共有
モカ
モカに会った。
ひさしぶりに(といっても3週間くらいだ^^;)見る手を振る姿。
待ち合わせ場所で手を振り合って、すでにふたりして涙目。
そのままするりと自然に手を繋ぐ。
モカと手を繋いで歩くのはこれで3回?4回?懐かしい握り心地。
とにかく、早くモカに会いたかった。
永遠なんてない人の気持ちは変わるもの、死も含めて人間関係に別れは切り離せないものだ。
だから誤解を覚悟で言わせてもらえば、おしまいになってしまったことは仕方がない(那智さんとわたしだって、あり得ないことじゃないもの)
だけど突然のお別れと連絡を取らないということを強いたわたしたちは、ちょっとでも早くそこから抜け出してモカに会いたかった。
わたしの悲しさを見せて、モカの悲しいを抱きしめたかった。
こちらからお別れを切り出してどの面下げてという思いもなくはない。
モカにはよくしてくださるお友達もいるから、安心といえば安心だった。
だけど、きっとこの『悲しいと楽しい』はわたしでなければ共有できないはずで、それを『一日でも早く』モカにしてあげたかった。
ブログにたくさん『苦しい』を書いた。
あれはわたしには必要な作業だったし、それをすることで『一日でも早く』が叶うとも思っていた。
モカにそれを見せることは酷なことだったこともわかってる。(それでも『那智さんとの間のこと』だという書き方はモカちゃんにも通じていると信じて書いた)
じゃあ、あの笑顔は嘘だったの?と思うであろうモカに、一日でも早く会って『違うよ』と伝えたかった。
違うよ、あの笑顔は、笑顔だよって、会えば伝わると信じていたし、そういう付き合いをしていたと自負があった。
書くことでわたしの悲しいを見せた。
書くことで再生して、そしてモカの悲しいを抱きしめて、楽しかったと楽しいを共有したかった。
モカが愛しい気持ちとわたしの責任において。
那智さんが作ったこの人間関係の形は、とても絶妙でかなり唯一のバランスをとっている。
理解されにくいと思うけど、ホントに優しくて楽しいのだ。
結局、それとわたしの苦しいとの乖離で悲鳴を上げてしまったのだけど、これしかない形故の宿命だったのだとも思う。
このバランスや優しい空気をモカに確認して安心してほしかった。
たくさんお話しして、怒って笑った。
途中那智さんと電話も繋げた。
(那智さんも心配だっただろうし、モカもお父さんとお話ししたかっただろうし、それにこれはわたしの心を探ることでもあった)
これからモカとの関係はどうなっていくはわからない、ただ優しく笑う時間を過ごしたことは本物だし、その空気はいまでも脈々と流れていると安心してもらえたと思う。
モカちゃん、会いにきてくれてありがとう。
相変わらず、あなたはいいこで潔かった^^
またランチしよう。
この後、わたしの再生のお話も書かせてもらいたいと思っています。
モカに会った。
ひさしぶりに(といっても3週間くらいだ^^;)見る手を振る姿。
待ち合わせ場所で手を振り合って、すでにふたりして涙目。
そのままするりと自然に手を繋ぐ。
モカと手を繋いで歩くのはこれで3回?4回?懐かしい握り心地。
とにかく、早くモカに会いたかった。
永遠なんてない人の気持ちは変わるもの、死も含めて人間関係に別れは切り離せないものだ。
だから誤解を覚悟で言わせてもらえば、おしまいになってしまったことは仕方がない(那智さんとわたしだって、あり得ないことじゃないもの)
だけど突然のお別れと連絡を取らないということを強いたわたしたちは、ちょっとでも早くそこから抜け出してモカに会いたかった。
わたしの悲しさを見せて、モカの悲しいを抱きしめたかった。
こちらからお別れを切り出してどの面下げてという思いもなくはない。
モカにはよくしてくださるお友達もいるから、安心といえば安心だった。
だけど、きっとこの『悲しいと楽しい』はわたしでなければ共有できないはずで、それを『一日でも早く』モカにしてあげたかった。
ブログにたくさん『苦しい』を書いた。
あれはわたしには必要な作業だったし、それをすることで『一日でも早く』が叶うとも思っていた。
モカにそれを見せることは酷なことだったこともわかってる。(それでも『那智さんとの間のこと』だという書き方はモカちゃんにも通じていると信じて書いた)
じゃあ、あの笑顔は嘘だったの?と思うであろうモカに、一日でも早く会って『違うよ』と伝えたかった。
違うよ、あの笑顔は、笑顔だよって、会えば伝わると信じていたし、そういう付き合いをしていたと自負があった。
書くことでわたしの悲しいを見せた。
書くことで再生して、そしてモカの悲しいを抱きしめて、楽しかったと楽しいを共有したかった。
モカが愛しい気持ちとわたしの責任において。
那智さんが作ったこの人間関係の形は、とても絶妙でかなり唯一のバランスをとっている。
理解されにくいと思うけど、ホントに優しくて楽しいのだ。
結局、それとわたしの苦しいとの乖離で悲鳴を上げてしまったのだけど、これしかない形故の宿命だったのだとも思う。
このバランスや優しい空気をモカに確認して安心してほしかった。
たくさんお話しして、怒って笑った。
途中那智さんと電話も繋げた。
(那智さんも心配だっただろうし、モカもお父さんとお話ししたかっただろうし、それにこれはわたしの心を探ることでもあった)
これからモカとの関係はどうなっていくはわからない、ただ優しく笑う時間を過ごしたことは本物だし、その空気はいまでも脈々と流れていると安心してもらえたと思う。
モカちゃん、会いにきてくれてありがとう。
相変わらず、あなたはいいこで潔かった^^
またランチしよう。
この後、わたしの再生のお話も書かせてもらいたいと思っています。
再生
モカ
これは再生に向かうために悲しいの後遺症を断ち切る過程のお話。
モカちゃんに会う前に書いたものだ。
これと同じ内容をモカちゃんにも聞いてもらっている、それをアップすることを了解してくれた彼女に感謝して。
上手にまとめて伝わるように書けていないと思う!!
でもアップしちゃう!!!
確実に、思ったよりもずっと早く『那智さん大好き』と安心できるようになっている。
それは『悲しいの後遺症』を断ち切ろうと思えたからだと思っている。(mineさん、拝借です!!ありがとう)
わたしなりに解釈している『後遺症の惰性』は後日改めて書くつもりなので、ここではあまりその言葉について考えないでいてください^^;
『すべての責任は俺にある〜』では『苦しい』のピースをはめて整理し、負の感情をおしまいにしようとした。
今度は惰性に区切りをつけたお話を書いて正の感情を生み出すようにする。
安心して尻尾を振ってここで思いっきりノロケられるように^^
モカちゃんと会えるように^^
『すべての責任は俺にある〜』の冒頭に書かれているように、すべての責任は那智さんにあり、わたしには道義的責任がある。
負の感情を書く部分もあるとしてもそれは全体を負としているのではなくて、那智さんとわたしの間でのことだと、モカちゃんや彼女との時間とは切り離しているのだとご理解ください。(モカちゃん、もう少し付き合ってね)
後遺症を断ち切り再生できたのには3つのポイントがあった。
わたしが望んだことだというのは大前提で、しかも大きなポイント。
それと
認識の違い。
那智さんは変わっていない。
このふたつの確認作業も重要だった。
那智さんと話す中で『実はこうだったんだよ』などと後から種明かしされたり、認識の違いを確認したりできてたけど、ひとつ大きな認識の違いがあった。
それは『焦がれる』について。
この認識の違いは様々な影響を与えた。
そもそもわたしの『焦がれる』という言葉はどこから来ているのでしょう。
その言葉を使いはじめるはっきりした時期は記憶にないのだけど、漠然とした妄想が現実的な妄想に変わったきっかけは覚えている。
あれは那智さんと付き合いはじめてまだ2年は経っていなかったと思う。
もしかしたら1年未満かもしれない。
要するに、極初期ね。
だから当然『薬指』をはじめるずっと前。
那智さんがある経緯があって水商売の女性とホテルに行くことになったのだ。
翌日になってその話を聞いた。
普通なら嫉妬してイヤな気持ちになるはずなのに、不思議と聞きたくもない話題じゃない。
チクッと胸に痛みを感じたけれど、それがむずむずとしたなんとも言えない快感になった。
そして、それが決定的な快感に変わったのは、その後の那智さんの発言を聞いたからだ。
結局その女性を抱く気が起こらず未遂で終わってしまったそうなのだ。
チクッとした痛みの快感、その後の、人として決して褒められない種類の感情『優越感』の快感。
優劣をつけたくないと日頃思っているわたしの深層に埋もれるている悪い感情。
このふたつの快感が『焦がれたい』という言葉に象徴される妄想に輪郭を持たせたのだ。
それがどんどんデフォルメされて、本気で泣きたい、嫉妬をむき出して泣き狂いたいという妄想になっていった。
この辺りは那智さんにも話している。
だけど実際これをするには、イヤな人にならないといけないし、何より本気でこんな状態になったら優越感だけでは那智復できない可能性だってあるわけで、その後の那智さんとの間も破壊しかねない。
これはあくまでも妄想、叶わない欲望だなと、せいぜい『おかず』程度に思っていたのだ。
だから、一晩でよかった。
ちょっと泣いて、ちょっと傷ついて、後は優越感や『よしよし』。
こんな甘い痛みを味わえるだけで精一杯だと思っていた。
一夜限りの遊びでよかったのに、それには食指が動いてくれなかったのだ。(おほほ)
それを叶えてくれないならもう話題に出さないでと泣いて訴えたのだった。
那智さんは『泣いて訴える』を、ちょっと勘違いしていた。
『泣いて訴える』くらいなんだから、たくさんたくさん深く深く焦がれたいのだろうと思ったらしい。
(もしくは、泣いて怒りを表すわたしに『それならやってやろうじゃん』という負けず嫌いさんも発動したかもしれない)
だからモカを選んだ。
一晩かぎりの金銭を介する女性では味わえない気が変になりそうなほどの焦がれ。
そしてふたりしてモカを可愛がることで『優越感』から来る悪い感情が生まれないようにという気持ちもあったのだ。(これもけっこう重要^^)
それが『基本3人』や『教育』というようなキーワードを作った。
那智さんは、いつもわたしに悪感情が存在しないようにしてくれる。
それは功を奏して、モカに対して優越感などの悪感情をほとんど持たずにいられた。
あんまり苦しいときには一生懸命『優越感』を持ってみようと努力してみたほど、持てなかったし、持たせてくれなかった。
結果的に、当然このほうが真剣に焦がれられたし、悪感情も存在せずにすんだし、何よりモカとの『時間』も作ることができたので、それ自体を批難しているのではないのですけど(ないのですよ、那智さん^^)
この認識の違いは大きなポイントのひとつ。
那智さんから気持ちが離れそうだ、もう以前のように真っ白な気持ちで『那智さん好き!!』って言えない。
そんなふうに訴えると何度も同じことを話してくれた。
「2回のデートで大丈夫になる」
うそ!!こんなに辛いのに、それが2回のデートで回復するわけない。
もちろんチクチクした痛みは残るだろう。
それは『焦がれたい』と望んだのだから仕方がない。
だけど心が離れるかもと思うような傷は2回で白く塗れる。
その後、傷痕の凸凹がなくなるほど上塗りしつづけるのか、それともそれもふたりの歴史として残すのか、それは考えればいいけど、りん子が心配する『シミ』は白く塗れるよ。
なぜなら俺はなにも変わっていないから。
これはりん子を焦がれさせるために始めたことで、渦中モカのほうを向いていたのもりん子と一緒に向いていたと自覚していたから。
それがりん子と向き合い直したときに、『変わっていない』とずっと手を繋いでいたことが示せる自信があったかから、2回くらい以前と同じデートをすれば大丈夫だろう。
ということだった。
信じられないと思った。
でもこれは『焦がれる』の認識の違いから来ているのだと、いまなら感じられる。
怖いお話を聞かせてとせがんだらとんでもなく怖い話を聞かされて本気で恐がって本気で泣いたという表現を使ったけど、まさにそんな感じ。
『怖い』レベルの認識に違いがあったのだよね。
わたしは真剣に気持ちが離れる恐怖を感じ、那智さんは『望んだ通り』にしたという自負があるから大丈夫だと思っていたのだよね。
那智さん自身は変わっていないのだから、2回で大丈夫だと言えたのだ。
いや、その初期段階のコンセンサスをちゃんと取っておけって話なのですが^^;
怖い話で大泣きして、「何泣いてるの?聞きたかったんでしょ」と部屋の明かりをつけてもらった状態になったわけだ。
『モカ』という秀逸なお話の魅力だけが残ったわけ。
悲しいも苦しいも事実としてあるのだけど、その傷自体は『幻想』だったんだよ、幻想だからまた以前のようになれば安心できるよね、と那智さんはいう。(しつこいけど傷自体が幻想なのであって、モカちゃんの存在は幻想なんかじゃないのだよ)
だけど、それでスッキリとはならないものだ。
これは後遺症だと思う。
ふたつある。
ひとつは、しばらくなくならないか、もしくはずっとなくならないかもしれない。
那智さんはずっと手を繋いでいて変わらないと言っているけれど、当然見る方向は変わっていたわけだし、加えて、可愛い女の子に慕われる快感や、それを可愛いと思う気持ちが溢れる瞬間もあるわけで、『わたしが望んだこと』で『焦がれる』なんだから必要悪だとわかっていても、チクチクとした古傷として残るだろう。
この後遺症を惰性にしないようにするには認識が違っていたというすり合せと那智さんは変わっていないという安心感が必要だった。
そうすればあとは焦がれたかったわたしの甘い痛みになれるはずだ。
もうひとつ。
例えるなら、振り上げた腕を降ろしかねている状態。
わたしこんなに悲しかったんだよ!!こんなに辛かったんだよ!!と泣きわめいて振り上げた腕。
それを『ほら、明かりをつけたらなんでもないでしょ?』と仕掛けを教えてもらったのだ。
たくさんお話しして認識の違いを知れば『悲しいも苦しいも本当だったけど、傷は幻』ということもある程度理解できてくる、だけど感情としてあの苦しいを『覆す何か』を求めてしまう。
認識の違いだってどちらが悪いわけでもないけど傷ついたのは事実で、傷ついたわたしは那智さんをちょっと責めたい気持ちにもなってしまうのだ。
振り上げた腕には例え『幻想』だったとしてもたくさんの負荷が掛かっていて簡単に降ろせないもの。
ただこれをずっと続けるのは危険なこともわかっていた。
この惰性は危険。
傷の那智復ではなく『覆す何か』を求めるだけの行為になってしまう。
誰のためにもならない。
少し困った。
どうすれば断ち切れる?
悲しかった事実に蓋をするとういう方法で断ち切ることは、最終的には破綻するのもわかっている。
じゃあ、那智さんに助けてもらう?
でも那智さんは『変わらない』ことで示そうとしているから、『かわいそうだったね、お〜よしよし』とか『俺が悪かった』というわかりやすい負荷を軽くする手伝いはしてくれないのだ。
(してくれれば簡単な感じもするけど、せいぜい『思い通りにできなかったのは俺の責任だから、それは謝る』くらい^^;まあ、変わらないでいてくれるほうがわたしも『悲劇のヒロイン』にならずにすんでいるけどね。それとランチに焼き肉おごってくれたくらい 笑)
ただただ変わらない、変わらず話し合ってくれて愛してくれるだけ。
2回デートした。
ふたりにとって大事な場所に行き、ちょっと無理して時間を作ってくれただけ。
あとは、いつも通りに可愛がってくれただけ。
必要悪のチクチクした痛みはまだある。
だけど『那智さん発信じゃないこと』と『認識の違いの確認』と『変わらないこと』で根幹を揺るがす恐怖を感じるような傷は不思議なほど感じられなくなっていた。
負荷を軽くすることができたから、もう惰性はおしまいにしようと思った。
これは那智さんとわたしと、そしてモカのために。
よいしょと振り上げた腕を降ろす。
那智さん好きが戻りはじめた。
(2回のうち1回は半日だったから、まだ足りませんけどね〜、那智さん^^)
わたしは早く回復したかった。
それはもちろん那智さんとわたしのためではあるけれど、もうひとつモカに対してなんだ。
きっとモカとわたしは共通の『楽しいと悲しい』を抱えていると自負している。
これを共有できるのはわたししかいないと思う。
わたしは那智さんとたくさんすり合せができた、それならばできるだけ早くモカとそれを共有してあげたいと思う気持ちもあったのだ。
モカに連絡を取った。
『回復はやっ!!』と笑ってくれた。
モカはいま、彼女なりに前に進もうとしているみたい、ホッとした。
来週、わたしはモカと会う。
メールでは『元気だよ』と安心させてくれたけど、顔を見て『楽しいと悲しい』を共有したいと思う。
その先モカとどういう付き合いになるか、それはまだわからない。
だけどわたしたちは『会うことの力』をきっと知っている。
だから会いたいと思い、会うと答えてくれたのだと思う。
会って『いっぱいノロケるよ宣言』してくるんだ。
さて、これでもう『苦しい』気持ちをおしまいにします。
書くことでピースをはめ後遺症の惰性も断ち切ったから、もうおしまい。
那智さんとふたり、モカとも、ひっそりと反芻することはあるかもしれないし、『薬指』でも思い出として書くかもしれないけど、それはもともとわたしが望んだ『甘い痛み』。
だから、喜びだ。
安心してノロケて、安心してモカと楽しかったを共有したい。
わたしの再生にお付き合いくださってありがとうございました。
力不足で上手に説明できていないことはお許しいただいて。
要は、たくさんノロケますからよろしくお願いします!!ということでした。
モカちゃん同様、回復はやっ!!というツッコミは甘んじてお受けします^^;
これは再生に向かうために悲しいの後遺症を断ち切る過程のお話。
モカちゃんに会う前に書いたものだ。
これと同じ内容をモカちゃんにも聞いてもらっている、それをアップすることを了解してくれた彼女に感謝して。
上手にまとめて伝わるように書けていないと思う!!
でもアップしちゃう!!!
確実に、思ったよりもずっと早く『那智さん大好き』と安心できるようになっている。
それは『悲しいの後遺症』を断ち切ろうと思えたからだと思っている。(mineさん、拝借です!!ありがとう)
わたしなりに解釈している『後遺症の惰性』は後日改めて書くつもりなので、ここではあまりその言葉について考えないでいてください^^;
『すべての責任は俺にある〜』では『苦しい』のピースをはめて整理し、負の感情をおしまいにしようとした。
今度は惰性に区切りをつけたお話を書いて正の感情を生み出すようにする。
安心して尻尾を振ってここで思いっきりノロケられるように^^
モカちゃんと会えるように^^
『すべての責任は俺にある〜』の冒頭に書かれているように、すべての責任は那智さんにあり、わたしには道義的責任がある。
負の感情を書く部分もあるとしてもそれは全体を負としているのではなくて、那智さんとわたしの間でのことだと、モカちゃんや彼女との時間とは切り離しているのだとご理解ください。(モカちゃん、もう少し付き合ってね)
後遺症を断ち切り再生できたのには3つのポイントがあった。
わたしが望んだことだというのは大前提で、しかも大きなポイント。
それと
認識の違い。
那智さんは変わっていない。
このふたつの確認作業も重要だった。
那智さんと話す中で『実はこうだったんだよ』などと後から種明かしされたり、認識の違いを確認したりできてたけど、ひとつ大きな認識の違いがあった。
それは『焦がれる』について。
この認識の違いは様々な影響を与えた。
そもそもわたしの『焦がれる』という言葉はどこから来ているのでしょう。
その言葉を使いはじめるはっきりした時期は記憶にないのだけど、漠然とした妄想が現実的な妄想に変わったきっかけは覚えている。
あれは那智さんと付き合いはじめてまだ2年は経っていなかったと思う。
もしかしたら1年未満かもしれない。
要するに、極初期ね。
だから当然『薬指』をはじめるずっと前。
那智さんがある経緯があって水商売の女性とホテルに行くことになったのだ。
翌日になってその話を聞いた。
普通なら嫉妬してイヤな気持ちになるはずなのに、不思議と聞きたくもない話題じゃない。
チクッと胸に痛みを感じたけれど、それがむずむずとしたなんとも言えない快感になった。
そして、それが決定的な快感に変わったのは、その後の那智さんの発言を聞いたからだ。
結局その女性を抱く気が起こらず未遂で終わってしまったそうなのだ。
チクッとした痛みの快感、その後の、人として決して褒められない種類の感情『優越感』の快感。
優劣をつけたくないと日頃思っているわたしの深層に埋もれるている悪い感情。
このふたつの快感が『焦がれたい』という言葉に象徴される妄想に輪郭を持たせたのだ。
それがどんどんデフォルメされて、本気で泣きたい、嫉妬をむき出して泣き狂いたいという妄想になっていった。
この辺りは那智さんにも話している。
だけど実際これをするには、イヤな人にならないといけないし、何より本気でこんな状態になったら優越感だけでは那智復できない可能性だってあるわけで、その後の那智さんとの間も破壊しかねない。
これはあくまでも妄想、叶わない欲望だなと、せいぜい『おかず』程度に思っていたのだ。
だから、一晩でよかった。
ちょっと泣いて、ちょっと傷ついて、後は優越感や『よしよし』。
こんな甘い痛みを味わえるだけで精一杯だと思っていた。
一夜限りの遊びでよかったのに、それには食指が動いてくれなかったのだ。(おほほ)
それを叶えてくれないならもう話題に出さないでと泣いて訴えたのだった。
那智さんは『泣いて訴える』を、ちょっと勘違いしていた。
『泣いて訴える』くらいなんだから、たくさんたくさん深く深く焦がれたいのだろうと思ったらしい。
(もしくは、泣いて怒りを表すわたしに『それならやってやろうじゃん』という負けず嫌いさんも発動したかもしれない)
だからモカを選んだ。
一晩かぎりの金銭を介する女性では味わえない気が変になりそうなほどの焦がれ。
そしてふたりしてモカを可愛がることで『優越感』から来る悪い感情が生まれないようにという気持ちもあったのだ。(これもけっこう重要^^)
それが『基本3人』や『教育』というようなキーワードを作った。
那智さんは、いつもわたしに悪感情が存在しないようにしてくれる。
それは功を奏して、モカに対して優越感などの悪感情をほとんど持たずにいられた。
あんまり苦しいときには一生懸命『優越感』を持ってみようと努力してみたほど、持てなかったし、持たせてくれなかった。
結果的に、当然このほうが真剣に焦がれられたし、悪感情も存在せずにすんだし、何よりモカとの『時間』も作ることができたので、それ自体を批難しているのではないのですけど(ないのですよ、那智さん^^)
この認識の違いは大きなポイントのひとつ。
那智さんから気持ちが離れそうだ、もう以前のように真っ白な気持ちで『那智さん好き!!』って言えない。
そんなふうに訴えると何度も同じことを話してくれた。
「2回のデートで大丈夫になる」
うそ!!こんなに辛いのに、それが2回のデートで回復するわけない。
もちろんチクチクした痛みは残るだろう。
それは『焦がれたい』と望んだのだから仕方がない。
だけど心が離れるかもと思うような傷は2回で白く塗れる。
その後、傷痕の凸凹がなくなるほど上塗りしつづけるのか、それともそれもふたりの歴史として残すのか、それは考えればいいけど、りん子が心配する『シミ』は白く塗れるよ。
なぜなら俺はなにも変わっていないから。
これはりん子を焦がれさせるために始めたことで、渦中モカのほうを向いていたのもりん子と一緒に向いていたと自覚していたから。
それがりん子と向き合い直したときに、『変わっていない』とずっと手を繋いでいたことが示せる自信があったかから、2回くらい以前と同じデートをすれば大丈夫だろう。
ということだった。
信じられないと思った。
でもこれは『焦がれる』の認識の違いから来ているのだと、いまなら感じられる。
怖いお話を聞かせてとせがんだらとんでもなく怖い話を聞かされて本気で恐がって本気で泣いたという表現を使ったけど、まさにそんな感じ。
『怖い』レベルの認識に違いがあったのだよね。
わたしは真剣に気持ちが離れる恐怖を感じ、那智さんは『望んだ通り』にしたという自負があるから大丈夫だと思っていたのだよね。
那智さん自身は変わっていないのだから、2回で大丈夫だと言えたのだ。
いや、その初期段階のコンセンサスをちゃんと取っておけって話なのですが^^;
怖い話で大泣きして、「何泣いてるの?聞きたかったんでしょ」と部屋の明かりをつけてもらった状態になったわけだ。
『モカ』という秀逸なお話の魅力だけが残ったわけ。
悲しいも苦しいも事実としてあるのだけど、その傷自体は『幻想』だったんだよ、幻想だからまた以前のようになれば安心できるよね、と那智さんはいう。(しつこいけど傷自体が幻想なのであって、モカちゃんの存在は幻想なんかじゃないのだよ)
だけど、それでスッキリとはならないものだ。
これは後遺症だと思う。
ふたつある。
ひとつは、しばらくなくならないか、もしくはずっとなくならないかもしれない。
那智さんはずっと手を繋いでいて変わらないと言っているけれど、当然見る方向は変わっていたわけだし、加えて、可愛い女の子に慕われる快感や、それを可愛いと思う気持ちが溢れる瞬間もあるわけで、『わたしが望んだこと』で『焦がれる』なんだから必要悪だとわかっていても、チクチクとした古傷として残るだろう。
この後遺症を惰性にしないようにするには認識が違っていたというすり合せと那智さんは変わっていないという安心感が必要だった。
そうすればあとは焦がれたかったわたしの甘い痛みになれるはずだ。
もうひとつ。
例えるなら、振り上げた腕を降ろしかねている状態。
わたしこんなに悲しかったんだよ!!こんなに辛かったんだよ!!と泣きわめいて振り上げた腕。
それを『ほら、明かりをつけたらなんでもないでしょ?』と仕掛けを教えてもらったのだ。
たくさんお話しして認識の違いを知れば『悲しいも苦しいも本当だったけど、傷は幻』ということもある程度理解できてくる、だけど感情としてあの苦しいを『覆す何か』を求めてしまう。
認識の違いだってどちらが悪いわけでもないけど傷ついたのは事実で、傷ついたわたしは那智さんをちょっと責めたい気持ちにもなってしまうのだ。
振り上げた腕には例え『幻想』だったとしてもたくさんの負荷が掛かっていて簡単に降ろせないもの。
ただこれをずっと続けるのは危険なこともわかっていた。
この惰性は危険。
傷の那智復ではなく『覆す何か』を求めるだけの行為になってしまう。
誰のためにもならない。
少し困った。
どうすれば断ち切れる?
悲しかった事実に蓋をするとういう方法で断ち切ることは、最終的には破綻するのもわかっている。
じゃあ、那智さんに助けてもらう?
でも那智さんは『変わらない』ことで示そうとしているから、『かわいそうだったね、お〜よしよし』とか『俺が悪かった』というわかりやすい負荷を軽くする手伝いはしてくれないのだ。
(してくれれば簡単な感じもするけど、せいぜい『思い通りにできなかったのは俺の責任だから、それは謝る』くらい^^;まあ、変わらないでいてくれるほうがわたしも『悲劇のヒロイン』にならずにすんでいるけどね。それとランチに焼き肉おごってくれたくらい 笑)
ただただ変わらない、変わらず話し合ってくれて愛してくれるだけ。
2回デートした。
ふたりにとって大事な場所に行き、ちょっと無理して時間を作ってくれただけ。
あとは、いつも通りに可愛がってくれただけ。
必要悪のチクチクした痛みはまだある。
だけど『那智さん発信じゃないこと』と『認識の違いの確認』と『変わらないこと』で根幹を揺るがす恐怖を感じるような傷は不思議なほど感じられなくなっていた。
負荷を軽くすることができたから、もう惰性はおしまいにしようと思った。
これは那智さんとわたしと、そしてモカのために。
よいしょと振り上げた腕を降ろす。
那智さん好きが戻りはじめた。
(2回のうち1回は半日だったから、まだ足りませんけどね〜、那智さん^^)
わたしは早く回復したかった。
それはもちろん那智さんとわたしのためではあるけれど、もうひとつモカに対してなんだ。
きっとモカとわたしは共通の『楽しいと悲しい』を抱えていると自負している。
これを共有できるのはわたししかいないと思う。
わたしは那智さんとたくさんすり合せができた、それならばできるだけ早くモカとそれを共有してあげたいと思う気持ちもあったのだ。
モカに連絡を取った。
『回復はやっ!!』と笑ってくれた。
モカはいま、彼女なりに前に進もうとしているみたい、ホッとした。
来週、わたしはモカと会う。
メールでは『元気だよ』と安心させてくれたけど、顔を見て『楽しいと悲しい』を共有したいと思う。
その先モカとどういう付き合いになるか、それはまだわからない。
だけどわたしたちは『会うことの力』をきっと知っている。
だから会いたいと思い、会うと答えてくれたのだと思う。
会って『いっぱいノロケるよ宣言』してくるんだ。
さて、これでもう『苦しい』気持ちをおしまいにします。
書くことでピースをはめ後遺症の惰性も断ち切ったから、もうおしまい。
那智さんとふたり、モカとも、ひっそりと反芻することはあるかもしれないし、『薬指』でも思い出として書くかもしれないけど、それはもともとわたしが望んだ『甘い痛み』。
だから、喜びだ。
安心してノロケて、安心してモカと楽しかったを共有したい。
わたしの再生にお付き合いくださってありがとうございました。
力不足で上手に説明できていないことはお許しいただいて。
要は、たくさんノロケますからよろしくお願いします!!ということでした。
モカちゃん同様、回復はやっ!!というツッコミは甘んじてお受けします^^;
駄犬のマッサージ
独特な幸福感
うわあ、どうしよう。
みなさん、お相手にマッサージするの、そんなに、好き!?^^;
勝手にわんこ仲間にしているみぃさんのマッサージをする喜びのエントリー『愛情マッサージ』、健気でかわいいなぁとニヤニヤしながら読ませていただいて、同じ『犬気質』のわたしもそんなふうに思う?とふと我に返り、さらにコメントで同じような感覚の皆さんを拝見して、はっきりわかってしまった!!!
わたし、そんなふうに思えない〜〜〜、面倒って思ってる〜〜〜〜〜って(笑)
いえ、那智さんがラクになってくれたらうれしいし、気持ち良さそうにウトウトしてくれたら『よっしゃ』とも思う。
ドロドロのヘトヘトで本当ならこちらがマッサージしていただきたいくらいのところを耳掃除を含めて正味30分額に汗を滲ませながら、『ためして○テン』で指圧のコツを覚え、ネットのツボ箇所を確認し、手を抜かず愛情込めてマッサージして差し上げているつもり。
そりゃあ、もう愛情たっぷり^^
でも、でも。
じゃあ、ないと寂しい?かと問われれば。
…、なきゃないでかまわない…。
と、思ってしまうーーーー!!
いや、なくなったら一抹の寂しさは覚えるはずだ。
だからすることはやぶさかではないけど、面倒と思うわたしもいるという感じ^^;
これって、どうなの!?
那智さんが嬉しいとわたしは幸せなんて上下の下を自認しているつもりだけど、ダメだ、すべてがそれには当てはまらない^^;
面倒なものは面倒だし、疲れるものは疲れる、よ。
全然かわいくないぞ。
でも、そんなかわいくないわたしだけど最近ちょっと変化を感じることがあるのだ。
(これでかわいいになれるだろうか^^;)
実は最近湧き上がってしかたがない欲求がある。
それはフェラチオをしたいという欲求。
いままでもそういう気持ちが湧くことはよーくあったけど(笑)、最近その感情に変化を感じていて少し驚いている。
いままではフェラチオ自体が気持ち良くて興奮して、自分の快感のためにしていた。
(相手の顔色を伺ってしまうところがあるわたしを敢えてそういう回路を育ててもらったとも言える)
自分の快感のためというのは変わりないのだけど。
いま、求めている快感は『那智さんのうれしい』なのだ。
忠誠や献身とは少し違っていて、どちらかというと結果的に献身という感じ。
那智さんがうれしいことをしたい。
それがわたしの快感で幸福。
だから、わたしは、わたしのために那智さんに喜んでもらいたい、のだ。
これは同化する快感。
フェラチオをして、きっと那智さん気持ちいいだろうな、感じているわたしを見て満足だろうなと思うと、それがわたしの快感になるのだ。
那智さんの快感はわたしの快感。
那智さんの満足はわたしの満足。
心だけじゃなく、体にも作用する同化や共鳴、そんな感じ。
もともとあったフェラチオをする快感に、同化共鳴の快感が加わったのだ。
これはもうしたくてしょうがないものになってしまう。
もちろん好きな人に喜んでもらいたいというごく普通の感情はあるけれど。
わたしの場合の『那智さんがうれしいとわたしは幸せ』は奉仕の精神よりも、基本的にこの同化共鳴の快感がそうさせているのだと思う。
わたし自身は特別中華料理が大好きというわけではないけれど、那智さんと中華を食べることは大好きだ、大大大好き。(餃子と生ビールや台湾料理は、この場合中華とは言わない^^)
それは那智さんが中華が好きなのを知っているから。
好きなジャンルの料理を食べている那智さんの側にいることは、不思議とそれだけでわたしの喜びになる。
こんな感覚にも同化共鳴の快感。
割りと、この感覚は日常のあちこちである。
じゃあ、なぜマッサージでは感じないのだろう?
(いや、しつこいけど、気持ち良くなってほしい気持ちはあるんだよぉぉぉ)
で、考えてみた。
同化共鳴の快感は、その快感自体を知らないと感じられないのではないだろうか。
好きな料理を食べる喜びは、もちろん知っている。
フェラチオの快感は知らないけど性的な快感は知っているから、似たような快感として繋げられやすいだろう。
こんなふうに『それ』の気持ち良さがわかっていると同化共鳴しやすいのではないでしょうか!!
実は、わたしはマッサージの気持ち良さを知らない。
緊張といってしまえば大げさだけど、『申し訳ないな〜』とか『気持ちよくならないといけない』なんて相手のことを考えちゃって心底リラックスできないのだ。
そんなわたしだから、那智さんのマッサージの気持ち良さに共鳴できないのではないか。
那智さんは、忠誠や献身でわたしを動かしたいとは思っていない。
それ自体を欲するということが望みで、そういうふうに育ててきた。
結果、わたしはフェラチオがしたくてしょうがない状態になったのだ。(さらっと書いているけど、ちと恥ずかしい*^^*)
マッサージがしたくてしょうがないわたしになるには、まずマッサージの快感を教えるところからはじめないといけないのかもしれない。
って書きながら、そういえば、那智さんは最初の頃マッサージをさせる前にわたしにしてくれようとしてた!!
よいマッサージを受けるには、まず実演してみてやり方を教えないとというのが教育者那智氏の持論だ。
でも、緊張しちゃうし、ちょっとやってもらったらすごーく痛かったからすぐギブアップしちゃった記憶がある。
じゃあ、面倒と思うのはしかたがないのか…。
ということで、あなたの喜びはわたしの喜び、これからも愛情込めてマッサージさせていただきます、面倒って思いながら(笑)
って、やっぱり全然かわいくなーい^^;
最後に大事なおまけ^^
みぃさんのところに「面倒〜」ってコメントを書きながら、もしかしてこれってとても恵まれた『面倒』なんじゃないかって思った。
わたしは比較的頻繁に会うことができている。
ということはマッサージも頻繁なわけだ。
だからこそ『面倒』と思えるのかもしれない。
そう気がついてちょっとせつなくなって、この『面倒』に感謝した。
みぃさん、気付かせてくれてありがとう。
どうか、りょうさんにお会いしたらいーっぱいマッサージして差し上げてくださいね〜!!
で、改めて想像する…会う頻度がいまより少なかったら…。
………
マッサージなんかより、もっとわたしをかまって
になってしまいそうだ。
やっぱりかわいくない、ダメ犬なわたし^^;
<関連エントリー>
マッサージでいろいろ
『りん子に綿棒』
『どちらとも』
『ハプバーの正しい使い方1』(ほーら、実は健気な一面も^^)
『ひとりじゃない独り言』(ほーら、ほら、ここにも健気な…)
うわあ、どうしよう。
みなさん、お相手にマッサージするの、そんなに、好き!?^^;
勝手にわんこ仲間にしているみぃさんのマッサージをする喜びのエントリー『愛情マッサージ』、健気でかわいいなぁとニヤニヤしながら読ませていただいて、同じ『犬気質』のわたしもそんなふうに思う?とふと我に返り、さらにコメントで同じような感覚の皆さんを拝見して、はっきりわかってしまった!!!
わたし、そんなふうに思えない〜〜〜、面倒って思ってる〜〜〜〜〜って(笑)
いえ、那智さんがラクになってくれたらうれしいし、気持ち良さそうにウトウトしてくれたら『よっしゃ』とも思う。
ドロドロのヘトヘトで本当ならこちらがマッサージしていただきたいくらいのところを耳掃除を含めて正味30分額に汗を滲ませながら、『ためして○テン』で指圧のコツを覚え、ネットのツボ箇所を確認し、手を抜かず愛情込めてマッサージして差し上げているつもり。
そりゃあ、もう愛情たっぷり^^
でも、でも。
じゃあ、ないと寂しい?かと問われれば。
…、なきゃないでかまわない…。
と、思ってしまうーーーー!!
いや、なくなったら一抹の寂しさは覚えるはずだ。
だからすることはやぶさかではないけど、面倒と思うわたしもいるという感じ^^;
これって、どうなの!?
那智さんが嬉しいとわたしは幸せなんて上下の下を自認しているつもりだけど、ダメだ、すべてがそれには当てはまらない^^;
面倒なものは面倒だし、疲れるものは疲れる、よ。
全然かわいくないぞ。
でも、そんなかわいくないわたしだけど最近ちょっと変化を感じることがあるのだ。
(これでかわいいになれるだろうか^^;)
実は最近湧き上がってしかたがない欲求がある。
それはフェラチオをしたいという欲求。
いままでもそういう気持ちが湧くことはよーくあったけど(笑)、最近その感情に変化を感じていて少し驚いている。
いままではフェラチオ自体が気持ち良くて興奮して、自分の快感のためにしていた。
(相手の顔色を伺ってしまうところがあるわたしを敢えてそういう回路を育ててもらったとも言える)
自分の快感のためというのは変わりないのだけど。
いま、求めている快感は『那智さんのうれしい』なのだ。
忠誠や献身とは少し違っていて、どちらかというと結果的に献身という感じ。
那智さんがうれしいことをしたい。
それがわたしの快感で幸福。
だから、わたしは、わたしのために那智さんに喜んでもらいたい、のだ。
これは同化する快感。
フェラチオをして、きっと那智さん気持ちいいだろうな、感じているわたしを見て満足だろうなと思うと、それがわたしの快感になるのだ。
那智さんの快感はわたしの快感。
那智さんの満足はわたしの満足。
心だけじゃなく、体にも作用する同化や共鳴、そんな感じ。
もともとあったフェラチオをする快感に、同化共鳴の快感が加わったのだ。
これはもうしたくてしょうがないものになってしまう。
もちろん好きな人に喜んでもらいたいというごく普通の感情はあるけれど。
わたしの場合の『那智さんがうれしいとわたしは幸せ』は奉仕の精神よりも、基本的にこの同化共鳴の快感がそうさせているのだと思う。
わたし自身は特別中華料理が大好きというわけではないけれど、那智さんと中華を食べることは大好きだ、大大大好き。(餃子と生ビールや台湾料理は、この場合中華とは言わない^^)
それは那智さんが中華が好きなのを知っているから。
好きなジャンルの料理を食べている那智さんの側にいることは、不思議とそれだけでわたしの喜びになる。
こんな感覚にも同化共鳴の快感。
割りと、この感覚は日常のあちこちである。
じゃあ、なぜマッサージでは感じないのだろう?
(いや、しつこいけど、気持ち良くなってほしい気持ちはあるんだよぉぉぉ)
で、考えてみた。
同化共鳴の快感は、その快感自体を知らないと感じられないのではないだろうか。
好きな料理を食べる喜びは、もちろん知っている。
フェラチオの快感は知らないけど性的な快感は知っているから、似たような快感として繋げられやすいだろう。
こんなふうに『それ』の気持ち良さがわかっていると同化共鳴しやすいのではないでしょうか!!
実は、わたしはマッサージの気持ち良さを知らない。
緊張といってしまえば大げさだけど、『申し訳ないな〜』とか『気持ちよくならないといけない』なんて相手のことを考えちゃって心底リラックスできないのだ。
そんなわたしだから、那智さんのマッサージの気持ち良さに共鳴できないのではないか。
那智さんは、忠誠や献身でわたしを動かしたいとは思っていない。
それ自体を欲するということが望みで、そういうふうに育ててきた。
結果、わたしはフェラチオがしたくてしょうがない状態になったのだ。(さらっと書いているけど、ちと恥ずかしい*^^*)
マッサージがしたくてしょうがないわたしになるには、まずマッサージの快感を教えるところからはじめないといけないのかもしれない。
って書きながら、そういえば、那智さんは最初の頃マッサージをさせる前にわたしにしてくれようとしてた!!
よいマッサージを受けるには、まず実演してみてやり方を教えないとというのが教育者那智氏の持論だ。
でも、緊張しちゃうし、ちょっとやってもらったらすごーく痛かったからすぐギブアップしちゃった記憶がある。
じゃあ、面倒と思うのはしかたがないのか…。
ということで、あなたの喜びはわたしの喜び、これからも愛情込めてマッサージさせていただきます、面倒って思いながら(笑)
って、やっぱり全然かわいくなーい^^;
最後に大事なおまけ^^
みぃさんのところに「面倒〜」ってコメントを書きながら、もしかしてこれってとても恵まれた『面倒』なんじゃないかって思った。
わたしは比較的頻繁に会うことができている。
ということはマッサージも頻繁なわけだ。
だからこそ『面倒』と思えるのかもしれない。
そう気がついてちょっとせつなくなって、この『面倒』に感謝した。
みぃさん、気付かせてくれてありがとう。
どうか、りょうさんにお会いしたらいーっぱいマッサージして差し上げてくださいね〜!!
で、改めて想像する…会う頻度がいまより少なかったら…。
………
マッサージなんかより、もっとわたしをかまって
になってしまいそうだ。
やっぱりかわいくない、ダメ犬なわたし^^;
<関連エントリー>
マッサージでいろいろ
『りん子に綿棒』
『どちらとも』
『ハプバーの正しい使い方1』(ほーら、実は健気な一面も^^)
『ひとりじゃない独り言』(ほーら、ほら、ここにも健気な…)
続ライバルはクラリス
独特な幸福感
那智さんは自宅で文鳥を飼っている、その名はクラリス。
(『ライバルはクラリス』をお読みいただいてからのほうが面白いかと思います^^)
雛のころ4時間置きに餌をもらい育てられたクラリスは那智さんにとても懐いているらしい。
はじめてクラリスと電話越しに対峙してから数回、自宅でお話しできる機会がある度クラリスの存在を目の当たりにしている。
那智さんの寵愛を受けるわたしの憎くきライバル。
玄関を入る気配と共に遠くから聞こえる『ちゅん、ちゅん』という鳴き声。
それが大きくなる様子から、那智さんがクラリスに近づいていることがわかる。
「ちゅん、ちゅん」
「ただいま、クラリス♪」(完全に意地悪で言っている風)
「ちゅん、ちゅん、ちゅん」
羽音まで聞こえてくる勢いだ。
クラリスのヤツ全身で『おかえりなさい』をアピールしていやがる。
「チッチッチッ」
那智さんは舌を鳴らす。
「ちゅん、ちゅん、ちゅん」
答えるクラリス。
ちくしょーーーーー!!
楽しそうじゃないかーーー!!
舌鳴らして呼ばれてるーーー!!
鳥かごを開ける音と『ちゅん』の声がもっと近くなる。
ああああ、那智さんの肩に乗ってるぅぅ。
水浴びタイムだ。
嬉しそうな『ちゅん、ちゅん』が聞こえる。
そんないちいちに反応してしまう。
だって、だって、うらやましいんだもん。
妄想、あくまでも妄想の中でだけどね。
鳥かごの中で一日中那智さんの帰りを待っているんだよ。
帰ってきたら全身で喜んで、肩に乗せてもらって、水浴びさせてもらうんだよ。
雛のころから大切に育ててもらって、那智さんがいないと生きていかれないんだよ。
あ〜、うらやましい!!
なかでも、ちょっと、特殊なうらやましいがあるんだ。
ある夜。
帰宅した那智さんからお電話があった。
まさかかかってくると思わなかったから、大喜び^^
だけどそこが自宅だとわかっているからつい警戒して耳を澄ませてしまう。
…し〜ん。
んん、クラリス静か?
「那智さん、もう『ちゅんちゅんタイム』は終わったのですか?」
(あのなんとも言えない憎たらしい蜜月時間を『ちゅんちゅんタイム』と命名)
「ああ、クラリス?うるさいから寝かせた」
「あああ、寝かせたって暗くして?」
「そう、布掛けてね」
それっ!!
うらやましいの!!!
わかります?
布を掛けられて強制的に寝かせられるのだ。
自分の意志じゃなくて、那智さんの意志で。
有無を言わせず。
「いいな、クラリス、那智さんに寝かせてもらって」
「布掛けるだけだよ?(笑)」
「それがいいんじゃないですか!!」
「じゃあ、今度りん子にもやってあげるね。『おやすみ〜』って顔に布を掛けてあげる。その代わり、それで騒いだらお仕置き(笑)」
「違うんですよ〜、那智さん。わたしはその機能がうらやましい」
さらにご理解いただけるかな〜?
わたしは、クラリスのその機能もうらやましいのだ。
この那智さんの意志で眠れることの幸福感。
加えて、それで眠れてしまう(いや、実際は寝ていないかもしれない、単におとなしくなっているだけかもしれないけど^^;)ことに良さがあるのです!!
眠くもないのに無理矢理布を被せられるんじゃなくてね。
ここでの大きなポイントは、『はい、おやすみね』で、コトッとスイッチオフできてしまう体・機能が特にうらやましい。
那智さんの意思はわたしの意志。
精神的なことだけじゃなく、生き物としての機能まで那智さんの意思に沿うようにできていることが、うらやましいのだ。
今日は七夕^^
わたしの願いごと。
一日でいいからクラリスの機能が備わってクラリスになりたい。
那智さんに餌をもらって、肩に乗って『ちゅん、ちゅん』して。
でもって『コトッ』と眠らされたい。
ペットとして飼われたいとかリードで繋がれていたいとかSM?主従?では時々目にするアイテムだけど、スイッチオフできる機能も備えたいというのが、わたしのお願い^^
というのはどうだろう。
う〜ん、多分、一日で飽きる^^;
えっと、これはブログネタってことで、ちゃんとしたお願いは別にしよ♪
ということで、今日は七夕、皆さんの願いごとが叶いますように^^
那智さんは自宅で文鳥を飼っている、その名はクラリス。
(『ライバルはクラリス』をお読みいただいてからのほうが面白いかと思います^^)
雛のころ4時間置きに餌をもらい育てられたクラリスは那智さんにとても懐いているらしい。
はじめてクラリスと電話越しに対峙してから数回、自宅でお話しできる機会がある度クラリスの存在を目の当たりにしている。
那智さんの寵愛を受けるわたしの憎くきライバル。
玄関を入る気配と共に遠くから聞こえる『ちゅん、ちゅん』という鳴き声。
それが大きくなる様子から、那智さんがクラリスに近づいていることがわかる。
「ちゅん、ちゅん」
「ただいま、クラリス♪」(完全に意地悪で言っている風)
「ちゅん、ちゅん、ちゅん」
羽音まで聞こえてくる勢いだ。
クラリスのヤツ全身で『おかえりなさい』をアピールしていやがる。
「チッチッチッ」
那智さんは舌を鳴らす。
「ちゅん、ちゅん、ちゅん」
答えるクラリス。
ちくしょーーーーー!!
楽しそうじゃないかーーー!!
舌鳴らして呼ばれてるーーー!!
鳥かごを開ける音と『ちゅん』の声がもっと近くなる。
ああああ、那智さんの肩に乗ってるぅぅ。
水浴びタイムだ。
嬉しそうな『ちゅん、ちゅん』が聞こえる。
そんないちいちに反応してしまう。
だって、だって、うらやましいんだもん。
妄想、あくまでも妄想の中でだけどね。
鳥かごの中で一日中那智さんの帰りを待っているんだよ。
帰ってきたら全身で喜んで、肩に乗せてもらって、水浴びさせてもらうんだよ。
雛のころから大切に育ててもらって、那智さんがいないと生きていかれないんだよ。
あ〜、うらやましい!!
なかでも、ちょっと、特殊なうらやましいがあるんだ。
ある夜。
帰宅した那智さんからお電話があった。
まさかかかってくると思わなかったから、大喜び^^
だけどそこが自宅だとわかっているからつい警戒して耳を澄ませてしまう。
…し〜ん。
んん、クラリス静か?
「那智さん、もう『ちゅんちゅんタイム』は終わったのですか?」
(あのなんとも言えない憎たらしい蜜月時間を『ちゅんちゅんタイム』と命名)
「ああ、クラリス?うるさいから寝かせた」
「あああ、寝かせたって暗くして?」
「そう、布掛けてね」
それっ!!
うらやましいの!!!
わかります?
布を掛けられて強制的に寝かせられるのだ。
自分の意志じゃなくて、那智さんの意志で。
有無を言わせず。
「いいな、クラリス、那智さんに寝かせてもらって」
「布掛けるだけだよ?(笑)」
「それがいいんじゃないですか!!」
「じゃあ、今度りん子にもやってあげるね。『おやすみ〜』って顔に布を掛けてあげる。その代わり、それで騒いだらお仕置き(笑)」
「違うんですよ〜、那智さん。わたしはその機能がうらやましい」
さらにご理解いただけるかな〜?
わたしは、クラリスのその機能もうらやましいのだ。
この那智さんの意志で眠れることの幸福感。
加えて、それで眠れてしまう(いや、実際は寝ていないかもしれない、単におとなしくなっているだけかもしれないけど^^;)ことに良さがあるのです!!
眠くもないのに無理矢理布を被せられるんじゃなくてね。
ここでの大きなポイントは、『はい、おやすみね』で、コトッとスイッチオフできてしまう体・機能が特にうらやましい。
那智さんの意思はわたしの意志。
精神的なことだけじゃなく、生き物としての機能まで那智さんの意思に沿うようにできていることが、うらやましいのだ。
今日は七夕^^
わたしの願いごと。
一日でいいからクラリスの機能が備わってクラリスになりたい。
那智さんに餌をもらって、肩に乗って『ちゅん、ちゅん』して。
でもって『コトッ』と眠らされたい。
ペットとして飼われたいとかリードで繋がれていたいとかSM?主従?では時々目にするアイテムだけど、スイッチオフできる機能も備えたいというのが、わたしのお願い^^
というのはどうだろう。
う〜ん、多分、一日で飽きる^^;
えっと、これはブログネタってことで、ちゃんとしたお願いは別にしよ♪
ということで、今日は七夕、皆さんの願いごとが叶いますように^^
ブランケット
非日常的な日常
カラオケの堅い床に正座をして那智さんの足の間に収まる。
ズボンのファスナーを下ろそうとして
「あ、そうだ、やろうとしてたことがあったんだ。りん子、立って」
「はい?」
訳もわからず、その場に立ち上がる。
「少し下がって」
言われた通りに下がる。
脱いであったスーツの上着をバサッと広げ、さっきわたしが正座をしていた床に広げた。
なんだろう?
「ここに頭を置いて横向きに寝て」
はい、寝転がるのですね。
狭い部屋の狭い空間に、スーツを下に敷いて頭と肩辺りをうずめて横になる。
スーツのブランケット。
この体勢、たぶん踏まれるんだ。
横になったあたりで気がついた。
胸の前に両腕を収めてぼんやりと那智さんの足元を眺めた。
足が動き頬骨に。
堅い。
あ、そうだよね。
ホテルの部屋で踏まれることはあるけれど、そのときは靴は履いていないから、ついその感触を想像していたのだ。
ここはカラオケボックス。
土足だ。
靴のまま踏まれている。
革靴の堅くて平らな感触に、それをグリッと押し付ける力に、幸福に堕ちていく。
さっきまでずっと外を歩き、トイレにだって入っているはずだ。
その靴の底で頬をこめかみを踏まれる。
痛いくらいに強く。
あああ、嬉しい。
幸せ、幸せ、幸せ。
那智さんの手によって落とされる幸せ。
靴のまま踏まれて喜んで腰をくねらすおかしい自分に自己愛。
そしてブランケットの幸福。
顔の向きを変えたい、靴底を舐めたい。
うう、でも、それを実行できるほどには理性は飛んでくれていなかった。
もっとと思う自分もいて、少し残念。
それでも、スーツの上着のブランケットに包まれながら堕ちる幸福を味わっていた。
「なぜ、敷いてくださいました?」
「だって、服が汚れたらいけないだろ?」
不思議な人だ。
自分の手でわたしを汚すことは厭わないのに、他のもので汚れることは避けてくれる。
被虐と加虐の世界では、こんな甘いブランケットは邪道かもしれない。
でも、わたしはこれが嬉しい、これをしてくれる那智さんが好きだ。
大切にされながら酷いこと。
このバランスを取ってくれていることが、傷つく性癖を持っているわたしを傷つけることなく満たしてくれるのだ。
いつか、ブランケットを敷いてくれない日が来るかもしれない。
でも、わたしはわかっている、それは『敢えて』そうしているのだということ。
わたしを蔑んでいるのではなく、蔑む行為を互いに楽しんでいるのだということ。
ブランケットの温かさを教えてくれているからいつかそのまま床に寝る日が来ても、それはただの快感になる。
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『傷つく性癖』
『漫画喫茶にて』すでにブランケットなしで踏まれていました^^;
『一般常識』「俺で汚すのはいいけど、他はダメ」の一例^^
カラオケの堅い床に正座をして那智さんの足の間に収まる。
ズボンのファスナーを下ろそうとして
「あ、そうだ、やろうとしてたことがあったんだ。りん子、立って」
「はい?」
訳もわからず、その場に立ち上がる。
「少し下がって」
言われた通りに下がる。
脱いであったスーツの上着をバサッと広げ、さっきわたしが正座をしていた床に広げた。
なんだろう?
「ここに頭を置いて横向きに寝て」
はい、寝転がるのですね。
狭い部屋の狭い空間に、スーツを下に敷いて頭と肩辺りをうずめて横になる。
スーツのブランケット。
この体勢、たぶん踏まれるんだ。
横になったあたりで気がついた。
胸の前に両腕を収めてぼんやりと那智さんの足元を眺めた。
足が動き頬骨に。
堅い。
あ、そうだよね。
ホテルの部屋で踏まれることはあるけれど、そのときは靴は履いていないから、ついその感触を想像していたのだ。
ここはカラオケボックス。
土足だ。
靴のまま踏まれている。
革靴の堅くて平らな感触に、それをグリッと押し付ける力に、幸福に堕ちていく。
さっきまでずっと外を歩き、トイレにだって入っているはずだ。
その靴の底で頬をこめかみを踏まれる。
痛いくらいに強く。
あああ、嬉しい。
幸せ、幸せ、幸せ。
那智さんの手によって落とされる幸せ。
靴のまま踏まれて喜んで腰をくねらすおかしい自分に自己愛。
そしてブランケットの幸福。
顔の向きを変えたい、靴底を舐めたい。
うう、でも、それを実行できるほどには理性は飛んでくれていなかった。
もっとと思う自分もいて、少し残念。
それでも、スーツの上着のブランケットに包まれながら堕ちる幸福を味わっていた。
「なぜ、敷いてくださいました?」
「だって、服が汚れたらいけないだろ?」
不思議な人だ。
自分の手でわたしを汚すことは厭わないのに、他のもので汚れることは避けてくれる。
被虐と加虐の世界では、こんな甘いブランケットは邪道かもしれない。
でも、わたしはこれが嬉しい、これをしてくれる那智さんが好きだ。
大切にされながら酷いこと。
このバランスを取ってくれていることが、傷つく性癖を持っているわたしを傷つけることなく満たしてくれるのだ。
いつか、ブランケットを敷いてくれない日が来るかもしれない。
でも、わたしはわかっている、それは『敢えて』そうしているのだということ。
わたしを蔑んでいるのではなく、蔑む行為を互いに楽しんでいるのだということ。
ブランケットの温かさを教えてくれているからいつかそのまま床に寝る日が来ても、それはただの快感になる。
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