濃い3
非日常的な日常
ベッドに横たわりぼんやりと天井を見つめるわたしは、ほんの少数のわたし。
あとは、那智さんの気配につられて四つん這いで歩き出してしまう「痴人」のようなわたし。
体が疼いたままだ。
何もしていないのに気持ちいい。
お布団をかぶり、湧き上がる欲情を抑えられない。
ううん、この痴人状態のときは、抑える気がないのだ。
だから、もぞもぞはぁはぁ、抑えることなく垂れ流してる。
この、抑えない状態が気持ち良い。
上手に説明できるかな。
主に「エッチ」な場面に於いて。
わたしには、本能担当の「りん子ちゃん」と理性担当の「りん子女史」がいる。(「りん子ねえさん」でも「りん子委員長」でもなんでもいいの、ちょっとえらそうな感じで^^;)
気持ちいいことや気持ち良くなることが大好きな「りん子ちゃん」。
美意識やなんやらで、りん子ちゃんの暴走を抑えるストッパー「りん子女史」。
もともとわたしの中に「りん子ちゃん」らしき本能がいるのは気づいていたけど、以前のわたしは「りん子女史」がほとんどを占めていて、那智さんに出会う前、男の人に抱かれるときはずっと「りん子女史」だった。
抱かれながら、地底深くに眠る「りん子ちゃん」が疼く。
ほとんどが「りん子女史」なのだから、それがわたし本人の意志のようなものなんだけど、わたし本人も「りん子ちゃん」登場できたらいいのにな〜と思ってるのに、「りん子女史」が許してくれない。
ちょっとでも「りん子ちゃん」的なわたしが見えると、「りん子女史」は一斉攻撃して、わたしを嫌悪する。
だから、わたしは「快感」を覚えようとすると自己嫌悪に陥っていたのだ。
那智さんに抱かれるようになって、少しずつ、否応無しに「りん子ちゃん」を剥き出しにされていき、自己嫌悪の攻撃に耐えながら、那智さんに「どうか、このわたしを好いて」とお願いし続けた。
わたしがわたしを嫌いにならないように、あなたが好いて、肯定して、と。
(羞恥心をなくさないでと願いながらも、わたしを崩そうとする矛盾を持った那智さんの心理が徐々に変化していったことは、またいつか書きます)
那智さんに抱かれ快感を覚えるうちに、わたしはあることに気づく。
「りん子ちゃん」を「りん子女史」が見てるのだ。
ふたりが同時に現れて、見てるのだ。
気持ち良さそうにする「りん子ちゃん」を、「りん子女史」は注意深く見て、「その顔は美意識が許さないからダメ」とか「それ以上感じたら、はしたないからストップ」と指示を出している。
ああ、うっとうしい、「りん子女史」取っ払ってしまいたい、でも、できない、これもわたしの意識でそれに反すると自己嫌悪しないといけないのだもの。
そして、またあるとき、気づく。
ストッパーとして存在してる「りん子女史」が、泣き叫んだり感じたりしてるわたし(りん子ちゃん)を見て、感じてるのだ。
最初は少し。
でも、それは、那智さんがくれる快感と許しにより、どんどん大きくなっていった。
「りん子女史」は行ったり来たり。
でも、自分も感じてることを自覚してから、強い「自己嫌悪」の攻撃はなくなった。
わずかに「それでいいの?」とチクッと刺を刺すくらい。
辛うじてストッパーになっていた。
そうなると、わたしも「りん子ちゃん」も嬉しい。
だって、気持ちいいし嫌悪感が減るのだもの。
わずかな「刺」は那智さんに「このわたしを好いて」とお願いすることで、さらに自分を許していった。
そして、鞭の打ち方を変えた日。
多分、あれが最初だったと思う。
「りん子女史」が、「りん子ちゃん」と同じようになっちゃったの。
「りん子ちゃん」がおかしくなって快感に浸ってるのを見ている「りん子女史」が、それを見て「りん子ちゃん」のように感じてしまった、そして、ストッパー役を放棄してしまったのだ。
だから、とんでもなく気持ちいい。
だって、実際に感じてる快感と、見て感じる快感、二倍の快感なんだもの。
そして、自己嫌悪からの解放。
自己嫌悪から解放されたふたりがそろってくすくす笑うのは、とてもとても気持ち良くて、幸せだ。
そのダブルの快感が「痴人」状態。
わたしは、よかったねと「りん子ちゃん」とハイタッチ^^
もちろん、正気に戻ったときは揺り戻しは大きくて、那智さんに「好いて、肯定して」とずいぶんとまとわりついてるけど(笑)
踏まれ、殴られ、髪を引っ張られたわたしは、ふたりの「りん子ちゃん」状態でベッドにいたのだ。
だから、もぞもぞはぁはぁ、垂れ流す。(えっと、多少は戻ってるから、ぼんやり天井眺める理性はありました)
那智さんが隣りに来た。
どうしてそうなったのか覚えてないけど、わたしはフェラチオをはじめてた。
(指示された?わたしがお願いした?う〜ん、ろれつの回らない状態でお願いしてしまったような記憶もある…)
那智さんのおちんちんがお口に入ってるのが嬉しくて嬉しくて、気持ち良くて。
もうはしたなさこの上ない顔をしてる(はず)。
ちょーっとだけ戻ってた理性が、那智さんのお腹の上に頭を載せるように定めて、その顔だけは見せないようにしてくれた。(普段は足下にいくから表情は見えてしまう)
もう、あとは、ふたりの「りん子ちゃん」の独壇場。
阿呆のようにしゃぶりつく。
大きく口を開け、舌を絡め。
あああ、気持ちいい。
そのはしたないわたしを見て、気持ちいい。
さぞやみっともないはしたない顔をしてるだろうな。
それさえも気持ちいい。
どれくらいフェラチオしただろうか。
ずっとずっとこうしていたいと考えることも放棄するほど快感を貪っていたら、不意に声がした(気がした)。
「そーんなみっともない顔して、恥ずかしくないの!?いい加減にその辺でやめなさい。」
なんてこと、また別の「りん子女史」が現れたのだ。
信じられない!!
ふたりの「りん子ちゃん」を仁王立ちで見下ろし、ストップをかける新しい「りん子女史」が現れた。
嘘みたいな話なんだけど、ほんと。
そうしたら、一気に正気に戻ってしまった。
不思議なくらい、急速に正気になる。
「いやーーーー、もうできません!!!」
そういって、那智さんのおちんちんから口を離し、那智さんの腕の中に逃げる。
ダブルりん子ちゃんだったことが、情けなくて恥ずかしくて居たたまれない。
「なに!?」
そりゃ、驚きますよね、いまさっきまでむしゃぶりついていたのに、いきなり「できません!!」なんて言い出すのだもの。
「ああああああ、残念です〜。でも、もうできなくなっちゃった。」
新しい「りん子女史」は、快感に浸るふたりの「りん子ちゃん」と一喝。
そうなると、もう、それ以上「りん子ちゃん」は暴れられない。
少なくとも、二番目の「りん子ちゃん」は「りん子女史」に同化してしまう。
ああ、ほんとに残念。
那智さんがくれる快感はどれもわたしは幸せだけど、ストッパーの「りん子女史」が放棄するのは、貴重で得難い快感なのだ。
だから、勝手に登場した「newりん子女史」をちょっと恨む。
でも、また、行きつ戻りつして、いつか「りん子ちゃん」3人状態の日が来るかもしれない。
そしたら、快感3倍になるのかな。
それで、また「newりん子女史」が登場して、いたちごっこになるの?
どうなるかわからないけど、「りん子ちゃん」の倍増は、恐ろしく、でも、ちょっと楽しみ。
そうして、二番目の「りん子ちゃん」が「りん子女史」に戻ると、今度は別の快感にスイッチする。
甘え、女の子のように甘え、可愛がられ、抱かれる。
これもわたしにとっては得難い快感なのです。
こうして、濃い時間の前半は過ぎ。
わたしたちは、ランチを食べに一旦外に出た。
朝、使うことのなかった、紙おむつを履いて。
ベッドに横たわりぼんやりと天井を見つめるわたしは、ほんの少数のわたし。
あとは、那智さんの気配につられて四つん這いで歩き出してしまう「痴人」のようなわたし。
体が疼いたままだ。
何もしていないのに気持ちいい。
お布団をかぶり、湧き上がる欲情を抑えられない。
ううん、この痴人状態のときは、抑える気がないのだ。
だから、もぞもぞはぁはぁ、抑えることなく垂れ流してる。
この、抑えない状態が気持ち良い。
上手に説明できるかな。
主に「エッチ」な場面に於いて。
わたしには、本能担当の「りん子ちゃん」と理性担当の「りん子女史」がいる。(「りん子ねえさん」でも「りん子委員長」でもなんでもいいの、ちょっとえらそうな感じで^^;)
気持ちいいことや気持ち良くなることが大好きな「りん子ちゃん」。
美意識やなんやらで、りん子ちゃんの暴走を抑えるストッパー「りん子女史」。
もともとわたしの中に「りん子ちゃん」らしき本能がいるのは気づいていたけど、以前のわたしは「りん子女史」がほとんどを占めていて、那智さんに出会う前、男の人に抱かれるときはずっと「りん子女史」だった。
抱かれながら、地底深くに眠る「りん子ちゃん」が疼く。
ほとんどが「りん子女史」なのだから、それがわたし本人の意志のようなものなんだけど、わたし本人も「りん子ちゃん」登場できたらいいのにな〜と思ってるのに、「りん子女史」が許してくれない。
ちょっとでも「りん子ちゃん」的なわたしが見えると、「りん子女史」は一斉攻撃して、わたしを嫌悪する。
だから、わたしは「快感」を覚えようとすると自己嫌悪に陥っていたのだ。
那智さんに抱かれるようになって、少しずつ、否応無しに「りん子ちゃん」を剥き出しにされていき、自己嫌悪の攻撃に耐えながら、那智さんに「どうか、このわたしを好いて」とお願いし続けた。
わたしがわたしを嫌いにならないように、あなたが好いて、肯定して、と。
(羞恥心をなくさないでと願いながらも、わたしを崩そうとする矛盾を持った那智さんの心理が徐々に変化していったことは、またいつか書きます)
那智さんに抱かれ快感を覚えるうちに、わたしはあることに気づく。
「りん子ちゃん」を「りん子女史」が見てるのだ。
ふたりが同時に現れて、見てるのだ。
気持ち良さそうにする「りん子ちゃん」を、「りん子女史」は注意深く見て、「その顔は美意識が許さないからダメ」とか「それ以上感じたら、はしたないからストップ」と指示を出している。
ああ、うっとうしい、「りん子女史」取っ払ってしまいたい、でも、できない、これもわたしの意識でそれに反すると自己嫌悪しないといけないのだもの。
そして、またあるとき、気づく。
ストッパーとして存在してる「りん子女史」が、泣き叫んだり感じたりしてるわたし(りん子ちゃん)を見て、感じてるのだ。
最初は少し。
でも、それは、那智さんがくれる快感と許しにより、どんどん大きくなっていった。
「りん子女史」は行ったり来たり。
でも、自分も感じてることを自覚してから、強い「自己嫌悪」の攻撃はなくなった。
わずかに「それでいいの?」とチクッと刺を刺すくらい。
辛うじてストッパーになっていた。
そうなると、わたしも「りん子ちゃん」も嬉しい。
だって、気持ちいいし嫌悪感が減るのだもの。
わずかな「刺」は那智さんに「このわたしを好いて」とお願いすることで、さらに自分を許していった。
そして、鞭の打ち方を変えた日。
多分、あれが最初だったと思う。
「りん子女史」が、「りん子ちゃん」と同じようになっちゃったの。
「りん子ちゃん」がおかしくなって快感に浸ってるのを見ている「りん子女史」が、それを見て「りん子ちゃん」のように感じてしまった、そして、ストッパー役を放棄してしまったのだ。
だから、とんでもなく気持ちいい。
だって、実際に感じてる快感と、見て感じる快感、二倍の快感なんだもの。
そして、自己嫌悪からの解放。
自己嫌悪から解放されたふたりがそろってくすくす笑うのは、とてもとても気持ち良くて、幸せだ。
そのダブルの快感が「痴人」状態。
わたしは、よかったねと「りん子ちゃん」とハイタッチ^^
もちろん、正気に戻ったときは揺り戻しは大きくて、那智さんに「好いて、肯定して」とずいぶんとまとわりついてるけど(笑)
踏まれ、殴られ、髪を引っ張られたわたしは、ふたりの「りん子ちゃん」状態でベッドにいたのだ。
だから、もぞもぞはぁはぁ、垂れ流す。(えっと、多少は戻ってるから、ぼんやり天井眺める理性はありました)
那智さんが隣りに来た。
どうしてそうなったのか覚えてないけど、わたしはフェラチオをはじめてた。
(指示された?わたしがお願いした?う〜ん、ろれつの回らない状態でお願いしてしまったような記憶もある…)
那智さんのおちんちんがお口に入ってるのが嬉しくて嬉しくて、気持ち良くて。
もうはしたなさこの上ない顔をしてる(はず)。
ちょーっとだけ戻ってた理性が、那智さんのお腹の上に頭を載せるように定めて、その顔だけは見せないようにしてくれた。(普段は足下にいくから表情は見えてしまう)
もう、あとは、ふたりの「りん子ちゃん」の独壇場。
阿呆のようにしゃぶりつく。
大きく口を開け、舌を絡め。
あああ、気持ちいい。
そのはしたないわたしを見て、気持ちいい。
さぞやみっともないはしたない顔をしてるだろうな。
それさえも気持ちいい。
どれくらいフェラチオしただろうか。
ずっとずっとこうしていたいと考えることも放棄するほど快感を貪っていたら、不意に声がした(気がした)。
「そーんなみっともない顔して、恥ずかしくないの!?いい加減にその辺でやめなさい。」
なんてこと、また別の「りん子女史」が現れたのだ。
信じられない!!
ふたりの「りん子ちゃん」を仁王立ちで見下ろし、ストップをかける新しい「りん子女史」が現れた。
嘘みたいな話なんだけど、ほんと。
そうしたら、一気に正気に戻ってしまった。
不思議なくらい、急速に正気になる。
「いやーーーー、もうできません!!!」
そういって、那智さんのおちんちんから口を離し、那智さんの腕の中に逃げる。
ダブルりん子ちゃんだったことが、情けなくて恥ずかしくて居たたまれない。
「なに!?」
そりゃ、驚きますよね、いまさっきまでむしゃぶりついていたのに、いきなり「できません!!」なんて言い出すのだもの。
「ああああああ、残念です〜。でも、もうできなくなっちゃった。」
新しい「りん子女史」は、快感に浸るふたりの「りん子ちゃん」と一喝。
そうなると、もう、それ以上「りん子ちゃん」は暴れられない。
少なくとも、二番目の「りん子ちゃん」は「りん子女史」に同化してしまう。
ああ、ほんとに残念。
那智さんがくれる快感はどれもわたしは幸せだけど、ストッパーの「りん子女史」が放棄するのは、貴重で得難い快感なのだ。
だから、勝手に登場した「newりん子女史」をちょっと恨む。
でも、また、行きつ戻りつして、いつか「りん子ちゃん」3人状態の日が来るかもしれない。
そしたら、快感3倍になるのかな。
それで、また「newりん子女史」が登場して、いたちごっこになるの?
どうなるかわからないけど、「りん子ちゃん」の倍増は、恐ろしく、でも、ちょっと楽しみ。
そうして、二番目の「りん子ちゃん」が「りん子女史」に戻ると、今度は別の快感にスイッチする。
甘え、女の子のように甘え、可愛がられ、抱かれる。
これもわたしにとっては得難い快感なのです。
こうして、濃い時間の前半は過ぎ。
わたしたちは、ランチを食べに一旦外に出た。
朝、使うことのなかった、紙おむつを履いて。
濃い4
非日常的な日常
遅めのお昼をとりにおもてにでる。
今朝「ただの下着」になっていた紙おむつをつけて。
那智さんは、その日のうちに同じことは繰り返さないだろう。
次は、「ただの下着」にしておいてくれるはずない。
「今度は、中に出すこと。俺に気づかれないように出すんだよ。」
やっぱり、おむつの中に排泄をするんだ。
できれば「おしっこ」だけで済ませたいな…(って、おしっこならいいんかいっ!!)
でも、なぜ「那智さんに気づかれないように」なんだろう。
那智さんの知らぬ間にしているということがおもしろいのかな。
それとも、わたしの挙動不審で那智さんが「気づき」たいのかな。(こっちが正解だったようです。後日談)
ほんと、おもしろい人。
普通、その瞬間を見たいと思うよね?
もじもじして「したいです」といいながら許しを得て人前で排泄する姿、それ見たいよね?(そういう嗜好のある人限定です^^)
もちろん見たいときもあるでしょうけど、型通りじゃないというか気分でいろんな形に変わる人。
この日は「俺に気づかれないように」という気分だったようです。
さてさて、今日のランチは、焼き肉〜。
ここの辛いスープが最近のふたりの流行。
なんか気分が乗ってビールまで注文する始末^^;
これもある意味「濃い」(笑)
辛いスープとお肉をビールで流し込む。
ああ、幸せ〜。
自分が紙おむつをつけていることを一瞬忘れてしまう。
それにしても、焼き肉焼いてビール飲んでる女性が紙おむつつけてるなんて、まわりの人は想像もしてないのですよね。
なんだか不思議。
ビールを飲むとおしっこ近くなるのだけど、このときはお店にいる間尿意を感じなかった。
排泄って意識で変わるなと、つくづく思う。
しちゃいけないと思ってると、したくなりにくいの。
すごく安心、ちょっと残念。
でも、向かいに那智さんがいる状態で「気づかれない」ように排泄する自信がないから、いまはしたくないほうがいいなと思う。
シナリオとしては。
ああ、おしっこしたくなってきた(そわそわ)
いや、どいしよう我慢できない。(もじもじ)
ああああ、でちゃう…(赤面)
で、那智さんが気づく(きゃ〜〜)
これが、エロ小説的展開?(あはは、那智さん好み!?)
でも、わたしは、那智さんの指示に忠実なのだ。
だから、たとえ那智さんの目論みは「エロ小説的展開」だったとしても、「気づかれないように」という指示を優先するのだ。
わたしだって、「もじもじ、赤面、きゃ〜〜〜」には「萌え」ではあるが、そこは那智さんの指示優先。
涙を飲んで「気づかれない」ことを望むのだ(笑)
お腹もいっぱいビールもおいしく上機嫌。
コンビニに寄って那智さんはデザートを物色する。(わたし、甘いものそんなにいらないから、いつも那智さんだけが買うのです)
和菓子の棚。
お菓子コーナー。
あ、おしっこしたくなってきた。
ビールのせいか、みるみるその尿意が増していく。
でも、我慢できなくはない。
那智さんがアイスクリームのケースに向かい出した。
さっきまですぐ横にくっついていたわたしは、歩調を緩めて、ちょっと距離を作る。
気づかれちゃいけないから、そっとそっと距離をあける。
我慢できなくない、でも、わたし、おもらししたい。
あとで「したの!?」って那智さんを驚かせたい。
那智さんの目論みは「もじもじしてるわたしに気づく」なのかもしれないけど、那智さんの指示優先。
そして、なんか、わたしちょっと、意地張ってる。
気づかせないぞ。
そんなエロ小説のシナリオに乗らないもん。
わたしだって、やろうと思えばポーカーフェイスもできるんだ!!
那智さん、アイスクリームのケースを覗き込んでる。
いまなら、おしっこ出るし、気づかれない。
不自然じゃない距離を保ち、「りん子、少し食べる?」などと目線を下げたまま聞いてくる那智さんに答える。
排尿。
漏れないか、それは怖かったけど、日本の紙おむつのクオリティを信じて。
那智さん、いましてますよ、アイスに夢中でわたしを見つめてないから、いい瞬間逃してますよ。
心の中で、舌を出す。
密やかな快感。
コンビニで誰にも気づかれることなく紙おむつにおしっこをする。(衛生面で非常識ではありますが、ごめんなさいと思いつつ)
那智さんにさえ、気づかれない快感。
排泄行為って、なぜ、気持ちいいのでしょう。
ああ、人として大切なことだから、気持ち良くなるように作られてるのよね。
じゃあ、違う、背徳感を刺激する排泄行為は、こんなに性的快感に繋がるのでしょう。
恥ずかしさとか背徳感とかも心だけじゃなくて、体も気持ちいい。
その快感を密かに噛みしめ、指示通りにできたこととちょっと欺いた感じを嬉しく思い、コンビニを出る。
でも、やっぱり、ちょっと寂しい。
早く那智さんに知ってもらいたい。
驚かれ(いつもだいたい那智さんの思い通りだから、驚きは那智さんにも新鮮なはずなんだ)、よくできたねってほめてもらいたい。
そんなことをしてしまうわたしを、落とし許してほしい。
ひとりで味わう密やかな快感は、そのあととどめを刺してくれる人がいるから、一層の幸福になる。
ホテルに戻り、おしっこしたことを伝えて、まだ濃い時間は続くのでした。
遅めのお昼をとりにおもてにでる。
今朝「ただの下着」になっていた紙おむつをつけて。
那智さんは、その日のうちに同じことは繰り返さないだろう。
次は、「ただの下着」にしておいてくれるはずない。
「今度は、中に出すこと。俺に気づかれないように出すんだよ。」
やっぱり、おむつの中に排泄をするんだ。
できれば「おしっこ」だけで済ませたいな…(って、おしっこならいいんかいっ!!)
でも、なぜ「那智さんに気づかれないように」なんだろう。
那智さんの知らぬ間にしているということがおもしろいのかな。
それとも、わたしの挙動不審で那智さんが「気づき」たいのかな。(こっちが正解だったようです。後日談)
ほんと、おもしろい人。
普通、その瞬間を見たいと思うよね?
もじもじして「したいです」といいながら許しを得て人前で排泄する姿、それ見たいよね?(そういう嗜好のある人限定です^^)
もちろん見たいときもあるでしょうけど、型通りじゃないというか気分でいろんな形に変わる人。
この日は「俺に気づかれないように」という気分だったようです。
さてさて、今日のランチは、焼き肉〜。
ここの辛いスープが最近のふたりの流行。
なんか気分が乗ってビールまで注文する始末^^;
これもある意味「濃い」(笑)
辛いスープとお肉をビールで流し込む。
ああ、幸せ〜。
自分が紙おむつをつけていることを一瞬忘れてしまう。
それにしても、焼き肉焼いてビール飲んでる女性が紙おむつつけてるなんて、まわりの人は想像もしてないのですよね。
なんだか不思議。
ビールを飲むとおしっこ近くなるのだけど、このときはお店にいる間尿意を感じなかった。
排泄って意識で変わるなと、つくづく思う。
しちゃいけないと思ってると、したくなりにくいの。
すごく安心、ちょっと残念。
でも、向かいに那智さんがいる状態で「気づかれない」ように排泄する自信がないから、いまはしたくないほうがいいなと思う。
シナリオとしては。
ああ、おしっこしたくなってきた(そわそわ)
いや、どいしよう我慢できない。(もじもじ)
ああああ、でちゃう…(赤面)
で、那智さんが気づく(きゃ〜〜)
これが、エロ小説的展開?(あはは、那智さん好み!?)
でも、わたしは、那智さんの指示に忠実なのだ。
だから、たとえ那智さんの目論みは「エロ小説的展開」だったとしても、「気づかれないように」という指示を優先するのだ。
わたしだって、「もじもじ、赤面、きゃ〜〜〜」には「萌え」ではあるが、そこは那智さんの指示優先。
涙を飲んで「気づかれない」ことを望むのだ(笑)
お腹もいっぱいビールもおいしく上機嫌。
コンビニに寄って那智さんはデザートを物色する。(わたし、甘いものそんなにいらないから、いつも那智さんだけが買うのです)
和菓子の棚。
お菓子コーナー。
あ、おしっこしたくなってきた。
ビールのせいか、みるみるその尿意が増していく。
でも、我慢できなくはない。
那智さんがアイスクリームのケースに向かい出した。
さっきまですぐ横にくっついていたわたしは、歩調を緩めて、ちょっと距離を作る。
気づかれちゃいけないから、そっとそっと距離をあける。
我慢できなくない、でも、わたし、おもらししたい。
あとで「したの!?」って那智さんを驚かせたい。
那智さんの目論みは「もじもじしてるわたしに気づく」なのかもしれないけど、那智さんの指示優先。
そして、なんか、わたしちょっと、意地張ってる。
気づかせないぞ。
そんなエロ小説のシナリオに乗らないもん。
わたしだって、やろうと思えばポーカーフェイスもできるんだ!!
那智さん、アイスクリームのケースを覗き込んでる。
いまなら、おしっこ出るし、気づかれない。
不自然じゃない距離を保ち、「りん子、少し食べる?」などと目線を下げたまま聞いてくる那智さんに答える。
排尿。
漏れないか、それは怖かったけど、日本の紙おむつのクオリティを信じて。
那智さん、いましてますよ、アイスに夢中でわたしを見つめてないから、いい瞬間逃してますよ。
心の中で、舌を出す。
密やかな快感。
コンビニで誰にも気づかれることなく紙おむつにおしっこをする。(衛生面で非常識ではありますが、ごめんなさいと思いつつ)
那智さんにさえ、気づかれない快感。
排泄行為って、なぜ、気持ちいいのでしょう。
ああ、人として大切なことだから、気持ち良くなるように作られてるのよね。
じゃあ、違う、背徳感を刺激する排泄行為は、こんなに性的快感に繋がるのでしょう。
恥ずかしさとか背徳感とかも心だけじゃなくて、体も気持ちいい。
その快感を密かに噛みしめ、指示通りにできたこととちょっと欺いた感じを嬉しく思い、コンビニを出る。
でも、やっぱり、ちょっと寂しい。
早く那智さんに知ってもらいたい。
驚かれ(いつもだいたい那智さんの思い通りだから、驚きは那智さんにも新鮮なはずなんだ)、よくできたねってほめてもらいたい。
そんなことをしてしまうわたしを、落とし許してほしい。
ひとりで味わう密やかな快感は、そのあととどめを刺してくれる人がいるから、一層の幸福になる。
ホテルに戻り、おしっこしたことを伝えて、まだ濃い時間は続くのでした。
濃い5
非日常的な日常
ホテルに戻ってから、紙おむつをチェックされる。
洋服を脱ぎ、下着替わりのおむつだけの姿は、とても恥ずかしい。
必要としていない物を身につけている姿は、背徳的な排泄行為と似ている。
心細く気持ち良い。
その姿で窓際に連れて行かれた。
障子と窓を開け外気が入り込む窓際に立つ。
ゴワゴワしたおむつ一枚だけのわたし。
向かいにマンションの玄関が並んで見える。
玄関の横には小さめの窓がある、洗面所かな納戸かな、小さな窓。
ドア、出入りしてる人影はない、でも、どこで誰が見てるかもわからない。
後ろから那智さんが乳首を摘む。
いや、恥ずかしい。
怖い、那智さん。
視線が泳ぐ。
どこかに人の気配はないか、警戒して。
デリバリーや宅配が玄関前に来ないか。
公園から戻った親子連れが通ってしまわないか。
怖い。
乳首を潰す力が増す。
見えている景色が見えているまま、ぼんやりしてくる。
全部わかってる。
自分の状況も景色も。
こんな状態で理性は崩れない。
でも、すべてがぼんやりしている。
わかってるから恥ずかしくて情けなくて、感じる。
窓際でおむつ姿で乳首を強く握り潰されて、腰を振っていく。
おむつを取られて、次はマッサージ機。
次から次に何かをされてもうすでにヘトヘト。(えっと、書いてませんがセックスもしてるしお風呂も入ってるしマッサージもしてます^^)
マッサージ機は、はじめのころは「狂いそうな刺激のあと同じくらいの快感が来る」の繰り返しだったのだけど、最近は変化していて、最初大きな快感がきてそ れがしばらく持続して、そのあとは快感も苦痛も減っていき、ただマッサージ機で内蔵を刺激するような不快感が残るというようになっている。
だから、長い時間すると気分が悪くなりそうになる。
この日は那智さんの気分で?休み休み何回も繰り返した。
これは、最初の「すごい快感の持続」の繰り返しだったので、その不快感は感じずにすんだ。
「うぎゃーーーー」ってなって(恥ずかしいけど)おしっこ出ちゃって、ちょっと休憩でヘトヘトになりながら甘え、また、那智さんのタイミングではじまる。
いつ終わって、いつはじまるか、わたしにはわからない中で、強烈な刺激と快感。
汗とかおしっことかでシーツもわたしもぐちゃぐちゃで、呆然と横たわっている。
快感で体はぐったりしてるけど、意識はしっかりとしている。
むしろ穏やかに、心地良い(心地良過ぎる!?)疲労を受け止めてる感じ。
隣りで半身を起こしてタバコを吸っていた那智さんが、静かに言った。
「ああ、鞭打ちたくなってきた…10発くらい。打っていい?」
ぼんやりとしながら「…はい。」と答える。
10発といっているのだから、当然「ものすごく強く」だ。
そのように聞いてみると「そうだね」と返事をしながら、鞭を取りに行った。
わたしは。
わたしは、静かにお尻を高く上げ、鞭を受ける姿勢で待つ。
絶対痛い。
10発限定なんて宣言されたこと、いままでない。
絶対に痛く打たれることは、簡単に推し量れる。
10発だけということは、わたしを「痴人」にはしない。
10発で終わるとわかっていれば、痛みと恐怖から逃げるようなエクスタシーにもならないだろう。
泣きも叫びもせず、快感にもならない10発。
きっと、ただ痛いだけだ。
それでも、わたしは全然怖くない。
数を提示されているからか、それとも、受け入れる喜びか。
静かに枕を抱え、待つ。
一発目が振り下ろされた。
「バシッ!!!!」
痛い!!
恐らく那智さんの中ではかなり手加減なしに打ってる。
「くぅぅぅぅ」」
身を縮め、堪える。
那智さんがタバコを取りに行った。
今朝からのたくさんの出来事が、いりん子の空間に集まってとても濃密な空気を作っている。
すごく、濃い空気。
姿勢を整えてまた待つ。
ゆっくりとタバコをくわえて那智さんが戻る。
濃い空気が揺れる。
その波動がわたしに押し寄せるようだ。
「那智さん、いま、わたしたちの間に流れる空気、なんなんでしょうね。」
いままであまり感じたことのないこの空気に、お尻を突き出し枕を抱えながら、聞く。
「さあな…。」
そういって、二発目。
同じように、すごく痛い。
体をよじり、痛いところを押さえて、痛みをやり過ごす。
那智さん、水分の取りに行ってる。
また、静かな時間。
なんだろう。
那智さんは打ちたいから、打ち。
わたしは、それを受けたくて待ってる。
それ以外ない。
那智さんは「可愛がろう」とか「焼き付けよう」とか目的があるのかもしれないけど、ちょっとわからないな、打ちたいからと、このときは感じた。
そこから何かを生もうとしない鞭打ちは珍しい。
快感とか涙とか崩壊とか昇天とか、そのどれも生まれないような鞭。
朝からずっと可愛がってもらった、その結果のこの空気。
ううん、もしかしたら、出会って数年かけて積み上げて、ふたりが作り出した空気かもしれない。
那智さんは気づいていてくれるかな。
いまの、この「濃さ」は、自慢したいくらいふたりだけのものだ。
どろりとして、愛しく甘く、ちょっと黒い。
最初から数を数えることは放棄していた。
那智さんが数える「10発」だろうと思っていたから。
何発目だろうか、振り返り仰ぎ見る。
ゴムのバラ鞭をねじり、一本の太い鞭に仕立て上げてる。
一本鞭よりはましなのかな、でも、きっとすごく痛い。
怖くない。
打ちたい那智さんと受けたいわたしがいるだけ。
頭はとてもクリアだ。
ただ静かに涙は流れてる。
覚醒してるはずなんだけど、この鞭に恐怖を感じないということは、どこかが麻痺しているのかもしれない。
それも、いい。
繁華街の片隅のホテルの一室で、ごく普通の男女が鞭を打ち喜んでそれを受ける。
酔狂だ。
だけど、この「濃い」空気や関係は、積み上げたふたり結果、そして、わたしの宝物。
さて、「濃い」はお楽しみいただけましたか?
今週はずっとこれで、とても濃い一週間でした^^
ホテルに戻ってから、紙おむつをチェックされる。
洋服を脱ぎ、下着替わりのおむつだけの姿は、とても恥ずかしい。
必要としていない物を身につけている姿は、背徳的な排泄行為と似ている。
心細く気持ち良い。
その姿で窓際に連れて行かれた。
障子と窓を開け外気が入り込む窓際に立つ。
ゴワゴワしたおむつ一枚だけのわたし。
向かいにマンションの玄関が並んで見える。
玄関の横には小さめの窓がある、洗面所かな納戸かな、小さな窓。
ドア、出入りしてる人影はない、でも、どこで誰が見てるかもわからない。
後ろから那智さんが乳首を摘む。
いや、恥ずかしい。
怖い、那智さん。
視線が泳ぐ。
どこかに人の気配はないか、警戒して。
デリバリーや宅配が玄関前に来ないか。
公園から戻った親子連れが通ってしまわないか。
怖い。
乳首を潰す力が増す。
見えている景色が見えているまま、ぼんやりしてくる。
全部わかってる。
自分の状況も景色も。
こんな状態で理性は崩れない。
でも、すべてがぼんやりしている。
わかってるから恥ずかしくて情けなくて、感じる。
窓際でおむつ姿で乳首を強く握り潰されて、腰を振っていく。
おむつを取られて、次はマッサージ機。
次から次に何かをされてもうすでにヘトヘト。(えっと、書いてませんがセックスもしてるしお風呂も入ってるしマッサージもしてます^^)
マッサージ機は、はじめのころは「狂いそうな刺激のあと同じくらいの快感が来る」の繰り返しだったのだけど、最近は変化していて、最初大きな快感がきてそ れがしばらく持続して、そのあとは快感も苦痛も減っていき、ただマッサージ機で内蔵を刺激するような不快感が残るというようになっている。
だから、長い時間すると気分が悪くなりそうになる。
この日は那智さんの気分で?休み休み何回も繰り返した。
これは、最初の「すごい快感の持続」の繰り返しだったので、その不快感は感じずにすんだ。
「うぎゃーーーー」ってなって(恥ずかしいけど)おしっこ出ちゃって、ちょっと休憩でヘトヘトになりながら甘え、また、那智さんのタイミングではじまる。
いつ終わって、いつはじまるか、わたしにはわからない中で、強烈な刺激と快感。
汗とかおしっことかでシーツもわたしもぐちゃぐちゃで、呆然と横たわっている。
快感で体はぐったりしてるけど、意識はしっかりとしている。
むしろ穏やかに、心地良い(心地良過ぎる!?)疲労を受け止めてる感じ。
隣りで半身を起こしてタバコを吸っていた那智さんが、静かに言った。
「ああ、鞭打ちたくなってきた…10発くらい。打っていい?」
ぼんやりとしながら「…はい。」と答える。
10発といっているのだから、当然「ものすごく強く」だ。
そのように聞いてみると「そうだね」と返事をしながら、鞭を取りに行った。
わたしは。
わたしは、静かにお尻を高く上げ、鞭を受ける姿勢で待つ。
絶対痛い。
10発限定なんて宣言されたこと、いままでない。
絶対に痛く打たれることは、簡単に推し量れる。
10発だけということは、わたしを「痴人」にはしない。
10発で終わるとわかっていれば、痛みと恐怖から逃げるようなエクスタシーにもならないだろう。
泣きも叫びもせず、快感にもならない10発。
きっと、ただ痛いだけだ。
それでも、わたしは全然怖くない。
数を提示されているからか、それとも、受け入れる喜びか。
静かに枕を抱え、待つ。
一発目が振り下ろされた。
「バシッ!!!!」
痛い!!
恐らく那智さんの中ではかなり手加減なしに打ってる。
「くぅぅぅぅ」」
身を縮め、堪える。
那智さんがタバコを取りに行った。
今朝からのたくさんの出来事が、いりん子の空間に集まってとても濃密な空気を作っている。
すごく、濃い空気。
姿勢を整えてまた待つ。
ゆっくりとタバコをくわえて那智さんが戻る。
濃い空気が揺れる。
その波動がわたしに押し寄せるようだ。
「那智さん、いま、わたしたちの間に流れる空気、なんなんでしょうね。」
いままであまり感じたことのないこの空気に、お尻を突き出し枕を抱えながら、聞く。
「さあな…。」
そういって、二発目。
同じように、すごく痛い。
体をよじり、痛いところを押さえて、痛みをやり過ごす。
那智さん、水分の取りに行ってる。
また、静かな時間。
なんだろう。
那智さんは打ちたいから、打ち。
わたしは、それを受けたくて待ってる。
それ以外ない。
那智さんは「可愛がろう」とか「焼き付けよう」とか目的があるのかもしれないけど、ちょっとわからないな、打ちたいからと、このときは感じた。
そこから何かを生もうとしない鞭打ちは珍しい。
快感とか涙とか崩壊とか昇天とか、そのどれも生まれないような鞭。
朝からずっと可愛がってもらった、その結果のこの空気。
ううん、もしかしたら、出会って数年かけて積み上げて、ふたりが作り出した空気かもしれない。
那智さんは気づいていてくれるかな。
いまの、この「濃さ」は、自慢したいくらいふたりだけのものだ。
どろりとして、愛しく甘く、ちょっと黒い。
最初から数を数えることは放棄していた。
那智さんが数える「10発」だろうと思っていたから。
何発目だろうか、振り返り仰ぎ見る。
ゴムのバラ鞭をねじり、一本の太い鞭に仕立て上げてる。
一本鞭よりはましなのかな、でも、きっとすごく痛い。
怖くない。
打ちたい那智さんと受けたいわたしがいるだけ。
頭はとてもクリアだ。
ただ静かに涙は流れてる。
覚醒してるはずなんだけど、この鞭に恐怖を感じないということは、どこかが麻痺しているのかもしれない。
それも、いい。
繁華街の片隅のホテルの一室で、ごく普通の男女が鞭を打ち喜んでそれを受ける。
酔狂だ。
だけど、この「濃い」空気や関係は、積み上げたふたり結果、そして、わたしの宝物。
さて、「濃い」はお楽しみいただけましたか?
今週はずっとこれで、とても濃い一週間でした^^
奇跡なんてない
りん子的独り言(エラそう)
今日は「りん子節」全開です。
那智さんと出会って、わたしの人生は大きく変わった。
いままで知らなかった、安心や快感を知り。
人と深く誠実に付き合うということを知った。
ふたりの間に誤解や問題が起きたとき。
それまでのわたしだったら当たり障りないように、わたしが黙り、そこで深く関わることをやめてしまっていたようなことでも、あきらめず、互いに伝え聞き、理解するように努力することを教えてもらった。
その解決や歩み寄りの経験を積むことで、人と関わることに自信が持てるようになってきた。
まだまだ弱く、よく那智さんに助けてもらわないとダメだけど、絶対強くなっているはずだ。
そして、そんなに手こずらせているわたしだけど、愛される価値があると思えるようになっていることも、とても大きい。
悲しくて、ごめんなさいと思いつつ、それでも自分を卑下することなくめそめそと泣けるのは、とてもとても幸せなこと。
それは、価値があると思えているから。
その経験の積み重ねもわたしをすこしずつ、堂々と自由にしてくれる。
ブログでは、そのことをたくさん書いてる。
だから、那智さんは白馬に乗った王子様^^;
だけど、それは違う。
先日、知り合いのS男性が「りん子ちゃんは、最近強くなった。」とほめてくれた。
問題解決の経験を積み、その自信が強さになってるのでは?と上に書いたようなことを言い当ててくれた。
そして、「それは、那智さんのおかげだね。」と、那智さんも喜ぶようなことを言ってくれた。
わたしも嬉しくて、その場では「そうですね。」と答えたけど、あとになって、それは違うって思った。
違うって言い方は違うかな、それだけじゃないということです。
那智さんに出会ってわたしは大きく変わった。
でも、それは、いきなり降って湧いたミラクルでもラッキーでもないの。
わたしには、那智さんと出会う以前からひとり、わたしに深く関わってくれた人がいました。
その人は、わたしにずっと「プライドを持て」と言い続けてくれた。
「りん子は、譲歩からスタートするんだから、大げさなくらいプライドを持たないとダメ」
男を増長させるような恋愛を繰り返すわたしを、わたし以上に心配して、ずっと言い続けてくれた人。
だって、プライド持てないんだもの、できないものはできない。
と、それをできない自分とできないことをいうその人と両方を、もどかしいような焦るような気持ちで責めてしまうこともあった。
でも、ばかな恋愛を繰り返し、夫のちょっと感情的なものの言い方にいちいち怯える自分をなんとかしたくて、たくさんもがいた。
いっぱい本を読んだ。
DV、AC、心理学、フェミニズム。
自分の問題点はなにか、一生懸命自分の心と向き合った。
その間も、その人はわたしに付き合ってくれて、いつもいつもプライドを持てと言い続けてくれた。
わたしの心の中を探ることに付き合ってもくれた。
そして、岩月謙司さんの本と出会ったのと同じころに、那智さんに出会うのだ。
だから、もしかしたら、あの時期でなければ、出会っていてもお互い惹かれ合わなかったかもしれない。
あの、ばかな繰り返しとなんとかしたくて自分と向き合う作業があったから、那智さんに出会ったときに、惹かれ合えたのではないか。
一人の人に出会っただけで、人生ががらりと変わるなんてことないと思う。
そこに至るまでの傷や格闘が、関わってくれた人が、その出会いの下地を作るのではないかしら。
だから、わたしは、わたしにプライドを持てと言い続けてくれた彼女に感謝している。
あきらめず、心を探った自分を、ちょっとほめたい^^
ここに登場してくれるすみれさん。
彼女も、同じじゃないかなって思う。
すみれさんは、わたしたちに出会ったころ、ちょっと大きな失恋をした。
そして、わたしたちと会い、そこから新しい出会いを模索した。
最初はうまくいかず、ずいぶんわたしに泣きついてきた。(ごめん、すみれさん)
自分はどうしたいか、自分の心を探ろう。
それをちゃんと自覚していれば、新しい出会いが、それに近いか遠いか判断できる。
つい、相手に合わせてしまいがちなすみれさんに、わたしはずっと言い続けた。
那智さんは、すみれさんとのことを「一度」と決めていた。
それは、最初からの約束だった。
セックスフレンドでもないし、お互い恋愛感情があるのでもない(その瞬間似たようなものはあったかもしれない)、思惑を果たすことが目的だから、ずるずる関係を続けることはすみれさんのためにもよくないし、彼女もそれを望んでないから。
だから、その「一度」が終わったら、直接やり取りをすることを控えていた。(基本的に「りん子のお友達」というスタンスを通してくれていた)
でも、このうまくいなかない時期、わたしを通し、わたしと一緒になって、ずいぶんすみれさんに関わった。
ときには、きついことも言ったかもしれない。
すみれさんは、わたしたちの意見を聞き、自分の考えを整理して、わたしたちに反論するときもあった。
そうして、すみれさん自身が、自分がどうなりたいかはっきりしだしたころ、新しい出会いに恵まれたのです。
いま、すみれさんは、よいかたとお付き合いをはじめることができて、ときどき話してくれる「ノロケ」は、こちらも嬉しくなってしまうものです。
以前のすみれさんは自分が我慢すればという思いが強い人だったから、人との摩擦を避けていたそうですが、いまの彼女は、きちんと伝える努力をするようになっているようです。
ずいぶんとお付き合いされているかたを手こずらせてはいないか、ちょっと責任を感じています(笑)
それを受け止めてくれるかただったようで、感謝です。
もしかしたら、わたしの「プライドを持て」と言い続けてくれた人のような役割りを、わたしもできたのかもしれないと思うと、嬉しい。
すみれさんも、彼に出会ったことが、ラッキーだっただけじゃない。
そこに至までに、彼女は自分と向き合い闘ってた。
彼に出会う素地を作ったのだ。
だから、無駄なんてないのですね。
出会えないことは、出会うための下地を作る期間だと思いたい。
わたしは、その先に那智さんがいてくれるなんて思ってもみなかった。
でも、とにかくもがいてた。
それは、傷付いたり泣いたり諦めたりしたけど、無駄じゃなかったのよね。
そのときにどう生きるか。
最近のすみれさんは、とても自信を持てているようで、なんだかとっても頼もしい。
彼のことをメールで話してくれる様子は、とってもかわいらしい。
そこで、ふと感じる。
もしかしたら、最初は彼女が「薬指の刺青」を頼りにしていた分、頼り頼られるという役割り分担が生じていたかもしれないけど、ふと気づけば、いまは対等だ。
同じ目線で付き合える関係って、とても気持ちが良い。
男女もSとMも関係ない。
対等であることが基本の関係は、とても気持ちが良い。
那智さんとわたし、すみれさんと彼、そして、すみれさんとわたしの出会いもミラクルだとは思ってない。
そこから抜け出したいと思い、周りを見渡したのだ。
ヒントはきっと転がってる。
もしくは、もがいて望めば時間はかかってもヒントは見るかる。
宝くじだって、買わなきゃ当たらないものね^^(わたしは、買う派じゃないけど)
今日は「りん子節」全開です。
那智さんと出会って、わたしの人生は大きく変わった。
いままで知らなかった、安心や快感を知り。
人と深く誠実に付き合うということを知った。
ふたりの間に誤解や問題が起きたとき。
それまでのわたしだったら当たり障りないように、わたしが黙り、そこで深く関わることをやめてしまっていたようなことでも、あきらめず、互いに伝え聞き、理解するように努力することを教えてもらった。
その解決や歩み寄りの経験を積むことで、人と関わることに自信が持てるようになってきた。
まだまだ弱く、よく那智さんに助けてもらわないとダメだけど、絶対強くなっているはずだ。
そして、そんなに手こずらせているわたしだけど、愛される価値があると思えるようになっていることも、とても大きい。
悲しくて、ごめんなさいと思いつつ、それでも自分を卑下することなくめそめそと泣けるのは、とてもとても幸せなこと。
それは、価値があると思えているから。
その経験の積み重ねもわたしをすこしずつ、堂々と自由にしてくれる。
ブログでは、そのことをたくさん書いてる。
だから、那智さんは白馬に乗った王子様^^;
だけど、それは違う。
先日、知り合いのS男性が「りん子ちゃんは、最近強くなった。」とほめてくれた。
問題解決の経験を積み、その自信が強さになってるのでは?と上に書いたようなことを言い当ててくれた。
そして、「それは、那智さんのおかげだね。」と、那智さんも喜ぶようなことを言ってくれた。
わたしも嬉しくて、その場では「そうですね。」と答えたけど、あとになって、それは違うって思った。
違うって言い方は違うかな、それだけじゃないということです。
那智さんに出会ってわたしは大きく変わった。
でも、それは、いきなり降って湧いたミラクルでもラッキーでもないの。
わたしには、那智さんと出会う以前からひとり、わたしに深く関わってくれた人がいました。
その人は、わたしにずっと「プライドを持て」と言い続けてくれた。
「りん子は、譲歩からスタートするんだから、大げさなくらいプライドを持たないとダメ」
男を増長させるような恋愛を繰り返すわたしを、わたし以上に心配して、ずっと言い続けてくれた人。
だって、プライド持てないんだもの、できないものはできない。
と、それをできない自分とできないことをいうその人と両方を、もどかしいような焦るような気持ちで責めてしまうこともあった。
でも、ばかな恋愛を繰り返し、夫のちょっと感情的なものの言い方にいちいち怯える自分をなんとかしたくて、たくさんもがいた。
いっぱい本を読んだ。
DV、AC、心理学、フェミニズム。
自分の問題点はなにか、一生懸命自分の心と向き合った。
その間も、その人はわたしに付き合ってくれて、いつもいつもプライドを持てと言い続けてくれた。
わたしの心の中を探ることに付き合ってもくれた。
そして、岩月謙司さんの本と出会ったのと同じころに、那智さんに出会うのだ。
だから、もしかしたら、あの時期でなければ、出会っていてもお互い惹かれ合わなかったかもしれない。
あの、ばかな繰り返しとなんとかしたくて自分と向き合う作業があったから、那智さんに出会ったときに、惹かれ合えたのではないか。
一人の人に出会っただけで、人生ががらりと変わるなんてことないと思う。
そこに至るまでの傷や格闘が、関わってくれた人が、その出会いの下地を作るのではないかしら。
だから、わたしは、わたしにプライドを持てと言い続けてくれた彼女に感謝している。
あきらめず、心を探った自分を、ちょっとほめたい^^
ここに登場してくれるすみれさん。
彼女も、同じじゃないかなって思う。
すみれさんは、わたしたちに出会ったころ、ちょっと大きな失恋をした。
そして、わたしたちと会い、そこから新しい出会いを模索した。
最初はうまくいかず、ずいぶんわたしに泣きついてきた。(ごめん、すみれさん)
自分はどうしたいか、自分の心を探ろう。
それをちゃんと自覚していれば、新しい出会いが、それに近いか遠いか判断できる。
つい、相手に合わせてしまいがちなすみれさんに、わたしはずっと言い続けた。
那智さんは、すみれさんとのことを「一度」と決めていた。
それは、最初からの約束だった。
セックスフレンドでもないし、お互い恋愛感情があるのでもない(その瞬間似たようなものはあったかもしれない)、思惑を果たすことが目的だから、ずるずる関係を続けることはすみれさんのためにもよくないし、彼女もそれを望んでないから。
だから、その「一度」が終わったら、直接やり取りをすることを控えていた。(基本的に「りん子のお友達」というスタンスを通してくれていた)
でも、このうまくいなかない時期、わたしを通し、わたしと一緒になって、ずいぶんすみれさんに関わった。
ときには、きついことも言ったかもしれない。
すみれさんは、わたしたちの意見を聞き、自分の考えを整理して、わたしたちに反論するときもあった。
そうして、すみれさん自身が、自分がどうなりたいかはっきりしだしたころ、新しい出会いに恵まれたのです。
いま、すみれさんは、よいかたとお付き合いをはじめることができて、ときどき話してくれる「ノロケ」は、こちらも嬉しくなってしまうものです。
以前のすみれさんは自分が我慢すればという思いが強い人だったから、人との摩擦を避けていたそうですが、いまの彼女は、きちんと伝える努力をするようになっているようです。
ずいぶんとお付き合いされているかたを手こずらせてはいないか、ちょっと責任を感じています(笑)
それを受け止めてくれるかただったようで、感謝です。
もしかしたら、わたしの「プライドを持て」と言い続けてくれた人のような役割りを、わたしもできたのかもしれないと思うと、嬉しい。
すみれさんも、彼に出会ったことが、ラッキーだっただけじゃない。
そこに至までに、彼女は自分と向き合い闘ってた。
彼に出会う素地を作ったのだ。
だから、無駄なんてないのですね。
出会えないことは、出会うための下地を作る期間だと思いたい。
わたしは、その先に那智さんがいてくれるなんて思ってもみなかった。
でも、とにかくもがいてた。
それは、傷付いたり泣いたり諦めたりしたけど、無駄じゃなかったのよね。
そのときにどう生きるか。
最近のすみれさんは、とても自信を持てているようで、なんだかとっても頼もしい。
彼のことをメールで話してくれる様子は、とってもかわいらしい。
そこで、ふと感じる。
もしかしたら、最初は彼女が「薬指の刺青」を頼りにしていた分、頼り頼られるという役割り分担が生じていたかもしれないけど、ふと気づけば、いまは対等だ。
同じ目線で付き合える関係って、とても気持ちが良い。
男女もSとMも関係ない。
対等であることが基本の関係は、とても気持ちが良い。
那智さんとわたし、すみれさんと彼、そして、すみれさんとわたしの出会いもミラクルだとは思ってない。
そこから抜け出したいと思い、周りを見渡したのだ。
ヒントはきっと転がってる。
もしくは、もがいて望めば時間はかかってもヒントは見るかる。
宝くじだって、買わなきゃ当たらないものね^^(わたしは、買う派じゃないけど)
おいしいもの
りんりん変態ご飯
大事な物が、わたしにとって大事な物が壊れてしまった。
日常生活で、もしかしたら那智さんの次くらいに大事かもしれない。
日常生活でこれがないと、かなりの打撃だ。
それは。
それは、炊飯器!!!
そうなの、炊飯器が壊れてしまったの〜。
白米好きのわたしの。
甘いものより白米の。
別腹があるなら、そこにもご飯を入れていたいわたしの。
わたしの炊飯器が壊れてしまったの。
お昼、ご飯を炊いたとき、出来上がりがちょっとおかしかったんだ。
なんかおいしくない。
お水の量を間違えたのかな、不審に思いながらも食べられなくはないので、そのまま食べた。
夜、お昼の残りもあるけど、とりあえず炊き直してみる。
お水の量もちゃんとチェックして、スイッチオン。
10分後。
炊きあがりを知らせる音が「ピピピピ」。
んんん?おかしい。
普通は数十分はかかるのに、10分なんて。
やっぱり、水の量とかじゃなくて、炊飯器の問題だったのかな。
試しにもう一度、スイッチを押してみる。
今度は、2、3分で「ピピピピ」と鳴ってしまった。
ああ、壊れてるんだ〜。
うう、ショック。
もう10年選手なので、電化製品の寿命なのでしょうから、それは「お疲れさま」と労いますが。
いま!!今夜、おいしいご飯が食べられない!!!
それが、ショック。
いまとなっては、お昼のおいしくないのを食べる気持ちになれないし、かといってコンビニにご飯だけ?
う〜ん、やっぱり白米大好きなわたしは、炊きたてのほかほかが食べたい。
いま、食べられないと思うと、もう無性に炊きたてご飯が欲しくなってしまう。
そうだっ!!
土鍋で炊いてみよう。
以前、わたしの夫は短期間ひとり暮らしをしたことがあって、そのとき片手鍋にお皿を蓋にしてお米を炊いていたという話を聞いたことがある。
「赤子泣いても蓋取るな」なんてまったく無視で、途中空けては水を足してみて、なんてことをしていたそうだ。
それを思い出し、意を決して棚から土鍋を取り出す。
よく、通販とかでおいしく炊ける鍋とかあるもんね、きっと大丈夫。
まったく炊けてない炊飯器のお米を土鍋に移し、ガスの火を着ける。
しばらくして、鍋のふちからふつふつと白い泡が噴き出し中が沸騰してきたのがわかる。
そこで、なんとなく火を弱め、様子を見てみる。
吹きこぼれるほどの勢いはなくなったけど、ずっとふつふつふつふつしてる。
ああ、蓋開けてみたい。
いいよね、多分。
開けてみて、まだ水分が残るお米をひと摘みして口に。
うん、まだちょっと芯がある。
もう一回蓋をして、待つ。
いくら蓋開けてもいいよね、と思っていてもそうそう頻繁に開けるのはどうかと思うので、ここはしばらく我慢。
もう鍋のふちにふつふつと気泡も立たなくなったころ。
ふ〜っとうっすらお米の焦げた匂いがした。
あ、もう、いいんじゃない!?
慌てて蓋を開けたら、炊きたてのいい香りが立ちこめた。
またひと摘み。
まだ、ちょっと芯がある。
そうそう、蒸らさないとね。
再び蓋をして、蒸らす。
我慢、我慢で10分待ち。
もういいでしょう、蓋を開ける。
中には、お米ってこんなに艶やかになるの!?ってくらいのキラキラしたご飯が!!
おいしそ〜〜〜〜〜。
しゃもじでさくっとほぐして、あつあつを一口。
はふはふしながら、噛んだお米は、ふっくら甘くてとってもおいしい。
10年選手の炊飯器さんには申し訳ないけど、同じお米とは思えないほど、おいしい。
そのつやっつやのご飯をお茶碗によそり。
わあ、なにで食べよう^^
そのままでも充分おいしそうだけど。
梅干しを載せて?(那智さん、梅干し嫌いなのですよね^^)
のりの佃煮?
迷った結果。
焼き海苔にお醤油をちょちょっとつけて、ご飯を巻いて。
あああ、もうたまらない。
海苔の食感とお米のふっくらと、お醤油の風味とお米の甘さと。
大満足。
なんだか、とっても贅沢な気分。
はらはらしながら見守って、様子に合わせて調整して、出来上がったそれは味プラス「何か」でとってもおいしいものになりました。
その労力と気持ちを注ぐ時間と出来上がり、どれも全部贅沢な気分にさせてくれた。
なんでも手間暇かけてできあがったものは、贅沢な一品。
ここで、S側の気分を想像してみる。
体でも心でも惜しまず手をかけて変わっていくMは、きっと贅沢な自分だけの一品になるのでしょね。
その味のおいしさは、きっと手をかけた人にだけ味わえるもの。
うんうん、ちょっとS側の気持ちがわからないでもない、かな。
那智さんなんて自分が食べるわけでもないのに、「それならいつも土鍋にしたら?」とか「ガス屋に頼んでガス釜にしたら?」とか、面倒くさがるわたしにあれこれアドバイスしてくれてる。
しまいには、値段まで調べてくれちゃって^^;
おいしいものを手に入れるための情熱は、こちらが驚くほど。(単に世話焼きともいえる)
でも…。
基本、手を掛けてもらう側のわたしは、どんなにその出来上がりがすばらしくても、その情熱がない^^;
それは、いろんな場面でそのようでして、あんなにおいしいと感動したにも関わらず、翌日さっそく新しい炊飯器を買いに電気店へ向かうのでした。
あ〜あ、やっぱり、もしかしたら、最後においしい思いをするのは、面倒を引き受けてる「する側」なのかもしれない。
新しい炊飯器は、10年前のものに比べたら性能もよいようで、まあ、おいしく炊けました。
でも、あの、蓋を開けたときの一口食べたときの喜びを思い出し、情熱のない自分を、ちょっと嘆くのでした。
大事な物が、わたしにとって大事な物が壊れてしまった。
日常生活で、もしかしたら那智さんの次くらいに大事かもしれない。
日常生活でこれがないと、かなりの打撃だ。
それは。
それは、炊飯器!!!
そうなの、炊飯器が壊れてしまったの〜。
白米好きのわたしの。
甘いものより白米の。
別腹があるなら、そこにもご飯を入れていたいわたしの。
わたしの炊飯器が壊れてしまったの。
お昼、ご飯を炊いたとき、出来上がりがちょっとおかしかったんだ。
なんかおいしくない。
お水の量を間違えたのかな、不審に思いながらも食べられなくはないので、そのまま食べた。
夜、お昼の残りもあるけど、とりあえず炊き直してみる。
お水の量もちゃんとチェックして、スイッチオン。
10分後。
炊きあがりを知らせる音が「ピピピピ」。
んんん?おかしい。
普通は数十分はかかるのに、10分なんて。
やっぱり、水の量とかじゃなくて、炊飯器の問題だったのかな。
試しにもう一度、スイッチを押してみる。
今度は、2、3分で「ピピピピ」と鳴ってしまった。
ああ、壊れてるんだ〜。
うう、ショック。
もう10年選手なので、電化製品の寿命なのでしょうから、それは「お疲れさま」と労いますが。
いま!!今夜、おいしいご飯が食べられない!!!
それが、ショック。
いまとなっては、お昼のおいしくないのを食べる気持ちになれないし、かといってコンビニにご飯だけ?
う〜ん、やっぱり白米大好きなわたしは、炊きたてのほかほかが食べたい。
いま、食べられないと思うと、もう無性に炊きたてご飯が欲しくなってしまう。
そうだっ!!
土鍋で炊いてみよう。
以前、わたしの夫は短期間ひとり暮らしをしたことがあって、そのとき片手鍋にお皿を蓋にしてお米を炊いていたという話を聞いたことがある。
「赤子泣いても蓋取るな」なんてまったく無視で、途中空けては水を足してみて、なんてことをしていたそうだ。
それを思い出し、意を決して棚から土鍋を取り出す。
よく、通販とかでおいしく炊ける鍋とかあるもんね、きっと大丈夫。
まったく炊けてない炊飯器のお米を土鍋に移し、ガスの火を着ける。
しばらくして、鍋のふちからふつふつと白い泡が噴き出し中が沸騰してきたのがわかる。
そこで、なんとなく火を弱め、様子を見てみる。
吹きこぼれるほどの勢いはなくなったけど、ずっとふつふつふつふつしてる。
ああ、蓋開けてみたい。
いいよね、多分。
開けてみて、まだ水分が残るお米をひと摘みして口に。
うん、まだちょっと芯がある。
もう一回蓋をして、待つ。
いくら蓋開けてもいいよね、と思っていてもそうそう頻繁に開けるのはどうかと思うので、ここはしばらく我慢。
もう鍋のふちにふつふつと気泡も立たなくなったころ。
ふ〜っとうっすらお米の焦げた匂いがした。
あ、もう、いいんじゃない!?
慌てて蓋を開けたら、炊きたてのいい香りが立ちこめた。
またひと摘み。
まだ、ちょっと芯がある。
そうそう、蒸らさないとね。
再び蓋をして、蒸らす。
我慢、我慢で10分待ち。
もういいでしょう、蓋を開ける。
中には、お米ってこんなに艶やかになるの!?ってくらいのキラキラしたご飯が!!
おいしそ〜〜〜〜〜。
しゃもじでさくっとほぐして、あつあつを一口。
はふはふしながら、噛んだお米は、ふっくら甘くてとってもおいしい。
10年選手の炊飯器さんには申し訳ないけど、同じお米とは思えないほど、おいしい。
そのつやっつやのご飯をお茶碗によそり。
わあ、なにで食べよう^^
そのままでも充分おいしそうだけど。
梅干しを載せて?(那智さん、梅干し嫌いなのですよね^^)
のりの佃煮?
迷った結果。
焼き海苔にお醤油をちょちょっとつけて、ご飯を巻いて。
あああ、もうたまらない。
海苔の食感とお米のふっくらと、お醤油の風味とお米の甘さと。
大満足。
なんだか、とっても贅沢な気分。
はらはらしながら見守って、様子に合わせて調整して、出来上がったそれは味プラス「何か」でとってもおいしいものになりました。
その労力と気持ちを注ぐ時間と出来上がり、どれも全部贅沢な気分にさせてくれた。
なんでも手間暇かけてできあがったものは、贅沢な一品。
ここで、S側の気分を想像してみる。
体でも心でも惜しまず手をかけて変わっていくMは、きっと贅沢な自分だけの一品になるのでしょね。
その味のおいしさは、きっと手をかけた人にだけ味わえるもの。
うんうん、ちょっとS側の気持ちがわからないでもない、かな。
那智さんなんて自分が食べるわけでもないのに、「それならいつも土鍋にしたら?」とか「ガス屋に頼んでガス釜にしたら?」とか、面倒くさがるわたしにあれこれアドバイスしてくれてる。
しまいには、値段まで調べてくれちゃって^^;
おいしいものを手に入れるための情熱は、こちらが驚くほど。(単に世話焼きともいえる)
でも…。
基本、手を掛けてもらう側のわたしは、どんなにその出来上がりがすばらしくても、その情熱がない^^;
それは、いろんな場面でそのようでして、あんなにおいしいと感動したにも関わらず、翌日さっそく新しい炊飯器を買いに電気店へ向かうのでした。
あ〜あ、やっぱり、もしかしたら、最後においしい思いをするのは、面倒を引き受けてる「する側」なのかもしれない。
新しい炊飯器は、10年前のものに比べたら性能もよいようで、まあ、おいしく炊けました。
でも、あの、蓋を開けたときの一口食べたときの喜びを思い出し、情熱のない自分を、ちょっと嘆くのでした。