意思を持つ鞭2
非日常的な日常
ホテルに入り和食屋さんで一度外したリードを繋いでくれた。
尻尾と首輪とリード。
幸福な装備。
那智さんのわんこになれる喜び、お外でのヒリヒリした興奮とはまた違った安心の欲情だ。
うれしくて写真を撮ってもらったりちょっと遊んでいた。
コーヒーを淹れた那智さんも一緒にソファに座り、リードを持ってクッと引いた。
あう、うれしい。
引かれるまま那智さんの胸にもたれかかり、首筋に鼻を押当ててすする。
ひとしきり甘えさせてもらって満足したわたしは自らソファを降りて足下に座った。
ブラウスの上から軽く胸をなぞられるだけでもう十分感じてしまっている。
促されるままに立ち上がり、ブラウス、スカート、と脱がせてもらう。
ガーターベルトと尻尾だけになった。
恥ずかしくてちょっとうつむく。
鞭でガーター汚れちゃうね(ゴムの鞭は黒く痕がついちゃうんだ)
鞭、するんだ…。
たいぶ欲情していてクリアとは言いがたい脳がぼんやりと思った。
丁寧にストッキングを脱がしてもらって、また足下に。
裸に尻尾。
見下ろすように胸を可愛がる。
もう、とても気持ちがいい。
どうして那智さんに触ってもらうとこんなに乳首だけで気持ちがいいのだろう。
まるで乳首とクリトリスと子宮がつながっているみたい。
指の動きに合わせるように腰が揺れる。
太ももを擦り付けてもっともっと快感を味わおうとする自分がはしたなくて、困るけど、それも快感になる。
何度も大きな快感の波を迎えるけど、迎えれば迎えるほどどんどん欲する穴は深く広がる。
『触れない』もどかしさ、もう我慢ができない。
那智さん、入れてください
まだ、早いよ(笑)
引き下がる。
あっさりと却下されてあっさりと引き下がることもなんだか甘美だ。
しばらくまた腰を揺らして快感を貪るけど、穴はぱっくり口を開けたままわたしを急かすのだ。
那智さん、入れてください
まだ
じゃあ、ここだけでいいから触って
指で指す。
ちょっと切実に甘えてお願いするのも気持ちいい。
自分でするならいいよ
そんな意地悪。
わたしがそれをためらうことを知っているのに。
これを使ってもいいよ
鞄からバイブを取り出しテーブルに置いた。
ちょうどわたしの視線の高さだ。
わたしは自分でするときには基本的に中に入れないのだ。
なんだか、できない。
数回ほど那智さんに促されて使ったことはあるけど、那智さんみたいに上手にできないし、恥ずかしいし、とても積極的に使う気になれないのだ。
そのバイブを使うなら、底がどんどん深くなっていく欲情の穴を埋めていいというのだ。
ダメです
ダメです
それは自分で使いたくない、那智さんがいいです。
いいよ。別に使わなくても(笑)
変わらず乳首を可愛がり優しくキスをしてくれる。
気持ちいい
もっと
穴が開いちゃう
もっと、もっと
我慢できずバイブを手にした。
いま思い出しても、このときの葛藤の記憶がほとんどない。
おそらく、羞恥心と欲情が引っ張り合いをしていないんだと思う。
羞恥心の上に大きな欲情が覆い被さり、あっという間に凌駕してしまったのだろう。
すこし観念した感情の記憶だけが、残っている。
ああ、いま書いていても恥ずかしいほど。
わたしは必死になってバイブを出し入れしていた。
りん子はエッチになってエラいね
とっても可愛い
那智さんに許容され胸を可愛がってもらいながらバイブでオナニーする。
遠くで激しく動くバイブと揺れる腰が見える。
はしたない女。
バカみたい。
だけど、エラくて可愛いんだ。
なんて気持ちよくて幸せなんだろう。
ああ、那智さん、イキたいです
でも…恥ずかしい…
いまは、羞恥心と欲情が引っ張り合っている。
イキたい、でも、なんだかイッてしまってはいけない気がする。
こんなにはしたなく腰を振って、その自分の姿に感じているクセに、イッてしまうと大事な何かを手放してしまうような感じがする。
気持ちいい
気持ちいい
気持ちいい
ダメ!!!!
バイブを抜き取った。
羞恥心が勝ったのだ。
イッたらいけないような気がしました!!
抱きついて興奮気味に訴える。
これでイクりん子も好きだし、やめるりん子も、好き。
どっちでも、俺はうれしいし、満足なんだよ、わかる?
さ、立って。
鞭をするのに尻尾はイヤ?
…はい…
すこし混乱した頭で答える。
どうしてもあのバラ鞭を受けるときは、できるだけよけいなものを排除したいと思う。
鞭で快感に溺れるには不必要な懸念はひとつでもなくしたい。
尻尾に引っかかってお尻の穴がクッとなるのさえ、よけいな感覚なのだ。
すこしだけ汚れたアナルパールを洗いにいってくれている間、今日はずいぶん気持ちいいことをしてもらったのに、なんだか生殺しの気分だった。
ぼんやりとベッドに腰掛けて、鞭を取り出す那智さんを見ながら、生殺しのままとてもとても痛いことをする自分を少し哀れんでみてしまった。
那智さん、わたし、気持ちいいことしたいのに…気持ちいいことしたいのに…
はあ?(笑)
いまなんて言った?
俺がどういう気持ちで鞭を打つかわかってて言ってるの?
気持ちよくしてあげようとしてるのに(笑)
ああ、ごめんなさい、それはわかっているんですけど…
こんなことで気分を害すような那智さんではないのだけど、こういうふうにわたしが那智さんを疑うようなことを言うと那智さんのテンションは少し変わる。
ほぼ100%『可愛がろう』というものから、数%(それでも1〜2%くらい)『こんにゃろー』という気持ちが湧くのだ。
お外で遊ぶときと同じように、那智さんは自分のテンションが変化することを楽しんでくれる人。
だから、このときも、わずかに『こんにゃろー』になってニヤリとしたはずだ。
最初に振り下ろされた一発目の強烈さが、それを物語っていた。
今朝の「等式」感想です。
そうそう、その1、「こんにゃろう」と思えるりん子の発言は時々は嬉しいです、私自身のテンションが上がるので、1~2%の怒りや、意地悪な心を持って鞭を振るうことで気合いが入る。(笑)
その2、目の前の快感と言う「あめ玉」を貪るりん子がどの位自制出来るのかを見るのが楽しい、我慢しきれなくなるのを見るのが楽しい。
ホテルに入り和食屋さんで一度外したリードを繋いでくれた。
尻尾と首輪とリード。
幸福な装備。
那智さんのわんこになれる喜び、お外でのヒリヒリした興奮とはまた違った安心の欲情だ。
うれしくて写真を撮ってもらったりちょっと遊んでいた。
コーヒーを淹れた那智さんも一緒にソファに座り、リードを持ってクッと引いた。
あう、うれしい。
引かれるまま那智さんの胸にもたれかかり、首筋に鼻を押当ててすする。
ひとしきり甘えさせてもらって満足したわたしは自らソファを降りて足下に座った。
ブラウスの上から軽く胸をなぞられるだけでもう十分感じてしまっている。
促されるままに立ち上がり、ブラウス、スカート、と脱がせてもらう。
ガーターベルトと尻尾だけになった。
恥ずかしくてちょっとうつむく。
鞭でガーター汚れちゃうね(ゴムの鞭は黒く痕がついちゃうんだ)
鞭、するんだ…。
たいぶ欲情していてクリアとは言いがたい脳がぼんやりと思った。
丁寧にストッキングを脱がしてもらって、また足下に。
裸に尻尾。
見下ろすように胸を可愛がる。
もう、とても気持ちがいい。
どうして那智さんに触ってもらうとこんなに乳首だけで気持ちがいいのだろう。
まるで乳首とクリトリスと子宮がつながっているみたい。
指の動きに合わせるように腰が揺れる。
太ももを擦り付けてもっともっと快感を味わおうとする自分がはしたなくて、困るけど、それも快感になる。
何度も大きな快感の波を迎えるけど、迎えれば迎えるほどどんどん欲する穴は深く広がる。
『触れない』もどかしさ、もう我慢ができない。
那智さん、入れてください
まだ、早いよ(笑)
引き下がる。
あっさりと却下されてあっさりと引き下がることもなんだか甘美だ。
しばらくまた腰を揺らして快感を貪るけど、穴はぱっくり口を開けたままわたしを急かすのだ。
那智さん、入れてください
まだ
じゃあ、ここだけでいいから触って
指で指す。
ちょっと切実に甘えてお願いするのも気持ちいい。
自分でするならいいよ
そんな意地悪。
わたしがそれをためらうことを知っているのに。
これを使ってもいいよ
鞄からバイブを取り出しテーブルに置いた。
ちょうどわたしの視線の高さだ。
わたしは自分でするときには基本的に中に入れないのだ。
なんだか、できない。
数回ほど那智さんに促されて使ったことはあるけど、那智さんみたいに上手にできないし、恥ずかしいし、とても積極的に使う気になれないのだ。
そのバイブを使うなら、底がどんどん深くなっていく欲情の穴を埋めていいというのだ。
ダメです
ダメです
それは自分で使いたくない、那智さんがいいです。
いいよ。別に使わなくても(笑)
変わらず乳首を可愛がり優しくキスをしてくれる。
気持ちいい
もっと
穴が開いちゃう
もっと、もっと
我慢できずバイブを手にした。
いま思い出しても、このときの葛藤の記憶がほとんどない。
おそらく、羞恥心と欲情が引っ張り合いをしていないんだと思う。
羞恥心の上に大きな欲情が覆い被さり、あっという間に凌駕してしまったのだろう。
すこし観念した感情の記憶だけが、残っている。
ああ、いま書いていても恥ずかしいほど。
わたしは必死になってバイブを出し入れしていた。
りん子はエッチになってエラいね
とっても可愛い
那智さんに許容され胸を可愛がってもらいながらバイブでオナニーする。
遠くで激しく動くバイブと揺れる腰が見える。
はしたない女。
バカみたい。
だけど、エラくて可愛いんだ。
なんて気持ちよくて幸せなんだろう。
ああ、那智さん、イキたいです
でも…恥ずかしい…
いまは、羞恥心と欲情が引っ張り合っている。
イキたい、でも、なんだかイッてしまってはいけない気がする。
こんなにはしたなく腰を振って、その自分の姿に感じているクセに、イッてしまうと大事な何かを手放してしまうような感じがする。
気持ちいい
気持ちいい
気持ちいい
ダメ!!!!
バイブを抜き取った。
羞恥心が勝ったのだ。
イッたらいけないような気がしました!!
抱きついて興奮気味に訴える。
これでイクりん子も好きだし、やめるりん子も、好き。
どっちでも、俺はうれしいし、満足なんだよ、わかる?
さ、立って。
鞭をするのに尻尾はイヤ?
…はい…
すこし混乱した頭で答える。
どうしてもあのバラ鞭を受けるときは、できるだけよけいなものを排除したいと思う。
鞭で快感に溺れるには不必要な懸念はひとつでもなくしたい。
尻尾に引っかかってお尻の穴がクッとなるのさえ、よけいな感覚なのだ。
すこしだけ汚れたアナルパールを洗いにいってくれている間、今日はずいぶん気持ちいいことをしてもらったのに、なんだか生殺しの気分だった。
ぼんやりとベッドに腰掛けて、鞭を取り出す那智さんを見ながら、生殺しのままとてもとても痛いことをする自分を少し哀れんでみてしまった。
那智さん、わたし、気持ちいいことしたいのに…気持ちいいことしたいのに…
はあ?(笑)
いまなんて言った?
俺がどういう気持ちで鞭を打つかわかってて言ってるの?
気持ちよくしてあげようとしてるのに(笑)
ああ、ごめんなさい、それはわかっているんですけど…
こんなことで気分を害すような那智さんではないのだけど、こういうふうにわたしが那智さんを疑うようなことを言うと那智さんのテンションは少し変わる。
ほぼ100%『可愛がろう』というものから、数%(それでも1〜2%くらい)『こんにゃろー』という気持ちが湧くのだ。
お外で遊ぶときと同じように、那智さんは自分のテンションが変化することを楽しんでくれる人。
だから、このときも、わずかに『こんにゃろー』になってニヤリとしたはずだ。
最初に振り下ろされた一発目の強烈さが、それを物語っていた。
今朝の「等式」感想です。
そうそう、その1、「こんにゃろう」と思えるりん子の発言は時々は嬉しいです、私自身のテンションが上がるので、1~2%の怒りや、意地悪な心を持って鞭を振るうことで気合いが入る。(笑)
その2、目の前の快感と言う「あめ玉」を貪るりん子がどの位自制出来るのかを見るのが楽しい、我慢しきれなくなるのを見るのが楽しい。
意思を持つ鞭3
非日常的な日常
気持ちよくなりたいのに…。
気持ちよくて興奮してたまらないけれどほとんど触れてもらえず、大きな快感のはずなにに生殺しのような状態の中鞭が始まろうとしたとき、思わずもらした言葉。
那智さんはわたしを可愛がろうとしてくれていて、けして痛めつけようなんて思っていないことはわかっている。
最終的には他ではなかなか味わえないところに連れて行ってくれる鞭だけど、そこに至るまでにすこし時間がかかるから、その遠回りを指して言ったのだ、と思う(まあ、そんなに頭働いていないので…)
(『徒然に「あの世界」』)
気持ちよくしてあげようと思ってるのに、ほれ(笑)
普段の穏やかな瞳の中にわずかな『こんにゃろー』と、その変化自体を楽しんでいるような光。
すこしだけ不安を抱えながらうつ伏せになってお尻を差し出す。
一発。
ワンテンポ明けて、二発。
どちらもかなり強い痛さだった。
鞭で可愛がるにはある程度那智さんなりにストーリーがあるはずだ。
最初は慣らすように徐々に高めていく。
目を覚ますような一撃を最初に与えて強制的にまずあちらの世界を見せる。
連続して打つときの力加減と、一発打つたにび階段を上がっていくようなゆっくり打つときの力加減。
いまの二発には、そのストーリーが感じられなかった。
徐々に高めるには強すぎたし、いきなり引きずり込むときのような明確な意図も読み取れなかった。
明らかに普段の鞭とは違っていた。
那智さん、いまの強さ、なぜですか?
くうっと体を縮めながら聞く。
いらんこと言うからね〜、痛くしてあげたの(笑)
ごめんなさい、可愛がってください;;
はいはい(笑)
再びうつ伏せに。
さっきより数段柔らかい力。
1、2、3…ゆっくり定期的に振り下ろされる。
バラバラのゴムがそれぞれ肌に刺激を与える。
ときおり先端の角ばった部分が刺さり全身の筋肉がくっと固まる。
何回かそれを繰り返した後。
強く、一発。
ぎゃうっと仰け反る。
タバコに火をつけにベッドから少し離れた。
火をつけて一服して、また戻り、強く一発。
また仰け反る。
これを2、3往復。
タバコを消して、もう一度。
今度は、3発。
ばんっと跳ね上がるようにうつ伏せから四つん這いになって、そのままベッドサイドの那智さんのもとに。
体に手を回して『痛い痛い』と甘える。
よしよしと頭を撫で、体をわずかに揺らすのが戻れの合図。
鞭の痛みからあの世界に行く道筋はだいたい決まっている。
強烈な痛さに体を硬直させ、痛みが引くときにふうっと力が抜けるように一段落ちる。
この硬直と緩和の繰り返してジグザグを描くように高いところに上っていくような道。
一発一発、丁寧に間隔をおき、ジグザグを描き、最後に数発連続してワンクール。
それを何回も繰り返すことで泣いたり笑ったりおかしな世界に行かれるのだ。
このときもそれを繰り返していた。
バラになったゴムをねじり一本にして。
体の側面を削るように。
わざとばらけるようにして太ももや背中まで鞭が及ぶように。
痛さの種類と場所を変えているように感じる。
一発一発、意識して。
その都度地団駄を踏み騒ぐ。
それなのに太ももに垂れるほど濡れるのだ。
那智さんに甘え、キスをねだり、呂律の回らない状態で『入れてください』とうわ言のようにつぶやく。
強烈な痛みのギリギリのところで甘くて異様な空気が漂っているはずだ。
長い。
おそらく、いままでの中で1、2を争うほど長かったと思う。
一瞬、気が遠くなるような感覚になった。
過呼吸だったのかもしれない。
またワンクール。
わたしの反応を見たのだろう。
那智さんの打ち方が変わった。
強く強く、そして何度も何度も。
ほとんど狙いを定めていないようだ。
あああ、もう、どうしよう。
気持ちよくてたまらない。
打たれていてもコーヒーを飲むためにひと呼吸していても、腰がくねくねと動いてしまう。
何をどうされても気持ちいいしかない状態になってしまった。
このままずっと打ち続けて、おしまいにしないで、連続する鞭の雨にずぶ濡れになっていたいと思っていた。
那智さんは、まるで猫じゃらしで猫を遊ばせるように楽しそうに満足げに何度も何度も振り下ろす。
快感状態を維持し、慣らし、いつかもっと先を視野に入れ、快感を植え付けるように打っていた。
この日の鞭の時間。
那智さんいわく『突き抜けた』感じがあったそうだ。
おそらくほぼMAXの力でそれほど狙いを定めず連続して打ち続けても、ただ快感状態というのははじめてだったから。
様々な要因はあるだろう。
何年もかけて慣らしたり、あんまり書いていないけどこのときも鞭をしながらも他のことで快感を与えたりしていたし、わたしがいろいろな方法で快感を得られるように作ってきたこともある。
このところ連続して鞭をしていたから、それも一役買っているはずだ。
そして何より。
那智さんの鞭には意思がある。
どういう道を通って、どのゴールに向かうか。
その都度のストーリー、ずっと先までのストーリー。
この日も、最初の二発とそれ以降では違う意思を感じたし、ちょっと大げさかもしれないけど一発一発に意思を持っているとさえ感じてしまうほどだった。
(もしかしたら、それくらい意識しないと危険だという側面もあるかも?)
ときどきギブアップしたり(『快感は生もの2』)、トホホな展開になっておしまいになったり(『SMに音楽は必要か』)、アクシデントも楽しみながら。
それでも常に那智さんの意思で鞭を振るい、わたしをあんなふうに変えていくのだ。
『人を変える』ということは難しい。
いちおうマゾ的嗜好は持っていたとしても、痛いものは痛い(笑)
その痛いことを、かなりギリギリの痛いことを望み、快感に変えるようにするのだからそんなに簡単なことではないはずだ。
この意思を持ち続けてくれることが、ずっと痛くしていたほしいと思うような快感を作る大きな要因だと思う。
SM行為をしている人で鞭を使う人はそれなりにいるだろう。
打つ側がどんな気持ちでしているかも、それぞれあるはずだ。
那智さんの鞭には彼の意思が乗っかっている。
一発一発に意思を持ち、それによって受け取るこちらの反応も違う。
そのキャッチボールを繰り返し気がつけば、わたしはずいぶん変えられた。
いつも漠然と感じていたことだけど、改めてその『意思』の存在をはっきりと感じられた日だった。
ピンぼけだけど、載せちゃう!!
痛そ、でしょ*^^*
はい~今朝の「等式」感想です。
鞭の強さで私の意志が通じることを嬉しく思う。そして、この時の後半初めてかなりの強さで且つ気を使わないで鞭を振るった。りん子の中で何かが変化して突き抜けた、今後、何時この時のようになれるかは解らない、けれど楽しみが増えステップを登ったことは間違いない。
気持ちよくなりたいのに…。
気持ちよくて興奮してたまらないけれどほとんど触れてもらえず、大きな快感のはずなにに生殺しのような状態の中鞭が始まろうとしたとき、思わずもらした言葉。
那智さんはわたしを可愛がろうとしてくれていて、けして痛めつけようなんて思っていないことはわかっている。
最終的には他ではなかなか味わえないところに連れて行ってくれる鞭だけど、そこに至るまでにすこし時間がかかるから、その遠回りを指して言ったのだ、と思う(まあ、そんなに頭働いていないので…)
(『徒然に「あの世界」』)
気持ちよくしてあげようと思ってるのに、ほれ(笑)
普段の穏やかな瞳の中にわずかな『こんにゃろー』と、その変化自体を楽しんでいるような光。
すこしだけ不安を抱えながらうつ伏せになってお尻を差し出す。
一発。
ワンテンポ明けて、二発。
どちらもかなり強い痛さだった。
鞭で可愛がるにはある程度那智さんなりにストーリーがあるはずだ。
最初は慣らすように徐々に高めていく。
目を覚ますような一撃を最初に与えて強制的にまずあちらの世界を見せる。
連続して打つときの力加減と、一発打つたにび階段を上がっていくようなゆっくり打つときの力加減。
いまの二発には、そのストーリーが感じられなかった。
徐々に高めるには強すぎたし、いきなり引きずり込むときのような明確な意図も読み取れなかった。
明らかに普段の鞭とは違っていた。
那智さん、いまの強さ、なぜですか?
くうっと体を縮めながら聞く。
いらんこと言うからね〜、痛くしてあげたの(笑)
ごめんなさい、可愛がってください;;
はいはい(笑)
再びうつ伏せに。
さっきより数段柔らかい力。
1、2、3…ゆっくり定期的に振り下ろされる。
バラバラのゴムがそれぞれ肌に刺激を与える。
ときおり先端の角ばった部分が刺さり全身の筋肉がくっと固まる。
何回かそれを繰り返した後。
強く、一発。
ぎゃうっと仰け反る。
タバコに火をつけにベッドから少し離れた。
火をつけて一服して、また戻り、強く一発。
また仰け反る。
これを2、3往復。
タバコを消して、もう一度。
今度は、3発。
ばんっと跳ね上がるようにうつ伏せから四つん這いになって、そのままベッドサイドの那智さんのもとに。
体に手を回して『痛い痛い』と甘える。
よしよしと頭を撫で、体をわずかに揺らすのが戻れの合図。
鞭の痛みからあの世界に行く道筋はだいたい決まっている。
強烈な痛さに体を硬直させ、痛みが引くときにふうっと力が抜けるように一段落ちる。
この硬直と緩和の繰り返してジグザグを描くように高いところに上っていくような道。
一発一発、丁寧に間隔をおき、ジグザグを描き、最後に数発連続してワンクール。
それを何回も繰り返すことで泣いたり笑ったりおかしな世界に行かれるのだ。
このときもそれを繰り返していた。
バラになったゴムをねじり一本にして。
体の側面を削るように。
わざとばらけるようにして太ももや背中まで鞭が及ぶように。
痛さの種類と場所を変えているように感じる。
一発一発、意識して。
その都度地団駄を踏み騒ぐ。
それなのに太ももに垂れるほど濡れるのだ。
那智さんに甘え、キスをねだり、呂律の回らない状態で『入れてください』とうわ言のようにつぶやく。
強烈な痛みのギリギリのところで甘くて異様な空気が漂っているはずだ。
長い。
おそらく、いままでの中で1、2を争うほど長かったと思う。
一瞬、気が遠くなるような感覚になった。
過呼吸だったのかもしれない。
またワンクール。
わたしの反応を見たのだろう。
那智さんの打ち方が変わった。
強く強く、そして何度も何度も。
ほとんど狙いを定めていないようだ。
あああ、もう、どうしよう。
気持ちよくてたまらない。
打たれていてもコーヒーを飲むためにひと呼吸していても、腰がくねくねと動いてしまう。
何をどうされても気持ちいいしかない状態になってしまった。
このままずっと打ち続けて、おしまいにしないで、連続する鞭の雨にずぶ濡れになっていたいと思っていた。
那智さんは、まるで猫じゃらしで猫を遊ばせるように楽しそうに満足げに何度も何度も振り下ろす。
快感状態を維持し、慣らし、いつかもっと先を視野に入れ、快感を植え付けるように打っていた。
この日の鞭の時間。
那智さんいわく『突き抜けた』感じがあったそうだ。
おそらくほぼMAXの力でそれほど狙いを定めず連続して打ち続けても、ただ快感状態というのははじめてだったから。
様々な要因はあるだろう。
何年もかけて慣らしたり、あんまり書いていないけどこのときも鞭をしながらも他のことで快感を与えたりしていたし、わたしがいろいろな方法で快感を得られるように作ってきたこともある。
このところ連続して鞭をしていたから、それも一役買っているはずだ。
そして何より。
那智さんの鞭には意思がある。
どういう道を通って、どのゴールに向かうか。
その都度のストーリー、ずっと先までのストーリー。
この日も、最初の二発とそれ以降では違う意思を感じたし、ちょっと大げさかもしれないけど一発一発に意思を持っているとさえ感じてしまうほどだった。
(もしかしたら、それくらい意識しないと危険だという側面もあるかも?)
ときどきギブアップしたり(『快感は生もの2』)、トホホな展開になっておしまいになったり(『SMに音楽は必要か』)、アクシデントも楽しみながら。
それでも常に那智さんの意思で鞭を振るい、わたしをあんなふうに変えていくのだ。
『人を変える』ということは難しい。
いちおうマゾ的嗜好は持っていたとしても、痛いものは痛い(笑)
その痛いことを、かなりギリギリの痛いことを望み、快感に変えるようにするのだからそんなに簡単なことではないはずだ。
この意思を持ち続けてくれることが、ずっと痛くしていたほしいと思うような快感を作る大きな要因だと思う。
SM行為をしている人で鞭を使う人はそれなりにいるだろう。
打つ側がどんな気持ちでしているかも、それぞれあるはずだ。
那智さんの鞭には彼の意思が乗っかっている。
一発一発に意思を持ち、それによって受け取るこちらの反応も違う。
そのキャッチボールを繰り返し気がつけば、わたしはずいぶん変えられた。
いつも漠然と感じていたことだけど、改めてその『意思』の存在をはっきりと感じられた日だった。
ピンぼけだけど、載せちゃう!!
痛そ、でしょ*^^*
はい~今朝の「等式」感想です。
鞭の強さで私の意志が通じることを嬉しく思う。そして、この時の後半初めてかなりの強さで且つ気を使わないで鞭を振るった。りん子の中で何かが変化して突き抜けた、今後、何時この時のようになれるかは解らない、けれど楽しみが増えステップを登ったことは間違いない。
意思を持つ鞭のおまけ
独特な幸福感
この日は大型台風が日本上陸をした日で、予報では夕方こちらを通過すると言われていたので、計画としては早めの夕飯をいただいて上陸前には電車に乗るつもりだった。
那智さんとしては通過するまでこの街にいて、その後帰宅しても問題なかったのだけど、わたしの都合ではやはり足止めを食らうわけにはいかないので、いつもより1時間ほど早いお別れの予定だったのだ。
鞭とセックスが終わって、いつもなら一緒にお風呂に入ったりマッサージなどしてふたりでウトウトというのが流れなんだけど、この日わたしはセックスの後そのまま動くことができずいつの間にかベッドで眠りに落ちてしまっていた。
次に意識が戻ったとき、那智さんはソファに腰掛けて何か読んでいた(と思う)。
いつの間にか眠りに落ちることができたのも、静かに寝かせてくれていたことも、意識が戻ったときに那智さんがいてくれる空気も、どれもうれしい。
眠っていたのは20分ほどだったけど、そこからお風呂に入ってマッサージして午後2時40分というところ(あはは、なんかリアルなワンラウンド感^^;)
台風情報が気になってテレビをつけてみた。
どうやら思いのほか状況はよろしくない。
普段『直撃!!上陸!!』と言っていても肩すかしなことが多いのに、今回は本当のようだ。
このまま予定していたスケジュールでいくと予想より激しく交通事情が悪化しそうな気配。
予定では通過予想とほぼ同じくらいの時間に電車に乗るつもりだったけど、このままいくとそれでは帰り着けない可能性が出てきた。
しかたなく電車に乗る時間をさらに2時間早めて混乱が起こる前に帰路に着こうということになった。
その時間まで後1時間ちょっと。
早すぎるーー。
どうする?
ギリギリまでここにいる?
それとも、いますぐ出て一杯やってから帰る?
お仕事場に連絡を入れ、例のおばさんに適当なところで帰るように指示を出しながら、わたしに問いかける。
夕飯で一杯したかったから、じゃあ一杯。
そしたら○○(お昼間からやってるビール屋さん)で一杯だけね。
段取りを組んでくれて。
そうと決まったら早く支度。
サクサクとお道具を片付けはじめる。
その那智さんの様子を見ながら
わーーーーん
わーーーーん
那智さんと餃子食べたかったーーーー
(この日は餃子と生ビールコースの予定だったのだ)
まだ那智さんと一緒にいたーい
わーーーーん
嘆いてみた。
…ほぼ無視。
でも、気持ちいい。
ベッドにペタンと座り込み、両手を前について『わーーん』としてみる。
イメージは小さな子供。
街中で見かける子供。
おもちゃを買ってもらえなかったのか、最後のポテトをお兄ちゃんに食べられてしまったのか。
理由はわからないけど、とにかく彼女にとってとて絶望的なことが起きているのだろう。
親に抱きかかえられてなす術無くその場から移動させられている。
まったく効果がないことはわかっているけど嘆かずにはいられない。
そんな無力な子供のイメージ。
ほら、早く支度しろよーーー(笑)
はーい♪
ひとしきり嘆くことを楽しんで、スッキリしたわたしも支度をはじめた。
思いっきり嘆けるのって、たまらなく気持ちいい。
全部全部理解できていて。
嘆いてもなんにも変わらないのもわかっていて。
無視されることもわかっていて。
自分を哀れんで子供みたいに『わーーーん』って嘆くことを許されているって、とても気持ちいい。
いい気分で暴風の街に一杯だけ飲みにホテルを後にした。
案の定、外は大風。
時折横殴りの雨。
なんとなく人の流れが全部駅に向かっている感じがする中、一杯だけ。
さすがにお客はわたしたち(後から外国人のひとり)
楽しく飲み。
時間きっかりにおしまいに。
こういうときの那智さんの時間の管理は、とても頼りになるのだ。
お互い無事帰宅を祈って、駅で別れた。
結局わたしは最寄りのひとつ手前で電車が止まり、外に出てみるも自宅近くまでいくバスもタクシーも長蛇の列。
並ぶのは好きじゃない。
先が見えない状態で待つのもイヤ。
巨大なレースのカーテンがなびくような横殴りの激しい雨の波。
じゃあ、しょうがないな〜。
(かなりワクワク)
約二キロ暴風雨の中歩く覚悟を決めて携帯やお財布、濡れてほしくないものをビニール袋にまとめていたらバスが連続して到着して難なく座って帰宅できた。
たくさんホッで、ちょっと残念。
だけど、この時間の電車に乗っていなかったらもっと大変なことになっていた。
那智さんの読みがリミットだったのだ。
判断に感謝^^
ほとんど被害に遭わず無事帰宅できたのだ。
そんな中、那智さんはわたしのために早く帰ることを選んでくれたのに、わたしよりずっと手前で電車が止まり、何時間も足止めをくらいしかたなく豪雨の中一駅分くらい歩いてお帰りになったそう。
那智さんは上下の『上』ゆえ『下』のわたしを守ろうとするあまり、振り返ると大変な思いをされてしまっていることがたまにある。
このときもわたしの帰宅時間を優先してくれたがゆえ、那智さんの路線では最悪なタイミングに当たってしまったし。
そういうとき、ほんの少し申し訳ない気持ちになって自分を責めてしまいそうになるけれど、それはけっして幸福な思考回路じゃないことは知っている。
だから、そんなときは、いつもこう思うようにするのだ。
いつでも『上』でいてくれる那智さんがだーいすき♪って^^
今朝の「等式」感想です。
「ワーン・エーン」している時は殆ど相手に指定ない気がする。(笑)構う時も確かにあるが私がそれで遊びたいと思うか構わないと後が面倒になると予想する時かな~。
別の話、災害の時は断然やり過ごす派です、震災の時も電車が動くまで会社待機、直ぐにつまみと酒を調達し21時頃には既に夢の中だった。(不謹慎でごめんなさい。)明け方、電車が動いてから帰宅しました。
この日は大型台風が日本上陸をした日で、予報では夕方こちらを通過すると言われていたので、計画としては早めの夕飯をいただいて上陸前には電車に乗るつもりだった。
那智さんとしては通過するまでこの街にいて、その後帰宅しても問題なかったのだけど、わたしの都合ではやはり足止めを食らうわけにはいかないので、いつもより1時間ほど早いお別れの予定だったのだ。
鞭とセックスが終わって、いつもなら一緒にお風呂に入ったりマッサージなどしてふたりでウトウトというのが流れなんだけど、この日わたしはセックスの後そのまま動くことができずいつの間にかベッドで眠りに落ちてしまっていた。
次に意識が戻ったとき、那智さんはソファに腰掛けて何か読んでいた(と思う)。
いつの間にか眠りに落ちることができたのも、静かに寝かせてくれていたことも、意識が戻ったときに那智さんがいてくれる空気も、どれもうれしい。
眠っていたのは20分ほどだったけど、そこからお風呂に入ってマッサージして午後2時40分というところ(あはは、なんかリアルなワンラウンド感^^;)
台風情報が気になってテレビをつけてみた。
どうやら思いのほか状況はよろしくない。
普段『直撃!!上陸!!』と言っていても肩すかしなことが多いのに、今回は本当のようだ。
このまま予定していたスケジュールでいくと予想より激しく交通事情が悪化しそうな気配。
予定では通過予想とほぼ同じくらいの時間に電車に乗るつもりだったけど、このままいくとそれでは帰り着けない可能性が出てきた。
しかたなく電車に乗る時間をさらに2時間早めて混乱が起こる前に帰路に着こうということになった。
その時間まで後1時間ちょっと。
早すぎるーー。
どうする?
ギリギリまでここにいる?
それとも、いますぐ出て一杯やってから帰る?
お仕事場に連絡を入れ、例のおばさんに適当なところで帰るように指示を出しながら、わたしに問いかける。
夕飯で一杯したかったから、じゃあ一杯。
そしたら○○(お昼間からやってるビール屋さん)で一杯だけね。
段取りを組んでくれて。
そうと決まったら早く支度。
サクサクとお道具を片付けはじめる。
その那智さんの様子を見ながら
わーーーーん
わーーーーん
那智さんと餃子食べたかったーーーー
(この日は餃子と生ビールコースの予定だったのだ)
まだ那智さんと一緒にいたーい
わーーーーん
嘆いてみた。
…ほぼ無視。
でも、気持ちいい。
ベッドにペタンと座り込み、両手を前について『わーーん』としてみる。
イメージは小さな子供。
街中で見かける子供。
おもちゃを買ってもらえなかったのか、最後のポテトをお兄ちゃんに食べられてしまったのか。
理由はわからないけど、とにかく彼女にとってとて絶望的なことが起きているのだろう。
親に抱きかかえられてなす術無くその場から移動させられている。
まったく効果がないことはわかっているけど嘆かずにはいられない。
そんな無力な子供のイメージ。
ほら、早く支度しろよーーー(笑)
はーい♪
ひとしきり嘆くことを楽しんで、スッキリしたわたしも支度をはじめた。
思いっきり嘆けるのって、たまらなく気持ちいい。
全部全部理解できていて。
嘆いてもなんにも変わらないのもわかっていて。
無視されることもわかっていて。
自分を哀れんで子供みたいに『わーーーん』って嘆くことを許されているって、とても気持ちいい。
いい気分で暴風の街に一杯だけ飲みにホテルを後にした。
案の定、外は大風。
時折横殴りの雨。
なんとなく人の流れが全部駅に向かっている感じがする中、一杯だけ。
さすがにお客はわたしたち(後から外国人のひとり)
楽しく飲み。
時間きっかりにおしまいに。
こういうときの那智さんの時間の管理は、とても頼りになるのだ。
お互い無事帰宅を祈って、駅で別れた。
結局わたしは最寄りのひとつ手前で電車が止まり、外に出てみるも自宅近くまでいくバスもタクシーも長蛇の列。
並ぶのは好きじゃない。
先が見えない状態で待つのもイヤ。
巨大なレースのカーテンがなびくような横殴りの激しい雨の波。
じゃあ、しょうがないな〜。
(かなりワクワク)
約二キロ暴風雨の中歩く覚悟を決めて携帯やお財布、濡れてほしくないものをビニール袋にまとめていたらバスが連続して到着して難なく座って帰宅できた。
たくさんホッで、ちょっと残念。
だけど、この時間の電車に乗っていなかったらもっと大変なことになっていた。
那智さんの読みがリミットだったのだ。
判断に感謝^^
ほとんど被害に遭わず無事帰宅できたのだ。
そんな中、那智さんはわたしのために早く帰ることを選んでくれたのに、わたしよりずっと手前で電車が止まり、何時間も足止めをくらいしかたなく豪雨の中一駅分くらい歩いてお帰りになったそう。
那智さんは上下の『上』ゆえ『下』のわたしを守ろうとするあまり、振り返ると大変な思いをされてしまっていることがたまにある。
このときもわたしの帰宅時間を優先してくれたがゆえ、那智さんの路線では最悪なタイミングに当たってしまったし。
そういうとき、ほんの少し申し訳ない気持ちになって自分を責めてしまいそうになるけれど、それはけっして幸福な思考回路じゃないことは知っている。
だから、そんなときは、いつもこう思うようにするのだ。
いつでも『上』でいてくれる那智さんがだーいすき♪って^^
今朝の「等式」感想です。
「ワーン・エーン」している時は殆ど相手に指定ない気がする。(笑)構う時も確かにあるが私がそれで遊びたいと思うか構わないと後が面倒になると予想する時かな~。
別の話、災害の時は断然やり過ごす派です、震災の時も電車が動くまで会社待機、直ぐにつまみと酒を調達し21時頃には既に夢の中だった。(不謹慎でごめんなさい。)明け方、電車が動いてから帰宅しました。
緊急エントリー
ひとりごと
『追悼』
わたし自身はMacマニアではないのだけど夫がそうだったために自然とApple社の製品に囲まれている。
もともとデジタルが苦手な人間なので、自分で開拓する気も起こらず気がつけばMac以外のPCにはほとんど触ったことがないほどの生粋のMacユーザーになってしまっていた。
いまだに左クリックとか、わからない。
ネットにつながるのも、音楽を聴くのも、仕事の資料を作るのも。
父の闘病のとき、わたしはこのリンゴマークの小さな機械から繰り出される音楽に助けられた。(『i podくん』)
泣きながら『惹かれ合う理由』を書き綴るとき、この小気味好いキーボードの音が気分を盛り上げてくれた。
気がつけば、20年近く、様々なシーンにリンゴのマークがいた。
相変わらずマニアではないので、この先どうなっていくのかとかどんな製品が登場するのかなどは、ほとんど興味はないけれど。
歴史を彩る人はごく限られた人だけど、同時に次から次はとそういう人は生まれる。
たとえば、マイケル•ジョーダンは『神』と言われていたけれど、その全盛期をリアルタイムで観ることができて幸運だったと思う。
ダウンタウンがいまよりもっと鋭利な人たちだった頃の笑いをテレビで観ていられてよかった。
(ダウンタウン、たとえに出したらダメ?わたし、好きだから^^;)
忌野清志郎が亡くなったときにも、RCサクセション時代を知っていてラッキーだったと思った。(『トランジスタ ラジオ』)
だけど、また次に、神と呼ばれるバスケットプレイヤーは生まれるだろうし、センシティブな音楽を作り出すアーチストもにもたくさん出会えるだろう。
そんなふうに歴史を彩る人は次から次に生まれるはずだ。
これから先、また魅力的な製品を作り出す人物も必ず現れると思う。
だから、わたしは純粋に、いままでにない物(生活スタイルも)を作りだした人物の製品にリアルタイムで触れることができた幸運に感謝しようと思う。
まったく機械に疎いくせに説明書きをすっ飛ばしてしまう遠く離れた島国の女の世界をほんのちょっと広げてくれて、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
なんて書いていますが、先日ホームで思いっきり落としてしまってちょっと不調にさせてしまった^^;
まあ、これがわたしの愛し方です^^(『これが私の愛し方』)
緊急追悼、感想です。
時代のヒーローとしてご冥福をお祈りして・・・。
別件にて、自分の世代と認識するヒーローがあるかないかは該当の人がどう感じているのかだと思いますが、私も私の時代を誇りに思う事があります。でも、自分と同じ年齢+-どこまでが自分の世代かはどう考えるべきなのしょうかね。
『追悼』
わたし自身はMacマニアではないのだけど夫がそうだったために自然とApple社の製品に囲まれている。
もともとデジタルが苦手な人間なので、自分で開拓する気も起こらず気がつけばMac以外のPCにはほとんど触ったことがないほどの生粋のMacユーザーになってしまっていた。
いまだに左クリックとか、わからない。
ネットにつながるのも、音楽を聴くのも、仕事の資料を作るのも。
父の闘病のとき、わたしはこのリンゴマークの小さな機械から繰り出される音楽に助けられた。(『i podくん』)
泣きながら『惹かれ合う理由』を書き綴るとき、この小気味好いキーボードの音が気分を盛り上げてくれた。
気がつけば、20年近く、様々なシーンにリンゴのマークがいた。
相変わらずマニアではないので、この先どうなっていくのかとかどんな製品が登場するのかなどは、ほとんど興味はないけれど。
歴史を彩る人はごく限られた人だけど、同時に次から次はとそういう人は生まれる。
たとえば、マイケル•ジョーダンは『神』と言われていたけれど、その全盛期をリアルタイムで観ることができて幸運だったと思う。
ダウンタウンがいまよりもっと鋭利な人たちだった頃の笑いをテレビで観ていられてよかった。
(ダウンタウン、たとえに出したらダメ?わたし、好きだから^^;)
忌野清志郎が亡くなったときにも、RCサクセション時代を知っていてラッキーだったと思った。(『トランジスタ ラジオ』)
だけど、また次に、神と呼ばれるバスケットプレイヤーは生まれるだろうし、センシティブな音楽を作り出すアーチストもにもたくさん出会えるだろう。
そんなふうに歴史を彩る人は次から次に生まれるはずだ。
これから先、また魅力的な製品を作り出す人物も必ず現れると思う。
だから、わたしは純粋に、いままでにない物(生活スタイルも)を作りだした人物の製品にリアルタイムで触れることができた幸運に感謝しようと思う。
まったく機械に疎いくせに説明書きをすっ飛ばしてしまう遠く離れた島国の女の世界をほんのちょっと広げてくれて、ありがとうございました。
ご冥福をお祈りいたします。
なんて書いていますが、先日ホームで思いっきり落としてしまってちょっと不調にさせてしまった^^;
まあ、これがわたしの愛し方です^^(『これが私の愛し方』)
緊急追悼、感想です。
時代のヒーローとしてご冥福をお祈りして・・・。
別件にて、自分の世代と認識するヒーローがあるかないかは該当の人がどう感じているのかだと思いますが、私も私の時代を誇りに思う事があります。でも、自分と同じ年齢+-どこまでが自分の世代かはどう考えるべきなのしょうかね。
待ち方
りん子的独り言(生意気)
すこし前、那智さんのお仕事で大きなイベントがあり、その準備でお忙しい時期があった。
大詰めを迎えてわたしをかまってくれる分量は当然のように減る。
それでもゼロになるわけではないし、那智さんのできる範囲でかまってくださっているので、ちょっと『つまらないよ〜』くらいで済んでいた。
返事はできなくても送るのは送っていいと言われているのであれこれメールして『報告欲(?)』を満足させていたのだけど、一服のときにくれる電話の声にちょっと慌ただしさが伝わってくるので、まあ、ここはちょっとおとなしくしているほうが賢明かなと思って、こんなことをツイートしてみた。
『那智さんは、この週末大きな仕事を控えているので今日はあまりかまってくれない。それでもまったく音沙汰ないわけではない程度のかまってくれないなので、ここは回路を切り替え、大人しくいい子で待つ。』
我ながらとても殊勝なツイートだ(笑)
でも打ち終わって、あれ?これはちょっと違うぞと思い直して、その後またいくつかツイートしてみた。
ツイートをご覧になった方には重複してしまうけど今日はそのネタを。
それは、こんな思考回路。
仮に『大人しくいい子で待つ』を『メールを送らずに過ごし、かまってくれなくてもご機嫌でいる(=次かまってくれたときにも好きテンションか同じ)』だとするね。
『大人しくいい子で待つ』にはふた通りあるよね。
心の中はかまって欲しくてジタバタしているけど、表面上はメールを送らずご機嫌のふりでいる。
のと
心ごと切り替えてメールを送らずにすんで、機嫌良く過ごす。
前者でいるのはけっこうしんどい。
フライパンの中でポンポン跳ねるポップコーンに蓋をして、どんどん膨れ上がっているのに溢れさせてはいけないのだもの(えっと、実際作るには蓋するのは必要ですよ^^;)
那智さん、大好き、声聞きたーいというポップコーンにぎゅーって蓋をしておかないといけないのだ。
とても健全な精神状態とは言えない。
後者は、たとえば別の楽しみを見つけるとか気がまぎれることをするとか、気持ちを切り替えて過ごすのだよね。
これは確かに待っていられる、ポップコーンも跳ねずにいて気持ちもラクだろう。
でもポップコーンのコンロの火を消すことになるよね。
待つという回路を遮断する(もしくは、とても細くする)ということだものね。
付き合いの形はいろいろあるでしょうけれど、那智さんとわたしの場合。
那智さんはわたしがしんどい思いをすることは本意ではないし、わたしがいつでもポップコーンがポンポン跳ねている状態(尻尾ぶんぶんとかおしっこチビるほど好きとか、いろいろ表現しております^^)がベストな形なのだ。
そうなると『大人しくいい子で待つ』のどちらのパターンもわたしたちには不適切だと思う。
わたしは溢れる気持ちに蓋をし続けても辛くならないような精神力は持っていないし、火を消して待たない回路を作って、大丈夫になった途端にポンポン跳ねる状態になれるほど切り替えの上手な大人でもない。
ということで、ツイートの最後には『大人しくいい子で待つ』はやめる!!と前言撤回している。
わたしがするべき待ち方は『可愛く待つ』だと訂正した。
ポンポン跳ねる気持ちを惜しみなくお伝えする。(こういうときは『素直』に^^)
どれくらいわたしが那智さんを好きで、どれくらい那智さんの声を聞きたいか!!
お返事がないのは、いまはその余裕がないからだと信じて。
次かまってくれるときに『わんわん』って飛びつけるような心を維持して待つ。
犬がズボンの裾をはむはむと甘噛みするみたいにじゃれつくように、那智さんが好きで、那智さんにかまってほしくてうずうずしている旨をお伝えする。
わたしは、大人しくいい子で待っていると『大好き』がしぼんでしまう気がするのだ。
溢れる好きを惜しまないことが、わたしにとっていつまでも情熱を失わない秘訣のひとつなんだと思う。
これが成立するのは、那智さんのように『かまえるときはかまうし、かまえないときはかまわないから、それをわかった上でどれだけメールしていい』というスタンスでいてくれることが大前提です^^
(ついでに、ほったらかし期間を明確にしてくれることと、定期連絡は入れてくれることも大事…いや、ぜんぜん待てる環境じゃん、というツッコミはなしでお願いします^^;)
お相手によって待ち方も違ってくるでしょうから、お相手がどんな待たせ方をするのか、そして自分はどういう状態なら幸福に待っていられるかを擦り合わせするといいかもね^^
わたしのような『犬気質』の『依存体質』女は可愛く待つのは幸せな待ち方なんじゃないかな。
それができる環境を作れるといいんじゃないかな〜って思うのです。
だから、わたしは『大人しくいい子』で待たない、ことにする^^
<関連エントリー>
『犬気質』
依存体質
『徒然に「M女の快感」』
『かつてのわたしに』
今朝の「等式」感想です。
待たせる側のスタンスは「待っていて欲しい」と思う、待つ側が「待って」いなければそれは「待たせる」とは言えない。待たせる側も「自覚と覚悟」をもって待たせなければいけないと思う。「待ちこがれていて欲しい」と思う要求に応えるりん子も実は大変なのかもしれない。
すこし前、那智さんのお仕事で大きなイベントがあり、その準備でお忙しい時期があった。
大詰めを迎えてわたしをかまってくれる分量は当然のように減る。
それでもゼロになるわけではないし、那智さんのできる範囲でかまってくださっているので、ちょっと『つまらないよ〜』くらいで済んでいた。
返事はできなくても送るのは送っていいと言われているのであれこれメールして『報告欲(?)』を満足させていたのだけど、一服のときにくれる電話の声にちょっと慌ただしさが伝わってくるので、まあ、ここはちょっとおとなしくしているほうが賢明かなと思って、こんなことをツイートしてみた。
『那智さんは、この週末大きな仕事を控えているので今日はあまりかまってくれない。それでもまったく音沙汰ないわけではない程度のかまってくれないなので、ここは回路を切り替え、大人しくいい子で待つ。』
我ながらとても殊勝なツイートだ(笑)
でも打ち終わって、あれ?これはちょっと違うぞと思い直して、その後またいくつかツイートしてみた。
ツイートをご覧になった方には重複してしまうけど今日はそのネタを。
それは、こんな思考回路。
仮に『大人しくいい子で待つ』を『メールを送らずに過ごし、かまってくれなくてもご機嫌でいる(=次かまってくれたときにも好きテンションか同じ)』だとするね。
『大人しくいい子で待つ』にはふた通りあるよね。
心の中はかまって欲しくてジタバタしているけど、表面上はメールを送らずご機嫌のふりでいる。
のと
心ごと切り替えてメールを送らずにすんで、機嫌良く過ごす。
前者でいるのはけっこうしんどい。
フライパンの中でポンポン跳ねるポップコーンに蓋をして、どんどん膨れ上がっているのに溢れさせてはいけないのだもの(えっと、実際作るには蓋するのは必要ですよ^^;)
那智さん、大好き、声聞きたーいというポップコーンにぎゅーって蓋をしておかないといけないのだ。
とても健全な精神状態とは言えない。
後者は、たとえば別の楽しみを見つけるとか気がまぎれることをするとか、気持ちを切り替えて過ごすのだよね。
これは確かに待っていられる、ポップコーンも跳ねずにいて気持ちもラクだろう。
でもポップコーンのコンロの火を消すことになるよね。
待つという回路を遮断する(もしくは、とても細くする)ということだものね。
付き合いの形はいろいろあるでしょうけれど、那智さんとわたしの場合。
那智さんはわたしがしんどい思いをすることは本意ではないし、わたしがいつでもポップコーンがポンポン跳ねている状態(尻尾ぶんぶんとかおしっこチビるほど好きとか、いろいろ表現しております^^)がベストな形なのだ。
そうなると『大人しくいい子で待つ』のどちらのパターンもわたしたちには不適切だと思う。
わたしは溢れる気持ちに蓋をし続けても辛くならないような精神力は持っていないし、火を消して待たない回路を作って、大丈夫になった途端にポンポン跳ねる状態になれるほど切り替えの上手な大人でもない。
ということで、ツイートの最後には『大人しくいい子で待つ』はやめる!!と前言撤回している。
わたしがするべき待ち方は『可愛く待つ』だと訂正した。
ポンポン跳ねる気持ちを惜しみなくお伝えする。(こういうときは『素直』に^^)
どれくらいわたしが那智さんを好きで、どれくらい那智さんの声を聞きたいか!!
お返事がないのは、いまはその余裕がないからだと信じて。
次かまってくれるときに『わんわん』って飛びつけるような心を維持して待つ。
犬がズボンの裾をはむはむと甘噛みするみたいにじゃれつくように、那智さんが好きで、那智さんにかまってほしくてうずうずしている旨をお伝えする。
わたしは、大人しくいい子で待っていると『大好き』がしぼんでしまう気がするのだ。
溢れる好きを惜しまないことが、わたしにとっていつまでも情熱を失わない秘訣のひとつなんだと思う。
これが成立するのは、那智さんのように『かまえるときはかまうし、かまえないときはかまわないから、それをわかった上でどれだけメールしていい』というスタンスでいてくれることが大前提です^^
(ついでに、ほったらかし期間を明確にしてくれることと、定期連絡は入れてくれることも大事…いや、ぜんぜん待てる環境じゃん、というツッコミはなしでお願いします^^;)
お相手によって待ち方も違ってくるでしょうから、お相手がどんな待たせ方をするのか、そして自分はどういう状態なら幸福に待っていられるかを擦り合わせするといいかもね^^
わたしのような『犬気質』の『依存体質』女は可愛く待つのは幸せな待ち方なんじゃないかな。
それができる環境を作れるといいんじゃないかな〜って思うのです。
だから、わたしは『大人しくいい子』で待たない、ことにする^^
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『犬気質』
依存体質
『徒然に「M女の快感」』
『かつてのわたしに』
今朝の「等式」感想です。
待たせる側のスタンスは「待っていて欲しい」と思う、待つ側が「待って」いなければそれは「待たせる」とは言えない。待たせる側も「自覚と覚悟」をもって待たせなければいけないと思う。「待ちこがれていて欲しい」と思う要求に応えるりん子も実は大変なのかもしれない。