3回目の旅3
惹かれ合う理由
今日は急遽那智さんとお昼間デートになりました♪
だから更新ちょっと遅くなりました!!
「3回目の旅」の第三弾です。
ほんの少しの物足りなさに気付かないふりをして、それでも好感の持てる人だからそれなりに逢瀬を重ねていく。
これが私の求めているものだと、思うようにしながら・・。
何回目かのデート。
その日は、いままでのビジネスホテルに毛が生えたようなシティホテルではなく、いちおう一流のホテルに招待してくれた。
私はそういうホテルが大好きだから、大喜びだ。
裸になり、窓際に連れて行かれる。
乳首を口に含み愛撫する男の頭を見下ろしながら、なんだか意地悪な気分になる。
厚いカーテンを開けレースのカーテンもほんの少し隙間を作る。
階下を行き交う人々には、見えない。
正面に見える大きな観覧車からは、角度によっては見えるだろう。
子供が乗っていないことを祈る。
その体制で後ろから抱かれる。
見られたら困る。
でも、私は困りたいのだ。
どうか、もっと困らせてください。
10センチ程度の隙間なんかじゃなくて、カーテンを開け放ち、理性なんて飛んでいってしまうくらい、どうしようもないくらい困らせてください。
願いは届かない、解放された私はベッドで彼に抱かれるために足を開く。
夕食、ルームサービスだ。
ボーイさんが準備する間、裸のままベッドに潜って待っている。
顔は枕に埋めているが、もちろんボーイには不審に写るはずだ。
でもこんな行為も嬉しい。
私だけ、裸のディナー。
シーツを体に巻き付けることは許してもらう。
和やかに食事を食べて、最後のデザートのときに「手を使わずに食べてごらん」と言われる。
Mとして扱われることに喜びを感じた瞬間だった。
チョコレートムースに顔を近づけて、唇と舌で食べる。
どうか、この姿を見て興奮してください。
そして、もっと酷いことを私にしてください。
しかし、数口食べたあと、男性はトイレに立ち、戻って来てからは和やかなコーヒーの時間になってしまった。
着替えて最上階のラウンジで飲み直すことにする。
おしゃれして、好きな人とお酒を飲むのは楽しいことだ。
でも、なぜ、あれ以上酷いことにならないのか。
疑問というよりかは、なんとも言えない飢餓感に私自身が困惑してしまう。
「私がいけるように」
掲げられた目標は、遅々として進まない。
いや、表向きは進んでいるのだろう。
私は、やはりここでも演技をしている。
気持ちがよいのは、嘘ではない。
でも、いく感覚ではないと思う。
では、なぜ演技をするのか。
意味のないサービス精神と、「いけば」次の何かが始まるかもしれないという淡い期待のためだ。
だからといって、決して、SM的なことがないわけではない。
ある時は下着を着けずに待ち合わせをして、ラブホテルの駐車場でシャツの上から胸を揉まれたり、車の中で足を広げられ下着の中に手を入れられたり、荷物を固定する先端にフックの付いたゴム製の紐で縛られたときもある。
でも、なぜだろう、それらのあとで抱かれる時、私は淋しくなってしまうのだ。
満たし切れていない感じがしてしまう。
ベッドに並んで横たわり、ノートパソコンを見せてもらう。
様々なプレイの画像。
ひとつひとつに説明を加えてくれる。
女性器に重りを付けている。
複数の男性が体を触る。
洗面器に放尿する。
いつかそうしてくれるのだろうか。
わからない。
そして、私はこの人に、これと同じようにされれば満足なのだろうか。
それも、わからない。
元々、ステレオタイプのSMは嫌だと言っていた。
「ご主人様」や「調教」などのお約束の言葉、正座やご挨拶のような形式。
私も、演技のようで嫌だったから(だって調教って、私はそんな簡単に「動物」になんかなれない、人間で大人で女だもの)、雰囲気は恋人同士だ。
「僕の絵の具が青で、あなたが白。左右に分かれていたけれど、真ん中が徐々に混ざって、きれいな水色になっている。その様子を2人で上から眺めていて、美しい色を喜ぶ」
そんなようなことを言われたことがある。
とても抽象的だが、2人の関係をこう説明されたことがある。
あくまでも、対等な関係。
その男性は、大人だった。
問題が起きても動じない、私はあまり出会ったことのないタイプだった。
私は、甘えてくる男性ばかりと付き合っていたから。
その部分では、楽に付き合えた。
美味しいものを食べたり、お昼からお酒を飲んだり、時間の許す限りデートも楽しんだ。
ちょっと、横道に逸れます!!
この男性と付き合って、ひとつわかったことがある。
この時すでに二度目の結婚をしていて、その夫という人はものすごく甘えるタイプだったのだ。
甘えん坊は感情の上下が激しい。
嬉しい時や楽しい時は上手にはしゃぐ。
その代わりトラブルが起きたり、自分自身が一杯一杯の時などは、感情を露わにする。
夫も、基本的には穏やかな人だが、ほんのちょっとのトラブルで動揺して、周りに当たる傾向がある。
私は「お母さん」のように、対処するのだ。
でも、相手は大人の男だから、やはりその「当たり方」は、私を怖がらせるには充分な効果がある。
父の影響だろう、私は夫の機嫌が上下することを、また、多少(あくまでも多少ね、世の中にはもっと酷いDVというのが存在するものね)声を荒げて八つ当たりをすることを、物凄く回避しようと努力して、怖がっていたのだ。
その感情に気付いたのは、その男性と付き合ってからだ。
ドライブをしていた時のこと。
その道は私しか知らない道だったから、つたない記憶を頼りにナビ役をしていたのだ。
でも、間違って行き止まりの路地を案内してしまった。
「あっ、行き止まりだ!」
そう思った瞬間、私は身を固くしていた。
「何を言われるか。」
「それにどう対処しよか。」
「どう機嫌を直そうか。」
こんなことを瞬時に考えた。
しかし、その男性は私を責めるわけでもなく、機嫌を損ねるわけでもなく、ただこのトラブル解消にだけ心を傾けていたのだ。
この時、私は、こういう安心もあるんだなと感じた。
その安心は心地良いものかもしれない。
そして、甘えん坊の夫に対して、気付いてはいけない感情に気付いてしまったのだ。
「私は、夫に心を許し切っていない。」
もしかしたら、私は性的な満足のためだけに相手を求めていたのではないのではないか。
では、その求めていたものは何だろう。
そして、この人で満たせているのだろうか。
自分の心に向き合わなくてはいけない時期に差し掛かっていたのかもしれない、と感じはじめていた。
横道に逸れてしまって、ごめんなさい。
でも、「安心の片鱗」を感じたエピソードなので、書きました。
それなのになぜこの男性では、だめだったのか、次回とそれ以降那智さんに出会ってから解けていきます。
手直しどころか、たくさん追加。
頑張れ、りん子ちゃん♪
どうか、しばしお付き合いくださいませ。
今日は急遽那智さんとお昼間デートになりました♪
だから更新ちょっと遅くなりました!!
「3回目の旅」の第三弾です。
ほんの少しの物足りなさに気付かないふりをして、それでも好感の持てる人だからそれなりに逢瀬を重ねていく。
これが私の求めているものだと、思うようにしながら・・。
何回目かのデート。
その日は、いままでのビジネスホテルに毛が生えたようなシティホテルではなく、いちおう一流のホテルに招待してくれた。
私はそういうホテルが大好きだから、大喜びだ。
裸になり、窓際に連れて行かれる。
乳首を口に含み愛撫する男の頭を見下ろしながら、なんだか意地悪な気分になる。
厚いカーテンを開けレースのカーテンもほんの少し隙間を作る。
階下を行き交う人々には、見えない。
正面に見える大きな観覧車からは、角度によっては見えるだろう。
子供が乗っていないことを祈る。
その体制で後ろから抱かれる。
見られたら困る。
でも、私は困りたいのだ。
どうか、もっと困らせてください。
10センチ程度の隙間なんかじゃなくて、カーテンを開け放ち、理性なんて飛んでいってしまうくらい、どうしようもないくらい困らせてください。
願いは届かない、解放された私はベッドで彼に抱かれるために足を開く。
夕食、ルームサービスだ。
ボーイさんが準備する間、裸のままベッドに潜って待っている。
顔は枕に埋めているが、もちろんボーイには不審に写るはずだ。
でもこんな行為も嬉しい。
私だけ、裸のディナー。
シーツを体に巻き付けることは許してもらう。
和やかに食事を食べて、最後のデザートのときに「手を使わずに食べてごらん」と言われる。
Mとして扱われることに喜びを感じた瞬間だった。
チョコレートムースに顔を近づけて、唇と舌で食べる。
どうか、この姿を見て興奮してください。
そして、もっと酷いことを私にしてください。
しかし、数口食べたあと、男性はトイレに立ち、戻って来てからは和やかなコーヒーの時間になってしまった。
着替えて最上階のラウンジで飲み直すことにする。
おしゃれして、好きな人とお酒を飲むのは楽しいことだ。
でも、なぜ、あれ以上酷いことにならないのか。
疑問というよりかは、なんとも言えない飢餓感に私自身が困惑してしまう。
「私がいけるように」
掲げられた目標は、遅々として進まない。
いや、表向きは進んでいるのだろう。
私は、やはりここでも演技をしている。
気持ちがよいのは、嘘ではない。
でも、いく感覚ではないと思う。
では、なぜ演技をするのか。
意味のないサービス精神と、「いけば」次の何かが始まるかもしれないという淡い期待のためだ。
だからといって、決して、SM的なことがないわけではない。
ある時は下着を着けずに待ち合わせをして、ラブホテルの駐車場でシャツの上から胸を揉まれたり、車の中で足を広げられ下着の中に手を入れられたり、荷物を固定する先端にフックの付いたゴム製の紐で縛られたときもある。
でも、なぜだろう、それらのあとで抱かれる時、私は淋しくなってしまうのだ。
満たし切れていない感じがしてしまう。
ベッドに並んで横たわり、ノートパソコンを見せてもらう。
様々なプレイの画像。
ひとつひとつに説明を加えてくれる。
女性器に重りを付けている。
複数の男性が体を触る。
洗面器に放尿する。
いつかそうしてくれるのだろうか。
わからない。
そして、私はこの人に、これと同じようにされれば満足なのだろうか。
それも、わからない。
元々、ステレオタイプのSMは嫌だと言っていた。
「ご主人様」や「調教」などのお約束の言葉、正座やご挨拶のような形式。
私も、演技のようで嫌だったから(だって調教って、私はそんな簡単に「動物」になんかなれない、人間で大人で女だもの)、雰囲気は恋人同士だ。
「僕の絵の具が青で、あなたが白。左右に分かれていたけれど、真ん中が徐々に混ざって、きれいな水色になっている。その様子を2人で上から眺めていて、美しい色を喜ぶ」
そんなようなことを言われたことがある。
とても抽象的だが、2人の関係をこう説明されたことがある。
あくまでも、対等な関係。
その男性は、大人だった。
問題が起きても動じない、私はあまり出会ったことのないタイプだった。
私は、甘えてくる男性ばかりと付き合っていたから。
その部分では、楽に付き合えた。
美味しいものを食べたり、お昼からお酒を飲んだり、時間の許す限りデートも楽しんだ。
ちょっと、横道に逸れます!!
この男性と付き合って、ひとつわかったことがある。
この時すでに二度目の結婚をしていて、その夫という人はものすごく甘えるタイプだったのだ。
甘えん坊は感情の上下が激しい。
嬉しい時や楽しい時は上手にはしゃぐ。
その代わりトラブルが起きたり、自分自身が一杯一杯の時などは、感情を露わにする。
夫も、基本的には穏やかな人だが、ほんのちょっとのトラブルで動揺して、周りに当たる傾向がある。
私は「お母さん」のように、対処するのだ。
でも、相手は大人の男だから、やはりその「当たり方」は、私を怖がらせるには充分な効果がある。
父の影響だろう、私は夫の機嫌が上下することを、また、多少(あくまでも多少ね、世の中にはもっと酷いDVというのが存在するものね)声を荒げて八つ当たりをすることを、物凄く回避しようと努力して、怖がっていたのだ。
その感情に気付いたのは、その男性と付き合ってからだ。
ドライブをしていた時のこと。
その道は私しか知らない道だったから、つたない記憶を頼りにナビ役をしていたのだ。
でも、間違って行き止まりの路地を案内してしまった。
「あっ、行き止まりだ!」
そう思った瞬間、私は身を固くしていた。
「何を言われるか。」
「それにどう対処しよか。」
「どう機嫌を直そうか。」
こんなことを瞬時に考えた。
しかし、その男性は私を責めるわけでもなく、機嫌を損ねるわけでもなく、ただこのトラブル解消にだけ心を傾けていたのだ。
この時、私は、こういう安心もあるんだなと感じた。
その安心は心地良いものかもしれない。
そして、甘えん坊の夫に対して、気付いてはいけない感情に気付いてしまったのだ。
「私は、夫に心を許し切っていない。」
もしかしたら、私は性的な満足のためだけに相手を求めていたのではないのではないか。
では、その求めていたものは何だろう。
そして、この人で満たせているのだろうか。
自分の心に向き合わなくてはいけない時期に差し掛かっていたのかもしれない、と感じはじめていた。
横道に逸れてしまって、ごめんなさい。
でも、「安心の片鱗」を感じたエピソードなので、書きました。
それなのになぜこの男性では、だめだったのか、次回とそれ以降那智さんに出会ってから解けていきます。
手直しどころか、たくさん追加。
頑張れ、りん子ちゃん♪
どうか、しばしお付き合いくださいませ。