魔法の呪文
りん子的独り言(生意気)
りん子的独り言(生意気)はSMや主従に対しての主張を書きますが、それで幸福を感じられている人には向けていません。
苦しいと感じている人や疑問や矛盾を感じている人へのヒントの気持ちで書いています。
『寿司とマヨネーズ』という本がある。
ここでも何回か登場しているけれど、この本は夢を叶えたいと旅をはじめた頃のわたしにとって見本市のような本だった。
『SM』と『奴隷』の両方が一緒くたに書かれているので、その中で自分が反応するところと苦手なところとリトマス試験紙になっていたなといま振り返っても思う。
カップル喫茶でご主人様の命令で他者と絡み「よく調教されていますね」という言葉に、所有されたい気持ちと所有されている顕示欲が刺激され、鞭で飛ぶシーンでは憧れが形になっている人の言葉に自分を重ね、夜の公園の散歩は自分がそんなことに反応するのかと驚いたものだ。
逆に、所有されたい支配されたい気持ちはあるくせに、ご主人様である『寿司さま』の横暴な態度に憤り、辛い気持ちを押し殺し媚を売るように食事の支度をするマヨさんに歯がゆい思いをした。
きっと当時から、所有や支配と、尽くすとかご主人様のためにというものは違うものだゾ?と無意識に疑問を感じていたのだろう。
わたしが欲しいものは被虐的行為とリードを持ってもらう安心だとリトマス試験紙に表れていたのだ。
だから、好きなお話とそうじゃないお話が極端に分かれる本だと思う。
(まあ、依存ゆえの不安定を忠誠でごまかしているような関係が根本なので、常に息苦しいのだけどね)
マゾ心を刺激されるシーンの他に、もうひとつ好きな場面がある。
それは二人が5年間の付き合いに終止符を打ち、彼女が自分で違う道を歩こうと思う辺りからのこと。
日記をまとめた本なので時系列で書かれいるのだけど、ある日の日記を境にそれまで呼んでいた『ご主人様』から『彼』と名称を変えたのだ。
名称を変えただけではなく文体も変えているから当然といえば当然なんだけど、文体の変化以上に『ご主人様』から『彼』に変わったことによる変化は、読んでいるこちらにも大きく伝わるような感じがした。
憑き物が落ちたよう、なのだ。
たくさんの葛藤の末の日記だから、そんなに簡単に憑き物は落ちないかもしれないけど、でも、わたしは『ご主人様』を『彼』と書く彼女はじつに清々しく感じた。
「それでも『彼』は愛おしい男」と書く彼女の言葉はずっとずっと心から発しているようで、好感が持てる。
だから、わたしは彼女が『ご主人様』から『彼』へ名称を変える場面が好きなのだ。
魔法の呪文。
いつも言うけど、それが幸せな人には向けていないです。
でも、もし、いま『ご主人様』との関係に悩んでいたら、もし、お別れしてもまだ『何か』に捉われているような感覚で苦しかったら。
ご主人様のことを『彼』と呼んでみよう。
元主を『元彼』と呼んでみよう。
でも、ご主人様はご主人様だからそれ以外はあり得ない?
うん、それもわかるけど、でも、たとえば父親はお父さんだけど、自分に子供が生まれたら『おじいちゃん』と呼び方が変わったりするでしょ(笑)
そんなふうに、柔軟にしてみる^^
『お仕えする』を『お付き合いする』に変えてみよう、『奉仕』を『フェラチオ』にするのだ(笑)
ようは、固執したものを解いてみるのだ。
でも、『お仕えする』と『お付き合いする』は違う?
そうかな?
たとえば、お仕えすることは『ご主人様のために一生懸命になる』ことや『ご主人様の喜びを最優先する』ことだったりしたとして、普通、好きな男性には『一生懸命』になるし『喜んでもらいたい』と自然と思うものだよね。
わざわざ、『お仕え』しなくても、相手を愛し尊敬していればごく自然な感情として『相手の幸福』を願うはず。
大切な人を思うとき、呼び方や名称は本当は関係ないのだ。
繰り返すけど、それが幸福ならいい。
でも、悩んでいたり、疑問に感じていたり、一歩前に進めないとしたら、一度『彼』にしてみません?
それでもなお、彼を愛しいと思えば、そうなんだろうし、お付き合いを続けたいと思うなら、そうなんだろう。
『彼』にしてみたら、どう?
『元彼』にしてみたら?
ふわっと体が軽くなるかもしれない。
『寿司とマヨネーズ』でわたしが感じたような清々しさに。
名称でしかアイデンティティを保てないのだとしたら、それまでのものだと思うのだ。
<関連エントリー>
寿司とマヨネーズで検索してみた^^
『お昼からこんな内容^^;』
『予定外不調和』
『卵が先か、鶏が先か』
『りん子式飲尿法』
『アラシのりん子』
『那智さんのSM』
『この世界からM女という言葉をなくしたい』
「等式」感想です。久しぶりに小気味よくバッサリ袈裟掛けの一撃ですね。その通りだと思います。りん子から私への会話は丁寧語と尊敬語。謙譲語は使わない、使って欲しいとも思わないし、使いたければ使って、悦に入れば良いけれどね、(笑)りん子には憧れがあるみたいなので。
「主」「ご奉仕」の感覚はある種の偶像崇拝で、誰かが使っていた言葉で「大人のごっこ遊び」なら楽しそうなのにと思う。話はまったく関係なくなりますが、謙譲語とはあまり、良くない言葉なのではないかと思う。自分を下げて、相手を上げる。そう思える相手に対しては本当に有効だと思うけれど、
少し考えると、相手をバカにしているともいえないか。だって、そうそう、自分を下げてまで相手を上げようと本気に思える人なんてそうそう、いないと思う。例え、特定の相手に謙譲語を使用しても、後日の態度で、自分を下げる程でもないな、と思った瞬間、相手を見下げる感覚になるのかもしれない。
りん子的独り言(生意気)はSMや主従に対しての主張を書きますが、それで幸福を感じられている人には向けていません。
苦しいと感じている人や疑問や矛盾を感じている人へのヒントの気持ちで書いています。
『寿司とマヨネーズ』という本がある。
ここでも何回か登場しているけれど、この本は夢を叶えたいと旅をはじめた頃のわたしにとって見本市のような本だった。
『SM』と『奴隷』の両方が一緒くたに書かれているので、その中で自分が反応するところと苦手なところとリトマス試験紙になっていたなといま振り返っても思う。
カップル喫茶でご主人様の命令で他者と絡み「よく調教されていますね」という言葉に、所有されたい気持ちと所有されている顕示欲が刺激され、鞭で飛ぶシーンでは憧れが形になっている人の言葉に自分を重ね、夜の公園の散歩は自分がそんなことに反応するのかと驚いたものだ。
逆に、所有されたい支配されたい気持ちはあるくせに、ご主人様である『寿司さま』の横暴な態度に憤り、辛い気持ちを押し殺し媚を売るように食事の支度をするマヨさんに歯がゆい思いをした。
きっと当時から、所有や支配と、尽くすとかご主人様のためにというものは違うものだゾ?と無意識に疑問を感じていたのだろう。
わたしが欲しいものは被虐的行為とリードを持ってもらう安心だとリトマス試験紙に表れていたのだ。
だから、好きなお話とそうじゃないお話が極端に分かれる本だと思う。
(まあ、依存ゆえの不安定を忠誠でごまかしているような関係が根本なので、常に息苦しいのだけどね)
マゾ心を刺激されるシーンの他に、もうひとつ好きな場面がある。
それは二人が5年間の付き合いに終止符を打ち、彼女が自分で違う道を歩こうと思う辺りからのこと。
日記をまとめた本なので時系列で書かれいるのだけど、ある日の日記を境にそれまで呼んでいた『ご主人様』から『彼』と名称を変えたのだ。
名称を変えただけではなく文体も変えているから当然といえば当然なんだけど、文体の変化以上に『ご主人様』から『彼』に変わったことによる変化は、読んでいるこちらにも大きく伝わるような感じがした。
憑き物が落ちたよう、なのだ。
たくさんの葛藤の末の日記だから、そんなに簡単に憑き物は落ちないかもしれないけど、でも、わたしは『ご主人様』を『彼』と書く彼女はじつに清々しく感じた。
「それでも『彼』は愛おしい男」と書く彼女の言葉はずっとずっと心から発しているようで、好感が持てる。
だから、わたしは彼女が『ご主人様』から『彼』へ名称を変える場面が好きなのだ。
魔法の呪文。
いつも言うけど、それが幸せな人には向けていないです。
でも、もし、いま『ご主人様』との関係に悩んでいたら、もし、お別れしてもまだ『何か』に捉われているような感覚で苦しかったら。
ご主人様のことを『彼』と呼んでみよう。
元主を『元彼』と呼んでみよう。
でも、ご主人様はご主人様だからそれ以外はあり得ない?
うん、それもわかるけど、でも、たとえば父親はお父さんだけど、自分に子供が生まれたら『おじいちゃん』と呼び方が変わったりするでしょ(笑)
そんなふうに、柔軟にしてみる^^
『お仕えする』を『お付き合いする』に変えてみよう、『奉仕』を『フェラチオ』にするのだ(笑)
ようは、固執したものを解いてみるのだ。
でも、『お仕えする』と『お付き合いする』は違う?
そうかな?
たとえば、お仕えすることは『ご主人様のために一生懸命になる』ことや『ご主人様の喜びを最優先する』ことだったりしたとして、普通、好きな男性には『一生懸命』になるし『喜んでもらいたい』と自然と思うものだよね。
わざわざ、『お仕え』しなくても、相手を愛し尊敬していればごく自然な感情として『相手の幸福』を願うはず。
大切な人を思うとき、呼び方や名称は本当は関係ないのだ。
繰り返すけど、それが幸福ならいい。
でも、悩んでいたり、疑問に感じていたり、一歩前に進めないとしたら、一度『彼』にしてみません?
それでもなお、彼を愛しいと思えば、そうなんだろうし、お付き合いを続けたいと思うなら、そうなんだろう。
『彼』にしてみたら、どう?
『元彼』にしてみたら?
ふわっと体が軽くなるかもしれない。
『寿司とマヨネーズ』でわたしが感じたような清々しさに。
名称でしかアイデンティティを保てないのだとしたら、それまでのものだと思うのだ。
<関連エントリー>
寿司とマヨネーズで検索してみた^^
『お昼からこんな内容^^;』
『予定外不調和』
『卵が先か、鶏が先か』
『りん子式飲尿法』
『アラシのりん子』
『那智さんのSM』
『この世界からM女という言葉をなくしたい』
「等式」感想です。久しぶりに小気味よくバッサリ袈裟掛けの一撃ですね。その通りだと思います。りん子から私への会話は丁寧語と尊敬語。謙譲語は使わない、使って欲しいとも思わないし、使いたければ使って、悦に入れば良いけれどね、(笑)りん子には憧れがあるみたいなので。
「主」「ご奉仕」の感覚はある種の偶像崇拝で、誰かが使っていた言葉で「大人のごっこ遊び」なら楽しそうなのにと思う。話はまったく関係なくなりますが、謙譲語とはあまり、良くない言葉なのではないかと思う。自分を下げて、相手を上げる。そう思える相手に対しては本当に有効だと思うけれど、
少し考えると、相手をバカにしているともいえないか。だって、そうそう、自分を下げてまで相手を上げようと本気に思える人なんてそうそう、いないと思う。例え、特定の相手に謙譲語を使用しても、後日の態度で、自分を下げる程でもないな、と思った瞬間、相手を見下げる感覚になるのかもしれない。
首輪(追記あり)
独特な幸福感
いま使っている首輪は2代目。
はじめての首輪は那智さんが犬用の首輪をオーダーで作ってくれた。
「彼女にプレゼントするので人用ですけど」となめし具合などを問い合わせしてくれて作ってくれたのだ。
黒の比較的細めでバックルに鍵の飾りがついている。
内側には名前を入れられるようになっていので、わたしの名前が型押ししてある。
細めなので一見するとチョーカーに見えなくもないので、これなら普段使いにもできる。
よくよく見ればバックルがついているので『首輪』なんだけど、まあ、ファッションによってはそれもありな範疇。
ただチョーカーに見立てたとしてもかなり服装が限定されるので合わない場合も多々ありなんだけど。
この首輪は大のお気に入り。
色は黒なんだけど全体的にかわいい雰囲気で、大人っぽいかわいらしさ。
これをつけて、百貨店でもコンビニでもわんこにしてもらっていた、思い出の首輪。
ただ、この首輪、とても残念なことにキツいのだ!!
オーダーで作るときに那智さんに言われて自分で採寸したのが、何かのミスでちょっと小さく作られてしまったのです。
入らないことはないのだけど一番外側でぎりぎり余裕なし。
とりあえず、普通につけることもできるし、リードを引いてもらうこともできるのでわんこのときには支障ないのだけど(って、そもそもお外でリードを引いてもらうときは無我夢中でキツいなんて思う余裕ないですけど^^;)、顔を上に向ける姿勢になるとかなり限界に締め付けられる。
たとえば、ホテルに入って床に座って那智さんを見上げるときとか、体を仰け反らせるような状態になったときとか、首が絞まって、とにかく息苦しくて血の流れが止まってしまう要な感じさえするのです。
マゾのクセに息苦しいのとか苦手でして、苦しいし気が散るし、鞭などのぎりぎり状態を受けるにも、そういう心配事は邪魔になってしまうから、結局途中で外してもらう。
その首輪はとても気に入っていたのだけど、途中で外さないといけないことが残念で、せっかく作ってくれたのだけど、新しい首輪をいただけるとうれしいですと話して、最近2代目を買っていただけたのだ。
2代目も犬用のものをネットで見つけた。
今回は二人で選んだもの。
白い皮の上にパステルピンクの皮が重ねてあるので、ピンクに白い縁取りがされているみたいな、とてもとてもかいい首輪。
この頃、わたしは自分に対して『かわいい』ことも許し、さらに求めていた頃だったから、そんな甘い首輪がいいとリクエスト。
ネットの画像を見ながら、リボンのようなその首輪ならアクセサリーとしても普段使いできなくもないと那智さんも判断したのだろう、次買うときはこれにしようと漠然と決めていた。
それが、しばらくして那智さんが買おうとしたら、その首輪の生産中止になっていた。
どうやら海外の皮を使っているらしく入荷が安定していないかららしい。
『首輪』と『女の子』を連想させるようなパステルピンク、この組み合わせをわたしはどうやらとても求めていたらしい、生産中止の知らせを聞いたら、自分でも驚くほどあっけなく涙が溢れてしまった。
その後、また生産を開始することになって念願のピンクの首輪を手に入れることができた。
ところが、ネットで買うということはある意味ギャンブル。
ふたを開けてみたら画像とは似ても似つかないごっつい首輪が現れた。
まあ、個人で輸入生産しているところだし、皮の質感にムラがあることもしかたないのかな。
寸法も違っていないから、単に皮の質感の違いだけなんだろう、それとバックル部分もやけにごつい感じなんだけど、ネットの画像ではその部分が後ろを向いていてはっきりわからないので、なんともいえない。
まあ、キレイなパステルピンクに、ちょっと過剰な期待をしてしまったのが原因なんだよね。
那智さんから画像付きで『あちゃ〜』なメールをいただいてちょっとわたしもがっかりしそうだったけど、でも、これはわたしがお願いしたものだし、これなら苦しくならないから長い時間ずっとつけていられる。
わたしはそれを『よろこぶ』回路に切り替えることにした。
ところが、この首輪、たしかにとてもゴツいので、もう、誰がどう見ても『首輪』なのだ。
パンクロックな首輪ならファッションとしてアリなんだろうけど、トゲトゲもないし黒でも赤でもないし、メタリックでもない、甘いピンクの普通の首輪。
どうみても、犬の首輪なのだ。
ごく普通のファッションのいい年した女がつけるには、あまりにも不自然。
しかし、我らが那智さんは法に触れない事柄であれば、日常と非日常を区別したくない人。
『ご主人様』と呼びたいなら、電車の中でもファストフード店でも、どこでも誰といてもそう呼ぶならいいという人。
まるっきり犬の首輪に見えても、ホテルでつけるなら外でもつけるよね?(笑)となるわけだ。
というわけで、わたしは何度も午前中の交差点でお昼の和食屋さんで、コンビニでもショップでも那智さんの気分次第でつけていた。
何度も、何度も。
はじめて付けたときは、もう周りが気になって気になってショウウィンドウに映る自分を何度も確認してしまうし、うつむいてしか歩けないし、大変だった。
しかし、人はやはり慣れるものだし、慣れると愛着も湧くものだ。
何度もつけている間に街中でも多少抵抗感もなくなって、だんだんこのゴツいピンクの首輪がすきになってくる。
先日、わんこになった。
その場所を離れホテルに向かう途中、多少ためらいながらも極々普通に首輪をつかけたまま歩くわたしに、那智さんがふと、
最初はどうかと思ったけど、りん子もそんなにイヤがってないのを見てると、その首輪のままでいいかなと思ってくるよな
これがりん子があまりよろこんでなかったら、じゃあ、また次のって思うけど、そうじゃないみたいだから、このままでもいいと思うと見慣れるもんだな(笑)
え?!
じゃあ、わたしが難色を示していたら、また違うのを買ってくれていたってこと?
もうちょっと甘い首輪が希望だったし、街中で違和感なくつけられるようなアクセサリーっぽいほうがいいに決まっているし、買っていただいたから切り替えたことが結果的に仇になったような気分に一瞬なりそうになる。
でも、わたしは基本的に『那智さんがくれるものはよろこんで受け取る』立場がすきなので、これをよろこぶ回路になれたことを悔いてはいないし、何より愛着、湧いているから、悔やむ気持ちは打ち消せた。
まあ、たしかに、外でするには目立ちますものね^^;
そうなんだけど、なんか慣れるんだよな〜(笑)
あはは、似たような感覚だったんですね^^
とじゃっかん複雑な気持ちで笑いながら、はたと気づく。
わあ、那智さん、こうすれば多少マシなんじゃありませんか!!
そういって首輪をくるりと回転させてバックルを後ろに回してみた。
そうすれば、目立つバックルは見えなくなって無理矢理チョーカーに見えなくもない?
それでも不自然には変わりないけど、バックルがあるのとないのとでは大違いではありませんか!!
やだ、わたし、どうして、いままでこうしなかったんでしょ!!
えっ!!
りん子、いままで気づかなかったの!?
はい!!
俺は、てっきりわかっててもやらないのかと思ってた
なんか、ほら、バックルを後ろにすると首輪じゃないみたいに思っているのかって
首輪はちゃんとバックルを前にしてって、りん子のプライドかなと思ってさ
いやいや、そんなのプライドありません。
那智さんそれは好意的深読みです。
言うの失礼なんじゃないかと思って言わなかったんだけど(笑)
なんのためらいもなく、後ろにします(笑)
なんだ、俺、りん子の拘りかと思って、それなら俺もちょっとは恥ずかしいけど付き合うかって、だから言うの遠慮してたよ
なんですか、日頃、わたしに遠慮なんてほぼ皆無なあなたなのに、突然の気づかいは(笑)
首輪は大好き。
那智さんにリードを持ってもらって所有されていると感じられて、人なのに犬みたいになれることも大好き。
だけど、たぶんわたしは首輪にそれほど重要な思いは持っていないと思う。
たしかに首輪はSMを具体的に求めた当初からの憧れだった。
被所有感や人に非ずな被虐感。
安心と被虐の両方を満たせるようなものだ。
だけど、いまのわたしにとって首輪はとても大好きで大切なアイテムだけど、憧れていた頃に比べたら『絶対的』な存在ではないような気がする。
これは那智さんの方針や育て方の成果だと思うのだけど。
スイッチのオンオフ、日常と非日常。
那智さんはわたしたちの間で『非日常』を作りたくないはずなんだ。
スイッチのオンオフをつくらず、自然にSMをして、自然に上下でい続けたいと思っている。
那智さんのとってスイッチのオンオフや日常と非日常を分けることはロールプレイだと思うのだ。
わたしとの間で作り物は存在させたくなかったのだろう。
だから、首輪はスイッチになるような特別扱いはしなかった。
で、きっとそれが影響しているのだと思う。
わたしは首輪をつけてもらうことは大好きだけど、日常の延長、プレゼントしてもらった大事なアクセサリーのひとつ、くらいのもの。
だから、那智さんは街中でも和食屋さんでも、どこでもつける。
で、わたしはよろこんで首につけ街を歩き、でも、拘りなく後ろに回すのだ(気づくの遅いけど 笑)
追記
たとえば、遠く離れていたり事情があってなかなか会えない人たちにとって力となるような『証』の品物や事柄はあるよね。
それとスイッチオンオフを作りたくないということを一緒に書いてしまっていたけど、別物でした。
わたし(那智さん)が作りたいものはスイッチオンオフのない関係ということを伝えたかったのだとご理解くださいませ。
<関連エントリー>
首輪いろいろ集めてみました^^
『お外で四つん這い1 2 3』
『実行計画と妄想』
『過去の私、未来の私』
「等式」感想です。りん子の側「下」の立場のプライドはとても重要だと思います。その数は少ないかもしれませんが、そのプライドは理解し尊重しないと期待に応えられないし、尊敬もされないと思う。バックルの前と後ろなんて些細なことではあるけれど、私にとっては、とても重要な場面のお話しでした。
いま使っている首輪は2代目。
はじめての首輪は那智さんが犬用の首輪をオーダーで作ってくれた。
「彼女にプレゼントするので人用ですけど」となめし具合などを問い合わせしてくれて作ってくれたのだ。
黒の比較的細めでバックルに鍵の飾りがついている。
内側には名前を入れられるようになっていので、わたしの名前が型押ししてある。
細めなので一見するとチョーカーに見えなくもないので、これなら普段使いにもできる。
よくよく見ればバックルがついているので『首輪』なんだけど、まあ、ファッションによってはそれもありな範疇。
ただチョーカーに見立てたとしてもかなり服装が限定されるので合わない場合も多々ありなんだけど。
この首輪は大のお気に入り。
色は黒なんだけど全体的にかわいい雰囲気で、大人っぽいかわいらしさ。
これをつけて、百貨店でもコンビニでもわんこにしてもらっていた、思い出の首輪。
ただ、この首輪、とても残念なことにキツいのだ!!
オーダーで作るときに那智さんに言われて自分で採寸したのが、何かのミスでちょっと小さく作られてしまったのです。
入らないことはないのだけど一番外側でぎりぎり余裕なし。
とりあえず、普通につけることもできるし、リードを引いてもらうこともできるのでわんこのときには支障ないのだけど(って、そもそもお外でリードを引いてもらうときは無我夢中でキツいなんて思う余裕ないですけど^^;)、顔を上に向ける姿勢になるとかなり限界に締め付けられる。
たとえば、ホテルに入って床に座って那智さんを見上げるときとか、体を仰け反らせるような状態になったときとか、首が絞まって、とにかく息苦しくて血の流れが止まってしまう要な感じさえするのです。
マゾのクセに息苦しいのとか苦手でして、苦しいし気が散るし、鞭などのぎりぎり状態を受けるにも、そういう心配事は邪魔になってしまうから、結局途中で外してもらう。
その首輪はとても気に入っていたのだけど、途中で外さないといけないことが残念で、せっかく作ってくれたのだけど、新しい首輪をいただけるとうれしいですと話して、最近2代目を買っていただけたのだ。
2代目も犬用のものをネットで見つけた。
今回は二人で選んだもの。
白い皮の上にパステルピンクの皮が重ねてあるので、ピンクに白い縁取りがされているみたいな、とてもとてもかいい首輪。
この頃、わたしは自分に対して『かわいい』ことも許し、さらに求めていた頃だったから、そんな甘い首輪がいいとリクエスト。
ネットの画像を見ながら、リボンのようなその首輪ならアクセサリーとしても普段使いできなくもないと那智さんも判断したのだろう、次買うときはこれにしようと漠然と決めていた。
それが、しばらくして那智さんが買おうとしたら、その首輪の生産中止になっていた。
どうやら海外の皮を使っているらしく入荷が安定していないかららしい。
『首輪』と『女の子』を連想させるようなパステルピンク、この組み合わせをわたしはどうやらとても求めていたらしい、生産中止の知らせを聞いたら、自分でも驚くほどあっけなく涙が溢れてしまった。
その後、また生産を開始することになって念願のピンクの首輪を手に入れることができた。
ところが、ネットで買うということはある意味ギャンブル。
ふたを開けてみたら画像とは似ても似つかないごっつい首輪が現れた。
まあ、個人で輸入生産しているところだし、皮の質感にムラがあることもしかたないのかな。
寸法も違っていないから、単に皮の質感の違いだけなんだろう、それとバックル部分もやけにごつい感じなんだけど、ネットの画像ではその部分が後ろを向いていてはっきりわからないので、なんともいえない。
まあ、キレイなパステルピンクに、ちょっと過剰な期待をしてしまったのが原因なんだよね。
那智さんから画像付きで『あちゃ〜』なメールをいただいてちょっとわたしもがっかりしそうだったけど、でも、これはわたしがお願いしたものだし、これなら苦しくならないから長い時間ずっとつけていられる。
わたしはそれを『よろこぶ』回路に切り替えることにした。
ところが、この首輪、たしかにとてもゴツいので、もう、誰がどう見ても『首輪』なのだ。
パンクロックな首輪ならファッションとしてアリなんだろうけど、トゲトゲもないし黒でも赤でもないし、メタリックでもない、甘いピンクの普通の首輪。
どうみても、犬の首輪なのだ。
ごく普通のファッションのいい年した女がつけるには、あまりにも不自然。
しかし、我らが那智さんは法に触れない事柄であれば、日常と非日常を区別したくない人。
『ご主人様』と呼びたいなら、電車の中でもファストフード店でも、どこでも誰といてもそう呼ぶならいいという人。
まるっきり犬の首輪に見えても、ホテルでつけるなら外でもつけるよね?(笑)となるわけだ。
というわけで、わたしは何度も午前中の交差点でお昼の和食屋さんで、コンビニでもショップでも那智さんの気分次第でつけていた。
何度も、何度も。
はじめて付けたときは、もう周りが気になって気になってショウウィンドウに映る自分を何度も確認してしまうし、うつむいてしか歩けないし、大変だった。
しかし、人はやはり慣れるものだし、慣れると愛着も湧くものだ。
何度もつけている間に街中でも多少抵抗感もなくなって、だんだんこのゴツいピンクの首輪がすきになってくる。
先日、わんこになった。
その場所を離れホテルに向かう途中、多少ためらいながらも極々普通に首輪をつかけたまま歩くわたしに、那智さんがふと、
最初はどうかと思ったけど、りん子もそんなにイヤがってないのを見てると、その首輪のままでいいかなと思ってくるよな
これがりん子があまりよろこんでなかったら、じゃあ、また次のって思うけど、そうじゃないみたいだから、このままでもいいと思うと見慣れるもんだな(笑)
え?!
じゃあ、わたしが難色を示していたら、また違うのを買ってくれていたってこと?
もうちょっと甘い首輪が希望だったし、街中で違和感なくつけられるようなアクセサリーっぽいほうがいいに決まっているし、買っていただいたから切り替えたことが結果的に仇になったような気分に一瞬なりそうになる。
でも、わたしは基本的に『那智さんがくれるものはよろこんで受け取る』立場がすきなので、これをよろこぶ回路になれたことを悔いてはいないし、何より愛着、湧いているから、悔やむ気持ちは打ち消せた。
まあ、たしかに、外でするには目立ちますものね^^;
そうなんだけど、なんか慣れるんだよな〜(笑)
あはは、似たような感覚だったんですね^^
とじゃっかん複雑な気持ちで笑いながら、はたと気づく。
わあ、那智さん、こうすれば多少マシなんじゃありませんか!!
そういって首輪をくるりと回転させてバックルを後ろに回してみた。
そうすれば、目立つバックルは見えなくなって無理矢理チョーカーに見えなくもない?
それでも不自然には変わりないけど、バックルがあるのとないのとでは大違いではありませんか!!
やだ、わたし、どうして、いままでこうしなかったんでしょ!!
えっ!!
りん子、いままで気づかなかったの!?
はい!!
俺は、てっきりわかっててもやらないのかと思ってた
なんか、ほら、バックルを後ろにすると首輪じゃないみたいに思っているのかって
首輪はちゃんとバックルを前にしてって、りん子のプライドかなと思ってさ
いやいや、そんなのプライドありません。
那智さんそれは好意的深読みです。
言うの失礼なんじゃないかと思って言わなかったんだけど(笑)
なんのためらいもなく、後ろにします(笑)
なんだ、俺、りん子の拘りかと思って、それなら俺もちょっとは恥ずかしいけど付き合うかって、だから言うの遠慮してたよ
なんですか、日頃、わたしに遠慮なんてほぼ皆無なあなたなのに、突然の気づかいは(笑)
首輪は大好き。
那智さんにリードを持ってもらって所有されていると感じられて、人なのに犬みたいになれることも大好き。
だけど、たぶんわたしは首輪にそれほど重要な思いは持っていないと思う。
たしかに首輪はSMを具体的に求めた当初からの憧れだった。
被所有感や人に非ずな被虐感。
安心と被虐の両方を満たせるようなものだ。
だけど、いまのわたしにとって首輪はとても大好きで大切なアイテムだけど、憧れていた頃に比べたら『絶対的』な存在ではないような気がする。
これは那智さんの方針や育て方の成果だと思うのだけど。
スイッチのオンオフ、日常と非日常。
那智さんはわたしたちの間で『非日常』を作りたくないはずなんだ。
スイッチのオンオフをつくらず、自然にSMをして、自然に上下でい続けたいと思っている。
那智さんのとってスイッチのオンオフや日常と非日常を分けることはロールプレイだと思うのだ。
わたしとの間で作り物は存在させたくなかったのだろう。
だから、首輪はスイッチになるような特別扱いはしなかった。
で、きっとそれが影響しているのだと思う。
わたしは首輪をつけてもらうことは大好きだけど、日常の延長、プレゼントしてもらった大事なアクセサリーのひとつ、くらいのもの。
だから、那智さんは街中でも和食屋さんでも、どこでもつける。
で、わたしはよろこんで首につけ街を歩き、でも、拘りなく後ろに回すのだ(気づくの遅いけど 笑)
追記
たとえば、遠く離れていたり事情があってなかなか会えない人たちにとって力となるような『証』の品物や事柄はあるよね。
それとスイッチオンオフを作りたくないということを一緒に書いてしまっていたけど、別物でした。
わたし(那智さん)が作りたいものはスイッチオンオフのない関係ということを伝えたかったのだとご理解くださいませ。
<関連エントリー>
首輪いろいろ集めてみました^^
『お外で四つん這い1 2 3』
『実行計画と妄想』
『過去の私、未来の私』
「等式」感想です。りん子の側「下」の立場のプライドはとても重要だと思います。その数は少ないかもしれませんが、そのプライドは理解し尊重しないと期待に応えられないし、尊敬もされないと思う。バックルの前と後ろなんて些細なことではあるけれど、私にとっては、とても重要な場面のお話しでした。
SっぽいことMっぽいこと2
140字もどき
信号が変わり、右ではなく歩道を進んで左の横断歩道を選んだ。
そちらには喫煙所がある、そして、ときどきわんこになる百貨店がある。
わざわざそちら側を選ぶということは、そのどちらかをするということだ。
タバコですか?
「わんこですか?」とは聞けない。
その気配さえ匂わさないように極めてさりげなく問いかける。
いいや
ということはわんこするの?
ぜんぜんそういう様子がなかったから、疑念と緊張。
わんこは幸せ、だけど、だけど、とてもハードルが高く、つい回避のほうに思考が動く。
だから、この疑念と緊張もそっと押し殺す。
わたしの心が揺れると那智さんのやる気に火がつく可能性があるからだ。
【正面玄関】を過ぎ、【ショウウィンドウ】に向かう。
真ん中あたりでチラッと【ショウウィンドウとタイルの歩道】に視線が動いた、緊張がきゅっと高まる。
しかし、歩く速度は変わらない。
ホッと緊張が緩む。
ここまで来たらもうわんこはないはず、わたしったら気にしすぎだったみたい。
自分の【危機管理能力】の過剰さに安心の苦笑。
前を歩く男性が斜め右に進路を変えたのと同時に那智さんも進路を右に、そして動きと一瞬遅れて、気づく。
ああ、【広場】のベンチがまだあったではないか…。
男性が腰掛け、向かい側、2、3秒後に那智さんが腰かけた。
惜しいね〜
あの人がいなかったらね
那智さんは【先客がいたらしないというルール】があるので、それに則っての言葉だ。
場合によっては破ることもあるけど、今日はそれを曲げてまでしてやりたい気分ではなかったのだろう。
安堵からの落下だったので、その高低差に思わず立ったまま動けずにいた。
どうする?(笑)
腰かける那智さんが楽しそうに見上げていう。
あわあわしながら、ふと、腰かける男性の横で棒立ちの女の構図が不自然に感じたので、ひとまずベンチに座ろうと、那智さんの隣りに腰を下ろした途端。
どうして、そこに座るの?
ぴしゃりと、オイタをして注意されたみたいだ。
ごめんなさい!!
ビクッとして即座に立ち上がる。
いつもそんなことは言われないし、けして、怒っているようでも蔑んでいるようでもない、ごく平凡な口調だから、わたしがビクつく必要はないのかもしれない。
ただ、それを当然とする様子とちょっとひんやりとした印象は迫力で、わたしの背筋をゾクッとさせる。
ベンチに座る立場じゃないというような蔑みではなく、滅多に命令しない那智さんの『俺の意思だよね?』と感じさせてもらえることに痺れるものだ。
(たぶん、わたしが驚くからおもしろがってるのと、那智さんの意思っぽくすると喜ぶのわかっててやってるところもある)
結局、そこでのわんこはなし^^
夢を見た。
わたしは薄暗いバーにいてひとり飲んでいた。
男が声をかけてくる。
ナンパだ。
そろそろ帰ろうかと思っていたので適当に足らおうとすると、他愛ない話のあと、「こうやって手を出して」と、手のひらを湾曲させる仕草をしてきた。
「こう?」言われるままに手のひらをわんぐりした小鉢のような形にしてテーブルに肘をついて差し出す。
「うん」そう言って目の前にあったグラスに残っていたオレンジ色のお酒をわたしの手のひらに注ぐのだ。
手のひらに小さな水たまりができる。「何するの!!」、指の間からわずかに滴り落ちるアルコールをとめることもできず、かといって手のひらのそれを放り投げることもできない。
困った、このままどうしたらいいのだろう、たった数ccの液体で身動きできなくなるわたし。
「こういうの好きなんだろ?」
ああ、わたしを身動きできなくさせているのはわずかな液体ではなく、困りながら拘束されていたいという欲望なのかもしれない。背筋が疼く。
「バカみたい、帰る」
手のひらの液体を無下もなくテーブルにぶちまけた。
疼いたことを悟られないように。
その男は「また、今度ね」と楽しそうにテーブルを拭いていた。
すべても見透かされているようで、慌ててバーを後にした。
こんなことで欲情する自分に戸惑いながら。
これは以前ツイートしたものです。
ツイートにしちゃうのもったいないから再利用(笑)
ちなみにこの男性はおぎやはぎの矢作さん、けっこうそれもツボだったりする^^;
<関連エントリー>
正面玄関
『成功なの?失敗なの?』
ショウウィンドウ
『ショウウィンドウと洗濯バサミと鞭1』
ショウウィンドウとタイルの歩道
『キーパーソンは清掃員5』
『危機管理能力』
広場
『精神の露出5『シーン3』』
ルール
『最良の選択4』
「等式」感想です。タイトルを読み直してやっと理解できたエントリーでした。さらっと、たのしい、140字もどきでした。
信号が変わり、右ではなく歩道を進んで左の横断歩道を選んだ。
そちらには喫煙所がある、そして、ときどきわんこになる百貨店がある。
わざわざそちら側を選ぶということは、そのどちらかをするということだ。
タバコですか?
「わんこですか?」とは聞けない。
その気配さえ匂わさないように極めてさりげなく問いかける。
いいや
ということはわんこするの?
ぜんぜんそういう様子がなかったから、疑念と緊張。
わんこは幸せ、だけど、だけど、とてもハードルが高く、つい回避のほうに思考が動く。
だから、この疑念と緊張もそっと押し殺す。
わたしの心が揺れると那智さんのやる気に火がつく可能性があるからだ。
【正面玄関】を過ぎ、【ショウウィンドウ】に向かう。
真ん中あたりでチラッと【ショウウィンドウとタイルの歩道】に視線が動いた、緊張がきゅっと高まる。
しかし、歩く速度は変わらない。
ホッと緊張が緩む。
ここまで来たらもうわんこはないはず、わたしったら気にしすぎだったみたい。
自分の【危機管理能力】の過剰さに安心の苦笑。
前を歩く男性が斜め右に進路を変えたのと同時に那智さんも進路を右に、そして動きと一瞬遅れて、気づく。
ああ、【広場】のベンチがまだあったではないか…。
男性が腰掛け、向かい側、2、3秒後に那智さんが腰かけた。
惜しいね〜
あの人がいなかったらね
那智さんは【先客がいたらしないというルール】があるので、それに則っての言葉だ。
場合によっては破ることもあるけど、今日はそれを曲げてまでしてやりたい気分ではなかったのだろう。
安堵からの落下だったので、その高低差に思わず立ったまま動けずにいた。
どうする?(笑)
腰かける那智さんが楽しそうに見上げていう。
あわあわしながら、ふと、腰かける男性の横で棒立ちの女の構図が不自然に感じたので、ひとまずベンチに座ろうと、那智さんの隣りに腰を下ろした途端。
どうして、そこに座るの?
ぴしゃりと、オイタをして注意されたみたいだ。
ごめんなさい!!
ビクッとして即座に立ち上がる。
いつもそんなことは言われないし、けして、怒っているようでも蔑んでいるようでもない、ごく平凡な口調だから、わたしがビクつく必要はないのかもしれない。
ただ、それを当然とする様子とちょっとひんやりとした印象は迫力で、わたしの背筋をゾクッとさせる。
ベンチに座る立場じゃないというような蔑みではなく、滅多に命令しない那智さんの『俺の意思だよね?』と感じさせてもらえることに痺れるものだ。
(たぶん、わたしが驚くからおもしろがってるのと、那智さんの意思っぽくすると喜ぶのわかっててやってるところもある)
結局、そこでのわんこはなし^^
夢を見た。
わたしは薄暗いバーにいてひとり飲んでいた。
男が声をかけてくる。
ナンパだ。
そろそろ帰ろうかと思っていたので適当に足らおうとすると、他愛ない話のあと、「こうやって手を出して」と、手のひらを湾曲させる仕草をしてきた。
「こう?」言われるままに手のひらをわんぐりした小鉢のような形にしてテーブルに肘をついて差し出す。
「うん」そう言って目の前にあったグラスに残っていたオレンジ色のお酒をわたしの手のひらに注ぐのだ。
手のひらに小さな水たまりができる。「何するの!!」、指の間からわずかに滴り落ちるアルコールをとめることもできず、かといって手のひらのそれを放り投げることもできない。
困った、このままどうしたらいいのだろう、たった数ccの液体で身動きできなくなるわたし。
「こういうの好きなんだろ?」
ああ、わたしを身動きできなくさせているのはわずかな液体ではなく、困りながら拘束されていたいという欲望なのかもしれない。背筋が疼く。
「バカみたい、帰る」
手のひらの液体を無下もなくテーブルにぶちまけた。
疼いたことを悟られないように。
その男は「また、今度ね」と楽しそうにテーブルを拭いていた。
すべても見透かされているようで、慌ててバーを後にした。
こんなことで欲情する自分に戸惑いながら。
これは以前ツイートしたものです。
ツイートにしちゃうのもったいないから再利用(笑)
ちなみにこの男性はおぎやはぎの矢作さん、けっこうそれもツボだったりする^^;
<関連エントリー>
正面玄関
『成功なの?失敗なの?』
ショウウィンドウ
『ショウウィンドウと洗濯バサミと鞭1』
ショウウィンドウとタイルの歩道
『キーパーソンは清掃員5』
『危機管理能力』
広場
『精神の露出5『シーン3』』
ルール
『最良の選択4』
「等式」感想です。タイトルを読み直してやっと理解できたエントリーでした。さらっと、たのしい、140字もどきでした。
続・感情のスタート
りん子的独り言(エラそう)
詳細は書けないのだけど、那智さんから会う日の過ごし方のプランを提案されていた。
この過ごし方はいままで何度も経験しているのだけど、わたしとしては大歓迎なパターンとは言い難いものだった。
ただ、それしか方法がない場合やそれが最良と判断されたときはもちろん楽しく過ごすけれど、他に選択肢があるならできれば避けたいな〜という程度のもの。
今回も、それが最良の過ごし方だろうと判断しての提案だったのだけど、わたしはなんだかいつもより抵抗感を感じてしまっていた。
なんとなくの抵抗感だったのでそのままにしておいたのだけど、会う日が近づいて、ふと違う過ごし方を思いついたので提案してみた。
でも、まあ、諸々問題もあって採用されない^^;
そうなると、なぜその過ごし方にしないといけないのだという気持ちになってきて、その過ごし方を選んだ那智さんの真意を聞いたり、もっと他にいい選択肢はないか無理矢理提案したり、なんだか、ぐるぐるし始めてしまう。
なにやら、あまりよろしくない精神状態になりそうだった。
用事があって一旦会話は中断。
その間、自分の心をもう一度冷静に見つめてみる。
どうしてだろう、いつもなら多少の抵抗感はあっても楽しく過ごせるのに。
そうか、ひとつだけいつもと違う条件があるんだ、それが引っかかっていたんだ。
たとえば、時間的な問題でシャワーを浴びてから出かけられないとか、日常の用事から合流するからおめかしできないとか、とにかく、このときの条件ではわたしにとって些細な不都合が生じてしまうのだ。
これが、どうにも引っかかっていて、違うお出かけプランを提案したり、なぜそうしたいかと食い下がってしまったりしていたんだ。
那智さんのプランを否定してしまうようで気が引けるけど、自分の感情のスタートを見つけることができたので、それをそのままお伝えする。
その過ごし方がイヤなんじゃなくて、○○が揃わないから抵抗感があるんです
そうか、わかった
俺は気にしないよ
ここまでお話ししたら、ウソのようにスルスルッと心が晴れる。
不思議。
もちろん、もともと大歓迎ではないので、その部分はいつもと同じだけど上乗せしていた抵抗感は見事に消えてなくなった。
那智さん、わたし、気持ちをお伝えできたのでもう大丈夫です
あとは那智さんのよいように決めてください
わかった
気持ちを伝えて、それがマイナスな感情でも伝えて、お預けしたら、もうわたしのするべきことは終了。
清々しく那智さんにお任せできるし、それが幸せだ。
ホントに不思議。
気持ちを伝えるって大事だなって思う。
でも、すこし気になる。
那智さん、たとえば那智さんが悲しくなるようなこと(今回のプランを否定したように)だったとしても、それを伝えることはいいことですか?
伝えたほうはすっきりするけど、那智さんにとっては悲しいことになりますか?
ううん、それが、俺たちにとってベストなことなんだよ
普通は相手が悲しくなると思ったら言わないだろ?
相手が悲しくなるようなことは言ってはいけませんって教わっただろ?
一般的には、そうなんだよ
でも、俺たちにとっては、ちなみに今回のは悲しくなるものではなかったけどね、悲しくなったとしても伝えることがベストなの
人の付き合い方にはいろいろなベストがあるだろう。
でも、那智さんのベストはプラスもマイナスも伝えることということ、そして、わたしはそれに従ってここまで来たので、これがわたしたちのベストなのでしょう。
このベストを完成させるには『あなたの対して悪意はない。良好に付き合いたいと思っている』と互いに思うこと。
これは、ずっと教えてもらい続けたことだけど、今回、もうひとつ気づいたんだ。
それはね。
感情のスタートを伝えると、そのマイナス事項はあまりマイナスではなくなる
のだ。
事の重大さにもよるでしょけど。
感情のスタートを見極めて、それを相手に伝えることを『素直』だといろいろなエントリー言っているけど、これは受け取る那智さん側の人を傷つけず、問題解決に一役買うだけじゃなくて、わたし側もとてもすっきりするのだ。
最初の過ごし方じゃない別の提案をしたり、那智さんの真意を聞きまくったり、わたしの提案を採用してくれないとすねそうになったり、いろいろ伝えてもぜんぜん抵抗感はなくならなかった、仮にわたしの提案を採用されたとしても、きっとモヤモヤしたままだっただろう。
『○○が揃わないことが気がかり』という些細な、でも一番最初の引っかかりを見つけることができて、それを伝えることだけで事態はなんら変わらなくても途端に晴れやかな気持ちになれる。
わたしたちの関係は、そこから『那智さんのよいようにしていただくことが幸せ』に進んでいくのだけど、付き合いによっては双方提案し合ったりと進み方も違うでしょう。
もしかしたら、感情のスタートを見つけても自分で消化することのほうがうまくいく人もいるかもしれない。
だから、伝えればいい、伝えたらお任せすればいいとは言えないけど。
感情のスタートを見つけることって、とっても大事だなとあらためて感じた。
これを自覚しているだけで、たぶん、ぜんぜん違うと思うよ^^
<関連エントリー>
『感情のスタート』
『素直に伝えるということ』
『疑うことなく身を任せ、素直に表現する』
詳細は書けないのだけど、那智さんから会う日の過ごし方のプランを提案されていた。
この過ごし方はいままで何度も経験しているのだけど、わたしとしては大歓迎なパターンとは言い難いものだった。
ただ、それしか方法がない場合やそれが最良と判断されたときはもちろん楽しく過ごすけれど、他に選択肢があるならできれば避けたいな〜という程度のもの。
今回も、それが最良の過ごし方だろうと判断しての提案だったのだけど、わたしはなんだかいつもより抵抗感を感じてしまっていた。
なんとなくの抵抗感だったのでそのままにしておいたのだけど、会う日が近づいて、ふと違う過ごし方を思いついたので提案してみた。
でも、まあ、諸々問題もあって採用されない^^;
そうなると、なぜその過ごし方にしないといけないのだという気持ちになってきて、その過ごし方を選んだ那智さんの真意を聞いたり、もっと他にいい選択肢はないか無理矢理提案したり、なんだか、ぐるぐるし始めてしまう。
なにやら、あまりよろしくない精神状態になりそうだった。
用事があって一旦会話は中断。
その間、自分の心をもう一度冷静に見つめてみる。
どうしてだろう、いつもなら多少の抵抗感はあっても楽しく過ごせるのに。
そうか、ひとつだけいつもと違う条件があるんだ、それが引っかかっていたんだ。
たとえば、時間的な問題でシャワーを浴びてから出かけられないとか、日常の用事から合流するからおめかしできないとか、とにかく、このときの条件ではわたしにとって些細な不都合が生じてしまうのだ。
これが、どうにも引っかかっていて、違うお出かけプランを提案したり、なぜそうしたいかと食い下がってしまったりしていたんだ。
那智さんのプランを否定してしまうようで気が引けるけど、自分の感情のスタートを見つけることができたので、それをそのままお伝えする。
その過ごし方がイヤなんじゃなくて、○○が揃わないから抵抗感があるんです
そうか、わかった
俺は気にしないよ
ここまでお話ししたら、ウソのようにスルスルッと心が晴れる。
不思議。
もちろん、もともと大歓迎ではないので、その部分はいつもと同じだけど上乗せしていた抵抗感は見事に消えてなくなった。
那智さん、わたし、気持ちをお伝えできたのでもう大丈夫です
あとは那智さんのよいように決めてください
わかった
気持ちを伝えて、それがマイナスな感情でも伝えて、お預けしたら、もうわたしのするべきことは終了。
清々しく那智さんにお任せできるし、それが幸せだ。
ホントに不思議。
気持ちを伝えるって大事だなって思う。
でも、すこし気になる。
那智さん、たとえば那智さんが悲しくなるようなこと(今回のプランを否定したように)だったとしても、それを伝えることはいいことですか?
伝えたほうはすっきりするけど、那智さんにとっては悲しいことになりますか?
ううん、それが、俺たちにとってベストなことなんだよ
普通は相手が悲しくなると思ったら言わないだろ?
相手が悲しくなるようなことは言ってはいけませんって教わっただろ?
一般的には、そうなんだよ
でも、俺たちにとっては、ちなみに今回のは悲しくなるものではなかったけどね、悲しくなったとしても伝えることがベストなの
人の付き合い方にはいろいろなベストがあるだろう。
でも、那智さんのベストはプラスもマイナスも伝えることということ、そして、わたしはそれに従ってここまで来たので、これがわたしたちのベストなのでしょう。
このベストを完成させるには『あなたの対して悪意はない。良好に付き合いたいと思っている』と互いに思うこと。
これは、ずっと教えてもらい続けたことだけど、今回、もうひとつ気づいたんだ。
それはね。
感情のスタートを伝えると、そのマイナス事項はあまりマイナスではなくなる
のだ。
事の重大さにもよるでしょけど。
感情のスタートを見極めて、それを相手に伝えることを『素直』だといろいろなエントリー言っているけど、これは受け取る那智さん側の人を傷つけず、問題解決に一役買うだけじゃなくて、わたし側もとてもすっきりするのだ。
最初の過ごし方じゃない別の提案をしたり、那智さんの真意を聞きまくったり、わたしの提案を採用してくれないとすねそうになったり、いろいろ伝えてもぜんぜん抵抗感はなくならなかった、仮にわたしの提案を採用されたとしても、きっとモヤモヤしたままだっただろう。
『○○が揃わないことが気がかり』という些細な、でも一番最初の引っかかりを見つけることができて、それを伝えることだけで事態はなんら変わらなくても途端に晴れやかな気持ちになれる。
わたしたちの関係は、そこから『那智さんのよいようにしていただくことが幸せ』に進んでいくのだけど、付き合いによっては双方提案し合ったりと進み方も違うでしょう。
もしかしたら、感情のスタートを見つけても自分で消化することのほうがうまくいく人もいるかもしれない。
だから、伝えればいい、伝えたらお任せすればいいとは言えないけど。
感情のスタートを見つけることって、とっても大事だなとあらためて感じた。
これを自覚しているだけで、たぶん、ぜんぜん違うと思うよ^^
<関連エントリー>
『感情のスタート』
『素直に伝えるということ』
『疑うことなく身を任せ、素直に表現する』
ギャンブル
独り言
ときどきもしかして少数派?と感じているところを書いてみる。
マヨネーズの好みや物に対する愛し方や、いろいろ。
こんな細かいことに共感してくれる人はいるかな~と面白半分、ちょっぴりまじめに。
同感、ぜんぜんわからない!!(笑)、似てるけどちょっと違う。
些細な事柄に、読んでくれている人も些細な感想を持ってくれるはず。
少数派かどうかなんて関係なく、些細なお話は楽しい。
だから調子に乗って、またひとつ「こんな感覚わたしだけ?」と前々から思っていることを書いちゃおう。
『物』は使ったらもとあった場所や決められた場所に戻すからなくならない。
のですよね。
例えば、いつもと違う場所に置いておくにしても、それは一時的なことで、とりあえず置いといて後で元に戻そうと思っているもの、ですよね。
物がなくなるのは、どこに置いたか忘れたり、そもそも違う場所に置いたことさえ忘れてしまうからいつの間にか見当たらなくなって、あーどこいったんだろってことになる。
私もそういうこと、すごーく多いのだけど(多分すごく多い^^;)
ときどきちょっとめずらしい気持ちが起こって、それ故物をなくしてしまうことがあるのだ。
そのめずらしい気持ちっていうのは、「これはギャンブルだ」と思うの。
使った物をいつもの引き出しに戻すのではなくて、ふと目の前のバッグの中に放る。
立ち上がり数歩歩いていつもの引き出しにしまえばなんてことないに、なんとなくバッグに入れてしまう。
そんなとき「あ、これはギャンブルだ」と思うの。
面倒というのとは違う、不思議なんだけど、ギャンブルを楽しむとかそういうのでもなくて、ふと大きな流れに任せるような感覚になってしまうのだ。
その任せる感じがギャンブル。
だからここに置いたら次まで憶えていないかもしれない、なくすことになるかもしれないとわかっていて、戻さない。
だから、よく物をなくして困る(笑)
賭け事にはまっく興味はないくせに、自分に対してギャンブルしている。
変な習性。
だから、けっこうスリリングな毎日なのだ。
<関連エントリー>
『針の穴の共感?』
『これが私の愛し方^^』
「等式」感想です。「おき場所」その気持ちわかります、自分に対してのギャンブルという意味では、物の購入に関して、いつもと違う趣向であったりもします。「物の置き場所」に関しては加齢と共に記憶力が悪くなり、本当に解らなくなったり、人の責にしてしまいそうなので、出来なくなりました。(笑)
ときどきもしかして少数派?と感じているところを書いてみる。
マヨネーズの好みや物に対する愛し方や、いろいろ。
こんな細かいことに共感してくれる人はいるかな~と面白半分、ちょっぴりまじめに。
同感、ぜんぜんわからない!!(笑)、似てるけどちょっと違う。
些細な事柄に、読んでくれている人も些細な感想を持ってくれるはず。
少数派かどうかなんて関係なく、些細なお話は楽しい。
だから調子に乗って、またひとつ「こんな感覚わたしだけ?」と前々から思っていることを書いちゃおう。
『物』は使ったらもとあった場所や決められた場所に戻すからなくならない。
のですよね。
例えば、いつもと違う場所に置いておくにしても、それは一時的なことで、とりあえず置いといて後で元に戻そうと思っているもの、ですよね。
物がなくなるのは、どこに置いたか忘れたり、そもそも違う場所に置いたことさえ忘れてしまうからいつの間にか見当たらなくなって、あーどこいったんだろってことになる。
私もそういうこと、すごーく多いのだけど(多分すごく多い^^;)
ときどきちょっとめずらしい気持ちが起こって、それ故物をなくしてしまうことがあるのだ。
そのめずらしい気持ちっていうのは、「これはギャンブルだ」と思うの。
使った物をいつもの引き出しに戻すのではなくて、ふと目の前のバッグの中に放る。
立ち上がり数歩歩いていつもの引き出しにしまえばなんてことないに、なんとなくバッグに入れてしまう。
そんなとき「あ、これはギャンブルだ」と思うの。
面倒というのとは違う、不思議なんだけど、ギャンブルを楽しむとかそういうのでもなくて、ふと大きな流れに任せるような感覚になってしまうのだ。
その任せる感じがギャンブル。
だからここに置いたら次まで憶えていないかもしれない、なくすことになるかもしれないとわかっていて、戻さない。
だから、よく物をなくして困る(笑)
賭け事にはまっく興味はないくせに、自分に対してギャンブルしている。
変な習性。
だから、けっこうスリリングな毎日なのだ。
<関連エントリー>
『針の穴の共感?』
『これが私の愛し方^^』
「等式」感想です。「おき場所」その気持ちわかります、自分に対してのギャンブルという意味では、物の購入に関して、いつもと違う趣向であったりもします。「物の置き場所」に関しては加齢と共に記憶力が悪くなり、本当に解らなくなったり、人の責にしてしまいそうなので、出来なくなりました。(笑)