徒然に「虜」
独り言
那智さんのしてくれるセックスの虜。
そもそも何かの虜になるなんて健全な状態ではないわけで、そこに恋心や愛情や快感なんかが混ざり合うのだから、キレイな色になるわけないのはわかっている。
どんなにひとつひとつはキレイな色でも何色も混ぜれば『ドロドロ』するよね。
単色だけの人生なんて、ない。
だから『ドロドロ』もあり、いや、むしろ、『ドロドロ』こそ醍醐味!くらいに言ってみる(笑)
その『ドロドロ』。
情念なんて恐ろしげな言葉を使ってみたけど、これが本来の意味である愛と憎にならないでいるのはやはり那智さんのおかげだと思っている。
『虜』状態にしたり、激しい感情と欲情の濁流にわたしを放り込んだり、いまのわたしのある部分はかなり偏った人間になりつつあるように思うけど、案外まっとうでいられているのは那智さんのおかげ。
那智さんはその流れそのものなので、その内なる流れに翻弄させられているのだ。
だから、わたしは溺れ死ぬことはないし、必ず引っぱり上げてもらえる。
那智さん自身もその濁流に足を入れることや、水しぶきがかかって一瞬グラつくようなときが、ごく稀にあるようにも思う。
そのときの激しくすこし破綻を孕む一体感はたまらない魅力はあるけれど、それはほとんど一瞬のこと。(これはこれでたまらない^^;)
ほとんど、那智さんはいつも正気だ。
だからこそ、わたしは安心して濁流にもまれることができるのだと思うけど、おそらく、数多ある愛憎劇はこの濁流に男女とも飲み込まれてしまって生まれるのではないだろうか。
わたしの感じるドロドロした日本映画のような情念が、あいかわらず、わたしたちらしく日常の一コマとしてハッピーなものに包まれているとしたら、それはやはり那智さんが流されない、自分で流れを作れる人だからだと思う。
ハッピーとドロドロが作り出す世界は、それはそれでなかなかいいものですよ^^
「等式」感想です。どんなに虜にしようと、操ろうと、手を繋いでいる離さない「手」をね。悪意なくりん子を思う感情は途切れない。
那智さんのしてくれるセックスの虜。
そもそも何かの虜になるなんて健全な状態ではないわけで、そこに恋心や愛情や快感なんかが混ざり合うのだから、キレイな色になるわけないのはわかっている。
どんなにひとつひとつはキレイな色でも何色も混ぜれば『ドロドロ』するよね。
単色だけの人生なんて、ない。
だから『ドロドロ』もあり、いや、むしろ、『ドロドロ』こそ醍醐味!くらいに言ってみる(笑)
その『ドロドロ』。
情念なんて恐ろしげな言葉を使ってみたけど、これが本来の意味である愛と憎にならないでいるのはやはり那智さんのおかげだと思っている。
『虜』状態にしたり、激しい感情と欲情の濁流にわたしを放り込んだり、いまのわたしのある部分はかなり偏った人間になりつつあるように思うけど、案外まっとうでいられているのは那智さんのおかげ。
那智さんはその流れそのものなので、その内なる流れに翻弄させられているのだ。
だから、わたしは溺れ死ぬことはないし、必ず引っぱり上げてもらえる。
那智さん自身もその濁流に足を入れることや、水しぶきがかかって一瞬グラつくようなときが、ごく稀にあるようにも思う。
そのときの激しくすこし破綻を孕む一体感はたまらない魅力はあるけれど、それはほとんど一瞬のこと。(これはこれでたまらない^^;)
ほとんど、那智さんはいつも正気だ。
だからこそ、わたしは安心して濁流にもまれることができるのだと思うけど、おそらく、数多ある愛憎劇はこの濁流に男女とも飲み込まれてしまって生まれるのではないだろうか。
わたしの感じるドロドロした日本映画のような情念が、あいかわらず、わたしたちらしく日常の一コマとしてハッピーなものに包まれているとしたら、それはやはり那智さんが流されない、自分で流れを作れる人だからだと思う。
ハッピーとドロドロが作り出す世界は、それはそれでなかなかいいものですよ^^
「等式」感想です。どんなに虜にしようと、操ろうと、手を繋いでいる離さない「手」をね。悪意なくりん子を思う感情は途切れない。
ケツの穴のちぃせーこと
りん子的独り言(生意気)
ホントは『140字もどき』なんだけど、訳あって『りん子的独り言(生意気)です。
わたしはサッカー経験がない。
サッカー経験どころかかなりの運動音痴なのでスポーツ全般、経験ありといえるものはほとんどない。
でも、サッカー観戦はすきだ。
観戦歴もそこそこ長い。
ドーハの悲劇はリアルタイムで観たから、少なくとも20数年はある。
とはいえ、海外リーグもJリーグもそれほど追っていないし、ルールも全部知っているわけではないからサッカーファンを名乗るほどではないことは自覚している。
それでも、長年追っていれば、各国のスタイルやそこそこ有名選手の特徴なんかもわかってくる。
とくに、よく観る代表戦などは、なんていうかな、サッカーはもちろんだけど、選手の表情やなんかから別のストーリーまで感じられるようで楽しい。
サッカー経験がなくても感じることを自由に発言しながら応援し興奮するのも楽しい。
最近は代表戦をTwitterをしながら観たりして、いろいろな意見が飛び交うのもなかなかおもしろい。
ただ、たまーにとても残念な気持ちになることがある。
サッカー経験のないサッカー通の芸人さんのことを『経験ないくせに語るな』という批判を目にするときだ。
たしかに彼にはサッカー経験はないけど、はたして経験がないことを語ってはいけないのだろうか。
そんなことはないよね。
彼は経験がない代わりに、おそらくたくさん観て学んで感じて自分の力にしたはずだし、外側から見て気づくことや得られる知識だってあるかもしれない。
だから、彼の知識と語り口は『聞きたい』と思わせる力がある。
もちろん経験者にしかわからないことだってたくさんあるだろう。
だけど、だからといって、それ以外の人間が語ってはいけないというのは筋違いだ。
そんなことを言っていたらスポーツライターはものすごい数のスポーツを経験しなかればならなくなる(笑)
もし、その芸人さんの見解に問題があるのなら、そこだけを指摘すればいいだけのこと。
経験の有無で排除しようとするのは議論のすり替え。
これは1例に過ぎない。
わたしが『当事者』になってから、いままで知らなかった分野の意見をいろいろ見聞きしていても、議論の本質よりずっと手前の論点がズレた批判と排除をよく目にする。
『◯◯には語る資格ない』『◯◯じゃない人には言われたくない』なんてね。
こういうセリフは都合の悪いものを排除するための論点のすり替え、わたしには「奴隷じゃないからあなたにはわからない」と同じ議論の放棄、逃げにしか聞こえない。
矮小な世界で語るのは快適だしラクだろう、でも曲がりなりにも自分なりの主張をしているのなら論点をすり替えるようなやり方は恥ずかしい行為だとわたしは思っている。
人を名指しするならなおのこと、だ(笑)
その人なりに真剣に考え、疑問に思うこと、それはおかしいと感じることを言葉にするのに経験者だとう資格が必要なのだろうか。
仮に、資格があるとするならば真剣であることではないだろうか。
だから、わたしはこれからも主従について書いていく。(なんかあればね^^)
疑問は投げかけるし、おかしいことはきとんと「おかしい」という。
わたしは主従ではないけど、同じ人間だし、同じ女だからだ。
人として女として、疑問もおかしいと思うこともきちんという。。
さて、もうすぐW杯、興味のない人もたくさんいるかと思うけど、わたしはとても楽しみにしています(楽しみ半分、ヒヤヒヤ半分^^;)
サッカー経験ないけれど、拙い知識とそれなりの観戦歴をもとに言いたいことをいい、気持ちよく応援したいです。
だから「サッカーやってないんだから語るべからず」なんてケツの穴のちぃせーこと言わないでくださいね^^
まったく、もう、『ケツの穴が小さい』なんて普段口にしないような言葉を言わせないでいただきたい、です(笑)
<関連エントリー>
捨て台詞〜
話の終わらせ方
「等式」感想です。今日のエントリーは色々な要素があって楽しいです。サッカーのお仕事は選手だったり、監督、マネージャー、オーナー、など仕事や立場を想像出来る。想像がつかない立場、もしくは確立されてない者の優劣や本質など存在すらしないだろう。自己完結するしている人は除きますが。
ホントは『140字もどき』なんだけど、訳あって『りん子的独り言(生意気)です。
わたしはサッカー経験がない。
サッカー経験どころかかなりの運動音痴なのでスポーツ全般、経験ありといえるものはほとんどない。
でも、サッカー観戦はすきだ。
観戦歴もそこそこ長い。
ドーハの悲劇はリアルタイムで観たから、少なくとも20数年はある。
とはいえ、海外リーグもJリーグもそれほど追っていないし、ルールも全部知っているわけではないからサッカーファンを名乗るほどではないことは自覚している。
それでも、長年追っていれば、各国のスタイルやそこそこ有名選手の特徴なんかもわかってくる。
とくに、よく観る代表戦などは、なんていうかな、サッカーはもちろんだけど、選手の表情やなんかから別のストーリーまで感じられるようで楽しい。
サッカー経験がなくても感じることを自由に発言しながら応援し興奮するのも楽しい。
最近は代表戦をTwitterをしながら観たりして、いろいろな意見が飛び交うのもなかなかおもしろい。
ただ、たまーにとても残念な気持ちになることがある。
サッカー経験のないサッカー通の芸人さんのことを『経験ないくせに語るな』という批判を目にするときだ。
たしかに彼にはサッカー経験はないけど、はたして経験がないことを語ってはいけないのだろうか。
そんなことはないよね。
彼は経験がない代わりに、おそらくたくさん観て学んで感じて自分の力にしたはずだし、外側から見て気づくことや得られる知識だってあるかもしれない。
だから、彼の知識と語り口は『聞きたい』と思わせる力がある。
もちろん経験者にしかわからないことだってたくさんあるだろう。
だけど、だからといって、それ以外の人間が語ってはいけないというのは筋違いだ。
そんなことを言っていたらスポーツライターはものすごい数のスポーツを経験しなかればならなくなる(笑)
もし、その芸人さんの見解に問題があるのなら、そこだけを指摘すればいいだけのこと。
経験の有無で排除しようとするのは議論のすり替え。
これは1例に過ぎない。
わたしが『当事者』になってから、いままで知らなかった分野の意見をいろいろ見聞きしていても、議論の本質よりずっと手前の論点がズレた批判と排除をよく目にする。
『◯◯には語る資格ない』『◯◯じゃない人には言われたくない』なんてね。
こういうセリフは都合の悪いものを排除するための論点のすり替え、わたしには「奴隷じゃないからあなたにはわからない」と同じ議論の放棄、逃げにしか聞こえない。
矮小な世界で語るのは快適だしラクだろう、でも曲がりなりにも自分なりの主張をしているのなら論点をすり替えるようなやり方は恥ずかしい行為だとわたしは思っている。
人を名指しするならなおのこと、だ(笑)
その人なりに真剣に考え、疑問に思うこと、それはおかしいと感じることを言葉にするのに経験者だとう資格が必要なのだろうか。
仮に、資格があるとするならば真剣であることではないだろうか。
だから、わたしはこれからも主従について書いていく。(なんかあればね^^)
疑問は投げかけるし、おかしいことはきとんと「おかしい」という。
わたしは主従ではないけど、同じ人間だし、同じ女だからだ。
人として女として、疑問もおかしいと思うこともきちんという。。
さて、もうすぐW杯、興味のない人もたくさんいるかと思うけど、わたしはとても楽しみにしています(楽しみ半分、ヒヤヒヤ半分^^;)
サッカー経験ないけれど、拙い知識とそれなりの観戦歴をもとに言いたいことをいい、気持ちよく応援したいです。
だから「サッカーやってないんだから語るべからず」なんてケツの穴のちぃせーこと言わないでくださいね^^
まったく、もう、『ケツの穴が小さい』なんて普段口にしないような言葉を言わせないでいただきたい、です(笑)
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捨て台詞〜
話の終わらせ方
「等式」感想です。今日のエントリーは色々な要素があって楽しいです。サッカーのお仕事は選手だったり、監督、マネージャー、オーナー、など仕事や立場を想像出来る。想像がつかない立場、もしくは確立されてない者の優劣や本質など存在すらしないだろう。自己完結するしている人は除きますが。
S女の責め
140字もどき
S女性の責めはようしゃない
という言葉を以前コメントでいただいた。
わたしはS女性の方とはほとんど接点がないので(ヒジョーに魅力的だと思っていますが^^)想像でしかないのだけど、たしかにブログなどで拝見するS女性や女王様は、S男性やご主人様よりもハードなことをされているようにお見受けする。
同じようにM男性もなかなかハードなものを求めているとも感じるしね。
これは『奴隷の性別』というエントリーにした。
その『奴隷の性別』と似たような内容になってしまうけど。
S女性の責めが容赦ない理由は『どーしてもそれがやりたいから』だからだと思う。
いくら女性が強くなったと言われても、まだまだ日本は男性主体の社会であることは否めない。
まして、性社会、産業や風潮や個々の関係性などは圧倒的に男性主体の世の中だ。
多くの男性及び社会は女性に羞恥や奥ゆかしさを求め、そのくせ男性にとってちょうどいい『淫乱』を求める。
どうしても、男性能動、女性受動の関係値になる。
そうすると男性を虐げるような行為で性的興奮を憶える女性は困惑するはずなんだよね。
男の優しい愛撫で男のタイミングで挿入してなんてセックスでは欲しいものは手に入らないの場合が多いはずだ。
それでも、普通に暮らし恋人ができ、そこでの性行為を受け入れながらなんとかやり過ごす、ひとり妄想の世界でよろこびを得ているかもしれない。
で、それでも納まりきらない人が、S女性として一歩踏み出すのではないだろうか。
叶えるのに高いハードルを越えないといけない。
だから、S女性の『どうしてもやりたい』度は高いと思うのだ。
そのもともと求めているものの強さと、もしかしたら、同じ理由で少数であろうM男性の需要もあって、少数精鋭のS女性の責めは激しいものになっていくのではないだろうか。
おそらく、性的場面で簡単に能動になれる男性のほうが、簡単に『ドS』や『ご主人様』になれてしまうのだろう。
そして、同じく簡単に受動になれる女性のほうが、簡単に『M女』や『奴隷』になれるのだろう。
(当然葛藤やためらいがあるのは理解しているよ、ただ性社会と男女の立ち位置をもとに話しているだけなので、ご理解ください)
(関係値は受動であるくせに行動はよろこばせることを求められているんだから、無理があるんだけど、これはまた別のお話^^)
だから、日本の社会、主に性社会の縮図の結果が『S女性の責めは容赦ない』を作り出しているのだと思う。
『どうしてもやりたいこと』は、環境が厳しければ厳しいほど研ぎすまされていくし、いつまでたっても飽きない。
そして、飽きないけれど徐々にエスカレートしていくものなのだと思う。
<関連エントリー>
やりたいことはやる
S女性、好き^^;
少数派?多数派?4
S女性の責めはようしゃない
という言葉を以前コメントでいただいた。
わたしはS女性の方とはほとんど接点がないので(ヒジョーに魅力的だと思っていますが^^)想像でしかないのだけど、たしかにブログなどで拝見するS女性や女王様は、S男性やご主人様よりもハードなことをされているようにお見受けする。
同じようにM男性もなかなかハードなものを求めているとも感じるしね。
これは『奴隷の性別』というエントリーにした。
その『奴隷の性別』と似たような内容になってしまうけど。
S女性の責めが容赦ない理由は『どーしてもそれがやりたいから』だからだと思う。
いくら女性が強くなったと言われても、まだまだ日本は男性主体の社会であることは否めない。
まして、性社会、産業や風潮や個々の関係性などは圧倒的に男性主体の世の中だ。
多くの男性及び社会は女性に羞恥や奥ゆかしさを求め、そのくせ男性にとってちょうどいい『淫乱』を求める。
どうしても、男性能動、女性受動の関係値になる。
そうすると男性を虐げるような行為で性的興奮を憶える女性は困惑するはずなんだよね。
男の優しい愛撫で男のタイミングで挿入してなんてセックスでは欲しいものは手に入らないの場合が多いはずだ。
それでも、普通に暮らし恋人ができ、そこでの性行為を受け入れながらなんとかやり過ごす、ひとり妄想の世界でよろこびを得ているかもしれない。
で、それでも納まりきらない人が、S女性として一歩踏み出すのではないだろうか。
叶えるのに高いハードルを越えないといけない。
だから、S女性の『どうしてもやりたい』度は高いと思うのだ。
そのもともと求めているものの強さと、もしかしたら、同じ理由で少数であろうM男性の需要もあって、少数精鋭のS女性の責めは激しいものになっていくのではないだろうか。
おそらく、性的場面で簡単に能動になれる男性のほうが、簡単に『ドS』や『ご主人様』になれてしまうのだろう。
そして、同じく簡単に受動になれる女性のほうが、簡単に『M女』や『奴隷』になれるのだろう。
(当然葛藤やためらいがあるのは理解しているよ、ただ性社会と男女の立ち位置をもとに話しているだけなので、ご理解ください)
(関係値は受動であるくせに行動はよろこばせることを求められているんだから、無理があるんだけど、これはまた別のお話^^)
だから、日本の社会、主に性社会の縮図の結果が『S女性の責めは容赦ない』を作り出しているのだと思う。
『どうしてもやりたいこと』は、環境が厳しければ厳しいほど研ぎすまされていくし、いつまでたっても飽きない。
そして、飽きないけれど徐々にエスカレートしていくものなのだと思う。
<関連エントリー>
やりたいことはやる
S女性、好き^^;
少数派?多数派?4
リカバリーの経験
独特な幸福感
この前那智さんと某テーマパークに行った。
お昼に紹興酒をボトル2本空けて、いい気分で午後から。
じつは、前日にひと騒動あった。
ネットでチケットを購入できることを知り、お仕事をしている那智さんに代わってわたしが予約することにしたのだけど、操作ミスで日付けを間違えて購入してしまったのだ。
ネットの購入ボタンをクリックした瞬間に気づくというバカぶり。
その瞬間、もう頭に血がのぼり心臓ばくばく。
ああ、どうしよう。
すぐにでも那智さんに泣きつきたいけど、それじゃダメと気持ちを奮い立たせる。
那智さんは絶対怒らない、だけど、やるだけのことはちゃんとやっておくことは求められるからだ。
とにかく、Web上で購入の変更ができないか調べ、どうやらできないようなのでコールセンターに問い合わせる。
手数料はかかるけど、どうやら変更は窓口でできるそうだ。
とりあえず、ひと安心。
ただ、結局、窓口に並ばないといけないし、その日はとても混む予定の日だったので時間によっては入場制限があるかもしれないから、朝イチに来たら確実に交換できるとのことだった。
不幸中の幸いで、すでに前日の夕方のこの時点でネットの前売りは完売していたので、どちらにしても当日窓口購入しないといけないということだったので、結果手数料数百円は損をしてしまうけど、それ以上の損害はなさそうだ。
念のため、入場制限の可能性と午後から行った場合の並ぶ時間の予想を聞いて、昨年を例にあげてもらったら、昨年の同じ日とその前後の週は入場制限はしなかったそうで、並んでも最大15分ということだった。
これだけ情報を揃えて、謝罪と共に那智さんにお知らせをする。
日付けを間違えてしまったこと。
変更は可能だけど、窓口に行かないといけないこと。
ただ、予約チケットは完売していたから、どちらにしても窓口に行かないといけなかったこと。
場合によっては入場制限がかかって入れないかもしれないこと。
方法として朝イチに一度窓口で変更しておくこと。
前年を例にしての予想。
そこまで一切返信なし。
ひと通り説明が済んだ頃
入場制限がかかったら払い戻しは可能か?
日付けの変更は何時でも可能か?
続けざまに確認が届く。
わたしの得ている情報から都度お答えする。
変更は一ヶ月後でも可能か?
これは知らないことだったので、すぐコールセンターにかけて確認。
聞けば、有効期限内であれば変更は可能だった。
それもすぐお伝えする。
入場制限がかかったら明日は諦めるか、朝りん子が手続きに行くかの選択かな
また期限内であればチケットの内容変更も可能ということもつけ加えると(もちろん差額は発生するけどね)
それなら悪くないね!
そして、「それなら予定通りでいいのでは?」と最終判断をくだしてくれたので、あらためて
明日は◯◯で酔っぱらいながら入場制限の確認をしつつすこし早めに移動して一緒に並んで変更手続きをしてください
とお願いをして一件落着した。
わたしはもともと必要以上にドキドキしてしまう、そして必要以上に自分のせいにしてしまう。
それはおそらくミスをしたときにも過剰に反応する部分だ。
ミスのリカバリーよりも、怒られるとか機嫌を損ねてしまうことを回避するほうに気持ちが行ってしまう。
これでは最終的に解決にはならないし、別な部分を埋め合わせようとするためミスを犯した相手に対しての本当の意味の信頼も得られない。
そして、おそらく、わたしのその卑屈な精神は自分を低い位置に置いてしまうものだったりする。
那智さんと出会って、萎縮せず必要以上に自分のせいにしない訓練をして、物事の責任の所在や最善を見極める冷静さを身につけることがすこしずつできている。
この出来事はその集大成(?)のような出来事だった。
ミスに気づいた瞬間、心臓がドキドキして手に汗を書き、Webを操る指が震えるようだった。
それでも、那智さんはぜったい怒らない、機嫌も悪くならないとわかっているから、意識を問題解決にだけ集中させるように努めた。
想像しうる必要な情報を集め、自分なりの結論を探し、そこではじめて伝えた。
そのときの那智さんの対応も、とても那智さんらしい。
わたしのミスに対して一切感情を示さず、情報収集の質問だけ投げかける。
そして、最終的に判断を下す。
その判断の中には、わたしが朝イチで窓口に行くという甘くない選択肢も入っている。
そこが那智さんらしい。
けして感情的にならず、冷静に判断した中に『わたしへの負担』が入っているのは、冷静に判断をした証拠だ。
もしかしたら、わたしがすこし無理をすることで、わたしの気持ちを軽くする意味もあったかもしれない。
ペナルティではない、等身大の責任の果たし方を示してくれたわけだ。
こういう対応を長いことしてくれていると、わたしの悪い癖がすこしずつ改善して、どんどん生きやすきなっているのだと思う。
そうあらためて感じられる出来事だった。
で、紹興酒2本空け、いい気分で某テーマパークに向かうのでした^^
人は成功体験を積むと、ちょっとずつでもできるようになっていくものなんだね^^
「等式」感想です。誰しもミスなんて起こす。ミスに対してどう向き合うかが大切なのではないか。この時は相当煩雑なシステムだったけれど情報収集はりん子一人で頑張りました。敢えて、りん子が、朝並ぶ選択肢を消さないのが免罪符!(笑)。
この前那智さんと某テーマパークに行った。
お昼に紹興酒をボトル2本空けて、いい気分で午後から。
じつは、前日にひと騒動あった。
ネットでチケットを購入できることを知り、お仕事をしている那智さんに代わってわたしが予約することにしたのだけど、操作ミスで日付けを間違えて購入してしまったのだ。
ネットの購入ボタンをクリックした瞬間に気づくというバカぶり。
その瞬間、もう頭に血がのぼり心臓ばくばく。
ああ、どうしよう。
すぐにでも那智さんに泣きつきたいけど、それじゃダメと気持ちを奮い立たせる。
那智さんは絶対怒らない、だけど、やるだけのことはちゃんとやっておくことは求められるからだ。
とにかく、Web上で購入の変更ができないか調べ、どうやらできないようなのでコールセンターに問い合わせる。
手数料はかかるけど、どうやら変更は窓口でできるそうだ。
とりあえず、ひと安心。
ただ、結局、窓口に並ばないといけないし、その日はとても混む予定の日だったので時間によっては入場制限があるかもしれないから、朝イチに来たら確実に交換できるとのことだった。
不幸中の幸いで、すでに前日の夕方のこの時点でネットの前売りは完売していたので、どちらにしても当日窓口購入しないといけないということだったので、結果手数料数百円は損をしてしまうけど、それ以上の損害はなさそうだ。
念のため、入場制限の可能性と午後から行った場合の並ぶ時間の予想を聞いて、昨年を例にあげてもらったら、昨年の同じ日とその前後の週は入場制限はしなかったそうで、並んでも最大15分ということだった。
これだけ情報を揃えて、謝罪と共に那智さんにお知らせをする。
日付けを間違えてしまったこと。
変更は可能だけど、窓口に行かないといけないこと。
ただ、予約チケットは完売していたから、どちらにしても窓口に行かないといけなかったこと。
場合によっては入場制限がかかって入れないかもしれないこと。
方法として朝イチに一度窓口で変更しておくこと。
前年を例にしての予想。
そこまで一切返信なし。
ひと通り説明が済んだ頃
入場制限がかかったら払い戻しは可能か?
日付けの変更は何時でも可能か?
続けざまに確認が届く。
わたしの得ている情報から都度お答えする。
変更は一ヶ月後でも可能か?
これは知らないことだったので、すぐコールセンターにかけて確認。
聞けば、有効期限内であれば変更は可能だった。
それもすぐお伝えする。
入場制限がかかったら明日は諦めるか、朝りん子が手続きに行くかの選択かな
また期限内であればチケットの内容変更も可能ということもつけ加えると(もちろん差額は発生するけどね)
それなら悪くないね!
そして、「それなら予定通りでいいのでは?」と最終判断をくだしてくれたので、あらためて
明日は◯◯で酔っぱらいながら入場制限の確認をしつつすこし早めに移動して一緒に並んで変更手続きをしてください
とお願いをして一件落着した。
わたしはもともと必要以上にドキドキしてしまう、そして必要以上に自分のせいにしてしまう。
それはおそらくミスをしたときにも過剰に反応する部分だ。
ミスのリカバリーよりも、怒られるとか機嫌を損ねてしまうことを回避するほうに気持ちが行ってしまう。
これでは最終的に解決にはならないし、別な部分を埋め合わせようとするためミスを犯した相手に対しての本当の意味の信頼も得られない。
そして、おそらく、わたしのその卑屈な精神は自分を低い位置に置いてしまうものだったりする。
那智さんと出会って、萎縮せず必要以上に自分のせいにしない訓練をして、物事の責任の所在や最善を見極める冷静さを身につけることがすこしずつできている。
この出来事はその集大成(?)のような出来事だった。
ミスに気づいた瞬間、心臓がドキドキして手に汗を書き、Webを操る指が震えるようだった。
それでも、那智さんはぜったい怒らない、機嫌も悪くならないとわかっているから、意識を問題解決にだけ集中させるように努めた。
想像しうる必要な情報を集め、自分なりの結論を探し、そこではじめて伝えた。
そのときの那智さんの対応も、とても那智さんらしい。
わたしのミスに対して一切感情を示さず、情報収集の質問だけ投げかける。
そして、最終的に判断を下す。
その判断の中には、わたしが朝イチで窓口に行くという甘くない選択肢も入っている。
そこが那智さんらしい。
けして感情的にならず、冷静に判断した中に『わたしへの負担』が入っているのは、冷静に判断をした証拠だ。
もしかしたら、わたしがすこし無理をすることで、わたしの気持ちを軽くする意味もあったかもしれない。
ペナルティではない、等身大の責任の果たし方を示してくれたわけだ。
こういう対応を長いことしてくれていると、わたしの悪い癖がすこしずつ改善して、どんどん生きやすきなっているのだと思う。
そうあらためて感じられる出来事だった。
で、紹興酒2本空け、いい気分で某テーマパークに向かうのでした^^
人は成功体験を積むと、ちょっとずつでもできるようになっていくものなんだね^^
「等式」感想です。誰しもミスなんて起こす。ミスに対してどう向き合うかが大切なのではないか。この時は相当煩雑なシステムだったけれど情報収集はりん子一人で頑張りました。敢えて、りん子が、朝並ぶ選択肢を消さないのが免罪符!(笑)。
駄々をこねる
独り言
『下からのコントロール』のお話を2回続けて^^
伊藤比呂美さんの本ですきな考え方がある。
読者からの子育て相談なんだけど、スーパーで「お菓子は買わない」と約束したのに買ってとねだって泣きわめく子どもについてのことだ。
その回答を多少端折りながら、掲載いたします。
泣いてもわめいても、いちど買わないと言ったらぜったい買わない。
このシチュエーションでは、けっして手をあげてはいけません。
泣きわめくコドモを抱きかかえて移動するときも(じっさい、最終的にはこれしか手がない)あくまでも冷静を装ってください。
とにかく買わない。いったん買わないと言ったら、なにがあっても買わない。
ほとぼりがさめたころにアイスをおごるのはいいですが、コドモがほしがっているそれは、ぜったい買わない。
これ、わたしすきなんだよね^^
これのポイントは一度買わないと言ったことはぜったいに買わないこと。
それと、ほとぼりが冷めたころに別の物はあげてもいいというところ。
この駄々こねた対処法と別な方法で慰めてあげるこのお話がすき。
駄々をこねるというものは、本当にそれが欲しいという場合より『駄々をこねる』ことが主な理由になっていることが多いはずなのだ。
叶えられないことを嘆き、要求を通すことでその嘆きを解消しようとしているように思う。
そして、無意識に計っているんだと思う。
駄々をこねて買ってもらえると、それが要求を通す手段になってしまう。
だから、次からは駄々をこねるようになる。
今度はその方法で下からのコントロールができるようになっちゃうんだよね。
まあ、いまのお話は親子のことだけど。
わたしたちのような上下関係がある場合も様々な方法で下からのコントロールというものは存在する。
(『駄々をこねる』の具体的な定義はあいまいのままでお許しを^^;)
上からの指示に対して、駄々こねて、それを聞いてくれるなんてことをくり返すといつの間にか下の希望通りにコントロールできてしまうんだよね。
だから、こねる側も気をつけないといけない。
真剣に撤回してほしいことは、真剣に話し合う。
駄々こねていいのは
ぜったいに覆らないのわかっていて、その行為を楽しむためにこねる。
もしくは、覆ってもまったく問題ないどーでもいいことだけこねる。
このふた通りの場合くらいにしておかないと、知らぬ間に下からコントロールが染み付いちゃうから気をつけないといけないと思うんだ。
で、駄々こねても撤回してもらえない代わりに別の『いいもの』を与えてあげるところまで書いてあるから、その優しいさも含めてこの回答が好きなのだ^^
厳しけりゃいいってもんじゃないものね。
駄々こねても動かず上の裁量で別の『いいもの』をくれることが、良好な上からのコントロールになると思うのです。
わたしは那智さんに対して駄々をこねることは基本的にはないんだ。(ありそうでしょ?でもないの^^)
ハッキリ駄々こねたと自覚しているのは『意思を持つ鞭のおまけ』のときくらい。
自覚してお遊びでこねて、那智さんもわかっているから軽くあしらってくれた。
『女の子』的感覚としては駄々こねるのは幸せだよね。
でも、わたしたちのような上下関係の場合、駄々こね時を見極めて発動することは大事だなって思うのです。
下からのコントロールを可能にしてしまいそうな駄々こねは要注意^^
上手に駄々こねて、甘えさせてもらいましょうねー!
「等式」感想です。「どうしても」とか「だだをこねる」とか楽しいですね、要求がはっきりしているのは。りん子には両方とも殆どないけれど、こねる前にもらっている?(笑)
りん子(^-^)こねる前にもらえていたのでしょうか、那智さん!!Σ(・□・;) 今日のエントリー、途端に説得力なし…。感想貼るの遅くしようか…(笑)
と書きつつ、あえて早めに貼る(こういところ、プチ那智化 笑)
『下からのコントロール』のお話を2回続けて^^
伊藤比呂美さんの本ですきな考え方がある。
読者からの子育て相談なんだけど、スーパーで「お菓子は買わない」と約束したのに買ってとねだって泣きわめく子どもについてのことだ。
その回答を多少端折りながら、掲載いたします。
泣いてもわめいても、いちど買わないと言ったらぜったい買わない。
このシチュエーションでは、けっして手をあげてはいけません。
泣きわめくコドモを抱きかかえて移動するときも(じっさい、最終的にはこれしか手がない)あくまでも冷静を装ってください。
とにかく買わない。いったん買わないと言ったら、なにがあっても買わない。
ほとぼりがさめたころにアイスをおごるのはいいですが、コドモがほしがっているそれは、ぜったい買わない。
これ、わたしすきなんだよね^^
これのポイントは一度買わないと言ったことはぜったいに買わないこと。
それと、ほとぼりが冷めたころに別の物はあげてもいいというところ。
この駄々こねた対処法と別な方法で慰めてあげるこのお話がすき。
駄々をこねるというものは、本当にそれが欲しいという場合より『駄々をこねる』ことが主な理由になっていることが多いはずなのだ。
叶えられないことを嘆き、要求を通すことでその嘆きを解消しようとしているように思う。
そして、無意識に計っているんだと思う。
駄々をこねて買ってもらえると、それが要求を通す手段になってしまう。
だから、次からは駄々をこねるようになる。
今度はその方法で下からのコントロールができるようになっちゃうんだよね。
まあ、いまのお話は親子のことだけど。
わたしたちのような上下関係がある場合も様々な方法で下からのコントロールというものは存在する。
(『駄々をこねる』の具体的な定義はあいまいのままでお許しを^^;)
上からの指示に対して、駄々こねて、それを聞いてくれるなんてことをくり返すといつの間にか下の希望通りにコントロールできてしまうんだよね。
だから、こねる側も気をつけないといけない。
真剣に撤回してほしいことは、真剣に話し合う。
駄々こねていいのは
ぜったいに覆らないのわかっていて、その行為を楽しむためにこねる。
もしくは、覆ってもまったく問題ないどーでもいいことだけこねる。
このふた通りの場合くらいにしておかないと、知らぬ間に下からコントロールが染み付いちゃうから気をつけないといけないと思うんだ。
で、駄々こねても撤回してもらえない代わりに別の『いいもの』を与えてあげるところまで書いてあるから、その優しいさも含めてこの回答が好きなのだ^^
厳しけりゃいいってもんじゃないものね。
駄々こねても動かず上の裁量で別の『いいもの』をくれることが、良好な上からのコントロールになると思うのです。
わたしは那智さんに対して駄々をこねることは基本的にはないんだ。(ありそうでしょ?でもないの^^)
ハッキリ駄々こねたと自覚しているのは『意思を持つ鞭のおまけ』のときくらい。
自覚してお遊びでこねて、那智さんもわかっているから軽くあしらってくれた。
『女の子』的感覚としては駄々こねるのは幸せだよね。
でも、わたしたちのような上下関係の場合、駄々こね時を見極めて発動することは大事だなって思うのです。
下からのコントロールを可能にしてしまいそうな駄々こねは要注意^^
上手に駄々こねて、甘えさせてもらいましょうねー!
「等式」感想です。「どうしても」とか「だだをこねる」とか楽しいですね、要求がはっきりしているのは。りん子には両方とも殆どないけれど、こねる前にもらっている?(笑)
りん子(^-^)こねる前にもらえていたのでしょうか、那智さん!!Σ(・□・;) 今日のエントリー、途端に説得力なし…。感想貼るの遅くしようか…(笑)
と書きつつ、あえて早めに貼る(こういところ、プチ那智化 笑)