那智さんタイマー
140字もどき
那智さん、長期出張中。
当然会えないし、声さえ聞けない。
文字はときどきやり取りしてくれる。
それでも出張先の画像を送ってくれるし、ちょっと大事なお話には時間がかかっても文字でアドバイスしてくれるから、案外大丈夫。
会いたいなとか、さみしいなとか、思わない。
というか、そこに目を向けないようにしている感じで、それがうまいことできている感じ。
今朝、じわーっと『那智さん恋しい』の存在が視界のすみにいる気配がした。
気づいちゃうと残り数日がしんどくなるから、気づきたくない。
それなのに、ダメとわかっていても、過去届いた文字を眺めて、那智さんのやさしさや温かさを思い出し作業をしていまう。
(「はーい(笑)」ってだけだったりするのだけどね、それでもやさしい文字なのだ)
ふと、今日は火曜日。
先週会ってから一週間。
だからかー。
わたしの那智かんタイマーは一週間。
どんなに低燃費で過ごそうとしても、一週間がリミット。
あと数日、なんとか低燃費を続けてギリギリ『良好』を保っていたい。
那智さん、わたし、がんばってますよー(笑)
「等式」「那智さんタイマー」感想です。そう言えば、りん子の「ぐずぐず」本格的なのは見てないな。
那智さん、長期出張中。
当然会えないし、声さえ聞けない。
文字はときどきやり取りしてくれる。
それでも出張先の画像を送ってくれるし、ちょっと大事なお話には時間がかかっても文字でアドバイスしてくれるから、案外大丈夫。
会いたいなとか、さみしいなとか、思わない。
というか、そこに目を向けないようにしている感じで、それがうまいことできている感じ。
今朝、じわーっと『那智さん恋しい』の存在が視界のすみにいる気配がした。
気づいちゃうと残り数日がしんどくなるから、気づきたくない。
それなのに、ダメとわかっていても、過去届いた文字を眺めて、那智さんのやさしさや温かさを思い出し作業をしていまう。
(「はーい(笑)」ってだけだったりするのだけどね、それでもやさしい文字なのだ)
ふと、今日は火曜日。
先週会ってから一週間。
だからかー。
わたしの那智かんタイマーは一週間。
どんなに低燃費で過ごそうとしても、一週間がリミット。
あと数日、なんとか低燃費を続けてギリギリ『良好』を保っていたい。
那智さん、わたし、がんばってますよー(笑)
「等式」「那智さんタイマー」感想です。そう言えば、りん子の「ぐずぐず」本格的なのは見てないな。
『男の子』は作られる
独り言
まもなく幼稚園の年長さんというお子さん連れの母子とご飯を食べた。
この親子とは過去に数回ご一緒する機会があった。
我が子よりちょこまか動く子だけど(といっても我が子は動かなすぎな子だったから、ほとんどの子は『我が子より動く』のだけど^^;)、けして乱暴な子ではなく、どちらかというといろいろなことに興味を持ってしまってうろちょろしちゃうというような感じの子だった。
どことなく、我が子の穏やかな空気に似ているところもあって、第一子特有のものかな~なんて思っていた。
わたしはわりと気に入られていて、たいして遊んであげるわけでもないのに何かと近寄ってきて、まあ、それなりに相手していた。
前回会ったときは幼稚園に入ったばかりとかだったから、すこし会話らしきもののできるようになってきて、我が子のときはどうだったかなと思い出してみたりする。
ご飯を支度をしていたら、その子が何かを『うーん』と持ち上げるような仕草をしてこちらにアピールをしてきた。
あらら、やっぱり男の子って、そういう力を誇示したくなるものなのかな。
それまで、どこか我が子に似て『ジェンダーフリー』な感じの子だったけど、大きくなるとだんだん変わってくるのかなと、納得なような残念なような気持ちで眺めていた。
わたしは我が子に『男だから、女だから』という理由で何かを促したことがほとんどないのだ。
小さい頃異性の格好をしたいといっても肯定してきた。
だから、我が子は『力を誇示する』などのジェンダーによるアピールをほとんど見たことない^^;
それが、わたしは好きなので、その子の変化が納得しながらも、ちょっと残念に思ってしまっていたのだ。
ご飯がはじまる。
最近、その子があまり食が進まないようでママはなかなか手こずっているみたいだった。
こういう特別な場では興奮して食べないことは仕方ないとしても、日常生活では食べやすいようにレシピを工夫したり苦労しているらしい。
その子が通う幼稚園では週の半分は給食で食べ終わるまで遊んじゃいけないようで、給食の日は一時間もかかってしまうそうだ。
いまどき、そういうのまだあるんだ。
幼稚園から、それじゃ、大変だよね。
『食事』がキライにならないといいな。
そんなこともあって、親子にとってちょっぴりナーバスな『ご飯タイム』っぽかった。
我が子も白米ばーっかりな子だったから心配な気持ちはわかるけど、あまり根つめなくてもいつか食べるようになるよ~ってくらいママが気楽にかまえていられるといいのになと思ってみていた。
野菜を細かく切ったりなど工夫と併せて、気持ちを盛り上げることもしているらしい。
ママ、いろいろ頑張ってる^^;
もう、おだてまくってる(笑)
そうで
えらいね~
とか
強くなるよ~
とか
おだてて、その気にさせていると話していた。
だから、さっきの力持ちの仕草とか、してるんだと思う
と。
ああ、なるほど~。
ママの苦肉の策が『力誇示』につながっていったんだね。
ふう。
『男の子』は、こうして作られる、のだね。
ご飯を食べてほしい気持ちはわかるし、叱って食べさせるより、いい気持ちで食べさせるほうがずっとずっと好きだ。
『男の子』は強いほうが、社会では生きやすいだろう。
どれも間違っていない。
ただ、こうやって『作られていくんだな』と、目の当たりにした感じだった。
ちなみに、この親子なんて、ぜんぜん良いケースでね。
むかし、我が子の同級生の男の子がうちに遊びにきて、わたしも一緒にゲームをやったことがあって、わたしが勝ったら
女のクセに生意気~
といっていた子がいた。
小2が大人のわたしに向かって(笑)
そのとき、きっとこの子の家ではパパがそういうセリフをいう人なんだろうなと勝手に想像していたけど、こういうもの『作られる』んだよね。
ちなみに、その子は我が子によく意地悪をしていたな。
あれはね、たぶん、わたしの我が子に対する全肯定なことが羨ましかったのだと思う。
その子、わたしに気に入られようと必死だったしね。
(詳細省くけど、そういうのって伝わるのだよね)
ところで、この日、わたしはその男の子のご飯を食べるのをちょっとだけ手伝った。
ママがスプーンですくった豆ご飯を「おいしそう!!ちょうだい?」と、その子にねだったのだ。
その子は「ダメ~」と言いながら、ぱく。
わあ、いいな~、◯君、もういらないでしょ?
残りおばちゃんにちょうだい!?
とくり返すと、その都度ぱくぱく食べてくれた。
まあ、この手が何度も通じるとは思わないけど、その子に楽しく食べてもらえたらいいなと思うのでした^^
「等式」「男の子は作られる」感想です。作らなければ、魅力ある男性や女性が出来ないよ!
親が作るのか、自分が作るのか、アニメが作るのかは別にしてね。
まもなく幼稚園の年長さんというお子さん連れの母子とご飯を食べた。
この親子とは過去に数回ご一緒する機会があった。
我が子よりちょこまか動く子だけど(といっても我が子は動かなすぎな子だったから、ほとんどの子は『我が子より動く』のだけど^^;)、けして乱暴な子ではなく、どちらかというといろいろなことに興味を持ってしまってうろちょろしちゃうというような感じの子だった。
どことなく、我が子の穏やかな空気に似ているところもあって、第一子特有のものかな~なんて思っていた。
わたしはわりと気に入られていて、たいして遊んであげるわけでもないのに何かと近寄ってきて、まあ、それなりに相手していた。
前回会ったときは幼稚園に入ったばかりとかだったから、すこし会話らしきもののできるようになってきて、我が子のときはどうだったかなと思い出してみたりする。
ご飯を支度をしていたら、その子が何かを『うーん』と持ち上げるような仕草をしてこちらにアピールをしてきた。
あらら、やっぱり男の子って、そういう力を誇示したくなるものなのかな。
それまで、どこか我が子に似て『ジェンダーフリー』な感じの子だったけど、大きくなるとだんだん変わってくるのかなと、納得なような残念なような気持ちで眺めていた。
わたしは我が子に『男だから、女だから』という理由で何かを促したことがほとんどないのだ。
小さい頃異性の格好をしたいといっても肯定してきた。
だから、我が子は『力を誇示する』などのジェンダーによるアピールをほとんど見たことない^^;
それが、わたしは好きなので、その子の変化が納得しながらも、ちょっと残念に思ってしまっていたのだ。
ご飯がはじまる。
最近、その子があまり食が進まないようでママはなかなか手こずっているみたいだった。
こういう特別な場では興奮して食べないことは仕方ないとしても、日常生活では食べやすいようにレシピを工夫したり苦労しているらしい。
その子が通う幼稚園では週の半分は給食で食べ終わるまで遊んじゃいけないようで、給食の日は一時間もかかってしまうそうだ。
いまどき、そういうのまだあるんだ。
幼稚園から、それじゃ、大変だよね。
『食事』がキライにならないといいな。
そんなこともあって、親子にとってちょっぴりナーバスな『ご飯タイム』っぽかった。
我が子も白米ばーっかりな子だったから心配な気持ちはわかるけど、あまり根つめなくてもいつか食べるようになるよ~ってくらいママが気楽にかまえていられるといいのになと思ってみていた。
野菜を細かく切ったりなど工夫と併せて、気持ちを盛り上げることもしているらしい。
ママ、いろいろ頑張ってる^^;
もう、おだてまくってる(笑)
そうで
えらいね~
とか
強くなるよ~
とか
おだてて、その気にさせていると話していた。
だから、さっきの力持ちの仕草とか、してるんだと思う
と。
ああ、なるほど~。
ママの苦肉の策が『力誇示』につながっていったんだね。
ふう。
『男の子』は、こうして作られる、のだね。
ご飯を食べてほしい気持ちはわかるし、叱って食べさせるより、いい気持ちで食べさせるほうがずっとずっと好きだ。
『男の子』は強いほうが、社会では生きやすいだろう。
どれも間違っていない。
ただ、こうやって『作られていくんだな』と、目の当たりにした感じだった。
ちなみに、この親子なんて、ぜんぜん良いケースでね。
むかし、我が子の同級生の男の子がうちに遊びにきて、わたしも一緒にゲームをやったことがあって、わたしが勝ったら
女のクセに生意気~
といっていた子がいた。
小2が大人のわたしに向かって(笑)
そのとき、きっとこの子の家ではパパがそういうセリフをいう人なんだろうなと勝手に想像していたけど、こういうもの『作られる』んだよね。
ちなみに、その子は我が子によく意地悪をしていたな。
あれはね、たぶん、わたしの我が子に対する全肯定なことが羨ましかったのだと思う。
その子、わたしに気に入られようと必死だったしね。
(詳細省くけど、そういうのって伝わるのだよね)
ところで、この日、わたしはその男の子のご飯を食べるのをちょっとだけ手伝った。
ママがスプーンですくった豆ご飯を「おいしそう!!ちょうだい?」と、その子にねだったのだ。
その子は「ダメ~」と言いながら、ぱく。
わあ、いいな~、◯君、もういらないでしょ?
残りおばちゃんにちょうだい!?
とくり返すと、その都度ぱくぱく食べてくれた。
まあ、この手が何度も通じるとは思わないけど、その子に楽しく食べてもらえたらいいなと思うのでした^^
「等式」「男の子は作られる」感想です。作らなければ、魅力ある男性や女性が出来ないよ!
親が作るのか、自分が作るのか、アニメが作るのかは別にしてね。
部屋飲みDAY
なんでもない日
うだるような真夏の日。
那智さんのおうちにいった。
那智さんの居住スペース付きお仕事場に遊びにいった。
この日はお仕事場が休業だったため、来客の可能性が極めて低いので気持ち的にリラックスしていられるからだ。
前日、ちょっと飲みすぎてしまったわたし^^;
電車を乗り継ぐ移動にすこしグロッキー気味^^;
甚平姿でリラックスした那智さんが駅まで来てくれて一緒にうどんをいただく。
お腹にすこし入ると多少元気になる。
那智さんのおうちにお邪魔している感覚はとてもうれしい。
なんとなく、那智さんのポケットの中みたいだから。
いつもはどなたか来たらと思うとすこし落ち着かないので、今日はより安心できる。
那智さんに舐めてもらって、電マとバイブで可愛がってもらう。
おしっこが出てしまうけど、タオル2枚使って『大丈夫』にしてくれる。
那智さんのベッドを汚してしまいそうで快感に集中できにくいけど、那智さんが『大丈夫』としてくれていることを一生懸命信じる。
おもらしと電マの快感は、いまのわたしにはつながっていない。
気になってしまうから。
だけど、那智さんが『しー』って子どもにするようにいってくれることや、恥ずかしいわたしを手放しに解放してしまうことで、いつかつながっていくように予感する。
そんなの『人として』ダメだよ、と自分を咎めたくなるけど、半分は、そうなる自分と、那智さんにそれを許してもらうことを望んでいることもごまかせない。
ごまかせなくなると、予感していた。
今日のお口はほめてもらえた^^
朝、すこしグロッキー気味だったこともあって、終わった後20分だけうとうとさせてもらった。
テレビの音が聞こえているけど、那智さんのベッドで那智さんがそばにいるところでうとうとできることが本当にしあわせ。
ふと意識が戻るとちょうど20分ほど過ぎていたらしい。
那智さんがシャワーにいっていたことがわからなかったので、一瞬深く眠っていたみたい。
そういうのも、うれしい。
さて、よい時間になったのでお買い物をして部屋飲みだ〜!!
スーパーで一緒にお買い物するのもたのしい。
ついつい買いすぎちゃうので自制する(笑)
戻ったら、那智さんの短パンとTシャツを貸してくれた。
使い込んだTシャツがうれしい。
今日は鉄板で焼肉。
サラダを準備して。
おいしいお肉をレタスで巻いていただいた。
那智さん、さくさく動く人。
ついお客様状態になってしまうので、申し訳ない感じもするけど、そういう那智さんを眺めているのも乙なのです(笑)
思ったより早くお腹いっぱいになってしまって残念。
いま流行のスマホゲーム。
那智さんのお仕事場がスポットになっているので、ついつい夢中になってしまった。
リラックスした日の記録。
また部屋飲みしたいです^^
「等式」「部屋飲みD A Y 」感想です。「お漏らし」と「肯定」の微妙な塩梅が楽しい、全ての肯定はどこに繋がっているのか考えたい。(笑)
うだるような真夏の日。
那智さんのおうちにいった。
那智さんの居住スペース付きお仕事場に遊びにいった。
この日はお仕事場が休業だったため、来客の可能性が極めて低いので気持ち的にリラックスしていられるからだ。
前日、ちょっと飲みすぎてしまったわたし^^;
電車を乗り継ぐ移動にすこしグロッキー気味^^;
甚平姿でリラックスした那智さんが駅まで来てくれて一緒にうどんをいただく。
お腹にすこし入ると多少元気になる。
那智さんのおうちにお邪魔している感覚はとてもうれしい。
なんとなく、那智さんのポケットの中みたいだから。
いつもはどなたか来たらと思うとすこし落ち着かないので、今日はより安心できる。
那智さんに舐めてもらって、電マとバイブで可愛がってもらう。
おしっこが出てしまうけど、タオル2枚使って『大丈夫』にしてくれる。
那智さんのベッドを汚してしまいそうで快感に集中できにくいけど、那智さんが『大丈夫』としてくれていることを一生懸命信じる。
おもらしと電マの快感は、いまのわたしにはつながっていない。
気になってしまうから。
だけど、那智さんが『しー』って子どもにするようにいってくれることや、恥ずかしいわたしを手放しに解放してしまうことで、いつかつながっていくように予感する。
そんなの『人として』ダメだよ、と自分を咎めたくなるけど、半分は、そうなる自分と、那智さんにそれを許してもらうことを望んでいることもごまかせない。
ごまかせなくなると、予感していた。
今日のお口はほめてもらえた^^
朝、すこしグロッキー気味だったこともあって、終わった後20分だけうとうとさせてもらった。
テレビの音が聞こえているけど、那智さんのベッドで那智さんがそばにいるところでうとうとできることが本当にしあわせ。
ふと意識が戻るとちょうど20分ほど過ぎていたらしい。
那智さんがシャワーにいっていたことがわからなかったので、一瞬深く眠っていたみたい。
そういうのも、うれしい。
さて、よい時間になったのでお買い物をして部屋飲みだ〜!!
スーパーで一緒にお買い物するのもたのしい。
ついつい買いすぎちゃうので自制する(笑)
戻ったら、那智さんの短パンとTシャツを貸してくれた。
使い込んだTシャツがうれしい。
今日は鉄板で焼肉。
サラダを準備して。
おいしいお肉をレタスで巻いていただいた。
那智さん、さくさく動く人。
ついお客様状態になってしまうので、申し訳ない感じもするけど、そういう那智さんを眺めているのも乙なのです(笑)
思ったより早くお腹いっぱいになってしまって残念。
いま流行のスマホゲーム。
那智さんのお仕事場がスポットになっているので、ついつい夢中になってしまった。
リラックスした日の記録。
また部屋飲みしたいです^^
「等式」「部屋飲みD A Y 」感想です。「お漏らし」と「肯定」の微妙な塩梅が楽しい、全ての肯定はどこに繋がっているのか考えたい。(笑)
美しい道
140字もどき
『等式』閉じてからもうすぐ2か月。
おかげさまでわたしはとても気楽です(笑)
きっと、惜しんでくれたひとたちも、すぎてしまえばなんともないものになっているだろうなと想像します。
ひとは目の前にないものはどんどん遠ざかるものだから。
なんともないもので、なおかつ、わたしと同じようにちょっとホッとしているんじゃないかな。
『等式』は一部のひとの大きな壁だったと思うのです。
もしくは美しい道でも、理想の小説でもいいけど。
とにかく、ひとつの完成されたものが目の前につねにあって、なおかつ更新されていく状態は、『等式』に何かを投影しているひとにとっては追い立てられるような感じだったのではないかな。
もちろん、役に立っていただろうし、楽しんでもらえたと自負しているけど、それとマイナスのことは両輪でね^^
目の前から、ふと大きな壁or美しい道or理想の小説がなくなったら、きっとさみしいけどみんな自分の道を歩き、自分の物語を紡いでいかれるでしょう。
他者(わたし)による正解がつねに更新されるより、ずっと自由に^^
と思うので、わたしにとっても読者さんにとっても10年ひと区切りはよかったのかなと思うのです^^
残念なのは那智さん、かしら(笑)
それとも那智さんもホッとしているのかな^^
「等式」「美しい道」感想です。うーん。これは、深いな(笑)今、飢餓状態の人がどのくらい存在するのか、しないのか。幸、不幸も併せてどうなのだろう。確かに、お店を出店しているような緊張感からは解放されたね。
『等式』閉じてからもうすぐ2か月。
おかげさまでわたしはとても気楽です(笑)
きっと、惜しんでくれたひとたちも、すぎてしまえばなんともないものになっているだろうなと想像します。
ひとは目の前にないものはどんどん遠ざかるものだから。
なんともないもので、なおかつ、わたしと同じようにちょっとホッとしているんじゃないかな。
『等式』は一部のひとの大きな壁だったと思うのです。
もしくは美しい道でも、理想の小説でもいいけど。
とにかく、ひとつの完成されたものが目の前につねにあって、なおかつ更新されていく状態は、『等式』に何かを投影しているひとにとっては追い立てられるような感じだったのではないかな。
もちろん、役に立っていただろうし、楽しんでもらえたと自負しているけど、それとマイナスのことは両輪でね^^
目の前から、ふと大きな壁or美しい道or理想の小説がなくなったら、きっとさみしいけどみんな自分の道を歩き、自分の物語を紡いでいかれるでしょう。
他者(わたし)による正解がつねに更新されるより、ずっと自由に^^
と思うので、わたしにとっても読者さんにとっても10年ひと区切りはよかったのかなと思うのです^^
残念なのは那智さん、かしら(笑)
それとも那智さんもホッとしているのかな^^
「等式」「美しい道」感想です。うーん。これは、深いな(笑)今、飢餓状態の人がどのくらい存在するのか、しないのか。幸、不幸も併せてどうなのだろう。確かに、お店を出店しているような緊張感からは解放されたね。
生きること
独特な幸福感
那智さんの長期出張明けてはじめてのお休み。
長い出張の間、ほとんど声を聞くことは叶わなかった。
それでも文字では可能な限りかまってくれていたし、わたしも仕事や用事を入れたりしてなんとか過ごしていた。
『那智さんタイマー』なんていいながらもとりあえず良好な精神状態でいられたので、わたしも昔に比べたらずいぶん立派になったものです(笑)
で、やっと那智さんのお休み。
その前に一度夜会っているから『ひさしぶり』というわけではないけれど、肌を触れ合わせゆっくり過ごせるのは『ひさしぶり』だ。
流れは憶えていないので、おそらくいつもと変わらない流れで抱かれはじめたはずだ。
挿入されると、ああ、この感じはしあわせと思う。
那智さんに入れてもらうことは性的快感以外の愛情や父性や安堵や『あなたのもの』などのいろいろな要素が混ざり合うので、とても大切な時間なのだ。
それを見透かしたように
おまんこ、さみしかった?
と。
ああ、そうだ。
わたし、さみしかったのだ。
昔よりずいぶん立派になったといいつつも、こうやって那智さんに身を委ねる状態で自分を開示すると、わたしはさみしかったのだと気づく。
さみしかったです
と、しがみつく。
那智さんの意図はわからない。
シンプルに性的な意味で聞いたのかもしれない。
ただ、那智さんとわたしにとって『性的なこと』は、イコール『生きること』とつながっていると思っている。
ご飯を食べること、笑うこと、理解し合いたいと話し合うこと、好きなひとと生きていく営みのひとつ。
それが性癖に基づくか、欲情に駆られるか、癒し合うようなものかは究極的には関係なく、『那智さんに抱かれるすべて』がわたしたちにとって『生きること』の一部。
だから、那智さんに会えなければ『おまんこ、さみしい』のだ。
那智さんに入れてもらうときに感じるいろいろな要素と同じように『おまんこ、さみしい』にもいろいろな要素が含まれている。
会いたかったし、触れたかったし、お話ししたかったし、一緒にお酒飲みたかったし、抱かれたかった。
性的な意味と、それ以外のたくさんの『さみしかった』を、那智さんの言葉で実感して、わたしたちにとって性的なことも『生きること』の大事なひとつだなと再確認した。
エッチな自分を認められなかった頃に比べたら、こうやって思えることは、より『生きている』ようにも思えるのだ。
ところで、この問いかけ以降「イッてもいいですか?」の前に「おまんこ、さみしかったです」をつけないといけないことが、この日の那智さんのお遊びとなり、最初は促されてなんとかだったのが、観念して最終的には自ら『おまんこ、さみしかったです、イッてもいいですか』とオプションつきで申告するという、ものすごく恥ずかしい展開になっていった。
性的なこと=生きることなんて美しいことなんていわせてもらえないような、ただただ性的な展開になっていくのも、那智さんらしくて、わたしたちらしい、かな(笑)
那智さんの長期出張明けてはじめてのお休み。
長い出張の間、ほとんど声を聞くことは叶わなかった。
それでも文字では可能な限りかまってくれていたし、わたしも仕事や用事を入れたりしてなんとか過ごしていた。
『那智さんタイマー』なんていいながらもとりあえず良好な精神状態でいられたので、わたしも昔に比べたらずいぶん立派になったものです(笑)
で、やっと那智さんのお休み。
その前に一度夜会っているから『ひさしぶり』というわけではないけれど、肌を触れ合わせゆっくり過ごせるのは『ひさしぶり』だ。
流れは憶えていないので、おそらくいつもと変わらない流れで抱かれはじめたはずだ。
挿入されると、ああ、この感じはしあわせと思う。
那智さんに入れてもらうことは性的快感以外の愛情や父性や安堵や『あなたのもの』などのいろいろな要素が混ざり合うので、とても大切な時間なのだ。
それを見透かしたように
おまんこ、さみしかった?
と。
ああ、そうだ。
わたし、さみしかったのだ。
昔よりずいぶん立派になったといいつつも、こうやって那智さんに身を委ねる状態で自分を開示すると、わたしはさみしかったのだと気づく。
さみしかったです
と、しがみつく。
那智さんの意図はわからない。
シンプルに性的な意味で聞いたのかもしれない。
ただ、那智さんとわたしにとって『性的なこと』は、イコール『生きること』とつながっていると思っている。
ご飯を食べること、笑うこと、理解し合いたいと話し合うこと、好きなひとと生きていく営みのひとつ。
それが性癖に基づくか、欲情に駆られるか、癒し合うようなものかは究極的には関係なく、『那智さんに抱かれるすべて』がわたしたちにとって『生きること』の一部。
だから、那智さんに会えなければ『おまんこ、さみしい』のだ。
那智さんに入れてもらうときに感じるいろいろな要素と同じように『おまんこ、さみしい』にもいろいろな要素が含まれている。
会いたかったし、触れたかったし、お話ししたかったし、一緒にお酒飲みたかったし、抱かれたかった。
性的な意味と、それ以外のたくさんの『さみしかった』を、那智さんの言葉で実感して、わたしたちにとって性的なことも『生きること』の大事なひとつだなと再確認した。
エッチな自分を認められなかった頃に比べたら、こうやって思えることは、より『生きている』ようにも思えるのだ。
ところで、この問いかけ以降「イッてもいいですか?」の前に「おまんこ、さみしかったです」をつけないといけないことが、この日の那智さんのお遊びとなり、最初は促されてなんとかだったのが、観念して最終的には自ら『おまんこ、さみしかったです、イッてもいいですか』とオプションつきで申告するという、ものすごく恥ずかしい展開になっていった。
性的なこと=生きることなんて美しいことなんていわせてもらえないような、ただただ性的な展開になっていくのも、那智さんらしくて、わたしたちらしい、かな(笑)