気が急いて焦ってハツカネズミがぐるぐると走り続けるような気持ちになる。
那智さんと出会って。
思い切りよりかかっていいと言い続けてくれた。
ダメなときはダメというし、りん子が寄りかかっていると自覚していればいくらでも、と。
(まあ、この自覚がけっこう大変なんだけどね)
依存が悪ではないと教えてくれた。
不思議なもので、悪ではないと思えてそれにどっぷりと浸かり続けると、いつのまにか足元が安定してくる。
自分を責めてしまうようなものに依存しなくても焦燥感は減ってくる。
依存体質はおそらくわたしの特性。
ならばそれと上手に付き合っていこうと思えるようになる。
いまでも、たまーに、那智さん以外のものにずぶずぶとはまりそうになることがある。
そういうときは自分を責めないでいられる安心の依存先さんに頼るのだ。
一年ほど前、携帯をスマートフォンに変えた。
ネットにも繋がりやすいからどんどん携帯を眺める時間が増えてしまった。
特に夜中。
わたしは元々眠りの浅いほうなんだけど、携帯を変えてから浅い眠りのときに携帯をチェックする回数が増えてしまった。
タッチするだけでいいから操作は簡単だし、ネットにも繋がりやすい。
一日置きの深夜0時に更新した後、最初は眠りの浅い時間にコメント来てるかな〜と軽くチェックするだけだったのだけど、だんだん眠りを浅くしてチェックするようになってしまう。
だんだんコメントやメールチェックだけではなく、こんな深夜にそうそう更新されているわけではないのにリンク先や気になるブログをチェックしにいってしまう、何度も何度も。
次第に更新していない夜にも同じように眠りを浅くして携帯を触ってしまう。
いつの間にかコメントやメールが来ているとか来ていないとか関係なく、とにかく携帯を見ることが目的で意味のない行為を夜中に繰り返すようになってしまっていた。
ああ、携帯に依存している。
眠りの浅い夜を過ごすようになり、いよいよまずいなと思った。
見ないほうがいい。
そんな簡単なこと自分で判断すればいいのだけど、依存体質のわたしは依存先さんにお話する。
「那智さん、携帯チェックばかりしてしまって夜眠れなくなっています」
答えは当然。
「夜中に携帯を見なければいい。俺が決めたことを守ればいいでしょ?」
そう、那智さんに決めてもらうことがわたしは幸せだし安心するし、守れる。
那智さんの意思をわたしの意志にさせてもらうのだ。
夜中に眠りが浅くなっても那智さんの決めたことを守ればいいのだから見ない。
安心の毛布をかけてもらって、その日から夜ぐっすり眠れるようになった。
そして、わたしはわたしを好きでいられる。
依存はそんなに『悪』だろうか。
歌うことで気分が晴れる人もいるし本を読みあさる人もいるだろう、活字中毒なんていうしね。
これも見方を変えれば依存ではないだろうか。
でも、なんとなく健全で責められないよね。
それがたまたま一般的に不健全とされているもので落ち着くという人もいるだけのことなんじゃないだろうか。
それに頼ることでその人が穏やかに暮らせるなら、そして依存先(人でも物でも行為でも)が居場所を提供してくれるなら『悪』だけじゃないと思うのだ。
何かに寄りかかることで穏やかでいられる人もいてもいいよね。
誰かにすがらないといられなかったとき。
すがる相手に申し訳ないと思いそんな自分を『ダメな人間』と責めるより、わたしはそういう人^^依存させてくれてありがとう^^って思えたら、どんなに気持ちが軽くなるだろう。
そしてそんな自分を好きになれる。
『やめなきゃ』と自責するより、一旦軽くした心と自分が好きだという心になれるほうが、自分で立つ有効な手だてだと思うのです。
わたしは心穏やかに暮らすための依存を肯定したい。
そんな気持ちで辞書も引かずに『依存』という言葉をたーくさん使っている。
わたし自身
自分を好きでいるために
ちゃんと自分の足で立つために、
那智さんにどっぷり依存していることを肯定したいと思っている。
ちなみに、これを書くにあたってはじめて辞書を引いてみた。
『ほかのものごとにたよること ほかのものごとしだいであること』
ですって。
ふむふむ、なるほど〜。
これでもうひとつ書けそうなので、次回に^^
ちなみに、もうひとつ^^
最近更新時間が変わっていることにお気づきの人はいるかな。
いままで一日置きの深夜0時更新をしたていたのだけど、最近は早朝になっています。
これも深く眠れるように。
早朝にしてもいいか那智さんに聞いて『いいよ』と言ってもらったのだ。
別に、更新時間は自分で決めていたから勝手に変更しても問題ないのだけど『いいよ』でわたしが安心できるから聞いたの。
そんな経緯もあって更新時間が変わっています。
で、最近は4:45というなんとも半端な時間になっていますが、これにした理由はまたぜんぜん違う別のお話なのでどうか気になさいませんように^^
<関連エントリー>
ハツカネズミさんとかテレクラ依存とか
『わたしのこと2「自傷行為」』
自我が溢れそうになるとなにかにすがりたくなる
『「わたし」とお知らせ』
依存体質^^
『徒然に「M女の快感」』
完全支配
りん子的独り言(生意気)
『りん子的独り言(生意気)』はSMや主従について書きますが、それを否定しているのではありません。
それで満たされている人にはよかったって思います。
それで苦しいなら満たされないならヒントになればいいなと思って書いています。
はうぅ。
二回連続でりん子的独り言はけっこうしんどいのだけど(笑)
熱いうちに打っときます。
みなさんもある意味しんどいかもしれませんが、お付き合いくださいませ^^
前エントリーの『依存』。
自分を好きになるほうがいいよね〜、だから『依存』しちゃう自分も受け入れてみませんか〜?と書いた。
で、そもそも『依存』という意味をはっきり知らなかったので、辞書を引いてみたのだ。
『ほかのものごとにたよること ほかのものごとしだいであること』
それが、これ。
そうかあ、『たよること』と『しだいであること』は一緒の意味なんだね。
この辞書の言葉だけ取って言わせてもらえば。
完全支配絶対服従なんていう『ご主人様しだい』な状態は、『たよること』であり、『依存』だということではないでしょうか。
だけど、なぜか、『依存するな』というご主人様や『依存しちゃいけない』という奴隷さんの言葉を目にすることがときどきある。
ちゃんと自分の足で立っていられる人なら問題ないのだろうけど。
M女さんの中にはわたしのような依存体質な人は意外と多いと思うので、『依存しちゃいけない』と自制している奴隷さんの中にはちょっと辛い人もいるんじゃないかな。
辞書を引いて、そんなM女さんの存在を連想してしまった。
で、自制するのが辛いならこんな風に思っちゃった。
きっと、そんなことないよ、完全支配しているご主人様というのは『依存』していい存在なんだよ。
『あなたにたよって、あなたしだい』だものね。
って。
女をひとり完全支配して絶対服従させたいなら、それはイコール完全依存を覚悟しなければならないのではないだろうか。
それがイヤなら『サービスタイムだけ完全支配』とか『裸のときは絶対服従』のように注釈をつけるべきだ。
2時間だけオレに頼っていいからね、だから2時間だけオレ次第ねって。
『あたなにたよらずに、あなたしだい』なんて虫のいい話だ。
そんな矛盾した関係が成り立つとはわたしは、どうしても思えない。
『いっぱいたよっていいよ、でもっていっぱい俺しだいね』って言えるご主人様のほうがカッコいい。
『ここまで頼っていいから、ここまでいうこと聞くんだよ』と線引きできるご主人様のほうが信用できる。
何かを手に入れるために等価の労力を払うのは当然のことのように思うのだけど、そうじゃない世界があるなら、それが主従だというご主人様がいるなら、そこをちゃんと理解してコンセンサスを取っておいたほうがいい。
そうしないと、その矛盾に気づかぬうちに苦しむと思うのだ。
わたしだったら。
わたしはあなたに絶対服従します。
だから、あなたに依存させてくださいね。
こういってもひるまないご主人様に完全支配していただきたいと思うけど^^
『りん子的独り言(生意気)』はSMや主従について書きますが、それを否定しているのではありません。
それで満たされている人にはよかったって思います。
それで苦しいなら満たされないならヒントになればいいなと思って書いています。
はうぅ。
二回連続でりん子的独り言はけっこうしんどいのだけど(笑)
熱いうちに打っときます。
みなさんもある意味しんどいかもしれませんが、お付き合いくださいませ^^
前エントリーの『依存』。
自分を好きになるほうがいいよね〜、だから『依存』しちゃう自分も受け入れてみませんか〜?と書いた。
で、そもそも『依存』という意味をはっきり知らなかったので、辞書を引いてみたのだ。
『ほかのものごとにたよること ほかのものごとしだいであること』
それが、これ。
そうかあ、『たよること』と『しだいであること』は一緒の意味なんだね。
この辞書の言葉だけ取って言わせてもらえば。
完全支配絶対服従なんていう『ご主人様しだい』な状態は、『たよること』であり、『依存』だということではないでしょうか。
だけど、なぜか、『依存するな』というご主人様や『依存しちゃいけない』という奴隷さんの言葉を目にすることがときどきある。
ちゃんと自分の足で立っていられる人なら問題ないのだろうけど。
M女さんの中にはわたしのような依存体質な人は意外と多いと思うので、『依存しちゃいけない』と自制している奴隷さんの中にはちょっと辛い人もいるんじゃないかな。
辞書を引いて、そんなM女さんの存在を連想してしまった。
で、自制するのが辛いならこんな風に思っちゃった。
きっと、そんなことないよ、完全支配しているご主人様というのは『依存』していい存在なんだよ。
『あなたにたよって、あなたしだい』だものね。
って。
女をひとり完全支配して絶対服従させたいなら、それはイコール完全依存を覚悟しなければならないのではないだろうか。
それがイヤなら『サービスタイムだけ完全支配』とか『裸のときは絶対服従』のように注釈をつけるべきだ。
2時間だけオレに頼っていいからね、だから2時間だけオレ次第ねって。
『あたなにたよらずに、あなたしだい』なんて虫のいい話だ。
そんな矛盾した関係が成り立つとはわたしは、どうしても思えない。
『いっぱいたよっていいよ、でもっていっぱい俺しだいね』って言えるご主人様のほうがカッコいい。
『ここまで頼っていいから、ここまでいうこと聞くんだよ』と線引きできるご主人様のほうが信用できる。
何かを手に入れるために等価の労力を払うのは当然のことのように思うのだけど、そうじゃない世界があるなら、それが主従だというご主人様がいるなら、そこをちゃんと理解してコンセンサスを取っておいたほうがいい。
そうしないと、その矛盾に気づかぬうちに苦しむと思うのだ。
わたしだったら。
わたしはあなたに絶対服従します。
だから、あなたに依存させてくださいね。
こういってもひるまないご主人様に完全支配していただきたいと思うけど^^