職業選択(前振り3
惹かれ合う理由
子供のことを頻繁に話題にするのはあまりよくないのでは?と那智さんは言います。
男性の読者の方でエッチな感じを期待されている方がいらっしゃるなら、その部分は想像には邪魔な情報だからだそうです。
「だって、20代前半のピチピチした子をを当てはめて想像したほうが楽しいだろ?子持ちの30代後半って、あんまり前面に出さないほうが、そういう読者は喜ぶんじゃない?」
30代後半で悪かったですね~~~!!
それも(SM的)もこれも(子持ち)も全部含めて私なんですもん!!
過激なことを期待されている方も多いかもしれませんが、エッチな期待をされている方はもうそんなにいないんじゃないかな、と勝手に想像して自由に書かせていただきます♪
女性のほうが多いじゃないかな~と、ついでに勝手な想像しています。
とういことで、続きいきま~す。
いくつかの経験を経て、人付き合いを抑えようと決めた私。
ご近所や公園での知り合いの付き合いは人並みにこなしてはいたが、それは表面上のこと。
私は心を開かず、当たり障りのない人になる。
一方が心を開かなければ、それ以上深い関係にはならないだろう。
子供のために知り合いを呼んだり呼ばれたりはしていたし、困っているときには預かったり預けたりもしていた。
でも、そんなの「友達」と思う以前に、助け合うという常識なだけでできることだ。
子供が幼稚園に入園する時期が来た。
ここでも、
そのスタンスは変えない。
母親集団はやっぱり苦手。
私は幼稚園のバスを利用することにした。
あの送り迎えの母親集団の中に身を置くくらいなら、ママ友(こんな名称変!!)を作らないほうを選ぶ。
幸い、私の近所でそのバスを利用するお宅は一件だけ、よく数人で立ち話なんて光景を目にするが、そうならずにすみそうだ。
私は、子供が幼稚園に慣れたころを見計らってパートに出る。
ランチタイムのウェイトレスだ。
割烹料理のお店だから、配膳といったほがしっくりくるかな。
自分で使えるお金を稼ぐのは嬉しいことだ。
母親同士の付き合いにも、断る口実もできる。
通い始めたスポーツクラブと幼稚園のバス代、それとお小遣いくらいは、捻出できる。
それでも、一切付き合いを断っているわけではありませんよ。
心を開かないだけ。
だから、子供が誰かと約束すれば、その人のお宅にお邪魔したり、近くの公園に集まったり、それは惜しまずしていた。
でも、「芸能界の話題」や「先生の噂話」をニコニコしながら延々と聞いていると、やっぱり向いていないな~と思ってしまう。
どこの学校や幼稚園にも、役員や係というものがある。
それを決める空気の重さは、経験した人にしかわからないいやなものだ。
その重い空気がいやで、昔からついいろんな場面でかってでてしまう。
(運動神経ゼロなのに、リレーとかね 笑)
幸い、2年間の幼稚園生活で、一番大変な役員は立候補してくれた奇特なお母さんのおかげで手を挙げずにすんだ。
あとは、単発の行事。
下に兄弟のいない、フルタイムで働いてもいない私は、だれもやり手のいない係には手を挙げて参加した。
なかなか決まらないと、先生やはじめにきまった役員の人たちが困ってしまうからだ。
これも「友達と一緒に」なんて関係なく、常識として手を挙げるだけだ。
困っていたら助けるという、極簡単な常識。
そうやって、子供のためと常識に基づいくという、線引きをして二年間が過ぎようとしていた。
余談ですが、1人だけ波長が合うと感じた人がいました。
線引きが似ていると感じられた人。
その人とは、もっと仲良くなりたいと唯一思えた人だった。
だから、その人には心を開いて心を許した。
旦那様のお仕事の関係で、いまは新幹線に乗らないと会えない所に行ってしまったが、いまでも付き合いは続いている。
これも、余談ですが(すみません、横道に逸れます)、以前「惹かれ合う理由」の「毛布」で書いた、岩月謙司さん(人間行動学かなんかの教授さん)の著書によれば、「父親から、適正な愛情をもらえていないと、父親のダメなところと同じところを持った男性を選んで、ダメな恋愛を繰り返してしまう」ということだ。(はしょってます!)
で、そのダメな繰り返しをおしまいにしたいなら、今付き合っている人間関係を全部絶ち(といっても、社会人生活をしていれば、無理なことですが、要するに、無駄に付き合わないことだと解釈しています)、孤独を甘受するのだそうです。
そして、1人でも平気になると「この人といると心地よい」という感覚が味わえてくるそうです。
そこから、心地よさを頼りに人間関係を構築すれば、自然と男性選びも変わってくるそうです。(たしか、そんなことが書いていったはず)
私は、もしかしたら無意識にこの状況を自ら作っていたのではないかしら、と思っています。
余計なものを削ぎ落とし、孤独を選んだ。
そして、そのころに那智さんと知り合った。
偶然か、必然か、それは神様にしかわからない。
その幼稚園生活の最後に母親企画の「謝恩会」があった。
各組役員2人、と謝恩会係2人。
私の組は、誰も手を挙げずなかなか決まらなかった。
私は、すでに年のはじめに決めた行事で係を終えていたから、このあとから追加招集された係になるつもりはなかった。
それでも、誰も手を挙げない。
仕方がない「パート勤めをしているから、準備に参加できない時もある」ことの了解を得て、係になる。
結局、他には誰も名乗り出てくれず、私の組は役員と私の3人だけで決まったのだ。
その集まりは、そんなに必要ないだろ~ってくらい時間がかかる。
会議は噂話で進まない、買い物もみんなで、ああ、頭痛い。
横道に逸れたら、さりげなく軌道修正して、話題を謝恩会会議に戻し、決まらないことにはアイデアを出す。
時々パートで欠席する代わりに、みんながやりたくないような仕事は積極的に引き受ける。
園長先生と同じタクシーに乗って二次会会場まで案内する係。
「ええ~~~いやだ~~。(全員)」
「じゃあ、私やりますよ。」
随分、変わった人だったかもしれない(笑)
でも、悪いことはしていないだろう。
やるべきことは、ちゃんとやる、それだけだ。
「司会進行は?」
「そんなのできない~~」
「難しいこと言わないなら、私やりましょか。」
謝恩会当日。
マイクを持って進行をする私。
もしかしたら「誰のお母さん?」って思っている人もいたかもしれない。
それでも、かまわない、謝恩会が円滑に進むように気を配る。
みんなで歌を歌うテープの音が出ず、出るまでその場をなんとか繋ぐ。
冷や汗も出たけど、人前でマイクを持ち話す心地よさ。
トラブルに対処しながら、その場を和やかに仕切る快感。
そういえば、以前コンパニオンをしていた時や、その当時お友達の結婚披露宴で頼まれてした司会と時に、この充実感を味わっていたな、と思い出して懐かしく快感に浸った。
もう今更、無理だろうけれど、もし時間をさかのぼることができるなら、人前で話す仕事でキャリアを積んでみたかったな・・・と夢物語を描いていた。
そして、その夢物語を那智さんに話したことが運のつき。
脅迫に近い、強力な後押しのもと、司会業に就くまでの奮闘記が始まるのでした。
子供のことを頻繁に話題にするのはあまりよくないのでは?と那智さんは言います。
男性の読者の方でエッチな感じを期待されている方がいらっしゃるなら、その部分は想像には邪魔な情報だからだそうです。
「だって、20代前半のピチピチした子をを当てはめて想像したほうが楽しいだろ?子持ちの30代後半って、あんまり前面に出さないほうが、そういう読者は喜ぶんじゃない?」
30代後半で悪かったですね~~~!!
それも(SM的)もこれも(子持ち)も全部含めて私なんですもん!!
過激なことを期待されている方も多いかもしれませんが、エッチな期待をされている方はもうそんなにいないんじゃないかな、と勝手に想像して自由に書かせていただきます♪
女性のほうが多いじゃないかな~と、ついでに勝手な想像しています。
とういことで、続きいきま~す。
いくつかの経験を経て、人付き合いを抑えようと決めた私。
ご近所や公園での知り合いの付き合いは人並みにこなしてはいたが、それは表面上のこと。
私は心を開かず、当たり障りのない人になる。
一方が心を開かなければ、それ以上深い関係にはならないだろう。
子供のために知り合いを呼んだり呼ばれたりはしていたし、困っているときには預かったり預けたりもしていた。
でも、そんなの「友達」と思う以前に、助け合うという常識なだけでできることだ。
子供が幼稚園に入園する時期が来た。
ここでも、
そのスタンスは変えない。
母親集団はやっぱり苦手。
私は幼稚園のバスを利用することにした。
あの送り迎えの母親集団の中に身を置くくらいなら、ママ友(こんな名称変!!)を作らないほうを選ぶ。
幸い、私の近所でそのバスを利用するお宅は一件だけ、よく数人で立ち話なんて光景を目にするが、そうならずにすみそうだ。
私は、子供が幼稚園に慣れたころを見計らってパートに出る。
ランチタイムのウェイトレスだ。
割烹料理のお店だから、配膳といったほがしっくりくるかな。
自分で使えるお金を稼ぐのは嬉しいことだ。
母親同士の付き合いにも、断る口実もできる。
通い始めたスポーツクラブと幼稚園のバス代、それとお小遣いくらいは、捻出できる。
それでも、一切付き合いを断っているわけではありませんよ。
心を開かないだけ。
だから、子供が誰かと約束すれば、その人のお宅にお邪魔したり、近くの公園に集まったり、それは惜しまずしていた。
でも、「芸能界の話題」や「先生の噂話」をニコニコしながら延々と聞いていると、やっぱり向いていないな~と思ってしまう。
どこの学校や幼稚園にも、役員や係というものがある。
それを決める空気の重さは、経験した人にしかわからないいやなものだ。
その重い空気がいやで、昔からついいろんな場面でかってでてしまう。
(運動神経ゼロなのに、リレーとかね 笑)
幸い、2年間の幼稚園生活で、一番大変な役員は立候補してくれた奇特なお母さんのおかげで手を挙げずにすんだ。
あとは、単発の行事。
下に兄弟のいない、フルタイムで働いてもいない私は、だれもやり手のいない係には手を挙げて参加した。
なかなか決まらないと、先生やはじめにきまった役員の人たちが困ってしまうからだ。
これも「友達と一緒に」なんて関係なく、常識として手を挙げるだけだ。
困っていたら助けるという、極簡単な常識。
そうやって、子供のためと常識に基づいくという、線引きをして二年間が過ぎようとしていた。
余談ですが、1人だけ波長が合うと感じた人がいました。
線引きが似ていると感じられた人。
その人とは、もっと仲良くなりたいと唯一思えた人だった。
だから、その人には心を開いて心を許した。
旦那様のお仕事の関係で、いまは新幹線に乗らないと会えない所に行ってしまったが、いまでも付き合いは続いている。
これも、余談ですが(すみません、横道に逸れます)、以前「惹かれ合う理由」の「毛布」で書いた、岩月謙司さん(人間行動学かなんかの教授さん)の著書によれば、「父親から、適正な愛情をもらえていないと、父親のダメなところと同じところを持った男性を選んで、ダメな恋愛を繰り返してしまう」ということだ。(はしょってます!)
で、そのダメな繰り返しをおしまいにしたいなら、今付き合っている人間関係を全部絶ち(といっても、社会人生活をしていれば、無理なことですが、要するに、無駄に付き合わないことだと解釈しています)、孤独を甘受するのだそうです。
そして、1人でも平気になると「この人といると心地よい」という感覚が味わえてくるそうです。
そこから、心地よさを頼りに人間関係を構築すれば、自然と男性選びも変わってくるそうです。(たしか、そんなことが書いていったはず)
私は、もしかしたら無意識にこの状況を自ら作っていたのではないかしら、と思っています。
余計なものを削ぎ落とし、孤独を選んだ。
そして、そのころに那智さんと知り合った。
偶然か、必然か、それは神様にしかわからない。
その幼稚園生活の最後に母親企画の「謝恩会」があった。
各組役員2人、と謝恩会係2人。
私の組は、誰も手を挙げずなかなか決まらなかった。
私は、すでに年のはじめに決めた行事で係を終えていたから、このあとから追加招集された係になるつもりはなかった。
それでも、誰も手を挙げない。
仕方がない「パート勤めをしているから、準備に参加できない時もある」ことの了解を得て、係になる。
結局、他には誰も名乗り出てくれず、私の組は役員と私の3人だけで決まったのだ。
その集まりは、そんなに必要ないだろ~ってくらい時間がかかる。
会議は噂話で進まない、買い物もみんなで、ああ、頭痛い。
横道に逸れたら、さりげなく軌道修正して、話題を謝恩会会議に戻し、決まらないことにはアイデアを出す。
時々パートで欠席する代わりに、みんながやりたくないような仕事は積極的に引き受ける。
園長先生と同じタクシーに乗って二次会会場まで案内する係。
「ええ~~~いやだ~~。(全員)」
「じゃあ、私やりますよ。」
随分、変わった人だったかもしれない(笑)
でも、悪いことはしていないだろう。
やるべきことは、ちゃんとやる、それだけだ。
「司会進行は?」
「そんなのできない~~」
「難しいこと言わないなら、私やりましょか。」
謝恩会当日。
マイクを持って進行をする私。
もしかしたら「誰のお母さん?」って思っている人もいたかもしれない。
それでも、かまわない、謝恩会が円滑に進むように気を配る。
みんなで歌を歌うテープの音が出ず、出るまでその場をなんとか繋ぐ。
冷や汗も出たけど、人前でマイクを持ち話す心地よさ。
トラブルに対処しながら、その場を和やかに仕切る快感。
そういえば、以前コンパニオンをしていた時や、その当時お友達の結婚披露宴で頼まれてした司会と時に、この充実感を味わっていたな、と思い出して懐かしく快感に浸った。
もう今更、無理だろうけれど、もし時間をさかのぼることができるなら、人前で話す仕事でキャリアを積んでみたかったな・・・と夢物語を描いていた。
そして、その夢物語を那智さんに話したことが運のつき。
脅迫に近い、強力な後押しのもと、司会業に就くまでの奮闘記が始まるのでした。
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