職業選択6
惹かれ合う理由
長々と続けてきた「職業選択」。
那智さんが私の人生に大きく関わり、それによって大きく影響を受け、結果的に幸せになっている。
第一、付き合っている女性の就職活動を、アドバイスなんてもんじゃない分量で関わるなんて、そんな面倒なことを頼みもしないのに引き受けてくれているのだ。
私の人生にきちんと向き合ってくれている、確かな証だ。
このことを伝えたくて続けてきた。
随分長くなってしまったから、そろそろおしまいにしようかなと思っています。
「司会者デビュー奮闘記」や「披露宴司会業界の裏側」のようなお話にできないこともないけれど、このブログとは趣向が違いますものね。
いよいよ書くことがなくなったら「業界裏話」ってカテゴリ増やそうかな?
ということで、お昼寝から起きたばかりの頭を目覚めさせる「前置き」でした!
「りん子が、あと残ったやるべきことがわかったね。ネットで地元の事務所を探すんだ。」
たくさんの課題を乗り越えてきた。
どれもミッションクリアには至っていないけど、辛うじてたすきを繋いでいった感じだ。
きっとこれが最後の課題だろう。
「地元の事務所で、教育してくれる所、教育にお金を取らない所(取っても金額による)を見つけるんだ。2、3個はピックアップして。」
気が重いのは相変わらずだ。
この段階でも、まだ私は那智さんが納得してくれて「おしまい」となるために動いていた。
そして私自身が諦めるために。
無理なこと、万が一できたとしてもいろんな意味で大変なこと、だけどやはり憧れていると、自覚も芽生えていたのだ。
全部やってダメなら諦められるだろう。
後悔しないために。
またもや「無理」と判子を押されるために、検索をはじめる。
今回は、あまり那智さんに「やれ~~~」とお尻を叩かれたり(慣用句ね、本当に叩かれるのは別な時♪)、なぜやるのか説得させられなくても、自分から動いた。
もう私に残された道はこれが最後。
結果がわかっていることだ、さっさと終わらせてしまおうと思ったのだろう。
多少は、度胸が付いたのかもしれない。
それと「あんまり言わなかったのに、えらい!!」って、思ってほしかったのだ。
こんなときでも、私の原動力は那智さんの「えらい」という言葉。
褒めてもらいたいがために、動くのだ。
実際、探してみたら、適当なところがほとんどない。
やっと見つけた3社。
ひとつは、社長自らMCで、司会者も3人くらいの小さい事務所。
ここは、何度電話をかけても誰もでないから、バツ。
もうひとつは、MCだけじゃなくブライダル何でも屋みたな事務所。
バルーンアートやピアノ演奏、いろんなものを扱っていてMC部門は細々としているようだ。
電話をかけてみるが、電話に出た「社長」の態度がものすごく横柄で、いやな印象だがアポを取り付ける。
(後に、約束したその当日にキャンセルの連絡が入り、そことは縁がないのだろうと、再度日程を決めるのはやめてしまった。)
残りの一社は、教育もしていて、電話の対応も良い。
「経歴を事務所宛にメールしてください。こちらから折り返し連絡をします。」とのことだった。
ここまで揃えて、那智さんに報告した。
那智さんは一度の指示で動いたことにちょっと驚き、そして、褒めてくれた。
「このために、やったんだもん!!」ちょっと鼻高々な気分。
経歴の書き方や、多少のはったりを伝授され、私はその事務所の門を叩いたのだ。
結局、経歴と面接で、幸いにも私は採用になる。
「使い物になりそうな人には、無償で教育をする。その代わり、事務所掛け持ちはNG」という条件で。
それから私は週一回、社長とマンツーマンで教育を受ける。
梅雨から初秋にかけて、研那智と経験(ブライダルフェアの「模擬挙式」などの前振り)を経て、その年の秋、デビューが決まった。
はじめての打合せ。
新郎新婦を不安にさせてはいけないから、緊張を悟られないように必死。
どうか思い出に残る披露宴になりますように、一生懸命準備をして本番当日を迎えた。
「ちょうど良いタイミングでメールが送れないといけないから早めに送ります。」という言葉で始まった朝一番で届いた那智さんのメール。
「いよいよデビューですね。俺がりん子に司会の仕事をさせたのは、りん子ならできると思ったし、いつまでも輝いていてほしかったからです。りん子は期待に応えてよく頑張ったね。りん子は、どんどん強くなっている。そんなまこが、俺の自慢で誇りです。大丈夫、俺がついているから大丈夫、自信を持って本番に臨んでください。祝福の気持ちを忘れないでね。終わったら電話をして、たくさんたくさん褒めてあげるね。」
私の人生には那智さんがいてくれる。
つまずいたり、傷ついたり、人生は楽しいことばかりではないだろう。
それでも、私には那智さんがいる。
困難が襲ってきても、那智さんがいてくれたら、きっと大丈夫。
手を繋いで、離れないで、負った傷も幸せに変えてくれるだろう。
何度もメールを読み返し、携帯を胸に抱き、本番会場に向かう電車に乗る。
結局、ネットで調べた事務所でデビューをするわけになったのだから、友人に電話したり、事務所を訪ね歩いたり、無駄足といえばそうだろう。
でも、あの緊張や経験は、私の血となり肉となり、自信を持つ大事な出来事になった。
そして、那智さんに育まれていることを再認識できる貴重な出来事になった。
それにしても、MC業界をまったく知らない那智さんが、よくあそこまで推し進めたな~と今更ながら感心します。
しかし、それほど寿命の長くないMC業。
最近の那智さんのテーマは「そのあとのりん子の職業選択」・・ああ、まだ続くのね。
最後に過去のメールから抜粋です。
M社との面接を終え、10分間の逢瀬に向かう電車の中でのメールのやり取りの一部。
「大変だ、不安だ。ここまで来られたのは私の力ではない、那智さんの力、だから不安だ」と繰り返す私にくれたメールを載せて「職業選択」をおしまいにします。
「間違いなく強くなっているよ。自信を持って。りん子はどんどん良くなっている。」
「 勿論頑張りました、支えているのが現実なのでそれで発揮される能力はりん子の物です。」
「頑張りました、頭撫で撫で。だから弱気にならない事。」
これが私の原動力。
長い間「職業選択」にお付き合いくださって、ありがとうございました。
感謝いたします。
どなたかが読んでくれているということは、那智さんの存在同様、私の原動力です。
あと「父親との、その後」で「惹かれ会う理由」は、一応の完結を迎える予定です。
もう少しお付き合いくださいませ。
長々と続けてきた「職業選択」。
那智さんが私の人生に大きく関わり、それによって大きく影響を受け、結果的に幸せになっている。
第一、付き合っている女性の就職活動を、アドバイスなんてもんじゃない分量で関わるなんて、そんな面倒なことを頼みもしないのに引き受けてくれているのだ。
私の人生にきちんと向き合ってくれている、確かな証だ。
このことを伝えたくて続けてきた。
随分長くなってしまったから、そろそろおしまいにしようかなと思っています。
「司会者デビュー奮闘記」や「披露宴司会業界の裏側」のようなお話にできないこともないけれど、このブログとは趣向が違いますものね。
いよいよ書くことがなくなったら「業界裏話」ってカテゴリ増やそうかな?
ということで、お昼寝から起きたばかりの頭を目覚めさせる「前置き」でした!
「りん子が、あと残ったやるべきことがわかったね。ネットで地元の事務所を探すんだ。」
たくさんの課題を乗り越えてきた。
どれもミッションクリアには至っていないけど、辛うじてたすきを繋いでいった感じだ。
きっとこれが最後の課題だろう。
「地元の事務所で、教育してくれる所、教育にお金を取らない所(取っても金額による)を見つけるんだ。2、3個はピックアップして。」
気が重いのは相変わらずだ。
この段階でも、まだ私は那智さんが納得してくれて「おしまい」となるために動いていた。
そして私自身が諦めるために。
無理なこと、万が一できたとしてもいろんな意味で大変なこと、だけどやはり憧れていると、自覚も芽生えていたのだ。
全部やってダメなら諦められるだろう。
後悔しないために。
またもや「無理」と判子を押されるために、検索をはじめる。
今回は、あまり那智さんに「やれ~~~」とお尻を叩かれたり(慣用句ね、本当に叩かれるのは別な時♪)、なぜやるのか説得させられなくても、自分から動いた。
もう私に残された道はこれが最後。
結果がわかっていることだ、さっさと終わらせてしまおうと思ったのだろう。
多少は、度胸が付いたのかもしれない。
それと「あんまり言わなかったのに、えらい!!」って、思ってほしかったのだ。
こんなときでも、私の原動力は那智さんの「えらい」という言葉。
褒めてもらいたいがために、動くのだ。
実際、探してみたら、適当なところがほとんどない。
やっと見つけた3社。
ひとつは、社長自らMCで、司会者も3人くらいの小さい事務所。
ここは、何度電話をかけても誰もでないから、バツ。
もうひとつは、MCだけじゃなくブライダル何でも屋みたな事務所。
バルーンアートやピアノ演奏、いろんなものを扱っていてMC部門は細々としているようだ。
電話をかけてみるが、電話に出た「社長」の態度がものすごく横柄で、いやな印象だがアポを取り付ける。
(後に、約束したその当日にキャンセルの連絡が入り、そことは縁がないのだろうと、再度日程を決めるのはやめてしまった。)
残りの一社は、教育もしていて、電話の対応も良い。
「経歴を事務所宛にメールしてください。こちらから折り返し連絡をします。」とのことだった。
ここまで揃えて、那智さんに報告した。
那智さんは一度の指示で動いたことにちょっと驚き、そして、褒めてくれた。
「このために、やったんだもん!!」ちょっと鼻高々な気分。
経歴の書き方や、多少のはったりを伝授され、私はその事務所の門を叩いたのだ。
結局、経歴と面接で、幸いにも私は採用になる。
「使い物になりそうな人には、無償で教育をする。その代わり、事務所掛け持ちはNG」という条件で。
それから私は週一回、社長とマンツーマンで教育を受ける。
梅雨から初秋にかけて、研那智と経験(ブライダルフェアの「模擬挙式」などの前振り)を経て、その年の秋、デビューが決まった。
はじめての打合せ。
新郎新婦を不安にさせてはいけないから、緊張を悟られないように必死。
どうか思い出に残る披露宴になりますように、一生懸命準備をして本番当日を迎えた。
「ちょうど良いタイミングでメールが送れないといけないから早めに送ります。」という言葉で始まった朝一番で届いた那智さんのメール。
「いよいよデビューですね。俺がりん子に司会の仕事をさせたのは、りん子ならできると思ったし、いつまでも輝いていてほしかったからです。りん子は期待に応えてよく頑張ったね。りん子は、どんどん強くなっている。そんなまこが、俺の自慢で誇りです。大丈夫、俺がついているから大丈夫、自信を持って本番に臨んでください。祝福の気持ちを忘れないでね。終わったら電話をして、たくさんたくさん褒めてあげるね。」
私の人生には那智さんがいてくれる。
つまずいたり、傷ついたり、人生は楽しいことばかりではないだろう。
それでも、私には那智さんがいる。
困難が襲ってきても、那智さんがいてくれたら、きっと大丈夫。
手を繋いで、離れないで、負った傷も幸せに変えてくれるだろう。
何度もメールを読み返し、携帯を胸に抱き、本番会場に向かう電車に乗る。
結局、ネットで調べた事務所でデビューをするわけになったのだから、友人に電話したり、事務所を訪ね歩いたり、無駄足といえばそうだろう。
でも、あの緊張や経験は、私の血となり肉となり、自信を持つ大事な出来事になった。
そして、那智さんに育まれていることを再認識できる貴重な出来事になった。
それにしても、MC業界をまったく知らない那智さんが、よくあそこまで推し進めたな~と今更ながら感心します。
しかし、それほど寿命の長くないMC業。
最近の那智さんのテーマは「そのあとのりん子の職業選択」・・ああ、まだ続くのね。
最後に過去のメールから抜粋です。
M社との面接を終え、10分間の逢瀬に向かう電車の中でのメールのやり取りの一部。
「大変だ、不安だ。ここまで来られたのは私の力ではない、那智さんの力、だから不安だ」と繰り返す私にくれたメールを載せて「職業選択」をおしまいにします。
「間違いなく強くなっているよ。自信を持って。りん子はどんどん良くなっている。」
「 勿論頑張りました、支えているのが現実なのでそれで発揮される能力はりん子の物です。」
「頑張りました、頭撫で撫で。だから弱気にならない事。」
これが私の原動力。
長い間「職業選択」にお付き合いくださって、ありがとうございました。
感謝いたします。
どなたかが読んでくれているということは、那智さんの存在同様、私の原動力です。
あと「父親との、その後」で「惹かれ会う理由」は、一応の完結を迎える予定です。
もう少しお付き合いくださいませ。
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