ジェネレーションギャップ
独特な幸福感
夜中にめずらしくメールが届いていた。
朝になって気づいたそれは、酔っぱらいさん状態が一目瞭然のあまあまメールだった。
もう、読んでくださっている人は、那智さんが感情表現に上下がない人だけじゃないことはご存知だと思いますが。(「朗読奴隷」や「那智くん」や^^;)
一応、普段はクールな那智さんの名誉のため、また普段あまり聞くことのない大事な『あまあま言葉』なので、そっとわたしの心にしまっておこうと思うので、一部は控えさせていただきますが。
その中に、次回久しぶりにお泊まりできる夜のことが書かれていた。
『好きな曲を用意してりん子と一緒に聞きたい。ツインのアダプターとヘッドフォンを買って、黄昏れたいなと…(笑)』
(笑)がついているから、自分でも陶酔を自覚しているようなんだけど、明らかに酔っぱらいの感傷的な提案だ。
想像できる。
恐らく、夜中まで事務所で仕事をしておしまいの頃にお酒を引っかけたんだ。
で、勢いのあまあまメール。
そんな時に自分を思い出してくれることは嬉しいし、こういうメールは滅多にないから、わたしもその『黄昏』にお付き合いする想像をして、朝からちょっとうっとりしてしまった。
その後の電話タイムで。
「那智さん、夜中にどうしたのですか?」
「うん、酔っぱらってた^^」
図書館でCDを借りてそれをパソコンに移して聞いていたら、自己陶酔の世界に浸かってしまったのだそう。
「りん子と一緒に聞きたいな〜と思ってさ〜、ネットでアダプターのこととかも見ちゃったよ^^;」
「いいですね〜、一緒に聞くのも」
「で、どんなCD借りたのですか…?」
聞きながら嫌な予感がして、答えが返ってくる前に続けて聞く。
「もしかして、フォークソング!?」
「そう〜!!」
ああああ、フォークソング。
思わず天を仰ぐ。
前にも書いたけど。
那智さんはフォークソングが好き。
ホテルのマッサージタイムでは有線放送でいつもフォークソングを流す。
ふたりの間には微妙にジェネレーションギャップがあるので、わたしは有名な曲はわかるけどほとんど聴いたことがないものばかり。
しかも那智さんの好きな曲は、マイナーフォーク。
もっとわからない^^;
それでも、まあ、マッサージの間だけだし、別に聞き流していれば済む。
だけど、だけど。
この『黄昏』パターンは話が違う!!
知らない曲を延々とヘッドフォンで聴き続けるだけでも、かなり退屈な作業だ。
それに『黄昏れる』といオプションが付いているらしい。
これは苦行だ。
それに気づいて、天を仰いだの。
「那智さん、それって、じっと聴いていないといけないのですよね…?」
「当たり前だろ〜、黄昏れるんだから(笑)」
「えええ〜、わたし他のことしてますから、那智さん一人でどうぞ。」
「ダメだよ〜、俺はりん子と聴きたいの」
「うげ〜、だって知らない曲ばっかりで黄昏れられませんって」
「知らなくても、名曲は名曲。」
「りん子は黄昏れないといけないの、そんで泣くの。泣くまで聴かせる、これ命令ね(笑)」
「そうだな〜、涙を一筋だけツーッと流す」
那智さん、酔った勢いのあまあま提案を否定された照れ隠しに、どんどん理不尽になっていく。
フォーク世代のみなさんにはごめんなさいですけど。
名曲もたくさんあるでしょうけど。
どうしても馴染めないのです。
『精霊流し』よりも『関白宣言』。
『遠くで汽笛を聞きながら』よりも『チャンピョン』。
いや、それぞれ名曲ですけど、どうも馴染めないの。
名曲が肌に馴染むには、思い出が乏しい。
『岬めぐり』や『冬が来る前に』は遠足や合唱コンクールで先輩世代が歌う曲なのだ。
グレープよりもさだまさし。
はっぴぃえんどよりも大滝詠一。
サザンで海に行き。
ユーミンでゲレンデ。
ドリカムで恋をして。
アンルイスで夜を明かし。
プリプリを熱唱して。
チェッカーズで…
あれ?どんどん薄っぺらくなってない!?
と、とにかくその世代なのだ^^;
確かに良い曲もあるでしょう。
だから、じっくり聴くだけなら、まだ良しとしましょう。
でも、『黄昏れる』には思い出とリンクすることが重要ですよね。
だから、じっくり聴いて『いい曲ね』という感想は持てたとしても、いきなり聴かされて『黄昏』モードは無理、神妙に聴き続けるなんて苦行に等しい。
しかも、隣りで那智さんに黄昏れられたりしたら…、ダメ、笑っちゃう。
ね、苦行だと思いません!?
那智さん、一緒に聴くのはかまいません。
良い曲だってたくさんあるでしょう。
だけど、『黄昏れる』のは厳しいです。
しかも。
その理不尽になっていく命令、きっと陶酔してしまった自分のバツの悪さから来ているでしょ!?
酔って陶酔した照れ臭さを、命令で誤摩化そうとしないでいただきたいと思うのです。
あらら、感情表現に上下がないないなんて言っておきながら、最近の那智さんキャラ変わってきていません?
夜中にめずらしくメールが届いていた。
朝になって気づいたそれは、酔っぱらいさん状態が一目瞭然のあまあまメールだった。
もう、読んでくださっている人は、那智さんが感情表現に上下がない人だけじゃないことはご存知だと思いますが。(「朗読奴隷」や「那智くん」や^^;)
一応、普段はクールな那智さんの名誉のため、また普段あまり聞くことのない大事な『あまあま言葉』なので、そっとわたしの心にしまっておこうと思うので、一部は控えさせていただきますが。
その中に、次回久しぶりにお泊まりできる夜のことが書かれていた。
『好きな曲を用意してりん子と一緒に聞きたい。ツインのアダプターとヘッドフォンを買って、黄昏れたいなと…(笑)』
(笑)がついているから、自分でも陶酔を自覚しているようなんだけど、明らかに酔っぱらいの感傷的な提案だ。
想像できる。
恐らく、夜中まで事務所で仕事をしておしまいの頃にお酒を引っかけたんだ。
で、勢いのあまあまメール。
そんな時に自分を思い出してくれることは嬉しいし、こういうメールは滅多にないから、わたしもその『黄昏』にお付き合いする想像をして、朝からちょっとうっとりしてしまった。
その後の電話タイムで。
「那智さん、夜中にどうしたのですか?」
「うん、酔っぱらってた^^」
図書館でCDを借りてそれをパソコンに移して聞いていたら、自己陶酔の世界に浸かってしまったのだそう。
「りん子と一緒に聞きたいな〜と思ってさ〜、ネットでアダプターのこととかも見ちゃったよ^^;」
「いいですね〜、一緒に聞くのも」
「で、どんなCD借りたのですか…?」
聞きながら嫌な予感がして、答えが返ってくる前に続けて聞く。
「もしかして、フォークソング!?」
「そう〜!!」
ああああ、フォークソング。
思わず天を仰ぐ。
前にも書いたけど。
那智さんはフォークソングが好き。
ホテルのマッサージタイムでは有線放送でいつもフォークソングを流す。
ふたりの間には微妙にジェネレーションギャップがあるので、わたしは有名な曲はわかるけどほとんど聴いたことがないものばかり。
しかも那智さんの好きな曲は、マイナーフォーク。
もっとわからない^^;
それでも、まあ、マッサージの間だけだし、別に聞き流していれば済む。
だけど、だけど。
この『黄昏』パターンは話が違う!!
知らない曲を延々とヘッドフォンで聴き続けるだけでも、かなり退屈な作業だ。
それに『黄昏れる』といオプションが付いているらしい。
これは苦行だ。
それに気づいて、天を仰いだの。
「那智さん、それって、じっと聴いていないといけないのですよね…?」
「当たり前だろ〜、黄昏れるんだから(笑)」
「えええ〜、わたし他のことしてますから、那智さん一人でどうぞ。」
「ダメだよ〜、俺はりん子と聴きたいの」
「うげ〜、だって知らない曲ばっかりで黄昏れられませんって」
「知らなくても、名曲は名曲。」
「りん子は黄昏れないといけないの、そんで泣くの。泣くまで聴かせる、これ命令ね(笑)」
「そうだな〜、涙を一筋だけツーッと流す」
那智さん、酔った勢いのあまあま提案を否定された照れ隠しに、どんどん理不尽になっていく。
フォーク世代のみなさんにはごめんなさいですけど。
名曲もたくさんあるでしょうけど。
どうしても馴染めないのです。
『精霊流し』よりも『関白宣言』。
『遠くで汽笛を聞きながら』よりも『チャンピョン』。
いや、それぞれ名曲ですけど、どうも馴染めないの。
名曲が肌に馴染むには、思い出が乏しい。
『岬めぐり』や『冬が来る前に』は遠足や合唱コンクールで先輩世代が歌う曲なのだ。
グレープよりもさだまさし。
はっぴぃえんどよりも大滝詠一。
サザンで海に行き。
ユーミンでゲレンデ。
ドリカムで恋をして。
アンルイスで夜を明かし。
プリプリを熱唱して。
チェッカーズで…
あれ?どんどん薄っぺらくなってない!?
と、とにかくその世代なのだ^^;
確かに良い曲もあるでしょう。
だから、じっくり聴くだけなら、まだ良しとしましょう。
でも、『黄昏れる』には思い出とリンクすることが重要ですよね。
だから、じっくり聴いて『いい曲ね』という感想は持てたとしても、いきなり聴かされて『黄昏』モードは無理、神妙に聴き続けるなんて苦行に等しい。
しかも、隣りで那智さんに黄昏れられたりしたら…、ダメ、笑っちゃう。
ね、苦行だと思いません!?
那智さん、一緒に聴くのはかまいません。
良い曲だってたくさんあるでしょう。
だけど、『黄昏れる』のは厳しいです。
しかも。
その理不尽になっていく命令、きっと陶酔してしまった自分のバツの悪さから来ているでしょ!?
酔って陶酔した照れ臭さを、命令で誤摩化そうとしないでいただきたいと思うのです。
あらら、感情表現に上下がないないなんて言っておきながら、最近の那智さんキャラ変わってきていません?
捨てたもんじゃないよね^^
独り言
どんな仕事でもそれぞれ責任があるから、どれも大変とは思う。
わたしのような一発勝負の仕事や、ルーティンワーク、何かを生み出す仕事、人と関わり物と関わり、大変さにも量や質に個性があると思う。
司会業の一発勝負的な仕事は期限までにという追われるような大変さは少ないけれど、大変さがちょっと特殊な感じがする。
それはこの日のこの時間帯だけは、スーパーベストな自分を維持していないといけないという種類の大変さ。
具合が悪くて穴を開けるなんてことはもちろんダメだし、どんなに熱があっても数時間は気を抜かず、どんなに具合が悪くても、背筋を伸ばしニッコリとその場を仕切っていないといけないということはけっこう大変。
代わりがいないということは、意外とプレシャーだ。
大事な会議というプレッシャーはないけど、トイレに立てない、上機嫌でいないといけないというプレッシャー^^
ただ、熱はヴァファリンを飲んでなんとか乗り切ることはできるし、いままでもそうやって来た。
いまのところ被害に遭わずにいるけれど、それ以外に想像できる致命傷はふたつ。
ひとつは、喉。
別な司会者が朝起きたら声が枯れていてまったく発声できず、事務所の社長が急遽代役を探すなんてことも聞いたことがあって、我が事のようにヒヤヒヤしたことがある。
特にわたしは喉があまり強くないから、ちょっと危うい兆候が見られたら、早めに対処するようにしている。
もうひとつ。
それは、下痢と嘔吐!!!
ほら、ノロウィルスとかに感染してしまうと、我慢できるレベルの下痢嘔吐じゃないでしょ?
否応なく競り上がって来る。
あれは、『この時間そこいないといけない』仕事は困る。
マイクを片手に吐くわけにもいかないし、進行しながら垂れ流すなんてしたら、ホテルにも事務所にも迷惑がかかるし、お客様に申し訳ない、そしてわたしのクビが飛ぶ。
その数時間ベストな自分を維持している(もしくはフリをする)、これがこの仕事の大変なことのひとつだと思う。
夜中に具合が悪くなった。
体が痛くてお腹が気持ち悪い。
家人にお腹の風邪を引いた人間がいたから、ううやばい移ったらしい。
なるべく接触しないように気を付けていたけど、ダメだった。
夜中に何度もトイレに行き。
とにかく出るものは全部出しちゃおう。
熱も上がってきた。
この日は土曜日。
幸い夕方からの披露宴だった。
とにかく朝一で病院に行かなきゃ。
寝ていないわ全部出ちゃってるわでヘロヘロになりながら、自転車を漕いで朝一で病院に。(ちょっと遠いのだ)
事情を説明して、その数時間だけは下痢や嘔吐を止める薬を所望するけど。
吐き気止めの座薬はあるけど、結局下痢で出ちゃうからね〜。
もうピークは過ぎるだろうから、いまからなら薬二回飲めるから、夕方にはだいぶましになってるでしょう。
夜まで絶食、ポカリを飲んでいれば死なないから。
と、取りつく島なし。
じゃあ、頑張って〜。
と見送られ、病院を後にする。(ちょっと変わったキャラの先生なのだ)
とにかく、もらった整腸剤と頓服を飲んで、仕事まで2時間ほど休息。
確かにピークは過ぎたようで、溢れ出ちゃうような勢いはなくなってる。
ほとんど出てしまっているし、食べ物も口にしていないから、出るものもなくなっているのでしょうね。
多分、大丈夫。
寝ていないし食べていないし体力消耗しきって、フラフラではあるけど、急な下痢嘔吐にはなんとかならないで済みそう。
とは思うものの、油断はできない。
万が一、競り上がってきてしまったときのことを考えて、自分のできる精一杯の自衛をしなくちゃね。
自作のエチケット袋を用意。
ヤバいと思ったらこれを使って、司会台の影か急いでバックスペースに駆け込んでなんとかしよう。
これだって避けたいけど、とりあえず上はオッケイとしよう。
(平然と書いているけど、この時はかなり必死のいっぱいいっぱい状態でした)
じゃあ、下は?
その場でパンツを下ろすわけにもいかないし、会場からトイレはけっこう遠いから席は外せない。
うう、生理用ナプキンじゃ収まらないよね…。
あ、そうだ!!
紙おむつがあった!!!
以前『一番困ったこと1、2、3』で使った紙おむつが、まだいっぱい残ってる。
紙おむつして司会…、ううん、背に腹は代えられない、漏らすよりはずっといい。
押し入れから引っ張り出して、念のために2枚^^;
ああ、それにしても、こいつが役に立つなんて。
いや、役に立っちゃあいけないか、それは排泄することになってしまう。
えっと、安心材料として役に立つですね。
これで、漏らすという最悪のケースは回避できる。
一抹の不安は残るものの、なぜだか妙に安心。
だって、紙おむつ、優れものなんだもの。
臭いも水分も、なかなか漏れないのは実証済みなのだ。
変態行為が実生活で役立った瞬間だった(笑)
体はフラフラだけど、数時間は気持ちを保ち。
いっぱいの祝福の空気を作ることに集中する。
1、2度、ああ、わたし紙おむつしてると気づくけど、ほとんど忘れていた。
無事お開きになって、帰り道那智さんに電話をして紙おむつのことを話すと。
「りん子、濡れちゃったんじゃないの〜?」
とからかう。
那智さん、司会者をなめないでいただきたい。
濡れるわけない!!
お仕事は全力投球、真剣勝負だ。
濡れるわけない………多分。
うう、確認していないから、「多分」。
きっぱり言い切れない自分が情けない気もしますが。
とにかく、変態行為も捨てたもんじゃないと思うのでした。
ここにコメントをくださるなつこさんの声かけで『台湾料理ツアー』が開催されました。
わたしは、現地ガイドとしてご指名をいただき参加いたしました。
なつこさん以外ははじめてお会いするみなさん、ちょっと緊張するわたし、でも、そんな緊張はすぐに吹き飛ばしてくださる気さくなみなさん。
ありがとうございました^^
エロ話や変態話に花が咲きました。
普段なら話せないようなことを話しても大丈夫という安心感。
変態(?)仲間も捨てたもんじゃないな〜と思うのでした。
どんな仕事でもそれぞれ責任があるから、どれも大変とは思う。
わたしのような一発勝負の仕事や、ルーティンワーク、何かを生み出す仕事、人と関わり物と関わり、大変さにも量や質に個性があると思う。
司会業の一発勝負的な仕事は期限までにという追われるような大変さは少ないけれど、大変さがちょっと特殊な感じがする。
それはこの日のこの時間帯だけは、スーパーベストな自分を維持していないといけないという種類の大変さ。
具合が悪くて穴を開けるなんてことはもちろんダメだし、どんなに熱があっても数時間は気を抜かず、どんなに具合が悪くても、背筋を伸ばしニッコリとその場を仕切っていないといけないということはけっこう大変。
代わりがいないということは、意外とプレシャーだ。
大事な会議というプレッシャーはないけど、トイレに立てない、上機嫌でいないといけないというプレッシャー^^
ただ、熱はヴァファリンを飲んでなんとか乗り切ることはできるし、いままでもそうやって来た。
いまのところ被害に遭わずにいるけれど、それ以外に想像できる致命傷はふたつ。
ひとつは、喉。
別な司会者が朝起きたら声が枯れていてまったく発声できず、事務所の社長が急遽代役を探すなんてことも聞いたことがあって、我が事のようにヒヤヒヤしたことがある。
特にわたしは喉があまり強くないから、ちょっと危うい兆候が見られたら、早めに対処するようにしている。
もうひとつ。
それは、下痢と嘔吐!!!
ほら、ノロウィルスとかに感染してしまうと、我慢できるレベルの下痢嘔吐じゃないでしょ?
否応なく競り上がって来る。
あれは、『この時間そこいないといけない』仕事は困る。
マイクを片手に吐くわけにもいかないし、進行しながら垂れ流すなんてしたら、ホテルにも事務所にも迷惑がかかるし、お客様に申し訳ない、そしてわたしのクビが飛ぶ。
その数時間ベストな自分を維持している(もしくはフリをする)、これがこの仕事の大変なことのひとつだと思う。
夜中に具合が悪くなった。
体が痛くてお腹が気持ち悪い。
家人にお腹の風邪を引いた人間がいたから、ううやばい移ったらしい。
なるべく接触しないように気を付けていたけど、ダメだった。
夜中に何度もトイレに行き。
とにかく出るものは全部出しちゃおう。
熱も上がってきた。
この日は土曜日。
幸い夕方からの披露宴だった。
とにかく朝一で病院に行かなきゃ。
寝ていないわ全部出ちゃってるわでヘロヘロになりながら、自転車を漕いで朝一で病院に。(ちょっと遠いのだ)
事情を説明して、その数時間だけは下痢や嘔吐を止める薬を所望するけど。
吐き気止めの座薬はあるけど、結局下痢で出ちゃうからね〜。
もうピークは過ぎるだろうから、いまからなら薬二回飲めるから、夕方にはだいぶましになってるでしょう。
夜まで絶食、ポカリを飲んでいれば死なないから。
と、取りつく島なし。
じゃあ、頑張って〜。
と見送られ、病院を後にする。(ちょっと変わったキャラの先生なのだ)
とにかく、もらった整腸剤と頓服を飲んで、仕事まで2時間ほど休息。
確かにピークは過ぎたようで、溢れ出ちゃうような勢いはなくなってる。
ほとんど出てしまっているし、食べ物も口にしていないから、出るものもなくなっているのでしょうね。
多分、大丈夫。
寝ていないし食べていないし体力消耗しきって、フラフラではあるけど、急な下痢嘔吐にはなんとかならないで済みそう。
とは思うものの、油断はできない。
万が一、競り上がってきてしまったときのことを考えて、自分のできる精一杯の自衛をしなくちゃね。
自作のエチケット袋を用意。
ヤバいと思ったらこれを使って、司会台の影か急いでバックスペースに駆け込んでなんとかしよう。
これだって避けたいけど、とりあえず上はオッケイとしよう。
(平然と書いているけど、この時はかなり必死のいっぱいいっぱい状態でした)
じゃあ、下は?
その場でパンツを下ろすわけにもいかないし、会場からトイレはけっこう遠いから席は外せない。
うう、生理用ナプキンじゃ収まらないよね…。
あ、そうだ!!
紙おむつがあった!!!
以前『一番困ったこと1、2、3』で使った紙おむつが、まだいっぱい残ってる。
紙おむつして司会…、ううん、背に腹は代えられない、漏らすよりはずっといい。
押し入れから引っ張り出して、念のために2枚^^;
ああ、それにしても、こいつが役に立つなんて。
いや、役に立っちゃあいけないか、それは排泄することになってしまう。
えっと、安心材料として役に立つですね。
これで、漏らすという最悪のケースは回避できる。
一抹の不安は残るものの、なぜだか妙に安心。
だって、紙おむつ、優れものなんだもの。
臭いも水分も、なかなか漏れないのは実証済みなのだ。
変態行為が実生活で役立った瞬間だった(笑)
体はフラフラだけど、数時間は気持ちを保ち。
いっぱいの祝福の空気を作ることに集中する。
1、2度、ああ、わたし紙おむつしてると気づくけど、ほとんど忘れていた。
無事お開きになって、帰り道那智さんに電話をして紙おむつのことを話すと。
「りん子、濡れちゃったんじゃないの〜?」
とからかう。
那智さん、司会者をなめないでいただきたい。
濡れるわけない!!
お仕事は全力投球、真剣勝負だ。
濡れるわけない………多分。
うう、確認していないから、「多分」。
きっぱり言い切れない自分が情けない気もしますが。
とにかく、変態行為も捨てたもんじゃないと思うのでした。
ここにコメントをくださるなつこさんの声かけで『台湾料理ツアー』が開催されました。
わたしは、現地ガイドとしてご指名をいただき参加いたしました。
なつこさん以外ははじめてお会いするみなさん、ちょっと緊張するわたし、でも、そんな緊張はすぐに吹き飛ばしてくださる気さくなみなさん。
ありがとうございました^^
エロ話や変態話に花が咲きました。
普段なら話せないようなことを話しても大丈夫という安心感。
変態(?)仲間も捨てたもんじゃないな〜と思うのでした。
アンテナ
独特な幸福感
わたしの方の事情で那智さんと会う約束をキャンセルしないといけない日があった。
こちらの事情といっても、わたしの力の及ばないところでのことなので、申し訳ない気持ちと歯がゆい気持ちでいっぱいだった。
もちろん会えない残念さは、当然のこと。
加えて『ファーストプライオリティ1、2、3』で書いたような寂しさが、ヒタヒタと迫って来てるような感覚もある。
それが、欲情の表し方が正常に働かずに寂しいとかぐずるという形で表れているらしいということが共通認識になってきたから、このヒタヒタと感じるものも、それなのだろう。
犬気質のわたしは、その寂しさで『那智さん好き好き〜』と尻尾が振れないことは、かなりつらい。
そうなってしまうことを恐れていると大袈裟に表現したくなるくらい、つらいのだ。
まして、欲情を認め口にすることだって、とても苦手なこと。
だから、この『ヒタヒタ』と忍び寄る足音に、ううヤバいとちょっとビクビクする。
そこに、会えない残念、申し訳ない気持ち、どうすることもできない歯痒さなどなどが相まって、下手したらどどーーーっと落ち込んでしまいそうな朝の気分だった。
状況説明や謝罪、残念な気持ちと少しの寂しさのメールをいくつか送る。
那智さんからは『了解』やら『はい』やらの、なんとも事務的な返信。
このままじゃあ、落ち込んでしまいそう。
そう思って、ちょっと前向きにジャンプしてみた。
『那智さーん、欲求不満になっちゃいそうです。そしたら困ってしまいます〜。』
キャンセルになった寂しさや欲情から来る寂しさ。
会うはずだった今日一日、思いが募り過ぎて那智さんを困らせやしないかという不安。
それらを、欲求不満という言葉に乗せて素直にメールで訴えてみた。
ひと言返信。
『俺は楽しむ』
そのお返事にぎゅーっと抱きしめられた気分になった。
いいな〜、その言葉。
わたしは、こうやってこの人に何度も手を貸してもらってる。
わたしの欲求不満の困惑を。
『俺は楽しいよ』でも『俺は楽しんでるよ』でもなく。
『俺は楽しむ』と言う。
いや、楽しいことなんて自然発生するほうが正当なんだと思うし、実際自然発生した『楽しい』なんだと思うけど。
多分、違う日だったら『俺は楽しいよ』と書いていたかもしれない。
でも、この日のこのタイミングは『俺は楽しむ』だった。
そこにわたしを救い上げようという前向きな意志の力を感じてしまうのだ。
那智さんとしては寂しい=欲求不満という自説には確信があるから、りん子の寂しいは単に欲求不満。
ということは、それをどうやって遊んでやろうかという『楽しみ』から来た『楽しむ』だと思うのだけど。
敢えて、『楽しむ』と選んだことに。
会えない今日を無駄な一日にしないで、これさえも楽しんでやろうという前向きな気持ちと、それでわたしも引っ張り上げてくれようとする意志が感じられるのです。
那智さんがどこまで深く考えてその言葉を選んだか、それはわからないけど。
(後で確認したら、一応『楽しむ』を敢えて選んだそうです。まあ、こんなにわたしが反応するとまでは思っていなかったでしょうけど)
その意志を感じ取れる言葉選びが、好き。
ずっと、そうだ。
『俺と付き合うことで、りん子が幸せになるように』と那智さんが決めてから、わたしはずっとこの意志の力に支えられているように思う。
わたしの家族のこと、仕事のこと、対人関係、那智さんは深く関わってくる。
他者が見たら、不倫相手にそこまで突っ込む!?と思うかもしれないけど、それは『りん子が幸せになるように』というブレない意志からだ。
その意志に、ずっとずっと救い上げてもらっているな〜とメールのひと言から感じられ、わたしはまた『那智さん、だーい好き』になるのだ。
たかがメールのひと言で?
恋は盲目!?
そうかもしれない^^;
でも、それでその日一日幸福に過ごせれば、決して悪いことじゃないよね。
たかが、メールのひと言。
だけど、そこに前向きな意志の力を込めていると感じさせてくれる那智さん。
それを感じ取るアンテナを張るのだ。
那智さんの意志をちゃんとキャッチできるアンテナ。
多分、わたしのアンテナは、那智さんの電波だけはキャッチできるようにできているのかもしれない。
那智さん仕様のアンテナ。
ただの『都合のいい脳内変換』かもしれないけど^^;
それで、小さな幸せを逃すことなくわたしのものにするのだ。
で、このアンテナのおかげで、ブログのノロケネタも尽きないのかもしれない^^
わたしの方の事情で那智さんと会う約束をキャンセルしないといけない日があった。
こちらの事情といっても、わたしの力の及ばないところでのことなので、申し訳ない気持ちと歯がゆい気持ちでいっぱいだった。
もちろん会えない残念さは、当然のこと。
加えて『ファーストプライオリティ1、2、3』で書いたような寂しさが、ヒタヒタと迫って来てるような感覚もある。
それが、欲情の表し方が正常に働かずに寂しいとかぐずるという形で表れているらしいということが共通認識になってきたから、このヒタヒタと感じるものも、それなのだろう。
犬気質のわたしは、その寂しさで『那智さん好き好き〜』と尻尾が振れないことは、かなりつらい。
そうなってしまうことを恐れていると大袈裟に表現したくなるくらい、つらいのだ。
まして、欲情を認め口にすることだって、とても苦手なこと。
だから、この『ヒタヒタ』と忍び寄る足音に、ううヤバいとちょっとビクビクする。
そこに、会えない残念、申し訳ない気持ち、どうすることもできない歯痒さなどなどが相まって、下手したらどどーーーっと落ち込んでしまいそうな朝の気分だった。
状況説明や謝罪、残念な気持ちと少しの寂しさのメールをいくつか送る。
那智さんからは『了解』やら『はい』やらの、なんとも事務的な返信。
このままじゃあ、落ち込んでしまいそう。
そう思って、ちょっと前向きにジャンプしてみた。
『那智さーん、欲求不満になっちゃいそうです。そしたら困ってしまいます〜。』
キャンセルになった寂しさや欲情から来る寂しさ。
会うはずだった今日一日、思いが募り過ぎて那智さんを困らせやしないかという不安。
それらを、欲求不満という言葉に乗せて素直にメールで訴えてみた。
ひと言返信。
『俺は楽しむ』
そのお返事にぎゅーっと抱きしめられた気分になった。
いいな〜、その言葉。
わたしは、こうやってこの人に何度も手を貸してもらってる。
わたしの欲求不満の困惑を。
『俺は楽しいよ』でも『俺は楽しんでるよ』でもなく。
『俺は楽しむ』と言う。
いや、楽しいことなんて自然発生するほうが正当なんだと思うし、実際自然発生した『楽しい』なんだと思うけど。
多分、違う日だったら『俺は楽しいよ』と書いていたかもしれない。
でも、この日のこのタイミングは『俺は楽しむ』だった。
そこにわたしを救い上げようという前向きな意志の力を感じてしまうのだ。
那智さんとしては寂しい=欲求不満という自説には確信があるから、りん子の寂しいは単に欲求不満。
ということは、それをどうやって遊んでやろうかという『楽しみ』から来た『楽しむ』だと思うのだけど。
敢えて、『楽しむ』と選んだことに。
会えない今日を無駄な一日にしないで、これさえも楽しんでやろうという前向きな気持ちと、それでわたしも引っ張り上げてくれようとする意志が感じられるのです。
那智さんがどこまで深く考えてその言葉を選んだか、それはわからないけど。
(後で確認したら、一応『楽しむ』を敢えて選んだそうです。まあ、こんなにわたしが反応するとまでは思っていなかったでしょうけど)
その意志を感じ取れる言葉選びが、好き。
ずっと、そうだ。
『俺と付き合うことで、りん子が幸せになるように』と那智さんが決めてから、わたしはずっとこの意志の力に支えられているように思う。
わたしの家族のこと、仕事のこと、対人関係、那智さんは深く関わってくる。
他者が見たら、不倫相手にそこまで突っ込む!?と思うかもしれないけど、それは『りん子が幸せになるように』というブレない意志からだ。
その意志に、ずっとずっと救い上げてもらっているな〜とメールのひと言から感じられ、わたしはまた『那智さん、だーい好き』になるのだ。
たかがメールのひと言で?
恋は盲目!?
そうかもしれない^^;
でも、それでその日一日幸福に過ごせれば、決して悪いことじゃないよね。
たかが、メールのひと言。
だけど、そこに前向きな意志の力を込めていると感じさせてくれる那智さん。
それを感じ取るアンテナを張るのだ。
那智さんの意志をちゃんとキャッチできるアンテナ。
多分、わたしのアンテナは、那智さんの電波だけはキャッチできるようにできているのかもしれない。
那智さん仕様のアンテナ。
ただの『都合のいい脳内変換』かもしれないけど^^;
それで、小さな幸せを逃すことなくわたしのものにするのだ。
で、このアンテナのおかげで、ブログのノロケネタも尽きないのかもしれない^^
好きな席
独り言
カウンター席が好きだ。
特に『2人』で『お酒の席』なら、断然カウンター席が好き。
那智さんはもちろん。
女友達ででも好きなので、近くにいるということだけで好きなのではないと思う。
並ぶほうがいいみたいなんだ。
だから、丸テーブルに座るときなどは、正面じゃなくて隣を選ぶな。
大人数や『お酒』以外の場所なら、このこだわりは、ずーっと緩和されるけど。
はじめて『カウンターが好き』だと自覚したのは、20代のはじめの頃だったと思う。
いわゆる合コンというのをやった、男女4人ずつくらいだったかな〜。
その時わたしは大酔っぱらいして各駅下車の旅(毎駅トイレに降りた^^;)、それにずっと付き合ってくれた男の子がいた。
その子の腕時計をいつの間にか自分の腕にはめてしまっていて、そのまま帰ってしまったのだ。
ああ、わたし無意識の確信犯だったのかな〜^^;
酔っていたから『いつの間にか』だったんだけど、後日それで会う約束取り付けたからね(積極的なわたし^^;)
で、後日、腕時計を返すという名目でその子の地元まで届けに行った。
アパレル業界の子だったから合コンの時はおしゃれなスーツ着て、おしゃれなお店だったのに。
現れた男の子はスウェット姿で、連れて行かれたお店は、オヤジが集まるような大衆居酒屋だった。
ほぼ男性ばかりの店のカウンターに座り、枝豆や山芋の千切りなんかをつまみに生ビールを飲む。
なんだかね、各駅下車で介抱してくれていた空気は、こっちの彼だったんだな。
おしゃれなスーツよりも大衆居酒屋な感じ。
それがとてもリラックスできて、お酒も話しも尽きなかった。
ああ、恋に堕ちそう。
そうそう、恋をするというより、堕ちそうなことを楽しんでいた感じだった。
最初はお互い正面を向いて、しばらくすると肩が触れ合うようなり。
会話の熱と比例するように体が斜めになっていき、最後には完全に向き合っていた。
男の子の足の間にわたしの膝が入り込むほど、密に向き合っていた。
あのときから、カウンターが好きだなと自覚するようになったと思う。
カウンター席の、距離と空気の密度が好きなんだ。
テーブル席だとと、否応なく向かい合わないといけないでしょ?
カウンターは、どこを向くか自分で決めることができる。
正面を向きながら考えをまとめたり、相手の横顔を伺ったりできる。
それでいて、とても近い。
とても近くにいて、尚かつ空気の密度を濃くも薄くもできる、そういうところが好きなんだな。
だから、あれ以来、わたしはカウンター席好きを自認している。
そんなもんだから、那智さんとなんて、もう絶対カウンター。
正面を向いていた体が徐々に那智さんに向かっていき、いつの間にか那智さんの間に収まっているのは、そのプロセスも含めて幸せなこと。
だから、テーブル席に案内されたときなどは、状況が許されれば隣に座る(両隣に人がいたりしたらやめますよ)
いい年した男女がテーブル席で並んで座るのはかなり恥を忍んでなんだけど、だって隣がいいのだもの、多少の開き直りと大いなる勇気で隣に座るのだ。
ある日のこと。
デートの締めくくりにビールを飲もうということになった。
生ビールのおいしいその店は昼間からオープンしている。
まだ、夕方になる手前の明るさのなか、アルコールを飲むのななんだかとても贅沢な気分。
そんな時間だから、店内は比較的すいていた。
那智さんは、わたしがカウンターが好きなのを知っているからカウンターを目指してくれるのだけど、どうもいい席が空いていなかった。(すぐ隣に人がいたりしてね)
まあ、しょうがないなとテーブル席へ。
「隣がいいんだろ?」
「でも、ちょっと恥ずかしいからいいですよ^^;」
夜じゃない時間帯のそれが、とても照れ臭い気持ちになったのでテーブル席に向かいながら、そう返事をする。
「奥どうぞ。」
促されて奥の席へ。
向かい側の椅子にコートと鞄を置いた那智さんが、わたしの隣に座ってくれたのだ。
あ、気にしてくれたんだ。
いつもは、那智さんが座る隣に「座ってもいいですか?」と強行してしまうのだけど、今日は那智さんが隣を選んでくれた。
嬉しいな。
奥のベンチシートに並んで腰掛ける。
(よくあるよね、隣とズラーッと繋がっているソファ席みたいなの)
メニーを選び、オーダーして。
並びながら、ちょっと肩が触れる。
少し那智さんよりになりたいなと、体を那智さん側に開く。
わずかな、クエスチョン。
「なんか、座りにくくない?」
偶然にも那智さんがクエスチョンに答えてくれた。
うん、ちょっと違和感ある?
でも、でも、恋する乙女は隣がいいのだ。
まして、那智さんが選んでくれたのだもの。
恋心はわずかなクエスチョンを打ち消す。
「ううん、このままがいいです。」
「そぉ?」
納得いかないけど納得するかという雰囲気で、そのまま隣に座っていてくれた。
今日一日の幸せな時間が生ビールのキメの細かい泡に凝縮されているみたい。
極楽、極楽。
2杯目を頼み、いい感じでアルコールが体に回ってきた。
それに合わせるように、体をまた那智さんに向ける。
…、やっぱり、違和感。
なんでだろ?
とにかく、いつもカウンターで感じるしっくりする感じがない。
なんか、いやだ。
口にする提案を、口にする手前で、もう吹き出しそうだ。
自分の提案が、とても自分勝手で^^;
ごめんなさい、那智さん、でも、言う。
「那智さん、隣、やっぱり嫌でした。この席座りにくいです。」
「そうだろ!?」
「はい、ごめんなさい、那智さん向こうに座って。」
「てめ〜、ふざけるな(笑)」
きゃーー、ごめんなさい!!
でも、なんだか居心地悪かったのだもの〜。
手が伸びできて、わたしのオデコに。
ぴし、ぴし、ぴし。
でこピン、3発。
「お仕置き〜(笑)」
そう言って那智さんは荷物をどかして向かいの席へ。
2人で大笑い。
一見すると、『女性の隣に座るという作戦に出た男性が、結局向かい側に移動させられた図』という情けない男性像になってしまった代償はでこピン3発ということらしい。
でこピンはけっこう痛かった。
でも、端から見たら那智さんの行動のほうが、痛い?とも思うので、このお仕置きは甘んじてお受けしました。
どうやら、ベンチシートで並ぶのは、距離と空気の濃度を楽しむには不適切だったらしい。
並ぶことの良さはのキーポイントは『椅子』らしい。
ごめんなさい、那智さん。
これからは、ただ並ぶんじゃなくて、ツールにもこだわります^^
そんなことを気にせず堂々と隣を楽しめる、やっぱりわたしはカウンターが好き。
カウンター席が好きだ。
特に『2人』で『お酒の席』なら、断然カウンター席が好き。
那智さんはもちろん。
女友達ででも好きなので、近くにいるということだけで好きなのではないと思う。
並ぶほうがいいみたいなんだ。
だから、丸テーブルに座るときなどは、正面じゃなくて隣を選ぶな。
大人数や『お酒』以外の場所なら、このこだわりは、ずーっと緩和されるけど。
はじめて『カウンターが好き』だと自覚したのは、20代のはじめの頃だったと思う。
いわゆる合コンというのをやった、男女4人ずつくらいだったかな〜。
その時わたしは大酔っぱらいして各駅下車の旅(毎駅トイレに降りた^^;)、それにずっと付き合ってくれた男の子がいた。
その子の腕時計をいつの間にか自分の腕にはめてしまっていて、そのまま帰ってしまったのだ。
ああ、わたし無意識の確信犯だったのかな〜^^;
酔っていたから『いつの間にか』だったんだけど、後日それで会う約束取り付けたからね(積極的なわたし^^;)
で、後日、腕時計を返すという名目でその子の地元まで届けに行った。
アパレル業界の子だったから合コンの時はおしゃれなスーツ着て、おしゃれなお店だったのに。
現れた男の子はスウェット姿で、連れて行かれたお店は、オヤジが集まるような大衆居酒屋だった。
ほぼ男性ばかりの店のカウンターに座り、枝豆や山芋の千切りなんかをつまみに生ビールを飲む。
なんだかね、各駅下車で介抱してくれていた空気は、こっちの彼だったんだな。
おしゃれなスーツよりも大衆居酒屋な感じ。
それがとてもリラックスできて、お酒も話しも尽きなかった。
ああ、恋に堕ちそう。
そうそう、恋をするというより、堕ちそうなことを楽しんでいた感じだった。
最初はお互い正面を向いて、しばらくすると肩が触れ合うようなり。
会話の熱と比例するように体が斜めになっていき、最後には完全に向き合っていた。
男の子の足の間にわたしの膝が入り込むほど、密に向き合っていた。
あのときから、カウンターが好きだなと自覚するようになったと思う。
カウンター席の、距離と空気の密度が好きなんだ。
テーブル席だとと、否応なく向かい合わないといけないでしょ?
カウンターは、どこを向くか自分で決めることができる。
正面を向きながら考えをまとめたり、相手の横顔を伺ったりできる。
それでいて、とても近い。
とても近くにいて、尚かつ空気の密度を濃くも薄くもできる、そういうところが好きなんだな。
だから、あれ以来、わたしはカウンター席好きを自認している。
そんなもんだから、那智さんとなんて、もう絶対カウンター。
正面を向いていた体が徐々に那智さんに向かっていき、いつの間にか那智さんの間に収まっているのは、そのプロセスも含めて幸せなこと。
だから、テーブル席に案内されたときなどは、状況が許されれば隣に座る(両隣に人がいたりしたらやめますよ)
いい年した男女がテーブル席で並んで座るのはかなり恥を忍んでなんだけど、だって隣がいいのだもの、多少の開き直りと大いなる勇気で隣に座るのだ。
ある日のこと。
デートの締めくくりにビールを飲もうということになった。
生ビールのおいしいその店は昼間からオープンしている。
まだ、夕方になる手前の明るさのなか、アルコールを飲むのななんだかとても贅沢な気分。
そんな時間だから、店内は比較的すいていた。
那智さんは、わたしがカウンターが好きなのを知っているからカウンターを目指してくれるのだけど、どうもいい席が空いていなかった。(すぐ隣に人がいたりしてね)
まあ、しょうがないなとテーブル席へ。
「隣がいいんだろ?」
「でも、ちょっと恥ずかしいからいいですよ^^;」
夜じゃない時間帯のそれが、とても照れ臭い気持ちになったのでテーブル席に向かいながら、そう返事をする。
「奥どうぞ。」
促されて奥の席へ。
向かい側の椅子にコートと鞄を置いた那智さんが、わたしの隣に座ってくれたのだ。
あ、気にしてくれたんだ。
いつもは、那智さんが座る隣に「座ってもいいですか?」と強行してしまうのだけど、今日は那智さんが隣を選んでくれた。
嬉しいな。
奥のベンチシートに並んで腰掛ける。
(よくあるよね、隣とズラーッと繋がっているソファ席みたいなの)
メニーを選び、オーダーして。
並びながら、ちょっと肩が触れる。
少し那智さんよりになりたいなと、体を那智さん側に開く。
わずかな、クエスチョン。
「なんか、座りにくくない?」
偶然にも那智さんがクエスチョンに答えてくれた。
うん、ちょっと違和感ある?
でも、でも、恋する乙女は隣がいいのだ。
まして、那智さんが選んでくれたのだもの。
恋心はわずかなクエスチョンを打ち消す。
「ううん、このままがいいです。」
「そぉ?」
納得いかないけど納得するかという雰囲気で、そのまま隣に座っていてくれた。
今日一日の幸せな時間が生ビールのキメの細かい泡に凝縮されているみたい。
極楽、極楽。
2杯目を頼み、いい感じでアルコールが体に回ってきた。
それに合わせるように、体をまた那智さんに向ける。
…、やっぱり、違和感。
なんでだろ?
とにかく、いつもカウンターで感じるしっくりする感じがない。
なんか、いやだ。
口にする提案を、口にする手前で、もう吹き出しそうだ。
自分の提案が、とても自分勝手で^^;
ごめんなさい、那智さん、でも、言う。
「那智さん、隣、やっぱり嫌でした。この席座りにくいです。」
「そうだろ!?」
「はい、ごめんなさい、那智さん向こうに座って。」
「てめ〜、ふざけるな(笑)」
きゃーー、ごめんなさい!!
でも、なんだか居心地悪かったのだもの〜。
手が伸びできて、わたしのオデコに。
ぴし、ぴし、ぴし。
でこピン、3発。
「お仕置き〜(笑)」
そう言って那智さんは荷物をどかして向かいの席へ。
2人で大笑い。
一見すると、『女性の隣に座るという作戦に出た男性が、結局向かい側に移動させられた図』という情けない男性像になってしまった代償はでこピン3発ということらしい。
でこピンはけっこう痛かった。
でも、端から見たら那智さんの行動のほうが、痛い?とも思うので、このお仕置きは甘んじてお受けしました。
どうやら、ベンチシートで並ぶのは、距離と空気の濃度を楽しむには不適切だったらしい。
並ぶことの良さはのキーポイントは『椅子』らしい。
ごめんなさい、那智さん。
これからは、ただ並ぶんじゃなくて、ツールにもこだわります^^
そんなことを気にせず堂々と隣を楽しめる、やっぱりわたしはカウンターが好き。
幸福な不自由
独特な幸福感
わたしのフェラチオが気持ちいいらしい。
なーんて、凄い秘技があるわけでもないし、『那智さんにとって』ということなので精神も作用しているわけだから、自慢にもなんにもならないのだけど。
出会って間もない頃は『40点』と言われ、テクニック講座みたなHPを見るように指示されていたわたしなのだから、まあ多少は成長したのだと思う。
成長したのだから、ほんとは自慢したい気分なんだけど。
そのHPに書いてあったことはほとんど覚えていないし、那智さんが気持ち良くなるようにという思考が、ゼロじゃないけどかなり低いので、やっぱり自慢できるものじゃないね。
それが、大好きで。
それをくわえることが大好きで。
那智さんが気持ち良さそうにすると、こちらの快感も跳ね上がる。
そして、お口の中の快感機能を刺激して、また快感。(口の中気持ちいいんだよね)
男性によって好みは別れると思うけど。
もしかしたら、あなたのためにというよりも、わたしのためにでしたほうが実は男性側も気持ち良かったりして?
愛いヤツじゃという精神も加味されるとは思うけど、『わたしのお口の中が気持ち良くなるようにしゃぶるというやり方』が、男性にとっては、実は気持ちのよいテクニックになっているんじゃない、なんて自分勝手な想像をしてみたり。
『わたしの快感』のためのフェラチオでしていることが、那智さんにとっても気持ちいいことに成長しているわけで、思わずそんな想像までしてしまう。
まあ、そうはいっても、那智さんが気持ち良さそうにするポイントなども(多分)想像できていて、無闇やたらにしゃぶっているわけでもないけれど。
那智さん、気持ち良くなれ〜と、もちろん思うけど。
それでも、それが全部、自分の快感に繋がっていしまっているわけだから、わたしのフェラチオは『ご奉仕』からは、ほど遠い^^;
ある日、那智さんが珍しい告白をしてくれた。
那智さん自身もはじめてに近い感覚だったらしいのだけど。
日常生活の中で、ふと、わたしがくわえている感覚が蘇り、おちんちんが疼いたそうなんだ。
それは普段沸き上がるような『りん子を』責めたい『りん子を』可愛がりたいというような、いかにも那智さんらしい欲情とは違う、どちらかと言えば純粋なオスとしての欲情のようなものだろうか。
フェラチオよる快感の末に放出したい、そんな感じなのかな。
わたしという対象物を排除したところでのオスとしての欲情を感じるということは、長い付き合いの中でもそんなにたくさんはないはず。
『抜きて〜』というのはあったとしても、それは生理現象に近いよね。
快感を思い出して疼き、それを味わいたいという欲情となると、多分めずらしい。
だけど、そこで那智さんは不自由を感じるはずだ。
『りん子を』という欲求でもなく、対象物が『りん子』じゃなくてもかまわない、オスの欲情。
だけど、それは『りん子』じゃないと叶わないわけです!!
この説明わかるかな〜^^;
誰でもいいはずなんだ。
『フェラチオよる快感の末に放出したい』のだから。
風俗でもできるはず。
だけど。
『それが大好きで、それをしゃぶることで口内快感を味わっている女がするフェラチオ』の快感を求めてしまっているのだとすると、それは不自由なことになる。
『りん子』じゃなくていいのだけど、『りん子』じゃないと味わえない。
うふふ。
心の中で小さくガッツポーズ。
散々快感を植え付けられて、那智さんじゃないとダメというわたしに作り上げられた。
那智さんがくれる快感に虜になり、それがほしくて不機嫌になるほど執着する。
とても幸福な反面、とても不自由だとも感じていた。
だって他では補えないのだもの。
那智さんは、わたしのことが好きだ。
わたしとするセックスも好きなはず。
でも、それは精神的な満足が多くを占めていたと思う。
それはそれで、この上なく幸福なことなんだけど。
わたしのように。
体だけを取り出して、その快感だけででもわたしに執着することになるのなら。
那智さんは、わたしと同じ不自由さを味わうことになると思うのだ。
もしそうだとしたらちょっとガッツポーズな気分^^
わたしばっかり不自由なんて、なんだか不公平な気がしていたのだもの。
ということで、那智さんの『疼いた』発言は、とても喜ばしいものなのでした。
で、そこからフェラチオ話が広がって。
次回、ちょっと指導があるそうです。
ほら、クリトリスを刺激され続けると、気持ち良すぎて苦しいという状態になるでしょ。
多分それと同じような感覚が、最近のフェラチオで感じているのだそうです。
だから、それを『とても気持ちいいだけ』に変換できるように、指導するそうです。
アベレージ80点を出せるようになったら指導しよう考えていたそうで、そろそろその頃だろうと。
え〜、わたしには、気持ち良すぎて苦しい、苦しい果ての快感を味わわせるのに、ご自分は『とても気持ちいい』にとどめておこうとするおつもりですか!?
それも不公平な気がしますけどわたしたちの関係値では、それは仕方がないらしい^^;
ということで、指導された新しいのフェラチオテクニックで、那智さんをもっとメロメロにさせてやるー!!と決意を新たにする。
那智さんにも、もっと幸福な不自由を味わわせて差し上げるのだ^^
指導してもらっても、結局夢中になってしまってあまり意味がない可能性大ですけど^^
そうそう、全然関係ないけれど、よくフェラチオの最中に『おいしい?』と聞くシチュエーションを目にするけど。
わたし、あれ疑問なんだ。
おちんちんっておいしい?
大好きとか。
嬉しいとか。
いとおしいとか。
興奮するとか。
それはあったとしても、おししい?
人の皮膚だよ?おいしいものなのかな?
『おいしく感じるほど、好き』ならわかるけど。
きっと『おいしい?』と聞かれても、はいと言えない気がする…。
どうも、その辺りへそ曲がりなわたし^^;
追伸。
今日のエントリー、かなり那智さんの心を推測して書いてます。
見解の相違、反論は受け付けますよ、那智さん♪
追伸2。(これが一番大事なお話だわ)
『お知らせです』でお伝えしていましたパソコン環境、蓋を開けてみればそれほど変わらないようでした。
もうちょっと様子を見てからお知らせすればよかったのですけど、コメントレスが遅れることが気がかりでちょっと焦っての『お知らせ』でした。
多分、いままでと変わらないペースに戻ると思います。
ということで、お騒がせいたしました^^
これからもよろしくお願いします♪
わたしのフェラチオが気持ちいいらしい。
なーんて、凄い秘技があるわけでもないし、『那智さんにとって』ということなので精神も作用しているわけだから、自慢にもなんにもならないのだけど。
出会って間もない頃は『40点』と言われ、テクニック講座みたなHPを見るように指示されていたわたしなのだから、まあ多少は成長したのだと思う。
成長したのだから、ほんとは自慢したい気分なんだけど。
そのHPに書いてあったことはほとんど覚えていないし、那智さんが気持ち良くなるようにという思考が、ゼロじゃないけどかなり低いので、やっぱり自慢できるものじゃないね。
それが、大好きで。
それをくわえることが大好きで。
那智さんが気持ち良さそうにすると、こちらの快感も跳ね上がる。
そして、お口の中の快感機能を刺激して、また快感。(口の中気持ちいいんだよね)
男性によって好みは別れると思うけど。
もしかしたら、あなたのためにというよりも、わたしのためにでしたほうが実は男性側も気持ち良かったりして?
愛いヤツじゃという精神も加味されるとは思うけど、『わたしのお口の中が気持ち良くなるようにしゃぶるというやり方』が、男性にとっては、実は気持ちのよいテクニックになっているんじゃない、なんて自分勝手な想像をしてみたり。
『わたしの快感』のためのフェラチオでしていることが、那智さんにとっても気持ちいいことに成長しているわけで、思わずそんな想像までしてしまう。
まあ、そうはいっても、那智さんが気持ち良さそうにするポイントなども(多分)想像できていて、無闇やたらにしゃぶっているわけでもないけれど。
那智さん、気持ち良くなれ〜と、もちろん思うけど。
それでも、それが全部、自分の快感に繋がっていしまっているわけだから、わたしのフェラチオは『ご奉仕』からは、ほど遠い^^;
ある日、那智さんが珍しい告白をしてくれた。
那智さん自身もはじめてに近い感覚だったらしいのだけど。
日常生活の中で、ふと、わたしがくわえている感覚が蘇り、おちんちんが疼いたそうなんだ。
それは普段沸き上がるような『りん子を』責めたい『りん子を』可愛がりたいというような、いかにも那智さんらしい欲情とは違う、どちらかと言えば純粋なオスとしての欲情のようなものだろうか。
フェラチオよる快感の末に放出したい、そんな感じなのかな。
わたしという対象物を排除したところでのオスとしての欲情を感じるということは、長い付き合いの中でもそんなにたくさんはないはず。
『抜きて〜』というのはあったとしても、それは生理現象に近いよね。
快感を思い出して疼き、それを味わいたいという欲情となると、多分めずらしい。
だけど、そこで那智さんは不自由を感じるはずだ。
『りん子を』という欲求でもなく、対象物が『りん子』じゃなくてもかまわない、オスの欲情。
だけど、それは『りん子』じゃないと叶わないわけです!!
この説明わかるかな〜^^;
誰でもいいはずなんだ。
『フェラチオよる快感の末に放出したい』のだから。
風俗でもできるはず。
だけど。
『それが大好きで、それをしゃぶることで口内快感を味わっている女がするフェラチオ』の快感を求めてしまっているのだとすると、それは不自由なことになる。
『りん子』じゃなくていいのだけど、『りん子』じゃないと味わえない。
うふふ。
心の中で小さくガッツポーズ。
散々快感を植え付けられて、那智さんじゃないとダメというわたしに作り上げられた。
那智さんがくれる快感に虜になり、それがほしくて不機嫌になるほど執着する。
とても幸福な反面、とても不自由だとも感じていた。
だって他では補えないのだもの。
那智さんは、わたしのことが好きだ。
わたしとするセックスも好きなはず。
でも、それは精神的な満足が多くを占めていたと思う。
それはそれで、この上なく幸福なことなんだけど。
わたしのように。
体だけを取り出して、その快感だけででもわたしに執着することになるのなら。
那智さんは、わたしと同じ不自由さを味わうことになると思うのだ。
もしそうだとしたらちょっとガッツポーズな気分^^
わたしばっかり不自由なんて、なんだか不公平な気がしていたのだもの。
ということで、那智さんの『疼いた』発言は、とても喜ばしいものなのでした。
で、そこからフェラチオ話が広がって。
次回、ちょっと指導があるそうです。
ほら、クリトリスを刺激され続けると、気持ち良すぎて苦しいという状態になるでしょ。
多分それと同じような感覚が、最近のフェラチオで感じているのだそうです。
だから、それを『とても気持ちいいだけ』に変換できるように、指導するそうです。
アベレージ80点を出せるようになったら指導しよう考えていたそうで、そろそろその頃だろうと。
え〜、わたしには、気持ち良すぎて苦しい、苦しい果ての快感を味わわせるのに、ご自分は『とても気持ちいい』にとどめておこうとするおつもりですか!?
それも不公平な気がしますけどわたしたちの関係値では、それは仕方がないらしい^^;
ということで、指導された新しいのフェラチオテクニックで、那智さんをもっとメロメロにさせてやるー!!と決意を新たにする。
那智さんにも、もっと幸福な不自由を味わわせて差し上げるのだ^^
指導してもらっても、結局夢中になってしまってあまり意味がない可能性大ですけど^^
そうそう、全然関係ないけれど、よくフェラチオの最中に『おいしい?』と聞くシチュエーションを目にするけど。
わたし、あれ疑問なんだ。
おちんちんっておいしい?
大好きとか。
嬉しいとか。
いとおしいとか。
興奮するとか。
それはあったとしても、おししい?
人の皮膚だよ?おいしいものなのかな?
『おいしく感じるほど、好き』ならわかるけど。
きっと『おいしい?』と聞かれても、はいと言えない気がする…。
どうも、その辺りへそ曲がりなわたし^^;
追伸。
今日のエントリー、かなり那智さんの心を推測して書いてます。
見解の相違、反論は受け付けますよ、那智さん♪
追伸2。(これが一番大事なお話だわ)
『お知らせです』でお伝えしていましたパソコン環境、蓋を開けてみればそれほど変わらないようでした。
もうちょっと様子を見てからお知らせすればよかったのですけど、コメントレスが遅れることが気がかりでちょっと焦っての『お知らせ』でした。
多分、いままでと変わらないペースに戻ると思います。
ということで、お騒がせいたしました^^
これからもよろしくお願いします♪