羽根
独り言
モカとの関係をおしまいにしました。
いつか、ここにも書いていきます。
ちょっとだけ羽根を休めてから。
って、休めたいのだけど。
那智さんと『書き方』に関して新たに攻防を繰り広げて、ある意味休めていない^^;
八方美人で、自分も可愛い他者にも甘いわたし。
全部書いて責任の所在を明らかにすることのほうが伝わるという那智さん。
もちろん嘘を書くつもりはない。
だけど那智さんのいう『全部』を書いたら、那智さんの評判落としかねませんよ。
ついでに、わたしも『イヤな人』になっちゃう可能性だってある。
自分が可愛く、それなのに那智さんを守りたい故に『自分に非がある』と背負ってしまいたくなるジレンマ。
だからつい、キレイなお話にしたくなってしまうわたしに、本当のことを書くほうが『繋がり』を伝えることができるという。(う〜ん、漠然としていてごめんなさい)
いい人のりん子。
白馬に乗った王子様の那智さん。
この殻を破る。
そのほうが伝えられると那智さんはいう。
わたしたちがモカと交わした言葉と心の交流の力を、伝えられると。
そんな攻防を繰り広げ、ふうとちょっと深呼吸。
そうだ、那智さんのために書いている。
その那智さんが全部書いたものが読みたいのだ。
そして、那智さんのためのここはわたしのためでもある。
ただわたしの力不足で、ちゃんと書ききれないこともあるかもしれないです。
ということで、羽根を休めつつ、どんなふうに書こうか自分の心と相談しつつ、もうしばらく更新が滞ると思います。
<関連エントリー>
『暗闇にならない「あなたのため」』
モカとの関係をおしまいにしました。
いつか、ここにも書いていきます。
ちょっとだけ羽根を休めてから。
って、休めたいのだけど。
那智さんと『書き方』に関して新たに攻防を繰り広げて、ある意味休めていない^^;
八方美人で、自分も可愛い他者にも甘いわたし。
全部書いて責任の所在を明らかにすることのほうが伝わるという那智さん。
もちろん嘘を書くつもりはない。
だけど那智さんのいう『全部』を書いたら、那智さんの評判落としかねませんよ。
ついでに、わたしも『イヤな人』になっちゃう可能性だってある。
自分が可愛く、それなのに那智さんを守りたい故に『自分に非がある』と背負ってしまいたくなるジレンマ。
だからつい、キレイなお話にしたくなってしまうわたしに、本当のことを書くほうが『繋がり』を伝えることができるという。(う〜ん、漠然としていてごめんなさい)
いい人のりん子。
白馬に乗った王子様の那智さん。
この殻を破る。
そのほうが伝えられると那智さんはいう。
わたしたちがモカと交わした言葉と心の交流の力を、伝えられると。
そんな攻防を繰り広げ、ふうとちょっと深呼吸。
そうだ、那智さんのために書いている。
その那智さんが全部書いたものが読みたいのだ。
そして、那智さんのためのここはわたしのためでもある。
ただわたしの力不足で、ちゃんと書ききれないこともあるかもしれないです。
ということで、羽根を休めつつ、どんなふうに書こうか自分の心と相談しつつ、もうしばらく更新が滞ると思います。
<関連エントリー>
『暗闇にならない「あなたのため」』
「すべての責任は俺にある。ただし、りん子には道義的責任がある」1
モカ
すべての責任は俺にある。
モカは当然、りん子にも責任はない。
俺の思い描いた絵が描けなかったのは俺の責任だ。
りん子は悪くない。
ただし、りん子には道義的責任はある。
それを頭に置いて話をすること。
わたしが悲鳴を上げ、那智さんがおしまいにする決断をしてくれた後、それでもまだ尚不安定な状態が続き、『わかっているけど』不安を拭い去りたいがためにあまり美しくない会話をしようとしてしまうわたしに、少し力を込めて那智さんが言った。
それは充分わかっていることだ。
わかっているから余計に苦しかった。
すべての責任は那智さんにある。
ただしわたしには道義的責任がある。
この気持ちはいまも変わらない。
それがわかっていても、敢えて『わたし中心』に書かせてほしい。
俯瞰して全体を書けば、責任の所在を明らかにして、尚かつモカとわたしたちの繋がりを伝えることができたかもしれない。
そのほうが、モカにも読んでくださる皆さんにも、わたしの立場で責任を果たせるだろう。
だけど敢えて、それはしないことをお許しいただきたい。
わたしは、ここで、いままでと同じことをします。
それは、書くことで負の感情を昇華させるということ。
生い立ちを書き、いつしか『女の子になりたいのは父のせいではなく、ただそういう女なのだ』と思えたように。
『りん子的独り言』で怒りを書くことで、過去の消耗した性への怒りを削ぎ落とし『りん子的独り言』も変化していくかもしれないと思えたように。
敢えて『わたし側』のしかも『苦しい』にスポットを当てて書く。
負の感情を吐露し、心の仕組みを言葉にすることで、もうその感情に捕われることをおしまいにしたい。
もちろん、小さなチクチクした傷跡はなくならないだろう、それは焦がれたいと望めば当然残るものだ。
それでもモカとの日々が、笑い焦がれ『大変だったよね〜』と笑って言えるようになりたい。
わたしの生い立ちのように、りん子的独り言のように、わたし側からの偏った視点の苦しいを書きます。
そして、出来事よりもわたしの心にスポットを当てるので、伝わりづらいこともあるかもしれない。
それは、モカが加わった出来事自体は『苦しい』の対象にしたくないから。
道義的責任があることは百も承知で、それを一旦棚に上げて書きます。
そうすることをご理解いただけるとありがたいです。
そして、モカちゃん。
最後の日、わたしの最後まで書きたいという申し出に快諾してくれた上に『批判的なコメントが来ちゃうかもしれないよ』と心配までしてくれたあなたに敬意を表します。
『苦しかった』ことにスポットを当てて書くことを、それを目にさせてしまうことを申し訳ないと思っています。
ただ読んでもらえればわかることだと思うけど、恐らくモカちゃんの知らないことがほとんどだと思う(最後の日にちょっと話したこともあるけれど)。
要するに、モカちゃんがわたしを苦しめたのではないということなんだ。
この結果を選んだのは、那智さんとの間で解決できなかったこと。
だから自分を責めることはしないでください。
それと、いま連絡を取らないという強行な手段をとらせてもらっているけれど、いまでもずっとわたしたちはあなたを気にかけています。
とても、とても。
どうか、あの笑い合った時間も本当だったと信じてほしい。
いまでもあなたと手を繋いだ感触は幸福なものだ。
むしろ、あれが本当だったから、その乖離に苦しんだのだからね。
書くことで、笑い合った時間だけをわたしの心に刻ませてください。
<関連エントリー>
『ぬいぐるみ』もうお父さんが原因じゃないと思えた日。
『徒然に「りん子的独り言」のこと』怒りが昇華できたなと感じたとき。
那智さんの思い描いた『焦がれさせる』は、あまりにも酷で、あまりにも難解だった。
ひとつの大きな衝撃が、そのあといくつもの苦しいを引き起こす。
手綱を握っているものの余裕と、従う側の必死が生んだギャップだったとしても。
那智さんの言葉を信じついていく生き方が染みついているわたしはとても酷で、その心理状態の中、那智さんの真意を読み取ることはとても難解なことだった。
1枚のハンカチでもいいし、雑誌でもいい、何か目の前に広げてみてください。
それは、あなたの好きな人があなたにくれた『土地』。
わたしにも『土地』がある。
那智さんという大きな大地にいろいろな領地があって、その一部がわたしに与えられたのだ。
那智印の土地に、わたしはおうちを建てたり公園を作ったり、劇場なんかも作ったり、伸び伸びと自由に好きなように土地を使い空気を吸っていた。
那智さんは比較的たくさんの土地を与えてくれていると思うので、わたしひとりでは使い切れなくて空き地も存在していた。
せっかく空いているのだから、その土地をちょっと疲れているモカに使わせてあげようということになったのだ。
この時点、3人の関係がはじまってすぐくらいに那智さんはこんなことをわたしに言った。
「基本会うのは3人」
まだ、『使わせてあげよう、そして別の土地を見つけるかもう休む必要がなくなれば卒業しよう』という漠然としたことしか決まっていない段階だった。
お父さんと姉妹という枠組みは提示されたけど、それが具体的にどんな様子になるのか、どれくらい続くつもりなのかも知らされていない段階で。
「今後、モカが卒業するまで会うのは基本3人」
と言われた。
当初モカ自身も『那智とりん子の時間も大切にしてね、ふたりが仲が良いことも大好きだから』と言ってくれていたし、当然わたしたちの時間の合間にモカが加わる程度を想像していたから那智さんのその指示は衝撃だった。
驚いて聞く。
「那智さん、じゃあ、那智とりん子の時間は?」
その後の答えが、さらにわたしを打ちのめした。
「那智とりん子の時間は、朝の電話とカラオケランチで充分だろ」
足元が一気に崩れ落ちるような恐怖を覚えた。
「那智さんはそれで平気なのですか?」
「まあな」
わたしは那智さんとふたりのあの時間を心から愛していた。
あと人生で何回味わえるだろう、一回も逃したくないと思うほど愛している。
それが、次いつ味わえるのか、わからなくなる不安。
さらに、那智さんはそれが『カラオケ』で充分だと思っているという絶望。
目の前のハンカチの土地、那智印(りん子用)が那智印(モカとりん子用)になってしまったのだ。
この日からわたしの領土争いがはじまってしまった。
モカは与えられた土地に不平をいうこともなくその中だけで充分楽しんでくれていた。
それはそれは、楽しそうに。
それ以上の領土を主張することなど一切ないのに、わたしは怖くて怖くてしかたがなかった。
モカは全然そのつもりはなくても、那智さんの意志により空き地がどんどんモカの領土になる。
ときには、モカの土地に建てた家でわたしの庭が日陰になるようなことも、なくはない。
モカにこんな公園を作ってあげたいから、りん子の家を1mm削らせてねなんてことも、なくはない。
(何度もいうけど、これはモカの意志じゃないのですよ、那智さんの意志)
それでも、日陰になる理由も1mm削る必要性も、那智さんに問い、理論上は理解できるくらいに話し合うことは何度もした。
それにより、わたしの思考回路の那智正をしようと努めた。
それでも感情はついてきてくれない。
焦がれたいと願うことはこういうことも受け入れないといけないのか。
ある程度想像できていたし、わたしの領土は減っているはずはないのに、でも『基本3人。那智とりん子はカラオケで充分』の絶望は、根底を揺るがすほどの恐怖になってしまった。
この『基本3人。カラオケで充分』の会話をモカは知らないはずだ。
要するに、これはモカを取り込むための言葉ではないことはわかる(いまならね)
そして、後にこの言葉についてはずいぶん詰め寄った。
結果『それくらい言わないとりん子焦がれないだろ?』という答え。
どうやらわたしを本気で焦がれさせるために『基本3人』と言ったそうだ。
(これもいま思えばね、たとえばもうひとりを加えて長期に『うはうは』状態を作りたければ、こういう手だては取らなかっただろうとも推測できるよね。って、つい那智さんフォローしてしまうわたし^^;)
どうせそのうち音を上げるから、そしたら調整すればいい。
『基本は那智とりん子』そんなこと大前提(モカだってそう理解してくれて、それで乗っかってくれたのだ)、その大前提を口にしなくてもりん子は理解しているだろうと思っていたそうだ。
でもそう思えなかった。
那智さんに従っていたいわたしは、先の見えないスタートを切ってもついていくというのが染みついてしまっている。
その那智さんの言葉は『基本的』には信じる、のだ。
もし、そうわかっていても、例え冗談だったとしても、受け入れ難い言葉だ。
那智さんは元々目的達成のためなら自分の感情を制御することなんて容易い人。
だから目的達成のために『基本3人。カラオケで充分』を苦渋の選択ができたのだとしても。
それを選択できてしまったということが、わたしには衝撃なのだ。
その言葉を口にしたという事実だけでも、わたしには充分に『最後通告』のようだった。
苦しいを伝え話し合いを重ねると、那智さんはカードを切るように『本当は○○だったから、こういう行動をとったんだよ』種明かしをしてくれた。
何度も那智さんの本意を聞き、言葉では理解できたとしても、この不安と絶望は、どうしても払拭することができなかった。
一旦崩れた足元は後から土を盛られても、ズルズルと崩れ続けた。
言いようのない不安。
あり得ないとわかっていても、領土がなくなっていくような焦燥感。
これがひとつめの苦しい。
すべての責任は俺にある。
モカは当然、りん子にも責任はない。
俺の思い描いた絵が描けなかったのは俺の責任だ。
りん子は悪くない。
ただし、りん子には道義的責任はある。
それを頭に置いて話をすること。
わたしが悲鳴を上げ、那智さんがおしまいにする決断をしてくれた後、それでもまだ尚不安定な状態が続き、『わかっているけど』不安を拭い去りたいがためにあまり美しくない会話をしようとしてしまうわたしに、少し力を込めて那智さんが言った。
それは充分わかっていることだ。
わかっているから余計に苦しかった。
すべての責任は那智さんにある。
ただしわたしには道義的責任がある。
この気持ちはいまも変わらない。
それがわかっていても、敢えて『わたし中心』に書かせてほしい。
俯瞰して全体を書けば、責任の所在を明らかにして、尚かつモカとわたしたちの繋がりを伝えることができたかもしれない。
そのほうが、モカにも読んでくださる皆さんにも、わたしの立場で責任を果たせるだろう。
だけど敢えて、それはしないことをお許しいただきたい。
わたしは、ここで、いままでと同じことをします。
それは、書くことで負の感情を昇華させるということ。
生い立ちを書き、いつしか『女の子になりたいのは父のせいではなく、ただそういう女なのだ』と思えたように。
『りん子的独り言』で怒りを書くことで、過去の消耗した性への怒りを削ぎ落とし『りん子的独り言』も変化していくかもしれないと思えたように。
敢えて『わたし側』のしかも『苦しい』にスポットを当てて書く。
負の感情を吐露し、心の仕組みを言葉にすることで、もうその感情に捕われることをおしまいにしたい。
もちろん、小さなチクチクした傷跡はなくならないだろう、それは焦がれたいと望めば当然残るものだ。
それでもモカとの日々が、笑い焦がれ『大変だったよね〜』と笑って言えるようになりたい。
わたしの生い立ちのように、りん子的独り言のように、わたし側からの偏った視点の苦しいを書きます。
そして、出来事よりもわたしの心にスポットを当てるので、伝わりづらいこともあるかもしれない。
それは、モカが加わった出来事自体は『苦しい』の対象にしたくないから。
道義的責任があることは百も承知で、それを一旦棚に上げて書きます。
そうすることをご理解いただけるとありがたいです。
そして、モカちゃん。
最後の日、わたしの最後まで書きたいという申し出に快諾してくれた上に『批判的なコメントが来ちゃうかもしれないよ』と心配までしてくれたあなたに敬意を表します。
『苦しかった』ことにスポットを当てて書くことを、それを目にさせてしまうことを申し訳ないと思っています。
ただ読んでもらえればわかることだと思うけど、恐らくモカちゃんの知らないことがほとんどだと思う(最後の日にちょっと話したこともあるけれど)。
要するに、モカちゃんがわたしを苦しめたのではないということなんだ。
この結果を選んだのは、那智さんとの間で解決できなかったこと。
だから自分を責めることはしないでください。
それと、いま連絡を取らないという強行な手段をとらせてもらっているけれど、いまでもずっとわたしたちはあなたを気にかけています。
とても、とても。
どうか、あの笑い合った時間も本当だったと信じてほしい。
いまでもあなたと手を繋いだ感触は幸福なものだ。
むしろ、あれが本当だったから、その乖離に苦しんだのだからね。
書くことで、笑い合った時間だけをわたしの心に刻ませてください。
<関連エントリー>
『ぬいぐるみ』もうお父さんが原因じゃないと思えた日。
『徒然に「りん子的独り言」のこと』怒りが昇華できたなと感じたとき。
那智さんの思い描いた『焦がれさせる』は、あまりにも酷で、あまりにも難解だった。
ひとつの大きな衝撃が、そのあといくつもの苦しいを引き起こす。
手綱を握っているものの余裕と、従う側の必死が生んだギャップだったとしても。
那智さんの言葉を信じついていく生き方が染みついているわたしはとても酷で、その心理状態の中、那智さんの真意を読み取ることはとても難解なことだった。
1枚のハンカチでもいいし、雑誌でもいい、何か目の前に広げてみてください。
それは、あなたの好きな人があなたにくれた『土地』。
わたしにも『土地』がある。
那智さんという大きな大地にいろいろな領地があって、その一部がわたしに与えられたのだ。
那智印の土地に、わたしはおうちを建てたり公園を作ったり、劇場なんかも作ったり、伸び伸びと自由に好きなように土地を使い空気を吸っていた。
那智さんは比較的たくさんの土地を与えてくれていると思うので、わたしひとりでは使い切れなくて空き地も存在していた。
せっかく空いているのだから、その土地をちょっと疲れているモカに使わせてあげようということになったのだ。
この時点、3人の関係がはじまってすぐくらいに那智さんはこんなことをわたしに言った。
「基本会うのは3人」
まだ、『使わせてあげよう、そして別の土地を見つけるかもう休む必要がなくなれば卒業しよう』という漠然としたことしか決まっていない段階だった。
お父さんと姉妹という枠組みは提示されたけど、それが具体的にどんな様子になるのか、どれくらい続くつもりなのかも知らされていない段階で。
「今後、モカが卒業するまで会うのは基本3人」
と言われた。
当初モカ自身も『那智とりん子の時間も大切にしてね、ふたりが仲が良いことも大好きだから』と言ってくれていたし、当然わたしたちの時間の合間にモカが加わる程度を想像していたから那智さんのその指示は衝撃だった。
驚いて聞く。
「那智さん、じゃあ、那智とりん子の時間は?」
その後の答えが、さらにわたしを打ちのめした。
「那智とりん子の時間は、朝の電話とカラオケランチで充分だろ」
足元が一気に崩れ落ちるような恐怖を覚えた。
「那智さんはそれで平気なのですか?」
「まあな」
わたしは那智さんとふたりのあの時間を心から愛していた。
あと人生で何回味わえるだろう、一回も逃したくないと思うほど愛している。
それが、次いつ味わえるのか、わからなくなる不安。
さらに、那智さんはそれが『カラオケ』で充分だと思っているという絶望。
目の前のハンカチの土地、那智印(りん子用)が那智印(モカとりん子用)になってしまったのだ。
この日からわたしの領土争いがはじまってしまった。
モカは与えられた土地に不平をいうこともなくその中だけで充分楽しんでくれていた。
それはそれは、楽しそうに。
それ以上の領土を主張することなど一切ないのに、わたしは怖くて怖くてしかたがなかった。
モカは全然そのつもりはなくても、那智さんの意志により空き地がどんどんモカの領土になる。
ときには、モカの土地に建てた家でわたしの庭が日陰になるようなことも、なくはない。
モカにこんな公園を作ってあげたいから、りん子の家を1mm削らせてねなんてことも、なくはない。
(何度もいうけど、これはモカの意志じゃないのですよ、那智さんの意志)
それでも、日陰になる理由も1mm削る必要性も、那智さんに問い、理論上は理解できるくらいに話し合うことは何度もした。
それにより、わたしの思考回路の那智正をしようと努めた。
それでも感情はついてきてくれない。
焦がれたいと願うことはこういうことも受け入れないといけないのか。
ある程度想像できていたし、わたしの領土は減っているはずはないのに、でも『基本3人。那智とりん子はカラオケで充分』の絶望は、根底を揺るがすほどの恐怖になってしまった。
この『基本3人。カラオケで充分』の会話をモカは知らないはずだ。
要するに、これはモカを取り込むための言葉ではないことはわかる(いまならね)
そして、後にこの言葉についてはずいぶん詰め寄った。
結果『それくらい言わないとりん子焦がれないだろ?』という答え。
どうやらわたしを本気で焦がれさせるために『基本3人』と言ったそうだ。
(これもいま思えばね、たとえばもうひとりを加えて長期に『うはうは』状態を作りたければ、こういう手だては取らなかっただろうとも推測できるよね。って、つい那智さんフォローしてしまうわたし^^;)
どうせそのうち音を上げるから、そしたら調整すればいい。
『基本は那智とりん子』そんなこと大前提(モカだってそう理解してくれて、それで乗っかってくれたのだ)、その大前提を口にしなくてもりん子は理解しているだろうと思っていたそうだ。
でもそう思えなかった。
那智さんに従っていたいわたしは、先の見えないスタートを切ってもついていくというのが染みついてしまっている。
その那智さんの言葉は『基本的』には信じる、のだ。
もし、そうわかっていても、例え冗談だったとしても、受け入れ難い言葉だ。
那智さんは元々目的達成のためなら自分の感情を制御することなんて容易い人。
だから目的達成のために『基本3人。カラオケで充分』を苦渋の選択ができたのだとしても。
それを選択できてしまったということが、わたしには衝撃なのだ。
その言葉を口にしたという事実だけでも、わたしには充分に『最後通告』のようだった。
苦しいを伝え話し合いを重ねると、那智さんはカードを切るように『本当は○○だったから、こういう行動をとったんだよ』種明かしをしてくれた。
何度も那智さんの本意を聞き、言葉では理解できたとしても、この不安と絶望は、どうしても払拭することができなかった。
一旦崩れた足元は後から土を盛られても、ズルズルと崩れ続けた。
言いようのない不安。
あり得ないとわかっていても、領土がなくなっていくような焦燥感。
これがひとつめの苦しい。
「すべての責任は俺にある。ただし、りん子には道義的責任がある」2
モカ
『「すべての責任は俺にある。ただし、りん子には道義的責任がある」1』に書かれている認識のもとお読みください。
『基本3人』の衝撃で足元がグラグラし続ける中、これも思ってもみなかったことを知る。
モカは那智さんが想像するより、ずっと那智さんの基準から見たら『未熟』だったのだ。
これに関しては『マイ フェア レディ』をいつかアップします、たぶん^^;)
教育好きの那智さんはモカの教育に夢中になった。
『夢中』になるということにはいくつかの要素が絡まっていた。
これも、何度も何度も話し合った。
(『夢中』という言葉は那智さんは不適切だと思うとわかっているけど、渦中のわたしにはそう感じられたから、そのまま書きます)
モカの教育を優先する那智さんに、苦しいを伝え、那智さんの意見を聞き、その中からいくつかの要素があることを教えてもらう。(この優先には『りん子を焦がれさせる』と『いずれ卒業することを視野に入れて』のふたつの理由がある)
これも『基本3人』の時のように、わたしが悲鳴を上げてから『実は、こういう要素があるんだよ』と種明かしをされたりしてわかったことだ。
いまとなれば、那智さんの感情とわたしの受け取り方では違いがあることがわかる。
もちろん『未熟』というのは那智さんにとってはとても魅力だから教育に一生懸命になったことは当然なんだけど。
あとふたつ、これもとても重要度の高い感情があったそうだ。
ひとつは、責任。
モカをある程度一人前にすると誘った責任。
これは那智さんらしい感情だ。
関わると決めた人にはとことん関わる。
これも『父性』というものかもしれない。
この責任を取る行為を、義務感だけではないモチベーションでできるのが那智さんなんだよね。
そして、もうひとつは、りん子と一体感を感じる面白さ。
わたしは全然感じられなかったのだけど、那智さんはこれもすごーく満足する状況だったらしい。
那智さんの言葉の補足をし、時には那智さんがいなくても同じ考えをモカにアドバイスする、りん子が手足になっているような満足感。
『那智さんの意思はわたしの意志』という上下関係を、他者を交えたときのわたしの言動で実感する面白さ。
こんな大まかに3つの要素が絡んでいたらしい。
(う〜ん、これもいま思えばなんだけど^^;確かに、極初期の頃以外は、割りと那智さんはお題だけ出して後はわたしに任せるなんてこともよくあった。あれは共同作業を楽しんでいたのかなとも思える。ついでに、モカもその一体感は感じてくれていて、それがふたりのすごいところだと言っていたんだよね。うう、これもいま思えばなのだ;;)
たくさん話した。
そしてこんな要素があると教えてもらっても、「俺はモカを教育しているとき、モカをかまっているとき、いつもりん子と頬をくっつけてふたりしてモカを見ている気持ちだったんだよ」と教えてもらっても、それでも好きな人が自分以外の女性に『いろんな意味で』夢中になり、それを見続けることは『基本3人』で崩れた足元の不安定なわたしにはとても酷で、『頬をくっつけている感覚』を理解することは難解すぎた。
モカは那智さんにとって本当に子供のようだった。
わたしたちを姉妹と設定したけど、那智さんとしては『夫婦と子供』という位置付けのほうが適切だったようだ。
那智さんがモカをからかう。
『アイツ、ほんと面白いよな〜』と楽しそうにわたしにいう。
モカのこれからをわたしと話し合うときなんて、ホントの夫婦の会話のようだった。
これらは、那智さんにとってはふたりの子供という感覚だから後ろめたい気持ちのない自然なことだったのかもしれない。
だから、わたしが不安や悲しいを訴えると。
この頃にはすでにたくさん話し合っていて『姉妹』というより夫婦みたいだという共通認識になってたから
「りん子とモカは、立場が違うんだよ」と不思議そうにする。
「俺、モカのこと『大人の女』として見てないんだよ」(これはモカ本人にも言ってた^^;ある意味失礼か…)
立場が違うんだから、なにもそんなに悲しくなることない。
カレーと野球を比べても意味がないだろ?
ということなのだろう。
言わんとしていることは、わかる。
でも、那智さんは肝心なことに気付いていなかった。
那智さんにとって『未熟』であるということが、実は『大人の女』と同じくらい魅力的なことだということ。
グラマラスな不二子ちゃんよりも、痛いことも汚いこともなんでも感じちゃうマゾヒストよりも、『未熟』は那智さんにとって食指が動くのだということ。
それを那智さん以上に、わたしが知っているということ。
そして、わたしは、那智さんの『女』でありたいとのと同じように、『女の子』や『わんこ』として庇護される未完成のわたしでいることを愛しているということ。
その状態で、どんなに3つの要素が絡んでいるんだよと言われても、どんなに立場が違うんだよと言われても、どうしてもわたしは心穏やかでいることができなかった。
那智さんがモカに注ぐ視線はお父さんだった。
似たような視線を注がれたことはたくさんある。
だけど、それは『女』のわたしを『娘扱い』している視線だ。
『娘扱い』と子供を見る視線の違いは、両方を体験すると歴然とある。
那智さんが子供に注ぐ視線や笑顔は、こんなふうに温かく優しいんだ。
ああ、わたしはこれを味わってみたかった。
そして、それはどんなに足掻いても手にすることのできないものだ。
どんなに立場が違うんだよと教えてもらっても、イヤだ。
同じ土俵で戦うのだってイヤだけど、わたしが上がることのできない土俵は、実はとても欲しいものだったのだ。
そして、その部門でのベストを見てしまったのだ。
わかってる。
女として愛されることがふたりにとって重要で、『娘扱い』はオプションにひとつに過ぎないことは。
同じ『女』として競わないからこそ、良い点もたくさんあったこともわかっている。
だけど目の前でわたしがこの先ずっと味わいたくても味わうことのないものを注がれている姿を見続けることは、身を切られるような辛さだった。
『未熟』故の予想外の夢中。
それが、たとえ様々な要素が絡んだとしても。
ああ、わたし、那智さんの前で『娘』のように無邪気でいられないかもしれない。
那智さんのお父さんの視線は、わたしに『娘』でいることを諦めさせるようなものだった。
これがふたつめの『苦しい』。
『「すべての責任は俺にある。ただし、りん子には道義的責任がある」1』に書かれている認識のもとお読みください。
『基本3人』の衝撃で足元がグラグラし続ける中、これも思ってもみなかったことを知る。
モカは那智さんが想像するより、ずっと那智さんの基準から見たら『未熟』だったのだ。
これに関しては『マイ フェア レディ』をいつかアップします、たぶん^^;)
教育好きの那智さんはモカの教育に夢中になった。
『夢中』になるということにはいくつかの要素が絡まっていた。
これも、何度も何度も話し合った。
(『夢中』という言葉は那智さんは不適切だと思うとわかっているけど、渦中のわたしにはそう感じられたから、そのまま書きます)
モカの教育を優先する那智さんに、苦しいを伝え、那智さんの意見を聞き、その中からいくつかの要素があることを教えてもらう。(この優先には『りん子を焦がれさせる』と『いずれ卒業することを視野に入れて』のふたつの理由がある)
これも『基本3人』の時のように、わたしが悲鳴を上げてから『実は、こういう要素があるんだよ』と種明かしをされたりしてわかったことだ。
いまとなれば、那智さんの感情とわたしの受け取り方では違いがあることがわかる。
もちろん『未熟』というのは那智さんにとってはとても魅力だから教育に一生懸命になったことは当然なんだけど。
あとふたつ、これもとても重要度の高い感情があったそうだ。
ひとつは、責任。
モカをある程度一人前にすると誘った責任。
これは那智さんらしい感情だ。
関わると決めた人にはとことん関わる。
これも『父性』というものかもしれない。
この責任を取る行為を、義務感だけではないモチベーションでできるのが那智さんなんだよね。
そして、もうひとつは、りん子と一体感を感じる面白さ。
わたしは全然感じられなかったのだけど、那智さんはこれもすごーく満足する状況だったらしい。
那智さんの言葉の補足をし、時には那智さんがいなくても同じ考えをモカにアドバイスする、りん子が手足になっているような満足感。
『那智さんの意思はわたしの意志』という上下関係を、他者を交えたときのわたしの言動で実感する面白さ。
こんな大まかに3つの要素が絡んでいたらしい。
(う〜ん、これもいま思えばなんだけど^^;確かに、極初期の頃以外は、割りと那智さんはお題だけ出して後はわたしに任せるなんてこともよくあった。あれは共同作業を楽しんでいたのかなとも思える。ついでに、モカもその一体感は感じてくれていて、それがふたりのすごいところだと言っていたんだよね。うう、これもいま思えばなのだ;;)
たくさん話した。
そしてこんな要素があると教えてもらっても、「俺はモカを教育しているとき、モカをかまっているとき、いつもりん子と頬をくっつけてふたりしてモカを見ている気持ちだったんだよ」と教えてもらっても、それでも好きな人が自分以外の女性に『いろんな意味で』夢中になり、それを見続けることは『基本3人』で崩れた足元の不安定なわたしにはとても酷で、『頬をくっつけている感覚』を理解することは難解すぎた。
モカは那智さんにとって本当に子供のようだった。
わたしたちを姉妹と設定したけど、那智さんとしては『夫婦と子供』という位置付けのほうが適切だったようだ。
那智さんがモカをからかう。
『アイツ、ほんと面白いよな〜』と楽しそうにわたしにいう。
モカのこれからをわたしと話し合うときなんて、ホントの夫婦の会話のようだった。
これらは、那智さんにとってはふたりの子供という感覚だから後ろめたい気持ちのない自然なことだったのかもしれない。
だから、わたしが不安や悲しいを訴えると。
この頃にはすでにたくさん話し合っていて『姉妹』というより夫婦みたいだという共通認識になってたから
「りん子とモカは、立場が違うんだよ」と不思議そうにする。
「俺、モカのこと『大人の女』として見てないんだよ」(これはモカ本人にも言ってた^^;ある意味失礼か…)
立場が違うんだから、なにもそんなに悲しくなることない。
カレーと野球を比べても意味がないだろ?
ということなのだろう。
言わんとしていることは、わかる。
でも、那智さんは肝心なことに気付いていなかった。
那智さんにとって『未熟』であるということが、実は『大人の女』と同じくらい魅力的なことだということ。
グラマラスな不二子ちゃんよりも、痛いことも汚いこともなんでも感じちゃうマゾヒストよりも、『未熟』は那智さんにとって食指が動くのだということ。
それを那智さん以上に、わたしが知っているということ。
そして、わたしは、那智さんの『女』でありたいとのと同じように、『女の子』や『わんこ』として庇護される未完成のわたしでいることを愛しているということ。
その状態で、どんなに3つの要素が絡んでいるんだよと言われても、どんなに立場が違うんだよと言われても、どうしてもわたしは心穏やかでいることができなかった。
那智さんがモカに注ぐ視線はお父さんだった。
似たような視線を注がれたことはたくさんある。
だけど、それは『女』のわたしを『娘扱い』している視線だ。
『娘扱い』と子供を見る視線の違いは、両方を体験すると歴然とある。
那智さんが子供に注ぐ視線や笑顔は、こんなふうに温かく優しいんだ。
ああ、わたしはこれを味わってみたかった。
そして、それはどんなに足掻いても手にすることのできないものだ。
どんなに立場が違うんだよと教えてもらっても、イヤだ。
同じ土俵で戦うのだってイヤだけど、わたしが上がることのできない土俵は、実はとても欲しいものだったのだ。
そして、その部門でのベストを見てしまったのだ。
わかってる。
女として愛されることがふたりにとって重要で、『娘扱い』はオプションにひとつに過ぎないことは。
同じ『女』として競わないからこそ、良い点もたくさんあったこともわかっている。
だけど目の前でわたしがこの先ずっと味わいたくても味わうことのないものを注がれている姿を見続けることは、身を切られるような辛さだった。
『未熟』故の予想外の夢中。
それが、たとえ様々な要素が絡んだとしても。
ああ、わたし、那智さんの前で『娘』のように無邪気でいられないかもしれない。
那智さんのお父さんの視線は、わたしに『娘』でいることを諦めさせるようなものだった。
これがふたつめの『苦しい』。
「すべての責任は俺にある。ただし、りん子には道義的責任がある」3
モカ
『「すべての責任は俺にある。ただし、りん子には道義的責任がある」1』に書かれている認識のもとお読みください。
3つ目の苦しいのお話は『素直と正直』を思い出してほしい。
ふたりの間でわたしが『素直』でいるということは幸福な関係を継続させるためには必要なこと。
おしっこがおいしくないと思っても、いくつかある言葉の中から、意に沿いたい否定したくないという資質のもとに『まずい』とは言わず『飲みにくかった』などという言葉を選ぶ。
でも、那智さんは、それが『素直』な感情であるあることを知っていてくれるし、それを汲んでくれている。
『まずい』と言わないから、おいしいんだ、じゃあ大量摂取さても大丈夫だろうなんて勘違いして図に乗らない。
否定的な言葉を使わなくても、素直なわたしの外側の『正直』の存在を知ってくれているのだ。
だから、わたしは安心していいこで素直でいられるのだ。
友達がわたしのことをこんなふうに表現した。
「りん子さんは『金の斧銀の斧』の女神だ」って。
イソップ物語の『金の斧銀の斧』ご存知ですか?
泉に斧を落としてしまったきこりが女神に『これはあなたの斧ですか?』と金や銀の斧を見せられる。
きこりは自分が落とした鉄の斧以外は首を振るお話。(すごーく端折ってます 笑)
それの女神。
この童話の場合は『正直者』であるべきだということが書かれていると思うので、ちょっとニュアンスは違うのだけどね。
りん子さんは付き合う人をぬるま湯に浸からせてしまう、相手を増長させてしまうと書いているけど、それは相手を選んでいるのだろう。
「あなたの落としたのはこれ?」と目の前に金の斧を差し出しても「自分が落としたのは鉄の斧」だと言い続けるかどうか見極めている。
そんなふうに推察してくれた。
人は、自分が付き合っていく人を無意識に選んでいるよね。
『貢いでくれる』とか『わがままを聞いてくれる』とか選び方はそれぞれで^^;
わたしの方法が『金の斧?』と差し出し続けること。
う〜ん、鋭い。
わたしは否定しない、いつもニコニコしている。
だけど、それが当たり前にならないでいてくれる人。
どんなに居心地の良くしても、ぶれることなく『鉄の斧』だと言い続けてくれる人。
それを金の斧を差し出しながら、選んでいるんだ。
で、大抵の人は「金の斧」と言ってしまうから、すーっと泉に消えていく(うう、イヤなやつ〜?)
そんな恋愛を繰り返していた。
那智さんは『鉄の斧』と言い続けてくれる人だ。
否定を表さなくても『素直』でいれば、表していない感情も含めて、わたし以上にわたしのことを考えてくれる。
ずっと鉄の斧だと言い続けてくれる。
わたしが泉に消えてしまわないでいられるのは、そのおかげだ。
これが人間関係全般に於いて正しいかどうかは、いまは議論なしでお願いします^^
ふたりに於いて、これが良いということでだけ読んでください。
3つ目の苦しいは、安心して『素直』でいられないと思ってしまったことだった、那智さんが『鉄の斧』と言ってくれないと感じてしまったことだった。
ふたつの大きな苦しい、それは足元を揺るがし些細なことさえもトゲとなって刺した。
それを、本当に何度も何度も訴える。
那智さんは話を聞き、ふたりの認識の違いを指摘してすり合せをして、『りん子が上手に(?)焦がれるには。モカを悲しませないためには』という観点から思考回路やモカに対する対応を小さく軌道那智正する。
これで大丈夫だと、胸を撫で下ろす。
だって、鉄の斧だと言い続けてくれる人だもの。
意に沿えず悲しいを訴えることだってわたしはしたくないということをわかってくれているはずだ。
ただでさえ本意でないことをするのだ、わたしが素直に『悲しい』を訴えれば、それを汲んでくれる。
一滴『苦しい』を垂らせば、波紋が広がるように周りの苦しいも拭い去ってくれる。
そう信じていた。
だけど、この件に関しては、それはなぜか叶わなかった。
目に見えて那智正されるのは一滴分だけだった。(漠然としてて、ごめんなさい^^;那智さんもわからないかもしれない)
悲しいが、苦しいが伝わらない。
いつものように一滴の苦しいを垂らしあとはいいこのわたしでいると、その一滴分しか変わってくれないのだ。
おかしい。
那智さん、わたしの『いいこ』にだまされているみたいだ。
かつて、否定せずニコニコと金の斧を見せるとそれを当然と思い受け取ってしまっていた男性たちのように。
これも何度も訴えた。
なんでわかってくれないの。
この胸を抉られるような苦しさを。
(それが『焦がれるだろ?』と那智さん以下皆様のツッコミは承知で!!)
いままでの那智さんなら、わたしが悲しいと告げればちゃんと助けてくれたのに、なぜ?
だんだん、那智さんに『素直』でいることが怖くなってしまっていった。
素直でいても、またわかってくれないんじゃないか。
わたしの笑顔にだまされる那智さんを見るのはイヤだ。
何も考えず、ただ無邪気に安心して『那智さんがだーいすき』と素直でいることが、怖くてできなくなっていた。
たまたまちょうど一年前のエントリーを読み直していた。
チョーカーを買ってもらうために首のサイズを測ってもらったときのこと。
あんなふうに無防備に那智さんに寄りかかれることはもうないのではないかと思ってしまった。
那智さんは、モカとのことが過ぎたらもっと関係は深まると話していたけれど、どうしてもそう思えなかった。
過去には戻れないけど、深くなると。
どうしても思えなかった。
過去エントリーを読みながら涙が溢れた。
そして、一番の『苦しい』感情に気付いてしまったのだ。
那智さんへの気持ちが離れている。
このままでは那智さんへの好きがどんどん減ってしまう。
『基本3人』も『味わえない目線』も『金の斧銀の斧』もどれも苦しかった。
でも、それはわたしひとりの感情だ。
それより恐怖になったのは那智さんへの気持ちが離れてしまう、だった。
ふたりにとって、犬気質のわたしが『那智さん大好き、那智さん大好き』と尻尾ぶんぶん恋い慕っていることが幸福な形だ。
だからわたしには、その好きがひとつでも減ってしまうことは、嫉妬で苦しいなんかよりも、もしかしたら恐ろしいことかもしれない。
金の斧を当然のように受け取る男性を諦めるように、すーっと泉に消えていく感覚。
かつて自分が感じた、自分でも止められない氷のような諦念が背中を撫でてしまいそうだ。
過去エントリーを読んで涙を流しながら、これは取り返しのつかないことになってしまうのではないかと、また別の形で足元から崩れるようだった。
これが、最後の『苦しい』。
あ〜、引っ張ります〜^^
<関連エントリー>
『マイ フェア レディ(横道)』
素直と正直の違いが書かれています。エントリー内の関連エントリーもお読みいただくとより理解しやすいかも^^
『怒らない私』
『ぬるま湯VS負けず嫌い』
『金の斧』のわたしは、この辺から^^
『「すべての責任は俺にある。ただし、りん子には道義的責任がある」1』に書かれている認識のもとお読みください。
3つ目の苦しいのお話は『素直と正直』を思い出してほしい。
ふたりの間でわたしが『素直』でいるということは幸福な関係を継続させるためには必要なこと。
おしっこがおいしくないと思っても、いくつかある言葉の中から、意に沿いたい否定したくないという資質のもとに『まずい』とは言わず『飲みにくかった』などという言葉を選ぶ。
でも、那智さんは、それが『素直』な感情であるあることを知っていてくれるし、それを汲んでくれている。
『まずい』と言わないから、おいしいんだ、じゃあ大量摂取さても大丈夫だろうなんて勘違いして図に乗らない。
否定的な言葉を使わなくても、素直なわたしの外側の『正直』の存在を知ってくれているのだ。
だから、わたしは安心していいこで素直でいられるのだ。
友達がわたしのことをこんなふうに表現した。
「りん子さんは『金の斧銀の斧』の女神だ」って。
イソップ物語の『金の斧銀の斧』ご存知ですか?
泉に斧を落としてしまったきこりが女神に『これはあなたの斧ですか?』と金や銀の斧を見せられる。
きこりは自分が落とした鉄の斧以外は首を振るお話。(すごーく端折ってます 笑)
それの女神。
この童話の場合は『正直者』であるべきだということが書かれていると思うので、ちょっとニュアンスは違うのだけどね。
りん子さんは付き合う人をぬるま湯に浸からせてしまう、相手を増長させてしまうと書いているけど、それは相手を選んでいるのだろう。
「あなたの落としたのはこれ?」と目の前に金の斧を差し出しても「自分が落としたのは鉄の斧」だと言い続けるかどうか見極めている。
そんなふうに推察してくれた。
人は、自分が付き合っていく人を無意識に選んでいるよね。
『貢いでくれる』とか『わがままを聞いてくれる』とか選び方はそれぞれで^^;
わたしの方法が『金の斧?』と差し出し続けること。
う〜ん、鋭い。
わたしは否定しない、いつもニコニコしている。
だけど、それが当たり前にならないでいてくれる人。
どんなに居心地の良くしても、ぶれることなく『鉄の斧』だと言い続けてくれる人。
それを金の斧を差し出しながら、選んでいるんだ。
で、大抵の人は「金の斧」と言ってしまうから、すーっと泉に消えていく(うう、イヤなやつ〜?)
そんな恋愛を繰り返していた。
那智さんは『鉄の斧』と言い続けてくれる人だ。
否定を表さなくても『素直』でいれば、表していない感情も含めて、わたし以上にわたしのことを考えてくれる。
ずっと鉄の斧だと言い続けてくれる。
わたしが泉に消えてしまわないでいられるのは、そのおかげだ。
これが人間関係全般に於いて正しいかどうかは、いまは議論なしでお願いします^^
ふたりに於いて、これが良いということでだけ読んでください。
3つ目の苦しいは、安心して『素直』でいられないと思ってしまったことだった、那智さんが『鉄の斧』と言ってくれないと感じてしまったことだった。
ふたつの大きな苦しい、それは足元を揺るがし些細なことさえもトゲとなって刺した。
それを、本当に何度も何度も訴える。
那智さんは話を聞き、ふたりの認識の違いを指摘してすり合せをして、『りん子が上手に(?)焦がれるには。モカを悲しませないためには』という観点から思考回路やモカに対する対応を小さく軌道那智正する。
これで大丈夫だと、胸を撫で下ろす。
だって、鉄の斧だと言い続けてくれる人だもの。
意に沿えず悲しいを訴えることだってわたしはしたくないということをわかってくれているはずだ。
ただでさえ本意でないことをするのだ、わたしが素直に『悲しい』を訴えれば、それを汲んでくれる。
一滴『苦しい』を垂らせば、波紋が広がるように周りの苦しいも拭い去ってくれる。
そう信じていた。
だけど、この件に関しては、それはなぜか叶わなかった。
目に見えて那智正されるのは一滴分だけだった。(漠然としてて、ごめんなさい^^;那智さんもわからないかもしれない)
悲しいが、苦しいが伝わらない。
いつものように一滴の苦しいを垂らしあとはいいこのわたしでいると、その一滴分しか変わってくれないのだ。
おかしい。
那智さん、わたしの『いいこ』にだまされているみたいだ。
かつて、否定せずニコニコと金の斧を見せるとそれを当然と思い受け取ってしまっていた男性たちのように。
これも何度も訴えた。
なんでわかってくれないの。
この胸を抉られるような苦しさを。
(それが『焦がれるだろ?』と那智さん以下皆様のツッコミは承知で!!)
いままでの那智さんなら、わたしが悲しいと告げればちゃんと助けてくれたのに、なぜ?
だんだん、那智さんに『素直』でいることが怖くなってしまっていった。
素直でいても、またわかってくれないんじゃないか。
わたしの笑顔にだまされる那智さんを見るのはイヤだ。
何も考えず、ただ無邪気に安心して『那智さんがだーいすき』と素直でいることが、怖くてできなくなっていた。
たまたまちょうど一年前のエントリーを読み直していた。
チョーカーを買ってもらうために首のサイズを測ってもらったときのこと。
あんなふうに無防備に那智さんに寄りかかれることはもうないのではないかと思ってしまった。
那智さんは、モカとのことが過ぎたらもっと関係は深まると話していたけれど、どうしてもそう思えなかった。
過去には戻れないけど、深くなると。
どうしても思えなかった。
過去エントリーを読みながら涙が溢れた。
そして、一番の『苦しい』感情に気付いてしまったのだ。
那智さんへの気持ちが離れている。
このままでは那智さんへの好きがどんどん減ってしまう。
『基本3人』も『味わえない目線』も『金の斧銀の斧』もどれも苦しかった。
でも、それはわたしひとりの感情だ。
それより恐怖になったのは那智さんへの気持ちが離れてしまう、だった。
ふたりにとって、犬気質のわたしが『那智さん大好き、那智さん大好き』と尻尾ぶんぶん恋い慕っていることが幸福な形だ。
だからわたしには、その好きがひとつでも減ってしまうことは、嫉妬で苦しいなんかよりも、もしかしたら恐ろしいことかもしれない。
金の斧を当然のように受け取る男性を諦めるように、すーっと泉に消えていく感覚。
かつて自分が感じた、自分でも止められない氷のような諦念が背中を撫でてしまいそうだ。
過去エントリーを読んで涙を流しながら、これは取り返しのつかないことになってしまうのではないかと、また別の形で足元から崩れるようだった。
これが、最後の『苦しい』。
あ〜、引っ張ります〜^^
<関連エントリー>
『マイ フェア レディ(横道)』
素直と正直の違いが書かれています。エントリー内の関連エントリーもお読みいただくとより理解しやすいかも^^
『怒らない私』
『ぬるま湯VS負けず嫌い』
『金の斧』のわたしは、この辺から^^
薬指なう^^
独り言
あ〜、忘れてたけど!!
今日は『薬指の刺青』をはじめてから4年だぁ。
多分毎年『○周年になりました』ってエントリーしてるから、今年も^^
って、他のを力を入れて更新してるのですっかり抜け落ちてました。
なに書こう(笑)
4年間。
たくさんの出来事や心の内を綴ってきました。
スタンスは那智さんのアドバイスを元にしているのだけど、そのひとつに『少し時間を空ける』ということがある。
リアルタイムな感情は書かないということね。
プラスもマイナスも快感も、一度自分の中で発酵させてから書いたほうが味が出るだろうということ。
特にマイナスのことは、那智さんとの間で答えを出すことができてから書くようにしている。
リアルタイムでマイナスを書くほうが共感は得られるとは思うけど、それはマイナススパイラルに陥る可能性があるし、何より、それは那智さんとふたりで向かい合うものだからだ。
もちろん、うれし〜とか大変!!とか、そのときの生の感情を書いていることもあるけど、重大なら重大なほど時間を空けようと思って書いています。
『すべての責任は俺にある〜』(割愛!!)も、いまアップしているということは基本的に『渦中』ではないということ。
もちろん、何もかも真っ白ではないけれど、問題点や反省点、幸福、辛さ、どれもたくさん話して、もうパズルのピースが出尽くした。
いまは、書くことでひとつずつはめていき整理している状態です。
完成したら、きっと新しい絵が出来上がり、もしかしたら足りないパーツが見つかるかもしれない、そんなふうに思って書いています。
だから安心(?)して読んでくださいね^^
感情は生き物。
思ってもみないものを生む。
できるだけ鮮度を保って、だけどひと手間加えて大事に書いていこうと思います。
ということで、4周年。
読んでくださった皆さんに感謝して。
一緒に歩いてくれた那智さんに感謝して。
流行のツイッターとは正反対の長文過去進行形ブログですが^^;
これからもよろしくお願いしまーす。
って、今日は、まったくリアルタイムな更新でした^^
あん、ちょっと『なう』って使ってみたかったの〜*^^*
あ〜、忘れてたけど!!
今日は『薬指の刺青』をはじめてから4年だぁ。
多分毎年『○周年になりました』ってエントリーしてるから、今年も^^
って、他のを力を入れて更新してるのですっかり抜け落ちてました。
なに書こう(笑)
4年間。
たくさんの出来事や心の内を綴ってきました。
スタンスは那智さんのアドバイスを元にしているのだけど、そのひとつに『少し時間を空ける』ということがある。
リアルタイムな感情は書かないということね。
プラスもマイナスも快感も、一度自分の中で発酵させてから書いたほうが味が出るだろうということ。
特にマイナスのことは、那智さんとの間で答えを出すことができてから書くようにしている。
リアルタイムでマイナスを書くほうが共感は得られるとは思うけど、それはマイナススパイラルに陥る可能性があるし、何より、それは那智さんとふたりで向かい合うものだからだ。
もちろん、うれし〜とか大変!!とか、そのときの生の感情を書いていることもあるけど、重大なら重大なほど時間を空けようと思って書いています。
『すべての責任は俺にある〜』(割愛!!)も、いまアップしているということは基本的に『渦中』ではないということ。
もちろん、何もかも真っ白ではないけれど、問題点や反省点、幸福、辛さ、どれもたくさん話して、もうパズルのピースが出尽くした。
いまは、書くことでひとつずつはめていき整理している状態です。
完成したら、きっと新しい絵が出来上がり、もしかしたら足りないパーツが見つかるかもしれない、そんなふうに思って書いています。
だから安心(?)して読んでくださいね^^
感情は生き物。
思ってもみないものを生む。
できるだけ鮮度を保って、だけどひと手間加えて大事に書いていこうと思います。
ということで、4周年。
読んでくださった皆さんに感謝して。
一緒に歩いてくれた那智さんに感謝して。
流行のツイッターとは正反対の長文過去進行形ブログですが^^;
これからもよろしくお願いしまーす。
って、今日は、まったくリアルタイムな更新でした^^
あん、ちょっと『なう』って使ってみたかったの〜*^^*